【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

ついにシリアの独裁者アサドに鉄槌が下った


バシャー挟んでアスマ&女王握手650
 

毎年めぐってくる12月7日はミラノ・スカラ座の開演初日と決まっている。

スカラ座の開演の翌日、つまり今日8日はジョン・レノンの命日だ。偉大なアーチストは44年前の12月8日、ニューヨークで銃弾に斃れた。

そんな特別な日に、記憶に刻むべき新たな歴史が作られた。

2024年12月8日、シリアの独裁者バッシャール・アサド大統領がついに権力の座から引きずりおろされたのだ。

2011年にチュニジアで火が点いたアラブの春は、リビア、エジプトを巻き込みシリアにも飛び火した。

だがアラブの春を呼んだ業火はバッシャール・アサドを焼き殺さなかった。

国民を毒ガスで殺すことも辞さなかった彼は生き残った。例によってロシア、イラン、中国などの閉じたナショナリズムに毒された国々が独裁者を助けた。

2011年から2024年までのアサドの圧政下では、毒ガスによるものを含め 50人以上が殺害され、600万人が国外難民となった。

2024年現在、ロシアはウクライナ戦争で疲弊し、アサド政権を支えてきたイランの代替勢力ヒズボラは、イスラエルに激しく叩かれて弱体化した。中国はロシアやイランほどの目立つ動きには出ていない。

アサド独裁政権が孤立しているのを見たイスラム武装組織HTSが主導する反政府勢は、2024年11月27日、電光石火にシリア第2の都市アレッポを制圧。

すぐに南進してダマスカスに至る都市や地域をほぼ一週間で手中に収めた。そして12月7日~8日未明、ついに、ダマスカスを攻略した。

アサド大統領は逃亡してロシアに入ったとも、イランにかくまわれたとも言われている。逃走の途中で飛行機が墜落して死亡したという情報もある。

アサド政権の終焉は朗報だが、しかし、それをアラブの春の成就とはとても呼べない。

なぜなら彼を排除したイスラム武装組織HTSは、過激派と見なされている。アメリカと多くの西側諸国、国連、トルコなどは、彼らをテロ組織に指定しているほどだ

シリアの民主化は恐らく遠い先の話だろう。それどころか同国を含むアラブ世界が、真に民主主義を導入する日はあるいは永遠に来ないのかもしれない。

アラブの春が始まった2011年以降、僕はアサド独裁政権の崩壊を祈りつつ幾つもの記事を書いた。

独裁者のアサド大統領はいうまでもなく、彼に付き添って多くの話題を振りまいた妻のアスマ氏の動静にも注目した。

「砂漠の薔薇」とも「中東のダイアナ妃」とも称えられた彼女は、シリア危機が深まるに連れて化けの皮を剥がされ「ヒジャブを被らない蒙昧なアラブ女性」に過ぎないことが明らかになった。

僕はそうなる前から、彼女にまとわりついていた「悲哀感」が気になって仕方がなかった。




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息子を恩赦したバイデンはトランプとどっこいどっこいの史上最低の米大統領かもしれない

眠るバイデン650

バイデン大統領は退任も間近になった121日、有罪評決を受けた次男ハンター氏を恩赦すると、突然発表した。

バイデン大統領はそれまで、何があっても息子を恩赦することはない、と繰り返し述べていた。

彼もまた人の親である。気持ちは理解できる。

だが、彼はこの世の最高権力者である米大統領だ。法の下の平等という民主主義の根幹を歪める行為は厳に慎むべきだ。

もっとも米大統領の正義や良心などというものは、カスでまやかしに過ぎない、とトランプ前大統領が世界に向けて堂々と示して以降は、彼らの愚劣さにはもはや誰も驚かなくなったが。

バイデン大統領の次男ハンター氏は、薬物依存を隠して不法に銃を購入した罪と、脱税の2つの罪でそれぞれ最長17年と25年の禁錮刑を科される可能性があった。

それらの罪の判決が出る前に、父親が全てチャラにする、と宣言したのである。

バイデン氏は前任者のトランプ大統領が恩赦を発表する度に、自分とは違い法の支配を軽視する言動をしていると繰り返し批判した。

例えば2019年、いわく:

「トランプ大統領は法の支配、米国を特別なものにしているわれわれの価値観、そして名誉ある軍服を着た男女の国民を裏切った」

トランプ大統領がRストーン氏を減刑にした2020年、いわく:

「トランプ大統領は現代アメリカ史上最も腐敗した大統領だ」

また2020年の選挙運動中、トランプ大統領が司法長官職を政治利用しているとしていわく:

「司法長官は大統領の弁護士ではなく国民の弁護士だ。今のような司法長官職の売春行為はかつて存在しなかった」

云々。

一方でバイデン大統領は次男のハンター氏の問題では、先に触れたように「司法判断を尊重する。息子は決して恩赦しない」と明言してきた

ところがふいに方向転換し、大統領権限を使って「国や司法よりも家族が大事」と、驚愕の判断を下したのである。

バイデン氏の名誉のために付け加えておけば、米大統領が家族や自らのスタッフ、また支持者などを免責するのはよくあることで珍しくもなんともない。

最近の例で家族に限って言えば2001年、退任直前のクリントン大統領が有罪判決を受けていた異母兄弟を恩赦した。
また2020年にはトランプ前大統領が、義理の息子クシュナー氏の父親を恩赦で免責にした。

だがどの大統領も、バイデン氏のように「恩赦は断じてしない」と繰り返し正義をふりかざした挙句に、豹変する醜態はさらさなかった。

バイデン大統領は、司法制度が万人に公平であり平等あるという法の支配の大原則に逆らって、家族を優遇し個人の利益を優先させた。

それは彼がトランプ前大統領に投げつけた「現代アメリカ史上最も腐敗した大統領」という言葉が、ブーメランとなって自身に襲い掛かることを意味している。

まもなく退任する彼は、驚きも喧騒も喜悦も殷賑ももたらさない陳腐な米大統領だった。

だが彼は、トランプ前大統領が破壊した欧州やアジアの同盟国との信頼関係を取り戻し、ロシアに蹂躙されるウクライナを徹底して支援するという重要な役割も果たした。

直近では米国提供のミサイルでロシア本土を攻撃してもよい、という許可をウクライナに与えて紛争の激化を招きかねないと非難もされた。が、少なくともそれには、北朝鮮軍を抑制するという大義名分があった。

それらの得点は、バイデン氏が息子を恩赦したことで帳消しとなり、あまつさえその行為によって、自身がトランプ前大統領とどっこいどっこいの史上最低の米大統領かもしれない、と世界に向けて高らかに宣言することにもなった。




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ロゼッタPは生ハムを食べまくって長生きした 

熟成中のパルマハム650

義母のロゼッタPはその昔、3歳の娘とともに嫁ぎ先の伯爵家から出奔した。男を追いかけての逃避行だった。当時3歳だった娘とは、今の僕の妻である。

ロゼッタPは間もなく男に捨てられ、子供とともに母親の元に身を寄せた。嫁ぎ先には、もう家には戻らないと通告した。戻れるわけなどないけれど。

離婚を申し出なかったのは、当時のイタリアではそれが不可能だったからだ。離婚は法律で厳しく禁止されていた。

武器製造で知られるトロンピア渓谷の一大資産家の出である義母は、後に北イタリア、エミリア・ロマーニャ州の首都ボローニャ市の旧市街の一等地に居を構えた。

義母は物腰も美的センスも閑雅な女性だった。

彼女は美食家でもあった。

特に肉が好きで野菜はほとんど食べず、生野菜に至っては全く口にしなかった。それでも彼女はほぼ92歳まで生きた。肉が彼女を長生きさせたのだと僕は思っている。

肉の中でも義母が特に好きだったのは、加熱処理や燻製処理を施さず塩だけで熟成させる生ハム、プロシュット・クルードだった。

「プロシュット(Prosciutto)」とは豚の腿肉で作られたイタリア産の生ハムの総称である。

それには2種類ある。加熱していない生ハムをいま触れた「プロシュット・クルード(生)」と呼び、加熱したハムを「プロシュット・コット(調理済み)」と言う。

2種のハムのうちもっとも食べられているのがプロシュット・クルード(生)である。イタリアには良く知られたものだけでも20種以上ある。

それらのうち欧州(EU)基準のPDO(原産地呼称保護)認証を与えられている プロシュット・クルード は:

パルマ、サンダニエーレモデナトスカーナヴェネト、カルペーニャ、ジャンボン・デ・ボス クネオネブローディ、チンタ セネーゼ、またプロシュット・クルード ではないが プロシュット・クルード にも勝る風味のクラテッロなどがある。

片やPGI(地理的表示保護)認証を与えられている製品はノルチャ、サウリス、アマトリチャーノ 等である。

それらの品とは別に、自家製の プロシュット・クルード もあるようだが、豚の腸などに袋詰めにされて熟成させるサラミなどとは違って製造が難しいため、数は少ないと考えられる。

プロシュットやサラミを始めとするサルーミ(加工肉)類が好きな僕は、仕事や休暇で訪れる各地の プロシュット・クルード をせっせと食べた。

気がつくと、PDOPGIに認定されていないものを含むイタリアのほぼ全ての地域の プロシュット・クルード を食べてきたと分かった。

それに加えて、やはり仕事や休暇で行く欧州各国でも地域原産の生ハムを食べたから、僕はあるいは義母以上のプロシュット・クルード 好きと言えるかもしれない。

義母のロゼッタPは数あるプロシュット・クルード の中でもパルマハムをこよなく愛した。

嫁ぎ先の伯爵家を出奔した後に彼女が居を構えたボローニャは、エミリア・ロマーニャ州の首都である。一方、パルマハムの産地のパルマは同州3番目の都市。

パルマハムの最高級品は、パルマよりもボローニャに集積されるという説もある。

ボローニャはパルマに近い且つパルマよりも大きな州都だ。生パスタの特産地としても知られ、イタリア有数の食の街である。

鮮魚が港町から大都市に送られて集積するように、一級品のパルマハムもより大きな消費地のボローニャに送り込まれる、ということなのだろう。

そのボローニャの台所は、旧市街の中心広場の隣に広がる市場である。そこにはパルマハムの極上品を扱う店が幾つもある。

ロゼッタPは市場にある一軒の店が馴染みで、彼女の料理人は週に3日ほど店に通って最高級のパルマハムを購入した。

そのハムはティッシュペーパーのように薄切りで、口に入れると甘く、文字通り溶けて舌にからんだ。

彼女は当初、市場から遠くない旧市街の一等地に住んだ。だが後にはそこを売却して、郊外にある英国様式の広い庭園のある館を購入し移り住んだ。

引っ越してからも、ボローニャ中心街のプロシュット専門店にこだわり続け、料理人は街中に住んでいた時と変わらずに、週に3度パルマハムを買いにバスで街に出た。

僕は義母の家で頻繁にパルマハムを食べた。彼女が庭園のある館に移った後、5年ほどは家族共々そこに同居さえした。ボローニャはかつて僕の地元でもあったのだ。

僕は仕事でイタリア中を旅した。既述のように行き先ではよく プロシュット・クルード も食べた。

また長いイタリア生活の合間には多くの国も旅した。プライベートは言うまでもなく、仕事の場合も手を抜かずにきっちりと食事をし生ハムにも親しんだ。

仕事はスタッフを伴ってのロケがほとんどなので、体力維持のための食事が欠かせなかった。スタッフにきちんと食事をさせるのもドキュメンタリー監督の仕事である。あらゆる国でよく食べた。

そんなふうに食事にかこつけては、イタリアを含むあらゆる場所で欧州中の生ハムを食べた。

だが、未だに義母の家で食べた プロシュット・クルード に勝る味には出会っていない。

それでもイタリアの プロシュット・クルード に匹敵する美味い生ハムにはいくつか出会った。特筆したいのはスペインのハモンセラーノとハモンイベリコである。

ハモンセラーノはイタリアの プロシュット・クルード に匹敵する。プロシュット・クルード よりもやや塩気が強いが、それが独特の風味にもなっている。

片やハモンイベリコは、個人的にはパルマハムに勝るとも劣らない美味しさだと思う。だが、両者に優劣をつけるのは無意味だ。2つの製品は全く違う風味のいずれ劣らぬ名品である。

両者の違いは、好みと風流と品格がもたらす微妙な色合い、あるいはグラデーションのようなものだ。

口に入れればたちまち至福感に満たされる、という意味ではむしろ、同一の極上品と形容するほうが相応しい。





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ICCはもっと早くネタニヤフをしばくべきだった

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国際刑事裁判所(ICC)は1121日、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相 、またハマス軍事部門のデイフ司令官に対して、戦争犯罪及び人道に反する罪の疑いで逮捕状を出した。

 ネタニヤフ首相ICCの決定を“例によって”「反ユダヤ的」と非難した。

彼は反ユダヤ主義、つまりAntisemitismという言葉に反射的に強い怖れを抱く欧米世論を意識して、彼自身やイスラエルあるいはユダヤ人全般に対する批判や疑問や否定的見解に対しては、ほぼ常にその言葉を口にする。

ネタニヤフ首相のその口癖は、自身の脆い政治的立場を秘匿するための詭弁、と断言してもあながち間違いではないだろう。

ICCはイスラエルやユダヤ人を糾弾しているのではない。飽くまでも無差別攻撃で無垢なガザの住民虐殺している首相と元国防相を、ピンポイントで有罪と宣告してしているだけだ。

それは合法であり道徳的にも真っ当なアクションだ。

アメリカのバイデン大統領を始めとする、欧米の“必要以上に”親イスラエル派の指導者は、ICCガザ地区でのイスラエルの行動と、2023年10月7日のハマスによる攻撃を、道徳的に同じと見なしていると批判した。

だがその言葉自体が既に虚妄だ。なぜならネタニエフ首相率いるイスラエル(軍)は、ガザ地区において「無差別攻撃」を行い民間人を殺戮しまくっているのであって、単なる「行動」ではない。

またICCは敢えて言えば、昨年10月7日のハマスによる攻撃と、イスラエル軍の残虐行為に「道徳的同等性」を見出しているのであって、それ以上でも以下でもない。

また僕を含む世界中の心ある人々は、ユダヤ人が歴史的に蒙ってきた多くの差別と苦しみと、その集大成ともよぶべきホロコーストを断じて忘れていない。

ネタニヤフ政権がガザ地区で犯している大量殺人は、れっきとした犯罪であり人道に反する悪逆だと断じているに過ぎない。

欧州ではイタリアとオランダがICC決定に従って、ネタニヤフ首相とガラント元国防相が入国すれば逮捕すると表明した。

また英国も、慎重な表現を用いつつ、彼らが入国することがあれば、イタリアとオランダに倣って逮捕する旨の声明を出した。

一方、事大主義者の日本政府は、例によって沈黙している。

自らの考えも主体性も、従って危機意識もない日本の石破政権は、黙ることでネタニヤフ首相を支持し、パレスチナの人々を見殺しにしているという見方もできる。

それとは逆に、極右と断罪されることも多いここイタリアのメローニ首相は、ICCの決定を尊重する誠実な態度に出たことで、この事案でもまた好感度を上げたようにさえ見える。




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名横綱から名解説者へというレアケース

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大相撲解説者の北の富士勝昭さんが亡くなった。

僕はイタリアにいながらNHKの大相撲中継をずっと見ている。

北の富士さんは体調を崩してここしばらく出演しなかった。

大相撲中継は仕切りのかったるさもあり長いので、僕は録画をしておき速回しで立合いと結果だけを見るのがほとんどだ。

だが北の富士さんが出演している場合は普通に再生してよく彼の解説を聴いた。

ユーモアがあり力士に厳しく優しく、元名横綱らしい深い技術理論を持っていた。

ユーモアは知性と強く関連している。彼は明らかに読書にも親しんでいて言葉が豊富だった。

合掌




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ネタニヤフよ、もうこれ以上ユダヤの民を貶めるな 

青飛び顔650

サッカーのイスラエル人サポーターが、アムステルダムで襲われて2030人がケガをした。

事件は、例によって欧州各国政府の大げさとも取れるイスラエル擁護声明と、人々の強い反イスラエル感情を巻き込んでセンセーショナルに報道された。

僕はその様子をやや斜にかまえた天邪鬼な気分で監視してきた。

ガザではイスラエルの無差別攻撃で多くの子供と女性を含む45000人近くのパレスチナ人が虐殺され、約103000人が負傷し、1万人を超える人々が行方不明になっている。

それに比べれば、贔屓チームを応援するためにアムステルダムまで飛んだイスラエル人が、襲われてケガをしたことに何ほどの意味などあるものか、とさえ思ったことを告白しなければならない。

そして残念ながら、僕の周りのほとんどと世界中の多くの人が、僕と同じ感慨を持っている。それは全てのユダヤ人にとって極めて憂慮するべき兆候だ。

イスラエルチームのサポーター、換言すれはユダヤ人を襲ったのは、反ユダヤ主義に触発された若者らである可能性が高い。

従ってその者らの暴力を黙過するとは、ヒトラーが、つまり人類がしでかした巨大犯罪、ホロコーストを容認することにもつながりかねない危険な態度である。

ホロコーストは、日常のさりげないユダヤ人差別が積み重なって肥大し、ついには制御不能になって発生した。

そしてサポーターがユダヤ人であることを理由に、男らが彼らを襲った暴力行為は、日常よりもはるかに深刻な差別であり暴虐である。

僕はユダヤ人の最大の悲劇、ホロコーストをよく知っている。惨劇は2度と起きてはならない。

僕は反ユダヤ主義に強く反対する。

同時に僕は、イスラエルが続けているジェノサイドまがいのガザでの残忍な攻撃にも反対する。

それは、神掛けてホロコーストを忘れたことを意味しない。

また決して、2023107日のハマスの残虐行為を忘れるわけでもない。

身内に湧く、ガザで進行する悪逆非道への怒りを最早抑えきれなくなっただけだ。

イスラエルよ、すべてのユダヤ人よ、そして誰よりもネタニヤフよ、ホロコーストは断じてパレスチナの子供や女性たちを殺戮する免罪符にはならない。

だから即刻残虐行為をやめるべきだ。

それでなければ、オランダ・アムステルダムで起きたユダヤ人襲撃事件の底にある反ユダヤ主義感情が、世界中で拡大し肥大化して制御不能になる可能性が高まる。

Enough is enough = ガザへの無差別攻撃はもうたくさんだ、と世界中の心ある人々が叫んでいることを知れ。






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記名ネトウヨ、イーロン・マスクの大きなお世話  

Elon Musk 高慢650

口角泡飛ばし男のイーロン・マスク氏が、なぜかイタリアの移民政策にちゃちゃを入れて物議を醸している。

イタリアのメローニ極右政権は、選挙公約を履行する形で、不法移民をアルバニアの抑留施設に送りこんだ。

するとイタリアの司法は、それを違法として移民7人をイタリアに差し戻す判決を下した。マスク氏はそのことを踏まえて、イタリアの裁判官は更迭されるべき、と声高に主張したのである。

遠いアメリカから、ただの金持ち様が「あんた何様のつもり?」の思い上がり行為に走るのは、むろん米大統領選でトランプ候補が勝利したことを受けてのアクションである。

イタリアの最極右とも見られていた「イタリアの同胞」党首・メローニ首相は、政権の座に就いて以来、政策スタンスをより中道寄りに軌道修正して、国内でもまたEU内でも好評に近い反応さえ得ている。

一方、国内でもまたEUからも胡散臭い目で見られているイタリア政権内のもうひとつの極右勢力、「同盟」を率いるマッテオ・サルヴィーニ副首相は、マスク氏の主張を歓迎する声明を出した。

インフラ大臣も兼ねるサルヴィーニ副首相は、プーチン大統領とトランプ次期大統領の信奉者でもある。

そのことからも分かるように、マスク氏の悪女の深情けな放言は、ファシスト気質のトランプ次期大統領の威を借りつつ、イタリアの極右政権へ親しみをこめて送ったエールだったのだ。

むろんそこには、移民に厳しい姿勢で臨むトランプ次期大統領へのヨイショの意味もあるのは言うまでもない。

しかし、肝心のイタリア政府のボス、メローニ首相は何も反応しなかった。

代わりに、今やイタリアの極右の総大将の位置に君臨する、サルヴィーニ副首相が喜んだという構図である。

マスク氏はただの大金持ちだが、一代で財を成した事実にはそれなりの理由があるに違いない。きっと何者かではあるのだ。

しかし、不遜な独り善がり言動が多いのは、どうにもいただけない。

彼は来たる2025年1月以降の4年間、トランプ大統領の右腕兼太鼓もちとして、あらゆる場面で不愉快な言動に出るであろうことが確実視されている。

マスク氏はアメリカ国籍をもつものの、幸い同国生まれではないため自身が大統領になることはできない。

だが、老いぼれで危険なトランプ大統領を操って、世界をさらなる分断へと導きかねないことが懸念される。





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プラハの十字架

800右カラ時計塔含む広場全体人混み

プラハの旧市街広場を中心とする歴史的市街地域には生活のにおいがほとんどない。あたりには人があふれている。ふつうに歩くのが困難なほどの混雑だ。

だがその人の群れは、ほぼ100%が観光客なのである

それは数値にも表れている。プラハの人口は130万人余り。そのうち旧市街広場を中心とする歴史的市街地にはたった8000人の市民しか住んでいない。

それがいかに不思議な数値であるかは、たとえばイタリアのベニスを例にとってみても明白だ。

ベニスの人口は25万人である。そのうち歴史的市街地の住民は5万人。人口130万人のうち

の8000人だけが中心部に住むというプラハの状況は、極めて珍しいのである。

ヨーロッパの旧市街には、どこに行っても人が群れている。群れている人のほとんどは観光客だが、そこに住まう多くの地元民も観光客に混じって行き交っている。

なぜそれはが分かるかというと、地元民は普段着を身にまとって、買い物籠やレジ袋を抱えながら歩いていたり、日常の空気感にじませた表情でゆらりと歩いていたりする。

そんな街の広場や通りのたたずまいを観察すると、地元民が買い物をする店やコンビニや雑貨店などが目に入る。特に食料品店が肝心だ。中でも肉屋の店先には生活のにおいが濃く立ちこめる。

プラハの心臓部の旧市街には、「日常」を身にまとった人々や店屋などが全くと言っていいほど存在しない。

立ち並ぶ建物の一つひとつを観察すると、一階にはレストランやカフェやバー、また土産物店やホテルなどの商業施設がびっしりと軒を並べている。

だがそれらの建物の2階以上には極端に人の気配が少なく、明らかに空き部屋らしいたたずまいもちらほら見える。

なぜ人が溢れている旧市街広場の周りの建物に住人がいないのか。敢えて例えて言えばゴーストタウンのようになったのか、というと次のようなことが考えられる。

旧市街広場一帯はプラハで最もステータスの高い一等地である。かつてそこに居を構えたのは王侯貴族であり、彼らの周囲に群がる軍人や高級官僚や大商人などのエリートだった。

プラハが首都のチェコスロバキアは1948年、共産党の一党独裁制下に入った。国名もソ連型社会主義国を示すチェコスロバキア社会主義共和国となった。

権力を得た下層庶民階級の共産主義者は、旧市街広場を中心とする高級住宅地を掌握すると、喜び勇んで特権階級の住民を追い出し家屋を差し押さえて思いのままに運用した。

だが1989年、状況は一変する。ビロード革命が起こって共産党政権が崩壊したのだ。旧市街一帯を支配していた共産主義者は一斉に姿を消した。

独裁者が去って、民主主義国になったチェコの首都は開かれた場所となった。が、共産主義者によって追放された旧市街広場周辺の住民は帰還しなかった。

そこに富裕な外国人や観光業者がどっと押し寄せた。プラハの旧市街地区は、あっという間に投資家や金満家やビジネスマンが跋扈する商業絶対主義のメッカとなっていった。

そうやって旧市街広場には観光客が溢れるようになったが、リアルな住民は寄りつかなくなった。いや、寄り付けなくなった。共産主義時代の負の遺産である。

プラハの旧市街広場一帯ににそこはかとなく漂う空虚感はそこに根ざしている。

北のローマとも形容される華の都プラハは、共産主義者に精神を破壊された。心魂を破壊されたものの、しかし、街の肉体すなわち建物群は残った。

さまざまな時代の、さまざまな様式の建物が林立するその街は、やがて“建築博物館”の様相を呈するようになり 、それが旅人を魅了する、というふうに僕の目には映った。






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NHKが“与党過半数割れの衝撃”と騒ぐ衝撃

壁大穴の向こう&道路様子迫力800

 先の衆議院選挙で最も気になったのは、相も変わらない投票率の低さでした。

裏金問題という深刻な事案が争点の選挙でも、投票率は53.85%という寂しい数字でした。

日本の選挙の投票率が低いのは、国民が政治に関心を持たないからです。そして国民が政治に関心を持たないのは彼らが民主主義を理解していないからです。

自らの一票が真実、権力の行方やあり方を左右する、という厳然たる事実を多くの国民が意識すれば、投票率は必ず上がります。

結果、政権交代が起きます。

そして政権交代が起きることを政治家が肌身で感じれば、彼らは襟を正します。少なくとも国民を恐れ国民の声に耳を傾けます。

そこの部分が日本の民主主義には欠落しています。つまり日本の民主主義は真の民主主義ではなく、民主主義の名を借りた「一党独裁政治主義」のようなものに過ぎないのです。

そのことを象徴的に表しているのが、選挙結果を踏まえてNHKの看板番組「クローズアップ現代」が放った、“与党過半数割れの衝撃”というタイトルです。

与党の過半数割れは、まともな民主主義国家の選挙なら当たり前の事相です。それを衝撃と呼ぶNHKの心状こそが衝撃なのです。

米英に代表される2大政党の回転ドア式政権樹立法を別にすれば、過半数を制する政党が無く、複数の勢力が連立を組んで政権を担うのが民主主義国の普通の在り方です。

言葉を替えれば、与党過半数割れが現代政治の常態なのです。

自民党がほんのひと時を除いて政権を握り続けてきたのは、日本の政治環境が中露北朝鮮にも似た独裁主義まがいの硬直した政体だからです。

日本はその醜悪な政治文化を早急に破壊して、政権交代が簡単に起きる政治環境を作り上げるるべきです。

ここイタリアでも、戦後一貫して日本の自民党に当たるキリスト教民主党 が政権を担いつづけました。

だが1994年、スキャンダルに始まる政治危機の連鎖によってキリスト教民主党が崩壊、消滅しベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリア党が政権を握る“政治革命”が成就しました。

以来イタリアは、政権交代が易々と起きる国になりました。

イタリアの民主主義は、民主主義先進国の中では最も稚拙とみなされることが多い。だがそれは稚拙ではなく、多様性が差配する政治環境の殷賑が、外部からは政治の混乱と見えるに過ぎません。

混乱に見えるからイタリアの民主主義は稚拙、と知ったかぶりを言う自称ジャーナリストや専門家や知識人が、特に日本を中心に多くいます。

彼らにはイタリア政治を支配している多様性の精神がまるで見えていないのです。

それに対して一党独裁的な政治環境が継続している日本では、国民の政治参加が圧倒的に少なく、その結果、民主主義の核の一つである政権交代が起きない、という悪循環が続いています。

日本は敗戦後にタナボタで手に入れた民主主義を研鑽し、本質をしっかりと捉えて、子供たちに死に物狂いで教え彼らの血となり肉となるように仕向けなければならない時期に来ています。

それが成れば―繰り返しになりますが―必ず投票率が上がります。結果、政権交代が起きます。そして政権交代が起きることを政治家が実感すれば、彼らは反省し態度を改め国民の声に真摯に耳を傾けます。

そうやって民主主義はさらに深化していきます。

民主主義は漫然と付き合っていると、たちまち中露北朝鮮のような専制主義に取って代わられる危ういシステムです。一人ひとりが立ち上がって闘わなければなりません。

その最たるものが投票に行くという行為です。

民主主義体制はそこにあるのが当たり前ではありません。専制主義や過激主義、またトランプ論者や独裁者が跋扈する世界で、懸命に闘い努力をしてのみ得られる開放であり、自由であり、喜びなのです。

トランプ災を転じて福となせるか日本

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トランプ返り咲きが確実になったようだ。

ハリス大統領の誕生を期待したが、仕方がない。

欧州、正確に言えばEU(欧州連合)の権力中枢も僕と同じ気分だろう。だが頭脳明晰で冷徹なEUの権力機構は、トランプ再選を想定しての戦略をしっかりと描いている。

心配は日本である。

先日の総選挙の結果、誰が政権を担うかも不確実な今の状況で、アメリカファースト主義のトランプ政権と対峙するスキームはあるのだろうか。

もしも高市政権が誕生していれば、安倍政権の続きでトランプの犬に徹する仕方を踏襲し、その意味では「安心」だったかもしれない。

石破政権も、高市政権ほどではなくとも、“日本はアメリカの属国”策を死守して、何とか生かせてもらえただろう。

与党が過半数割れして混沌とした状況の現在、日本には“トランプほぼファシズム政権”に対応して独自にアイデアを繰り出す甲斐性はなさそうだ。

既述のようにEUが核を成す欧州は、トランプ政権との付き合い方を2017~2021の間に学習し、今回の選挙では彼の勝利の可能性を見越して徹底シミュレーションして備えている。

日本は軍備はしっかりと整えながら、その増強のみを考えるのではなく、またアメリカ一辺倒のポチ街道を邁進するのでもなく、近隣の厄介国すなわち中露北朝鮮とも対話し欧州と協調して、グローバルサウスとも真剣に付き合い必要なら即座に援助の手を差し伸べる“当たり前”の先進国を目指すべきだ。

災いを転じて福となす覚悟で、厄介なトランプ政権を逆手に取り日本の国益になるよう賢明にまた懸命に動くのである。

と本心を書いても、真の民主主義が根付いていない日本の民度を思うと、脱力感に襲われるのが寂しい。




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メローニ「極右政権の」嘘から出たまこと、かも、かい?


メローニ激穏合成800
 

イタリアのメローニ“極右”政権が発足から3年目に突入した。

メローニ政権は極右から中道寄りにシフトし続け、表向きはいわば急進的な右派政権という具合になっている。

メローニ政権はEU(欧州連合)とも良好な関係にある。ウクライナ戦争では反プーチンの立場を貫き、NATOとも、従ってアメリカとも今日現在は緊密に結びついている。

ファシスト党の流れを組む「イタリアの同胞」のメローニ党首は、いかにも極右らしく反移民と反EU(欧州連合)を旗印に活動を始めたが、政権奪取に至った2022年の選挙では、反EUのスタンスを胸奥に収めて戦い勝利した。

イタリアの同胞は、第二次世界大戦後に結成されたネオファシスト集団に起源を持つが、メローニ首相自身は近年極右から距離を置くよう努めており、自身の政党は主流保守派だと主張する。

彼女は首相になると同時に険しい極右の言動を控えて、いわば強硬右派とも呼ばれるべき穏健な道を歩みだした。顔つきまで変わった。

ほとんど 狂暴にさえ見えた激甚な表情が母親のように優しくなったのだ。

弱小政党を議会第一党にまで育てるには、烈烈たる情緒と確固たる信念を胸に活動することが求められる。

彼女はそれを実践し選挙運動では声高に、過激に主張を展開し続けた。それが彼女の酷烈な表情だったのだと分かる。

メロ-ニ首相は2年前、議会の初演説でファシズムを非難し、ムッソリーニの人種差別法はイタリア史上最悪の出来事だったとも述べた。また同盟国に対しイタリアの欧州連合への責任ある関与も保証した。

政敵からはネオファシストと呼ばれたりもする右派のメローニ首相が、政権奪取後には中道寄りへと舵を切るであろうことを僕は予想し何度もそう書いた

彼女はその通りの道を歩んでいる。メローニ政権が極右らしい動きに出たのは、不法移民をアルバニアの収容所に送り始めたことぐらいだ。

その策は時間とともに拡大強化されて、ファシストの大好きな反移民また排外差別主義の巣窟へと変化して行く危険を秘めている。

不法移民への反発は欧州中にも広がっていて、メローニ政権の政策に同調する声も高まっている。

それだけに欧州の寛大な心が冷たく過酷な反移民、排外差別主義へと向かう可能性は否定できない。

それでも今のところは、メローに首相の政策を極右の酷薄な仕打ち、と即座に連想する者は少ない。




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NHKが“与党過半数割れの衝撃”と騒ぐ衝撃


 逆光雲ビーチ人影800

今回の衆議院選挙で最も気になったのは、相も変わらない投票率の低さである。

裏金問題という深刻な事案が争点の選挙でも、投票率は53.85%という寂しい数字だった。

日本の選挙の投票率が低いのは、国民が政治に関心を持たないからだ。そして国民が政治に関心を持たないのは彼らが民主主義を理解していないからだ。

自らの一票が真実、権力の行方やあり方を左右する、という厳然たる事実を多くの国民が意識すれば、投票率は必ず上がる。

結果、政権交代が起きる。

そして政権交代が起きることを政治家が肌身で感じれば、彼らは襟を正す。少なくとも国民を恐れ国民の声に耳を傾ける。

そこの部分が日本の民主主義には欠落している。つまり日本の民主主義は真の民主主義ではなく、民主主義の名を借りた「一党独裁政治主義」に過ぎないのである。

そのことを象徴的に表しているのが、選挙結果を踏まえてNHKの看板番組「クローズアップ現代」が放った、“与党過半数割れの衝撃”というタイトルだ。

与党の過半数割れは、まともな民主主義国家の選挙なら当たり前の事相だ。それを衝撃と呼ぶNHKの心状こそが衝撃である。

米英に代表される2大政党の回転ドア式政権樹立法を別にすれば、過半数を制する政党が無く、複数の勢力が連立を組んで政権を担うのが民主主義国の普通の在り方だ。

言葉を替えれば、与党過半数割れが現代政治の常態なのである。

自民党がほんのひと時を除いて政権を握り続けてきたのは、日本の政治環境が中露北朝鮮にも似た独裁主義まがいの硬直した政体だからだ。

日本はその醜悪な政治文化を早急に破壊して、政権交代が簡単に起きる政治環境を作り上げるるべきだ。

ここイタリアでも、戦後一貫して日本の自民党に当たるキリスト教民主党 が政権を担いつづけた。

だが1994年、スキャンダルに始まる政治危機の連鎖によってキリスト教民主党が崩壊、消滅しベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリア党が政権を握る“政治革命”が成就した。

以来イタリアは、政権交代が易々と起きる国になった。

イタリアの民主主義は、民主主義先進国の中では最も稚拙とみなされることが多い。だがそれは稚拙ではなく、多様性が差配する政治環境の殷賑が、外部からは政治の混乱と見えるに過ぎない。

混乱に見えるからイタリアの民主主義は稚拙、と知ったかぶりを言う自称ジャーナリストや専門家や知識人が、特に日本を中心に多くいる。

彼らにはイタリア政治を支配している多様性の精神がまるで見えていないのである。

それに対して一党独裁的な政治環境が継続している日本では、国民の政治参加が圧倒的に少なく、結果民主主義の核の一つである政権交代が起きない、という悪循環が続いている。

日本は敗戦後にタナボタで手に入れた民主主義を研鑽し、本質をしっかりと捉えて、子供たちに死に物狂いで教え彼らの血となり肉となるように仕向けなければならない時期に来ている。

それが成れば、必ず投票率が上がる。結果―繰り返しになるが―政権交代が起きる。そして政権交代が起きることを政治家が実感すれば、彼らは反省し態度を改め国民の声に真摯に耳を傾ける。

そうやって民主主義はさらに深化していく。

民主主義は漫然と付き合っていると、たちまち中露北朝鮮のような専制主義に取って代わられる危ういシステムだ。一人ひとりが立ち上がって闘わなければならない。

その最たるものが投票に行くという行為だ。

民主主義体制はそこにあるのが当たり前ではない。専制主義や過激主義、またトランプ論者や独裁者が跋扈する世界で、懸命に闘い努力をしてのみ得られる開放であり、自由であり、喜びなのである。










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地に落ちた勇者、マンチーニに地獄はない

顔を手で隠して苦悩のマンチョ800

 イタリアサッカーの勝ち組、あるいは常勝監督とも形容できるロベルト・マンチーニ氏が、サウジアラビア代表監督を首になった。

マンチーニ監督は2021年、欧州選手権で53年ぶりにイタリアを優勝に導いて大喝采を浴びた。

ところが2023年、サウジアラビアから同国の代表監督就任を要請され、提示された年棒2500万ユーロ、およそ41億円に釣られてイタリア代表監督の職を投げ出した。

W杯にも匹敵する欧州選手権を勝ち抜いた、マンチーニ監督への賞賛に満ちていたイタリアの世論は、一夜にしてブーイングに変わった。

莫大な金額が右から左に軽々と動くサッカー界のこと。彼が大金に釣られるのは仕方がない。だが、W杯予選の大事な試合が控えているまさにその時に、代表監督の座を去った無責任さが国民の怒りを買った。

しかしそれも一瞬の出来事だった。サッカービジネス界の騙しあいと裏切りと金権体質に慣れきっている人々はすぐに事態を忘れた。

それから1年半後、つまり2024年10月24日、成績不振を責められてマンチーニ氏はサウジアラビア代表監督をお払い箱になった。

イタリアの一般有力紙はこぞって「金に転んでサウジアラビアに走ったマンチーニが、馘首されてすごすごとイタリアに舞い戻った」と、皮肉と指弾と嘲笑を交えて記事を書きまくった。

僕もそれらの新聞と同じ気分だが、同時にイタリアの、またヨーロッパのサッカー界は、明日にはもうマンチーニ氏の不徳などケロリと忘れて、彼を雇うために臆面もなく奔走しまくるだろう、とも思っている。






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ギリシャ旅の玉に瑕 

800波紋・島・岩

ギリシャは都市部のカオス的愉快と、エーゲ海の島々の乾いた碧空とビーチの清涼が魅力一等のリゾート地だが、人によっては不快に感じるに違いないひとつの問題がある。

それは便器にトイレットペーパーを流せないことだ。

ほぼ全国に渡って水洗トイレが当たり前に整備されているのだが、配水管が細く設備が十分ではないために、トイレットペーパーでも詰まってしまう。

そのために使用済みの紙はトイレに流さずに備え付けのゴミ箱に捨てるように要求される。

世界には水洗トイレがあっても紙をそこに流せない国がゴマンとある。中国、韓国、ブラジル、アルゼンチン、トルコ、タイなど、欧米と日本以外の世界の国々の多くが同じ環境下にある。

一時期、日本に大量に押し寄せた中国人観光客が、使用済みのトイレットペーパーを水に流さずにゴミ箱に捨てる「事件」が頻発して、日本中が仰天した。

何のことはない。中国人は自国での習慣をそのまま日本でも実行したに過ぎない。下水設備がギリシャ同様に近代化されていないのだ。

しかし、ギリシャは曲がりなりにも欧州の一国だ。それだけに少し驚き、不快感も禁じえない、というのが正直な気持ちだ。

僕はずいぶんギリシャを訪れているが、トイレ事情についてはほとんど記憶していなかった。従って不快にも感じなかった。感じようがなかった。

今回もクレタ島ではまあまあハイグレードな部類のホテル・レジデンスに滞在した。そこはいわば僕らの定宿のようになっている。

トイレの壁には「紙を水に流さないでください」という注意書きがあった。僕はそれを「“トイレットペーパー以外の紙”を水に流さないでください」、と解釈した。

トイレットペーパー以外の異物を便器に流すな、という注意書きはイタリアでも日本でもどの先進国でも時々目にする貼り紙だ。

今回はたまたま清掃係りの女性と親しくなった。妻も加わって彼女と3人でよもやま話をするうちに、「紙を水に流さないでください」の紙がトイレットペーパーだと知った。驚き、少し気分が下がった。

使用済みのトイレットペーパーを片付ける清掃の女性も気の毒だが、そこに捨てる自分の心緒も爽快とは言いがたい。

今後も大好きなギリシャでは遊び続けるつもりだが、ほんの少しだけ「玉に瑕」というふうに感じるので、ここに記してギリシャ旅を計画している皆さんの注意を喚起しておくことにした。




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イタリア内の異国・アオスタを遊ぶ 


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ギリシャ・クレタ島からイタリアに帰った翌日、フランスとの国境の街・アオスタを目指して車を走らせた。

仕事兼遊びの道行。遊びの要素がある分だけ、ギリシャで溜まった“休暇疲れ”はほとんど感じず、真夏のような気候のクレタ島からふいに寒いアルプスの街に入る感覚が新鮮だった。

アオスタは、イタリアの5つの特別自治州のうちの一つ、ヴァッレ・ダオスタ州の首都である。

イタリアには20の州があり、そのうちの5つは特別自治州である。ヴァッレ・ダオスタ のほかにはシチリア島嶼、サルデーニャ島嶼、トレンティーノ=アルト・アディジェ、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州がある。

特別自治州は15の通常州よりも先に州として認定され、そのうえ通常州よりも強い自治権を付与されている。

イタリアの大部分を占める通常州に先んじて、特別自治州のほうが,共和国の構成要素として制されるところが面白い。多様性の花が咲き乱れるイタリアならではの歴史である。

イタリアは国の中に地方があるのではなく、各地方が蝟集して国家になったというほうが相応しい共和国である。そこでは多様性が非常に重んじられる。

特別自治州はいわば多様性尊重主義の象徴的存在。その名の通り特別に立法権が認められ地域で徴税される国税を分配されるなどの強い自治権がある。

つの特別自治州はイタリアの一部ながら独立志向が強い。特にシチリア州と トレンティーノ=アルト・アディジェ州がそうである。

そうはいうもののしかし、ドイツ語圏の トレンティーノ=アルト・アディジェ州とは違い、シチリア島嶼州はイタリア本土への敵愾心は強くないと言える。

一方トレンティーノ=アルト・アディジェ州の、特にボルザノ県などでは、事あらばイタリアから独立しようとする勢力がいつもうごめいている。

同州のボルザノ県の大半を占めるいわゆるチロルの人々は、イタリア人というよりもオーストリア人でありドイツ人という印象が強い。 イタリア人とドイツ人では肌合いが大きく違う。

イタリア語とは全く違うドイツ語圏を含むトレンティーノ=アルト・アディジェ特別自治州は、イタリア中央政府と摩擦を起こすことも少なくない。

ヴァッレ・ダオスタ州は外国語のフランス語圏に属する。その意味では ドイツ語圏にあるトレンティーノ=アルト・アディジェ州に似ている。

だがフランス語はイタリア語と同じラテン語であり、フランス人とイタリア人も同じラテン系民族。共通点が多いだけ、ヴァッレ・ダオスタ州はトレンティーノ=アルト・アディジェ州よりもイタリアの大部分と親和的である。

言葉を換えればトレンティーノ=アルト・アディジェ州は独立志向が強く、ヴァッレ・ダオスタ州はイタリアと一体化している。

北方民族の規律や整頓や機能性や小奇麗さよりも、南方ラテン系の猥雑や闊達や不器用やカオスっぽさがどうしても好きな僕は、両州のうちではヴァッレ・ダオスタ州により愛着を覚える。

食べ物もオーストリア・ドイツ風が多い トレンティーノ=アルト・アディジェ州に対して、ヴァッレ・ダオス州の料理はフランス的な面もあるが、ソースなどはあっさりしたイタリア風味が主で僕はとても好きである。





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なぜ村上春樹ではなく韓江なの?Ⅱ

白い波と景色縦800

《前記事の追伸》

貼付した2017年の記事の頃は不確かだったが、その後に多くを読んで、桐野夏生も村上春樹や宮本輝と並ぶーベル賞候補と考える。また僕は同時に吉本ばななも読み、なぜ彼女がノーベル賞候補に挙げられるかを理解した。


参照:https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52255786.html










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なぜ村上春樹ではなく韓江なの?

白い教会Agenブルー&空800

韓江さん のノーベル文学賞受賞はすばらしい出来事である。僕はノーベル賞をもらった作家の作品をあわてて読むことはほとんどないが、機会があれば手に取ってみようと思う。カズオ・イシグロのときのように。そして、カズオ・イシグロ受賞の際も言ったが、なぜ村上春樹ではなく韓江 なのか、とノーベル財団に問いたい。あらゆる文学賞は主観的なものだ。従ってノーベル財団の選考者が誰を選ぼうと構わない。僕は自分の主観で選ぶ優れた作家の作品を優先して読むだけである。そのことについては既に書いたので、ぜひ貼付する記事に目を通していただきたい。

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52255786.html











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安かろう悪かろうもLCCの宿命

タイトルなし

イタリア・ベルガモ国際空港発のRyanair便で、ギリシャ・クレタ島への旅を計画した。

ベルガモ空港はイタリア随一のLCC(格安航空)のハブ空港である。格安大手のRyanairが、彼らの専用空港かと見まがうほど多くの旅客機を飛ばしている。

出発の日、そのRyanairの到着便一機の車輪が破裂して滑走路が破損。空港が全面閉鎖になった。朝早い時間の事故だったため大混乱。

129便がキャンセルされ、2万1千人が足止めを食うことになった。

ブリュッセル経由でクレタ島ハニアに向かう予定だった僕らのLCC便は、空港で10時間近く待たされた挙句にあえなくキャンセル。

事故は仕方がないが、欧州のいまいましいビジネス慣行で、客への真摯な説明はほとんど無かった。

特に格安航空便の場合は、機内食を無くしたり預け荷物を制限したりの合理化を徹底した上に、インターネット予約を活用して人件費を思い切り抑えているため、客対応がお粗末だ。

僕らは空港で早朝から夕方まで待たされた上に、ブリュッセル行きとクレタ島行きの2便が欠航になったが、そのことの説明はどこにもなかった。

たまたま僕が、何度もカウンターを行き来しては案内に訊ね、事態を確認するうちに知った情報なのである。

僕らは同じ日の旅は諦めた。だが、クレタ島の宿やレンタカーは全て予約済みなので、妥協せずに旅行代理店に相談した。

すると一気呵成に翌日の航空券を確保してくれた。改めてプロの仕事振りに感じ入った。

最近はネット仕様で旅の計画を立てることも多くなった。今回のクレタ旅もそうだった。だが問題が起こると立ち往生したり、解決のために右往左往することも多い。

時間の浪費がいちばん腹立たしい。

4月のフランス旅行でも、往路の便が突然キャンセルになる「事件」があった。

だがその旅では事前のホテル探しがうまく行かなかったので、航空券も含めて今回緊急にチケットの手配を頼んだ同じ業者の手にゆだねていた。

おかげでキャンセルにもすぐに対応して翌日の便を確保し、ホテルも一日分先に延ばす対応をしてくれた。

インターネットは便利な一方で、七面倒くさい操作が多々あり、習熟していないと時間を潰されることも少なくない。

若者ははなからスマホやネットに慣れている。若いからではなく、それが時代の流れだからだ。それに習熟しなければ彼らは生きていけないのである。

片や老人は、それが無くても生きていけるが、習熟しない場合は時代に取り残されるか否かの選択を迫られることになる。

人の歴史は、神代の昔から常に今を生きる若者と時代に取り残される老人の命題を背負って綴られてきた。目新しいことは何もない。

もはや老人世代に突入しつつある僕は、時代に取り残されるのは嫌だが、時代に追いつくために残り少ない人生の時間をムダ使いするのも癪だ。

時間の浪費また精神衛生上の悪影響という負の局面と、時代に取り残され嘲笑されることのデメリットを天秤にかけてみると、僕の場合は前者のほうがはるかに大きい。

特に時間の浪費は避けたい。

それなので、今後も多いはずの旅の準備対応は、多少の出費を覚悟の上で、以前のように旅行代理店の世話になろうかと考え出している。

それはほぼ常に、格安航空ではなくFSC、つまり従来の航空会社の便に乗ることを意味する。

ネットで旅行計画を練ることが当たり前になった今この時になっても、旅行代理店はしっかりと存続している。

そこには必ず理由があるのである。



10月のギリシャの真夏の光

海方向椰子葉パラソル人縦650

予定より一日遅れてギリシャ、クレタ島に着いた。

イタリア、ベルガモ空港でRyanAir機の車輪が破裂。滑走路が破損して空港が全面閉鎖になった。

129便がキャンセルされ、2万1千人が足どめを食う大事故に巻きこまれた。

ブリュッセル経由でクレタ島ハニアに向かう僕らの格安航空便は、空港で10時間近く待たされたあげくにあえなくキャンセル。

翌日の直行便が取れたのはほとんど奇跡だった。

クレタ島は10月3日の今日も夏真っ盛りである。さすがに最高気温は27~8℃止まりだが、相変わらず空気が乾いていてしのぎやすい。

人混みが落ち着くこの時期をねらっての海を楽しむ旅。

だが若い時とは違いビーチで日がな一日強烈な日差しを浴びつづけることはしない。

朝のうちに長い砂浜を散策し、パラソルの日陰で読書。昼はキッチンも付いているホテルの部屋でサラダなどを軽く食べるか、近場または車で遠出をして地元料理を探し求める。

食事後は名所旧跡を巡り、気が向けば夕刻前に再びビーチに戻って朝と同じ動きでのんびり時間を過ごす。

そのあとの夕食はメインイベント。

割ときっちりとレストランを選んで出かけ、料理とワインを時間をかけて楽しむ。

多くのギリシャの島々と同様に、クレタ島にも子羊また子ヤギ料理の美味い店が多い。僕はひんぱんにそこを目指す。

地中海沿岸旅では、羊肉またヤギ肉の探求が最近の僕の趣味になっている。

多くの日本人が眉をひそめそうな食材は、地中海域ではきわめてありふれたもの。

それだけにレシピも豊富で興味深いのである。




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ようやくプラハに来た

カレル橋アーチ込み俯瞰800

プラハにいる。この街を訪ねたいと強く思いつつ、仕事でもプライベートでも何かと障りがあって機会がなかった。ようやく来たという気分である。

予想をはるかに上回るフォトジェニックな街並みに三嘆しきり。

世界にはフォトジェニックな街や自然や史跡は多い。だがプラハほど写真に撮りたくなる風景が街全体に詰まっている場所はそう多くない。

ベニスとローマが辛うじて対抗できるかも、と考えてみるが怪しい。街全体が建築博物館と呼ばれているのもうなずける。

だが博物館は生活の場ではない。プラハの中心部には地元民が住んでいない雰囲気がある。

それは街がソビエト共産党の支配下にあった歴史と関係がありそうだ。

プラハでは旅の楽しみである料理はあまり期待していない。評判の高いビールを飲みまくってみる計画。

プラハからイタリアに戻ってすぐにギリシャに飛ぶ予定。

夏の観光シーズンのピークが去り人混みがゆるんで、のんびり安い静か、の3拍子がそろった旅を狙うのである。


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