【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

核弾頭を抱いて寝る高市首相に添い寝するのが歴史修正主義者である

嵐

高市首相が白紙委任を求めた、国論を二分する政策とはいったい何か。それほど難しくない問いに既存メディアを含む多くの答えがネット上に踊っている。

最もポピュラーな推理は憲法改正であり、自衛隊存在の明確化であり、スパイ防止法であり、皇室典範改正であり、外国人差別法の整備などだろう。

どれを見ても極右が改悪に向けてしゃかりきになるなるであろうイシューばかりである。

多くの推論の中で刺激的なのは、内田樹氏が指摘した「核武装挑戦論」だろう。

日本が核武装をするには、実現がほぼ不可能と考えられるほどの高いハードルがある。おそらく最大のものは「宗主国」アメリカを含む国際世論の反発である。

次いで開発費また維持運営費が膨大であること。

国際世論に匹敵する大きな壁もある。唯一の被爆国である日本国民の、核への強いアレルギー&絶対反対論である。

日本核武装論は、日本極右の主上アメリカが、自らの利益のために日本を核武装させるというものである。それはアメリカの国際政治・外交専門誌 「Foreign Affairs」に掲載された論文がになっている。

世界情勢とアメリカの立ち位置、また経済利益を最優先に政策を練るトランプ主義の実相を論理的に分析して、日本の核武装の可能性を説いたもので説得力が極めて高い。

トランプ大統領を含む米保守層の一部に、日本を核武装させようという考えがあるのは周知の事実だ。そこにもある程度の説得力がある。

今はあくまでも少数派だが、トランプ以後もトランプ主義がアメリカを席巻するようなら、もっと現実味を帯びていく可能性がある。

だが、そうならない可能性も高い。

なぜならアメリカのリベラル主流派は、日本に核武装をさせるのはナントカに刃物と同じ、という強い警戒感を抱いている。

第2次大戦を主舞台に激情に駆られて我を忘れ、殺戮と破壊の限りを尽くした暴虐狂気の日本人の姿を、彼らは決して忘れていない。

その陰鬱なイメージにつながるのが、戦争を総括することなく、従って日本人自身の狂気の意味も原因も知らない日本軍国主義者、あるいは歴史修正主義者の群れだ。

言葉を換えれば、高市首相から安倍元総理、さらにはその祖父の岸信介戦犯首相らの系譜へと遡る「激昂する極右」の精神の集合体が、依然として跳梁跋扈している。

そして過去を見つめようとしない彼らは、必ず過去の過ちを繰り返す。だから日本の核武装などもってのほか、というのがアメリカの半分の知性群の判断である。

ところが高市首相と政権を支える極右モメンタムは、歴史修正主義史観にまみれたままで総選挙を戦い、地滑り的勝利を収めると予測されている。

選挙結果が予測どおりになるならば、日本核武装論はあるいはトランプ主義の強いバックアップを受けて、前のめりになる可能性も否定できない。

憂鬱極まりない事態なのである。



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高市首相はトランプもするという北京詣での現実を見ろ

トラプーキンペー抱き合い絵650

世界の主要国のリーダーたちの北京詣(もう)でが続いている。

昨年12月の仏マクロン大統領、ことし1月には加のカーニー首相と英スタマー首相。また今月は独メルツ首相が習近平主席のご機嫌伺いに北京に降り立つ。

彼らは誰もが、中国との経済連携を強めるのが訪問の目的、と主張する。だが本音は、同盟国アメリカのトランプ大統領が、欧州に敵対する動きを続けていることを受けてのリスク分散の動きだ。

欧州にとって中国との経済関係はむろん重要だが、今このときは彼ら首脳は、安全保障上の不安に突き動かされて中国に接近しているのである。

それらの国々は中国を全面的に信頼しているわけではない。

中国の習主席ひとり勝ちの一党独裁体制、言論弾圧、人権侵害、海洋覇権主義、 一帯一路の「債務の罠」政策、戦狼外交の疎ましさ、等々に対する欧米の不信感は根強い。

一方で彼らはトランプ大統領が、習主席にも似た独裁的な権力を振るいつつ、長年の盟友共同体である欧州を軽視、さらには敵視さえする政策を進めることに強い危機感を抱いている。

そのため彼らは、トランプ大統領と不仲の中国に接近しているのだ。敵の敵は味方という構図である。

ところが、そんな折りも折り、トランプ大統領自身も4月に中国を訪問する。

予測不可能というよりも、行き当たりばったりが得意の トランプ大統領は、中国を敵視しながら共存を模索する振りもする。

トランプ独断専行大統領を阻止したいなら、彼を害する以外に道はない。では誰がそれをやる?

習近平の中国か?プーチンのロシアか?はたまたアメリカ抜きのNATOか?

どれも無理だ。アメリカは今この時点では、世界最強&最恐の軍隊を持つ国であり、トランプ大統領はその絶対的な支配者だ。逆立ちしても誰も勝てない。

かろうじてその能力があるのはCIAだろうが、CIAもトランプ大統領の手の内の者だから難しい。彼らが下克上革命を遂行すると決断した場合だけ、あるいは可能かもしれないが。

高市首相はトランプ大統領との友好関係は保ちつつ、中国ともしっかり意思疎通ができる環境を整えるべきだ。

自身の思惑がどうであれ一国のトップになった以上、首相は在野での極端な主張は矛に収めて、現実路線に切り替えるべきだ。

それが経済を停滞させることなく回し続け且つ戦争を回避する最善の方策である。

戦争さえしなければ、今ファシスト気合で盛り上がっている全国の若者は生き残り、そのうちには高市首相のフェイク実像にも気づくだろう。

その後日本が第2次大戦を」総括し、まともな国に生まれ変わるかどうかは分からない。

だが国が存続する限り、希望は死なない。



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独裁者サナエ・タカイチが日本を再生させる


キンペー高市合成650

高市早苗首相の荒唐無稽&抱腹絶倒のスローガン「世界の真ん中で咲き誇る日本、また日本外交」が実現する可能性が高まっている

それを示唆するのは高市首相支持率が最大90%にも上るという統計さえある若年層国民の存在である。

インターネット世代の若者らには、彼らより年齢がはるかに上の高市首相と共通の、反知性的な思考パターンがある。

昔日の日本の、あるいは昭和世代の親たちの、仕事第一主義、伝統的な家族形態への強い執着、努力の神聖視などの古い価値観が、SNSを通して共有され極大拡散されて、それらが日本初の女性首相となった高市氏の成功物語とも重なり、いよいよ若者受けするようになった。

若い世代が高市首相を慕う心理は、ごく自然に反中国感情とも共鳴し重層的に広がって、彼らはさらに興奮し激昂高揚 して我を忘れる。

若者は高市首相の台湾有事発言に対する中国の反発に、その意味を理解することなく、また理解もできないながら“衝動“反発して、高市首相の強硬姿勢を称えますます意気衝天する。

台湾有事発言を撤回しない高市首相の思い上がった態度を支えているのは、中国に対する優越意識であり嫌中国感情である。それは実は、経済大国になり従って軍事大国ともなった隣への畏れと不安の裏返しに過ぎない。

日中の複雑な関係を天皇の赤子論に基づく胡乱な選民意識によって卑小化し、同国から朝鮮、さらにはアジア全体を侵略蹂躙した「暴虐日本の蛮人魂」は、極右カルト信奉者らのなかに今もしっかりと生きている。

故安倍元首相の虎の威を借りて、傲岸な態度で国会内を闊歩し睥睨していた過去からも判るとおり、高市首相には庇護者の力をバックにして威張り散らす傾向がある。

彼女が中国に居丈高になっているのは、既述の日本極右の専売特許である「中国からアジア全体蔑視主義」に加えて、アメリカという虎の威光を笠に着ての背伸びでもある。

彼女は日本の過去の加害の歴史を意図的に無視して、あるいは真にそのことに無知であるがために、天皇崇拝、靖国跪拝、日本会議抱擁、統一教会愛護、神社本庁恭順、また安倍晋三カルト神殿随順、 などの狂信的右翼ドグマに取り憑かれ、そのドグマの威光で中国を屈服させられると考えているように見える。

支持者の若者たちとそのアイドルの高市首相&取り巻きまた今述べた極右カルト勢力の全てには、戦争加害者の意識が完全に欠落している。

そしてもっとさらに現実を直視すれば、戦後の日本国民全体を金縛りにしている「我ら日本人はひたすら先の大戦の被害者」意識が、事態を一段と悪化させる。

戦争の総括を責任放棄したために、日本人はある時点から戦争の加害者であることを忘れて、自らを戦争の被害者と決め込み被害者意識の傷をなめることばかりにかまける性癖を獲得した

戦後の日本人は老いも若きも誰もが、広島、長崎の原爆も東京空襲も沖縄戦の悲劇もひたすら被害者の目線で見てこれを嘆き、恨み、怒ってきた。

ではそこでの加害者は一体誰なのか。アメリカか?連合軍か?中国か?

断じてそうではない。

加害者は昭和天皇であり、軍部であり、岸信介を筆頭にする戦犯である。

戦前、戦時中に日本国民は誰もが戦争を称揚し、喜び、悪鬼となって敵を憎み、勝利に酔い、アジア侵略に興奮した。従って日本国民は誰もが加害者だったという考え方もある。

だが国民をそこに導いたのは天皇を中心とする権力機構であり軍部でありそれを翼賛した多くの戦争共犯メディアだ。

それでもやはり日本国民に罪があるとするなら、国民が国民自身の手で戦犯のただの1人も断罪しなかった痛恨の歴史だ。

米占領軍の意向で天皇が助命され、やはりアメリカの心算で戦犯との取引がなされて、日本の暗部の多くがアメリカによる日本支配のためのツールとして利用された。結果、仕置きの機会が遠のいた、というのは言い逃れに過ぎない。

なぜならば同じ穴のムジナ仲間だった日独伊三国同盟の悪鬼ドイツを見てみればいい。それに続いた小悪魔のイタリアも凝視してみればいい。

彼らは、特にドイツは、日本がアメリカ主導の極東裁判だけで大戦の仕置きを終わらせたのとは違い、「ニュルンベルク国際軍事裁判」の後も徹底して戦犯を追及し処罰し総括した。それは2026年現在の、今も続いている驚くべきアクションだ。

またイタリアは、戦犯の格としてはいわば同国の昭和天皇であったムッソリーニを処刑し、彼の盲従者らの戦争遂行意志を根絶するために、敢えて遺体をミラノの中心広場の一つに逆さ吊りにして晒しものにした。

イタリアは大戦の途中でドイツと仲違いし連合国側に無条件降伏した後、ドイツに宣戦布告した。のみならず連合国側に味方したいきさつもあって、戦後はドイツのような厳しい戦犯追及はしなかった。

しかしドイツの徹底総括は、かつて彼らの仲間だったイタリアの良心も激しく揺さぶり続けた。ドイツの厳しい戦後処理は、ムッソリーニを処刑したイタリアの民衆の反ファシズム精神を刺激し伸張させて、やがて強固なものへと変貌させた。

ところが今日も戦犯の追及を続けているドイツにおいてさえ、驚いたことに近年は極右勢力が台頭している。それどころかイタリアでは、極右ともネオファシストとも規定されたりする政党「イタリアの同胞」が政権党になり、党首のジョルジャ・メローニ氏が首相の座に就いている。

だが日独伊の悪の枢軸を形成した3国のうち、戦前の全体主義勢力の陰湿な精神風土が残っているのは日本極右だけである。それはひとえに戦争総括の欠如と、その結果生じた「加害者日本」意識の消滅によっている。

戦後日本の最大の闇の一つが、雲霞のごとく湧き続ける歴史修正主義者の跋扈だ。高市早苗首相はその首魁なのである。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったがドイツの極右はヒトラーを知っている。同じくムッソリーニはムッソリーニを知らなかったが、イタリアの同胞を筆頭にする同国の極右はムッソリーニを知悉している。だから彼らはヒトラーにはならず、ムッソリーニの轍も踏まないと僕は予測する。

たとえ彼らがそこに向かおうとしても、大戦を厳しく総括したドイツとそれに倣うイタリアの両国民、またその影響も受けて全体主義に立ち向かおうとする意志が強固な欧州全体の世論がこれを阻止するだろう。

日本の極右は日本軍国主義を知らない。わずかに知っていても歴史修正主義者の宿命で過去への反省がなく同じ轍を踏む可能性が極めて高い。

いま盛んに右カーブを切って燃えている若者たちは、日本がかつて巨大な加害者だったという戦争の実相を学校で習わなかったために、極右の醜顔を脱悪魔の仮面で覆って「強い日本を」と叫ぶ高市首相に魅入られている。

彼らは被害者である。だが過去を知らない危険で凶暴な被害者である点が憂鬱だ。

彼らはもしかするとごく近い将来、高い支持率に押されて独裁権を握る高市首相とファシズム勢力に加担して、中国に戦争を仕掛けるかもしれない。その時アメリカは、トランプ主義の流儀に則って自らの利益にならない仕事はしないと決め、日本を助けようとはせずにこれを静観する。

結果、日本は第2次大戦の轍を踏んで再び廃墟と化する。だが幸いにも民主主義を信奉するリベラル思考の国民が生き残って、戦場に行かず空爆やミサイル攻撃の難も逃れた権力中枢と軍部を徹底糾弾する。

国民は今度こそ戦犯の全員を断罪し、余罪を徹底追及し、殲滅する。そうやっていま現在のドイツとイタリアに近いメンタリティーの市民が繁栄する日本国が誕生する。

もしもそうなれるのなら、再び廃墟となる巨大な不幸を代償にしてでも日本は生まれ変わったほうがいい。

もっとさらに良いのは、しかし、言うまでもなく戦争が回避され且つ高市政権が崩壊して、ファシストの高市早苗首相が永遠に政治の舞台から去ることである。

だがその後は日本はやはり、忘れられつつある第2次大戦を必ず徹底総括して加害者としての自分を見つめなおし、せめてドイツまたイタリアのレベルにまで民度を高めて、真に世界に信頼される国家になるべきだ。

そうなれば「世界の真ん中で咲き誇る日本、また日本外交」などと、痴呆じみた笑劇スローガンを言い募る必要もなくなる。

なぜなら日本が歴史修正主義者のいない国家に生まれ変る暁には、世界のほうが懸命に日本に擦り寄って来て、日本は嫌でも世界の真ん中に押し祭られて行くからである。

その観測が荒唐無稽という者がいるならば、僕はこう訊きたい。

かつての軍国主義の亡霊が、生霊となって体内に出現したのでもあるかのような荒ぶる高市早苗氏が、日本の首相にまで成り上がった荒唐無稽をあなたは一体どう説明するのか、と。




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メローニ首相ににママごとを押し付けた高市首相の人間失格

高メロ自撮り650

115日から17日にかけてイタリアのメローニ首相が日本を訪問し、高市首相との友情を確認し合った。

友情を確認し合ったというのが、高市首相側が主張する邂逅の成果である。

それは就任以来、台湾有事発言などの失策が多い高市新米首相の、外交劇で得点を稼ぎたいという切実な思いがこもったドタバタ喜劇だった。

当時は既に、高市首相が衆院を解散するという憶測が乱れ飛んでいた。そのため2人の出会いを新聞テレビほかの大手メディアが大きくは報道することはなかった。彼らの主眼は解散総選挙にあった。

ネットメディアもそれは同じだったが、同時にYouTubeを中心にメローニ首相訪日の話題も盛んに伝えた。

ロンドン発のNHK衛星放送が消滅して以来、残念ながら同局の番組を観るのが日ごとに少なくなっている僕は、主にYouTubeで高市首相によるイタリアの相方の歓迎式またそれに続く大衆演芸風会談などをかなり詳細に見た。

歓迎セレモニーの式次第は、たとえ誰が首相でも同じなのだろうが、高市総理の動きはまるで女子高校生にも似た高揚感と幼さとが入り混じり溢れまくっていて、強烈な違和感を覚えた。

それは就任直後、彼女がトランプ大統領の脇でぴょんぴょん跳ね回り彼の腕にすがって満面に笑みを浮かべていた状況を髣髴とさせるもので、見ていて気恥ずかしかった。

高市首相はメローニ首相の隣ではぴょんぴょん跳ねることはなかった。

彼女の腕を同位の者として親しみをこめ自らの腕にからめるような仕草はしても、男に媚びる女が相手の腕にすがって艶笑する姿はむろんなかった。

だが彼女の気分の得意と媚と、さらに英語本来の意味での「ナイーブ」さなどが錯綜した軽挙妄動は、見ていてとても辛いものだった。

高市首相は外交の晴れ舞台で、少女のようにはしゃぐ心を懸命にこらえつつ、歓迎儀式の遂行に心を砕いていることがわかった。だが彼女がそうすればするほど、一挙手一投足が幼く見えたのだ。

そこに輪をかけるかのように彼女は、相方のメローニ首相を「ジョルジャ」、「ジョルジャ」と敢えてファーストネームで、しつこく、呼び続けた。

それは80年代に中曽根康弘首相がレーガン大統領とロン・ヤスの関係を結び、首脳同士が名前で呼び合う関係が定着して以降の、日本側の一方的な昼想夜夢だ。

その悲恋は直近では、故安倍首相がトランプ大統領とこれまたフェイクな友達関係を構築した物語

高市首相は、そこでもまた自身のアイドルの故安倍首相を猿真似て、ファーストネームを連呼する小恥ずかしいありさまを強調しては、メローニ首相を無理にそして無闇に名前で呼び続けたものである。

やることなすことの全てが、まるで女子高生のお祭りのように幼い高市首相の挙動に、メローニ首相が戸惑う様子が見え見えだったが、日本側はそれにまったく気づかないようだった。

その一方で首相職4年目に入るメロ-ニ首相は、極右と呼ばれた時間を経て、政権担当以後はいわば外柔内剛の中道保守とでも形容されるべき「穏健」な極右へと姿を変えた。

そんなメローニ首相には、高市首相が囚われている、男性中心の組織社会で女性が這い上がるために見せる「過剰同一化」の悲哀がない。

片や高市首相は、彼女の絶対的アイドル故安倍首相の腰にしがみついて、過剰に男性に同化する手法で自民党の男ジャングルの中を泳ぎ回りのし上がった人物だ。

彼女は生き延び栄進するに連れて、男への過剰同調をさらに過激に推し進めた。

結果、女性でありながら夫婦別姓制に反対するなどの奇怪な道をさえ歩み続けた。

そしてついには極まって、トランプ大統領の腕にすがって女子高生よろしくぴょんぴょん跳ねたり、メローニ首相歓迎儀式でみせたママゴト外交を、大真面目で遂行する噴飯ものの行動様式を獲得するまでになっている。

彼女はそうした自らのやり方を、再び自身のアイドル故安倍首相のひそみに倣って「世界の真ん中で咲き誇る日本また日本外交」と自画自賛する。

世界の果ての忘れられた島々で、噴飯逆説物語以外の何ものでもない「世界の真ん中で咲き誇る日本また日本外交」をキャッチフレーズに、お祭り騒ぎを演出する高市首相の、心の内奥の無念はいかばかりだろうか。

寂しい境涯にある高市首相がメロ-ニ首相歓迎式典や会談で見せた幼い言動は、彼女の戦争ごっこ好きや極右三昧言動などとあいまって、日本の行く手に垂れ込める暗雲そのものにも見え、憂鬱を通り越して不気味でさえあった。

もっともそこで寂しさを知るほどの感性があるのなら、「世界の真ん中で咲き誇る日本や日本外交」などという、穴があったら入りたいような尻こそばゆいフレーズを臆面もなく口にすることなどありないだろうが。

女性であることを侮られないように死に物狂いで男に過剰同化して、ついには日本のトップにまで上りつめた高市首相が、キャリアの仕上げの段階で女子丸出しにも見えたママゴト外交をやらかしたのは、結局彼女が女性だからというのが理由ではなく、ただの無能な宰相だから、というのがフェアな採点だろう。

世界には彼女のママごとに付き合わされたメローニ首相を筆頭に、サッチャー、メルケル、また歴史を辿れば シリマヴォ・バンダラナイケ、 インディラ・ガンディー、ゴルダ・メイア、 エレン・ジョンソン・サーリーフなどなど、優れた女性リーダーが数多くいる。

そして彼女たちは女性首脳だからではなく、卓絶したリーダーだからそう評価されているのである。





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狂気のトランプ主義を制御しなければ世界はもっとさらに瓦解する

TrumpholdsRutte切り取りヨリ650

 スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムでは、ベネズエラを侵略しマドゥーロ大統領を拉致し去ったトランプ狂犬大統領が、グリーンランドを武力攻撃してアメリカに併合する旨の宣言をするのではないかと見られた。

グリーンランドはデンマークの自治領である。そしてデンマークはアメリカと欧州の32カ国が加盟する軍事同盟、NATOの構成国だ。

トランプやりたい放題大統領のアメリカは、同盟国の一つを武力攻撃するかもしれないと恐れられたのだ。

NATOは集団的自衛権を謳っている。加盟国の一つが攻撃されれば全32カ国が攻撃されたとみなして反撃すると決めている。

つまりアメリカは、仲間の一国であるデンマーク(グリーンランド)を攻撃侵略して、これをわが物にするというわけである。それはNATOと戦争するにも等しい狂った行為だ。

無茶苦茶な論法は、 トランプ目つきが尋常でない大統領にかかれば無茶苦茶ではなく、彼独自のド正論になってしまう。

NATOは、つまり欧州は、恐れおののきつつ怒り、最終対立も辞さないと身構えた。

世界最大最強の軍事同盟が瓦解するばかりではなく、下手をすると内部で軍事闘争が起こる瀬戸際にまで立たされた。

ところがダボス会議に乗り込んだトランプいわく付き大統領は、グリーンランドは攻撃しない、またアメリカにたて突いている8カ国への関税も課さないと渋い顔で表明した。

そこに持ち込んだのは、NATOのマルク・ルッテ事務総長の手腕である。

ルッテ事務総長は、髪を逆立て吼えるトランプ鮫脳大統領をおだてのテクニックで懐柔した。事務総長そっと寄り添ったのはイタリアのメローニ首相だった。

ダボス会議では、トランプ大統領を強く批判したカナダのカーニー首相の演説ばかりが大きく報道された。

カーニー首相は、欧州首脳らが腹に秘めていて、時々そっと披瀝するトランプ大統領への不満を正面きって言い募った。それは多くの欧州人の共感を呼んだ。

だからメディアが大きく取り上げた。

経済的には、いわば生殺与奪の権を隣国アメリかに握られていると言っても過言ではないカナダのカーニー首相は、その観点からは「トランプ蛇」ににらまれたカエルも同然である。

蛇が襲い掛かれば彼にはもはや失うものはなにもない。だから開き直ってトランプ大統領を痛烈批判する演説を行った。それは評価されていいアクションだった。

片やマルク・ルッテNATO事務総長は、トランプ大統領がダボスに乗り込む以前に秘密裏に彼と交渉をし続けたとされている。

ルッテ氏は、欧州の首脳の誰もがそうするようにトランプ大統領をひたすら非難するのではなく、彼を刺激しないようになだめ、すかし、ヨイショのテクニックで繰り返し説得。ついにたぶらかした。

ルッテ事務総長は、意見の対立が極めて多く分断と離反が日常茶飯事とされるオランダ政界を、首相として14年もの長きに渡ってにまとめ統率し続けた経歴を持つ。

今回は彼のそそ交渉根回しの才能が発揮された形だ。

一方でトランプ大統領を褒め殺す彼の手法は、卑屈に過ぎるという批判も多く呼ぶ。

だが米欧が深刻な対立に陥って、ついには武力行使にまで至りかねない瀬戸際でこれを救った彼の政治手腕は、もっと評価されて然るべきだ。

ルッテ事務総長に援護射撃をしたのは、先に触れたように、トランプ大統領にも近いイタリアのメローニ首相ほぼ一人のみである。

EUトップフォンデアライエン委員長も、マクロン大統領も、メルツまたスターマーの独英両首相も、トランプ大統領を非難するだけで対立を回避するる行動を一切取らなかった、いや、取れなかった。

彼らは最終的にはトランプ大統領と決裂する覚悟さえ胸に秘めていた節がある。欧州の矜持と言えば聞こえがいいが、一触即発のきわめて危険な状態だったのだ。

ルッテ事務総長は、前述のようにトランプ大統領を説得してグリーンランドに武力行使はしない、関税も課さない、という言質を取った。そうやってNATOの分裂はいったん回避され戦争の危険も遠のいた。

マルク・ルッテ氏はもっと注目されて然るべきだ。

僕はルッテ氏がオランダ首相を退任したとき、彼の動きの潔さに感銘を受けて記事を書いた。彼の真価はそれ以上であることが今回明るみになった。もっとさらに注視して行こうと思う。

NATOつまり欧州とアメリカは、極めて強い緊張関係のストレスにさらされている。それはひとえに、トランプふと見るとヒトラーに似ていなくもない大統領の破戒僧的行動に原因がある。

ダボス会議ではルッテNATO事務総長の機転で危機はいったん回避された。だがそれは欧米間の深い溝が埋まったことを微塵も意味しない。

中国とロシアは舌なめずりをしながら、それ以外の世界は不安と恐れを身内に覚えながら、米欧の分断の行方を見つめている。

蚊帳の外に置かれているのは例によって、世界の果ての島の洞窟内で不安を極右政治勢力に委ねて騒ぐ、悲壮な若者群に呑み込まれて消滅しようとしてるようにも見える日本国のみである。





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高市長期政権は日本を破壊する可能性が高い

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高市早苗首相は来たる通常国会の冒頭に衆院を解散すると決めた。

あらゆることがアベノコピーの高市首相は、解散総選挙まで安倍元首相の物まねをしているように見える。

今回の動きは2014年のアベノミクス解散総選挙を意識してのものだろう。

安倍元首相はそこで大勝して長期政権を確実にした。

高市首相への高い支持率が本物なら、彼女の政権も選挙で大勝して政権基盤を固め長期政権へと向かう可能性がある。

だが高市首相支持層と自民党支持層が別物なら、事態は違ったものになる可能性もある。

できればそうなってほしいが、自民党は単独過半数を大きく上回る260議席を獲得するという情勢分析もある。

その分析が正しいならば、裏金や統一教会問題等に腹を立てて自民党を拒否すると見られた有権者は、早くもそれを忘れて元の木阿弥の愚民になったことが明らかになるだろう。

彼らは高市政権を支持することで、中国を見下し挑発し燃え上がっているSNS世代に同調して危険な道を行くことになる。

極右勢力が本格的に力を得て燃え上がるのは、主流派が彼らに迎合するときである。

具体的に言えば、自民党が党内の極右モメンタムに圧倒され、外部のそれに肩入れし、正気を保っていた国民が極右の流れに身をゆだねるときである。

裏金や統一教会問題等に腹を立てて自民党を拒否していた人々が、それを忘れて高市政権に肩入れするのなら、まさにその危険の現われだ。

高市政権が続くなら、日本は本気で中国との戦争を憂えたほうがいい。

台湾有事発言を撤回しようとしない高市首相は、いざとなればアメリカと手を組んで中国と戦う腹積もりのようだが、愚かと形容するのも空しい態度だ。

アメリカは日本を助けることなく、日中が戦火を交えるのを高みで見物するか、最悪の場合は日本を見捨てて中国に肩入れすることさえあり得る。

中国に味方するほうが儲かると判断すれば、アメリカは必ずそうすることはトランプ大統領の言動から明らかだ。

日本は目を覚ますべきだ。

たとえアメリカが日米安保条約に沿って約束どおり日本を助けることがあっても、一体何が悲しくて日本が中国と戦火を交えなければならないのか。

中国は難しい国だ。だからといって敵対するのは当たらない。日本はアメリカとの友誼は変わらず大切にしながら、中国ともする道を探るべきだ。

その当たり前すぎるほど当たり前の道が、高市政権が続く限り果てしもなく遠のいていきそうに見える。

今回の総選挙はいつにもまして、日本の政治の重要な節目となる可能性が高い。




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高市首相はメローニ首相のプラグマティズムをしっかり見習え

拡大美人Meloni&高市319原版を450に

ここイタリアのジョルジャ・メローニ首相が1月15日から17日にかけて日本を訪問し高市首相と会談する。

イタリアと日本というG7の味噌っかす国の首脳同士が会って、いったい何を話すんだい、と訊きたいところだが、人は互いにマッチョ且つ男尊女卑な政界を持つ国で、初の女性首相となったともがらだ。なんとなく親近感を覚えるのだろう。

しかも双方ともに極右と規定されることが多い右派政治家である。

そのあたりにこの不思議な邂逅の秘密があるが、それでは国民を納得させられないので、どうでもいいような一応の理屈を幾つも発明している。

いわく、日伊外交関係樹立160周年を記念して両国の友好・協力関係を一層深化させる。いわく、両首脳の個人的な信頼関係を構築する。 いわく「戦略的パートナーシップ」の強化を図る。いわく安全保障協力の強化など、など。

だがその「催し物」は、日本側のほとんど懇願に近い要請で実現したことは明らかだ。

なぜなら、高市首相にはメローニ首相を招いて外交演出をすることで、台湾有事発言に始まる自らの危なっかしい政権運営に少しでも役立てたい思いがある。

片やイタリアにとっては、メローニ首相が日本の相方と会うメリットとは何もない。内政をおろそかにして日本までの長旅をするのは時間の無駄だ。むしろ迷惑だろう。

それでも行くのは日伊間の友情への配慮と、日本初の女性首相となった高市氏への義侠心だろう。

そんな2人だが、政治信条や手腕また人格には、天下一品メローニと生活必需品高市ほどの違いがある。

中卒程度の学力を持つメローニ首相は、15歳でファシスト党の流れを組むMSIに参加し、活発な右翼活動家となった。

2012年には同じ流れの極右政党、「イタリアの同胞」を結成。以後、その泡沫政党を率いて党勢を拡大させた。

そしてついに2022年、総選挙で第一党に躍り出て政権を奪取。イタリア初の女性首相となった。

彼女は選挙運動では声高に、過激に、右派の主張を展開。その期間中は顔つきがほとんど狂暴にさえ見えた。

選挙中、彼女は極右と形容された右寄りの政策を声高に叫びつつ、一つのスローガンをさらに大声で主張した。

いわく、「私はジョルジャだ。私は女性だ。私は母親だ。そして私はイタリア人だ」と。

「私はジョルジャだ」は自らが自立自尊の人格であることを、「私は女性だ」は女性であることを誇ると同時にジェンダー差別への抗議を、「私は母親だ 」は愛と寛容を、「私はイタリア人だ」は愛国の精神を象徴していると僕は見た。

メローニ氏はそうやって国民の支持を得て首相の座に上り詰めた。

ところが彼女は、首相になると同時に険しい極右の言動を控えて現実路線にシフトし、いわば強硬中道保守とでも形容されるべき「穏健な」道を歩みだした。顔つきまで変わり穏和になった。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になった。

敵対していたEU(欧州連合)とも良好な関係を築いた。同氏に懐疑的だったEUの主勢力は、警戒心を抱きながらもメローニ首相を対話の可能な右派政治家、と規定して協力関係を構築した。

彼女はそうやって中道寄りの現実路線にシフトして、イタリアのみならず欧州全体でも一目おかれる「保守政治家」へと変貌した。

そうした変化が可能になったのは、彼女がイタリア共和国のトップとして統率力を発揮し、支持基盤である「イタリアの同胞」に始まる極右モメンタムを抑えているからだ。

片や高市首相は、右翼政治家としての独自の強烈な活動歴はなく、自民党内の安倍極右カルト神殿の一員として男社会に尽くすことで、日本会議神社本庁集団、西田雑魚歴史改ざん組などの支持を得て日本初の女性首相になった。

思い込んだら百年目の極右熱情に支えられた高市首相には、日本のトップとしての独立した強い権限や独自性はない。

前述のカルト勢力に加えて全国に蠢くいわゆる自称文化人やアカデミック層また芸能人などを含む、有象無象のネトウヨヘイト系国民によって操られるパペットであることが明らかになりつつある。

彼女にはメローニ首相が強く意識する女性の権利推進や家父長制社会への挑戦などのイデオロギーもほぼ皆無で、ひたすら自民党男組の虎の威を借りてあたりを睥睨恫喝する存在に過ぎない。

歴史への洞察や知識も不足している高市首相は、軽々と台湾有事即ち日本存立危機発言をかまして、日本のトップとしての自覚も戦略的思考もゼロであることを世界に晒した。

高市首相の中国を敵とみなし、侮り、開戦も辞さないとする危険な思い上がり論法は、日本の加害の歴史も民主主義も知らない特に若年層に指示されて、国全体が熱に浮かされ極右のさらに右方向へと突き進んでいる。

日本は取り返しのつかない事態に至る前に冷静にならなければならない。

中国とのいらぬ軋轢を引き起こして正念場にある日本を、高石首相よりも政治的に存在がはるかに大きなメローニ首相が訪問してくれるのはいいことだ。

メローニ首相には、日本初の女性首相で、極右で、歴史修正主義者の危なっかしい高市氏を助けたいという気持ちがあるに違いない。

極右から身を起こして今や右派政治家として知恵を発揮するメローニ首相が、軽佻浮薄のカタマリのような高市首相を諌めることを期待したい。

それによって高市首相が、トランプ大統領の腕にすがってぴょんぴょん跳ねたり、中国との間に 軍事的緊張を誘発するなどの愚かな火遊びを止めて、シビアな世界政治の舞台に足を踏み入れてくれれば、あるいは戦争の危険はとりあえず遠のくかもしれない。




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トランプにとってマドゥロも高市もどうやらゴミ並みの存在のようだ

早苗マドゥーロトランプ合成650

戦争ごっこ好きな高市首相の台湾有事・日本存立危機発言は、2つの重要な論点明らかにしたという意味でも深刻なものだった。

一つは、いざとなった時、メリカが日本を助けるかどうか怪しいとあらためてわれわれ日本人に気づかせた点である。トランプ大統領の沈黙がそのことを雄弁に語った。

アメリカは、自らの利益に資すると判断すれば日本を切り捨て中国と手を組むことも辞さない、とトランプ大統領は態度で示したのだ。

トランプ大統領はいつか政治の表舞台から去るが、彼の思想は決して消えない。将来、たとえ日本に好意的な指導者が現れても、その哲学彼らの深奥に秘めた意思として生き続ける。

日本にとってアメリカは信用できるが、信用もできない国なのである。要するに中国と同じだ。それが冷厳な実相だ。

今のところ僕を含むアメリカ好きの日本人は、信用度に於てアメリカが中国を凌駕すると信じているだけだ。

二つ目は、日本の国是が台湾は中国の一部と認めていることを、改めて多くの国民に思い出させた事実だ。

1972年の日中共同声明で示された日本の立場を、常に意識していた日本国民はそう多くないのではないか。明らかに意識していなかった者の1人が高市首相だろう。

たとえ意識していたとしても、中国への敵愾心とアメリカへの盲目的な信用またへつらい根性にひきずられて台湾有事発言をした彼女は、世界に向けて自らの無知をさらした。

同時にそれによって引き起こされた賛否渦巻く議論を介して、反高市派の人々を含む多くの日本人が自国の立ち位置明確に思い出した。それは怪我の功名と言っても構わないような出来事だった。

と、思いを巡らせていた1月3日、アメリカ軍がベネズエラに侵攻して、大統領のニコラス・マドゥロと妻のシリア・フローレスを拘束・連行した。

トランプ大統領の意志で執行されたそのアクションはデジャヴ感にあふれた蛮行だった。

ほぼ同じ形でアメリカは1989年、パナマの独裁者マヌエル・ノリエガを拘束した。

またイランやグアテマラやチリなどでは軍事介入やクーデター工作を実行して政権転覆を実現させた。

推測や状況証拠をひもといて見れば、アメリカによる同様の横暴な事例は枚挙にいとまがない。

引っ立てられるマドゥーロ大統領の映像を見ながら、僕はベネズエラと日本を重ね合わせて考えていた。

先に述べたようにアメリカは、自らの利益になると見なせば日本に対しても同様な攻撃を仕掛けかねない。

いや、日本だけではなく、核兵器を保有しない国にはどこにでも同じことをやる可能性がある。トランプ大統領のグリーンランドへの執着やカナダへの食指、またメキシコやパナマへも強欲な触手を伸ばしている事実を見ればいい。

台湾有事と騒いで中国を怒らせた高市首相は、米中の相互経済利益と米中露による世界分割支配構想にとって邪魔、とトランプ大統領が判断した場合、CIAが暗躍して高市政権転覆&首相拘束を実行しないと一体誰が断言できる?



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高市早苗という国難を一刻も早く排除するべき

メローニ高市650

自身へのけじめを込めて年が変わる前に書いておくことにした。

僕は高市早苗氏が、日本初の女性首相になることにより極右スタンスの政治姿勢を改めて、より穏健な右派政治家に生まれ変わることを期待した。

それは言葉を替えれば、現実路線に舵を切って日本国のトップらしい主体的で思慮深く、人間的に磨かれたリーダーに生まれ変わることを意味した。

彼女はかつて次のようなおぞましい言動を重ねた。

1.議員一年生の1994年10月12日、国会で村山富市首相に「過去の戦争に関して周辺国に勝手に謝罪をするな」と言。

2.1995年3月16日、「私自身は、戦争の当事者とは言えない世代だから、反省なんかしていないし、反省を求められるいわれもない」と衆議院外務委員会で言明

3.2016年2月8日、気に入らないテレビ局の「電波を停めてやる」主旨の傲慢極まる発言もした。

ファシストやナチでさえ真っ青になりそうな呆れた発言を知りつつ、僕は彼女が首相になって変貌することをほんの束の間だけ思い描いたのである。

それはここイタリアのメローニ首相を念頭に置いての、無いものねだりの期待であり希望だった。

ジョルジャ・メローニ首相は、極右という形容は当たり前、政敵からはネオファシスト(新ファシスト)とさえ指弾されたりする存在である。

彼女は2012年にファシスト党の流れを組む右派政党「イタリアの同胞(FdI)」を結成した。

以来、泡沫政党「イタリアの同胞」の党首として、烈烈たる情緒と確固たる信念を胸に活動を続けた。

10年後の2022年、彼女は激しい選挙戦を闘い抜いてついに政権を奪取した。

選挙運動では声高に、過激に右派の主張を展開。その期間中は顔つきがほとんど狂暴にさえ見えた。

ところが彼女は首相になると同時に険しい極右の言動を控えて、いわば強硬右派とも形容されるべき穏健な道を歩みだした。顔つきまで変わった。

見苦しい激甚な表情が母親のように優しくなった。

極右政治家のメローニ首相が、政権奪取後には中道寄りへと舵を切るであろうことを僕は予想し何度もそう書いた

彼女はその通りの道を歩んでいる。

高市首相は、メローニ首相と同じファシスト気質の政治信条を持つばかりではなく、イタリア同様に圧倒的に男性優位の政治体制を持つ国で初の女性首相になった。

しかし彼女は日本国の首相として現実路線にシフトするどころか、政権の座に就いて間もない2025年11月7日、衆議院予算委員会で、「台湾有事は日本存立危機事態になり得る」と極右きわめ付きの発言をした。

僕はその時点で彼女の「化け」をあり得ないことと判断した。

彼女の台湾有事発言は、自らが師と仰ぐ安倍元首相の「戦略的曖昧さ」を否定して、その遺志を「国策」として具体化しようとする明確な信念の顕れとの意見もあるが、笑止千万だ。

彼女に戦略的な思惑があったとは考えにくい。

そうではなく、発言は彼女がネトウヨヘイト系差別主義教団カルトの仲間内で気勢を上げるノリで、つい言ってみた、というのが真実だろう。

彼女は、イタリアの過去、特にファシズムを明確に否定して国の舵を取る右派政治家のメローニ首相とは似ても似つかない。

このデタラメな政治家が、日本のトップであり続けてはならない。

僕はほんの一時はいえ、彼女が化けてメローニ首相のように周囲から尊重される存在になるかもしれない、と考えた自らの不明を恥じる。

と同時にそうした方向の発言の一切を撤回する。彼女の本性はもはや隠しようがない。

彼女は戦略的な思考ができない分、安倍元首相よりも危険な歴史修正主義者であり超国家主義者である。

取り返しのつかない事態が起こらないよう一刻も早く排除されるべきだ。




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クリスマスは文明にまで昇華した化け物である

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ここイタリアを含む欧米諸国や世界中のキリスト教国では、人々がクリスマスをにぎやかに且つ厳かに寿ぐ。

同時にキリスト教国以外の世界の多くの国々でも、人々はクリスマスを大いに楽しみ祝う。

むろん日本を典型とする非キリスト教国国々で祝されるのは、宗教としての定式や教義や規律や哲学や典儀を伴う「宗教儀式」ではない。

単なる遊びであり祭りでありショーでありエンターテインメントである。

そうなった背景には西洋文明という巨大な力がある。

クリスマスは文明ではない。それは宗教にまつわる文化だ。

文化とは地域や民族から派生する、祭礼や教養や習慣や言語や美術や知恵等々の精神活動と生活全般のことだ。

それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえある。

だからこそそれは「化け物の文(知性)」、つまり文化と呼称されるのだろう。

文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからだ。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからである。

だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなる。

ところが文化の価値とはまさに、偏見や恐怖や差別さえ招いてしまう、それぞれの文化の特殊性そのものの中にある。

特殊であることが文化の命なのである。

従ってそれぞれの文化の間には優劣はない。あるのは違いだけだ。

そう考えてみると、地球上に文字通り無数にある文化のうちの、クリスマスという特殊な一文化が世界中に広まり、受け入れられ、楽しまれているのは稀有なことだ。

それはたとえば、キリスト教国のクリスマスに匹敵する日本の宗教文化「盆」が、欧米やアフリカの国々でも祝福され、その時期になると盆踊りがパリやロンドンやニューヨークの広場で開かれて、世界中の人々が浴衣を着て大いに踊り、楽しむ、というくらいのもの凄い出来事である。

でもこれまでのところ、世界はそんなふうにはならず、キリスト教のクリスマスだけが一方的に日本にも、アジアにも、その他の国々にも受け入れられていった。なぜか。

それはクリスマスという文化が、世界を席巻した「西洋文明」という巨大津波に乗って地球上に広がっていったからである。

文明とは字義通り「明るい文(知性)」のことであり、特殊性が命の文化とは対極にある普遍的なコンセプトである。言葉を替えれば、普遍性が文明の命だ。

誰もが希求するもの、便利なもの、喜ばしいもの、楽しい明るいものが文明である。

それは自動車や飛行機や電気やコンピュターなどのテクノロジーのことであり、利便のことであり、誰の役にも立ち、誰もが好きになる物事のことだ。そして世界を席巻している西洋文明とは、まさにそういうものである。

一つ一つが特殊で、一つ一つが価値あるものである文化とは違って、文明には優劣がある。だから優れた文明には誰もが引き付けられ、これを取り入れようとする。

より多くの人々が欲しがるものほど優れた文明である

優れた文明は多くの場合、その文明を生み出した国や地域の文化も伴なって世界に展延していく。そのために便利な文明を手に入れた人々は、その文明に連れてやって来た、文明を生み出した国や地域の文化もまた優れたものとして、容易に受け入れる傾向がある。

たとえば日本人は「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と言われた時代から、必死になって西洋文明を見習い、模倣し、ほぼ自家薬籠中のものにしてき。

その日本人が、仏教文化や神道文化に照らし合わせると異なものであり、不可解なものであるクリスマスを受け入れて、今や当たり前に祝うようになったのは一つの典型である。

西洋文明の恩恵にあずかった、日本以外の非キリスト教世界の人々も同じ道を辿った。彼らは優れた文明と共にやって来た、優劣では測れないクリスマスという「特殊な」文化もまた優れている、と自動的に見なした。あるいはそう錯覚した。

そうやってクリスマスは、無神論者を含む世界中の多くの人が祝い楽しむ行事になっていった。

今日はキリスト教国のみならず、日本でも中国でもインドでもタイでもアラブの国々でもクリスマスが祝される。イスラエルにさえそれを祝う多くの人々がいる。

むろんそれらの国々の民衆が祝うのは、冒頭で述べたように宗教儀式としてのクリスマスではなく、飽くまでも遊びやショーやエンターテイメントとしてのクリスマスである。

換言すれば日本式クリスマスが、ほぼ全ての非キリスト教国におけるクリスマスである。

世界中が喜び希求する楽しい文化というのは言葉の矛盾だ。従ってクリスマスはもはや文化ではなく、文明に昇華したイベント、と表現したほうが適切かもしれない。

「化け物なのだから何にでも化ける」と考えれば、じゃやっぱり文化じゃん、ということになるのだけれど。












円と共にどこまでも日本国が沈みゆく

沈み行く手


さて、今日はクリスマスイブである。

クリスマスでホップ、正月はステップ、2月にジャンプして東京まで飛ぶが、今回は桜開花までの飛距離は出そうにないな、などとつぶやきつつ帰国準備中。

楽しみは冬のない南の島の海と、大阪と東京での居酒屋巡りである。

先日、帰国がらみにユーロで円を買って、円の弱体ぶりにたまげた。

ためしに今日のレートは?と調べてみると、円はさらに安くなって、1ユーロがなんと約184円だ。要するに今日なら“たった”5435ユーロほどが100万円に相当することになる。

僕は5500ユーロで100万円を手にした。ちょうど一週間前の話だ。

つまり、もしも今日ユーロで円を買っていれば、僕は黙っていても約1万2千円を余計に手に入れることができた。

日本の輸出大企業とインバウンドの外国人観光客ばかりが得をし、日本国民の大半が物価高に苦しむ円安のカラクリだ。

高市首相に言いたい。

台湾有事・日本存立危機発言をさっさと撤回して、異様な円安対策に本腰を入れたほうがいい。

そうすれば、日本初の女性首相の経歴には少し箔がついて、サッチャー英首相やメルケル独首相の域にまでは無理でも、ここイタリアのメローニ首相の足元あたりまでの評価は得るかもしれない

そうしておいて退陣すれば、日本の未来にほのかに明かりがともらないとも限らない。





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日本が文明国なら難民は全て歓迎し移民は条件付きで歓迎するべきだ

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日本では「移民や外国人を何でもいいから分け隔てなく受け入れよう」という意見と、逆に「何でもいいから移民や外国人は去れ」という人々の主張が激しく対立しているように見える。

そこで明らかなのは、日本人が難民と移民をごっちゃにしていることだ。

難民は先進国なら特に、必ず受け入れるべき義務だ。片や移民は-むろん経済的に困窮している外国人に救いの手を差し伸べるという人道的な側面は常について回るが-その国と国民の自由裁量による選択だ。

受け入れてもいいし受け入れなくてもいい。

また移民として受け入れる場合は、当の人材の技能や人格や思想信条等を識別しても一向に構わない。むしろそうやって移民を選別するのが理想的だ。

それは断じて差別ではなく、受け入れる日本国と移民との間の契約事項の一に過ぎない。

何でもいいから外国人を受け入れろ、差別するな、と叫ぶのも思い込んだら百年目の迷妄だ。むろん差別は指弾されるべきだが、包摂と日本国&移民の契約関係は別物だ。

移民を受け入れる日本は、国内法に始まる受け入れの条件やルールを明確に、堂々と、包み隠さずに示しそれに同意してもらう。

移民は約束に従って日本人となり、やがて時間とともに日本生まれの日本人と寸分違わない日本人になっていく。

だが彼また彼女は、生まれ育った国の文化も纏った新しい日本人だ。そこには多様性の萌芽がある。

今この時の日本では、日本人ファーストと叫ぶネトウヨヘイト系人士や、安倍高市歴史修正主義カルト礼拝所あたりで叫ばれる、汚濁言論ばかりが目立っている。

彼らは欧州の状況を表面的に見て、移民が欧州社会を破壊している。欧州の二の舞になってはならない、などと知ったかぶりに主張したがる。

だがそうではない。

欧州には9割以上のまともな、良い移民市民がいる。彼らは欧州社会に溶け込み仕事をし移住先の国の子供たちと同様に自らの子供に教育を受けさせ、税金を払い選挙で投票もする。

しかしごく一部の移民や移民の子孫は、移住先国の社会に溶け込めず、差別されていとある時は正当に感じ、ある時は誤解と被害者意識に支配されてテロに走ったりもする。

それは「事件」だから世界中に報道され、従って日本のネトウヨヘイト系紳士淑女がわが意を得たりと「だから外国人は危険だ、日本に来るな」と叫ぶ元本を提供してしまう。

そうではあるが、しかし、移民の一部が問題を起こすのも厳然たる事実だ。

それは欧州が過去に世界各地を侵略・直民地化して、住民を虐殺し続けた悪行への反省から「欧州の良心」を獲得し、世界中から難民のほぼ全てと移民の多くを受け入れた歴史によっている。

日本の反移民過激派が指摘したがる「欧州の問題」の背景には、日本人が全く思いもよらない欧州の寛大な深い懐がある。

それはトランプ反動大統領が誕生するまでのアメリカにも歴然としてあった、欧米の美点の一つだ。

島国の洞窟に住み、世界に背を向け、壁に向かって「日本人ファースト!外国人来るな!」と怨嗟し吼える未開の民とは人間の格が違うのである。

日本人は移民受け入れを考える場合、欧米の過去の成功例と失敗例を詳細に見、研究しあるいは手本とし、あるいは他山の石として移民対策を考えれば良い。

人権と包摂の心を忘れず、且ついよいよ移民を受けいれる際には、彼らを基本的に日本人として認め、従って日本の法律をそのまま適用し、既述のように日本が独自に決定施行する規則や習いや掟も守ってもらう、と恐れずに表明すればいい。

その場合には日本が世界の手本になるつもりで、時には厳しい規則も含めて正面から堂々と示し、賛成する人だけ日本に来てください。反対の方は日本に来ないでください、と穏やかに、平明に、且つ論理的に言い続ければ良い。

それは移民ばかりではなく、最近数が爆発的に増えたインバウンドの観光客に対しても定型化していいコンセプトだ。

そこには必ず横暴だ非民主的な手法だ、などの批判も起こるだろう。だがそれは日本が身を挺して打ち立てるオーバーツーリズム対策だとわきまえて、堂々とく突き進めばいい。

それは観光公害に悩む世界が、将来はグローバル規格として取り入れる可能性もある重要な先例になるだろう。

繰り返すが、日本が受け入れる移民に関して最重要なことは、彼らを移民として明確に認定し、そのように扱うことだ。

言葉を換えれば移民を日本人として受け入れ、日本生まれの日本人と全く同様に扱う。彼らは国民だから自由に仕事をし、子供に教育を受けさせ、税金を払い、選挙に参加する。

むろん不良移民など問題外だ。性質たちの悪い移民は、犯罪者の日本人と同じように厳しく取り締まればいい。外国人だからという視点で移民を区別し差別するから問題が起きる。

日本人がきっちりと規則を決めて明確な基準で彼らを受け入れ、さらに平等に扱い続ければ、ほぼ100%の移民が日本社会に貢献するだろう。

安倍俳外差別主義政権が行った「移民政策はとらない」としつつ「特定技能」制度などの狡猾な手段で移民に門戸を開放し、しかも日本側の利便に基づき働かせておいて用済みになったらさっさと帰国してもらう、という姑息な考えは断じて世界に通用しない

外国人労働者とか移住労働者、あるいは出稼ぎ労働者、技能実習生、一時就労者、季節労働者など、など、と都合の良いように名前を変えてみても、彼らが移民であることの実態は変わらない。

日本的あいまいさが最大の癌だ。日本は早く国民的議論を喚起して移民を受け入れるのか否かの最大の、且つ根本的な立ち位置を明確にするべきだ。

受け入れないならそれでよし。世界で孤立しやがて国自体が消滅することを潔く認め覚悟して、ゆるりと死にゆけばいい。

逆に受け入れると決意するならば、ここまで述べたような具体的で公明正大な受け入れ条件を掲げて、移民政策を推し進めればいいのである。





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円安の憂愁

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やがて帰国する際に、事情があって少し多めに現金が必要になった。銀行に円調達を頼んでおいたら、たったの5500ユーロが100万円に化けた。

5500ユーロは僕にとっては大金である。100万円はもっとさらに大金だ。

その100万円に比べると5500ユーロはかなり小額に感じる。だから“たったの”5500ユーロと言ってみた

円安は度が過ぎていないか

高市首相は台湾有事が日本存立危機事態と大失言をかまして、撤回するどころか糊塗に全力を注いでいる。

首相のその態度自体がよっぽど日本存立危機事態だが、円安もそれに劣らず日本の危機の域にまで達しているように見える。

高市首相のアイドルの安倍元首相が、ナントカの一つ覚えに円安誘導を仕掛けたツケを払っているのは日本国民だ。

恩恵を受けているのはインバウンドの観光客。

日本国民でありながらイタリアに暮らす僕も、帰国で外国人並に円安の余得を受けた訳だが心は少しも楽しまない。

円安は日本沈下の象徴であり、インバウンド増による観光公害のさらなる悪化のサインでもある。

しかも日本の舵を取る高市首相は、ネトウヨヘイト系排外差別カルト集団の支持を受けて、「そんなことより」中国を威嚇し開戦も辞さないふうの愚かな火遊びに狂奔している。

そうした時世に強いユーロで円を買って得をした、などと喜ぶ気にはとうていなれない。



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イタリアのフェミサイド(女性殺害)は「アモーレ(愛情)過多が原因」というたわけ

薄闇の中両手で防御する女性

イタリアは先月、欧州主要国の中で初めて、女性が女性であるという理由だけで殺害される、いわゆるフェミサイドを独立した犯罪と定めた。

有罪になると自動的に終身刑に処される。死刑のないイタリアでは最も重い仕置きである。

世界の殺人事件の被害者は、およそ8割が男性である。そのため一般的ではない女性被害者にことさらに焦点を当てる、フェミサイド論争はおかしいという見解も根強くある。

しかしフェミサイドの根底にあるのは、深い女性差別の心理であり、男による女性支配願望である。それは家父長制社会の特徴でもある。

そんなメンタリティーが支配する状況では、女性はただ「女性である」という理由で殺される。フェミサイドの被害者にとっては、家の中が最も危険、という容認しがたい環境があるのだ。

そんな理不尽は必ず是正されなければならない。

世界的に認められたフェミサイドの定義はない。だがそれは世界中で頻繁に起きる。人口比率で見ると世界の発生率はアフリカが最も高い。次いで南北アメリカオセアニアアジアヨーロッパの順になる。

発生件数で見ると、世界全体では毎年6万6千人前後の女性がフェミサイドで殺害される。最も多いのは中南米の国々。

またインドやアラブ諸国も多く、米国では1日に平均4人の女性がフェミサイドに遭う。

ちなみに欧州で発生率が高いのはバルト3国次いでクロアチア、オーストリアが高い。その逆にスウェーデン、イタリア、ギリシャ、スペインなどが低い。

ただし発生件数を絶対数で見ると、人口の多いドイツ、フランスでの犠牲者数が多く、イタリアも同様である。

英国は特殊なデータ収集法を用いていて、比較がさらに難しいが、2022年の統計ではフェミサイドと見られる殺人の犠牲者は121人。

このうち12人が息子によって殺されている。英国では2009年から2024年の15年間で170人あまりの母親が息子に殺された。

母親殺しは英国が突出して多いようだ。いわゆるラテン文化の伊仏葡西を少し知る僕には、英国の事情には思い当たるフシがある。

ちなみに2024年のフェミサイドの犠牲者数は、イタリアが116人、フランス107人、ドイツ191人、英国ではおよそ80人という数字が出ている。

しかし、同国では平均して3日に1人の女性が男性によって殺害されているという統計もある。全体では約120人となり、他の主要国に近い数字で納得しやすい。

イタリアのフェミニサイド発生率は前述のように際立って高い訳ではない。英独仏スペインなどとほぼ同程度である。

イタリアは女性の権利意識や社会進出、またジェンダー事案全体の開明性という点などでは、英独仏等に遅れを取りがちだ。

イタリアは現在、世界男女格差指数で85位と、EU加盟国の中でほぼ最下位に位置している。およそ150カ国中で毎年120位前後が定位置の日本ほどではないにせよ、ホントに欧州の国かと疑いたくなるほどの寂しい数字である。

さらに言えば、イタリアにおける
女性の就業率は50%強にとどまるなど、課題は少なくない。

そのイタリアがフェミサイドを重要犯罪と位置づけて特別扱いし、有罪の場合は自動的に終身刑にするとした進歩性を見せた。なぜか。そこにはイタリアならではの事情がある。

イタリアの年間の犠牲者数は記述のように取り立てて高い訳ではない。英独などに比べるとむしろ少ないと見たほうがいい。

イタリアではかつて、フェミサイドの被害者が1年に平均171人もいた。ほぼ2日に1人のペースである。

幸い数字は年々減る傾向にあり、2023年は120人、2024年は既述のように116人、2025年は11月末現在106人。

件数は減り続けているが、それでも毎年100人を優に超す人数の女性がフェミサイドに遭っている。

イタリアの特異さは、フェミサイドが軽視される傾向にあることである。男が主として愛情のもつれから女性を殺害するのは、「相手女性を愛し過ぎているから」という暗黙の了解が厳然としてある。

いわゆる痴話喧嘩の極端なケースがフェミサイドである。そして痴話喧嘩は極めて個人的な事案であり、痴話喧嘩には他人は口を出すべきではない、という心理がイタリア人には強く働く。

まさにアモーレ(愛)の国ならではの在りようだが、被害者になる女性はたまったものではない。だからこそイタリアでも、女性に対する暴力を何とかしなければならない、という気運が高まった。

イタリアでは、女性の殺害には至らないものの、顔や体に大きな損傷を受ける酸攻撃の被害者なども少なくない。

たとえば先年、ジェシカ・ノターロさん(27)が元恋人の男に酸を浴びせられて顔を大きく損傷した。ノターロさんはミスユニバースのイタリア代表選で最終選考まで残り、歌手としても知られた存在。

彼女は事件から2ヶ月後に敢えてテレビ出演をして、破壊された顔を画面にさらし「私をこんな姿にしたのは断じてアモーレ(愛)などではない」と訴えて、視聴者の心を震撼させた。

女性の権利意識が高い欧州の中で、イタリアはどちらかというと後進地域の一つであり続けている。そこには保守傾向が強いバチカンを抱えた特殊な事情等がある。

だがそのイタリアに於いてさえ、「愛にかこつけた女性への暴力」の愚劣を根絶しよう、という動きが高まって、ついに欧州でも先進的な・画期的な法律が成立した。

他の国々も続くと見られている

続くべきである。





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死が観念からうつつになる時

子供墓の天使像切り取り930

死を語ることは常に観念的である。なぜなら死の実際を語れるのは死者だけだからだ。しかし死者は無言だ。

生者が語る死は全て推知であり嘘である。

生きているわれわれが実況を語れるのは生のみだ。その生は死がなければ完結しない。つまり生は死を内包していると気づくときだけ、死を語ることに何らかの意味が発生する。

それでも生者が語る死はやはり観念的であることからは逃れられない。

ところがその死は、尊厳死また安楽死という言葉に移し変えられると、ふいに観念から実景へと変化する。

そこに法がからまるからだ。つまり強制性が加わる。その場合の強制性とは、ひとことで言えば殺人のことだ。

尊厳死は命の炎が燃え尽きていくままに任せることだが、病院で行われる場合は、医療行為をほぼ停止するという意味で、殺人と言えないこともない。

片や安楽死は、死にゆく本人または他者が意図的に命を絶つ行為である。特に後者は、他者が他者の命を絶つのだから明らかな殺人だ。

だがそれらの行為の前には、死に行く人自身による明確な死の選択がなければならない。

尊厳死も安楽死も回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて死を願い、それをはっきりと表明し、そのあとに自殺または自殺幇助による死を実行する状況が訪れた時に遂行される。

そのときにもっとも重要なことは、患者による死への揺るぎない渇求が繰り返し確認されることである。

それでなければ「自らの明確な意志」を示すことができない者、たとえば認知症患者や意識不明者あるいは知的障害者などを、本人の同意がないままに死に至らしめることになりかねない。

そうした場合には、介護拒否や介護疲れ、経済問題、人間関係のもつれ等々の理由で行われる「殺人」になる可能性がある。

親や肉親の財産あるいは金ほしさに安楽死を画策するようなことも必ず起こるだろう。

あってはならない事態を限りなくゼロにする方策を模索しながら、生をまっとうすることが困難な状況に陥った不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて死を願うならば、これを認めるべきである。

それを拒むのは、僭越であるばかりではなく、当人の苦しみを助長させる残酷な行為である可能性が高い。

生は必ず尊重され、飽くまでも生き延びることが人の存在意義でなければならない。

従って、たとえ何があっても、人は生きられるところまで生き、医学は人の「生きたい」という意思に寄りそって、延命措置を含むあらゆる手段をつくして人命を救うべきである。

その原理原則を医療の中心に「断断固として」すえ置いた上で、患者による死への揺るぎない渇求がくり返し確認された場合は、尊厳死、安楽死は認められるべきと考える。

だが実を言えば、安楽死や尊厳死というものは存在しない。死は死にゆく者にとっても家族にとっても常に苦痛であり、悲しみであり、ネガティブなものだ。

あるべき生は誇りある生、つまり「尊厳生」と幸福な生、つまり「安楽生」である。

不治の病や限度を超えた苦痛などの不幸に見舞われ、且つ人間としての尊厳をまっとうできない生は、つまるところ「尊厳生」と「安楽生」の対極にある状態である。

人は「尊厳生」または 「安楽生」を取り戻す権利がある。

それを取り戻す唯一の方法が死であるならば、人はそれを受け入れても非難されるべきではない。



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いかに死ぬかとは、いかに生きるかという問いである

本から煙

死を見つめるのもそこから目を逸らすのも本質は同じ。死への恐怖である

死という言葉が死を呼ぶという言霊信仰や迷信の影響、という世界共通のありようを別にして語ろうと思う。

イタリア人は、あるいはキリスト教徒は、学問や文学などの領域を除けば、死について日常的に語ることを避ける傾向がある。

日本人のように死は避けられないものと受忍して、折に触れてそれを意識したり口に出すことは少ない。

元々そうではなく、キリスト教徒も死を恐れつつ救いを求めて、行住坐臥に死を語り死を受け入れていた。死の苦しみをやわらげる手助けをするのが宗教である。キリスト教も例外ではない。

だが教会が権威拡大のために死の恐怖を強調し、救いを求める信者が教会への依存を強めるよう画策したことが反発を呼んで、人々はやがて死を語らなくなった。

また近代になって終末期医療の現場が家庭から病院へと移り、死が人々の日常から遠ざかるにつれて、それを不断に意識する機会が減り死に関する話題が避けられるようになった。

加えて次のような理由もある、と僕は考える。

デカルトが「我思う、故に我あり」というシンプルな命題に託して、それまでの支配観念であった「コミュニティが先ずあって個人がある」というスコラ哲学の縛りを破壊した。

いわゆる“近代的自我”の確立である。

私という個人の自我意識によって世界を見、判断して、人生を切り開いていく、という現代人にとっては当然過ぎるほど当然の価値観は、人々の自己への自信を深めた。

自信を深めた我、あるいは私という個人は諦めずに闘い、進化する存在になった。死生観にもそれは現れた。

死は避けられないものだが、それを恐れたり語ったりするよりも、今生きて在る自分自身を大切にし前進し続けるとこそが重要、という考え方が尊重されるようになった。

そうやって現代西洋人はますます死を語る習慣をなくしていった。僕はそこに西洋近代の不首尾の一つを見る。

いつ、どこで、いかに死ぬか、という自身では制御できない問いをあえて問うことは、つまるところ「いかに生きるか」と問うことである。

なぜならば生は死がなければ完結しない。畢竟、死は生の一部にほかならない。

いかに死ぬかを問うことが、いかに生きるか、という問い整合するのは、そのことだけでも明らかである。

いかに生きるかを問わない生き方は、いかに生きるかと問い続ける生き方よりも少し寂しく見えないこともない。




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肉体が命の行く末を差配する

650植トマト中ヒキ

命の行く末を牛耳っているのは肉体である。

当たり前じゃないか、と思うかもしれない。だが決して当たり前ではない。

なぜならそのことを実感するにはある程度の年齢を重ねなければならない。

若者の命は、あたかも肉体がなくても存在するがごとく躍動している。

若い肉体は生のエネルギーに満ち溢れている。彼らは健康である限り命の行く末などという迂遠なコンセプトには一顧だにしない

あるいは若者は命と肉体を区別しない。それは一体となってたぎっている。

言葉を替えれば若者は命や死に無頓着だ。

意気盛んな若者にとっては、彼らの存在そのものである命も、その対極にある死などというものはもっとさらに、七面倒くさいコンセプトに過ぎない。

僕は60歳代を通過して次の命のステージに飛びこもうとしている。そこは危険な領域である。

周りを観察していると、70歳から72、3歳は肉体の鬼門のように見える。

若者は肉体が命の先行き差配していることを知らない。

肉体が命を牛耳っていると気づくのは、若くなくなった時である。僕の場合はここ1、2年のことだ。

菜園で作業をする時の疲れ方が、それまでとは違うと感じる。

今の疲れには死のほのめかしのようなものがある。単なる筋肉の疲れではなく、体の深奥が呻吟するような疲弊である。

菜園では種まきや稙苗また水遣り以外はほとんど何もしない。畑は有機農法で耕している。雑草が勝手放題に繁茂し虫が大量に湧く。

僕は菜園に細かく手を入れるタイプの野菜作りではない。

作業をしたいのは山々だが時間がない。除草などもほとんどしないまま放っておく。

雑草は取り除かないと次々に花をつけ、種を撒き散らして大きくはびこる。それは分かっているが、じっくりと土に向き合う時間がないので、ミニ耕運機を畑に入れて鋤いてしまうことが多い。

とはいうものの、畑には草が茂り、小石が無数に埋まり、壁に食い込むEderaキヅタ )などの殺人的なしつこい草木がはびこる。ごくたまにはそれらを整理したくなる。

水はけを良くするために砂や粗い堆肥を埋めることもある。少しは有機肥料を入れたりもする。仕事はきつい。今はきっちり1日に1時間だけと決めて作業をする。

気や命だけではほぼ何もできない。肉体が横溢してこその気であり、命であり、作業なのである。




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高市総理を含む日本人は誰もが愛国者だ

キンペー高市合成650

はっきりさせておこう。

スパイやテロリストでもない限り、日本を悪くしようと思う日本人はいない。

右も左もない。

ただ右と左ではより良い日本という頂上に向かう道筋が違う。

そして頂上に向かう道のうちには遭難したり、事故ったり、地滑りや雪崩に遭ったりする危険なものがある。

危険を伴う道程の最たるものは過去を直視しないアプローチだ。それは歴史修正主義という深い迷い道へと続き、ついには脱出が不可能になる。

そして極端な場合は迷い道は、山自体が崩壊するにも等しいほどの結末を招く。それが第2次世界大戦の惨劇へと日本が辿った道だ。

登山の間違ったルートを行かないように右と左が互いに呼びかけるのが、民主主義社会における政治論争であり対話である。

極右や極左の人々でさえも「彼らなりの考えで」日本を良くしようとあれこれ模索している。

だが残念なことに彼らは、民主主義という仕組みを無視し破壊して、一息に頂上を目指そうとする。

それはつまるところ過激主義であり、専制政治や独裁政治に至る不吉な道だ。

保守やリベラルと規定される、過激派よりも穏健な政治思想を持つ人々も、むろん誰もが日本を良くしたいと願っている。

その意味では日本人は誰もが愛国者である。

ネトウヨヘイト系人士を含む右派の多くは、彼らだけが愛国者だと信じて、、対峙するリベラルや自由主義者などの左派を反日、売国奴、自虐史観主義者などと罵倒したがる。

だが彼らは、例えば日本の侵略行為を否定したり、靖国神社を盲目的に称揚したり、旧日本軍の蛮行を認めない等々の歴史修正主義に走ることによって、世界から批判される。

つまり実は彼らのそうした動きこそが、日本を貶める自虐史観行為だ。

平家、海軍、国際派という成句がある。

社会のメインストリームから外れたそれらの人々は、日本では出世できないという意味の言葉だが、政治の論壇などでは往々にして「反日」と同じ風に使われたりもする言い回しだ。

だがそれは間違いで、平家の中にも、海軍の中にも、国際派の中にも愛国者はいる。と言うか、そこには源氏、陸軍、国内(民族)派とまったく同数の愛国者がいるのだ。

そして僕自身は国際派の愛国者を自負している者だ。国際派だから、出世もできずに恐らく死ぬまで外国を放浪し続ける、という寂しい人生を送っているわけだが。

中国に宣戦布告をするのでもあるかのような、高市早苗首相の「台湾有事は日本の存立危機事態」の国会発言は、元を正せば歴史修正主義に根ざしている。

彼女は先の大戦は日本の侵略戦争ではないと信じている。従って被害国への謝罪も必要がないと結論付ける。そこには既に被害国への蔑視感情秘匿されている。

特に隣国の中国、韓国、北朝鮮への優越意識は強い。敵愾心と言い換えてもいい。

劣った国々だから優位にいる日本が彼らを支配しても問題はない、という思い上がった感情がそこにはある。

その気合いは、靖国参拝に反発するそれらの国々への怒りを呼んで、彼女の不機嫌がさらに募る。

高市首相の中国への敵対感情は特に深い。

日本が蹂躙しても構わないほど“劣って”いた中国は、近年経済的にも従って軍事的にも巨大化して、もはや日本は太刀打ちできない。その現実が彼女の怒りをさらに煽る。

そうやってアメリカを頼みにしつつ、台湾を卑小化し宗主国気取りでをこれ庇護するという思い上がりが加わった。

その結果中国に対して居丈高になり勇ましく拳を振り上げたのが、愚かな台湾有事=日本存立危機発言だ。

要するにその意思表明は、WEB上に踊るネトウヨヘイト系排外差別主義者らの勇ましくも空虚な反中国言論と大差ないのである。




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同じ極右なのに月とスッポンポンの伊日女性首相

若Meloni&高市699

僕は高市早苗首相の動静を、ここイタリアのジョルジャ・メローニ首相と対比しながら監視してきた。

2人には大きな共通点がある。何よりもまずそれぞれが両国初の女性首班であること。両氏ともファシスト的な気迫の政治スタンスやメンタリティーを持つ右派政治家である点だ。

メローニ首相は、15歳でファシスト党の流れを組むMSIに参加し、活発な右翼活動家となった。

2012年には同じ流れの極右政党、イタリアの同胞を結成。その泡沫政党を率いて党勢を拡大させ、2022年総選挙で第一党に躍り出てついに政権を奪取。イタリア初の女性首相となった。

政敵にネオファシストとさえ批判されたメローニ首相は、政権樹立後は中道寄りの現実路線にシフトして、イタリアのみならず欧州全体でも一目おかれる「保守政治家になった。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になった。

そうした変化が可能になったのは、彼女がイタリアのトップとして統率力を発揮し、支持基盤であるイタリアの同胞に始まる極右モメンタムを抑えているからだ。

片や高市首相は、日本のトップとしての独立した強い権限や独自性はなく、自民党内の安倍残党歴史修正主義一派、日本会議、神社本庁ほかの祭祀陰謀団、また全国に蠢くいわゆる自称文化人やアカデミック層また芸能人などを含む、有象無象のネトウヨヘイト系国民によって操られるパペットであることが明らかになりつつある。

ふたりは元々かけ離れた右翼活動家ではある。ひとことで言えば、メローニ首相が明の右翼政治家、片や高市氏は陰にこもったキャラクターだ。

もっと言えば高市氏は自ら大いに右翼運動を担うのではなく、例えば安倍元首相に庇護されて四囲を睥睨したように威光を笠に着て凄むタイプ。

一方のメローニ氏は自ら激しく動いて道を切り開くタイプだ。

僕は先日、「高市首相は、独裁者気質のトランプ大統領や、極右とも批判されるここイタリアのメローニ首相もできない急カーブのファシスト街道を走りまくって、すわ!中国と開戦、というゴールに飛び込まないとも限らない」

と書いた。

すると高市首相は後日、あっと驚く「台湾有事は日本の存立危機事態」の国会発言をかまして、露わすぎるほど露わに自らの本性を激白した。

高市首相の―あえて大げさな意味合いで言うと―中国への宣戦布告じみ日本の存立危機事態発言は、彼女が仲間のネトウヨ人士らとの会合で気勢を上げるノリで口に出したものだろう。

高市早苗氏は、たとえ逆さに吊るして振り回しても“極右”という毒素しかこぼれ出ない政治家だ。

それでも日本のトップに押し上げられることで、政治的にも人間的にも成長するのではないか、と僕は密かに応援する気持ちでもいた。ここイタリアのメローニ首相がそうであるように。

だがそれはしょせん、大いなる無いものねだりだったようだ。

高市首相は英国のサッチャー首相に憧れていて、彼女のようになりたいと願うらしい。だが、それはあまりにも大それた願望だ。

岩盤支持層に操られるだけの彼女が、大化けにバケてここイタリアのメローニー首相の域にでも変貌できれば、上等以上に上出来だ。だが彼女はそこにさえ至らないようだ。

そうであれば高市首相は、近いうちに詰め腹を切らされる宿命だろうが、日本国民を戦争の崖っぷちにまで追い込んだ責任は重い。




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高市首相は世界ネトウヨ連盟のくび木から早急に抜け出せ

高市キンペー合成650

開いた口が未だに塞がらない。

高市早苗首相の台湾有事・日本存立危機発言とそれに対する中国の反応のことである。

どっちもどっちだ。

貧弱な政治文化の本質がてんこ盛りになった、恥ずかしくも見苦しい言動の数々だ。

高市首相が、台湾有事は日本の存立危機事態と口を滑らせたのは、日本の過去の蛮行を認めない歴史修正主義に凝り固まった精神が言わせたものだろう。

国際政治を知らず、従って外交に疎い迷妄もあるが、中国への深い蔑視と敵愾心も秘匿されている。日本のトップの人物がWEB上で汚い言語を撒き散らすネトウヨに似ているのは寂しい。

これに対して、大阪在の薛剣中国総領事が「勝手に突っ込んできた汚い首を斬ってやる」と、汚い首に付いた汚い口から腐臭を放つ言葉を投げつけた。

中国政府もこれを諌めるどころか、似たり寄ったりの野蛮醜悪な言動を続けている。

それらは“アジア”に共通した未開で好戦的な政治精神の発露だ。ここで言う“アジア”とは、外交も民主主義も理解しない中国的、アラブ的また日本極右的な勢力の全てである。

そこには無論ロシアも北朝鮮も含まれる。またネタニヤフのイスラエル、エルドアンのトルコもりっぱな、いや、“アジア”以上の“アジア”であることは論を俟たない。

最近そこには信じがたい巨大パワーも加わった。言わずと知れたトランプ主義が席巻するアメリカだ。

日本は一刻も早くそれらの「ああ喚(わめ)けばこう叫んで背中に斬りつける」蛮人連合体から抜け出したほうがいい。

そうしておいて意識改革を断行し、欧州並みの政治文化また文明を獲得する努力をするべきだ。

それにはどうするか。ひとえに過去の蛮行を認めて反省し、被害者の国と国民に腹からの謝罪を行って生まれ変わる以外には方法がない。

僕は再び、再三再四、繰り返し何度でも主張する。ドイツを見習え。イタリアを意識しろ。

僕は11月3日、「高市首相は、独裁者気質のトランプ大統領や、極右とも批判されるここイタリアのメローニ首相もできない急カーブのファシスト街道を走りまくって、すわ!中国と開戦、というゴールに飛び込まないとも限らない」

とここに書いた。

それから4日後の11月7日、高市首相は 台湾有事は日本の「存立危機事態になりうる」と既述のあっと驚く国会発言をかまして、露わすぎるほど露わに自らの本性を激白したのだ。

高市首相の―あえて大げさな意味合いで言うと―中国への宣戦布告じみ日本の存立危機事態発言は、彼女が仲間のネトウヨ人士らとの会合で気勢を上げるノリで口に出したものだろう。

高市首相の先の大戦は侵略戦争ではないに始まる一連の歴史修正主義発言や靖国称揚思想、テレビ局への停波するぞ恫喝などのファシスト気質を知りつつ、また政治信条的にも大いに疑問を抱きつつも僕は密かに彼女の❝化け❞を期待してきた。

ここイタリアのジョルジャ・メローニ首相に重ねて彼女を見ようとしたのだ。

イタリア初の女性首相となったジョルジャ・メローニ氏は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を率いて選挙を勝ち抜いた。

ところがメローニ氏は、首相になると同時に険しい表情をゆるめ、極右独特の厳しい言動を控えて、いわば強硬右派とでも呼ばれるべき穏健な道を歩みだした。

高市早苗首相は、たとえ逆さに吊るして振り回しても“極右”という毒素しかこぼれ出ない政治家だが、日本のトップに押し上げられることで政治的にも人間的にも成長するのではないか、と僕は密かに応援する気持ちでもいたのである。

だがそれはしょせん、大いなる無いものねだりだったようだ。

高市首相は彼女の岩盤支持層である日本極右勢力、即ちネトウヨヘイト系差別主義者の国民や自民党安倍礼拝族、また日本会議や国家神道など同じ穴の貉会が一体になった、日本ほぼカルト 勢力に呑み込まれあるいは同調して、結局独自の政治信条も無いままさらに右へと急カーブを切り続け、ついには昏倒する運命であるように見える。




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