【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

未だ「足るを知る」を知らず

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浮世の流れに無理に逆らえば息が詰まる。

始まったものは必ず終わる。

生まれたものはいつかは死ぬ。

無常がこの世の中の摂理である

変わることを受け入れなければ生は地獄になる。

なぜなら変わらないと意地を張れば、足ることを知らなくなる。

足るを知らなければ生は欲望の連続に陥ってひたすら苦しくなる。

それは生きる地獄である。

流転変遷が人生の定めだ。

全てが生まれ、全てが変わる、という条理を受け入れれば生は楽になる。たのしくなる。

たのしまずとも、ともあれ苦しくはなくなるだろう。

菜園で野菜たちと戯れながら僕はよくそんなことを思う。

それはつまり未だ「足るを知る」境地を知らず、悩み葛藤している自分がいるからである。

それと同時に、老いてなお「足るを知る」ことなくもがいている人を見て、自らの先行きの反面教師にしよう、などと目論むからである。

その目論みもまた生の地獄である。

なぜなら、もがく老人を反面教師にするとは、それらの人々を見下し、憎むことにほかならない。

そして憎しみこそが地獄へ誘い水の最たるものである。



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イタリア共和国記念日の快

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毎年6月2日はイタリアの共和国記念日。祝日である。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生した。

イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日である。

そのおよそ1年前の1945年4月25日、イタリアはナチスドイツとその傀儡だった自国のファシズム政権を放逐した。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは、大戦中の1943年に仲たがいしイタリアはドイツに宣戦布告。完全に敵同士になっていた。

ナチスドイツとその操り人形と化していたムッソーリーニに立ち向かったのは、イタリアのレジスタンスである。

イタリアのレジスタンス運動は自由主義者・共産主義者・カトリック教徒・社会主義者の四者で構成された。

それはつまりファシストと、それ以外の全てのイタリア人の戦い、と形容しても過言ではない広がりだった。

既述のように彼らは1945年4月25日、ムッソーリーニとナチスを完全撃滅した。むろんそこには連合軍の後押しがあった。

世界の主な民主主義国は、日本やイギリスなどを除いて共和国体制を取っている。

民主主義国には共和制が最もふさわしい。

共和制は民主主義と同様にベストの政治体制ではない。あくまでもベターな仕組みだ。

しかし、民主主義と同じように、われわれは今のところ共和制を凌駕する政治制度を知らない。

ベストを知らない以上、ベターが即ちベストだ。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことだ。

その制度は「全ての人間は平等に造られている」 という人間存在の真理の上に造られている。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治システムが死守されている。

多くの場合、大統領は元首も兼ねる。

真の民主主義体制では、国家元首を含むあらゆる公職は主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべきだ。

つまり国のあらゆる権力や制度は、米独仏伊などのように国民の意志によって創設されるべきだ。

その意味では王を頂く英国と天皇制を維持する日本の民主主義は歪だ。

予め人の上に人を創出しているその仕組みは、いわば精神の解放を伴わない不熟な民主主義という見方もできる。

世界には共和国と称し且つ民主主義を標榜しながら、実態は独裁主義にほかならない国々、例えば中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国なども存在する。

共和国と民主国家は同じ概念ではない。そこを踏まえた上で、「共和国」を飽くまでも国民の意志に基づく政治が行われる「民主主義体制の共和国、という意味で論じてみた。

G7の光と影と日本メディアのディメンシア

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C7広島サミットを連日大々的に且つ事細かに伝える日本のメディアの熱狂を面妖な思いで眺めきた

ここイタリアもG7メンバー国だがメディアは至って冷静に伝え、ほとんど盛り上がることはない。

イタリア初の女性首相の晴れの舞台でもあるというのに少しも騒がず、金持ち国の集会の模様を淡々と報道した。

それはイタリアメディアのG7へのいつもの対応だ。そしてその姿勢は他のG7メンバー国のメディアも同じだ。

国際的には影の薄い日本の畢生の大舞台を、日本のメディアがこれでもかとばかりに盛んに報道するのは理解できる。しかも今回は日本が晴れの議長国だ。

だが外から見れば空騒ぎ以外のなにものでもない日本の熱狂は、見ていてやはり少し気恥ずかしい。

ここイタリアは国際政治の場では、日本同様に影響力が薄い弱小国だ。だがメディアは、たとえG7が自国開催だったとしても日本のメディアの如くはしゃぐことはまずない。

イタリアは国際的なイベントに慣れている。政治力はさておき、芸術、歴史、文化などで世界に一目おかれる存在でもある。スポーツもサッカーをはじめ世界のトップクラスの国である。

政府も国民も内外のあらゆる国際的なイベントに慣れて親しんでいて、世界の果てのような東洋の島国ニッポンの抱える孤独や、焦りや、悲哀とは縁遠い。

前述したようにイタリアは憲政史上初の女性首相を誕生させた。そのこと自体も喜ばしいことだが、メローニ首相が国際的なイベントに出席するという慶事にも至って冷静だった。

イタリアは同時期に、北部のエミリアロマーニャ州が豪雨に見舞われ、やがてそれは死者も出大災害に発展した。

メローニ首相にはG7出席を取りやめる選択もあった。が、ロシアが仕掛けたウクライナへの戦争を、G7国が結束して糾弾する姿勢をあらためて示す意味合いからも、敢えて日本に向かった。

このあたりの事情は内政問題を抱えて苦慮するアメリカのバイデン大統領が、もしかするとG7への出席を見合わせるかもしれない、と危惧された事情によく似ている。

日本のメディアは米大統領の問題については連日大きく取り上げたが、僕が知る限りメローニ首相の苦悩についてはひと言も言及しなかった。

あたり前である。G7構成国とはいうもののイタリアは、先に触れたように、日本と同じく国際政治の場ではミソッカスの卑小国だ。誰も気にかけたりはしない。

そのことを象徴的に表していた事案がもう一つある。

岸田首相が広島で開催されるG7という事実を最大限に利用して、核廃絶に向けて活発に動き各国首脳を説得したと喧伝した。

だがそれは日本以外の国々ではほとんど注目されなかった。

この部分でも大騒ぎをしたのは、政権に忖度する日本のメディアのみだった。

アメリカの核の傘の下で安全保障をむさぼり、核廃絶を目指す核兵器禁止条約 にさえ参加していない日本が、唯一の被爆国であることだけを理由に核廃絶を叫んでも、口先だけの詭弁と国際社会に見破られていて全く説得力はない。

G7国が岸田首相の空疎な核廃絶プログラムなるものに署名したのは、同盟国への思いやりであり外交辞令に過ぎない。

核のない世界が誰にとっても望ましいのは言わずと知れたことだ。だが現実には核保有国がありそれを目指す国も多いのが実情だ。

G7内の核兵器保有国でさえただちに核兵器を捨てる気など毛頭ない。それどころか核兵器禁止条約に反対さえする。

日本政府はそうしたこともを踏まえて現実を冷厳に見つめつつ廃棄へ向けての筋道を明らかにするべきだ。

被爆国だからという感情的な主張や、米の核の傘の下にいる事実を直視しないまやかし、また本音とは裏腹に見える核廃絶論などを全身全霊を傾けて修正しない限り、日本の主張には国際社会の誰も耳を貸さない。

そうではあるが、しかし、G7は民主主義国の集まりであり、中露が率いる専制国家群に対抗する唯一の強力な枠組み、という意味で依然として重要だと思う。

特に今このときは、ロシアのウクライナ侵略に対して、一枚岩でウクライナを支援する態勢を取っていることは目覚ましい。

2017年のG7イタリアサミットを受けて、僕はそれをおわコンと規定しさっさと廃止するべき、と主張した

だが、ロシアと中国がさらに専制主義を強め、G7に取って代わるのが筋と考えられたG20が、自由と民主主義を死守する体制ではないことが明らかになりつつある現在は、やはり存続していくことがふさわしいと考える。




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ルツェルンの退屈

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スイスのルツェルンとロカルノを仕事で回った。

ルツェルンは大分前にやはり仕事で訪ねているが、その時の記憶が自分の中にほとんど残っていないと気づいた。

一方、イタリア語圏にあるロカルノには、これまでにも仕事場のあるミラノから息抜きのためによく通った。

山国のスイスは言うまでもなく美しい国である。が、地中海や、強い太陽の光や、ローマ、ベニス、フィレンツェ、ナポリ、パレルモなどに代表される歴史都市を懐に抱いているイタリアはそれ以上に美しい、と僕は感じている。

ならばなぜわざわざ外国のスイスに息抜きに行くのかというと、ミラノの仕事場から近いという理由もさることながら、「そこがスイスだから」僕は喜んで気晴らしに向かった、というのが答えである。

スイスは町並が整然としていて小奇麗で清潔な上に、人を含めた全体の雰囲気が穏やかである。

僕はロカルノの湖畔の街頭カフェやリゾートホテルのバー、またうっそうとした木々の緑におおわれた街はずれのビアガーデンなどでのんびりする。

イタリア語圏だから、ロカルノではミラノにいる時とまったく変わらない言葉で人々とやりとりをする。

ところがそこには、イタリアにいる時の、人も自分もいつも躁状態で叫び合っているかのような騒々しさや高揚がない。雰囲気が静かで落ち着く。 

その気分を味わうためだけに、僕はあえて国境を越えてスイスに行くのである。

要するに僕は、肉やパスタのようにこってりとしたイタリアの喧騒が大好きだが、時々それに飽きて、漬物やお茶漬けみたいにあっさりとしたスイスの平穏の中に浸るのも好きなのである。

今回訪ねたルツェルンはイタリア語圏ではない。ドイツ語圏の都会である。だからという訳ではないが、ルツェルンはイタリア語圏のロカルノに比較すると少し雰囲気が重い。

言葉を替えればルツェルンは、同じスイスの街でもロカルノよりもっとさらに「スイス的」である。つまり整然として機能的で清潔。人々は今でも山の民の心を持っていて純朴で正直で優しい。

だが、まさにそれらの事実が僕には少し退屈に感じられた。やはり僕は中世的なイタリアの街々の古色や曖昧や猥雑や紛糾が好きである。

ロカルノの街はスイスの一部でありながら、イタリア文化の息吹が底辺に感じられるために、僕は心が落ち着くのだと今更ながら知った。

それでもやっぱりロカルノは骨の隋までスイスである。

そのことを一抹の寂しさと共に最も強烈に感じたのは、レストランで頼んだスパゲティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノのパスタが茹ですぎて伸びきっている事実だった。

コシのないパスタ麺を平然と皿に盛るのは、腐りかけた魚肉を刺身と称してテーブルに置くのと同程度の不手際だ。

僕は文字通りひと口だけ食べてフォークを置いた。あまりの不味さにがっかりして写真を撮ることさえ忘れた。

その店は、しかし、一日中食事を提供している観光客相手のレストランだったことは付け加えておきたい。

イタリア的な店は普通、15時までには昼の営業を終えて休憩し19時ころに再び店を開ける。

要するにそこは、イタリアレストランを装った無国籍のスイス料理店だったのである。



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奇跡の正体

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萌えたつ新芽や花の盛りに始まる季節の移ろいは奇跡である。

のみならず海の雄大と神秘、川の清清しさなど、自然のあらゆる営みが奇跡だ。

それらを“当たり前”と思うか“奇跡”と思うかで、人生は天と地ほども違うものになる。

奇跡は大仰な姿をしているのではない。奇跡はすぐそこにある。ありきたりで事もないと見えるものの多くが奇跡なのだ。

わが家の庭のバラは一年に3回咲くものと、2回だけ花開くつるバラに分けられる。つるバラは古い壁を這って上にのびる。

ことしは1回目のバラの開花が4月にあり、5月初めにピークを過ぎた。ちょうどそこに雨が降り続いて一気になえた。

普段はバラの盛りの美しさを愛でるばかりだが、ふとしぼむ花々にスマホのレンズを向けてみた。

するとそこにも花々の鮮烈な生の営みがあった。

命の限りに咲き誇るバラの花は華麗である。

片や盛りを過ぎてしなだれていく同じ花のわびしさもまた艶だと知った。

崩れてゆく花が劇的に美しいのは、芽生え花開き朽ちてゆくプロセス、つまり花があるがままにある姿が奇跡だからである。




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アナクロな儀式は時には演歌のようにとてつもなく面白くないこともない

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テレビ中継される英国王戴冠式の模様を少しうんざりしながら最後まで見た。

うんざりしたのは、儀式の多くが昨年9月に執り行われたエリザベス女王の国葬の二番煎じだったからである。

女王の国葬は見ごたえのある一大ショーだった。

かつての大英帝国の威信と豊穣が顕現されたのでもあるかのような壮大な式典は、エリザベス2世という類まれな名君の足跡を偲ぶにふさわしいと実感できた。

僕はBBCの生中継をそれなりに感心しつつ最後まで見た。しかし、荘厳だが虚飾にも満ちた典礼には、半年後に再び見たくなるほどの求心力はない。

それでも衛星生放送される戴冠式を見続けたのは、祭礼の虚飾と不毛に心をわしづかみにされていたからだ。

国王とカミラ王妃が王冠を頭に載せて立ち上がったときは、僕は真に心で笑った。首狩り族の王が骸骨のネックレスを付けて得意がる姿と重なったからだ。

チャールズ国王も、あえて言えば日本の天皇も、彼らが何者であるかは問題ではない。新しくその地位に就いた彼らが今後「何をするか」が厳しく問われるべきだ。

民主主義大国と呼ばれる英国に君主が存在するのは奇妙だ。それでも象徴的存在の国王が政治に鼻を突っ込むことはないので民主制は担保される。

だが真の民主主義とは、国家元首を含むあらゆる公職が選挙によって選ばれることだとするならば、立憲君主制の国々は擬似民主主義国家とも規定できる。

民主主義の真髄が国民に深く理解されている英国では、例えば日本などとは違って君主制を悪用して専制政治を行おうとする者はまず出ないだろう。

英国の民主主義は君主制によって脆弱化することはない。だが、むろん同時に、それが民主主義のさらなる躍進をもたらすこともまたない。

英国の王室は日本の皇室同様に長期的には消滅する宿命だ。

暴力によって王や皇帝や君主になった者は、それ以後の時間を同じ身分で過ごした後は、確実に退かなければならない。なぜなら「始まったものは必ず終わる」のが地上の定めだ。

彼ら権力者とて例外ではあり得ない。

また王家や王族に生まれた者が、必然的にその他の家の出身者よりも上位の存在になることはない。あたかもそうなっているのは、権力機構が編み出した統治のための欺瞞である。

天は人の上に人を作らない。生まれながらにして人の上位にいる者は存在しない。それがこの世界の真理だ。

そうはいうものの、しかし、英国王室の存在意義は大きい。

なぜならそれには世界中から観光客を呼び込む人寄せパンダの側面があるからだ。イギリス観光の目玉のひとつは王室なのである。

英国政府は王室にまつわる行事、例えば戴冠式や葬儀や結婚式などに莫大な国家予算を使う。

それを税金のムダ使いと批判する者がいるが、それは間違いだ。彼らが存在することによる見返りは、金銭面だけでも巨大だ

世界の注目を集め、実際に世界中から観光客を呼び込むほどの魅力を持つ英王室は、いわばイギリスのディズニーランドだ。

ディズニーランドも、しかし、たまに行くから面白い。昨年見たばかりの英王室のディズニィランドショーを、半年後にまた見ても先に触れたように感動は薄い。

それが僕にとってのチャールズ国王の戴冠式だった。




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マスクを神聖視する羊群の危うさ

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5月8日を興味津々に待っている。正確には5月8日以降の日本の光景。

5月8日はいうまでもなくコロナが日本でも季節性インフルエンザとみなされる日だ。それに伴って人々がついにマスクを手放すかどうか、僕は深い関心を抱いて眺めている。

マスク着用が個人裁量にゆだねられても人々はマスクを外さなかった。ちょうど帰国中だった僕はそれを自分の目でつぶさに見た。

異様な光景を見たままにそう形容すると、ほとんど侮辱されたのでもあるかのように反論する人もいた。だが異様なものは異様だ。

鏡に顔を近づけ過ぎると自分の顔がぼやけて見えなくなる。日本国内にいてあたりの同胞を見回すと同じ作用が起きやすい。距離が近過ぎて客観的な観察ができなくなるのだ

政府が3月13日以降マスクの着用は個人の自由、と発表したにもかかわらず日本国民のほとんどはそれを外すことがなかった。その事実を軽視するべきではない。

人々がマスクを外さないのは、①周りがそうしているので自分も従ういわゆる同調圧力、②真にコロナ感染が怖い、③花粉症対策のため、などの理由が考えられる。

このうちの花粉症対策という理由はうなずける。日本人のおよそ4人に1人が花粉症とされる。それどころか国民の約半数が花粉症という統計さえある

そうしたことを理由に日本人がマスクを外さないのは花粉症対策のためと主張する人も多い。

だがそれは最大およそ5割の日本人が花粉症としても、残りのほぼ5割もの国民がマスクに固執している理由の説明にはならない。

また雨の日や夜間は花粉が飛ばない事実なども、マスクに拘泥する現象のミステリー度に拍車をかける。

日本にはインフルエンザに罹ったときなどに割と気軽にマスクを着ける習慣がある。習慣は文化だ。マスク文化がコロナという怖い病気の流行によって極端に強まった、という考え方もできるだろう。

文化とは地域や民族から派生する、言語や習慣や知恵や哲学や教養や美術や祭礼等々の精神活動と生活全般のことである。

それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえある。

文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからだ。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからである。だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなる。

ところが文化の価値とはまさに、偏見や恐怖や差別さえ招いてしまう、それぞれの文化の特殊性そのものの中にある。普遍性が命の文明とは対照的に、特殊であることが文化の命である。

そう考えてみると、日本人がいつまでもマスクにこだわること、つまり日本の文化のひとつを異端視することは当たらない。

ところが僕は日本人である。日本の文化には親しんでいて理解もしている。その僕の目にさえいつまでもマスクを外さない人々が多い景色は異様に見えるのだ。

異様に見えるのは、その主な原因が花粉症対策というよりも同調圧力にあると疑われるからである。同調圧力そのものも異様だが、それに屈する国民が多い現実はさらに異様であり危険、というのが僕の気掛かりだ。

同調圧力は多様性の敵対概念だ。同調圧力の強い社会は排他性が強く偏見や差別が横行しやすい。またひとたび何かが起こると、人々が雪崩を打って一方向に動く傾向も強い。

片や多様性のある社会では、政治や世論が一方に偏り過ぎて画一主義に陥り全体主義に走ろうとする時、まさに多様な民意や政治力やエネルギーが働いてそれの暴走を回避する。

日本社会の画一性は古くて新しい問題である。日本国民の無個性な大勢順応主義は、間接的に第2次大戦勃発の原因になったと見ることさえ可能だ。

いまこの時は、ロシアのウクライナ侵攻によって引き起こされた欧州の危機感が日本にも伝播して、中国を念頭に軍拡が急速に進もうとしている。

そこには正当な理由がある。だが、まかり間違えば政治が暴走し再び軍国主義が勢いを増す事態にもなりかねない。それを阻止するのが社会の多様性だ。

おびただしい数のマスクが、人々の動きに伴って中空を舞う駅や通りの光景を目の当たりにして、僕は少なからぬ不安を覚えていた。

5月8日以降もしっかり見守ろうと思う。




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危ういのは神道ではなく国家神道である

伊勢内宮入口鳥居650

僕は2023年4月、神社仏閣を次々に訪問参拝しながら宗教と神社神道(以下:純粋神道と呼ぶ)と国家神道に思いを巡らしていた。すると僕の旅が終わってほぼ一週間後の4月21日、高市早苗経済安全保障担当大臣が靖国神社に参拝した。

その出来事は、神道にまつわる僕の物思いを象徴的に示す性格を持っている。そこで高市氏の動きに言及しつつ神道と国家神道について意見を述べておくことにした。

高市大臣は毎年、春と秋の例大祭の期間中や8月15日の「終戦の日」に、靖国神社に参拝するという。従って今回の動きもいつもの彼女の習いと捉えて聞き流すこともできる。

しかし彼女は不遜にも放送法を曲解して、自らと仲間に批判的なメディアを弾劾しようと企てた疑惑にまみれている人物だ。

批判が沸き起こっている今この時は、物議を醸すことの多い靖国参拝を控えるのがあるべき姿だと思うが、高市氏は相変わらずの“仁義なき戦い”精神で靖国神社を訪問した。

彼女はその理由を「国策に殉じた方々の御霊に尊崇の念をもって哀悼のまことをささげる」ため、と靖国を訪れる保守系政治家の常套句を用いて説明した。

戦争で斃れた人々に哀悼の意を表するのは、思想の左右には関係なく人として当たり前の行為だ。だが彼女は国務大臣である。国を代表する公人だ。公人は常に国益を念頭に置きつつ国際情勢にも配慮して行動しなければならない。

戦争犯罪者も祀る靖国神社への参拝は、軍国主義日本を想起させるとして周辺国の反発を呼び、且つ国際社会も眉をひそめることが多いネガティブな事案だ。つまり国益に反するのが実情である。

神社は古来の日本人の心の拠りどころとして人々に賛美され親しまれている分には、何も問題はない。それどころか美しい施設であり伝統であり理念である。

だが人々の敬仰心を利用して国粋主義を煽り、純粋神道を歪曲して国家神道と成し、天皇を隠れ蓑に暴威を振るった軍国主義者の末裔が存在する限り、危険な施設でもあり続ける。

日本ではついに第2次大戦の徹底総括が行われないまま長い時間が過ぎてしまった。そのため軍国主義の心根を秘匿した勢力が徐々に意を強くしつつある。一歩間違えば国家神道に類する欺瞞が再び席巻しかねない。

具体的にはネトウヨ系政治・文化・財界人や安倍元首相追随者群また極右主義者などが、かつては彼らの抑圧者だったアメリカが口をつぐみ勝ちなのを幸いに、俄然勢いを増しているのが日本の今の姿だ。

そこに最近、ロシアによるウクライナ侵略が想起させる中国の覇権主義の暴走と台湾有事の可能性への怖れ、という新たなトレンドが加わった。人々のその怖れは真っ当なものだ。

だが大戦への総括どころか、歴史修正主義者ばかりが勢いを増すようにさえ見える状況はやはり危なっかしい。そして高市早苗氏は歴史修正主義勢力の旗手だった安倍元首相の追随者だ。

彼女が世間の批判の嵐に抗う形で靖国参拝を強行したのは、右派の支持を集めて自らの政治家生命の危機を乗り越えたい思惑があるようにも見える。

だが同時にその行為は、ファシスト気質の彼女が秘匿ファシストまた民族主義者などの歴史修正主義者に、国家神道の正当性を訴え確認する意味合いがあると捉えることもできる。

繰り返しになるが、神社も神道も古来の人々の純真素朴な信仰心を受け止めてそこにある限り美しいコンセプトだ。その心情も、心情に裏打ちされた建築スタイルも、装飾も儀式も全て目覚ましい。

だがそれが軍国主義者やファシストやナショナリストらの尊崇施設になり思想の拠り所になったとたんに、大いにキナ臭くなるのもまた真実だ。

高市早苗経済安全保障担当大臣の靖国参拝は、そのほかの右派政治家の参拝と同様に、まさにその負の兆しが透けて見える象徴的な動きだった。

僕は先日、伊勢神宮、出雲大社、厳島神社、太宰府天満宮、伏見稲荷などの神殿を訪ね歩いた。

過去には靖国神社、明治神宮、金刀比羅宮なども参拝し、全国各地の神社や杜や祠堂や地蔵また御嶽、位牌堂 、御霊屋等々も訪ね歩いている。

僕がそこで敢えて見ようとするのは、主にキリスト教の対抗軸としての教義や思想や実存根拠、またその信義や哲学である。

僕はキリスト教徒ではないがイエス・キリストを尊崇し仏陀を敬仰する者だ。同時に国家神道ではない純粋神道や凡霊説、さらにはイスラム教やユダヤ教も尊重する。

僕はあらゆる宗教を受け入れる自らのその立ち位置を規定して、「仏教系の無神論者」と称している。言葉を替えれば、僕は「仏教系の無神論者」という宗教の信者なのである。

全ての宗教を善しとする立場は、ある限りの「宗門の信者」に拒絶される可能性がある。

なぜなら一神教にしても多神教にしても、自らの信ずるものが絶対の真実であり無謬の存在だと思い込めば、それを受容しない者は彼らにとっては全て無神論者だろうからだ。

ところでなぜ僕がキリスト教や神道系ではなく「仏教系の無神論者」なのかというと、僕自身の中に仏教的な思想や習慣や記憶や日々の動静の心因となるものなどが、他の教派のそれよりも深く存在している、と感じるからである。

さらに言えば、仏教にはドグマ(教義)が存在する分、思索の基準が明確になりやすい。

一方ドグマが存在せず、本殿のご神体を秘匿して信者の畏怖心を煽る神道の在り方は、神社そのものの構造と共に僕の中の疑心を呼び起こすことがないでもない。

それでも日本人としての僕は、本来の純粋神道の精神に親しみを覚え尊重する。同時にそれを歪曲して国家神道と成し、その周りで狡知にうごめいては国民を支配しようとする勢力を嫌悪し、それに抗う側に立つ。

換言すれば高市早苗氏は、僕と同じく純粋神道の伝統が充満する日本社会に生まれ育ちながら、それを全く違う解釈で規定し実践する類の人物と見える。

具体的に言えば高市氏は僕の目には、純真素朴な神道の精髄を曲げて国家神道に作り変え、危険な政治道具に祭り上げようとする勢力の指導者のひとりと映るのである。

2023年4月21日の高市早苗経済安全保障担当大臣の靖国神社参拝に先立って、多くの社殿を訪ね歩いていた僕の中に錯綜していたのは、純粋神道への郷愁と国家神道への嫌悪感だった。




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ジョルジャ・メローニの幸運

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メローニ首相に反ファシズム宣言をしろと呼びかける「元ファシスト」のジャンフランコ・フィニ氏

今日4月25日は、イタリアの終戦記念日である。ここでは解放記念日と呼ばれる。

イタリアの終戦はムッソリーニのファシズムとナチスドイツからの解放でもあった。だから終戦ではなく「解放」記念日なのである。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは大戦中の1943年に仲たがいした。日独伊3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は敵同士になった。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になったのである。

言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていった。

ナチスドイツへの民衆の抵抗運動は、1943年から2年後の終戦まで激化の一途をたどり、それに伴ってナチスによるイタリア国民への弾圧も加速していった。

1945年4月、ドイツの傀儡政権・北イタリアのサロー共和国が崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはナチスドイツを放逐した。

日独伊三国同盟で破綻したイタリアが日独と違ったのは、民衆が蜂起してファシズムを倒したことだ。それは決して偶然ではない。

ローマ帝国を有し、その崩壊後は都市国家ごとの多様性を重視してきたイタリアの「民主主義」が勝利したのである。むろんそこには連合軍の後押しがあったのは言うまでもない。

イタリア共和国の最大最良の特徴は「多様性」である。

多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトだ。イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史だ。

イタリアは大戦後、一貫してファシズムとナチズムからの「解放」の日を誇り盛大に祝ってきた。

ことしの終戦記念日は、しかし、いつもとは少し違う。極右とさえ呼ばれる政党が連立を組んで政権を維持しているからだ。

イタリア初の女性トップ・ジョルジャ・メローニ首相は、ファシスト党の流れを汲むイタリアの同胞の党首だ。

彼女は国内外のリベラル勢力からファシズムと完全決別するように迫られているが、未だに明確には声明を出していない。

それは危険な兆候に見えなくもない。だが僕は日本の右翼勢力ほどにはイタリアの右翼政権を危惧しない。なぜなら彼らは陰に籠った日本右翼とは違い自らの立ち位置を明確に示して政治活動を行うからだ。

またイタリアの政治状況は、第2次大戦の徹底総括をしないために戦争責任が曖昧になり、その結果過去の軍国主義の亡霊が跋扈してやまない日本とは大きく違う。

極右と呼ばれるイタリアの政治勢力は、危険ではあるもののただちにかつてのファシストと同じ存在、と決めつけることはできない。なぜなら彼らもファシトの悪を十分に知っているからだ。

だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避ける。極右はファシストに限りなく近いコンセプトだ。

第2次大戦の阿鼻地獄を知悉している彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれとはまり込むとは思えない。

だが、それらの政治勢力を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからである。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に姿を現したのが典型的な例だ。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていく。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入する。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。

イタリア初の女性首相メローニ氏は、ガラスの天井を打ち破った功績に続いて、イタリア右派がファシズムと決別する歴史的な宣言を出す機会も与えられている。

その幸運を捉え行使するかどうかで、彼女の歴史における立ち位置は大きく違うものになるだろう。



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菜園に爛漫の野菜草が輝く時

南窓開け庭650

日本から戻ると北イタリアも春爛漫の景色に変貌していた。

菜園にも命がみなぎっている。

命は野菜と雑草のせめぎあいである。

風が冷たかった3月、菜園の至るところにサラダ用野菜の混合種や春菊、またチンゲンサイや葱などの種をびっしりとまいた。

菜園は有機農法で耕しているため雑草が繁茂し虫がわく。

種下ろしをした野菜たちは根がおだやかで育ちやすく、しかも除去が簡単だ。

土中深くまで根を張るしつこい、処理に困る、つる草や宿根草などとは大違いである。

ことしは野菜作りが始まる3月から4月にかけて日本に帰るので、雑草抑えのつもりもあって前述の野菜たねを満遍なく播種したのだった。

雑草に勝って大きく伸びている野菜もあれば、怖れるように小さく芽を出し青草に辺りを覆われているものもある。

よく育っているものは収穫して食べていくが、雑草に圧されて萎縮している芽はと共に除き、跡に不断草に始まる温野菜用野菜や根菜、また果菜や花菜の苗を植えつける。

畑では種を蒔いて後は放っておいても最低限の作物が育つ。

文字通りの自然の恵みだ。

僕は菜園を細かく手入れする野菜作りではない。作業をしたいのは山々だが時間がない。除草などもほとんどしないまま放っておくことが多い。

雑草は取り除かないと次々に花をつけ種を撒き散らして大きくはびこる。

それは分かっているが、じっくりと土に向き合う時間がないので、ミニ耕運機をひんぱんに畑に入れて鋤いてしまうことが多い。

ことしは特に耕運機の出番が多くなりそうである。

それは栽培法や土作りという意味では邪道かもしれないが、それでけっこう除草がうまく行き作物も育つ。

自然は怠け者の野菜作りにも惜しみなく恵みを与える。

母なる大地の面目躍如である。



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宮島で祝う復活祭もまた良し

宮島4月10日大鳥居縦ヨリ650

イタリア語で言うパスクア(復活祭・イースター)を今年は宮島で過ごした。パスクアはイエス・キリストの復活を寿ぐキリスト教最大の祭りである。

カトリックの総本山を抱くイタリアでは特に盛大に祝う。

キリスト教の祭典としては、その賑やかさと、非キリスト教国を含む世界でも祝される祭礼、という意味で恐らくクリスマスが最大のものだろう。が、宗教的には復活祭が最も重要な行事である。

なぜならクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝うイベントに過ぎないが、復活祭は磔(はりつけ)にされたキリストが、「死から甦る」奇跡を讃える日だからだ。

誕生は生あるものの誰にでも訪れる奇跡である。が、「死からの再生」という大奇跡は神の子であるキリストにしか起こり得ない。それを信じるか否かに関わらず、宗教的にどちらが重要な出来事であるかは明白である。

イエス・キリストの復活があったからこそキリスト教は完成した、とも言える。キリスト教をキリスト教たらしめているのが、復活祭なのである。

今回帰国では僕は神社仏閣を主に訪ね歩いている。

厳島神社で迎えた復活祭は感慨深かった、と言いたいところだが、僕は何事もなかったように時間を過ごした。実際に何事も起こらなかった。

仏教系無神論者」を自認する僕はあらゆる宗教を受け入れる。教会で合掌して祈ることもあれば、十字は切らないながらも寺でイエス・キリストを思うことも辞さない。無論神殿でも。

ことしの復活祭では僕はそれさえもしないで、厳島神社の明るい景色とスタイルと美意識に酔いしれた。

宗教についてあれこれ思いを巡らすよりも、日本独自の文化をありのままに享けとめ喜ぼうと努力したのである。

その努力は幸いに上手くいった。



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旅模様

永平寺格子越し650

東京から金沢に行き、日本海沿岸沿いに西に進んで下関から九州を一周する。次に博多から山陽道、京都を経由して東京へという旅の途中である。

ほぼ全線をJRで巡り、順不同だが計画通りに進んでいる。

東京の前に故郷の沖縄にも飛んだので、四国を除く東京以西のほぼ全土を訪ねていることになる。

四国、信越、北陸、東北なども過去に仕事で巡っている。従って僕が知らない日本は今のところ北海道だけになった。

今回は欧州でよくやるリーチ旅。換言すれば食べ歩きを兼ねた名所巡りのつもりだった。

そう言いつつ、しかし、神社訪問に主な関心を置きながら歩いている。

僕は自らを「仏教系の無神論者」と規定している。

そのことを再確認するのも今回旅の目的のひとつである。





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高市早苗オヤジ型女性政治家はフェイクっぽい

安倍高市切り取り

「捏造でなければ辞職」と啖呵を切った、高市早苗経済安全保障担当相の驕りは、今に始まったことではないが相変わらず見苦しい

同じ穴のムジナだった安倍元首相に倣ったらしい宣言によって、彼女は思い上がりに思い上がってついに天井にぶつかり墜落す運命を選んだようにも見える。

ファシスト気質の高市氏は、性根が秘匿ファシストだった彼女のボスの安倍元首相よりもよりファシスト的というのが僕の見方だ。

だがジェンダーギャップの激しい日本で女性政治家が頑張る様子を、僕は政治的立場をさて置いてずっと応援する気持ちでいたことも告白しておきたい。

高市氏はここイタリアのジョルジャ・メローニ首相に似ているところがある。言うまでもなくファシスト的な気迫の政治スタンスやメンタリティーだ。

だが同時にふたりはかけ離れた右翼活動家でもある。ひとことで言えば、メローニ首相が明の右翼政治家、片や高市氏は陰にこもったキャラクターだ。

もっと言えば高市氏は自ら大いに右翼運動を担うのではなく、例えば安倍元首相に庇護されて四囲を睥睨したように威光を笠に着て凄むタイプ。

一方のメローニ氏は自ら激しく動いて道を切り開くタイプだ。

肩書きが人間を作る、というのは真実である。

イタリアで初の女性首相となったジョルジャ・メローニ氏は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を率いて選挙を勝ち抜いた。

選挙中、彼女は右寄りの政策を声高に叫びつつ一つのスローガンをさらに大声で主張した。

いわく、「私はジョルジャだ。私は女性だ。私は母親だ。そして私はイタリア人だ」と。

「私はジョルジャだ」は自らが自立自尊の人格であることを、「私は女性だ」は女性であることを誇ると同時にジェンダー差別への抗議を、「私は母親だ 」は愛と寛容を、「私はイタリア人だ」は愛国の精神を象徴していると僕は見た。

メローニ氏はそうやって国民の支持を得て首相の座に上り詰めた。

上り詰めると同時に、彼女は激しい言葉を避け、険しい表情をゆるめ、女性また母親の本性があらわになった柔和な物腰にさえなった。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になった。

彼女のそうした佇まいは国内の批判者の声をやわらげた。僕もその批判者のひとりだ。

また同氏に懐疑的なEUのリベラルな主勢力は、警戒心を抱きながらもメローニ首相を対話の可能な右派政治家、と規定して協力関係を構築し始めた。

ジョルジャ・メローニ首相は資質によってイタリア初の女性首相になったが、イタリアのトップという肩書きが彼女を大きく成長させているのも事実なのである。

高市大臣は、あるいは日本初の女性宰相となり、その肩書きによって人間的にも政治的にも成長するかもしれないと僕は秘かに考えていたが、少しバカらしくなってきた。

メローニ首相と同じ右翼政治家の高市大臣には、イタリアのトップに備わっている女性としての自立心や明朗な政治姿勢や誇りが感じられない。

その代わりに虎の威を借る狐の驕りや、男に遠慮する「女性オヤジ政治家」の悲哀ばかりが透けて見える。女性オヤジ政治家は旧態依然とした男性議員を真似るばかりで進取の気性がない。その典型が高市氏だ。

日本にはまた男に媚びる「ブリッコ・オバハン政治家」も多い。その典型は稲田朋美元防衛大臣だ。それらのブリッコ・オバハン政治家は人間としてのまた政治家としての在り様が不自然で主体性がない。

ブリッコ・オバハン政治家は女性オヤジ政治家の対極にあるようにも見える。だが彼女たちは“不自然で主体性がない“というまさにそのことによって、全員が女性オヤジ政治家に分類される存在でもある。

それらのタイプの政治家は実はイタリアにも多い。つまり「オヤジ型の女性政治家」が跋扈する社会現象は、まさにイタリアや日本などの「女性の社会進出が遅れている国」に特有のものなのである。

女性オヤジ政治家 は恐らく肩書きによっても変えられない存在だ。主体性と、そこから生まれるぶれない政治姿勢また真実が欠けているからだ。

肩書きによって作られる人格とはつまるところ、元々それらの特質を備えている人物が、責任ある地位に着くことでさらに磨かれていくことである。

メローニ首相は頑迷固陋なイタリア政界の壁を突き破って輝いた女性だ。

僕は彼女の政治姿勢には同調しないが、日本に似た男社会で見事に自己主張を貫き通す姿勢には拍手を送る。

拍手するその手を返して、高市早苗大臣の面前にかざしNOとひとこと言えればどんなにか胸がすくことだろう。




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舞い上がりそうな「舞いあがれ」かも、かい?

砂漠離陸650

いつまでも舞い上がらない朝ドラの「舞いあがれ」は、舞い上がらないままに面白くないこともないが、ドラマとしての連続性がないのがもどかしい。

だが主人公・舞の親友の久留美が、なぜか長崎の総合医療病院でフライトナースになるらしい展開は、主人公の舞がいよいよ「舞上がる」ための伏線、と読めないこともない。

つまり舞は、久留美を追いかけて長崎の島々を結ぶ医療関連の飛行機のパイロットになる、という話の流れではないか。

あるいは先日FB友の方がここのコメントで指摘されたように、五島などの離島に飛んでいる航空会社の飛行機を舞が作って且つそのパイロットになる、という筋書きかもしれない。

そうなれば舞がパイロットとして舞い上がる、というドラマの暗黙の約束が果たされることになる。

だが僕はそんな経過になっても不満である。なぜなら舞には多くの旅客を運ぶ飛行機のパイロットになってほしいからだ。

ドラマは初っ端、夢の中で旅客機の機長となった舞が機内アナウンスをするところから始まった。

続いて男尊女卑のパイロット界で女性飛行士の舞が奮闘するストーリーが強く示唆され続けた。

それなのに、主人公が町工場の改革者になったり、小型飛行機のパイロットに納まったりするのはちょっと物足りない。

脚本や演出にとっては、舞がジェンダーギャップを乗り越えて男社会で活躍していくストーリーは荷が重すぎたのだろうか?

ドラマはまだ終わっていないので詰めの展開は分からない。

僕はストーリーが最後には舞い上がるのかどうか、という興味もあって朝ドラを見続けている。







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流転変遷は人生の華

桜引き見上げ2016  800pic


流転変遷は人生の華である。


この世の中で変わらない者は、変わりたくても変われない死者があるばかりだ。


変わるのは生きているからである。


ならば流転変遷は、生きている証、ということである


死ねば変化は起きないのだ。


流転変遷の極みの加齢も変化である。


そして変化するのはやはり生きているからである。


生きているのなら、生きている証の変化を楽しまなければつまらない。


死ねば変化も楽しみも何もないのだから。


変化を楽しむとは言葉を替えれば、あるがままに、ということである。


なぜなら人はあるがままの形で変化していく存在だからである。


あるいは人は、変化するままにしか存在できない存在だからである。


あるがままに存在することを受け入れるとき、人は楽しむ。


楽しまなくとも、心は必ず安まるのである。




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舞い上がらない「舞いあがれ」を舞い上がらせたい

飛ぶ舞切り取り650

寂しい出来だったNHK朝ドラ「ちむどんどん」に続く「舞いあがれ」を欠かさず見ている。

ロンドン発の日本語放送が1日に5回も放送をする。そのうちの1回を録画予約しておき、空き時間にクレジットを速回しで飛ばして時間節約をしながら目を通す。

このやり方だとほぼ見逃すことがない。

存在自体があり得ないデタラメな登場人物・ニーニーが、ドラマをぶち壊しにした前作とは違い、「舞いあがれ」は落ち着いた雰囲気で安心して見ていられる作りになっている。

ところが今回作は、ドラマツルギー的には「ちむどんどん」よりもさらに悪い出来になりかねない展開になっている。

「舞いあがれ」はこれまでのところ、前半と後半が全く違う展開になっているのだ。そのままで終われば構成が破綻した話になるのが確実だ。

主人公の舞がパイロットになるため勉強に励む前半と、パイロットになる夢を捨てて町工場を立て直そうと奮闘する後半が分裂と形容しても構わないほどに互いに独立した内容になっている

ひとりの若者が夢を諦めてもう一つの人生を歩む、というのは世の中にいくらでもある話だ。従って主人公が家業を手伝う流れは自然に見える。

だがこのドラマの場合は、ひとりの女の子がパイロットになるという夢を抱いてまい進する様子が前半の核になっている。いや、物語の全てはそこに尽きている。

成長した主人公の舞は、大学を中退してまで航空学校に入学し、パイロットになる夢を追いかけて格闘する。その内容はきわめて濃密だ。

パイロット養成学校の内幕と人間模様を絡めつつ、「男社会のパイロット界で、女性が道を切り開いていくであろう未来を予想させながら、説得力のあるドラマが続く。

そこに父親の死と家業存続の危機が訪れる。舞はプロのパイロットになる直前で一時歩みを止めて、家業の手助けをする決心をする。

そこには時代の流れで、舞の就職先の航空会社が採用を先延ばしにする、というアクシデントが絡まる。だから話の推移は納得できる。

舞は一度立ち止まるが、どこかで再びパイロットになるために走り出すだろう、と誰もが思う。なぜならドラマは冒頭からそれを示唆する形で進んできたからだ。

ドラマの内容のみならず、「舞いあがれ」というタイトルも、紙飛行機が舞うクレジットのイラスト映像も、何もかもがそのことを雄弁に語っている。

ところがドラマは、町工場の再建悪戦苦闘する舞と家族の話に終始して、パイロットの話は一向に「舞いあがらない」。忘れ去られてしまう。

この先にそこへ向けてのどんでん返しがあることをひそかに期待しつつ、ドラマがこのまま「町工場周辺の話」で終わるなら、それはほとんど詐欺だとさえ言っておきたい。

ドラマツルギー的にも構成がデタラメな失敗作になる。

ところが― 矛盾するようだが ―パイロット養成学校とその周辺の成り行きが主体の前半と、町工場の建て直しがコアの後半の内容はそれぞれに面白い。

大問題は、しかし、このままの形で終わった場合、前半と後半が木に竹を接いだように異質で一貫性のないドラマになってしまうことだ。

朝ドラは前作の「ちむどんどん」を持ち出すまでもなく、細部の瑕疵が多い続き物だ。

物語が完結したときに、それらの瑕疵が結局全体としては問題にならない印象で落ち着くことが、つまり成功とも言える愉快なシリーズだ。

「ちむどんどん」はそうはならなかった。主人公の兄の人物像が理解不可能なほどにフェイクだったのが大きい。

「ちむどんどん」の大きな瑕疵はしかし、飽くまでも細部だった。話の本体は主人公暢子の成長物語である。

一方「舞いあがれ」がパイロットの物語を置き去りにして町工場周辺の話のみで完結した場合、それは細部ではなくストーリーの主体が破綻したまま終わることを意味する。

そうなればドラマツルギー的には呆れた駄作になること請け合いだ。

それとは別に個人的なことを言えば、パイロットの育成法や彼らのプロとしての生き様に強い関心を抱いている僕は、それらが中途半端にしか描かれないことにさらなる不満を抱く。

加えて女性パイロットが、いかにして「冷静沈着」な職業パイロットへと成長して男どもと対峙し、また理解し合い、飛行時の困難や危険を回避して「舞いつづける」かも見たかったので腹が立つ

今が旬のジェンダーギャップ問題にも大きな一石を投じる機会だったのに、と余計に残念だ。

「舞いあがれ」は複数の脚本家が担当しているという話を聞いた。そのせいで前半と後半のストーリーが違う、という言い訳もあるようだ。だがそれはおかしな主張だ。

構成が破綻した脚本を受け入れる演出家も、その成り行きを許すプロデュサーも理解しがたい。前作の「ちむどんどん」に関しても僕はほとんど同じ疑問を呈した。

NHKは大丈夫か?とさえ締めくくりたくなるが、流石にそれはできない。なぜならNHKのドラマ部門は、報道やドキュメンタリー部局に全く引けを取らない充実した作品を作り続けているからだ。

衛星放送のおかげで、外国に居住しながらNHKの番組を多くを見続けている僕はそのことを知悉している。

朝ドラの不出来は、やはり一本一本の瑕瑾と見なすべきものだ。

その伝で言えば「ちむどんどん」にはがっかりしたが、「舞いあがれ」は欲求不満でイラつくというふうである。

むろん、どんでん返しでパイロットのストーリーが展開されれば話はまた別、とあらかじめ言っておきたい。

だが、終盤が近い今の段階で展開が変わっても、尻切れトンボになる気配が濃厚であるように思う。

物語を元の軌道に戻すには町工場の話が長過ぎたと見える。それを力ずくで大団円に持ち込むことができるなら演出の力量はすばらしいものになる。

僕はここまでドラマツルギーと言い、構成と言い、一貫性や破綻などと言った。あるいは論理や方法論などを持ち出して批判することもある。だがそれらは飽くまでも傍観者の評論である。

論理や方法論で人を感動させることはできない。たとえそれらが破綻していても、視聴者を感動させ納得させることができればそれが優れたドラマだ。

朝ドラはよくそれをやってのける。

ここから終幕まで、演出のお手並み拝見、といきたい。




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令和の不惑は60歳がふさわしい

家込み黄バラ800

40歳をあらわす不惑という言葉には、周知のように人間の成熟は40歳で完結するという意味合いがある。

人は若年ゆえに悩み、惑い、経験不足ゆえに未熟な時間を経て40歳で自信に満ちた生活に入る、ということだ。

それは人生、つまり寿命が50年程度だった頃の道徳律、と解釈すれば分かりやすい。

つまり人は寿命の10年ほど前に人生の何たるかを理解し、実り豊かに時間を過ごしてやがて死んでいく、ということである。

不惑という概念はおよそ2600年前に孔子が編み出した。また60歳を表す還暦、70歳の古希、77歳を意味する喜寿なども中国由来の言葉だ。

一方で80歳をあらわす傘寿、88歳の米寿、90歳の卒寿etc..は日本独自の表現法とされる。だが根底にはやはり中国由来のコンセプトがあるのかもしれない。

昔は大ざっぱに言えば人生は50年程度だった、という日本人の固定観念は、織田信長由来のものである可能性が高い。

信長が好んだ幸若舞「敦盛」の一節の、“「人間50年 下(化)天のうちを比ぶれば 夢まぼろしのごとくなり~♪”が犯人のようだ。

そこでいう人間(じんかん)50年とは、人の平均寿命が50年という意味ではなく、人の命は宇宙の悠久に比べるとあっという間に終わるはかないものだ、という趣旨だ。

人の平均寿命は、実は昔は50年にも満たなかったと考えられている。

平均寿命が50歳ほどになったのは、明治時代になってからに過ぎない、とさえ言われる。人は長い間短命だったのである。

はかない命しか与えられていなかった古人は、不惑の次の50歳を死期に至った人間が寿命や宿命を悟る時期、という意味で「50歳にして天命を知る」すなわち“知命”と名づけた。

さらにその先の「還暦」の60歳は、死んでいてもおかしくない人間が生きている、要するにおまけの命だからもう暦をゼロに戻して、人生を新しく生きるということだ。

そんなふうに人間が短命だった頃の70歳なんてほぼ想定外の長生き、希(まれ)な出来事。だから前述したように古希。

さらに、88歳をあらわす「米寿」という言葉は、88歳などという長生きはある筈もないから、八十八を遊び心で組み立てて米という文字を作って、これを「米寿」と呼ぶという具合になった。

ただ時代も令和になって、これまでの年齢に対する定義は意味を成さなくなったように思う。

今このときの平均寿命のおよそ80歳が一気に大きく伸びるわけではないが、かくしゃくとした90歳や100歳の長寿者をいくらでも見かける。

もはや「‘人生100年’の時代がやって来た」と表現しても、それほど違和感を覚えない時世になった。

そんな訳で令和時代には、論語ほかの古典が出どころの、年代を表すあらゆる言葉の内容も、もはや違ってしかるべきと思う。

その筆頭が「不惑」である。

不惑は40歳などではなく、50歳もいっきに飛び越して60歳とするべきではないか。

40歳どころか60歳でも人は惑い悩みまくる。還暦を過ぎている今この時の自分が好例だ。60歳が不惑でもまだ若すぎるとさえ感じる。

その伝でいくと知命(50)が70歳。還暦は80歳。古希(70)が90歳となり喜寿(77)は97歳。かつて「想像を超える長生き」の意味があった米寿は108歳だ。

だが正直に言うと、人の寿命が伸びつづける今は108歳でさえ想像を超えた長生き、というふうには感じられない。

僕には想像を絶する長生きは108歳ではなく、またここイタリアのこれまでの長寿記録の最高齢である117歳でもなく、120歳をはるかに超える年齢というふうに感じられる。

「想像を超える」とは、実在するものを超越するコンセプトのことだから、ま、たとえば130歳あたりが令和の時代の米寿ではないか、とさえ思うのである。



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外国留学者は少数派だが大いなる特権派でもある

ずるい目つき切り取り610

岸田首相が自身の秘書官の「同性婚は見るのも嫌だ」と発言した差別問題に関連して、「私自身もニューヨークで少数派(マイノリティー)だった」と公言したことに違和感を覚えた。

どうやら差別問題の本質を理解しないらしい空疎な言葉には、さぞかし強いバッシングが沸き起こるだろうと思って見ていた。

だが僕が知る限り、批判らしい言説は何も起こっていない。そこで僕が自分で言っておくことにした。

まず総理大臣秘書官の愚かな発言は、それに先立って表明された岸田首相の「(同性婚を認めれば)社会が変わってしまう」という趣旨のこれまた歪つな発言に続いて出たものであることを確認しておきたい。

つまり秘書官の差別発言の元凶は岸田首相の中にある差別意識、という一面がある。

秘書官はボスの意に沿いたいという忖度からあの発言をした可能性がある。むろん、だからと言って彼自身の差別体質が許されるわけではない。

有体に言えば、岸田首相と秘書官は同じ穴のムジナである。

政権トップとその側近が同性愛者への強い差別意識を持っている事実は、日本国民の多くが同じ心的傾向を秘匿していると示唆している。

岸田首相の「私も少数派(マイノリティー)だった」発言を聞いて僕が即座に思ったのは、「やはりその程度の認識しか持てない人物かという妙な納得感を伴った感慨だった。

それはおそらく岸田首相が、虚言癖の強い歴史修正主義者だった安倍元首相と、言葉を知らない朴念仁の菅前首相に続いて出てきた、自らの言葉を持たない無個性の“アンドロイド宰相”であるという印象に僕が違和感を募らせたのが原因だろう。

日本人留学生は、国内に留まっている日本人から見れば少数派(マイノリティー)などではなく、言わばむしろ特権派だろう。日本を出て外国に学ぶことができる者は幸いだ。

留学生にとっては、渡航先の国で味わう少数派としての悲哀よりも、「幸運な特権派」としての歓喜のほうがはるかに大きい。

日本を飛び出して、貧しいながらも外国で学ぶ体験に恵まれた僕にはそれが実感として分かる。

外国で日本人留学生が受ける眼差しや待遇は、「多様性を体現する者」への暖かくて強い賛同に満ちたものである場合がほとんどだ。

一方、荒井勝喜前首相秘書官の差別発言は、国内の少数派に向けて投げつけられた蔑視のつぶてだ。

子供時代とはいえ、ニューヨークで勉学することができた岸田首相が「少数の日本人の1人」として特別視された、あるいは特別視されていると感じた事態とは意味が違う。

そうではあるものの、しかし、岸田首相が彼自身の言葉が示唆しているようにニューヨークで日本人として差別されたことがある、あるいは「差別されたと感じた」経験があるならば、それはそれで首相のまともな感覚の証だから喜ばしいことである。

それというのも外国、特に欧米諸国には白人至上主義者も少なからずいて、彼らは白人以外の人間を見下したり排斥したがったりする。そこには明確な差別の情動がある。

岸田首相はかつてそうした心情を持つ人々から差別されたのかもしれない。だが一方で岸田少年は、多様性を重んじる心を持つ人々の対応を“差別”と感じた可能性も高い。

多様性が尊重される欧米社会では、他とは“違う”ことこそ美しく価値あるコンセプトと見なされる。人々は日本からやって来た岸田少年を“違う”価値ある存在として特別視した可能性が大いにある。

ところが日本という画一主義的な社会で育った者には、“他と違う”ことそのものが恐怖となる。世間並みでいることが最も重要であり、同調圧力のない自由闊達な環境が彼にとっては重荷になるのだ。

岸田少年が、徹頭徹尾ポジティブなコンセプトである“多様性”を知らず、“違う者”として見られ、規定されたことに疎外感を感じた可能性は高い。

むろんそうではなく、先の白人至上主義者あるいは人種差別主義者らによって差別された可能性も否定はできない。

外国のそれらの差別主義者と日本国内の差別主義者は、どちらも汚れたネトウヨ・ヘイト系の群れである。だが両者の間には大きな違いもある。

欧米の差別主義者は明確な意志を持って対象を差別している。ところが日本の差別主義者は、自身が差別主義者であることに気づいていない場合も多い。

その証拠のひとつが、黄色人種でありながら白人至上主義者にへつらう一味の存在である。

白人至上主義者はむろん黄色人種の日本人も見下している。

だが表は黄色いのに中身が白くなってしまったバナナの日本人は、そのことに気づかない。気づいていても見えない振りをする。

差別されている差別主義者ほど醜く哀れなものはない。

同性愛者を差別し侮辱するのは、多くの場合自らを差別している差別者にさえ媚びるそれらのネトウヨ・ヘイト系の連中と、彼らに親和的なパラダイムを持つ国民である。

それらのうち最もたちが悪いのは、自らが他者を差別していることに気づかない差別者である。そしていわゆる先進国の中では、その類の差別主義者は圧倒的に日本に多い。

日本が差別大国である理由は、差別の存在にさえ気づかないそれら“無自覚”の差別主義者が少しも成長しないことなのである。

岸田首相は同性愛者を差別する国民を批判しようとして、「私もニューヨークで少数者(マノリティー)だった」と差別の本質に無知な本性をあらわにしてしまった。

外国に住まう日本人の中には、日本人として差別を受けたことはない、と断言する者もいる。

それが真実ならば、彼らは日本人を好きな外国人のみと付き合っていれば済む環境にいる者か、差別に気づかない鈍感且つ無知な人間か、もしくはバナナである。

バナナとは既述のように表が黄色く中身が白い日本人のこと。自らがアジア人であることを忘れてすっかり白人化してしまい、白人至上主義者とさえ手を結ぶ輩のことだ。

差別発言で更迭された荒井勝喜・前首相秘書官は十中八九そうした類の男だろう。そして僕は岸田首相も彼の秘書官に近い思想信条を持つ政治家ではないか、と強く疑っている。

日本国内における同性愛者への差別とは、日本人が同じ日本人に向けて投げつける憎しみのことだ。岸田首相はそれを是正するために動かなければならない。

ところが首相は自らの外国での体験を、気恥ずかしい誤解に基づいて引き合いに出しながら、あたかも問題の解決に腐心している風を装っている。

一国の宰相のそんな動きは、恥の上に恥の上塗りを重ねる浅はかな言動、と言っても過言ではないように思う





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同性愛は異性愛と同じ愛情表現である



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同性婚は「見るのも嫌だ」という荒井勝喜総理大臣秘書官の発言が、世界を震撼させている。

政権中枢にいる人間が、これだけあからさまな差別発言ができる日本は、本当に先進国なのだろうか?

ネトウヨヘイト系差別主義者らが主導するようにさえ見える、度し難い日本の未開性はひたすら悲しい。

赤裸々な差別感情を開示した秘書官は同姓婚が嫌いと言ったが、それはつまり同性愛また同性愛者を憎むということである。

同性愛者が差別されるのは、さまざまな理由によるように見えるが、実はその根は一つだ。

つまり、同性愛者のカップルには子供が生まれない。だから彼らは特にキリスト教社会で糾弾され、その影響も加わって世界中で差別されるようになった。

それはある意味理解できる思考回路である。

子孫を残さなければあらゆる種が絶滅する。自然は、あるいは神を信じる者にとっての神は、何よりも子孫を残すことを優先して全ての生物を造形した。

もちろんヒトも例外ではない。それは宗教上も理のあることとされ、人間の結婚は子孫を残すためのヒトの道として奨励され保護された。

だから子を成すことがない同性愛などもってのほか、ということになった。

しかし時は流れ、差別正当化の拠り所であった「同性愛者は子を成さない」という命題は、今や意味を持たずその正当性は崩れ去ってしまった。

なぜなら同性愛者の結婚が認められた段階で、ゲイの夫婦は子供を養子として迎えることができる。生物学的には子供を成さないかもしれないが、子供を持つことができるのだ。

同性愛者の結婚が認められる社会では、彼らは何も恐れるべきものはなく、宗教も彼らを差別するための都合の良いレッテルを貼る意味がなくなる。

同性愛者の皆さんは 大手を振り大威張りで前進すればいい。事実欧米諸国などでは同性愛者のそういう生き方は珍しくなくなった。

同性愛者を差別するのは理不尽なことであり100%間違っている、というのが僕の人間としてのまた政治的な主張である。

それでいながら僕は、ゲイの人たちが子供を成すこと、あるいは子供を持つことに少しの疑念を抱いていた時期もあった、と告白しなければならない。

彼らが子供を持つ場合には、親となるカップルの権利ばかりが重視されて、子供の権利が忘れ去られ ているようにも見える。僕はその点にかすかな不安を覚えた時期があった。

だが考えを進めるうちにその不安には根拠がないと悟った。

1人ひとりは弱い存在である人間は、集団として社会を作りそこで多様性を確保すればするほど環境の変化に対応できる。つまり生存の可能性が高まる。

同性愛者が子供を持つということは、人工的な手法で子を成すにしろ養子を取るにしろ、種の保存の仕方にもう一つ の形が加わる、つまり種の保存法の広がり、あるいは多様化に他ならない。

従って同性愛者の結婚は、ある意味で 自然の法則にも合致すると捉えることさえできる。否定する根拠も合理性もないのである。

それだけでは終わらない。

自然のままでは子を成さないカップルが、それでも子供が欲しいと願って実現する場合、彼らの子供に対する愛情は普通の夫婦のそれよりもはるかに強く 深いものになる可能性が高い。

またその大きな愛に包まれて育つ子供もその意味では幸せである。

しかし、同性愛者を否定し差別する者も少なくない社会の現状では、子供が心理的に大きく傷つき追い詰められて苦しむ懸念もまた強い。

ところがまさのそのネガティブな体験のおかげで、その同じ子供が他人の痛みに敏感な心優しい人間に成長する公算もまた非常に高い、とも考えられる。

要するに同姓愛者の結婚は、世の中が差別によって作り上げる同姓婚の負の側面を補って余りある、大きなポジティブな要素に満ちている。

さらに言いたい。

子供の有無には関わりなく、同性愛者同士の結婚は愛し合う男女の結婚と何も変わらない。

好きな相手と共に生きたいという当たり前の思いに始まって、究極には例えばパートナーが病気になったときには付き添いたい、片方が亡くなった場合は遺産を残したい等々の切実且つ普通の願望も背後にある。

つまり家族愛である。

同性愛者は差別によって彼らの恋愛を嘲笑されたり否定されたりするばかりではなく、そんな普通の家族愛までも無視される。

文明社会ではもはやそうした未開性は許されない。同性結婚は日本でもただちに全面的に認められるべきである。

荒井勝喜総理大臣秘書官の差別発言は、人類が長い時間をかけて理解し育んできた多様性という宝物に唾吐くものだ。彼が職を解かれたくらいで済まされるほど軽い事案ではないと考える。



拳銃を支配する

女にこやかピストル650

コロナ禍で中断していた射撃訓練を再開した。

再開した当日、自分の中の拳銃への恐怖心がほぼなくなっていることに気づいた。

うれしい誤算。

撃ち方を習うのは、身内に巣食っている銃への恐怖心を克服するのが目的である。

僕はその恐怖心を偶然に発見した。発見から20年ほど後に猟銃の扱い方を習得した。

次に拳銃の操作を習い始めた。

稽古を始めたのは2019年の9月。射撃場に10回前後通ったところでコロナパンデミックがやってきた。

ほとんどの公共施設と同様に射撃場も閉鎖された。2021年には条件付きで再開されたが、全く訪ねる気にならなかった。

2022年も同じ状況で過ごした。

銃を殺傷目的の武器として扱うのではなく、自分の中の嫌な恐怖心をなくすための実習であり訓練である。それでも銃撃方を習うのは心おどる作業ではない。

コロナ疲れもあったが、稽古を再開するのは気が重かった。

先日、ようやく踏ん切りがついてほぼ3年ぶりに射撃場に行った。

そこは世界的に有名なイタリアの銃器製造メーカー 「ベレッタ」の近くにある。わが家からは車で30分足らずの距離である。

前述の如く、練習を再開してすぐにうれしい発見をした。

てきぱきと銃を扱うところまでは行かないが、それを手にすることを恐れない自分がいた。

予想外の成り行きだった。

安全のための細心の注意をはらいながら、弾を込め、安全装置を解除して的に向けて射撃する。

終わると銃口をしっかりと前方に固定したまま弾倉をはずし、再び弾を装てんし、両手と指を決まったやり方で慎重に組み合わせ、制動しつつ撃つ。

その繰り返しが心穏やかにできるようになっていた。

それは楽しいとさえ感じられた。

射撃がスポーツと捉えられる意味も初めて腑に落ちた。

恐怖心の克服が成ったいま、射撃練習を続ける意味はない。が、せっかくなので的に撃ちこめるようになるまで続けようかとも考えている。

とはいうものの、習熟して射撃大会に参加するなどの気持ちにはなれない。

的確な銃撃のテクニックが役に立つことがあるとすれば、おそらくそれは家族と自分を守るために行動するときだろう。

そんな日は永遠に来ないことを願いつつ、醜いが目覚ましいほど機能的な奇妙な道具を、とことんまで制圧してやろうと思う。




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