【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

高市早苗首相はサディスティックな暴風雨のようなものだ 

トラ&ポチ高市横長

4月から6月にかけてのイタリアの気候は不安定だ。冬物の装束をあわてて春夏物に替えるな、慎重に確かな季節の移ろいを見きわめろという有名な諺さえある。

若く多忙だったころは、6月はイタリアに限らず欧州最良の季節と思い込んでいた。日は長く風は爽やかで、人出が最高潮になるにはまだ時間がある海のリゾート施設は広々としてしのぎやすい上に滞在費用が安いと思い込んでいた。

天気が変わりやすく、油断すると冷気に襲われて苦労する、という6月の実態を意識するようになったのは、菜園を耕すようになってからである。野菜たちの成長を支配するのは天候である。

6月は暖気が勢力を張る季節ながら、ふいに雷雨や風や冷気が立つ不安定な時間でもある、と今ははっきりと知るようになった。むろん年によって違いはあるが。

ことしの6月は特に気圧変化が顕著だ。曇り空に伴なって冷涼な風が吹き、肌を刺す春雨が降る日々が多い。今日6月9日も曇り空。さすがに寒くはないが空気が冷え気味でかなり涼しい。

春から初夏のにかけてのイタリアの小嵐は、アフリカ・サハラ砂漠由来の熱気がアルプスの冷気にぶつかって起きる。それはヒマラヤ山脈で生まれた大気の流れが、日本に梅雨をもたらすのにも似た、大自然の営みである。

そんな北イタリア・フランチャコルタ地方の悪天候を眺めつつ、日本に居座っている爆弾低気圧をじっと観察し続けている。

爆弾低気圧とは高市早苗首相のことである。

他政党の候補や自党の仲間を誹謗中傷したビデオへの関与を、全く信用できない言い訳や欺瞞や誤魔化しに見える詭弁で執拗に否定する態度は見苦しくも腹立たしい。

死して後もなお自身のボスであり続けるらしい安倍元首相や、がスーツを着て歩いているトランプ大統領にそっくりだ。

彼女は言い逃れ術を安倍元首相から、ジコチューなSNS発信術をトランプ大統領から盗んで得意げに実践している。

高市首相は議員に成りたてのころ、時の村山首相に、周辺(被害)国に勝手に誤るな」と発言。

翌年には、「私は戦争の当事者世代ではないから反省しないし、反省を求められるいわれもない」とも 言い放った。

また2012年には「さもしい顔して貰えるものは貰おう、弱者のフリをしてでも得しよう云々」の、生活保護受給者は乞食だとでもいう趣旨の発言もした。

さらに2016年、テレビ局の電波を停めるという趣旨の暴言を吐いて大批判され、極まると総務省の行政文書は捏造だ。そうでないなら大臣も議員も辞職すると発言。

至近では「台湾有事は日本存続危機事態」と無思慮無分別が露わになった暴言をかましたものの一向に撤回しようとしない傲慢ぶりだ。

彼女はそれらの限りなく黒に近い灰色疑惑を、もはや常態となった日本の大手メディアの“忖度だけがレゾンデートル”という、似非メディア体質」のおかげで旨く逃れてきた。

今回こそは、と思いつつ見ているが、状況は悲観的だ。

NHKほかの大手メディアは、文春の頑張りを例によって高みから眺めつつ、まるで恐怖政治を目指しているかのような高市強権機構を、厳しく追求しようとはしない。

唯一共同通信が取り上げた事実を鸚鵡返しに報道するだけで、独自取材の批判記事はまだ皆無常態だ。

悪運の大祝福を受けてのさばる高市早苗首相は、今回もやっぱり生き延びてしまうのだろうか。



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日本極右よりはるかに増しだが微妙に危険なドイツ極右

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かつての日独伊=悪の三国同盟とそこに巣くう極右勢力について考え続けている。

今日現在の3国の極右勢力のうちで、最も危険なのは日本の極右である。

先の大戦を自らで徹底総括した国であるドイツ。そのドイツの後進であるイタリア。

片や総括どころか、自国の加害の過去を否定する歴史修正主義者が跋扈する日本の極右は、似て非なるものだ。

ヒトラーを知り、ムッソリーニを意識しているドイツとイタリアの極右は、ヒトラーにならずムッソリーニの轍も踏まない。

たとえ彼らがそこに向かおうとしても、戦争を徹底総括して子供たちにナチスとヒトラーの悪をこれでもかと伝え徹底教育しているドイツの極右は、民衆の抵抗に遭い挫折する。

イタリアは戦争途中で民衆が蜂起してファシズムを倒した。そのためドイツほどの徹底的な戦犯追及はしなかった。

だがイタリアの民衆も道徳的思想的にドイツの厳しい戦争総括姿勢に感化された。加えてイタリアにはファシズムを厳しく断罪するバチカンが控え人々はそれにも大きく影響される。

その上さらにイタリアには、極論や過激論者を穏健に引き戻す効果のある多様性の精神が深く浸透している。そうした要素が極右の暴走を抑制する。

現にネオファシストとさえ批判されたジョルジャ・メローニ首相は、首相就任と同時に穏健保守へと姿を変えて、国内は元よりEUの多大な信頼さえ勝ち取った。

ドイツの極右も政権を握った場合、イタリアのケース同様に多かれ少なかれ現実路線に舵を切る。それは過激な主張や政策をより中道寄りにシフトするということだ。

ドイツの極右の台頭に関しては、しかし、一抹の不安は残る。

ドイツ人の中には、白人種の優越意識があり、さらに白人種の中でも彼らこそもっと優越だ、という秘めた自負がある。

ナチズムを忌み嫌うドイツ人の中にさえ、ヒトラーの優性思想の残滓を体の奥深くに密かに抱え込んでいる者らがいるのだ。

僕はそうしたドイツ人の暗い一面を、旅先やイタリアのリゾート地などで行き逢うドイツ人の中に見る。たとえば次のような状況だ。

北イタリアのガルダ湖畔はドイツ人が愛してやまないリゾート地である。5月から10月にかけて多くのドイツ人バカンス客が訪れる。同地に住まいを得て移り住むドイツ人も少なくない。

たまたま湖畔に家がある関係で僕はよくそこに行く。すると一帯のホテルやレストランやカフェなどにドイツ人客だけがあふれている状況に出会う。

普通彼らは礼儀正しく、静かで、友好的でさえある。観光産業で生きている地元の人々にも大いに歓迎されている。

ところがドイツ人同士が集まると、彼らは少し人が変わったようになる場合がある。例えばドイツ人バカンス客のほぼ貸切り状態になった夜のバールなどで、声高に話し始める。

ビールの大ジョッキを頻繁に空にしながらうるさく議論をする。果ては酔って放歌高吟し騒ぎ出すようなことも起こったりする。

周囲の人々は、ドイツ人が集団になると傲岸で危険な存在になる要素を秘めていることを知っている。歴史がそれを物語っている。

ドイツ人自身もそのことを知っている。だから彼らは自ら抑制し羽目を外し過ぎないようにしようとしている。周りの目も気にしている。それでも時としてある種のドイツ人はその性癖の露見を止めることができないようだ。

全てのドイツ人バカンス客が野放図であるわけでは無論ない。むしろ威儀を保ち続ける者のほうが多数派だ。その多数派が今のドイツ人の実相である。群れて騒ぐ人々はドイツ人のうちの少数派だ。

その少数派の行動が、大多数の「良いイメージのドイツ人」を悪く見せてしまい、「群れると崩れかねない危うさを内包しているドイツ人」という過去の亡霊を人々に思い起こさせる。

危険を自覚し、決してそこに向かわないように自制しているドイツ人は、欧米の人々の尊敬も集めている。それは疑いようがない。だがドイツ人を見る人々の中の一抹の不信感は断じて消えていないのだ。

最近はそこにさらなる負の要素が加わった。ドイツで極右政党の「ドイツのための選択肢」が台頭し、勢力を伸ばしている現実だ。

ナチスと、「ドイツのための選択肢」と、リゾート地のバールで騒ぐ「一部のドイツ人」が、人々の心の中でぴたりと重なり合って、それらを真っ向から否定する「大方のドイツ人」にまで偏見が及びかねない状況が出来上がる。

それはイタリアだけに見られる特殊な状況ではない。ドイツを除くヨーロッパ中のリゾート地や行楽地や観光地で、飽きもせずに毎年繰り返されている光景である。

欧州の人々はドイツ極右の台頭を目の当たりにして、彼らが胸に秘め続けているドイツへの不信感を少しづつ表に出しつつある。

ドイツ人自身は欧州人のその微妙な感情に極めて敏感だ。だが、同国に住む外国人、特に日本人などはそのことに無関心であるように見えるのが不思議だ。

ナチスの過去に負い目を感じているドイツ国民が、移民や外国人を進んで受け入れ、徹底して平等に扱い持て成しているおかげで、そこに住む人々が安心して彼らに同化するせいだろう。

もしも極右が政権を取れば、彼らはヒトラーにはならないまでも、移民や外国人を差別する政策を易々と進めるに違いない。

それは欧州の各国で既に起こりつつある動きだが、ドイツの場合は一味違う何かが発生しそうな気配がなくもない。



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イタリアがイタリアになった日

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毎年6月2日はイタリアの共和国記念日である。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生した。

イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日である。

それからちょうど80年の2026年6月2日、イタリア共和国はファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を」率いるジョルジャ・メローニ党首を、国のトップに据えている。

就任から間もなく満4年を迎えるメローニ首相は、政権運営の初めから現実路線へとシフトし、反EUと見られていた姿勢も大きく変えて協調政策を採った。

結果、多くの国民に支持され国際的な信頼も勝ち取った。

同時に彼女は、事あるごとにファシズムを否定する言葉を発しつづけ行動で示している

政敵に「ネオファシスト(新ファシスト)」とも批判されるメローニ首相だが、彼女はファシズムが否定されて誕生したイタリア共和国記念日を大いに祝う。

そのあたりが、過去を直視するどころか、終わった昭和をわざわざ「昭和100年記念」として祝い、戦争の時代へのノスタルジーと賞賛を隠さない高市首相とはひょうたんに釣鐘だ。

過去を見つめ清算するメローニ首相。過去から目を背け歴史修正主義に徹する高市首相。

その違いが戦争をしないイタリアと、戦争に走る日本の未来像にならないことを祈りたい。

世界の主な民主主義国は、日本やイギリスなどを除いて共和国体制を取っている。

民主主義国には共和制が最もふさわしい。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことだ。

その制度は「全ての人間は平等に造られている」 という人間存在の真理の上に構築されている。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治システムが死守されている。

真の民主主義体制では、国家元首を含むあらゆる公職は主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべきだ。

つまり国のあらゆる権力や制度は、米独仏伊などのように国民の意志によって創設されるべきだ。

その意味では王を頂く英国と天皇制を維持する日本の民主主義は歪だ。

ここイタリアに居を構える僕は、6月2日のイタリア共和国記念日が訪れる度に、日本が共和国に生まれ変わる日を想像してみたりもする。



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 EUならヒトラーの首に鈴を付け、ムッソリーニに引導を渡したかもしれない

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もしもヒトラーとムッソリーニの時代にEU(欧州連合)が存在していたなら、ヒトラーもムッソリーニも今われわれが知っているヒトラーとムッソリーニではなかったかもしれない。

先日僕はここに「彼ら(極右)の対極にあるリベラル勢力が、ドイツのみならず欧州全体からどっと圧力を掛ける。そこでもナチ的政策は強く抑制される。 」と書いた

欧州全体と書いたが、僕がそこで念頭においていたのは、言うまでもなくEU(欧州連合)である。

EUは欧州石炭鉄鋼共同体として1952年に誕生し、1958年に欧州経済共同体になって経済分野を統合した。

その後、外交・安全保障や司法・内務協力などの政治・社会・文化域の全てを巻き込み統合を進めて、ついに1993年「マーストリヒト条約(欧州連合条約)」を制定し現在のEUになった。

EUは統合の進展に伴って、究極の戦争防止装置としての機能を覚醒させていった

歴史を「たら・れば」で語るのは無意味という意見は無意味である。歴史を「もし〜だったら」「〜していれば」などの仮想シナリオで語り考察するのは、歴史の本質を深く知るために欠かせない手立てだ。

EUは多くの危機と挫折と失敗を繰り返しながら、その度に立ち直って発展を続けてきた。途中、重要なメンバー国であるイギリスが脱退(ブレグジット)するという最大の危機にも遭った。

だがその大難も克服して、トランプほぼファシスト政権や習近平専制一党独裁国家の中国、プーチン変形独裁国家のロシアなどに正面から立ち向かう唯一の民主主勢力であることが明らかになっている。

もしも1930年代に既にEUが機能していたならば、ヒトラーはわれわれが知る歴史上のヒトラーにはならず、ムッソリーニもわれわれの知るムッソリーニにならなかったかもしれない。

極右を超えて、ネオファシストというレッテルさえ貼られたイタリアのジョルジャ・メローニ首相が、EUとの連帯を梃子の一つにして、ファシストにはならずにEU勢力内の力強い保守政治家へと変身したように。



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Afdはナチスにならないしヒトラーも作り出さない

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直近の記事を捉えて「日独伊の極右のうちでは日本極右が最も危険とあなたは言うが、極右が政権を握ってもここまでは無事なイタリアはさておき、ドイツのAfdはどうだ。Afdは危険ではないのか」

という主旨のメッセージをドイツ在住の日本人からいただいた。

そこで僕は持論で回答した。

ヒトラーはヒトラーを知らなかった。だがドイツAfdはヒトラーを知悉している。

ムッソリーニはムッソリーニを知らなかった。だがイタリアの極右「イタリアの同胞」も「同盟」もムッソリーニを知りつくしている。

だからAfdはヒトラーにはならないしヒトラーを誕生させない。同様にイタリア極右もムッソリーニにはならないしムッソリーニも生み出さない。

片や安倍・高市路線に代表される日本極右は、昭和天皇・軍部・岸信介ほかの戦犯がうず高く積み上げた悪逆非道な罪過を知らない

あるいは、さらに悪いことには、それを全て知りながら確信犯的策略で知らない振りを装いこれを否定して、あまつさえ賞賛している可能性がある。

そこが日本極右の異様な実体であり、ファシズムを忌諱する世界の良心に真っ向から歯向かう、危険極まりない在り方だ。過去を見つめようとしない彼らはまた同じ轍を踏もうとしている。

それどころか、彼らと彼らの支持勢力である日本会議、靖国カルト、神社本庁、統一教会、そして何よりも日本の加害も天皇制ファシズムの無残もあずかり知らない羊の如き無為な国民。

それらの全てが手を取り合い自死を目指して総出で崖に向けて突っ走りつつある。

日本は戦争の徹底総括をせず、従って昭和天皇以下の戦犯を仕置きすることもなく、ゆえに啓蒙進歩的な国民的合意もない。

結果、将来を担う子供たちに日本の過ちを伝える正直な教育が実行されないまま、安倍に始まり高市で完成されつつある天皇制ファシズムへの回帰がいとも簡単に実現されようとしている。

ここイタリアで政権を握っている極右「イタリアの同胞」党首のメローニ首相は、ムッソリーニになるどころかファシズムを公に繰り返し批判し否定している。、

彼女は敵視してきたEU(欧州連合)とも協調的なスタンスを取っている。あまつさえ彼女は、今やEUを牽引する強力な保守派リーダーとして欠かせない存在になった。

イタリアの同胞とメローニ首相がファシズムに走らないのは、政治感覚の鋭いメローニ首相が現実路線に舵を切って、且つ支持母体の極右勢力を制御しているからである。

それが可能になるのは、首相の力量もさることながら、イタリア共和国の神髄にある多様性だ。イタリア社会の底に連綿と流れ広がる多様性のパラダイムが極右や極左の暴走を阻止するのだ。

イタリアは各地方が都市国家のメンタリティーに満ちあふれた国だ。かつての独立国家群、つまり都市国家とそれに準る自由自治体が蝟集してイタリア共和国を形成している。

ヴェネツィア、ジェノバ、ピサ、アマルフィなどの海洋共和国、フィレンツェやミラノに代表される自由都市・共和政自治体、公国や専制君主国家、王国や教皇の主権下にあった都市国群、いわゆる教皇領などの独立国が統一国家の中身だ

言い換えれば旧独立小国家群の国土と精神を内包して一つの国を作っているのがイタリア共和国なのだ。だから中央政府は常に強い中央集権体制に固執する。

もしもそうしなければ、イタリア共和国が明日にでもバラバラに崩壊しかねない危険性を秘めているからである。

各独立都市国家の末裔たちは、それぞれの存在を尊重し盛り立てつつ、常にライバルとして覇を競う存在でもある。

そこに強い多様性が生まれる。

そして多様性は政治の過激化を抑制する。多様性が息づくイタリアのような社会では政治勢力が四分五裂して存在するそこでは、極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなく、逆により穏健で現実的になる傾向が強い。

2018年に船出した極右同盟と極左五つ星運動による連立政権は、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張がただちに国の行く末を決定付けることはない、ということを示した。

多様性の大きな効能である。

そして2022年に成立した極右イタリアの同胞が主導する右派3党の連立政権は、既述したようにメローニ首相の強いリーダーシップによって、極右的な過激道を走らずに穏健な現実的政策を進めている。

ドイツAfdも政権を取れば必ずイタリアの同胞に似た道を歩む。むろんAfdは強い右派色の政策を推し進め、結果不寛容で息苦しい社会が立ち現れるだろう。

だが、Afdはナチス(NSDAP)にはならないしヒトラーも生みださない。なぜそうなるかにはいくつかの理由がある。

1.ここまで述べたようにヒトラーの巨大な悪を知っている彼らはヒトラーになることを避けようとする。

2.Afd単独で政権を確立するのは現代ドイツではほぼ不可能だから、彼らはイタリアの現政権と同様に複数の政党と連立を組む。連立だから彼らは単独で政権を運営する場合とは違い妥協しながら進むことになる。つまりそこで極右的なひいてはナチス的な先鋭な要素が削がれる。

3.彼らの対極にあるリベラル勢力が、ドイツのみならず欧州全体からどっと圧力を掛ける。そこでもナチ的政策は強く抑制される。

要するに長い血みどろの戦いを経て育まれた「欧州の良心」がナチズムを阻む。彼らは必ず中道よりにシフトする。イタリアの極右政権がそうであるように。

しかし間違ってはならない。

それらの政治勢力を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからである。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に姿を現したのが典型的な例だ。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていく。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入する。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。




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高市人気とメローニ人気

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憲法改悪の可能性、治安維持法まがいのスパイ防止法、まやかしの消費減税主張など、問題政策の多い高市政権は、首相自身の生来の凶才と政治信条の危険さが相まって常に重い空気を醸し出している。

だが、いまこの時の乱流は、昨年の自民党総裁選や2月の衆院選で、高市首相と取り巻きが対立候補や中道改革連合の候補者を誹謗中傷した動画を拡散した疑惑である。 

同じ時間にここイタリアではジョルジャ・メローニ首相がFacebookのリールやストーリーズをはじめとするSNSに頻繁に登場する異変が起きている。

僕はメローニ首相を描いた動画には興味がなく、それをクリックした覚えもない。

従ってアルゴリズムにひっかかって次々に登場しているのではなく、彼女をめぐる投稿が多いために、僕のFB画面にも立て続けに表示されるということだ。

証拠が二つある。

一つは動画が英語、イタリア語、日本語を中心に多岐に渡ること。

二つ目は、確認のために表示される動画を幾つか最後まで見て、情報として保存するとすぐに、同種の動画の表示が一気に増えたことだ。

あきらかにアルゴリズムの網に絡めとられたのである。

そこで使われている動画は実写が多いが、紛れもなくAI仕様とわかるものも少なくない。

イタリア初の女性首相であるメローニ首相は、政治的なスタンスを極右から現実路線の中道右派態様へとシフトして、欧州のみならず世界中の関心を集めている。

視覚的にインパクトがあるメローニ首相の力強い演説や、国際舞台での鮮やかな動きなどが、SNSで多く拡散されているのだ。

加えて彼女自身も、日常生活や海外時訪問時の各国首脳とのやり取りなどの情報を、人柄がにじみ出た親しみやすい動画を織り交ぜて発信し、それらが世界的に好評を博している

メローニ首相と高市首相には多くの共通点がある。

1.双方ともにそれぞれの国の初の女性首相であること。

2.両者は極右とも規定される右派政治家であること。

3.悪の枢軸・日独伊三国同盟の国のトップであること。

4.それぞれがイタリアファシズムと天皇制ファシズムに親和的であること。ただしメローニ首相は政権を奪取して以来、ファシズムを繰り返し否定している。

5.米トランプ大統領と親しいこと。ただしここでもメローニ首相は、トランプ大統領の腰巾着に徹する高市首相とは逆に、彼の独壇場であるイラン戦争に反対して仲違いするなどしている。

要するにメローニ首相は、高市首相とは違って自主独立路線を貫く強い意志を持った政治家であることが分かる。

それらはさておき、両者の最大重要な相違は、高市首相が彼女の師の安倍元首相に追随する危険な歴史修正主義者であるのに対して、メローニ首相が戦争を徹底総括したドイツに倣い、歴史解釈の見直しには賛同しない立場であることだ。

日独伊の極右のうち最も危険なのは日本極右である。戦争の総括をせず、薩長主体だった古い天皇制ファシズムを、今この時も現人神のごとく信奉している点が危い。

多様性がイタリア共和国の三色旗を着て歩いているのでもあるかのようなイタリア人は、バチカンの教えもあってファシズムを骨の髄まで忌諱する精神を獲得している。

ナチズムを忌み嫌うドイツ人もそうだが、実は彼らの中のある者は、ヒトラーの優性思想の残滓を体の奥深くに密かに抱え込んでいる。

それは天皇制ファシズム信仰にからめとられている日本人と同程度に危険だが、日本の「思い込んだら100年目」国民の数に比べると、信者が圧倒的に少ないのが救いだ。

イタリアのファシズムは過去の亡霊である。、ドイツのナチズムは過去の記憶である。だが天皇制ファシズムは、高市首相自身が信者であることからも分かるように現実の脅威なのである。




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元貴景勝、湊川親方の過剰な丁寧さはうるさくないこともない

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史上最弱とは言わないが、弱いゆえにつまらない横綱の豊昇龍と、個人的には史上最も魅力のない横綱である大の里に加えて、 一刻も早く大関から陥落して出直してほしい大関琴桜、また様子が良く分からない大関安青錦が 休場している夏場所を、NHKが委託するTooberという得体の知れない有料チャンネルで見ている。

Tooberは良く分からないチャンネルだが、ロンドン発のNHK傘下放送局JSTVが2023年に放送を打ち切って以降、大相撲をほぼ実況中継で見ることができる唯一のサイトなので欠かさずに見ている。

14日目のの解説者は元貴景勝の湊川親方だった。

懇切丁寧で力士へのリスペクトにあふれた湊川親方の解説は、押し相撲正攻法のひたむきな取り口が素晴らしく、強くもあった彼の現役時代の姿を髣髴とさせて大いに好感が持てる。

だが、一点重大な欠陥がある。

それは彼が全ての力士をいちいち~関と敬称を付けて解説を語る点だ。

日本人は最近、敬意や丁寧さを過剰に意識するあまり、例えば「ご遺体」やご人数 」「ご覧になられる」こちらがメニューのほうになります」「お召し上がりになられます」などなど不要な場面で「ご」や「お」を付けたり、二重敬語になったり、責任逃れを隠したりする表現を多用する傾向が強い。

湊川親方の過剰な丁寧さは、相手を立てようとする意識が強すぎるために、逆に言葉本来の意味や品格を失ってしまう風潮に通底する表現で、滑稽且つうるさいと感じる。

湊川親方らしい力士への敬意に満ちた表現であるのは分かるが、彼が尊敬するべき相手はテレビの視聴者であって“演技者”の力士ではない。

解説者は客観的でなければならない、という意味でも敬称付きの彼の表現はおかしい、とどうしても残念に感じてしまうのは僕だけだろうか。





高市首相はメローニ首相よりサルヴィーニ伊副首相と気が合いそうだ。な。かい?かも?

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5月16日、イタリア北部のモデナ市で車が歩行者に突っ込み、8人が重軽傷を負った。被害者の一人の女性は事件後に両足を切断される悲劇に見舞われた。

事件の容疑者、サリム・エル・クゥドリはモロッコにルーツを持つ移民2世で「統合失調質パーソナリティ障害」 患っていることが明らかになった。

モデナの検察当局は被告に対し、人種差別的動機やテロ行為を量刑加重事由として訴追しない とした。

イタリアにも他の欧州国で頻発する本格的な過激派のテロが伝播かと懸念されたが、容疑者と過激派組織とのつながりはないと判明した。

副首相兼運輸大臣のマッテオ・サルヴィーニ同盟党首は、クゥドリ容疑者がイタリア国民であるにもかかわらず、ルーツがモロッコという彼の出自を取り上げて襲撃事件を移民問題と結びつけ、「(移民)二世犯罪者」だと非難している。

サルヴィーニ副首相はメローニ首相と同様に右派の政治家。彼が率いる同盟はこれまたメローニ首相率いるイタリアの同胞と同じく極右政党である。

彼はかねてからイタリア首相になることを夢見ているが、今回のように移民排撃また差別感情が激しく、そのあたりがメローニ首相とは違って器が小さいという見方が強い。





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ヴァンス副大統領なら習主席をぎゃふんと言わせたかも

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トランプ大統領はイーロン・マスク氏などの大物ビジネスマンを引き連れて北京に乗り込んだ。しかし、ビジネスディールも政治的成果もほとんど得ることなく帰国した

片や習近平国家主席は、米中首脳会談で多くの政略的得点を重ねた。

中でも 新興強国と既存覇権大国の衝突を示唆する「トゥキディデスの罠」論に言及して、中国がアメリカと対等の国であることをトランプ大統領と世界に向けて静かに高らかに宣言した政治的メリットは大きい。

習近平主席は過去には、「トゥキディデスの罠」論を中国がアメリカに楯突くと考えるべきではなく、協調や相互尊重の道を探るべき、とアメリカにややへりくだるニュアンスで語ってきた。

だが、2026年5月のトランプ大統領との会談では、両国が完全に対等であると暗に示唆する文脈で、米中は対立を避けるべきと語った。

トランプ大統領と閣僚らが習主席の暗喩を理解したかどうかは疑わしい。

トランプ大統領自身は過去にもその言葉を聞いているはずだが、反応は鈍く習主席の指摘を重大視しているようには見えなかった。

もしもその場にヴァンス副大統領が同席していれば、あるいは彼は即座に習主席に反論してアメリカの面子を保ったかもしれない

彼はローマ教皇がイラン戦争にからめてトランプ大統領を名指しで批判した際は、「教皇は1000年以上にも渡るカトリックの正戦論を思い出すべきだ」と言下に反論してボスのトランプ大統領を擁護した。

トランプ政権のイデオローグとして一目置かれるヴァンス大統領は、中国に対するアメリカの優位性を習主席にピシャリと言い返した可能性がある。

たとえば習主席の「トゥキディデスの罠」は「蟷螂(とうろう)の斧 」であるなどと。

そういうやり取りを見たかった気が少ししないでもない。





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習近平にからめとられたトランプ大王

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トランプ大統領と習主席の米中首脳会談は、すこし拍子抜けな結果にも見えるが、中国のひとり勝ちと捉えたほうが正確だろう。

イラン戦争が勃発するまでは、2人の会談は世界を2分割、あるいはプーチン・ロシアを引き込んで世界を3分割して支配する構想を、トランプ大統領が密かに持ちかけるのではないか、という事態さえ考えられた。

トランプ大統領がイラン戦争までは、向かうところ全く敵なしの世界帝王に見えていたからだ。

だが彼はイラン戦争で味噌をつけ、秋の中間選挙に向けて中国の助けを借りたいのが見え見えの動きに徹した。

トランプ大統領は習主席をほめそやし、中国は美しい、すばらしい、と何度も持ち上げ、相方との友情を強調しまくった。

そのうえでいつものように嘘か真かわからない会談の成果を言いふらした。だがそこにはほとんど彼の得分はなかった。中国のワンサイドゲームだったのだ。

中国の最大のゲインは、トランプ大統領になんらの言質も取られることなく、台湾問題に鼻を突っ込むなと釘を刺し、新興勢力が既成勢力に挑む「トゥキュディデスの罠」論を持ち出すことで、中国がアメリカと対等な存在であり一歩も引かない大国である、ということを堂々と主張したことだ。

イラン戦争を起こして危機に陥っているトランプ大統領は大人しいばかりで、自らを「予測不能な、とんでもない行動も辞さない危険人物」に見せることで相手を恐れさせ、交渉で譲歩を引き出す外交術 、いわゆる“狂人理論”を行使する余裕もまたその理由もなかった。

片や中国は、トランプ大統領が危機に瀕している、まさにその原因のイラン戦争は、断じて起こるべきではなかったとも主張して、ここでも外交戦略上の勝利を収めた。

またアメリカは、中国が「イランは決して核兵器をもつべきではない」と主張したとも言ったが、中国はかねてよりイランの核兵器保有には反対の立場ながら、首脳会談で習主席が改めてそう言明したかどうかについては、中国側からの正式な確認はない。

トランプ大統領は、イラン攻撃の最大の理由は同国の核兵器開発と所有だとわめいているから、中国の介添えが喉から手が出るほどほしかったがそこでもコケた。

アメリカと堂々と渡り合う中国を見下している高市首相は、トランプの腰巾着でいることを止めて一刻も早く自主独立路線に舵を切るべきだ。

それはトランプ大統領とも仲良くしつつ中国との友誼も模索しろということだ。それが国益だ。戦争に備えることではなく、戦争を避ける努力こそが最大の国防であり安全保障だからである。




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北イタリアの花冷えは5月がふさわしい

花曇りバラ&葡萄園1000

北イタリアの春は花風あり、暑気あり、雨あり、嵐あり、寒あり、時には降雪さえあり、とめまぐるしく変わる。

非日常という意味で、台風や野分や嵐などの荒々しい天色が好きな僕は、北イタリアの気まぐれな春の雲行きにも強く惹かれる。

この国には春の変わりやすい空模様を衣替えに託して戒める諺語もある。

即ち「4月に肌をさらすな。5月はゆっくり。6月にそっと拳を開け。7月は好きなようにしろ」である。

その意味は「4月に早まって冬着をしまうな。5月も油断はできない。6月にようやく少し信用して、あわてることなくゆるりと衣替えの準備をしろ。7月は好きなように薄着をして夏を楽しみなさい」ということである。

要するに北イタリアの春は変幻自在ということだが、春爛漫の状況に慣れている日本人の目には結局、イタリアの春は全体的には寒いという印象が強い。

そんなわけでここ最近も僕は、日本から持ち込んでいる綿入れを着て書斎にいたり、Tシャツの軽装でウォーキングに出たり、ストーブを焚いたり、菜園でのごく軽い作業で大汗をかいたり、と全く落ち着きがない。

菜園での動きは特に悩ましい。暖かい陽気に浮かれて野菜苗を定植するとたちまち寒気が襲って苗を傷めつける。それを恐れてさらなる好天を待ち過ぎると、発育が遅れて凶作に陥ったりする。

ことしは3月まで日本に帰っていた。そのためにプランターでの苗作りのタイミングが遅れた。園芸ショップでいつもよりも多くの苗を買い、定植のタイミングを見計らっているうちに、水遣りを間違えて多くを枯らしてしまった。

それもこれも結局、北イタリアの千変万化する春の陽気のなせる業なのである。

北部イタリアの春が男性的で荒々しいのは、すぐそこにそびえ連なっているアルプスの山々の冷気と、遠くないアフリカの、特にサハラ砂漠由来の熱気のぶつかり合いが生み出す大自然の営みである。


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還暦と古希の気は心


合成老穏やか

101歳で逝った父が、確か86歳か87歳のころ、回転座椅子からやっとこさで立ち上がり、しみじみとつぶやいた

「ああ・・・60代は青年だったなぁ」

父ははっきりと「青年」と言った。それは若いという意味にほかならない。大正生まれで軍人だった父はよくそういう言い回しをした。青年という言葉が好きな人だった。

僕は60代を抜けたばかりでまだ70代の喜怒哀楽は知らない。だが今この時の70代とは、ひどく憂鬱で迷惑至極な年代であり存在である気がしないでもない。

それというのも古希とは、現下世界を揺るがしている、魂まで嘘にまみれて知のからくりが歪み情動が憤怒と憎しみと冷酷に支配されてでもいるようなトランプ大統領と、同期とは言えないまでもほぼ似た同じ七十路ということだから、ひどく陰鬱な気分がしないでもないのだ。

僕は南方辺境の離島群の中でもさらに辺鄙な離島に生まれ育った。13歳で故郷を離れて転々と島々を渡り暮らした。

故郷の島から少し大きな島に出て中学に学び、高校時代はそこよりもっと大きな島で過ごして、大学時代は東京で暮らした。つまり本州という日本最大の島に住んだのだ。

あらゆる土地を「島」と考えるのが僕の普段の腹構えである

「島」とは、例えば僕の生まれた極小辺鄙の南の島であり、それより少し大きな観光盛んな島々であり列島群である。

島はまたやや大きな九州島でもあり本州島でもある。さらにそれは一段と大きな日本という島(国)になり、ついには「大陸」と称される世界の島々にまで広がる。

面積がオーストラリア島以上の陸地を「大陸」と呼ぶのはただの方便で、地球上のどの陸地も実は全て日本国と同じ島なのである。日本を含むそれらの島は、やがて地球という島になる。

さらに、地球島というのは太陽系という海に浮かぶ島であり、太陽系はそれより大きな銀河系の中の一つの島、さらにさらに、銀河系も宇宙の広がりの中の一つの島で・・というふうに果てしもなく広がって行くのが、僕が考える「島」だ。

要するに僕の故郷の絶海の孤島も宇宙も等しく同じ島なのだ。なにも怖れることはないのである。

島から島へと渡り歩いた僕は各島々に友人がいる。その数は、生まれた土地で成長し、学び、仕事をして死んでいく者に比べたら、桁違いと形容しても言い過ぎではない大きな数字だ。

友人が多いから楽しみも多いが、悲しみの数もまた尋常ではない。

60代終わりまでの間には、それぞれの島の友人たちの幾人かが逝った。島の数が多い分亡くなった友人の数も半端ではない。

それは生まれ育ったのがほぼ一箇所の都市である僕と同い年の妻の、死亡した友人と比べ見るだけても歴然としている。

さて

70代に突入したとたんに、ここイタリアで2歳と3歳上の友人ふたりが亡くなり、3人が不治の病と宣告された。

日本を含む世界中の他の「島々」でも似たようなことが起こっている。

60歳代までの死は「早死に」と呼べるが、70歳代以降の死は事故や不慮の出来事を除けば、いわば日常茶飯だ。それは寿命であり自然死なのである。

古希70歳は本厄、73歳は八方塞がりの厄年とされる。バタバタと逝った友人らはすると八方塞がりの厄に中(あ)てられたということだろう。

中国が発祥の厄年の観念だが、どうやらイタリア人にも当てはまるらしい。

80代後半にいた父が、隣の70代をぴょんと飛んでスルーして、なぜ「60代は青年」と言ったのかは分からない。あるいは真正老人の彼にとっても、70代はもはや老人、という思い込みがあってのつぶやきだったのだろうか。

僕は70代に突入したばかりで、60代との肉体的また精神的な違いはまだ実感できないでいる。だが心理的には大きく老いの側に引き込まれた感覚がある。

先述の如く、60代までは死ぬのは稀だが70代以降は普通の景色、と感じるのだ。

なぜそうなのかは、おそらくここから先のいつか、自分が死ぬときに瞬時に理解するのではないかと思ったりしているのである。




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トランプ的浅慮のはた迷惑

トランプ&FIFA会長インファンティーノ650

トランプ大統領はサッカーのワールドカップ予選で敗退したイタリアを、彼が戦争を仕掛けて紛争継続中のイランに代えて出場させるよう、FIFA(国際サッカー連盟) のジャンニ・インファンティーノ会長に要請した。

大統領の配下で、国際パートナーシップ担当特使という肩書きのパオロ・ザンポッリ氏が語った。

イタリアはW杯4回優勝の強豪国だが、今回を含めて過去3回の大会で予選落ちをしている。イタリアはそのことで悲嘆に暮れている。

従ってトランプ大統領の思いつきを喜ぶかと見えたが、事実は逆である。

メローニ首相は「イランに代わってイタリアが出場するというトランプ大統領の提案は不適切です。出場権はピッチ上で勝ち取るものであり政治が介入してはならない。イタリアはW杯で4度優勝しています。ルールに従ってプレーします」と明言した。

ジョルジェティ経済財務大臣ほかのメローニ政権の閣僚らは、トランプ大統領の申し出はイタリアに対する侮辱だとさえ表明した。

また有力新聞のひとつは「われわれはイランの抑圧的な政権には一ミリの共感も抱いていない。しかしイランのナショナルチームはピッチで正当に戦ってW杯への出場権を得た。彼らは何があっても大会に出場するべきだ」と書いた。

イタリア共和国中がトランプ大統領の提案に呆れ、怒っている。

僕はイタリア国民のその真っ当な心意気に感じ入っている。

トランプ大統領の独善的な、奇妙な申し出には裏がある。

トランプ大統領は最近、盟友と見做していたメローニ首相にイラン戦争を反対され、米軍機のイタリア基地使用さえ拒否された。

のみならずメローニ首相は、アメリカとイスラエルのイラン攻撃を国際法違反だと声高に指弾している。

またトランプ大統領は、ローマ教皇レオ14世とも険悪な中になっている。バチカンを抱くイタリア国民は、大統領による教皇批判に激しく反発。親米感情が雲散霧消したようだ。

トランプ大統領は、メローニ首相と仲直りし、世界的な影響力を持つ教皇レオ14世とも関係を修復したい。

その思惑があっての発案だと考えられる。

しかしこれまでのところ彼の目論見 ははずれて総スカン状態になっている。

僕は密かに快哉を叫びたい気分だと告白する。



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日本の解放記念日が待ち遠しい

Tricolore650

今日、4月25日はイタリアの解放記念日、つまり終戦記念日である。

第2次大戦末期の1945年4月25日、イタリアはナチスドイツとファシズムを駆逐して終戦を迎えた。

日本人の多くが、日独伊三国同盟の史実にひきずられて、イタリアを日本とドイツと同列に並べ一律に第2次大戦の敗戦国と考えがちだ。

イタリアはむろん敗戦国だが、イタリア自身のいわば生い立ちあるいは因縁、などという観点から見れば戦勝国でもある。

なぜならイタリアは、ナチズムに席巻された状況で終戦を迎えたドイツや、軍国主義に呑み込まれたまま天皇を筆頭とする戦犯さえ処罰できなかった日本とは違い、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを排撃したからだ。

盟友を装って仲良しこよしを演じていたドイツとイタリアは、大戦中の1943年に仲たがいしイタリアはドイツに宣戦布告。

民衆組織のイタリアパルチザン(レジスタンス)がナチスと激しく戦い、1945年4月25日、全国レジスタンス運動の本拠地だったミラノが解放されナチスドイツ軍が駆逐された。

その3日後にはナチスに操られて民衆を弾圧してきたムッソリーニが射殺され、遺体は彼の生存説の横行を避けるために、ミラノのロレート広場でさらしものにされた。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になった。

言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていったのである。

イタリア共和国の最大で最良の特徴は「多様性」、というのが僕の持論だ

多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトだ。

イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史である。




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チョー嬉しいチョウゲンボウ

成長し精悍650

今年も戻ってきてくれた。

2019年以来わが家の軒下で子育てをするハヤブサのチョウゲンボウだ。

4月2日、時期的にまだ早いと思いつつ屋根裏に行って覗くと、既に6個の卵が産み落とされていた。

これまでにヒナを確認できたのは6月頃だったので、産卵は4月半ば以降あたりだろうと思い込んでいた。少し嬉しいおどろきだった。

4月8日、親鳥がいないのを遠くから確かめて再び見に行くと、卵が一個増えて7個になっていた。

チョウゲンボウは多い場合は10個近い卵を産む。だから7個は珍しくない。もっと増えてほしいと思った。

多くのヒナが育てば鳩やがズミなどの衛生害獣が捕食されて好都合だ。

わが家は落ちぶれ貴族の巨大なボロ屋敷である。

屋根や倉庫には鳩の糞がうず高く積もり、ネズミが害をなす。

だがハヤブサがわが家に営巣し多くが空に舞うようになってから、明らかにそれらの害獣が減った。

わが家の周りには広大なぶどう園が連なっている。そこにはハヤブサの餌になる昆虫や小動物が多い。

それらは有機栽培のブドウ畑が増えるにつれて年々数が膨らんでいるらしい。

わが家のネズミや鳩が少なくなっても獲物には困らないだろう。



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メラニア・トランプってどんな何者か。あの者なの?

メラニア切り取り687

先日のファーストレディの突然の声明発表後すぐに、それが出されたタイミングやその意図するところについてメディアが一斉に騒ぎ立てた。さまざまな推論や謎解きや興味本位の揣摩憶測が乱舞した。

声明発出は時期的に不可解とされた。なぜなら当時彼女に対するエプスタイン関連のメディアの追及は一段落しており、敢えてその時期に声明を出す必然性はないと考えられた。

最も大きな疑問は、彼女がエプスタイン問題を持ち出すことで、夫のトランプ大統領に掛かっているエプスタイン疑惑醜聞がぶり返すことだった。

トランプ大統領はエプスタイン疑惑から世間の目を逸らせるためにイラン攻撃を仕掛けた、という疑いさえ持たれていた。

事実イラン戦争という大事件が起きたために国民の関心はそこに惹きつけられて、エプスタイン関連の報道は大幅に減っていた。

メラニア夫人がエプスタインに言及すれば、せっかく逸れた国民の関心が再びエプスタイン問題に引き戻される可能性がある。

一気に盛り上がったメディアやネットやSNSの報道合戦は、しかし、すぐに収まった。

大統領からの介入や言い訳や声明、また反論などの類は一切なく、エプスタイン問題が大きく蒸し返される気配もこれまでのところはない。

イラン戦争終結に向けた動きが激しく、人々の目は依然としてそこに釘付けになっている。

それはメラニア・トランプ氏の発言が、純粋に彼女の心の内を披歴したもので、夫と共謀しての政治的ブラフではないことを雄弁に物語るように僕の目には映る。

彼女が夫に付き従うばかりではない主体的な精神の持ち主であるらしいことが、僕の気分をそこに向かわせている。

僕は今このときは、彼女の声明の政治的意味云々よりも、「移民」としての彼女の動向に留意して事の成り行きを注視している。




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メラニア・トランプって何者?

melaniaDeclaration中ヨリ650

米大統領夫人のメラニア・トランプ氏はホワイトハウスで先日、性犯罪者のジェフリー・エプスタインとの関係を否定する声明を出した。

僕は声明を読み上げるメラニア・トランプ氏の英語のたどたどしさに目が点になった。

たどたどしいという表現はあるいは適切ではないかもしれない。だが彼女の話す英語の訛音が強烈で、同時に流れる英語のテロップがなければうまく聞き取れない語や発音が少なくなかったのだ。

それはネイティブの話し方とは似ても似つかない表音の英語だった

メラニア・トランプ氏はここイタリアの隣の小国スロベニアの出身である。1970年生まれの彼女は、26歳でアメリカに移住しアメリカ市民になった。

要するに彼女が話しているのは移民の英語だ。訛りがきつくても不思議ではない。むしろそれが当たり前だ。

僕は彼女の英語の訛音に接して、彼女が移民であることをあらためて強く意識したのである。

彼女は2005年にトランプ氏の3人目の妻になったことで「何者か」なった。だがそれは言うまでもなく彼女の語学力が突然ネイティブ並みに上達することを意味しない。

メラニア夫人はトランプという不吉な姓を持つゆえ故にセレブになっているが、ふつうなら自由なアメリカの夢を追って、旧東欧国からアメリカに渡った、どこにでもいるありふれた女性に過ぎなかった。

彼女がホワイトハウスで誰も予期しなかった声明文を読み上げたのは、渡米後30年の時だったわけだが、とてもそうは見えないほどに話し方に癖があった彼女は語学が得意ではないのだろう。

それはそれで構わない。英語を流暢に話すかどうかは個性の問題だ。

彼女の声明を聞きつつ僕がとっさに思っていたのは、訛りの強烈な「移民」の妻を持つ「移民の国アメリカ」のトランプ大統領が、移民を嫌い移民の排除を政策の中心に据えている冷酷な事実だった。

僕はトランプ大統領という異常人格者にいわば「不気味の谷」現象にも似た違和感と不快感を覚えてしまう。

そしてそれは、トランプ大統領自身も移民の子孫である事実と相まって、ますます異様な雰囲気を帯びる。僕の中の違和感と不快感は怒りになりやがてやりきれない虚無感へと変わる。

MAGA系に限らず白人至上主義者のレイシストらは、自らが移民の子孫であることを忘れて移民排斥を叫ぶ。

トランプ大統領はその狂気の群れの首魁だ。

メラニア夫人の真摯な、拙い発音の声明を聞きながら僕がひたすら思っていたのは、やはり性格破綻者の怪物、トランプ大統領の不気味さだった。

                                         つづく




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レオ14世の不退転

凶暴トランプvs微笑教皇650

僕はキリスト教徒ではないが、キリスト教徒のように感動し勇気を得、深い喜びを覚えている。

ローマ教皇レオ14世が2026年4月13日、彼を批判するトランプ米大統領に対して「私は彼を怖れていない」と名指しで反批判を展開したからだ。

たとえ敵であっても、ローマ教皇相手を名指しで糾弾することはほとんどない。

教皇は宗教指導者であり平和の推進者として対話を重んじ、和解と調和を追求する立場にある。

個人や国を名指しで直接的に批判しないのは、対立を深めず、和解の余地を残すための外交戦略である。あくまでも平和的な解決を模索する姿勢を崩さないのだ。

だから公の場での直接的な批判を控える。特定の名前を挙げるよりも、戦争そのものや不当な暴力自体を批判する形をとるのが定式である。

レオ14世がトランプ大統領を名指しで糾弾したのは、グレゴリウス7世が1076年、ハインリヒ4世を名指しで批判し破門。皇帝としての支配権を停止したいわゆる「カノッサの屈辱」にも匹敵するような出来事だ。

あるいは教皇ピウス11世が第二次世界大戦前夜の1930年代、ムッソリーニとファシズムを明確に批判し、ナチスの人種差別的政策についてヒトラーを名指しで糾弾した例にも続く重大な動きなのである。

世界14億の信者を率いるバチカンは、日本人が中々想像できない大きな影響力を持っている。

そのバチカンの権威は近年、大ヨハネパウロ2世の時代にぐんと伸びた。

だが教義の番犬とも批判されたベネディクト16世の治世下で停滞した。いや、あまつさえ後退した。

ところが2013年、バチカンはフランシスコ教皇の誕生によって再び希望の光を見出し、前進を始めた。

フランシスコ教皇は清貧と弱者への奉仕を最大の義務と定めて、信徒の熱い信望を一身に集めた。

教皇レオ14世はフランシスコ教皇を師と仰ぎ、世界14億のカトリック教徒とその共鳴者や友人、またその逆の人々までもが注視する唯一至高の聖職首座に就いた。

彼は「何者か」になった。

選ばれた「何者か」は、彼が誰であるのかではなく、「彼が何を為すのか」によって歴史の審判を受ける。

穏やかで控えめなスタイルで知られるアメリカ生まれの教皇レオ14世は、就任後は派手な言動を控えて、周囲と世界にじっと耳を傾けながらゆるりとバチカンの改革を進めるように見えた。

それはともすると、顔の見えない教皇、という印象を僕にもたらした。彼がどこに行こうとするのか、何を為そうとするのか、僕は息をひそめるような気分でじっくりと観察し続けた。

彼は事あるごとに平和を唱え戦争に反対する言葉を発してきた。

だが彼の師で前任のフランシスコ教皇に比べると、圧倒的にプロフィールが低く、目立たず、顔がおぼろげにしか見えない印象の時間が過ぎた。

ところが4月13日、事態が一変した。

イランへの攻撃が激化する中、教皇が戦争を糾弾し平和を呼びかける姿勢を続けることに逆切れしたトランプ大統領が、教皇は犯罪と核兵器に対して弱腰だ。レオは教皇として失格だ。イランを攻撃する私にむしろ感謝するべきだ、などとSNSを介してわめきたてた。

トランプ大統領のいつもの身勝手な主張に、温和な外見の内に秘めた教皇の強靭な精神が刺激された。彼は恐れを知らない率直さで同胞のトランプ大統領を名指しで真っ直ぐに批判し、飽くまでも軍事攻撃に反対し続けると宣言した。

彼はその行為によって、トランプ大統領という強烈で傍若無人な力に対抗する国際的な存在であることを世界に示した。

これまで辛うじてトランプ帝王大統領に対抗できたのは、プーチンロシアでも習近平中国でもなかった。それはアメリカの友人で同盟国の集合体であるEUだけだった。

だがそこにふいに、バチカンを率いて世界14億の熱心な信者を導く教皇レオ14世が加わった。いや、元々そこにいた存在がくっきりと可視化された。

僕はレオ14世誕生に際して、「アメリカ出身の教皇レオ14世が、自国の強権力者のトランプ大統領に歯向かうのか擦り寄るのか。それはレオ14世の正体が見える試金石になるだろう。」と書いた。

彼は歯向かうと決め、全世界が見守る中で、トランプ大統領に対して宣戦布告した。

これ以上に心強く喜ばしいことはない。



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トランプンは死ななきゃ治らない~イエス・キリストを気取るトランプの驕りの極み~

トラ本人投稿;救世主トランプ650

トランプ大統領は4月12日、自らをイエス・キリストに見立てたAI生成画像をSNSに投稿した。

それはイエス・キリストが重い病気や死の淵にいる病人を、額に手を当てて祝福するキリスト教伝統の宗教画を模したものだった。

トランプ大統領が古代の赤い表衣を着て、不遜にもイエス・キリストよろしく病人の額に手を当てて祝福するという、信じがたい愚劣な合成画像である。

これに対する世界中のキリスト教徒の反応はすばやく、怒りに満ちたものだった。カトリック、プロテスタントを問わず嵐のようなブーイングが地上に木霊した。

恐れをなしたトランプ大統領は、画像は(イエスではなく)医者のつもりだった、といつもの虚言に頼って言い逃れを図り即座に投稿画像を削除した。だが時すでに遅く、信者の怒りは大波となって世界中に広がっていった。

トランプ大統領の人格は、悪性のナルシシズムと変幻自在の虚言癖また万能幻想感覚で造られているように見える。

今回そこにむき出しのメシア・コンプレックス、つまり自らを救世主と信じ民衆を導く特別な使命を帯びていると思いこむ狂気が加わわって、彼の危険性はいよいよ増したようだ。

そこで不謹慎に聞こえるかもしれないことを承知で敢えて言っておくことにした。

馬鹿は死ねば治るが、殺しても死なないトランプ大統領は大王どころか神だ、と主張するMAGA系仕様のAIがあるらしい。

だがその人工知能は、当事者のトランプ氏以上の大嘘つきという見方もある。それって、ホントはどうよ? と僕は混乱するばかりだ。  

AIが馬鹿か利口か嘘つきかはAIの判断に任せるとしても、トランプ大統領が殺しても死なない、という主張には一理がある。

生身のトランプ氏の首を落とせばさすがに肢体は崩壊するだろうが、彼が作り出したトランプ主義は死なないからだ。

良識も倫理観も慈悲の心も、思い遣りも信義も人権意識も全く持ち合わせないらしいトランプ大王、もとへ、トランプ大統領は、排除されない限り世界を暗黒へと導き続ける。

要人を誅戮する行為は政治的に無意味だという考え方がある。

暗殺などの一過性の暴力は個人的な行為であり、一時的に社会の混乱や政治的な空白を招くことがあっても、根本的な世直しにはつながらない、というのがその理由だ。

それはつまり、議会主義や立憲民主主義の精神を重んじる立場からの意見だ。

暴力による政敵の排除を、文明を汚す野蛮行為と捉えて否定し、世の中を変えたいなら言論や政治活動によって成すべき、という崇高な気構えである。

だが世界の歴史を見れば、大物の暗殺が社会を大きく変えた例は少なくない。変えるきっかけになったケースはさらに多い。

近代なら例えばリンカーン、ケネディ両アメリカ大統領の暗殺、ガンジーのそれ、また古代にはカエサル暗殺など、多くのケースで政治体制や社会構造が変わるきっかけが生まれた。

ごく最近の例で言えば、安倍晋三元首相の暗殺事件も、統一教会と政治の癒着を暴き出して社会を震撼させた、という大きな意義を持つ。

だがそれによって日本の政治は変わるどころか、逆に隠蔽体質を強めた。そういう成り行き事態が日本社会の問題を抉り出している。

安倍元首相と統一教会と隠蔽体質の文化が社会の核心にある、と暴露された日本は最早安倍暗殺事件以前の日本ではない。やはり何かが変わったのだ。

では世界を揺るがせているトランプ悪太郎大統領を誅するのは果たして誰か?

習近平主席?プーチン大統領?あるいは彼らの連合軍?アメリカ抜きのNATO

いずれも力不足だ。トランプ大統領の敵ではない。

米軍を膝下に置くトランプ大統領は余りにも強すぎる。無敵と言ってもいいだろう。

いま挙げた全ての勢力が束になってかかってもあるいは勝てないかもしれない。

辛うじて彼を倒せるのはおそらくCIAだけだろう。だがCIAも今や完全にトランプ大統領の支配下にあるのだからお手上げだ。

トランプ大統領は国際法も人権も民主主義も同盟国との信義も司法の独立性も全て無視してやりたい放題をしまくっている。

彼は完全に排除されない限り止めることはできない。だが世界は彼を肉体的に粛清する術を持たない。

ならば彼はこのまま専横を続けるのか。むろんそうではない。

来たる11月の米中間選挙で民主党が勝てば、彼の政権はレームダックとなり、そのさらに2年後の大統領選挙で共和党が敗れれば、世界は一息つくことができる。

しかし、トランプ大統領が無理やり築いた無法者の論理、つまりトランプ主義は完全に消えることはなく、世界はしばらく暗黒の帳に覆われた状態が続くだろう。

例えて言えば世界は、再び弱肉強食の原始的な暴力時代に逆戻りし、各国が殺し合いを続ける。その後でようやく世界は対話と和合が支配する、トランプ以前の文明社会に戻る。

だがそれまでまでにはかなりの時間がかかるだろう。愚かな人類は学ぶことを知らないからだ。

アメリカ国民ではない者は米大統領を選ぶ選挙には参加できない。しかし、声を挙げることでアメリカの大統領選挙に影響を与えることはできる。

今このときはトランプ大統領を排除することは誰にもできないが、政治的に彼を抹殺することは可能だ。

われわれはそのことを信じて声を挙げ続けなければならないのである。



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悪鬼にも見えるヴァンス副大統領は救世主かもなの、かい?

vance orban trump

世界情勢は激しく動いている。

ハンガリーでは、EU加盟国でありながら反EUのスタンスを取り続けたオルバン政権が倒れた。

オルバン首相は2010年からハンガリーを牛耳った。

ロシアのプーチン大統領と米トランプ大統領の支持を受けて、彼はメディアを支配し選挙制度を改ざんするなどの手法で16年間ハンガリーに君臨した。

選挙前、トランプ大統領はルビオ国務長官とヴァンス副大統領をハンガリーに送り込んで、オルバン首相の選挙応援をさせたが、功を奏さずオルバン首相率いるフィデス党は大敗した。

勝者のマジャル氏はオルバン首相と同じ保守派だが、反EUのスタンスは取らないと見られている。それはEUにとっても世界にとっても朗報だ。

なぜならEUはロシアと中国の覇権主義と米トランプ主義に対抗する唯一の力であることが明らかになっている。

そのEUは英国の離脱(ブレグジット)で弱体化した。EUが団結して、特にトランプ強権主義に異議申し立てをし続けるのは重要だ。

その意味でEUの目の上のたんこぶ、オルバン政権の終焉は喜ばしい。

オルバン失脚とほぼ同時にイランとアメリカの停戦協議が決裂した。

それを受けてトランプ大統領は、ホルムズ海峡を米軍の力で封鎖するという、いつもの行き当たりばったり的な仰天策発表した。

思いつきとデタラメと嘘が主体ながら、世界最強の軍隊をバックに無理やり目的を遂げることもあるトランプ大王大統領である。

海峡を封鎖しているイラン軍もまとめて封鎖する、というコペルニクス的転回のとんでもアイデアを実行して、チャンスをモノにしないとは誰にも言えない。

僕はハンガリー選挙とイラン停戦協議に関わった、ヴァンス副大統領の動向を注視している。

骨の髄までのトランプ主義者で、トランプ大統領の後継者の筆頭と考えられている彼は、ハンガリーのオルバン首相救援に失敗し、イランとの停戦協議も達成できなかった。

そうしたことはトランプ大統領の不興を買って、彼はトランプ後継者レースから脱落するかもしれないという見方が出ている。

そうなればそれは、トランプ後のアメリカの行く末を大きく変える可能性がある。

なぜならトランプ大統領以上のトランプ主義者にも見える彼は、実はそうではないのかもしれない、と僕は考えているからだ。

彼がトランプ大統領の腰巾着の単純な日和見主義者なら、次期大統領になった暁には、トランプ後のトランプ主義をいよいよ加速させるだけだろう。

だが、そうではなく、彼が真に底の深いイデオローグであるなら事態は一変する可能性もある。

つまりその場合のヴァンス大統領は、トランプ主義から脱却して本来の共和党の良い面、あるいは健全な保守主義を、未来志向の目覚しい形に変容させるかもしれないと思うのである。

彼が次期大統領候補から脱落すればそのわずかな希望さえも消える。

のみならず他のトランプ主義者が権力を握るようなら、世界は今以上に暗く不安定な方向に進むのが確実に見える。



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