【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

トランプ再選より不穏なドイツAfDの躍進 

トランプ+AfD合成

米大統領選に向けた共和党の候補者選びで、トランプ候補が第1戦第2戦と連勝した。

共和党は11月の米大統領選へ向けて、どうやらトランプ候補を彼らのエースと決めたようだ。

それを受けて世界の魑魅魍魎たちがあちこちでが呟いている。

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先ずイスラエル・ネタニヤフ首相:

米大統領選までは何があっても戦争は止めない。トランプが勝てばこっちのものだ。俺と同じ穴のムジナのトランプにとってはパレスチナ人なんて虫けら以下だ。極端なイスラエル擁護者の彼は、大統領に返り咲けばわれらがユダヤの国を徹底的に支援するだろう。ああ、トランプの再選が待ち遠しい。

ロシア・プーチン大統領:

ウクライナへのエンパシーはかけらも持ち合わせない2期目のトランプ大統領は、アメリカの支出を削減するという理由だけでもウクライナに停戦を要求するだろう。ウクライナはアメリカの支援がなければ戦争を続けられない。奴らは失った領土とずたずたにされた誇りと愛国心を抱えたまま、絶望の底で停戦に応じることになる。俺の狙い通りだ。

北の将軍様:

トランプは頭の中身も体型も俺とそっくりだから大好きだ。早く俺に並ぶ独裁者の地位に戻れ。

中国・習近平主席:

バイデンもトランプも悪魔だ。だがEUや日本などともつるみたがるバイデンよりも、1人で騒ぎまくるトランプの方が御しやすい悪魔だ。

岸田首相:

死んでも私のアイドルである安倍氏に倣います。トランプ大統領閣下、どうかいつまでもあなたの金魚のフンでいさせてくださいませ。

ドイツAfD:

ホロコーストはすぐには起こさないつもりだ。今はユダヤ人より移民のほうがマジ臭い。次は総統様がおっしゃった黄色い猿の日本人や、規則を知らない未開人のイタ公は抜きで、プーチン、北のデブ、シューキンペーなどをたぶらかし巻き込んで、白人至上主義を宇宙にまで撒き散らす計画だ。

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第1次トランプ政権の最大の脅威はトランプ大統領自身だった。だが、アメリカも世界も4年間で彼への対処の仕方を学んだ。

トランプ大統領は相変わらず民主主義への挑戦ではあり続けるだろう。

しかしトランプ再選の最大の脅威は最早トランプ大統領ではなく、彼に親和的なドイツの極右AfDがさらに勢力を伸ばすことである。

AfDがかつてのナチスと同様にホロコーストを起こす危険があるという意味ではない。AfDの不寛容な怒りっぽい性格は危険だ。が、彼らとてナチズムの悪と失敗は知悉している。

ヒトラーとナチズムとホロコーストを経験したドイツは、そしてひいては世界は、それらの再現を許さない。なぜなら「欧州の良心」がそれを阻むからだ。

「欧州の良心」とは、欧州が自らの過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことだ。

その心は言論の自由に始まるあらゆる自由と民主主義を標榜し、人権を守り、法の下の平等を追求し、多様性や博愛を尊重する制度を生み出した。

「欧州の良心」はトランプ主義に異議を申し立て、プーチンロシアに対峙し、習近平中国の前にも立ちはだかる。

ヒトラーはヒトラーを知らず、ムッソリーニはムッソリーニを知らなかった。だが今この時の欧州の極右は、ヒトラーもムッソリーニも知っている。

そして彼らは、ヒトラーとムッソリーニを極限のさらに向こうの果てまでも否定する、欧州の民意も知悉している。

また彼らのうちの少しの知性ある者つまり指導者層も、ナチズムとファシズムの悪を知り尽くしている。だから彼らはヒトラーにもムッソリーニにもなり得ないだろう。

だが、人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼らの悪意は、易々と世の中を席巻することが多い。歴史がそれを証明している。

従って彼らは拡大する前に殲滅されたほうがいい。放っておくとかつてのヒトラーのNSDAP (国民社会主義ドイツ労働者党 )、つまりナチスのごとく一気に肥大し制御不能な暴力に発展しかねない。

とはいうものの、繰り返し強調しておきたい。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではない。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのである。

それは2022年10月、イタリアで政権を握った極右政党「イタリアの同胞FDI)」の在り方を検証するだけでも明らかだ。

「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首は、激しい反移民言論やEU懐疑思想を全面に押し出して総選挙を勝ち抜いた。

そして彼女は首相の座に就くと同時に選挙戦中の極右丸出しの主張を引っ込めて、より「穏健な極右」あるいは「急進的な右派」政治家へとシフトした。

それにはイタリア独特の政治風土が大きく関わっている。

各地方が精神的に自主独立している自治体が、寄り合って統一国家を成しているのがイタリア共和国だ。

多様性が何よりも優先されるイタリア共和国の政治は頻繁に乱れる。だがそれは外から眺めただけのイタリアの“見た目”に過ぎない。

イタリア政治には混乱はない。多様性が担保する殷賑と狂乱と興奮が織り成す、百花繚乱というイタリア的な秩序があるだけだ。

多様性は政治に四分五裂の勢力をもたらす。過激思想も生む。極論者も政治的過激論者も跋扈する。

それらの過激勢力は、互いに相手を取り込もうとしてさらに過激に走るのではなく、より穏健へと向かう。身近な実例が、1018年に発足した極左の五つ星運動と極右の同盟の連立政権だ。

政権を樹立した彼らは、選挙運動中の過激な主張どおりにEUを否定し独立独歩の道を行くということはなく、いわば“穏健な過激派政権”となった。

そして2022年に政権の座についた極右のメローニ首相も、選挙前の剽悍な言動を抑えて「穏健な過激派」へと変貌した。それが彼らの正体、というのがふさわしい。

ネオナチあるいはネオファシストとも呼ばれるAfDも、政権奪取あるいは連立政権入りを果たした暁には、メローニ首相が率いるイタリアの同胞(FDI)と同じ道を辿るだろう。

だがAfDは、世界的には政治的弱小国に過ぎないイタリアではなく、EUを主導する大国ドイツの極右だ。政権を握れば、イタリアの極右とは違う大きなインパクトを欧州に、そして世界に与える。

そして最も重大な懸念は、彼らが反EUあるいはEU懐疑主義思想を深めることで、EUがひいては欧州が弱体化することだ。

なぜなら世界がかく乱された第一次トランプ政権時代、ファシズム気質のトランプ主義に敢然と立ち向かったのは、EUを核に団結した強い欧州だけだった。

その欧州は同時に、中露の専制主義に立ち向かえる唯一の力であることも、またその時代に証明された。

要するに欧州の弱体化は、本質的に世界の弱体化と同じである。

世界の民主主義の盟主は、専制主義とほぼ同義語のトランプ主義でさえ政権奪取が可能な米国ではなく、“欧州の良心”を堅固な民主主義で死守しようとする、EUを核とする欧州そのものなのである。

第2次トランプ政権が後押しをしそうに見えるドイツAfDの勢力拡大は、欧州の力を確実に大きく削ぐ。それこそがトランプ再選の最大の痛手であり脅威である。





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経歴フェチみたいな人もいるⅡ


1,2次情報切り取り650

テレビをはじめとする大手メディアは資金や人的資源を豊富に持っている。彼らはそれを縦横無尽に使って一次情報を収集する。大手メディアの報道や番組は一次情報の宝庫だ。

いうまでもなく一次情報は、それがありのままに正直に提示されたものなら、客観的な事実であり真実である場合がほとんどだ。

片やSNSで情報を発信している個人には、自分以外には人材も金もないため、足と時間と労力を使って得る独自情報や見聞は少ない。せいぜい身の回りの出来事が精一杯だ。

そこで彼らは大手メディアが発信する一次情報を基に記事を書いたり報道したりすることになる。それが2次情報である。

2次情報を見てまた誰かが記事を書く。それが3次情報・・と次々に情報が拡散されていく。そしてその度に発信者の解釈や意見や感じ方が盛り込まれる。

その結果ネット空間には偏向や偏見や思い込みに基づく表現もあふれることになる。

僕はSNSでは今述べた現実をしっかり意識しながら発信している。

つまり、自身が体験したことや自分の足で集めた情報以外は、あらゆるメディアやツテや友人知己からの一次情報を自分なりに解釈し考察して、その結果を発信するということだ。

そこでは事実や事件の正確な報告よりも「自分の意見を吐露」することが優先される。換言すれば、他から得た情報や事実や見聞に対して自らの意見を述べるつもりで記事を書くのである。

テレビ局やプロダクション、またスポンサーや出版社などから制作費をもらって番組を作り取材をする場合は、むろん自分の足で動き取材対象に向き合いインタビューをする。

そこで得るのは全て一次情報である。一次情報を制作費を出した側にそのまま渡すのが取材。加工して渡すのが番組制作であり記事執筆である。

僕は小さな番組制作会社を率いた時期を含め一貫してフリーランスだが、大手メディアから制作費をもらって仕事をする際は、いわば彼らの一員となって仕事をこなすことになる。

SNS発信は違う。

大小の商業メディアから資金の出ない、かつ無報酬(ほとんどの場合)のSNSでは、一次情報の発信には限界がある。

無報酬のSNS記事だけを書くために、取材と称して例えば日本からガザに向かったりウクライナの前線を訪ねたりする者はいないだろう。

SNSでは僕は大手メディア、特にBBCCNNAl JazeeraEuronews、またNHKなどを活用して一時情報を手に入れ、新聞その他の媒体でさらにそれらを確認し追加しながら「自らの意見を述べる」ことを信条にして発信している。

一次情報取得のために大手メディアと競うのはほとんど無意味だし不可能だ。それはSNSが情報発信において大手メディアに敗北したのではなく、組織と個人の情報収集法の違いに過ぎない。

SNSでの「自らの」発信と、既存メディア上で行った「自らの」発信、つまり報道取材や番組制作は全く質が異なる。そこを履き違えると滑稽な結果になりかねない。




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経歴フェチみたいな人もいるⅠ

則顔鼻毛イラスト650

SNS発信では、今何をしているかが重要であって、過去の出来事はあまり意味がない、と僕は考えている。

SNSの面白さはSNSが出発点、というところにある。

例えば僕はFacebookでは、いただく友達申請のほかに、これはという投稿を見た場合はこちらからも迷わずに友達申請をする。その際には自分については「イタリア在住者です」とのみ名乗っている。

「今僕が何を発信しているか」だけが重要だから、敢えて余計なことは書かないのだ。

後はその方が僕のタイムラインを見て、申請を受けるか否か判断する、と考えている。

過去や経歴を知らない人が、何か面白いこと、役に立つこと、印象深いこと等を書いているなら、それは本当に面白いこと、役に立つこと、印象深いことである。

片や執筆者の経歴を知っている場合は、特にその人が有名人だったりすると、経歴に引きずられてつまらない文章も輝いて見えたりする。

それではSNSを利用する意味がないと思う

最近SNS上である人とやり取りをするうち、突然お前の生業はなんだ、と訊かれておどろいた。進行中の議論では生業は問題ではなく、お互いの「今の」考えのやり取りだけが重要だったからだ。それでも彼の言いを尊重して「私の生業はテレビドキュメンタリーと報道番組制作です」と返信した。

するとすぐにまた「本当にTVドキュメンタリー制作者なら、お前の実績を教えろ。代表作はなんだ?会社名と作品を教えろ」とたたみかけてきた。

こちらの問いにはほとんど答えず、一方的に自説を繰り返すだけなので議論が成り立たない。放っておこうとも思ったが、またどうということもない経歴だが、それまでのやり取りに免じて要望にこたえ経歴を送った。

送ったあとで、まてよ、と考え直した。

僕は自分の経歴や生業については、このブログの中で度々書いてきた。ブログのタイトルも「【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信」と、TVディレクターのブログであることを示唆する内容にした。

読者は不特定だが友人知己も多く、それらの皆さんは僕の経歴については記事を読まなくても知っている。だが交流サイトと言われるFacebookでは、友人知己を除けば僕の経歴を全く知らない人がほとんどだと気づいた。

従って投稿を読んでくださるFB友のなかには、彼のように僕の生業を気にする人もいるのではないか、と思い至った。むしろその方が人情かもしれない。

そこで生業はなんだ?と訊いた相手に送ったものとほぼ同じ説明をここにも記しておくことにした。

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MASANORI NAKASONE  (仲宗根雅則)  なかそね則

テレビディレクター(ドキュメンタリー&報道)

慶応義塾大学卒業   ロンドン国際映画学校卒業。


(職歴)

USケーブルTVディレクター(テレジャパン) 報道番組多数(日本にて)

NHK番組制作。NHKスペシャル、衛星放送報道番組&ドキュメンタリー、ほか報道番組取材多数、WOWOWほか民放番組取材多数。

1984年から2年間はニューヨークでアメリカ公共放送PBSの番組制作。

1989年―2010年番組制作プロダクション「ミラノピュー」代表。

以後フリーランス&自称ブロガー

(受賞歴)

1.ロンドン国際映画学校在学中に短編小説「新人賞」によって「小説新潮」月間新人賞・佳作入選。

2. 1986年、アメリカPBS放送のドキュメンタリー番組「のり子の場合」により「モニター賞」報道・ドキュメンタリー部門最優秀監督賞受賞。

3. 1996年制作のNHKドキュメンタリー番組「素晴らしき地球の旅~パリオ・中世の競馬~」によりNHK年間優秀番組賞受賞(衛星放送局長賞)。

(執筆歴)

「三田文学」(小説)、「トレンドセッター」「VACATION」「ウインド」「BURUTAS」その他の雑誌記事・連載・特集記事、新聞コラムなど。

WEB執筆:次のブログを管理・主催・執筆。

1.【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

2.ピアッツァの声

数年前までYahoo個人、アゴラ等、公のブログにも寄稿していた。

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SNS発信は、言うまでもなく既存メディアのそれとは違う。僕は既存メディアのうちテレビと紙媒体でプロとして仕事をしてきた。プロとしての仕事とは、制作費をいただいてテレビ番組を作り、取材をし、別の時間には新聞雑誌等に記事を書いたりもした、という意味である。肩書きはテレビのドキュメンタリーおよび報道番組ディレクターである。新聞雑誌に書く記事また雑文などは、ディレクターとしての僕の仕事があってはじめて発生した。

前掲の箇条書きの履歴を少し説明しておきたい。

ロンドンの映画学校で学んだ後は日本に帰国し、USケーブルネットワークの報道取材を多数こなした。ケーブルテレビ全盛の頃で、若造の僕の企画も面白いように通った。そのため多くの報道番組を作った。ほぼ毎日ロケで日本全国を駆け回っていたような記憶がある。

その後ニューヨークに来ないかという話があり渡米。アメリカでは主に公共放送・PBSの番組を作った。Dick Cavettが全体のプレゼンターとナレーションを務めた「Faces of Japan」である。

13本シリーズのうち4本を僕が監督し、残りの9本は4人(だったと思う)の米国人監督が撮った。

僕が作った4本のうち、シリーズの冒頭を飾った「The Story of Noriko」が国際モニター賞の報道・ドキュメンタリ部門監督賞を受賞した。

その後イタリアに移住してNHKの衛星放送と地上波ドキュメンタリーでも仕事をした。NHKとつながりができたのは、ニューヨークで受賞したことがきっかけだった。

NHK衛星放送は黎明期でもあり、そこではUSケーブルネットワーク 時代と同じように僕の企画も良く採用され、パリ局とロンドン局を介して多くの番組を作り、取材もした。

民放の仕事ではTBSほかの地上波を少々とWOWOWに多く関わった。

NHK衛星放送とWOWOWでは、それまで全く知らなかったファッション番組とサッカーの衛星生中継もこなした。貴重な体験になった。

ミラノにささやかな番組制作プロダクションを開いてからは、スタッフを雇いNHKほかのコーディネーションの仕事も多く受けた。



報道とSNSに関する僕の基本的な考えは

https://cannapensante.com/2019/10/14/1516/

に記されている。

また仕事に絡まるブログ記事は


https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/51615705.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../52253014.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../52313511.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52278691.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../52290592.html 

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../52325526.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../51719662.html 

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../51723726.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../51724123.html  

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../51725115.html 

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../51725746.html  

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch.../51725826.html  


等を参照していただきたい。





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ボーイング737MAXも787も乗らないに越したことはない

風穴737MAX650

先日運行停止になったボーイング社の問題児、737MAXが空を翔るのはまだ先になりそうだ。

ブティジェッジ米運輸長官が1月10日、規制当局が安全飛行が可能と判断するまで737MAXは地上待機をしなければならないと語ったからだ。

737MAXは前回、2018年起きたインドネシア・ライオン航空の墜落事故と、2019年に起きたアフリカ・エチオピア航空の墜落事故を受けて運行停止になった。

今回は上昇中に側壁が吹き飛ぶという信じられないような事故だった。

ボーイング737MAXは鬱陶しいが、ボーイングの787ドリームライナーもすっきりしない飛行機だ。

ボーイング787は低燃費、安全性を旗印に市場に出たが、2013年にバッテリーの不具合という深刻な問題でコケた。

バッテリー事故のあと、ボーイング社は故障の原因究明を懸命に行なった。

だが結局分からず、可能性のある80通りのケースを想定して、これに対応する形での改善策を米FAA・連邦航空局に提示して了承された。

以来同様の事故は起きていない。

でもボーイング社もFAAも当時、いわば

「故障しない保証はないが、大事故はない。だから心配するな」

という形で幕引きを図った。

だがなんにも頼るもののない空の上で、飛行機が火事になったら、あるいはバッテリーが発火して火事になりそうになったら、はたまたそういう可能性があるかもしれない、と考えたりしながら座席に座っていても少しも楽しくない、と僕は当時思い、今も同じ気持ちでいる。

飛行機に乗るのならば100%の安全やゼロリスクというのはもちろんあり得ない。しかし、故障の原因は分からないが「故障は封じ込めたから安心しろ」というのは、どうもしっくりこない。

片や737MAXは墜落事故の後、飛行制御ソフトウェアの不具合が事故の原因と特定された。

ボーイング社は飛行制御ソフトウェアの設計変更に取り組み、アメリカ連邦航空局(FAA)が承認して飛行禁止を解除した

787ドリームライナーのバッテリー問題も、737MAXのソフトウェアの不具合も愉快ではないが、事故原因が特定できなかった787のほうがより嫌だ、と僕は思う。

むろん機体の側壁が吹き飛んだ今回の737MAXの事故原因が、しっかりと究明されるという前提での話である。




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“ザ極右“の隠し切れない尻

ピストル_pozzoloと

イタリアは年初からポッツォロ事件で揺れている。

国会議員のエマヌエレ・ポッツォロ(Emanuele Pozzolo)氏が、年忘れパーティーにあろうことか拳銃をポケットに忍ばせて出席し、それが“暴発”して一人が負傷した。

ポッツォロ氏は38歳。極右で与党の「イタリアの同胞」所属の代議士である

ポッツォロ議員は拳銃は自分が発砲したのではないと主張。事態が紛糾した。

代議士の主張はこうだ。

彼はポケットにピストルを忍ばせたオーバーコートを椅子の背もたれに掛けた。するとピストルがこぼれ落ちた。(あわてた)ポッツォロ氏がそれを拾い上げたとき、はずみで銃が暴発したという。

だがそこにいた人々の中にはポッツォロ議員が意図的に発砲した、と証言する者もいて、今も混乱が続いてる。

彼の所属党、イタリアの同胞党首でもあるメローニ首相はこの事件に激怒。彼を党から除籍すると息巻いた。結局党資格停止処分になった

メローニ首相はネオファシストと規定されることさえある右派政治家だが、昨年首相に就任してからは、極右的な激しい言動を控えてより中道寄りの物腰と政策を心がけている。

それは効を奏して、彼女はEU本部からも国内の野党からも、対話が可能な右派政治家として見なされ、それに沿って「普通に」仕事をこなしていると見える。

自由都市国家メンタリティーの集合体であるイタリア共和国には強い多様性が息づいている。そこでは政治勢力が四分五裂して存在極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなく、より穏健になる傾向が強い。

多様性が政治の過激化を抑制するのである。

2018年に船出した極右「同盟」と極左「五つ星運動」による連立政権は、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張がただちに国の行く末を決定付けることはない、ということを示した。多様性の効能である。

イタリアの同胞が主導する右派政権も、ここまでは同じ道を辿っている。

メロ-ニ首相は ポッツォロ事件では代議士を激しく非難。前述のように彼は党員資格を停止された。処分は今後の成り行きではさらに重くなると見られている。

メロ-ニ首相は―事件の真相が何であれ―ポケットに拳銃を忍ばせて大晦日の年越しパーティーに出席するという異様且つ「暴力的」な行動は、いかにも極右的と国民に受け止められることを知っていたに違いない。

彼女の市民感覚は極めて正常、と証明されたと言っても良いだろう。

年越しパーティー兼新年会にピストルを持ち込む国会議員とは一体なんだろう?ほとんどキ印と形容してもいいのではないか。

極右の問題はそういうところにある。やることが過激であり暴力的なのだ。それは左の極論者も同じだ。

過激派を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからである。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に姿を現したのが典型的な例だ。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていく。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入さえする。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。

ポッツォロ事件の怖さは、銃を発砲したしないの問題よりも、そもそも「年越し兼新年会パーティー」に拳銃を持ち込む感覚がすでに異様で暴力的、という点だと思う。

ネオファシストとさえ呼ばれたメーローニ首相は、政権奪取以来より穏健で中道寄りに傾く政策を採っている。

しかし彼女が率いる極右政党は、ポッツォロ代議士のようなトンデモ人間を包含して存在する、という現実を片時も忘れてはならない。




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殺人鬼ブレイビクを忘れない

判事に右腕を上げてナチス式の敬礼をする650

2011年7月、アンネシュ・ブレイビクがノルウエー首都オスロほとんどが若者だった77人を殺害し禁固21年の刑を受けた。

ブレイビクは先日、彼が受けている懲罰としての隔離は、人権侵害また非人道的な扱いを禁止する欧州人権条約(ECHR)第3条に違反していると主張した。

彼は現在、キッチン、食堂、ゲーム機Xbox付きのテレビ室(娯楽室)、バーベル、トレッドミル、ローイングマシン等を備えたフィットネスジム付きの、2階建ての独房に収監されている。

ブレイビクは、2016年にも同様の申し立てをして制限つきの自由を要求し、却下された。

事件が起きた2011年7月以降しばらくは、ブレイビクが死刑にならず、あまつさえ「たった」21年の禁固刑になったことへの不満がくすぶった。

だがその不満は実は、日本人を始めとする死刑制度維持国の国民だけが感じているもので、当のノルウェーはもちろん欧州でもそれほど問題にはならなかった。

なぜなら、欧州ではいかなる残虐な犯罪者も死刑にはならず、また21年という「軽い」刑罰はノルウェーの内政だから他者は口を挟まなかった。

人々はむろん事件のむごたらしさに衝撃を受け、その重大さに困惑し怒りを覚えた。

だが、死刑制度のない社会では犯人を死刑にしろという感情は湧かず、そういう主張もなかった。

ノルウェー国民の関心の多くは、この恐ろしい殺人鬼を刑罰を通していかに更生させるか、という点にあった。

ノルウェーでは刑罰は最高刑でも禁固21年である。従ってその最高刑の21年が出たときに彼らが考えたのは、ブレイビクを更生させること、というひと言に集中した。

被害者の母親のひとりは「 1人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。ならば1人の人間がそれと同じ量の愛を見せることもできるはずです」と答えた。

また当時のストルテンベルグ首相は、ブレイビクが移民への憎しみから犯行に及んだことを念頭に「犯人は爆弾と銃弾でノルウェーを変えようとした。だが、国民は多様性を重んじる価値観を守った。私たちは勝ち、犯罪者は失敗した」と述べた。

EUは死刑廃止を連合への加盟の条件にしている。ノルウェーはEUの加盟国ではない。だが死刑制度を否定し寛容な価値観を守ろうとする姿勢はEUもノルウェーも同じだ。

死刑制度を否定するのは、論理的にも倫理的にも正しい世界の風潮である。僕は少しのわだかまりを感じつつもその流れを肯定する。

だが、そうではあるものの、そして殺人鬼の命も大切と捉えこれを更生させようとするノルウェーの人々のノーブルな精神に打たれはするものの、ほとんどが若者だった77人もの人々を惨殺した犯人が、“たった21年”の禁固刑で自由の身となることにはどうしても割り切れないものを感じる。

死刑がふさわしいのではないか、という野蛮な荒ぶった感情はぐっと抑えよう。死刑の否定が必ず正義なのだから。

しかし、犯行後も危険思想を捨てたとは見えないアンネシュ・ブレイビクの場合には、せめて終身刑で対応するべきではないか、とは主張しておきたい。

その終身刑も釈放のない絶対終身刑あるいは重無期刑を、と言いたいが、再びノルウェー国民の気高い心情を考慮して、更生を期待しての無期刑というのが妥当なところか。






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能登半島地震は「原発を止めろ!」と叫んでいるように見える  

大震災みたいな能登半島地震被害650

能登半島地震直後の世界の報道の様子は、かなリラックスしたものだった。

震度(マグニチュードではない)7という恐ろしい数字の割には、死者もなく被害も小さいというニュアンスの報告が多く流れた。

英BBCは、かつて日本駐在で今は台湾在の記者の報告として、日本人によるもの悲しい「日本ってすごい」類いの発信かと見紛うほどの日本礼賛記事書いた。

それらの影響もあったが、震度7という不快な数字にも関わらず被害が最小限に抑えられているらしい、と僕はすっかり安心した。

もなく事態は深刻だということが明らかになった。が、時すでに遅く、僕はあちこちに「明けましておめでとう」とノーテンキな年賀を発送してしまっていた。

慶賀とは真逆の、犠牲者の数と被害の大きさが連日増幅されていった。

打ち明ければ最近、特に日本経済の不振を見続けるうちに、原発の再稼動、推進も致し方ないのではないか、と思ったりしたこともあった。

だが能登半島地震を見て、やはり日本には原発は置いてはならない、と改めて考え直している。必ず再生可能エネルギーへとシフトしていくべきだ。

コストがかかり過ぎるなどと言ってはいられない。今後必ず来るであろう原発地域への大地震と津波被害をカバーする費用と、労力と、心理的ダメージ等の巨大さを思えば、再生可能エネルギー転換へのコストなど知れたものだ。

国の地震調査委員会の「全国地震予測地図」によると、能登半島を含む石川県の地震発生率は、南海トラフ地震の発生確率に比べるとほぼゼロと形容できるほどに低い。

程度の差はあるが、全国の発生確率予測も同様だ。言葉を替えれば南海トラフ地震の発生確率」だけが、政治的意図によって真実以上に高く評価されている。

今後30年ほどの間に大地震の起きる確率が「0.1%~3%未満」とされていた能登半島の巨大な揺れは、未知の断層で起きた可能性がある。

日本列島が乗っかっている活断層は、徴しが地表にも現われる極くわずかな部分を除いて、ほとんどが謎。未知の領域である。

危険が比較的高く、また政治的な狙いも加わって、発生確率が実際よりも異様に高く評価されているとされる南海トラフ地震域ほどではなくとも、北海道から沖縄までの日本列島はどこもかしこも危険地域なのだ。

もはや一刻の猶予も許されない。日本は脱原発に舵を切るべきだ。一斉に稼動を止めるのはさすがに無理だろうが、古い原発から順に廃炉にしていく計画を立てて、それに並行して再生可能エネルギーへとシフトして行くべきだ。

今回の能登地震は不幸中の幸いとも言うべきものだ。被害は甚大だが原発事故は起こらなかった。

再び福島原発のような惨事が発生すれば日本は2度と立ち上がれない可能性が高い。




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安倍派ガサ入れはマフィア逮捕劇の兄弟ドラマ

安倍独裁者夫婦が行く640

1月7日、裏金工作事件に関連して安倍派の池田佳隆衆議院議員が逮捕された。東京地検特捜部はひょっとすると本気で巨悪に挑もうとしているのかもしれない。

昨年12月、、東京地検特捜部が安倍派の事務所に家宅捜索に入った。

それは良いニュースであり悪いニュースでもあった。

良いニュースとは、特捜部が安倍派に歯向かったことである。

安倍晋三というひとりの議員が、一国の司法を抑圧し闇の力を行使するなど断じてあってはならないことだ。

安倍元首相の力が悪徳の隠ぺいに一役買っていたのなら、彼は死して後もなお、実行犯の議員らと同様に徹底糾弾されるべきだ。

死者を鞭打つなという日本独特の美徳は、権力者に対しては示されるべきではない。公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受ける。受け続けなければならない。

悪いニュースは、司法が権力者の前ではへつらっていたくせに、その権力者が死ぬとほぼ同時に復讐に出た卑劣さだ。

司法が真に三権の一角を担う存在なら、彼らは安倍元首相が君臨していたころから毅然として、まかり通る理不尽に立ち向かうべきだった。忖度などもってのほかだったのだ。

日本の検察は、1警官ごときが「オイ、コラ」と威張っていた未開時代からあまり進歩していない。

検察が罪をでっち上げた最近の冤罪事件「大川原化工機事件」を持ち出すまでもなく、権力を傘に着た専制的な動きが普通に起きる。

東京地検の安倍派へのガサ入れには喝采するものの、彼らの前近代的で傲岸なメンタリティーも一役買っているように見えるのが憂鬱だ。

政治に抑圧されていた司法が、闇の力の消失あるいは弱体化によって一気に力を盛り返す事例は、民主主義が歪に発達した国で特によく起こることだ。

イタリアで2006年、43年間潜伏逃亡をし続けたマフィアの大ボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノが逮捕された。

プロヴェンツァーノは逃亡中のほとんどの時間を、時には妻子までともなってシチリア島のパレルモで過ごしたことが明るみに出た。

するとマフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論がわき起こった。

それは無理だと考える人々は、イタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張した。

もっと具体的に言えば、プロヴェンツァーノが逮捕される直前、当時絶大な人気を誇っていたイタリア政界のドン、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が選挙に 負けて政権から引きずり下ろされた。

そのためにベルルスコーニ元首相はもはやマフィアを守り切れなくなり、プロヴェンツァーノ逮捕のGOサインが出た、というものである。

真偽のほどは今後の検証で明らかにされるだろうが、政治が組織犯罪に翻弄されることもあるイタリアの民主主義は、日本ほど歪ではないものの未熟で見苦しい点も多々ある。

安倍晋三というラスボスの死去を受けて司法が反撃に出たらしい状況は、ベルルスコーニという権力者の没落と同時に大ボスの逮捕に向かったイタリアの司法の必殺のチャンバラ劇を思い起こさせる。

昨年末のガサ入れの後、特捜部の動きは少し腰砕けになりつつある、という見方もあった。

しかし、彼らが安倍派の議員の逮捕に踏み切ったのは特捜部のガッツが本物である証にも見えて頼もしい。ぜひ踏ん張って捜索を強行していってほしい。








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渋谷君への手紙~初夢の深層心理

館帆屋岩込み水澄み引き 800



渋谷君


明けましておめでとうございます。

夏は一般公開もしているガルダ湖畔の妻の実家の館で年末年始を過ごしています。

早や60歳代も終盤になった年の正月となりました。

気はまるで変わりません。体もあちこちでガタがきていますが至って元気です。しかし、年齢を考えると、この先いつ何が起きてもおかしくないのだと自分に言い聞かせています。

ところで

芥川賞の最年長受賞記録は70歳と信じていたのですが、実はそれは75歳が正しいと先日知りました。

すごいですね。高齢になっても新鮮な感覚(多分)の小説が書けるという才能は。

僕も若いころから下手な小説を書いています。そういう若者の常で23歳までに芥川賞を取るつもりでした。が、ダメでした。

ところが25歳で「小説新潮」の月間新人賞佳作にまぐれ当たりしました

その頃は小説家は諦めて、映画屋またテレビ屋として食べていこうと考え、ロンドンの映画学校で学んでいました。

「小説新潮」の月間新人賞にはロンドンから応募したのです。

ご存じのように「小説新潮」は直木賞及びエンターテイメント系の小説雑誌です。

東京での学生時代の僕の人生設計は、前述のように23歳までに芥川賞を取り、その後はエンターテイメント小説でがっぽり儲ける、というものでしたから狂喜しました(笑)。

僕はロンドン中のありたけの友人を呼び集め、日本から送られてきた賞金で安ワインを大量に買って、お祝いに飲んで騒ぎました。

ささやかな成功で「いっぱしの作家気分」を味わった僕は、小説書きはとりあえず脇に置いておいて、当時面白かった映画制作の勉強に夢中になって行きました。

やがてプロのテレビ屋となりドキュメンタリーや報道系番組の制作に奔走しました。

そんな日々の中でも、小説を書くことに関しては僕は根拠の無い自信にあふれていました。

また少しは書いてもいました。やっとこさで仕上げた作品が文芸雑誌に掲載されたこともありました。

しかし、ほとんどの場合は仕上げまでに至らず、書きかけの原稿がホコリにまれていく時間が過ぎました。

やがて僕は、思い通りに書かないのは“書けない”からであり、それは才能不足が原因、という当たり前の事実に気づきます。

それと同時に根拠がいっぱいの自信喪失の穴の中に落ちていきました。

そんな折、SNSに出会いました。

僕はそこを通して再び書くことの喜びを知りました。記事やエッセイやもの思いを書き続けるうち、小説を書きたいという気持ちも頭をもたげました。

だが新作には至らず、つまり新作は書けず、過去に書き損じていた作品を推敲し直してまとめ、SNS上に恐る恐る投稿するという形で今日まできました。

そんな時間が続くある日、つまり昨晩、僕は芥川賞最年長受賞記録に挑戦しようと決意する初夢を見ました。

今の記録である75歳まではまだ時間があるので、そこまでは文章修行に打ちこみ、76歳から挑戦しようというのです。

そこに行くまでに、どなたかが例えば80歳で受賞などと記録を伸ばしてくださるなら、どうぞ。と僕は歓迎します。

なぜならその場合は僕の目標は81歳となり、またチャンスが広がるからです。

最年少受賞記録を塗り替えるのは大変ですが、最年長受賞記録はたやすい。なにしろ記録年齢の数字を越えればいつでもOK、ということですから。

つまりタイムリミットがありません。

最悪の場合は生きている間には取れなくてもいいということですね。

もしも来世で取れればますます良い。

なぜなら生きていた時よりも、死んでいる年数の分さらに年を取っているわけですから、最年長受賞記録をもっとさらに大幅に更新、ということになります。

いやぁ、実にやり甲斐のある挑戦だなぁ。胸がふるえます。

などと武者震いをしながら僕は初夢から覚めました。

でもね

実は芥川賞は挑むものではなく、向こうが勝手にくれるもの。なので何もせず、寝て果報を待つことにします。

そんな訳でことしは何作の小説が書けるか分かりませんが、もしも書きあげたらお知らせします。

もしかしたら芥川賞受賞作品かもしれない僕の幻の小説を見逃さないように、いつも緊張しながら気をつけて見ていてくださいね。

へてからに

本年もよろしくお願い申し上げます。






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安倍派ガサ入れの意義

安倍派ガサ入れ650

2023年12月19日朝、東京地検特捜部が安倍派と二階派の事務所に家宅捜索に入った。

大物議員の逮捕起訴には大きなハードルがあるとされる中、裏金工作事件で東京地検特捜部がおよそ19年ぶりに安倍派と二階派の事務所にガサ入れをした、というニュースは新鮮だった。

政治に抑圧されていた司法が、闇の力の消失あるいは弱体化によって一気に力を盛り返す事例は、民主主義が歪に発達した国で特によく起こることだ。

イタリアで2006年、43年間潜伏逃亡をし続けたマフィアの大ボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノが逮捕された。

プロヴェンツァーノは逃亡中のほとんどの時間を、時には妻子までともなってシチリア島のパレルモで過ごしたことが明るみに出た。

するとマフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論がわき起こった。

それは無理だと考える人々は、イタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張した。

もっと具体的に言うと、プロヴェンツァーノが逮捕される直前、当時絶大な人気を誇っていたイタリア政界のドン、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が選挙に 負けて政権から引きずり下ろされた。

そのためにベルルスコーニ元首相はもはやマフィアを守り切れなくなり、プロヴェンツァーノ逮捕のGOサインが出た、というものである。

その説はベルルスコーニ元首相とマフィアが癒着していると決め付けるものだった。が、確たる証拠はない。

証拠どころか、それは彼の政敵らによる誹謗中傷の可能性さえあった。だが醜聞が多かった元首相には、マフィアがらみの黒い報告も少なくないのだ

東京地検特捜部が特に安倍派をターゲットに捜索を強め様子は、ベルルスコーニ元首相とマフィアのエピソードを想起させる。

安倍元首相というラスボスが死去したことを受けて、司法が反撃に出たようにも見えるのだ。

特捜部の動きは、ガサ入れのあと少し腰砕けになりつつある、という見方もあるようだが、ぜひ踏ん張って捜索を強行していってほしい。

なぜならひとりの議員が一国の司法を抑圧し闇の力を行使するなど断じてあってはならないことだからだ。

死者を鞭打つなという日本独特の美徳は、権力者に対しては示されるべきではない。

公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受ける。受けなければならない。

安倍元首相の力が悪徳の隠ぺいに一役買っていたのなら、彼は死して後もなお、実行犯の議員らと同様に徹底糾弾されるべきである。




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熱風シロッコが吹くクリスマス 

テラス湖800

温いクリスマスである。温暖化に加えてシロッコが吹き、ガルダ湖畔の館から見渡す対岸のバルト山頂の雪も消えてはげ山のようだ。

シロッコはアフリカのサハラ砂漠由来の乾いた風。

そこの高気圧と地中海の低気圧がぶつかって生まれ、地中海に嵐を引き起こしイタリアに到達したときは、海の湿気をたっぷり飲み込んで蒸し暑い風となる。

欧州ではイタリアのシチリア島をなぶった後、北上してイタリア本土、フランスなどを襲う。春や夏に吹くシロッコはただの蒸し暑い風だが、冬にやってくるシロッコは異様だ。

それは例えて言えば、自然の中に人工の何かが差し込まれたような感じ。つまり、寒気という自然の中に、シロッコの暖気という「人造の空気」が無理に挿入されたような雰囲気だ。

シロッコも自然には違いないのだが、寒い時期にふいにあたりに充満する気流の熱は、違和感があって落ち着かない。

暑い季節に吹く、さらに蒸し暑いシロッコには、不自然な感じはない。それはただ暑さを猛暑に変えるやっかいもの、あるいはいたずらもの。

夏が暑かったり猛暑だったりするのは当たり前だから、ほとんど気にならない。

でも寒中に暖を持ちこむ冬場のシロッコには、どうしても「トツゼン」の印象がある。まわりから浮き上がっていて異様である。なじめない。

そう、冬場に吹くシロッコは、寒いイタリアに「トツゼン」舞い降りた異邦人。疎外感はそこに根ざしている。

シロッコは春と秋に多いが、一年を通して吹く風だ。クリスマスを焼いている今のシロッコは、12月22日の早朝に始まった。

冬至の日の朝、窓の外扉を開けると殴るような風が吹いて扉を石壁に押しやった。真冬だというのに強い気流にはむっとするほどの熱気がこもっていた。 

あ、シロッコだとすぐに悟った。

地中海沿岸域に多く吹くシロッコは、時には内陸にまで吹きすさみ或いは暑気を送り込んで、環境に多大な影響を与える。

中でも最も深刻なのは水の都ベニスへの差し響きシロッコはベニスの海の潮を巻き上げて押し寄せ、街を水浸しにする。ベニス水没の原因の一つは実はシロッコだ。

サハラ砂漠で生まれたシロッコが、イタリアひいては南欧各地を騒がすのは、ヒマラヤ起源の大気流が沖縄から東北までの日本列島に梅雨をもたらすのに似た、自然の大いなる営みである。



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たとえ裏金作りでも沽券は無いよりあったほうがいい 

族安倍悪

金は、天下ならぬ政治の回り物。

政治と金の問題は世界中のどの国にもある。どの国にもあるが、安倍派の裏金工作は中身がいかにも日本的なところが陰うつだ。

日本的とは、裏金作りでさえ集団で成されている事実だ。安倍派の閣僚がこぞって辞任したのを見るまでもなく、1人では何もできない者ら集まって悪事を働いていたことが分かる。

似たような事件がここイタリアを含む欧州あるいは南北アメリカなどで起きたなら、それは政治家個々人の裁量でなされる悪事になるに違いない。

悪事はひとりで働くほうが露見する可能性が低くなる。

同時にそれは、悪事とは言え、自主独立した一個の人格が自己責任において動く、という自我の確立した現代社会の一員としての当たり前の生き方だ。

自主性また自我の確立が優先される集団では、それぞれの個性、つまり多様性が、画一主義に陥り全体主義に走ろうとする力を抑える働きをする。集団の暴走に歯止めがかかる。

逆に自主性また自我よりも集団の論理が優先する社会では、何かが起きた場合は集団催眠状態に陥り全体が暴走する可能性が高くなる。

その典型例が国家全体で太平洋戦争に突き進んだ日本の在りし日の姿だ。

集団で裏金工作にまい進する安倍派また自民党の各派閥は、第2次大戦という巨大な悲劇を経てもなお変わらない日本の汚点そのものだ。見ているだけで胸クソが悪くなる。

たとえばここイタリアでは2018年に極右と極左が手を結んで連立政権が生まれたが、彼らが極端に突っ走ることはなかった。

また2022年には極右のメローニ政権が誕生したが、これまでのところはやはり過激論には走らず、より穏健な「右派政権」であり続けている。

それらはイタリア社会が、自主性と確固とした自我が担保する多様性に満ちた世界であるがゆえの、ポジティブな現象である。

安倍派裏金工作では、日本の諸悪の原因のひとつである独立自尊の風の欠落、という一面ばかりが見えてやりきれない。

しかもそれらのどんぐりの背比べ政治家群は、安倍元首相という隠れ独裁者の手先だったところがさらに見苦しい。

彼らは集団で安部元首相の配下になり、集団で裏金工作まで行うという恥ずかしい作業に夢中で取り組んだ節がある。

重ねて不快なのは、安倍派のひいては自民党の主勢力がトランプ主義者の集団である点だ。

そのことは2016年、安倍元首相が大統領選に勝った「就任前の」トランプ氏をたずねて諂笑を振りまいた事件で明らかになった。

ファシスト気質のトランプ前大統領は、一見するとソフトな印象に覆われた、だがその正体は彼と同じくファシスト気質の安倍元首相を、あたかも親友でもあるかのように見せかけて自在に操った。

ラスボス・トランプ前大統領に仕えたチビボス・安倍元首相の子分の議員らが、「こぞって」犯したのが今回の安倍派裏金工作事件ではないか







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 ウーB与力の喜悦

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屋根上に伸びる木の枝に休んでいた鳩に狙いを定めて、ウーB与力はショットガンの引き金を引いた。ウーB与力が生まれて初めて獲物を撃った瞬間だった。

鳩が、石が落ちるように速く、真っ直ぐに落下した。なぎ倒されたというふうだった。落ちて屋根に叩きつけられた。ドサリ、と音がしたようだ。

ウーB与力は強烈な勝利の感覚を覚えた。相手を支配し、征服し、思いのままに翻弄した、と感じた。歓喜と充足感が全身を鷲づかみにしていた。

これが友人のハンター、ウーG村五が言っていた快感の正体だとウーB与力は悟った。

狩猟をする人々は、獲物を狩ってその肉を食べるのが目的ではない。

畑の作物を獣害から守るためでもない。 

環境のために個体数を管理するなどという崇高な目的があるからでもない。

ハンターは殺すことを楽しまない、とハンターは言う。

違う。

殺すことが楽しく、しかもそれはハンター以外の人々には知られたくないもったいない心情だから、彼らはあえてそう否定するのだ。

獲物を撃ち殺すのは楽しい。ウーB与力は腹からそう感じた。

ハンターは鳥や獣を打ち倒して自らの力を誇示したいのだ。虐め、支配し、貶め、制圧し、責め苛み横暴の限りを尽くして虐殺する。彼らにはそれが愉しいのだ。

鳩がウーB与力に撃たれて呆気なく、ドサリと屋根に落ちた瞬間、彼は充足し高まり、続いて射精するよりも遥かに大きな快感を覚えた。

腰抜けのウーB与力は、実は銃に対しても臆病だった。

盗賊ハンティングのために銃を持つ資格が国から与えられても、ヤクザ狩りのライセンスがヤクザ以外の全国民に発行されても、ウーB与力は銃を手に入れなかった。

操作どころか、銃に触ることさえウーB与力は恐ろしかったのだ。

かつて、ほぼ第100代目の総理大臣が威張っていたころ、日本は異形の国へと変貌を遂げた。

ほぼ第100代目の総理大臣が、超大国のカウンターパートの金魚のフンとなって撒き散らした狼藉の種が大きく育って、国会議事堂が陰謀論者ヤアウトローやアナキストやテロリストに頻繁に占拠される、まがまがしい国になった。

当時、超大国を牛耳っていラスボスは、民主主義の名の下に大統領になったが、一期目の終わりに負け選挙戦をクーデターで覆して再び大統領になり、同じ民主主義の名の下に独裁者になった。

彼は以後、日本の隣の独裁者や似非民主主義国の暴君やタイラント等とひんぱんに手を組んで、彼のポチである日本のほぼ第100代目の総理大臣を洗脳し、あたかもラスボスの刎頚の友でもあるかのように思い込ませて、やり放題に日本を狼藉国へと押しやった。

そうやって日本は、ほぼ第100代目の総理大臣が秘匿していた正体と総じて同じもの、つまり独裁と差別主義と権柄づくが跋扈する国となった。

専横と危険と暴力が支配する国では、銃を始めとするあらゆる武器を満艦飾に帯びた賊がはびこった。

賊のほとんどは、ほぼ第100代目の総理大臣の周囲の、権力機構の飼い犬だった。

普通の場合は権力機構は、権力を傘に着て支配し、且つ権力の源となる主体をしっかりと握ってなにがなんでも手離さないものだ。

だが、しかし、

ほぼ第100代目の総理大臣は、当時問題になっていた移民と難民の区別も知らないほどの無明の者で、当然のように排外差別主義者でもあった。

彼は当時、彼自身の思いつきで出稼ぎ外国人労働者を増やした。日本の人手不足を埋めた後には、こちらの都合で全員を彼ら自身の国に追い返す、というジコチューな気構えで実行した政策だった。

ほぼ第100代目の総理大臣が言い続けた「出稼ぎ外国人労働者」とは、言うまでもなく「移民」のことである。

日本にどっと入った外国人労働者つまり移民は、程なくしてほぼ第100代目の総理大臣の差別政策に不満を抱き、次々に移民としての当たり前の権利を行使し待遇改善を要求した。

それはSNS上での不満の声になり、デモを誘発し、ストライキとなって奔流した。官憲との対峙も頻発し時には暴力的な動きにも発展した。

ほぼ第100代目の総理大臣は、彼の言う外国人出稼ぎ労働者つまり移民への執拗な差別意識から、移民に対抗する手段として日本国籍の日本人は武器を保持してもよい、と法律を変えた。

日本国籍の日本人は自在に銃器を手に入れて移民に発砲し、ヤクザを狩り、自衛のために強盗などの賊を存分に襲撃しても良い、ということになった。

普通なら特権は仲間内で回して愛でて、それによって民衆を支配し抑圧するものなのに、ほぼ第100代目の総理大臣は余りにも強い移民への差別心と、そこから生まれた恐怖に判断力を失った。

結果、特権を全ての日本人に与えてしまった。

人々は我先にと武器を手に入れて、できるだけ早くその扱いに長けようとした。

ウーB与力は物騒な世の中になったので、自分も武装しようと思いつつ、銃コワガリのせいでままならずにいた。

ところが4年前、ウーB与力の家に賊が押し入った。武装した男3人がウーB与力と妻のタコヨシを縛り上げ、ウーB与力のコメカミに拳銃を突きつけて金を出せと迫った。

気丈なウーB与力の妻タコヨシが、金などない、他人の家に勝手に入るな、さっさと出て行け、などと怒鳴って賊をなじった。

すると賊の1人が銃尻でタコヨシを殴り、崩れ落ちる彼女の背中をもう1人が靴先で蹴り上げた。容赦のない打撃でタコヨシは気絶した。

ウーB与力は成すすべもなく立ち尽くした。男らはガタガタ震えている与力を蔑み、嘲笑いつつコメカミに当てていた銃と鉄拳で互い違いに何度も殴った。ウーB与力もさっさと気を失った。

その体験を経てウーB与力はようやく銃の扱いを習う決心をした。

自衛が目的の銃器保持だったが、ウーB与力は再び賊に襲われた場合は、攻撃的に立ち回りたいという気分でいた。

そんな折にウーB与力は鳩を撃った。あっさりと死んだ鳥を目の当たりにして、ウーB与力の中に眠っていた彼の本性が覚醒した。本性は獣性だった。

いやそれは正確ではない。人から見る獣性とは獣の食欲に過ぎない。獣は空腹を満たすために他の獣を狩る。それ以外の攻撃は彼が危険にさらされた時だ。

それは自衛のための暴力なのである。

だが人は楽しみや快楽や優越感から、さらに自慢やエゴを満たすためにも攻撃し、抑圧し、虐待し、殺す。

鳩を撃ち殺した瞬間に覚えたウーB与力の悦楽は、まさにその人間独特の獣性から来ていた。

しかもウーB与力は、たった一度の殺傷で、殺傷中毒になった。彼はすぐに次の虐殺を希求した。鳩でもイノシシでも鹿でも何でもいいから殺しまくりたいと思った。

賊が跋扈する日本では狩猟も盛んになっていた。

行政が熊、猪、鹿などの保護と駆除の間で揺れ動き、いかにも日本らしくうろたえまくるく間に、爆発的な勢いで野生動物が増えた。

熊が集落近くに出没するのは当たり前になり、猪が全国の市町村内の目抜き通りを群れて歩き回ることさえ珍しくなくなった。

動物愛護家や自然愛好家たちは、ヒトが熊や猪に殺されても「動物を愛そう、共生しよう」「動物は殺さない。殺すように仕向けたヒトが殺した」などと叫んで、猟銃や拳銃をヒトに向けてぶっ放した。

争いと罵声と暴力に寛大な超大国の首魁の腰巾着だったほぼ第100代目の総理大臣と、彼に続いた彼の子分の日本の首相らは、移民と賊とヤクザ狩りに加えて狩猟も奨励し、日本中にさらに武器があふれた。

ウーB与力は鳩を撃ち、撃ち慣れると鹿や猪狩りにも出掛けた。やがて獲物は人間でも良いと彼は感じるようになった。

そうやってウーB与力の本格的な狩りの季節が始まった。







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被害者と加害者を問わず憎しみはみな空しく悲しい

雪降り倉庫屋根+大木800

映画のスティーブン・スピルバーグ監督が、ハマスを強く批判するコメントを出して注目されている。

ユダヤ人の彼がイスラエルを擁護するのは理解できる。多くの人々を殺害し人質も連れ去ったハマスの蛮行は糾弾されて然るべきだ。

そのことを否定する人間はそう多くはいないだろう。だが同時に、イスラエルのハマスへの報復攻撃の残忍さも許しがたいものだ。

心ある者はユダヤ人の苦難の歴史を忘れない。ホロコーストという彼らの巨大な不幸と悲しみは察するに余りある。

そうではあるが、しかし、悲惨な過去はユダヤ人国家のイスラエルが無差別に、容赦なく、子供たちを含むパレスチナの民間人を殺戮する免罪符にはならない。

ユダヤ人とイスラエルを支持する人々は、彼らの正義の後ろ盾に固執する余り、自身が犯している罪にはほっかむりを決め込んでいるようだ。

スピルバーグ監督をはじめとして、地球上には有能で裕福で且つ強い影響力を持つユダヤ人が数多くいる。彼らは世界の政治経済文化など、あらゆる分野で巨大な“力“を持つ。

アメリカが、そして欧州が、一方的にイスラエルの肩を持つのは、ユダヤ人を抑圧してきた歴史への後ろめたさと共に、その“力”のプレッシャーがあるからだ。

“力”を形成している人々は、今こそ、偽善のベールに包まれた自らの“被害者”意識をかなぐり捨てて、パレスチナの罪無き“被害者”の群れにも思いを馳せるべきだ。

スピルバーグ監督は残念ながらそれをしない。ならば例えばボブ・ディランは?マーク・ザッカーバーグは? マイケル・ブルームバーグは? ダスティン・ホフマンは?

影響力のあるユダヤ人や支持者がイスラエルの蛮行も指弾しなければ、グローバル世論は決して同国に寄り添うことはない。寄り添うどころか、人々の心の中には嫌悪ばかりが募っていく。

その先の先の挙句の果てには―恐ろしい想像だが―巡りめぐってホロコーストまがいの惨劇を招かないとも言えないのではないか、とさえ僕は密かに危惧する。

被害者のパレスチナがハマスを介して示す憎しみも、加害者のユダヤの民がイスラエルを介して見せる憎しみも、等しく空しい。等しく悲しい。

一刻も早く、強い、心あるユダヤ教徒の皆さんの決起を期待したい。




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いつものスカラ座・聖母マリア・ジョン・レノンが交錯する日々

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毎年めぐってくる12月7日はミラノ・スカラ座の開演初日と決まっている

スカラ座の開演の翌日は、ジョン・レノンの命日だ。偉大なアーチストはちょうど43年前の12月8日、ニューヨークで理不尽な銃弾に斃れた。

僕はジョン・レノンの悲劇をロンドンで知った。当時はロンドンの映画学校の学生だったのだ。

行きつけのパブで友人らと肩を組み合い、ラガー・ビールの大ジョッキを何杯も重ねながら「イマジン」を歌いつつ泣いた。

それは言葉の遊びではない。僕らはジョン・レノンの歌を合唱しながら文字通り全員が涙を流した。連帯感はそこだけではなくロンドン中に広がり、多くの若者が天才の死を悲しみ、怒り、落ち込んだ。

同じ12月8日はイタリアでは、聖母マリアが生まれながらにして原罪から解放されていたことを祝う、「無原罪の御宿り(Immacolata Concezione)」の日である。

イタリア人でさえ聖母マリアがイエスを身ごもった日と勘違いしたりする。が、実はそれは聖母マリアの母アンナが、聖母を胎内に宿した日のことだ。

イタリアの教会と多くの信者の家ではこの日、キリストの降誕をさまざまな物語にしてジオラマ模型で飾る「プレゼピオ」が設置されて、クリスマスの始まりが告げられる。

無原罪の御宿りの日を皮切りに12月24日のクリスマウイブの夜まで、土日も営業する店が増えて街はにぎやかなクリスマス商戦に彩られる。

心浮き立つ日々がそうやって始まるのである。




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あっぱれイタリア!「一帯一路」から離脱すると中国に通知

イラストmeloniシューキンペー650

イタリアのメローに政権が、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」から離脱する、と中国に伝えた。

イタリアが今年末までに離脱しない限り、協定は2024年3月に自動更新される予定だった。

イタリアは2019年から、G7構成国のうちで唯一「一帯一路」に参画していた。

イタリアが構想に参加する旨の覚書を交わしたのは、当時連立政権を担っていた赤い政治勢力のうち、中国べったりの五つ星運動と同党の現党首のコンテ首相らがゴリ押ししたからである。

その頃は野党党首だったジョルジャ・メローニ首相は、中国との連携に強く反対していた。

「一帯一路」は、中国政府による政治的影響力拡大の試みであり、ローマにとっての利益は限られている、というのが彼女の主張だった。

メローニ氏が首相の座に就くと同時に、「一帯一路」からのイタリアの離脱が現実味を帯びた。

だが彼女は、「一帯一路」を否定すれば中国の報復もあり得ると考えて、慎重に離脱への地慣らしを進めてきた。

9月にデリーで行われたG20サミットで、「ローマプロジェクトから離脱しても中国との関係を損なうことはない」と語ったことなども、中国を刺激しないための彼女の気遣いだった。

アッパレ、ジョルジャ・メローニ!



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Sunak英ココナッツ首相と仲間たちの危うさ

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ここ最近イギリスのスナク首相の動向が気になる。もっと具体的に言えば、スナク首相と彼の取り巻きの、特に有色人種の権力者らの動きだ。

スナク英首相は先日、英国を訪問中だったギリシャのミツォタキス首相との会談をドタキャンした。

ミツォタキス首相は、会談の直前に行われたBBCとのインタビューの中で、「大英博物館所蔵のエルギン・マーブル彫刻群”は、ギリシャのパルテノン神殿から盗み出されたものだ」と発言した。

スナク首相はミツォタキス首相に歴史的事実を指摘されて逆切れ。返還はイギリスの法律によって禁止されている、と主張し一方的にギリシャ首相との会談を取り消した。

盗人猛々しいとはこのことだろう。パルテノン神殿から彫刻群を盗み出すのはギリシャの法律で禁止されている。それを犯して持ち去ったイギリスの外交官をギリシャが指弾し盗品の返還を求めるのは当然だ。

ミツォタキス首相は、返還を求めるギリシャ政府の姿勢は今に始まったものではなく、かねてから表明された周知のものだ。また人は自分の見解が正しく公正だと確信していれば、反対意見を恐れたりはしない、としてスナク首相の態度を痛烈に批判した。

ミツォタキス首相の見解はまっとうなものだ。イギリスの歴代首相はギリシャの要求に対しては一貫して拒否してきたが、痛いところを突かれて逆上した者はいない。

むろん首相同士の会見を、視野狭窄そのものとしか見えない形でキャンセルするなどの傲岸な行動に出る者もいなかった。

スナク首相はハマスvsイスラエル戦争に関しても、強者のイスラエル擁護に狂奔している。弱者のパレス人への思いやりのひとかけられも感じられない一方的な動きは見苦しい。

もう一人腑に落ちない有色人種の権力者がいる。ハマスvsイスラエル戦争で、パレスチナを支持する人々を「暴徒」「ヘイト犯罪者」などと批判して、職を解かれたスエラ・ブレイバーマン内相である。

彼女はリズ・トラス内閣でも内務大臣を務めたが、強硬な反移民政策を推し進めて批判され職を辞した。

ブレイバーマン前内相はスナク首相と同じくインド・パキスタン系移民の子供だ。ところが自らの同胞を含む難民・移民には極めて厳しい態度で臨む。必要以上に冷酷、と形容してもいい。

英国社会には峻烈な人種差別がある。しかもそれはあるかなきかの密やかな様態で進行する。例えばアメリカのそれとは大きく違う。

アメリカは人種差別が世界で最も少ない国である。

これは皮肉や言葉の遊びではない。奇を衒(てら)おうとしているのでもない。これまで米英両国に住んで仕事をしその他の多くの国々も見聞した、僕自身の実体験から導き出した結論だ。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからだ。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからだ。

断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡り非常に目立つ。そのためにあたかも米国が人種差別の巣窟のように見える。

だがそうではない。自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い、ひたすら前進しようと努力しているのがアメリカという国だ。

長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴が、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生だったことは言うまでもない。

物事を隠さず直截に扱う傾向が強いアメリカ社会に比べると、英国社会は少し陰険だ。人種差別は、先述したようにさり気なく目立たない仕方で進行する。

人々は遠回しに物を言い、扱う。言葉を替えれば大人のずるさに満ちている。人種差別でさえしばしば婉曲になされる。そのため差別の実態が米国ほどには見えやすくない。

差別があからさまには見えにくい分、それの解消へ向けての動きは鈍る。だが人種差別そのものの強さは米国に勝るとも劣らない。

人種差別の重篤な英国社会でのし上がった有色人種のスナク首相やブレイバーマン前内相は、もしかすると彼らを差別した白人に媚びて同胞に厳しく当たっているのではないか、と見えたりもする。

媚びるのは2重の心理的屈折があるからだ。一つは有色人種の難民・移民は「私も嫌いだ」と白人に示して仲間意識を煽ろうとする心理。もう一つは同じルーツを持つ人々を拒絶して、(自らが参入することができている)白人支配層の権益守りたい、という願いからの動きである。

後者には実利もある。白人の権益を守れば自分のそれも庇護され上騰するからだ。

保守党の有色人種の権力者である彼らは、元々のイギリス人、つまり白人よりもより強い白人至上主義似の思想を秘匿していて白人の保守主義者よりもさらに右よりの政治心情に傾くよう

昨年10月、リシ・スナク氏が英国初の非白人の首相として颯爽と就任演説を行う様子を、僕は同じアジア人として誇らしく見つめた。

政治的には相容れないものの、彼が白人支配の欧州で少数派の有色人種にも優しい眼差しを注ぐことを期待した。

だがその期待は裏切られた。彼の政治手法は僕が密かに懸念していたように、いわば“褐色のボリス・ジョンソン”とも呼ぶべき彼の前任者に似た白人至上主義系の仕様に親和的なものだった。

彼はまた、自らと同じ人種系列のスエラ・ブレイバーマン氏を内務大臣に招聘した。ブレイバーマン氏は“赤銅色のドナルド・トランプ”とでも呼びたくなるほど、弱者への差別的な言動が多い人物だ。

アジア人且つ黄色人種でありながら、意識してまた無意識のうちにも自らを白人と同じに見なす日本人は、表が黄色く中身が白い「バナナ」である。

そうした人々は、往々にしてネトウヨヘイト系排外差別主義者だが、それは権力者も一般人も同じだ。イギリスのネトウヨヘイト系の差別排外主義者の大物が、つまりスナク首相やブレイバーマン前内相、と考えれば分かりやすいかもしれない。

「バナナ」と同じ心理状況にあるらしいスナク首相やブレイバーマン氏は、さしずめ表が褐色で中身が白い「ココナッツ」でもあるか。

スナク首相やブレーマン前内相は、厳しい人種差別の眼差しを撥ね返してイギリス社会で出世した。あるいは自らのルーツを嫌い同胞を見下し彼らにつらく当たる手法で出世の階段を昇った。

出世した彼らは同国のエリートや富裕層がひしめく保守党内でものし上がった。階段を上るに連れて、彼らは白人の保守主義者よりもより白人的な、いわば白人至上主義者的な保守主義者になって行った。

そこには有色人種としての劣等感と自らを劣等ならしめている物を厭う心根があった。彼らが白人の保守主義者よりも移民や難民またパレスチナ人などの弱者に冷たいのは、先に触れたように屈折した心理ゆえと考えられる。

アメリカの保守主義勢力、共和党内にも有力な有色人種の政治家はいる。例えばコリン・パウエル元国務長官、コンドリーザ・ライス元国務長官などだ。またロイド・オースチン現国防相も黒人だ。

アメリカの有色人種の権力者たちは、イギリスの同種の人々とは違って誰もが穏やかだ。あるいは常識的だ。それはアメリカ社会が、紆余曲折を繰り返しながらも、人種差別を確実に克服して行く明るい空気の中にあるせいかもしれない。

片やイギリスの有色人種の政治家の猛々しい言動が、攻撃的な中にも絶えず悲哀と憐憫のベールをまとっているように見えるのは、恐らくアメリカとはまた違う厳しい社会状況が生み出す必然、と感じるのは僕だけだろうか。






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ハマスをテロリストと呼ばないBBCの気骨

ハマス戦闘員絵にBBCロゴをスーパーインポーズ650

イギリス公共放送のBBCが、ハマスをテロリストと呼ばないことを批判する勢力がある。同国のスナク首相を筆頭にする保守主義者が中心だ。

ハマスをテロリストと見るか否かは、政治的な立ち位置の問題に過ぎない。

BBCはそのことを正確に知っていて、「テロリストとは人々が倫理的に認めたくない集団を呼ぶ言葉」であり「政治的な色合いを伴う感情的な表現」と規定している。

僕も全く同じ考えでいる。

だが、もう少し自分の考えを付け加えればテロリストとは、政治的な目的を達成するために暴力を振るう自らと自らの支持者以外の者や組織のことだ。

従って今このときの中東危機に照らして言えば、イスラエルから見るハマスはテロリストである。逆にイスラエルはハマスに言わせれば大テロリストである。

また、イスラエルを支持する欧米から見たハマスもテロリストの組織である。

片やハマスを支持するアラブ各国またイスラム教国のイランやトルコに言わせれば、イスラエルだけがテロリストである。

もっと言えば、無差別攻撃でパレスナ人民を殺害するテロリストであるスラエルに加担する欧米各国は、パレスチナ側の窮状を見て見ぬ振りをする偽善者でありテロ支援者だ

BBCの主張に戻る。

BBCは前述の論点に加えて、「BBCは誰が誰に対して何をしているかを視聴者が自ら判断できるように客観的に報道する。また何が起きたのかを説明することで、視聴者に全貌を伝える」とも主張している。

僕はその姿勢を全面的に支持する。

BBCの立場に異を唱える者は、必ず自らの政治信条や思い込みまた感情を盾にし、拠り所にしていると知るべきである。

BBCとは違ってハマスをテロリストと呼ぶ者は、イスラエルをテロリストと呼ぶ者と全く同様に、自らの政治信条と倫理的好悪の感情に基づいてそう主張している。

僕は客観的に見て、両者ともにテロリストであり同時にテロリストではないと考えている。ただし両者ともに、テロリストではないと規定される場合でも、双方は「テロ行為を働いている」と判断する。

そしてなぜ彼らがテロ行為を行うのかの「動機」を考えた場合、イスラエル側により大きな責任があると考える。

なぜならイスラエルは、「パレスチナは神がユダヤ人に与えた土地」と主張するシオニストが、他人の土地を侵略しそこに住まう人々を追い出して作られた国家だからだ。

パレスチナが神からユダヤ人に贈られた土地であるなら、そこは神がパレスチナ人に与えた土地でもあるのが理の当然だ。

神話の世界に過ぎない旧約聖書の世迷言を根拠に、他人の土地を強奪した上に住人を殺戮し抑圧し排除しているのがイスラエルでありシオニストだ。

パレスチナ側は1948年以来イスラエルの横暴に抵抗し続けた。その過程で生まれたパレスチナ解放運動がPLOでありハマスでありヒズボラ等々の組織だ。

彼らをテロリストと呼ぶなら、イスラエルもテロリストだ。しかも後者はより巨大且つ悪辣な国家テロ組織だ。

BBCがハマスをテロリストと呼ばない頑なな姿勢は、報道者として見上げたものである。

ただ、もしもBBCが、ハマスはテロリストではないのだから「テロ行為も働いていない」と考えているならば、それはイスラエルを一方的に擁護する英スナク首相やその他のほとんどの欧米首脳らと同じく、偏頗で偽善的な態度だとも付け加えておきたい。






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柿食えず鐘も鳴らない誕生日


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ことしも庭の柿が生った。僕は柿を前景に庭と家を切り取る秋の絵が気に入っている。それが左の昨年の写真だ。

ことしは色づいた柿の実の絵が撮れなかった。実が青かったころ強い風雨が襲って全て薙ぎ落としたからだ。

僕はそのことに気づかず、日差しが美しかった10月の終わりの1日、スマホを片手に庭に出てその惨状を知った。

少し大げさに言えば、ショックのあまりその事実を記録することを忘れた。

2つ目の写真は、この文章を書こうと決めて庭に下りた今日(11月22日)の写真だ。

すっかり冬景色の寂しい姿を見て、実は落ちてしまったが、まだ暖かい色をたたえていた10月にも一枚撮っておけばよかった、と少し後悔した。

柿はイタリア語でも「カキ」と言う。おそらく宣教師によって日本から持ち込まれたものだ。

だが「カキ」はほぼ全てが渋柿である。僕が植えたこの柿も渋柿。

柿の好きな僕は、自家の柿は諦めて、日本風の固い甘柿を店で買って食べるのが習慣になっている。

今日は「柿食えず鐘も鳴らない」誕生日。

だが昼も夜もレストランで大いに祝う予定でいる。




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人の上に人を作る英国の徒空


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イギリスの天は人の上に人を作り、結果、人の下に人を作る。

同国のスナク政権は政治闘争に敗れて政界を去ったデヴィド・キャメロン元首相を、選挙の洗礼を経ずに貴族に仕立て上げて貴族院(上院)議員とし、さらに外務大臣にしつらえた。

世界一の民主主義国家とも評されるイギリスの、非民主主義的な一面を目にするたびに僕の彼の国への尊敬は磨り減っていく。特にBrexitを機にその傾向は深まるばかりだ。

キャメロン新外相は自身が首相だった2016年、国民投票でイギリスの欧州連合離脱=Brexitが決まった責任を取って首相を辞任し、やがて下院議員も辞めて政界から引退した。

ところが今回、Brexit推進派で彼の政敵だったスナク首相の要請を受け入れて、恥ずかしげもなく外相職を引き受けた。

日和見主義は政治家のいわば天質だから、キャメロン氏を軽侮しつつも敢えて太っ腹などと評価することもできないではない。

だが、人の上に人を作り人の下に人を作るイギリス社会の未開振りにはげんなりする。換言すれば王を戴く同国の身分制社会は胡散臭い。見ていて胸が悪くなる。

民主主義大国と謳われながら非民主主義的な傷ましい本質にも縛られている怪物国は、連合王国としての構造破壊がなされない限り決して変容しない。

僕は英連合王国の解体を見てみたい。英国解体は荒唐無稽な話ではない。

英国はBrexitによって見た目よりもはるかに深刻な変容に見舞われていると思う。

その最たるものは連合王国としての結束の乱れだ。

イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド から成る連合王国は、Brexitによって連合の堅実性が怪しくなった。

スコットランドと北アイルランドに確執の火種がくすぶっている。

スコットランドはかねてから独立志向が強い。そこにBrexitが見舞った。住民の多くがBrexitに反発した。今も反発している。

スコットランドは今後も独立とEUへの独自参加を模索し続けるだろう。北アイルランドも同じだ。

僕は若いころ首都ロンドンに足掛け5年間暮らした。僕の英国への尊敬と親愛と思慕の念はその5年の間にかつてないほど高まった。

英国を去り、日本、アメリカ、そしてここイタリアと移り住む間も僕の英国への思いは変わらなかった。三嘆のはむしろ深まった。

Brexitを機に僕の思念は揺れ動いた。それはアメリカへの思慕がトランプ前大統領の誕生を機に一気にしぼんだことと軌を一にしていた。

英国は僕が信じていた民主主義大国ではなく、生まれながらにして人の上に立つ王を崇める原始人国民が多く住む悲惨な国だと分かった。Brexit はそのことと無関係ではない出来事だった。

キャメロン元首相が、ふいに貴族となって貴族院議員になり外相になるという事態も、国王を上に戴き人を生まれながらに身分で選り分ける鬱陶しい体質故の奇態と理解できる。



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