【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

不幸中の不幸という大悲運 

希望の道650

僕は先日、東日本大震災10周年に際して何か書くつもりで今月のはじめあたりから構えていたが、いざ3月11日になるとその気になれなかった、と書いた。

つまり出来事があまりにも巨大すぎて、その巨大さに負けて何も書けない、と言ったのである。だがそれは,事案の大きさを強調したい気持ちを言い訳にした逃げだと気づいた。

つまり僕は考えることを放棄して、事が重大すぎて僕には表現できない、と辞柄し書くことから逃げた。そう気づいたのであらためて考え、書くことにした。

僕が大震災10年の節目に何かを書く気を失ったのは、主にNHKの良質の報道番組やドラマに接して、文章に無力感を覚えたからである。

東日本大震災から10年の節目ということで、NHKは僕が知る限り3月の初めころから多くの関連番組を放送してきた。

ニュースや特集番組またドキュメンタリー。さらにドラマもあった。綾瀬はるか主演の『あなたのそばで明日が笑う』また遠藤憲一主演の『星影のワルツ』は実際に見た。

ほかにも「ハルカの光」「ペペロンチーノ」など、大震災を扱ったドラマがいくつかあったらしいが、前述の2作以外は見逃した。

民放のドラマ「監察医朝顔」でも大震災で行方不明の母親をモチーフに家族の物語が展開する。昨年に続いてそれもずっと見ている。

被災者の苦難と葛藤と痛みは尽きることなく続いている。また家族を失った遺族の悲嘆も終わることはない。だがそれらは時間とともに癒される可能性も秘めている。

なぜなら少なくともそれらの被災者の皆さんは、不幸にも亡くなってしまった愛する人々との「別れ」の儀式を済ませている。再出発へのへの区切りあるいはけじめをつけることができたのだ。

一方、行方不明の家族を持つ人々にはその安らぎがない。彼らは永遠に愛する家族を待っている。時には重過ぎるほどのこだわりが被災者の生を支配している。

日本人が遺体にこだわるのは精神性が欠落しているから、というキリスト教徒、つまり欧米人の優越感に基づく言い草がかつてあった。今もある。

キリスト教では人は死ぬと神に召される。召されるのは魂である。召された魂は永遠の生命を持つ。だから肉体は問題にならない。言い方を変えれば、精神は肉体よりも重要な事象である。

肉体(遺体)にこだわって精神を忘れる日本人は未開であり、蒙昧で野蛮な世界観に縛られている、とそこでは論が展開される。

それは物理的、経済的、技術的、軍事的に優勢だった欧米人が、自らの力を文化にまで敷衍して、彼らはそこでも日本人を凌駕する、と錯覚した詭弁だ。

物理、経済、技術、軍事等々の「文明」には疑いなく優劣がある。しかし、精神や宗教や慣習や美術等々の「文化」には優劣はない。そこには違いがあるだけである。

それにもかかわらず、かつてはキリスト教優位観に基づくでたらめな精神論がまかり通った。面白いことに、日本人自身がそんな見方を受け入れてしまうことさえあった。

それは欧米への劣等感に縛られた日本人特有の奇怪な心理としか言いようがない。欧米の圧倒的な文明力が日本人を惑わせたのである。

日本人が遺体に執着するのは、精神に加えて肉体が紛れもなく人の一部だからだ。両者が揃ってはじめて人は人となる。死してもそれは変わらないと日本人は考えている。それが日本の文化である。

同時に日本人は遺体を荼毘に付することで肉体的存在が精神的存在に昇華すること知っている。僕自身もその鮮烈な体験をした。

母を亡くした際、母の亡きがらがそこにある間はずっと苦しかった。だが、一連の別れの儀式が終わって母の骨を拾うとき、ふっきれてほとんど清々しい気分さえ覚えた。

それは母が、肉体を持つ苦しい存在から精神存在へと変わった瞬間だった。僕は岩のような確かさでそのことを実感することができた。

片や、彼らのみが精神を重視するとさえ豪語する欧米人は、「再生」という存意にもとらわれていて、遺体を焼き尽くすことはしない。

荼毘に付して遺体を消滅させてしまうと、再生のときに魂の入る肉体がないから困る。だから遺体は埋葬して残す。

その点だけを見ると、再生思想にかこつけて遺体を埋めて温存しようとするキリスト教徒の行為こそ、肉体にこだわり過ぎる非精神的なもの、という考え方もできる。

だがそれは「山と言えば川と言う」類の、不毛な水掛け論に過ぎない。信じる宗教が何であろうが、死者の周りで精神的にならない人間などいない。

精神を神に託すのも、荼毘を介して精神存在を知るのも、人間が肉体的存在であると同時に「精神的存在」でもあるからだ。

日本人(非リスト教徒)は、遭難や事故や災害で亡くなった人の遺体が見つからないといつまでも探し求め待ち続ける。肉体(遺体)にこだわる。

だが実は、津波で行方不明になった肉親を家族がいつまでも探し続けるのは、遺体にこだわっているのではなく、その人に「会って」生死を確かめたいからである。

会って不幸にも亡くなっていたなら、荼毘に付して精神的存在に押し上げてやりたいからである。それは死者の魂が神に召される事態と寸分も違わない精神的営為である。

同時にそこには―あらゆる葬礼がそうであるように―生者への慰撫の意味合いがある。生者は遺体に別れを告げ荼毘に付することで悲運と折り合いをつける。

けじめが得られ、ようやく大切な人の死を受け入れる。受け入れて前に進む。前に進めば、時が悲しみを癒してくれる可能性が生まれる。

だが生死がわからず、したがって遺体との対面もできない行方不明者と、家族の不幸には終わりがない。けじめがつけられないから終わりもない。そうやって彼らの不幸は永遠に続く。

被災地と被災者の周囲には、行方の知れない大切な人を求め、思い、愛し続ける人々の悲痛と慟哭が満ち満ちている。僕はせめてそのことを明確に記憶し、できれば映像なり文章なりに刻印することで、彼らとの絆を確認し続けようと思う。







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伊コロナ地獄の象徴絵

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2020年3月18日、つまり昨年の今日、世界最悪のコロナ被害国になりつつあったイタリアのロンバルディア州ベルガモ県の道路を、15台の軍用トラックが列を作って通った。

荷台に積み込まれた荷物は全て新型コロナ被害者の遺体。ベルガモ県内の墓地も火葬場も受け入れ限界を超えたため、隣接のエミリアロマーニャ州まで遺体を運んで火葬することになったのだ。

イタリア政府はその悲しい現実を記憶にとどめるために、3月18日を「新型コロナ犠牲者を悼む日」と定めた。今日がその1周年記念日ということになる。

当時のイタリアのコロナ死者は2978人。1年後の今日の103432人に較べたら嘘のような少なさだが、それは死者の山のほんの始まりに過ぎなかった。

イタリアの惨状は速やかにスペイン、フランス、イギリス、アメリカなどに伝播。欧州の優等生という陳腐な異名を持つドイツにも広がった。

正確に1年後の今、アメリカとイギリスはワクチンの普及が進み、イタリアほかの欧州各国はワクチン不足に悩まされている。

コロナ変異種の猖けつにおののいているイタリアは、昨年3月-5月、クリスマスから正月に続いて3度目のロックダウン中。

2021年3月18日現在、イタリアの累計コロナ感染者数はアメリカ、ブラジル、インド、ロシア、イギリス、フランスに続いて世界7番目の3281810人。

死者数は既述のように103432人。欧州ではイギリスの次に多い世界6番目の悲惨な状況である。

またワクチンの接種者は2211454人(2回接種者)。回数は4955597(1回接種者含む総計)。

ワクチンの接種状況は予定より大幅に遅れている。

イタリアはワクチンが行き渡るまでは、他の欧州諸国と同じように、ロックダウンやロックダウンに近い移動規制を繰り返しながら進むことになる。








ロックダウン・ぶるーす



焚き火、ビール、サルミ&豆腐800

2020年の過酷なロックダウン開始から1年と5日目の今日、イタリアは再び都市封鎖を敢行した。

ただし今回は全国20州のうち11州が対象。

残り9州のうち8州にはややゆるい準ロックダウンが適応される。

島嶼のサルデーニャ州は唯一、規制の対象から外れる。島の感染防止策がうまくいっているからだ。

期日は復活祭が終わる4月5日まで。

復活祭期間の4月3日~5日はサルデーニャを除く全土が完全封鎖される。復活祭中は例年、祭りを祝う人の動きが盛んになるからだ。

2020年3月10日からのロックダウンに比べて世間が割と穏やかに見えるのは、国民がコロナに慣れたから。危険は人々が慣れた分、むしろ高まっていると見るべきだろう。

昨年の第1波以来、常に最悪の感染地であり続けているロンバルディア州に住まう僕にとっては、いわば毎日が変わらずロックダウン中である。

食料の買出しや仕事また通院などでは外出できるが、必ず自己申告の外出証明書を携帯しなければならない。

僕はその証明書とマスクまた消毒液等を常時車に積んで動くのが習慣になっている。わが家は田園地帯にあって何をするにも車が必要なのである。外出しない時はむろん自宅に留まっている。

僕は必要以外には全く外出をしないで、執筆を含む仕事とWEB巡りと読書三昧の暮らしをしている。その合間にテレビも結構見る。 日伊英3ヶ国語のニュースとスポーツ。また主にNHK系の日本のドラマ。

コロナ禍以前からやっている料理もよく作る。春から夏には菜園も耕す。夜はRAI(イタリアのNHK)の8時のニュースをじっくり見ながらワインやビールを飲む、という暮らし。

昨年はロックダウンが明けた6月から8月の間は、感染拡大がかなり収まったこともあって外出もひんぱんにした。

バールでワインを楽しみレストランにもよく出かけた。常にマスクをして対人距離を取り、密を避ける努力をしながらの動きだったが、それなりに楽しく時間を過ごした。

バカンス期が過ぎて再び感染拡大が始まってからは、毎日がほぼロックダウンの状態に戻った。そこでは庭で焚き火をすることも覚えた。

日本のコタツにヒントを得たと考えられる鉄製の焚き火台が手に入った。冬の間しきりに焚き火をした。

実を言えば、2021年3月半ばの現在もーまたおそらく今後もしばらくはー焚き火台のぬくもりと明かりを大いに楽しんでいる。

午後5時ころから暗くなる7時あたりまで、暖まりつつ、例によってワインをはじめとする酒を楽しむ。読書をするときもある。

そこでもチーズやサラミまたプロシュットをはじめとするいわゆるサルーミ(加工肉)類、自分で作る肴などをさかんに食べる。

結果、動かず飲んで食べる日々が重なって、体は丸くなりナチュラル落髪も進んで頭はテカるものの、人間のできていない悲しさで心は未だ丸くはなりきらない。

それでも寒さが大きく和らぐまでは庭火を続けるつもりでいる。泣いても怒っても楽しんでも同じ人生。ならば泣かず怒らず楽しむべき、と信じるからである。

そんな具合に退屈しない毎日だが、それでも自在に外出をできない生活には少しうんざり気味、というのが正直なところ。

この閉塞状況から脱出するにはワクチンの普及しかないことは明らかだ。相変わらずワクチンを一日千秋の思いで待ち続けている。





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大震災10年目に思う


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東日本大震災10周年に際して何か書くつもりで今月のはじめあたりから構えていたが、いざ3月11日になるとその気になれない。

何を書いても大震災の巨大な悲劇の前では浅薄で実がなく口からでまかせのような印象がある。

その気分は10周年を振り返るNHKの報道やドラマやドキュメンタリーを見る間にいよいよ募った。

多くの犠牲者と、いまだに避難を続ける4万人余りの被災者、そして2529人の行方不明者。行方不明者の周囲に渦巻く深い悲しみ。

それらをあらためて知らされると、下手な文章で下手な感情移入などできない、と腹から思うのである。

2011年5月、微力ながら東北の被災地を援助するために自家の庭でチャリティーコンサートを催した。

多くの人の力でそれはうまく行った。

コンサートが終わった直後から、次は10周年の節目にまた開催しようと決めていた。だが昨年からのコロナ禍でとうていかなわない夢となった。

コロナパンデミックは大震災の思い出さえも消しかねいほどのインパクトを世界に与えた。

あまりにも大き過ぎる不幸の記憶は、それでも決して消えはしないが、そこに思いを込める時間が短くなったのは否定できない。

その意味でもコロナパンデミックは、重ねて憎い現象だと繰り返し思う。

時間が過ぎて心騒ぎが少し治まったとき、思うところを書けるなら書こうと心に決めている。

なぜならたとえあの大震災といえども、記憶はひたすら薄らいでいくことが確実だから、いま書けることは書いておくべき、と考えるからである。



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ロックダウン1周年の憂うつと希望と


モクレン壁込み中ヨリ2021年3月8日650

2020年の今日、イタリアは新型コロナの感染拡大防止のために全土のロックウンを断行した。

薬局と食料品店を除くすべての店が閉鎖され、病気治療や食料の買出し以外の国民の外出が厳しく制限された。

イタリアは、そのほぼ20日前の2月21日から23日にかけて、クラスター絡みの感染爆発に見舞われた。

感染者と死者が激増する中で医療崩壊が起こり、北部の感染爆心地では、軍のトラックが埋葬しきれない遺体を満載して列を成して進んだ。

その凄惨な映像は世界を震撼させた。

ロックダウンはイタリアの前に中国の武漢でも行われた。だがそれは国民を思いのままに生かし、殺すことができる独裁国家での出来事。

民主主義国家イタリアにとっての十全の参考にはならなかった。

国民の自由を奪うロックダウンは憲法違反、という強い批判もある中、イタリア政府は民主主義国では不可能とも考えられたほぼ完全な都市封鎖を決行した。

当時のジュゼッペ・コンテ首相は「明日、強く抱きしめ合えるように今日は離れていましょう。明日、もっと速く走れるように今日は動かずにいましょう」という名文句を添えて国民に忍耐と団結と分別ある行動を要請した。

見習うべき手本のない状況の下、死臭を強烈に撒き散らすコロナの恐怖におののいていたイタリア国民にとっては、他に選択肢はなかった。彼らは政府の強硬な施策を受け入れた。

国と法と規則に従うことが大嫌いなイタリア国民が、ロックダウン中は最大96%もの割合いで政策を支持した。

そこにはコンテ首相の熱い誠実とそれを国民に伝える卓越したコミュニケーション力があった。

イタリアの先例はその後、次々に感染爆発に見舞われたスペイン、フランス、イギリス、アメリカなどの規範となった。

それらの国を介して規範はさらに拡大し世界中が恩恵にあずかった。

当のイタリアは、過酷ですばやいロックダウン策が功を奏して、5月以降は感染拡大に歯止めがかかった。

しかし夏のバカンスが終わるころには、前述の国々を追いかける形で、感染拡大第2波に呑み込まれて行った、

ロックダウンからちょうど1周年の今日、イタリアは再び全土ロックダウンを敢行するか否かの瀬戸際に立たされている。

コロナウイルスの変異種による感染拡大が激しくなっているのだ。

3週間の全面封鎖を要求する声もある。が、今のところは週末だけをロックダウンし、状況によってオンとオフを繰り返す方式が有力視されている。

それは昨年末から年始にかけても取られた方策だ。

ロックダウンが始まった昨年のこの時期には、庭のモクレンの花が7分咲きほどになっていた。

モクレン頭&青空2021年3月8日650

ことしは去年より寒く、開花が遅れた。それでも蕾がほころび出している。

コロナは花を枯らすことはできない。

季節を止めることもできない。

人の歩みを止めることも実はできない。

人は勇気を持ってコロナに対峙しワクチンを開発してそれを克服しようとしている。

おそらく僕は来年の庭のモクレンの開花を、マスクを付けずに、春の空気を思い切り吸いつつ眺めていることだろう。

そう切に願いたい。



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女性の日と東日本大震災とロックダウン


狭石回廊切り取り


今日3月8日は女性の日。ここイタリアでは、ミモザの花がシンボル。女性祭り、ミモザ祭りなどとも言う。

女性の日は元々、女性解放運動・フェミニズムとの関連が強い祭り。20世紀初頭のニューヨークで、女性労働者たちが参政権を求めてデモを行なったことが原点である。

昨年の今日、僕は次のようにブログに書いた。


2020年3月8日AM8時現在のイタリアのCovid19死亡者は233人。感染者の総数は5883人に上る。それは韓国に次ぐ世界3番目の数字。だが死亡者数は韓国よりも多い。

感染の拡大が止まないことを受けてイタリア政府は、ロンバルディア州全体とその近隣の北部の州、14県の封鎖・隔離を決定した。

合計約1600万人の住民が4月3日まで居住地域からの移動を禁止され、違反者には3ヶ月の禁固刑が科されることになった。

ロンバルディア州内に住む僕も州境を超えての移動ができなくなった。


女性の日については言及しなかった。あるいは言及できなかった。

3月8日の女性の日は例年、僕の中では実は東日本大震災とセットになって記憶されている。

こんな体験をしたからだ。


2011年3月11日、僕はイタリアにおける女性の日についてブログに書こうと考えてPCの前に座った。

日遅れのミモザ祭り」とか「フェミニズムとミモザの花」とか「ミモザって愛のシンボル?闘争のシンボル?」・・などなど、いつものようにノーテンキなことを考え始めた。

 そこに東日本大震災のニュースが飛び込んだ。衛星テレビの前に走った僕は、東北が大津波に飲み込まれる惨劇の映像を日本とのリアルタイムで見た。

息を呑む、という言葉が空しく聞こえる驚愕のシーンがえんえんと続いた・・

 そうやって38日の女性の日は、僕の中で、日付が近いという単純な話だけではない理由から東日本大震災と重なり、セットになって住み着くことになってしまった。おそらく永遠に(僕が生きている限りという意味で)。


だが僕のその感慨はその場限りの感傷にすぎないことが明らかになった。

なぜなら僕は新型コロナパンデミックが世界を席巻した昨年、3月8日の女性の日も3月11日の大震災の日も気持ちのうえでスルーしたからだ。

忘れていたわけではない。特に東日本大震災のメモリーは確かに僕の脳裡に去来した。だが目の前の巨大な不安が全ての記憶や思念を脇に押しやっていた。

イタリアは2020年2月21日から23日にかけて新型コロナの感染爆発に見舞われた。それは日ごとに悪化して、感染発祥地とされる中国の武漢など比較にもならない阿鼻叫喚の地獄絵が展開された。

感染拡大を抑える目的で北部地域限定のロックダウンが敷かれ、それは徐々に拡大された。

そして3月10日、ついにイタリア全土が封鎖されるという前代未聞の事態になった。

イタリア北部は最大最悪の被害を受けた。医療崩壊が起こり、埋葬しきれないコロナ犠牲者の遺体が、軍用トラックで列を成して運ばれるという凄惨な状況まで出現した。

そのイタリア北部ロンバルディア州の、ブレッシャ県に住む僕の周りでは、高齢の親族や友人知己が次々に亡くなっていった。

ブレッシャ県は隣のベルガモ県と共に、ロンバルディア州所属の12県の中でも最も被害が大きく、感染爆心地中の爆心地と見なされていた

加えて僕は年齢が高リスク圏とされる年代の入り口あたりに差しかかっている。且つ基礎疾患があるため感染すれば重症化する可能性が高かった。

それやこれやでコロナ地獄は全く他人事ではなかった。

そんなわけで2020年の女性の日と東日本大震災の記念日は、あたかも存在しないものでもあるかのように時間の流れの中に埋没していった。

2021年は、今日の女性の日も、3日後の大震災も、そしてあらたに加わったイタリア全土ロックダウン記念日の3月10日も、こうして次々に思い起こしている。

少なくとも記憶を振り返り、感慨にふけるだけの心の余裕がある。

ならば、コロナ禍が沈静化したのかというと全くそうではない。イタリアの状況も、ここに似た欧州全体の様相も、収束どころかむしろ悪化しているほどだ。

ワクチンが行き渡らない限り、感染者も死者も増え続け、経済社会生活の落ち込みも回復しないだろう。

そんな中でも女性の日や、大震災のメモリーや、ロックダウンの記憶に思いが行くのは、単にコロナパンデミックの辛酸に身も心も慣れ切ったということにすぎない。

不幸は続いている。不幸の中でも、しかし、前を向いてポジティブに生きよう、と今さらのように思うばかりである。




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違和感もある政治屋だが、レンツィ元首相よ暴力には負けるな

アカンベーbestrenzi650


2021年3月3日、マッテオ・レンツィ元首相に封筒に入った2発の銃弾が送りつけられた。犯人は分からないが、ここ最近レンツィ元首相はそこかしこからの恨みを買っている。

彼はことし1月、第2次コジュゼッペ・コンテ内閣から自身が率いる「Itaria・Viva」党所属の閣僚を引き上げて連立政権を崩壊させた。結果、マリオ・ドラギ内閣が誕生した。

イタリアは新型コロナパンデミックに打ちのめされている。その最中に政治混乱を引き起こしたレンツィ元首相には、厳しい非難が投げつけられた。

「壊し屋」という異名を持つ彼は、権謀術数に長けていて、政敵はもちろん仲間でさえ容赦なくなぎ倒す手法で知られている。

現在46歳のレンツィ元首相は、29歳でフィレンツェ県知事になり、34歳でフィレンツェ市長に当選。その5年後には首相になった。

39歳での首相就任は、それまで最も若い記録だったムッソリーニの42歳を抜いて史上最年少になった。

レンツィ氏の若さと華々しい経歴は、驚きと期待と希望をイタリア中にもたらした。僕も彼の行動力とEU信奉主義のスタンスに共感を覚えた。

少しの不安はあった。彼はすぐさま腐敗政治家の象徴のようなベルルスコーニ元首相とも手を結んだからだ。だがそれはまた、彼の優れた政治力の表れのようにも見えた。

しかし、その僕の不審は残念ながら時とともに増大した。僕は「壊し屋」の異名どおりの彼の政治手法に違和感を隠せなくなっていった。

僕の違和感は多くの人の違和感でもあったようだ。レンツィ首相は、人が彼を俊才と見なすよりもさらに強く自らを頼むところがあるらしく、自己過信気味の鼻持ちならない言動を多く見せるようになった。

それが最高潮に達したのが、2016年の憲法改正を問う国民投票だった。自信過剰の絶頂にいたレンツィ首相は、「私(憲法)を取るか否か」と言うにも等しい思い上がったスローガンを掲げて、国民と政敵の憎しみを買った。

彼は国民投票で大敗し首相を辞任した。辞任したあとも、もはや「生来のもの」と誰もが納得した尊大な言動は止まず、しばしば人々の反感を招いた。

そんな具合に元首相にはただでも敵が多いが、1月の政変は特にタイミングが悪く、彼自身が「私は多くの人の怨みを買った」と告白するほどの醜聞になった。

加えて彼は、自らが誘起した政治危機の真っ最中にサウジアラビアを訪れて、同国人記者の殺害指示やその他の疑惑でも憎まれている、ムハンマド皇太子をさんざん持ち上げる言動をした。

それだけでも不可解な行動に映るのに、彼はサウジアラビアから1000万円以上の報酬を受け取っていたことが判明した。レンツィ元首相への非難は嵐の勢いで膨張した。

そこに死の脅迫を示唆する銃弾送付事件が起きた。愚劣且つ幼稚な行為だが笑って流せるような事案ではない。政争に暴力が伴うようでは独裁国や軍政国と同じだ。

実は僕は1月の政変以来レンツィ元首相を糾弾する記事を書き続けてきた。それだけでは飽き足らず、さらなる批判を書こうと考えていた矢先に銃弾事件が発生した。

僕はかつて彼に大きな期待をかけた。その分失望も大きく、2016年前後から厳しい批判者になった。1月の政変にも強い怒りを覚えた。

しかし、彼に銃弾を送りつけた蛮行には、元首相への批判など物の数にも入らないほどの憤りを感じる。卑怯・下劣な行為は強く指弾されなければならない。

そのことを明言した上で、レンツィ元首相への抗議は続けたい。彼は一国の首相まで務めた男だ。しかもれっきとした現役の政治家。言動の責任は重い。

暴力には断固として反対するが、それは僕が彼への批判を取り下げるべき理由には全くならない、と考える。


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イタリア「五つ星運動」が「コンテ星運動」に大変化?

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先日辞任したイタリアのジュゼッペ・コンテ首相が、「五つ星運動」に入党するよう熱心に誘われ、その気になっているようだ。

入党と言っても、党を率いてくれるように創始者のベッペ・グリッロ氏と幹部に頼まれたのである。

「五つ星運動」の支持率は低迷している。一方、彼らの支えで1月まで政権を維持したコンテ前首相の人気は未だ衰えない。

「五つ星運動」はコンテ人気を利用して浮上したい。片やコンテさんにも政治の世界でもう一度脚光を浴びたい気持ちがあるかもしれない。

コンテ前首相は2018年6月、大学の法学教授から突然宰相に抜擢された。

彼は「五つ星運動」に担がれ、これを連立相手の「同盟」が受け入れた。「五つ星運動」と「同盟」は、左右のポピュリスト、と称されるように考え方や主張が大きく違う。

加えて両党はどちらも自らの党首を首相に推したい思惑もあり、折り合いがつかなかった。そこにコンテ氏が出現。

「同盟」は政治素人の彼を組しやすいと見て首相擁立に同意した。

議会第1党の「五つ星運動」と第2党の「同盟」の妥協で誕生したコンテ首相は、初めのうちこそ2党の操り人形と揶揄されたりした。だが、時間と共に頭角をあらわした。

コンテ首相はバランス感覚に優れ、清濁併せ呑む懐の深さがあり、他者の話をよく聞き偏見がないと評される。

彼のリーダーシップは、「同盟」が連立を離脱したとき、同党のサルビーニ党首を「自分と党の利益しか考えておらず無責任だ」と穏やかに、だが断固とした言葉で糾弾した時に揺るぎ無いものになった。

そして2020年はじめ、世界最悪と言われたコロナ地獄がイタリアを襲った。

コンテ首相は持ち前の誠実と優れたコミュニケーション力で国民を励まし、適切なコロナ対策を次々に打ち出して危機を乗り切った。

するとことし1月、コンテ政権内にいたレンツィ元首相が反乱を起こして倒閣を画策。第3次コンテナ内閣が成立するかと見えたが、政権交代が起きてドラギ内閣が成立した。

2018年の政権樹立から2021年1月の政権崩壊まで、「五つ星運動」はコンテ首相を支え続けた。しかし、党自体の勢力は殺がれる一方だった。

「五つ星運動」は政権運営に不慣れな上に内部分裂を続けた。ディマイオ党首が辞任するなどの混乱も抱えた。

そこにコンテ首相の辞任、ドラギ新内閣の成立と、「五つ星運動」にとってのさらなる危機が重なった。

そうした情勢を挽回する思惑もあって、五つ星運動の生みの親グリッロ氏は、コンテ前首相に党首かそれに匹敵する肩書きで同党を率いるように要請した。

コンテ氏が五つ星運動のトップになれば、彼自身の政治家としてのキャリアと五つ星運動の党勢が大きく伸びるかもしれない。

逆に情勢によっては両者が失速して政界の藻屑となる可能性も高い。

「ほぼ革命に近い変革」を求める五つ星運動を、その気概を維持したまま「普通の政党」に変えられるかどうかがコンテ前首相の課題である。

五つ星運動は2018年の選挙キャンペーン以来、先鋭的な主張を修正して穏健な道を歩もうとしている。EU懐疑主義も捨てて、ほとんど親EUの政党に変貌しつつある。

「五つ星運動」はコンテ政権と引き換えに誕生したドラギ内閣を信任した。それは彼らが、彼らの言う「体制寄り」に大きく舵を切ったことを意味する。それが原因で同党はさらに混乱し造反者も出た。

そうやって五つ星運動はまた分裂し党勢もますます殺がれた。落ち目の彼らの希望の星がコンテ前首相なのである。

穏健になり過ぎれば、彼らが攻撃の的にしてきたイタリアの全ての既成勢力と同じになる。一方で今のまま先鋭的な主張を続ければ党は生き残れない。

五つ星運動は特に経済政策で荒唐無稽な姿をさらすが、弱者に寄り添う姿勢の延長で、特権にどっぷりと浸っている国会議員の給与や年金を削る、とする良策も推進している。

またベルルスコーニ元首相に代表される腐敗政治家や政党を厳しく断罪することも忘れない。2018年6月の連立政権発足にあたっては、連立相手の同盟にベルルスコーニ氏を排除しろ、と迫って決して譲ることがなかった。

コンテ前首相は、五つ星運動のトップに就任した場合、同党の過激あるいは先鋭的な体質を、いかに穏やかな且つ既成の政治勢力とは違うものに作り変えるか、という全く易しくない使命を帯びることになる。


 

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数字で見るイタリアコロナ地獄の1年

ブドウ園南西角方向650


昨年の今頃のイタリアは厳しかった:

コロナ地獄が始まって、恐怖の絶頂にはまだ至らないが、不安と暗鬼と疑心があたりに充満しつつあった。

マスク姿のイタリア人がひどく鬱陶しく見えたことを覚えている。

それは間もなくごく当たり前の光景になった。


2021年2月27日現在の新型コロナ状況を数字で確認しておくと:

感染者累計:290万7千825人

死者:9万7千507人(米、ブラジル、メキシコ、インド、イギリスに次いで世界6番目。なおイタリアの後には、フランス、ロシア、ドイツ、スペインが続く)

1日あたりの最大死者数:993人(2020年12月3日・第2波。第1波の最大数は3月27日の921)

1日あたりの最大感染者数:4万896人(2020年11月13日・第2波。第1波の最大数は3月21日の6554人。第2波に較べて少ないのは検査数が限られていたから)

1日あたりの最大ICU(集中治療室)患者数:4068人(2020年4月3日。第2波最大は11月25日の3848人)

死者平均年齢:81歳(80-89歳の死者数は全体の40%近くにのぼる)

治癒したコロナ患者:239万8千352人

累計検査数:約2千万
 
コロナ殉教医師数:332


経済関連の数字:

GDP:2020年は前年比8、9%の下落。下げ幅は意外にも小さいように見える。

失業&失職:2020年2月-12月の10ヶ月で42万の職が失われる。例によって女性が多く犠牲に。

最も打撃を受けた観光業やケータリングなどのサービス業を中心に、2020年12月の1ヶ月だけで女性は9万9千の職を失った。同じ期間の男性失業者の増加数は2千。
 
EU復興基金:EUからイタリアへのコロナ復興資金は約2090億ユーロ(およそ26兆5000億円)。そのうち約60%は低金利の融資。約40%が援助金。



ロックダウン開始前後の状況についてもおさらいをすると:

2020年2月22日:ロンバルディア州コドーニョ含む11の自治体を封鎖(人口5万人)。

2月23日:北部数州内の学校・美術館・劇場・映画館などの閉鎖命令。ヴェネツィアのカーニバルも中止

3月8日:ロンバルディア州と近郊の14県をロックダウン。

3月9日夜:ロックダウンを全土に拡大と発表(実効は10日から)。全国6千万人余りがほぼ全面移動禁止に(5月3日の一部緩和まで55日連続)。

3月11日夜:ジュゼッペ・コンテ首相はテレビ放送で食品など必需品の店と薬局以外の全ての店を閉鎖すると発表。






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新型コロナのせいで書きそびれている事どもⅡ 2021年2月27日

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《コロナパンデミックが始まってこの方、それにまつわることばかりを書いてきた。今も書いている。この先も続きそうだ。書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは他の事案で忙しくて執筆そのものができずに後回しにしている時事ネタは多い。僕にとってはそれらは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。過去形のトピックも現在進行形の話題もできれば将来どこかで掘り下げて言及したい。だが思うようにはいかない。時間と共に書くべき題材が増えていくからだ。それは刻々と過ぎる時間と格闘するSNSでの表現の良さであり同時に欠点でもある。ともあれ時事ネタを速報するのが目的ではなく、それを観察し吟味して自らの考えを書き付けるのが僕のブログのあり方なので、『いつか書くべきテーマ』というのは自分の中ではそれなりに意味を持つのである》


管首相への違和感

衛星放送を介して日本とのリアルタイムで(ほぼ)毎日菅首相を目にする。むろんネット上でもひんぱんに見る。見るたびに気が重くなる。印象が悪い。あるいはイメージが暗い。イメージは火のないところに立つ煙のようなものだ。実態がない。従ってイメージだけで人を判断するのは危険だ。だが、また、「火のないところに煙は立たない」ともいう。だからそれは検証に値するコンセプトでもある。一般的に見てもそうである。ましてや菅首相は日本最強の権力者であり、海外に向けては「日本の顔」とも言うべき存在である。そこではイメージが重要だ。いや世界の人々にとってはほとんどの場合、他国の宰相はイメージだけが全て、という程度の存在だ。だから菅首相のイメージが悪いとか重い、というのは無視できないことなのである。彼はコロナ対策でははじめから迷走した。だが政策そのものには大きな間違いはないと僕は感じる。感染防止のための規制や対策が、遅れたりズレて修正が必要になったりするのは、問題の性質上仕方のないことだ。それは菅首相の咎ではない。しかし、彼はそれらの動きについて国民にしっかりと説明し、語り、納得させる義務がある。彼にはその能力が欠けている。為政者の最も重要な資質であるコミュニケーション力がない。ほぼ致命的、と形容してもかまわないほどに公の場での対話能力が欠落している。彼の見た目の印象が悪くイメージが暗いのもそれが原因だ。そこから派生した重大な出来事がことし1月26日、国会質疑で相手に対し「失礼だ。一生懸命やっている」 と答弁したことだろう。彼はそこでコミュニケーションをする代わりに、自らが国民の下僕であることを完全に忘れて居丈高になり、殻に閉じこもって対話を拒否している。そういう態度でも彼の内閣が存続できるのは、お上を無条件に畏怖する愚民が日本社会にまだ多く存在していることにもよる。だが最大の問題は、そうした国民を啓蒙するどころか、菅首相自身がムラ社会のボス程度の意識しかなく、後進的な悪しき風潮にさえ全く気づかないように見えるところにある。


ドラマ三昧


テレビ屋の僕は番組を作るだけではなく、元々「番組を見る」のが大好きな人間である。自分の専門であるドキュメンタリーや報道番組はいうまでもなく、ドラマやバラエティーも好きだ。ドキュメンタリーや報道番組は、イタリア語のみならず衛星放送で英語と日本語のものもひんぱんに見る。しかし、ドラマは最近は日本語のそれしか見ていない。理由は日本のそれが面白く、日伊英の3語での報道番組やドキュメンタリーに費やす時間を除けば、日本のドラマを見る時間ぐらいしか残っていない、ということである。スポーツ番組、特にサッカー中継にも興味があるのでいよいよ時間がない。バラエティー番組に至っては、ここ数年は全く目にしていない。ドラマは以前からよく見ているが、コロナ禍で外出がままならなくなった2020年はじめ以降は、ますますよく見るようになった。ロンドンを拠点にする日本語の衛星ペイテレビがNHK系列なので、NHKのドラマが圧倒的に多いが、民放のそれも少しは流れる。民放のドラマにもむろん面白いものがある。が、僕は昔からNHKの質の高いドラマが好きだから、ペイテレビの現況は好ましい。コロナ禍中に多くの面白いドラマを見た。思いつくままにここに記すと:

『ジコチョー』  『盤上の向日葵』 『サギデカ』 『ミストレス~女たちの秘密~』 『すぐ死ぬんだから』 『一億円のさようなら』 『ディア・ペイシェント~絆のカルテ~』 『路(ルウ)~台湾エクスプレス〜』 『70才、初めて産みましたセブンティウイザン』 『ノースライト』 『岸辺露伴は動かない』『ここは今から倫理です。』 『子連れ信兵衛 』など、など。

これらのほとんどは面白いドラマだったが、あえて3本を選べと言われたら、三田佳子が主演した『すぐ死ぬんだから』 『ミストレス~女たちの秘密~』『岸辺露伴は動かない』を挙げたい。『すぐ死ぬんだから』は死後離婚という面白い設定もさることながら三田佳子の演技がすばらしかった。共演した小松政夫が亡くなってしまったことも合わせて印象に残る。『ミストレス~女たちの秘密~』、『岸辺露伴は動かない』も目覚しい番組だった。先日終わった大河ドラマ『麒麟がくる』も良かった。大河ドラマは出だしの数週間で見るのを止めることが多いが、今回はコロナ巣ごもり需要とは関係なく最後まで面白く見た。山本周五郎「人情裏長屋」 が原作の 『子連れ信兵衛 』は駄作。それでも時々見てしまったのは、原作を良く知っているからだ。都合のいい設定や偶然が多く、とてもNHKのドラマとは思えないほどだった。原作に劣る作品としては『ノースライト』も同じ。現在進行中のドラマでは『カンパニー〜逆転のスワン〜』が愉快。『ここは今から倫理です。』 には考えさせられる。これらのドラマ一つひとつについての論評は時間があればぜひ書きたい。書くだけの価値があり書くべき要素も多くある。

イタリア式新聞事情

イタリアの新聞には顔写真が実によく載る。これは自我の発達した西洋の新聞、ということに加えて、「人」がそれも「人の顔」が大好きなイタリアの国民性が大きく影響している。先日イタリア最大の新聞「Corriere della sera」のブレッシャ県版が、僕を紹介する記事を書いてくれたが、丸々1ページを使い且つ何枚もの写真を伴って記事が作られていて、今さらながら驚いた。写真を多用する実例でもあるので、少しの新聞考とともに改めて書こうと思う。

マクロン大統領のワクチン発言の真意

先日、フランスのマクロン大統領が「先進国のワクチンの3~5%分を貧しい国に回そう」という趣旨の発言をして物議をかもした。フランスを含むEU自体のワクチン接種が遅滞している状況だから、マクロン大統領の主張は偽善愚劣に見える。そういう意味合いの批判も多かった。だが彼が言っているのは正論ではないかと思う。弱者には手を差しのべるべきとか、一国主義では将来のウイルスの再流入を防げない、などということは多くの人が頭では分かっている。だが今このときの自分の分のワクチンが足りないのだから、誰かとそれを分かち合うのはごめんだ、というのが再び多くの人の本音ではないか。しかし、自由主義世界がそうやってジコチューに固まっている間に、ロシアと中国がまたまたうまく立ち回って貧しい国々の支持を集めている。それをブロックしなければならない、というのがマクロン大統領の本心だろう。トランプ大統領がWHOは中国寄り、と叫んで脱退を宣告したのは、WHOと中国への一定のプレッシャー効果はあったが、アメリカが脱ければ長期的には結局中国がWHO内でさらに影響・支配を強めるのは必至だ。ワクチン外交もそれに似ている。大局的に言えばEU及び自由主義体制国が団結して中ロ&トランプ主義を抑え込もう、ということである。そうはっきり言えばいいのに、少し夜郎自大的傾向がなくもないマクロン大統領は、夜郎自大を隠したがる言動で墓穴を掘ることがよくある。

イタリア、コンテ前首相について

ことし1月26日、ジュゼッペ・コンテ首相が辞任し、2年半余りのコンテ時代が一旦終わった。あえて一旦、と言うのは、首相就任前までは大学教授だったコンテさんが、政治家に変身して再び宰相を目指すシナリオもあると考えるからである。コンテ首相は、世界初のそして世界最悪とも言えるイタリアの驚愕のコロナ地獄を、国民とともに乗り切った優れたリーダーとして歴史に刻まれるだろう。だが彼は、物議をかもすことも多い五つ星運動を拠り所にしているために、五つ星運動が目の敵にするいわゆる「体制側」の反感を買いやすい。「体制側」には既存の政党や政治家なども含まれる。僕は五つ星運動には違和感を抱き、同時に彼らが批判する既存のイタリアの古い政党や政治家やシステムにも大いにひっかかりを覚える者だ。だからというわけではないが、後者がジュゼッペ・コンテ氏の功績をできるだけ無視しようとする雰囲気があることに危機感さえ抱く。僕はコロナ地獄の底で、テレビを介して国民に静かに強く、且つ勇気ある言葉で語りかけ、語り続けるコンテ首相の姿を文字通り一日も欠かさずに見ていた。語るばかりではなく、彼はコロナ対策に果敢に取り組み実行し続けた。その姿は感動的だった。それを忘れつつある国民がいて、忘れさせようとする「体制側」の目論見もなくはないように感じる。


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飾り物のイタリア大統領が化け物になるとき

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イタリアでまた政権が変わった。1月26日にジュゼッペ・コンテ首相が辞任し、ほどなくマリオ・ドラギ内閣が誕生した。イタリアではひんぱんに内閣が倒れ政権が交代する。よく日本の政治状況に似ていると言われるが実は大きく違う。イタリアでは政治危機の度に大統領が大きな役割を果たすところが特徴的である。

国家元首であるイタリア大統領は、上下両院議員の投票によって選出される。普段は象徴的な存在で実権はほとんどない。ところが政治危機のような非常時には議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施し、軍隊を指揮するなどの「非常時大権」を有する。大権だからそれらの行使には議会や内閣の承認は必要ない。

今回の政変は1月13日に起きた。コンテ内閣の一角を担っていたレンツィ元首相率いる小政党「イタリア・ヴィーヴァ」が、連立政権からの離脱を表明した。それによって、昨年の新型コロナ第1波の地獄を乗り切り国民の強い支持を受けてきたコンテ内閣が、一気に倒壊の危機に陥った。

しかし、レンツィ派の造反にもかかわらず、コンテ首相への支持は強いものがあった。反乱後の信任投票でコンテ内閣はイタリア下院の絶対多数の信任を得た。一方で下院と全く同等の権限を持つ上院では、出席議員の過半数を僅かに超える単純多数での信任にとどまった。絶対多数161に対して5票足りない156票だったのである。

僅差での信任はコンテ内閣が少数与党に転落したことを意味し、予算案などの重要法案を可決できなくなる可能性が高まる。危機感を抱いたコンテ首相は、冒頭で触れたように1月26日、マタレッラ大統領に辞表を提出する。この動きは予期されたものだ。大統領に辞表を提出し、けじめをつけた上で改めて大統領から組閣要請を受ける、というのがコンテ首相の狙いだった。それはイタリアではごく自然な動きである。

コンテ内閣は世界最悪とも言われたコロナ危機をいったん克服はした。だがイタリアは依然として、パンデミックの緊急事態の最中にある。今の状況では、コンテ首相が辞表を出して大統領の慰留を引き出すのが得策。その上で新たに上院議員の支持を取り付け第3次コンテ内閣を発進させる、というのが最善の成り行きのように見えた。それが大方の予想でもあった。

しかし、マタレッラ大統領が「非常事大権」を行使して状況を急転させた。大統領はコンテ首相に新たに連立政権工作をするよう要請する代わりに、ロベルト・フィーコ下院議長にそのことを指示したのだ。フィーコ議長は議会第1党の五つ星運動の所属。五つ星運動は議会最大の勢力ながら政治素人の集団である。フィーコ氏には党外での政治的影響力はほとんどない。

コンテ内閣の再構築を念頭に各党間の調整を図る、というフィーコ下院議長の連立政権工作はすぐに行き詰まる。するとマタレッラ大統領は、まるでそれを待っていたかのように前ECB(欧州中央銀行)総裁のマリオ・ドラギ氏に組閣要請を出した。「非常事大権」を意識した大統領の動きは憲法に則ったもの。誰も異議を唱えることはできない。

大統領のその手法は、見方によっては極めて狡猾なものだった。なぜなら彼はそこで一気にコンテ首相の再登板への道を閉ざした、とも考えられるからだ。そうやってイタリアの最悪のコロナ地獄を克服した功労者であるコンテ首相は、マタレッラ大統領によって排除された。

少し脇道にそれて背景を説明する。マタレッラ大統領はコンテ政権内で反乱を起こしたレンツィ元首相と極めて親しい関係にある。2人はかつて民主党に所属していた仲間。加えてマタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツ氏が率いる中道左派連合の強い支援で大統領に当選した。それ以前も以後も、大統領がレンツィ元首相に近いのは周知の事実である。

また彼ら―特にレンツィ元首相―が左派ポピュリストの五つ星運動と犬猿の仲であることもよく知られている。コンテ首相は五つ星運動所属ではないものの同党に親和的。マタレッラ大統領にはそのことへの違和感もあったのではないか。そこにコンテ首相の排除を望むレンツィ元首相の影響も作用して、政変の方向性が決定付けられたのだろう。

そればかりではない。大統領とレンツィ元首相は強烈なEU(欧州連合)信奉者だ。その点はECB(欧州中央銀行)前総裁のドラギ氏ももちろん同じ。しかもレンツィ氏とドラギ氏も親密な仲である。次期イタリア首相候補としてドラギ氏を最初に名指したのも実はレンツィ元首相なのだ。

かくてEU主義者のマタレッラ、レンツィ、ドラギの3氏が合意して、反EU主義政党である五つ星運動に支えられたコンテ首相を排除する確固とした道筋が出来上がった。マタレッラ大統領は彼の持つ「非常時大権」を縦横に行使してその道筋を正確に具現化した。

国家元首であるイタリア大統領は、既述のように上下両院の合同会議で全議員及び各州代表によって選出される。普段はほとんど何の実権もないが、政府が瓦解するなどの国家の非常時には、あたかもかつての絶対君主のような権力行使を許され、機能しない議会や政府に代わって単独で役割を果たす。いわば国家の全権が大統領に集中する事態になるのだ。

例えば2011年11月、イタリア財務危機のまっただ中でベルルスコーニ内閣が倒れた際には、当時のナポリター ノ大統領が彼の一存でマリオ・モンティ氏を首相に指名して、組閣要請を出した。そうやって国会議員が一人もいないテクノクラート内閣が誕生した。

また2016年、レンツィ内閣の崩壊時には現職のマタレッラ大統領が外相のジェンティローニ氏を新首相に任命。ジェンティローニ内閣はレンツィ政権の閣僚を多く受け継ぐ形で組閣された。そして泥縄式の編成にも見えたその新造の内閣は、早くも3日後には上下両院で信任された。

2018年の総選挙後にも大統領は「非常時大権」を行使した。政権合意を目指して政党間の調整役を務めると同時に、首班を指名して組閣要請を出した。その時に誕生したのが第1次コンテ内閣である。コンテ首相は当時、連立政権を組む五つ星運動と同盟の合意で首相候補となりマタレッラ大統領が承認した。

政治危機の中で大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、混乱を引き起こす原因にもなる政治システムをイタリア共和国が採用しているのは、ムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ごうとしているからだ。

議会は任期が満了したり政治情勢が熟すれば解散されなければならない。議会が解散されれば次は総選挙が実施される。総選挙で過半数を制する政党が出ればそれが新政権を担う。その場合は大統領は、政権樹立に伴う一連の出来事の事後承認をすれば済む。それが平時のイタリア大統領の役割である。

しかし、いったん政治混乱が起きると、大統領は一気に存在感を増す。イタリアの政治混乱とは言葉を変えれば「大統領の真骨頂が試される」時でもあり、「大統領の“非常時大権“の乱用」による災いが起きるかもしれない、微妙且つ重大な時間なのである。



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武漢がイタリアに引っ越した日



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阿鼻叫喚のイタリアの新型コロナ地獄はちょうど1年前の今日、2020年2月21日に始まった。

北部ロンバルディア州コドーニョ(Codognio)でクラスターが発生したのだ。

その前日の2月20日、コドーニョ病院でイタリア初の新型コロナの感染者が発見された。

当初その第1号患者は0号患者と誤解された。

クラスターは第1号患者の周辺で発生し、彼が入院したコドーニョ病院での院内感染も伴っていた。

いくつかのクラスターはたちまち感染爆発を招いた。

その日からイタリアは武漢化した。

ほぼ20日後の3月10日、イタリア政府はコドーニョを含むロンバルディア州と近辺に敷いていたロックダウンを、全土に拡大した。

クラスターの発生からちょうど1年後の2021年2月21日現在、イタリアの新型コロナの死者は9万5千486人。

累計の感染者は279万5千796人である。

昨年12月に始まったワクチン接種は遅々として進まず、これまでに212万8千130回分が接種されたに過ぎない。

人数にすると132万8千162人である。

閑話休題

国家非常事態の中でもイタリア人の政治好きは止まず、コロナ第1波の惨劇を誠心と勇気で乗り切ったジュゼッペ・コンテ首相の首がすげ替えられた。

新首相は超有名エコノミストのマリオ・ドラギさん。口げんかの絶えない政界の魑魅魍魎たちが、ぐっと口をつぐむほどの経済の大家、希望の星である。

コンテ首相は、イタリアの政治を引っ掻き回しているポピュリストの五つ星運動が、ほぼ唯一放った大ホームランだった。

大学教授のコンテさんを政界に引っ張り込んだのは五つ星運動なのである。

得意の経済政策はバラマキだけ、と見える五つ星運動に支えられたコンテさんは、コロナ禍が落ち着いたあとは経済で苦労するのは必至だった。

従って経済の専門家のドラギさんが首相になったのは、コンテさんのためにもイタリアのためにも、ドラギさんのためにもきっと良いことだ。

問題は、コンテ首相を大得意の権謀術数で退陣に追い込んだ、魑魅魍魎中の大妖怪レンツィ元首相を筆頭にする政治家連である。

経済も、コロナ対策も、何よりもワクチン接種の推進も、ドラギ新首相はきっとうまくやってくれそうな気配だ。

魑魅魍魎たちが邪魔さえしなければ。

多分。。



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極右に「北朝鮮みたい」と酷評されたイタリア新政権

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マリオ・ドラギ内閣がイタリアの上院と下院で正式に信任された。

上院は賛成262票、反対40票。また下院は賛成535票、反対56票。圧倒的と形容するのもバカバカしいほどの絶対多数での信任になった。

議会第1党の極左ポピュリスト「五つ星運動」と、同じく第2党の極右ポピュリスト「同盟」が、2018年の第1次コンテ内閣をなぞるかのように同時に政権入りした。

そこに左派の「民主党」とベルルスコーニ元首相が率いる右派の「フォルツァ・イタリア」 が加わり、さらに左右中道ナンデモカンデモコレデモカ、とばかりに各小政党や会派が連立に参加した。

主要政党で政権入りしなかったのはファシスト党の流れをくむ「イタリアの同胞」のみ。

まさに大連立、大挙国一致内閣である。

喧嘩、対立が絶えないイタリア政界を見慣れている目には異様とも映るその状況を、極右政党「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首は、「北朝鮮みたい」と喝破した。

ま、正確に言えば「われわれが反対しなければドラギ政権は北朝鮮と同じだ」だったけれど。

極右の「イタリアの同胞」は、ドラギ首相よりも彼らの天敵である五つ星運動への反発から大連立に加わらなかった。

とはいうものの、実態は「連立から弾き出された」という方がより真相に近い。

同党は、いつも怒っていていつも人に殴りかかりそうな、険しい話し方をするメローニ党首に似て暗く、少しうっとうしい。

それはさておき、僕はメローニ党首の「北朝鮮みたい」発言に少々ひっかかりを覚えた。

彼女はなぜイタリアでは北朝鮮よりもはるかに存在感の強い「中国みたい」とは言わなかったのだろう?と。

北朝鮮はその隣でいろいろ迷惑をこうむる日本から見る場合とは違って、イタリアからは心理的にも距離的にも遠い。

距離の遠さという意味では中国も同じだが、中国は遠くにありながら心理的にも物理的にもイタリアに極めて近い。というか、近すぎる。

イタリアは中国の一帯一路構想を支持し、G7国で初めて習近平政権との間に覚書を交わした。

極左のポピュリスト五つ星運動のいわばゴリ押しが功を奏した。

そればかりではなく、イタリアには中国製品と中国人移民があふれている。昨年は中国由来とされる新型コロナで、世界初且つ世界最悪ともされる感染地獄に陥った

さらに良識あるイタリア国民の間には、中国による香港、ウイグル、チベットなどへの弾圧や台湾への威嚇などに対する反感もある。

イタリアの右派は一帯一路を巡る中国との覚書を快く思っていない。

2019年にそれが交わされた時、政権与党だった「同盟」は反発した。「イタリアの同胞」は「同盟」の朋友でしかも同盟よりも右寄りの政党である。

中国への反発心はイタリアのどの政党よりも固いと見られている。

それでいながらメローニ党首は、ネガティブな訳合いの弁論の中で中国を名指しすることを避けた。それはおそらく偶然ではない。

そこには中国への強い忖度がある。

イタリア国民の間には明らかな反中国感情がある。しかし政治も公的機関も主要メディアも、国民のその気分とは乖離した動きをすることが多い。

イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずにしばしば彼の国に擦り寄る態度を見せる。

極左ポピュリストで議会第1党の「五つ星運動」が、親中国である影響も無視できない。イタリアが長い間、欧州最大の共産党を抱えていた歴史の残滓もある。

共産党よりもさらに奥深い歴史、つまりローマ帝国を有したことがあるイタリア人に特有の心理的なしがらみもある。

イタリア人が、古代ローマ帝国以来培ってきた自らの長い歴史文明に鑑みて、中国の持つさらに古い伝統文明に畏敬の念を抱いている事実だ。

その歴史への思いは、いまこのときの中国共産党のあり方と、中国移民や中国人観光客への違和感などの負のイメージによってかき消されることも多い。

しかし、イタリア人の中にある古代への強い敬慕が、中国の古代文明への共感につながって、それが現代の中国人へのかすかな、だが決して消えることのない好感へとつながっている面もある。

淡い好感に端を発したそのかすかなためらいが、極右のボスであるメローニ党首のしがらみとなって、「ドラギ政権は一党独裁の中国みたい」と言う代わりに「まるで北朝鮮みたい」と口にしたのではないか、と思うのである。

僕は極右思想や政党には強烈な違和感を覚える者だが、中国共産党に噛み付かない極右なんて、負け犬の遠吠えにさえ負けるタマ無しで、もっとつまらない、と思わないでもない。


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ドラギ挙国一致内閣は両刃の剣スキーム

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新首相と大連立与党連合

2021年2月13日、イタリアでドラギ新内閣が誕生した。73歳のマリオ・ドラギ新首相は2011年から2019年までECB(欧州中央銀行)総裁を務めたセレブな経済学者。コロナ・パンデミックで落ちるところまで落ちたイタリア経済の救世主になるのではないか、との期待が高まっている。

期待は経済や政治に関心のある国民ばかりではなく、普段は全くそこに興味を持たない人々の間にまで広まっている。そのことはイタリアの政治システムに不明な人々までが、ドラギ氏の高名に興奮してSNSにファンレターまがいのとんちんかんな書き込みをすることなどでも類推できる。

アカデミックな経済の専門家としてのドラギ氏の経歴は華々しい。彼は米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)で経済学博士号を取得。フィレツェ大学の教授を務めたあとイタリア銀行総裁に出世。さらに2011年から2019年までは欧州中央銀行総裁の職にあった。

2021年2月3日、ドラギ氏はイタリア大統領からの組閣要請を受けた。彼はすぐにイタリアの各政党との面談を開始。たちまちほぼ全ての勢力から支持を取り付けた。その手腕はエコノミストというだけではなく政治家としても有能であるように見える。

彼を支持するのは、極左のポピュリスト・五つ星運動から極右ポピュリストの同盟、左派の民主党、さらにベルルスコーニ元首相が率いるほぼオワコンにさえ見えるフォルツァ・イタリア党、それらに加えて全ての小政党や会派など。文字通り挙国一致と呼べる巨大な連立与党連合が出来上がった。

ここから数ヶ月の蜜月期間は、世界クラスの知名度を持ちカリスマ性もあるドラギ首相に物申す相手はいないだろう。だが、時間とともに各政党の利害がむき出しになるのは政治である限り避けることはできない。そのときになってもドラギ首相が強いリーダーシップを発揮し続けているなら、イタリアの未来は明るい。だがそうではない可能性もいまのところは5割ある。

3人のEU教徒

僕はEU(欧州連合)支持者である。ブリュッセルの官僚支配という弊害はあるものの、欧州がひとつになり各国民が交流し刺激し合い成長し合うのはすばらしい。何よりもEUが「戦争防止装置」としての役割を十分に果たしていることは見逃せない。

欧州中央銀行の総裁を務めたドラギ首相は、いうまでもなくがちがちのEU主義者である。ジュゼッペ・コンテ前首相の辞表を待ってましたとばかりに受理して(なぜ待ってましたとばかりかは後述)、ドラギ氏に組閣を指示したセルジョ・マタレッラ大統領も筋金入りのEU信奉者。さらにドラギ氏を誰よりも先に首相に推したマテオ・レンツィ元首相も隠れなきEU支持者である。

その意味では僕は3者を支持するが、ジュゼッペ・コンテ首相をいわば排除したという意味では、3者に強い違和感も持つ。特にマテオ・レンツィ元首相は今回の政変の首謀者。彼はことし1月13日、自身が率いる政党「イタリア・ヴィヴァ」所属の閣僚を、コンテ内閣から引き上げて政権を崩壊させた。

理由はEUからイタリアに与えられるコロナ復興資金の使用法に異議がある、というものだった。だが真相は、衰退著しく存在感がぼゼロと言われるほどに落ちぶれた「イタリア・ヴィヴァ」と自身の求心力低下に焦ったレンツィ元首相が、起死回生を狙って打った大芝居、というのが定説。

しかし、そ反乱はあまりにもタイミングが悪かった。コンテ内閣は昨年の阿鼻叫喚のコロナ地獄を克服したことでイタリア国民の強い信頼を得ている。特に強いリーダーシップと類まれなコミュニケーション力で、国民を勇気付け慰撫し続けたコンテ首相は、かけがえのない存在とみなされてきた。

イタリアは昨年3月から5月にかけての第1波の凄惨な危機からは抜け出した。が、コロナパンデミックは依然として続いている。収束とは程遠い状況である。そんな非常時にレンツィ元首相は我欲に駆られて政治危機を招いた。イタリア中から強い批判が湧き起こった。

だがレンツィ元首相の反乱は、行き当たりばったりの妄動ではなく、周到に計算されたものであるらしいことが明らかになった。少なくとも僕の目にはそう映る。レンツィ元首相は政治的に彼と近しいマタレッラ大統領と連携して、政変を起こした可能性が高いのだ。連携が言いすぎなら、少なくともマタレッラ大統領に“予告した”上で、倒閣運動を仕掛けた。

マタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツィ氏が主導する中道左派連合の強いバックアップで大統領に当選した。彼らはかつて民主党に所属した同僚でもある。また既述のように親EU派としてもよく知られている。2人が政治的にきわめて親密な仲であることは周知の事実だ。

大統領の遠謀?

一方、大学教授から首相になったジュゼッペ・コンテ氏は、反EUで左派ポピュリストの五つ星運動に支えられている。コンテ首相は五つ星運動所属ではないが、心情的には同党に近いとされる。反体制が合い言葉の五つ星運動の根幹の思想に共感するものがあるのだろう。その在り方の是非はさておき「弱者に寄り添う」という同党の主張にも賛同しているのではないか。

繰り返しになるが五つ星運動はEU懐疑派である。彼らは元々EUからの離脱を目指し、トランプ主義にも賛同してきた。だがイタリアの過激主義は「国内に急進的な政治勢力が乱立している分お互いに妥協して軟化する」、という僕の持論どおり選挙運動中に反EUキャンペーンを引っ込め、政権を取るとほぼEU賛同主義者へと変わるなどした。だが、彼らの本質は変わっていない。マタレッラ大統領は、レンツィ元首相とともにそのことにも危機感を抱いたに違いない。

2者は極端な推論をすればそれらの背景があってコンテ首相を排除し、ドラギ氏擁立のプランを立てた。そして事態は次のように動いた。
1、レンツィ元首相の反乱。
2、コンテ首相辞任(マタレッラ大統領から再組閣指示を引き出すためのいわば根回し辞任。予期された通常の手続きである。だからマタレッラ大統領は「待ってました」とばかりに辞表を受理した)
3.マタレッラ大統領、コンテ首相にではなく政治的に非力なフィーコ下院議長に連立工作を指示(失敗を見越して)。
4.フィーコ下院議長の連立工作、予想通り失敗。 
5.マタレッラ大統領がすぐさまマリオ・ドラギ氏に組閣を要請。

という筋書き通りに事が動いた。

新旧首相の幸運

コンテ首相は国民に真摯に、誠実に、そして熱く語りかける姿勢でコロナ地獄を乗り切り圧倒的な支持を集めた。コロナ感染抑止を経済活動に優先させたコンテ首相の厳格なロックダウン策は、感染が制御不可能になり医療崩壊が起きて多くの死者が出ていた昨年の状況では、的確なものだった。だがそれによってただでも不振に喘いでいたイタリア経済が多大なダメージを受けたのも事実だ。

コンテ首相には今後も、引き続きコロナ対策を講じながら経済の回復も期す、という厳しい責務が課されることは間違いがなかった。しかし彼の政権は、経済政策といえばベーシックインカムに代表されるムチャなバラマキ案しか知らない政治素人の集団・五つ星運動に支えられている。適切な経済策を期待するのは厳しいようにも見えた。その意味ではコロナ対策で高い評価を受けたまま退陣したのはあるいは好いことだったのかもしれない。

ドラギ内閣は迅速な経済の回復を進めると同時にワクチン接種を広範囲に迅速に実施しなければならない。後者は出だしでのつまずきが問題になっている。一方経済の建て直しに関しては、ドラギ首相は大きな僥倖に恵まれている。つまりイタリアに提供されるEUからの莫大なコロナ復興資金である。総額は2090億ユーロ、約26兆5千億円にのぼる。そのうちの4割は補助金、6割が低金利の融資だ。

ドラギ首相は理論的にはその大きな資金を縦横に使って経済を再生させることができる。実現すればすばらしいことだが、経済学者が「理路整然」と実体経済を読み違えるのもまた世の常である。ましてや国家経営には、銀行経営とは違って「感情」というやっかいなものが大きく絡むから、ドラギ首相の仕事は決して単純ではない。


ドラギ首相はかつて、ECB総裁として経済危機に陥ったイタリアに緊縮財政策を押し付けた張本人のひとりだ。2011年、財政危機の責任を取って退陣したベルルスコーニ首相に代わって、政権の座に就いたマリオ・モンティ首相は、ドラギ首相とよく似たいきさつで内閣首班になった。だがモンティ首相は当時、ブリュッセルのEU本部とECB総裁のドラギ氏のほぼ命令に近い要請で、財政緊縮策を強いられた。ドラギ氏はちょうど10年の年月を経て自らがイタリア首相になり、且つ潤沢な資金を使って経済の建て直しをする、というモンティ元首相とは真逆の立場におかれたのだ。大きな幸運である。

さらにドラギ首相への追い風が吹いている。EU首脳部は、彼らがイタリアに強要した緊縮財政策が悪影響を及ぼして、イタリアの経済がさらに失速し回復が遅れている、と内心認めていると言われる。従ってドラギ内閣が、EU内でイタリアがギリシャに次ぐ借金大国に成り果てている苦境をしばらく忘れて、さらなる借金さえしかねない財政拡大策を推し進めもこれを黙認する、と考えられている。

ドラギ首相のスネの傷

ドラギ首相は高位のエコノミストとしてこれまでイタリア内外で多くの経済政策を推進してきた。その中には重大な失策もある。例えばドラギ首相はイタリア財務省総務局長時代に、当時国有だった巨大企業イタリア高速道路管理運営会社(ASPI)の民営化を進めた。民営化された同社はオーナー一族に莫大な利益をもたらした。

だが会社は巨利をむさぼるばかりで維持管理を怠り、2018年にはジェノバで高架橋の落下という重大事故を起こして43人もの死者が出た。その事故以外にも ASPIのインフラ管理の杜撰さが問題になっている。コンテ政権は同社を再び国営化した。だが全ての課題が突然消えた訳ではない。かつてASPIを民営化させたドラギ首相は、事態がさらに複雑化し問題が再燃することを恐れているかもしれない。

また世界最古の銀行MPS(モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ)が経営破綻した時、イタリア中央銀行総裁だった彼はその責任の一端を担っている。さらに問題が巡りめぐって同銀行が公的資金で救済された際には、ドラギ首相はECB(欧州中央銀行)総裁を務めていた。MPSに公的資金が投入されたのは、ECBの誘導によるとされている。従って彼はMPSの行く末にも責任を負わなければならない。

コロナ対策も経済政策も、ドラギ政権を支持する全ての政党が一致団結して事に当たれば、きわめてスムースに実行されるだろう。だが意見を異にする政党が寄り集まるからには、対立や分断もまた容易に起こりうる。それぞれの政治勢力がてんでに主張を強めれば、政権内の混乱の収拾がつかなくなる可能性もある。ドラギ内閣を構成している「ドラギを信奉する一大連合勢力」は、両刃の剣以外の何者でもないように見える。



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管首相のコロナ対策は「押し」の妥協ではなく「受身」の妥協だから信用できない


吊り目悪人650


経済も感染防止も大事

言うまでもありませんが、コロナ禍の世界では感染拡大を抑え込みつつ経済も回し続けることが正義です。

感染拡大防止のみを重視してロックダウンを導入すれば、経済が破壊され国民はコロナとは別の危険にさらされます。昨年の春、世界一過酷で世界一長いロックダウンを敷いたイタリアの経済が、これでもかというまでに破壊され多くの人々の暮らしが成り立たなくなったのが好例です。

イタリアよりはゆるく、期間も短かいロックダウンを導入した欧州の他の国々も同様の被害を受けました。欧州一の経済大国でビジネスも好調なドイツでさえ、ロックダウンによって経済は大きなダメージを受けました。

だがそれならばということで、経済の推進のみに力を入れて感染拡大を放置すれば、国民の健康と命が危機にさらされます。先頃までのアメリカや現在のブラジルが好例です。また感染抑止策を誤ったり医療体制が脆弱だったりしてもコロナ被害は拡大します。インドほかの世界の貧しい国々がその好例です。

これまた当たり前のことですが感染防止と経済活動は相反します。欧米や日本などの先進国では、経済規模が大きい分、2者が対立することからくる痛みも大きくなります。

押しの妥協と受身の妥協

感染防止と経済推進という二つの正義はぶつかり合う。だが両立させなければならない。その両立は妥協によってのみ可能になります。

妥協は民主主義とほぼ同義語です。民主主義国である欧米各国や日本は、民主主義のプリンシプルに従って感染拡大と経済活動の妥協点を見つけ出さなければなりません。

言葉を変えれば、感染拡大を完全に押さえ込むことはできない。経済活動を完全に止めることもできない。従ってある程度の感染拡大と犠牲者を受け入れる、という苦痛に耐えながら経済も回していかなければならない。

そのことをメッセージにして明確に国民に伝えるのが菅首相の義務です。

言い方を変えればそれは、感染と経済を見据えながら妥協を繰り返して行く、ということにほかなりません。

妥協することは、弱腰、優柔不断、敗北など、ネガティブな印象をしばしば国民に与えます。

妥協に際しては、追い詰められて仕方なくそれを受け入れたのではなく、強い意志と不退転の決意また責任感から導き出したポジティブな方向転換である、と国民に思わせなければならない。

それでなければ国民は納得しません。

“ポジティブな妥協”ができるのが有能な政治家です。あるいは常にポジティブな妥協をしている、と国民に語りかけることができるのが優れた指導者です。それはつまり、コミュニケーション能力の優れたリーダーということです。

良かれと思って実行した政策が行き詰まるのはよくあることです。その時に間違いを間違いと認めて、さて今後はどうするのかと国民に直接に、且つただちに語るのです。

正直に、誠実に、飾らずに、がキーワード

例えばGoToトラベルはそれ自体は悪くない政策です。だが運悪く遂行のタイミングを間違ったために感染拡大を招きました。菅首相はそこでGoToトラベルの人の移動は感染拡大の原因ではない、と愚劣な言い訳や強弁を弄するべきではありませんでした。

そうではなく、間違いを認めた上で「人の動きが活発になる年末年始には一旦停止するが、経済を立て直すためには重要不可欠な策なので時期を見て再開する」と正直に且つ明確に国民に伝えれば良かったのです。

正直に、誠実に、飾らずに、そして真摯に国民に語り掛けること。何も難しい仕事ではありません。なぜそんな当たり前のことができないのでしょうか。秋田の田舎の出の朴訥で真面目で醇正・篤実な人柄の男が管義偉、という触れ込みはもしかすると嘘なのでしょうか?

残念ながら日本の政治家は、菅首相に限らず伝統的にコミュニケーション力が弱い。ゼロと言っても良いかもしれません。

それでも日本の外から見ていると、その政権や人となりへの賛否は別にして、最近では中曽根、小泉両元首相のようにコミュニケーション力の強い人も出ました。だが形成されかけたその伝統は、安倍
前首相によって後退し、菅首相によって完全に死に絶えたようにさえ見えます。

日本の政治家は説明責任という成句をナントカの一つ覚えのように口にしますが、彼らには常に言葉が足りない。政治家が説明責任を果たすのは最低限の義務です。政治家にはそれに加えて独自の考えをより明確に国民に伝える能力、すなわちコミュニケーション力がなくてはなりません。

それを「間違いを隠さない正直と勇気」に裏打ちされた能弁、と言い換えても構わないと思います。管首相のように間違いから目を逸らしたり建て前や口上を述べ立てて誤魔化すのはコミュニケーションではありません。

菅首相には、世界の有能な指導者の多くが持っているコミュニケーション力も分かりやすさもありません。それは彼が寡黙だからではなく彼の発する言葉には既述のコンセプト、つまり「間違いを隠さない正直」と「勇気に裏打ちされた能弁」が欠けています。だから国民の琴線に触れない。

発信できないなら去るべし

菅首相には的確なコミュニケーション力が欠けているだけではありません。日本学術会議問題やコロナ対策などで露見し続けているように、彼には政策方針の転換の理由を「詳しく説明する言葉」さえないのですから、何をか言わんやです。

菅政権は、既述のように感染予防も経済の推進も「政策」としてはまともな内容のものを掲げています。ところがそれが国民に十分に伝わっていません。伝わらなければ政策は無いにも等しい。

コミュニケーション能力が弱い菅首相の施策は、たとえそれが感染防止と経済活動を秤にかけた上での適切な「妥協」であっても、行き当たりばったりの結果にしか見えず、逃げや敗北の色が濃い動きに見えてしまいます。

管首相は追い詰められて「受身の妥協」をするのではなく、常に先手先手と政策を押し進めて、それが間違っていた場合には、即座にそのことを認め「積極的に妥協」して、修正し前進する勇気と誠実と知恵を持つべきです。

それができないのなら、速やかに去ることが、彼の言う国民への最大の奉仕になると考えます。


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万死に値するレンツィ元首相は実はあるいは救世主かも

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2020年、イタリアは自由主義社会で初めて新型コロナ地獄に陥り辛酸を舐めた。そこでイタリアを破滅から救い出したのが当時のジュゼッペ・コンテ首相だ。大学教授から突然宰相に抜擢された彼は、初めの頃こそ周囲の政治家連の操り人形と批判されたりした。

しかし2019年8月、連立政権の一角を成す極右の「同盟」が離脱を決めたとき、同党の強持てのサルビーニ党首を「ジコチューで無責任」と面前で厳しく批判して男を上げた。サルビーニ党首は、右派への支持率が高まったのを見て、極左の「五つ星運動」との連立を解消し、総選挙に持ち込んで右派連合の政権を樹立しようと画策したのだった。

半年後の2020年2月、イタリアは新型コロナの感染爆発に見舞われた。医療崩壊が起きて死者の山が築かれるなど、事態が制御不能に陥った。そこで全土ロックダウンという前代未聞の策を躊躇なく導入して、パンデミックに立ち向かったのがコンテ首相だった。

コンテ首相は、見習うべき手本のない暗闇の中で果敢に立ち上がり、国民に忍耐と連帯と分別ある行動を呼びかけ、過酷な全土封鎖策を受け入れさせた。阿鼻叫喚の恐怖の中で、国民は首相の誠実と熱意と勇気に鼓舞された。

しかし、パンデミックが依然として続く2021年1月、政界の「壊し屋」と異名されるマッテオ・レンツィ元首相が率いる小政党「イタリア・ヴィーヴァ」が、連立政権からの離脱を表明した。それはレンツィ元首相の独善による反乱だった。

コンテ内閣は一気に危機に陥った。レンツィ元首相は、EU(欧州連合)からイタリアに与えられるコロナ復興資金の使い道が不透明だとして、コンテ首相に詰め寄ったのである。彼の主張にはいろいろともっとっもらしい理由がつけられたが、要するにそれは「俺にも金を寄越せ」という我欲の表明に過ぎない、と批判された。

その批判は当たっていると思うが、同時にレンツィ元首相は、コンテ政権を支える極左の「五つ星運動」が、EUからの復興基金を思いのままに食いつぶすことを恐れた部分もあるのではないか、とも僕は推察する。

腐敗政治家や無能で古い諸制度を厳しく批判する「五つ星運動」の主張には、目覚ましいものもある。しかし彼らにはそれに代わる明確な案がほとんどない。あっても荒唐無稽なものが多い。復興資金を集票のためのバラ撒きに使う可能性も大いにあると思うのである。

それにしてもイタリアはー世界中の多くの国と同様にー依然としてパンデミックのまっただ中で呻吟している。コンテ首相の優れたリーダーシップによって、既述のように第1波時の最悪の状況は切り抜けたが、危機は決して終わってはいないのだ。

そんな中で政局を混乱に導いたレンツィ元首相には、多くの厳しい批判が浴びせられた。当然のことだ。

彼の反乱の真の目的は、存在感が薄らいでいく一方の党と自分自身に世間の耳目を集めて勢いを得たい、ということだと見られている。同時に元首相は恐らく、政治家としてはずぶの素人だったコンテ首相が、鮮やかな力量を発揮して国民の圧倒的な支持を集めている事実に嫉妬したのではないか、とも僕は考えている。

レンツィ元首相は、自信過剰で鼻持ちならない言動でも有名な政治家だ。34歳の若さで出身地のフィレンツェの市長に選ばれ、さらに当時イタリア最大の民主党の党首に抜擢された後、若干39歳で首相にまで上り詰めた。その輝かしい経歴が、彼の鼻をピノキオのそれの何十倍もの高さに押し上げてしまったようだ。

そんな人物には時節や社会状況や国民の動向など関係がない。彼が奉仕して然るべきそれらの要素は、レンツィ元首相にとってはむしろ逆に「自分のために存在するもの」になってしまっているのだろう。かくして彼は、時節などわきまえず、自己満足のためだけにコンテ第2次内閣を倒して、イタリアを政治危機の中に投げ込んだ。

しかしコンテ首相への議会の支持は強いものがあった。レンツィ・グループの反乱にもかかわらず、コンテ内閣はイタリア下院で絶対多数の信任を得た。しかし、下院と全く同等の権限を持つ上院では絶対多数ではなく、出席議員のうちの多数である単純多数での信任に留まった。絶対多数161に対して5票足りない156票だったのだ。

僅差での信任はコンテ内閣が少数与党に転落したことを意味する。それでは予算案などの重要法案を可決できなくなる可能性が高くなる。危機感を抱いたコンテ首相は1月26日、マタレッラ大統領に辞表を提出した。

その動きは予期されたものだった。大統領に辞表を提出し、けじめをつけた上で改めてその同じ大統領から組閣要請を受ける、というのがコンテ首相の狙いである。それはイタリアの政治システム下ではごく真っ当なプロセスだった。

辞任した首相が新たな上院議員の支持を取り付け第3次コンテ内閣を船出させる、というのは誰もが予想した展開だった。コロナ渦の緊急事態の最中では、それが最善の成り行きのように見えた。だが事態は急転回し、コンテ政権は崩壊してマリオ・ドラギ内閣が発足した。

我執にからめとられたレンツィ元首相の行為は許しがたいものだ。

しかし、少し引いて事態を眺めた場合、あるいは政変はイタリアのために良いことだったのではないか、とも僕は考える。なぜなら過激な主張の多い「五つ星運動」が、EU復興資金に目が眩んで破滅的な経済政策をゴリ押しし、コロナ禍で深く傷ついたイタリア経済をさらに痛めつける可能性が低くなったからだ。

コンテ首相は、コロナ第1波の地獄の最中には「五つ星運動」の強い支えもあって、ロックダウンという過酷な策を成功させた。しかし今後は経済の建て直しがイタリアの最大の課題になる。彼の政権が続いた場合コンテ首相は、政治経済ともに素人の「五つ星運動」に引きずられて大きな瑕疵を犯す可能性もあった。

従って経済の専門家であるマリオ・ドラギ氏に政権のバトンタッチが行われたのは、あるいは僥倖だったのかもしれないとも思う。そうすると、万死に値するとも見える大きな政治混乱を招いたレンツィ元首相は、巡りめぐってイタリアの救世主でもある、というややこしい結論にもなりかねないのである。



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置き物のイタリア大統領が化け物になる理由(わけ)  



mattarella650

イタリアでまた政権が変わりました。1月26日にジュゼッペ・コンテ首相が辞任し、ほどなくマリオ・ドラギ内閣が誕生しました。イタリアではひんぱんに内閣が倒れ政権が交代します。よく日本の政治状況に似ていると言われますが実は大きく違います。イタリアでは政治危機の度に大統領が大きな役割を果たすところが特徴的です。

国家元首であるイタリア大統領は、上下両院議員の投票によって選出されます。普段は象徴的な存在で実権はほとんどありません。ところが政治危機のような非常時には議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施し、軍隊を指揮するなどの「非常時大権」を有します。大権ですのでそれらの行使には議会や内閣の承認は必要ありません。

今回の政変は1月13日に起きました。コンテ内閣の一角を担っていたレンツィ元首相率いる小政党「イタリア・ヴィーヴァ」が連立政権からの離脱を表明しました。それによって、昨年の新型コロナ地獄を乗り切り国民の強い支持を受けてきたコンテ内閣が、一気に倒壊の危機に陥りました。

しかし、レンツィ派の造反にもかかわらず、コンテ首相への支持は強いものがありました。反乱後の信任投票でコンテ内閣はイタリア下院の絶対多数の信任を得ました。一方で下院と全く同等の権限を持つ上院では、出席議員の過半数を僅かに超える単純多数での信任にとどまりました。絶対多数161に対して5票足りない156票だったのです。

僅差での信任はコンテ内閣が少数与党に転落したことを意味し予算案などの重要法案を可決できなくなる可能性が高まります。危機感を抱いたコンテ首相は、冒頭で触れたように1月26日、マタレッラ大統領に辞表を提出します。この動きは予期されたものです。大統領に辞表を提出し、けじめをつけた上で改めて大統領から組閣要請を受ける、というのがコンテ首相の狙いでした。それはごく自然な動きです。

コンテ内閣は世界最悪とも言われたコロナ危機をいったん克服はしたものの、イタリアは依然としてパンデミックの緊急事態の最中にあります。今の状況では、コンテ首相が辞表を出して大統領の慰留を引き出すのが得策。その上で新たに上院議員の支持を取り付け第3次コンテ内閣を発進させる、というのが最善の成り行きのように見えました。それが大方の予想でした。

しかし、マタレッラ大統領が「非常事大権」を行使して状況を急転させました。大統領はコンテ首相に新たに連立政権工作をするよう要請する代わりに、ロベルト・フィーコ下院議長にそのことを指示したのです。フィーコ議長は議会第1党の五つ星運動の所属。五つ星運動は議会最大の勢力ながら政治素人の集団です。フィーコ氏には党外での政治的影響力はほとんどありません。

コンテ内閣の再構築を念頭に各党間の調整を図る、フィーコ下院議長の連立政権工作はすぐに行き詰まります。するとマタレッラ大統領は、まるでそれを待っていたかのように前ECB(欧州中央銀行)総裁のマリオ・ドラギ氏に組閣要請を出しました。「非常事大権」を意識した大統領の動きは憲法に則ったものです。誰も異議を唱えることはできません。

大統領のその手法は、見方によっては極めて狡猾なものでした。なぜなら彼はそこで一気にコンテ首相の再登板への道を閉ざした、とも考えられるからです。そうやってイタリアの最悪のコロナ地獄を克服した功労者であるコンテ首相は、マタレッラ大統領によって排除されました。

少し脇道にそれて背景を説明します。マタレッラ大統領はコンテ政権内で反乱を起こしたレンツィ元首相と極めて親しい関係にあります。2人はかつて民主党に所属していました。加えてマタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツ氏が率いる中道左派連合の強い支援で大統領に当選しました。それ以前も以後も、大統領がレンツィ元首相に近いのは周知の事実です。

また彼ら―特にレンツィ元首相―が左派ポピュリストの五つ星運動と犬猿の仲であることもよく知られています。コンテ首相は五つ星運動所属ではないものの同党に親和的です。マタレッラ大統領にはそのことへの違和感もあったのではないか。そこにコンテ首相の排除を望むレンツィ元首相の影響も作用して、政変の方向性が決定付けられたのでしょう。

そればかりではありません。大統領とレンツィ元首相は強烈なEU(欧州連合)信奉者です。その点はECB(欧州中央銀行)前総裁のドラギ氏ももちろん同じ。しかもレンツィ氏とドラギ氏も親密な仲です。次期イタリア首相候補としてドラギ氏を最初に名指したのも実はレンツィ元首相なのです。

かくてEU主義者のマタレッラ、レンツィ、ドラギの3氏が合意して、反EU主義政党である五つ星運動に支えられたコンテ首相を排除する確固とした道筋が出来上がりました。マタレッラ大統領は彼の持つ「非常時大権」を縦横に行使してその道筋を正確に具現化しました。

国家元首であるイタリア大統領は、既述のように上下両院の合同会議で全議員及び各州代表によって選出されます。普段はほとんど何の実権もありませんが、政府が瓦解するなどの国家の非常時には、あたかもかつての絶対君主のような権力行使を許され機能しない議会や政府に代わって単独で役割を果たします。いわば国家の全権が大統領に集中する事態になるのです。

例えば2011年11月、イタリア財務危機のまっただ中でベルルスコーニ内閣が倒れた際には、当時のナポリター ノ大統領が彼の一存でマリオ・モンティ氏を首相に指名して、組閣要請を出しました。そうやって国会議員が一人もいないテクノクラート内閣が誕生しました。

また2016年、レンツィ内閣の崩壊時には現職のマタレッラ大統領が外相のジェンティローニ氏を新首相に任命。ジェンティローニ内閣はレンツィ政権の閣僚を多く受け継ぐ形で組閣されました。そして泥縄式の編成にも見えたその新造の内閣は、早くも3日後には上下両院で信任されました。

2018年の総選挙後にも大統領は「非常時大権」を行使しました。政権合意を目指して政党間の調整役を務めると同時に首班を指名して組閣要請を出しました。その時に誕生したのが第1次コンテ内閣です。コンテ首相は当時、連立政権を組む五つ星運動と同盟の合意で首相候補となりマタレッラ大統領が承認しました。


政治危機の中で大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、混乱を引き起こす原因にもなる政治システムをイタリア共和国が採用しているのは、ムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ごうとしているからです。

議会は任期が満了したり政治情勢が熟すれば解散されなければなりません。議会が解散されれば次は総選挙が実施されます。総選挙で過半数を制する政党が出ればそれが新政権を担います。その場合は大統領は政権樹立に伴う一連の出来事の事後承認をすれば済みます。それが平時のイタリア大統領の役割です。

しかし、いったん政治混乱が起きると、大統領は一気に存在感を増します。イタリアの政治混乱とは言葉を変えれば「大統領の真骨頂が試される」時でもあり、「大統領の“非常時大権“の乱用」による災いが起きるかもしれない微妙且つ重大な時間なのです。



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読者コメントは宝の山



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Yahoo掲載記事へのコメントはことのほか程度が低い、というかなり広範に信じられている意見がある。

それは読者の程度が低い、ということではなく多種多様な知性や与太郎や教養や戯者がいる、ということなのだろうと思う。

ということはつまり読者の幅が広いということである。

記事を執筆した僕はほとんどコメントは読まない。

読みたいのは山々だが、読むと賛同や反論にかかわりなく返信したくなる性質なので、きりがなくなる。

要するに時間がない。

実は賛同者や批判者と対面で話すのは楽しい。

批判者や反論者でも対面で話すと分り合える。あるいは分り合えないということを分り合える。

それは痛い飛礫そのものでしかなかった批判の言葉が、人間に変貌する時間である。

人間である限り、人と人はそうやすやすと憎しみ合えるものではない。

対面で話すと十中八九はそんな気分になれる。

対話の魔術である。

僕がつまらなく感じるのは記事の内容を把握せず好き勝手なことを書き連ねたコメント。

ネトウヨヘイト系の薄汚い誹謗中傷。

記事のうち自分の見たいフレーズのみを捉えて拡大解釈した意見など、など。

僕は「文意は伝わらない」というひどく悲観的な定見を持っている。それは憂鬱であると同時に明朗な思いでもある。

なぜなら「文意は伝わらない」からこそ下手なりに文章を磨こうとも考えるからである。






イタリアの「またもや」の政治危機が行く~ドラギ内閣が生まれそう


大木アタマ650


イタリアのセルジョ・マタレッラ大統領の要請を受けて、政権樹立の可能性を探ってきたマリオ・ドラギECB(欧州中央銀行)前総裁の仕事が完成しそうだ。

議会第1党と第2党で、且つ鋭く対立してきた五つ星運動と同盟が、ドラギ内閣を支持することがほぼ確実になってきた。

しかし、五つ星運動は内部が平穏ではなく、ドラギ政権に参加することによって分裂が進みかねない状況。土壇場での方向転換もありうる情勢。

五つ星運動と同盟は左右のポピュリストである。ポピュリストという点移外にはほとんど共通点がないにもかかわらず、両党は2018年に手を結んで野合政権を樹立した。

だが元々犬猿の仲である五つ星運動と同盟は多くの政策で対立、喧嘩が絶えなかった。連立政権発足から1年余りの2019年8月、同盟が対立激化を理由に早期の解散総選挙を要求。

否定されると内閣不信任決議案を提出して政権を離脱した。同盟のサルビーニ党首に、総選挙に持ち込んで右派勢力を結集し、独自政権を樹立したい思惑があったのは周知のことである。

第1次コンテ内閣は崩壊した。が、五つ星運動がすぐに彼らの天敵だった議会第3党の民主党に呼びかけて、2019年9月5日、あらたに連立政権を樹立した。

第2次コンテ内閣は、2020年初めからイタリアを襲ったコロナ惨禍を克服。それは大きな指導力を発揮したジュゼッペ・コンテ首相の手柄だった。

コロナ地獄と、それをうまく処理するコンテ首相の前にしばらく鳴りを潜めていた守旧派の政治勢力は、EU(欧州連合)からの莫大なコロナ復興援助金に目が眩んで密かに暗躍を開始。

その流れで2021年1月13日、レンツィ元首相が率いる連立内の小政党「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が政権からの離脱を表明。「壊し屋」の異名を持つレンツィ元首相が、「コロナ復興資金の使途不明確」という不明確な理由を口実に反乱を起こしたのだ。

レンツィ元首相の一存で「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が同党所属の閣僚を引き上げたため、第2次コンテ内閣は事実上崩壊。2021年1月26日、コンテ首相は辞任を表明した。

それを受けて2021年1月29日、マタレッラ大統領がロベルト・フィーコ下院議長に連立模索を指示。しかしそのわずか数日後にフィーコ下院議長の連立工作は失敗に終わった。

マタレッラ大統領はあたかもそれを待っていたかのように素早く行動する。ためらうことなくマリオ・ドラギ前ECB総裁に組閣要請を出したのだ。そこにはレンツィ元首相の暗躍があった。

マタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツ氏が率いる中道左派連合の強い支援で大統領に当選している。それ以前も以後も、大統領がレンツィ元首相に近いのは周知の事実である。

1月29日、マタレッラ大統領がコンテ首相ではなくフィーコ下院議長に連立模索を指示したのは、ドラギ氏に組閣要請を出すための深謀遠慮、伏線のように見える。

つまりマタレッラ大統領は、辞任を表明したコンテ首相ではなく、敢えてフィーコ下院議長に連立工作を指示することによって、第3次コンテ内閣の成立を阻んだとも考えられるのだ。

政治的にほぼ無力のフィーコ氏が連立工作に失敗するのは明らかだった。一方、コロナパンデミックを通して国民の圧倒的な支持を受け強い指導者に変貌しているコンテ首相なら、再び彼自身が首班となる政権樹立が可能だった。

マタレッラ大統領もそのことは知悉し、また昨年のコロナ地獄を乗り切ったコンテ首相への信頼も十分にあると思う。それでいながら彼がコンテ首相に3度目の組閣要請を出さなかったのは、おそらく首相の背後に控えている五つ星運動への警戒感からではないか、と僕は考える。

そこに政治的に近しいレンツィ元首相の影響が加わって、マタレッラ大統領の動きが規定された。なにしろ次の首相候補としてマリオ・ドラギ前ECB総裁の名を最初に口にしたのは、レンツィ元首相なのである。

マタレッラ大統領、レンツィ元首相、そして前欧州中央銀行総裁のドラギ氏は言うまでもなく、全員が強力なEU(欧州連合)信奉者だ。片やコンテ首相は反EU主義政党・五つ星運動と親和的。

むろんそのこと以外にも対立や苛立ちや不審また不信感などがあるだろうが、親EUで固く結びついた政治勢力は、コンテ首相を排除してドラギ氏に白羽の矢を立てたのである。

以来、今日までのほぼ一週間に渡って、ドラギ氏は彼の内閣の誕生を目指して全ての政党と政権協議を進めてきた。

結果、冒頭で述べたようにドラギ氏は、最大勢力の五つ星運動と同盟をはじめとするほぼ全勢力の支持を取り付けた。

同盟はほぼ全党一致に近い賛成。一方の五つ星運動は、内部分裂の危機を孕んだ危うい状態での賛成ではある。

五つ星運動は彼らの金看板である「一定の国民に所得を保障する」ベーシックインカムまがいのバラマキ政策を死守したい思惑がある。が、そのバラマキ策に違和感を抱く国民も多くいる。

ドラギ氏との政権協議には、普段は姿を隠している五つ星運動の大ボス、ベッペ・グリッロ氏も参加。彼はかつてドラギ氏を「ECBのドラキュラ」などと口汚く罵っていた過去をころりと忘れて、ドラギ氏に擦り寄った。

グリッロ氏が突然表舞台に姿を現したのは、コンテ首相の退陣によって五つ星運動の求心力が下がるどころか、下手をすると党がドラギ氏の連立政権から弾き出されかねないことを恐れての動きだろう。

五つ星運動に似たもう一方のポピュリスト・極右の同盟も、早期の解散総選挙を声高に主張していた姿勢を改めて、あっさりとドラギ氏支持に回った。

政治に誠実や正直を求めても詮無いことだが、2党の指導者の節操の無さは相変わらずすさまじい。もっともそれは他の政治勢力も同じだが。

民主党とレンツィ党はEU主義者という意味で、既述のように欧州中央銀行の総裁だったドラギ氏とは親和的。また同盟とともに右派勢力を形成するベルルスコーニ元首相の「フオルツァ・イタリア」も、ドラギ氏とベルルスコーニ氏が旧知の仲であることを言い訳に、さっさとドラギ政権支持に回った。

ドラギ氏は先に触れたように、ほぼすべての政党からの支持を取り付けた。おそらく今週中にも首相に就任する見通し。 現時点で明確にドラギ不支持を表明しているのは、ファシストの流れをくむ極右小政党「イタリアの同胞」のみである。




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イタリア政治危機が行く~ジコチュー政治家より経済学者のほうがいいかも


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コンテ首相の辞任を受けて政治混乱が続くイタリアでは、マタレッラ大統領が欧州中央銀行(ECB)前総裁のマリオ・ドラギ氏に組閣要請を出した。

ドラギ氏は要請を受諾して「コロナパンデミックを乗り越え、ワクチン接種を完遂して国民生活を普通に戻し、イタリアを再生させなければならない。われわれにはEU(欧州連合)からの膨大な支援金がある」と抱負を述べた。

ドラギ氏は政権樹立を目指して各政党との話し合いに入った。しかし議会多数の支持を得られるかどうかは不明。

議会第一党の左派ポピュリスト五つ星運動はただちに不支持を表明した。五つ星運動は辞任したコンテ首相の再任を強く推してきた。

また右派の中心で議会第二勢力の同盟は総選挙を主張しているが、ベルルスコーニ元首相率いるフォルツァ・イタリアはドラギ政権に肯定的。

欧州中央銀行(ECB)総裁として欧州ソブリン危機で大きな役割を演じたドラギ氏は、国際的な知名度も評価も高い。

だが彼は経済学者である。経済学者は経済を理路整然と間違うこともよくある。ましてや政治家としての力量は未知数だ。

とはいうものの、前任のコンテ首相も就任した時はずぶの政治素人だった。

コンテ首相は最初の頃は、周囲の政治家連の“操り人形”と批判されたりもした。が、間もなく有能なリーダーであることが明らかになっていった。

もしもドラギ氏が対立の激しい各政党を説得して組閣にまで至るなら、レンツィ元首相に代表される我欲のカタマリのような政治家連よりも、イタリアのためにはるかに良いかもしれない。

コンテ、もはや「前」首相のように。。



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