【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

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新ローマ教皇レオ14世が図らずも成し遂げた大事業

ルイ14世初顔出し650

新ローマ教皇レオ14世が誕生して一週間が過ぎた。

新教皇が生まれる時はいつもそうであるように、イタリアはまだまだ祝賀ムード一色に染まっている、と言いたいところだが、2013年のフランシスコ教皇誕生時とは違って興奮は急速に収まった。

ウクライナ戦争終結を目指してトランプ米大統領が中東入りすることや、プーチン大統領がトルコに出向く、いや出向かないなど、戦争をめぐる大きな動きがメディアの最大の関心事になって、新教皇関連のニュースは二の次になっている。

レオ14世はウクライナとガザの2つの戦争を念頭に、選出以来あらゆる機会を捉えて平和の重要性を指摘し停戦を呼びかけている。当然のことである。

新教皇へのイタリア人の、そして世界のカトリック教徒の暖かい声援は尽きない。それは初々しい教皇に対する人々のごく普通の反応だが、今回は少し違う。

教皇が史上初のアメリカ出身という事実が後押しして、アメリカ国民の関心が異様に高くなっている。バチカンや教皇とは何ぞや、ということを初めて知った人々も多いに違いない。

それらの人々が無邪気に喜ぶさまが、欧州や当のアメリカのメディア上で躍っている。

それは先月、教皇フランシスコの死去に伴って、新教皇選びの秘密選挙・コンクラーベが開かれることになり、タイミング良く公開された映画「コンクラーベ・教皇選挙」の視聴者が、米国内で爆発的に増えた現象に続く目覚しい事態だ。

トランプ大統領がアメリカ人教皇の誕生を大いに喜び、国にとって極めて名誉なことだと表明したことが象徴的に示すように、普段はバチカンや教皇に関心のないアメリカ人が手放しで浮かれる様子はとても興味深い。

そうした朴直な大衆は、ヨハネ・パウロ2世の出身国のポーランド、次のベネディクト16世のドイツ、そして前教皇フランシスコの母国のアルゼンチンなどでも雲霞の勢いで出現した

つまりメリカで、大量のアメリカ人教皇ファンが増えていること自体は何も特別なことではないのである。それがアメリカであることが印象的なのだ。

アメリカは今、トランプ政権のけたたましい反民主主義的、あるいはファシズム的でさえある政策や思想信条に席巻されている。それはバチカンが伝統的に否定し対峙してきた政治体勢である。

アメリカ国民の半数近くはバチカン思想信条と親和的だろう。だが半数以上の国民は、バチカンのスタンスとは相容れないトランプ主義の支持者でありそれの容認者だ。

片や、彼らと同じアメリカ人のレオ14世は、民主主義の信奉者であると同時にフランシスコ教皇の足跡をたどって弱者に寄り添い、慎ましさを武器に強者にも立ち向かっていくことが期待されている力だ。

トランプ主義を容認する国民のうちの何割かがこの先、レオ14世に感化されて転向すれば、トランプ政権は行き詰まる。あるいは4年後の選挙で瓦解する可能性が高くなる。

それは荒唐無稽な話ではない。過去にはローマ教皇をめぐってもっと大きな歴史的事件も多く起きている。

例えば2005年に亡くなった第264代教皇ヨハネ・パウロ2世は1980年代、、故国ポーランドの民主化運動を支持し、「勇気を持て」鼓舞して同国に民主化の大波を発生させた。

その大波はやがて東欧各地に伝播して、ついにはベルリンの壁を崩壊させる原動力になった、とも評価される

教皇ヨハネ・パウロ2世の当時の敵は共産主義だった。

レオ14世が真にフランシスコ教皇の足跡を辿るなら、彼の敵の一つは必ずファシズムまがいのトランプ主義だろう。

トランプ主義を打倒するのは、気の遠くなるような壮大な事業だった共産主義破壊活動に比べれば、何ほどのこともない。やすやすと達成が可能な政治目標のようにも見える。

だがその前に新教皇は―再び言う ― トランプ大統領を含む膨大な数のアメリカ国民の目を彼自身とバチカンに引き付ける、という大事業を軽々と成し遂げた.

今後のレオ14世の活躍がとても楽しみである。




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新教皇レオ14世は彼が何者かではなく「何を為すか」で歴史の審判を受ける

新教皇システィーナ礼拝堂凱旋(天井画全込み)650

アメリカ出身のローマ教皇が誕生した。

5月8日、予想よりも短い時間で教皇選出の秘密選挙・コンクラーベが終わって、予想外の男が世界14億の信徒を導く最高位司教の座に就いた。

予想外の男という印象を与えるのは、心魂を司るのが王道の宗教組織のトップが、金と欲と争いにまみれた俗世の物質文明に君臨するアメリカ出自の者であってはならない、という考えがバチカンの底流にあったからである。

アメリカ出自の教皇を阻止するいわばファイアーウォールが、ローマ教会に存在するのは公然の秘密だった。

それは、自国中心主義を掲げて世界を絶望の淵に落としている、ファシスト気質のトランプ政権が居すわる昨今は、特に重要だと見られていた。

ところがこともあろうに今この瞬間に、出自故にトランプ政権に親和的であっても不思議ではないはずの教皇が出現したのである。

それは不吉な出来事にも見える。余りにも出来過ぎた符号は、あるいはトランプ大統領がコンクラーベに裏から手を回して操作したのではないか、という荒唐無稽な憶測さえ呼んだ。

なにしろトランプ大統領はコンクラーベに際して、次期教皇に相応しい枢機卿がニューヨークにいる、などとうそぶいていた事実もあるのだ。

一方で新教皇レオ14世は、トランプ政権に対しては批判的であったことが知られている。特に政権の移民排除策に関しては、「壁ではなく橋を作れ」異見したフランシスコ教皇に倣う立場だと見られている。

アメリカ出身のレオ14世が、自国の強権力者のトランプ大統領に歯向かうのか擦り寄るのか。それはレオ14世の正体が見える試金石になるだろう。

レオ14世とバチカン司教団は、「われわれはトランプ大統領の対抗勢力ではない」という趣旨の声明を出している。それが真実であるか外交辞令であるかは、遠くない将来に明らかになるはずだ。

言葉を替えればレオ14世は、今この時の世界不安の元凶であるトランプ大統領に、前教皇フランシスコが示したような、穏やかだが断固とした態度で立ち向かえるのかどうかを試されることになる。

個人的には僕は、レオ14世はトランプ主義に異を唱えるバチカンの良心になる、と少しのポジショントークをまじえながら考えている。

その理由は彼がコンクラーベにおいて、「予想外」の速いスピードで教皇に選出された事実である。

120~135人ほどの枢機卿が互選で教皇を選出するコンクラーベは紛糾することが多い。そこには様々な政治的駆け引きが展開される。いつのコンクラーベでも改革派と守旧派が勢力を競い合う。

そしてバチカンは、多くの宗教組織がそうであるように、守旧派が強い力を持つ。そこにはクーリアと呼ばれる官僚組織があり、彼らがコンクラーベにも隠然たる影響を及ぼす。対立は分断を呼んで選挙が複雑になり長引く傾向がある。

今回のコンクラーベは特にその傾向が強くなると考えられた。理由は次の如くだ。

フランシスコ教皇は、信者の多いアジア、アフリカを始めとする地域に多くの枢機卿を任命して、欧州偏重から多様性へとシフトする政策を続けた。

それを受けて、世界71国から投票資格を持つ枢機卿が集まったため、意見が錯綜して余計に選挙が長引くと見られていた。

レオ14世は枢機卿時代、フランシスコ教皇の改革運動を支持する進歩派の内のやや中道寄り、というスタンス見られていた。やや中道寄りと言うのは、例えば彼は同性愛者などに対して、フランシスコ教皇ほど好意的ではなかったからだ。

だが彼の保守性は、フランシスコ教皇が率いる改革派に属しながら、守旧派の賛同も得やすいという効用ももたらした。

そうした状況が、出自が多彩な、従って意見の相違も大きいフランシスコ教皇派の枢機卿団と、保守派の意見の一致を速やかに演出して、結果素早い教皇選出になった。

彼は改革派と保守派また世界の分断にも橋を架ける能力のある人物、と選挙人である双方の枢機卿団が判断し、レオ14世に票が集まった、という理屈である。

ではなぜそうなったかと考えるとき、そこには故フランシスコ教皇の強い遺志が影響してしたのではないか、と僕は考えている。

清貧と弱者への奉仕を最大の義務と定めて、信徒の熱い信望を一身に集めたフランシスコ教皇は晩年、病と闘う日々の中で自らの葬儀を簡略にするためあらゆる改革を実行した。のみならず遺言にも残した。

死して後も、信者と共に謙虚と誠心の中に生きようとした教皇は― 先に触れたように― 在任中にアジア、アフリカまた中南米など、欧州を凌駕して信者が増え続ける地域で、教皇選出権を持つ枢機卿を多く任命した。

フランシスコ教皇は、死期が近づき病と闘う時間が重なった頃、自らが見出してその思想信念を教え諭した枢機卿らに、彼の死後のコンクラーベでは誰に投票するべきか、あるいは誰に投票して欲しいかを言い残していた可能性がある。

言葉を替えれば、教会の分断を解消し対立に橋を渡して信徒を救い、同時に世界にも貢献できるローマ教会の指導者は誰であるべきかを、「示唆」し続けた可能性が高い。

それゆえにコンクラーベでは、自分を含む大方の予想を裏切って迅速な結果が出たのではないか、と僕は推察するのである。

何はともあれ新教皇レオ14世は、世界14億のカトリック教徒とその共鳴者や友人、またその逆の人々までもが注視する唯一至高の聖職首座に就いた。

彼は「何者か」になったのである。

選ばれた「何者か」は、彼が誰であるのかではなく、「彼が何を為すのか」によって歴史の審判を受ける。

彼の前任である偉大な教皇フランシスコ、またその2代前のヨハネパウロ2世を含む、過去266人の全てのローマ教皇がそうであったように。

あるいは平成の天皇である明仁上皇が、 戦前、戦中における日本の過ちを直視し、自らの良心と倫理観に従って事あるごとに謝罪と反省の心を示し、戦場を訪問してはひたすら頭を垂れ続けて世界を感服させたように。





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 コンクラーベを横目に見ながら

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ローマ教皇を決める選挙・コンクラーベが5月7日の午後から開催されている。

133人の枢機卿がバチカンのシスティーナ礼拝堂に籠もって集って互選の投票を行う。

投票は一日に4回。午前と午後にそれぞれ2回づつ行われる。

結果は投票用紙を燃やして煙突から煙を上げることで外界に知らされる。

当選者が出ると白煙、出ない場合は黒煙が上がる。

投票初日の昨日は当選者は出なかった。2日目の今日も午前中2回の投票が不発に終わって黒煙が上げられた。

午後の結果はまだ分からない。

コンクラーベの様子はイタリアのメディアはいうまでもなく、欧州中また世界中のテレビやネットで生中継されている。

僕は仕事と菜園作りの合間に、イタリアのテレビと欧州の他の国際放送をザッピンしながら横目で追いかけている。

いくつものチャンネルを回し見るのは、コンクラーベがカトリック教の域を超えて、世界中の人々の注目イベントであり続けているのを確かめたい思いからだ。

僕はキリスト教徒ではないが、多くの非キリスト教徒のイタリア人や、キリスト教徒だが熱心な信徒ではない人々と同様に、強い関心を畏敬のオブラートで包んで静かにイベントを見守っている。

畏敬の念は、バチカンが多くの醜聞や問題に見舞われながらも、良心と誠心に沿って信徒を導き世界の不正や暴虐に立ち向かおうとする強い教皇を排出することが多いからだ。

最近では4月21日に亡くなったフランシスコ教皇や、2005年に逝去した教皇ヨハネパウロ2世などがその典型だ。

世界には多くの宗教がある。カトリックはその中でも最大のものだ。

その最大の宗教を率いる者が、フランシスコ教皇やヨハネパウロ2世のような優れた人格者であり指導者であることを僕は願う。

だからコンクラーベの行方が気にかかる。





映画「コンクラーベ」と「真正コンクラーベ」を較べて見れば

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4月初旬、映画Conclaveを日本からイタリアに飛ぶ便の中で観た。映画の日本語タイトルが「教皇選挙」であることは後にネットで知った。

内容は「新しい映画とは何か」という問いに十分に答え得るもので、そのことについて書こうと思っていた矢先、フランシスコ教皇が亡くなってリアルな教皇選挙、コンクラーベが開催されることになった。

僕はフランシスコ教皇が選出された2013年のコンクラーベの際に少し勉強して、秘密選挙であるコンクラーベについてある程度の知識を得ていた。それなので映画の内容がすんなりと腑に落ちた。

腑に落ちたというのは、リアルなコンクラーベの詳細を知った上で、フィクションである映画Conclaveのメッセージに納得したという意味である。

ローマ教皇は世界におよそ14億人いるカトリック教会の最高指導者。「イエス・キリストの代理人」とも位置づけられて信者の道徳的規範を体現する大きな存在である。

彼は同時にバチカンの国家元首として司法、立法、行政の全権も行使する。コンクラーベはそのローマ教皇を決める選挙である。選ぶのは教皇を補佐するバチカンの枢機卿団。

選挙人数は80歳以下の枢機卿120人とされる。だが一定ではない。今回のコンクラーベでは135名の枢機卿が投票資格を持つが、うち2人が病気で参加できないため133人が集って秘密選挙を行うと見られている

なぜ秘密選挙なのかというと、世界中から結集した枢機卿はバチカンのシスティーナ礼拝堂に籠もって、外界との接触を完全に絶った状況で選挙に臨むからだ。

電話やメールを始めとする通信手段はいうまでもなく、外部の人間との接触も一切許されない。メディアや政治家また権力者などの俗界の力が、選挙に影響を及ぼすことを避けるためだ。

選挙方法は枢機卿の互選による投票で、誰かが全体の3分の2以上の票を獲得するまで続けられる。第1回目の投票は5月7日の午後に行われ、そこで当選者が出ない場合は翌日から午前2回と午後の2回づつ毎日投票が実施される。

権力者を決める重大な選挙であるため、枢機卿の間では駆け引きと権謀術数と裏切りと嘘、また陣営間の切り崩しや脅しや足の引っ張り合いが展開されるであろうことは想像に難くない。

そこにはしたたかな選挙戦が進む過程で、最も職責にふさわしい人物が絞り込まれていく、という効用もある。

映画Conclaveは、現実のコンクラーベでは伺い知ることのできないそうした内実を描いている。無論フィクションだが、選挙にまつわる清濁の思惑、特に濁の魂胆が激しく錯綜する極めて世俗的な政治ショーを余すところなく見せる

映画の新しさとは、表現法や視点の面白さと、それを実現するに足る斬新な撮影テクニックの存在、中身に時代の息吹が塗り込められていることなどがある。

例えば1950年に発表された黒澤明の「羅生門」は、複数の人間が同じ事件を自身のエゴに即して全く違う視点で見、語るという表現法が先ず斬新だった。

さらに太陽にカメラのレンズを向けるというタブーを犯して暑さを表現したこと、移動レールに乗ってカメラが藪の中を疾駆するとき、木の枝がレンズにぶつかってはじける臨場感満載のシーン、殺し合う2人の男が怒りと恐怖で疲労困憊しながら獣の如く戦いのたうち回るリアリズムなど、思いつくだけでも数多い。

また「用心棒の」冒頭で斬り落とされた人間の腕を咥えた犬が走るカット、ラストで血が爆発的に噴き出す斬撃シーン、「蜘蛛の巣城」で弓矢が銃弾さながら激しく降り突き刺さるシーン、影武者の戦陣シーンで部隊の動きを長回しのカメラが流暢に追いかける計算されつくした構成、などなど数え上げれば切りがない。

それらは例えばクエンティン・タランティーノの「パルプフィクション」で死者がふいに起き上がるシーンや、「キルビル」で主人公が地中の棺桶から出て地上に這い上がる場面などにも通底する発明であり、発見であり、エンターテイメントだ。優れた映画、ヒットした映画、面白い映画には必ずそうした驚きがちりばめられている。

映画Conclaveには撮影テクニックや表現法などの新しい発明はない。その部分ではむしろ陳腐だ。だが今の時代の息吹を取り込んでいるという新しさがある。それがイスラム過激派のテロとLGBTQ+だ。

映画では人間のどろどろした動きが丹念に描かれるが、選挙の結論は中々出ない。行き詰まったかに見えたとき、イスラム過激派による爆破事件が起こり投票所(システィーナ礼拝堂を暗示する)の窓も破壊される。

すると保守派の有力候補が、イスラム教への憎悪をむき出しにして宗教戦争だ、彼らを殲滅するべきと叫ぶ。

それに対して1人の候補が「戦争ではキリスト教徒もイスラム教徒も同様に苦しみ、死ぬ。我らと彼らの区別はない。戦争は憎しみの連鎖を呼ぶだけだ」と説く。

その言葉が切り札となって、次の投票では彼に票が集まり、結局その候補が新教皇に選出される。

そして実は新教皇に選ばれたその人は「インターセックス」という性を持つ人物であることが、伏線からの流れで無理なく明らかにされる。

イスラム過激派のテロとLGBTQ+という、いま最もホットな事案のひとつをさり気なくドラマに取り込むことで、映画Conclaveは黴臭い古いコンクラーベを描きつつ新しさを提示している。

映画での新教皇の演説は、亡くなったフランシスコ教皇が2013年のコンクラーベで「内にこもって権力争いに明け暮れるのではなく、外に出て地理的また心理的辺境にまで布教するべき」という熱いスピーチを行って票を集めた史実を踏襲している。

またフランシス教皇が保守派の強い抵抗に遭いながらも、LGBTQ+の人々に寄り添う努力をした事実などもドラマの底流を成している。

2025年4月21日に亡くなったフランシスコ教皇の後継者を決める秘密選挙・コンクラーベは、間もなく蓋を開ける。

そこではフランシスコ教皇の改革路線を継承する人物が選ばれるかどうかが焦点になるだろう。

世界中に14億人前後いると見られるカトリック教徒のうち、約8割は南米を筆頭に北米やアフリカやオセアニアなど、ヨーロッパ以外の地域に住んでいる。

ところが聖ペドロ以来265人いたローマ教皇の中で、ヨーロッパ人以外の人間がその地位に就いたことはなかった。

内訳は254人がヨーロッパ人、残る11人が古代ローマ帝国の版図内にいた地中海域人だが、彼らも白人なのであり、現在の感覚で言えば全てヨーロッパ人と見なして構わないだろう。

ところが2013年、ついにその伝統が途絶えた。

南米アルゼンチン出身のフランシスコ教皇が誕生したのだ。先日亡くなったフランシス教皇その人が、史上初めて欧州以外の国から出た教皇だったのである

フランシスコ教皇は、教会の公平と枢機卿の出自の多様化を目指して改革を推し進め、アジア、アフリカを中心に多くの枢機卿を任命した。

5月7日から始まるコンクラーベで投票権を持つ135人のうち108人は、フランシスコ教皇が任命した枢機卿だ。出身国は71カ国に及び、ヨーロッパ中心主義が薄れている。

このうちアジア系とアフリカ系は41人。ラテンアメリカ系は21人いる。ヨーロッパ系は53人いて

依然として最多ではあるが、かつてのようにコンクラーベを支配する勢いはない。

バチカンの行く末は、信徒の分布の広がりを反映した多様性以外にはあり得ない。それに対応して、将来はヨーロッパ以外の地域が出自の教皇も多く生まれるだろう。

フランシスコ教皇はアルゼンチンの出身だが、先祖はイタリア系の移民だ。つまり彼もまたヨーロッパの血を引いていた。

だがそうではない純粋のアジア、アフリカ系の教皇の出現も間近いだろう。あるいは今回のコンクラーベで実現するかもしれない。

その場合、アジアのフランシスコとも呼ばれるフィリピンのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿などが、もっとも可能性があると考えられる。

そうはいうものの、しかし、下馬評の高かった候補が選ばれにくいのが、コンクラーベの特徴でもある。5月7日が待ち遠しい。









フランシスコ教皇の唯一の失策は中国との関係改善かもしれない

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フランシスコ教皇の葬儀が無事に終わり、バチカンは次の教皇を選ぶ選挙、コンクラーベの日取りを5月7日開始と定めた。

世界中から集まる133名の枢機卿が、バチカンのシスティーナ礼拝堂に籠もって秘密選挙を行う。

清貧を力に教会を改革し世界14億人の信徒の敬愛を一身に集めた第266代フランシスコ教皇に一点の曇りがあるとするなら、それは彼が長く対立していたバチカンと中国の和解を実現させたことだろう。

中国はカトリック教徒を弾圧していて国が認めた教会以外での礼拝を禁じている。

バチカンはそのことなどを主な理由に1951年から中国と国交を断絶している。

フランシスコ教皇は就任以来、その状態を改めて関係を修復しようと努めた。

そして2018年、司教の任命はバチカンと中国政府がそれぞれの関与を認め合う、という形で合意し和解した。

それはフランシスコ教皇が、中国に約1000万人いるとされる信者との結びつきを回復したいと願ったからである。

そうすることは教会の分断を食い止めるという信仰上の大義にも叶った。

だが信徒が共産党の権威に挑戦するのを防ぐため、「宗教の中国化」を掲げてカトリックへの締め付けをエスカレートさせる、習近平指導部と折れ合うことへの批判もバチカン内には強かった。

しかし対立よりも協調を重視しようとする教皇の強い意志によって、最終的には和解が成立した。

中国との関係では、フランシスコ教皇のロールモデルとも言える旧東欧出身のヨハネ・パウロ二世が、中国共産党を決して信用せず同国に厳しい態度で臨み続けたことと対照的である。

僕はその件に関してはどっちつかずの感慨を抱いている。

唯我独尊、反民主主義の独裁政権はおぞましいが、その悪とさえ対話し協調しようとする態度は千金に値する。

僕にはどちらの教皇の判断も正しいように見えるのである。



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死してなお民衆とともに生きる教皇フランシスコ

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4月26日、第266代ローマ教皇フランシスコの葬儀が執り行われた。

キリスト教徒ではない僕は、教皇の就任式や葬儀、また彼らの普段の在り方等々に接する場合、ほぼ常に天皇と比較して見、考える癖がある。

今回も同じだったが、偉大な人物だったフランシスコ教皇の前には、彼に勝るとも劣らない先達がいたことを、先ず書いておくことにした。

「(移民を拒む)壁を作るな。橋を架けなさい」とトランプ大統領を諭したフランシスコ教皇の葬儀は適度に荘厳なものだった。

適度に荘厳とは、例えば2005年に行われた第264代教皇ヨハネパウロ2世や、3年前に死去したエリザベス英国女王の絢爛豪華な葬儀などに比べれば質素、という意味である。

儀式全体の慎ましさはフランシスコ教皇の遺志によるものだった。僕はそこに、いかにも清貧を重んじたフランシスコ教皇の弔いらしさを見て心を打たれた。

葬礼はバチカンの伝統に則って執り行われた。従って威風堂々たるものだった。だが参加者の顔ぶれや人数や式次第などは、前述の2人の葬儀に比較すると見劣りがした。

それはフランシス教皇自身が、華美を徹底的に排した式次第を生前に言い渡し、信徒に向けては私の葬儀に出席するのは止めてその分の費用を貧しい人に与えてください、と遺言していたことなどが影響したと考えられる。

また棺が従来よりも簡素なものになり、葬儀のあり方自体も徹底して絢爛が払拭された。埋葬そのものでさえ平易化 された。

埋葬場所がサンピエトロ寺院からサンタマリアマッジョーレ大聖堂に変更され、埋葬自体も教皇の家族のみで行わた。墓には簡潔にFrancescus(フランシスコ)とのみ刻まれた。

それらは全てフランシスコ教皇の遺言によって実行されたものである

「貧しい人々と弱者に寄り添え」と言い続けた教皇は、ただそう主張するだけではなく、実際に清貧のうちに生きて自らを律した。死して後も虚飾を否定して、真に民衆と共に歩む姿勢を明確に示した。

その哲学は独自のものだったが、同時に先達もいた。

彼の生き様は、歴代の教皇のうち、善良な魂を持つ少なくない数の教皇らの足跡をたどったものでもあった。

例えば素朴な羊飼いの杖が、時間経過と共に変遷進化して十字架の形をした笏杖(しゃくじょう)になり、十字に3本の横棒が付いたものは教皇だけが使用できる特別な用具になった。

第262代教皇パオロ6世は、それを教皇の権威の象徴であり思い上がりだと非難して、3本の横棒の付いた笏杖を廃止し十字架のキリスト像を導入した

十字架の笏杖は、着座33日で死去したヨハネ・パウロ1世を経て、パウロ6世を事実上引き継いだヨハネ・パウロ2世によって最大限に活用された。

ヨハネパウロ2世は26年余に渡って教皇の座に居た。彼は多くの功績を残したが、最も重要な仕事は故国ポーランドの民主化運動を支持し、鼓舞して影響力を行使。ついにはベルリンの壁の崩壊までもたらしたことである。

さらに彼は敵対してきたユダヤ教徒と和解し、イスラム教徒に対話を呼びかけ、アジア・アフリカなどに足を運んでは貧困にあえぐ人々を支えた。同時に自らの出身地の東欧の人々に「勇気を持て」と諭して、既述のようについにはベルリンの壁を倒潰させたと言われている。

ヨハネ・パウロ2世は単なるキリスト教徒の枠を超えて、宗教のみならず、政治的にもまた道徳的にも人道的にも巨大な足跡を残した人物だった。

ヨハネパウロ2世が好んで用いたのが十字架上のキリストをあしらった笏杖である。彼は笏杖を捧げ持ち頭を垂れて沈思黙考し、あるいは沈痛な面持ちで神に祈る構えの写真を多く撮られている。

それは彼自身とバチカンの戦略であり、同時にメディアが仕組んだ構図だとも考えられる。

その絵はヨハネパウロ2世の功績にぴたりとマッチするものだった。彼は民衆に寄り添うと同時に権威も兼ね備えた完璧な存在だった。

世界各地の問題に真摯に立ち向かいつつ、強者には歯向かう恐れを知らぬ勇者だった。強さと謙虚と慈悲心に満ちた偉大な宗教者であり人格であったのがヨハネパウロ2世だ。

人々は彼がひんぱんに捧げ持つ笏杖は、宗教的存在としての彼の手引きであり、人間存在としての彼の誠心の象徴だと捉えた。

今般亡くなったフランシスコ教皇は、ヨハネパウロ2世によって枢機卿に叙任された。そのことからも分かるように彼は終生ヨハネパウロ2世を崇敬しその足跡をたどった。

同時に彼独自のスタイルも編み出し堅持した。

ひと言で表せばそれは清貧である。彼は徹底して貧者と弱者に寄り添う道を行った。彼にとってはヨハネパウロ2世の笏杖でさえあるいは奢侈に見えた。だからめったにそれを手にしなかったのではないか。

彼の師であり憧れだったヨハネパウロ2世も、むろん弱者に目を向け貧者を救う行動を多くした。同時に彼は巧まざる権威とカリスマ性にも満ちた稀有な存在だった。

フランシスコ教皇は自らを「弟子」と形容することがよくあった。それは言うまでもなくイエス・キリストの弟子であり、民衆に仕える謙虚な僧侶また修道士という意味の弟子であると考えられる。

同時にそこには自らをヨハネパウロ2世の弟子と規定する意味もあったのではないか、と僕は推察するのである。

フランシスコ教皇の葬儀は、彼の死生観と生前に発意した質素な内容の式次第に沿って進行し、見ていて清々しいものだった。

そこには眼を見張るほどの荘重さはなかったが、故人の生き様を表象する清廉さに満ちていた。

フランシスコ教皇は質朴に生き、弱者に寄り添い、強者に立ち向かう一点において、ついに彼の師であり憧憬でもあったヨハネパオロ2世を超えてはるかな高みに至り、輝いていると思う。



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訂正&お詫び

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415日記事「生の入相に遊ぶ島の春やイタリアの春」で、アーティストのPranks を学生時代の友人と書きましたが、正確にはPranksとは友人と女性の「男女二人のユニット」であるとの指摘を受けました。


ユニットを友人であるPranksと写真家、と私が思い込んでしまったのが間違いのもとでした。


訂正して深くお詫び申し上げます。


人間力で世界を魅了した教皇フランシスコ

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フランシスコ第266代ローマ教皇が死去した。

世界約14億人のカトリック信者の心の拠り所であるバチカンは、かつて大ヨハネ・パウロ2世の力で前進した。

だがバチカンは、彼の後任のベネディクト16世時代に後退、あるいは停滞した。

2013年、バチカンはフランシスコ教皇の誕生によって再び希望の光を見出し、前進を始めた。

フランシスコ教皇は徹底して弱者に寄り添う「貧者の教会」の主として、疎外され虐げられた人々を助け、同性愛者や破綻した信者夫婦の苦悩を受け留め、勇気を持って忠実に普遍的な愛に生きよ、と人々を鼓舞し続けた。

2019年には来日して、「核兵器の保有は倫理に反する」と呼びかけ核抑止論を真っ向から否定した。

彼はまたキューバとアメリカの関係改善に尽力し、バチカン自身と中国との和解劇も演出した。

同時にバチカンの改革も積極的に推進。シリア内戦に始まる世界紛争の終結を目指した活動にも余念がなかった。

フランシスコ教皇は、宗教的また政治的にも大きな存在だった。

だがそれよりも彼は、人間として偉大な人物だった。

清貧の象徴であるイタリア・アッシジの聖人フランチェスコの名を史上初めて自らの教皇名とした彼は、その名の通り飾らない性格と質素な生活ぶりで信徒は言うまでもなく異教徒にさえ愛され、尊敬された。

ローマ教皇という巨大な肩書きではなく、人格によって人々を平伏させたのがフランシスコ教皇だった。

それは現上皇である平成の天皇が、天皇という地位ではなく、人間力によって日本人と世界世論の深い尊敬を集めた事実とも重なる。





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生の入相に遊ぶ島の春やイタリアの春

喜平表650

3月末、島の海開きは寒くて浜に下りられなかったという知らせを那覇の栄町市場の飲み屋で聞き、4月2日から一週間、東京で花見をし、飲み、食べ遊んだ後、香港経由でイタリアに戻った。

イタリアも春である。

だが同じ春でも空気の芯に暑気が潜む島の春とは違う。

いわば冬を打ち負かした暖気が、じわじわと辺りの環境に染みこんで充満していくような、本来の春らしい空気感である。

菜園には雑草が生い茂っている。

まずチビ耕運機を駆って土を起こし、各種サラダ菜の種を撒き、トマトやピーマンやナスまたズッキーニなどの果菜類の苗を買って植え付けて行く計画。

日本からの戻りが遅かったので少し動きが鈍くなるが、これからでも野菜たちは十分に育ってくれるだろう。

東京では学生時代の友人のPranks(ペンネーム)君にも会った。

彼はほぼ60歳になろうとする頃ふいにイラストを描きはじめた。

10年ほど前の話だ。

還暦まで自らの絵描きの才能に気づかなかったという男は不思議だが現実だ。

数千枚が仕上がった時に展覧会や出版を行った。僕の記事にも幾つか使わせてもらった。

人生を振り返る年代になっても描き続ける彼の姿は、驚きと勇気と元気を辺りに振りまく。

僕を含む同年代の最早若くない者たちをも鼓舞して、頑張ろうという気にさせてくれる。

来し方を見返すのもいいが、人生は常に勝負と捉え心して進むべし、という生き方もまたありだろう。

テレビ屋の僕は、コロナ禍を機にもうロケには出ないと腹を決めたが、飽きが来ない限りは執筆に力を入れようなどと思っている。

執筆と旅と野菜作りが今の僕の日々である。

そこにはワインとビールと少しの日本酒などが彩りを添える




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南の島も時には寒かったりもする

トブゥリへの道と海800


3月末の島の海開き(浜下り)は、ぶるぶる震える寒さだったため誰も海には出ず、各家で名ばかりのビーチパーティを開いた、という知らせがあった。

島の春は急ピッチで暖かいが、時として寒い。

寒さの元凶は風である。

気温がそれほど下がらなくても、風が吹けば体感温度がぐんと下がる。

そして島はひんぱんに強い風に見舞われる。

加えて島の家々の暖房設備は手薄だ。

かくして島では風が吹きまくる外も、冷えるにまかせた家の内も寒い。

むろんそれは時たまに起こる現象である。

南の島の春は基本的に早く、暑気をはらんだ温もりに満ちている。

寒気はまれなのである。 


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地方紙の生きざまと限界と時どきトランプ大王と

trump netanyahu600

帰国して地方紙を読む機会が多くなっている。言うまでもなく、全国紙とは違ってローカルな話題を主に伝えるのが地方紙の面白さであり、力であり、同時に限界でもある。

限界の最たるものの一つが国際報道だ。経済的に弱小な地方紙は、ほとんどの場合海外に特派員や駐在記者を置く余裕はなく、共同通信などの通信社が配信する記事を採用している。

地方紙は海外のみならず、国内のニュースでさえ通信社の発する記事を頼みにしているケースが多い。

世界の地方紙の現実もほぼ同じだ。

ただ海外の場合、特にイタリアなど地方の多様性が盛んな国では、地方紙は独自の意見や主張を前面に押し出して、全国紙と張り合うケースが日常茶飯である。

そうしたことなども踏まえながら、旅先では僕は敢えて地方紙を手に取ってローカル色豊かな紙面を楽しむが、先日、心中に「?????」と疑問符が幾つも浮かぶ記事を見た。

共同通信発のその報告は、イスラエルが停戦合意を無視してガザ地区への攻撃を再開したことを「トランプ政権にとってウクライナ戦争の停戦交渉に加えてあらたな重圧となる事案が重なった」という趣旨の表現で記事を終えていた。

僕が「?????」となったのは、その表現があたかもイスラエルのネタニヤフ首相が「勝手に」停戦合意を破ってガザへの攻撃を再開した、というニュアンスだったからだ。

国際事情にも詳しいはずの共同通信の記者が発信した記事の内容は、彼の上司らも従って会社全体も、一様に同じ認識であることを意味していた。

だがそれはあまりにも井蛙な見解だ。今やネタニヤフ首相が、トランプ大統領の了解なしに停戦合意を破るなどはあり得ない。

攻撃再開はトランプ大統領のゴーサインを得て成されたと見るべきだ。

それどころかトランプ大統領自身が、イスラエルに攻撃再開を指示した可能性さえある。この時点では彼は、向かうところ敵なしの帝王だ。

弱体な地方紙は、国内外に強いネットワークを持つ共同通信の記事を、たとえ歪んだ内容でも受け入れざるを得なかった、ということだろう。

それもまた地方紙の限界である。もっとも記事の内容が屈折したものであることを、その新聞が気づいた上で採用したのなら、という条件付きだが。

トランプ大統領は、経済力で、ということはつまり軍事力でも、アメリカに並び追い越しそうな中国を牽制しつつ、プーチン大統領と手を組んで世界を分割統治することを目論んでいる節がある。

彼にとっては自由や民主主義などどうでも良く、ディール=取引きという「ビジネス・フェイクニュース」語を振りかざして、力を背景に相手を捻じ伏せる手法でアメリカの利益追求に没入している。

どこかで誰かが止めなければならないが、唯一の頼みである欧州でさえ米国の力には敵わない。

先の大戦で日独伊のファシズムを倒したアメリカは、事もあろうにファシスト以外の何者でもないトランプ氏を再び政権の座に据えた。

国内に対抗勢力を持たないトランプ政権は、暴走に暴走を重ねて行き着くところまで行き、かつての日独伊のように自滅することでしか目覚めない運命にあるのかもしれない。





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島の春

岸ビっヴりぃがっさ青葉コバルトブルー海面800

南の島の冬は憧れである。寒くないからだ。

島の春は活動的である。3月には早くも海開きがある。

海は僕の遊び場であり学びの場所であり続けた。

海では泳ぎ、釣りをし、追い込み漁に興奮し、潮干狩りを楽しみ、裸馬を駆って水浴びをしたりした。

僕は間もなく島を出て那覇に学び、大学進学で上京し、ロンドンの映画学校で学んだ。

その後、東京、ニューヨーク、ミラノでドキュメンタリー及び報道番組の制作に勤しんだ。

その間も海はいつも僕の関心の的であり、友であり、喜びであり続けた。

ロケやリサーチ旅の合間にも海に遊び、休暇ではほぼ常に海に親しむ。

島を出て以降も続けた海の遊びは釣りである。

釣行はアメリカでも、今住まうイタリアでも、時間が許す限り出かけた。

今この時の早春の島では、浜を歩き、潮風と戯れ、思い出に浸り、若葉色の内海とコバルトブルーの外海の絶景を楽しんでいる。

釣りで時間を潰すのはもったいないと感じる。

それは、あるいは、ただ単に自分が若さを失ったせいかもしれない。

が、釣りの獲物の動向に集中する緊張がない分、より平穏でリラックスした気分になれる。

得がたい時間である。




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トランプ主義はドイツを、究極には日本をも、核武装へと追い込むかもしれない

インタビューされるメルツ650

欧州は安全保障を巡って風雲急を告げる状況になっている。

トランプ大統領が、軍事同盟であるNATOへの貢献責務を放棄する可能性をほのめかしているからだ。

特に核を持たない国々は、ロシアを見据えて不安のどん底にある。

トランプ大統領は、ウクライナのゼレンスキー大統領とテレビカメラの前で前代未聞の口論を展開するなど、相も変らぬ恫喝外交を続けている。

その一方では貿易相手国に関税をかけまくると叫び、欧州から、厳密に言えばドイツから米軍を引き上げる、NATO内での核シェアリングをやめる、などとも示唆している。

その中でも、特に核シェアリング否定発言に関して敏感に反応したのが、ドイツの次期首相と目されるフリードリヒ・メルツ氏だ。

彼はドイツと欧州が、アメリカから独立した安全保障体制を構築すると同時に、NATO内の核大国である英国またフランスと核シェアリングをするべき、という旨の発言をした。

だがその本音は、ドイツ独自の核開発であり核兵器保有だろうと思う。

ドイツでは核兵器の開発保有は、それを話題にすることさえタブーであり続けてきた。日本とよく似た状況だったのだ。

だがトランプ独断専行大統領の脅しに驚愕したメルツ氏は、やすやすとそのタブーを破った。

アメリカ第一主義をかざして、欧州との長い友好関係さえ無視するトランプ大統領に、オーマイゴッド・いざ鎌倉よと慌てた欧州首脳は、メルツ氏に限らず誰もが怒りと不安を募らせている。

彼らはトランプ&ゼンレンスキー両大統領が口論した直後、ロンドンに集まって緊急会合を開き、前者が切り捨てようと目論む後者をさらに強く抱擁、ウクライナへの支持を改めて確認し合った。

友好関係を金儲け論のみで捉えるトランプ主義は、権威主義者のロシア・プーチン大統領を賛美するばかりではなく、欧米ほかの民主主義友好国を大きく貶めている。

日本も見下される国の一つだ。

今のところは欧州やカナダまたメキシコなどの国々ほどなめられてはいないが「アメリカの同盟国」である日本を見るトランプ大統領の心情は容易に推察できる。

日本は欧州と同じく安全保障をアメリカに頼り過ぎて来た。いま日本が置かれている状況は、それぞれに「友人国同士が多い欧州内の国々」とは違う。

日本は孤立している。その意味ではむしろウクライナに近い。ウクライナにおけるロシアの代わりに、例えば中国が日本に侵攻しないとは誰にも断言できない。

日本は中国ともまたロシアとも友好的な関係を保ちつつ、アメリカに頼らない独自の安全保障も模索するべきだ。そこには核戦略が含まれても驚くべきではない。

人類の理想は核の無い世界であり戦争ゼロの世の中である。先の大戦で地獄を見ると同時に唯一の被爆国ともなった日本は、飽くまでも理想を目指すべきだ。

だが同時に国際政治にも目を配らなければならない。政治とは現実である。そこには軍備は言うまでもなく核戦略まで含まれる。

それらをタブー視しているばかりでは物事は解決しない。その善悪と、是非と、実現可能性の有無、またそれへの全面否定も含めて、日本は国民的議論を開始するべきだ。

メルツ・ドイツ次期首相の英仏との核シェアリング、ひいてはドイツ独自の核保有まで暗示した発言は、不本意ながら日本にも当て嵌まる、と見るのがつまり政治の厳しさである。




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トランプとAfDはやはり深く通底している

zelensky-trump-thumb-1 650

ウクライナのゼレンスキー大統領と米トランプ大統領が、テレビカメラの前でおどろきの醜態を演じた。

世も末に見える大口論を見ながら、僕はトランプ政権が賛美するドイツのAfDを想った。

先日のドイツ総選挙で躍進した極右のAfDは、しれっとして黒を白と言いくるめるトランプ軍団に似た不吉な気配を帯びている。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、ドイツのAfDはヒトラーをよく知っている。

だから彼らは野党でいる限りは、けたたましくも醜怪なだけの政治集団に留まるだろう。

しかし彼らが単独で政権を握るような事態になれば、トランプ“笑えないお笑い”大統領が、「独裁者はプーチンではなくゼレンスキーだ!」」とコペルニクス的大発明をわしづかみにして、世界に投げつけたような事件が起きないとも限らない。

それは例えば、彼らが「ヒトラーは独裁者でも悪魔でもない。独裁者の悪魔はユダヤ人だったイエス・キリストだ!」と神がかり的な発見を発明して興奮し、全ての教会とユダヤ人を殲滅しようと企てるような顛末である。

トランプ大統領の言動の多くとAfDの躍進には、それくらいの潜在的な危険がある。

僕はドイツ国民とアメリカの半数の国民の正気を信じる。

だが、ドイツには前科があり、アメリカ国民の半数は-徐々に明らかになったように-陰謀論やデマに踊らされやすい愚民である事実が、多少気がかりでないこともない。


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あるいはトランプとAfDの真実

女性trump-hitler写真を掲げる

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、ドイツのAfDはヒトラーをよく知っている。

だから彼らは野党でいる限りは、けたたましくも醜怪なだけの集団に留まるだろう。

しかし彼らが単独で政権を握るような事態になれば、トランプ“笑えないお笑い”大統領が、「独裁者はプーチンではなくゼレンスキーだ!」とコペルニクス的大発明をわしづかみにして、世界に投げつけたような事件が起きないとも限らない。

それは例えば、彼らが「ヒトラーは独裁者でも悪魔でもない。独裁者の悪魔はユダヤ人だったイエス・キリストだ!」と神がかり的な発見をして興奮し、全ての教会とユダヤ人を殲滅しようと企てるような顛末である。

トランプ大統領の言動の多くとAfDの躍進にはそれくらいの潜在的な危険がある。

僕はドイツ国民とアメリカの半数の国民の正気を信じる。

だが、ドイツには前科があり、アメリカの半数は-徐々に明らかになったように-陰謀論やデマ踊らされやすい愚民である事実が、多少気がかりでないこともない。


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AfDの恐怖はありきたりになって、故にさらに危険が増した

Weidel大&Merz650

ドイツ総選挙の結果は驚きのないものだった。極右のAfDが躍進して、第1党の「キリスト教民主・社会同盟(CDUCSU)」に次ぐ2位につけた

だがそれは早くから予想されていた展開で、目新いものではなかった。

ならばAfDの危険はなくなったかと言えば、もとより全く逆で、2021年の前回選挙に比べて支持を倍増させた極右党の勢力が今後も続伸すれば、やがて世界をも激変させかねない事態だ。

だが第1党になったキリスト教民主・社会同盟は、「ファイアウォール(防火壁)」を盾にAfDとの連携を拒否している。従ってAfDが近い将来に政権入りする可能性は低い

ドイツの「ファイアウォール(防火壁)」はナチスへの嫌悪と反省から生まれた。極右政治がタブー視され、政党間でAfDを政権から排除する合意が形成されたものである。

だが仮にAfDが政権の一角を担うことになっても、彼らは生の主張をそのまま前面に押し出すことはないと僕は考えている。

それはここイタリアの極右「イタリアの同胞」とそれを率いるメローニ首相が、極右からより穏健な急進的右派へと舵を切って進んだ例を見れば分かる。

ここイタリアでは政治土壌の要因子である多様性がそれを成し遂げるが、ドイツにおいては国内のリベラル勢力とEUの中心勢力が、極右モメンタムを厳しく抑制すると思う

また客観的に見て、AfD自体も過去のナチ党 (国民社会主義ドイツ労働者党)とヒトラーの轍を踏むとは考えにくい。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、AfDとその支持者たちは巨大な負の遺産であるヒトラーを知悉している。その現実が彼らのナチス化を厳しく制すると思うのである。

そうではあるが、しかし、トランプ主義がトランプ氏以後、ヴァンス副大統領を始めとする“トランプの金魚の糞”勢力によって席巻され続ける場合は、状況が全く違うことになるだろう。

欧州ではAfDとそれに付き従うと見られる極右政党がさらに力を付けて、社会情勢がかつての日独伊三国同盟時代のような暗黒に向かいかねない。

人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼ら極右過激派の悪意は、易々と世の中を席巻する。歴史がそれを証明している。

従って彼らは拡大する前に抑え込まれたほうがいい。放っておくとかつてのナチスのごとく一気に肥大して、制御不能な暴力に発展しかねない。

とはいうものの、繰り返し強調しておきたい。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではない。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのである。

しかしそれでも、いやそうだからこそ、極右モメンタムは抑さえ込まれたほうがいい。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきだ。

なぜなら正義を振りかざし天使を装う狡猾な悪魔も、悪魔には違いないからである。





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トランプのマブダチAfDの恐怖

Trump&Weilde合成

2月23日に行われるドイツ総選挙を、極右政権下にあるイタリアからじっと見ている。ドイツの極右AfDがどこまで勢力を伸ばすかが最も気になるところだ。

AfDは各種世論調査で、キリスト教民主・社会同盟の30%に次ぐ20%の支持率を維持しているとされる。

ドイツの支持率統計は正確だと証明されているが、アメリカの隠れトランプ支持者と同じように、隠れ極右支持者がいる可能性もある。驚きの結果が出ないとも限らない。

AfDはトランプ政権、またプーチン大統領らと同じ穴のムジナである。その周りにはトランプの吼えるポチ、マスク氏がいて、彼はAfDはドイツの救世主だと叫んでいる。

彼らに親近感を抱きつつ遠くない場所から眺めているのが、ここイタリアのメローニ首相である。彼女はトランプ大統領とマスク氏の友人だ。友情の大本にはむろん政治イデオロギーがある。

メローニ首相は極右と呼ばれ、極端なケースではネオファシストと規定されることさえある。

だが彼女は政権樹立後は中道寄りにシフトし、穏健な極右あるいは急進的右派とでも形容できる政治姿勢を保っている。

EU(欧州連合)とも良好な関係を築き、それどころか時にはEUの中心的な役割さえ演じて、僕が規定する「欧州の良心」を体現する姿態さえ見せる。

彼女がそうなったのは、イタリア共和国の真髄にある多様性がもたらす必然である。

イタリアの政治風土には、多様性が乱舞するが故の極論や過激思想が生まれやすい。が、それらの極論や過激思想は、同じく多様性故により穏健へと向かうことを余儀なくされる。

メローニ首相と彼女が率いる極右政党「イタリアの同胞」は、トランプ主義と親和的だが、同時にそれと対立しがちな欧州の良心と民主主義を守ろうとする力でもある。

ドイツのAfDも、政権の一角を担うことがあれば、イタリアの同胞と同じ道を辿る、と僕は考えてきた。

もっともそれは、イタリアの国民性とは違い、キレると歯止めが効かなくなるドイツの民意の存在の可能性、という不安を脇に置いての話だが。

世界政治の舞台では、イタリアは日本と同じく取るに足らない存在だ。一方ドイツは強い影響力を持つ。従ってAfDの躍進は大きな脅威だ。

それでも同政党が単独で政権を握らない限り、ドイツのリベラル勢力と欧州全体のそれが抑止力となって、AfDの暴走はきっちりと止められると僕は考えてきた。

しかし、第2次トランプ政権の誕生でその見通しには霞がかかり始めた。

ロシアとさえ手を結ぶトランプ主義が、今後も勢いを増して世界を席巻すれば、それに引きずられて欧州の極右も本性を露わにする可能性が高まる。

その際に、イタリアのメローニ首相がトランプ主義に引きずられるか、あるいは欧州の良心を守る砦の一角に留まり続けるかは、世界が真にどこに向かうかを占う手がかりになるかもしれない。

言うまでもなくなく将来、AfDが単独で政権を握るような事態になれば、そしてトランプ主義が今と同じく猛威を振るっていれば、イタリアの政治状況などほとんど何の意味を持たなくなるだろうが。。



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見えてきたトランプの野望らしきもの

憎しみの塊トランプ800

関税に固執するトランプ大統領の頭の中にあるのは経済のことであり、経済を強くすることで彼の支持者を満足させ、アメリカを偉大に、つまりMAGAを達成することである。

それがトランプ政権の使命であり彼の支持者が熱望することだ、というのは一面の真実に過ぎない。

経済力が強くなるとは、要するに軍事力が拡大することでもある。トランプ大統領のひそかな野望は、経済を強くし軍事力を高めて世界を支配することかもしれない。

それというのも彼は、政権発足と同時にかねてからの主張だったグリーンランドを占領し、パナマ運河を収奪し、カナダをアメリカに併合すると公言し、そこに向けて動いている。

そればかりではない。アメリカファースト、つまりアメリカの孤立主義を捨ててガザを軍事支配し、住民を排除してリゾート地に作り変えるとまでうそぶいている。

それらの主張は帝国主義への先祖がえり以外の何ものでもない。どうやら彼は専制政治を導入して世界を支配したいようだ。

もしそうならば、一党支配の元で覇権主義に走っている中国の習近平主席や、ソビエト再興の野望を抱いてウクライナを席巻し、さらに支配域を広げることを夢見るロシアのプーチン大統領と何も変わらない。

それどころかトランプ主義の専横は、民主主義を騙たる分だけ質ちが悪いとさえ言える。

トランプ主義の岩盤支持者らは、トランプ氏が選挙キャンペーン中に強調した「戦争をしない」、「ウクライナとガザの戦争を止める」、「誰も死なせない」などのキャンペーンにも熱狂した。

アメリカはかつて世界の警察と呼ばれ、民主主義を守るという大義名分を掲げて多くの国に介入し戦争を仕掛けてきた。

トランプ支持者の国民はそのことにウンザリしている。だから彼らは戦争をしないと明言したトランプ氏を支持した。彼らはトランプ氏が平和主義者とさえ信じた。

だが果たしてそうだろうか?トランプ大統領は、先に触れたように、グリーンランド獲得とパナマ運河収奪に軍事力を使うことも辞さないとほのめかしている。

ガザの場合には米軍を投入しそこを占領して、瓦礫を片付けリゾート地を造るとさえ明確に述べた。それらは容易に戦争を呼び込む施策だ。

トランプ大統領は民主主義を守る戦争はしないが、侵略し、収奪し、支配する戦争は辞さない、と主張しているようなものだ。

仕上げには彼は、ロシアに蹂躙されるウクライナを「加害者」と断じた。向かうところ敵なしの狂気であり凶器である。

トランプ大統領の本性は僭王であり侵略者であり独裁者のようだ。危険極まりない。





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トランプ主義の怖さの真髄

トランプ瓦礫背景に

トランプ大統領は関税を武器にカナダとメキシコを平伏させ、 返す刀でガザの住民を追い出してリゾートに造り返る、というぶっ飛んだ案を発表した。

それはまさしくヒトデナシにしか思いつけないグロテスクな考えだ。なぜならそこには、イスラエルに痛めつけられた人々への憐憫の情がひとかけらもないからだ。

まさに金のためなら何でもする“不動産開発業者“の発想でしかない。アメリカ合衆国大統領の戦略的思考とはとても言えない。

人間を人間と見なせない者は人間ではない。

それがトランプ大統領の「ガザの住民を全て排除して“中東のリビエラ”にする」という発言を聞いたときの僕の率直な思いだった。

潰滅したガザを、故郷を、追い出されるパレスチナ人は、なんと哀れで何と屈辱にまみれた存在だろうか。

ところが行き場を失くしたパレスチナ人の中には、悲しいことにトランプ大統領の提案を受け入れる者も出るだろうと見られている。

ガザの疲弊はそれほどに深く徹底したもので、回復不能とさえ考えられているからだ。

ガザを壊滅させたのは、トランプ大統領の発言をニヤニヤ笑いながら隣で聞いていたネタニヤフ首相である。

彼はまるで米大統領の発言を引き出すために、ガザの破壊と殺戮を実行したようにさえ映った。

ネタニヤフ首相と、パレスチナの消滅を熱望するイスラエル内外のウルトラ極右シオニストらの罪は深い。

住民を追い出してガザをリゾート地に作り変えようという案は、政権内の高官らが集い意見を出し合ってじっくりと練ったものではなく、トランプ大統領独自のものらしい。

いかにも“不動産開発業者”トランプ氏が思いつきそうなアイデアだが、恐らくその前に、娘婿のジャレッド・クシュナー氏の入れ知恵があったのではないか、とも言われている。

ユダヤ人のクシュナー氏は、パレスチナを地上から消すと考える同胞と同じ立場で、ガザを開発して金を儲けると同時に、そこの住民をイスラエルのために排除したいと願っているらしい。

自らの家族と金儲けのためにはひとつの民族を浄化することさえ辞さない、という考えはすさまじい。トランプ一族の面目躍如というところだ。

皮肉なことにトランプ氏のアイデアは、その非人間的な側面を敢えて脇において観察すれば、ある意味天才的とも呼べるものだ。邪悪でユニークな思いつきなのだ。

徹底的に破壊されて瓦礫の山と化し、もはや人が住めない状況にまでなっているガザ地区を、米軍を中心とするアメリカの力で整理して立て直す。

それは他国の内政には首を突っ込まない、というトランプ大統領の「アメリカ第一主義」に反する動きになるだろう。

ガザ地区をアメリカが一旦支配して元通りに整備する、というのがガザ住民のためのアクションなら、人道的見地からもすばらしい案である。

しかし残念ながら、彼が考えているのは住民を完全無視した金儲け案だ。むごたらしいまでの我欲。

繰り返しになるが、とても人間とは思えない惑乱ぶりである

トランプ主義は、行き着けば自由主義社会全体の総スカンを食らう可能性がある。

そうなった場合、欧州とアラブ・アフリカ、またトランプ追従に見切りをつける見識があれば日本も、たとえば中国と手を組む可能性があり得る。

独裁国家、権威主義政権として欧米と日本ほかの民主主義世界に忌諱されている中国だが、トランプ主義の挙句の果ては、つまるところ中露北朝鮮にも似た恐怖政体だ。

ならば“トランプ小帝王“に苛められ脅迫され続けるよりも、中国のほうが御しやすい、と自由主義社会が判断することがないとは、誰にも言えないのである。




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繰り返し、何度でも言おう“モンスター・ネタニヤフよユダヤ人を貶めるな”

Plight of Jewish Children  Holocaust Encyclopedia650

ホロコースト終焉80周年の記念日には襟を正さずにはいられない。悪夢という言葉さえ無力な暗黒の歴史は決して繰り返されてはならない。

ところがことしの記念日は普通とは違う。

まるでホロコーストを忘れたような反ユダヤ感情の高まりの中でやってきたのが悲痛だ。

全てはイスラエルによるガザ住民の虐殺が招いている仇し草である。

責任はイスラエルのネタニヤフ首相にある。

彼はホロコーストを免罪符にしてパレスナ人を殺戮してきた。停戦合意に至っても虐殺は続いている。

彼の蛮行は反ユダヤ主義のうねりを招いている。

ユダヤ人が、「ネタニヤフと取り巻きのシオニストは我われとは違う」と弁明しても、グローバル世論は承知しない。

人々は、イスラム過激派の蛮行をイスラム教徒と結びつけてしまうように、ネタニヤフ・イスラエルの暴虐を無垢なユダヤ人と結びつけてしまう。

そうやって反ユダヤ感情が湧き上がる。

ネタニヤフよ、もうこれ以上ユダヤ人を貶めるな、と僕は再三再四何度でも繰り返し主張する。




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