【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

安倍首相への公開状 ~真正保守への脱皮を促す~



安倍晋三総理大臣

遅ればせながら、総選挙での大勝また長期政権への展望、まことにおめでとうございます。

長期政権への疑念

あらかじめ申し上げておきます。残念ながら私は安倍政権を支持する者ではありません。あなたが推し進めているアベノミクスは長い目で見た場合は方向性が間違っていると以前から思っていますし、歴史認識や安全保障を巡る政策にも違和感を覚えています。私はわが国の政治の安寧と発展を願いながらも、安倍政権の長期化には懸念を抱いている者です。

しかし、だからと言って、私は冒頭の賛辞を皮肉や揶揄で口にしたのではありません。突然解散を行ったあなたの政治屋(政治家ではありません)としての鋭い嗅覚とセンスと、低い投票率(投票に行かなかった国民は国民自身の咎なのであって、決してあなたの責任ではありません)とはいえ、国民の圧倒的な支持を得た事実に心から敬意を表し賞賛を申し上げています。

私は日本で大学を終えた直後に学業で英国に渡り、その後メディア関連の仕事で米国とイタリアに移り住みました。現在はここイタリアで、人々の日本意識と日々向き合い、同時にBBC、Al Jazeeraなどの英語圏の衛星放送やインターネット等を介して、グローバル世界の日本意識とも相対しています。同じ手法で日本の情報にも密に接しているのは言うまでもありません。

長い外国生活の全ての過程で、私は故国を眺めては時には批判をし、懐かしがり、誇りに思い、悲しみ、喜んだり呆れたりしながら生きてきました。ここでは私のそうした経験から見た安倍さんの「グローバル世界におけるイメージ」について考えてみようと思います。

イメージとは、火のないところに立つ煙のようなものです。つまり事実や、真実や、事象の形が曖昧なのに、煙の鮮明だけが目立つでき事です。従ってそれは虚偽やまやかしである場合が多々あります。しかし、また、火のないところに煙は立たない、とも言います。煙の向こう側には煙を出すだけの何かがあることもまた確実です。それは検証に値する現象なのです。

国際世論の見方

もはや言い古されたことかもしれませんが、あなたは国際社会から潜在的に危険な極右に近いナショナリストと見なされています。また同時に、現在の日本のタカ派の主要な関心事に鑑みて、歴史修正主義者とも規定されます。そうした見方は、私自身の見解ともぴたりと一致するものですが、私は同時にあなたは柔軟なプラグマティストであり、その意味では優れた政治家ではないかとも考えています。

あなたはかつて慰安婦にかかわる河野談話や村山談話の見直しを声高に主張していました。それは当然韓国や中国の反発を招くものでした。が、あなたは意に介しませんでした。あなたがそれを言わなくなったのは、欧米、特にアメリカ世論の反発があったからです。恐らくそれを不快と見なす米国政府からの圧力もあったのではないか、と私は見当をつけています。

それでもあなたは、もう一つの歴史認識の争点である靖国神社参拝を決行しました。アメリカはその前に、千鳥ケ淵戦没者墓苑が彼らが認める参拝所である、とさり気なくあなたにシグナルを送ったのですが、あなたは気づかなかったのか、あるいは確信犯的思い入れからなのか、あえて靖国神社を参拝したのでした。それは周知のように中韓は言うまでもなくアメリカをも怒らせてしまいました。

その後、あなたは何事もなかったかのように経済政策アベノミクスに集中する傍ら外遊を重ね、秘密保護法や集団的自衛権など、議論百出する事案を数を頼りに楽々と思い通りの方向に決めていきました。また沖縄の普天間基地移転問題では、地元の民意を無視する形で県知事を懐柔して、移転へ向けての布石を打ちました。全く見事な手腕だと思います。これらの論点についても私は大いに異議を持つ者ですが、長くなるので議論は別の機会に譲ります。

過去の言動や直近のそれに照らし合わせて、前述したように国際社会はあなたを姑息な国粋主義者、歴史修正主義者と規定し常に監視しています。あなたは建前と本音を使い分ける日本の文化や、熱し易く冷め易い国民の意識に助けられて、まるで以前の言動がなかったのでもあるかのように振る舞っていますが、敏感で疑り深く且つ執拗な国際世論は、あなたの正体を見抜いていて監視・追求の手を少しも緩めてはいません。

日本極右は中韓の味方

あなたに対する疑念は、あなたとあなたの周りの民族主義者らの願いとは全く裏腹に、特に中国と習近平国家主席に資しています。一党独裁国家、人権無視の野蛮国、覇権主義国家、そこに君臨する共産主義の巨魁・習近平等々のネガティブなイメージは、中国と対立する日本、という構図で語られる時には、以前とは違って「戦争被害国の中国」という印象が強調されて、同情さえ買う構図になってしまっています。

それは偏えにあなたの極右的言動と歴史修正主義者というイメージによって、相対的に中国の暗部が薄められたものです。直近の例をあげれば、APECであなたが習近平さんと握手を交わし、無視されて公衆の面前で恥をかいた時、私の知る限りの多くの知識人は、習さんの子供染みた態度はあなたの言動への反発、従って身から出た錆、という風な捉え方をしました。国際世論は中国と習主席の動きにも敏感でよく眉をひそめますが、昨今はあなたに対しての「眉のひそめ度」がはるかに大きいために、結果、中国の悪が見えにくくなるという事態が起こっているのです。

あなたとあなたの周囲の民族主義者らは、靖国参拝を正当化するとき「国の為に死んだ方々の御霊を慰めるのは日本人として当たり前のことだ。他国にとやかく 言われる筋合いはない」と実にもっともな反論をします。戦争で国の為に倒れた人々の霊を敬うのは、口に出して言うことさえばかばかしいほど、当たり前のこ とです。その考えは真っ当なものです。世界基準の心の在り方、と言っても差し支えないでしょう。もちろんその心は、あなたの靖国参拝に猛烈に反発している中韓でさえ同じです。

周知のように中韓は参拝そのものに噛み付いているのではなく、彼らに酷い不利益をもたらした軍国主義日本の象徴である「戦犯も祀られている靖国神社」参拝に反発しているだけです。そこで、ならば合祀を無くして分祀を、とか、新施設を建てるべき、云々の古くて常に新しい議論もここでは後回しにして、あなたが敢えてそこに参拝することの是非について意見を述べます。

御霊を崇め礼を尽くすのは前述したように人として当たり前のことです。また日本人の心情として、例え悪人でも死して仏になってしまえばこれを貶めない。従って戦犯とされる人々の霊も尊崇されて然るべき、という考え方にも一理ありま す。しかし残念ながら、戦犯と呼ばれる人々は軍国主義日本の代表であり象徴として規定されています。戦後世界は、日本やドイツを始めとする敗戦国とその他の国々との間に、そうした決め事を作成し合意することによって、憎しみと混乱と怨みを安らげて前進しよう、と誓い合い、実際に前進してきました。

日本のイメージを貶める行為

あなたは靖国参拝によって、買わなくても良い中韓の怒りを買い、アメリカを苛立たせ、国際社会に疑念を抱かせました。その行為はあなたの周りにいる極右やネトウヨの人々が、例えば私のような国際派の愛国者(私は自分をそう規定しています)を指して、国賊、反日、売国奴などと蛮声を挙げる、まさにそれらの形容詞そのものの通りの行動でした。あなたがやったことは、グローバルな視点では、日本の国益にとっては徹頭徹尾ネガティブな行為だったのです。

あなたが政権に就いて以来、日本の政治的なイメージや評判は悪化しています。この辺りの空気が、日本国内に住んで昨今の「右傾化した」熱い世論にまみれていると、国民の多くにとっても 中々見えにくい事態だと思います。鏡に顔を近づけ過ぎると自分の顔の輪郭がぼやけて見えにくくなります。国内にいると日本の世論の実際がぼやけ、しかもそれが全て正しいような錯覚に陥ります。なにしろ自分の顔さえ良く見えないのですから、グローバル世界の目線など見えるはずもありません。

かつて驕りと欲と無知から、進むべき道を間違えて侵略戦争に突入し、多くの犠牲を払って破滅した日本は、過去70年間、先の大戦の非道な行為を世界から責められ、また自らも責め立ててこれを反省し、ひたすら平和主義と友愛を信条に国を立て直してきました。戦後の瓦礫の中から立ち上がった日本は、一心に働き続けてついには経済大国にまでなりました。国際社会は日本の多大な努力と、国民の誠実で真摯な行動と高い民意を大いに賛辞するまでになったのでした。

日本に対する国際世論のあくまでもポジティブな意見は3年前、東日本大震災という巨大な不幸と引き換えに最高潮に達しました。即ち、東日本大震災における 被災者の方々の崇高な行動と、それを支えようとする日本国民の真摯な姿が世界中を感動の渦に巻き込んだのです。大災害を蒙りながらの苦しいパラドックスで はありますが、あの時ほど日本が世界で輝いた瞬間はありません。

ところがそうしたイメージは、あなたの愚かな行動によって崩壊しました。あなたは自らの政治的信条と国内で高まる民族主義のうねりに力を得て、自身の満足と、また人々の中韓への反発心を安んじるために靖国神社に参拝しました。その行為は、前述した通り、特に慰安婦問題に対するあなたの見解と相まって、中韓米のみならず国際世論をも困惑させました。中韓やアメリカだけが文句を言っているのでは決してない。親日国を含む国際社会の意見の大半は、あなたに風当たりの強いものであることをぜひ理解して下さい。

怒りにはひたすら真心と誠実で応えるのみ

あなたとあなたに近い国粋主義者は、日本の外の事象に対して鈍感で想像力を欠く傾向があります。そのため他人の立場を理解せず、理解しようと努力することもなく、また理解もできない。中韓の怒りが理解できないという人々のために次のリンク先を貼付します。
 http://news.livedoor.com/article/detail/7924365/

記事にある「日本の軍国主義や右翼勢力が消滅しない限り、被害国の人々の反日感情はなくならない~米国やロシアは日本に徹底的に報復したから、今は平穏な 気持ちで日本と付き合える。だが、中国人は何も報復していない」 という文章の最後は、「中国人も韓国人も朝鮮人も何も報復していない」と書き変えることもできます。北朝鮮による日本人拉致は報復ではないか、という意見 もあるかも知れませんが、ここでいう報復とは、軍隊による日本全国民への報復、という意味だと考えられますから規模や恨みの深さが桁違いに違います。

ほんの少しの想像力があれば、彼らの心情は立ち所に理解できます。しかし、隣国の人々の報復感情を怖れる必要は全くありません。われわれは軍国主義日本が 彼らに与えた被害を見つめて反省し、誠意を持って彼らに対していけば良いだけの話です。彼らの怒りは加害者であるわれわれ日本人の行動によってのみ収まりがつきます。

日本はこれまで同様、今後も自らの過ちを見つめ続けて謝罪するべきところは謝罪をし、中韓及び北朝鮮を始めとするアジアの国々を密かに、或いは公然と蔑視する愚にもつかない思い上がりを捨てて、隣人として、対等な国としてまた人として、誠実にまっすぐに付き合っていくべきです。そうすれば必ず彼らの傷は癒され憎しみは消えます。それは彼らが努力をするべきことではない。少なくともわれわれが彼らに「皆さんも過去を忘れる努力をしろ」と言ってはならない。われわれ日本人が努力するべきことなのです。

自虐史観だ、もう何度も謝った、謝ればまた金を要求される、反日、売国奴、などなど・・聞き飽きた罵声が聞こえてくるようです。それらは想像力を持たない者の野蛮な咆哮です。自らを貶めるという意味の自虐史観とは、実は逆に、そうした蛮声を挙げる人々が主張する歴史認識にほかなりません。なぜなら彼らは国粋主義的見解に基づいて歴史修正を試みますが、そうすることによって国際社会から糾弾される。それこそが自虐行為であり自虐史観以外の何ものでもないのです。

歴史を学ぶのではなく「歴史から学ぶ」べき

繰り返しになりますがあなたは以前、河野、村山談話への異議を表明し、これまた中韓だけに目が行く視野狭窄から従軍慰安婦問題では狭義の強制性はなかった、というKYな主張をして世界の顰蹙を買いました。よく言われることですが、信用を勝ち取るまでには途方もない努力と時間がかかり、それを失うのは一瞬 です。あなたはあの主張を表明したことで、自らの信用を一気に失墜させると同時に、世界の多くの人々の心中に日本国への疑惑を芽生えさせました。

世界は軍の強制性云々などには微塵も興味がありません。世界が関心を持っているのは、女性の人権と戦争犯罪です。国際世論は「慰安婦は戦時中に実際に存在していた。それは悪であり恥ずべき過去である」ということを確認したいだけなのです。従って、当時はそれが当たり前だった、だから今の感覚で非難するのはおかしい、などという主張は国際社会では決して受け入れられません。なぜなら国際世論が問題にしているのは、まさにその「今の感覚で見た慰安婦」なのですから。

もう一つ例を挙げれば、日本が中国を侵略し韓国を併合したのは、当時の世相や考え方では普通のことだった。欧米列強も同じことをしていた、などと主張してはならないのです。なぜならそれは「今の感覚」では悪だからです。人間は間違いを起こします。大事なことはその間違いに気づき、二度と同じ間違いを起こさないことです。学習したかどうかが論点なのです。

学習すれば反省に至り、再び同じ過ちを繰り返すまいという決意と行動が生まれます。歴史を学ぶとはそういうことです。歴史事実を調べ確認して満足しているだけでは意味がない。それは無味乾燥な学者的行動様式です。歴史の事実を調べて検証し、それが「今の感覚」ではどうなるのか、という視点まで論を進めることにこそ意味があります。それが真に歴史を学ぶことです。言葉を替えれば「歴史を学ぶ」のではなく、「歴史から学ぶ」ことが重要なのです。

引き籠りの暴力愛好家とは手を切れ


そういう意味では、例えばあなたの心情的な仲間である石原慎太郎さんなどは少しも学習していない。彼と彼の同類の人々は、世界から目をそむけたまま日本という一軒家に閉じこもって、壁に向かって怨嗟を叫んでいる者たちです。私は彼らを「引き籠りの暴力愛好家」と規定しています。そして私が極めて残念に思う のは、あなたが彼らと親和的な思想信条を持っていることです。あなたは一国の首相だけに少しは自制していますが、あなたの本性は石原さんと同じか又は極めて近いものに見える。

その石原さんは政界を引退すると表明し、先の選挙では、極右以外の何ものでもない頼母神氏を始めとする「次世代」の党の皆さんが、きっちりと有権者のノーの審判を受けました。彼らには極右やネトウヨなどの支持があっただけで、保守層の共感は無かったことが明白になったと思います。これは右傾化が進む日本の風潮の中にあって、極めて明るい出来事であると私は考えます。

あなたには国際世論を敏感に嗅ぎ取る能力があるようです。国粋主義的な言動を試みて、それが批判されるや否や、さっさと引っ込める事実がそのことを如実に示しています。それは日和見主義や右顧左眄の策士と同じである危険があります。が、同時に自らの思い込みを見直して正しい道を歩もうとする「形」も意味します。すぐにそうはならなくても、その振りを続けるうちに真実になる、ということは人の世では良くある話です。或いは嘘もつき続ければ本当になる、とも表現できます。

安倍さん、いかがでしょうか。長期政権への展望も開けたことですし、この際「引き籠りの暴力愛好家」らとはきっぱりと縁を切っ て、ナショナリストではなく『保守主義者』として日本の舵取りをしてはいただけないでしょうか。

保守がいて革新が同じ力で相対していれば、極右主義者や極左思想の持ち主が台頭して国際社会の顰蹙を買う事態は必ず避けられます。私はあなたの政権は支持しませんが、中韓にも絶えず対話をしようと呼びかけ(対話が途切れているのはあなたの極右的言動が元々の原因ではありますが)、経済を立て直して自信を喪失している日本国を甦らせよう、と懸命に政策を実行している姿には大いに共感します。この際ですから日本の過去の過ちと国際社会の実態にしっかりと目を据えていただいて、自らの言動に責任を持つ右顧左眄のない『真正保守』として、堂々と主張をされ行動されることを切に願います。

                                敬具

PS:まだ申し上げたいことがありますが、長い文章がさらに長くなってしまいますので割愛して、また別の機会にお便りを差し上げられれば、と思います。

無神論者がクリスマスに熱狂する理由(わけ)

ここイタリアを含む欧米諸国や世界中のキリスト教国は、クリスマス・シーズンのまっただ中にあって賑わっている。それだけではなく、日本や中国などに代表される非キリスト教国でも、人々はクリスマスを大いに楽しみ、祝う。

毎年、クリスマスのたびに思うことがある。つまり、今さらながら、西洋文明ってホントにすごいな、ということである。クリスマスは文明ではない。それは宗教にまつわる文化である。それでも、いや、だからこそ僕は、西洋文明の偉大に圧倒される思いになるのだ。

文化とは地域や民族から派生する、祭礼や教養や習慣や言語や美術や知恵等々の精神活動と生活全般のことである。それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえある。

だからこそそれは「化け物の文(知性)」、つまり文化と呼称されるのだろう。

文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからである。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからである。だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなる。

ところが文化の価値とはまさに、偏見や恐怖や差別さえ招いてしまう、それぞれの文化の特殊性そのものの中にある。特殊であることが文化の命なのである。従ってそれぞれの文化の間には優劣はない。あるのは違いだけである

そう考えてみると、地球上に文字通り無数にある文化のうちの、クリスマスという特殊な一文化が世界中に広まり、受け入れられ、楽しまれているのは稀有なことである。

それはたとえば、キリスト教国のクリスマスに匹敵する日本の宗教文化「盆」が、欧米やアフリカの国々でも祝福され、その時期になると盆踊りがパリやロンドンやニューヨークの広場で開かれて、世界中の人々が浴衣を着て大いに踊り、楽しむ、というくらいのもの凄い出来事なのである。

でもこれまでのところ、世界はそんなふうにはならず、キリスト教のクリスマスだけが一方的に日本にも、アジアにも、その他の国々にも受け入れられていった。なぜか。それはクリスマスという文化の背後に「西洋文明」という巨大な力が存在したからである。

文明とは字義通り「明るい文」のことであり、特殊性が命の文化とは対極にある普遍的な知性(文)のことである。言葉を替えれば、普遍性が文明の命である。誰もが希求するもの、便利なもの、喜ばしいもの、楽しい明るいものが文明なのである。

それは自動車や飛行機や電気やコンピュターなどのテクノロジーのことであり、利便のことであり、誰の役にも立ち、誰もが好きになる物事のことである。そして世界を席巻している西洋文明とは、まさにそういうものである。

一つ一つが特殊で、一つ一つが価値あるものである文化とは違って、文明には優劣がある。だから優れた文明には誰もが引き付けられ、これを取り入れようとする。より多くの人々が欲しがるものほど優れた文明である。

優れた文明は多くの場合、その文明を生み出した国や地域の文化も伴なって世界に展延していく。そのために便利な文明を手に入れた人々は、その文明に連れてやって来た、文明を生み出した国や地域の文化もまた優れたものとして、容易に受け入れる傾向がある。

たとえば日本人は「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と言われた時代から、必死になって西洋文明を見習い、模倣し、ほぼ自家薬籠中のものにしてきた。その日本人が、仏教文化や神道文化に照らし合わせると異なものであり、不可解なものであるクリスマスを受け入れて、今や当たり前に祝うようになったのは一つの典型である。

西洋文明の恩恵にあずかった、日本以外の非キリスト教世界の人々も同じ道を辿った。彼らは優れた文明と共にやって来た、優劣では測れないクリスマスという「特殊な」文化もまた優れている、と自動的に見なした。あるいは錯覚した。

そうやってクリスマスは、無神論者を含む世界中の多くの人が祝い楽しむ行事になった。それって、いかにも凄いことだと思うが、どうだろうか。



訂正:FBのアブナイ面々



前回エントリーで、面識のない人からのメッセージの無いFB友達リクエストには困惑する、と書いたのは自分の本心だが、心構えとしては間違っているのだろうな、 と気づいた。

面識のない人と突然友達になれるのがSNSの良さであり真髄だから。

ただ友達リクエストを送って承認されたら、やっぱり一言挨拶はするべ き、とは強く思う。

元からの友人知己なら気心が知れていたりするから、その必要はない場合も多いだろうけれど・・。

FBを始めた頃は何がなにやら良く分からず、面白がったり困惑もしたりして、僕自身もルール違反的な行為もしたかもしれないな、とも考える。

このブログを含めたSNSは面白く、不思議で、やはり常に怖さも秘めた媒体だと感じるのは僕だけだろうか。

FBのアブナイ面々


最近、全く面識のない人からのfacebookの友達リクエストが多いのだが、何のメッセージもなく送られてくるので困惑する。

また、たまたまこちらがそれに答えてもやっぱり何の反応も返ってこない。

それって、きっとなにかの間違いなのだろう。

だってなんの挨拶もない友達なんて聞いたことも見たこともないし。

そういう行動をとる人は、友達といっても伝統的な意味での友達ではなく、SNS友達だからそれでいいんだ、と思っているのではないか。

それって何よりもまず不愉快だが、ちょっとアブナイな、と僕などは考える。

礼儀をわきまえないことがその人の本質だから、少しネジがゆるんでいることになり、なにかあるとアブナイかも、と考えてしまったりもするのである。

その人自身がアブナイことはなくても、その人を介してアブナイことが起きるかもしれない・・

と思わせるところが、その人のアブナサである。

要するに普通ではないのだ。

来年、つまり2015年1月1日から、Facebookの利用規約が変わる。

一口で言えば、自分の情報は自分で守れ。Facebookは責任を取らない、という風に変わる。

そんなところでは、アブナイ人たちはますますアブナイ。

だから余計に気をつけようと思う。




チュニジア・ジャスミン革命に終わりはあるか


11月23日に行われたチュニジアの大統領選挙には27人が立候補した。

その結果10月の議会選挙で第一党になった世俗派政党ニダチュニス(チュニジアの呼びかけ)の党首カイドセブシ氏(87)が39%を獲得して1位。

人権活動家の暫定大統領マルキーズ氏(69)が33%を獲得して2位になった。同氏は世俗派である。

どちらも過半数には届かなかったため、12月21日に2人による決戦投票が行われる。そこで選ばれる大統領は、議会第一党のニダチュニスと第二勢力のイスラム主義政党アンナハダ(再生)との共生を余儀なくされる。

僕は地中海域のアラブ諸国に民主主義が根付き、自由で安全な社会が出現することを願っている。それはアラブの春以降、混乱が続く同地域の人々が圧政から解放されて、平穏かつ自由な世の中になってほしい、という当たり前かつ純粋な気持ちから出ている。

それに加えて、以前にも書いたことだが、実は僕は利己的な理由からもアラブの「本当の」春を心待ちにしている。

僕は1年に1度地中海域の国々を巡る旅を続けている。ヨーロッパに長く住み、ひどく世話になり、ヨーロッパを少しだけ知った現在、西洋文明の揺らんとなった地中海世界をじっくりと見て回りたいと思い立ったのである。

イタリアを基点にアドリア海の東岸を南下して、ギリシャ、トルコを経てシリアやイスラエルなどの中東各国を訪ね、エジプトからアフリカ北岸を回って、スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破しようと考えている。

しかし、2011年にチュニジアでジャスミン革命が起こり、やがてエジプトやリビアやシリアなどを巻き込んでのアラブの春の動乱が続いて、中東各国には足を踏み入れることができずにいる。

そんな中にあって、ジャスミン革命が起こったチュニジアは比較的安定しているとされる。そこで今年7月、僕は思い切って同国を訪ねてみることにした。

チュニジアは平穏だった。ジャスミン革命はまだ続いているとされ、政治的にも流動的な状態が収まっていないが、少なくとも市民生活は表面上は穏やかに見えた。

しかし、チュニジアの経済は停滞し、若者の失業率も高い。国に不満を持つ若者が、シリアに渡航して凶悪な「イスラム国」の戦闘員になるケースも増えている。「イスラム国」に参加する外国人戦闘員の中では、チュニジア人が最も多いとさえ言われている。

僕はそうした情報を目にする度に、イタリアやフランスを始めとする西洋資本によって乱開発されて、一見発展しているように見えるチュニジアのリゾート地の悲哀を思い出す。

チュニジアの地中海沿岸には、大規模ホテルを中心とする観光施設がひしめいている。それらは全てがヨーロッパ資本によって建てられている。所有者はチュニジア国籍の会社や人物でなければならない、という規定があるとも聞いたが、そんなものはいくらでも誤魔化しが可能である。

ホテルに滞在しているのはほぼ100%が欧州人である。彼らはそこに滞在してバカンスを過ごすのだが、食事や買い物などもほぼ全てホテル施設内で済ませる。バカンスの一切がパックになっているのである。

つまり欧州からのバカンス客は、欧州の旅行業者からパックを買って、欧州の航空機でチュニジアに入り、欧州資本の大型バスでリゾート施設に向かい、欧州資本のバカンス施設の中で1~2週間を過ごして、同じ行程で欧州の自宅に帰っていく。

そうした事業がチュニジアにもたらすのは、雇用と食材などの需要益程度である。それだけでも無いよりは増しかもしれないが、利益のほとんどは欧州に吸い上げられている。

チュニジア側にも問題はある。バカンス施設を一歩外に出ると、施設が管理している周りの土地だけが日本や欧米並みに清潔を保っていて、町や村の通り、また空き地などにはゴミが散乱する不潔な光景がえんえんと続いている。

そこには観光客が入りたくなるようなカフェやレストランもほとんど無い。そのためバカンス客は、首都のチュニスなどの大都市を別にすれば、仕方なくホテル施設内に留まって消費活動を行う、という形になる。

貧しい国を欧米や日本などの大資本がさらに食い荒らす、というのは余りにもありふれた光景だが、チュニジアの地中海沿岸のそれはひどく露骨で、僕はしばしば目をそむけたい気分になった。

そうした中で、革命後初の政権選択のための議会選挙が行われ、大統領選挙も断行された。両選挙ともに過半数を占める者がなく、議会では連立政権への模索が続き、大統領も今月28日の決選投票によって選ばれる予定である。

何もかもが流動的な状況の中で、経済は混迷し欧米資本の搾取が続き、絶望した若者が「イスラム国」に参加していくチュニジアの今。

ジャスミン革命以後、僕はチュニジアに注目してきたが、混乱とそして奇妙な平穏が同居する同国を訪ねてからは、ますますそこから目が離せなくなっている。

大相撲勝手番付け表


1年収めの大相撲九州場所が終わって1週間が過ぎた。九州場所の結果を基本に、しかし平成26年度全体を振り返って、独断と偏見をもって上位力士の2年後の予想番付け表を作ってみた。同時に九州場所の少しの解説と評論も。そうすることで大相撲の現在を掘り下げて見てみたい、というのが目的であるのは言うまでもない。

これは相撲が大好きな1相撲ファンの勝手な思いだから、読者の中には贔屓の力士をけなされて気を悪くする人がいるかもしれない。でも贔屓力士がいるということは、その人もきっと僕と同じ相撲大好き人間だろうと思う。それはつまり、大相撲の発展を願うという意味ではわれわれは同志、ということである。そこに免じてもしも無礼があればお許しを願いたい。

なお、横綱及び3役には同地位のうちの格下の者、いわゆる張出(今は使われていない)を設けてみた。また、予想番付け表では期待と失望を込めて、昇格ばかりではなく降格のケースも列記してみた。
 
【2014年九州場所の実際の番付け】

東横綱-白鵬      西横綱-鶴竜       張出横綱-日馬富士    
東大関-琴奨菊     西大関-稀勢の里      張出大関-豪栄道    
東関脇-碧山      西関脇-逸ノ城       張出関脇-不在
東小結-豪風       西小結-勢         張出小結-不在
 

【2016年九州場所の予想番付け】 ※横綱も格下げの対象とした場合

東横綱-逸ノ城    西横綱-白鵬      張出横綱-照ノ富士      

東大関-栃の心    西大関-稀勢里      張出大関-日馬富士   

東関脇-妙義龍    西関脇-鶴竜       張出関脇-高安 

東小結-碧山      西小結-千代鳳     張出小結-蒼国来
 
東前頭1 - 大砂嵐         西前頭1 - 遠藤

東前頭2 - 豪栄道         西前頭2 - 琴奨菊


横綱について:
白鵬の32回優勝は言うまでも無く凄い。素晴らしい。ただ彼だけが抜きん出ていて、且ついつもの結果で僕の心は盛り上がらなかった。1人横綱時代を含めて、他の力士が不甲斐ないから次々と大記録を打ち立てている、という側面はないのだろうか。決して白鵬の偉大にケチをつけたいからではなく・・。

日馬富士には「相撲をナメンナよ」と、余計なお世話の苦言を呈したい。綱を張りながら大学に通うオチャラケのことだ。そんな暇があったらもっと稽古をし鍛錬し修行して横綱の責を果たしてほしい。大学に通うという立派な心がけは、引退後で十分ではないか。大学に通って人間を磨きたい、という言いもまた立派だが、現役横綱がやることではない。今は横綱道にまい進してこそ人間が磨かれると考える。本末転倒だ。

鶴竜の人格は随一だが、引き技ばっかりみたいな横綱では、優勝どころか常勝さえ難しい雰囲気である。彼の横綱昇進は拙速だったというのが僕の意見だった。が、今は確信になりつつある。この不安をくつがえしてほしいと強く思うが、どこかで化けない限り今のままでは厳しいだろう。横綱も降格される規定があるとすれば、彼は大関も通り越して万年関脇あたりにいた方がいい。関脇が強いと大相撲が面白くなるから、鶴竜はそこで毎場所大暴れして相撲全体を盛り上げたらどうか。

将来の横綱候補は逸ノ城、照ノ富士、栃ノ心:
九州場所最高の見せ場は、 逸ノ城VS照ノ富士戦だった。2人は千秋楽でぶつかり、2分12秒の大相撲の末に照ノ富士が勝った。ケガなどのアクシデントが無ければ、2力士は今後横綱にまで駆け上がって、繰り返し九州場所のような戦いをするだろう。

逸ノ城が大騒ぎをされているが、僕はずっと照ノ富士にも注目していた。どこから見ても大器の雰囲気を発散していたからだ。そこに怪物逸ノ城が彗星の如く現れて、少しダレかけていた照ノ富士の闘争心に再び火が点いたように見える。2人は来年中に大関、あるいはどちらかは横綱にまで駆け上がる可能性さえあると思う。

栃ノ心にも僕は注目してきた。なぜか。四つ相撲を目指す彼の取り口の型もさることながら、像みたいな巨大な尻が将来の横綱級だとずっと思っていたからだ。相撲の親方衆は若者をスカウトしようとするとき、尻の形や大きさに注目する。大きな尻は相撲の基本中の基本である下半身の強さを示唆するからだ。栃ノ心はそれを備えている。

ケガから復活した栃ノ心を横綱候補に挙げたのは、自分の希望的観測もからんでいる。僕は早く欧州出身の横綱が誕生することを願っている。欧州に居を構える者としての、単純な欧州人力士贔屓とは別に、欧州出身の横綱が出ればここでの相撲人気がまた高まって、さらに多くの才能ある若者が大相撲を目指すと考えるからだ。琴欧州、把瑠都の欧州出身大関が引退した今、最も横綱に近いのは栃ノ心だ。碧山も力をつけているが、押し相撲である分安定性に欠けるから、大関、また綱取りレースでは、四つ相撲の栃ノ心に分がありそうだ。

将来の大関候補について:
上からの降格組の日馬富士に加えて、日本人力士を含む5人を大関候補として三役の地位に据えてみた。碧山  妙義龍  高安 千代鳳  蒼国来である。 ここに遠藤を入れたいのは山々だが、彼は立会いの当たりを磨いて厳しさと重厚さを獲得しない限り、小手先の相撲が上手いだけの力士で終わるだろう。そうなると平幕上位から小結、関脇あたりを常時往復することになる。しかし、例えば大きな 碧山などを立会いの当たりで粉砕するくらいの力強さを身につければ、大関も超えて久しぶりの日本人横綱誕生もあり得る、と希望的観測を込めて付け加えておきたい。

礼儀作法について:
白鵬が賞金を受け取って、それを振り回す仕草は醜い。中に大金が入っているから嬉しいぜ、という気持ちは分かるが、静かにありがたく受け取って、横綱の品格の片鱗を見せてほしい。鼻や口を歪めて示威行為をするのもなんだかなァ・・せっかく日本人の素晴らしい嫁さんをもらって、多分彼女の大きな努力もあって日本人の心を理解し、それに染まろうと努力している苦労が水の泡になりかねない。

賞金なんかいらねぇが、ま、くれるんならもらっておいてやるよ、という安美錦の手刀の切り方は、飄ひょうとした彼のキャラが出ていて面白い。少なくとも白鵬よりよっぽど醜くない。

戦いの後の辞儀の姿は、外国人力士の碧山と魁聖が横綱級。自然体で頭を下げる角度も好ましい。辞儀は顎を引くだけという安美錦も、ここでは他の力士に率先して2人の外国人力士を見習うべきだ。九州場所は姿が見えなかったが、豊真将の120度か?と見えるほどに深々と頭を下げる辞儀は、大げさ過ぎて逆に少し滑稽だと思う。なんとか自然体で行けないものだろうか。

最後に、取ってつけたようにNHKの大相撲解説者の番付も書いておくことにした。その理由は、今ここで書いておかないと、一体どこでいつ書くんだ?という訳で。

NHK大相撲解説者番付:

東横綱 - 北の富士勝昭   西横綱 - 不在

大関 - 九重親方 

小結 - 舞の海  琴欧州

平幕 - 貴乃花親方を除く全員

序の口 - 貴乃花親方

貴乃花親方は、テレビの解説者席などに座ってはいけない。元「天才ガチンコ横綱」のままでいるべきだ。解説者として登場するたびに、過去の栄光に傷をつ けてしまっている。解説者の資質、つまりシャベリの能力はほぼゼロだということにNHKも気づいて、どうやら彼を呼ばない方向でいるらしいのは喜ばしいことだ。

琴欧州親方は、引退直後の今年5月場所の6日目に、NHK大相撲中継の解説者として放送席に座った。それには現役を引退したばかりの彼への慰労の意味合いもあっただろう。ヨーロッパ人初の大関、そして ヨーロッパ人初の親方へ、という経歴への物珍しさもあっただろう。また、NHKとしては彼に解説者としての資質があるかどうかを試す意味合いもあっただろ う。あるいは解説者としての資質ありと見抜いていて、実際に力量を測ろうとしたのかもしれない。

結論を先に言うと、琴欧州は僕がいつも感 じてきたように、人柄が良くて謙虚で礼儀正しいりっぱな元大関だった。そして解説者としても間違いなくうまくやっていけると思った。その後九州場所を含めて彼は何度かNHKの解説者席に座った。現在のNHKの大相撲中継の解説者は、前述したように北の富士勝昭さんが最上、貴乃花親方が最低、という図式だが、琴欧州親方は既に中の上くらいの力量があると僕は感じている。

多くの日本人親方を差し置いて彼を番付で小結に格付けしたのは、僕からのご祝儀の意味合いももちろんある。だがそればかりではなく、通り一遍のことしか言わない(言えない)解説者群の中にあって、ちょっと相撲にうるさい人々も頷く視点での意見開陳ができる実力をも考慮してのことである。

握り寿司という言霊(ことだま)



先日、家庭内祝祭で人生2度目の握り寿司を拵(こしら)えた。ネタはマグロと鯛である。

マグロは地中海産の黒マグロ。最近は刺身の味を覚えたイタリア人がよく食べるので、質の良いものが割りと簡単に手に入るようになった。

鯛は外見が真鯛に良く似た、DENTICE(デンティチェ)と呼ばれる天然もののヨーロッパ黄鯛。2キロ弱の大物を自分でさばいた。

ここイタリアでは鯛(ORATA・オラータ)とは、日本で普通チヌと呼ばれる黒鯛のこと。真鯛はPAGRO(パグロ)というが魚屋ではあまり見かけず、代わりにDENTICE(デンティチェ)が店頭に並ぶことが多い。

DENTICE(デンティチェ)は、味は良いが身がやわらかくて肉(身)が割れやすい、という特徴がある。従って刺身にもまた握りのネタにもあまり適さない。

僕は今回はマグロに加えて、敢えてそのDENTICE(デンティチェ)を使って握りを作ることにした。天然大物のその魚の姿があまりにも美しいので、いつも料理する養殖ものの黒鯛の確実(身割れしないという意味で)を捨てて挑戦する気になったのだ。

結論を先に言うと、僕の握りは今回も大好評で家族の全員と招待客が大いに喜んでくれた。マグロも真鯛もどきのDENTICE(デンティチェ)も。

人気の握り寿司への自信を深めた僕だが、実はそれへの挑戦は、前述したように昨年のクリスマスイブと今回の2回だけである。

昨年、生まれて初めて握り寿司に挑戦した後、僕は日本とイタリア在住の友人知己に連絡をして、彼らが家庭で握り寿司を作るかどうかを確認した。

それというのも、巻き寿司やちらし寿司あるいは稲荷寿司などとは違って、握り寿司は寿司屋で職人が握った品を食べるものであり、自宅で自ら作って食べる 料理ではない、という強い固定観念が僕にはあったからだ。そしてそれは多くの日本人の固定観念でもあるように感じていたからだ。

結果、僕の「感じ」はやはり的を射ていた。ほとんどの人が握りは寿司屋の専売特許、という風な答え方をした。自分で握ることがあると答えた者も、それをいわば握り寿司「もどき」とまでは考えないが、寿司屋で職人の握る寿司とはどこか違うもの、という捉え方のようだった。

僕自身にとっても、『自分で握る握り寿司』の世界はほぼタブーだった。ところが僕は人生でたった2度の寿司握りの体験を経て、そうした思い込みは無意味な「型の縛り」であり、「言霊(ことだま)」にも似た迷信だと確信するに至った。

周知のように言霊とは、言葉に宿るといわれる霊のことで、それは強い力をもってわれわれの生に作用するとされる。古来日本に多く見られる思考観念だが、実は世界中に少な からず見られる傾向である。しかしながら日本の場合は、例えば欧米などと比べるとその縛りが強くて、ほとんど信仰の域にまで達していると思う。

僕の握る寿司は、プロの寿司職人の握る寿司とは完成度や見た目や味のこくや深みなどという部分でもちろん違いはあるだろう。が、それはまぎれもなく握り寿司であって、まがいものや「握り寿司もどき」では断じて無い。

握り寿司は家庭でも作れる料理であり、それを寿司職人の専売特許と考えるのは根拠の無い偏見だ。言葉を変えれば、例えば鯛という魚がメデタイに通じるから 縁起が良い、と考えるダジャレと同じ感覚である。

そうした遊びは遊びとして楽しんでいるうちはいい。が、いつの間にか例えば、鯛だけが縁起ものだからそれ以外の魚は祝いには向かない、などと頑迷に言い張るようになってはつまらない。握り寿司イコール職人芸、という思い込みはどうもそれに似ていると感じる。

僕は今後、さらに握りの腕を磨いて、家族や友人らに喜んでもらおうと考えている。そして、寿司職人の握る素晴らしい味もまた素直に探求しようと思う。寿司 を自分で握ってみて、僕はその見事な料理の絶妙と精良の核心が理解できそうな気になっている。それは言霊や迷信を怖れてチャレンジをしない者には分からない喜びである。

論が前後するようだが、僕は言葉の持つ力を信じる者である。言葉には「言霊」という迷信ではなく、科学的かつ論理的な力がある。つまり、われわれの思考の全ては言葉なのだから、それは肉体と同じ程度の実体と根拠を持つ人間存在の基盤だ。

人は言葉を実際に音にして発するだけではない。思索も言葉で行っている。文学は言うまでもなく、思想も哲学も言葉がなければ存在しない。数学的思考ですら人は言葉を介して行っている。それどころか数式でさえも言葉である。

言葉には人間存在の根源と言っても過言では無い巨大なパワーがある。存在そのものが言葉だと言えば語弊があるが、人間が他の動物と違うのは言葉を獲得したことなのだから、そういう言い方でさえある意味では正しい。

言葉は明晰で実際的な力を持つ人工物である。それは自然物のように説明不可能な霊力を発揮して(飽くまでもそういうことがあるという前提で)人間や世界を変えることはない。人間が自らが作った明晰な言葉によって人間自身に影響を及ぼし、存在を変え、世界を変えるのである。それ以外の形は迷信であり陋習であり、文字通り単なる言葉の遊びに過ぎない。

麻薬大国の恋人たち



過日、ベニス近くの村で行われた友人の結婚式に出席した。友人とは花嫁のアンナと花婿のマルコ。ともに50歳代半ば過ぎ。マルコは元麻薬中毒患者でイタリア人の妻の幼なじみ。今では僕の友人でもある。

イタリアの麻薬汚染は根深い。誰の身近にも麻薬問題を抱える人間が1人や2人は必ずいる。僕の周りには、オーバードーズなどで亡くなった者以外に、マルコを含めて7人の患者や元患者がいる。

その人数には、僕がテレビや文字媒体での取材を通して知り合った、薬物中毒者や元中毒者は含まれていない。また面識はないが、家族や友人知己を介して聞き知っている常習者も数えていない。

僕が直接に知っている麻薬患者7人のうちの2人は、現役というか今現在の依存症患者。友人と知人の息子である。若い2人は共に麻薬患者更正施設に入っている。

残りの5人は元麻薬中毒者。5人とも40歳代から50歳代の男性4人と女性1人である。彼らのうち早くに中毒から抜けた者は良いが、遅れて開放された者は今も後遺症に悩まされている。

マルコとアンナが10代で出会った時、彼は既に麻薬に溺れていた。アンナはマルコに寄り添い、世話を焼き、麻薬の罠から彼を救い出そうと必死の努力を続けた。

アンナの献身的な介護の甲斐があって、マルコは麻薬中毒から解放され、地獄のふちから生還した。彼が20歳代半ばのことである。
 
しかし、彼は麻薬をやめても精神的に不安定で、落ち着いた普通の暮らしができなかった。元麻薬中毒者によくあるパターンで、肉体的な依存症がなくなっても、精神的なそれからは容易に解放されずに苦しむのである。

2人の息子をもうけながらも、彼らは結婚の決心がつかず、一時期は別れたりもした。マルコが落ち着き、アンナが彼と結婚しても良い、と感じ始めたのは40歳代も終わりのころだったという。
 
10代の後半で麻薬中毒になり、20代でそこから開放されたマルコは、早くに麻薬のくびきから逃れた患者の部類に入る。それでも以後、彼は麻薬の「精神的」禁断症状に苦しみ、還暦が視野に入った今でも「元麻薬中毒者」という世間の偏見と、自らの負い目に縛られ続ける時間を過ごしている。

教会で行われた結婚式では、28歳と26歳の彼らの息子が、結婚の証人として2人の両脇に寄り添って立った。それは正式なものではなく、長い春を経て結婚を決意した両親を祝福する意味を込めて、息子2人が「ぜひに」と教会に申し出て実現したものだった。

2人の結婚を、特にアンナのために、僕は心から喜んでいる。長年マルコに尽くしてきたアンナは、とても女性的でありながら身内にきりりと強い芯を持っている。それは慈愛に満ちた母親的なものである。
 
アンナはその強い心で、廃人への坂道を転がっていたマルコを支えて見事に更生させたのだ。穏やかなすごい女性がアンナなのである。

                               (つづく・随時)


チュニジア総選挙は真の「アラブの春」の前兆か



先日、中東の民主化運動「アラブの春」の引き金となった「ジャスミン革命」の地元・チュニジアで議会選挙が行われた。結果、世俗派政党の「ニダチュニス (チュニジアの呼びかけ)」が勝利し、これまで第1党だったイスラム主義政党「アンナハダ(再生)」は第2勢力に後退した。

中東から北アフリカにかけてのアラブの国々は「アラブの春」以降もイスラム主義の台頭で政治不安や騒乱が絶えない。その中にあってチュニジアは曲がりなりにも民主化が進展した国だが、保守色の強い「アンナハダ」を抑えて「ニダチュニス」が第一党になったことは、同国の民主化が一層進むことを示唆している。

とは言うものの、「ニダチュニス」は全体の39%に当たる85議席を獲得しただけで、単独過半数には至らなかった。そのために今後は、全体の32%の69 議席を得たイスラム主義政党「アンナハダ」との連立政権を目指すと見られる。連立には「アンナハダ」も意欲的とされるが、硬直した考え方をするイスラム主義政党との提携は、恐らく前途多難だろうと推測できる。

議会選挙の前の7月、僕はそのチュニジアを旅した。チュニジアはイタリアから最も近い北アフリカのアラブ国。イタリア南端のシチリア海峡をはさんで約 150キロの距離にある。元はフランスの植民地だが、そのはるか以前はローマ帝国の版図の中にあった。歴史的事情と、シチリア島に近いという地理的事情が相まって、同国にはイタリア人バカンス客が多く渡る。

1980年代に、イタリアにしては長い4年間の政権維持を果たした社会党のベッティーノ・クラクシ元首相は、汚職事件の関連で失脚してチュニジアに亡命。その後 イタリアに帰ることはなく、同地で客死した。似たようなエピソードはイタリアには多い。イタリア人はチュニジアが好きなのである。

そんなわけでイタリアーチュニジア間には多くの飛行便があり船も行き交う。そのうちの一つを利用して僕もチュニジアに渡った。 リサーチと少しの休暇を兼ねた一週間の逗留。多くの遺跡や首都チュニスなどを精力的に回った。ジャスミン革命は未だ終焉していないとも言われるが、同国の世情は平穏そのものだった。

しかし実はその頃チュニジアは、来たる議会選挙へ向けて国中が熱く燃えていた。それは革命後に憲法制定のために設置された暫定議会に代わる、正式な国会を発足させるための重要な選挙である。それに向けて国中で有権者の名簿作りが急ピッチに行われていて、首都チュニスの政府庁舎近くに作られた登録所前には、多くの市民が行列を作って登録をしていた。

また滞在中に僕がよく買い物をしたフランス系の大手スーパー「カルフール」の売り場の一角には、「チュニジアを愛する。だから登録をする」という標語を掲げた有権者登録所が設けられていて、ヒジャブ姿の受付の若い女性2人が、次々に登録にやって来る有権者の対応に追われていた。

周知のようにチュニジアでは2011年に民主化を求めるジャスミン革命が起こり、23年間続いたベンアリ独裁政権が崩壊した。それはエジプトやリビアさらにシリアなどにも波及して、アラブの春と呼ばれる騒乱に発展した。だが多くのアラブ諸国では、騒乱は収まるどころかむしろ民主化に逆行する形で継続している。

例えばアラブの大国で周辺への影響も大きいエジプトでは、独裁軍事政権を倒した民主化運動を、再び軍が立ち上がって弾圧するなど、明らかにアラブの春の後退と見える事態が発生している。それよりもさらに混乱の激しいリビアやシリアの場合は、ここに論を展開するまでもない。

アラブ全域の民主化の確たる行方が知れない中で行われたチュニジアの議会選は、ベンアリ独裁政権が崩壊した直後に制定された憲法の下で初めて実施された。同憲法は大統領権限を国防と外交に限定し、行政権その他の権限は議会の多数派が組閣する内閣に付与すると定めている。

従って議会選が国民による 実質的な政権選択の機会となる。比例代表制で行われた今回の選挙では、先に書いたように世俗政党の「ニダチュニス」が選挙に勝ち、恐らく連立政権が樹立されるであろうと考えられている。

チュニジアではまた、今月23日に大統領選挙も行われる予定である。議会第1党の「ニダチュニス」からは、総選挙を勝利に導いた党首のカイドセブシ元首相の立候補が有力視されている。カイドセブシ党首は、ジャスミン革命後の「アンナハダ」政権下で台頭したイスラム過激派への警戒を選挙戦で強く呼びかけて、市民の支持を取り付けた手腕が評価されている。

アラブの春の民主化は、繰り返し述べたように、チュニジアを除けば一進一退の状況が続いている。しかし、それはきっと本格的な民主化に至るまでの足踏みなのだと思いたい。アラブの春が結実するためにも、その手本としてチュニジアの民主化が大幅に前進してほしい、と僕は先日の旅行中、アフリカの強烈な日差しに焼かれながら思い、総選挙が終わった今はさらに強くそう願っている。 


夏から一気に冬へ、日本のイメージみたいなイタリアの時季


夏から一気に冬へ。

いつものイタリアの季節変化のイメージ。

10月25日(土曜日)、客人を迎えて庭でBBQ。天気もよく気温も夏の低温がそのまま続いている感じで程好い。日が暮れると少し肌寒いが依然として心地よかった。

翌26日の日曜日は前日に続く好天。むしろ晴れ間は多いくらい。気温も前日程度。

26日深夜から気温がぐんと下がる。27日にはストーブを点ける。一気に冬へ。

そうやって北イタリアは今年も夏から突然冬になった・・

という印象の季節の移ろいが見られた。

僕はいつものこの国の荒々しい季節変動が好きだ。日本のゆるやかな季節の動きとはまた違う魅力がある。

雨が降り続いた冷夏のまっただ中では、早い冬の訪れを思った。しかし、9月になっても、雨は多いものの急激な気温低下はなかった。

10月になると、気温は10月としては高いまま、つまり夏の気温の流れを引き継いだまま、前述の26日~27日まで来た。

そして一気に冬になった。

ミランの本田は本物か、というタイトルでブログを書こうと思ううちに、直近の2試合で彼の活躍がストップ。開幕から7試合での6ゴールはあのシェフチェンコに迫る凄い記録だったのに。

獣トト・リイナが獄中であれこれ呟いていたのは、どうやらナポリターノ大統領のマフィアがらみ証言を見越して、プレッシャーを掛けようとの魂胆からのようだ。塀の中にいても彼がマフィア組織の支配者?

夏以降、イタリア随一の高級紙「CORRIERE DELLA SERA」に安倍政権にまつわるネガティブな印象の記事が多い。中でも写真付きのそれらはインパクトがさらに強い。

安倍首相は、戦後日本が徹底した平和主義の下で築いてきたグローバルな信用と、東日本大震災を経て得た賞賛を、いとも簡単に反故にしようとしている。いや、もう反故にしてしまったかもしれない。

嫌韓や反中国の日本の世論は、2国が反日だからそれに反発して形成されたものではない。靖国参拝に代表される安倍首相のナショナリスト的言動と、石原慎太郎氏を始めとするその周囲の民族主義者たちの同様の言動が、少し収まりつつあった中韓の反日の激情を呼び覚まし、それに日本国民が反応している、というのが真相だ。

中韓のみに怒りや苛立ちや反感を募らせて、従って中韓しか眼中になく、ほとんど世界を見ていない石原慎太郎さん的「引き籠りの暴力愛好家」たちは、世界が彼らをどう見ているかを知るべきである。

そのヒントが、最近の「CORRIERE DELLA SERA」紙にいっぱいに詰まっている。また欧米各国の、特に英語圏のメディアの記事や言論にも。

麻薬大国 ~モディカ・クアンティタ~


大麻解禁

2014年9月20日、イタリア政府はこれまで禁止されていた大麻の栽培を軍施設に限って解禁すると発表した。欧米では、特に痛みの軽減に効果があるとし て医療用に大麻を使うケースが増えている。イタリアも例外ではなく2007年から医療用大麻の販売や使用が合法化された。

しかしイタリアにおける医療用の大麻は、それが普通に流通している「大麻先進国オランダ」からの輸入がほとんどで、しかも値段が高いために一般化していない。そこでイタリア政府は、医療向けの安い大麻を軍の厳しい管理のもとに生産する決定をした。

その数日後、まるで呼応するように、地中海の島嶼州サルデニアで82歳の麻薬密売人の女ステファニア・マルーが逮捕された。老女は数人の若い男を配下に置いて麻薬密売にいそしんでいて、1962年の初仕事以来50年以上に渡って麻薬を売ってきた猛者だった。

また昨年末にはローマでも80歳になる女密売人が逮捕された。彼女はローマ中心街の自宅窓から、通りを歩く客に麻薬を渡して素早く金を受け取る、という方法で薬物を売っていた。同女も長年に渡って麻薬の密売を続けてきた手練れである。

医療用大麻の生産を解禁したイタリア政府の動きは滑稽なほどに鈍かった。それはイタリアに麻薬が蔓延している状況と無縁ではない。中毒患者数を始めとするイタリアの麻薬事情は年々改善傾向にあるが、たとえ医療用とはいえ、それを解禁することが社会にもたらす心理的な影響を考慮して、イタリア政府は二の足を踏んでいたのだと考えられる。

大麻栽培を解禁した政府の動きと、それに前後して麻薬密売の罪で逮捕された2人の老女のエピソードは、実は直接に関連するものではない。しかし、あたかも政府発表に合わせるかのように老密売人2人が逮捕された事実は、僕にはイタリアの麻薬事情を端的に表す逸話のようにも見える。

麻薬汚染都市ミラノ

あまり言いたくないが、僕が長く仕事の拠点にしてきたミラノは実は、世界でも有数の麻薬汚染都市である。過去には「世界最悪の」という有難くない 烙印まで押されたことがある。人口10万人当たりの麻薬関連の死亡者数を比較検討したところ、ミラノが世界第1位に躍り出てしまったことがあるのだ。

そうした統計でワーストNO1に輝くのは米国のサンフランシスコと相場が決まっていた。ミラノはそこを抑えてトップになった。繰り返しになるが、イタ リアには麻薬が蔓延している。国中が麻薬にまみれているという現実が先ずあって、ミラノの問題が出てきた。それは決して偶然のでき事ではない。

イタリアに麻薬が蔓延している理由は、ごく単純に言ってしまえばイタリア社会が豊かだからである。米英独仏蘭などに代表される欧米の国々で麻薬がはびこっ ているのと同じ社会背景があって、イタリアにも麻薬が広がっていった。つまり「豊かさに付いてまわる負の遺産」がこの国の麻薬問題である。

ところがイタリアという国は、何事につけ人騒がせなところがあって、麻薬の場合にもまたまた他人とは違う独特のやり方というか、あり方というか、不可解な「イタリア的事情」をいかんなく発揮して、前述の国々とは異なる麻薬環境を国中に作り出してしまった。

モディカ・クアンティタ

イタリアの麻薬関連法には通称「モディカ・クアンティタ(小量保持)」というコンセプトがある。これは個人が使用する分と考えられる小量の麻薬(モディカ・クアンティタ)の所持を認めるというものである。つまり麻薬は、1人1人の個人の責任において、これを所持し使用する分にはお構いなしという規定だ。

かつてはイタリアの麻薬関連法も、薬物の量の大小に関わらずにそれの保持を厳しく規制していた。それが1970年代を境にモディカ・クアンティタのコンセプトが導入されて規制がゆるくなった。ただし、麻薬を大量に所持してこれを売る者
(売人)は、その生産者と同じく飽くまでも厳しい罰則の対象ではある。

モディカ・クアンティタ(小量保持)の「小量」には具体的な規定がない。いや、あることはあるのだが、すぐに内容が変わるなど厳格さに欠けるため、言葉の解釈をめぐって大きな混乱が起きる。麻薬所持で捕 まった売人が、個人使用の分量だと主張し、裁判の度に有罪になったり無罪になったりもする。

少量の麻薬保持は罪に問わないという法の在り方には、イタリア人得意の物の考え方が関わっている。即ち、麻薬を所持し使用することは個人の問題なのだから、これを他人(国)がとやかく言うべきではない、という立場である。それがモディカ・クアンティタの原則というか基本的な哲学である。

モディカ・クアンティタの廃止・・・?

言葉を変えればそれは、厳罰主義を嫌うイタリア国民の強い意志の表明でもある。少量の麻薬保持を容認する態度の根っこには、人間は罪深い存在であり、間違いを犯すものであり、従って許されるべき存在であるというキリスト教的な死生観がある。

モディカ・クアンティタのコンセプトの根源は宗教的である分これを否定したり、矯正、改削することが難しい。加えてそこには、マリファナやハシシなどのいわゆる「軽い麻薬」を、酒や煙草よりも健康被害の少ない嗜好品、と見なす欧米社会の通念に近い考え方もあるからなおさらである。

2014年現在、イタリアの麻薬法は少量保持も禁止、という立場を取っている。しかしながら依然として罰則はゆるく、初犯の場合にはお構いなし。再犯やそれ以降でも運転免許証やパスポートが一時的に停止される場合もある、という程度である。 モディカ・クアンティタの精神を良しとする社会風土は、法の規定にはお構いなく歴然として存在する。

モディカ・クアンティタという厄介な考え方のおかげで、イタリアの麻薬環境は半ば野放し状態になった、という風に僕は考えている。そうしたイタリアの社会状況の中で、多くの麻薬患者は言うまでもなく、麻薬から最も遠いところにいると見える前述の2人の老婆のような者まで密売人になった。

麻薬はそうやってイタリアの日常茶飯の出来事の一つになって行った。
                        
                       (つづく・随時)

~さて、それはともかく。いずれにしても。である~ 


先月、イタリア政府は軍の管理の下で医療用大麻の栽培を進めると決めた。

それに関連してイタリアの麻薬汚染状況についてブログ記事を書き出したが、一向に進まず書き止まっている。

僕は90年代の半ばにイタリアの麻薬問題を取り上げたドキュメンタリーを作ったことがある。その作品はテレビ局によってずたずたにされ、改編され、報道番組として細切れに電波に乗った。

僕は怒りまくったが、編集権を含む全ての権利は金を出したテレビ局にあったので、どうすることもできなかった。その局とは以後一切付き合わないと決め、その通りになった。

ブログが書けないのはしかし、苦い記憶のせいではもちろんない。

当時僕はスタッフを総動員して麻薬関連の事実を徹底的に調べ上げた。自分でも足を使いコネを使い無いアタマを使って懸命に勉強した。真剣に番組制作に向かい合うときは常にそうであるように。

そうして力を尽くした事案は、番組終了と同時に僕の興味の対象外に去ってしまうことがある。調べ尽くし、格闘し尽くした内容が激烈だったりすると、しばらくそのことを忘れたくなるのだ。

イタリアの麻薬問題がまさにそうである。

それでも記事を書くと決めた以上、今の情報を集め確認し自分なりに検証しなければならない。

その作業に手間取っている。だから短いブログ記事に過ぎないのに中々書き終えることができない。気分が重い。

などと愚痴をこぼしている暇があったら記事を書けばいいのに、と自分に言い聞かせながらこうして愚痴三昧の駄文を書くのは、もしかして気分転換にならないかとの思いから・・




ハゲとオッパイ



最近、僕は急速にハゲてきている。年齢も年齢だから珍しいことではないし、血筋もハゲの系列だから、さらに大きくハゲることへの覚悟もできている。

それでも、ハゲるのはなんだかイヤだなぁという気分がどうしてもついて回る。それどころかハゲることが不安なようでもある。われながらうっとうしいもの思いである。

なぜそうなのか、と考えつづけていたら見えてきたものがある。

つまり、ハゲは実は女性の問題であり、そう考えてみると、なんとオッパイは実は男性の問題なのではないか、というオソロシイ結論に至ったのだ。

そこで僕は自分のコワイ発見を、10年以上に渡ってスペースをもらっている日本のある新聞のコラムに寄稿することにした。

僕はこれまで新聞雑誌にも結構記事を書いてきたが、10年以上も連載を続けているケースなど、ほかにはない。つまり僕とその新聞は、まあまあ強い信頼関係にある、と僕は考えている。

それにも関わらずその短い記事は、連載開始以来はじめてボツという憂き目を見た。記事は次のような内容だった:

ハゲとオッパイ

ハゲは女性の問題であり、オッパイは男性の問題である。
 つまり、男は女のせいでハゲを気にし、女は男のせいでオッパイの大小を気にする。
 僕は男だから100%分かるのだけれども、もしもこの世の中に男しかいなかったなら、男の誰もハゲなんか気にしない。自分のハゲも他人のハゲも。
 たとえば僕は男オンリーの世界でなら、僕の周りの男どもが全員ハゲで、かつ自分が彼らの百倍ハゲていたとしても、まったく気にならないと断言できる。
 世の中の女性が男のハゲを笑い、男のハゲを気にするから、僕ら哀れな男どもはハゲに強烈な恐怖心を抱いている。
 それと同じことがもしかすると女性の側にも言えるのではないか。
 つまり、女性は世の中の男どもが巨乳とかボインとか爆乳とか面白おかしく話題にするから、自分のオッパイの大きさを気にするのではないだろうか。
 もしもこの世の中に女しかいなかったら、自分の胸や他人の胸のデコボコが高いか低いかなんて、全然気にならないのではないか。ハゲは女性の問題であり、オッパイは男性の問題である、とはそういう意味である。
 ところで、男のハゲを気にするのは日本人女性が圧倒的に多い。ここイタリアを含む西洋の女性たちは、男性のハゲをあまり気にしない。
 大人の感覚とも言えるが、欧米人男性が元々毛深くてハゲが多いせいもあるのだろうと思う。女性が男のハゲに寛大だから、西洋の男どもは日本人男性ほどにはハゲを悩みにしていない。
 そんな訳でヤマトナデシコの皆さん、あんまりハゲ、ハゲと僕ら哀れな男どもを笑うのをやめてくれませんか?


記事が掲載拒否になった理由は、ハゲは不快用語で、オッパイという言葉も新聞では使いにくい、というものだった。

ところが実は、まさにハゲが不快用語だからこそ、ハゲである僕はそれを問題にした。つまりハゲと言う言葉に恐怖心を抱いている(不快感をもっている)僕は、その言葉が無神経に流布している現実への密かな抗議と、また自己防衛の思惑からそのコラムを書いた。他人にハゲと言われる前に自分で言ってしまえ、というあの心理ですね。

ところが新聞はそこのところを全く無視して、ハゲと言う言葉には読者が不快感を抱きかねないので掲載できない。またオッパイの大小も個性の問題なのであり、これも読者が反発しかねない、という奇妙な論理でボツにした。

ハゲと言う言葉に不快感を持つ読者とは、つまり「ハゲている読者」のことであり、それらの読者は僕の同志である。彼らこそまさに、僕のこのコラムを読みたい人々のはずなのだ。それなのに新聞は、一歩間違えば偽善的とさえ言われかねない自らの考えに固執して、そのことに気づかないように見える。

またオッパイの大小が女性の個性の一つだというのは、まさにその通りである。ところが世の中の男どもは、その個性を個性として認めようとはせず、ま、いわば劣情に曇った目で女性の胸を見て、あれこれ品定めをし辱(はずか)しめる。巨乳よ爆乳よ、とはやし立てるばかりではなく、その逆の大人しい胸を貧乳や壁やこ(小)っぱいと揶揄したりする。

そのことを指摘して、そんなものは男のたわ言であり身勝手な魂胆なのだから、無視して堂々としていた方が良い、というのが最終的には僕の言いたいところである。その趣旨は僕の短い文章の中に十分に示唆されていると考える。もしもそうでないのなら、それは僕の文章力の拙さが第一の原因である。が、同時にもしかすると、新聞人のあり余るほどの自信がその目を曇らせている、ということもあり得るのではないか。従軍慰安婦VS朝日新聞の例もあることだし・・

書きそびれている事ども

書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは他の事案で忙しくて執筆そのものができずに後回しにしている時事ネタは多い。僕にとってはそれらは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。過去形のトピックも現在進行形の話題もできれば将来どこかで掘り下げて言及したいと思う。その意味合いで例によってここに箇条書きにしておくことにした。

ベルルスコーニ
少女買春疑惑で意外にも無罪になった元首相。裁判はまだ続くが鼻息は荒い。相変わらず悪運も強く、離婚した妻に支払った慰謝料の3割に当たる約50億円が、支払い過ぎと裁判所に認められて返還された。慰謝料は別居中の3年間分の金額。全体では年約34億円X生涯という途方もない金額。元首相は一括払いを望んでいて元妻側と交渉中らしい。

堕船長スケッティーノ

豪華客船コンコルディア号を遭難させた上、真っ先に船から逃げ出したトンデモ船長フランチェスコ・スケッティーノが、ローマ大学でなんと危機管理とはなんぞや、なんてテーマで講演をした。呼ぶほうも呼ぶほうだが、のこのこと出かけて行くスケッティーノ元船長も相当のKY鉄面皮だ。それよりもあれだけの事件を起こした男が、裁判進行中に自由に動き回っているのは、どういうことなのだろう。イタリアの仕組みは時々良く分からない。

ヤラ事件
13歳の少女ヤラ・ガンビラジオが強姦目的だった男に殺害された。多くの人々の人生をむちゃくちゃにした複雑怪奇な人間模様が次々に明るみになる中、犯人(DNA鑑定では100%犯人とされる)のマッシモジュゼッペ・ボセッティは犯行を否定したまま収監されている。

殺害された少女の下着とレギングに付着していた血液からDNA鑑定がなされ、それは15年も前に死んだ男の息子のものと分かった。しかし彼の実の息子たちは事件とは関係がないことが証明された。男が不倫によって産ませた息子がいるのではないか、という推測から警察による母親探しが始まった。無謀にも見えた捜索は奇跡的に功を奏して犯人に行き着いた。推理小説もマッ青のとてつもないドラマは今も進行中。

トト・リイナの暴力
1993年に逮捕・収監されているトト・リイナが、最近獄中で知人の囚人に語ったとされる内容がリークされて、新聞などで堂々と記事にされている。そこで彼は現在のマフィアのボスと見なされている逃亡潜伏中のマッテオ・メッシーナ・デナーロについて語る。いわく「奴は金儲けのことばかり考えて国家への挑戦を忘れている。死ぬべきだ」。また反マファイ活動の急先鋒であるチョッティ神父についても「奴はマフィア以上にマフィアだ。殺してやる」などと語っているとされる。

当局が獄中のリイナを監視し盗聴もしているであろうことは当たり前として、その内容を外にリークするのは何が狙いなのだろうか。トト・リイナは獄中にあってもマフィア組織を牛耳っていると人々に信じさせるため?そうすることでリイナへの恐怖心を新たに植え付け、かつ同時にマッテオ・メッシーナデナーロの威を削ぐため?あるいは単純にボスのマッテオ・メッシーナ・デナーロの逮捕が近いことを知らせる前触れ?マフィアの大物の逮捕が近づくと、 逮捕されるべき男に関する不思議な話題が突然出現するケースが多いのだ。

以前シチリア島の中心都市パレルモで、メッシーナ・デナーロ の顔を建物の壁に描いた落書きが出現して大きなニュースになった。壁の 似顔絵はメッシーナ・デナーロの逮捕が近いことの現われなのではないか、と僕はその時に密かに思ったが、何事もなくそのまま時間が過ぎて彼の行方は杳として知れない。そして、今またリイナの口を通して彼の話題が表に出た・今度こそもしかすると・・・

フランシスコ教皇に伸びる魔手?
フランシスコ教皇暗殺計画の噂が絶えない。バチカンの改革に熱心な教皇は、クーリア(バチカン内の保守官僚組織)に怨まれて暗殺されかねない、という話は以前からあったが、ここへきて中東の過激派組織「イスラム国」による脅威が現実化している。イスラム国は元々キリスト教徒への憎悪を隠そうともしなかったが、フランシスコ教皇が「イスラム国に対する国際社会の戦いは合法的」と武力行使を容認する趣旨の発言をしたために、テロリストの激しい反発を買うことになった。

イスラム国はイラクなどで訓練を積ませた欧州出身のメンバーをイタリアに送って、教皇の暗殺を画策しているとされる。イスラム国には、アラブ系移民を中心とする多くの欧州人の若者が参加している。彼らはそれぞれの母国に戻って、ヨーロッパ内でのテロ工作に従事する計画だという。教皇暗殺もその一環だと言われている。不穏な空気が欧州を包み始めている。

祝:スコットランド英国残留


スコットランドの英国からの独立が回避された。

僕はそのことを喜ぶ。

スコットランドの独立は全く同地のためにならず、英国のためにもならず、さらには世界のためにもならない、と僕は思ってきた。

スコットランドの人々の愛国心あるいは強い郷土愛は良く分かる。それはとても大切なものだ。

だがそれだけを頼りに独立することは、必ずしも良いことばかりではない。

貧しく弱い国家が誕生する可能性が高いからだ。

スコットランド自体が貧しく弱くなり、同時にそれは英国をも貧しく弱くする。

英国が貧しく弱くなれば、世界は民主主義大国の一角を失うことになる。

少なくとも民主主義大国イギリスの威信が弱まることになる。

ロシアや中国や北朝鮮やシリアやイスラム国等々、多くの民主主義の敵国や敵対思想が世界にのさばっている現在、民主主義の旗手たる英国にはぜひとも頑張ってほしい。

同じ民主主義国とはいえ、その成熟度や内容が心細いイタリアや日本にとっても、英国はとても重要な手本だ。

英国が、英国のまま留まることになるスコットランドの選択を、僕はとても喜ぶ。

英国よりももっと英国みたいなイタリアの夏



イギリスの詩人バイロンは「英国の冬は7月に終り、8月に再び始まる」とうたった。

それは北国の長い冬を皮肉る形で、母国のはかない、光の乏しい、寂しい夏を嘆いた詩である。

イギリスを含む北欧の夏はそれほどに短く、陽光は弱い。

南国生まれの僕は、若い頃ロンドンに足掛け5年住んだが、長い冬と短い夏が連続する気候に中(あ)てられて少し健康を害したほどである。

イギリスを始めとする北欧の人々は暑い夏の輝きに飢えている。

ここ南欧のイタリアの夏は、それら北の住人達が激しく憧れる地中海域の光に溢れている。

ところが今年は寒い雨の日が続き、ほぼ9月半ばの今も雨天の多い気温の低い日が続いている。

おかしな夏の予感は6月終わりから7月初めに行ったチュニジアでもあった。

シチリア海峡をはさんでわずか150キロほどの距離にあるチュニジアは、イタリアから最も近い北アフリカのアラブ国。

元はフランスの植民地だが、その前はローマ帝国の版図の中にあった。

歴史的事情と、シチリア島に近いという地理的事情が相まって、同国にはイタリア人バカンス客が多く渡る。

1980年代に、イタリアにしては長い4年間の政権維持を果たした社会党のベッティーノ・クラクシは、汚職事件の関連で失脚してチュニジアに亡命。その後イタリアに帰ることはなく同地で客死した。

似たようなエピソードはイタリアには多い。イタリア人はチュニジアが好きなのである。

そんなわけでイタリアーチュニジア間には多くの飛行便があり船も行き交う。

そのうちの一つを利用して僕もチュニジアに渡ったのだが、アフリカのビーチにしては連日涼しい日が続いた。

いや、日なたに出ると斬りつけるような強烈な光が襲うのだが、日陰では涼しく夜もしのぎやすい日々だった。

つまりシチリア海峡の向こう側のイタリアの気候は、北アフリカの海岸でも感知できたのだ。

今にして思えば、それは冷夏の予感に満ちていた。

イタリアの夏は、普通の場合、8月半ば頃に終りが始まる。

テンポラーレ(雷雨を伴なう暴風)が頻繁に起こって暑気を吹き飛ばして行き、8月の末にもなると涼しさを通り越して肌寒い日さえある。

今年はそれが7月から始まった、という風である。

まるでイギリスの夏みたいに。

いや、少し違う。

今年のイタリアの夏は、英国よりももっと英国的な、肌寒い寂しい夏だ。

というか、夏だった・・

今の空気はもう明らかに秋である。山や海のリゾート地が期待した好天の9月は恐らく巡り来ないだろう。

で、そういう天気が嫌いかというと、実はそうでもない。

というか、日日是好日、雨は雨、冷夏は冷夏で、それなりに面白いと思う。

もちろん農家や観光地は大変な目に遭っていて気の毒なのだが・・・




「アサヒの春」は「アラブの春」を越えられるか~朝日新聞の出直しに期待する~



朝日新聞への激しいバッシングが続いている。慰安婦報道の誤りを認めながらも謝罪しない同紙の態度はいかがなものかと感じつつ、それでもネットを中心とする日本のメディアが、まるで申し合わせたように朝日新聞全面否定とも見える論陣を張っている事態にも疑問を覚える。例によって誰もが「反~(ナントカ)」キャンペーンの全体主義に呑み込まれてしまい、皆で渡れば怖くない、ならぬ「皆で叩けば怖くない」とばかりに、大勢順応・迎合主義を大いに発揮して朝日新聞バッシングにひた走っている様子を、少々うんざりしながら国外から観察している者である。

慰安婦問題に関連して、池上彰氏の批判コラムを同紙が掲載拒否したことで炎上に油が注がれてしまい、天下の朝日新聞もいよいよ再起不能地点まで落ちたと見えた。恐らくあの頃は多くの人が僕と同じ思いだったのではないか。ところが社内外からの強い批判を受けて、朝日新聞は一転して池上氏のコラムを掲載した。周知の通りそこには、池上氏と読者への謝罪文も並んで発表され、池上氏自身の「過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ」という論語の一節を引用したコメントも同時に紹介された。

慰安婦問題で誤報を続け、それを知りつつも訂正や検証をせず、やがてネットや他のメディアでの批判が高まると、ついに誤りを認めて記事を削除するとしながらも、謝罪はおろかそれを深く検証する作業も怠ってきた朝日新聞の態度は極めて残念である。このことは今後必ず総括されるべきだし、そうすることによってのみ朝日新聞は自浄能力があることを社内外に知らしめて、そこから信頼回復への道筋が見えてくるだろう。いったん没にした池上氏のコラムを掲載しただけでは、朝日新聞の問題は何も解決しないと考える。

それでも朝日新聞が、一度拒否した池上彰氏のコラムを掲載したことは、同紙の再生の可能性が見えたものとして評価したい。ただしそれには条件がある。慰安婦報道の全ての問題や、池上コラムをいったん没にして手の平を返したように掲載に踏み切ったいきさつ、それへの検証、将来へ向けての報道姿勢の修正あるいは体質改善の計画、また決意などをきちんと示すことである。さらに同紙バッシングへの反論があるなら、そのことも含めて全面的に紙上で論を展開しつつ、世界に向けてもそれらの情報を明確に発信していくこと、等である。

朝日新聞が、戦後の日本の良識を代表する日刊紙の一つであり続けたのは、疑いようもない事実だ。従軍慰安婦報道を巡る騒動のせいで、もはやそれは過去形になりつつはある。が、前述のことを丁寧に進めて行くなら、同紙は今まで以上に認められ名誉回復も成る可能性がある。朝日新聞の対面にあるメディアの、ナショナリズムを煽るような主張は、ナショナリズムがその名の通り国内でのみ支持される他者(他国)を無視したコンセプトであるだけに、世界には受け入れられない。リベラルを旗印とする朝日新聞にはぜひとも失地回復をして出直してほしい。

謝罪拒否やコラム掲載拒否などに代表される、今回の騒動への朝日新聞の対処の仕方(或いは対処拒否)は、独善的で醜悪なものだった。報道機関としての良心や誠実のかけらも見えない不遜な態度は、自己保身のみを優先させる呆れた行動から生まれた。しかし幸いにもそんな闇の中にさえ、希望は存在することが明らかになった。それが朝日新聞の現役記者による内部告発とも呼べるツイッター発信だ。その中には意見自体が問題視されるものもあったが、彼らが意図したのは自社の決定をSNSを使って糾弾するということであり、その動きはジャスミン革命に端を発したアラブの春を彷彿とさせる。

チュニジアのジャスミン革命は、一青年が政府への抗議の為に焼身自殺を遂げた事実が、SNSによって一気に国中に知れ渡って若者を中心とする国民の怒りを誘ったことから始まった。それは近隣のイスラム教国家に次々に波及してアラブの春を呼んだ。そこで重大かつ唯一の武器になったのがツイートやfacebookなどのSNSだった。自社を告発する朝日記者のツィートが、池上コラムの掲載見送りを一気に反転させる原因の一つになった事実は、まさにアラブの春の記憶を呼び起こす。SNSの大勝利と言っても構わないのではないか。

ところでもしも彼らの抗議が、発信と同時に外部にも拡散していくツイートという手段ではなく、口頭や文書等による従来の社内告発ならどうなっていただろうか。それらはきっと潰されて間違っても表に出ることはなかっただろう。朝日新聞は現場の心ある多くの記者のおかげで、崖っぷちで踏みとどまったと言える。だが、そこからの脱出はまだ成されていない。朝日新聞の失った信頼と、同時に沸き起こった読者の怒りは大きい。朝日新聞は信頼回復を目指してがむしゃらに行動するべきである。

しかし、同紙の活動は日本人の信頼を取り戻すだけで終ってはならない。朝日新聞は自らが行う総括の全容を世界に向けても発信するべきだが、肝心なことはそれを同紙自身が保有する英語版などの紙面でやってはならない、ということである。なぜならそんなものは、日本以外の世界の誰も読まないからだ。世界のメディアにおける朝日新聞の存在は、残念ながら重箱の隅の残り物程度の重みさえ持たない。そこで従軍慰安婦報道の間違いを検証し削除し自己批判をしても、世界的にはほとんど意味はないのである。

ならばどうするか。

例えば従軍慰安婦問題追求の急先鋒であるNYタイムズなどの世界の大手メデァアに、自らの報道の間違いを認め、検証し、それを削除否定する論を発表するのである。同じメディアである世界の主要紙に寄稿するのは、朝日新聞にとっては大きな屈辱に違いない。しかし、そうすることによって、同紙は世界の信頼や賞賛までも得る可能性がある。そればかりではない。その暁には朝日新聞は、慰安婦騒動で傷つけられた日本国民への贖罪も果たすことになる。

話が飛ぶようだが、ロシアのプーチン大統領は昨年9月、米国のシリアへの軍事介入を牽制する公開書簡をNYタイムズに寄稿し、それによって国際世論を自らに引き寄せて、その結果ライバルのオバマ大統領よりも優位に立つ契機を作る、という離れ業をやってのけた。世界規模で影響力のあるメディアにはそれほどの力がある。朝日新聞は怖れずにプーチン大統領の例などに倣うべきである。

その際は同紙が強い親近感を持つ韓国国民に対しても、誤報によって同国民をミスリードした事態を報告し、謝罪するべきである。そうすることによって、韓国の反日キャンペーンは拠り所を失うことになり、日韓関係の改善へ向けて同国の政治や世論が動き出す「きっかけ」が生まれるかもしれない。従軍慰安婦報道によって、現在のねじれた日韓関係の原因の一つを作り出してしまった朝日新聞には、両国の関係改善の空気が醸成されるように最大限の努力をする義務もある。


渋谷君への手紙 2014・9・1日



渋谷君

いつもながらのブログ記事へのコメント、感謝します。

前回記事『バチカンは反「イスラム国」一色の全体主義に巻き込まれてはならない』に関して言えば、君の読みは珍しく浅いと僕は感じています。僕の作文の拙さを脇に置いても、君はきっと忙し過ぎて記事をゆっくり吟味する時間がなかったのでしょう。

僕は「イスラム国」のやり方には 強い怒りを覚えていて、ブログの表題である反「イスラム国」側、つまり国際世論の趨勢である「全体主義」側にいます。従って、もちろんクルド人勢力に武器 の供与を決めたドイツとイタリアも支持しています。その観点からは、矛盾するようですが、ローマ教皇の戦争容認発言さえ支持したいほどです。

ちなみに僕がここで言う「全体主義」とは、イスラム国の戦士以外の世界中の人々が、彼らを糾弾する側に回っている状況を指していますが、それは良いことで あると同時に「誰もが同じ方向を向いている」という事実そのこと自体は、異様で危険な兆候であるかもしれない、というニュアンスで使っています。

欧米に代表される世界は「イスラム国」を糾弾する側に回り、武力闘争も辞さないことを表明し、また実際に米国は空爆を開始しています。僕はそのことにも賛 成です。政治・経済・軍事その他の「俗事に関わる世間」は、一丸となって「イスラム国」に挑みかかっている。そして俗人である僕はそのことに全面賛同して います。

しかし、宗教界は俗事に関わる世間と同じであってはならない、というのが僕の持論です。彼らは戦争には絶対反対と言いつづけ、対話によって平和を追求しな さい、と「俗世間」に向かって主張するべきなのです。つまりそれは理想です。理想は常に現実と乖離しています。だからこその理想なんですね。次に少しその ことにこだわります。

例えば核兵器廃絶というのは理想です。しかし、現実世界は核兵器によって平和が保たれている、という一面も有しています。あるいは原発全面廃止。これも理 想です。しかし、現実にはそれが必要とされる経済状況があります。現実主義者の俗人である僕は、それらの理想に憧れながらも、今現在の社会状況に鑑みて 「現実的選択」もまた重要だ、という風に考えてしまいます。

ところで、俗世間の大半の現実主義者たちは、現実的ではない、という理由でしばしば理想を嘲笑います。彼ら現実主義者たちは往々にして権力者であり、金持 ちであり、蛮声を上げたがる者であり、俗世間での成功者である場合が殆どです。彼らは俗世間でのその成功や名声を盾に、したり顔で理想を斬り捨てることが 良くあります。

俗人である僕は現実主義者でもあるわけですが、僕は権力者でもなく、金持ちでもなく、成功者でもありません。しかし、「イスラム国」を弾劾する側にいて、 それを潰すべきだと口にし、ブログ等で同じ主張をしたりもしている「蛮声を上げる者」の1人である、とは自覚しています。しかし、ただそれだけではない、と も僕はまた自負しているのです。

つまり、僕は理想を嘲笑ったりなどしません。前述したようにむしろ理想を尊重し、憧憬し、常に擁護しています。そして暴虐を繰り返すイスラム国とさえ「対 話をする」べき、というのはまさしくその理想の一つです。しかし、しつこいようだけれども、現実主義者である僕にはそれは受け入れられない。彼らの行為は 余りにも常軌を逸してい て武力によって鎮圧するしかない、と思うのです。

そこでバチカンに代表される宗教界にその理想の希求を委ねる、というのが僕の言いたいところです。バチカン、つまりフランシスコ教皇が実質的に「イスラ ム国との戦争を支持する」という旨の発言をしたのは、ローマ教会の因習と偽善を指弾する彼の改革の道筋の一つと考えることもできます。つまり「悪」である イスラム国は武力で抑えても良い、と本音を語ったわけです。

このことにも現実主義者としての僕は賛成します。でも彼はそれを言ってはならないのです。なぜなら彼は飽くまでも理想を探求する宗教者であってほしいから です。彼に良く似ている故ヨハネ・パウロ2世は、徹底して戦争反対と言いつづけました。彼は2003年にイラクを攻撃した米国と、当時のブッシュ大統領へ の不快感を隠そうともしませんでした。バチカンは必ずそうあるべきです。

誰もが戦争賛成の世論は狂っています。いや、イスラム国への武力行使に関しては正しい。でもそうではない、という理想を誰かが言いつづけなければならな い。 それなのにフランシスコ教皇は逆の動きをした。それは間違いだと僕は思うのです。彼は内心「戦争容認」であってもそれを口にしてはならない。ヨハネ・パウ ロ2世の遺産を引き継いで「戦争は絶対反対」と言い続けるべきです。

キリスト教徒の教皇が、ムスリムの「イスラム国」への武力行使を認めるのは、十字軍と同じとは言わないまでも、それの再来をさえ連想させかねないまずい言 動ではないでしょうか。血みどろの戦いを続けた歴史を持つキリスト教徒とイスラム教徒。2宗教の信者は争いを避けて平和を希求する義務がある。それは近 年、特にキリスト教側が努力実践してきた道筋です。フランシスコ教皇はその道を進むべきだと僕は主張したいのです。

君は宗教と現実の俗世界を分けて考えている僕を誤解しているようです。また、銀行員として海外勤務も多くこなしてきたにも関わらず、ここしばらくは日 本国内での勤務がほとんどの君には、ローマ教皇の強い存在感や世界宗教間の対立あるいは緊張、また欧米と中東諸国のいがみ合いの構図などが、実感として肌 身にまとわり着く僕の住むこの欧州の状況は、中々理解できないのだろうと推測します。

世界12億人の信者が崇拝し影響を受けるのがローマ教皇の言動です。イスラム国の悪事を伝えるニュースには、これよりもさらに多い20億人ものキリスト教 徒 が一斉に反応します。歴史的に決して平穏な仲ではなかったカトリックやプロテスタントを始めとして、キリスト教徒は全体としては一枚岩とはとても言えない 存在でした。しかし、事がイスラム国に及ぶと、世界中のキリスト教徒はがっちりと手を結びお互いに賛同します。

ムスリムは彼らキリスト教徒の普遍的な敵であり続け、今も敵対しています。ただでもキリスト教徒はイスラム教徒を嫌い、逆もまた真なりです。かてて加えて イスラム国は、クルド人と共にイラク国内のキリスト教徒をピンポイントで狙い、攻撃し、虐殺しています。欧米のそして世界中のキリスト教徒がこの事態に憤 激しない筈はありません。またたとえキリスト教徒ではなくても、世界中の人々がイスラム国の残虐非道なアクションに嫌悪を覚えているのは、日本国内のセン チメントを指摘するだけでも十分過ぎるほど十分でしょう。

これが僕の立ち位置です。僕がイスラム国を擁護し、フランシスコ教皇を批判しているというあなたの指摘は間違っています。僕はイスラム国の非道な行為を指 弾します。またフランシスコ教皇の勇気ある多くの改革推進と彼の哲学と人柄を尊敬します。イスラム国のアクションを否定する彼の言動も支持しま す。しかし、彼は断じて「戦争容認」発言などをしてはなりません。例えば「戦争はNOだ。しかしイスラム国の残虐行為は許されるべきではない」などと言う べきなのです。

フランシスコ教皇は、実はそんなニュアンスの発言もしています。しかし、それは「実質的な戦争容認発言」の後で記者に真意を追及されて、苦し紛れに口にし た言葉でした。少なくとも苦し紛れに見える、居心地の悪そうな奇怪な印象のやり取りの中での発言でした。当然それはインパクトが弱く、より驚きの強い「イ スラム国と国際社会の戦争は合法」とした主張だけが、1人歩きを始めてしまったのでした。

その発言は、今のところはイスラム国を非難している、宗教上の彼らの同胞である多くの同じムスリムたちが、将来どこかで一斉に反発しかねない危険を孕んでい ます。つまり、 かつての十字軍とムスリムの戦いに似た争いに発展しかねない。負の歴史の再燃につながる可能性も秘めた極めて重い意味を持つのが、フランシスコ教皇の、僕 に言わせれば大いなる「失言」に他ならないと考えているのです。 』



バチカンは反「イスラム国」一色の全体主義に巻き込まれてはならない



ドイツとイタリアは先日、イラク北部で過激派組織「イスラム国」と戦うクルド人勢力に対して武器の供与を行うと発表した。2006年に結成されたイスラム国は、その母体だったアルカイダにも勝る組織力と資金力を持つといわれている。
イスラム国はこれまでに多くの自爆テロや虐殺や誘拐事件を起こし、クルド人やキリスト教徒を殺戮し、先日は米国人ジャーナリストの首をはねる様子を撮影して、ネットに配信するという残虐非道な行動も取っている。

イタリアとドイツの異例の動きは、イラク国内で勢力を拡大し続ける過激派への欧州全体の苛立ちと不安が形になったものであり、それはイラクを空爆している米国やその後方支援に回っている英国などとも連動している。またフランスがクルド人勢力に精密兵器を供与しているのも周知の事実である。

ドイツとイタリアの武器供与宣言は驚くべきものだ。中でも政治・経済的にグローバルな影響力を持つドイツの決定は特筆に値する。

ドイツは世界第3位の武器輸出国でありながら、紛争地域への直接関与を避けて武器の供給等も控えてきた。第2次世界大戦への責任感とナチスの過去の重いくびきがあるからだ。同国が2003年の米国主導のイラク攻撃にさえ反対したのは記憶に新しい。

またイタリアは政治・経済的にはドイツほどの威力を持たないものの、バチカンを擁することで世界中のカトリック教徒に間接的あるいは心理的な影響力を行使している、という見方もできる。それだけに、ドイツに歩調を合わせた今回のイタリア政府の決定も、非常に重い意味を持つ。

欧州は彼らの持てる力を最大限に使って、米国と強調してイスラム国の蛮行に待ったをかける決心をした、と言い切っても間違いではないだろう。自由と民主主義を信じる世界のあらゆる勢力は、団結してこれを支持し、行過ぎたイスラム国の行動を阻止するべきである。

ところで、独伊が武器供与宣言をする2日前には、世界12億のカトリック信者の最高指導者であるバチカンのフランシスコ教皇が「イスラム国に対する国際社会の戦いは合法的である」と武力行使を容認する趣旨の、これまた異例中の異例の発言を行っている。

しかし、一大宗教組織の指導者であるフランシスコ教皇が、事実上「戦争を容認した」と受け取られても仕方のない発言をしたのは大きな疑問だと思う。

バチカンは過去において、キリスト教の名の下に戦争や殺戮等の罪を数多く犯した。その反省から近年は戦争に絶対反対の立場を貫き、いかなる紛争も対話で解決するべきという平和路線を維持してきた。

そうした観点からもフランシスコ教皇の表明は極めて驚くべき出来事だ。イタリアとドイツは、教皇の「戦争容認」発言を受けて大っぴらに武器供与宣言を行ったのではないか。バチカンと独伊の間には事前に合意があった、と考えても決して不自然ではないだろう。

フランシスコ教皇は、昨年3月に就任して以来、多くの急進的な改革に着手し、「マフィアは破門する」等の過激な発言も辞さない。改革を押し進める教皇に苛立つバチカン内の保守官僚組織「クーリア」の一部や、彼に糾弾されて窮地に陥っているマフィア等の犯罪組織は、フランシスコ教皇の暗殺を画策していると実(まこと)しやかに囁かれているほどだ。

そうしたことからも分かるように、フランシスコ教皇は彼の2代前の大ヨハネ・パウロ2世に勝るとも劣らない勇気と信念を持って、バチカンの旧弊や悪を取り除く努力をしている。彼の率直かつ正善な活動の数々は、質素を愛しまた実践する篤厚清楚な人柄と相まって、カトリック教徒のみならず世界中の多くの人々の尊敬を一身に集めている。

フランシスコ教皇の影響力は甚大だ。彼は軽々しく戦争肯定と見られかねないような発言をしてはならない。カトリックを含む世界中のキリスト教徒は既に、彼らの兄弟であるイラクのキリスト教徒を弾圧するイスラム国に怒りを募らせている。教皇の発言は彼らの怨讐心の後押しをするだけの結果になりかねない。

また宗教とは距離を置く欧米の政治勢力や権力機構も、完全に反イスラム国で大同団結している。そればかりではない。心あるイスラム教徒を含む世界の良心も、残虐非道なイスラム国の動きに胸を痛めている。

つまり、世界は反イスラム国一色に染まっているのだ。言葉を変えれば、世界は過激派組織「イスラム国」と国際社会の闘いを支持し、あまつさえその組織の殲滅を願っている、と形容しても過言ではないだろう。

イスラム国憎しの激情が逆巻く先は、憎悪が憎悪を呼び、恨みが恨みを買う暗黒の社会である。そんな折にバチカンは人々の怨嗟の炎に油を注ぐ行為をしてはならない。バチカンは逆に、憎しみの連鎖を遮断する最後の砦となる努力をするべきである。

バチカン及びキリスト教は2000年に渡る血みどろの歴史を持っている。それへの反省から近年は徹底した平和主義を唱え、先導し、実践してきたことは前述した。教皇はバチカンのその努力を水泡に帰すような行為を慎むべきである。

イスラム国への人々の挑戦は、この先いやでも徹底的に実践されるに違いない。従って教皇は、たとえ建前だけでも「戦争には反対」と主張するべきではないか。そうすることで彼は、キリスト教徒のみならず将来必ず破綻するであろうイスラム国の戦士らの魂も救うことができると考える。

事はバチカンに限らない。世界のあらゆる宗教の指導者たちは、憎しみが逆巻く現在のような時こそ、強い意志で友愛と平和を説き続けるべきである。宗教は戦争に巻き込まれてはならない。そして宗教は自らが戦争に巻き込まれない努力をしない限り、直接・間接に必ずそれに巻き込まれるのが宿命である。


2014 爆雨の夏



イタリアは雨また雨+低温の夏が続いている。

8月の今でも夜は寒い日が多い。

リゾート地は海も山も川も湖もどこもかしこも閑古鳥の群れが泣き叫び、ビーチも土産物屋もレストランも収入がガタ落ち。

結果、仕事にあぶれる者も続出。

イタリアはただでも財政危機で大きな不況に見舞われている。

バカンス関連ビジネスの不振は泣き面に鉢だ。

海や山の歓楽施設や飲食店などは9月の晴天に大きな期待をかけている。

が、見通しはあまり良くない。

このまま季節が移ろえば10月どころか9月にもストーブを点火する家庭が多く出そうな勢い。

日本も広島の不幸を筆頭に大雨の被害が大変だと聞いている。ここイタリアの今夏の降雨も記録破りである。

そうしたおかしな気候を目の当たりにすると、異常気象という言葉はもはや正しくないような気さえしてくる。

僕らはもしかすると異常が通常になって、通常が異常になる過程を生きているのかもしれない。

爆雨の夏で得をしたのは僕の小さな菜園と、

無許可の路上傘売り屋と、

日焼けサロンと、

連日の雨で自宅待機を余儀なくされた人々が群がるIKEAの日曜大工コーナーと、

街中の映画館と美術館など、など。。。

でもそれらは、リゾート地のバカンスビジネスが蒙(こうむ)った大きな損失に比べると、もちろんささやかすぎる程ささやかなゲインに過ぎない・・・


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