【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

想い雨



待ちに待った雨が降った。この直前の記事「ブログ日和」を書いてすぐに。


北イタリアのみ。


南の方はまだ乾いた日々が続きそうだ。でも、雨雲もそのうちに南下するだろう。


季節の変わり目なのに、雷鳴を伴わない静かな降雨である。つまり、テンポラーレ(豆台風)ではない普通の雨。


長い間雨が降らなかったから、今度は逆に多過ぎるほどの雨が降り続ける、とまるで見てきたように確信をこめて話す人々が結構いる。

誰もが異常気象に慣れてきたのだ。


異常気象が続けばそれが常態になる。気温が上昇傾向にあるのはどうやら間違いないらしいから、もう既に異常は「普通」になっているのかもしれない。


そうなったらそれで、人も自然も世界も、しぶとく順応して行くのだろう。ある程度の犠牲や、混乱や、痛みを克服しながら。


歴史はいつもそうやって作られてきた。


人も自然も世界も、しぶとい。


幸いなことに・・


今ガルダ湖畔にいる。大湖の水嵩はかなり低い。灌漑用に抜き取られたのだ。例年のことだが、今夏は特に多くの水が灌漑に使われた。


今回の雨量程度では大湖の渇きは癒されない。水位が戻るのは、アルプスの雪解け水が流れ込む来年の春だろう。


冬、雪が十分に降れば・・ 異常気象でなければ・・


明日はスピエド・パーティの日。雨が降り続けなければいいが。と自分の都合に合わせて考え、祈る。


昨日まで、そして夏の間中、あれほど雨を待ち続けていたくせに。


人間はほんとに自己チューで、しぶとい・・




ブログ日和



ブログを書く良さの一つは、それぞれの記事が、カレンダーのような役割も果たしてくれることである。


必ず日付がついて回るから、文字通り暦にもなるばかりではなく、その記事を書いたころの自分の気分や暮らしぶりや出来事なども連想される。まるで流行(はや)り歌みたい。


ほら、昔流行った歌を久し振りに聞くと、当時の思い出が走馬灯のようによみがえるじゃないですか。あれと同じ。


日記というものをほとんど書いたことがない僕にとっては、ブログが担(にな)ってくれるカレンダーの役割がとても新鮮である。役にも立つ。


たとえばここ最近は、自分のブログを読み返して、去年の夏の天候を確認しては感慨にふけることが多い。


去年は10月まで暑かったりした。が、雨は適当に降った。今年は8月終わりの今現在、イタリアは旱魃の危機にある。


イタリアの大半の地域では雨が降らない。


もう三ヶ月も。


大地が乾ききって農作物にかなりの被害が出ている。


昨日、田舎道を車で走っていると、立ち枯れているトウモロコシ畑がそこかしこに見えた。結構ショッキングな光景だった。


誰もが雨を待っている。


僕は荒々しくて爽快なテンポラーレ(豆台風)を待っている。


実は、ここ2、3週間、雨をもたらすテンポラーレの予報が何度も出た。ところがそれはまったくやって来ない。


いや、予報通りに雲が湧き、風が吹いて、ほんの申し訳程度の雨のしずくが落ちたりもする。でも、本物の雨は訪れない。


今日も雲が湧き、雨、もしくは豆台風・テンポラーレへの期待が高まった。でも、また肩透かしに終わった。


あさって土曜日、友人たちを招いてスピエド会を開く。スピエドは北イタリア独特のジビエ料理。元々は狩猟の獲物の肉を串焼きにした。


今は豚肉、スペアリブ、鶏肉、野鳥、ジャガイモなどを基本に串にして5、6時間かけてじっくりと 炙り焼く。


スピエド食事会の土曜日は晴れてほしい。予報も晴れ。

 

でもそれは、今日(木曜日)、昨日、さらに週初の日々に雨が降って、その後は晴れる、という予測、セオリーからの予報のようだった。


今のところ、予報は当たっていないようだ。そうすると、土曜日が大雨の日・・という最悪のシナリオも考えられる。


そうなるとちょっとつらいが、でも、正直それもまた面白い・・


ような・・・


 

アスマ・アサド、シリア大統領夫人への公開状



かわいそうなアスマ・・

シリア危機が勃発して以来、僕はあなたに関するニュースを目にする度に、強い憐れみの念が湧くのを禁じ得ません。骨の髄までアジア人女性であるあなたに、同じアジア人として深く同情してしまうのです。あなたはシリア移民の子としてロンドンで生まれ、そこで育ち、民主主義大国の教育を一貫して受けています。出生地優先の理念から自動的にイギリス国籍を獲得し、同時にシリア人である両親の国籍も受け継ぎました。でも人々はあなたを「シリア国籍も有するイギリス人」だと考えました。「イギリス国籍も持つシリア人」とは誰も考えなかったのです。だってあなたはロンドンで生まれ、育ち、英語を母国語としてずっと生きていたのですから。

 

あなたは欧米のメディアから「中東のダイアナ妃」という美しい呼び名さえ与えられていたことがあります。人権意識の乏しいシリア国内で、女性の地位向上に向けて働く一方、貧しい子供たちを救うために精力的に慈善事業に関わっているという「噂」が、生前多くの慈善行為を行って世界を感動させた、あのダイアナ妃に似ているという軽率な命名でした。あなたは断じてダイアナ妃などではない。エイズに掛かったアフリカの幼な子を抱きかかえて苦悩する姿が、若い慈母のほとばしる真実を表して感動的だったダイアナ妃とは似ても似つかない。ダイアナ妃の行為にはあふれ出るまごころだけがもたらす美と高潔があった。あなたの行為には、見られることを意識して振舞うパフォーマンスと計算の臭いが漂っている。それはパレスチナの子供たちを憂慮する振りで、イスラエルを口汚くののしっているだけの陳腐な政治ショーに満ちたTVインタビューや、貧しい子供たちを抱擁し慈しんでいる「らしい」多くの写真や、夫と共に外国首脳や元首に相対する聡明そうな写真などなど、全てに共通する特徴です。

あなたはロンドン大学を卒業後にJPモルガンに勤務したこともあるモダンなキャリアウーマンという一面も持つ。従って自己演出をうまく行って、公共イメージを高めることの重要性も恐らく知っているのでしょう。あなたはファッションのセンスも群を抜いて優れています。体形も三人の子供を生んだとは思えない理想的な姿に見えます。フォトジェニックな美貌とセンスの良いファッションは、世界中の女性たちの羨望を呼び起こすほどです。あなたはきっとパブリシティのプロを雇って、一挙手一投足を制御管理し、最高のパフォーマンス効果とイメージの向上に躍起になっているに違いない。そうとしか考えられない「わざとらしさ」が、あなたのやることなすことの全てにはにじみ出ています。

あなたが最後にパフォーマンスをしたのは6月の末です。ジーンズにTシャツ、しかも裸足というラフな格好でバドミントンをしていましたね。普段のエレガントなファッションをかなぐり捨てて遊ぶ姿は、ほとんど女学生かと見えるほどに若々しく健康的で生気に満ちていました。どこから見ても市街戦の恐怖に苛まれている国の、当事者中の当事者である大統領の妻とはとても思えない。それもその筈です。Tシャツにはアラビア語で大きく「私の国シリアは情け深いやさしい国」と書かれていました。それは世界に向けてのプロパガンダ写真だったのです。だからあなたは思い切り明るく楽しげに振舞ったのですね。なかなかの役者ですが、この期に及んで見え透いた喧伝文句をTシャツにプリントする感覚は、遅れたお国のおバカさん、としか僕には見えませんでした。おどろくほどに愚劣で幼い、世界との感覚の齟齬が露呈したパフォーマンスでした。きっとあなたも、あなたのスタッフや優秀なアドバイザーたちも、追い詰められてまともな思考ができなくなっているのでないか、と僕は推測しています。

あなたはそのあとに起きた7月のダマスカス中心部での閣僚爆死事件以来、公に姿を現していませんが、今のところ国外に逃亡した様子もないようです。昨年民衆に殺害されたリビアのカダフィ大佐は、妻と娘を含む家族たちを政権が崩壊する前に国外に逃亡させましたが、あなたの夫はあなたとまだ幼い3人の息子たちを安全な場所に避難させるつもりはないのでしょうか。なにしろ民衆を虫けらのように虐殺しながら、卑怯千万にも自分の身や家族は最後までかばい、守ろうとしたり、安全な場所に避難させたりするのが、独裁者の十八番ですから。

あなたが生まれ育ったロンドンは世界でもっとも国際的な街、グローバル化の進んだ開明的な都会です。たとえば同じ国際都市でもニューヨークの場合は白人と黒人がせめぎあう街と言うことができます。世界中からあらゆる人種の人々が流れ込み住み着いてはいるものの、そこでの主役はあくまでも白人と黒人なのです。少なくとも圧倒的に彼らの存在感が大きい。ロンドンは違います。そこはニューヨーク同様に西洋の都会でありながら、住まう人々の肌の色は白も黒も黄色も褐色も緑も青も、なにもかもが一緒くたになっています。白人と黒人ばかりではなく、インド・パキスタン系、中近東・アラブ系、中国・日本・韓国などの東洋系、南米インディオ系などなど、世界中の人種が坩堝(るつぼ)になり入り乱れて主役を演じているのがロンドンです。

人種混合に寛容なロンドンはまた、世界でもっとも女性解放の進んだ都会でもあります。非欧米世界からロンドンにやって来た多くの者は、そこで生まれて初めて女性の人権と解放についても真剣に考えさせられることになります。女性は我われ男性と同等の権利と能力を持つ相棒であり、かけがえのないオルター・エゴです。それは男女が同じ存在という意味ではなく、「男女は違うものであり且つ違いは優劣ではない」という基本精神に基づく、真の意味での男女同権論のことです。女性差別を無くさない限り真の民主主義はあり得ず、人間性の解放もない。世界の文化・文明国のランクは、女性差別の重さと反比例する。従って女性差別の撤廃に向かって積極的に歩む欧米の国々が、上位にランクインするのは論を待たないところです。

あなたは、イスラム教徒であるシリア人を両親に持つ女性です。従ってあなたの家の中にはきっと男性上位の戒律、掟、道徳が満ち満ちていて、あなたはそれにまみれて育ったものと思います。しかしロンドンのあなたの自宅を一歩出れば、アメリカなどと並んで女性解放の大きく進んだ国の、風通しの良い進歩的な社会が広がっていた。聡明なあなたは、きっといち早く自分の家族のあり方について、男尊女卑の理不尽について気づいたのではないでしょうか。ロンドンで最高学府まで学び、JPモルガンという世界屈指の投資銀行で働いたこともあるあなたはまた、堂々たるフェミニストでもあったでしょう。あなたがフェミニストになるのは、サナギが蝶になるように全く自然で確実な道のりだったように僕には感じられます。

事実あなたは、シリアの独裁者一族の中では、もっとも開明的な男だった眼科医のバシャール・アサドと出会い、結婚します。結婚後はヒジャブなどのアラブ女性の服装は一切身にまとわず、欧米の首脳夫人と一寸も違わない物腰で、大統領となった夫のバシャール・アサドと共に外国訪問などをこなし、世界各国の首脳はもちろんあなたの母国でもあるイギリスのエリザベス女王にさえ謁見しています。あなたは欧米の国々のファーストレディとそっくり同じでした。そればかりではなく、シリア国内の貧しい人々、特に子供たちに心をよせる、慈悲深い女性「中東のダイアナ妃」という称号さえ得たのでした。

ところがあなたは、シリア危機勃発後は自国民を弾圧する夫を尻目に沈黙を続け、それを不審に思う欧米のメディアの間では「あなたはきっと夫のアサドに脅迫されて沈黙を強いられている」とか「監禁されている」とか、果ては「子供を人質にされて身動きができずにいる」などという噂が飛び交いました。欧米のメディアにとっては、進歩的な「イギリス人女性」であるあなたが、バシャール・アサドという野蛮な独裁者の凶行を黙って見ている筈がない、すぐに立ち上がって夫を諭すか反旗を翻すにちがいない、と誰もが思い込んだのです。シリアの国内外の反政府勢力が、アスマ・アサドは自国民を弾圧・虐殺する夫と行動を共にしている魔女だ、といくら喧伝しても信じませんでした。あなたはそれほど欧米のメディアと人々に信用されていました。ほとんど何の根拠もなく。あるいは作られた虚像によって。

あなたは女性差別と闘う知的な女性でもなければ、慈愛深いファーストレディでもない。「中東のダイアナ妃」などという呼称に至っては噴飯ものの恥ずかしいレッテルです。あなたは、伝統という仮面を被った因習に縛られ、精神の強い閉塞と硬直に苛まれている一人の哀れなアジアの女性です。あなたが独裁者の夫に意見を言えないのは、あなたが精神的に自立していない、幼い、暗愚な女性だからです。あなたは多分夫のアサド大統領を深く愛しているのでしょう。夫の愛に包まれ守られて、揺りかごの中の赤ん坊のように夫に頼りきり寄りかかり、夫がこの世の全てとばかりに妄信して、精神的にほとんど夫の影のような存在であり続けているのではないですか?

もし僕の主張が間違っているなら、今からでも決して遅くありません。立ち上がってあなたの女性としての尊厳と、あなたの3人の息子の母としての強さと、あなたの愛する夫への真実を見せてください。夫のアサド大統領に「もう私たちの同胞を殺すのはたくさん!もうやめて!」と叫んでください。そうやってアジアの偉大な女性に生まれ変わってください。

 

イタリアがマジで燃えている



2012年8月23日(木)午前2時。

 

暑さで目が覚めた。

 

書斎兼仕事場に行き、窓外に置いてある温度計を見た。

 

なんと28℃。

 

熱帯夜。

 

イタリアに住み始めて初の体験。

 

いや、実際には過去にもあったのかも知れないが、僕はまったく覚えていない。朝、というか夜中の2時に、暑くて目が覚めた、なんていう記憶がないのだ。

 

腹からおどろいた。


自宅は古い貴族館である。分厚い石壁や柱に支えられた家の幾つかの部屋は、真夏でもひんやりするほど涼しい。

寝室はそんな部屋の一つ。昨夜(今朝は)その部屋で暑さを感じて目が覚めたのだ。

書斎兼仕事場は建物の西側に位置する。そこは西日ががんがん当たって夏は最も暑くなる。仕事にならないのでかなり前にクーラーを取り付けた。広い家の中で唯一冷房のある場所。

家の大半は真夏でも冷房はいらない。

いや、

いらなかった。

最近は日中そこかしこの部屋で暑く感じる。本当に気候は変わったようだ。

書斎兼仕事場でクーラーを除湿に設定して、そのままベッドに横たわった。そこには簡易ベッドを置いて疲れたら横たわれるようにしてある。

横になるとすぐに窓外で白光が走った。稲光。

起きて見ると、遠いアルプスの山並みの上にテンポラーレ(豆台風)が吹き荒れている様子。

立て続けに稲光が走り雷鳴もとどろく。

どちらも遠い。でも風が起こってあたりもひんやりしだした。

温度計を見ると28℃あった気温がひと息に20℃まで下がっている。僕はこういう激しい天気の変化が大好きだ。

眠気が吹き飛んでしまった。窓際に寄って遠くのテンポラーレを見つめた。

あたりにまた風が起こり、さーっという雨の音が続いた。暗い中に目をこらしてみる。

雨は見えない。

さらに目をこらしていると、見えてきた。

ような気がした。でも実際は見えない。しかし雨は確かに降っている。かすかに。

除湿が効いてきて部屋がひんやりする。

毛布を足に掛けて横になって雨の音にじっと耳を傾けた。

雨は降っている。かすかな音だが確かに降っている。どしゃ降りになってほしい、と胸中で願ううちに眠りに落ちた。

目覚めて采園に行ってみると、土は乾いている。わずかな雨量では乾ききった土は湿り気さえ帯びない。

降った先から乾いて行ったのだ。そこでも今のイタリアの空気の乾燥が分かる。

采園の野菜たちは喘いでいる。

人間も。

イタリアは本当に燃えている・・

尖閣で吠えずに世界に向けて静かに叫ぶべき



尖閣問題がついにイタリアのメディアにも「上陸」しました。イタリア随一の新聞コリエーレ・デッラ・セーラが「車両、店に放火―中国人の日本への怒りが爆発」という見出しと共に、中国の反日デモの様子を写真付きで大きく取り上げてしまったのです。他の媒体も追随しました。

 

僕は欧米のメディアとアルジャジーラなどを参照しつつ、日本のテレビ、新聞、ネット情報なども詳しく見ています。原発、エネルギー、いじめ、慰安婦、領土問題などなど、今一番ホットな話題も逐一追いかけているのは言うまでもありません。そして、それらの問題には多くの論者の皆さんが意見を開陳しているので、外国にいる自分は三面記事風の話題も含めて、あえて違うテーマの記事を書こうとそこかしこで心がけています。が、尖閣問題に関しては黙っていられなくなりました。

 

今回のトピックスに対しましても既に多くの論者の皆さんが優れた記事を書かれています。それらに目を通してもう余すことなく論点は出尽くした、自分が出る幕はないと考えていたところに、こちらのメディアへの飛び火があり黙っていられなくなったのです。尖閣問題では冷静に行動しろ、と主張する論者の皆さんに100%賛同しながら、自分なりの考えも少し付け加えて述べてみたいと思います。

 

香港の活動家の動きに対抗する形で日本の地方議員の皆さんが尖閣に上陸したのは、気持ちは大いに理解できるものの、やはり軽率だったのではないでしょうか。彼らはそうすることで中国の反日デモを呼び世界中のメディアの関心も呼びこんでしまった。影響力の強い欧米主要国のメディアは言うまでもなく、先進国の中では比較的マイナーな国ここイタリアのマスコミが、中国の反日デモの様子を大きく紹介したことでもそれは分かります。つまり彼らは行動を起すことで尖閣には領土問題が存在する、と世界に喧伝してしまったのです。中国に対しては、わが国の怒りを知らしめることになって、あるいは良しとする面があるのかも知れません。しかし、現実問題として暴力で解決できる案件ではないのは明らかですから、やはり話し合いで解決して行く道を探らなくてはならない。

 

こういうことを言うとすぐに弱腰、売国奴、事なかれ主義、などと勇ましい言葉でののしる人々がいますが、いい加減に時代錯誤な軍事優先思考はやめてもらいたいものです。日本人であるなら誰でも尖閣の中国に怒り、竹島の韓国に苛立ち、北方領土のロシアに腹を立てない訳がありません。愛国者とは何事につけ武力行使を口に出して騒ぐ皆さんのことではない。そういうやり方では国の行く末を誤ると考える僕のような人間も愛国者です。僕は平和、平和と叫んでいれば自然に平和が訪れると考える者でもなければ、軍隊を否定することでたちまち戦争が無くなり安寧がやってくると考える者でもない。究極の理想は核廃絶、非武装だとは信じているものの、人類がそこに至る道は長く、或いは永遠にやって来ないかも知れない、とさえ考える者です。そこに至るまでには軍備も止むを得ない。必要悪だと考える。ただし抑止力として。

 

くやしくても、武力行使はまずできないのですから、三つの事案に対しても経済制裁や外交圧力などに始まる強硬策を模索し実施しながら、飽くまでも対話で臨むしかないでしょう。中国や韓国やロシアといった国々にはまともな対話など通用しない。それらは一党独裁や腐敗や汚職に満ち満ちた人権抑圧国家であり、日本とは国のレベルが違うのだから対話など無理だ、という意見もネットなどでは良く散見します。特に最近の3国(北朝鮮を含めれば4国)の動静を見ていると、そうした意見に頷きたくなることも多々あります。

 

しかし、だからと言って、わが国は彼らへの対話や呼びかけを怠るべきではない。それどころか、冷静に秩序立てて「しつこく」彼らに話しかけるべきです。彼らが分からなくてもいいのです。彼らが理不尽でも野蛮でも構いません。とにかく対話を持ちかける、つまり日本の言い分を彼らに伝え続けるのです。なぜなら、そうした行動は彼ら以外の国際社会が見ています。言い変えれば日本は、国際社会が見やすい形で「戦略的に」彼らと対話を続けるべきです。それだけではありません。

 

彼らと会話を続け、或いは執拗に対話を呼びかけながら、彼ら以外の世界に向けてさらに会話をする、つまり情報を発信し続けるのです。実はこれが日本の主な目的にならなくてはなりません。彼らと対話を続けることは目的の2番目です。世界を味方につけることが第1のそして最大の目的。ではどうやって国際世論に訴えて行くのか。僕なりの考えを述べます。

 

先ず当たり前に世界中の、特に欧米と近隣のアジア諸国の媒体に「資金をふんだんに使って」日本の主張を訴え続けます。いわば国家によるロビー活動です。日本はこれまでそういう伝統的で在り来たりの手段さえ余り取ってきていません。コミュニケーション能力が欠落しているのです。ただこの点に関してはわが国の政治家や官僚やわれわれ国民自身を責めても仕方がありません。日本人は長い間「黙っていてもお互いに分かりあえる」という、思い込み、信条、メンタリティーのもとに生き、子供を教育し、国が動いて来ました。そして世界を相手にしない限り、その生き方は何の問題もなく十分に通用しました。

ところが日本が徐々にグローバル社会に組み込まれて行く過程でもわれわれはそうやって生き続け、やがて第二次世界大戦という破局を招き、その後もコミュニケーション能力の不足によって再び、いや再三再四、繰り返し国の行く末を誤ろうとしています。国と国民にコミュニケーション能力が不足しているのは、それを獲得するための教育がなされてこなかったからです。「日本人なら黙っていてもお互いに分かりあえる」という精神と態度で、世界に相対しても全く分ってもらえません。われわれは、おそらく多くの日本人にとって一番苦手な、一番辛い、「対話能力」を懸命に学び身につけていかなくてはなりません。

 

それと同時に、今ここでこうして利用しているようなインターネット・SNSを徹底的に活用することです。インターネットの特徴を生かしてあらゆる方法で掲示板やブログを立ち上げます。そこに日本の主張を書き込み、人々の参加を呼びかけて議論を誘導します。加えてツイッターやfacebookをとことん利用して世界中に語りかけるのです。日本国内だけに目が行っている人々には、或いはピンとこないことかもしれませんが、特にfacebookは有効です。実に簡単に世界とつながることができるのですから。ジャスミン革命を覚えていますか。?そしてそれに続くアラブの春を見ていますか?そこで威力を発揮し、今も強い影響力を持ち続けているのがFacebookです。同じように領土問題でもfacebookを利して世界中に働きかけるのです。

 

私事ですが、国内だけを相手にしている皆さんに一例を紹介します。僕はほんの数週間前にfacebookに登録しました。動機は世界中に散らばっているロンドンでの学生時代の「かつての」友人達と連絡を取りたい、というものでした。すると、イタリア人の友人2人から早速友達申請があり、それらにOKを出したところ、イタリア内外で爆発的に知り合いの輪が広がっています。いえ、正確に言うと僕はほとんど友達探しや承認などをしていない(facebookを利用していない)ので、知り合いの輪(友達確認)は実際には広がっていません。が、その気になれば一気にネットワークが広がることがはっきりと分かっています。

 

そうしたソーシャルネットワーク活動を個人がばらばらにやるのではなく、言語やネットの専門家を多く集めて「国家プロジェクト」として構築して、世界に向けて本気で情報を発信し、日本の立場と日本の真実をきちんと主張し対話を続ける、というのが僕の考えです。

 

最後に再び私事で恐縮ですが、とても重要なことを言わせていただきます。僕は故国日本の次にはヨーロッパが好きで、さらにアメリカも好きな人間で、そうした国々に住んだり勉強をしたり、もちろん仕事もたくさんやって来ました。好きな国々ですのでいつも楽しく過ごしてきたのですが一つだけとても辛いものがあります。それが社交です。

 

社交とは何か。それは「おしゃべり」のことです。つまり会話の実践場がいわゆる社交なのです。社交こそ、一番疲れる気の重い時間です。しかもそれは、欧米社会では社会生活の根幹を成す最も重要なものの一つと見なされます。社交、つまり「おしゃべり」ができなくては仕事も暮らしもままならないのです。

 

昔、三船敏郎が演じる「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルがありました。あのキャッチフレーズは、沈黙を美徳とする日本文化の中でのみ意味を持ちます。欧米では、男はしゃべることが大切です。「男はだまってしゃべりまくる」のです。特に紳士たる者は、パーティーや食事会などのあらゆる社交の場で、自己主張や表現のために、そして社交仲間、特に女性を楽しませるために、一生懸命にしゃべらなければならない。男はしゃべりまくるのが美徳なのです。例えばイタリアには人を判断するのに「シンパーティコ⇔アンティパーティコ」という基準がありますが、これは直訳すると「面白い人⇔面白くない人」という意味です。そして面白いと面白くないの分かれ目は、要するにおしゃべりかそうでないかということなのです。

 

事ほど左様に欧米社会ではしゃべりが重要視されます。西洋社会の人間関係の基本にはおしゃべり、つまり会話がドンと居座っています。社交の場はもちろん、日常生活でも人々はぺちゃくちゃとしゃべりまくる。社交とは「おしゃべり」の別名であり、日常とは「会話」の異名なのです。

 

彼らのコミュニケーション能力は、子供の頃から徹底して培われます。家庭では、例えば食事の際、子供たちはおしゃべりを奨励される。楽しく会話を交わしながら食べることを教えられます。日本の食卓で良く見られるように、子供に向かって「黙って食べなさい」とは親は決して言わない。せいぜい「まず食べ物を飲みこんで、それからお話しなさい」と言われるくらいです。

 

学校に行けば、子供たちはディベート(討論)中心の授業で対話力を鍛えられ、口頭試問の洗礼を受け続けます。そうやって彼らはコミュニケーション力を育てられ、弁論に長けるようになり、自己主張の方法を磨き上げていきます。それが国際社会です。われわれはそこに向かって、彼らに対抗しながら明確な意見を述べ続けなければなりません。幸いSNSならば顔と顔を付き合わせる会話や議論ではなく、文章によるやり取りが主ですからわれわれ日本人でも十分にこなせるように思います。国が国家プロジェクトとしてしっかりと予算を立てて取り組めば、世界世論を動かす効果的な喧伝活動も夢ではないと考えるのです。



燃えるイタリア


 

昨日、最高気温が44℃かも、と予想されたフィレンツェのそれは、結局40℃だった。

 

それがイタリアの昨日の最高気温。

 

で、隣のボローニャが39℃。

 

ローマが37℃、ミラノが35℃など、だった。

 

シロッコ交じりのむっとする風が吹く夏。

 

暑い。

 

そして

 

イタリアは燃えている。

 

文字通り燃えさかっている。

 

国中で火事が多発しているのだ。

 

先週だけでもイタリア全土で840件もの火事があった。

 

山や原野や農地で。

 

1日平均なんと110件もの火事が発生している。

 

元々イタリアの夏は火事が多い。空気が乾いていて暑くて不心得者も多い。

 

何年か前にシチリア島で夏にロケをした際、高速道路のそこかしこの路肩で、枯れ木や草が燃え盛っていてびびったことがある。

 

誰かが煙草を車窓から投げ捨ててそんな火事が起こるのだという。

 

今年、ここまでの林野火災の件数は6200。

 

煙草の投げ捨てや不注意な火起しや放火などで逮捕、起訴された者300人。

 

火事で失われた森や藪は合計3万5千ヘクタール。

 

暑さも熱さも山火事もまだまだ続く。

 

イタリアは燃えさかっている・・



盛り夏



イタリアは暑い日が続いている。

 

8月だから暑いのは当たり前だが、雨も降らずこの国特有の
テンポラーレも全くやってこない。

 

テンポラーレは僕が勝手に「豆台風」と呼んでいる、独特の夕立。

 

独特とは、黒雲が一気に湧いて風が逆巻き、雷雨が走り、冷気が満ち満ちて激しく騒ぐ現象だから。

 

夕立よりも激烈な夕立。だから豆台風。

 

去年も暑かった。

だが夏の初めから8月半ばまでは比較的涼しかった。

 

8月の半ば過ぎから急に暑くなって、9月は暑過ぎ、10月になっても夏のような日々が続いた。

だから猛暑だった印象が普通よりも強い。

もっとも去年は258年振りに9月に「ラ・ファ(蒸し暑い日)」が記録されるという画期的な夏だった。

記録的猛暑だったのだ。

9月だから記録的に暑い秋だったと言うべきか・・

 

7月、8月の今と暑い今年は、9月、10月が涼しくなるのだろうか。

 

予報によると今月(8月)は2003年以来の猛暑月になることは間違いがないらしい。

 

2003年の夏といえば、WHOの試算で、欧州主要10ヶ国内で暑さによる死者が合計7万人も出たとされる年。

 

この8月がその最悪年に次ぐ暑熱を記録しそうだというのだ。

ならば、せめて9月、10月と涼しくなってほしいが、どうも期待できそうには見えない。

 

夏は年々暑さが増し、さらに暑い期間もひたすら長くなっているのだから。

 

ちなみに今日のフィレンツェの最高気温はなんと44℃まで上がる可能性があるという。ホントかよ・・

 

空気が乾いているからイタリアの夏の気温は日本に比べると高めになることが多い。

 

日本のような湿気で、気温が40℃にでも上がったら耐え難いだろうが、空気が乾燥しているおかげで、つらいながらもイタリアではなんとか凌げる。

 

もっともイタリア人にとっては、夏の日の多くが厳しい湿気に満ちているということだが。

 

日本の夏の蒸し暑さをぜひ経験させてあげたくなる。

そういう人には。

 

そうすればここの夏の凌ぎやすさ、ありがた味がわかって、笑顔がはじけるだろう。

きっと。



いつもと違う夏の偶感



毎年8月は妻の実家の伯爵家本家があるガルダ湖畔で過ごすことが多い。伯爵家は近くに山も所有していて、最も暑い時期には標高1000Mにある山荘で避暑などという贅沢もできる。

 

ガルダ湖はイタリア最大の湖である。その周囲には、南アルプスの連山と北部ロンバルディア州の豊かな森林地帯が迫って、青い湖面に影を落とす。

 

それは幾層もの緑の帯となって湖水深く沈み、大湖をさらに重厚なエメラルド色に染め抜く。

 

湖畔には観光客が愛してやまない景勝地がたくさんある。例えばシルミオーネ、ガルドーネ、サンヴィジリオ、マルチェージネ等、おとぎの国のような美しい村々。

 

イタリアは周知の通り世界でも屈指の観光大国である。国中に数え切れないほど存在する古都や歴史遺跡や自然や人や文化や食や産業が、世界中の観光客を引き付けてやまない。

 

この国の観光資源は大きく分けると二つある。一つはローマやベニスやフィレンツェなどに代表される数多くの歴史都市とそこに詰まっている文化芸術遺産。もう一つは豊かな自然に恵まれた海や山や湖などのリゾート資源である。

 

この二大観光資源のうち、歴史都市の多くには黙っていても観光客が訪れる。

 

しかし夏のバカンス客や冬場のスキー客、あるいはその他の旅人を相手にするリゾート地の場合は、自ら客を呼び込む努力をしない限り決して土地の発展はない。

 

イタリアのリゾート地の全てはその厳しい現実を知りつくしていて、各地域がそれぞれに知恵をしぼって客を誘致するために懸命の努力をしている。

 

僕はそうした人々の努力の一環を、20年以上前に初めて訪れたガルダ湖で目の当たりにして、驚いたことがある。

 

僕はそのときの旅では遊覧船に乗って湖を巡ったのだが、最初の寄港地であるガルドーネという集落に船が近づいていったときの光景が、今も忘れられない。

 

遊覧船が近づくにつれてはっきりと見えてくる湖岸は、まるで花園のようだった。港や道路沿いや護岸など、町のあらゆる空間に花が咲き誇っているのが見えた。

 

そればかりではなく、湖畔に建っている民家やカフェやホテルなどの全ての建物の窓にも、色とりどりの花が飾られている。まるで一つ一つの建物が花に埋もれているかのような印象さえあった。

 

船がさらに岸に近づいた。そこで良く見ると、花は窓やベランダに置かれているのではなく、鉢や花かごに植えられて、窓枠やベランダの柵に「外に向かって」吊り下げられている。

 

要するにそれらの花々は、家人が鑑賞し楽しむためのものではなく、建物の外を行く人々、つまり観光客の目を楽しませるために飾られているのだった。

 

南アルプスのふもと近くに位置していることが幸いして、ガルダ湖地方には歴史的にドイツを始めとする北部ヨーロッパからの訪問客が多く、観光産業が発達してきた。そのため住人の意識も高く、誰もが地域の景観を良くするための努力を惜しまない。

 

町を花で埋め尽くす取り組みなどはそのひとつで、観光地のお手本とされ、今ではイタリアのどこのリゾート地に行っても当たり前に見られる光景になった。

 

伯爵家のある村もそんな観光地の一つである。そこでの滞在を僕はいつも楽しみにしてきた。

 

しかし今年はガルダ湖と住まいとブレシャ市を行ったり来たりして過ごしている。

 

少しも休まる暇がない。

 

湖での「いつもの」慈善事業や行事の手伝い、またこれまでに夕食会などに招かれた人々をこちらが招き返す会食などをこなしながら、イタリア政府の新増税策に伴なうあれこれで奔走しているのである。

 

伯爵家が潰れるのはまだ先のことだろうが、終わりの始まりがじわじわと近づいているように僕には見える。

 

だからといって、あわてたり、嘆いたり、悲しんだり、暗くなったりしているわけでは毛頭ないけれど。

 

渋谷君、Ho cambiato idea:ワルイけど転びます、ね。



本や新聞や雑誌や手紙などの文章と、ブログの文章は違うのではないか、と友人の渋谷君に意見された。

 

彼は僕がブログでは写真を使わない(投稿しない)、と宣言したことに疑問を投げかけたのだ。

 

少し考えた。

 

本や新聞や雑誌などの紙媒体の文章も、ブログ他の電子媒体(Webページ)の文章も、僕にとっては基本的には同じである。

 

少なくとも僕自身が文章を書くときには、文体も語彙も調子も思想も構えも、あるいは書く苦労も書く喜びも、つまり一切が両媒体で同じ。何も変わらない。


ところが


渋谷君の言う

「本や新聞や雑誌や手紙などの文章と、ブログの文章は違うのではないか」


という意見を


「本や新聞や雑誌や手紙などの『表現法』と、ブログの『表現法』は違うのではないか」


と「文章」を「表現法」に置き換えて見ると、彼の指摘が正しいようにも感じられてきた。


そこであっさりと「転ぶ」ことにした。


せっかくブログという新しい媒体で表現をしているわけだから、こだわらずに写真などの武器も使ってみようと。


その上で、やっぱり文章だけで勝負したいと感じるならば、そのときには写真はさっさとやめにすればいいじゃないか、と。


そこで


まずは先日撮ったウサギカテリーナの写真を掲載してみることにした。



IMG_3032
ブドウ園では機械による草刈が良く行なわれる。必要ならば除草剤も用いられる。
 

 

カテリーナ引き
カテリーナは草刈が済んだばかりの、赤土の露出が多い園にいた。




カテリーナ後ろ引き
草が刈り取られた後とはいえ、ブドウ園内ではカテリーナが食べる分の食料には事欠かない。

 

 カテリーナ右横寄り
カテリーナが好んで食べる草を摘み取って、何度か差し伸べてやる動きをするうち、彼女は一瞬だけ背中に触れさせてくれた。ただほんとに一瞬の出来事で、その様子を写真に収めることはできなかった。



・・と書き込んでみると、やはり写真の力は大きいと痛感する。

だって写真を見れば文章なんていらねーだろう・・・

と、腹から思う。

う~む、悩ましい・・
 


独裁者アサドの埋蔵金が暴かれる



シリアのアサド大統領とその一族の秘匿金を探し求める動きが加速している。

独裁者の終末には金を巡る憶測や風評や問責が必ずついて回る。逆に言えば、独裁者が金の噂をされるようになったら、もう「お終い」ということである。

独裁者が権力を振るっている間は、金よりも彼の政治的行動、つまり民衆抑圧のあれこれがはるかに重要だから、誰も金の話などしない。

それに独裁者というのは、ほとんどが自国の国庫金や財産を含む一切を私物化して、我が物顔で使いまくり盗みまくるのが当たり前だから、当たり前のことは誰も指摘しない。

加えて圧政下の国民の場合は、そのことを指摘して、弾圧・復讐されることへの恐怖心も働くからなおさらである。

金の周りには魑魅魍魎が群がる。独裁者の金を語るのは、その政権の腐敗そのものを語ることだから決して無視されるべきではない。

これまでに新聞を中心とするメディアで取り沙汰されたアサド関連の金の動きの主なものは:


1)世界中に分散秘匿しているアサド個人の裏金は10~15億ドルに上ると見られる。


2)シリアのGDPの60%が、アサドの承認の元に彼の従兄弟のラミ・マキロフ(Rami Makhlouf)傘下の会社や事業によって支配されている。


3)EU(欧州連合)は2012年7月までに、アサドの隠し財産を管理していると見られた129人のシリア人と49の会社の資産を凍結した。このうち英国内だけでも1億2千8百万ユーロがほぼ現金で見つかり差し止めされた。


4)アメリカ財務省は7月20日、シリアの4人の閣僚並びにシリア中央銀行総裁を含むシリア人29人に対して、アサド大統領に代わって同国の富を盗み隠匿したとして制裁を課した。


など。

ロンドンを拠点にする民間諜報会社“Alaco”のトップ、イアイン・ウイリス氏によれば、これまでに見つかったアサド大統領の隠匿資産は氷山のほんの一角に過ぎない。彼は家族や親族や政権内部の人間に託して、莫大な資産を世界中に分散秘匿している。中でもロシア、ドバイ、レバノン、モロッコ、さらに香港などが主な隠し先と考えられている、という。


だが、アサドのような独裁者の隠し資産を追い詰めるのは容易ではない。彼らはその道に長けた専門家を数多く抱えていて、資産の移動、管理、隠匿が決して表に出ないようにあらゆる方策を取っている。そうしておいて何か事が起これば、すぐさま資産を右から左に動かして、証拠のまったく残らない形で秘匿してしまうのである。


例えばこういうケースがある。かつて英国の捜査機関がイラクのサダム・フセインの違法な資産をフランスで発見し、これを差し押さえようとした。ところが1億ユーロにも及んだその裏金は、パリからパナマさらにジュネーブへと次々に移動隠匿されて行き、結局差し押さえることができなかった。


シリアのアサド大統領がありとあらゆる方法で国から盗んだ莫大な金を隠しているのは明らかだろうが、それを追い詰めて没収するのは至難の業なのである。同様なことは、2006年に死亡した前述のサダム・フセインに限らず、エジプトのムバラクやリビアのカダフィ大佐とその一族の場合にも起きている。

また英国のある財務査察官はBBCのインタビューに応えてこう話した。シリアは盗賊に支配された国、と断定しても決して間違いではない。アサド以下の支配者たちは、彼らの友人や親族などに次々に便宜を与えて国富を盗ませ、私腹を肥やし、さらに資産を国外に運んで隠すことを許可してきた。


アサド大統領の秘密資金の捜索は今始まったばかりである。

それはアサド自身が、反政府軍によって政権の座から引き摺り下ろされた後も続くことが確実な、長い忍耐の要る作業であることは疑う余地がないのである。

 

 

『シリアの春』の行方



 

シリアの独裁政権の崩壊は近いと見るべきだろうが、世界中から非難されながらここまで生きのびてきたアサド政権の狡猾ぶりを見ると、一筋縄ではいかない不気味さも感じる。

 

首都から離れたホムスなどを中心に続いていた戦闘は、ついに政権の牙城であるダマスカス市内に至り、あまつさえ首都中枢部での爆破事件でアサド大統領は義兄をはじめとする側近を失った。

 

またそれより先の7月初旬には、幼なじみで親友のマナフ・トラス准将が亡命した。それはアサド大統領にとっての最も大きな痛手であり「政権の終わりの始まり」だと見られていた。

 

准将の亡命は、アラブの春の一連の騒乱の中でも直近のリビア革命の際、カダフィ大佐の右腕のアブデル・ユニス将軍が翻意・諜報反逆・暗殺された案件と重なる。

 

独裁者カダフィの命を受け「裏切り者」として反政府軍に侵入していた同将軍は、2重スパイとして処刑されたが、実はそれはカダフィの策略によるものだった。いずれにしても独裁政権の崩壊前には同様な出来事が必ずと言って良いほど起こる。

 

現在はシリア北部の都市アレッポを主体に激しい戦闘が依然として続いていて、首都ダマスカスの緊張状態も相変わらずの状況であるらしい。

 

追い詰められたアサド一派は、化学兵器の存在を認め、その上「決してそれを自国民向けには使わない。使う時は外敵に対してだけだ」と意味不明かつ異例の声明を出して、大量殺戮兵器の使用をほのめかしている。

 

面妖極まるそうした動きは、終焉を迎えようとする独裁政権の断末魔の足掻きのようにも見える。が、アサド政権がまだ命脈を保つ可能性も依然として残るのである。

 

その辺が例えばエジプトやリビアなどの状況とは異なる。自国民を虐殺し続ける蛮行にも関わらず、なぜシリアのアサド独裁政権がしつこく生き残っているのか、少し考えてみる。

 
バッシャール・アサドとその取り巻きは、これまでのアラブ革命を通して、権力者たちがどのような最期を迎えたか知り過ぎるほどに知っている。政権崩壊後には地獄が待っているだけである。従って彼らは自らの身を守るために徹底して戦い、民衆への弾圧を続ける覚悟である。それはある意味分りやすい動きだ。

カダフィ政権が崩壊したリビアと比較して見ると、シリア革命がなかなか成就しない理由がさらに明らかになる。

 

リビアの反政府軍は、ベンガジを拠点に広い国土の山野で潜伏、攻撃、退却を繰り返しながら徐々に首都に迫って行き、ついにはトリポリも落としてカダフィを追い詰めた。シリアではそういう戦いができない。なぜならシリアの国土はリビアの約1/10程度の規模しかなく、しかも人口はリビアの3倍以上の約2190万人もいる。

 

狭い国土のシリアは、リビアに比較すると都市化が進み、人口の約半数がダマスカスやアレッポなどの都市部に集中している。その都市部は政府軍がほぼ完璧に掌握していて、自由シリア軍をはじめとする反政府勢力は、拠点となるような国土の重要な部分をしっかりと制覇できずにいる。

 

そうしたことに加えて、シリアの反政府軍は多くの派閥に分裂していてまとまりがない。中心となる自由シリア軍でさえ、はっきりとした指導者がいないような現状である。このことはアサド後の政権の受け皿が存在しないことを意味する。

 

言うまでもなくロシアと中国、さらにイランなどがアサド政権をあからさまに支援していることも大きい。エジプトやリビアのケースでは、それらの国々は欧米の介入に対して賛成はしなかったものの、反対にも回らずに静観するという態度に出た。アラブ諸国を始めとするその他の国々も同じである。だから欧米列強は、リビアではNATO軍による軍事介入さえすることができた。

 

シリア危機では状況が一変して、前述の国々がシリアを公に支持・支援している。欧米列強は軍事介入どころか経済制裁さえ思うようにはできないのが現実である。国庫の富を使って取り巻きの歓心を買っているに違いないアサド政権にとっては、ヘタをすると欧米列強の軍事介入よりも怖いのが完全な経済封鎖による孤立である。それによって国庫が疲弊しバラまく金がなくなったら、政権を裏切る者が続出するのは火を見るよりも明らかだからだ。
 

シリアに利権を持つロシアや中国、それにイランなどの支持・支援が続く限り、アサド独裁政権の壊滅までの道のりはあるいは長いのかも知れない。しかし、圧政が終わりを告げるシナリオは、もはや書き換えのできない決定事項のように見える。ぜひそうであってほしいと願うのは、おそらく僕だけではないだろう。

 

 

オリンピックってなに?


間もなく始まるロンドンオリンピックで、イタリアも国中が盛りあがっていると言いたいところだが、開会式を明日に控えた今もいたって平静である。

新聞やテレビをはじめとするマスコミはオリンピックについて最小限の報道しかしないし、国民もそれに呼応するように平常心でいる。冷めていると言ってもいいくらいである。

五輪に対するイタリア人の冷めた反応は今に始まったことではない。彼らは例えばサッカーのW杯や先日終わったサッカー欧州選手権などでは、ちょっと大げさに言えば「国中が狂喜乱舞する」みたいな盛り上がりを見せるが、オリンピックに際してはいつも冷静である。

前回2008年の北京、前々回2004年のアテネ大会など直近の大会でも盛り上がりに欠けた。その中間年、2006年に開かれた冬季オリンピック対する関心度は、開催地がなんとここイタリアのトリノであったにもかかわらず、もっとひどかった。

なにしろ一番売れているスポーツ新聞の報道でさえ、開幕まで数日と迫った時点でも、紙面25ページのうちプロサッカーに関する記事が1面から15面までを占め、その後にやはりプロテニスやバレーボール、バスケットやカーレースの記事が続いて、ようやくオリンピック関連の記事が出ているという有様だった。オリンピックがいかに軽い扱いであったかは、その事実だけでも歴然としている。

なぜ僕が当時のことを良く知っているのかというと、僕はその頃ビデオのロケ取材に加えて新聞記事を書くためにたくさんの情報を集めていて、いまそのメモを読み返しながら当時を振り返っているからである。そしてあの時点でも僕は、イタリアのマスコミの「盛り下がり」振りに結構衝撃を受けたりしたものだった。

五輪ではイタリアは常に多くの競技に参加する。それなりに好成績も収める。関心もある。でも決して、例えば日本のように大いに「盛り上がる」というふうにはならない。それって一体なんだろうかと考えを巡らせると、少し見えてくるものがある。

まずイタリア人はスポーツに限らず国際的なイベントに慣れきっている。ヨーロッパの中でも、イタリアはイギリスやフランスと並んで国際的な催し物であふれている。規模は大きいものの、オリンピックも彼らが慣れているそんな国際的イベントの一つに過ぎない。

また彼らには愛国心がそれほど強くないということもある。つい最近統一国家になったとは言え、イタリアの各地方にはかつての独立都市国家の精神が強く残っている。そのために統一国家への愛着心が国民に薄いのはよく知られたことである。

オリンピックって、けっこう国家対国家の競い合いみたいな様相を呈することが多いから、カンパニリズモと呼ばれる強力な地方中心主義に捉われている者も多いイタリア国民には、あまりうまくアピールしないということもあると言っていいだろう。

さらにこういうこともある。実は今年もそうだが、オリンピックの年にはサッカーの欧州選手権が開かれる。欧州選手権も四年に一度の大会で、ちょうど五輪と重なる日程になっているのだ。サッカー好きの多くのイタリア国民は、欧州杯の応援にエネルギーを使い果たして、とてもオリンピックまで気が回らないという事情も皆無ではないように思う。

だが、僕の考えでは実は、イタリア人がオリンピックに付いて回るいわゆる「純粋なアマチュア精神」なるものを「まゆつばものの潔癖」と見なして嫌う国民であることが、彼らが五輪にあまり燃えない理由であると思う。

イタリア語ではスポーツの試合や競技のことをジョーコという。ジョーコは「遊び」という意味である。イタリア人にとってはサッカーもオリンピックの競技も「遊び」である。或いはあらゆるスポーツはスポーツである前に「ゲーム=遊び」でなければならない。

そして「ゲーム=遊び」には相手を出し抜くズルさがなくてはならない。このズルさこそ「遊び」の真髄である。遊びの精神が優先されなければならないのだ。だから参加選手が国の威信を背負って気張っているような、オリンピックの堅苦しさがあまり好きになれないのだろうと思う。

かてて加えて、イタリア的な重大かつ現実的な原因がもう一つある。バカンスである。

毎年7月~8月はイタリアはバカンス真っ盛りの季節。特に8月に入ると国中が一気にバカンスモードに入る。オリンピックが始まろうとする今は、誰もがバカンスの計画立案や予約や期待でドタマが一杯である。

バカンスの喜びでオリンピックどころじゃないよ、というのもまた、多くのイタリア人の偽らざる心境であることは間違いがない。



 


書きたいことども



ここ最近スポーツのことが多く頭のなかに引っかかっている。

 

サッカー欧州選手権のこと。

 

そこから派生した欧州プロサッカー、特にイタリアのセリエAのこと。

 

セリエAに至るイタリアサッカーの裾野のこと。そこと比較した日本サッカーのこと。

 

サッカーと野球のこと。

 

一昨日、29年振りの千秋楽全勝対決という盛り上がりを見せて終わった大相撲のこと。

 

オリンピックのこと。

 

など、など。

 

シリアについても少し書きたいことがあって、頭から離れない。

 

内戦状態にあるシリア問題と比較すると、スポーツを語り続けるなど不謹慎、軽すぎる、みたいなおかしな感覚も気持ちのどこかにあって、我ながら苦笑。

 

こうやって気持ちを吐露することで、ふっ切れた。

 

時間が見つかり次第スポーツのこともどんどん書いておこう、とたった今決めた。

 

スポーツ(オリンピックは特に)もシリアも時事ネタだから早く書きたい。

 

シリアは独裁者アサドが権力の座から引きずり降ろされて、もしかするとイラクのサダム・フセインやリビアのカダフィのように民衆の鉄槌を受ける前に。

 

アサドの哀れな「幼な妻」アスマが、ギロチンの露と消えたマリー・アントワネットよろしく処刑台に引っ立てられる前に。

 

「幼な妻」とは、3人の子を持つアスマが年若いという意味ではなく、彼女の頭の中身がひどく幼いということ。

 

少なくとも僕にはひどく幼く見えるという意味。

 

悪行の限りを尽くしている夫のバッシャール・アサドはいざ知らず、アスマ夫人が公開処刑じみた形で戮(りく)されることはないとは思うが、政権崩壊時の戦闘や混乱の中では何が起こるか分からない。

 

今のところ、国外脱出を考えてはいないらしい彼女が、恐らくこの先やって来るであろう大きな恐慌の中で無残な最期を遂げないように願いたい。

 

アスマ・アサドは処刑に値するほどの悪行は犯していない。ひたすら幼く愚かなだけだと僕には見える。

 

ただ、幼く愚かであることが、罪だと見なされる場合も世の中には多々あるけれど・・

カテリーナmy love 



カテリーナがブドウ園にいた。

 

急いで写真を何枚か撮った。

 

普通、彼女がいるのは冬がしのぎやすい草地の倉庫まわり。

 

またはコンサートが開かれる自宅前庭

 

ブドウ園に移住し、さらに永住したら、今後はなかなか見ることができなくなるかも。

 

なにしろブドウ園は広いから・・

 

 

書いて、写真を貼り付けようとしたが、その方法が分らない。

 

しばらくばたばたしてブログを書く余裕がないので、写真を貼りつけてズルしようと思ったのだが・・(笑)・・。

 

 

本当はブログには写真を使わないと決めていている。

 

僕はこれでも映像屋のハシクレ。写真やビデオがいかに強烈な表現力を持つかを、少しは知っているつもりである。

 

写真を貼り付ければ文章などいらない。というほどの力を持つのが映像表現だ。

 

あえてリキんで言えば、僕はおこがましくも、密かに、文章で映像表現に近いものを目指したいと考えている。

 

あるいは「その意気込みで書く努力」をしたい、と考えている。

 

人が聞いたら笑うだろうが、それでなければ映像屋の僕が文章を書く意味はあまりない。

 

だって、映像屋のそのまたハシクレのテレビ屋は、テレビで表現していればいいのであって、ブログ文章で何かを表現しようなんて思っちゃいけない。

 

でも僕は好き好んで、あるいは僭越にも、そうすることにした。

 

だからできれば写真や映像は使わずにブログを書きたい。

 

写真は実はたくさん撮っている。ドキュメンタリーのリサーチのつもりで、いつでもどこでもけっこうパチパチとやる。たまにはハンディカメラを回すこともある。

 

それらの写真や映像をブログに使えば、文章が短くなるどころか、ほとんど絵のキャプション程度の文字数で表現ができてしまうだろう。

 

読者もぐんと増えるかもしれない。

 

でもそれは文章表現じゃない。

 

やっぱり、できるところまでは文章だけを書いていこうと思う。

 

できるところまでとは、書くテーマがある限り、ということ。

 

それが途切れたら、写真やビデオふんだんにを使って「文章まがい」のブログを書くのも楽しいかもしれない・・

 

 


欧州サッカーの変革は人種混合によってももたらされる



ヨーロッパで最も人気の高いスポーツであるサッカーは、欧米社会を映す鏡であり時代の息吹の投影でもある。白人が当たり前だった欧州各国の代表チームには近年、アフリカを筆頭に、アジア、中南米、東欧、オセアニアなどからやって来た、移民の子孫が多く選ばれている。いわば人種混合、あるいは人種のるつぼ的なナショナルチームが増えているのである。

先日終了したばかりの2012年欧州選手権で、イタリアを準優勝に導いた立役者の1人、マリオ・バロテッリはその象徴的存在。スーパーマリオと愛称される彼は、ガーナ人移民の子としてシチリア島のパレルモ市で生まれ、3歳の時にイタリア人夫婦の養子となった。そして18歳になってようやくイタリア国籍を取得した。

スーパーマリオ・バロテッリは、6月28日に行なわれた欧州杯の準決勝で、優勝候補のドイツを蹴散らす2点ゴールを挙げたことで、晴れてイタリア国民から同胞としての認定を受けた。イタリア人は認めたがらないだろうが、それまではこの国の多くの人々が、彼を手放しでイタリア人と見なすことをためらっていた。スーパーマリオがイタリア国籍を有していることを知っていながら、である。

低迷期に入っていると見なされているイタリア代表チームは、それまでのドイツチームの快進撃の前にすっかり萎縮してしまっていた。歴史的に対ドイツ戦にはめっぽう強いイタリアも、今回ばかりは勝てないだろう、という空気がサッカーファンの間に充満していた。スーパーマリオはそんな折に、目の覚めるような2つのシュートをドイツゴールに叩き込んで、ドイツを撃破してイタリア中を狂喜・興奮させた。

英雄はまたたく間に、肌の色とは無関係に「本物の」イタリア人になり、イタリアサッカーの救世主と見なされることになった。それは別に珍しい出来事ではない。ある事象の転換点で、歴史上ひんぱんに見られる何かの始まりを告げるビッグバンであり、或いは「終わりの始まり」を示す象徴的な事件なのである。

つまり、イタリアサッカーはここから人種混合に向かい、それが当たり前になり、同時にイタリア社会はより人種差別の少ない、寛容で開かれた精神に富むものになって行くであろうことを示唆している。人種差別が終わりを告げ、鷹揚(おうよう)が始まったのである。むろんそれは一朝一夕には完成しない。これから長い時間をかけてゆっくりと変わって行くことだろう。が、変化への「きっかけ」は確実に作られたのである。

スーパーマリオ・バロテッリが、幼い頃からイタリア社会で人種差別に遭い続けて、強い反発心を育んで来たのは良く知られている。状況も意味合いも違うが、欧州選手権での彼の活躍は、1955年12月1日に米国で起きた、ローザ・パークス事件にも通じる大きな出来事であるように僕には感じられる。

ローザ・パークスは、バス車中で白人に座席を譲ることを拒否して逮捕され、それが黒人による大きな公民権運動のきっかけになった。ローザ・パークスが引き起こしたような巨大なビッグバンではないかも知れないが、スーパーマリオの活躍が誘発したイタリアの、ひいてはヨーロッパ社会のさらなる変革の「始まり」は、それなりに重大なものである。

人種差別主義から包容力のある共生社会へと生まれ変わる明るい兆しは、欧州選手権の準決勝でイタリアと戦って敗れたドイツにも見ることができる。ここからは少し言いづらいがあえて書いておこうと思う。

白人の優越を心の片隅にいつも思っている「全ての」欧米諸国民の中でも、よりその傾向が強いように見えるドイツにおいては、アフリカ系人種のドイツ代表入りはもちろん、同じ欧米諸国内からの移民選手の代表入りでさえ極めて難しい雰囲気があった。事実、イギリスやフランスやオランダなどとは違って、歴史的にドイツの代表チームには有色人種(黒人)の選手はいなかったのである。

それはバロテッリ登場までのイタリア、また近年驚異的な強さを誇り続けているスペインなど、ドイツと並ぶサッカー大国でもほぼ同じであり、それらの国々とイギリス、フランス、オランダなどとの違いは、もっぱら過去の植民地の有無や大小、さらにそれぞれの国の現在の移民政策の違いなどによる、と説明されることが多い。

それは一面の真実ではあるが、そこにはやはり心理的な壁がいつも立ちはだかっていた、ということもまた否定できない事実である。いわば100%の白人国ドイツ代表チームに、黒人などありえない・・・という風な。しかしドイツは最近、大きく変わった。代表チームに「純粋の」ドイツ人ではない選手が多く選出され、今や彼らがドイツ代表チームの主流になる勢いである。

例えば20012年欧州選手権における有色人種及びルーツがドイツ系ではない代表選手は:

アフリカ系がジェローム・ボアテング、チュニジア系がサミ・ケディラ、両親がトルコ人のメスト・エジル。そしてスペイン系のマリオ・ゴメス。さらに、かつてドイツが侵略蹂躙したポーランド出身の選手さえいる。ミロスラフ・クローゼ、ルーカス・ポドルスキーの2選手である。

それらの「移民系ドイツ人選手」の中でも特に、メスト・エジルは重要である。二重国籍を持つ彼はトルコのナショナルチームへの登録を断ってドイツを選んだ。ドイツチームの中心的存在であり、メスト・エジルあっての現在のドイツチーム、と言えるほどの優れた選手である。

だがドイツの変容のそのはるか前に、イングランドチームは黒人やインド系のプレーヤーを代表選手に起用し、フランスも少し不自然な形ながら、人種混合チームで1998年のW杯初制覇や2000年の欧州杯優勝を成し遂げている。

不自然な形と言うのは、国を挙げての熱狂的なサッカー愛好気風(イタリア、ドイツ、イギリスのような)の中から、自然発生的に多くの黒人選手が出てきたというよりも、サッカーの国際的な水準を引き上げるためにフランスが国を挙げて様々に画策した結果、他に選択肢のない貧しい移民の息子たちが、サッカーを通して人生のサクセスストーリーを紡(つむ)ぎ出して行く、という現象が起こった。その典型が世界サッカーの至宝の1人、ジネジーヌ・ジダンである。彼は言うまでもなくアルジェリア移民の息子である。

僕の独断と偏見で意地悪く言えば、たかがサッカーごときには白人の「おフランス人」は心を動かされない。それは貧しい移民たちが夢中になって取り組めばいいこと。本物の「おフランス人」は文化と芸術と学問に夢中になっているものなのだ・・というような。

フランスサッカーは、ジダンと共に戦った多くの移民系選手によって1998年に初めてワールドカップを制し、その2年後に2度目の欧州杯制覇を遂げた。だがその後は低迷している。それは、英独伊のように国民が真からサッカーを愛する結果ナショナルチームが形成されたというのではなく、「計算づく」で代表チームが作られた、いわば「ニセモノの弱さ」という風に僕には見える。しかもそのニセモノの病気は重い。なぜなら、フランスチームの核になっているのは現在でも結局、カリム・ベンゼマに代表される「移民選手」に他ならないからである。

そうはいうものの、そして先に「おフランス人」と批判したことと矛盾するようだが、フランス社会はイタリアやドイツやスペインなどに比べると、移民に対してはるかに寛容である。人種差別や偏見をなくす努力も絶えず続けている。フランス社会はヨーロッパ各国の中では、イギリスとオランダと共に三大移民許容社会と言っても過言ではないだろう。そしてサッカーの代表チームが強いことよりも、社会が移民に対してより寛闊(かんかつ)であることの方が、はるかに重要であるのは言うまでもないことである。

なぜなら、欧州は今後ますます移民との共生を余儀なくされる世の中になって行くのは火を見るよりも明らかである。従って憎しみを育むだけの偏狭や差別や偏見は、絶えず捨てる努力をしなくてはならない。そしてそれは――突然のようだが――欧州から遠い我が日本にも当てはまる、全ての先進国社会の宿命であるように僕には感じられるのである。 

欧州危機さなかの欧州選手権(Ⅱ)



2012年の欧州選手権は6月21日に一次リーグが終わって準々決勝に進む8チームが出揃った。ドイツ、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガル、フランス、イングランド、チェコである。最後の2国を除けば、欧州財政危機の当事者たちがひしめいている、と言ってもいいような顔ぶれだった。結局、今回の欧州選手権を制したのはスペイン。2008年に続く連続優勝である。同国は2010年のワールドカップも制して、前人未到のW杯と欧州杯に跨(またが)る3連続優勝という快挙を成し遂げた。

 

選手権前の予想ではスペインが優勝候補の筆頭。続いてドイツ。さらにそれに次ぐのが2010年のW杯でスペインと優勝を争ったオランダ。その後にフランス、イングランド、イタリア、ポルトガルなどが一線に並び、ギリシャとチェコがそれに続くというような見方が多かった。ワールドカップの優勝回数が4回と、ブラジルの5回に続いて多い強豪のイタリアは、大会前には優勝候補の下馬評にも上がらなかった。2006年にW杯を制した後、イタリアは低迷期に入っていると見なされていたのである。

 

ところが、フタを開けてみるとイタリアは一戦ごとにじわじわと地力を発揮して、準々決勝でイングランドを破り、準決勝ではスペインと並ぶ優勝候補の最右翼と見られたドイツを撃破した。しかも、イングランド、ドイツ戦ともに相手を圧倒しての勝利だった。対イングランドは0-0の後のペナルティキック戦。またドイツとの最終スコアは2-1と接戦だったように見える。ところが試合の内容は両方ともにイタリアの圧勝だったのである。特にドイツを破った試合は大方の予想を覆す一方的な勝利だった。終始イタリアに押しまくられたドイツは、試合終盤にようやくPKを得て一矢を報いたという屈辱的なものだったのだ。

 

昇り調子のイタリアに比較して、もう一方のファイナリスト・スペインは不調のように見えた。準決勝のポルトガル戦では内容的に相手に押され気味。PK戦で辛うじて勝利したものの、スペイン得意のボール回しが単調で退屈、とまで酷評された。それでも決勝戦に駒を進めたのはさすが。それでも最終戦では、イタリアに苦しめられる、と誰もが考えはじめていた。

 

ところが、スペインは決勝戦ではイタリアを全く寄せ付けなかった。4-0という大差のスコア以上に、試合内容ではイタリアを完膚なきまでに叩きのめした。2年前のワールドカップも制した、従って現在世界最強と言い切っても構わないであろうスペインチームのボール回しのテクニックは、退屈どころか揺るぎない強さを示して燦然と輝いたのである。

 

スペインのパス回し、或いはボールポゼッション(ボールキープ、ボール保持)の高度なテクニックは、長い試行錯誤のあとに完成されたものである。それはスペインリーグの強豪バルセロナにも通じるプレースタイルである。スペインはその戦術を完成させることで2008年には2回目の欧州選手権優勝を果たし、その2年後の2010年には悲願のワールドカップ初優勝も成し遂げた。加えて今年の欧州選手権も制して、スペインサッカーの黄金期を確固たるものにした。

 

目の覚めるようなスペインチームのプレースタイルはヨーロッパサッカーを根本から変えた。それは特に、イタリア、ドイツ、イングランドの変容を見れば明らかである。一言で言うと:

 

「イタリアはスペインを模倣することでカテナッチョ(ディフェンス重視)の伝統を捨てた」

 

「ドイツはスペインを意識することで組織重視の四角四面のプレースタイルを変えた」

 

「イングランドはスペインに追随することで運動能力重視の縦パス一辺倒の陳腐な戦略を克服した」


・・とでもいうような。
 

それは他の全ての欧州チームの場合も同じ。スペインを目標にすることでプレースタイルが変わり、欧州サッカーのレベルが過去数年で一段と上がったのである。これは恐らく南米サッカーにも大きく影響していくだろう。

 

もう少し具体的に言おう。イタリアは2006年にワールドカップを制覇して通算4度目の栄冠を手にした。それはブラジルの5回に次ぐ快挙でドイツの通算3回制覇を上回る。W杯の優勝回数を基に判断するなら、イタリアはヨーロッパ最強のチームである。ドイツはその次の強さという考え方ができた。

 

スペインはそれまで欧州カップを2度手にしていたが、ワールドカップ優勝の経験はなかった。つまり、W杯1回優勝のフランスやイギリスにも劣り、欧州杯を2度制してはいるものの、同選手権1回制覇のオランダやデンマーク、或いは隣国のポルトガル等と同程度の実力、という具合に見なされることさえあった。権威のあるFIFAのランキングで世界一に輝いたこともありながら、である。

 

ところがスペインは2008年に欧州杯を制覇した頃から、世界サッカーの驚嘆児となった。徹底的にパス回しにこだわり、従ってボールをキープし続け、相手をパスで翻弄しながらじっくりとゴール際に迫り、そしてシュートを放つ、というある意味ではサッカーの基本を愚直なまでに追求し続けて、ついにその技術をパーフェクトにした。彼らのパス回しは迅速、正確無比、しかも意外性に富む、というおどろきの連続。そうしたプレーは言うまでもなく選手ひとり一人の高い技術と才能なくしてはあり得ない。

それまで欧州サッカー、ひいては世界サッカーの牽引車の一角でもあったイタリアとドイツが、先ずスペインの変貌に驚きすぐさまそれを真似ようとした。もちろん真似ると言ってもスペインに匹敵する選手たちの高度なテクニックがなければ叶わないが、世界サッカーのトップクラスに君臨する彼らには幸いその力量が十分に備わっていた。同じことがイギリス他の欧州の強豪チームにも当てはまった。そうやってイタリアはカテナッチョ(堅守重視)を捨てて攻撃的サッカーに生まれ変わり、ドイツはファンタジー(意外性)溢れるプレーを学び、イギリスも体力と縦パスに頼る「運動バカ」サッカーから想像力を重視する競技スタイルに移行した。

 

では、なぜスペインは誰もが驚嘆する優れたプレー技術を獲得することができたのか。それはスペインがサッカーの強者であるイタリアやドイツを模倣し続けて模倣し切れず、負け続け、退屈であり続けた結果、独自のスタイルによってしか勝利は得られないと気づいて、一途にそれを追い求めたからである。彼らはイタリアのカテナッチョを打破し、ドイツの重厚だがファンタジー欠如のサッカーを否定し、縦パスに合わせて脱兎よりも速く走ることが身上のイングランドを蹴散らした。ボールポゼッションとパス廻しに徹底することで。言うまでもなくポゼッションサッカーこそ、彼らの成功の秘訣だった。それはフランスやオランダやポルトガル等々、他の欧州諸国のゲーム運びに対しても通用した。

 

欧州サッカー界では各国が常に激しく競い合い、影響し合い、模倣し合い、技術を磨き合ってきた歴史がある。一国が独自のスタイルを生み出すと他の国々がすぐにこれに追随し、技術と戦略の底上げが起こる。するとさらなる変革が起きて再び各国が切磋琢磨をするという好循環、相乗効果の連続。

今回のスペインの変革も多くの国々に影響を与えて欧州サッカーは大変革を成し遂げた。しかもその変革の波はさらなる変革を求めて次々に押し寄せ、欧州の国々のサッカーのレベルはお互いに影響し合いながら確実に上がり続けている。ことサッカーに関する限り、ヨーロッパは進取の気性に富む若々しい生命力で溢れかえっているのである。



欧州危機さなかの欧州選手権(Ⅰ)



ヨーロッパは先週まで4年に1度のサッカーの祭典、欧州選手権で盛り上がった。結果は、スペインがW杯と欧州杯を3連続制覇するという歴史的快挙を成し遂げて終わった。


ギリシャに端を発した欧州の財政危機は、依然として厳しい状況が続いていて少しも終わりは見えない。人々の不安といら立ちは募る一方である。そうした中、サッカーの一大イベントが、欧州各国民にしばしの気晴らしと歓喜をもたらした。さしずめ忙中の閑、暗中の明とでもいうところ。

欧州危機招来の張本人と見なされているギリシャも、1次リーグを突破して準々決勝に進んだ。ギリシャは決してサッカーで知られた国ではないから、ドイツやイタリアやスペインなどのサッカー大国と肩を並べる快挙に国中が沸き立った。そのギリシャは準々決勝ではドイツと当たって、ヨーロッパ中のファンをさらに喜ばせた。財政危機問題でドイツに反感を抱くギリシャが、怒りにまかせて奮い立って相手に一矢を報いるのではないか、との期待が高まったのである。


スペインと並んで優勝候補の最右翼と見られたドイツとは違って、ギリシャは辛うじて一次リーグを突破した程度の成績だったから、各国のメディアの見出しには「ギリシャは奇跡を起せるか?!」という趣旨の惹句が躍った。ギリシャはドイツチームに比較するとかなり見劣りするものの、2004年の欧州選手権では優勝を果たしている。従ってそれらのあおり文句が示唆するギリシャの勝利は、単なる夢物語とばかりは言えなかったのである。しかし、現実は厳しく、ギリシャは4
-2でドイツに敗れた。

サッカーが好きな僕は連日、試合のテレビ観戦を楽しみながら日本の動向に気を配っていた。それで気づいたのだが、ワールドカップにはあれほど騒ぐ日本のメディアが、欧州選手権に対してはほとんど無関心に見えた。時差の関係で試合の生中継が未明になる場合が多かったことや、間もなく始まるロンドン五輪への期待でメディアも国民も気もそぞろ、というようなことも重なったのだろうが、少々驚いた。


欧州選手権はワールドカップ同様に4年ごとに開かれ、しかもW杯にも匹敵する超ド級の面白い試合が連日見られる。それが日本で注目されないのは惜しい。僕は欧州サッカーの集大成である選手権のハイレベルな競技をぜひ日本の若者たちに見てもらい、わが国のサッカーのレベル向上に役立ててほしいと心から願っているから、返す返すも残念に思う。

欧州カップにはブラジルやアルゼンチンなど、南米の強豪チームが参加しない。それは寂しいことだが、レベルの低いアジア、アフリカ、オセアニア、北米などが出場しない分緊迫した試合が続いて、むしろワールドカップよりも面白い、と評価する専門家さえいる。サッカーが好きというだけではなく、イタリアのプロサッカーの取材や衛星生中継などの仕事もしてきた僕は、そうした意見には全面的には賛成しないが、一理ある、と考えたりしないでもない。もっと言えば、欧州選手権はワールドカップにも匹敵するレベルの高さと面白さだと思うから、僕にとってはあたかもW杯が2年ごとに開催されているようでもあり、とても嬉しいことである。

ヨーロッパには古豪のイタリア、ドイツを手はじめに、前回の優勝国で且つ今年も優勝候補の筆頭に挙げられていたスペイン、さらにオランダ、フランス、イギリス、ポルトガル等々、強豪がひしめいている。その他の国々も強い。南米が控えているので一概には言えないが、欧州はサッカー世界最強の地域、と断定してもそれほどの暴言にはならないのではないか。過去にワールドカップを制している英独仏伊西などの国々を抑えて、ギリシャやデンマークやチェコスロバキアなどのサッカー弱小国が優勝したりすることを見ても、地域としての欧州サッカーのレベルの高さが分かるように思う。

ヨーロッパではどの国に行っても、サッカーが国技と呼べるほどの人気があるが、中でもサッカーに身も心も没頭している国はイギリスとイタリアとドイツだとよく言われる。 イギリスはサッカー発祥の地だからよしとしても、血気盛んなラテン系のイタリア国民と、冷静沈着な北欧系のドイツ国民がサッカーにのめりこんでいる状況は、とても面白いことである。イタリアとドイツは、ワールドカップの優勝回数がそれぞれ4回と3回と、ヨーロッパの中では他に抜きん出ている。やはり国民が腹からサッカーを愛していることが、両国の強さにつながっているのだとも考えられる。 

一方イギリス(イングランド)がワールドカップ優勝回数1回と少ないのは、技術や戦略よりも身体的な強さや運動量に重きをおく、独特のプレースタイルによるものと考えられている。彼らにとってはサッカーは飽くまでも「スポーツ」であり「ゲームや遊び」ではない。しかし、世界で勝つためには運動能力はもちろん、やはり技術や戦略も重視し、且つ相手を出し抜くずるさ、つまりやゲーム感覚を身につけることも大切ということなのだろう。

個人技に優れているといわれるイタリアはそれを生かしながら組織立てて戦略を練り、組織力に優れているといわれるドイツはそれを機軸にして個人技を生かす戦略を立てる。1980年前後のドイツが、ずば抜けた力を持つストライカー、ルンメニゲを中心に破壊力を発揮していた頃、ドイツチームは「ルンメニゲと10人のロボット」の集団と言われた。これはドイツチームへの悪口のように聞こえるが、ある意味では組織力に優れた正確無比な戦いぶりを讃えた言葉でもあると思う。同じ意味合いで1982年のワールドカップを制したイタリアチームを表現すると、「ゴールキーパーのゾフと10人の野生児」の集団とでもいうところか。

独創性を重視する国柄であるイタリアと、秩序を重視する国民性のドイツ。サッカーの戦い方にはそれぞれの国民性がよく出る。サッカーを観戦する醍醐味の一つはまさにそこにある。もっとも時間の経過とともに各国の流儀は交錯し、融合して発展を遂げ、今ではあらゆるプレースタイルがどの国の動きにも見られるようになった。それでも最終的にはやはり各国独自の持ち味が強く滲み出て来るから不思議なものである。


欧州選手権から見えたスペインサッカーの功績



欧州カップ決勝戦でのスペインの強さはケタはずれだった。

 

ジョーダンダロ?というくらいに。


それは4-0という大差のスコアよりも、ゲーム内容の中にはっきりと見ることができる。
 

日程がイタリアにとって不利だったとか、試合後半に選手一人が負傷退場して10人体制になったのが響いたとか、言い訳がましい意見もここイタリアではちらほら聞こえるが、それは二義的なことだと僕には思える。

 

過去数年間、もっと正確に言えば2008年以来、スペインのサッカーは欧州のみならず世界を席巻している。

 

スペインは2008年に欧州選手権を制し、2年前のW杯では欧州勢はもちろん、世界サッカーの強豪ブラジルもアルゼンチンも退けて優勝した。そして今回再び欧州カップで勝った。

 

その事実を見ても、今日現在はスペインが世界最強のチームであることは疑いようが無い。

 

そうではあるが、しかし、それにしても、決勝戦でイタリアを完膚なきまでに打ちのめしたスペインの強さはすごいのひと言につきる。

 

今年の欧州選手権で明らかになったことが幾つかある。

 

一つ

 

スペインの圧倒的な強さ。

 

二つ

 

イタリア、ドイツの底力の強大。

 

三つ

 

イングランドの弱い強さ。(強い弱さではない)

 

四つ

 

その他のチーム、つまり欧州全体のサッカーの底上げ。革新。実力の上積み。

 

そうしたことの全ては、スペインの強くて美しくて楽しいサッカーがもたらしたものである。

 

強くて美しくて楽しいスペインのサッカーとは、徹底したボールポゼッション(ボールキープ、ボール保持)及びパス回し。

 

1)  スペインチームはその技術をひたすらに追求し完成することで世界最強になった。

 

2)  欧州サッカーの2大勢力であるドイツとイタリアが、スペインのプレースタイルを模倣し、自家薬籠中のものにしつつあること。2国の底力の強大とは、スペインのパス回しを見習うことで本来の強さに加わった彼らの明確な熟達。

 

 

3)  サッカーの本家イングランドのスペイン模倣。サッカーをゲーム・遊びではなく、飽くまでも「スポーツ」と捉える律儀から来るイングランドの「弱さ」は、ドイツやイタリアと共にスペインを真似る競技概念を導入することで姿を消し、少しの「強さ」を獲得しつつあるように見える。イングランドの弱さの中に芽生えた強さ。

 

4)  欧州各国のチームは多かれ少なかれ、ドイツ、イタリア、イングランドに倣(なら)ってスペインを目標に研鑽を積んでいる。それが全体のレベルアップにつながっている。とは言うものの、ボールポゼッションやパス回しに習熟するのは至難の業。サッカー弱小国ではそれを血肉化するまでには相当の時間がかかるに違いない。そうこうしている内に、技術の流行は別のものに移って行くだろう。

 

スペインの偉大は、欧州のみならず世界のサッカー文化に強く影響していると考えられる。それは2年後のワールドカップで明らかになるだろう。

 

欧州を席巻しているスペインサッカーのコンセプトが、特に南米の強豪ブラジルとアルゼンチンにどんな差し響きをもたらしていくのか。

 

僕は2年後のW杯を思って、今からまたわく、わく、わくわく・・・・

 

 

わくわくと待つ、欧州カップ決勝戦の。ワク、ワク。



プーリア州・ガルガーノのビーチの寝椅子に寝転がって、アドリア海のまぶしい光にまみれて日がな一日新聞や雑誌を読みまくっていた。

 

一週間。

 

ビーチでの日がな一日とは、正確に言うと朝9時から12時と午後16時から19時。

 

でも昼食後もコテージの中でやっぱり新聞・雑誌を読んでいた。

 

持って行った本は一冊も読まなかった。読めなかった。新聞・雑誌で手一杯。時間がなかったのだ。

 

読んでいたのはサッカー欧州選手権に関するものばかり。普通紙もスポーツ紙も同じ。もちろん雑誌等も。

 

夜は試合をテレビ観戦。レストランで。人々と共に。叫び、嘆き、笑い、興奮した。

 

面白いのひと言に尽きた。試合も、試合を見る形も。

 

なぜ欧州選手権にそれほどこだわるのかと言うと:

 

ひとつ、僕はサッカーが好きなので、2年ごとに同じような夏を送る。つまりワールドカップと欧州カップが開かれる年。

 

両選手権とも4年ごとに開催され、欧州杯はW杯の中間年に、言い換えればW杯は欧州杯の中間年に当たる。

 

2年ごとのサッカーの祭典。2年ごとに繰り返される、サッカーざんまいの僕の夏の一ヶ月間。

 

もうひとつ、今年は欧州各国チームの戦い振りが劇的に違っている。そこへの興味。

 

さらにもうひとつ、欧州各国チームの選手構成の劇的変化。それは各国の社会情勢を如実に表している。そこへの尽きない興味。

 

今夜はついに決勝戦が行なわれる。スペインVSイタリア。

 

スペインは順当勝ちとして、イタリアの決勝進出はおどろき。でもちっとも奇跡などではない。

 

準決勝のドイツVSイタリアは、両チームの戦い振り・戦略と、同時に選手構成・両国社会情勢という観点からももっとも面白いサブジェクト、題材。

 

決勝戦が終わったらきっと書いておこうと思う。

 

とりあえず今夜は決勝戦を楽しむ。今からわくわくして何も手につかない。こうして書いているのがやっと。

 

野外バールの大スクリーンで人々と共に観戦しようと考えていたら、友人のアンジェロから連絡。夕食への招待。

 

食べながら、あるいはビール・ワインを飲みながら、友人家族皆で集まって決勝戦を見よう、とのこと。一も二もなくOKする。

 

それまでは、今日の新聞5紙とスポーツ新聞2紙をじっくり読んで気持ちを落ち着けよう・・

 

僕の予想は2-1でイタリアの勝ち。もしかすると、イタリアストライカーのバロテッリとゲームメーカーのピルロが噛み合って、大量得点になるかも・・というのはもちろん希望的観測・ポジショントーク。結果の客観的予想なんて誰にもできないし意味もない。

 

どのチームが勝とうが負けようが、両チームは激しく競い合い、影響し合い、模倣し合い、技術を磨き合ってきた。そこにはドイツ、フランス、イギリス、オランダ等々が密接にからむ。

 

それは、変化と進展と親和を求めようとする、欧州社会の輝かしい部分の縮図、と僕には見える。

光があるのだから、もちろんそこには影もある。

欧州サッカーの面白さは欧州社会の面白さそのもの。欧州選手権はその集大成。わくわくわくわく・・・わく。




にわか旅



今日、これからプーリア州のガルガーノへ移動する。車で。

 

ガルガーノはイタリア半島のかかとの反対側(北)にあるコブのような小半島。

 

あるいはブーツの足首の裏にあたる附近。

 

1週間の「短い」バカンス。海際のバンガロー・コテージで過ごす。

 

毎年6月、最低でも2週間は休むが、今年は忙しくて無理。

 

さんざん迷って、なんとか1週間取れた。でも仕事が残ったのでPCを持って行く。

 

普通は絶対にそういうことはしない。休みにはPCも休み。

 

ま、持って行けば必ず使いたくなるから、気が向けばブログも更新するかもしれない。

 

と、そういう風に流れ勝ちだから、休みにはきっぱりとPCとおさらばするのだけれど。

 

行き先をガルガーノに決定するまでに、トルコのアンタルヤにするかギリシャのコルフ島かとさんざん迷った。

 

結局、時間切れでうまく旅程が立てられず、イタリア国内のガルガーノへ。

 

ツー訳で、

 

ガルガーノから顔出しできない場合は、7月に会いましょう。

 

チャオ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!


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