【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

パスクア2013。また新ローマ教皇。と・・



明日は復活祭。英語のイースター。イタリア語ではパスクア。

いわずと知れたイエス・キリストの復活を祝うキリスト教最大の祭。


キリスト教の祭典としては、世界的にはクリスマスが最大のものだろうが、宗教的には復活祭が最も重要な行事である。


クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日。


復活祭は磔(はりつけ)にされたキリストが死から甦る奇跡を讃える日。


誕生は誰にでも訪れる奇跡だが、死からの再生という大奇跡は神の子であるキリストにしか起こり得ない。

それを信じるか否かはさておいて、宗教的にどちらが重要な出来事であるかは明白であろう。


イタリアの復活祭は、教会でも家庭でも例年にぎやかである。


教会は、キリストが磔になった聖金曜日(venerdisanto)から、復活する三日後の日曜日、そして小パスクアあるいは天使の月曜日と呼ばれる翌日まで、さまざまな催し物を繰り出して祝う。


聖金曜日は教会がミサを執り行わない日だが、その代わりに各地の教会が趣向を凝らして信者とともに祭を寿ぐのである。


例えば僕の住む村では、イエス・キリストが十字架を背負って刑場のゴルゴタの丘まで歩いた「viacrucis(悲痛の道)」をなぞって、当時の服装を身にまとった信者が村の道を練り歩く。


教会が主催するその行列は、例年夕方に始まって夜更けまで続く。けっこう大きなイベントである。

復活祭の期間中は、イタリア全国で似たような祭事が展開される。


一方、家庭では復活祭特有のご馳走の嵐


僕は今年も招かれて行く親戚の家で、思い切り
capretto(カプレット⇒子やぎの肉)料理を楽しむつもり。

ツーか、不信心者の僕にとっては、これだけが復活祭の楽しみ、と言っても良いような・・


そんな僕の個人的な都合はさておき


国民の九割以上がカトリック教徒とされるこの国の、重大祭礼である復活祭は、人々の大きな喜びであるわけだが、今年のそれはさらにひとしおである。


なぜなら、ほぼ半月前に新ローマ教皇が誕生、就任して、以来国中が祝賀ムードに包まれている。

そこにうれしいパスクア・復活祭が重なったのだから、歓喜の極みである。

新ローマ教皇は、貧者に寄り添う姿勢が鮮明な、誠実純朴な人柄が歓迎されて、イタリアといわず全てのカトリック教世界にほんのりと温かい空気が充満している。


それは素晴らしいことである。


宗教的存在、あるいはカトリック教徒の精神的支柱としてのローマ教皇は、聖人ペテロに始まり第266代現教皇のフランシスコまで、多かれ少なかれ常に人々の味方であり、救いであり、希望だった。


それは将来も、永遠に同じである。


僕はこの前の記事で「政治的存在」としてのローマ教皇にまつわる事柄に言及した。


次は「宗教的存在」としてのローマ教皇にまつわる事案についても書こうと思う。


宗教的存在としてのローマ教皇と政治的存在としてのローマ教皇は、まったく別の概念であり現実であり装置であり制度である。

新ローマ教皇が誕生した今、僕はそうしたことについて少しこだわってみようと心に決めている。


が、


今日はとりあえず、明日の子やぎ料理を楽しみに待ちながら、全員がカトリック教徒である家族と共に、復活祭を祝うことにした。


 

 

 

政治的存在としてのローマ教皇にまつわる話



ローマ教皇ってなに?

2013年3月13日、第266代ローマ教皇として、アルゼンチン・ブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が選出された。およそ2000年の由来があるローマ教皇史上、初の「非ヨーロッパ人」教皇誕生の瞬間だった。

ローマ教皇は、全世界のカトリック教徒12億人の精神的支柱である。それは他のあらゆる宗教・宗派の最高位の司祭と同様に崇高な存在であり、カトリック教徒以外の人間にとっても、再びあらゆる宗教の指導者と同じく、深い敬畏の対象であることは論を待たない。


同時にローマ教皇は、これまた他のあらゆる宗教の司祭長と同様に、政治的存在でもある。信者ではない者から見れば、普段でもそれは同じだが、先日行なわれた教皇選出会議、いわゆるコンクラーヴェのようなイベントに即して見れば、ローマ教皇という存在の政治色はますます濃厚になる。


宗教的存在としてのローマ教皇は、あえて分りやすく言えば、日本における天皇と同じである。多くの日本人にとって天皇が常に崇高な存在であるように、多くのカトリック信者にとっては教皇は、モラル上のほぼ絶対的な存在である。

コンクラーヴェ:教皇選出秘密会議

そうした信者にとっては、カトリックの司祭である枢機卿がバチカンに集合して、教皇選出の秘密選挙を行なうコンクラーヴェでさえ、神聖崇高な宗教儀式として捉えられる。選挙が外部との接触を完全に絶った密室で行なわれ、いきさつも駆け引きも正式には知りえない、ミステリアスな設定の中で決行されることが、無邪気な信者の目を曇らせるのである。だがコンクラーヴェは、清濁の思惑、特に濁の魂胆が激しく錯綜する、極めて世俗的な政治ショーの側面も持つ。

2013年3月12日に始まったコンクラーヴェは、三つの観点からバチカンの長い歴史の中でも特筆に価するものだった。一つは非世襲の終身職と考えられていた教皇職を、第265代教皇のベネディクト16世が突然辞任する、という異様な事態を受けて召集された点。二つ目はローマ教会が聖職者による幼児への性行為、差別問題、バチカン銀行の金融不正事件など、多くの難問を抱えている渦中であること。三つ目は、バチカンが改革を迫られた結果、史上初の非ヨーロッパ人の教皇が誕生する気運が高まっていた点である。非ヨーロッパ人の教皇は、それがもしも黒人やアジア人である場合は特に、革命と呼んでも構わないバチカンの大きな変革の証になる筈だった。

今回のコンクラーヴェでは、黒人とアジア人を含む10人前後の枢機卿が教皇候補として下馬評に上っていた。が、本命と見られる候補者は存在せず、かつ非ヨーロッパ系の候補者が多くいるという特徴があった。またそこには、最終的にローマ教皇に選出されるアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿の名前はなかった。僕が知る限り、イタリアの多くのバチカンウオッチャーの記者やジャーナリストも、誰一人として彼の名を挙げる者はなかった。完全なダークホースだったのである。

ベルゴリオ枢機卿は、退位したベネディクト16世が教皇に選出された2005年のコンクラーヴェで次点に入り、そこで教皇候補としての使命を終えた、と見なされていた。ところが彼は今回の秘密選挙で第266代教皇に選ばれた。それ自体が驚きの結果だったが、コンクラーヴェの期間が予想に反して短かったことも人々を瞠目させた。というのも、黒人とアジア人を含む多くの非ヨ-ロッパ人候補が乱立する秘密選挙は、恐らく紛糾して教皇選出までに長い時間がかかる、と見られていたからである。

クーリアの暗躍?

予想外のベルゴリオ枢機卿が、これまた予想外の短時間で選出された裏には、CURIA(クーリア)の暗躍があったに違いない、と多くのバチカンウオッチャーが考えた。クーリアとはバチカン内で教皇を補佐して、カトリック教会のあらゆる管理行政を行なう強大な政治機構である。政教ががんじがらめに絡み合うバチカン市国の、いわば内閣とも形容できる中心組織。世界各国から集まった聖職者がそのメンバーだが、当然バチカンを抱くイタリアの聖職者が大勢を占める。イタリア人を中心とするクーリアのメンバーは、教皇選出に際しても強い影響力を持っていて、コンクラーヴェの度にその動静が注目を集める。

クーリアはバチカンのいわば保守本流であり、その基本姿勢は極めて明確なものである。組織は教会の改革に立ちはだかり、伝統を守ろうとする。それは、教会の既得権益を死守しようとする行動であり、世界中のあらゆる組織や機構や政治団体が指向するものと微塵も違わない。今回のコンクラーヴェにおけるクーリアのスタンスは、おおよそ次のようなものだったと考えられている。

彼らが支援する候補者は:
一つ、退位したベネディクト16世の基本政策を継承する保守志向の者。一つ、ヨーロッパ系の白人で、できればイタリア人。なぜならば近年、教皇にはポーランド人のヨハネ・パウロ2世、ドイツ人のベネディクト16世、と続けて外国人が選出されていて、その期間は35年の長きに渡る。彼らにはイタリア人教皇が懐かしいのである。一つ、イタリア人が無理ならば、せめてヨーロッパ系の白人に固執する。一つ、もしもそれ(ヨーロッパ人)も無理ならば、南北アメリカ出身の白人候補。それもできれば反骨心の強い北米人ではなく、南アメリカ人が好ましい・・など、である。

彼らはもちろん口が裂けてもアジア人やアフリカ人の教皇の誕生を阻止するとは言わない。が、もちろんそれが望みである。ローマ教会の徹底した変革を待ち望む、バチカン外部の世界の多くの人々とは真逆のスタンスを取っていると見られている。またクーリアは、腹の底では候補に上っていた2人の非白人(フィリピンのルイス・アントニオ・タグレ大司教とガーナのピーター・タークソン枢機卿)はもとより、南北アメリカ出身の教皇の誕生にも否定的だった。飽くまでも伝統に寄り添ったヨーロッパ人教皇の出現を望んだのである。

バチカンの真の主はクーリア、という説も

クーリアの基本的なスタンスにもっとも合致するのは、イタリア人のアンジェロ・スコラ大司教だと考えられた。事実コンクラーヴェの開催が決まった当初は、スコラ大司教が本命という噂がかなり強かった。その後状況は刻々と変化して、米国と南米の候補者が交互にリードしているという情報が漏れ聞こえてきた。同じ頃、前述の2人の非白人候補者の芽が消えたらしい、という情報も密かに流れていた。

有力と見られる候補が入れ代わり立ち代り変化する状況から、今年のコンクラーヴェは長引くと誰もが推測した。周知のようにコンクラーヴェは枢機卿の互選による投票で争われ、全体の2/3の賛成票を得る者が出るまで繰り返し行なわれる。有力な候補者不在の今回のコンクラーヴェでは、誰かが短い時間で当選に必要な票数を獲得するのは困難だと見られた。過去のコンクラーヴェでも紛糾する場合は選挙期間が長引くことが多い。同時にそうした場合には、大きな変革が成就される可能性も高くなる。例えばアジア人や黒人の教皇が誕生する、というような・・

だが結果は前述したように、誰も予想しなかったアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿が教皇職に上り詰める、というドラマを生んで終結した。

クーリアは改革推進勢力と直接間接に次のように妥協をして選挙を牛耳ったと考えられる:
先ず選ばれるべき新教皇は政治的スタンスが退位したベネディクト16世に近く、伝統的保守派であること。事実、そのことを裏付けるように、新教皇は選挙終了直後から、ベネディクト16世路線の継承を示唆する言動をしている。一方でクーリアは改革派の顔も立てた。史上初の南米出身の教皇を選出することで、バチカンの小さくはない歴史的変革の第一歩を印象付けたのである。

また一連の画策によってクーリアは、世界政治のスーパーパワーである米国の出身者をしりぞけ、アジア・アフリカ出自の教皇の誕生にも待ったをかけた。それでいながらクーリアは、そこの部分でも又したたかに益を取ることを忘れなかった。つまり、新教皇は確かに史上初の非ヨーロッパ人だが、彼はヨーロッパ移民の、しかも「イタリア人」移民の子孫なのである。クーリアの中核を成すイタリア人聖職者たちが、ほっと胸を撫で下ろす様子が見えるようである。

新教皇は改革の星?それとも・・・

新教皇は、初めての南米出身者であるばかりではなく、初めてのイエズス会出身者でもあり、しかも清貧の象徴であるアッシジの聖フランチェスコの名を史上初めて教皇名に採用する、など、初物ずくしである。それはあるいは、バチカンの本当の、大きな変革の始まりを示唆する出来事なのかもしれない。また彼は謙遜な人柄と質素な暮らしぶりで広く知られていて、そのことが早くも信者に愛され大きな人気を集めている。

しかし、新教皇フランシスコ1世の政治手腕は全く未知数である。バチカンの抱える多くの重大問題や、内外から高まっている改革推進圧力への対応、また史上初めてとなる、前教皇との共存、という課題もある。引退したベネディクト16世は、日本史に於ける上皇のように院政を敷く可能性が取り沙汰されていて、現教皇が果たして前任者の意向を無視して、自らの意志で自らが望む改革を進められるのかどうか、懸念されているのである。

そうした不安に加えて新教皇には、母国のアルゼンチンに於いて、汚い戦争と呼ばれた1970~80年代の軍事政権下で、独裁者に味方をしたのではないか、という極めて重い批判も向けられている。それは一歩間違えば、噂の虚実や真贋に関わらず、致命的なスキャンダルとして肥大強調されて彼の足元をすくう危険がある。

不透明な部分も多い新教皇の船出だが、これまでのところイタリアのメディアは、まだまだ祝儀コメントや分析や主張に終始していて、フランシスコ1世への批判や非難めいた報道はほとんどない。世界最大の宗教組織のトップとなったローマ新教皇の正念場はこれからなのである。

 

 

第266代新ローマ教皇って誰?



イタリアは、新ローマ教皇が誕生した今月13日以来、祝賀ムード一色に染まって、まだ止む気配がない。

 

カトリックの総本山バチカンを懐に抱くこの国は、財政危機に端を発した政治の混乱が続いていて、2月の総選挙以来誰も組閣できない状態に陥っている。

 

そんな折に、第265代ローマ教皇のベネディクト16世が突然辞任して、新教皇を選出する秘密会議「コンクラーヴェ」が開かれた。

 

バチカン最大のお祭り騒ぎとあって、国民の9割以上がカトリック教徒ともいわれるイタリアは大いに沸き、政治の混乱も空白もすっかり忘れ去られ、人々は宗教上の一大ショーに酔いしれた。

 

長引くと見られたコンクラーヴェは意外と短く、世界中から集まった枢機卿による秘密選挙で、ブエノスアイレス大司教のベルゴリオ枢機卿が第266代ローマ教皇に選出された。

 

今回のコンクラーヴェでは、教皇候補者としてアジアやアフリカ出身の枢機卿の名前も挙がっていて、史上初の有色人種の教皇が誕生するかどうか注目された。

 

結局、退位したベネディクト16世と2005年のコンクラーヴェで争い、次点に終わったグレゴリオ枢機卿が、いわば復活当選した。

 

そこにはコンクラーヴェで大きな力を持つ、バチカンのイタリア人聖職者らの暗躍があったと見られている。

 

バチカンは変革を求められていて、少しづつではあるがその方向に向かっている。しかし、非白人の教皇を受け入れるほどの度量はまだ備えていない。そこが黒人の大統領を生んだアメリカの進展とは異なる。

 

ローマ教皇とは言うまでもなく、カトリック教最高位の聖職者のことであり、世界中に12億人前後いるとみられるカトリック教徒の精神的支柱となる存在である。

 

非世襲のほぼ終身職で、過去およそ2000年、265人の教皇は全てヨーロッパ人が占めてきた。

 

今回初めて南米出身の教皇が誕生して、バチカンのヨーロッパ偏重主義に風穴を開けた。

 

そればかりではない。新教皇は、清貧の象徴であるイタリア・アッシジの聖人フランチェスコの名を、史上初めて自らの教皇名とした。

 

また彼は強力な宣教活動で知られるイエズス会出身の初めての教皇でもある。

 

初ものづくしの新教皇は質素な生活ぶりとつつましい性格が早くも人々の人気を集めている。

 

しかし彼が率いるローマ教会は、聖職者の幼児への性的虐待とそれを隠蔽する旧態依然とした体質、女性や同性愛者への差別問題、さらにバチカン銀行による金融不正事件など、取り組むべき難問が山積していて前途は決して平たんではない。

ああ。ハルマフジよ。



日馬富士よ、引退しないのなら勝て。勝てないなら引退せよ。

 

僕は思わずテレビの前でつぶやいてしまった。

 

9勝6敗・・く・ん・ろ・く・・

 

大相撲春場所で横綱日馬富士がまたまたやってくれました。

 

昨年の九州場所に続くクンロク横綱の誕生です。

 

相撲好きの間には「クンロクオーゼキ」という面白くも厳しい角界監視の言葉があります。

 

要するに9勝6敗の成績しか挙げられないダメ大関を嘲笑う言葉。

 

弱い大関への怒り、悲しみ、苛立ち・・

 

でも、アザケリをばねにして上を、つまり横綱を目指してほしい、という願望もこもった相撲ファンの複雑な思い。

 

ただ、それは大関へのエール。横綱じゃないんですね。あくまでもクンロク「オーゼキ」。横綱は関係ない。

 

なぜなら、横綱ともあろう者が、1場所15戦のうち半分近い6敗もする訳がない。

 

してはならない。

 

横綱はそれほど強い存在である。

 

大関とはまったく立場が違うのだ。

 

クンロク横綱はこれまでにも存在した。

 

でも、横綱在位3場所中2場所がクンロクの横綱なんてありえない。

 

それだけを見る限り、日馬富士は横綱の器じゃない。

 

僕は以前の記事

 

日馬富士は「場所ごとに15戦全勝と9勝6敗の間を行き来する、強いのか弱いのか分らない、強くないときは弱いのだからきっと弱いに違いない、トンデモ横綱になる・・」

 

とふざけて書いた。

 

ふざけて書いたので、内心は違っていて、実は彼は大横綱になる、という思いの方が強かった。

 

なのに、まるでその予言が当たったみたい・・

 

それでも、実は僕は希望を捨てていない。まだ彼を心の奥で応援している。

 

冒頭に書いた「日馬富士よ、引退しないのなら勝て。勝てないなら引退せよ」という僕のつぶやきは、ホントの話。

 

僕はそんな気分にもなった。

 

でもそれは14日目のこと。

 

千秋楽の白鵬戦を見て、日馬富士はやっぱり強い。いや、強いのか弱いのかよく分からないが、面白い、とつくづく思った。

 

横綱決戦に負けはしたが日馬富士は善戦した。見せ場を作った。ブザマなクンロク横綱の動きではなかった。

 

彼はハゲシク闘った。

 

日馬富士はつくづく面白い。

 

まだまだ目が離せない・・



ピーター・タークソン枢機卿のこと



教皇ベネディクト16世の退位を受けて、ローマ教皇選出会議、いわゆるコンクラーヴェ3月12日から開かれることになった。

 

受け取る人によっては、自慢話と決めつけられそうな点が気になるが、ま、自慢話の類いと考えられないこともないので、割り切ってそれに関連した私ごとを書いておくことにした。

 

コンクラーヴェで推挙されると見られている次期ローマ教皇候補の一人、ガーナのピーター・タークソン枢機卿は僕と妻の友人である。もっと控えめに言えば、僕ら夫婦の親しい知人、というのが正しいかも知れない。

 

こうやって奥歯に物が挟まったような言い方をしてしまうのは、もちろんタークソン卿がローマ教皇候補に目された、というちょっと恐れ多い事態が明るみになったからである。

 

キリスト教どころか、どんな宗教にも完全には帰依しない自分だが、親しくしている人物が世界最大の宗派の頂点に立つかも知れない、という現実に直面して、僕はやはり深甚な感慨に襲われている、と告白しておこうと思う。

枢機卿はガーナ出身の64歳。大工の父と路上マーケットの野菜売りだった母親の間に生まれた。貧しい中で努力を重ねてニューヨークの大学に学び、その間の学資はビルの清掃の仕事をして稼いだ。2003年、教皇ヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命され、2009年以来、ベネディクト16世の命によって、バチカンの「正義と平和評議会」議長を務めている。
 

タークソン卿は僕ら夫婦が関わっているアフリカ支援ボランティア団体「エフレム(EFREM:Enargy&Freedamからの造語)」の創設メンバーの一人でもある。

イタリアを拠点にするエフレムは、アフリカでの太陽光エネルギー普及活動を行なう傍ら、数ヶ月に一度ほどの割合でわが家で決算報告会を開く。僕らはその集会でタークソン卿としばしば顔を合わせるのである


ローマ教皇候補と目されるほどの人だけあって、タークソン卿は思慮深い人格者である。それでいて気さくで飾らない人柄でもある。

僕は枢機卿とはイタリア語ではなく英語で意志の疎通をする。2人とも英語の方が気楽で話し易いと感じるのだ。もっとも枢機卿は母国語の南部ガーナ語の他に、英語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、ヘブライ語を流暢に話す。従って英語が話し易いと感じるのは、実は僕だけなのかもしれない。

最初に会ったとき、聖職者である彼を英語で何と呼べばいいのか分らず、僕は率直に聞いた。

「イタリア語では枢機卿に対して一定の呼び方がありますが、英語では何とお呼びすればいいのでしょうか?」


それに対してタークソン卿は笑って答えた。

「ピーターと呼んで下さい。私たちはエフレムの共同参加者であり、友達です」

以来われわれはお互いに名前で呼び合う仲である。

もしも枢機卿が教皇に選出されたなら、以後は中々名前では呼べない状況になるだろう。それは少し残念な気がする。が、もちろんそんなことはどうでもいいことだ。

タークソン卿が、カトリック教会の最高位聖職者であるローマ教皇に選出されるなら、それはほとんど「革命」と形容しても過言ではない歴史的な大きな出来事となる。

長い歴史を持つキリスト教カトリックの頂点のローマ教皇には、黒人はおろかアジア人も南北アメリカ人もまだ上り詰めたことがない。

聖ペテロ(英語:ピーター)に始まって265代およそ2000年、教皇の地位は常にヨーロッパの白人が占めてきたのだ。

黒人のタークソン卿がカトリック教会の最高位聖職者に就くことは、アメリカ合衆国に史上初めて黒人の大統領が誕生したことよりももっと大きな意味を持つ、歴史の輝かしいターニングポイントである。

その当事者が僕らの親しい人であることは大きな誇りである。と同時に、少しの落胆でもある。なぜなら彼は教皇に選出された瞬間に、きっと僕らからはぐんと遠い存在になってしまい、気軽に会ったり、共にアフリカ旅行の計画を練ったりするような間柄ではなくなってしまうだろうから。

しかし、繰り返しになるが、そんなことはもちろんどうでも良いことだ。

黒人のローマ教皇の誕生、という考えただけで身震いするような歴史の節目に立ち合うことができるのなら、僕は卿との友情は胸の内に封印して、彼を陰ながら支え、応援していく大衆のひとりとして、事態を大いに寿(ことほ)ごう思う。

 

 

コンクラーヴェ(ローマ教皇選出会議)の行方



ローマ教皇を選出する秘密会議、いわゆるコンクラーヴェが
2013年3月12日から開かれることになった。

 

会議はサンピエトロ大聖堂に隣接するバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂で行なわれ、世界各地から集まったカトリック教会の枢機卿115人の互選によって新教皇が決定される。

 

今回のコンクラーヴェは、終身制だと考えられていた教皇職を、ベネディクト16世が生前辞任する、という驚きの行為を受けて召集された。教皇の生前辞任、しかも自らの自発的意志による引退は、1294年のケレスティヌス5世の辞任以来、719年振りの出来事である。

その椿事を踏まえて召集される極めて珍しい選挙集会、という事実もさることながら、多くの難問を抱えているバチカンにとっては今年のコンクラーヴェは、長い歴史を持つ教皇選出儀式の中でも極めて重要なものになると見られている。

世界中に12億人前後の信者がいるとされるカトリック教会は現在、存続の危機と形容しても過言ではない深刻な状況に陥っている。その最たるものが、聖職者による幼児への性的虐待とそれを隠蔽しようとする旧態依然とした体質であり、女性や同性愛者への偏見差別問題であり、さらにバチカン銀行による金融不正事件、マネーロンダリング疑惑など、など、である。

中世がそのまま生きているような、バチカン及びローマ・カトリック教会のそうした現状は、抜き差しならない泥沼に嵌まった重大な問題になっている。コンクラーヴェで新しく選出される教皇は、それらの難問を解決するべく厳しい責務を負うことになる。バチカンには大きな変革が求められているのである。

バチカンの病的な保守性は、極端なヨーロッパ偏重主義に原因の一つがある。世界中に12億人前後いると見られるカトリック教徒のうち、約76%が南米を筆頭に北米やアフリカやオセアニアなど、ヨーロッパ以外の地域に住んでいる。

ところが聖ペドロ以来265人いるローマ教皇の中で、ヨーロッパ人以外の人間がその地位に就いたことはない。内訳は254人がヨーロッパ人、残る11人が古代ローマ帝国の版図内にいた地中海域人だが、彼らも白人なのであり、現在の感覚で言えば全てヨーロッパ人と見なして構わないだろう。ローマ・カトリック教会においては、世界で最も信者数の多い南米出身者はもちろん、北米出身の教皇さえ歴史上存在しないのである。

12日から始まるコンクラーヴェの選挙では、本命候補はいないというのが世界のメディアの論調である。しかし、本命はいなくても有力と考えられている候補者はいる。しかも下馬評では、ヨーロッパ人以外の候補者が多く名を連ねているのが特徴である。

主な候補者は、メキシコのフランシスコ・ロブレスオルテガ大司教(63)、教皇庁文化評議会のジャンフランコ・ラヴァージ議長(70)、米国ボストンのショーン・オマリー枢機卿(68)、ハンガリー・ブダペストのペーター・エルド大司教(60)、ブラジル・サンパオロのペドロ・シェレル大司教(63)、カナダのマルク・ウエレット枢機卿(68)、ガーナのピーター・タークソン枢機卿(64)、フィリピン・マニラのルイス・アントニオ・タグレ大司教(55)、イタリア・ミラノのアンジェロ・スコラ大司教(71)、また大穴として米国ニューヨークのティモシー・ドラン大司教(63)らの名が挙がっている。

ここで注目されるのは、有力候補と見られるそれらの人々の多くが非ヨーロッパ人である点である。北米や中南米の候補者は、全員がヨーロッパからの移民の流れを汲んではいるが、フィリピンのルイス・アントニオ・タグレ大司教とガーナのピーター・タークソン枢機卿は、100パーセント「非白人」の候補者である。

南北及び中米出身の教皇が誕生すれば、それはそれで既に「歴史的な事件」だが、フィリピンとガーナ、特にガーナのピーター・タークソン枢機卿が選出された場合は、ほぼ「革命」と形容しても過言ではない歴史の巨大な転換点になるだろう。

人種差別主義の巣窟と見なされ続けてきた米国には、初の黒人大統領バラック・オバマが誕生して、負の歴史の厚い壁に風穴を開けた。もしも黒人のローマ教皇が生まれるならば、それはオバマ大統領の出現よりも遥かに大きなインパクトを持つ歴史的な事件になるだろう。

なぜならバラック・オバマはアメリカ一国の大統領に過ぎないが、ローマ教皇は、ほぼ2000年の長きに渡って存在の優越を謳歌してきた欧米の白人を含む、世界12億人のカトリック教徒の精神的支柱となる存在だから。

僕は非白人の教皇、できれば黒人教皇の誕生を熱く願っている。もしも実現するなら、彼は世界中の抑圧された民の救世主とも目される存在になり、同時に進歩発展から取り残されたローマ教会の改革も目指すだろう。

そうなれば理想的ではある。が、実は彼は何もしなくても良い。と言うのも、黒人の教皇の存在自体が既に、歴史上例のない宗教的かつ社会的な大改革になるからである。それはわれわれの住むこの世界が、差別や偏見の克服へ向けてまた一歩前進したことを意味する。

そこに至る道は平坦ではない。むしろ厳しいと見るべきである。コンクラーヴェが近づくにつれて、イタリア人を中心とするローマ在の枢機卿や聖職者のグループが暗躍して、ヨーロッパ系の特定の候補者への票の収斂を画策しているという情報もある。

またそれが叶わないなら、せめて、真摯な改革推進派であるボストンのショーン・オマリー枢機卿を排除して、保守穏健派の白人系候補者を推す動きがあるとも見られている。

ローマ・カトリック教会の地元であるイタリアの、同国人が率いるグループは、最も数が多くコンクラーヴェでは常に強い影響力を持つと言われる。彼らの中にはもちろん改革推進派も数多くいる。が、長い歴史に寄り掛かった守旧派もまた少なくない。

12日に開始されるコンクラーヴェでは、ここに紹介した候補者以外の人間が教皇に選出される可能性も高く、まったく予断を許さない。

ただ一つ確かなことは、もしも守旧派が主導権を握った場合、ローマ教会が改革路線を取ることは困難になり、特に2005年に亡くなった第264代教皇
・ヨハネ・パウロ2世が目指した、世界宗教の融和への道も閉ざされて、バチカンは再び停滞するだろう。

それはカトリック教徒はもちろん、世界中のあらゆる宗派の人々にとっても、極めて遺憾な事態だと言わなければならない。

 

 

カオス風がイタリア的秩序である



数字上の明確な勝者がいなかった2月の総選挙の後、イタリアはカオスのただ中にあるように見える。

 

政府もなく、例えて言えば国王たる教皇ベネディクト16世が退位して、国家元首もいない。大統領は健在だが、イタリア国民の精神的支柱という意味では、やはりローマ教皇が最大最強の存在である。

 

そのことを踏まえて、敢えて再び例えて言えば、今のイタリアの状況は、政府が無く、天皇もいない日本国のようなものである。

 

日本がもし本当にそんな状況に陥ったら、どうなるだろうか。

 

恐慌が社会を支配して惨憺たる有り様になるのではないか。

 

指針がなければ自らを律せない、無節操な大勢順応主義社会の限界である。

 

その点イタリアは実は、カオスなどに嵌(は)まりこんではいない。

 

カオスに絡め取られるかもしれないと誰もが警戒していて、その警戒心が崩壊しようとする社会をしっかりと支えている、という局面である。

 

ということは、イタリアは大丈夫、ということである。

 

国のガイドラインがなくてもイタリアの各地方は困らない。都市国家や自由共同体として独立し、決然として生きてきた歴史がものを言って、地方は泰然としている

 

イタリア国家が消滅するなら自らが国家になればいい、とかつての自由都市国家群、つまり旧公国や旧共和国や旧王国や旧海洋国などの自治体は、それぞれが腹の底で思っているふしがある。

 

思ってはいなくても、彼らの文化であり強いアイデンティティーである独立自尊の気風にでっぷりとひたっていて、タイヘンだタイヘンだと口先だけで危機感を煽りつつ、腹の中ではでペろりと舌を出している。

 

「イタリア国家は常に危急存亡の渦中にある(L`Italia vive sempre in crisi)」

と、イタリア人は事あるごとに呪文のように口にする。

 

それは処世術に関するイタリア人の、自虐を装った、でも実は自信たっぷりの宣言である。

 

誕生から150年しか経たないイタリア国家は、いつも危機的状況の中にある。

イタリア国家は多様な地域の集合体なのであり、国家の中に多様な地域が存在するのではない。

 

つまり地域の多様性がまず尊重されて国家は存在する。というのが、イタリア国民の国民的コンセンサスである。

 

だから彼らは国家の危機に対して少しも慌てない。慣れている。アドリブで何とか危機を脱することができると考えているし、また実際に切り抜ける。歴史的にそうやって生きてきたのだ。

 

イタリア人ではない僕でさえ、彼らがなんとか危機を克服するだろう、と楽観的に見ている。

その認識は、言うまでもないことだが、イタリアでの日々の暮らしの中で僕が実際に見聞きしてきた、多くの事象に基づいて形成されたものである。

その顕著な事例の一つが、僕がこれまで何度も行なってきた、イタリアと日本を結ぶ衛星生中継の現場。

 

衛星回線を利用してのテレビの生中継の現場は、失敗の許されない極度に緊張した空気の中で進行する。

 

ディレクターの僕は言うまでもなく、スタッフの作業を見守るプロデュサーもカメラマンも中継車スタッフも誰もかもが、それぞれの持ち場で一回限りの本番に備えて完璧を期して仕事をする。

 

そうした中で必ず起こるのがイタリア側の仕事の遅れ。あるいはミス。あるいは不正確。あるいは緊張感の無さetc・・

 

極端なケースでは、本番間近になっても衛星回線が繋がらなかったり、繋がっても映像が出なかったり、音声が途切れたりということが平然と起こる。

 

それにも関わらず、少なくとも僕が手を染めた番組では、彼らは生中継に穴を開けたことがただの一度も無い。ぎりぎりのところでいつも「なんとか」してしまうのである。

 

一時が万事、イタリア人はそんな風に当意即妙の才に長けている。あるいは反射神経が鋭い。あるいは機転がきく。

 

繰り返しになるが、それはほんの一例である。でも、あらゆる局面で見られるイタリア人の目覚ましい才覚だと僕は密かに感じ入っている。

 

そんな訳で、無政府状態に陥った今回の政治の混乱も、彼らはその才能を十二分に発揮して無事に切り抜ける、と僕は信じて一向に疑わないのである。

 

女性の日。ミモザの日。再びの。



今日は3月8日。

男が女にミモザの花を贈って祝う女性の日。

イタリアの例年の習わし。

 

今年はミモザの花が少ないように感じる。

 

開花が遅れているのか、道路脇の屋台などで売られているミモザの花束の山も、例年より薄いようである。

 

この時期に多く咲き乱れるミモザと同じ黄色の花、レンギョウも数が少ない。

 

と言うか、僕の仕事場兼書斎から見えるレンギョウの黄色い花々は、今年はまだ一切見えない。

 

2月中旬以降、雪の多い寒い日が続いたから、やっぱりきっと花々の開花が遅れているのだろう。

 

天気が回復すれば、イタリアらしく一気に春めいて花も咲き乱れるに違いない。

その日が待ち遠しい。

 

3日後の11日は東日本大震災2周年。

 

東北の被災者の皆さんにとって2011年3月11日は永遠に「今」に違いない。

 

当事者ではない僕でさえ大震災を忘れることはあり得ない

 

が、あの巨大な悲しみも恐怖も、とてつもない失意も何もかも、たった2年という時間の、記憶蓄積のベールに包まれて少し見えづらくなっている。

 

人間は薄情で利己的で忘れっぽい存在だ。

 

でも、だからこそ、凄まじい不幸や悪夢のような体験も、いつか克服することができるのかもしれない。

 

忘れることができなければ、いつまでもその重圧に押しつぶされてついには壊れてしまいかねない。

 

心の傷の回復とは、つまり「忘却」である。

 

極大の惨禍の記憶は無論消え去ることはない。

しかし凄惨な個々の出来事の詳細が、少しずつ記憶蓄積のベールに覆われて行き、やがて癒しの海に沈んで、ついに安らぐ。

 

爛漫と咲くミモザやレンギョウの花を伴なった、そんな春の日が一刻も早く被災者の方々に訪れることを祈りたい。


 

日伊往来が楽しい


一時帰国をした。

32日にイタリアに戻って、時差ボケのまっただ中にいる。

仕事でも遊びでもよく旅をするが、僕はいつも非同期症候群の大波に見舞われて結構つらい思いをする。

時差ボケは若くて体力のある人ほど症状が軽いと言われる。

が、僕は若いときから常に症状が重かった。

それに慣れて対処法も分ってきた分、むしろ若くなくなった今の方が変調が少ないような感じさえする。

ともあれ、世の中には時差ボケにならない人もいるから、僕のはきっと体質に違いなく、従ってうまく付き合って行くしかない。

というふうに考えると、ますます症状が軽くなるような気がしないでもないから不思議である。「日々是好日」の心境の縁に佇んでいるのだ。

体調不良ながら、だから、気分は少しも暗くない。気分が暗くないと、霞がかかったようにはっきりしない頭の中にも光が差すようで、考え事さえ苦痛ではなくなる。

そうやって少し考えた。

帰国以前から気づいていたことだが、最近特にイタリア旅行をしたい、という日本の友人知己が増えている。

彼らにとってはイタリアは非日常である。だから新鮮だし、憧れる。

ところが僕にとっては、イタリアは慣れきった日常である。イタリアを夢見る彼らとは逆に、僕にとっての憧れとは、実は、自分が生まれ育った国、日本である。

長い外国生活を経て僕は今、日本をすごく新鮮に感じている。長い間、平均して1年に3回強程度の割合でイタリアと日本を行き来して過ごしてきた。

大まかに言えば、2回強は仕事で、1回は休暇でというふうだったが、休暇は仕事を兼ねることも多く、また若いころは仕事で帰国する回数がかなり多かった。

テレビの仕事を減らしたここ数年は、仕事と休みを兼ねて1年に1度くらい帰るのが常となっている。

帰国する頻度が減った最近特に、イタリアと日本というのは天と地ほども違う、まことに異質の世界だ、と今更ながら感じる。

異質ながら似ている部分も実はまた多いのだが、違いの部分がはるかに大きく際立って見えるのである。

日伊の違いは、若いころは自分の中でいわば消化吸収されて融和していて、「違うが、でも同じだ」みたいな感覚になっていたように思う。

今は日伊の違いが鮮明で、かつ違いの度合いが大きいと感じる。しかもそうした違いは、僕にとってはとても心地よいものである。

イタリアと日本を隔てる飛行時間12時間の時空を超えるたびに、全く違う新鮮な世界に出会ったと感じて僕はとても興奮する。

そんな折には、日伊を往復して暮らしている自らの境遇を、結構幸せだ、と思ったりもするのである。



ペルー旅 ~霊章~ 付記



インカの人々が建設から100年後になぜマチュピチュを捨ててそこを去ったのかはっきりとは分っていない。

 

インカびとは文字を持たず、征服者のスペイン人はマチュピチュそのものの存在を知らなかったから、記録に残す術がなかった。

実はマチュピチュが建設後100年で遺棄された、というのも推測に過ぎない。

 

周知のようにマチュピチュには多くの謎が秘められている。それは主にインカびとが文字を持たなかったことに起因している。実記が何も残っていないのだ。

 

たとえば、なぜ彼らは外界から隔絶された山の頂上に街を作ったのか。

 

彼らは一体どうやって一つ5トン~20トンにもなるたくさんの巨石を高山に運び上げたのか。

 

そしてどこから。

 

また鉄器具を知らなかった彼らはどうやってそれらの巨石を精巧に掘削し、切り整え、接着し、積み上げていったのか。

 

など。

 

など。

 

謎には、研究者や調査隊や歴史愛好家などの説明や、憶測や、史実に基づいた推論などが多くある。

 

それらの謎のうちの技術的なもの、たとえば今言った「巨石を運ぶ方法」とか、それを「精巧に細工するテクニック」などというのは、正確には分らなくてもなんとなく分かる。

 

つまり、インカびとは巨石や岩を細かく加工するペッキング(敲製)という技術をマチュピチュ以前に既に知っていて、それを活用した。マチュピチュ以外のインカ遺跡にも、ペッキングによる巧緻を極めた岩石細工は多く見られるから、これはほぼ史実と考えてもいいだろう。

 

また巨岩を運ぶ謎についても、傾斜路を造るなどの方法で各地の古代文明が高い技術力を持っていたことが分っている。マチュピチュの場合は、その立地から考えて、他のインカ遺跡と比較しても格段に難しかっただろうが、当時の人々の「割と普通の知恵」の範ちゅう内のワザだった。

 

たとえそうではなくても、巨石文明や石造りの構築物という意味では、エジプトのピラミッドに始まり、ギリシャ文明を経て古代ローマに至る地中海域だけを見ても、マチュピチュを遥かに凌駕する「ハイテク」が地上には存在した。しかもそれは15世紀前後のマチュピチュなどよりもずっと古い、紀元前の文明開化地での出来事であり人類の知恵である。

 

マチュピチュの建造物は言うまでもなく美しく優れたものだが、技術力という意味では地上唯一と呼ぶには当たらない、むしろ「ありふれた」と形容する方がふさわしい事案、だとも言えるのではないか。

 

マチュピチュの鮮烈はもっと他にある。つまり「マチュピチュはなぜそこに、なんのために作られたのか」という根源的な、しかも解明不可能に見える謎そのものの存在である。

 

その謎についても百人百様の主張がある。よく知られている論としては、たとえば

 

マチュピチュはインカの王族や貴族の避暑地として建設されたという説。

 

あるいは祭や神事を執り行なうための聖地説。

 

またそこが遺棄されたのは、疫病が流行って人が死に絶えたから、と主張する研究者もいる。

 

いや、そうではなく、気候変動によって山の斜面を削って作られた畑に作物ができなくなり、暮らしていけなくなった人々がそこを捨てた、とする説もある。

 

マチュピチュ遺跡に実際に立ってみての僕の印象は、そこは祭祀のためだけに造形された場所ではないか、という強い感慨だった。

 

アンデスの山中深くに秘匿された森厳な建物群が、押し寄せる濃霧におおい尽くされて姿を消し、霧の動きに合わせては又ぼうと浮かび上がる神秘的なパノラマは、いかにも霊妙な儀式を行なうためだけに意匠された壮大な徒花、という感じが僕にはした。

 

でもそれには矛盾点も多い。たとえば祭祀のためだけの場所にしては、人の住まいのような建物が多いこと。

 

また街のある山の斜面に多くの段々畑が作られて、トウモロコシやジャガイモなどが栽培されていたこと。

そういう作物は神事にも使用するだろうが、それにしては畑の規模が大きい。やはり住民の食料として生産されていた、と考えるのが理に叶うようである。

 

さらに街そのものも、宗教儀式のためだけの施設と見なすには、畑同様に規模が大き過ぎるように見える。

 

それらはほんの一例に過ぎない。マチュピチュには他にもたくさんの矛盾や疑問や驚きがある。しかし、僕にはどうしてもやっぱりそこが、神聖な儀式のための大がかりな設備、というふうに見えて仕方がなかった。

 

マチュピチュには俗なるものが一切ないように僕の目には映ったのだ。その位置する場所、山岳に秘匿された地勢、景観、あらゆる造形物の玄妙なたたずまい、空気感、茫々たる自然・・それらの一切が聖なる秘儀にふさわしい組み合わせ、お膳立てのように見える。

 

そうした印象はもちろん、マチュピチュの失われた時を偲ぶ、僕の感傷がもたらすものに違いない。

しかし、いかなる具体的な描写や考察をもってしても表現できないであろうマチュピチュの美は、そうした感傷や旅愁や感激や深いため息などといった、いかにも「理不尽」な人の感性によってしか把握できない場合が多い、歴史の深淵そのものなのである。
 

 

イタリアもマジにゾンビ復活?




総選挙までほぼ2週間となった現在、イタリアの選挙戦がいよいよ熱気を帯びてきた。劣勢が伝えられていたベルルスコーニ前首相派が巻き返して、情勢が混沌としてきたのである。そこに今日、左派内の不協和音が伝えられて、いよいよベルルスコーニ前首相の鼻息が荒くなってきた。

 

選挙戦初期の頃は、モンティ首相と組む民主党が優勢と見られていた。ベルルスコーニ派の造反で崩壊したモンティ政権だが、総選挙で勝利したあと民主党のベルサーニ書記長の首相就任がない場合は、現首相が再任されるとも見られていたのである(モンティ首相は辞任を表明している)。

 

ベルルスコーニ派はモンティ政権の財政緊縮策、とりわけ極重量級の増税措置を激しく批判して支持を広げてきた。モンティ首相は就任直後から税制改革を断行して「国民が平等に痛みを分かち合う」をモットーに、崩壊の危機にあるイタリアの国家財政を立て直すために突き進んできた。

 

私見を言えば、彼の行く道筋は間違っていないと思う。イタリアは財政再建をきちんとやらなければならない。しかし、やり方が性急に過ぎる。増税比率も大き過ぎる。

 

以前にも書いたことだが、僕はたまたまこの国に多い旧家などの実情を見知っているので、モンティ首相の財政策の危うさを肌身で感じている。

 

彼は政策の方向性は変えずに政策の中身を変えるべきである。つまり改革のスピードを少し落として、増税幅も縮小した方がいい。それでなければイタリア経済はさらに失速して危険水域にのめり込んでいくばかりだろう。

 

ベルルスコーニ前首相は、選挙で勝った暁にはモンティ政権が徴収した税金の一部を現金で各家庭に返還する、とまで公言して支持拡大に躍起になっている。国家財政を破綻の淵まで追い込んだ自らの責任を棚に上げての、凄まじいポピュリズムではないか。

 

イタリア国民の多くは、国家財政への憂慮や経済の先行きへの不安、という大局的な理由からではなく、日々の暮らしの苦しさから、ベルルスコーニ派の空中楼閣的な政策論争にうなずく者が増えている。由々しい事態である。

 

僕はベルルスコーニ前首相に個人的な怨みがあるわけでもなく、モンティ首相や彼の仲間の左派民主党に肩入れをしているわけでもない。イタリアは財政規律を何よりも最優先にして政策を立て直すべきだ、と考えるからベルルスコーニ派のポピュリズムを厭う。しかし、民主党など左派の伝統的かつ極端な経済政策もまた修正するべき、とも考えるのである。

 

そうしたイタリアの状況を見るとき、僕はやっぱり日本の現実との比較をしないではいられない。ベルルスコーニの無責任な大衆迎合指向はアベノミクスと重なって見える。

 

アベノミクスは今のところはとてもうまく行っていると思う。財政規律を無視した空中楼閣的な政策ながら、景気は気なり、の言葉通りに人々の期待や思惑や欲望がポジティブに作用して、順調な経過をたどっている。

 

その状態が長く続けば、空中楼閣はいつか実体になって、日本経済は真に立ち直るかもしれない。それを期待しつつも、僕はやっぱり借金の上に借金を重ねるアベノミクスを危惧する。

まず財政規律を改革の一丁目一番地に据えた上で、景気浮揚策を考えるべきだと思う。

 

財政規律と景気浮揚策は往々にして対立するものである。でも日本の場合はそんなことを言ってはいられないと感じる。国の借金が1000兆円。国民一人当たり750万円にもなる莫大な財政赤字を減らす算段をしてから、景気浮揚策を練るべきではないか。

国が沈没しかねない状況で、一時しのぎの祭を演出して苦境を忘れようとするのは間違っている。日本もイタリアも・・

 

僕は妻の実家の伯爵家の税金対策に翻弄される苦しい毎日の中で、苦しいけれどもそれはイタリアにとって必要な大手術なのだから、何世紀にもわたって特権を享受してきた伯爵家の義務だと考えて、政府の緊縮増税策を支持し、それに添う形で動いている。今のところはそれが僕の嘘偽りのない心境である。

 

ただ、再び繰り返しになるが、モンティ政権のやり方は方向性は間違っていないものの、動きが急激に過ぎて危険だとは強く思う。 


初競りマグロvsベルルスコーニ



少し旧聞じみてしまったが、年初の築地市場でマグロの初競り値が1億5500万円余りと聞いて、僕はすぐにイタリアのベルルスコーニ前首相が、離婚する妻に月300万ユーロ、1日当たり約1100万円もの慰謝料を支払い続ける様を連想した。

どちらも現実離れした金額で、ちょっと面はゆい言葉ながらあえて言えば、極めて「反道徳的」だとさえ感じる。


不況と日本経済の衰退が問題視される中で、いくら宣伝効果を狙った競り値だとはいえ、マグロが1キロ約70万円、寿司にして1貫当たり4万~5万円もするなんて、どう考えても行き過ぎではないか。

同じように、イタリアの財政危機が叫ばれて国民全てが増税と政府の財政緊縮策に苦しんでいるさなかに、そのイタリア危機をもたらした張本人でもあるベルルスコーニ前首相が、離婚慰謝料として日々1千万円余りもの大金を元妻に払い続ける事態は、とても醜悪でやりきれないことのように思う。

餓死者こそ出ないものの、イタリア経済はまさにどん底の状況にあるのだ。莫大(ばくだい)な慰謝料のせめて半分は元妻ではなく、大赤字の国庫に納めろ、とベルルスコーニ前首相に言ってみたくなるほどである。

しかし、別の見方をすれば、経済不振や財政危機に苦しむ日伊両国だが、目玉が飛び出るような金額がばかげた事例に使われるほど2国は裕福であり、悠長で平和な社会であることの証だとも言える。

従って、それはもしかすると喜ぶべきことなのかもしれない、とまったく正反対のことも考えたりする年の初めだった。



 

ペルー旅 ~霊章~ 



クスコ経由マチュピチュまで

ペルーでは多くの恐怖体験を含む鮮烈過激な旅を続けたあと、仕事抜きの純粋に「旅を楽しむ旅」がやってきた。世界遺産マチュピチュ行である。

 

マチュピチュのあるクスコ県行きの飛行機が発着するのは首都リマのホルヘ・チャベス国際空港。ペルー入国後は立ち寄ることがなかった首都に回って、そこから空路南のクスコへ向かった。

 

クスコ県の県都クスコは、標高3600Mにある人口30万人の街。かつてのインカ帝国の首都でもある。クスコは1530年代にフランシスコ・ピ
サロ率いるスペイン人征服者によって占領破壊された。

 

スペイン人はその後、破壊したインカの建物跡の土台や壁などを利用してスペイン風の建築物を多く建立した。そうやってインカの建築技術とスペインの工法が融合した。二つの文明文化が一体化して造形された市街は美しく、その歴史的意義も評価されてクスコは世界遺産に指定されている。

 

クスコ郊外のサクサイワマン遺跡などを見て回ったあと、車でオリャンタイタンボに至る。オリャンタイタンボにもインカの遺跡が多く残っている。いずこも心踊る山並み、街並み、風景、そして雰囲気。それらを堪能して、列車でいよいよマチュピチュへ。


 

インカの失われた都市

マチュピチュ遺跡は、列車の終点アグエスカリエンテ駅のあるマチュピチュ村からバスでさらに30分登った、アンデス山脈中にある。

山頂の尾根の広がりに構築された街は、周囲を自身よりもさらに高い険しい峰々に囲まれている。平地に似た熱帯雨林が鬱蒼と繁るそれらの山々にはひんぱんに雲が湧き、霞がかかり、風雨が生成されて、天空都市あるいは失われたインカ都市などとも呼ばれるマチュピチュにも押し寄せては視界をさえぎる。

2012年10月23日の朝も、マチュピチュには深い霧が立ち込めていた。麓から見上げれば雲そのものに違いない濃霧は、やがて雨に変わり、しばらくしてそれは止んだが、遺跡は立ち込める霧の中から姿をあらわしたりまた隠れたりして、茫々として静謐、かつ神秘的な形貌を片時も絶えることなく見せ続けていた。

 

マチュピチュの標高は2300Mから2400mほど。それまで標高ほぼ5000Mもの峠越えを3回に渡って体験し、平均3700M付近の高地を移動し続けてきた僕にとっては、天空都市はいわば「低地」のようなものである。インカ帝国の首都だった近郊のクスコと比較しても、マチュピチュは1000M以上も低い土地に作られているのだ。

 

ところがそこは、これまで経験してきたどの山地の集落や遺跡よりもはるかな高みに位置するような印象を与えるのである。遺跡が崖に囲まれた山頂の尾根に広がり、外縁にはアンデス山脈の高峰がぐるりと聳えている地形が、そんな不思議な錯覚をもたらすものらしい。

マチュピチュはまた、自らが乗る山と、附近の山々に繁茂する原生林に視界を阻まれているため、麓からはうかがい知れない秘密の地形の中にある。文字通りの秘境である。 

遺跡の古色蒼然とした建物群が、手つかずの熱帯山岳に護られるようにしてうずくまっている様子は、神秘的で荘厳。あたかも昔日の生気をあたりに発散しているかのようである。同時にそこには、悲壮と形容しても過言ではない強い哀感も漂っている。


遺跡の美とはなにか

古い町並や建造物などの遺跡が人の心を打つのは、それがただ単に古かったり、巨大だったり、珍しかったりするからではない。それが「人にとって必要なもの」だったからに他ならないのである。 


必要だから人はそれを壊さずに大切に守り、残し、修復し、あるいは改装したりして使い続けた。そして人間にとって必要なものとは、多くの場合機能的であり、便利であり、役立つものであり、かつ丈夫なものだった。そして使い続けられるうちにそれらの物には人の気がこもり、物はただの物ではなくなって、精神的な何かがこもった「もの」へと変貌し、一つの真理となってわれわれの心をはげしく揺さぶる。

精神的な何か、とは言うまでもなく、歴史と呼ばれ伝統と形容される時間と空間の凝縮体である。つまり使われ続けたことから来る入魂にも似た人々の息吹のようなもの。それを感じてわれわれは感動する。淘汰されずに生きのびたものが歴史遺産であり、歴史の美とは、必要に駆られて「人間が残すと決めたもの」の具象であり、また抽象そのものである。

マチュピチュの遺跡はインカの人々が必要としたものである。必要だったから彼らはそれを作り上げたのだ。しかしそれはわずか100年後には遺棄された。つまり、今われわれの目の前にあるマチュピチュの建物群は、その後も常に人々に必要とされて保護され、維持され、使用されてきたものではない。それどころか用済みとなって打ち捨てられたものである。

もしもマチュピチュにインカの人々が住み続けていたならば、スペイン人征服者らは必ずそこにも到達し、他のインカの領地同様に占領破壊し尽くしていただろう。マチュピチュは「捨てられたからこそ生き残った」という歴史の不条理を体現している異様な場所でもあるのだ。

マチュピチュをおおっている強い哀愁はその不条理がもたらすものに違いない。必要とされなかったにも関わらず残存し、スペイン人征服者によって破壊し尽くされたであろう宿命からも逃れて、マチュピチュ遺跡は何層にもわたって積み重なり封印されたインカびとの悲劇の残滓と共に、熱帯の深山幽谷にひっそりと横たわっている。

そうした尋常ではないマチュピチュの歴史が、目前に展開される厳粛な景色と重なり合って思い出されるとき、われわれは困惑し、魅了され、圧倒的なおどろきの世界へと迷い込んでは、深甚な感動のただ中に立ち尽くして飽きないのである。

 

ああ日馬富士、やったね、よかったね、未来は明るいね



昨日(1月27日)が千秋楽だった大相撲の初場所で横綱日馬富士が全勝優勝を果たした。

 

めでたい。

 

昨年、大関2場所連続全勝優勝という偉業を成し遂げて横綱になった日馬富士は、昇進後初の九州場所で9勝6敗というブザマな成績を残して非難を浴びた。

 

彼に大きな期待を寄せていた僕も失望し、疑問を抱き、批判めいた言葉も投げかけたりした。それだけに余計、今回の彼の成功を喜びたい。

 

九州場所の成績を見て一時は悲観的な気分になったこともあるが、日馬富士はやはり、既に名横綱の域に達している白鵬に追いついて、自身も歴史に残るような強い横綱になる可能性を秘めていると思う。

 

その第一の理由は、大横綱の大鵬や北の湖や千代の富士もできなかった、大関2場所連続全勝優勝という快挙を成し遂げて横綱に昇進した事実。

 

第二の理由は、横綱昇進後の場所でつまずいて大きく批判を浴びながら、直後の今場所で重圧をはねのけて優勝した精神力の強さ。したたかさ。しかも全勝優勝という文句の無い形で。

 

日馬富士は初場所の14日間は、持ち前のスピードで相手を圧倒して勝ち続けたが、千秋楽の白鵬戦ではスピードに加えて、技や戦略や知略も駆使して完勝した。

 

そのために14日間ずっと付きまとっていた不安定な感じ、ころりと負けて取りこぼしそうな感じ、軽量の悲哀、などといった彼の欠点が完全に姿を消した。

 

僕はそこに日馬富士の非凡を見る。彼は横綱昇進直前の場所の千秋楽でも、同じく白鵬と死闘を演じてこれを制した。僕はその相撲を見て彼の真の強さ、地力を確信した。

 

その後の九州場所の屈辱を経て、日馬富士は再び彼の真の強さを取り戻し、それを存分に発揮した。それが今場所の千秋楽での白鵬戦だったと思う。

 

日馬富士は間違いなく強い。繰り返して言うが、大横綱になる可能性を秘めていると思う。

 

でも不安もある。前述した先場所14日目までの相撲である。彼は14人の相手全てを持ち前のスピードで圧倒したのだが、それはいつも危なっかしい取り口だった。ハラハラさせられる戦いだった。

専門家の中にはその相撲を「負ける感じがしない」と評する人もいたが、一ファンの僕の目にはそれは、いつ取りこぼしがあってもおかしくない危うい戦いと映った。
 

速く鋭く機敏に動く取り口の力士がコケやすいのは大相撲の宿命である。スピードは不安定と表裏一体なのだ。素早い動きで相手を翻弄する相撲を取り続ける限り、日馬富士は常にその緊張とも闘い続けなければならない。

 

逆に言うと、不安定を安定に変えたとき、彼は疑いなく名横綱になる。つまり日馬富士は、大横綱白鵬を相手にここ数場所の千秋楽で見せ続けている相撲を、他の全ての力士に対しても実践できた時、ごく自然に歴史に残る横綱の域に達するのだと思う。

 

そしてそれは、そうならない方がおかしいほどにやさしいことである。

 

なぜなら日馬富士は、自分自身を除けば大相撲界で今もっとも強い横綱白鵬を、スピードとプラスαを駆使して粉砕し続けているのだから、他の力士を相手にそれができないはずがない。

 

そう、日馬富士は、スピードと知略と安定感を兼ね備えた偉大な横綱になる道をまっしぐらに進んでいる。

 

もしそうならない場合は彼は、場所ごとに15戦全勝と9勝6敗の間を行き来する、強いのか弱いのか分らない、強くないときは弱いのだからきっと弱いに違いない、トンデモ横綱になる・・
のだ。と思うのだ。んだ。なだ。のだ。

 

 

ペルー旅 ~奇章~


3週間のペルー旅では、撮影を兼ねた道行の最後に遊びでマチュピチュを訪ねた。マチュピチュがペルー旅行の最終訪問地だったのだが、そこまでの日々は結構波乱万丈だった。

 怖い体験

 あまりの恐怖のために一瞬で頭髪が真っ白になるとか、一夜にして白髪になってしまうとかの話がある。

 フランス革命時にギロチンの露と消えたマリー・アントワネットの白髪伝説。エドガー・アラン・ポーの小説「メールシュトレームに呑まれて」の漁師のそれ。

 また巷間でも、恐怖体験や強いストレスによって、多くの人々の頭髪が白くなった、という話をよく耳にする。

 僕はペルー旅行中にそれに近い体験をした。旅の間に白髪がぐんと増えたのだ。

 しかし、黒髪がいきなり白髪に変わってしまうことは科学的にはありえない、というのが世の中の常識である。

 髪の毛の色は、皮膚の深部にある色素細胞の中で作られるメラニン色素によって決定され、一度その色を帯びて育った黒髪や、その他の色の健康な髪は変色しない。白く変色するとすれば、新しく生えてくる髪だけである。

 簡単に言えば科学的にはそういう説明ができる。

 でも僕はペルーを旅した3週間の間に、白髪だらけの男になった。知命を過ぎたオヤジだから、頭に白髪が繁っていても別におかしくはない。

 ところが僕はペルー訪問までは、年齢の割に白髪の少ない男だったのだ。年相応に髪の毛は薄くはなったが、僕は同世代の男の中では明らかに白髪が少なく、自分と同じオヤジ年代の友人らがやっかむほどだった。

 白髪の急激な増え方に気づいたのは、自分が写っている写真を見た時だった。え?と思った。まるで白髪の中に髪がある、とでもいう感じで頭が真っ白に見えた。

 ビデオカメラを回している僕のその姿を写真に撮ったのは同行していた友人である。妻がたまたま僕のスチールカメラを友人に渡して、彼はそれでパチリパチリとシャッターを押してくれていたのだった。

 その後、スチールカメラは僕の手に戻され、旅が終わってビデオ映像と共に写真素材も整理していた僕は、そこでスチールカメラに収められた自分の姿を見たのである。

 死も友達旅

 僕はペルー入国以来ずっと、恐怖心を紛らわすためにも懸命にビデオカメラを回している、というふうだった。

 恐怖の全ては、目もくらむような深い谷底を見下ろしながら、車が車体幅ぎりぎりの隘路を走行し続けることから来ていた。

 もっとも強い恐怖は旅の半ば過ぎに襲った。標高3100Mのサンルイスから標高2500Mのハンガスへ向かう途中の、海抜ほぼ5000Mの峠越え。その日は夕方出発して、峠に差し掛かる頃には日が暮れてすっかり暗闇になった。しかも標高が高くなるにつれて天気がくずれて行き、ついには雪が降り出した。

 運転手は70歳の元警察官。割とゆっくりのスピードで行くのはいいが、急峻な難路を青息吐息という感じで車が登る様子に、高所恐怖症の気がある僕のみならず、同乗者の全員が息を呑むという感じで緊張していた。

 車窓真下には今にも泥道を踏み外しそうな車輪。そのさらに下には少なく見積もっても1000Mはあるだろう谷の暗い落ち込みが口を開けている。車がカーブに差し掛かるごとに崖の落下がライトに照らし出される。時どき後方から登り来る車のライトにも浮かび上がる。目じりでそれを追うたびに僕は気を失いそうである。

 間もなく峠を登り切ろうとしたとき、車はカーブを登攀(とはん)しきれず停車した。一呼吸おいてずるずると後退する。万事休す、と思った。車内が一瞬にして凍りついた。誰もが死を覚悟した。

 その時運転手がギアを入れ替えた。車がぐっとこらえて踏みとどまり、すぐに前進登攀を始めた。そうやって僕らは全員が死の淵から生還した。

 一瞬、あるいは一夜にして白髪になった、という極端な例ではないが、ペルー滞在中のそうした恐怖体験によって、僕の髪の毛は確かにとても白くなった。少なくともぐんと白髪が増えたように見えた。

 繰り返しになるが、髪の毛が瞬時に白髪に変わることはない。

 しかし、恐怖や強いストレスが原因で血流が極端に悪くなると、皮膚の末端まで十分な栄養が行き渡らなくなってしまい、毛髪皮質細胞が弱くなることがある。

 すると毛髪の中の空気の含有量が増えて、1本1本の色が銀色っぽく変化する。その銀色が光の反射の具合いで真っ白に見える、ということは起こり得るらしい。

 それもまた科学的な説明。

 僕の髪の毛はそれと同じ原因か、あるいは何日間かの強いストレスと恐怖体験によって、一瞬にではないが徐々に変化して白くなったのだと思う。

 それは、朝起きたら黒髪が真っ白になっていた、というような極端な変化ではなかったので、同行していた妻や友人夫婦もすぐには気づかなかった。僕自身を含む一行は後になって、高山の晴天の陽光に照らし出されて白く輝いている写真の中の僕の髪を見ておどろく、といういきさつになったものらしい。

 ハゲよりカッコいい白髪

 その白髪は、ペルー旅行から大分時間が経ったいま、それほど目立たなくなり、それどころか消えかけているようにさえ見える。しかしきっとそれは、僕自身が白髪に慣れたせいなのではないか、とも思う。

 近頃鏡をのぞいて目立つのは、白髪よりもむしろハゲの兆候である。そしてハゲてしまえば白髪も黒髪もなくなる訳で、僕にとってはそちらの方がよっぽど悲劇的である(笑)。

 僕はハゲの家系なので将来の悲劇に向けての覚悟はできているつもりだが、悲劇はできるだけ遅く来てくれるに越したことはない(歪笑・凍笑・硬笑・苦笑・震笑)。

 ともあれ今のところは、ペルーの恐怖体験で一気にハゲにならなくて良かった、と心から思う。短い時間で髪が白髪に変わるのはドラマチックだが、髪がバサリと落ちて一度にハゲてしまうのは、なぜかただの笑い話にしか感じられないから。

 言い訳

科学を信じたい僕にとっては、ここに書いたことは与太話めいてもいて気が引けたが、実際に自分の身に起こったことなので記録しておくことにした。信じるか信じないかは読む人の勝手、ということで・・

 


忙中の記・2013・1・26



ペルーの話。

 

さらなるホモセクシュアルの話題。

 

イタリア総選挙+財政危機。

 

日本のアベノミクス。

アベノミクスを危惧する欧米の専門家たちの見解。

アベノミクスへの僕のさらなる疑問。

でも期待も。

などなどなどに加えて、

 

イタリアの時事、たとえば収監されているマフィアのボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノの話。

 

日本女性の名前「かおり」を使って売春宿を経営する腐れ中国人マフィアの話・・・などなど。

 

書くことがいっぱいあるのに時間がなくて書けない。

 

 

なぜ時間がないかというと。

 

本来の自分の仕事に加えて、イタリア財政危機にまつわる妻の実家の伯爵家の税金納めの処理や心配や実務や喧嘩(?)で
1日のうち23時間程が過ぎてしまうから。

 

でも、そうしてばかりもいられないので、今日の午後あたりから何か書き始めようと思う。

 

まずはやっぱりぺルーの話かな。

 

たぶん・・

 


経済学ド素人の目に映るアベノミクスの怪


ここイタリアでは224日に予定されている総選挙に向けて、けんけんがくがくの選挙戦が展開され、昨年の日本の衆院選にも似た政党間の提携や協働や野合が、試されたり進んだり壊れたりしている最中である。

中でもベルルスコーニ前首相率いる中道右派のグループは、財政緊縮策や増税で苦しむ国民の不満に迎合して、モンティ首相の路線を修正し増税策も廃止する、と主張している。


しかし、ベルルスコーニ前首相を始めとする旧政権担当者らは、借金まみれの国家財政をどうするか、という議論には深くは踏み込まない。

しかも前首相自身は財政策の失敗を責められて20011年末に宰相職を辞したばかり。人気の無い増税策を非難して、選挙で票に結び付けようという魂胆だけが透けて見える。

困ったことに、一部の国民の不評を買いつつも堅実な財政策で国内外から高い評価を受けてきたモンティ首相までもが、選挙を意識して減税策の導入を示唆したりする有り様。彼は昨年12月に首相辞任を表明したが、総選挙を経て再び政権を担う可能性もあるのである。

日伊の懲りない面々

日伊の政界を比較検討すればするほど、僕には政権に返り咲いた安倍さんとベルルスコーニ前首相が重なって見えてしまう。

安倍さんにはスキャンダルまみれのベルルスコーニ前首相のような汚れた印象はないが、公共事業を拡大しバラマキ政策を推し進める様は、ベルルスコーニ氏がモンティ首相の緊縮策を批判して減税を声高に主張する姿と何も違わない。どちらも財政規律を無視して再び借金を増やそうとしているだけに見える。

ベルルスコーニさんより一足先に首相の座に返り咲いた安倍さんは、彼一流の財政強化策いわゆる「アベノミクス」を打ち出して景気へのてこ入れを図り、期待感から円安株高が急速に進行して日本中が喜んでいるようだが、それは果たして本当に手放しで喜んでもいい政策なのだろうか。

国民の大きな期待を裏切ったという意味で、恐らく史上最悪と形容しても構わない民主党政権から、タナボタ式に「政権後退(交代)」の恩恵を受けただけの自民党とそれを率いる安倍さんには、大型補正予算を組んで公共事業を中心にこれをバラまく、という古臭い手法を恥ずかしく思ったり怖れたりする感性はないようである。それは古臭いばかりではなく、国家財政をさらに悪化させる可能性が高い危険な政策でもあるというのに。

バラマキはバクチと同じ

アベノミクスが提起する事業規模20兆円にものぼるバラマキ補正予算は、経済学ド素人である僕の目で見ても、一時的には必ず景気浮揚効果があるだろうと考えられる。でもそれは借金まみれの国家財政にあらたな借金を積み上げて成されるもので、回らない首をさらに回らなくしてついにはこれを締め上げる自殺行為にもなりかねない。

借金で家計が苦しいならば、節約をして支出を減らすか、今以上に働いて収入を増やすかしかない訳で、さらなる借金をして苦境を乗り越えようとするのは、バカか怠け者のやり方である。もっともバクチに長けた金融虚業の専門家なら、そういうやり方で巧みに急場をしのぐ場合もあるのだろう。

しかし、そんな安易な方法は一国の経済政策としては避けるべきではないか。借金の上に借金を重ねるアベノミクスに反応して、円安や株高が起きているのは経済実体を伴なわない泡沫的な現象に過ぎない。

とは言うものの、経済は数字や論理やファンダメンタルズだけでは決して説明できない不思議な生き物だし、景気は気なり、という言い回しもあるように、人々の欲や思惑や願いや希望や絶望などが絡まって動いていくものだから、実体がない「アベノミクス」でさえ「実体経済そのもの」であるという矛盾した、しかし正しい説明もまたできるのが市場経済の面白いところである。

経済学者はもっと小説を読め

それでも経済の専門家である学者や評論家や経済記者などの中には、さすがにアベノミクスにまつわる市場経済の実体のなさに警鐘を鳴らす皆さんが多いように見える。それは僕の目には、不幸中の幸いであり頼もしい限り、というふうにも映る。

なにしろアベノミクスは、インフレ抑制が目的の「インフレターゲット」という世界共通の概念を「逆の意味に解釈」してスローガン化したり、借金を削るべき時に逆に借金を増やして公共事業に投ずるバラマキを提唱したり、財政の良心あるいは良心たるべき施設を目指して作られ存在する日銀の独立性を、怖いもの知らずに潰しにかかったりするなどの危険を伴なった、両刃の剣そのものの財政策であることが明らかだと思うから。

しかし、経済に詳しいと自負しているそれらの論客の皆さんは同時に、得てして机上の空論を弄しているに過ぎない場合も多く、彼らが景気や生身の経済のただ中に飛び込んでこれにまみれて呻吟し、喜び、戦い、悲しんだりして実態を把握分析した上で、その動向や意味や先行きを正確に示したためしはほとんどない、と言い切ってもあながち暴論にはならないのではないか。

呼び方を変えれば「経済評論」の専門家に過ぎないそれらの皆さんは、人間の欲や期待や希望や不安や絶望などの心理的要素が、数字や理論や基礎指標等にも増して経済を大きく動かす力である場合が多いことを知らないように見える。あるいは知っていてもあまりそれを認めたがらないように見える。

人の心がまとわり付きねちっこく絡みついて、今まさに生きてうごめいている生身のビジネスの真髄は、経済学の本ばかりをいくら読んでみても分らないのではないか。実際にビジネスにまみれる体験ができないならばせめて彼らは、それらの専門書に加えて、欲をはじめとする人間の心理を暴き、えぐり出しては描く、小説などの文芸作品も大いに読んで勉強するべし。ここ最近にわかに増えたアベノミクスを語る多くの経済専門家の皆さんの説を読み、聞けば聞くほど、その専門的知識の豊富と深度には大いに感服しながらも、僕はそういう思いを一段と強くするのである。

 

 

2013年、真の「アラブの春」を待つ  



シリアのアサド大統領が昨日(2013・1・6日)、首都ダマスカスのオペラハウスで演説し、その模様が国営テレビで生放送された。僕は中東衛星放送のアルジャジーラで演説の一部を見た。

 

アサド大統領は退陣を迫る国際世論に対して、シリアの反体制派の戦闘員の多くはアルカイダなどの外国のテロリストであり徹底してこれと戦う、などと述べて権力にしがみつく姿勢を改めて示した。

 

同大統領の演説は昨年6月以来であり、内戦勃発後では異例の出来事と言える。この事実は、国の内外で狭まり続けるアサド包囲網に対する政権側の危機感のあらわれではないかと思う。ぜひそうであってほしい。

 

僕は地中海域のアラブ諸国に民主主義が根付き、自由で安全な社会が出現すること願い続けている。それは圧政に苦しむアラブの民衆が解放されて、平穏かつ自由な世の中になってほしい、という当たり前の純粋な気持ちから出ている。

 

それに加えて、実は僕は利己的な理由からもアラブの「本当の」春を心待ちにしている。

 

僕は1年に1度地中海域の国々を巡る旅続けている。ヨーロッパに長く住み、ヨーロッパを少しだけ知った現在、西洋文明の揺らんとなった地中海世界をじっくりと見て回りたいと思い立ったのである。

 

計画はざっとこんな具合である。

 

まずイタリアを基点にアドリア海の東岸を南下しながらバルカン半島の国々を巡り、ギリシャ、トルコを経てシリアやイスラエルなどの中東各国を訪ね、エジプトからアフリカ北岸を回って、スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破する、というものである。

 

しかし、2011年にチュニジアでジャスミン革命が起こり、やがてエジプトやリビアやシリアなどを巻き込んでのアラブの春の動乱が続いて、中東各国には足を踏み入れることができずにいる。

 

この地中海域紀行では訪問先の順番には余りこだわらず、その時どきの状況に合わせて柔軟に旅程を決めていく計画。従ってそれらの国々を後回しにすることには問題はないのだが、それにしてもあまりにも政情不安が長引けば良い事は何もない。

 

昨年はトルコを旅し、その前にはギリシャとクロアチアをそれぞれ2回づつ巡っている。そろそろアラブの国にも入りたい。できれば先ずシリアに。

 

ことし、もしもその夢がかなうなら、それは内戦状態のシリアに平穏が訪れたことを意味する。ぜひそうなってほしいと思う。それはただの希望的観測ではない。

これまで強硬にシリア支持を表明し続けてきたロシアが、アサド大統領に反政府勢力との対話を模索するように促がしている、という情報も漏れ聞こえてくる。

それが事実かつ進展するならば、シリアにも間もなく民主的な政権が生まれ、停滞している他のアラブ諸国の民主改革にも好影響を与えて、やがて中東全体に真の「アラブの春」が訪れる、というシナリオが見えてきたように思うのである。

 

 

衆院選結果に思うこと、夢見ること



昨年12月16日の衆院選の模様を遠いイタリアから注意深く見つめた。

いくら民主党への失望と怒りが大きく、また選挙制度の影響もあるとは言え、3年前にレッドカードを突き付けた自民党へ国民が雪崩を打って擦り寄り、同党が圧勝したのは驚きだった。


長く日本をリードし繁栄も招いた自民党の功績は大きいが、官僚支配の硬直した体制をもたらしたのも彼らであり、それを打破しようとして政権交代が実現したはずである。


それなのに、突然右へ倣え、みんなで渡れば怖くない、とばかりに極端から極端に振れる日本世論は不可解だし悲しい。


自民党への積極的な支持ではなく、消去法で仕方なく同党に票が集まったというのは恐らく真実だろうが、変化を模索しない世論は、変遷流転を恐れる者の人生にも似て膠着し、内向し、やがて精神の死をもたらす空しい出来事に見える。

変革を約束した民主党に裏切られた日本国民は、世直しの目玉ともなるべきいわゆる第3極勢力に期待したはずだが、彼らが維新や改革をスローガンに選挙のためだけの野合を繰り返しているのを見抜き、その反動もあって自民党の地滑り的な勝利になった、というのがごく当たり前の戦況分析だろう。


従って、国民が変革を望まなかったのではなく、政治家の方が真の変革につながる政策や大望を有権者に示せなかった、という見方もできる。でも政治は突然そこに舞い降りて存在するのではなく、国民の写し絵として形成されるものだから、選挙結果はやはり人民の意思であり責任である。

その観点から僕は自民党の圧勝に釈然としないものを覚える。自民党に怨みがある訳ではない。自民党長期政権の停滞と膠着と腐敗を嫌気して、3年前にこれを拒否しておきながら、あっさりとそこに回帰した日本国民の節操のなさに不安を覚えるのである。

選択肢が無かったという状況は良く分かる。が、せめて自民党は僅差で勝ち、自公合わせてようやく過半数制覇、くらいであってほしかった。なのに自民党は単独で過半数を大きく上回り、かつ自公で衆院三分の二の議席確保なんて笑い話にさえならない。どうしても多様性の欠落、という風に僕には見えてしまう。

はこの前の記事で書いたように、自民党も民主党も×。悪役がすっかり板に付いた小沢一郎さんに、一度宰相として辣腕を振るってほしいと思っている。彼の所属政党の無様を目の当たりにした今でもなお・・

多くの政党を作っては壊してきた小沢さんの目標が、日本に真の民主主義を植えつけること、だったという点に僕は強く賛同している。彼の政治手腕や金回りや多くの疑惑を承知の上で、である。

決して反米ではないが、アメリカに正面からノーと発言し、かつ論理的にその理由を述べる。それができるのは日本の政治家の中では小沢さんだけだと僕は考えている。

そして、日本の政治にとって最も重要なのは、アメリカと同盟協調しつつ彼らと対等な口をきき、彼らに我われを尊重させることである。日本と同じ敗戦国であるドイツやイタリアとアメリカの関係がそうであるように。

民主党時代は言うまでもなく、その前の自民党時代も、日本は常に米国にへつらう植民地メンタリティーにでっぷりと浸って生きてきた。新首相の安倍さんや自民党が突然そこから抜け出せるとはとても考えられない。

彼らはアメリカとの同盟関係を強化するとは言うが、卑屈な従属主義から抜け出すとは言わない。そして実は真の同盟関係の強化は、卑屈を排し対等な立場で付き合うところでしか成り立たない。それは一方が軍事的に強力で豊かで国力がある、という物理的な優劣とは関係のないいわば「精神の対等性」のことである。

こういう話をするとすぐに夢物語、非現実、夢想家などと嘲笑が飛ぶ。だがそれは、鎖国精神に呪縛された島国根性の持ち主たちの遠吠えに過ぎない。

国と国の関係は人と人の付き合いと同じである。たとえ非力で貧乏で口下手であっても、精神の毅然とした人間なら人は尊重し尊敬する。国と国の関係もそれと同じだ。

どうしてもそれが信じられないならば、もう一度言う。日本と同じくかつての敵性国であり敗戦国、かつ軍事的にも経済的にも従って政治的にも米国よりひ弱なイタリアとドイツを、アメリカは同盟国として「精神的に」対等な立場で付き合っている。

安倍新政権はまず、米国が独伊と同程度のリスペクトを我が国に払い続ける関係の構築を目指して行動を起すべきである。なぜなら日本の経済不振も停滞する外交も何もかも、主としてアメリカとの関係性の中で複雑にからみ合いせめぎ合い相克しながら進行する。それは物理的なものである場合ももちろんあるが、数字や経済だけでは説明できない「精神的な」ものもかなり大きいと思う。

そういう点で僕は安倍さんにはあまり期待しない。が、もちろん彼と自民党が僕の不信を裏切ってほしいとは思っている。

ないものねだりをすれば、いわゆる第3極勢力が一堂に会し融合して、好戦的で無礼で危険な石原慎太郎氏を排し、その上で橋下さんと小沢さんが握手をして、まず小沢さんが国の舵取りをしてみる・・という風な事態になれば、日本の政治も少しは面白くなり、国際世論の耳目も集めるのではなかろうか。そんな時代は今の状況では永遠に来そうもないけれど。

 

 

 

渋谷君への手紙 《似たもの同士の日伊政界は相変わらず三流ですね》



「渋谷君

 

イタリアのモンティ首相が辞意を表明して騒ぎになっています。そこには日本で自民党の安倍さんが、ゾンビ的復活を果たしたのに合わせるように、前首相のベルルスコーニさんが政権復帰を目指して立ち上がったことが関係しています。世界は狂っている・・

 

という趣旨のメールを君に書き送ろうと考えていたら、北朝鮮がミサイルを発射、とのニュースが世界中を駆け巡っていますね。日米韓の3国は、かの国の発射延期の陽動に見事にひっかかった訳だが、特に世界最強のアメリカのスパイ衛星とインテリジェンスが騙されたことは、けっこう深刻な問題なのではないでしょうか。

 

少し武者震いをしている昨今の日本の世論が、本格的に奮い立ち、核武装論などの強硬な意見が力を得ていくのではないか、と僕はひそかに恐れています。日本の極端な右傾化は当然良くないことですが、わが国の世論をそこに向かわせているのは、北朝鮮や中国や韓国やロシアの行動でもある訳ですから本当に困ったものです。

 

それらの国々は、日本が武に傾き過ぎて間違いを犯した過去を忘れたのでしょうか。日本の間違いによって大きな被害を受けた悲劇を思い出さないのでしょうか。再び間違いを犯さないよう自重しなければならないのは、もちろんわれわれ自身ですが、彼らにも少し自制してほしいと願わずにはいられません。

 

閑話休題。

 

イタリアのモンティ首相は財政危機のこの国を確実に健全な方向へと導いていると思います。しかし、増税の余りの大きさと性急の割りには(あるいはそのせいで)、景気の回復が遅く国民の不評を買っているのも事実。前首相のベルルスコーニさんは自らの経済失策をすっかり忘れて、ここぞとばかりに首相批判を強め、ついには次期宰相候補として名乗りを上げた訳です。

 

僕も正直に言って、モンティ首相の増税策は拙速に過ぎると思います。方向性は間違っていないが、増税額が余りにも大きく且つ取り立てが急速で激しい。

「国民が平等に痛みを分かち合う」がモットーの財政再建策は、一般の人々も富裕層も巻き込んで苛烈に進められています。こういう場合、もっとも苦しい思いをするのは例によって貧しい人々であり、富裕層は文句を言いながらも余裕はある、というのが通例でした。

しかし、今回の増税では富裕層、特に旧家や古い資産家層の疲弊が激しく、いささか様相が違っている。収税の速度と金額を少し落とさなければ、人々は持ちこたえられないのではないか、というのが多くの専門家の見方になりつつあります。

 

バラマキ財政が得意だった前首相のベルルスコーニさんは、反モンティと減税をスローガンに政権奪還を目論みそうですが、彼の真意は、政界に影響力を温存して窮地を逃れたい、というところあたりでしょう。なにしろベルルスコーニさんは、所有企業の脱税容疑や未成年者買春容疑で起訴されたりなど、多くの不徳を糾弾される身なのですから。

イタリア国民の多くはもちろん、
EU各国の国民や政治指導者たちも、呆れ顔で前首相の動向を監視しています。僕もそうした見方に同調する一人です。

 

日本の総選挙への動きも詳しく見ていますが、日本とイタリアの政界ってホントに良く似ていますね。2国とも先進国で、文化や創造性など一流の多くの優れたものに恵まれながら、政治はいつも三流。

かつて政権を投げ出した自民党の安倍さんが返り咲くのは、この国の前首相ベルルスコーニさんが甦ることと同じくらいに恥ずかしく、情けないことだ僕は思います。健康状態が良くなかった、という安倍さんの個人的な問題は百歩譲って許すとしても(一国の宰相たる者は死ぬ覚悟で仕事をするべきと僕は思いたいけれど)、あの自民党に再び政権が渡るというのは、日本の民主主義の底の浅さを如実に示すもので僕は慙愧に耐えない。

 

ならば民主党や第3極勢力の未来の党、維新の会、みんなの党などに期待するのかというと、それもあたらない。乱立するイタリアの各政党と同じで、新鮮味も真実味も政権担当能力も無いように見えます。

 

でもそうした中で、唯一期待できる政治家が日伊両国にいます。いうまでもなく僕の独断と偏見による主張であり、たぶん多くの人々が僕に賛同し、それと同じくらいにたくさんの国民の皆さんが嫌悪感を示すと思いますが。

 

まずイアタリア。消去法で考えた場合、現首相のマリオ・モンティさん以外にはこの国を財政危機から救える者はいないと思います。ベルルスコーニさんなんて論外。また次の総選挙で勝つと見られている中道左派「民主党」党首のベルサニ書記長もX.。彼は政権を取ればモンティ路線を引き継ぐと公言しているが、あまり信用できないと思います。政権奪還後は即座に、6月に不完全な形ながら成立した勤労者過保護の労働法「条項18」の改正をチャラにしてしまいかねないし、モンティ首相の進める財政改革も端折ってしまう可能性がある。

ドイツ的堅さがイタリアの柔軟に合わないきらいはあるものの、この経済危機のさ中ではやっぱりモンティ首相の継続が一番の選択ではないか。彼は辞意を表明したものの、総選挙を経て政権を継続担当する可能性も十分にあります。
 

日本の選挙戦も見ています。自民党の安倍さんに関しては前述した通り。民主党の野田さんは、政権公約を反故にするなど数々の失策に終始した党の党首というだけで、次期政権からは遠ざけられるべきでしょう。期待していた維新の会の橋下さんは、傲慢無礼な言動が見苦しい石原さんと手を組んだ時点でアウト。たとえ石原さんが総理になる器(僕はまったくそうは思いませんが)だったとしても、日本国を代表する者としては彼のお粗末な言動はいただけない。他の小党の党首たちも大同小異で今ひとつぴんと来ません。

 

そうやって消去法で残ったのが、そう、君の大嫌いなあの小沢さん!というのが僕の結論です。

 

不可解な検察審査会の強制起訴、執拗なマスコミの小沢バッシング等に僕は疑問を持ち小沢さんに同情してきました。そのこととは別に、僕は豪腕と言われる彼の政治手腕を経済、外交、安全保障などの分野で首相として十二分に発揮するところを見てみたい。特に外交ではアメリカにNOと言える政治家は日本では彼以外にはいないと思います。

 

最初は少しはアメリカとの関係がギクシャクするかも知れません。しかし、アメリカは小沢さんが反米ではないことを知っているから、筋を通してNOというべきところをNOと主張するであろう彼を、いずれはきっと尊重するに違いない。

 

小沢さんは習近平さんを始めとして中国にも幅広い人脈を持っているようです。従ってかの国との仲が冷え切っている今こそ、小沢さんが首班となって関係修復を図るべきです。これ以上中国との関係が悪化するのは、わが国にとって経済的にも安全保障上も極めて危険なことだと思います。

君が小沢さんを全く信用せず、彼の政治手腕というか、政治手法に強い嫌悪感を抱いているのは良く知っています。が、僕はこのことに関しては、友人の君と真っ向から対立する立場を取ります。
                                            それでは」

 

 

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