【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

ヨハネ・パウロ2世と日本と



ローマ中心部の終着(テルミニ)駅前に立てられた、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の銅像が、本人に似ていないと市民に批判されて、それがイタリアの全国ニュースになったりしている。

 ヨハネ・パウロ2世は先日、カトリックの最高の崇拝対象である聖人の前段階、福者に列福されたばかりである。将来は確実に聖人にも列せられるとみられている。

 僕はニュースを見ながら、教皇の葬儀における日本政府の不可思議な行動を思い出した

 2005年に亡くなったヨハネ・パオロ2世の追悼式は、世界中が固唾を飲んで見守る壮大な祭礼だった。そこにはヨーロッパ中の王室と政府首脳とアフリカ・アラブ・南北アメリカの元首がほぼ全員顔をそろえた。元首や国のトップを送りこんでいない国を探すのが難しいくらいだった。

 例えば欧米主要国だけを見ても、当事国のイタリアから大統領と首相をはじめとするほとんどの閣僚が出席したのは当たり前として、イギリスからは、自らの結婚式まで延期したチャールズ皇太子と当時のブレア首相、フランスがシラク大統領、ドイツは大統領とシュレーダー首相、アメリカに至っては当時の現職大統領ブッシュ、前職のクリントン、元職のブッシュ父の三代の大統領と、ライス国務長官という大物たちがそろって出席したのである。

 そればかりではなく、葬儀にはヨーロッパ中の若者と各国の信者がどっと押し寄せて、その数は最終的には500万人にものぼった。それは過去2000年、263回にも及んだローマ教皇の葬儀で一度も起きたことがない事態だった。ヨハネ・パウロ2世はそれほど人々に愛された。

 彼は敵対してきたユダヤ教徒と和解し、イスラム教徒に対話を呼びかけ、アジア・アフリカなどに足を運んでは貧困にあえぐ人々を支えた。同時に自らの出身地の東欧の人々に「勇気を持て」と諭(さと)して、ついにはベルリンの壁を崩壊させたとさえいわれる。

 ヨハネ・パウロ2世は単なるキリスト教徒の枠を超えて、宗教のみならず、政治的にもまたモラル(道徳・人道)的にも巨大な足跡を残した人物だった。そのために世界中が教皇の死を惜しみ葬儀にも注目した。

 偉大な男の葬儀が、外交的に重大な舞台になることをしっかりと認識していたアメリカは、まず世界中に12億人とも言われるカトリック教徒の心情に配慮した。さらに2000年も敵対してきたユダヤ教徒や、イスラム教徒にも愛された彼の業績の持つ意味を知り、ベルリンの壁を崩壊させた彼の政治力に対する東欧の人々の心情を汲みあげた。加えて、世界中に足を運んで貧困に喘ぐ人々を勇気付けてきた彼の業績に敬意を表して、現職を含む三代の大統領と国務長官をバチカンに送り込む、という派手なパフォーマンスを演出して見せたのだ。さすがだと言わざるを得ない。

 ではその大舞台でわが日本は何をしたか。
なんと、世界から見ればどこの馬の骨とも知れない程度の外務副大臣を送って、お茶を濁(にご)したのである。日本政府は教皇の葬儀が外交上の桧(ひのき)舞台であり、わが国の真摯な心を世界に知らしめる絶好の機会だということを、微塵(みじん)も理解していなかった。

 …あの落差は一体何なのだろう、と今でも考える。    

 日本という国はもしかすると、まだまだ「世界という世間」を知らない鎖国メンタリティーの国家なのではないか。また、当時おそらく日本政府の中には、教皇とはいえキリスト教の一聖職者の葬儀だから、仏教と神道の国である日本はあまり関係がない、という空気があったのではないか。あるいは単純に、ヨハネ・パウロ2世が生前に行った大きな仕事の数々を知らなかったのか。まさか・・

 いずれにしてもそれは、何ともひどい外交音痴、世間知らず、と世界から笑われても仕方のない間抜けな行動だった。

 あれから6年・・

 東日本大震災に襲われた日本は、被災者の秩序ある行動を世界から賞賛される国になった。

が、果たしてわが国政府はあれからどこか変わったのだろうか。大震災と原発事故への対応ぶりを見れば、相変わらず無力で無定見な政治家の集団でしかないように僕には見えるが・・



ファッションモデルのオッパイⅡ



ファッションショーを取材する時には、僕はいつも相反する二つの強い感慨に襲われる。それを強く称賛する気持ちと軽侮する気持ちが交錯して、我ながら戸惑ってしまうのである。

 

称賛するのはデザイナーたちの創造性と、ビジネスとしてのファッション及びファッションショーの重さである。

 


次々に新しいファッションを創り出していくミラノのデザイナーたちは、疑いもなく秀れた才能に恵まれた、かつ厳しいプロフェッショナルの集団である。彼らはたとえば画家や作家や音楽家が創作に没頭するように、新しい流行を求めて服のデザインに没頭する。

 


そうやって彼らが生み出すファッションは、どれもこれも一級の芸術品だが、流行に左右される消費財であるために、まるで作った先から消えていくような短い命しか持ち得ない。

 


それでも彼らが創造するデザインの芸術的価値は、他のいかなる分野のアートに比べても少しも遜色はないと僕は思う。咲いてすぐに散ってしまう桜の花の価値が、命の長い他の花々と比べて少しも遜色がないように。

 


季節ごとに一新される各デザイナーの作品(コレクション)は、必ずファッションショーで発表される。そしてそのショーの成否は服の売り上げに如実に反映される。ファッションは創作と販売が分かち難くからみついている珍しい芸術分野なのである。

 


デザイナーは次の季節の流行をにらんで髪を振り乱して創作をする。この時彼は画家や小説家や作曲家と同じ一人の孤独なクリエイターである。無から何かを作り出す苦しみも喜びも、彼はすべて一人で味わう。

 


その後、彼の作品はファッションショーで発表される。画家の絵が展覧会で披露され、小説家の作品が出版され、作曲家の曲がコンサートで演奏されるのと同じことである。それらのクリエイターは誰もが、発表の場においてある時は称賛され、ある時はブーイングを受ける。つまりそれは誰にとっても「テスト」の場である。

 

それでいながらファッションデザイナーの立場は、他のクリエイターたちのそれとは全く違う。なぜならデザイナーは、前述の三つの芸術分野に即して言えば、クリエイターであると同時に画廊を持つ画商であり、出版社のオーナーであり、コンサートホールの所有者兼指揮者でもある場合が多いからである。


つまりデザイナーという一人のクリエイターは、同時に彼の名を冠したブランドでもあるケースが一般的なのである。たとえばアルマーニとか、亡くなったフェレやベルサーチなどのように。従ってファッションショーは、デザイナーという一人の秀れたクリエイターの作品が評価される場所であるだけではなく、デザイナーの会社(ブランド)の浮沈を賭けた販売戦略そのものでもある。


同時にファッションショーには、舞台上でポロリとこぼれ出るモデルのオッパイみたいに、とても軽い部分も多く存在する。
→<ファッションモデルのオッパイ

 

ファッションの世界にはそんな具合に僕を当惑させる二面性がいつもついて回っている。しかしそれは僕にとっては、どちらかというとファッション界の魅力になっているものであり、決して否定的な要素ではない。

 


二面性とは「虚と実」である。「虚」は言うまでもなくファッションショーとその回りに展開される華々しい世界で、「実」はデザイナーの創造性と裏方の世界、つまり、デザイナーがデザインした服を生産管理し、販売していく巨大なビジネスネットワークのことである。

 

虚と実がないまぜになったファッションの世界は、僕が生きている映画・テレビの世界と良く似ている。

 


スクリーンやテレビ画面で展開される華々しい世界は「虚」のファッションショーで、それを作り出したり、放送したり、スポンサーを抱きこんだりしていく大きな裏方の世界は、「実」であるファッションビジネスの巨大ネットワークの部分にあたる。

 


そして虚の部分にひっぱられて実が虚じみて見えたり(あるいは実際に虚になってしまったり)、その逆のことが起こったりするところも、二つの世界はまた良く似ている。

 

そんな訳で僕は、ファッションの世界にたくさんある虚の部分を茶化したり、軽侮したりしながらも、全体としてはそれに一目置いている。

 

僕の泳ぎ回っている映画やテレビの世界も、見栄や虚飾やカッコ付けの多い軽薄な分野だが、僕はそこが好きだし自分なりに結構真剣に仕事をしてもいる。だからきっとファッションの世界に生きている人たちも同じなんだろうな、と僕なりに納得したりするのである。


ファッションモデルのオッパイ



44歳の若さで亡くなったミラノの偉大なデザイナー・モスキーノが語ったように、ファッションショーはデザイナーたちの真剣な戦いの場である。

→<小さな大都市ミラノ

 

ミラノコレクションのファッションショーの会場では、華やかな衣装を身にまとったトップモデルたちが、音楽に合わせて舞台上を行進する。舞台の周りには世界中のファッション関係者やバイヤーが陣取って、彼女たちのきらびやかな服に熱い視線を送る。そこには必ず有名スターやスポーツ選手やミュージシャンなども顔を出して(招待されて)いて、ショーに花を添える仕組みになっている。

 

ファッションショーはカッコ良くてエレガントで胸がわくわくするような楽しい催し物である。  

 

同時にファッションショーは変である。

 

何が変だと言って、たとえばモデルたちの歩き方ほど変なものはない。ショーの舞台には出たものの、彼女たちは歌を歌ったり踊りを披露したりする訳ではないから、仕方がない、とばかりに見せるために歩き方に精いっぱい工夫をこらす。

 

ニコヤカに笑いながら尻をふりふり背筋を伸ばし、前後左右縦横上下、斜曲正面背面膝栗毛、東西南北向こう三軒両隣右や左の旦那様、とありとあらゆる方角に忙しく体を揺すりながら、彼女たちは舞台の上をかっぽするのである。

 

そういう歩き方が、最も優雅で洗練された女性の歩行術だ、という暗黙の了解がファッションショーにはある。しかし、宇宙人か色気違いでもない限り人類は街なかでそんな歩き方はしない、と僕は思う。

 

モデルたちはにぎやかに歩行をくり返しながら、時々ポロリとオッパイをこぼす。これはジョークではない。どう考えても「こぼれた」としか形容の仕方のない現われ方で、モデルたちのきれいなバストがファッションショーではしばしば露出するのである。もちろんそれは着ている服が非常にゆるやかなデザインだったり、ふわりと体にかぶさるだけの形になっていたりするときに起きる。

 

そういう予期しない事件が起きたときに当のモデルはどうするかというと、実は何もしない。知らんぷりを決め込んで堂々と歩行を続ける。恥じらいもなければ臆することもなく、怒りも何もない。まるでこれは他人(ひと)様のオッパイです、とでも言わんばかりの態度である。

 

それではこれを見ている観客はどうするか。彼らも実は何もしない。口笛も吹かなければ拍手もしない。モデルにとっても観客にとっても、この際はファッションだけが重要なのである。だからたまたまこぼれ出たオッパイは無き物に等しい。従って全員が、イチ、ニの、サン!でこれを無視するのである。モッタイナイというか何というか・・・。

 

それはさておき、長身かつプロポーション抜群のモデルたちの着る服は、どれもこれもすばらしく輝いて見える。男の僕が見ても思わず、ウーン、とうなってしまうようなカッコいいデザインばかりである。どれもこれも余りにも決まり過ぎているので、僕はふと心配になる。 

 

「これらのきらびやかな服を、モデルのように長身とはいかないガニ股の、デブの、かつ短足で平鼻の、要するにフツーの人々が着たらどうなるか・・・。これはもう目も当てられない。想像するのも嫌だ。絶対に似合うはずがない!」

と僕は想像をめぐらしては身もだえる。そうしておいて、

「しかし・・・」

と僕はまた気を落ちつかせて考えてみる。

 

「ファッションショーとは、読んで字のごとく要するに「ショー」であり見世物である。従ってモデルたちが着ている服もショーのために作られたものであり、街なかでフツーの人たちが買う服は、またおのずから違うものであろう・・・」

と。

 

ところがこれは大間違いなのである。ファッションショーで発表されて話題になった服は飛ぶように売れる。というよりも、ファッションショーで見られなかった服は、たとえ有名デザイナーのそれでもほとんど売れないという。だからこそファッションショーには世界中のバイヤーが群がるのである。

 

それでは、というので僕はミラノの街に出て、通りを歩く女性たちをじっくりと観察してみる。しかし、いくら目を凝らして見てもファッションショーで見たあのめくるめくように美しい衣装は発見できない。

 

衣装はかならずそこらに出回っているはずだが、フツーの人が着ているためにショー会場で見た輝きがなくなって、少しもそれらしく見えないのだ。もちろんモデルのように変な歩き方をする女性もいない。ましてやオッパイをポロリの女性なんか逆立ちしても見当たらない。

 

単なる見世物かと思えばリアルなビジネスになり、それではその商品を街なかで見てみようとすると実態がない。面食らった僕は、そこでくやしまぎれに結論を下す。

 

「ファッションショーやファッションなんて要するにその程度のものだ。モデルのオッパイと同じで、あって無きがごとし。ごくごく軽いものなのだ・・・・」

と。

熱いまなざし



「このアイスクリームをあの娘の顔に思いきり投げつけてやりたい…」


アイスクリームの発祥の地といわれるナポリの、本場物中の本場物のアイスクリームを食べることも忘れて、右手でそれを強く握り締めながら僕の姉が言った。

 

彼女が怒りを込めて見やる視線の先には、ナポリ出身の名女優ソフィア・ローレンの若い頃にそっくりの、利発で華のある顔立ちをした娘が、ためつすがめつ、という感じで臆面もなくこちらを眺め続けている。

8月の陽光がぎらぎらと照りつけるナポリの街で、涼を求めて立ち寄った一軒のカフェバーでの出来事である。

 

姉はそのとき夏休みを利用してヨーロッパ旅行に来ていた。イギリス、フランス、スイスなどを巡ったあとにイタリアに入った彼女とともに、僕はミラノを出てイタリア半島を南下する旅に出ていた。

 

「もう我慢できない。イタリア人はどこに行ってもジロジロと私の顔を見る。ひとをばかにしている。あの娘は特にひどい」

どうしたのか、と問う僕に姉は声を震わせて悔しそうに言った。

 

「イギリスでもフランスでもスイスでも、向こうの人たちはみんなちゃんと礼儀をわきまえていたわ。見も知らない人の顔をいつまでもジロジロとぶしつけに眺めているなんてことはなかった。イタリア人だけよ、こんなに失礼なのは」

ぷんぷんと怒る彼女をなだめながら、僕はそれから10年以上も前に、はじめてイタリアを訪れたときの自分を思った。

僕はそのとき、姉以上にイタリア人を誤解して、クソイタ公どもめ!と叫んだ経験がある。

 

イタリア人は僕の姉が指摘したように、街なかでもカフェでもレストランでも、あるいは電車やバスやデパートの中でも、要するにどこでも、ジロジロと無遠慮な視線を投げて他人を観察する。その辺の洟(はな)たれや無教養なオッサン・オバサンならともかく、人品卑しからぬ一流の紳士淑女でさえ等しくそうなのである。

 

人品うんぬんの外にいるとされるヤクザでさえ、人の顔を見つめればガンをつけた、つけない、と怒る(つまりそれほど他人をじっと見やる行為を悪く考える)日本の常識に染まって育った僕にとっては、これは非常にショックだった。


(イタリア人はどいつもこいつも俺をバカにしている。俺が東洋人だ、黄色い男だ、と見下してジロジロとあからさまな視線を注いでくる)

とそのとき僕は思い非常に腹を立てた。姉の怒りの原因もそれと全く同じところにある。

 

ところがこれはほとんどの場合日本人の被害妄想なのである。その証拠に彼らは、同じイタリア人同士でもジロジロとぶしつけな視線を投げ合ってお互いを観察している。見る相手の肌の色が黄色だとか黒だとか緑だとかという人種差別的な発想は、ここではあまり関係がないのである。

 

見る対象が価値のあるものと認めたとき、イタリア人は子供のように好奇心をあらわにして、しげしげと相手を見回す。そしてその行為は、日本をはじめとする多くの国々の場合と違って、イタリアでは社会的に少しも悪だとは見なされない。悪どころかむしろ逆の意味の方が強い。だからこの国では、たちの悪いそのあたりの子供から礼儀をわきまえた一流の紳士淑女に至るまで、他人にせっせと熱い視線を注ぐのである。

 

では彼らにとって価値のあるものとは一体なにかと言うと、それは個性的なもの、ユニークなもの、他とは全く違う何か、のことである。東洋人の僕や姉が彼らと違うのは当たり前だ。だから彼らは、僕らをじっくりと観察しないではいられないのである。

 

お互いに見つめること、また見つめられることを良しと考え、日常的にそれを実践しているイタリア人のメンタリティーは、彼らが非常に独創性にあふれた国民である事実と無縁ではないと僕は思う。

 

たとえばここにユニーク(個性的)でセンスのいいファッションに身を包んだ人がいるとする。イタリア人はその人のセンスの良さやユニークさを素直に認め、感心し、じっくりと観察する。観察しながら彼らはこう考えている。「これとは違う私だけが着こなせるファッションは何だろうか・・」と。たとえば日本人ならたちまちその人と同じ服を買いに走るか、あるいはさりげなくコピーをするかもしれない場面で、彼らは全く逆のことを考えているのである。

 

かくしてイタリアでは、ひとつのユニークなファッションが、それを見つめる人々と同じ数の新たなファッションを誘発し、個性的でセンスのいいしかもバラエティーに富んだ装いをした男女が、国中にあふれるということにもなる。

 

これはファッションに限った現象ではない。イタリアでは万事がその精神に貫かれて発生するように見える。


彼らの熱いまなざしはタダモノではないのである。

 

 


 

国の中心はわが街、わが美しい邦Ⅱ



イタリアという国家の中に内包されている強烈な地方中心主義だとか独立自尊の気風というのは、日本人にはなかなか理解してもらえないような気がする。なぜならそれは、たとえば日本のなかでも秋田県と福岡県は風土や歴史や人々の気質が違う、とわれわれが話すときの“違う”とはまるで異なるものだからである。

 

秋田県や福岡県(もちろんどの都道府県でもいいのだけれど)には、明日にでも日本国から独立して勝手に生きていく、という考え方や覚悟や下地というものはまずないと断言できる。日本で一番独自色の強い僕の故郷の沖縄県民でさえ、独立を考える者はあまりいないのではないかと思う。が、イタリアの各地には充分にそれがあるのである。ミラノ、フィレンツェ、ベニス、トリノ、ローマ、シチリア、ナポリ・・・等々はそれ程に違い、それぞれが一つの国や都市国家として完結しているようなところがあるのだ。

 

それを象徴的に現わしているものの一つが、イタリア中の街や県にある独立のテレビ局の存在である。それらのローカルのテレビ局は、全国ネットの大放送網とはまったく関係のない文字どおりの独立テレビである。各地のローカル局のほとんど全てが、東京のいわゆるキー局の系列になっている日本とはそこが明確に違う。

 

彼らはそれぞれがカバーする地域内でスポンサーを得て、同じ街や県内のニュースを流したり地域に密着した番組を制作して、その同じ限られた地域だけに電波を送る。それらの放送局の規模は地域によってまちまちだが、どの局も土地の人々の強い支持を受けている。放送局が小さな独立国家としての各地方の顔であり、いわばそれぞれの国営放送局のようなものだからだ。

 

イタリアには全国ネットのテレビ局が7つある。イタリア国営放送局RAIの3チャンネルと民放4局である。ただこのうちの民放1局は規模が小さく、実質6局という方が正しいかもしれない。誤解のないように言っておくと、それらの全国ネットのテレビ局の影響力は、各地方の独立局のそれとは比べものにならないほどに大きい。全国ネットの前では独立局など吹けば飛ぶような存在に過ぎない。それでも独立局は、決して全国ネットの系列に入ることはなく、堂々と我が道を行くのである。

 

話のついでになるが、僕はイタリアの地方に出向いてドキュメンタリーを制作する時には、先ずその地方の独立局にコンタクトを取る。彼らは当然のことながらそれぞれの地方のでき事に詳しい。たいていの場合、僕が制作をしようとしているテーマについても、何らかの形で既に番組を作っていたりする。正直なところ、それらの番組の質はいつも貧しい。予算もなく視聴者の数も限られた、要するにローカルの番組なのだから、これは仕方がない。しかし、彼らは一年中その土地にいてカメラを回しつづけているために、時間の都合でこちらが撮影できないような映像を撮っていたりする。その場合には数十秒単位で絵をゆずってもらうこともある。

 

僕が独立局にコンタクトを取る第一の理由はしかし、実は別のところにある。僕はテレビ局を通してその土地の制作プロダクションやカメラマンとコンタクトを取りたいのである。制作プロダクションは往々にして、地方局よりも質の良い撮影機材や制作スタッフを持っていることが多い。これは独立テレビ局がその地方だけを仕事の相手にしているのに対して、制作プロダクションは、地方局はもちろん、全国ネットのテレビ局や、時には外国のテレビ局との仕事まで視野に入れているからである。

 

地方に仕事のベースを置いているカメラマンも同じような立場にある。そして彼らの中には、ローマやミラノのカメラマンに少しも引けを取らない腕を持つ連中がたくさんいる。絵作りの腕が同じならば、土地のカメラマンの方がその土地の歴史や風俗や文化や人心に精通している分、いい仕事ができる、と僕は考えている。

 

それにしてもミラノやローマから遠く離れた地方都市にまで、かなりのレベルの制作プロダクションや撮影カメラマンが存在して、しかもそこで充分に仕事をこなしているというのは驚くべきことである。

僕はイタリアに定住する前に、イギリス、日本、アメリカの順序で映画テレビの仕事をしてきた。イギリスには足かけ五年、アメリカにも二年いた。その実体験から言うと、映画テレビの仕事はイギリスはロンドン、アメリカはロサンゼルスとニューヨーク、日本は言うまでもなく東京に集中している。極端に言えばそれ以外の地方都市はゼロと考えて良い。フランスやドイツ等もほぼ似たりよったりだ。

 

この国は事情が違う。ローマとミラノが映画テレビの中心地であることは疑いがないが、同時にアルプス山中の南チロルからシチリア島に至るまで、その地方だけで完結していて、しかもローマやミラノに匹敵するだけの力量を持つ独立プロダクションや制作スタッフやカメラマンが、相当数存在しているのである。

 

そんな具合にイタリアの各地方というのは、現在でも中央とは一線を画して独自の道を歩みつづけている。それは各地方が独立を目指して運動をしているということではない。しかし、その気概だけはいつもあふれるほど持っているのである。

 

※ちなみに現在この国では北部同盟という政党が、経済的に豊かな北部と貧しい南部を切り離せと叫んでいるが、これは僕の話とは少し論点が違う。



 

国の中心はオラが街



イタリアには首都は存在しない。あるいは、イタリアには首都が無数にある。ローマがイタリアの首都だと思いこんでいるのは、当のローマ市民と日本人に代表される外国人くらいのものである。

 

イタリアが統一国家となったのは、今から150年前のことに過ぎない。それまでは海にへだてられたサルデニア島とシチリア島は言うまでもなく、半島の各地域が細かく分断されて、それぞれが独立国家として勝手に存在を主張していた。それは統一から150年がたった今も、実はまったく変わっていない。

 

国土面積が日本よりも少し小さいこの国の中には、周知のようにバチカン市国とサンマリノ共和国という二つのれっきとした独立国家があるが、それ以外の街や地域もほとんど似たようなものなのである。ミラノはミラノ、ベニスはベニス、フィレンツェはフィレンツェ、ナポリはナポリ、シチリアはシチリア・・・と、イタリアは今もってたくさんの小さな独立国家を内包して一つの国を作っている。

 

もちろん正式にはローマが統一国家イタリアの首都だから、国家レベルの政策決定や立法や対外政策というのはローマで成されるし、国会や大統領府もローマに置かれている。このことを指摘するとローマ人は「その通り!」と胸を張る。ところがローマ以外の土地の人々は「アッローラ?(だから何なの)」と、バカにしきった顔で肩をすくめて見せたりする。

 

大昔にローマ帝国が滅亡して以来、ローマ市は法皇が支配する小さな一教会国の首都に過ぎなかった。その間他の地域は、共和国や公国や王国や自由都市として独立し、ローマを圧倒するほどの力と文化を持ち続けるものがいた。その中でも良く知られている例が、ルネッサンスを生み出したフィレンツェであり、東方貿易と海運業で栄えたベニスであリ、ジェノバである。

 

そういう歴史があるために、150年前に国家が統一され、それからさらに10年後の1871年にローマが統一国家の首都となっても、人々は少しも納得しない。ローマはイタリアの首都かも知れないが国の中心ではない。国の中心はあくまでもオラが街だと言い張って、ローマに同調するどころかお互いに反目し合ってばかりいる。

 

実際にイタリアを旅して回ると、人々の言い分が強い根拠に基づいたものであることを思い知らされる。ベニスやフィレンツェやナポリやミラノやシチリア、そして当のローマは言うまでもなく、古い歴史を持つイタリアの都市や地域はすべて独自の文化や町並や気候風土や生活様式を持っている。人々の気風も違えば言葉も違う。

 

それぞれが一家を成す個性派ぞろいの都市や地域が一堂に集まって、イタリアという統一国家の名のもとに政治、経済、立法、対外政策その他の一切を基準化しようというのだから、ローマに居を構えた中央政府は大変である。まとまる物もまとまらない。普通の国の政府なら、一つの勢力が右と言えばすぐに左と叫ぶグループがいて、二者が話し合って妥協案を見つけるけれど、この国には右と言う声に呼応して左はおろか前後縦横上中下、東西南北天地海山松竹梅、欲しがりません勝つまでは!と議論が百出していつも大騒ぎになる。

 

その結果、内閣は回転式のドアみたいにくるくると変わりつづけ、マフィアに国を乗っ取られそうになっても、それに対抗する強力な国家権力機構が中々できなかったりする。イタリア共和国が国家権力の名のもとにマフィアを封じこむことができたのは、イタリア政府が唯一安定した時期、つまりムッソリーニのファシズム政権の間だけなのである。

 

そういうマイナス面はあるが、しかし、それだからこそ今あるイタリアの良い面もまた存在する。つまり誰もが自説を曲げずにわが道を行こうと頑張る結果、カラフルで多様な行動様式と、あっとおどろくような独創的なアイデアが国中にあふれることになるのだ。

 

そして最も肝心な点は、イタリア人の大多数が国家としてのまとまりや強力な権力機構を持つことよりも、各地方が多様な行動様式と独創的なアイデアを持つことの方が、この国にとってははるかに重要だと考えている事実である。

 

言葉を変えれば、彼らは「それぞれの意見は一致しないし、また一致してはならない」という部分でみごとに意見が一致するのである。

 

外から眺めると混乱の極みに見えるイタリアという国には、そういう訳で実は混乱はない。そこにはただ“イタリア的な秩序”があるだけなのである。つまり国がまとまらないことを承知で、なおかつオラが街の独自性を死守しようとするイタリア的な秩序が。

 

困ったことにその秩序は、イタリア人一人ひとりの対人関係においてもしっかりと生きている。だからイタリアは国も国民もいつも騒がしい。外から見るとそれがまた混乱に見える・・・。

 

サルバトーレ&シルビアⅡ



長年マフィアのことに興味を持っていろいろ調べるうちに見えてきたのは、マフィアの実体はつかみどころがない、という厳然たる事実である。

情報も見聞も噂も知識も何もかも、時間とともにそれなりに増えていくが、見えてくるのは茫洋としたマフィアの輪郭だけだ。いや、それはもしかするとマフィアの輪郭でさえないのかもしれない。マフィアのまわりに渦巻く情報の山、伝聞のガレキの巨大な堆積、とでもいうようなものに過ぎない。

 


なぜそうなるかと考え続けて分かったのは、マフィアの掟「オメルタ(沈黙)」の巨大な枷(かせ)が、障害となって立ちはだかるということである。リサーチやロケハンや情報収集によって多くのことが分かっても、最終的に「オメルタ(沈黙)」の壁にぶつかって、マファアには決して近づけない。

マフィアの構成員は言うまでもなく、その周囲にいる筈の被害者、つまりシチリア島の人たちが、ほとんど何も語ってくれないために本当のことがまるで見えてこない。もどかしさがいつも付きまとう。それがマフィアリサーチの本質である。それは僕の親友であるサルバトーレとの付き合いの場でさえ同じ。

 


サルバトーレがマフィアの構成員だった彼の祖父のことを打ち明けてくれた直後、僕はどうにかして組織のメンバーに会う手段はないか、と彼に頼んだことがある。すると彼は2、3日後に「ある人に会わせる。しかし彼の前ではマフィアのマの字も出すな」とだけ言って、僕をパレルモ市内の一軒の家に連れて行った。

 


そこはある土建業者のボスの家だった。内装に少し金ぴかな趣味があるが、大きなりっぱな家である。

50歳前後に見えたその男性は、一人で待っていて僕とサルバトーレを居間に通してくれた。愛想は良くない。でも別に不快感や敵愾心を見せるわけでもない。彼はシチリア名産のマルサラワインをご馳走してくれ、われわれはシチリアや僕の住む北イタリアや日本のことなど、当たり障りのない話題をしばらく交わしてそこを辞した。最後まで男性の妻や家族が居間に顔を出すことはなかった。

それだけの出来事である。

 


「彼は誰?」

僕は帰宅する車の中で念のためにサルバトーレに聞いた。

 


土建業者のボス。趣味は良くないが明らかに裕福な住まい。家族の紹介などこれっぽっちも頭の中にない態度。知的ではないが、相手への尊敬の念を決して失わない物腰。射るような目線でほとんど笑わず、お愛想を言わず、かと言って敵意を見せるのでもない動き・・・あまりにも「らしい」要素の数々が、逆に嘘っぽいほどの見事なマフィオーゾ(マフィアの構成員)振りの男性について、僕はサルバトーレに確認を取ったのだ。

 


それに対するサルバトーレの答えは、僕が正確に予期した通りのものだった。


「君が見て、君が感じたままの男だ」


つまり男性は組織の一員である。でもそれはサルバトーレがそう言っているのではなく、一外国人である僕が勝手にそう考えているだけのことだ・・・というのがサルバトーレの言葉の意味である。

 


それがシチリア島のマフィアの実態である。

誰も本当のことは語ってくれない。

僕の親友のサルバトーレでさえそうなのだから、他は推して知るべしである。

 


そうやって僕は次第にマフィアそのものを描くドキュメンタリーの制作を諦めていった。

能力の無い僕には、不得要領なものを映像ドキュメンタリーにする術はない。その代わりに、フィクションでの描写が効用を持つのではないか、と考えるようになった。

しかし、僕はフィクション映像の監督ではない。そこで、せめて文章ででもマフィアについて表現できないものかと考えたりもしている。この先、ここでこうして書いていくのも、あるいはその一手なのだろうか・・



 

 

 



震災支援チャリティーコンサートⅢ



村(コムーネ)主催の一大イベントFranciacorta in Fiore(フランチャコルタの花祭り)の会場になっているわが家は、数日来火事場のような騒ぎになっている。準備や会場設定などが忙しく進められ、記者会見や立食パーティーが開かれるなど、人の出入りが激しい。この騒ぎが落ち着くのは例年祭りの数日後、恐らく5月18~19日頃。

 


そうした中、東日本大震災支援コンサートの準備も着々と進んでいる。会場になる自宅の僕ら夫婦と、慈善団体のマトグロッソ、さらに田中・横田両嬢が中心になって立ち上げた、ミラノの震災支援グループl’Isola della speranza(希望の島)
が密に連絡を取り合って、5月29日を目指している。

 


コンサートの出演者は有名ギタリストのエマヌエレ・セグレさんと今ぐんぐん勢いを増しているピアニストの吉川隆弘さん。二人はデュオにも積極的にトライし、ポピュラーな曲なども演奏してくれる由。素人の僕らの勝手な要求を快く受けてくれてとても嬉しい。コンサートは間違いなく素晴らしいものになると思う。

 


僕は当初、去年の演奏会にこだわって3~4種類の楽器の共演を画策していたが、フルート奏者で友人のマウリツィオ・シメオリは、多くの楽器のコラボは盛り付けの多すぎる料理のようになって失敗する可能性が高い。だからピアノとギターならちょうどいい、という強い意見だった。従って、そこに落ち着いたことにも僕はほっとしたり、喜んだりしている。

 


コンサートには在ミラノ総領事の城守茂美さんが来てくださることも決まった。ミラノの友人たちがイタリア語での挨拶をお願いできないかと交渉しているところ。

 


日本レストランの「ぽぽろ屋」さんから、握り寿司の提供も受けることが決まった。またマトグロッソのブルーノは、生ハムやサラミなどに加えてローストビーフも出してくれるという。そうなると、シャンパンも加わったコンサート後の飲食は最早「軽食」ではなく、「夕食」あるいは「食事」として喧伝することもできるかもしれない。
 


例年自宅で開かれるマトグロッソ主催の慈善コンサートは、
150人前後の集客を目指すことが多い。自宅中庭で行う場合は、最大200人程度の聴衆が入れると思うが、200人の客を集めるためには、最低でも千通ほどの招待状を送らなければならないだろう。大仕事である。ノウハウを持っている彼らは、もう少し効率良く客を集めるが、それでも150人程度を目標にイベントを開催する。

 


今回はミラノの友人らが参加する分を上乗せして、200人程度の聴衆を集めたい。雨が降らなければそれくらいは何とかなるのではないか、と考えているがどうなるか。こればかりはフタを開けてみなければ分からない。ハラハラドキドキという気分である。

 


雨天なら130~
150人程度が来てくれれば御(おん)の字。大成功だった昨年のコンサートは実は雨のために集客率が悪く、
120人程度に留(とど)まった。しかし場所を屋内に移しての演奏だったから、逆に聴衆の数が多くなり過ぎると困ることになる。このあたりの成り行きも悩ましいのが、屋外でのチャリティーコンサートである。





 

 

 

サルバトーレ&シルビア



僕はシチリア島にたくさんの友人がいる。最近は仕事がらみで出来る友人も多いが、イタリアに住み着くずっと以前からの友人もかなりいる。その中でも最も親しいのは、ロンドンでの学生時代に知り合ったサルバトーレである。僕よりも4歳年上のサルバトーレは、当時はまだパレルモ大学の学生で、一年間の予定でロンドンに語学留学をしていた。イタリアでは30歳近くになっても大学に籍を置いて勉強をつづけている学生が多い。サルバトーレもその頃はすでに28歳になっていた。
 

サルバトーレは、ロンドンからシチリアに戻った翌年に大学の哲学科を卒業して弁護士のシルビアと結婚した。二人には現在3人の子供がいる。ロンドン時代は「ラテン・ラバー」ともてはやされたサルバトーレも、今は巨大な太鼓腹を抱えるただの田舎のオヤジになって、会うたびに僕を喜ばせてくれる。ロンドン時代、彼のモテモテぶりに少なからず嫉妬心を抱きつづけていた僕は、最早すっかりオヤジ振りが板についた同士とは云え、下腹の有様だけを見れば、今はこっちの方がよっぽど「ラテン・ラバー」だと優越感にひたるのである。

 

秘密というのではないが、僕は彼と知り合って20年程が経った頃、サルバトーレの口から意外なことを聞かされた。彼の祖父はれっきとしたマフィアの構成員で、組織内の抗争に巻き込まれて射殺されていたのである。祖父はあの悪名高いコルレオーネ村に近い山間部のマフィアファミリーのボスだった。彼はマフィアがまがりなりにも「名誉ある男たち」としての自恃(じじ)を持っていた頃の最後の世代に当たり、主として麻薬密売を一手に握って台頭してきた、若い世代の構成員とぶつかって殺害されたのである。

 

映画「ゴッドファーザー」の中にマーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネとその周辺の対立が描かれているが、あれとそっくり同じ状況がシチリアのマフィアの間で実際に起こっていたのである。サルバトーレの祖父はシチリアの小さな村でドン・コルレオーネに酷似した立場にあった男。これはマフィア関連の文献にも記載されている実話である。

 

サルバトーレは僕がマフィアに関心を持っていて、シチリア島に行く度に少しづつ情報を集めていることを知っていた。同時に彼は、僕がシチリア島や島の住民を何かにつけてすぐにマフィアと結びつけて否定する人間ではないことも知っていた。だからこそ僕らは長い間友人でありつづけられたのであり、彼はその頃になって祖父の話を持ち出したのだろうと思う。

 

言葉を変えれば、サルバトーレがマフィアのボスの一人だった祖父の話をしても良いと思うところまで僕を信用するのに、20年の歳月が必要だったとも考えられる。もっともサルバトーレの祖父のことは、僕が無知だっただけで、知る人ぞ知る史実なので秘密でもなんでもなかったのだが、僕は知り合って20年も経った後に、彼自身の口から直接その話が出たことにある種の感慨を覚えたのである。

 

しかしながらサルバトーレも又シチリア島の人間である。マフィアについては余り立ち入ったことは話したがらない。それは同じシチリア人である彼の妻のシルビアにも言える。ただ僕らは次のような会話をすることはある。

 

僕「マフィアの構成員って見ていてすぐに分かるの?」

シ「分かるわよ。それは」

僕「サルバトーレ、君も?」

サ「うん。分かる」

僕「君ら二人が分かるということ? それともシチリアの人は皆んな分かるということ?」

サ「分かるさ。誰も何も言わないだけだ」

僕「ふーん。日本のヤクザみたいなものなのかな」

 

サルバトーレもシルビアもヤクザのことは知っている。僕がマフィアにからませて時々話題にすることもあるが、それでなくてもYAKUZAというのは国際的な言語になっていて、インテリの部類に入るイタリア人はけっこう知っていることが多い。

 

シ「ヤクザはいかにもヤクザって格好をしているの?」

僕「少し前まではね。今だにそういうのもいるけど、ふつうのビジネスマンみたいになって分からなくなったのも多い」

サ「それでも分かる訳か」

僕「何となく。何かあるとすぐ分かる」

シ「マフィアは何もなくても分かるわね」

僕「服装とかそういうの?」

サ「そうじゃなくて、雰囲気。動き方とか目の表情だとか、握手の仕方、抱擁の仕方・・・いろいろな要素がある」

 

シチリア人の誰もがマフィアの構成員を即座に見抜く、というのは少し大げさなような気もするが、僕はサルバトーレとシルビアに関しては彼らの話を信用する。サルバトーレは祖父の関係で少しはマフィア内部のことに詳しいはずだし、シルビアは弁護士としての立場上、同じようにマフィアに関してはたくさんの情報を持っているはずである。

 

マフィアを相手にする司法関係者は、シルビアのようなシチリア人でなければ意味がない、と良く言われる。それはマフィアの精神構造とシチリアの人々のそれが同一の土壌にあって、よそ者には決して踏みこむことができないということである。

 

たとえば1992年にマフィアに殺害されたジョバンニ・ファルコーネ判事は、シチリア人であったためにマフィアをとことん追い詰めてイタリアの英雄になった。彼はサルバトーレが話したような、マフィアの構成員に独特の動作や目の表情や言葉遣い等に精通していた。同時に彼らを尋問するに当たっては、どういう話し方をしてどういう態度で臨めば彼らに屈辱感を与えず、しかも判事自らの権威を保つことができるかを知悉(ちしつ)していたという。マフィアは屈辱を最も恐れ、権威には従順なところがある。ただし権威とは、彼らが彼らだけの基準で認めた権威である。普通の人が権威と認めるものでも、マフィアはその気になれば何のためらいもなく否定し破壊する。

 

要するにファルコーネ判事は、シチリア人同志でなければ通じ合わないものを最大限に活かして、仕事をしたのである。そのおかげで彼は、口を割らせるのが難しいマフィアの男たちを次々に落として、組織を追いつめていった。そしてまさにその力量が災いして、彼は高速道路を走行中にマフィアが道路に仕掛けた爆弾によって車ごと吹き飛ばされた。マフィアは時速140キロメートル以上のスピードで走っている判事の車を、遠隔操作の爆破装置で正確に破壊したのである。その2ヶ月後には、彼と二人三脚でマフィアを追いつづけていた、同じシチリア島出身のパオロ・ボルセリーノ判事も殺害される。

 

シチリア出身のマフィア専門の法曹は、ファルコーネ判事の前にももちろんいた。しかしそのほとんどが目立った成果を挙げられずにいた。それどころかマフィアとの癒着を疑われて世論の批判を浴びる有様だった。シチリア出身の法曹は、同じシチリアの犯罪組織であるマフィアを良く知っている分、マフィアの男たちに取り込まれやすい危険がいつもつきまとっている。ジョバンニ・ファルコーネ判事と相棒のパオロ・ボルセリーノ判事は、誰もが認める勇気と行動力を持って真っ向からマフィアに立ち向かって行った、シチリアの司法史上ほとんど初めての、と言っても良い現地出身の裁判官だったのである。

 

“マフィアと闘う者はたくさんいる。しかし彼らは実は何もしていない。その証拠に彼らはまだ生きている”とシチリアの人々は良く口にする。マフィアに真剣に立ち向かえば消される、というやり切れない現実を言い当てた格言である。その格言通り二人の判事はこの世から消えた。

 

実際にシチリア島に足を運び、人々に出会い、資料を集めたりしながら、僕はとりとめもなくマフィアについて考えを巡らせつづけている。いつかはそれをテーマにきちんとした作品を作ってみたいからである。


僕はイタリアの友人や知人に良くそのことを話す。すると誰もが決まって「やめた方がいい。命にかかわるぞ」と真剣な顔で僕に忠告する。僕は命知らずの勇敢な男ではないから、そのたびに少なからずビビってしまう。同時に彼らのリアクションは
マフィアの亡霊に脅えているだけなのではないか、とも思う。

 

そうやって不安と疑問と恐怖の間をオロオロと行き来しながらも、僕は一つだけ「大丈夫、危険なことはない」と自分にいいきかせることのできる物を持っている。

 

それはシチリア島の僕の親友、サルバトーレの存在である。サルバトーレは、僕がマフィアを題材にした作品を制作できないかと模索し続けていることを、誰よりも良く知っている。しかし、彼は一言も危ないとか、やめておけ、といった忠告をしたことがない。むしろ、僕の意図するところには賛成である。弁護士で奥さんのシルビアもそうだ。

 

マフィアを知悉している二人は、僕が知らず知らずのうちに危険な道に踏みこんだ場合、すぐに警告をしてくれるであろう・・・・・と、僕はひそかに確信しているのである。

 

とは言うものの、最近の僕は、マフィアを直接に取り上げる映像ドキュメンタリーの意義については、かなり大きな疑問を抱いている。多くのテレビ番組や映画や活字媒体が取り上げ続けてきたテーマに、果たして自分なりの視点や思いや発見を付け加えることができるのか。またマフィアの本質になんらかの形で僅かなりとも迫ることができるのか。そうした重大な疑問に僕は何一つ答えを見つけ出せずにいる。

 

結局、マフィアをテーマに新しく映像作品を作るなら、ドキュメンタリーではなくフィクションの形でのそれしかないのではないか、と僕は感じ始めている。それは映像ドキュメンタリー監督、あるいはドキュメンタリー作家を自負している自分としては、屈辱であり敗北宣言にも等しい感慨だ。が、ことマフィアに関する限り、僕は茫漠とした広がりを見せる情報と見聞と現実の前に、今のところはなす術もなく立ち尽くしている、という風なのである。

 

 


イタリアVS砂漠の猛獣Ⅱ



イタリアはついに、多国籍軍によるリビア爆撃にも参加することを表明した。そして南イタリアに漂着するリビア難民は増え続けている・・


それでも、今のところ僕は、多国籍軍によるリビア攻撃に賛成である。

 


欧米列強が徒党を組んで多国籍軍を形成し、中東の一国リビアを攻撃するのは内政干渉であり、主権・自決権の侵害であり、弱い者いじめの思い上がりである。それはいつか来た道。デジャヴ(既視感)などではなくて、確かに何度も見てきた現実だ。最近で言えば湾岸戦争、アフガニスタン紛争、イラク戦争など。

 


そうではあるが、民主化を要求する国民の声を無視し、あまつさえこれを弾圧するカダフィ独裁政権の動きは容認できないものである。従って、余計なお世話の多国籍軍のリビア攻撃に、僕は今のところ賛成に回るしかない。

 


つまり、多国籍軍を投入する欧米列強の横暴と、独裁者カダフィの横暴を天秤にかけた場合、後者の横暴の方がはるかに悪であるように僕には見えるのである。どちらも悪だが、少なくとも民主主義国家の集合体である多国籍軍の大義名分を僕は支持したい。彼らのリビア、ひいては中東全体の石油利権への執着と、それを隠して「爆撃はリビア人民の保護のため」と言い続ける偽善にはここでは目をつぶって。

 


なぜならリビアにも、また他の中東諸国にも民主主義が訪れ、根付いて欲しいから。その第一歩が独裁者の排斥であろう。

 


リビアのカダフィ大佐は、それぞれが万死に値する二つの罪を犯していると僕は思う。



一つは政権に不満を表明した自国民に向かって発砲したこと。もう一つは政権に固執し過ぎて、欧米列強にリビア攻撃の口実を与えてしまったことである。

 


チュニジアのベンアリ、エジプトのムバラク前大統領のように、国民の要求を入れて政権を明け渡していれば、長い独裁政治の罪は消えないとはいえ、少なくとも自国民を欧米列強の爆撃の危険にさらし、さらにその後も列強の干渉を呼び込み兼ねない可能性を排除できたはず。やはりカダフィは、必ず万死に値する者である。

 


そのこととは別に、僕は個人的にひっかかっていることがある。ロンドンの映画学校で一緒に学んだリビア人のムフタ君の運命だ。リビアの国費でその学校に学んでいた彼は、自国の大使館を借り切ってクリスマスパーティを開催したこともある。明らかにリビアのエリート青年だった。

 


彼とは学校卒業と同時に連絡が途切れてしまった。若気の至り、若気の思い上がりで、僕らは当時友人間で連絡先を控え合う習慣がなかった。われわれはお互いに映画監督になって世界的に有名になる。従って連絡先を控えておく必要などないと、かつて僕らは口には出さずとも皆そう思っていたのだ。

 


ムフタ君はロンドンの学生時代からカダフィ大佐側、体制側の人間だった。今はもっとそうだろう。



そんな訳で僕は、リビア危機を伝えるアルジャジーラやBBCのニュース映像の中に、もしかしてムフタ君の顔がないか、懸命に探したりもしているのである。




 

スケベで嘘つきで怠け者のイタリア人?



3月26日の記事「“違う”ことは美しい」の中でチラと書いたことにも重なるが、イタリア人(特にイタリア男)のイメージの一つ「スケベで怠け者で嘘つきが多く、スパゲティーやピザをたらふく食って、日がな一日カンツォーネにうつつを抜かしているノーテンキな人々」というステレオタイプ像の真偽について、僕なりの考えを再び少し述べたい。

 

イタリア人は恋を語ることが好きである。男も女もそうだが、特に男はそうである。恋を語る男は、おしゃべりで軽薄に見える分だけ、恋の実践者よりも恋多き人間に見える。

 

ここからイタリア野郎は、手が早くてスケベだという羨(うらや)ましい(!)評判が生まれる。

 

しかも彼らは恋を語るのだから当然嘘つきである。嘘の介在しない恋というのは、人類はじまって以来あったためしがない。

 

ところで、恋を語る場所はたくさんあるけれども、大人のそれとしてもっともふさわしいのは、なんと言っても洒落たレストランあたりではないだろうか。イタリアには日本の各種酒場のような場所がほとんどない代わりに、レストランが掃(は)いて捨てるほどあって、そのすべてが洒落ている。なにしろ一つ一つがイタリアレストランだから・・。

 

イタリア人は昼も夜もしきりにレストランに足を運んで、ぺちゃクチャぐちゃグチャざわザワとしゃべることが好きな国民である。そこで語られることはいろいろあるが、もっとも多いのはセックスを含む恋の話だ。

 

実際の恋の相手に恋を語り、友人知人のだれ彼に恋の自慢話をし、あるいは恋のうわさ話に花を咲かせたりしながら、彼らはスパゲティーやピザに代表されるイタリア料理のフルコースをぺろりと平らげてしまう。

 

こう書くと単純に聞こえるが、イタリア料理のフルコースというのは実にもってボー大な量だ。したがって彼らが普通に食事を終えるころには、二時間や三時間は軽くたっている。そのあいだ彼らは、全身全霊をかけて食事と会話に熱中する。どちらも決しておろそかにしない。その集中力というか、喜びにひたる様というか、太っ腹な時間のつぶし方、というのは見ていてほとんどコワイ。

 

そうやって昼日なかからレストランでたっぷりと時間をかけて食事をしながら、止めどもなくしゃべり続けている人間は、どうひいき目に見ても働くことが死ぬほど好きな人種には見えない。

 

そういうところが原因の一つになって、怠け者のイタリア人のイメージができあがる。

 

さて、次が歌狂いのイタリア人の話である。

この国に長く暮らして見ていると、実は「カンツォーネにうつつを抜かしているイタリア人」というイメージがいちばん良く分からない。

 

おそらくこれはカンツォーネとかオペラとかいうものが、往々にして絶叫調の歌い方をする音楽であるために、いちど耳にすると強烈に印象に残って、それがやたらと歌いまくるイタリア人、というイメージにつながっていったように思う。

イタリア人は疑いもなく音楽や歌の大好きな国民ではあるが、人前で声高らかに歌を歌いまくって少しも恥じ入らない、という質(たち)の人々では断じてない。むしろそういう意味では、カラオケで歌いまくるのが得意な日本人の方が、よっぽどイタリア人的(!)である。

 

そればかりではなく、スケベさにおいても実はイタリア人は日本人に一歩譲るのではないか、と僕は考えている。

イタリア人は確かにしゃあしゃあと女性に言い寄ったり、セックスのあることないことの自慢話や噂話をしたりすることが多いが、日本の風俗産業とか、セックスの氾濫(はんらん)する青少年向けの漫画雑誌、とかいうものを生み出したことは一度もない。

 

嘘つきという点でも、恋やセックスを盾に大ボラを吹くイタリア人の嘘より、本音と建て前を巧みに使い分ける日本人の、その建て前という名の嘘の方がはるかに始末が悪かったりする。

 

またイタリア人の大食らい伝説は、彼らが普通一日のうちの一食だけをたっぷりと食べるに過ぎない習慣を知れば、それほど驚くには値しないとも考えられる。それは伝統的に昼食になるケースが多いが、二時間も三時間もかけてゆっくりと食べてみると、意外にわれわれ日本人でもこなせる量だったりする。

 

さらにもう一つ、イタリア人が怠け者であるかどうかも、少し見方を変えると様相が違ってくる。

イタリアは自由主義社会(こういう言い方は最早通用しないがイタリアを語るにはいかにもふさわしい語感である。また自由主義社会だから中国を排除する)で、米日独仏につづいて第5番目の経済力を持つ。イギリスよりもイタリアが上だと考えられるのだ。これには諸説あるが、正式の統計には出てこないいわゆる「闇経済」の数字を考慮に入れると、イタリアの経済力が見た目よりもはるかに強力なものであることは、周知の事実である。

 

ところで、恋と食事とカンツォーネと遊びにうつつを抜かしているだけの怠け者が、なおかつそれだけの経済力を持つということが本当にできるのだろうか?

 

何が言いたいのかというと・・

要するにイタリア人というのは、結局、日本人やアメリカ人やイギリス人やその他もろもろの国民とどっこいどっこいの、スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎に過ぎない、と僕は考えているのである・・

それでも、やっぱりイタリア人には、他のどの国民よりももっともっと「スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎」でいてほしい。せめて激しくその「振り」をし続けてほしい。それでなければ世界は少し寂しく、つまらなく見える。



今のところは・・



ブログ記事にしろ何にしろ、人は知っていることしか書けない。知らないことは逆立ちしても書けないのである。

そして一人の人間が知っていることはとても少ない。知らないことが多過ぎるばかりではなく、知っていることでも中途半端な知識だったり、うろ覚えだったり、思い込みだったりすることも珍しくない。

 


あいまいな知識は調べたり勉強したりして確実なものにすることができる。あるいは限りなく確実に近いものにすることができる。

 


しかし、調べても勉強しても、考えても分からないことがある。

 


そこで僕は、考え続けても分からないことや結論付けられないあらゆることに「今のところは」と枕詞をつけることにしている。というか、それが僕の主義であり原理原則である。

 


「今のところは、~」という言い方や考え方は、日和見(ひよりみ)主義や風見鶏的なずるさにつながる危(あや)うさをはらんでいる。それでも僕は、いや、だからこそ僕は、あえて「今のところは」と断わりをおいて考えることにしている。

 


なぜなら人は死ぬまでは変わり続けるのであり、流転変遷こそが生の証(あかし)であり人生の華である。そして、変わるのが人の宿命なら、変わる人の、思想や考えも変わるのが道理である。変わらないなら、それは死人の思想であり膠着(こうちゃく)した危険な思想である可能性がある。

考え続けているが良く分からないこと、結論付けられないことは僕の中に無数にあるが、今思いつくままに10個を書き出すと:

 


1.今のところ僕は、原発に99%反対

2.今のところ僕は、死刑制度に賛成

3.今のところ僕は、安楽死に賛成

4.今のところ僕は、捕鯨に反対

5.今のところ僕は、外国人参政権に反対

6.今のところ僕は、多国籍軍によるリビア攻撃に賛成

7.今のところ僕は、日米同盟に賛成(日米安保に賛成)

8.今のところ僕は、同性愛者が子供を持つこと、生み育てることに反対

9.今のところ僕は、NHKの民営化に反対、でもイタリアのNHKであるRAIの民営化には賛成

10.今のところ僕は、イタリア風の共和国体制に賛成

 


死刑制度に賛成とか、同性愛者が子供を持つことに反対などというのは、たちまち激しいバッシングを受けても仕方のない表現だが、僕は決して死刑制度を積極的に支持しているわけでもなく、同性愛者を差別する者でもない。僕の乏(とぼ)しい知識や思考力では「今のところ」はそんな風に考えるしかなく、もちろんそれは今後変わっていく可能性がある。

 


そしてここにこうして書き出した以上は、言うまでもなくなぜ僕が「今のところ」そういう風に考えるかを、少しづつ話していくつもりでいる。ただし、時間が経てば前述の僕の考えは既に変わっているかもしれないことは、これまた言うまでもない・・

 



復活祭のごちそう②



復活祭の時期にイタリアでたくさん食べられる子やぎの肉は、祭りが終わるとほとんど需要がなくなる。

一方、子羊の肉(英語で言うラム)は一年を通してよく食べられる。肉屋やスーパーでも一年中売られているし、レストランなどのメニューでも子羊(agnelloアニエッロ)料理を見つけるのは難しくない。しかし、子やぎ(caprettoカプレット)料理の文字を見ることは稀(まれ)である。その理由は分からないが、単純に子やぎの絶対量が少ないからではないか、と僕は思う。

 

ドキュメンタリーや報道番組の撮影、リサーチなどでイタリア中を巡っていると、羊飼いと牧羊犬に連れられた羊の群れによく出会う。牧草地ばかりではなく、時には田舎町の道路を羊の大群が渡っているのに出くわしたりする。シチリア島では僕は実際にそういう場面を何度も撮影したりもした。映画「ゴッド・ファーザー」の一場面かと見まがうようなシーンが、ごく普通に見られるのである。

 

羊には羊毛の需要もあるから数が多くなるのであろう。それに比べてやぎの姿はめったに見かけない。探せば見つかるが、羊のように頻繁に目にすることはない。もしかすると、やぎの場合は山羊、つまり「山の羊」と呼ばれるくらいだから、飼育や繁殖がむつかしくて数が少ないということもあるのかもしれない。

 

羊とやぎの乳からは、ペコリーノとカプリーノという独特のチーズが作られる。世界最古のチーズの一つ、いわゆるロマーノ・チーズで、どちらも肉の臭みに近い独特の風味がある。ここでも羊乳から作られるペコリーノの方が、やぎ乳が原料のカプリーノよりも一般的である。

 

食肉という観点からは、羊もやぎも成獣の肉はほとんど価値がなく、イタリアでは市場に出回ることはまずない。どちらの家畜の肉も、もしも食べられる場合には、それを飼っている農家とその周辺でひっそりと消費されるだけらしい。成獣の肉は、羊もやぎもそれほどにおうので人の口には入りにくい、ということなのだろう。

 

そういうわけで市場に出回り食卓にものぼるのは、子羊と子やぎの肉だけである。そして両者は、実はここが一番言いたかったのだが、味に大差はないと僕は思う。どちらもおいしいのである。

 

ただし、レストランなどで出される子羊料理は、僕が知る限りたいしたものはない。骨付き肉を炭火でさっと焼き上げたシンプルな料理が多く、仕上がりの少しの違いで、肉がやわらかかったり固かったりすることはあるが、どこでもほぼ同じ味という印象がある。2時間も3時間もかけてじっくりと調理をする分、あくまでも復活祭などで出される家庭料理の方がうまいのである。

 

子羊や子やぎの料理は、イタメシの中ではマイナーな存在である。ところが、イタリアを少し離れて東ヨーロッパのイスラム教国やギリシャやトルコなどに移動すると、特に子羊の肉はメジャーな食材に変貌して、料理法も多彩になる。もちろん味も素晴らしい。

 

僕がこれまでに食べた子やぎ料理のベストは、ギリシャのロードス島の山中の食堂、また子羊料理の筆頭は、クロアチア国境に近いボスニア・ヘルツェゴビナのレストランの一品である。

 

僕は今後10年くらいをかけて、地中海の国々を少しづつ巡り歩く計画を立てている。そこのイスラム教国では子羊の肉がよく食べられる。僕は今から、ボスニア・ヘルツェゴビナで食べた子羊料理を上回る味に出会うこともあるのではないか、とひそかに期待している。

 

しかし子やぎ料理の場合は、恐らくロードス島で食べたもの以上の味には出会えないような気がする。なぜならそれらの国々でも子やぎの肉は一般的ではないから・・

 

復活祭のごちそう①



4月24日の日曜日は復活祭(伊語パスクア、英語イースター)である。十字架にかけられて死んだイエス・キリストが、三日目に復活したことを祝う祭り。

 

復活祭の僕の楽しみは、招かれて行く妻の実家で必ず食卓に出るやぎ料理である。

 

イタリアのやぎ料理には、やぎ独特の強烈なにおいがない。料理に使われているのが、まだ乳離れもしない生まれたての子やぎ(caprettoカプレット)の肉だからである。子やぎは乳離れをしてひとくちでも草を食むと、その肉にはやぎ独特の臭(くさ)みがこもり始めるという。従って良い肉ほど若いやぎのそれということになる。


炭火やオーブンでじっくりと焼き上げられた子やぎの肉は香ばしく、口にいれると柔らかく舌にからんで、とても上品な味がする。

 

イタリアには「さすがはグルメの国」と感心させられるような料理がたくさんあるが、僕にとっては、復活祭の子やぎ料理もそんな食べ物の一つである。

 

復活祭になぜやぎ料理なのかというと、イエス・キリストが贖罪のために神に捧げられる子羊、すなわち「神の子羊」だとみなされることからくる。そこで復活祭に子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができたが、子羊の肉はやがてそれに似た子やぎの肉にも広がっていった。

 

日本のやぎ料理といえば南の島々のそれであろう。また北海道のジンギスカン料理も島のやぎ料理に少し近いかもしれない。

 

島々のやぎ料理は良く言えば珍味、もっと良く言えばゲテモノ(笑)である。

 

やぎの成獣は羊よりもくさい。その肉はもっとくさい。初めてやぎ料理を食べる人が仰天するのは、鼻もひん曲がるようなその強烈なにおいである。僕の意見では料理法にも問題があると思うが、なによりもまず肉の刺激臭が初心者の障害になる。

 

食べ慣れた人にはやぎ肉のにおいはもちろん気にならない。いわば納豆やくさややブルーチーズなどの「におう」食べ物と同じで、好きな人にはむしろその独特の臭みがおいしさの源の一つになったりする。

 

それにしても、生まれて間もない子やぎをつぶして食べるとは、なんというゼイタクだろうか。カワイソーなどと偽善的な言葉は口に出すまい。そんなことを言えば成長したやぎをつぶすことだってカワイソーということになるのだから。


島の古人たちが子やぎを食べることを思いつかなかったのは、それを「かわいそう」などと思ったからでは断じてない。

 

貧しかったからだ。

 

やぎは大きく育ててからつぶす方がより大量の食材になる。より多くのひもじい人々の口に行き渡る。だから大きく育ててから食べた。成長したやぎの肉はにおう。だが、においよりは空腹の方がはるかに切実な問題だから、くさくても食べた。

 

食べるうちに人は臭みに慣れる。やがて臭みは臭みではなくなって食材の個性になる。むしろ臭みがないと物足りないという風に味覚が変化していく。それが島々のやぎ料理である。 

 

一方ローマ帝国を持ったこともある豊かなイタリア人は、空腹を満たそうとする切実な行動よりも、より美味いものを食べたいというグルメな欲求を優先させてやぎ料理を考えることができた。

 

だから量は多いが、くさい成熟したやぎ肉よりも、少量だがおよそくさみとは無縁の、子やぎの肉を使って料理をする方法を編み出した。それが洗練されたイタリアのやぎ料理であろう。

 

僕は妻の実家で子やぎ料理のレシピを習って、ときどき自分でも試したりする。長い伝統のある料理法だから簡単にはものにできないが、ときどき「それらしく」仕上がることもある。

 

レシピは僕の大ざっぱなやり方では次のようになる。

1)  オーブン用の皿にバターをたっぷりと敷く。

2)  その上に食べやすい大きさに切った肉を載せ敷く。

3)  塩を振る。その時さらにバターも少々肉に塗る。

4)  薬味のサルビアとローズマリーを大量に載せる。

5)  白ワインとコニャックを上にかける。

6)  ときどき肉を裏返しながら、180℃で2時間じっくりと焼く。 

※あるいは少し低い温度で3時間前後焼く場合も。
※どちらの場合も肉が干上がらずに適度な湿り気を保つよう、溶けたバターや脂をスプーンなどですくっては、肉にかける作業を続けることが肝心。



イタリアVS砂漠の猛獣


ついに来た、という感じである。

 

760名のリビア人難民を乗せた漁船が、いつものように地中海のイタリア領ランペドゥーサ島に漂着した。きのうの出来事である。760名は一隻の漁船がイタリアに運んだ難民の数では、中東危機で過去最大である。

 

「ついに来た」というのは、リビアのカダフィ大佐が自国民を難民に仕立て上げて、無理やり船に乗せてイタリアに向かって放つ計画を持っているからである。

 

新生児を含む子供17人と複数の妊婦が混じる難民760名が、大佐の横暴の直接の犠牲者かどうかはまだ分からないが、イタリア政府は何でもありの独裁者の動きに神経をとがらせている。

 

ランペドゥーサ島には、今回の中東危機にはかかわりなく、慢性的に北アフリカからの難民や不法移民が流入している。2005年から2010年までを見ると、その数は年平均で2万人弱である。

 

ところが今年は1月から4月初頭までの3ヶ月間で、ランペドゥーサ島に上陸した難民は既に3万人近くにのぼっている。中東危機の影響であることは言うまでもない。

 

そのうちチュニジアからは372隻の船で2万4千人弱、またリビアからは18隻の船で4千人余りが漂着している。しかし、リビアからは多数の住民が内戦を逃れてチュニジアに移動していて、このうちの相当数がチュニジア人を装ってイタリアに入ったとする見方もある。

 

さらにカダフィ大佐は1万人以上の囚人を解放してイタリアに送り込む画策もしているらしい。それらの噂や情報は荒唐無稽とばかりは言えない。

 

リビアがイタリアの植民地だった歴史的ないきさつとは別に、両国は近年きわめて友好的な関係を築きつつあった。特に2009年のリビア革命40周年記念式典に、イタリアのベルルスコーニ首相が植民地支配の謝罪と賠償約束のために同国を訪問して以来、友好関係は促進された。

 

イタリアがリビアの石油の主要な輸出国である事実なども相俟(ま)って、ベルルスコーニ首相とカダフィ大佐は個人的にも親交を深めていたほどである。

 

それだけにカダフィ大佐は、リビアを攻撃する多国籍軍にイタリアが参加し、しかも爆撃を有利にする七ヶ所もの基地を提供している事実に激昂している。彼は「ローマに裏切られた」「地中海沿いのイタリアの街を火の海にする」などと宣言して、イタリアへの恨みを募らせているのである。

 

ベルルスコーニ首相は、多国籍軍に基地も戦闘機も提供するが、リビア爆撃には参加しないとか、カダフィ大佐にはまだ友情を感じているなどと、苦しい言い訳をしているが、恐らくカダフィ大佐は聞く耳を持たないだろう。

 

それどころか彼は、難民問題に関するフランスとイタリアの確執など、欧州連合内の各国が一枚岩ではないことを先刻承知している。そこでさらなる撹乱(かくらん)を狙って、反対勢力の自国民を難民に仕立てて地中海におっぽり出す、というわけである。

 

大佐は砂漠の猛獣とも狂犬とも呼ばれてきた、一筋縄ではいかない独裁者だ。それくらいのことはいとも簡単にやりかねない気もする。

 


普天間基地を災害避難所にしろⅡ

 

イタリア政府が、基地をたてにEUに対して難民問題での譲歩を迫ったらしいことに気づいて、僕は普天間基地のことを思い出した。

 

基地問題を話すのは暗い。疲れる。うっとうしい。

 

出版社の友人によると「基地問題の本は売れない」のが通例らしい。基地問題のこのブログ記事も恐らく誰にも読まれないのだろう。

特に沖縄の基地問題の場合には、島の持つ本来の明るさの反動からか、暗さに拍車がかかるように僕には感じられる。

 

青い海と、さんさんと降りそそぐ太陽と、のん気で陽気な人々の島、沖縄。  癒やしの島、沖縄。  明るい歌の島沖縄は、基地という言葉が絡んだ瞬間に、ツライ、クライ、オモイ、イタイ、の四拍子がそろった恐怖の島になる。しかし、それも島の現実なのだから仕方があるまい。

 

普天間基地問題に関しては、僕は言うなれば過激派である。つまり基地の地元の皆さんに「もっと怒れ」「もっと叫べ」とけしかけている。なぜなら人々は大人しすぎると僕には見えるし、今の状況では、地元が激しく怒ること以外には問題の道筋はつけられないと考えるからである。

 

僕は米国が好きである。日米が対等に向かい合うという条件付で、日米安保条約にも賛成である。また米軍が自衛隊とともに、東日本大震災の被災地を助けた事実には深く感謝したい。

 

そのことと、日米地位協定をたてに米軍が取る横暴の数々はまったく別の話だ。僕はそのことについては、今よりももっと激しく怒るべきだと考える。また小さな島の面積に照らしてみて、明らかに過重負担である米軍基地の割合は減らされるべきだと思うが、民主党現政権を含む歴代政権は、それをどうやって減らすかを考える代わりに、基地の沖縄県内でのたらい回しだけを考え、そう行動してきた。

 

そこには鳩山前首相が政権を投げ出したあとに白状した

 

「普天間基地の移設は、これまでの積み重ねの中での防衛、外務両省の発想があり、国外は言うまでもなく県外も無理だという思いが政府内にまん延していたし、今でもしている」

「“普天間基地を国外、最低でも県外へ”という私のようなアイデアは一笑に付されていたようだ。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった」

「防衛省も外務省も沖縄の米軍基地に対する“存在の当然視”があり、数十年の彼らの発想の中で、かなり凝り固まっている。動かそうとしたが、元に舞い戻ってしまう云々・・」

 

などの発言に見られる、歴代政権と官僚機構の「沖縄差別」と言われても仕方のない、不公平そのものの政策や発想がある。

 

また北海道から鹿児島県までの地方自治体の誰もが、自らの土地に基地を受け入れようとは言わない。それは理解できることだ。誰だって面倒で危険な基地など受け入れたくはない。また沖縄県民も、県外のどこそこに基地を持って行け、とは口が裂けても言えないだろう。それは彼らと同じ苦しみをその「どこかの地」に持って行けということだから。

 

地元の人々はただ基地の重圧を軽減してくれ、と言っているだけだが、他の日本国民が見て見ぬ振りをしている。見て見ぬ振りをしているように見える。そして政府はそれを敏感に察して、県内でのたらい回しを画策する。

 

つまりそれは、普天間基地問題では日本国内のどこからも援助の手はやってこない、ということである。

 

それならば仕方がない。

 

怒って怒って、憤死するまでさらに怒って怒りまくれ、というのが僕の主張である。

これは日常の人付き合いの話ではない。政治の話であり国を相手の話であり米国と米軍を相手の話である。誰かが助け船を出すだろう、みたいな甘い考えでは何も解決しない。そこでもっと怒れ、必要なら暴動を起こせとさえ僕は言う。


暴動とは、たとえば今から40年前に沖縄市で起こった、米軍車両や施設への焼き討ち事件、コザ騒動のようなことである。米兵が問題を起こすような時には、街にある米軍人の車をひっくり返して火をつけてしまえ、というぐらいの怒りを示せというのが僕の主張だ。

 

何も恐れることはない。

 

そういう動きは国際社会が見ているから、米軍は丸腰の住民を銃剣で圧することなどできない。必要ならばツイッターやフェイスブックなどを駆使して国際世論に訴えればいい。

 

日本と同じ敗戦国のイタリアにも米軍基地はある。が、米軍が住民を無視して騒音をまき散らしたり、犯罪者の兵をかくまうような横暴が許されることは決してない。

 

沖縄で、また別の基地の地元で、米軍が平然とそんな行動に出るのは、不公平な日米地位協定があり人種差別意識があるからだ。

 

日米両国が対等な立場で手を組み、沖縄に限らずすべての基地を抱える地元の理解を得て、不公平感をなくしていくべきだ、というのが僕の最終的な主張だ。

 

県内外の基地利権や利害にからむ人々の動きに負けて、もしもこの先沖縄の民意が辺野古移設に傾き、現在の日米合意を容認する方向に動いたなら、僕はあきらめて口を閉ざそうと思う。

その程度の民度の島なら日米両政府に翻弄されても仕方がない。

 

僕は帰国の際は、怒ることをやめて、自分の好きな宮古島や石垣島での滞在を、静かにエンジョイするだけにしようと思う。

なぜなら、普天間基地が辺野古に移設された場合、基地問題に関する僕の考えは間違っていたということだろうから。

いや、違う・・

今度は辺野古の基地を国営の災害避難所にしろ、と主張しなければならない。つまり、また怒り続けなければならない。

やっぱり基地問題は暗い。疲れる。うっとうしい・・・


 

 

したたかなイタリア



中東危機を逃れて流入して来る難民の増大に悲鳴を上げたイタリアは、EU(欧州連合)に助けを求めたり、大部分の難民の祖国であるチュニジアに対応を求めるなどの動きを活発化させる一方で、人道的措置として今年1月1日から4月5日までの間にイタリアに上陸した難民2万人に、一律に六ヶ月間の滞在許可証を与えた。

 

そこまでは良かったのだが、滞在許可証はいわゆるシェンゲン協定に基づいてEU内を自由に移動することができる、としたためフランスやドイツを始めとする国々が難色を示して騒ぎになった。EU加盟国の多くは不法移民や不法滞在者の増大に神経を尖らせているから、フランスやドイツの反応はある意味当たり前だった。マルタを除く加盟国の全てが、イタリアの決定に反対したことを見てもそれは分かる。


EUはイタリアの滞在許可証を認めない、と正式にこの国に通告した。
 

それに対して今度はイタリアが怒った。北部同盟所属のマローニ内務大臣は、中東問題はEU全体の課題であり難民問題もそのうちの一つだ。それにも関わらずイタリアだけがひとり取り残されて難民を押し付けられるなら、EUに加盟している意味はないとして連合からの離脱をほのめかし、別の閣僚はEUと足並みをそろえて国外に派遣している兵士を召還して、難民排除のための国境警備に就かせるべきだと主張した。

 

意外に思えるかもしれないが、イタリアはアフガニスタンを筆頭にコソボ、ボスニア、イラク、レバノン、バーレーン等々、世界の 30の国と地域に軍隊を派遣している。EUが移民問題でイタリアを見捨てるなら、イタリアはEUとの協調派兵を止めるというのである。

また、別の閣僚はイタリアがリビア攻撃の多国籍軍に7つの基地を提供している事実を揚げて、
EUの態度を強く批判した。

 

再び、3月30日の記事「東日本大震災でイタリアも揺れているⅥ」でも書いたが、難民問題はイタリア一国で解決できる事案ではないので、EUの主要加盟国が動いて共同で解決に当たるだろうと僕は考えていた。でもそれはすぐには起こらず紆余曲折があるもの、とも考えた。

 

ところが驚いたことに、EUはイタリアの主張にあっけなく折れた。

 

これは恐らく、リビア攻撃を遂行している多国籍軍が、イタリアの基地を使えなくなる可能性を危惧したフランスとイギリスが中心になって、EU本部に掛け合ったのではないか。もちろんアメリカの後押しもあっただろう。

 

イタリアがEUから離脱することはまず考えられない。そんなことをしたらイタリアはヨーロッパの孤児になって破滅してしまうだろう。また東欧やアフリカや中近東などに送っている兵士を呼び戻して、難民阻止の任務を負わせる、というのも駄々っ子の主張のようにしか聞こえない。

国外の軍隊を呼び寄せて国境警備に当たらせて、常に海にこぼれ落ちそうなほどの人数の難民が乗り込んでいる船やボートに向かって、発砲しようとでも言うのだろうか。そんなことをしたら、イタリアは世界中の世論の袋だだきにあって、
EU離脱以上の破滅におちいるだろう。また、なんだかんだ言いながらも心優しいイタリア国民が、そんな蛮行を許すはずもない。

 

しかし、イタリアがほとんど無条件に受け入れている7つの基地の使用を禁止するのはどうだろうか。これなら間違いなく実現が可能だと考えられる。米英仏が中心の多国籍軍は、航空基地を失ってリビアへの軍事活動がたちまち行き詰まるだろう。

 

イタリアにとってもそれはいいことだ。なぜならリビアはイタリアのかつての植民地だ。イタリアにはそのことに対する負い目もある。またリビアのカダフィ政権が、欧米と協調する姿勢を見せて以来、両国は親密と言ってもいいくらいの良好な関係になっていた。イタリアは元々リビア攻撃には積極的ではなかったのである。

 

そうした事情を背景にして、基地を切り札に揺さぶりをかけるイタリアに、軍事行動の困難と多国籍軍内の足並みの乱れを恐れた英米仏、特にフランスが中心になって各国を説得して、EU内の素早い妥協が形成された、というあたりが真相ではないか。

イタリアという国は、ノーテンキなようでいて、意外としたたかなのである。

 

とは言うものの、難民問題がこのまますんなりと落ち着くとはとうてい考えられない。中東危機はまだ収束する気配がないし、イタリアの隣のリビアでは、内戦に加えて多国籍軍の爆撃も続いている。難民問題は解決どころか、ますます混迷の度を深めていくのではないか、と僕は思う。

 

 

 

震災支援 チャリティコンサートⅡ


コンサートの一番の目玉は言うまでもなく出演者と演目である。現在はコンサートの趣旨に賛同して、協力してくれるアーチストの人選を進めているところ。出演者が決まれば演目も自ずと決まってくるだろう。

 

昨年の自宅での慈善コンサートの構成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ピアノの4楽器だった。抜群の出来でクラシック音楽オンチの僕でさえ本当に楽しんだ。できれば3~4種類の楽器は欲しいと素人なりに考えているが・・

 

実はコンサートの開催を決めたとき、僕は早速4人のアーチストに連絡を取った。このうち日本人ピアニストの吉川隆弘さんからはOKをもらったが、スカラ楽団員の3人は無理らしいことが分かってきた。

 

フルート担当で友人でもあるマウリツオ・シメオリを通して連絡を取っているのだが、マウリツィオを含む3人のアーチストは全員が、5月から6月にかけてスペインでのコンサート活動で忙しいらしい。残念だが諦めざるを得ない。

 

しかし、ミラノの友人たちが技量抜群のギタリストの出演OKをもらった。この先、もう一人か二人、聴衆を楽しませてくれる優秀でしかも篤志家のアーチストが現れることを期待したい。イタリアには素晴らしい音楽家が世界中から集まってきているのだから、きっと大丈夫だろう。

今回の場合は、二番目に重要なのがコンサート会場である。舞台になるわが家は田園地帯の中にある古い屋敷。国の史跡に指定されている妻の実家・本家の建物ほど重要ではないが、ここも文化財監督局の管轄下にある歴史的な建築物である。妻の実家の伯爵家が昔、このあたりの、ま、いわばお殿様のような存在の家と婚姻関係によって合体して、ここも伯爵家の持ち家になった。伯爵家の中では傍系の、いわば分家のような立場だが、ブドウ園と古い城壁に囲まれた美しい場所である。

 

コンサートの聴衆は、普段は立ち入れない私邸の会場に遠慮なく入ることができる。それもアトラクションの一つになる。わが家でコンサートをする意味はまさにそこにある。

 

自宅で開催される慈善コンサートでは、イベント終了後に茶菓や軽食や飲み物などを提供するのが習わしである。これはこの家での催し物に限らず、多くの場合は同じような形を取るのが普通らしい。

 

最低でも生ハムやサラミを中心にした軽食とスイート、それにワインぐらいは供したい。ワインは今回はスプマンテ(イタリア・シャンパン)になるだろう。自宅はイタリア一番のスプマンテの産地、フランチャコルタの中にある。スプマンテも少しはイベントの助けになるだろう。

 

あとは僕とミラノの友人、さらに妻が関係する慈善ボランティア団体の友人たちの働き。僕ら日本人はイベント開催では素人だが、協力してくれる「マトグロッソ」という大きな慈善団体に所属するイタリアの友人たちは、その道のプロだからいろいろと助けになってくれるに違いない。僕はグループのリーダーのブルーノと連絡を取って、オーガナイズの仕方に始まるさまざまなノウハウを懸命に習っている。

 

理想は一切のものを無料で、つまり寄付や義捐や協賛の形で提供してもらうことである。できる限り出費を抑えなければ、被災地への最終的な義援金が減ってしまって余り意味がない。「マトグロッソ」のブルーノの話では、去年のコンサートの場合、彼らの実費負担はピアノの貸し出しと調律と運搬設定の全てを引き受けてくれた、地方の楽器店への少額の支払いだけだった。

楽器店はトラックをレンタルしたり、設定や後片付けに人を派遣したりして大変だったために、さすがに全て無料とはいかず、トラック代などの実費を支払ったのだという。

それ以外は人件費はもちろん、全てが個人や法人や役場などの篤志によってまかなわれた。僕ももちろんそういうイベントを目指している。

少し気がかりがある。というか、一番の心配点がある。果たしてどれだけの聴衆が集まってくれるのだろうか、ということ。

日本への支援、というのがどれくらいの人に説得力を持つのかが分からない。というのも、日本は豊かな国、という思い込みが人々にはある。また実際に豊かであることには変わりがないから、人が集まりにくいのではないか、と不安になるのだ。

 

イタリアはもちろん、欧米には数え切れないほどの慈善団体がある。それらは、アフリカやアジアや南米などを中心とする、貧しい国々を援助する目的で作られている場合が多い。たとえば僕の妻は二つの大きな慈善団体に所属し、それよりも小さいもう一つの慈善団体ともかかわっているが、そのうちの二つはアフリカ支援を主に行う団体であり、もう一つは主に南米支援を行っている。そのほかにも個人的に世界の貧しい子供たちを助ける活動もしている。

 

妻の例からも分かるように、欧米人は世界の貧しい国や人々への援助には積極的である。そして慈善事業にも慣れている。しかし、豊かな国日本に対してはどうだろうか。東日本大震災の惨劇のことは誰でも知っているが、日本の被災者は彼らの支援が無くても立ち上がるし、復興していくだろう、と人々が考えてしまうと集まりが悪くなってしまうかもしれない。

 

欧米を始めとする世界中の人々は、阪神淡路大震災の廃墟から速やかに復興した日本を賞賛のまなざしで見た。人々にはまだその記憶が鮮明に残っている。だから今回も大丈夫、と考えてしまうかもしれない。それが僕は少し心配である。ここはやはり、できるだけ多くのイタリア在住の日本人にも声をかけるべきだろう・・

 

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅨ


ブログ記事を一日一本の割合で書くというのは無理があると分かった。きのうは時間がなくて書けず、早くもノルマを果たせなかった。書ける日に何本でも書く、というのが妥当な考え方だろう。その方が現実的だし長続きもしそうだ。今後はその方針で行こうと思う。

 

閑話休題

 

世界中のメディアが同じような動きをしているが、イタリア民放局の最大手、5チャンネルの今朝(4月12日)の報道番組「トップ・ページ」にも、福島原発の話題が復活してしまった。しかも「トップ・ページ」のうちのトップニュースとして。

 

現在イタリアでは中東危機による難民流入が大きな問題になっていて、連日そのニュースが矢継ぎ早に報道されている。そんな中で久しぶりに東日本大震災関連の情報が、あらゆるニュースに優先して電波に乗ったわけである。これはもちろん、福島原発事故が、原子力史上最悪のチェルノブイリ原発事故に匹敵するレベル7に引き上げられたことが原因である。

 

僕は3月30日の記事「東日本大震災でイタリアも揺れているⅥ」で、原発問題が再び5チャンネルの「トップ・ページ」で取り上げられるのが気がかりだと書いたが、早くもそうなってしまった。

 

放射能汚染がこれ以上進まないことを祈りつつ、政府と東京電力が正確な情報を国内はもちろん、国外に向けても発信するように強く求めたい。世界中が固唾を呑んで福島原発を見つめているのは周知のことだと思うが、日本政府がいつになっても「ただちに健康被害は起こさない」と言いつづけ、事故がレベル7に引き上げられても「チェルノブイリと違って直接的な健康被害はない」と言う神経は、正確な情報という観点からはとても信用できるものとは言いがたい。

 

「ただちに健康被害は起こさない」とは、将来は健康被害が起こるということかもしれないし、「チェルノブイリと違って直接的な健康被害はない」というのも、現在進行形の原発事故の前では空しい言葉だ。先のことは分からないのだから、嘘と言われても仕方がないのではないか。

 

原子力安全・保安院が、福島原発事故をスリーマイル島原発事故と同じレベル5と評価発表した時から、世界の多くの専門家は日本政府が事故を実際よりも小さく見せようとしているのではないか、と疑い始めた。

というのも、スリーマイル島原発事故は一週間程度で収束したのに、福島の事故は原子力安全・保安院がレベル5と評価した一週間後の当時も、全く収束する気配は見られず現在進行形だった。従って、その時点で世界は、スリーマイル島原発事故よりも深刻、と考えたのである。

 

その後の日本政府や東京電力の情報開示に対しても、海外世論は少なからず疑問を抱きつつ今日まで来た、という雰囲気がある。そんな中で事故が最悪のレベル7まで引き上げられてしまったのだから、政府や東京電力は希望的観測に基づいた情報とさえ受け取られかねない発表をやめて、正確な情報を逐一きちんと開示して真摯に世界と向き合うべきである。

 

それでなけば、これまで日本に向けられていた世界中の好意が逆の方向に動きかねない。いや、わずかだがもうそういう気分が生まれつつあるようにも見える。

 

何よりも福島原発事故を収束させることが第一義であることは言うまでもないが、世界への説明を忘れて、あるいは軽視してゴマカシと受け取られかねない動きをすれば、日本政府への批判が沸き起こって国民が巻き込まれ、ついには苦しんでいる被災者の皆さんまでが肩身の狭い思いをしなければならないような、とんでもない事態がやって来ないとも限らない・・

まさかとは思うけれど・・・

 

 

パスタ



ブログ記事は最低でも一日一本の割合で書こう、と意気込んで始めたが、中々思い通りにはいかない。

 

ドキュメンタリーのリサーチのかたわら、知人のプロダクションを手伝ったり、別口でコンサルタントとして動いたり、はたまた自家のワイナリーの仕事もあったりして猛烈に忙しい。そこに慈善コンサートの準備も加わったからなおさら。

 

できるだけ早くリサーチとワイナリーの仕事だけにしぼって行くつもりである。それでなければ、せっかくフリーになって時間に余裕ができたはずなのに、忙しさばかりがつのってどうにもならない。

 

でもブログは頑張って最初の目標を目指していくつもり。

 

それはさておき

 

以前、日本のオヤジ世代にはスパゲティをパスタと言うと怒る者がいると聞いた。それはきっとパスタという言葉に、気取りや若者言葉のような軽さを感じて反発するからではないかと思う。

僕もれっきとしたオヤジで、しかも言葉が気になる類の人間だから、日本に住んでいたら「パスタ」という新語(?)には彼らのように反感を抱いていたかもしれない。

ところがイタリアに住んでいるおかげで、日本における「パスタ」という言葉の普及には腹を立てるどころか、少し大げさに言えば、むしろ快哉(かいさい)を叫んでいる。 

「パスタ」とは、たとえて言えば「ごはん」というような言葉である。麺類をまとめて言い表す単語だ。スパゲティを気取って言っている表現ではないのだ。

スパゲティは多彩なパスタ(麺)料理のうちの一つである。つまり、焼き飯、かま飯、炊き込みご飯、雑炊、赤飯、茶漬け、おにぎりなどなど・・、無数にある「ごはん」料理の一つと同じようなものだ。
 

焼き飯や雑炊を「ごはん」とは言わないが、イタリアでは個別のパスタ料理を一様に「パスタ」と呼ぶ習慣もある。スパゲティも日常生活の中では、単にパスタと呼ばれる割合の方が高いように思う。

従ってスパゲティを「パスタ」と呼ぶのは正し
い。
 

僕はここで言葉のうんちくを傾けて得意になろうとしているのではもちろんない。

いしくて楽しくて種類が豊富なイタリア料理の王様「パスタ」を、スパゲティだけに限定しないで、多彩に、かろやかに、おおいに味わってほしいという願いを込めて、日本中の傷つきやすいわがオヤジ仲間の皆さんに、エールを送ろうと思うのである。



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