毎年めぐってくる12月7日はミラノ・スカラ座の開演初日と決まっている。
スカラ座の開演の翌日、つまり今日8日はジョン・レノンの命日だ。偉大なアーチストは44年前の12月8日、ニューヨークで銃弾に斃れた。
そんな特別な日に、記憶に刻むべき新たな歴史が作られた。
2024年12月8日、シリアの独裁者バッシャール・アサド大統領がついに権力の座から引きずりおろされたのだ。
2011年にチュニジアで火が点いたアラブの春は、リビア、エジプトを巻き込みシリアにも飛び火した。
だがアラブの春を呼んだ業火はバッシャール・アサドを焼き殺さなかった。
国民を毒ガスで殺すことも辞さなかった彼は生き残った。例によってロシア、イラン、中国などの閉じたナショナリズムに毒された国々が独裁者を助けた。
2011年から2024年までのアサドの圧政下では、毒ガスによるものを含め 50万人以上が殺害され、600万人が国外難民となった。
2024年現在、ロシアはウクライナ戦争で疲弊し、アサド政権を支えてきたイランの代替勢力ヒズボラは、イスラエルに激しく叩かれて弱体化した。中国はロシアやイランほどの目立つ動きには出ていない。
アサド独裁政権が孤立しているのを見たイスラム武装組織HTSが主導する反政府勢は、2024年11月27日、電光石火にシリア第2の都市アレッポを制圧。
すぐに南進してダマスカスに至る都市や地域をほぼ一週間で手中に収めた。そして12月7日~8日未明、ついに、ダマスカスを攻略した。
アサド大統領は逃亡してロシアに入ったとも、イランにかくまわれたとも言われている。逃走の途中で飛行機が墜落して死亡したという情報もある。
アサド政権の終焉は朗報だが、しかし、それをアラブの春の成就とはとても呼べない。
なぜなら彼を排除したイスラム武装組織HTSは、過激派と見なされている。アメリカと多くの西側諸国、国連、トルコなどは、彼らをテロ組織に指定しているほどだ。
シリアの民主化は恐らく遠い先の話だろう。それどころか同国を含むアラブ世界が、真に民主主義を導入する日はあるいは永遠に来ないのかもしれない。
アラブの春が始まった2011年以降、僕はアサド独裁政権の崩壊を祈りつつ幾つもの記事を書いた。
独裁者のアサド大統領はいうまでもなく、彼に付き添って多くの話題を振りまいた妻のアスマ氏の動静にも注目した。
「砂漠の薔薇」とも「中東のダイアナ妃」とも称えられた彼女は、シリア危機が深まるに連れて化けの皮を剥がされ「ヒジャブを被らない蒙昧なアラブ女性」に過ぎないことが明らかになった。
僕はそうなる前から、彼女にまとわりついていた「悲哀感」が気になって仕方がなかった。
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