【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

欧州随一のトランプ主義者ヴィクトル・オルバンの崖っぷち

オルバントランプ650

4月12日に行われるハンガリー総選挙が、欧州のみならず世界の大きな注目を集めている。

EUきっての仁義なき戦い男、ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相が、16年間(合計20年余り)にも渡る強権支配を終える日が迫ったかもしれないからだ。

ほぼ全ての世論調査によると、野党ティサ(Tisza党を率いるペーテル・マジャル氏が、フィデス(Fidesz 党のオルバン首相を大きくリードしている。

政権党による不正がない限り、ハンガリーの次期首相はペーテル・マジャル氏になる見込みだ。

オルバン首相はトランプ大統領とプーチン大統領の強い支持を受けている。

ウクライナ問題では、EUの総意に反してプーチン大統領に寄り添い、トランプ大統領のあらゆる政策を称賛している。

オルバン氏は1998~2002年に首相を務めた。その後、下野して2010年に再び政権を握った。

以後16年に渡って「民主主義ではない民主主義」の手法でハンガリーを統治してきた。

学識者は彼の政治手法を独裁ではないが民主主義でもない「ハイブリッド体制」「競争的権威主義」あるいは「情報独裁政権」などとと呼ぶ。

またオルバン首相自身は自らの政府を「非自由主義的民主主義」と規定した。

第12代欧州委員会委員長のジャン=クロード・ユンケル氏は、EUサミットでオルバン首相に会った際、「この独裁者~」とジョーク交じり言いつつ首相の頬を叩いた。

僕はオルバン首相を単純に「ハンガリーのミニトランプ」あるいは「EUの目の上のトランこぶ」などと呼んで呆れつつ憂鬱に眺めている。

ハンガリーは16年間の「非自由主義的民主主義」政権のおかげで、欧州連合の中で最も腐敗し、最も貧しく、最も自由度の低い哀れな国に成り下がったとされる。

オルバン首相のボスのトランプ大統領は、選挙応援のためにルビオ国務長官と、トランプ大統領に輪をかけたトランプ主義者であるヴァンス副大統領を、ハンガリーに送り込んだ。

彼らの力でオルバン首相の劣勢が覆せるとは思えない。

だが、もしも覆った場合は、オルバン首相のEU内での無頼度が勢いを増し、イラン戦争で躓いたトランプ大統領の強烈な悪運が回復するきっかけにもなりかねない。

そして何よりも気が滅入るのは、ボスよりもさらに危険なトランプ主義者にも見えるヴァンス副大統領が、次期米大統領としての足場をさらに固めるかもしれない事態である。



facebook:masanorinakasone





辺境のリーダー、高市早苗首相の悲哀

日仏首脳会談ヒキ650

高市首相は欧米の首脳会談の相手にドナルド(Trump)、キア(Starmer)、ジョルジャ(Meloni)、エマニュエル(Macron)とファーストネームでしつこく語りかけた。

ところが高市首相は、会談した韓国の李在明(イ・ジェミョン)大統領をファーストメーネームではなく、一貫して「李大統領」と敬称で呼び続けた。

また2026329日から31日まで日本を公式訪問したインドネシアのプラボウォ・スビアント大統領に対しても初めから終わりまでプラボウォ大統領と尊称した

一見何ほどのこともないように見えるが、そこには高市首相の劣等感とそこからくる強い承認欲求、またそれとは真逆の優越意識がもたらすダブルスタンダードの虚偽が複雑にからみあっていて哀れを誘う。

彼女は欧米の首脳にはファーストネームで語りかけ、アジアの首脳には公の場でのプロトコールに則って李大統領、プラボウォ大統領またはプラボウォ・インドネシア大統領などと敬称し続けた。

敬称で呼びかけるのが当たり前の外交儀礼だが、彼女の胸の奥の奥にはアジアの首脳への、侮蔑とまでは言わないが、かすかな優越感が木の間隠れに見えるように思った

同時に彼女の中には、古くて新しい日本人の根本問題、つまり欧米(人)への抜きがたい劣等意識が潜んでいる

首脳同士の会談の場では、相手の肩書きやサーネーム(姓)+肩書きで語りかけるのが礼儀である。

そののち、何度か会い信頼関係が増す過程で、互いにファーストネームで呼びかけるようになる。それはルールではなく欧米の一般的な人間関係の発露に過ぎない。

国際関係に於いては首脳同士の友情がもっとも大事、という認識もある。従って最終的には2人がファーストネームで呼び合う関係が望ましいとされる。

高市首相は友誼、そして究極には信頼関係を構築する目的で、相方をしきりにファーストネームで呼んでいる。

だが、まだ親しみもない一国の首脳を「無理やり」にファーストネームで呼び続けるのは、不料簡を通り越した噴飯劇である。

そのことを端的に示すのが、高市首相に突然ファーストネームで呼ばれた各国首脳の驚きの表情だ。無神経且つ唯我独尊覇王のトランプ大統領は別にして、欧州首脳らは明らかに戸惑い、微苦笑を浮かべて彼女に対した。

マナーを心得ている彼らは、面と向かって相手のマナー違反を指摘するのは最大のマナー違反だと認識している。

だから驚き、だが無言で微苦笑を浮かべるしかないのである。

高市首相がそこで痛切に希(こいねが)っているのは、憧れの欧米の首脳と対等になりたいという激しい承認欲求、あるいは尊厳欲求である。

その心理また行動様式は、中曽根康弘首相が80年代にレーガン大統領とロン・ヤスの関係を構築し、首脳同士が名前で呼び合う慣わしが定着して以降の、日本側のいつもの一方的な、ストーカー然とした盲愛だ

同じ悲恋の直近の目立つ例は、故安倍首相がトランプ大統領とこれまたフェイクな友達関係を作り上げた物語である。

歴代のアメリカ大統領は腹の中で嗤いつつ日本首相の切なる願いを微苦笑のオブラートに包んで許し、受け入れてきた。

現大統領を除く彼らもまた、目の前の相手のマナー違反をあげつらうのは大きなマナー違反、と知っていたのである。

そうではあるが、しかし、高市首相の周りには、歴代の日本首相とは大きく違う空気感が立ちこめているのも事実だ。公平を期する意味でもそのことは指摘しておきたい。

会談相手の首脳たちは、ほぼ決まって出だしの微妙な違和感あふれる表情から徐々に解き放たれ、愁眉を開いていく様子がうかがえる。

高市首相の不自然な呼びかけに覚えたかすかな気持ちの揺れが過ぎると、彼らの表情には紛れもない親しみの色が浮かび出るのである。

それは高市首相の人となりが生み出すポジティブな情調だ。

あるいは後代の歴史家は、各国首脳を徹底してファーストネームで呼ぶのが高市首相独自の改革だった、評価するのかもしれない。

もしも彼女が、欧米の相方だけではなく、アジアの相対者にも、親しくファーストネームで語りかけるバイアスのない情動を持っていれば、その可能性はさらに高まるだろう。

だが、それはやはり無理ではないかと僕は考える。

なぜなら彼女は相変わらず極め付きの歴史修正主義者であり、天皇制ファシズム容認派であり、靖国崇拝、神社本庁また日本会議拝跪主義者である。

同時に彼女は、安倍極右神殿参りを繰り返す国家神道思い込んだら100年目保菌者でもあり続けている。

あるいは改革者かもしれないと思わせる外見はフェイクで、内心の黒い政治信条や思惑や哲学が彼女の本性なのだ。

そのことに思い至ると、高市首相の外交姿勢が途端に不気味に見えてしまうのは、返す返すも残念である。




facebook:masanorinakasone



復活祭に子ヤギまた子羊肉を食らういつもの罪と快楽

羊肉丸焼き見世物ヨリ800 - Copia

今日は復活祭。イエス・キリストが死後3日目によみがえったことを祝う祭り。イタリアでは伝統的に子羊や子ヤギの肉が多く食される。

イエス・キリストが贖罪のために神にささげられる子羊、すなわち「神の子羊」とみなされることから、復活祭に子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができた。

子羊の肉はやがてそれに似た子ヤギの肉にも広がっていった。

僕はイタリアでは1年に一度、復活祭の日に子ヤギの肉を食べるのが習わしである。その習いが高じて、地中海域を旅するときは各地の子ヤギ料理を食べ歩くようになった。

地中海域の国々では、子羊や子ヤギの肉がよく食べられ味も素晴らしい。

子ヤギ料理にこだわるのは、単純にその料理が「おいしくて好き」というのがまず第一だが、自分の中に故郷の沖縄へのノスタルジーがあるからだと思う。

島が貧しかった子どものころは、ヤギ肉は貴重かつ高級な食材なので、豚肉と同様にあまり食べることはできなかった。たまに食べるとひどくおいしいと感じた。

島々が豊かになった今は、帰郷の際にはその気になればいくらでも食べられる。が、昔ほどうまいとは感じなくなった。嫌いではないが料理法が単調で肉が大味と思うようになったのだ。

イタリアを含む地中海域の子ヤギの肉は柔らかく上品な味がする。調理法もバラエティーに富んでいてヤギ独特のにおいもない。成獣の肉ではなく草を食(は)む前の小さなヤギの肉だからだ。

生まれて間もない子ヤギをつぶして食べるのは罪深くかつ大きなぜいたくである。

“かわいそう”などと偽善的な言葉は口に出すまい。それを言えば全ての家畜をつぶすことがかわいそうということになるのだから。

人間が生きるとは殺すことだ。植物のように自らの体内で生きる糧を生み出すことができない人間は、人以外の多くの生物を殺して食べ、そのおかげで生きている。

肉や魚を食べない菜食主義者の人々でさえ、植物という生物を殺して食べて生命を維持している

人間が他の生き物の命を糧に、自らの命をつなぐ生き方は仕方のないことだ。も しもそれが悪であり犯罪であるなら、われわれ人間は一人残らず悪人であり罪人である。

僕は子ヤギや子羊の肉を食べることを悪とは考えない。それは強いて言うならば、殺すことしかできない人間の「業」だ。

子ヤギを食らうのも野菜サラダを食べるのも同じ「業」なのである。

人間から業を取り去れば清浄無垢な何ものかが立ち現れるのだろう。だが、そんな存在はもう人間ではない。神に近い何ものかであり、人間の対極にあるものである。

つまり理想という名の虚偽だ。

理想は実現できないからこそ理想なのである。あるいは実現することが限りなく不可能に近い難事だからこそ、理想なのである。

故に理想に向かって懊悩する「プロセスそのもの」が、つまりは理想的な生き方ということなのかもしれない。

子ヤギを慈しむ心とそれを食肉処理して食らう性癖の間には何らの齟齬もない。

それを食らうも人間の正直であり、食わないと決意するのもまた人間の正直である。




facebook:masanorinakasone









多様性の深いふところ~政治3流、経済4流のイタリアが、政治5流、経済2流の日本のロールモデルになり得る理由(わけ)

両手ピースの馬鹿市

日伊のファシスト気質政権

高市政権がトランプ米政権と親しいのは、両者が正真正銘の極右権力機構だからである。

彼らの前には安倍極右体制があった。

ここイタリアでは高市政権以前の2022年9月、極右政党が主導する政権が誕生した。主導するのはファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」。

党首のジョルジャ・メローニ氏がイタリア初の女性首相になった。

ファシスト紛いの集団が政権党と聞けば、以前なら思わずぎょっとなるところだが、ファナティストで専制君主のトランプ氏が、2017年にアメリカ大統領に就任して以降はどうということもなくなった。

2025年10月 、世界の政治潮流の残響をたどりながら誕生した高市早苗首相率いる極右政権は、名実ともに安倍政権に続くファシスト気質の極右権力機構だ。 

今や世界にはファシスト気質の政治家や政権が溢れている。

英リフォームUK 党のファラージ氏とブレグジッド派勢力、フランスのルペン国民連合党首、チリのカスト大統領ほかの南米またアジア・アフリカの指導者、などなど。

それらの政治家や政治勢力は、強権的という意味でプーチン大統領や習近平国家主席、また金正恩総書記などにも似ている。彼らのうちの多くは実際にお互いに友誼を結んでいる関係でもある。

慣れの功罪

首相就任から4年目に入るイタリアの同胞のジョルジャ・メローニ党首は、いま述べた世界のファシスト気質の政治家の中でも最もファシストに近い指導者とされてきた。

だが彼女は、政権奪取と同時に現実路線に舵を切り、欧州でも強い影響力を持つ保守政治家へと変貌を遂げた。

今では極右と呼ばれる勢力が政権を握ることは、かつてそうであったほどの脅威にはならない。イタリアを含む世界は既述のファシスト的性向の指導者や政権に慣れて来ている。

慣れは油断につながり、権力の暴走を許す可能性がある。同時に、対抗政治勢力と国民が、それら危険な権力への対処法を学ぶ原動力にもなる。

極左と極右は同じ穴のムジナ

イタリアではメローニ以前の2018年、極左と極右と定義されることも多い「五つ星運動」と「同盟」が政権を樹立する事態になった。それは欧州を震撼させたが、イタリア共和国は2党がかねてから主張する脱EUには向かわなかった。

ポピュリスト政権は、EUの意向に反してバラマキ政策を敢行した。と同時にEUとの共存の道も模索し続けた。やがて同盟が離反すると、 五つ星運動はEUと親和的な民主党と連立を組み直して、政権はより穏健になった。

そしてついに2022年、正真正銘の極右政党、イタリアの同胞が議会第1党になったのである。

それが他の主要民主主義国で起これば一大事だが―そしてむろんイタリアでも強く懸念されてはいたが―この国の核を成している多様性が担保して、極右はやや中道寄りの現実主義的保守へと骨抜きにされるだろうと僕は予測した。

そして政権は僕の予測した方向に進んでいる。

イタリアでは政治制度として、対抗権力のバランスが最優先され憲法で保障されている。そのため権力が一箇所に集中しない、あるいはしにくい。

その制度は、かつてファシスト党とムッソリーニに権力が集中した苦い体験から導き出されたものである。

それは同時に政治混乱を次々にもたらすが、たとえ極左や極右が政権を担っても、彼らの思惑通りには事が運ばれない、という効果も生む。

過激勢力が一党で過半数を握れば危険だが、イタリアではそれはほとんど起こりえない。再び政治制度が単独政党の突出を抑える力を持つからだ。

多様性が極論を抑える

イタリアが過激論者に乗っ取られにくいのは、いま触れた政治制度そのものの効用のほかに、イタリア社会がかつての都市国家メンタリティーを強く残しながら存在しているのが理由だ。

都市国家メンタリティーとは、換言すれば多様性の尊重ということである。

イタリア共和国は精神的にもまた実態も、かつての自由都市国家の集合体である。

そして各都市国家の末裔たちは、それぞれが互いの存在を尊重し盛り立てつつ、常にライバルとして覇を競う存在でもある。そこに強い多様性が生まれる。

多様性にはカオスに似た殷賑が付き物だ。

都市国家メンタリティーが担保する多様性重視の社会では、誰もが自説を曲げずに独自の道を行こうと頑張る。その結果、カラフルで雑多な行動様式と、あっとおどろくような 独創的なアイデアがそこらじゅうにあふれる。

多様性を重視するイタリア社会は、平時においては極めて美しく頼もしくさえある。だがそれには、前述のカオスにも似た殷賑が付いて回る。

多様性を否定したい人々はそこを殊更に重視する。そして多様性に伴う殷賑あるいはカオスを、アナーキズムと曲解して多様性を指弾したりもする。

言うまでもなく彼らは間違っている。彼らは千差万別、多彩、人それぞれ、 百人百様、十人十色、 多種多様、、蓼食う虫も好き好き 、など、など、人の寛容と友誼と共存意識の源となる美しいコンセプトを理解しない。

多様性というのはあくまでも絶対善である。絶対とはこの場合「完璧」という意味ではなく、欠点もありながら、しかし、あくまでも善であるという意味だ。例えば民主主義と同じなのである。

多様性と民主主義

民主主義はさまざまな問題を内包しながらも、われわれが「今のところ」それに勝る政治体系や構造や仕組みや哲学を知らない、という意味で最善の政治体制だ。

また民主主義は、より良い民主主義の在り方を求めて人々が試行錯誤を続けることを受容する、という意味でもやはり最善の政治システムである。

言葉を変えれば、理想の在り方を目指して「永遠に自己改革をしていく政体」こそが民主主義、とも言える。

多様性も同じだ。飽きることなく「違うことの良さ」を追求し歓迎し認容することが、即ち多様性だ。多様性を尊重すればカオスにも似た殷賑が生まれる。だがその殷賑は多様性を否定しなければならないほどの混乱悪ではない。

なぜならそれは、多様性が内包するところの疑似カオス、つまり先に触れた個性が思い思いに息づく殷賑に過ぎないからである。再び言葉を変えて言えば、カオス風の賑わいがない多様性はありえない。

多様性の対義概念は幾つかある。全体主義、絶対論、専制主義、統制経済、侵略主義、軍国主義、民族主義、選民主義、チキンゲーム、干渉主義、デスポティズムetc。日本社会に特有の画一主義または大勢順応主義などもその典型だ。

僕はネトウヨ・ヘイト系排外差別主義と極端な保守主義、またそれを無意識のうちに遂行している人々も、多様性の対極にあると考えている。

なぜならそれらの人々には、彼らのみが正義で他は全て悪と見做す視野狭窄の性癖がある。つまり彼らは極論者であり過激派だ。むろんその意味では左派の極論者も同じ穴のムジナである。

多様性は敵も抱擁する

だが多様性を信奉する立場の者は、彼らを排除したりはしない。 ネトウヨ・ヘイト系排外差別主義や極右は危険だが、同時にそれは多様性の一環でもある、と考えるのである。

多様性の精神は、「それらの人々のおかげで、寛容や友愛や共存や思いやりや友誼、つまり“多様性”がいかに大切なものであるかが、さらに明確になる」と捉えて、彼らはむしろ“必要悪”であるとさえ結論付ける。

例えば政治危機のような非常時には、平時の心構えが大きく作用する。つまり、多様性のある社会では、政治が一方に偏り過ぎるときは、多様性自体が画一主義に陥り全体主義に走ろうとする力を抑える働きをする。

一方でネトネトウヨ・ヘイト系排外差別主義がはびこる世界では、その力が働かない。それどころか彼らの平時の在り方が一気に加速して、ヘイトと不寛容と差別が横行する社会が出現してしまう。

ここイタリアには、冒頭で触れたように、戦後の紆余曲折を経て極右政党が主導権を握る政権が誕生した。

その政権には保守主義を逸脱して、ファシズムへ傾こうとするモメンタムが働くことが十分に予想された。

だが再び既述のように、イタリア社会に息づく多様性の精神が危険なその動きにブレーキを掛けて、ファシズムは遠ざかり穏健な右派勢力となった。

一方、日本の政治状況は安倍一強から高市極右政権へと変わったが、実は権力機構のファシズム気質の本性は全く変わっていない。

その意味では、国全体が多様性どころか画一的且つ閉鎖的なメンタリティーに支配されがちな日本に於ける、高市一強政権の危険度はあまりにも高いと言わざるを得ない。




facebook:masanorinakasone




限りなくママゴトに近い高市外交

米国会議事堂?ではしゃぐ高市661

イタリア戻りの直前、渋谷か羽田で強烈なウイルスの洗礼を受けた。高熱、激しい咳寝返りも打てないほどの重度の腰痛から一週間振りに生還した。

ベッドで朦朧としながらも、必死で這い出して19日のトランプvs高市の会談の模様をネットで見た。

世界が見ている中で、戦争犯罪者そのもののトランプ大統領に、「あなただけが世界平和を実現できる」と臆面もなく持ち上げた高市首相の感覚にのけぞった。

それは2016年、安倍元首相がトランプタワーに馳せ参じて、大統領就任前のトランプ氏を信頼できる指導者、と誉めそやした「事件」を彷彿とさせる。

なんらの批判精神もなく、ひたすらトランプ大統領に擦り寄るだけの属国外交は、安倍政権で完全無欠になった。

それをひたすら踏襲しているのが高市首相だ。

同時に彼女は、意識するしないとに関わりなく、女性であることを武器にして思い切り媚を売る体勢で強者に接し続けている。それがさらに見苦しい。

そうは言うものの、しかし、そのことをさておけば、トランプ大統領との邂逅は予想を裏切る幸運に満ちたものだった。

言うことがくるくると変わるご都合主義そのもののトランプ大統領が、恐らく欧州各国の強い反発もあって、ホルムズ海峡に艦船の派遣を要請しない、と豹変した事実に助けられて難を避けたのは、タナボタの幸運だった。

その言わば偶然の僥倖を外交的成果と主張するのは、「世界の真ん中で咲き誇る日本また高市外交」とおだを上げる態度とまったく同じ空虚な主張だ。

見方によっては、明るい率直な態度とも評価される高市首相の動きやパフォーマンスが、僕には常にママゴトに見えて仕方がない。

このことは高市首相が米艦船上で就任直後にトランプ大統領と腕を組んではぴょんぴょん跳ねたり、イタリアのメローに首相を招いて お遊びふうの歓迎式典を開いたり した時にも書いた。

日本初の女性首相を、必要以上に女性という属性を強調してフィルターにかけ、語ることは、秘めた女性差別の顕現とも見られかねないことを承知で敢えて言う。

僕には彼女のアクションのことごとくが幼く、やはりどうしてもおふざけそのものに見えてしまうのだ。

ところがそのママごとの主体は確信犯的な歴史修正主義であり、天皇制ファシズム容認であり、戦前戦中への回帰願望などという恐るべき超保守主義体質であることが不気味だ。

そんな高市早苗氏は、首相に成り上がったことがいつまで経っても嬉しくて嬉しくて仕方がない。

だからぴょんぴょん跳ね、にこにこ笑いを絶やさず、嬌声を上げ、相方を敢えて名前で「ドナルド」「ジョルジャ」などとと呼び、媚態と期待とお仕着せの上目誘いで見続ける。

見続けるのみならず、一国のトップにあるまじき動きで相手の腕を取り、ぴたりと寄り添い体を押し付ける。公の場でないならば、今にも衣装を脱ぎ捨てて相手を誘いかねないような恥ずかしい動きだ。

女は愛嬌、という言葉には女性の明るさがもたらす平穏と平和と希望と慈愛の温かみがこもっている。僕は女は愛嬌という言葉を耳にするとき、個人的には僕の母を思う。

母が備えていた優しさの中のたくまざるユーモアを思う。母は飽くまでも優しく、深い慈愛に満ちた笑顔で、かつ光のように常に明るかった。

高市首相の存在自体にはそれに似たオーラがないわけではない。だが彼女は、やはり日本国のトップである。

悪のカタマリのネタニヤフと組んで自らの魔性を最大限に発揮しては自在に戦争を始めるトランプ大統領に対し

「ドナルド、あなただけが世界中に平和と繁栄をもたらすことができる」

などと臆面もなく言えるのは、狂気と形容しても構わないほどの異様な動きだ。

世界中がそれを見ていたことを思えば、日本の恥辱ここに極まる、というほどの失態ではないか。

それは外交や政治をママゴト的感覚でしか捉えられない幼稚な精神のなせる業である。

女は愛嬌だが、一国の首相たる者は愛嬌以上に重大なミッションを背中に負っている。

高市首相はそのことをまるきり理解していないように見える。




facebook:masanorinakasone





ヤッタレきりしま

中国風子供調整切り

大関に再昇進した霧島が好きだ。

霧島の本名は:ビャンブチュルン・ハグワスレン・ナニダキシメトルンヤ・ワレ(だったかな?)。

ハグしっぱなしのような名前どおり、フンドシ、じゃなくて、マワシを掴むと相手にピタリと肌を寄せてしつこくまとわりつく取り口がいい。愛情いっぱいだ。

その調子であらゆるデブ、もとへ、力士にしがみついて、ついには綱も張ってほしい。が、しかし、あまりにも強く抱きつく気持ちの優しさに負けて、すぐにも再び大関から陥落しそうなひ弱な顔つきが心配だ。






トランプとネタニヤフも邪悪だがハメネイも褒められたものじゃない

109を窓から見る夜800

悪の双璧トランプ&ネタニヤフが、ハメネイというガチガチの独裁的教条主義者を圧殺。

イランは彼よりもさらなる強硬派とされる息子のモジタバ・ハメネイ師を後継者に選んだ云々、の情報をメディアやネットで追いかけつつ、沖縄、関西、東京回遊の旅の終わりにいる。

日本のメディアやSNSなどでの印象は、アメリカの犬である高市政権の基本姿勢「トランプ擁護&イラン批判」とは違い、イラン擁護派が多数を占めているように見える。

ハメネイ師が家族もろとも殺害されたことへの同情心が強いのだろうか。

トランプ&ネタニヤフがハメネイ・イランを攻撃したのはむろん悪であり国際法違反である。だが、反政府運動を激しく弾圧し続けたハメネイ師もその政権も負けず劣らずに邪悪

ハメネイ師はイラン正規軍よりも強いとされるイスラム革命防衛隊の武力を背景に、約37年もの長きにわたって強大な独裁権力を振るった。

彼の統治期間中は言論の自由が厳しく規制され、ジャーナリストや人権活動家などの拘束が常態化した。

大統領選への抗議デモや「女性、命、自由」運動などへの弾圧も続き、昨年末からことし初めの反政府デモでは、3000~5000人の国民が殺害されたとされる。正確な数字は未だに分からない。

ハメネイ師はレバノンのヒズボラやガザのハマスまたイエメンのフーシ派など、反イスラエル・反米を掲げる中東各地の武装組織ネットワーク、 いわゆる「抵抗の枢軸(Axis of Resistance)」を支援しづけた。

支持者には、1979年のイラン革命の精神を継承してイスラムの価値を守り、西側の搾取やイスラエル+米国の横暴に対抗する英雄として称えられる一面もあった。

が反政府活動家を拘束し自国民を殺害する指導者など、所詮魔物だ。

後継者の息子モジタバ・ハメネイ師はまだ表舞台には現れず、従って憶測の域は出ないものの、父親のハメネイ師よりもさらに強硬なイスラム原理主義者ではないか、と見られている。

抑圧的なイラン体制が一気に変わるとは到底考えられない。

トランプ・ネタニヤフの悪党コンビの行為を国際法違反と糾弾する人々がいる。それは正論中の正論だが、虚しい指摘でもある。

日本では、攻撃を受けたイランへの同情心が、国際法を犯したトランプ・ネタニヤフ批判を凌駕しているようにも見える。

日本独特の❝判官びいき❞心情だろうが、曖昧模糊とした感情が理性を蹴散らしてしまう、まさしく日本的風景である。

それは極右歴史修正主義者の高市首相を無批判に持ち上げる情動にも通底する心理で、危険極まりない。

米・イスラエル軍によるイラン攻撃は、悪が悪に襲いかかったものでどっちもどっちだ。

だが、イランの国の在り方はイラン国民が決めるべきものであって、トランプ・ネタニヤフが首を突っ込むべきではない、という意味では進撃はむろん指弾されるべきだ。

しかし、繰り返しになるが、ハメネイ師という独裁者もまた、ならず者の抑圧者という観点で糾弾されるべき存在だった。

攻撃は国際法違反であるから即刻止めろという主張も日本には多い。それは正論だが、残念ながらほとんど意味をなさない叫びだ。

国際法はいわばザル法である。法的信念は有するものの慣習に基づく国際合意であり、道徳にも近い一規範である。だから今回のイラン攻撃のように強者によってた易く踏みにじられる。

踏みにじられても、国内法のような強制的な罰則機関がないため、国家間の法的拘束力を持つとされながらも非力なのだ。

世界の多くのまともな国は、「国際法違反」というレッテルを張られることを恐れて行動を慎む。従ってそれが実質的な拘束力を持つ、という意味では重要なものだ。

しかしながら前述のように、トランプ的横暴、あるいは弱肉強食の前では頼りない法則なのである。

だからこそ国際法が重要になるのだが、トランプやネタニヤフのようなならず者がこれを犯せば、世界は手をこまねいてみているしかない、という憂鬱な現実がある。

世界にはその2人のならず者のほかにも、プーチン、習近平、金正恩などの大物、またオルバンほかの小物のならず者も、アフリカ中東などを中心にひしめいている。

それらのならず者は国際法など意に介さない。

だからこそ彼ら蛮人に国際法を順守させるためにも、世界中の自由主義者は戦いを強め、声を挙げ続けなければならないのである。




facebook:masanorinakasone








そっけない大阪人はナポリ人なんかじゃない


大阪城全身650

隠し砦の3悪人、トランプ・ネタニヤフ・ハメネイの戦いと後日談をネットで追いかけつつ、沖縄-大阪-京都-東京回遊の旅を続けている。

ここ大阪では、これまでなぜか訪ねる機会がなかった大阪城だけを観光し、残りの時間は京都に出てあちこち動き回り、夕方は大阪に戻って居酒屋を巡る、という基本スケジュール。

大阪の食べ物が美味いのは相変わらずだが、ちょっと意外な体験もしている。大阪人のイメージが自分の記憶と違うと感じるのだ。

大阪人はジョークが好き。

大阪人はゆるい。

大阪人は友好的。

つまり大阪人は日本のナポリ人。

等々という決めつけ、あるいは一般論は、むろん常に危険である。

なぜなら一般論だからだ。

だが、一般論には永遠に一抹の真実もある。

一般論を、あえて僕の縄張りであるテレビや映像の世界に引き込んで例えると、それはいわゆる「絵葉書カット」である。

絵葉書カットとは、絵葉書に刷り込まれる写真のように誰もが知っている有名な絵という意味だ。

言葉を替えれば、絵葉書カットは当たり前過ぎる。独創性がない。要するにつまらない絵、という意味である。

大阪人は友好的で楽しいが軽い、というニュアンスの一般論は危険でつまらないが、そこはかとない真実も含む。

それは僕の過去の大阪体験にも当てはまるようである。

だか今回は違う。居酒屋の女性店員はシリアスで強く、ホテルの受付嬢は笑わず、軽便寿司屋(回転寿司ではない)の板前は、厳しい顔で客をたしなめるような言葉遣いまた態度を崩さない。

え?ええええ?となりつつ、僕は大阪の居酒屋街を妻と共に探索している。

大阪人は人見知りをする。

あるいは、大阪の皆さんは普通に日本人で、几帳面で真面目で繊細で、一見の客や見知らぬ者にはジョークなど言わない。

僕のオヤジぎゃくへの愛想笑いも一切なし。

大阪人は反権力。というのもどうやら怪しい。

政権与党の日本維新の会への支持も強く、高市首相への支持率も高い、とされている。

日本の危機はつづく。



facebook:masanorinakasone



中国ゴミは不合理ながら島の未来を救うかもしれない

三ツ瀬ごみ浜UP650

南西諸島に中国ルーツのプラスチックゴミが押し寄せるのは、海流と季節風の影響が大きい。

ゴミは黒潮によって島々の近海に運ばれ、冬場の季節風によって海岸に打ち上げられる。

それは沖縄から北海道まで全国共通のメカニズムだが、南の島々のゴミは陸地が小さい分だけ目立ちやすい。

島々のプラスチックゴミは中国起源ミがほとんどだ。だが公平を期して言うと、膨大なプラスチックゴミを生み出しているのは日本も、また欧米等も同じである。

のみならず世界中の国が多かれ少なかれプラスチックゴミを生み出してしている。

中国は世界最大の海洋プラスチックごみ排出国と見られていて、国を挙げての処理施設の貧困に加え、ポイ捨てなども多い。また意図的な海洋投棄も行われているとされる。

そうはいうものの、しかし、太平洋上に漂う日本の国土面積の4倍もの広大なゴミの塊り、いわゆる太平洋ゴミベルトを調べると、製造国が分かったもののうちでは日本製が最も多かったという統計もある。

東日本大震災によって日本製の大量のプラスチックゴミが押し流されたという事情もあるが、日本もプラスチックゴミ排出の最大の犯人の一であることに変わりはない。

ゴミの放棄は言語道断だが、それの元になるペットボトルを始めとするプラスチック製品の使用を、ドラスティックに減らすことが求められるのは言うまでもない。

島だけに関して言えば、僕は個人的に自己チューな思いも抱いている。

つまり美しいビーチに押し寄せる膨大な中国ゴミを、わざとそのまま放置するのだ。

するとその醜さと苛立ちが、もしかすると観光客の増大を抑え、島を昔ながらの静かな環境に保つのではないか、と考えたりするのだ。

島に住む人々は、観光客を誘致して仕事を得たい、豊かになりたい、と切実に願っている。

僕の考え方は彼らに憎まれるだろう。

だが、イタリアの大観光地や京都をはじめとする日本の有名観光地のオーバーツーリズムの惨憺たる状況を見るにつけ、無節操な観光客誘致には懐疑的にならざるを得ないのである。



facebook:masanorinakasone





台湾有事などなくても島々はとっくに存立危機事態に陥っている

美浜+ゴミヒキ650

沖縄の離島にいる。2月末日の今日は、冬ながら春めいている。

というか、寒くはなく、かと言って暖かいと表現するには涼し過ぎる気候。

要するにもはや春なのである。

イタリアで、冬の間じゅう悩まされる、足指のしもやけもすっかり消えた。

もっともしもやけは、ミラノから東京に着いたとたんに軽減し数日で楽になる。東京の冬はミラノよりもはるかに暖かいのである。

昨年も同じ生まれ故郷の島にいた。ことしよりひと月遅い3月の末だったが、去年のほうが寒かった。

島では連日浜に出る。

島の海岸線は、目に眩しい真っ白なビーチと、波に浸食された個性的な岩峰が混在する独特の景観である。いつ見ても美しい。

ところがその美しい砂浜や岸壁の連なりは、中国から襲ってくるおびただしい量のプラスチックゴミによって激しく損なわれている。

近隣の島では、漂着したペットボトルやポリタンクや漁具や発砲スチロール等々のプラスチックゴミのうち、約8割が中国製という検証もある。

だが、僕が島で目視した限りでは、9割9分が中国製という印象だ。

島では住民が総出で清掃をするが、膨大な量のゴミが漂着するので追いつかない。「焼け石に水」状態である。

最近は僕の生まれた島を含む小さな離島にも、ユーチューバーが上陸して島を探索する。

彼らの投稿をイタリアで見た僕は、質朴平穏な島の自然や文化がオーバーツーリズムに急襲されるのではないか、と密かに危惧している。

それというのも彼らは、砂浜や海岸を埋め尽くしている醜悪なゴミの山から目を逸らして、美しい景色のみを切り撮っては映像を作り投稿している。

うず高く積もっているゴミの山も正面から撮影して、問題提起をしてほしいと願わずにはいられないのである。



facebook:masanorinakasone




高市早苗首相への公開状

拡大

高市早苗総理大臣

あなたが率いる自民党は単独で定数の3分の2310議席)を超える316議席を獲得する歴史的な勝利を収めました。

選挙戦ではあなたは、旧統一教会との切っても切れない絆の隠蔽、裏金議員の公認問題、不都合な真実からトンズラするためのNHK党首討論欠席など、 汚い手段の数々を使ったと非難されました。

にもかかわらず地滑り的としか形容のしようがない圧倒的な勝利を収めました。

あなたとあなたの支持者はむろん大喜びですが、私は異様とも言える勝率と、あなたの支持者のキワモノ的に風変わりな熱気に大きな危機感を抱きます。

あなたはかつて次のような驚きの言動をくり返しました。

1.1994年10月、国会で当時の村山富市首相に「過去の戦争に関して周辺国に勝手に謝罪をするな」と発言。

2.1995年3月、「私自身は、戦争の当事者とは言えない世代だから、反省なんかしていないし、反省を求められるいわれもない」と衆議院外務委員会で言明。

3.2016年2月には、気に入らないテレビ局の「電波を停めてやる」という主旨の傲慢極まる発言もしました。

スパイやテロリストでもない限り日本を悪くしようと思う日本人はいません。あなたもあなたなりに日本を良くしようと思っている。

しかしあなたの歴史認識、特に侵略戦争を侵略と認めず、むしろそれは欧米の支配からアジアを解放する聖戦だった、とするのは日本極右の十八番そのものの詭弁です。

詭弁を信じて疑わない様子は、戦前、戦時中の天皇制ファシズム遂行者と何も変りません。あなたのやり方、哲学、また歴史認識や知識では、日本は破滅の道を行くしかありません。

あなたは日本 初の女性首相、という誉れを手に入れても本性は隠しきれず、しきりに誤った言動を繰り返しています。

冒頭に述べた誑(たぶら)かし電撃解散は言うまでもありませんが、台湾有事発言、円安バンザイ発言などの後では、お笑い芸人 への威圧発言もかましました。まるでフル稼働の嘘の製造工場のように賑やかです。

これまでの最大の失策である台湾有事発言を、あなたはおそらく、あなたの仲間のネトウヨヘイト系人種集団を前に気勢を挙げる時のノリでつい口を滑らせた。

一国のトップとしての自覚が皆無であることを白状したその発言は、取り下げるべきなのに、あなたはどうやらこれまたあなたの本性である、間違いを認めるどころか「糊塗するのが好き」な習癖によって、頑なにそれを拒否し続けている。

その姿勢は無意味に勇ましいあなたの極右仲間の、嫌中国族の琴線に触れて、毅然として勇ましい上にブレない、などの評価を呼んであなたはますます舞い上がりました。

レアアースほかの経済懸案を持ち出すまでもなく、あなたは外交的政治的に中国と友誼を結んで国益を追求するべきです。それなのに、悪たれ小僧よろしく相手への対抗心を燃やして、人々の敵愾心を煽っています。

しかもそれがあなたの考える「国益」なのですから何をか言わんやです。それは国益どころか、最終的には戦争への道です。

危険域にまで入っている円安への危機感もあなたにはなく、円安にはメリットがあると強弁してさらなる円安に見舞われても、やはり無責任体質の本領を発揮してこれを撤回しない、ということを繰り返しています。

だが経済を筆頭にするそれらの国内政策の課題はさておき、私が最も懸念するのはあなたの歴史修正主義体質です。

日本の加害を徹底否定する幾多の暴言からも分かる通り、あなたは無知かあるいは意図的にか、はたまた確信犯的な動機から歴史修正主義にでっぷりと浸って人生を歩み政治を行っています。

あなたは、あなたが師ともアイドルとも仰ぐ安倍晋三元首相の盲従者であり傀儡です。それはつまり危険な極右ナショナリストと同義語。また同時に、現在の日本の極右の主要な関心事に即して言えば、あなたはそのものずばりの歴史修正主義者です。

歴史修正主義者とは何か。

それはあなたが繰り返し行っている日本の侵略戦争否定、植民地支配の正当化、日本は戦争加害者ではなく「ひたすら被害者である」論など、歴史的事実についての客観的な証拠を無視あるいは改悪し、または捏造し否定するか矮小化して、自らの主張や国家に好都合な形に歴史を改ざんし解釈する者のことです。」

それらの歴史の歪曲者は、あなたとあなたの支持者また仲間、つまり極右カルト全体、もっと具体的には日本会議、統一教会、神社本庁、自民党安倍派などに通底するモメンタムのことです。

その勢力は安倍元首相の在任中に勢いを増し膨れ上がりましたが、彼以前の自民党右派代表の小泉、中曽根両首相時代にも密かにまた時には公然と顕われ膨らみ続けました。

その道のりは、戦争加害の歴史を自虐史観などと批判する極右勢力に国が屈服し、「日本は戦争の被害者」という側面ばかりをひたすら強調して学校で教える風潮を招きました。

そこで重大なことは、知識階級を含む日本国民の多くが、加害の歴史を「向き合いたくない過去」として捉え、そこから目を逸らした現実です。

日本国民は同じ敗戦国で加害者のドイツやイタリアが直視した、辛く厳しい過去から目を逸らして、「無かったもの」としてきたのです。

その結果、広島と長崎の原爆も、沖縄の惨劇も、東京ほかの空襲も全て「日本は被害者」の視点で見、語り、怒りを募らせてきました。

むろんそれは間違いではない。だがその加害者を日本の外に求める態度は間違っています。

なぜなら真の加害者は敵国ではなく国内にいたからです。それが昭和天皇であり、軍部であり、軍事産業閥であり、それらを翼賛して煽り立てたマスメディアです。

広島長崎の原爆も、東京の焼失と全ての凄惨な空襲被害も、沖縄戦も、むろん被害の歴史です。だがそれらは-恐れることなく直視しなければなりません-残念ながら因果応報でもあるのです。

原爆は理由もなくある日突然空から落下したのではない。

イスラエルの横暴がなければハマスは存在せず、ゆえに10月7日攻撃もなかった。またアメリカがイスラエルと共にアラブ諸国への敵対施策ばかりを遂行していなければ、ビンラディンによる同時多発テロも起きることはなかった。

同様に、日本が無謀な戦争を起こし非情な攻撃に狂奔していなければ、原爆投下もなかった。

日本は欧米を猿真似て近隣諸国を侵略し暴虐を重ね殺戮を続けた。市民を巻き添えにした、あまつさえ市民を標的にした無差別殺戮は、旧日本軍が敵に先んじて実践したものです。

結果、日本は世界の憎しみを買った。アメリカは真珠湾奇襲以降ふくらみ続けていた自国民の日本への怨みもそこに重ねて正当化し、深重な決断をした。それが原爆投下です。

原爆攻撃は言うまでもなく無差別殺戮であり戦争犯罪です。

だがその前には既に、日本軍による残虐な無差別攻撃があり戦争犯罪があったことを忘れてはなりません。

例えば日本軍の錦州空襲は人類史上初の、また重慶空爆はそれに続くさらに大規模な無差別攻撃だったのです。

日本軍によるアジアでの無差別殺戮と真珠湾攻撃、さらにそれに続く日米間の殺し合いを通して、日本兵の狂暴残忍な正体を十全に見てきたアメリカは、広島と長崎に非人間的な原爆を投下するのを躊躇しませんでした。

日本人は自らの被害のみを語る前に、加害の歴史をまずしっかりと認識するべきです。そうすることで国民全員を加害者に仕立て上げた昭和天皇と、その周りの軍人またファシスト群像、ジャーナリズムとは無縁の国家翼賛マスコミなどがはっきりと見えてきます。

それらの戦犯はアジアを侵略し、蹂躙し、住民殺戮を遂行した犯人でもあります。日本国民ではなく、それら天皇制ファシズムの追随者こそが戦争の責任者です。そして戦後の日本の痛恨かつ最大の問題は、国民自身が彼らを裁き断罪しなかった歴史です。

日本は昭和天皇、軍部、翼賛官僚また知識人層、軍需産業閥、翼賛マスコミを国を挙げて一度必ず断罪しなければなりません。それが成就するとき日本の被害者は救われ日本国自体も再生します。

日本と同じ鬼の道を歩んだドイツは既にそれをやり遂げています。

敗戦国のドイツは、戦後あざやかに暗い過去を克服して行きました。だがその歴史の歩みは戦後すぐに始まったのではありません。

1970年、ドイツがまだ戦争犯罪の後遺症で苦しんでいた頃、当時のウイリー・ブラント首相はポーランドのゲットー英雄記念碑の前でホロコーストの犠牲者のために献花をしたあと、 おもむろに大地に跪(ひざまず)いて黙祷し世界を驚かせました。

それを政治家のポーズとして捉えることもできますが、彼は「そこに立っているだ けでは十分ではないと感じ自然に跪いた」と追って述懐しました。その後の歴史は、彼の行為が偽善ではなく勇気あるものだった、として讃えています。

彼の真摯な行為は最大の被害者だったユダヤ人やポーランド人を始め、世界中の人々の憤懣を氷解させました。しかし、ドイツ国内の保守派は、今のあなたやあなたの極右仲間と同様に、ブラント首相の行為をやり 過ぎだ、屈辱行為だとして糾弾しました。

彼らは、跪く行為が敗北であり屈服であるという、暴力や戦闘行為に関連付けた考え方をしたのでした。しかしな がらブラント首相の行動は、前述したように、屈服や屈辱の表明ではなく、ドイツが世界から許されて先の大戦の汚濁の中から立ち上がり、再び誇りと尊厳を取 り戻すきっかけを作ったのです。

ドイツの保守派が歴史の事実を受け入れて改心し生まれ変わるまでには、それからさらに時間が必要でした。

ブラント首相の跪座から15年が経った1985 年、つまり第2次対戦の終結からちょうど40年後、当時のヴァイツゼッカー独大統領は、終戦記念の議会演説で「歴史を変えたり、なかったりすることはできない」「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目になる」という表現で、ドイツの戦争責任やホロコーストと率直に向き合うよう国民に求めて、世界を感動させました。

戦後40年の節目に行われたその講話で、さらに大統領は「非人間的な行為を記憶しようとしない者は再び同じ危険に陥る」「戦争が終わった5月8日は“敗戦の日”ではなく、ナチスの暴力支配からドイツ国民が自由になった“解放の日”である」とも断言しました。

ブラント首相の謝罪をさらに推し進めた大統領の良心の叫びは、ついに国内の保守派の人々をも突き動かし、ドイツは歴史を真正面から見つめて揺らがない国へと変貌して行きました。ドイツの戦後はそこで終わり、未来へ向けての新しい歩みが始まったのです。

ドイツのブラント首相の行為は、あなたがかつて周辺国に謝るな、と凄んだ相手である村山元首相の、戦後総括談話になぞらえることができます。

一方で日本の加害の歴史を決して直視しようとしない極めつきの歴史修正主義者であるあなたが、なんと首相にまでなってしまったことが日本の危機を表しています。

中国や韓国を始めとする軍国日本の被害者たちの怒りは、徹底した謝罪をした筈の日本 政府内で、これを否定したり或いはないがしろにするネトウヨ閣僚や議員などが続出することから来ています。

閣僚どころか日本のトップであるあなた自身が、 そのあたりのゴロツキのネトウヨよろしく侵略戦争ではなかった、責任など感じないし謝りもしない、勝手に謝るな、などとと欺瞞を正当化するための暴言を吐くのは今後は慎んでほしい。

だが、台湾有事発言ほかのあなたの軽挙妄動を見ていると、大げさではなく絶望的な気分になります。

あなたは、中韓に限らず多くの国々が疑問を持つ靖国参拝を強行するなど、歴代内閣の「真摯な謝罪」を台無しにする行為も平然と行ってきました。それらは日本国内で歴史認識の筋道が未だ確立されず、故にその共有も全く存在しない現状を露呈するものにほかなりません。

そのために中韓はもちろん国際世論の大半が、日本の反省と謝罪は無条件に信用できるものではない、と今もなお判断し続けています。

先の大戦の総括に議論が及ぶ場合には、たとえ対象が中韓であっても、背後にその他の「世界の全て」が控え、監視していることを決して忘れてはなりません。

あなたとあなたの周囲の民族主義者らは、靖国参拝を正当化するとき「国の為に死んだ方々の御霊を慰めるのは日本人として当たり前のことだ。他国にとやかく 言われる筋合いはない」と実にもっともな反論をします。

戦争で国の為に倒れた人々の霊を敬うのは、口に出して言うことさえばかばかしいほど、当たり前のこ とです。その考えは真っ当なものです。世界基準の心の在り方、と言っても差し支えないでしょう。もちろんその心は、あなたとあなた仲間の靖国参拝に猛烈に反発している中韓でさえ同じです。

だが靖国に祭られている戦死者は天皇制ファシズムの犠牲者であり被害者です。あなたたちはそれをあたかも戦争の勇者という視点で見てそこばかりを強調します。

だが彼らは死ぬべき存在ではなかった。生きて人生を謳歌するべき存在だったのです。死した彼らは怨み言を言わない。だからあなたとあなたの仲間は、彼らは天皇のために喜んで死んでいった人々なのだ、と勝手に皇国史観つまりファシズム史観を押し付けます。

あなたの支持母体である民族主義者や反動右翼やネトウヨの皆さんは、世界から目を逸らしたまま日本という辺境の一軒家にこもって、壁に向かって常に怨嗟を叫び続けています。

私が「引き籠りの暴力愛好家」と規定している彼らの視界に辛うじて入っている外の世界は、隣の、彼らにとっての「劣等国」の中韓のみです。

あなた達は同類の者同士でつるんで、隣国の「劣等国民」を罵倒しては自己満足に浸ります。実はそれと同じことを、まさに中韓の一部の人々もやっています。あちらのネトウヨの皆さんです。

反日をあおる中韓のそれらの人々と、日本のネトウヨ民族主義者の皆さんは、実は同じアジアのDNAで強く結ばれた血縁の濃い兄弟です。心が狭く、未開で、無知で、ネチネチと細部にこだわり、怒りっぽい。

中韓のネトウヨの皆さんが怨みつらみに絡めとられて、こめかみの血管を膨らませて日本を罵倒すれば、日本のネトウヨの皆さんは、南京虐殺の被害者数を執拗に問題にし、慰安婦に軍が関わったことを示す証拠はないと重箱の隅をほじくっては得意になります。

挙句の果てには侵略の定義はない、などとかつての日本軍の蛮行をどうにかして否定しようと試みる。瑣末にこだわる粘着質のそうした性根は日中韓で共通しています。

戦後処理と和解には1-法的処理、2-謝罪、3-和解の3段階があるとされます。そのプロセスは加害者側が真摯に誠実にこれを執行するときにのみ完遂します。例えば韓国との間の法的処理は、1965年の日韓基本条約等で既に完成しています。

それを無視した言い分には冷静に対応し、なお埒が開かない場合には、事案を国際法廷に持ち込む可能性も考えつつ、しかし飽くまでも和解を目指している間柄ですから剣呑な動きは最終手段にして、そこでもできる限り話し合いによる解決を模索して行くべきです。

ネトウヨ民族主義者の皆さんは、何度謝罪すればいいのだ、とすぐに目を剥いて蛮声を挙げます。その答えは単純です。つまり、和解が成立するまでは何度でも謝るのです。あるいはそのつもりで相手と対するのです。

こちらに真心があるなら謝罪は必ず受け入れられます。確かに中韓共に日本に対して頑なに過ぎて、和解は遠いと見えることもあります。だが、日本はつい最近まで中韓とも完全和解に向けた歩みを続けていました。

それを停滞させたのは、日本側の事情に限って言えば、安倍元首相であり、彼の金魚のフンであるあなたとあなたの仲間の極右カルト神殿拝跪群像です。

日本は遅まきながらもドイツに倣うべきです。このことは歴史的に繰り返し指摘されてきたことです。しかし日本は全くそれを実践しようとはしなかった。

その苦渋の歴史の流れの果てに起きた鬱陶しい「事件」が、今回選挙でのあなた、高市自民党の大勝利です。

あなたが、あなたの政治家としての卑小な価値から見れば不当な、途方もない大きな比率で選挙を勝ち抜いたのは不吉です。

私はよく、戦争を徹底総括し過去を見事に清算したドイツの極右と、それに準じるここイタリアの極右と日本極右を比較して見、考えます。その度にほとんど絶望的な感慨を抱きます。

日本極右のボスとなったあなたは戦争総括を嫌い、日本の侵略戦争を正当化し、周辺の被害国への謝罪を拒み、天皇制ファシズムを賞賛、希求する圧倒的な歴史修正主義者である点で、欧州のどの国の極右よりも危険です。

それでも私は希望を持っています。あなたが、あなたを慕う若者らの熱い思いに応えることです。それは何よりも先ず戦争をしないことです。

そのためにはあなたは、例えばここイタリアのメローに首相に倣って、極右の過激思想を改め現実路線に舵を切ることです。

現実路線とは、あなたの大好きなトランプ主義とはそのまま仲良くしながら、中国ともロシアとも対話し友誼を求め、北朝鮮とさえ握手をすることです。

手始めに台湾有事発言でこんがらがってしまった日中関係が、今回の場合はひとえにあなた自身の不徳のいたすところであることを認めて、行動を起こすことです。

真に中国に立ち向かう勇気があるのなら、発言の撤回、謝罪などを恐れてはなりません。

それをすることであなたは中国に誠意を示し、何よりも反中国で危険に盛り上がるあなたの仲間と支持者を「あなた自身がしっかりと抑え掌握している」という強いシグナルを送ることができます。





facebook:masanorinakasone





核弾頭を抱いて寝る高市首相に添い寝するのが歴史修正主義者である

嵐

高市首相が白紙委任を求めた、国論を二分する政策とはいったい何か。それほど難しくない問いに既存メディアを含む多くの答えがネット上に踊っている。

最もポピュラーな推理は憲法改正であり、自衛隊存在の明確化であり、スパイ防止法であり、皇室典範改正であり、外国人差別法の整備などだろう。

どれを見ても極右が改悪に向けてしゃかりきになるなるであろうイシューばかりである。

多くの推論の中で刺激的なのは、内田樹氏が指摘した「核武装挑戦論」だろう。

日本が核武装をするには、実現がほぼ不可能と考えられるほどの高いハードルがある。おそらく最大のものは「宗主国」アメリカを含む国際世論の反発である。

次いで開発費また維持運営費が膨大であること。

国際世論に匹敵する大きな壁もある。唯一の被爆国である日本国民の、核への強いアレルギー&絶対反対論である。

日本核武装論は、日本極右の主上アメリカが、自らの利益のために日本を核武装させるというものである。それはアメリカの国際政治・外交専門誌 「Foreign Affairs」に掲載された論文がになっている。

世界情勢とアメリカの立ち位置、また経済利益を最優先に政策を練るトランプ主義の実相を論理的に分析して、日本の核武装の可能性を説いたもので説得力が極めて高い。

トランプ大統領を含む米保守層の一部に、日本を核武装させようという考えがあるのは周知の事実だ。そこにもある程度の説得力がある。

今はあくまでも少数派だが、トランプ以後もトランプ主義がアメリカを席巻するようなら、もっと現実味を帯びていく可能性がある。

だが、そうならない可能性も高い。

なぜならアメリカのリベラル主流派は、日本に核武装をさせるのはナントカに刃物と同じ、という強い警戒感を抱いている。

第2次大戦を主舞台に激情に駆られて我を忘れ、殺戮と破壊の限りを尽くした暴虐狂気の日本人の姿を、彼らは決して忘れていない。

その陰鬱なイメージにつながるのが、戦争を総括することなく、従って日本人自身の狂気の意味も原因も知らない日本軍国主義者、あるいは歴史修正主義者の群れだ。

言葉を換えれば、高市首相から安倍元総理、さらにはその祖父の岸信介戦犯首相らの系譜へと遡る「激昂する極右」の精神の集合体が、依然として跳梁跋扈している。

そして過去を見つめようとしない彼らは、必ず過去の過ちを繰り返す。だから日本の核武装などもってのほか、というのがアメリカの半分の知性群の判断である。

ところが高市首相と政権を支える極右モメンタムは、歴史修正主義史観にまみれたままで総選挙を戦い、地滑り的勝利を収めると予測されている。

選挙結果が予測どおりになるならば、日本核武装論はあるいはトランプ主義の強いバックアップを受けて、前のめりになる可能性も否定できない。

憂鬱極まりない事態なのである。



facebook:masanorinakasone






高市首相はトランプもするという北京詣での現実を見ろ

トラプーキンペー抱き合い絵650

世界の主要国のリーダーたちの北京詣(もう)でが続いている。

昨年12月の仏マクロン大統領、ことし1月には加のカーニー首相と英スタマー首相。また今月は独メルツ首相が習近平主席のご機嫌伺いに北京に降り立つ。

彼らは誰もが、中国との経済連携を強めるのが訪問の目的、と主張する。だが本音は、同盟国アメリカのトランプ大統領が、欧州に敵対する動きを続けていることを受けてのリスク分散の動きだ。

欧州にとって中国との経済関係はむろん重要だが、今このときは彼ら首脳は、安全保障上の不安に突き動かされて中国に接近しているのである。

それらの国々は中国を全面的に信頼しているわけではない。

中国の習主席ひとり勝ちの一党独裁体制、言論弾圧、人権侵害、海洋覇権主義、 一帯一路の「債務の罠」政策、戦狼外交の疎ましさ、等々に対する欧米の不信感は根強い。

一方で彼らはトランプ大統領が、習主席にも似た独裁的な権力を振るいつつ、長年の盟友共同体である欧州を軽視、さらには敵視さえする政策を進めることに強い危機感を抱いている。

そのため彼らは、トランプ大統領と不仲の中国に接近しているのだ。敵の敵は味方という構図である。

ところが、そんな折りも折り、トランプ大統領自身も4月に中国を訪問する。

予測不可能というよりも、行き当たりばったりが得意の トランプ大統領は、中国を敵視しながら共存を模索する振りもする。

トランプ独断専行大統領を阻止したいなら、彼を害する以外に道はない。では誰がそれをやる?

習近平の中国か?プーチンのロシアか?はたまたアメリカ抜きのNATOか?

どれも無理だ。アメリカは今この時点では、世界最強&最恐の軍隊を持つ国であり、トランプ大統領はその絶対的な支配者だ。逆立ちしても誰も勝てない。

かろうじてその能力があるのはCIAだろうが、CIAもトランプ大統領の手の内の者だから難しい。彼らが下克上革命を遂行すると決断した場合だけ、あるいは可能かもしれないが。

高市首相はトランプ大統領との友好関係は保ちつつ、中国ともしっかり意思疎通ができる環境を整えるべきだ。

自身の思惑がどうであれ一国のトップになった以上、首相は在野での極端な主張は矛に収めて、現実路線に切り替えるべきだ。

それが経済を停滞させることなく回し続け且つ戦争を回避する最善の方策である。

戦争さえしなければ、今ファシスト気合で盛り上がっている全国の若者は生き残り、そのうちには高市首相のフェイク実像にも気づくだろう。

その後日本が第2次大戦を」総括し、まともな国に生まれ変わるかどうかは分からない。

だが国が存続する限り、希望は死なない。



facebook:masanorinakasone






独裁者サナエ・タカイチが日本を再生させる


キンペー高市合成650

高市早苗首相の荒唐無稽&抱腹絶倒のスローガン「世界の真ん中で咲き誇る日本、また日本外交」が実現する可能性が高まっている

それを示唆するのは高市首相支持率が最大90%にも上るという統計さえある若年層国民の存在である。

インターネット世代の若者らには、彼らより年齢がはるかに上の高市首相と共通の、反知性的な思考パターンがある。

昔日の日本の、あるいは昭和世代の親たちの、仕事第一主義、伝統的な家族形態への強い執着、努力の神聖視などの古い価値観が、SNSを通して共有され極大拡散されて、それらが日本初の女性首相となった高市氏の成功物語とも重なり、いよいよ若者受けするようになった。

若い世代が高市首相を慕う心理は、ごく自然に反中国感情とも共鳴し重層的に広がって、彼らはさらに興奮し激昂高揚 して我を忘れる。

若者は高市首相の台湾有事発言に対する中国の反発に、その意味を理解することなく、また理解もできないながら“衝動“反発して、高市首相の強硬姿勢を称えますます意気衝天する。

台湾有事発言を撤回しない高市首相の思い上がった態度を支えているのは、中国に対する優越意識であり嫌中国感情である。それは実は、経済大国になり従って軍事大国ともなった隣への畏れと不安の裏返しに過ぎない。

日中の複雑な関係を天皇の赤子論に基づく胡乱な選民意識によって卑小化し、同国から朝鮮、さらにはアジア全体を侵略蹂躙した「暴虐日本の蛮人魂」は、極右カルト信奉者らのなかに今もしっかりと生きている。

故安倍元首相の虎の威を借りて、傲岸な態度で国会内を闊歩し睥睨していた過去からも判るとおり、高市首相には庇護者の力をバックにして威張り散らす傾向がある。

彼女が中国に居丈高になっているのは、既述の日本極右の専売特許である「中国からアジア全体蔑視主義」に加えて、アメリカという虎の威光を笠に着ての背伸びでもある。

彼女は日本の過去の加害の歴史を意図的に無視して、あるいは真にそのことに無知であるがために、天皇崇拝、靖国跪拝、日本会議抱擁、統一教会愛護、神社本庁恭順、また安倍晋三カルト神殿随順、 などの狂信的右翼ドグマに取り憑かれ、そのドグマの威光で中国を屈服させられると考えているように見える。

支持者の若者たちとそのアイドルの高市首相&取り巻きまた今述べた極右カルト勢力の全てには、戦争加害者の意識が完全に欠落している。

そしてもっとさらに現実を直視すれば、戦後の日本国民全体を金縛りにしている「我ら日本人はひたすら先の大戦の被害者」意識が、事態を一段と悪化させる。

戦争の総括を責任放棄したために、日本人はある時点から戦争の加害者であることを忘れて、自らを戦争の被害者と決め込み被害者意識の傷をなめることばかりにかまける性癖を獲得した

戦後の日本人は老いも若きも誰もが、広島、長崎の原爆も東京空襲も沖縄戦の悲劇もひたすら被害者の目線で見てこれを嘆き、恨み、怒ってきた。

ではそこでの加害者は一体誰なのか。アメリカか?連合軍か?中国か?

断じてそうではない。

加害者は昭和天皇であり、軍部であり、岸信介を筆頭にする戦犯である。

戦前、戦時中に日本国民は誰もが戦争を称揚し、喜び、悪鬼となって敵を憎み、勝利に酔い、アジア侵略に興奮した。従って日本国民は誰もが加害者だったという考え方もある。

だが国民をそこに導いたのは天皇を中心とする権力機構であり軍部でありそれを翼賛した多くの戦争共犯メディアだ。

それでもやはり日本国民に罪があるとするなら、国民が国民自身の手で戦犯のただの1人も断罪しなかった痛恨の歴史だ。

米占領軍の意向で天皇が助命され、やはりアメリカの心算で戦犯との取引がなされて、日本の暗部の多くがアメリカによる日本支配のためのツールとして利用された。結果、仕置きの機会が遠のいた、というのは言い逃れに過ぎない。

なぜならば同じ穴のムジナ仲間だった日独伊三国同盟の悪鬼ドイツを見てみればいい。それに続いた小悪魔のイタリアも凝視してみればいい。

彼らは、特にドイツは、日本がアメリカ主導の極東裁判だけで大戦の仕置きを終わらせたのとは違い、「ニュルンベルク国際軍事裁判」の後も徹底して戦犯を追及し処罰し総括した。それは2026年現在の、今も続いている驚くべきアクションだ。

またイタリアは、戦犯の格としてはいわば同国の昭和天皇であったムッソリーニを処刑し、彼の盲従者らの戦争遂行意志を根絶するために、敢えて遺体をミラノの中心広場の一つに逆さ吊りにして晒しものにした。

イタリアは大戦の途中でドイツと仲違いし連合国側に無条件降伏した後、ドイツに宣戦布告した。のみならず連合国側に味方したいきさつもあって、戦後はドイツのような厳しい戦犯追及はしなかった。

しかしドイツの徹底総括は、かつて彼らの仲間だったイタリアの良心も激しく揺さぶり続けた。ドイツの厳しい戦後処理は、ムッソリーニを処刑したイタリアの民衆の反ファシズム精神を刺激し伸張させて、やがて強固なものへと変貌させた。

ところが今日も戦犯の追及を続けているドイツにおいてさえ、驚いたことに近年は極右勢力が台頭している。それどころかイタリアでは、極右ともネオファシストとも規定されたりする政党「イタリアの同胞」が政権党になり、党首のジョルジャ・メローニ氏が首相の座に就いている。

だが日独伊の悪の枢軸を形成した3国のうち、戦前の全体主義勢力の陰湿な精神風土が残っているのは日本極右だけである。それはひとえに戦争総括の欠如と、その結果生じた「加害者日本」意識の消滅によっている。

戦後日本の最大の闇の一つが、雲霞のごとく湧き続ける歴史修正主義者の跋扈だ。高市早苗首相はその首魁なのである。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったがドイツの極右はヒトラーを知っている。同じくムッソリーニはムッソリーニを知らなかったが、イタリアの同胞を筆頭にする同国の極右はムッソリーニを知悉している。だから彼らはヒトラーにはならず、ムッソリーニの轍も踏まないと僕は予測する。

たとえ彼らがそこに向かおうとしても、大戦を厳しく総括したドイツとそれに倣うイタリアの両国民、またその影響も受けて全体主義に立ち向かおうとする意志が強固な欧州全体の世論がこれを阻止するだろう。

日本の極右は日本軍国主義を知らない。わずかに知っていても歴史修正主義者の宿命で過去への反省がなく同じ轍を踏む可能性が極めて高い。

いま盛んに右カーブを切って燃えている若者たちは、日本がかつて巨大な加害者だったという戦争の実相を学校で習わなかったために、極右の醜顔を脱悪魔の仮面で覆って「強い日本を」と叫ぶ高市首相に魅入られている。

彼らは被害者である。だが過去を知らない危険で凶暴な被害者である点が憂鬱だ。

彼らはもしかするとごく近い将来、高い支持率に押されて独裁権を握る高市首相とファシズム勢力に加担して、中国に戦争を仕掛けるかもしれない。その時アメリカは、トランプ主義の流儀に則って自らの利益にならない仕事はしないと決め、日本を助けようとはせずにこれを静観する。

結果、日本は第2次大戦の轍を踏んで再び廃墟と化する。だが幸いにも民主主義を信奉するリベラル思考の国民が生き残って、戦場に行かず空爆やミサイル攻撃の難も逃れた権力中枢と軍部を徹底糾弾する。

国民は今度こそ戦犯の全員を断罪し、余罪を徹底追及し、殲滅する。そうやっていま現在のドイツとイタリアに近いメンタリティーの市民が繁栄する日本国が誕生する。

もしもそうなれるのなら、再び廃墟となる巨大な不幸を代償にしてでも日本は生まれ変わったほうがいい。

もっとさらに良いのは、しかし、言うまでもなく戦争が回避され且つ高市政権が崩壊して、ファシストの高市早苗首相が永遠に政治の舞台から去ることである。

だがその後は日本はやはり、忘れられつつある第2次大戦を必ず徹底総括して加害者としての自分を見つめなおし、せめてドイツまたイタリアのレベルにまで民度を高めて、真に世界に信頼される国家になるべきだ。

そうなれば「世界の真ん中で咲き誇る日本、また日本外交」などと、痴呆じみた笑劇スローガンを言い募る必要もなくなる。

なぜなら日本が歴史修正主義者のいない国家に生まれ変る暁には、世界のほうが懸命に日本に擦り寄って来て、日本は嫌でも世界の真ん中に押し祭られて行くからである。

その観測が荒唐無稽という者がいるならば、僕はこう訊きたい。

かつての軍国主義の亡霊が、生霊となって体内に出現したのでもあるかのような荒ぶる高市早苗氏が、日本の首相にまで成り上がった荒唐無稽をあなたは一体どう説明するのか、と。




facebook:masanorinakasone





メローニ首相ににママごとを押し付けた高市首相の人間失格

高メロ自撮り650

115日から17日にかけてイタリアのメローニ首相が日本を訪問し、高市首相との友情を確認し合った。

友情を確認し合ったというのが、高市首相側が主張する邂逅の成果である。

それは就任以来、台湾有事発言などの失策が多い高市新米首相の、外交劇で得点を稼ぎたいという切実な思いがこもったドタバタ喜劇だった。

当時は既に、高市首相が衆院を解散するという憶測が乱れ飛んでいた。そのため2人の出会いを新聞テレビほかの大手メディアが大きくは報道することはなかった。彼らの主眼は解散総選挙にあった。

ネットメディアもそれは同じだったが、同時にYouTubeを中心にメローニ首相訪日の話題も盛んに伝えた。

ロンドン発のNHK衛星放送が消滅して以来、残念ながら同局の番組を観るのが日ごとに少なくなっている僕は、主にYouTubeで高市首相によるイタリアの相方の歓迎式またそれに続く大衆演芸風会談などをかなり詳細に見た。

歓迎セレモニーの式次第は、たとえ誰が首相でも同じなのだろうが、高市総理の動きはまるで女子高校生にも似た高揚感と幼さとが入り混じり溢れまくっていて、強烈な違和感を覚えた。

それは就任直後、彼女がトランプ大統領の脇でぴょんぴょん跳ね回り彼の腕にすがって満面に笑みを浮かべていた状況を髣髴とさせるもので、見ていて気恥ずかしかった。

高市首相はメローニ首相の隣ではぴょんぴょん跳ねることはなかった。

彼女の腕を同位の者として親しみをこめ自らの腕にからめるような仕草はしても、男に媚びる女が相手の腕にすがって艶笑する姿はむろんなかった。

だが彼女の気分の得意と媚と、さらに英語本来の意味での「ナイーブ」さなどが錯綜した軽挙妄動は、見ていてとても辛いものだった。

高市首相は外交の晴れ舞台で、少女のようにはしゃぐ心を懸命にこらえつつ、歓迎儀式の遂行に心を砕いていることがわかった。だが彼女がそうすればするほど、一挙手一投足が幼く見えたのだ。

そこに輪をかけるかのように彼女は、相方のメローニ首相を「ジョルジャ」、「ジョルジャ」と敢えてファーストネームで、しつこく、呼び続けた。

それは80年代に中曽根康弘首相がレーガン大統領とロン・ヤスの関係を結び、首脳同士が名前で呼び合う関係が定着して以降の、日本側の一方的な昼想夜夢だ。

その悲恋は直近では、故安倍首相がトランプ大統領とこれまたフェイクな友達関係を構築した物語

高市首相は、そこでもまた自身のアイドルの故安倍首相を猿真似て、ファーストネームを連呼する小恥ずかしいありさまを強調しては、メローニ首相を無理にそして無闇に名前で呼び続けたものである。

やることなすことの全てが、まるで女子高生のお祭りのように幼い高市首相の挙動に、メローニ首相が戸惑う様子が見え見えだったが、日本側はそれにまったく気づかないようだった。

その一方で首相職4年目に入るメロ-ニ首相は、極右と呼ばれた時間を経て、政権担当以後はいわば外柔内剛の中道保守とでも形容されるべき「穏健」な極右へと姿を変えた。

そんなメローニ首相には、高市首相が囚われている、男性中心の組織社会で女性が這い上がるために見せる「過剰同一化」の悲哀がない。

片や高市首相は、彼女の絶対的アイドル故安倍首相の腰にしがみついて、過剰に男性に同化する手法で自民党の男ジャングルの中を泳ぎ回りのし上がった人物だ。

彼女は生き延び栄進するに連れて、男への過剰同調をさらに過激に推し進めた。

結果、女性でありながら夫婦別姓制に反対するなどの奇怪な道をさえ歩み続けた。

そしてついには極まって、トランプ大統領の腕にすがって女子高生よろしくぴょんぴょん跳ねたり、メローニ首相歓迎儀式でみせたママゴト外交を、大真面目で遂行する噴飯ものの行動様式を獲得するまでになっている。

彼女はそうした自らのやり方を、再び自身のアイドル故安倍首相のひそみに倣って「世界の真ん中で咲き誇る日本また日本外交」と自画自賛する。

世界の果ての忘れられた島々で、噴飯逆説物語以外の何ものでもない「世界の真ん中で咲き誇る日本また日本外交」をキャッチフレーズに、お祭り騒ぎを演出する高市首相の、心の内奥の無念はいかばかりだろうか。

寂しい境涯にある高市首相がメロ-ニ首相歓迎式典や会談で見せた幼い言動は、彼女の戦争ごっこ好きや極右三昧言動などとあいまって、日本の行く手に垂れ込める暗雲そのものにも見え、憂鬱を通り越して不気味でさえあった。

もっともそこで寂しさを知るほどの感性があるのなら、「世界の真ん中で咲き誇る日本や日本外交」などという、穴があったら入りたいような尻こそばゆいフレーズを臆面もなく口にすることなどありないだろうが。

女性であることを侮られないように死に物狂いで男に過剰同化して、ついには日本のトップにまで上りつめた高市首相が、キャリアの仕上げの段階で女子丸出しにも見えたママゴト外交をやらかしたのは、結局彼女が女性だからというのが理由ではなく、ただの無能な宰相だから、というのがフェアな採点だろう。

世界には彼女のママごとに付き合わされたメローニ首相を筆頭に、サッチャー、メルケル、また歴史を辿れば シリマヴォ・バンダラナイケ、 インディラ・ガンディー、ゴルダ・メイア、 エレン・ジョンソン・サーリーフなどなど、優れた女性リーダーが数多くいる。

そして彼女たちは女性首脳だからではなく、卓絶したリーダーだからそう評価されているのである。





facebook:masanorinakasone







狂気のトランプ主義を制御しなければ世界はもっとさらに瓦解する

TrumpholdsRutte切り取りヨリ650

 スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムでは、ベネズエラを侵略しマドゥーロ大統領を拉致し去ったトランプ狂犬大統領が、グリーンランドを武力攻撃してアメリカに併合する旨の宣言をするのではないかと見られた。

グリーンランドはデンマークの自治領である。そしてデンマークはアメリカと欧州の32カ国が加盟する軍事同盟、NATOの構成国だ。

トランプやりたい放題大統領のアメリカは、同盟国の一つを武力攻撃するかもしれないと恐れられたのだ。

NATOは集団的自衛権を謳っている。加盟国の一つが攻撃されれば全32カ国が攻撃されたとみなして反撃すると決めている。

つまりアメリカは、仲間の一国であるデンマーク(グリーンランド)を攻撃侵略して、これをわが物にするというわけである。それはNATOと戦争するにも等しい狂った行為だ。

無茶苦茶な論法は、 トランプ目つきが尋常でない大統領にかかれば無茶苦茶ではなく、彼独自のド正論になってしまう。

NATOは、つまり欧州は、恐れおののきつつ怒り、最終対立も辞さないと身構えた。

世界最大最強の軍事同盟が瓦解するばかりではなく、下手をすると内部で軍事闘争が起こる瀬戸際にまで立たされた。

ところがダボス会議に乗り込んだトランプいわく付き大統領は、グリーンランドは攻撃しない、またアメリカにたて突いている8カ国への関税も課さないと渋い顔で表明した。

そこに持ち込んだのは、NATOのマルク・ルッテ事務総長の手腕である。

ルッテ事務総長は、髪を逆立て吼えるトランプ鮫脳大統領をおだてのテクニックで懐柔した。事務総長そっと寄り添ったのはイタリアのメローニ首相だった。

ダボス会議では、トランプ大統領を強く批判したカナダのカーニー首相の演説ばかりが大きく報道された。

カーニー首相は、欧州首脳らが腹に秘めていて、時々そっと披瀝するトランプ大統領への不満を正面きって言い募った。それは多くの欧州人の共感を呼んだ。

だからメディアが大きく取り上げた。

経済的には、いわば生殺与奪の権を隣国アメリかに握られていると言っても過言ではないカナダのカーニー首相は、その観点からは「トランプ蛇」ににらまれたカエルも同然である。

蛇が襲い掛かれば彼にはもはや失うものはなにもない。だから開き直ってトランプ大統領を痛烈批判する演説を行った。それは評価されていいアクションだった。

片やマルク・ルッテNATO事務総長は、トランプ大統領がダボスに乗り込む以前に秘密裏に彼と交渉をし続けたとされている。

ルッテ氏は、欧州の首脳の誰もがそうするようにトランプ大統領をひたすら非難するのではなく、彼を刺激しないようになだめ、すかし、ヨイショのテクニックで繰り返し説得。ついにたぶらかした。

ルッテ事務総長は、意見の対立が極めて多く分断と離反が日常茶飯事とされるオランダ政界を、首相として14年もの長きに渡ってにまとめ統率し続けた経歴を持つ。

今回は彼のそそ交渉根回しの才能が発揮された形だ。

一方でトランプ大統領を褒め殺す彼の手法は、卑屈に過ぎるという批判も多く呼ぶ。

だが米欧が深刻な対立に陥って、ついには武力行使にまで至りかねない瀬戸際でこれを救った彼の政治手腕は、もっと評価されて然るべきだ。

ルッテ事務総長に援護射撃をしたのは、先に触れたように、トランプ大統領にも近いイタリアのメローニ首相ほぼ一人のみである。

EUトップフォンデアライエン委員長も、マクロン大統領も、メルツまたスターマーの独英両首相も、トランプ大統領を非難するだけで対立を回避するる行動を一切取らなかった、いや、取れなかった。

彼らは最終的にはトランプ大統領と決裂する覚悟さえ胸に秘めていた節がある。欧州の矜持と言えば聞こえがいいが、一触即発のきわめて危険な状態だったのだ。

ルッテ事務総長は、前述のようにトランプ大統領を説得してグリーンランドに武力行使はしない、関税も課さない、という言質を取った。そうやってNATOの分裂はいったん回避され戦争の危険も遠のいた。

マルク・ルッテ氏はもっと注目されて然るべきだ。

僕はルッテ氏がオランダ首相を退任したとき、彼の動きの潔さに感銘を受けて記事を書いた。彼の真価はそれ以上であることが今回明るみになった。もっとさらに注視して行こうと思う。

NATOつまり欧州とアメリカは、極めて強い緊張関係のストレスにさらされている。それはひとえに、トランプふと見るとヒトラーに似ていなくもない大統領の破戒僧的行動に原因がある。

ダボス会議ではルッテNATO事務総長の機転で危機はいったん回避された。だがそれは欧米間の深い溝が埋まったことを微塵も意味しない。

中国とロシアは舌なめずりをしながら、それ以外の世界は不安と恐れを身内に覚えながら、米欧の分断の行方を見つめている。

蚊帳の外に置かれているのは例によって、世界の果ての島の洞窟内で不安を極右政治勢力に委ねて騒ぐ、悲壮な若者群に呑み込まれて消滅しようとしてるようにも見える日本国のみである。





facebook:masanorinakasone






高市長期政権は日本を破壊する可能性が高い

拡大

高市早苗首相は来たる通常国会の冒頭に衆院を解散すると決めた。

あらゆることがアベノコピーの高市首相は、解散総選挙まで安倍元首相の物まねをしているように見える。

今回の動きは2014年のアベノミクス解散総選挙を意識してのものだろう。

安倍元首相はそこで大勝して長期政権を確実にした。

高市首相への高い支持率が本物なら、彼女の政権も選挙で大勝して政権基盤を固め長期政権へと向かう可能性がある。

だが高市首相支持層と自民党支持層が別物なら、事態は違ったものになる可能性もある。

できればそうなってほしいが、自民党は単独過半数を大きく上回る260議席を獲得するという情勢分析もある。

その分析が正しいならば、裏金や統一教会問題等に腹を立てて自民党を拒否すると見られた有権者は、早くもそれを忘れて元の木阿弥の愚民になったことが明らかになるだろう。

彼らは高市政権を支持することで、中国を見下し挑発し燃え上がっているSNS世代に同調して危険な道を行くことになる。

極右勢力が本格的に力を得て燃え上がるのは、主流派が彼らに迎合するときである。

具体的に言えば、自民党が党内の極右モメンタムに圧倒され、外部のそれに肩入れし、正気を保っていた国民が極右の流れに身をゆだねるときである。

裏金や統一教会問題等に腹を立てて自民党を拒否していた人々が、それを忘れて高市政権に肩入れするのなら、まさにその危険の現われだ。

高市政権が続くなら、日本は本気で中国との戦争を憂えたほうがいい。

台湾有事発言を撤回しようとしない高市首相は、いざとなればアメリカと手を組んで中国と戦う腹積もりのようだが、愚かと形容するのも空しい態度だ。

アメリカは日本を助けることなく、日中が戦火を交えるのを高みで見物するか、最悪の場合は日本を見捨てて中国に肩入れすることさえあり得る。

中国に味方するほうが儲かると判断すれば、アメリカは必ずそうすることはトランプ大統領の言動から明らかだ。

日本は目を覚ますべきだ。

たとえアメリカが日米安保条約に沿って約束どおり日本を助けることがあっても、一体何が悲しくて日本が中国と戦火を交えなければならないのか。

中国は難しい国だ。だからといって敵対するのは当たらない。日本はアメリカとの友誼は変わらず大切にしながら、中国ともする道を探るべきだ。

その当たり前すぎるほど当たり前の道が、高市政権が続く限り果てしもなく遠のいていきそうに見える。

今回の総選挙はいつにもまして、日本の政治の重要な節目となる可能性が高い。




facebook:masanorinakasone



高市首相はメローニ首相のプラグマティズムをしっかり見習え

拡大美人Meloni&高市319原版を450に

ここイタリアのジョルジャ・メローニ首相が1月15日から17日にかけて日本を訪問し高市首相と会談する。

イタリアと日本というG7の味噌っかす国の首脳同士が会って、いったい何を話すんだい、と訊きたいところだが、人は互いにマッチョ且つ男尊女卑な政界を持つ国で、初の女性首相となったともがらだ。なんとなく親近感を覚えるのだろう。

しかも双方ともに極右と規定されることが多い右派政治家である。

そのあたりにこの不思議な邂逅の秘密があるが、それでは国民を納得させられないので、どうでもいいような一応の理屈を幾つも発明している。

いわく、日伊外交関係樹立160周年を記念して両国の友好・協力関係を一層深化させる。いわく、両首脳の個人的な信頼関係を構築する。 いわく「戦略的パートナーシップ」の強化を図る。いわく安全保障協力の強化など、など。

だがその「催し物」は、日本側のほとんど懇願に近い要請で実現したことは明らかだ。

なぜなら、高市首相にはメローニ首相を招いて外交演出をすることで、台湾有事発言に始まる自らの危なっかしい政権運営に少しでも役立てたい思いがある。

片やイタリアにとっては、メローニ首相が日本の相方と会うメリットとは何もない。内政をおろそかにして日本までの長旅をするのは時間の無駄だ。むしろ迷惑だろう。

それでも行くのは日伊間の友情への配慮と、日本初の女性首相となった高市氏への義侠心だろう。

そんな2人だが、政治信条や手腕また人格には、天下一品メローニと生活必需品高市ほどの違いがある。

中卒程度の学力を持つだけのメローニ首相は、15歳でファシスト党の流れを組むMSIに参加し、活発な右翼活動家となった。

2012年には同じ流れの極右政党、「イタリアの同胞」を結成。以後、その泡沫政党を率いて党勢を拡大させた。

そしてついに2022年、総選挙で第一党に躍り出て政権を奪取。イタリア初の女性首相となった。

彼女は選挙運動では声高に、過激に、右派の主張を展開。その期間中は顔つきがほとんど狂暴にさえ見えた。

選挙中、彼女は極右と形容された右寄りの政策を声高に叫びつつ、一つのスローガンをさらに大声で主張した。

いわく、「私はジョルジャだ。私は女性だ。私は母親だ。そして私はイタリア人だ」と。

「私はジョルジャだ」は自らが自立自尊の人格であることを、「私は女性だ」は女性であることを誇ると同時にジェンダー差別への抗議を、「私は母親だ 」は愛と寛容を、「私はイタリア人だ」は愛国の精神を象徴していると僕は見た。

メローニ氏はそうやって国民の支持を得て首相の座に上り詰めた。

ところが彼女は、首相になると同時に険しい極右の言動を控えて現実路線にシフトし、いわば強硬中道保守とでも形容されるべき「穏健な」道を歩みだした。顔つきまで変わり穏和になった。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になった。

敵対していたEU(欧州連合)とも良好な関係を築いた。同氏に懐疑的だったEUの主勢力は、警戒心を抱きながらもメローニ首相を対話の可能な右派政治家、と規定して協力関係を構築した。

彼女はそうやって中道寄りの現実路線にシフトして、イタリアのみならず欧州全体でも一目おかれる「保守政治家」へと変貌した。

そうした変化が可能になったのは、彼女がイタリア共和国のトップとして統率力を発揮し、支持基盤である「イタリアの同胞」に始まる極右モメンタムを抑えているからだ。

片や高市首相は、右翼政治家としての独自の強烈な活動歴はなく、自民党内の安倍極右カルト神殿の一員として男社会に尽くすことで、日本会議神社本庁集団、西田雑魚歴史改ざん組などの支持を得、日本初の女性首相になった。

思い込んだら百年目の極右熱情に支えられた高市首相には、日本のトップとしての独立した強い権限や独自性はない。

前述のカルト勢力に加えて全国に蠢くいわゆる自称文化人やアカデミック層また芸能人などを含む、有象無象のネトウヨヘイト系国民によって操られるパペットであることが明らかになりつつある。

彼女にはメローニ首相が強く意識する女性の権利推進や家父長制社会への挑戦などのイデオロギーもほぼ皆無で、ひたすら自民党男組の虎の威を借りてあたりを睥睨恫喝する存在に過ぎない。

歴史への洞察や知識も不足している高市首相は、軽々と台湾有事即ち日本存立危機発言をかまして、日本のトップとしての自覚も戦略的思考もゼロであることを世界に晒した。

高市首相の中国を敵とみなし、侮り、開戦も辞さないとする危険な思い上がり論法は、日本の加害の歴史も民主主義も知らない特に若年層に指示されて、国全体が熱に浮かされ極右のさらに右方向へと突き進んでいる。

日本は取り返しのつかない事態に至る前に冷静にならなければならない。

中国とのいらぬ軋轢を引き起こして正念場にある日本を、高石首相よりも政治的に存在がはるかに大きなメローニ首相が訪問してくれるのはいいことだ。

メローニ首相には、日本初の女性首相で、極右で、歴史修正主義者の危なっかしい高市氏を助けたいという気持ちがあるに違いない。

極右から身を起こして今や右派政治家として知恵を発揮するメローニ首相が、軽佻浮薄のカタマリのような高市首相を諌めることを期待したい。

それによって高市首相が、トランプ大統領の腕にすがってぴょんぴょん跳ねたり、中国との間に 軍事的緊張を誘発するなどの愚かな火遊びを止めて、シビアな世界政治の舞台に足を踏み入れてくれれば、あるいは戦争の危険はとりあえず遠のくかもしれない。




facebook:masanorinakasone







トランプにとってマドゥロも高市もどうやらゴミ並みの存在のようだ

早苗マドゥーロトランプ合成650

戦争ごっこ好きな高市首相の台湾有事・日本存立危機発言は、2つの重要な論点明らかにしたという意味でも深刻なものだった。

一つは、いざとなった時、メリカが日本を助けるかどうか怪しいとあらためてわれわれ日本人に気づかせた点である。トランプ大統領の沈黙がそのことを雄弁に語った。

アメリカは、自らの利益に資すると判断すれば日本を切り捨て中国と手を組むことも辞さない、とトランプ大統領は態度で示したのだ。

トランプ大統領はいつか政治の表舞台から去るが、彼の思想は決して消えない。将来、たとえ日本に好意的な指導者が現れても、その哲学彼らの深奥に秘めた意思として生き続ける。

日本にとってアメリカは信用できるが、信用もできない国なのである。要するに中国と同じだ。それが冷厳な実相だ。

今のところ僕を含むアメリカ好きの日本人は、信用度に於てアメリカが中国を凌駕すると信じているだけだ。

二つ目は、日本の国是が台湾は中国の一部と認めていることを、改めて多くの国民に思い出させた事実だ。

1972年の日中共同声明で示された日本の立場を、常に意識していた日本国民はそう多くないのではないか。明らかに意識していなかった者の1人が高市首相だろう。

たとえ意識していたとしても、中国への敵愾心とアメリカへの盲目的な信用またへつらい根性にひきずられて台湾有事発言をした彼女は、世界に向けて自らの無知をさらした。

同時にそれによって引き起こされた賛否渦巻く議論を介して、反高市派の人々を含む多くの日本人が自国の立ち位置明確に思い出した。それは怪我の功名と言っても構わないような出来事だった。

と、思いを巡らせていた1月3日、アメリカ軍がベネズエラに侵攻して、大統領のニコラス・マドゥロと妻のシリア・フローレスを拘束・連行した。

トランプ大統領の意志で執行されたそのアクションはデジャヴ感にあふれた蛮行だった。

ほぼ同じ形でアメリカは1989年、パナマの独裁者マヌエル・ノリエガを拘束した。

またイランやグアテマラやチリなどでは軍事介入やクーデター工作を実行して政権転覆を実現させた。

推測や状況証拠をひもといて見れば、アメリカによる同様の横暴な事例は枚挙にいとまがない。

引っ立てられるマドゥーロ大統領の映像を見ながら、僕はベネズエラと日本を重ね合わせて考えていた。

先に述べたようにアメリカは、自らの利益になると見なせば日本に対しても同様な攻撃を仕掛けかねない。

いや、日本だけではなく、核兵器を保有しない国にはどこにでも同じことをやる可能性がある。トランプ大統領のグリーンランドへの執着やカナダへの食指、またメキシコやパナマへも強欲な触手を伸ばしている事実を見ればいい。

台湾有事と騒いで中国を怒らせた高市首相は、米中の相互経済利益と米中露による世界分割支配構想にとって邪魔、とトランプ大統領が判断した場合、CIAが暗躍して高市政権転覆&首相拘束を実行しないと一体誰が断言できる?



facebook:masanorinakasone









高市早苗という国難を一刻も早く排除するべき

メローニ高市650

自身へのけじめを込めて年が変わる前に書いておくことにした。

僕は高市早苗氏が、日本初の女性首相になることにより極右スタンスの政治姿勢を改めて、より穏健な右派政治家に生まれ変わることを期待した。

それは言葉を替えれば、現実路線に舵を切って日本国のトップらしい主体的で思慮深く、人間的に磨かれたリーダーに生まれ変わることを意味した。

彼女はかつて次のようなおぞましい言動を重ねた。

1.議員一年生の1994年10月12日、国会で村山富市首相に「過去の戦争に関して周辺国に勝手に謝罪をするな」と言。

2.1995年3月16日、「私自身は、戦争の当事者とは言えない世代だから、反省なんかしていないし、反省を求められるいわれもない」と衆議院外務委員会で言明

3.2016年2月8日、気に入らないテレビ局の「電波を停めてやる」主旨の傲慢極まる発言もした。

ファシストやナチでさえ真っ青になりそうな呆れた発言を知りつつ、僕は彼女が首相になって変貌することをほんの束の間だけ思い描いたのである。

それはここイタリアのメローニ首相を念頭に置いての、無いものねだりの期待であり希望だった。

ジョルジャ・メローニ首相は、極右という形容は当たり前、政敵からはネオファシスト(新ファシスト)とさえ指弾されたりする存在である。

彼女は2012年にファシスト党の流れを組む右派政党「イタリアの同胞(FdI)」を結成した。

以来、泡沫政党「イタリアの同胞」の党首として、烈烈たる情緒と確固たる信念を胸に活動を続けた。

10年後の2022年、彼女は激しい選挙戦を闘い抜いてついに政権を奪取した。

選挙運動では声高に、過激に右派の主張を展開。その期間中は顔つきがほとんど狂暴にさえ見えた。

ところが彼女は首相になると同時に険しい極右の言動を控えて、いわば強硬右派とも形容されるべき穏健な道を歩みだした。顔つきまで変わった。

見苦しい激甚な表情が母親のように優しくなった。

極右政治家のメローニ首相が、政権奪取後には中道寄りへと舵を切るであろうことを僕は予想し何度もそう書いた

彼女はその通りの道を歩んでいる。

高市首相は、メローニ首相と同じファシスト気質の政治信条を持つばかりではなく、イタリア同様に圧倒的に男性優位の政治体制を持つ国で初の女性首相になった。

しかし彼女は日本国の首相として現実路線にシフトするどころか、政権の座に就いて間もない2025年11月7日、衆議院予算委員会で、「台湾有事は日本存立危機事態になり得る」と極右きわめ付きの発言をした。

僕はその時点で彼女の「化け」をあり得ないことと判断した。

彼女の台湾有事発言は、自らが師と仰ぐ安倍元首相の「戦略的曖昧さ」を否定して、その遺志を「国策」として具体化しようとする明確な信念の顕れとの意見もあるが、笑止千万だ。

彼女に戦略的な思惑があったとは考えにくい。

そうではなく、発言は彼女がネトウヨヘイト系差別主義教団カルトの仲間内で気勢を上げるノリで、つい言ってみた、というのが真実だろう。

彼女は、イタリアの過去、特にファシズムを明確に否定して国の舵を取る右派政治家のメローニ首相とは似ても似つかない。

このデタラメな政治家が、日本のトップであり続けてはならない。

僕はほんの一時はいえ、彼女が化けてメローニ首相のように周囲から尊重される存在になるかもしれない、と考えた自らの不明を恥じる。

と同時にそうした方向の発言の一切を撤回する。彼女の本性はもはや隠しようがない。

彼女は戦略的な思考ができない分、安倍元首相よりも危険な歴史修正主義者であり超国家主義者である。

取り返しのつかない事態が起こらないよう一刻も早く排除されるべきだ。




facebook:masanorinakasone





記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

なかそね則

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ