【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

レンツイ「愛は勝つ」ツイートを支持する

欧米主要国で唯一、同性婚を認めてこなかったイタリア上院で同性婚法案が可決された。法案への支持を強く訴えていたマッテオ・レンツィ首相は、可決と同時に“歴史的快挙。愛は勝つ!”とツイートして喜びを表した。

首相就任以来2年、39歳という若さだけが売りで海のものとも山のものともつかない存在だった首相は、懸案の上院改革案につづいて同性婚法案も形にした。

またレンツィ首相は、上院改革法案の前には大統領選でも自らの意を通して実績を残した。彼は少しづつ「海か山かの確かなもの」ではあるらしい、と証明しつつあるようだ。

同性愛をタブー視するバチカンの強い反対と、それに同調する急進派を含む議員らの抵抗で、同姓婚法案は危なく廃案になりかけた

どうにか可決にはこぎつけたものの、法案は最終的に結婚に「準じた」形になった。同性同士のカップルが養子縁組で子供を得る条項が削除されたからだ。

同性婚を認めるなら養子縁組も認めるのが筋だ。婚姻者が子供を得たいと願うのは普通の感情だ。合法化して彼らと子供の権利を保護するべきある。

だが、法案は不完全ではあるものの、同性愛者を敵視するカトリックの総本山バチカンとの相克の末の可決、という重い現実を見れば、大きな成功である。

レンツィ首相が“愛は勝つ”ツイッターで言及したように「歴史的な快挙」と言っても過言ではない。削除された養子縁組条項も近い将来必ず復活、承認されるだろう。

同性愛者への偏見差別の大本は、彼らの関係が生物学的には絶対に子供を成さない、ということにつきる。そこからいろいろな中傷や罵詈や嘲笑が生まれてきた。

その一つが以前僕が書いた記事:「友人でゲイのディックが結婚しましたが、それが何か?
に寄せられた次のコメントである。

佐藤 -- · 東京都 港区
ゲイに限らないのかも知れないが、アナルセックスは汚らしい。
いいね! · 返信 · 2012年11月15日 10:15

コメントは公開された記事に寄せられたものだから、ここで紹介しても構わないと考えた。このコメントへの論評は控えるが一言だけは言っておきたい。

普通の場合は人は、友人夫婦が「どのようにセックスをするのか」などと妄想したりはしない。知らない人に対してはなおさらそうだ。顔も知らない人のあれこれを想像するのは至難の技だ。少なくとも僕はそうだ。 これは善人を装ったり徳人を気取って言うのではない。

そうではあるが、同性愛者への嘲笑や悪意や中傷の中にはこのコメントに近いものも多い、というふうに感じる。いやこのコメントの内容は異性愛者の人々の普通のリアクションであるのかも知れない。

圧倒的多数派の異性愛者は、少数派の同性愛者を「異常性愛者」と決め付けることさえ辞さない。それが差別だということにも気づかないままにそうすることも多い。

同性愛者について語るときは、彼らの恋愛や性愛や痴話のみに関心が行きがちだが、そうした偏見差別のせいで泣いているのは、家族愛などの普通の感情や権利でもあるのだ。

人間である限り、誰が誰をどのように愛そうが問題にするべきではない。それは憎しみや怒りや差別などの対極にある『愛』だからだ。愛を否定するのは憎しみと同義語である。

同性愛者の人々の房事の形を、まさに“ゲスの勘ぐり”で邪推してそれを貶めるのは、差別意識の発露以外の何物でもないことを人々は知るべきだ。

愛の延長線上にある色事の形は、いかなるものでも構わない。それをあれこれ詮索するのは余計なお世話であり、再度言えば“ゲスの勘ぐり”だ。

それが受け入れられない批判者はこう考えてみればいい。同性愛者から見れば彼らの交合の形が普通である。さらにあえて言えば彼らの艶事が「正常」である。

多数者であるあなた(僕も含む)と、あなたの恋人や妻や愛人との情交の形が“変”であり“異常”なのだ。あなたは異性愛者という多数派に属するだけで正義や道徳や節操を代表するものではない。

同性愛者は、ひいてはLGBTの人々は、子を成さない、ということにまつわる宗教的、社会的、歴史的な差別によっていわれのない誹謗を受け続けている。だが彼らはわれわれの社会になんらの危害も与えていない。危害どころか多様性という大きな利益をもたらしているのだ。

先のコメントに同調する人々はもしかすると、同性愛者は道徳的に社会に悪影響を与えていると主張するかもしれない。だがその道徳とは、まず同性愛者悪者論ありき、の上に構築された似非道徳に過ぎない。

そんな道徳は、バチカンによる同性愛者や同姓婚の否定、さらにそれに影響された保守強硬論者やネトウヨ系差別論者の、ヘイトスピーチなどと何も変わるところはないのである。




バチカンが嫌う同性愛者の家族は悪魔の家族なの? 



同性(愛)結婚を認めるか否かでイタリア国会が紛糾している。この国は欧米主要国の中では唯一、同性婚を合法化していない。それは同性愛を認めないキリスト教・カトリックの総本山バチカンを擁していることと無関係ではない。

同性愛者の結婚は愛し合う男女の結婚と何も変わらない。好きな相手と共に生きたいという当たり前の思いに始まって、究極には例えばパートナーが病気になったときには付き添いたい、片方が亡くなった場合は遺産を残したい等々の切実な願いも背後にある。つまり家族愛である。

同性愛者は差別によって恋愛を嘲笑されたり否定されたりするばかりではなく、そんな普通の家族愛までも無視される。文明社会ではもはやそんな未開性は許されない。同性結婚は、ここイタリアを含むあらゆる社会で、ただちに認められるべきだと考える。

日常生活の場ではイタリアでも同性愛者への認知は進んでいる。ゲイやレスビアンの首長や国会議員は珍しくないし、アーチストや文化人などの有名人で同性愛者を表明している者も多い。世界的なファッションデザイナーで、同性愛文化への苦言も呈するドルチェ・ガバーナ自身もゲイだ。

遅れているのは法整備である。同性婚を合法化していく世界の風潮に合わせて、イタリアでもほぼ10年に渡って議論そのものは重ねられてきた。最近は立法化する方向で意見が集約され、今年に入ってからは決議に向けて上院で熱い審議が重ねられている。

立法化を主導しているのは民主党を主軸とする政権与党。それには議会第2勢力である革新派の五つ星運動も同調してきた。ところが同性愛者を嫌うバチカンの横槍などもあって、議会での攻防は紛糾。五つ星運動は法案の審議途中で自主投票にするとした。

風見鶏的な動きも得意な五つ星運動は、賛成から自主投票に変節して多くの保守派の国民に媚を売ったのである。同運動の方針が出たとたんに所属の上院議員が雪崩を打って反対に回り、議会は混乱の極みに。法案はいったん腰砕けになった。

最も革新的であるはずの五つ星運動の中には、イタリア的保守主義者が大勢潜んでいたことが図らずも露呈した。そのように表向きは進歩の仮面を被っていても、教会の古臭いドグマや偏執に影響されているイタリア人は多い。だからこそ同性婚は中々認められずにきた。

政治勢力でいえば、五つ星運動とは対極にある右翼の北部同盟がその典型である。五つ星運動は同性婚法の審議過程で自らの主張を投げ出すような動きをしたことにより、期せずして合法化に強く反対している北部同盟を利することになった。

イタリア社会には同性愛そのものもさることながら、彼らが子供を持つことへの強い拒絶感情も存在する。同性愛や同性婚は受け入れても、彼らの養子縁組には反対を唱える者が多い。それを認めればこの国では違法である代理母出産が一気に増えると恐れる者も少なくない。

同性婚カップルの子供は成長するに従って必ず他の子供たちから、そして社会から「いじめ」や「差別」 を受ける。それによって子供が蒙る被害は甚大である。従って同性愛者は将来苦しむことがほぼ確実な子供を持つべきではない、というのが反対論者の主張である。

告白すればつい最近まで僕もそれに似た考えにとらわれていた。僕はもうずっと前から同性愛者の結婚には賛成の立場である。それにもかかわらず彼らが子供を持つことにはかすかな違和感を抱き続けてきた。結婚したゲイの友人さえいるにもかかわらずだ。

ゲイの彼らが、同性愛者のカップルが子供を持つことには反対している事実も僕の気持ちを後押ししていた。しかし、そうした考え方は間違っている。僕はここからは、次の理由によって同性愛者が子供を持つことにも賛成する、と大手を振って言おうと思う。

ゲイの両親を持っていなくても、子供たちはあらゆる原因で差別やいじめに遭う。むしろそれが無いほうが珍しいくらいだ。それでも「ゲイの両親」を持つ子供への偏見や差別やいじめは、他の原因による場合よりも激しいものである可能性がある。

なぜ子供たちは同性愛者の親を持つ子供を差別するのか。それは言うまでもなく親や家族や社会が子供たちに差別感情を植え付けているからである。だからこそわれわれ大人は、子供たちにいじめや差別を教え込む社会の歪みを正さなくてはならない。

生まれてくる子供は親を選べない。子供が不利な環境で生まれてくる可能性としては、例えばここイタリアにも多い両親あるいは片親が麻薬中毒者である場合。 親が犯罪者とりわけ殺人犯人である家に生まれる子供。また世間が差別偏見の目で見るために、身体が不自由な親の場合も子供は不利である可能性がある。

その他さまざまなケースで子供は何かと差別され偏見の目で見られることがある。従って、同性愛者のカップルを親に持つ子供だけがほかのケースとは全く違う理由で差別される、と考えるのはその考察自体が既に偏見、とも言える。それは彼らを二重に差別することだ。

同性愛者の子供たちは、犯罪者や麻薬所常習者やその他の弱者の子供同様に、そして何よりもその他の全ての「普通の家庭の子供」と同じように、等しく愛され保護されるべき存在である。当たり前のことだが子供たちには罪はないのだ。

さらに僕はこうも考える。自然のままでは絶対に子を成さないカップルが、それでも子供が欲しいと願って実現する場合、彼らの子供に対する愛情は普通の夫婦のそれよりもはるかに強く深いものになる可能性が高い。またその大きな愛に包まれて育つ子供もその部分では幸せである。

いまの社会の現状では、子供が心理的に大きく傷つき追い詰められて苦しむ懸念も確かに強い。ところがまさのそのネガティブな体験のおかげで、子供が他人の痛みに敏感な心優しい人間に成長する公算も非常に高いとも考えられる。そうした明るい展望も見逃すべきではない。

同性愛者の皆さんを差別しない人々は彼らの子供たちに対しても偏見差別などしないはずだ。それどころか必ずそれらの子供たちを慈 しみ、他の「普通の」子供たちと分け隔てのない存在と見なし、又そう行動するだろう。

そしてイタリア社会は間もなくその方向に向けて歩み出すものと思う。この国はバチカンのおかげで何事につけ保守的なところもあるが、基本的に人間愛に満ちた人々の住む国だから、一度そう決めると良い方向に突っ走る傾向が強いのである。


ドナルド・トランプ氏への公開状~あなたの『我が闘争』の完遂法おしえます~



ドナルド・トランプ様

何よりも先ず大統領予備選挙の2回戦、ニューハンプシャーでの勝利おめでとうございます。第1戦のオハイオでは事前の予想に反して苦杯を喫し、内心さぞ不安でしたでしょうから、第2戦の勝利の味は格別なものだろうとお喜び申し上げます。


はじめに

私は現在欧州のイタリアに在住している者ですが、かつてはニューヨークに住んで仕事をしていた経験があります。あなたがマンハッタンの5番街にトラン プタワーを建設して間もない頃のことです。当時私は貴国の公共放送PBSのドキュメンタリー番組のディレクターでした。あなたもよくご存じのあのディック・キャベットさんがキャスターを勤めた番組です。

ニューヨークとテレビ、という2点で私はあなたに因縁浅からぬものを感じています。テレビへの露出度が異様に高いあなたは、それをうまく利用してビジネスを成功させてきましたが、今度はその力も巧みに操ってアメリカ合衆国大統領にまで上り詰めかねない勢いです。すばらしいの一言につきます。


闘いのキーワード“ぶれない”

ただし、あらかじめ申し上げておきますが、私はあなたが合衆国大統領になることを喜ぶ者ではありません。喜ぶどころか、あなたがアメリカ大統領に就任することは、過激派の「IS(イスラム国)」が中東の全域を支配するにも等しいほどの由々しき事態だとさえ危惧する者です。

私はあなたの選挙戦手法や政治姿勢には嫌悪感さえ覚えます。しかし、ここではその立場を忘れて、予備選2回戦で大勝したあなたの勢いが「今後も続く」場合を想定して、分析・提案をさせていただくことにしました。

あなたが闘いに勝利するためのキーワードは“ぶれない”です。人が何かを成し遂げようとする場合には決して“ぶれない”ことが重要です。何事につけ“ぶれる”人間は信用されません。

私はあなたが今後、予備選挙から本選挙に至る期間と、当選後に大統領職を遂行・展開する過程で、常に変わらずに今の主張や哲学や姿勢を維持し続けることを提案します。それがあなたが選挙に勝つ秘訣であり、合衆国大統領として米国を統治する基本にもなります。


人気の秘密

あなたは共和党の主流派にタテ突く形で選挙戦を戦って高い人気を得ています。そこでもっとも注目を集めているのが、人々の差別と不寛容と憎悪を煽る手法で す。たとえばあなたはメキシコ人は麻薬と犯罪にまみれたレイプ犯だと決め付け、メキシコからの移民を防ぐために国境に万里の長城並みの壁を築くと吼えまし た。

また貿易や厳しい金融政策によって生意気な中国を懲らしめ、不公平な同盟関係にあるずるがしこい日本を斥け、次には核の脅威を撒き散らす北朝鮮を叩き潰 す、とします。またイランとの核合意も取り消して核開発を放棄するように追い詰める。そして極め付きは、「イスラム教徒のアメリカへの入国を禁止する」と いう爆弾発言でした。

その言葉はイスラム過激派によるテロが頻発している中で飛び出したものです。アメリカは2001年の同時多発テロ以来イスラムフォビア (嫌悪)を国内に醸成し続け、テロへの恐怖にも苛まれています。それに加えてフランスでの同時多発テロに代表される欧州の危機的状況も強く意識されてきま し た。

そこに過激派組織ISに関わると見られる銃撃事件がカリフォルニア州サン・バーナディーノで起こりました。 従ってあなたの発言は、ムスリム夫婦によって
14人が銃撃殺害されたそのテロに強い衝撃を受けた人々の、恐怖と怒りと悲嘆を受け留めての大げさなリアク ションであって、深刻な意味合いのものではないという見方もあるかも知れません。


徹底した人種差別主義 

しかし、その劇的な発言は、あなたの一貫した人種差別と偏見と不寛容の発露であると私の目には映ります。あなたは日本人と中国人と朝鮮人に焦点を当ててて 黄色人種を否定し、メキシコ人を目の敵にすることでヒスパニックの人々を侮辱しています。そして極め付きがムスリム排撃発言です。あなたはそこでイラン人 も含めた全てのイスラム教徒を貶めました。

そればかりではありません。あなたはオバマ大統領の出自を執拗に問題にしていますが、そこには人種差別意識が働いていることは誰の目にも明らかです。オバ マ大統領は「共和党内のある種の人々にとっては、私が黒人であることへの抵抗感があり、そこから私への激しい批判が生まれてくる」という趣旨のことを言っ ています。このある種の人々の代表があなたであることは公然の秘密です。

あなたはわれわれ日本人を含む有色人種とヒスパニックの人々を本気で蔑んでいるようです。それはあなたが、ロシアを賞賛している事実でも裏付けられるよう に見えます。あなたはアメリカが厳しく非難・対立するロシアを是認し、独裁者のプーチン大統領とも仲良くしたい、と明言しています。不思議な心理です。で も プーチンさんが白人でありロシアは白人国家である、と言う点に注目すれば全てが腑に落ちます。


新アーリア人種優越論?

あなたは欧米とロシアのみを評価する、世界秩序の構築を目指しているのではないでしょうか。それはいつかドイツの独裁者が唱えた、アーリア人優越民族論にならった考え方にも見えます。さしずめ新アーリア人種国家構想とでもいうところでしょうか。

私は黄色人種ですので、その考えには違和感を覚えますが、この論説はあなたが大統領選挙を勝ち進み、ついには第45代アメリカ合衆国大統領に就任して、米国を統治する方法について考察し提案するものですから、私の気持ちは無視して進めます。

あなたの主張は一部の共和党支持者の間で熱狂的に支持されています。つまりあなたと同じ新アーリア人種構想に賛同する人々が多くいる、ということですね。あなたは今後もその主張を続けて支持者拡大を謀るべきです。

冒頭に申し上げましたように、勝利のキーワードは“ぶれない”ことです。あなたの主張に反発する人々もいます。が、あなたは彼らに迎合して主張を軌道修正 してはなりません。さらに過激に雄雄しく、騒がしく、暴言・放言を繰り返すべきです。それがあなたと同種の人々をさらにトランプ側に引き付けるコツです。


正論?目くらまし?

あなたは自らの本性とは相容れないように見える主義主張も披露しています。たとえばあなたはアメリカの中東政策を批判して、テロや内戦がはびこるイラクやリビアやシリアなどの悲惨な現状は、オバマ大統領とヒラリー・クリントン氏がもたらした、と声高に言い募っています。

つまり、フセインやカダフィやムバラクなどの独裁者が支配していた頃の中東の国々には、テロリストはいなかった。独裁者がテロリストを皆殺しにしていたか らだ、と。そうした主張には一理あります。オバマ政権以前のブッシュ共和党政権の瑕疵に言及しないのは少々不公平に見えますが。

あなたはまたこういう主張もしています。大統領になった暁には格差是正や社会福祉の拡大充実を押し進める。その財源としては富裕層や大企業などへの課税を大きくして国際金融資本やウォール街にも規制のメスを入れ、累進課税を強める。その増収分を社会福祉に充てる。


修正は“ぶれ”を意味するから決してやってはならない

それとは逆に、貧しい人々や中小企業などには減税をして経済の活性化を図るなど、など。その実現の可能性云々は別にして、まるでライバルの民主党の、しかも同党左派の考 え方にさえ通じる政策も掲げています。それらが特に、白人の労働者階級の人々に熱狂的に支持されているのはよく知られた事実です。

しかし、そういったヤワでリベラルな物言いや要求はあなたには似合わない。あなたは左派に迎合してはいけない。彼らを大声で言い負かし、罵倒して黙らせ、必要ならば誹謗中傷によってあなたの陣営に引っ張り込むべきです。今のあなたの勢いならきっとそれが可能です。

あなたは共和党主流派の古臭い考えを打ち砕くと同時に、あらゆる開明主義を撃破するべきです。金持ちへの増税策や貧乏人への減税なんてリベラルが考えそうなことは口にしない方がいい。なぜならそうした主張は、人々があなたを“ぶれている”と誤解する材料になりかねないからです。


安全保障

さて、そうやってぶれずにマッチョに勝ち進んであなたは晴れて第45代アメリカ大統領に就任します。就任と同時にあなたには急いでやるべき大仕事があります。それは安全保障に関する懸案を払拭することです。

あなたは「ムスリムを入国禁止にするべき」という大ヒット発言によって、アメリカ・ネトウヨや保守強硬主義者の皆さんの熱狂的な支持を集め、それが原動力 となってニューハンプシャー予備選を制しました。しかしあなたのその主張を、あなたの党員仲間でライバル候補のジェブ・ブッシュ氏は「狂気」と言うに等しい言葉まで使って強く批判しまし た。

それに対してあなたは「私は宗教ではなく安全保障の話をしているのだ」と言い返しました。あなたの論理では、「イスラム教徒は全てテロリストだからアメリ カ に入国させない。それが安全保障だ」というものです。あなたの立ち位置から見た場合、その主張は間違っていません。間違いどころか正論です。

しかしながら、彼らの入国を禁止するだけではあなたの安全保障政策は完成しません。あなたはそこからさらに十歩も二十歩も進んで、アメリカ国内のムスリム、つまりイスラム教徒の米国人も排斥しなければならないのです。


安全保障を完璧にするべき

なぜなら、彼らはあなたへの反発と憎しみを蓄え募らせてていくのが目に見えています。特に若者の中にはあなたに反撃をする者が現れるに違いない。いわゆるホームグロウン(国内出身)テロリストの誕生ですね。それが安全保障への最大の脅威です。

あなたはそれを取り除かなければならない。そうですね、米国人イスラム教徒を弾圧し、できれば全員抹殺してしまう方がいいでしょう。あなたは過激派組織 IS(イスラム国)への対応として、組織の戦闘員を徹底的に殲滅するばかりではなく、その家族も葬り去るべきとも断言しています。

家族まで殺戮の対象にするとは驚きですが、さすがはトランプさん。あなたはそこでも全く“ぶれて”いません。ムスリムは皆殺しにしろ、と暗に示唆するような勝利の方程式をしっかりと維持しています。そんなあなたにとっては、イスラム教徒の同胞を抹殺することなどきっと朝飯前でしょう。

あなたはそうやって米国内のムスリムを一掃して安全保障を揺るぎないものにし、ついでに黄色人種や黒人や同性愛者などの全てのマイノリティーも排斥して、 歴史に燦然と輝く偉業「我が闘争」を完成させることになるでしょう。その次には再び歴史にならって、あなたの仕事を本にします。タイトル は、そうですね、『新・我が闘争』あたりで決まりでしょうか。

敬具


トランプさんがもしも天地をひっくり返したならば

トランプ猫

米・ニューハンプシャーの大統領予備選で「有力泡沫候補」のトランプさんが2位以下に大きく水をあけて勝った。

すると、やっぱり彼の人気は本物だ、このまま共和党の指名を受ける可能性が高い、などと強気になる人々が増えた。

ここまでトランプさんに対してさんざん否定的なことを言ったり書いたりしてきた僕にも、間違いましたね、大丈夫ですか、などとコメントが寄せられた。

僕はまだ間違っていないし、彼は大統領にはなれないというこれまでの自分の考えを変えてもいない。まったく大丈夫である。

トランプさんの人気はもともと本物だ。ヘイトスピーチ以外のなにものでもない彼の言葉を愛し、偏見や人種差別に拍手喝采する者は多い。

僕は彼の人気が偽物などと考えたことはない。彼の危険思想を斥ける力が米国民にはあるから、彼の人気がアメリカの大半に広がることはない、と信じているだけである。

天地がひっくり返ってトランプさんが合衆国大統領に選ばれたなら、それは米民主主義の大いなる変質であり終わりだ、というのが僕の思いだ。

米大統領選にはゲームの要素が強くあって、勢いに乗った候補者があれよという間にさらなる旋風を呼び込んで突っ走ることがある。

最近の例で言えば、一期目のオバマ旋風がそうであり‘80年のレーガン旋風もそうだ。彼ら2人はしかし、少なくとも「まとも」な候補者だった。

あるいはアメリカの良心の内にいる候補者だった。彼らは差別と不寛容と憎悪を旗印に選挙戦を進めたりはしなかった。

もしも天地がひっくり返ったとしよう。

ならば僕はどうするか。

言うまでもなく、ほぼ無力に等しい全くの微力ながら、ひっくり返った天地を元に戻そうと戦う欧米や日本やその他の世界のあらゆる良識と共に抗う・・

というのは少し大仰に過ぎるけれども・・・

トランプさんが主張の軌道修正をしないまま、つまり米国世論が彼の極論をそのまま受け入れてトランプ大統領が誕生するならば、世界の多くの人々は競って反米国の旗印の下に集結することになるのではないか、と密かに思ってはいる。


書きそびれている事ども 



書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは他の事案で忙しくて執筆そのものができずに後回しにしている時事ネタは多い。僕にとってはそれらは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。過去形のトピックも現在進行形の話題もできれば将来どこかで掘り下げて言及したいと思う。その意味合いで、例によってそれぞれをここに短く書きとめておくことにした。


吼える伊レンツィ首相

メルケルおばさんとその息子レンツィ伊首相150pic
メルケル母ちゃんとその最愛の息子

イタリアの若きレンツィ首相が燃えている。あらゆる機会を捉えて、EUの政策に噛み付いているのだ。それはこんな感じ=《難民問題を含む多くの懸案をアンゲラとフランソワの2人が、2人だけで解決できるなら僕は大いにハッピーだ。でも事態はそんな風には動いていない。僕ちゃんも仲間に入れて、皆んなで問題解決にまい進しよう!》と。アンゲラとはドイツのメルケル首相、フランソワとはフランスのオランド大統領のことだ。先進国の中ではいつもミソっかすな扱いをされてきたイタリアは、スケベでド阿呆なベルルスコーニ元首相のおかげで、近年はさらに評判を落として影が薄い。レンツィ首相はそのことにも腹を立てているらしい。イタリアの地位向上に情熱を燃やす彼は、ジョーク好きらがメルケルさんと自分を並べて『メルケル母ちゃんとその最愛の息子』とからかうほど仲の良いドイツ首相にさえ、大いに文句を言い続けている。僕は放っておけばいいのに、と思う。イタリアが英独仏の真似をして何になる。1番なんか目指さなくていい。イタリアは2番手3番手4番手、それどころか8番手9番手くらいであまり責任も負わずに好き勝手にやっているほうが面白いし美しいしステキだ、と僕などは思うのだけれど・・

BMW・アウディvsランボルギーニ

スーパー・パトカーLamborghini 150pic
スーパー・パトカー“ランボルギーニ”

エンジンをパワーアップした黄色のアウディが、ミラノ-ベニス-東欧に至るA4高速道を疾駆しまくって問題になった。高速道路を逆走するなどの暴挙を冒す車両を警察はスーパーカーのランボルギーニで追跡。しかし捕まえられず暴走アウディは最後には炎上、黒焦げになった・・・というのは半ば嘘。というのも警察はランボルギーニは投入しておらず、アウディがどうやって炎上したのかも分かっていない。アウディはスイスナンバーの車で昨年12月にミラノマルペンサ空港で盗まれたもの。またイタリア警察は2台のランボルギーニを実際に所持していて、スーパーパトカーは時速350キロで走行できる。アウディはせいぜい時速250キロまでと見られているから、ランボルギーニで追えばあるいは捕まえられたかも。ところがこの話はそこでは終わらない。今度は黒のBMWが高速に入り込んでアウディと同じ横暴を始めたのだ。防犯カメラで捕らえられた犯人の正体は分からないが、アウディの時と同様にアルバニアなどの東ヨーロッパ出身者と見られている。BMWはパトカー(多分アルファロメオの改造パワーアップ版)に追い詰められ、犯人らはガードレールを超えて逃亡。残された車の中には拳銃や爆発物などと共に自動小銃のカラシニコフも残されていた。強盗団というのが警察の見立て。事件は前述した高速4号線の東部(僕もしょっちゅう走っている)で発生し続けている。次にはおそらく警察によるランボルギーニの投入もあるだろう。不謹慎ながらカーチェイスをちょっと見てみたい。

Affittopoli家賃をめぐるスキャンダル汚職都市
先日ローマでは、それぞれが500軒以上のマンションを所有する1657人のオーナーらが、一切税金を払っていないことが明らかになった。その中には
1243軒ものマンションを所有する脱税常習犯の女もいた。そのローマで今度は、ローマ市が所有するおびただしい数のマンションやビルで、タダかほとんどタダに近い家賃で長年住んでいる人々の存在が明らかになった。彼らはローマ市職員の友人や知人で、知り合いであることを理由に家賃をごまかしてもらう恩恵を受けていた。コロッセオや大統領府やトレビの泉などに近い一等地で、広いマンション一軒の家賃が月千円前後はまだ増しな方、ほとんど無料というケースが多々あり、ローマ市の家賃収入の損失は年間1億ユーロ(約130億円)は下らないだろうと試算されている。この事件は間もなくベニスやナポリなどの観光地にも飛び火した。おそらくイタリア全土で同様の無体が繰り広げられていると見られている。

IS並みに危険なエジプト独裁政権~英ケンブリッジ大学のイタリア人学生は誰に殺されたのか

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殺害されたケンブリッジ大学院生ジュリオ・レジェーニさん

英国ケンブリッジ大学の博士課程で学ぶイタリア人学生、ジュリオ・レジェーニさん(28)は、論文を書くために大学から送られてエジプトのカイロで同国の経済について研究していた。彼は2016年1月25日、家を出たまま行方が知れなくなった。その日はちょうど、30年に渡って同国を支配したムバラク独裁政権が、民衆の蜂起で倒れた5周年記念日に当たっていた。それから9日後、彼はカイロ市内の排水溝で遺体で発見された。レジェーニさんは博士論文を書くために同地の大学に在籍していたが、研究を続けながらイタリアの左翼系日刊紙「イル・マニフェスト」にも記事を書いていた。彼は行方不明になる直前エジプト労働組合に関する記事を同紙に書き送っていたが、それは偽名(ペンネーム)で書かれた。彼はそれを発表することで身の危険を感じたからだという。彼の殺害にその辺の事情がからんでいる、と多くの人々が考えている。レジェーニさんは記事の中でエジプトの軍政権の横暴を批判し、100名を超える労働組合員が集合して活発な抵抗集会を持った、と記した。彼らはエジプト革命が起きたタハリール広場で抗議デモを行う計画だ、などとも書いていた。アラブの春で独裁政権が倒れたものの、民主政権は再び軍政に変わってエジプトの民主化は夢物語になった。今はISと何も違わないほどの軍による圧政が続いている。イタリア人学生の殺害は軍政権によるものである可能性が高い。

琴奨菊はモンゴル人でもハワイ人でも誰でもいいノラ!
琴奨菊の優勝を機に、相撲などまったく見ないかほとんど見ないらしい人たちが、民族主義的ニュアンスがぷんぷん臭うコメントを開陳したりていて、相撲好きの僕はちょっと違和感を覚えている。琴奨菊の優勝は素晴らしいの一言につきた。彼が日本人力士だからではない。クンロク大関という蔑称も真っ青なくらいのつまらない大関だったのが、見事に「化けて」強く面白いパフォーマンスを見せてくれたからだ。大相撲はどこにでもあるスポーツではなく、日本独自の「スポーツ儀式」だから面白く楽しい。また土俵上で戦う力士の国籍はどこでもいい。力士が日本人だから面白いわけではない。飽くまでも力士が強いから面白いのである。大相撲の競技を語ることと大相撲界の変化、具体的に言えば国際化、を語ることは分けてなされるべきである。なぜなら競技においては強い力士と弱い力士がいるだけで、その力士がモンゴル人か日本人かアメリカ人かなんて関係がない。関係があると思っている人は、純粋に競技を楽しんでいるのではなく、政治の眼鏡をかけて土俵を見ているに過ぎない。つまり本当に相撲が好きな相撲ファンではないように思う。

カナダのンドランゲッタBOSSの禁欲生活

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殺害されたカナダの“ンドランゲッタ”ボス、ロッコ・ジート

カナダのトロントで87歳になるマフィアのボスが頭に銃弾を撃ち込まれて死亡した。正確に言えば、マフィアのボスではなく“ンドランゲッタ”のボスである。カナダのマスコミはイタリア以外の全ての国のマスコミと同様に ンドランゲッタをマフィアと呼んでいる。僕はそのことへの違和感と同時に、死んだボスが凶悪な犯罪者とは思えない質素で穏やかで全く目立たない生活をしていた、とほとんど感動にも近いニュアンスで報道されていることに、違和感を通り越して呆れた。凶悪犯が質素で目立たない生活スタイルを押し通すのは当たり前だ。逃亡犯と同じで彼ら犯罪者は人目を引かない言動を押し通す。そうやってたとえばシチリアのマフィアの大ボス、トト・リイナは20年以上も官憲を欺き続け、もう一人の大ボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノは43年間も誰にも見つからずに逃げ続けた。時には妻子さえ引き連れて。もっともそこには逃亡潜伏先がシチリア島の州都パレルモという特殊事情があった。


EUは壊れるのか
EU(欧州連合)内の人とモノの行き来を自由にしたシェンゲン協定が揺らいでいる。1990年発効したEUの真髄ともいえるこの協定のおかげで欧州統合は現実味を帯びたものになり、参加国も確実に増えて欧州は紆余曲折を経ながらも発展を続けてきた。ヨーロッパに押し寄せる中東難民が、旅券なしでの自由な往来を利してドイツなどの富裕国に集中し、パリ同時多発テロの実行犯らが難民にまぎれて欧州を横行するのではないかという不安が増大。そこにアフリカや中東からの移民と見られる男たちのドイツ・ケルンにおける昨年大みそかの集団性暴行事件なども加わって、EU参加国の中に協定への疑問が沸き起こった。シェンゲン協定は、「例外的な状況」下での参加国による国境での入国審査の再導入を認めている。この例外規定を利用して、最近ドイツ、オーストリア、フランス、デンマーク、スウェーデン、さらにEU非加盟ながら協定には参加しているノルウェーが、半年の期限付きで入国審査を再導入した。それは5月に期限を迎えるが、2年間に限って延長するかどうかが議論されている。入国審査の再導入とは、EUが高らかに謳い上げてきた欧州の一体性という基本理念の放棄を意味する。欧州は一体化することで自由と繁栄を謳歌できる。その原動力であり象徴でもあるのがシェンゲン協定である。欧州は今まさにそのシェンゲンの栄光が雲散霧消しかねい危機に見舞われている。

イタリアの燃える夏2015

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イタリアの暑さで溶け出したとされるルノー車

昨年の7月は過去4000年間で最も暑い7月だったと、アメリカの海洋大気庁が正式に発表した。計器などによる観測データは過去およそ130年分しか存在しない。なのになぜ日本なら縄文時代にまで遡る過去の7月の気温が分かるかというと、木の年輪や珊瑚や氷河等の氷の核などを調べることで、さまざまなデータから確認が取れたのである。ここイタリアももちろんチョー猛暑な7月だった。そんな折、あまりの暑さのためにイタリアでは車が溶けた、と称して車の塗装がぐちゃぐちゃに溶ける様子を撮影した映像がネットに流れた。いくら暑くても車が溶けるなんてありえない。それは明らかにガセネタだった。その証拠に動画は間もなく削除された。写真は今も残っているようだ。そのことについては僕はfacebookでもちらと言及した。異常な暑さにからませたそのガセネタ(と思う)はネットにおける典型的な危険の一つと僕には見えるので、当時そのことについて書き始めた。が、ばたばたしているうちに時間が経ち季節が移って時機を逃してしまった。でも一度きちんと書いておきたいと思う。危険情報のうちでも、思い違いを起こさせる類の嘘、という程度のあまり罪のない危険情報だが、そんな危険がネットにはあふれているのでやはり気をつけるべきだと強く思うのだ。





米大統領予備選~さてトランプさんは坂道を転がるのか踏みとどまるか~



今日(2月9日)は米大統領選、ニューハンプシャー州の予備選挙の日。民主党、共和党とあるが、気になるのは共和党の動静。オサワガセ候補のトランプさん。

民主党はクリントン、サンダース両氏に絞られたが、共和党は複数の候補者のうち、極論者のトランプさんが相変わらず騒いでいる。

初戦のアイオワ州でまさかの敗退を喫したものの、各種世論調査ではトランプ候補は依然としてトップの人気を保ったまま。

またアイオワ州では、マルコ・ルビオ候補が僅差の3位に付けて、すわ本命アラワルか、と多くの人々(僕もそのうちの1人)をおどろかせた。

ところが彼は、6日に行われたテレビ討論会で他の候補者に政治家経験の少なさを責められて、まさかの立ち往生。

経験の少なさとは、つまり若いということで、若さを責めるのは老人の得意技なのだから「ローガイはダマッテロ」などと言い返せば良いものを、しどろもどろになってミソをつけてしまった。

米大統領選の面白さは、各候補が予備選を含む長い選挙戦を通して「大統領としての資質」を徐々にシビアにしつこく問われ試されて、ある者は成長しある者は脱落していく過程だ。

今回の共和党に限って言えば、初戦でトランプさんが負けたのは彼のエキセントリックな主張が最初のふるいに掛けられたことを意味する。

一方、ルビオ上院議員は6日の討論会で、公衆の面前で痛いところを突かれて冷静に対応できるか否か、のふるいに掛けられた。

トランプさんの主張をエキセントリックと見るか、ルビオさんを若くて動揺しやすいと見るかは、おそらく見る者の主観によって違うだろう。

それでも、米大統領という世界最強最大の権力者はできれば極論者であってはならず、かつ沈着冷静であるほうが望ましい、というのは人々の最大公約数的な思いだろうから、ふるいに掛けるのは良いことなのである。

事前の神経戦を経て投票・選択が行われるニューハンプシャー州では、トランプ氏の勝敗の行方に加えてルビオ候補の戦い振りに注目が集まっている。

アイオワ州で勝ったクルーズ氏は、どちらかといえばトランプ氏に似た異端候補であり、ルビオ氏は主流派である。ひと言でいえば、民主・共和両党共に異端対主流派の戦いが予備選の常だ。

共和党の複数の主流派候補らは、最終的には1人に絞られて全員がその1人を支持する方に回る、と考えられる。その1人がルビオさんになるのかそれとも他の候補なのか、という点が興味深い。

主流派が一つにまとまれば、異端のトランプ、クルーズ両候補の戦いは厳しくなる。僕がトランプ候補を「有力な泡沫候補」と呼ぶのは、数字に裏付けされたその現実があるからだ。

同時に僕は、欧米社会が知恵と民主主義によって少しづつ獲得し現在も獲得する努力を続けている、自由と寛容と平等の精神に楯突くトランプ氏には嫌悪感を覚える。

彼の主張はフランスのルペン女史や日本のネトウヨや民族主義者らのヘイトスピーチと同じものであり、ナチスやファシストや日本軍国主義など、過去の亡霊とも手を結ぶ危険な代物だ。

僕は先に「米大統領選の面白さ」と言った。面白さとは重要性ということだ。米大統領に誰が選ばれるかは、好むと好まざるにかかわらず世界中のわれわれに等しく影響する。

いったい誰が次の合衆国大統領になるのか。そして彼はあるいは彼女はどんな考えで超大国の舵取りをしようとしているのかを監視するのは、自国のそれに対するのと同じ程度の意味さえ持つと考えるのである。




さては坂道を転がり始めたトランプさん?



2月1日、米大統領を選ぶ予備選挙が始まった。米50州の先頭を切ってアイオワ州で民主党と共和党の候補者選択が行われ、共和党では事前の予想を覆してドナルド・トランプ氏が敗れた。

勝ったのは保守強硬派とされるテッド・クルーズ氏。また保守本流といわれるマルコ・ルビオ氏がトランプ氏から僅差で3位に入った。ルビオ氏は選挙前には、大きく引き離されての3番手という予測だったから、これも番狂わせと言えるだろう。

トランプ氏が負けたことは驚きではない。彼が快進撃を続けていた昨年から僕は彼が最終的には失速すると見てきた。それは第一回目のアイオワで始まる可能性が大いにあると思った。僕に先見の明があったのではない。過去のアメリカの大統領選挙では普通に起こったことだからだ。

事前の討論や選挙運動を通して優勢だった候補がアイオワ州で躓いたり、逆にそこでの勝利をきっかけに快進撃を続けて候補指名を受け、大統領にまでなるケースが良くある。

例えば2008年には民主党の最有力候補と見られたヒラリー・クリントン氏が、現大統領のバラック・オバマに敗北してそのまま沈んだ。逆に言えばオバマ候補は、アイオワで勝って「オバマ旋風」を巻き起こし、最終的に勝利して第44代アメリカ合衆国大統領になった。

共和党のトランプ氏がアイオワで負けたのは、彼の勢いの終焉が近づいたのだろうと思う。人種差別や排外思想を振りかざす彼を、米国の良心が必ずブロックすると確信するからだ。

民主党は圧倒的に強いと見られたヒラリー・クリントン氏が、僅差ともいえないほどのわずかな差で左派のサンダース氏に勝った。サンダース氏の追い上げはすさまじく、こちらも番狂わせ並みの結果で、民主党のレースも分からなくなった。

ただクリントン氏は、紙一重の差とはいえアイオワ州で勝利を収めたことで、2008年の悪夢から覚めて、メール問題ほかの障害を抱えつつも、今後快進撃を始めるかもしれない。

共和党も最終的に誰が候補に選出されるかは分からない。が、トランプ、クルーズ、ルビオの3氏の争いに絞られた、とは言えるだろう。トランプ氏はそこで突然、最も脆弱な候補になったように見える。

クルーズ氏はアイオワ州での勝利を目指して何年も前から地道に選挙運動を続けてきた。そこが重要な場所だと知っていたからだ。彼は今回の勝利を足がかりに共和党候補になるかもしれない。

だが、事前には注目度が低かった若手のルビオ氏の突然の台頭も見逃せない。彼はいわゆる保守の主流派だ。あるいはルビオ氏がアイオワ州での番狂わせの最大の享受者、つまり最終的な勝者となる可能性も大いにある。

ここまではトランプ氏が、共和党のいわゆる主流支配層に楯突く極論を振りかざして同党内で支持を集めてきた。が、いよいよ風向きが変わったように見える。

再び、共和党では誰が勝つかは分からない。だが、トランプ氏が負けることは間違いない、と僕は相変わらず考えている。天地がひっくり返ってトランプ氏が共和党で勝っても、彼は決戦では民主党候補に敗れるだろう。

しかし、トランプ氏以外の候補者が共和党で選出された場合には、民主党候補を破って大統領になる可能性はもちろん十分にあると思う。つまり、「まともな」候補者同士の戦いでは民主・共和両党ともに互角だ。

それどころか、保守本流を自他共に認めるルビオ氏が共和党候補になって、たとえば民主党の相手がクリントン氏になった場合には、むしろ彼の方が有利である可能性が高い。

なぜなら「弱いアメリカ」を演出してきたオバマ民主党政権への反発は米国内に強いと考えられ、そのオバマ政権の後継と見られるクリントン氏に逆風が吹きつける可能性は決して低くないからだ。




祭りのあとの祭りは。怖い・・かも。


イタリア中が大騒ぎをする大晦日から新年にかけては今回も自宅で静かに過ごした。僕らは2013年の大晦日から日本式の年越しをするようになっている。

つまりチェノーネも催さず外出もせず、まず午前11時過ぎから衛星を介して生放送される紅白歌合戦を見る。夜には同じ番組の再放送を飛ばし見しながら一杯やるというパターン。

今回はそれとも違う過ごし方をした。昼間はなんと菜園に入って小型の耕運機を使って土作りをしたのだ。その頃は雪や雨が降らず暖かいのでそんな作業ができた。

夜。ゆるゆると熱燗を傾けつつ、録画再放送の紅白歌合戦とイタリアのテレビが生中継する各地の年越しコンサートをリモコンで行き来した。

紅白は長過ぎる。かったるい場面も多いので適度にチャンネルを飛ばし見するのがいい、と気づいた。そうすればイタリアなどの歌も共に2倍楽しむことができる。

紅白歌合戦につづいて録画の「ゆく年くる年」が流れた。紅白歌合戦と同じく、それは日本とのリアルタイムで昼間に一度放送されたもの。

いま届いているのは録画だが、ちょうど年を跨ぐ時間に組み込まれているので、日本で見るときと似た趣がある。

番組の途中から外で炸裂音が響き出した。年明けを祝う花火が、年明けを待ちきれずに上がり始め爆竹がはじけるのだ。

窓外を見ると、遠くの街灯がかき消されるほどの光量が四方に満ちて、途切れない爆発の響きが最高潮になろうとしていた。

hanabi カッツァーゴ500ピクセル

僕の住む田舎の花火。裸眼で見る光景はこの絵の100倍くらい華やかで明るくてうるさかった。


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同じ頃、ヴェスヴィオ火山を背景にナポリではこんな光景が繰り広げられていた。


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こんな光景も。


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はたまたこんな光景も。

イタリア中で花火や爆竹やカンシャク球やクラッカーなどのありとあらゆる煙火が発火し、爆発し、弾けてどよめいた。結果、死人こそ出なかったものの、爆発で腕や手を失ったり失明した重症者16人を含む、190人が負傷した。

ケガ人の多くは例年の如く南イタリアのナポリ近郊に集中していたが、大晦日を待っていた12月29日には、北イタリアのミラノ近くの町で花火の準備をしていた22歳の若者が、誤って火薬を爆発させて両手と両目を失い、全身に激しい火傷を負う事故もあった。

そうした凶事は年々歳々飽きもせずにイタリア全土で繰り返されるが、それでも今年は負傷者の数は少ない方だった。それはあるいは、ISなどの過激派のテロへの厳重な警戒が敷かれる中での祝賀だったからかもしれない。それらのことはこの前のエントリーでも書いた。


花火残り火

地上から屋根にかけての明るみのさらに上には暗い空間が広がっていた。そこには炸裂した花火の残り火や残り火の一部のような発光体がたくさん飛んでいた。


飛行火花3点

UFOというのはあるいはこんな感じの空飛ぶ発光体かとも思う。


ぽつり飛行火花2点

こんなふうにも。

そうやって夜が更けた。ツーか、年明けの夜が続いた
断続的に聞こえる炸裂音を聞きながら、僕は少し酔って眠った。


朝。
目覚めて、前庭に面した窓を開けてぎょっとした。

元旦庭ロング赤点500pic

前庭の、先の園の壁角のあたり。遠目にもあざやかに赤い物体がうずくまっているのが見えた。

何かが投げ込まれた?


pic赤ちょうちん庭石柱の間から500

あるいは誰かがドローンか何かで進入して危険物を落下させた?・・


赤ちょうちん中ロング形長方500pic

恐る恐る近づいた・・


赤提灯中より500pic

風船?・・提灯?


赤ちょうちん別角度ヨリ500pic
燃える何か・・昨夜空に浮かんでいた・・


ちょうちん最大ヨリ500pic

怪しいが、危険はなさそう



ちょうちん+則手+竹

一人でちょっと遊んだ。


花火残骸木に立てかけ中ヨリ500pic

遊び疲れて木にぶら下げた。


ちょうちん木にかけ不気味500pic

去りつつ。振り向いた。

ヤバイ。

ホントの物語はここから始まる・・のかも。




イラン大統領を特別扱いした伊政府のおバカ度 



核開発をめぐる欧米との合意、またそれに伴う経済制裁の解除を受けて、イランが国際社会で存在感を増しつつある。

多くの国の幹部がイランを訪問し、イラン政府の重鎮らも世界中に赴いて活発な外交を進めている。その一環で同国のロウハニ大統領がイタリアを訪れた。

イラン政財界の主要人物120人と共にイタリアを訪れたロウハ二大統領は、イタリアとの間に170億ドル(約2兆2千億円)に上る商談をまとめ、有名なカピトリーニ美術館を訪問した。

その際にイタリア・レンツィ首相の意向を受けた美術館は、展示されている古代ロー帝国時代の裸のビーナス像(紀元前2世紀)など、多くの裸体彫像を白い箱で覆った。

イラン側が事前の視察で、裸婦像が敬虔なムスリムであるロウハニ大統領の目に入るのは不適切、と指摘していたためにイタリア側が気を遣ったのである。

この馬鹿げた処置にイタリア国民の多くが反発し、レンツィ首相と政府を糾弾している。芸術品への冒涜でありイラン大統領への屈服だという強い主張をする者までいる。

また国賓である相手への敬意を示すのは良いが、自らの文化を軽侮するのはあってはならないことだ、と正論で首相を批判する者もいる。

もしもこの出来事が国家対国家の付き合いでなく、プライベートな仲間内での案件であったなら、あるいは美談として捉えられたかもしれない。

つまりホストであるレンツィさんが、客のロウハニさんに気を遣って持てなしただけだ、と。だが事態はそう単純なものではない。

まともな客人なら訪問先のホストにあらかじめ何らかの配慮をするようねじ込むことなどないからだ。イラン側は事前にそれをやっている。

僕はイラン大統領にもレンツィ首相にもいわく言いがたい違和感を覚えずにはいられない。どちらも相手を尊重する振りで、やっていることは自己中心的な互いの思惑の押し付け合いである。

まずイタリア側のレンツィ首相だが、彼は何よりもイランとの間に生まれた170億ドルにも上る商談をまとめたいという気持ちが強かった。その一心でロウハニ大統領のご機嫌伺いに徹したものと考えられる。

それは悪いことではないだろう。しかし、その度合いが愛想の域をはるかに超えてもはや卑屈、あるいは国辱ものにまでなってしまった。だから国民の厳しい批判にさらされている。

しかも彼の場合はこれが初めての「勇み足」ではない。アラブ首長国連邦・アブダビの皇太子がフィレンツェを訪れた際にも、レンツィ首相は市庁舎に展示されていた裸体像を隠して人々の顰蹙(ひんしゅく)をかった。

そういう行為は、相手を敬慕するように見えて、自らの信条や本音を秘匿する分、極めて卑劣な振る舞いだ。つまり正直ではない。従って誠実でもない。上から目線の思い上がりも透けて見える。

一方のロウハニ大統領側にもムスリム独特の偏屈と、傲慢とも捉えられかねない思い込みの激しさがあるように見える。人体の美を表現する裸体像は西洋文明の長い伝統なのだから、これを尊重するのがあるべき態度ではないか。

像を覆い隠したのはイタリア側の自発的なものではなく、前述したようにイラン側の事前の要請に応えたものである。ロウハニ大統領一行に相手文化を敬仰する本気があるならそんな催促などしないだろう。

もっともロウハニ大統領自身は「裸像隠し」の件については私は何も知らないと記者に答え、一方のレンツィ首相側も同様の指示は出していない、とシレッとして声明を出す有り様だ。

イラン側は晩餐会においても、飲酒を忌むムスリムの掟を持ち出してワインを供しないようにイタリア側に註文し、レンツィ首相はここでも唯々諾々と従った。そのことでも彼は自国の文化を卑下したと批判されている。

イランから同じような要請を受けたフランス政府が、食事会におけるワインはフランス文化の核とも言える重要なものだから受け入れられない、ときっぱり拒否した態度とは大違いだ。

要求に屈したレンツィ首相も浅ましいが、他国の文化を尊重するどころか、結果として自らのそれを押しつける形になったイラン大統領の傲岸も救いがたいものだ。彼の態度は欧州に住むイスラム系移民のそれに通低するものがあると感じる。

それはイスラム教徒の人々の悪質ということではなく、イスラム教という宗教の一大特質である「柔軟性の欠落」がもたらす非常に厳しい様態である。つまり教義が時として強制するように見える後進性であり、政教分離の理念の欠如である。

ここ欧州においては、白人のキリスト教徒によるイスラム系移民への偏見差別が歴然として存在する。それは糾弾されて然るべきだ。その差別がなくならない限り、彼らの憤懣は消えることがなく、従って摩擦やテロも無くならない。

だが非はキリスト教徒だけにあるのではない。イスラム教徒の持つ意固地な考えや行動も非難されるべきだ。自らの信仰を全てに優先させる余り、残念ながら彼らは、欧州文化や文明を軽侮すると見られかねない言動をするケースも多い。

自らの価値観を保ち、それに従って生きることは自由だが、ここは欧州社会である。彼らは率先して欧州の価値感も認め尊重することも忘れてはならない、と思う。

郷に入れば郷に従え、という普遍的な哲学を尊重する態度があって初めて、彼らの価値観も他者から認められる。我を押し通すだけでは反発を呼び衝突が絶えなくなる。

イラン大統領の言動とこれを受けてのレンツィ首相のアクションには、欧州とイスラム社会が直面している今現在の深刻な問題の実相が隠されている。持てなしか否かとか、美術館の裸像が果たして芸術か卑猥か、などという単純な話ではないのである。

インターネットのテレパシー



世の中には「虫の知らせ」とか「以心伝心」とか「予感」とか「テレパシー」など、科学では説明できない何かがあるように思う。

僕は科学を信じるが、科学では説明できない何かがある、ということも科学だ、と考える者だ。

そのことと関係するが、

50歳になったとたんに、友人でもあり仕事先の重要人物でもある優秀な同期生が、「50歳を機に人生でできることとできないことの仕分けを始めました」という便りをくれた。

優秀ではない僕は、できる男はやっぱり違うなぁと思って、おどろきあせり感激した。

そこで僕は「50の舟歌」と題してこう返した

『齢(よわい)50の出生日成る
  この佳(よ)き日につづくまた佳き日々は
   立てるなら 腹バ立てるな 
    チン オッ立てよ・・・
          立つならば・・
            よ~し!


その同じころ、別の友人がアルコール依存症になったり、癌その他の病気で死ぬことが続いた。そこでも、『2度あることは3度ある』という言いにも近い人智を超えた何かを感じた。

あれから10年が経ち、僕は還暦1年生になった。あいかわらず腹の立つことは多く、朕はしおれ気味だ。

それなのに還暦という節目に際して、再び多くのことが起こっている。それは肉体の変化とそれに伴う精神の変化というよりも、社会的存在としての60歳に起きる変化、ならびにそれに伴うそれぞれの男女の変化である。

多くが退職し、退職をしようとし、まさに暦がゼロに戻る体験をしている。その中で、若かりし日の夢を再び身近に引き寄せて再挑戦をする者も結構出るようになった。

そうやって昔の情熱に浮かされた1人が、昔はなかったインターネットを使ってあれこれ遊び、検索しているうちに、かつて文芸誌に掲載された僕の小説を示すサイトに行き着いた、と興奮気味に知らせをくれた。

その文芸誌と自分の作品のことを忘れてはいないが、ほとんど思い起こすこともなかった僕も驚いた。

ネット(WEB)がなければ、20年以上も前の売れない文芸誌の、売れない小説の情報などほぼ知る由も無いことに違いない。

ネットはネットのみならず、紙媒体も包括していることにあらためて気づかされた。

その事実に僕は結構心を衝き動かされた。

そうして思い惑い、手元にある一冊を久しぶりにひも解いて自分の作品を読んでみたりした。

すると小説を書きたい気持ちが湧き起ってきた。それに連れてブログを書く気持ちが弱まったりもした。

昨年末あたりから僕はそんな風に揺れ動く気持ちを持て余している。

これではいけないと思い、新年に際して一日一記事を書こう、と誓いを立ててみたりもした。

今は少し落ち着いて、やはりブログという面白い表現手段を大事にしよう、と思い直している。同時に時間と意欲があれば小説も書いてみようかとも。

そう思いつつ、とりあえずはネットという素晴らしい贈り物へのお礼と、その機能と力への感嘆を表す意味で、僕の小説が掲載されている文芸誌のURLをここに紹介しておくことにした。2度とそういうことはなさそうにも見えるので。

まだ在庫があって注文すれば手に入るとのことなので、物好きな方は連絡してみて下さい。
http://www.mitabungaku.jp/backnumber16.html
http://item.rakuten.co.jp/takahara/1560757/


後日談実話:この小説が出た時、ある商業誌の小説部門の編集長が、ここまでで自分が知る限りのべストのエイズ小説、という言葉をくれた。

でも彼の出版社が、第2弾を書いてくれ、と僕に声をかけてくれることはなかった・・

つまり、それが「売れない」という現実と「才能のなさ」という悲哀なのだろうと思う。




大相撲の遠藤を公傷扱いにするのは不公平だろうか



遠藤が初場所7日目から休場した。やれやれ・・、というのが実感である。彼はもっと早く且つ徹底的に休むべきだったのだ。遠いイタリアで大相撲の衛星放送を見つつ考えている。

人気、実力ともに快進撃、登り調子一辺倒だった遠藤は、昨年春場所の5日目、松鳳山との一番で左膝に大ケガを負い、休場を余儀なくされた。

ケガは全治2カ月の重症だった。従って次の夏場所も休場するのが普通である。しかし番付が幕尻近くだった遠藤は、そこで休めば十両陥落は間違いないという瀬戸際にいた。

そこで彼は夏場所も出場して、6勝9敗の情けない成績ながらかろうじて幕内に留まることに成功した。そして次の名古屋場所、秋場所を連続して勝ち越した。

だがケガをじっくりと治さないことがたたって、傷は場所ごとに悪化。一年最後の九州場所では、ほとんど相撲が取れず無気力相撲にも近いパフォーマンスになった。

当然番付けも下がった。昨年九州場所では4勝11敗と大負け。今年に入って休場するかと思っていたら、やはり出場して無残な戦いを見せた。挙句の休場である。

遠藤はおそらく来場所は十両落ちだろう。そこで出場してもケガのために思うように勝てず、あるいは治癒するために休場しても番付けは落ち続け、ついには引退の危機さえ待っている。

休めば降格の地獄、ケガを押して出場しても、勝てないという地獄。四面楚歌の中で一番つらい思いをしているのは当の遠藤に違いない。

が、相撲を取れる状態ではない体の彼が土俵に上がっているのを見る者もつらい。特に遠藤ファンにとってはそうだ。そして僕は遠藤ファンである。そこを明言した上で話したい。

大相撲の人気が戻った。大人気と言っても構わないだろう。昨年は1月場所から4場所連続して《連日満員御礼》になった。それは若貴ブームで沸いた90年代以来の出来事である。

しかも大相撲のファンは、60代以上の男性を筆頭に男が主だったが、最近は若い女性ファンも増えている。このブームを作っている最大の要因が遠藤だ、という見方もある。

休場すれば情け容赦なく番付が下がること以外に、遠藤人気で客の入りが良いため相撲協会も彼を出場させたい。そうした暗黙のプレッシャーもかかっていて、遠藤は休場に踏み切れないのだろう。


遠藤がケガを押して土俵に上がっている姿は、ストイックな雰囲気をかもし出していて、初めは見る者を感動させさえした。痛む素振りをみせないことがさらにその印象に拍車をかけた。

しかし、勝てない彼に人々はやがて疑問を持ち始める。負けっぱなしのプロは変だ、と感じ始めたのだ。痛みを堪えて出場して勝つからこそファンは喜ぶのだ。

人々の同情は疑問になり、連日負けても土俵に上がる姿に目をそむける者も出始めた。負け続けの彼のパフォーマンスは、前述したように無気力相撲のようにさえ見えることがあった。

それは時には見苦しくさえあった。いい相撲、面白い相撲を期待しているファンの気持ちに応えようとするよりも、自分の番付を守りたい気持ちだけが透けて見えたからだ。

ファンのそんな気持ちが募りだしたころ、遠藤は休場を決めた。遅きに失したほどに遅かったが良い判断だった。しっかり休んでケガを完治させるべきだ。

それにしても、ケガで休場しても番付けが下がる今の大相撲の規定では、本人が出場したいと言い張るのも理解できる。そろそろ公傷制度を復活させるべきではないか。

公傷制度とは、横綱以外の力士が、本場所の土俵でケガをして翌場所を休場しても番付けが下がらない、というルールである。それは1972年に導入された。

ところが、公傷制度はある意味で悪用されて、ケガをした力士が頻繁に本場所を全休するようになった。紆余曲折を経てその制度は2003年に廃止された。

公傷制度の多用はもちろん言語道断である。しかし、将来有望な力士がケガを治せないままずるずると番付を下げて、ついには力士生命を終えるような事態は避けた方がいいのではないか。

遠藤は鍛えに鍛えて、体の芯に鋼のような硬さを持つぶつかりと立会いができるようになれば、昭和46年に現役横綱のまま亡くなった玉の海の域に近づける才能がある力士だ、と個人的には思う。

相撲協会には「ケガをすること自体が力士の怠慢」という古くからの考えもある。そのことと、ケガを押して土俵に上がっても痛い振りを見せない遠藤の姿に潔(いさぎよ)さを見る、日本人の心情は得がたいものだ。

だがそうした「美学」は、美学が往々にしてそうであるように理不尽な側面を持つ。怠慢どころか自らを厳しく律していても力士はケガをする。

また痛みをこらえて土俵に上がっていればケガは悪化する。もちろん動きながら治す、というケガもスポーツの場合は多い。しかし重症のケースではやはり休んで治療をするべきだ。

遠藤はこの先たとえ幕下まで落ちても、同じ境遇で這い上がった幕内現役の栃ノ心や阿夢露と同じ精神的強さがある、と信じたい。が、そのまま消えてしまう可能性がないとは誰にも言えない。

そんなことになっては寂しい。寂しいだけではなく相撲協会にとってもファンにとっても大きな損失である。審査基準を厳しくし罰則などもうまく使いながら、大相撲はそろそろ公傷制度の復活も考えるべきである。

バチカンのジュビレオ(聖年祭)はテロ撲滅に貢献できるか



新年になってもIS(イスラム国)の脅威は止むことがなく、米仏に続いてここイタリアのジェノバでもテロ組織関連の摘発があった。アフリカとの船舶の往来も少なくないジェノバ港で、ISと関連があると見られるリビア出身の3人の男が車両貿易を装ったマネーロンダリングの疑いで逮捕された。彼らの活動はISの資金源の一つになっていると見られている。

過激派テロの脅威が続く中、キリスト教カトリックの総本山ローマのバチカンでは、昨年12月8日からジュビレオ(聖年祭)が開催されている。ジュビレオとは、信者がローマを訪ねてサンピエトロ大聖堂を含む4大聖堂の聖なる扉を通って参拝すると、あらゆる罪が許されるというもの。世界12億余のカトリック信者のローマ巡礼を促す意味がある。祭りは今年11月20日まで続き、ローマではその期間中多くの関連事業も執り行なわれる。

ジュビレオは西暦1300年に始まった。その後、開催年をめぐる紆余曲折を経て、25年毎に挙行すると定められた。前回はヨハネ・パウロ2世が2000年に行った。次は 2025年のはずだったが、フランシスコ教皇が「現下の厳しい世界情勢の中で人々は許しあわなければならない」と主張して、通常の聖年祭をいわば前倒しにする形で開催する特別聖年祭。

715年前の第一回目のジュビレオでは、推定人口2万人のローマに200万人もの信者が押し寄せたと言われている。信者一人ひとりの全ての罪が、バチカン巡礼によって帳消しになる大赦年とされたからだ。それを虚偽と見なしたダンテは《神曲》の中で、ジュビレオを始めた教皇ボニファティウス8世を聖職を穢す者として厳しく断罪している。

おびただしい数の信者が訪れるジュビレオは、当時から敬虔な宗教行事であると同時に、教会そのものを含むローマ市にとっては常に大きなビジネスチャンスでもあった。巡礼者への宿や飲食を提供する業者や一般庶民はもちろん、聖職者や貴族に至る全てのローマ市民が巡礼者を利用して金儲けを企み、金で罪を購(あがな)おうとする巡礼者もそれに便乗して、喜んで散財をしたと言われる。

フランシスコ教皇がジュビレオの開催を決定・発表したのは、彼の教皇選出から2周年に当たる昨年の3月13日だった。同年初頭にはIS(イスラム 国)などの過激派によって中東で多くのキリスト教徒が殺害されたり、欧州では過激派テロリストによるシャルリー・エブド襲撃事件なども発生していた。

キリスト教徒とイスラム教徒の間に楔を打ち込み、対立をあおり、憎しみを植えつけようとする過激派の動きやテロは、教皇のジュビレオ開催の発表後も相次いだ。フランシスコ教皇はそうした不穏な世界情勢に臨んで、キリスト教徒に寛容と許しの精神を堅持するようにと呼びかけたのである。

そこには彼の政治的な思惑も絡んでいると見るのが妥当だ。すなわち、近年カトリック教会離れが著しい信者の心を引き止め、求心力を高めたいという強い思いがフランシスコ教皇にはある。特に彼の出身地である南米ではブラジルを中心にカトリック教会からの信者離れが進んでいる。

バチカンの不正財政問題や聖職者による幼児性愛事件、あるいは同性愛や避妊などを巡って、教会の見解に不信感を抱く信者が増え続けることにバチカンは苦悩している。そこに同じキリスト教内のプロテスタントによる信者獲得攻勢も加わって、バチカンは切羽詰った状況におかれている。

またフランシスコ教皇には、前任者のベネディクト16世の時代に停滞、あるいは退行したバチカン内部の改革を推し進めるために、信者の強い支持と世界の注目を集めたいという願いも強くある。教皇の改革への意思は固く、これを恐れるバチカン内部の保守派は彼の暗殺を計画している、という噂が絶えないほどである。

ジュビレオはバチカンとカトリック信者間のいわば内部問題を解決する手段であると同時に、他宗教との対話や協調を希求するフランシスコ教皇が、IS等の過激派のテロを糾弾し宗教間の和解と友誼を謳う象徴的な意義もある。「厳しい世界情勢の中で人々は許しあうべき」という彼の訴えは、キリスト教徒のみならずイスラム教徒をも意識していると考えたい。

今回の特別ジュビレオでは、ローマの4大聖堂ばかりではなく、世界各地の教会でも特別参拝ができるようにした。わざわざローマまで出向かなくても世界中の信者が地元の教会で参拝をすれば、ローマ巡礼と同じ功徳があると信者に伝えたのである。その通達にはテロを誘発しやすいローマへの信者の集中を避ける狙いと、信者がジュビレオに参画しやすい状況を作り出すことで、同祭の盛況を演出したい教皇の思いが込められている。

バチカンは長くイスラム過激派の脅迫を受けていて、パリ同時多発テロの直後には、ISがバチカンを標的にテロを準備している可能性がある、と米FBIが名指しで警告を発している。他の欧州諸国でも似たり寄ったりの緊張状態が続いていて、パリ同時多発テロの実行犯を生んだべルギーのブリュッセルでは、大晦日から新年にかけての花火大会が禁止された。

ここイタリアは違った。年明けの午前0時を契機に、《いつものように》ローマを含む全土で花火や爆竹などの爆発音が鳴り渡った。それは過激派の脅迫には萎縮しない、という国民の強い意思表示のようにも見えた。幸いなことに激しい爆発音が響き渡っていた1月1日未明までの時間もまたその後も、イタリアのどこにもテロは発生していない。

テロリストの主な狙いは前述したように「キリスト教徒とイスラム教徒の対立を煽る」ことである。そこでジュビレオをイスラム教徒が大挙して表敬訪問して、キリスト教徒との連帯を示すなどの動きがあれば過激派の鼻を明かせるのに、と僕は思ったりもする。同時にそれは両宗教の和解の布石にもなって一石二鳥だが、今はまだ実現するのは難しいように見える。だがバチカンもイスラム世界もいつかは必ずそこを目指すべきである。


イタリアのアブナイ新年、ナポリのナニモナイ正月



大晦日の夜から新年にかけてのイタリアは、相変わらずクレージーでのけぞるほどにばかばかしくて、そこはかとなく哀れみの伴う人間模様に満ち溢れていた。

大晦日の夜、イタリア中の家庭やレストランでは「チェノーネ」と呼ばれる大夕食会が開かれている。12時を回って新しい年が始まると同時に、花火が打ち上げられ爆竹が激しく鳴らされてあたりが騒然とする。

今年も新年を祝う大騒ぎが繰り広げられた。結果、死人こそ出なかったものの、イタリア中で190人が負傷した。このうち爆発で腕や手を失ったり失明したりを含む重症患者は16人だった。

負傷者の多くは例年の如く南イタリアのナポリ近郊に集中していたが、大晦日を待っていた昨年12月29日には、北イタリアでもニュースになる大きな事故があった。

ミラノ近くのヴァレーゼという町で、新年に向けて花火の準備をしていた22歳の若者が、誤って火薬を爆発させて両手と両目を失い、全身に激しい火傷を負ったのである。

そうした事故は毎年毎年飽きもせずにイタリア全土で繰り返されるが、それでも今年は負傷者の数は少ない方だった。それはあるいは、ISなどの過激派のテロへの厳重な警戒が敷かれる中での祝賀だったことが影響したのかもしれない。

僕は以前、ナポリの正月を生中継で日本のお茶の間に届ける番組を作ったことがある。テレビの中継番組というのは仕掛けが大きく、かかわるスタッフの数も多い。つまりそれだけ金もかかるし仕事も重い。

僕はそこでプロになってはじめて、途中で仕事を投げ出したくなるほどのプレッシャーを受けて苦しんだ。苦しかったのはナポリの正月が何もない正月だったからである。

前述したようにイタリアではナポリなどを筆頭に大晦日の夜から新年にかけて大食事会が開かれ、花火や爆竹ががけたたましくはじけて人々が騒ぐ。シャンパンやワインが開けられて大いに飲み歌い楽しむ。

明け方まで大変な騒ぎが続く。騒ぎのあと、正月の昼間は見事なくらいに何もない。人々は疲れて昼頃まで寝ている。起きても別に何もしない。もう祝賀や遊びや興奮は過ぎたのである。

テレビ屋にとってはこれは非常につらい仕打ちである。何かが起こらなければ番組にならない。そういうナポリの正月の昼間の状況は、もちろん事前に調べて分かっている。「何もないナポリの正月を紹介する」というのも番組のコンセプトの一つである。

それはしかし、テレビ画面に何も映さないという意味ではもちろんない。日本とは違って「ナポリの正月は何もない」という現実を、いろいろな「何もない絵」を組みこんで見せていくのが僕の仕事である。これが苦しかった。大変な仕事だった。それほどにナポリの正月は何もない。

新春魚料理談義


加筆再録


「世界には3大料理がある。フランス料理、中華料理、そしてイタリア料理である。その3大料理の中で一番おいしいのは日本料理だ」

これは僕がイタリアの友人たちを相手に良く口にするジョークである。半分は本気でもあるそのジョークのあとには、僕は少し大げさな次の一言もつけ加える。

「日本人は魚のことを良く知っているが肉のことはほとんど知らない。逆にイタリア人は肉を誰よりも良く知っているが、魚については日本料理における肉料理程度にしか知らない。つまりゼロだ」

3大料理のジョークには笑っていた友人たちも、イタリア人は魚を知らない、と僕が断言したとたんに口角沫を飛ばして反論を始める。でも僕は引き下がらない。

スパゲティなどのパスタ料理にからめた魚介類のおいしさは間違いなくイタメシが世界一であり、それは肉料理の豊富さにも匹敵する。

しかしそれを別にすれば、イタリア料理における魚は肉に比べると貧しい。料理法が単純なのである。

この国の魚料理の基本は、大ざっぱに言って、フライかオーブン焼きかボイルと相場が決まっている。海際の地方に行くと目先を変えた魚料理に出会うことはある。それでも基本的な作り方は前述の三つの域を出ないから、やはりどうしても単調な味になる。

一度食べる分にはそれでいい。素材は日本と同じように新鮮だから味はとても良い。しかし二度三度とつづけて食べると飽きがくる。何しろもっとも活きのいい高級魚はボイルにする、というのがイタリア人の一般的な考え方である。

特に家庭料理の場合はそうだ。ボイルと言えば聞こえはいいが、要するに熱湯でゆでるだけの話だ。刺身や煮物やたたきや汁物などにする発想がほとんどないのである。

僕らは日伊双方の料理の素材や調理法や盛り付けや味覚などにはじまる様々な要素をよく議論する。そのとき、魚に関してはたいてい僕に言い負かされる友人たちがくやしまぎれに悪態をつく。
「そうは言っても日本料理における最高の魚料理はサシミというじゃないか。あれは生魚だ。生の魚肉を食べるのは魚を知らないからだ。」

それには僕はこう反論する。
「日本料理に生魚は存在しない。イタリアのことは知らないが、日本では生魚を食べるのは猫と相場が決まっている。人間が食べるのはサシミだけだ。サシミは漢字で書くと刺身と表記する(僕はここで実際に漢字を紙に書いて友人らに見せる)。刺身とは刺刀(さしがたな)で身を刺し通したものという意味だ。つまり“刺刀(包丁)で調理された魚”が刺身なのだ。ただの生魚とは訳が違う」

と煙(けむ)に巻いておいて、僕はさらに言う。
「イタリア人が魚を知らないというのは調理法が単純で刺身やたたきを知らないというだけじゃないね。イタリア料理では魚の頭や皮を全て捨ててしまう。もったいないというよりも僕はあきれて悲しくなる。魚は頭と皮が一番おいしいんだ。特に煮付けにすればそうだ。

たしかに魚の頭は食べづらいし、それを食べるときの人の姿もあまり美しいとは言えない。なにしろ脳ミソとか目玉をずるずるとすすって食べるから。要するに君らが牛や豚の脳ミソをおいしそうに食べるのと同じさ。

あ、それからイタリア人は―というか、西洋人は皆そうだが―魚も貝もイカもエビもタコも何もかもひっくるめて、よく“魚”という言い方をするだろう? これも僕に言わせると魚介類との付き合いが浅いことからくる乱暴な言葉だ。魚と貝はまるで違うものだ。イカやエビやタコもそうだ。何でもかんでもひっくるめて“魚”と言ってしまうようじゃ料理法にもおのずと限界が出てくるというものさ」 

僕は最後にたたみかける。
「イタリアには釣り人口が少ない。せいぜい百万人から多く見つもっても2百万人。日本には逆に少なく見つもっても2千万人の釣り愛好家がいると言われる。この事実も両国民の魚への理解度を知る一つの指標になる。

なぜかというと、釣り愛好家というのは魚料理のグルメである場合が多い。彼らはスポーツや趣味として釣りを楽しんでいますという顔をしているが、実は釣った魚を食べたい一心で海や川に繰り出すのだ。釣った魚を自分でさばき、自分の好きなように料理をして食う。この行為によって彼らは魚に対する理解度を深め、理解度が深まるにつれて舌が肥えていく。つまり究極の魚料理のグルメになって行くんだ。

ところが話はそれだけでは済まない。一人一人がグルメである釣り師のまわりには、少なくとも10人の「連れグルメ」の輪ができると考えられる。釣り人の家族はもちろん、友人知人や時には隣近所の人たちが、釣ってきた魚のおすそ分けにあずかって釣り師と同じグルメになるという寸法さ。

これを単純に計算すると、それだけで日本には2億人の魚料理のグルメがいることになる。これは日本の人口より多い数字だよ。ところがイタリアは1千万から2千万人。人口の1/6から1/3だ。これだけを見ても、魚や魚料理に対する日本人とイタリア人の理解度には、おのずと大差が出てくるというものだ」

友人たちは僕のはったり交じりの論法にあきれて、皆一様に黙っている。釣りどころか、魚を食べるのも週に一度あるかないかという生活がほとんどである彼らにとっては、「魚料理は日本食が世界一」と思い込んでいる“釣り愛好家”の僕の主張は、かなり不可解なものに映るらしい。

トランプもルペンも危険だから大いに語られるべきだが、騒ぎ過ぎは愚かだ



米大統領選、共和党の「有力泡沫候補」ドナルド・トランプ氏は、イスラム教徒排斥発言の後、アイオワ州で支持率を落として初めて2位になったものの、共和党支持層全体では支持率を40%に上げるなど、相変わらず快進撃を続けている。

一方、トランプ氏と同様にイスラムフォビア(嫌悪、恐怖)を煽って、フランスで支持率を伸ばしている極右の国民戦線(FN)は、12月6日に行われた地方選挙の第1回投票で、過去最高となる28%の全国得票率を得て13の選挙区のうち6選挙区で首位を奪う躍進を見せた。同党は、11月に起きたパリ同時多発テロ事件への恐怖やイスラムフォビア(嫌悪)の広がりと、長引く経済不振への国民の怒りなどをうまく利用して大幅に支持を広げている。

しかし幸いにも、第2回決選投票では、得票率は伸ばしたものの、どの地域でもトップになれない完全敗北を喫した。極右政党の進撃に不安を覚えた大勢の有権者が反対票を投じたのである。ここにフランス民主主義の健全と国民の良識がある。

ルペン氏と国民戦線にとっては期待外れの選挙結果だった。しかし、それを彼女の敗北と見なすことは決してできない。それというのも決戦となった第2回投票では、第1回目よりもほぼ80万人も多いおよそ700万人の有権者が国民戦線(FN)に投票したからだ。

ルペン氏は実は敗北とはとても言いがたい支持率を 維持している。数字を見る限り彼女は、依然として2017年フランス大統領選で決選投票まで残る可能性が高い強い存在である。ルペン氏こそ真の脅威だ。その脅威の度合いは国民戦線という政党とルペン氏が一心同体とも言える存在であること、またその政党が他の欧州国の右翼勢力と手を結ぶ可能性があること、などを考えた場合には極めて大きくなる。

ルペン氏の脅威とは言葉を替えれば、自由と平等と寛容と博愛を標榜する欧米の民主主義に対する恐怖だ。彼女は排外ナショナリズム と不寛容と反イスラム主義を、あたかもその反語でもあるかのような狡猾な言葉のオブラートで包みソフトにし誤魔化して、大衆の不安と恐怖心と悲哀につけ込んで票を伸ばしている。

それに比較するとトランプ氏の危険度は、彼の人気が政党ではなく個人としてのそれである点で低いと言える。しかし、天地がひっくり返って(トランプ氏が大統領になる可能性はゼロという意味で僕はこの表現を多用している)彼がアメリカ大統領になった場合には、地上最強の権力者が排外主義者、人種差別主義者、ファシストであるという意味で最大の危険であることは言うまでもない。

僕は欧州や米国の民主主義と、寛容の精神と、自由博愛の哲学を強く信じ支持する者である。先の欧州議会選挙で英仏ギリシャなどの右翼勢力が躍進した時も、それが一時的な抗議を意味する現象であって欧州の悪への変革を意味するものではないことを信じて疑わなかった

現在のルペン氏とトランプ氏の人気振りについても、彼らが目立つことで極右勢力が勢いづき且つそれに影響さ れる狭隘な精神を持つ人々が排外思想に染まる危険はあるものの、欧州にはそれをはるかに凌ぐ良識の蓄えと民主主義の伝統があるので、最終的には何も問題はないと考えている。

むしろそれらの危険思想は、それ自体が力を得ることで自由と寛容と民主主義を信じる欧州の圧倒的多数の人々の心に警鐘を鳴らし、彼らの信条の再確認を急かす力となって行く。

欧州が長い時間をかけて培ってきた民主主義の精神は、近年ナチズムとファシズムによって蹂躙された。欧州は世界大戦という巨大な犠牲を払って再びそれを取り返した。そこから生まれる自信と誇 りは、欧州が他の自由主義国と共に成し遂げたその偉業の恩恵にあずかって、民主主義を享受している「浅い民主主義社会」の、たとえば日本人などには中々理解できないものである。

そのために、欧州の排外主義右翼やナチズムやファシズム勢力の少しの興隆があると、日本人ジャーナリストなどが必ずこの世の終わりとばかりに大騒ぎをし、欧州 の堅牢な民主主義哲学を知らない日本の読者がこれに踊らされる、という現象が頻繁に起こる。

報道は犬が人間に噛み付くことではなく、人間が犬に噛み付くことのみを拡大強調して報告する。ト ランプ氏やルペン氏の話がメディアに取り上げられるのは、それが異常な出来事、つまり人間が犬に噛み付いている事案だからだ。それは逆に言えば、欧州の大勢が彼らとは相容れない民主主義思想の中で息づいていることに他ならない。

トランプ氏やルペン氏は、欧州の民主主義と寛容の精 神と自由博愛の哲学に挑む危険思想を撒き散らすことで、欧州のそれらの思想信条を呼び覚まして堅牢にし、さらに拡大させる効果を持つ。従って彼らの危険思想と危険思想の影響を語り続けるのは極めて重要なことである。しかし、そこばかりを見つめて騒ぎ立てるのはまた、一切語らない場合と同じ程度に愚かである。


アメリカの底力がトランプ大統領の誕生を阻止する



米大統領選候補ドナルド・トランプ氏の「イスラム教徒の米国入国を禁止するべき」という発言を巡っては、世界中で多くの非難と、同時に少数の支持説も噴出して入り乱れ、それ自体がトランプ氏の選挙キャンペーンに資する事態が起こっている。悪態と挑発と怒りを振りまいて話題になることが氏の狙いだ。

トランプ氏は自身が所属する共和党の主流支配階級に真っ向から立ちむかって、これまでのところ他の複数の候補を凌駕しまくっている。そのことに敬意を表して、最終的には決して勝利者にはなれないという意味で実像はあくまでも泡沫候補である氏を、僕は敢えて「有力泡沫候補」と呼ぶことにする。

有力泡沫候補のトランプ氏は、綿密に計算した選挙キャンペーンの戦略に基づいて、下品で粗野で愚劣な発言を繰り返している、と主張する人々もいる。果たしてそうなのだろうか。品性が下劣なのはトランプ氏の資質であり、選挙戦略とは関係がないと僕は思う。トランプ氏を過剰評価するのはアメリカの、ひいては欧米の民主主義の底力を知らない者の間違った見方だ。

確かに彼は共和党の候補指名獲得レースで首位を走っている。11月の段階で共和党支持層の30%強の支持を集めて、2位のベ ン・カーソン氏を10%以上引き離している。その後に支持率8%のルビオ・フロリダ州上院議員、同7%の元フロリダ州知事ブッシュ氏が続き、さらに数人の候補が続くという構図である。

そうした状況を指して、共和党は支持者に大きな影響を与える力がなくなっており、米国の2大政党制はもはや機能していない、と結論付ける者もいる。しかし、トランプ氏を最終的に阻止するのは政党(共和党)の思惑や倫理や縛りではなく、アメリカの有権者であり大衆である。

今後20%の支持率を上乗せすれば、トランプ氏が共和党の候補に指名されるのは数字上は可能だ。今回のイスラム教徒の排斥発言と同様に、彼の言動が馬鹿げていると見られれば見られるほど、トランプ氏の支持率が上昇するのでもあるかのような現象もまだ終わる気配はない。

破天荒な言動で炎上を繰り返している間は、トランプ氏はメディアの注目を集めて報道され続けるだろう。支持率も中々下がらないかもしれない。だがそれが確実に上昇して行くともまた言えないのだ。これまでのところは他の候補への支持率が低く、彼らのキャンペーンも地味だからトランプ氏だけが目立つ結果になっている。

だが年が明けて共和党候補指名レースが佳境に入れば、参入している候補者の数は漸減して行く。そうなれば今は割れている反トランプ票が、ひとつにまとまって勢いを増すと考えられる。その票が誰に集まるかは不透明だが、トランプ氏だけが1人勝ちしている状況は尻すぼみになり、彼の戦いは厳しくなると見るのが妥当だ。

再び数字的に見れば実は、共和党支持層のうち56%がトランプ氏以外の候補者を支持すると答え、13%がどの候補者を支持するか決めかねている、としている。つまりほぼ70%がトランプ氏を支持していないことになる。その割合は彼の支持者がほぼ30%という数字にも符合する。

今後トランプ氏が支持を増やして行く可能性はもちろんあるが、米国民の良識と堅固な民主主義哲学を信じている僕は、彼は決して指名獲得レースには勝てないと予測する。数字のみを見て言うのではない。かつて米国に住み、米国人と仕事をし、今も彼らと付き合いつつ欧州から米国の動向を逐一見ている僕の個人的な見方だ。米国の民主主義と開明と寛容と、そこに立脚した差別や偏見や抑圧に立ち向かう強さを見くびってはならない。

トランプ氏が共和党の指名を受けるなら、共和党は死んだも同然だ。だが万が一そんなことが起こっても、彼は必ず民主党候補に負ける。もしその逆が起こるなら、日本も欧州も世界も死ぬ。なぜならアメリカが死ねば民主主義が死ぬからだ。民主主義が死ねば、日本も欧州もその他のまともな世界も一斉に崩壊する。

トランプ氏に理があり彼がアメリカ大統領になっても不思議ではないと考えるのは、例えばアメリカは「世界一の人種差別国だ」と主張するのにも等しい浅薄な思考だ。なぜならアメリカ合衆国は地球上でもっとも人種差別が少ない国だからだ。これは皮肉や言葉の遊びではない。奇を衒(てら)おうとしているのでもない。これまで多くの国に住み仕事をし旅も見聞もしてきた、僕自身の実体験から導き出した結論だ。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからだ。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからだ。断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡って目立つために、あたかも米国が人種差別の巣窟のように見える。

だがそうではない。自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い続け、絶えず前進しているのがアメリカという国だ。長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴が、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生であることは言うまでもない。

米国より先に奴隷制度を廃した英国を始めとする欧州諸国には、未だ黒人首脳が誕生する気配すらない。僕の住むここイタリアに至っては、2013年に史上初の黒人閣僚が誕生した際、右翼や排外主義者による同大臣へのあからさまな、しつこい人種差別言動が問題になったような有り様だ。

わが日本はどうか。そこでは残念ながら外見もほとんど違わず文化習慣も近い在日韓国・朝鮮人は言うまでもなく、中国人も差別する。しかも差別がない振りさえする。差別に気づかない者さえ多々いる。今後、世界中から肌の色も風習も何もかも違う移民が大幅に増えた時、いかなる差別社会が生まれるのか、考えただけでもぞっとする。

希望の国アメリカは、人種差別も不平等も格差も依然として多い。それは紛れもない現実だ。だがアメリカは、今この時のアメリカが素晴らしいのではない。米国の開放された良識ある人々が、アメリカはこうでありたいと願い、それに向かって前進しようとする「理想のアメリカ」が素晴らしいのである。そのアメリカで、差別と不寛容と憎悪を煽る手法で選挙戦を進めるトランプ氏が大統領になることなどあり得ない。またあってはならない。

アメリカを筆頭にする西洋民主主義体制とそれを支える自由と寛容と博愛の哲学は、直近の出来事を例に取ればナチスドイツやファシズムを撃滅した強い意志と勇気と良心によって支えられている。それは彼らを遠巻きに眺めてあれこれ吟味をする、例えば日本のそれなどとは実力が違い底力が違い迫力が違う。トランプ氏のような軽佻なポピュリストが、その牙城を突き崩すのは容易なことではないのである。



イスラム教徒への公開状~トランプ氏は皆さんの味方です~



米大統領選に立候補しているお笑い芸人のドナルド・トランプ氏が、イスラム教徒の皆さんの米国入国を禁止するべき、と発言してまた笑いを取ろうとしましたが、突然「いや、もはやこれは笑い話ではない、宗教の自由と寛容と多様性を重んじるアメリカの民主主義に反する」などという批判が噴出して、上を下への騒ぎになっていますね。

メディアがトランプ氏の発言内容を問題視して騒ぐのは重要なことです。なぜなら彼の発言の内容はイスラム教徒を貶めるものですし、偏見や差別や不寛容を奨励しかねない危険思想だからです。アメリカを始めとする世界のメディアは、これまで彼の品性下劣な暴言や罵倒や失言を半ば面白がりながら伝えていました。しかし、今回の発言は「越えてはならない一線を越えた」ものと見なして、一斉に深刻な表情になって氏を批判しています。

メディアの豹変ぶりは見事ですしまた正しい態度だと私は思います。同時多発テロの被害者であるフランスやイギリスのトップも、イスラエルのネタニヤフ首相でさえトランプ氏の発言を糾弾しています。それらにも賛成です。しかし私は、イスラム教徒の皆さんには、決して過剰反応をすることなく、相変わらずのお笑い発言だとみなして泰然としている方がベスト、とアドバイスをしたいと思います。

なぜならトランプ氏の発言は、今述べたように差別や抑圧につながる危険且つ汚れたものであると同時に、やはり馬鹿げたお笑い芸人の「お笑い発言」の域を出ないものだと考えるからです。そんな言葉に過剰に反応するのは、「イスラム国(IS)」の思う壺にはまることです。トランプ氏の発言の深刻な側面は、メディアの批判と管轄にまかせて、当事者のイスラム教徒の皆さんは静観した方が良いと思うのです。

トランプ氏の声高な呆れた主張は、いわゆる「能無しの高吼え」 です。吼える犬がめったに噛みつかないのと同じで、よほどのことがない限り実力行使には至りません。なぜならその実力が無いから。彼はその実力もないのに過激な発言をするから注目されているだけです。もちろんこの先に天地がひっくり返って、彼がアメリカ大統領に選ばれれば話は別ですが。

彼が当選するような事態は天地がひっくり返るほどの事件だと私は思います。もしもそんなことになった場合は、民主主義大国アメリカが崩壊する時ですから、もはや差別も偏見も自由も正義もありません。世界中のわれわれは等しく「イスラム国(IS)」の支配下に入って、恐怖と絶望と暗黒の中で生きる毎日を強いられていることでしょう。

しかしながらトランプ氏の主張に賛同したり影響されたりする愚者は必ずいます。その意味では彼の発言は封じられた方がいい。しかし、言論封殺は民主主義社会では断じて受け入れられません。従って彼は今後も同様の愚劣な発言を続ける可能性があります。その時も皆さんは静観した方がいい。もちろん昨今の皆さんの受難、特に欧米社会において頭をもたげつつあるイスラムフォビア(嫌悪)や、従来から蔓延する偏見や差別に対しては断固として抗議の声を上げ行動するべきです。

だがトランプ発言のような、馬鹿げた、且つ皆さんが黙っていてもメディアが騒いでくれるような事案には口を噤んだ方がいいのです。なぜなら彼の発言は数字で言えば1割の賛同者を呼ぶネガティブな影響があるかもしれませんが、うまくいけば9割の人々に問題や論点を知らしめ反省を促す効果もあります。そうした効果はメディアが騒げば騒ぐ程大きくなり、さらにポジティブに働きます。

もう一つ例を挙げます。「イスラム国(IS)」は中東で殺戮を繰り返すという悪事を働くと同時に、彼らとイスラム教徒が同じものでもあるかのような誤解と錯覚を世界中に与えました。今も与え続けています。しかし、彼らはまた彼らの悪を撒き散らすことで、その悪を生んだ欧米の身勝手な歴史とイスラム教徒やイスラム系移民が置かれた理不尽な立場に世界の人々の目を向けさせる、という極めて有意義な役割も果たしました。トランプ発言にはそれと似た効用もあります。彼の馬鹿げた発言は皆さんの味方でもあるのです。私はイスラム教徒の皆さんと連帯していくことをここで表明すると同時に、ドナルド・トランプさんありがとう、と心の中で言おうとさえ思います。

シリア空爆反対と叫ぶ正論のあやうさ

空爆反対の英国民は対案があるのか

パリ同時多発テロの直後にフランスはシリアの「イスラム国(IS)」への爆撃を強化し、ドイツも空爆には参加しないものの偵察用の戦闘機やフリゲート艦を派遣。また英国はイラクでの空爆をシリアにも拡大して「イスラム国(IS)」を攻撃している。

英国の空爆決定は、作戦に反対する多くの市民の声に抗(あらが)っての苦しい選択だった。批判者の主な論拠は、同国も参加しているイラクでの空爆の成果が上がっていないこと、だった。国論を真っ二つにした議論はシリア空爆開始後もくすぶり続けている。

英国の空気は世界にも伝播していて、いわゆるリベラル派はいうまでもなく、軍事アクションを鼓舞することが多い保守派まで、英国の空爆参加を非難し有志連合の作戦を中止するべきだという論陣を張っている。そうした声に対しては僕は「ならば対案はあるのか?」と問いたい。

対案が「何もするな」であるなら、何をか言わんや、である。それは「イスラム国(IS)」の破壊と残虐を「黙認しろ」と言うに等しい。有志連合の「イ スラム国(IS)」空爆、ひいては掃討作戦に関しては、英国国内に限らず大きな誤解と混乱が世界中にはびこっていると感じる。

アメリカの責任

誤解と混乱とはつまり、「イスラム国(IS)」の今現在の差し迫った危険と、その危険をもたらした欧米の責任を同時に声高に語ることである。この二つが平行して論が進められるために問題の焦点がぼやける。別の言い方をすれば惑乱する。

「イスラム国(IS)」はアメリカと英仏の横暴によって生まれた化け物である。従ってパリ同時多発テロを含む今の世界の混乱の責任は欧米にある。これは疑いようのない事実だ。むろん「イスラム国(IS)」にも責任はある。が、そもそも彼らが生まれなければ、今のテロ戦争は無かった可能性が高い。

それは具体的に言えば米の横暴から起きたイラク戦争と、それを上回る暴虐を発揮しての戦後処理の問題である。ブッシュ(息子)米大統領は、サダム・フセイン指揮下でイラクを支配していたバース党を、戦後に勝手に解体してイラク国家を崩壊させた。

ブッシュ大統領の無知と傲岸によって破壊され尽くされたイラクでは、それまで国家の中枢を担っていたバース党員や周辺の男らが迫害され路頭に迷い、米国ひいては欧米への恨みつらみを募らせて集結した。それが「イスラム国(IS)」の前身だ。

欧米の歴史的横暴

それ以前、第一次世界大戦中には、英国の中東専門家サイクスとフランスの外交官ピコの原案作成による、いわゆるサイクス・ピコ協定の横暴もある。英仏はロシアも巻き込んだその協定を元に、オスマン帝国内で共存していた人々の土地に勝手に国境線を引いて、混乱の元を作った。

やがて欧米は、アラブの土地を取り上げてイスラエルという国まで作った。それは中世から続く欧州によるアラブ世界への横槍の一環に過ぎない。キリスト教を旗印にする欧州は、宗教対立の先鋭化を理由に十字軍を編成してイスラム世界への侵略と抑圧の歴史を編み始め、それは時代と共に止どまるどころか加速して現在に至っている。

欧州は第一次世界大戦以降、中東からの移民を安い労働力として招き入れたが、彼らは差別と偏見の中で苦しい生活を強いられ続け、やがて今の混乱を生むホーム・グロウン(自国民)テロリストらが作り出される事態を招いた。

従ってイスラム過激派のテロを無くすためには、「イスラム国(IS)」を始めとする過激派組織を爆撃するよりも、先ず欧米が過去を反省し中東移民への偏見や差別を無くして、真の寛容と多様性を認める平等な社会を作り上げることが先決である。

欧米の暴虐と「イスラム国(IS)」のそれは切り離せ

前述の考え方の延長で、今「イスラム国(IS)」を叩くのは、欧米が再び過去の横暴を繰り返すことでしかなく、それはアラブの人々の更なる反感を招いて、結局新たな「イスラム国(IS)」やテロリストを生み出すことにしかならない、という議論が多くなされている。それは正論だ。

だが正論は常に時代に合致した正しい行動を呼ぶ訳ではない。シリア空爆に反論を唱える人々は、「イスラム国(IS)」が生まれた歴史的背景と、それを攻撃することから生まれる新たなテロの蓋然性のみを強調して、「今この時の脅威」である過激派組織をどうするのかという議論を避けて通っている。

そこでは欧米への糾弾や批判のみが一人歩きをして、「イスラム国(IS)」への空爆は何が何でも悪であり、不正義だという声ばかりが大きくなっている。それは間違っている。欧米が過去に犯し今も犯している罪と「イスラム国(IS)」の現行犯罪とは切り離して論じられるべきである。

繰り返しになるが、反空爆論や欧米の責任論はそのほとんどが正しい主張である。また「イスラム国(IS)」掃討作戦が新たなテロを生む可能性も否定できな い。いや否定できないどころか必ず別の「イスラム国(IS)」がそこから生まれる。テロは根絶できてもテロの思想は駆逐できないからだ。従ってただ「イスラム国(IS)」を殲滅するだけではなく、過去の過ちを繰り返さないための知恵が求められているのは言うまでもない。

「イスラム国(IS)」は肥大した癌

差し迫った脅威「イスラム国(IS)」はいわば肥大した癌である。癌は早急に削除されるべきである。それが「イスラム国(IS)」を殲滅する、ということ だ。ところがそのことで新たな癌が生まれる、だから行動を起こすなというのは、肥大した癌を放置したまま発癌物質が何だったかを調べたり過去に遡って生活 習慣を正す努力をしたリするに等しい。そんなことを続けていれば、解決策が見つかるはるか以前に患者は死亡してしまうだろう。

現在の「イスラム国(IS)」と世界の関係はそれと同じことだ。なにはともあれ今は癌を根治することが肝心である。欧米中心の有志連合は、「イスラム国 (IS)」を地上から消し去った後、イスラム教徒と中東地域を蹂躙した過去を反省すると同時に、テロの温床となる移民への間違った政策を是正し今度こそ寛 容と多様性が息づく真の平等社会を構築するために動き出さなければならない。

最後に付け加えておきたい。悪魔も顔負けの「イスラム国(IS)」は、イスラム教徒のために一つだけ良い仕事をした。それは欧米と世界の目を、欧米が犯し た過去の大罪に向けさせ、さらに欧州社会におけるイスラム系移民の置かれた理不尽な状況を、欧米各国民自身を含む世界の人々に知らしめたことだ。

暴力と残虐の限りを尽くしている彼らの行為は賞賛されるべきではないし正当化されるべきでもない。しかし、彼らは結果としてイスラム教徒やイスラム系移民 に資する仕事をしたことは否定できない。彼らのおかげで欧米をはじめとするグローバル世界は、今後はもはやイスラムの問題を無視して進むわけにはいかなくなった。

また欧米社会は、かつて英国がやったような三枚舌外交の手口で問題を誤魔化すこともできない。世界はその欺瞞を知った。もう後戻りはできないのである。それは言葉を替えれば、世界がテロの温床を一掃する方向に向かって進む可能性が出てきたことを意味する。「イスラム国(IS)」は再びその部分だけに限って言えば、 良い仕事をした。もうそろそろ消えてもらってもいいのである。

ミラノ・スカラ座、テロへの厳戒態勢の中で初日開演

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スカラ座のシーズン初日の出し物を伝える折込紙

今日12月7日、ミラノ・スカラ座の2015年~16年のシーズン初日が幕を開ける。12月7日初日がスカラ座の例年のならわしである。出し物は「ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)」 。それは欧州13カ国に同時生中継され、日本にも時間差中継される。

今年のオープニングは異常な厳戒態勢の中で準備が進められ、午後6時に開場する。厳戒態勢が取られているのはパリ同時多発テロが関係しているのは言うまでもない。

イタリアは2001年の米国同時多発テロ以降、イスラム過激派の脅迫を受け続けている。彼らが目の敵にするキリスト教最大派のカトリックの総本 山・バチカンを擁すると同時に、重要な文化遺産を多く有するこの国は、宗教のみならず欧州文明も破壊したい、と渇望するテロ組織の格好の標的になって いる。

そんな中、パリ同時多発テロから5日後の先月18日、米FBIがローマのサンピエトロ広場、ミラノのドゥオモと共にスカラ座が「イスラム国(IS)」の襲撃目標になっている可能性が高い、とイタリア政府に警告した。イタリアの緊張は近年にないほど一気に高まった。

スカラ座周辺を含むミラノの要点で交通規制が行われ、警察と軍警察の特別機動隊がひそかに展開されると同時に、スカラ座広場に面する全てのビルに一般人の目に入らない形で狙撃兵が編成、配置された。またスカラ座の入り口にはメタル探知機も設置される。

スカラ座前の軍警察パトカー1000ピクセル
スカラ座前の軍警察パトカーを強調するイタリア紙

ミラノのジュリアーノ・ピサピア市長は物々しい警備について「テロへの懸念がない、といえば私は無責任のそしり を免れないだろう。それはある。しかし、テロ対策は万全だ。考えられるあらゆる防御策が取られた。7日夜はすばらしい初日が幕を開けることになる」と表明した。初日にはミラノ市長はもちろん、レンツィ首相とマタレッラ大統領の出席も予定されている。

2011年12月7日、いつものスカラ座のシーズン初日、当時のマリオ・モンティ首相は夫人と共にスカラ座に足を運んだ。財政危機の大不況の中、スカラ座での観劇は不謹慎だと主張する多くの批判者の声にひるむことなく、オペラの初日を楽しんだのである。当時のナポリターノ大統領も同席した。

苦境にあるからこそ敢えて明るく振舞う、というのは重要なことだ。苦しいときに苦しい顔をするのは誰でもできる。社会に恐怖を植えつけるという「イスラム国の(IS)」の狙いを蹴散らす意味で も、また国民に勇気や安心をもたらす意味でも、要人が大きなイベントに参加するのは大切だ。その観点からレンツィ首相もマタレッラ大統領も、前任者のモン ティ首相とナポリターノ大統領コンビを見習うべきだ、と僕は思う。

締りがないようにも見えるイタリアの警備体制は、長丁場を無事に乗り切ってつい先日閉幕したミラノ万博において、高い能力を有すると十全に証明された。スカラ座初日の警備にはおそらく遺漏はないだろう。大切なことはその後も長く続く同劇場のシーズンの全てにおいて、警備が高い緊張感とともに継続されることである。万博での半年間のように。

空爆でも陸戦でも全面戦争でもテロは死なない


英軍空爆は無いより増し

2015年12月2日、 英下院は過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆をシリア国内にも拡大することを承認した。これを受けて、キプロスのアクロティリ英空軍基地から4機の戦闘機が飛び立ち、ISが支配するシリア東部の油田を攻撃した。

米英仏ひいては欧米全体とロシアが協調して「イスラム国」(IS)を攻撃できるのか、あるいはロシア軍機撃墜を巡ってロシアとトルコが対立する事態が影響して足並みが乱れるのか、などの懸念はあるものの、パリ同時多発テロ後の世界の大半は英国の空爆参加によって「イスラム国」(IS)の殲滅に向けて合意に達した、と言っても過言ではないだろう。

作戦は中途半端であってはならない

空爆でも陸戦でもテロは死なない。つまりテロの思想は消えない。それでも、いやだからこそ「イスラム国」(IS)は徹底的に破壊されるべきである。なぜなら「イスラム国」(IS)殲滅後も消えることのないテロの思想は、結局近代社会には受け入れられないものである、と人々に明確にメッセージを送ることが、テロ思想の漸減に資するからだ。完全消滅が難しいならせめてそれを削減しようと努力するのが理であり叡智だ。

有志連合は、一度始めた「イスラム国」(IS)掃討作戦を完結させるべきである。なぜなら彼らテロリストは寛容の精神や民主主義という近代文明の重大な要素を敵視しあざ笑いこれを破壊しようと目論んでいるからだ。有志連合が結束して「イスラム国」(IS)に挑めば、悪魔のような過激派組織は早晩この世から消滅するだろう。

暴力の暴走を止める仕組みを守る

人類の進歩は暴力の管理統制によって完成しつつある。言葉を替えれば人類は、現在考えられる限り最善の「暴力の暴走」を回避する手段として暴力を監視統制する形を考え出した。それは万人の万人による闘争、いわゆる自然状態における問題解決手段としての暴力の野放し状態から、国家が暴力を独占して社会集団や個人間の対立を暴力(国家権力)によって裁定する仕組みへ移行することだった。

それは王やその周辺の貴族集団や宗教権威による暴力の独占に始まり、官僚組織が権力を執行実践する仕組みである。やがてその仕組みは革命によって人民の手に渡り、現在は不完全ながら、国家権力の源泉である暴力を民主主義によって管理行使して主権者である国民の人権を守る、という形に曲がりなりにも到達した。

言うまでも無くそこに至るまでには、革命や戦争や革命によって生まれた共産主義の激しい暴力など、血塗られた苦しい歴史がある。繰り返すがその仕組みは決して完全ではない。チャーチルが指摘したように人類はまだ民主主義に勝る政治体制を獲得していないのだ。民主主義はベストではない。ベターなだけだ。

しかし、ベストが存在しない限り、ベターがベストである。「イスラム国」(IS)はそうした人類が長い時間と犠牲をかけてたどり着いたベストの仕組みに真っ向から挑みこれを破壊しようとしている、だから彼らは殲滅されるべきなのである。

テロリスト殲滅には地上戦が必須

彼らを殲滅するのは空爆ではまったく足りない。足りないどころか、空爆は、標的確認あるいは探索のためのIT技術などが飛躍的に進歩したとはいうものの、明確な証拠がないまま無闇に爆撃をし銃弾を撃ち込む側面がある。そうした方法は無辜な民間人や非戦闘員を殺害する可能性が高いのみならず、敵標的を確実に排除することもできない。

空爆は自陣の損失を恐れる消極的な戦闘だから敵を殲滅することはできない、というのは広く知られた事実だ。イラクやシリアにおける有志連合の空爆もその例にもれない。従って「イスラム国」(IS)を地上から消し去る意志が有志連合に本当にあるなら、自らも傷つくことを承知で地上戦に持ち込むべきである。空爆は打ち上げ花火だ。見た目は華々しく派手だが、花火は爆弾ではない。

「イスラム国」(IS)殲滅戦は理想的には中東各国、もっと正確に言えば全てのイスラム国家が結束して当たる方が良い。イスラム世界が協同一致して過激派組織ISを撃滅するならば、それはいわば身内のならず者を一族がこぞって排除するということと同じだから、後味の悪さが少ない可能性が高い。

その場合は欧米中心の有志連合は、彼らの要請に従って援助したりアドバイスをしたりする役割に徹することができる。そうすれば特に英仏の横暴によって辛酸をなめてきたアラブ世界が、同じ負の歴史の二の舞を演じることがなくなり、従って将来に禍根を残す可能性も少なくなる、と考える。

欧米の力はベストではないがベター

だが、現実はどうか。アラブ各国は分裂いがみ合いを続けていて、結束してIS殲滅への行動を起こすなど夢物語だ。したがって今は欧米有志連合が連帯して世界の脅威である「イスラム国」(IS)を排除する形が現実的だ。有志連合のアクションに異を唱える人々は、何も行動を起こさずに「イスラム国」(IS)が無垢な民衆を殺害し、民主主義という「今現在の」世界体制の中では最良の仕組みを破壊するに任せるべきかどうか、を考えるべきである。

空爆によって欧州への難民が増える、と主張する人々もいる。果たしてそうだろうか。「イスラム国」(IS)が彼らの思いのままにシリアで、イラクで、そして中東全体で横暴を繰り返すことが、より多くの難民を作り出す結果にはならないのだろうか。いずれにしても「イスラム国」(IS)は難民を作り出しても彼らを救済しないが、欧米はこれまた不完全な形ではあるものの、難民を受け入れようと心を砕いている。批判者はこの事実も考慮して発言しているのだろうか。

そうは言うものの、「イスラム国」(IS)を破壊することではテロの思想は決してなくならない。有志連合は寛容の精神を否定する「イスラム国」(IS)を殲滅する「不寛容」の精神によって、新たなテロの温床を作り出すという矛盾を犯す可能性がある。テロリストを破壊する行為はISを地上から抹殺するのみで、テロやテロの思想を一掃することはできない。むしろそれはさらなる憎しみを呼んで新たなテロの温床になりかねない。

「イスラム国」(IS)殲滅は次のテロとの戦いの始まり

なぜなら「イスラム国」(IS)の戦士らにも家族があり共鳴者や賛同者がいる。残された彼らは憎しみを抱え込んでそれが新たな「イスラム国」(IS)を生みテロを誘発する。従って有志連合とそれに賛同する人々は、「イスラム国」(IS)破壊後に残される家族とシンパの憎しみと怒りと悲しみを真っ向から受け入れ、これを癒し救う道筋を真剣に考えるべきである。

その行為も残された者たちの憎しみを癒すには十分ではない可能性がある。だがそこで諦めてはならない。残念ながら組織を破壊することによってのみ進展が図られるのが「イスラム国」(IS)の問題だ。世界は恐れることなくテロリストを殲滅し、それによって世界の叡智を守り、残されたテロリストの家族たちを守る手だてを真剣に考えるべきである。

憎しみには憎しみを、という復讐の連鎖を断ち切って「ひたすら赦せ」と説いたのはイエス・キリストである。そして「イスラム国」(IS)を殲滅しても生き延びるテロの思想を真に根絶できるのは実は、キリストが唱道したその絶対の「赦し」だけである。 空爆も陸戦も全面戦争も決してテロの思想を根絶することはできない。だが今日現在の人類は、「イスラム国」(IS)の差し迫った脅威を排除するのに「絶対の赦し」を行使するほどの知恵を持たない。いや、知恵はきっとあるのだ。人類はそれを実現する方策をまだ知らない。従って今できる最善の方法で事態に対するべきだ。


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