【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

日伊往来がますます楽しい  


スクランブル交差点大ロング50%アダン手前浜






2年ぶりに一時帰国をした。

帰りのアリタリア機の中にマスクをしてごほごほ咳をしている人が何人もいた。

そこで風邪をうつされたらしく、喉が痛くなり鼻水がとまらず、体もだるく少しの発熱もあったので、3日ほどほぼずっと寝て過ごした。

おかげで時差ぼけをあまり感じないまま4日が過ぎた。僕は体質的に時差ぼけに弱い。時差ぼけもつらいが、風邪もつらいので、どっちにしても難儀な旅の終わりになった。

でも、久しぶりの日本は楽しかった。最近僕は日伊往来をひどく面白く感じる。その感じは年とともに大きくなっていて、ほとんどワクワクする気分である。

何が楽しいのかというと、日伊の違い、つまり文化や景色や人情や食事や空気の違いetc・・がひどく楽しく、かつ嬉しく、面白く、ときめくのだ。


50%中ヨリ50%岩浜






いつものように帰国後は、人ごみに紛れ込んだり、逆に人のいない場所で密かに過ごしたりした。

仕事以外では僕はいつもそうしてきた。大都会とド田舎が好きなのだ。

都会と田舎の落差は、日本とイタリアの違いほどの新鮮な喜びを僕にもたらす。


50%109夕刻引き105UP50%






都会では、たとえば渋谷の繁華街のど真ん中のホテルに部屋を取って、好きな時間に出かけて本屋を巡り、食べ、グッズ店や路地やデパ地下などを覗いてまた本屋に寄って、夜は居酒屋で食べて少し飲む。

田舎では、南の島の海で過ごす。島には大小があり、大は観光客などで結構にぎやかだが、小はまったくの隔絶社会、というところも多い。幸い僕はその中でもひどく辺鄙な小さな島で生まれ育った。


岩と浜50%50%波打ち際






その島の冬の海には誰もいない。白いビーチと水と景色が全て自分のものだ。そんなゼイタクを密かに謳歌する。

50%岩集合中ヨリ















海はしかし、常に少しの恐怖心とともにある。写真の岩は津波によってもたらされたものと言われる。それらはいつもそこにあった。でも昔は誰も津波のことなど考えもしなかった。

岩手前後方広がり50%















2011年3月11日を境に、景色が一変した。それらの岩が外海の深くから掻き出されて、巨大な波に乗って島に投げ上げられる様子が、誰の目にもはっきりと見えるようになった。

歴史の記憶と幻想がもたらす恐怖はしかし、幸いなことに、絶景の中に1人ひたっている実感がもたらす絶大な喜びを挫(くじ)くことはない。

%岩手前半分後方広がり50















日本では僕はそうやって、人海の中の孤独と無人の浜の孤独を交互に楽しむ。それは何ものにも替えがたい深い喜びである。

それなら僕は人嫌いなのか。

断じてそんなことはない。

僕は都会でも南の島でも友人知己と大いに交わり、飲み、食べ、談笑して飽くことがない。

でもそれが終わると、1人静かに孤独の海にたゆたうことをいとわない。むしろそれを希求する。

それは映像作りと書きものの関係に似ている。

映像は1人では作れない。僕というディレクターがいて、カメラマンがいる。音声マンがいて照明担当者がいる。それらの助手もいる。

スタジオ撮影の場合はさらに多くのスタッフがいる。ロケが終わると編集者がいて、最終仕上げにも多くのスタッフがかかわる。

映像は集団で作りあげるものである。

物を書く作業は、逆に1人ですべてをこなす。書斎に1人こもってもくもくと書き、調べ、読み、また書き進める。

社会的作業が映像制作。孤独な作業が執筆だ。

僕はその両方が大好きである。



サンレモ音楽祭とベニスカーニバル

例年2月頃、ここイタリアではサンレモ音楽祭やベニスカーニバルが開催される。両者ともその年によって日にちが多少ずれるが、ほぼ今頃が旬の大きなイベントである。

僕はベニスカーニバルを、主にテレビ番組向けにずい分と取材をした。プライベートでも訪ねた。祭自体も面白いが、ベニスという街に深く惹かれていて、カーニバルにかこつけては出かけてきたのだ。

サンレモ音楽祭は実際に見たことはない。ニューヨークの後にイタリアに移り住んで以来、同音楽祭を取材したいと思わないでもなかったが、企画書を書いた覚えがない。

テレビ番組を作るときは、自らで企画を書いてテレビ局や制作会社に売り込み、金を出してもらう。彼らが取材をしてくれと依頼してくることもあるが、僕の場合はほぼ9割程度が自分で企画を出す。

企画を出すとは、アイデアを具体的な形にして、且つ文章にしたためて金づるに提示するということである。つまり、アイデアを売るのだ。面白くなければ相手は間違っても金を出さない。だから必死だ。

サンレモ音楽祭には、テレビ屋の僕が必死になるだけの魅力がなかった。いや、60年以上も続いている音楽の祭典だ。魅力がないわけがない。僕が魅力を見出せなかったのだ。

魅力を感じなければ企画書など書けない。ドキュメンタリー監督とは番組の第一番目の視聴者のことである。視聴者は番組が面白くなければ見ない。言葉を変えれば、視聴者である監督は、自分が面白いと感じなければ決して企画書など書けない。

サンレモ音楽祭を面白いと思えなかった僕は企画書が書けず、また書く気もなく長い時間が過ぎた。サンレモ音楽祭を面白くないと感じるのは、昔その祭典の中継生放送を見てうんざりしたことが原因。

およそ4時間も続く歌の祭典は、似たような歌がえんえんと続く印象で、僕にはほとんど苦痛だった。しかもそれは、番組が1日で終わる例えば紅白歌合戦などとは違って、普通の場合5日間も続くのである。

カンツォーネといえば響きがいいが、要するにそれはイタリアの演歌のことである。僕は演歌も好きだが、中には陳腐な歌詞やメロディーがうっとうしいものも多い。カンツォーネもまさにそうだ。

似たような節回しや思い入れやメロディーが、陳腐な言葉とともに繰り出される状況は、好きな人にはたまらく嬉しいのだろうが、僕にはつらい。

カンツオーネが嫌い、ということではない。演歌同様に僕が好きなカンツオーネは多くある。傑作とはとても思えない歌を次々に聞かされるのが、陳腐な演歌のオンパレードに接しているみたいで疲れるのである。

これではいけないと思って、実は今年は、音楽祭のテレビ中継を全部見てやろうと気合を込め、番組初日の2月10日にテレビ桟敷に陣取った。でも最初の30分ほどでやはり挫けて投げ出した。

セットや雰囲気や構成は素晴らしいのだが、肝心の歌のコーナーでは僕はやっぱり退屈した。感動のない歌ばかりだった。でもいい歌は必ずあるのだ。だって優勝曲を筆頭に、これはという歌が毎年現れる。そこに行き着くまでが長過ぎるのである。

そこで優勝曲が決まる最終日の14日を頑張って見よう、と待ち構えていたのだがすっかり忘れた。後で知った優勝曲はやはりそれなりに面白かった。決勝戦を見るべきだったと後悔したが、もう後の祭りである。

そんな具合に僕の独断と偏見によって、サンレモ音楽祭はテレビ屋としての僕の興味の枠外に置かれてしまい、長時間のドキュメンタリーどころか短い報道番組にさえならなかった。

が、先のことはもちろん誰にも分からない。


「自己責任論」という無責任論



人質事件の途中総括はどこ?
イスラム国による邦人殺害事件は、人質交換に絡んでいたヨルダン人パイロットも犠牲になっていたことが明らかになって、ヨルダン国民の怒りが爆発した報復空爆が開始され、同時に日本人が今後もテロの脅威にさらされ続けるかもしれない不安と苛立ちを内包したまま、いったん節目を迎えた。

国際社会と組んだ日本の、イスラム国との戦いはこれからも続くことになるだろうが、惨劇を通して見えてきた多くの問題点は、途中総括として分析・検証し議論されるべきなのに、メディアに自粛心理とやらが働いて、いつの間にか安倍政権批判を控える風潮が醸成されているらしい。それは奇怪且つ危険な傾向だ。

そんな折の2月10日、政府は人質事件の検証委員会を立ち上げて初会合を開いた。ところが検証委の10人のメンバーは全員が政府関係者という笑い話。とんだ茶番だ。識者など外部の人間を入れないお粗末な仕組みには、安倍首相の責任を含む政府の瑕疵を隠したい意図が透けて見える。

太平の夢を破られた日本人
イスラム国による陰惨な犯罪は、たとえば東日本大震災のように、事件以前と以後では世界が全く違って見えるほどの衝撃と覚醒をわれわれに与えた。事件は多くの日本人が密かに胸中に抱く、自国が世界から隔絶されて「在る」という錯覚がもたらす安全神話、あるいは太平の夢を粉々に打ち砕いた。

今後も日本人をテロの標的にするというイスラム国の宣言を待つまでもなく、われわれは自らも常に世界の動乱のまっただ中にいるということを認識し、我が身を守りまた他の人々の身も守る手だてについて、国際社会と対話しつつ真剣に考えなければならない時がきた。

その時は実は、2003年のイラク戦争のあたりで既に始まっていた。しかし国際感覚ゼロの日本人は、それに気づかなかった、というのが正しい。イスラム国もその年に誕生した。正確には誕生が決定付けられた。アメリカのイラク攻撃で壊滅したフセイン独裁政権の残党がイスラム国の中核を成すからだ。

日本はその戦争に他の西側諸国連合とともに参加した。当時派遣された自衛隊は、後方支援に回っただけであり、莫大な金銭支援を含む日本の関与は飽くまでも人道支援だという日本の主張は、殴られた側の者たちにとっては身勝手な言い訳とも映る。人質殺害の遠因はそこにもあると言わなければならない。

安倍首相の責任の有無
想像を絶する残虐さで人質を殺害していくイスラム国は完全な悪である。組織は殲滅されるべきであり、遅かれ早かれ有志連合の厳しい追討を受けて壊滅するだろう。後藤さんと湯川さんの死の責任は全てそのイスラム国にある。そこをしっかりと確認した上で、2人の死の意味についてもう少し考えてみたい。

まず何よりも2人の日本人は殺されるべきではなかった。彼らを殺害した責任は、繰り返すが、徹頭徹尾イスラム国というモンスターにある。自己責任さえ問われたりする被害者の後藤さんと湯川さんはもちろん、中東訪問前と訪問途中での問題の対処法に失策があったのではないか、と指摘される安倍首相にも日本政府にも殺害の責任はない。

しかしながら、人質2人を『救えなかった』という大きな責任からは安倍首相も日本政府も決して逃れることはできない。なぜなら日本国政府つまり安倍首相には、日本人である後藤氏と湯川氏の生命を守る義務がある。それは彼らが「自己責任」でイスラム国の支配地域に渡航した事実とは別の、国民国家に於ける国民に対する国家の義務であり縛りの一つだ。

「自己責任」は遍在するが限りもある
自己責任は人が生きていく限り、いつでもどこでもいかなる言動にも付いてまわる。例えば1人の日本人が観光旅行でパリに出かけるのは、まさに「自己責任」である。しかしその人が旅先で運悪くテロに巻き込まれたら、果たしてそれも自己責任だろうか。そんなことはあるはずもない。

自己責任は文字通り「自己の決断」事項への責任であって、自らの意志ではない外部要因にまで求められるべきものではない。自己責任による行動の結果、予期しなかった事態に巻き込まれた者にさらなる自己責任を求めて糾弾するのは、無責任で理不尽な行為だ。

2人の日本人が危険な地域に渡航した自己責任は、より安全と考えられる地域に観光旅行に出た日本人の自己責任よりも、あるいは重いのかもしれない。軽率という考え方もあるだろう。しかし、それ以後に起きた事件に際しては彼らには自己責任はなく、日本政府の側に彼らを「救う責任」が生じるだけだ。

今回のイスラム国による人質事件の場合は、身代金を支払うことで将来新たなテロを呼ぶ危険がある。従って支払いを拒否するべきだ、という意見は真っ当な主張であり判断だった。しかし、2人がそこに渡航し拘束されたのは「自己責任」だから救助しないで放っておけ、と主張するのは飽くまでも間違いだ。

首相と政府は無責任思考に捉われていなかったか
後藤、湯川の両氏が危険地域にあえて渡航したことの責任は彼らにある。だがそのことを持って、テロリストに拘束された2人が「国家の保護の対象外になる」ということがあってはならない。国家はあらゆる方策を「可能な限りの範囲」で行使して2人を救う義務があるのだ。

国が手段を尽くして、それでも2人が殺害された場合は、これは致し方のないことだ。だがそれで2人を『救えなかった』国の責任が消えてなくなる訳ではない。国は、つまり安倍首相は、その意味で非難され糾弾されなければならない。間違いの原因を明らかにして、将来の指針とするためだ。それが開かれた国民国家のあり方だ。

国民国家の原理原則に照らし合わせてみて、そのように国と安倍首相には国民を『救えなかった』という落ち度が既にある。が、今回の事件ではそれに加えて、安倍首相と政権周辺が「後藤、湯川の2人には自己責任がある。だから助けなくても良い」と考え、あるいは暗黙に了解しあって、救出に向けての懸命の努力を怠った疑いがある。

そこまでの明確な意志表現はなくとも、多くの国民が表明した「自己責任論」という無責任論に影響されて、2人が拘束されたことが明らかになった時点で素早く動かなかった。救出作戦の初動に瑕疵があった、という懸念が非常に強い。もしもそれが事実であるならば、安倍首相は2重に非難されても仕方がない。

テロに屈しないのは当たり前、人命救助は義務
日本が中東を支援することは正義だしこのまま続けるべきだ。テロには屈しない、というスローガンも重要だし、そう言い続けてまたそのように行動するべきだ。だが、その裏で国民の生命を守るためにあらゆる手段を用いて必死で動くことが、一国の首相の最重要な仕事の一つだということは、繰り返し確認されなければならない。

憲法改正、特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の行使容認に向けた法整備等々、安倍首相が画策し推し進めている全ての重要案件の大儀は、飽くまでも彼の考えによれば、最終的には常に「国民の生命と財産を守るため」にである。それらの分野では首相は渾身の力を込めて努力をしている。

その本人が人質になった2人の国民の生命を守るために全力で動かなかったとするなら、それは遺憾を通り越して危険な兆候でさえある。なぜなら首相は、対峙する事案によって立ち位置を変える、ダブルスタンダードで国の舵取りをしていることになるからだ。

政府が人質2人の救出に向けて本気で動いていなかったことを疑わせる最も大きな出来事は、2人を拘束しているイスラム国の目の前と言っても過言ではないエジプトで、首相が「イスラム国(ISIL)がもたらす脅威を少しでも食い止めるため、イスラム国(ISIL)と闘う周辺各国に総額で2億ドル程度支援します」と演説したことだ。

首相が得意気に行った演説を待っていたように、イスラム国は人質2人を盾に安倍首相と日本を脅迫し、最終的には後藤さんと湯川さんを虐殺した。言うまでもなくイスラム国は、その演説がなくても2人を殺害したかもしれない。だが名指しで非難されなかったなら彼らは、あるいは2人の命を奪わなかったかもしれないのだ。

本音と建前は外交・交渉の常識
イスラム国が日本人人質の動画を公開して脅迫を始める直前、同じくテロ組織に拘束されていたイタリア人の女性ボランティア2人が解放された。イタリア政府の公式の立場は、いつものように「身代金は払わない」「テロには屈しない」である。それは米英を除く欧米各国のスタンスと全く同じで、本音と建前を使い分けた宣言だ。

つまりイタリア政府は、2人の人質の解放と引き換えに1200万ドル(約14億円)をイスラム国に支払った、というのがほぼ「公然の秘密」なのだ。フランスとドイツを始めとする欧州各国も同様の動きをしている。それと同じことをしろとは言わないが、政府はそうした選択肢も含めたぎりぎりの外交・交渉を秘密裡に、真剣に、必死に行う義務がある。

2人の日本人の身代金として要求された2億ドルはいかにも高過ぎ、イスラム国が本気で身代金を求めたかどうかはっきりしない点もあることはある。しかし、安倍首相は「テロには屈しないし身代金も支払わない」という建前は崩すことなく、要求金額の値引き交渉を含むあらゆる手立てを使って、2人の人質を救う努力をするべきだったのだ。

その努力は、中東での切羽詰った状況の中だけではなく、湯川さんが拘束された昨年8月に始まり、後藤さんが拘束されて彼の家族に身代金(約10億円)の要求があった11月初めの時点で加速されるべきだった。政府は2人の拘束と身代金要求の事実も全て把握していたのだから。

そうやって中東訪問までの2ヶ月の間に、首相は、家族に要求された身代金を国が舞台裏で肩代わりして支払うか支払わないかの判断を含む、あらゆる救出法を真剣に模索して何らかの結論を得ておくべきだったのだ。彼はそれをしないいまま中東に行き、今度は2億ドルという途方もない額に跳ね上がった身代金を「公開」で要求される羽目に陥った。それら一連の動きからは次のようなことが見えてくる。

安倍首相は先ず「自己責任論」という無責任思考に捉われて初動を間違え、その誤謬を抱えたまま中東を訪問した。そこで軽率のそしりを免れない演説をした直後、イスラム国の脅迫に遭って仰天・動転しまくった。その証拠の一つが英国首相に向けて彼が「公言」した「身代金は支払わない」という余計な一言だ。そうやって本音と建前をしたたかに使い分ける外交能力の欠落がまたさらけ出され、遂には2人の邦人の殺害という最悪の事態がやってきた・・。

という推論は完全に的外れだろうか?


マタレッラ伊新大統領~反マフィア・反ベルルスコーニの旗手~


今年6月で90歳になるイタリア・ナポリターノ大統領が辞任したのを受けて、後継者を選ぶ大統領選が行われ、元国防相で憲法裁判所判事のセルジョ・マタレッラ氏が選ばれた。

国父とも慕われたナポリターノ大統領は、1期目7年の任期が終わろうとしていた2013年、政治混迷の中で議会に強く請われて2期目の大統領選に出馬し、当選した。

その時既に87歳だった同大統領は、政治混乱が収束した時点で辞任したいと明言し、議会も国民も納得した。絶大な人気を誇った老大統領は先日、約束通り任期途中で引退した。

マタレッラ新大統領は73歳。選挙では民主党所属のレンツィ首相の支持を受けて、国会議員と地方代表を合わせた総数1009票のうち665票を獲得した。予想以上の勝利は、反目するベルルスコーニ元首相のグループが切り崩されたからである。

マタレッラ大統領の誕生は、彼を強く支持したレンツィ首相の、初めての政治的な勝利と言っても過言ではない。なぜなら39歳という若さを売り物に政権を担ってきた同首相は、ここまでほとんど何の実績も残していないからである。

レンツィ首相は内部分裂の激しい民主党と、中道右派を含む連立与党の全てをマタレッラ支持で一つにまとめた。マッタレッラ氏は過去に何度もベルルスコーニ元首相と対立している。彼を支持することは即ち元首相への反目を意味する

元首相は脱税で有罪判決を受け、議員資格を失いながらも依然として政界に大きな影響力を行使している。レンツィ首相は、反ベルルスコーニ色の強いマタレッラ氏と組むことで元首相に打撃を与え、彼の影響力を削いだと考えられている。

マタレッラ新大統領は、イタリア・マフィアの本拠地シチリア島出身。彼の政治家人生は、そのマフィアとの関わり合いの中で始まり、決定付けられた。

マタレッラ家はシチリアのケネディ家とも称される名門政治家一族。父親のベルナルド・マタレッラは島の有力政治家であり、1950~60年代には閣僚も歴任した。また実兄のピエルサンティはシチリア州知事に登りつめた。

若き日のセルジョ・マタレッラは政治には興味がなく、学者としての道を歩んでいた。しかし1980年、大きな転機が訪れた。その2年前にシチリア州知事に選出されていた実兄のピエルサンティが、マフィアの襲撃を受けたのである。

州知事の兄はマフィアとの対決姿勢を鮮明にして活動していた。1980年1月6日、州知事が公顕祭(Epiphany :キリストの姿が公になったことを祝う祭り)のミサに出席するため家族と共に車に乗り込んだ時、マフィアの刺客が知事に向けて8発の銃弾を打ち込んだ。

たまたまその場に居合わせた弟のセルジョ・マタレッラは、救急車に乗り込んで虫の息の兄を膝に抱いたまま病院に向かった。兄の体とそれを掻き抱いている弟の体が鮮血にまみれ車中に血の海が広がった。

州知事は病院に着く前に死亡した。弟のセルジョはその日いっぱい、急報に接して次々に病院に駆けつける家族や友人知己の対応に追われた。そのときの彼の衣服は兄の血でぐっしょりと塗れたままだった。

その凄惨な経験がセルジョの人生を180度変えた。彼はマフィアの銃弾に倒れた兄の後を継いで政治家になる決断をした。心中にあるのはマフィアへの怒りと犯罪組織を合法的に殲滅するという決意だった。

寡黙で節度ある物腰が人々の尊敬を集めていた法学者セルジョ・マタレッラは、3年後に下院議員に初当選して政界入り。筋金入りの反マフィア政治家へと変貌 を遂げた。政治家になってからも彼の控えめな態度は変わらず、その慎重な物腰が逆に彼のしたたかさを際立たせる、とも評価される。

アンドレオッティ内閣で教育相を務めていた1990年、セルジョ・マタレッラはベルルスコーニ元首相所有の企業に大きく利すると見られた「メディア自由化法案」に猛烈に反対。抗議の為に教育相を辞任した。以来彼は反ベルルスコーニの旗手としての顔も持つことになった。

レンツィ首相はそのマタレッラ氏を担ぎ出すことで、反ベルルスコーニの旗印を鮮明にし、且つ勝利した。今後は首相と大統領が手を組んで改革を進めることになるだろう。そして恐らく彼らの行く手には、ベルルスコーニ元首相が常に立ちはだかることになる。

イタリア大統領は国会を解散し、総選挙を行い、首班指名をする権限がある。しかし政局が安定している場合、それらは儀礼的な役割に過ぎない。ところがそれ は政局が不安定化すると一転して強い権力になる。そしてイタリアは政治不安が頻繁に起こる国である。結果的に大統領は、重要な意味合いを持つ地位、というこ とになる。 

反マフィア、反ベルルスコーニのシンボルであるマタレッラ新大統領は、経験不足が露呈しつつある若きレンツィ首相の、起死回生に向けてのあるいは起爆剤 の役割を担う存在になるかもしれない。それは取りも直さず、2人がベルルスコーニ元首相の影響力を徹底排除する方向に動き出すことを意味している。


成るかチュニジアの民主化

50%父子引きチュニジア香炉引き50%

北イタリアのスーパーの一角でアラブ産陶器を売るチュニジア人父子


仏テロの次は日本人人質事件、と年明け早々展開の速い事件が続いている。筆の遅い僕はそれらについて書こうと思いながら時間が過ぎ、昨日はとうとうイスラム国に拘束されていた日本人の1人湯川遥菜さんが殺害されたとするニュースが世界中を駆け巡った。

イスラム過激派の蛮行が続いて、ここ欧州では無辜(むこ)なイスラム教徒や同移民への反感や偏見が増長している。過激派を糾弾することが一般のイスラム教 徒への憎しみにつながってはならない。しかし、イスラム教徒への同情が過激派への援護になるような事態もまた避けなければならない。

昨今は混乱の中で、あってはならないことが同時にあるいは次々に起こっている。いずれの主張や立場や言動にも一理があり且つ間違いがある、というのが真実 である。僕自身は基本的に揺らがないスタンスを持っている。つまり「表現の自由」とは過激なことも差別的なことも含めて何でも表現することを良しと する、ということである。

それはある種の人々には決して受け入れられない考え方である。信じる者にとっては絶対である神以外は、あらゆる事象は2面性を持っている。が、実は神そのものも2面性の矛盾からは逃れられない。なぜなら神を信じない者にとっては、それは絶対どころか存在さえしないものだから。

今世界を揺るがしている表現の自由や宗教風刺画やテロといった深刻な事案の特徴は、極めて折り合いのつけにくい2面性の共在だ。どこを切り取って見ても、あちらを立てればこちらが立たず、という状況になって妥協が難しい。

それでも妥協点を探りつづけ、折り合いの付け所を見つけようと努力するのが文明社会の鉄則だ。しかし、こと「表現の自由」に関する限りは、僕はあえて譲歩をすることなく、2面性のあちらとこちらに立つ者がお互いの主張を永遠に言い合い、同時に「言い合うことを認め合う」間柄でいれば良いのではないか、とも思う。

芸術表現においては、それは自明のことである。問題は政治的な観点での表現の自由だ。そこでは表現者を銃剣で殴殺する「ヒョウゲン」もあると考える、権力者を含むテロリストへの怖れから、表現の制限が言われる。つまり表現の自由がそこで死ぬ。

僕はあらゆるものの持つ2面性を認める。つまりそれは僕に真っ向から反対する人々の主張も尊重するということだ。本気でその態度を貫けば、表現を暴力で圧殺することはあり得ない。

もちろん言葉の暴力や風刺画の暴力など、表現にまつわる「不快」は常につきまとう。だがその「不快」は生きている限り、つまり銃剣によって抹殺されない限り、必ずどこかで解消可能なものだ。それこそ表現によって。

僕はそのことについて既にブログに書き出していて、この先もしばらくはそのテーマで記事を書いていくつもりだが、ここでは昨年末から書きそびれていることを急いで書いておくことにした。実はそれも「表現の自由あるいは不自由」に関する連続テーマの一環だ。

2014年12月21日、ジャスミン革命の地、チュニジアで大統領決戦投票が行われた。決選投票の約一ヶ月前に行われた大統領選には、27人が立候補し過半数を獲得した候補は出なかった。

そこで1位と2位に入ったカイドセブシ氏(87)と、人権活動家の暫定大統領マルキーズ氏(69)の間で決戦投票が行われ、前者が勝利した。

冒頭の写真は大統領選の直後、僕の住む北イタリアの村のスーパーの一角(市場)で、チュニジア製の陶器を売る同国出身の父子、モウラド(Mourad44)とシェディ(Chedy17)である。

父親のモウラドは、大統領選でカイドセブシ氏が勝ったことをとても喜んでいた。理由はカイドセブシ氏の方がよりCattivo(カッティーヴォ)だからだという。

Cattivoとはイタリア語で嫌な奴とか悪い奴とかを意味する。カイドセブシ氏を支持すると言いながら矛盾するような表現だが、モウラドは実はその言葉を「強い人格」という意味で使ったのである。

つまり2011年のジャスミン革命の後、政治経済ともに低迷・混乱している彼の母国チュニジアには、強いリーダー「Cattivoな政治家」が必要で、カイドセブシ氏こそ適任だという訳である。

モウラド一家は、イスラム過激派とは何の関係もない、それどころか無法なテロ組織を憎む、普通のイスラム教徒である。イタリアを含む欧州には、モウラド一家と同じ多くの罪の無いイスラム教徒が住んでいる。

モウラドと彼の家族の場合には、混乱が続くアラブ諸国の中で比較的民主化が進んだチュニジアからの移民、というのが少し毛並みが違う。チュニジアはアラブ世界の民主化のロールモデルになり得る可能性を依然として秘めている。

父子は母国で民主的な選挙が行われたことを喜び、勝利したカイドセブシ氏がうまく国をまとめてチュニジアに真の民主主義を根付かせてほしい、と熱心に話していた。

新大統領のカイドセブシ氏は87歳と高齢だが、彼が党首を務めるニダチュニス党は先に行われた議会選挙でも勝利を収めて、いよいよチュニジアの本格的な民主化へ向けて動き出すと期待されている。

チュニジアは憲法で大統領の権限を国防と外交に限定し、内政を首相に一任する形を取っている。権力が一箇所に集中して独裁性が高まることを阻止するためである。長い独裁政権の下で苦労した経験からの知恵である。

しかし、カイドセブシ氏のニダチュニス党は昨年10月の議会選挙でも勝利していて、首相と大統領の両ポストを握ることになるため、独裁化を危惧する声も上がっている。

仏テロから邦人人質事件など、イスラム過激派の動きが世界を震撼させる中、アラブ諸国内での過激派への対抗勢力としてもっとも期待されるのが、民主主義や民主国家の誕生である。

その先頭を行くのがチュニジアだ。アラブの春の動乱に見舞われている国々の中では、チュニジアの民主化がもっとも進んでいるとされているのである。

ところが、同国からは多数の若者が出国して、シリアとイラクにまたがる地域を拠点にするテロ軍団「イスラム国」に戦闘員として参加するなど、不穏な事態も多く発生している。

矛盾と不安と混乱が支配するチュニジア社会をまとめて、そこに民主主義を根付かせることができるなら、カイドセブシ氏はアラブ世界の救世主として歴史にその名を残す可能性も大いにある。

なぜなら、独裁政権を倒したチュニジアのジャスミン革命がアラブの春の呼び水となったように、今度はチュニジアの民主化が他のアラブ諸国の先導役となって、同地域に横行する独裁政権や過激派が一斉に排斥され、アラブ世界全体に真の民主化が訪れないとも限らないからだ。


シンゾー・アベ首相 where are you?

仏デモ引き見出し込み


写真はフランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」本社 襲撃事件と一連のテロに抗議して、パリで行われた大規模デモの模様を伝える、イタリアきっての高級紙「コリエレ・デッラ・セーラ」の一面である。

この写真と全く同じ絵や映像が、デモ当日の1月11日午後以降、世界中を駆け巡った。WEBなどにはより鮮明な写真が幾らでも載っているが、あえて新聞を接写した。

デモの模様は、イタリアのみならず欧州の大半のメディアで一面トップで大々的に報じられ、その映像はインターネットに親しむ者を含む多くの人々の脳裡に深々と浸透した。

それは繰り返し報道され、15日現在もそこかしこで掲載、放映されている。2015年1月11日は、テロが起きたその4日前の1月7日とともに、欧州をそして世界を揺るがした日として記憶され続けるだろう。

フランス全土では史上最大の370万人、パリだけでも推計200万人近くが参加したとされるデモには、世界約60の国や地域の代表も加わって行進した。

主催者のオランド仏大統領に賛同した主な顔ぶれは、英キャメロン首相、メルケル独首相、スペインのラホイ首相、イタリアのレンツィ首相等の欧州首脳。またイスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ暫定自治政府のアッバス議長も顔をそろえた。

そこに安倍首相の姿が見えないのが僕はとても残念である。もしも参加していたならば、安倍首相はきっとデモ最前列の中央、オランド大統領の近くに陣取るように要請されて、堂々と行進をしていただろう。

なぜならば、遠い極東の、重要国のトップである安倍首相の参加は、反テロで世界が結束する姿をさらに鮮明にするものであり、宣伝効果も絶大だからだ。

事件そのものや背景に関しては、新聞の宗教風刺画の是非をはじめ多くの論点があり、僕自身もまた意見を言うつもりでいる。

ここでは、反テロを強くアピールしたこの大舞台に、安倍首相が参加しなかったことの意味だけを少し考えてみたい。

安倍首相には誰よりも先にこのデモに参加してほしかった。いや日本国のイメージと首相自身のそれのためにも彼はぜひとも参加するべきだった。

そうすることによって彼は、極右に近いナショナリストや歴史修正主義者などと規定されて、国際社会から疑惑の目で見られている立場をあるいは改善させ得たかもしれない。

そうした非難がすぐに消えることはなくても、暴力と殺戮を指弾する国際社会への連帯を示した、としてポジティブな大きな評価を得たであろうことは疑いがない。

昨今の日本国自体の「政治的」立場は、国のトップの悪評によって日々脆弱化している。デモへの首相の顔出しは、ネガティブな今の状況にも資するものがあったはずだ。その意味では本当に残念なことだった。

僕は今回のデモの様子を幾つもの国際衛星放送やWEBで繰り返し見ながら(見せられながら)、2005年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀の際に露呈した、日本政府の世界感覚からズレた言動をまた思い出してしまった。

歴史に大きな足跡を残したヨハネ・パウロ2世のローマでの葬儀には、欧州を始めとする世界各国の若者や信者が500万人も押し寄せた。

また極めて多くの国々の首脳や元首が馳せ参じたことも、強く記憶に残っている。参列国のリストを見ると、トップや元首を送り込んでいない国や地域を探すのが難しいくらいの壮大な式典だった。

当時小泉純一郎氏が首班だった日本政府は、教皇の葬儀が外交的にいかに重大な舞台であるかを微塵も理解しなかった。

首相あるいは皇室の誰かが出席してもおかしくない場面で、日本は外務副大臣を送ってお茶を濁し、世界の笑いものになった。が、当時の日本政府には世界に嘲笑されているという意識さえなかったのである。

安倍首相は「地球儀を俯瞰する外交」 を唱え、積極的平和主義を標榜して、就任から2年足らずの間に約50ヶ国もの国を訪問してきた。それと平行してテロとの戦いへの協力もしばしば明言してきた。

それでいながら、多くの国の首脳が一堂に会したパリでのデモ行進に不参加というのでは、反テロを表明する彼の真意がどこにあるのか、と疑われても仕方がないのではないか。

肝心な時に国内に留まって 、世界の誰の心にもほとんど届かない事件の犠牲者に対する哀悼や犯行非難声明を発するだけでは、歴史認識問題等で国際世論との大きなズレを指摘されて窮地に立たされている、安倍首相自身の評判を回復する手段の一つとしてはいかにも弱いといわざるを得ない。




本土はいつまで沖縄にたかるのか



僕も寄稿しているネット論壇「アゴラ」主催者の池田信夫氏が、またもや沖縄を貶める刺激的な記事を発表している。歯に衣着せぬ論はいつものように明快だが、違和感もあるのが正直なところだ。

僕の故郷は沖縄である。愛する故郷を愚弄されて黙っていられるか!という訳で反論を書かせていただく。故郷愛に目が曇ってあるいは論が過激になるかもしれない。その場合はあらかじめお許しを願っておきたい。

沖縄が本土に金をたかっている、というようなえげつない言い回しを相変わらずするのなら、本土は一体いつまで安全保障を沖縄にたかるのか、という視点での論議もなされるべきである。

米軍基地(専用施設)の74%を押し付けられている沖縄が、日本国全体の安全保障の大分を担っている事実を無視して、補助金云々の議論ばかりに終始するのはいかがなものか。

確かに沖縄の心とやらを持ち出して、沖縄を甘やかす極左翼的発想も問題だが、補助金の額ばかりを持ち出して県民を貶めるのは、構造的沖縄差別の発露だと見られても仕方がないのではないか。

そうした説にネトウヨ始めお定まりの右翼系の人々が乗っかって、沖縄に感謝するどころかこれを侮辱する構図はまことに見苦しい。彼ら自身のみならず、日本国の品位をさえ貶める行為である。

本土はもうこれ以上安全保障で沖縄にたかり続けることは許されない。基地問題の歪みの原因の一つは、日本国民のほとんどが「安全(保障)をタダ」かタダに近いものと思っているところにある。

世界から見たらそら怖ろしい幼稚性だ。ほとんど愚民に近い。安全保障をタダだと 思っているから多くの国民が、沖縄にたかりつつ逆に島が本土に金をたかっている、と鉄面皮で下卑た非難をする。

沖縄への補助金は、安全保障のための国防費の一部として提供されて当たり前だ。米軍基地は迷惑施設なのだから、原発の地元に補助金が行くのと同じ構図で何の問題もない。

言うまでもなく、その額が妥当かどうかという疑問はある。従って米軍が日本から完全に撤退した場合の、日本独自の防衛予算がどれ程の額になるかの議論がなされるべきだ。

そうすれば、米軍が駐留することによって国が得ている利益が弾き出され、そこから沖縄の国防負担分の金額がきっちりと導き出される。なぜ国はそれをやらないのか。

実はそんな計算は、とっくの昔に霞ヶ関の魑魅魍魎、つまり官僚どもがやっていることだ。国防には今も膨大な金が掛かっている。米軍が沖縄からまた日本国全体から撤退した場合には、その額は天文学的な数字になるだろう。核武装の可否さえ必ず議題にのぼるに違いない。それよりは沖縄に基地を押し付けておく方が安上がりなのだ。 だから国は沖縄に金を出し続けている。

権力にぴたりと寄り添う官僚と官僚組織は、口が裂けてもそのことは言わない。が、気を入れて探ればすぐに分かることだ。沖縄基地を巡る日本政府とアメリカ政府の姿勢を支え、助長し、且つ隠蔽すると同時に、その力の中核でさえある彼らこそ、構造的沖縄差別の震源とも呼べる存在だ。

戦後、日本は米国との友好関係に助けられて、国防費の支出を抑え、それが経済発展の推進に大きく貢献した。安全保障のただ乗りとまで言われた本土の裕福な状況はそこにも由来する。

その抑えた国防費の多くが、本土から切り離されたまま多大な米軍施設を押し付けられてきた沖縄の犠牲の上に成り立った。そこを忘れてはならないのではないか。言い古されたことだが、あえてここでも指摘しておきたい。

繰り返しになるが、そうした犠牲に対する補償は当然である。その額が妥当かどうかという議論は、前述したようにもちろんなされるべきだ。その上で額が過剰だという結論が出るならば、そのときに沖縄を責めても遅くはない。

同時に、沖縄の一部の人々が後生大事に抱え込んでいる被害者意識と、そこから生まれる本土への甘えは、池田さんが指摘するように最早許されるべきものではない。

本土に対等な扱いを要求するなら、沖縄自身も過去を忘れることなく、だが過去にこだわり過ぎずに、未来志向で経済的にも政治的にもさらに努力をしていくべきである。

さて、ここで池田説に賛同される皆さんに伺いたい。

沖縄の米軍基地の地元に降りる政府の補償金が、特別視されるほどに手厚いものなら、どうして全国の自治体は手を挙げて「ここに基地を持ってきてくれ」と言わないのだろうか?

日本の自治体は東京以外のほとんどが財政難で苦しんでいる。もらえる物なら、沖縄に落ちる補助金が喉から手が出るほど欲しい筈だ。ならば基地をそれぞれの地元に誘致して、補助金を獲得するべきである。

昨年1月の名護市長選挙と、年末の県知事選挙で出た辺野古移設NOの沖縄の民意とは、金よりも基地重圧のない土地を返してくれ、というものである。それは尊重されて然るべきだ。

補助金よりも貧しさの中の誇りを選んだ沖縄の民意が真実なら、普天間基地を招致したいと本土のどこかの自治体が手を挙げれば、沖縄は喜んでそれを受け入れるに違いない。

僕は沖縄にはある程度の米軍基地は必要だと考える。重要な戦略的位置にあることは否定できないし、年々凶暴化する中国への備えの意味でも重要だ。しかし現状は余りにも多過ぎる。

辺野古移設問題を語るときに忘れがちだが、沖縄には面積約20平方キロ、約3700メートルの2本の滑走路を持つ東アジア最大の嘉手納空軍基地を始め、本島の20%近い土地に米軍施設が居座っている

普天間基地はそのほんの一部に過ぎないのだ。補償金あるいは振興予算が、あたかも普天間基地の辺野古移転分のみ、という印象操作にも似た議論も間違っている。

最後に「沖縄県には辺野古移転を拒否する権利がない。日米地位協定で、米軍は日本のどこにでも基地をつくれるので、日本政府も沖縄県もそれを断れない 」という池田さんの指摘は正しい。

だがそれを唯々諾々として受け入れている日本政府はクズだ。日米地位協定は、米国が絶対で日本はそれに従う、という奴隷の発想から出たものだ。協定のおかげで米軍は沖縄で傍若無人に振舞う。沖縄はそのことにも激しく怒っている。

日本と同じ敗戦国、僕が住むここイタリアにも米軍基地はある。が、米軍が住民を無視して暴虐行為を働き許されることなど決してない。沖縄で米軍がしばしばそんな行動に出るのは、奴隷契約「日米地位協定」があるからだ。

日本政府は日米地位協定の見直しを米国に迫りつつ、選挙で示された沖縄の民意を真摯に受け止めるべきだ。自国の小さな一部である「たかが沖縄ごとき」の悲しみや苦しみさえ救えないなら、日本国にはもはや民主国家と呼ばれる資格などない。

また沖縄県民が、今やもう差別だ、と恒常的に口にするようにさえなってしまった基地の過重負担と、それを見て見ぬ振りをする国民の存在も、前述したように日本国の品位を深く貶めている。

日本国民はもうそろそろ偽善の仮面をかなぐり捨てて、沖縄の基地問題に真正直に向き合うべきである。なぜなら基地は安全保障の問題であり、安全保障は全ての国民の問題だからだ。


安倍首相への公開状 ~真正保守への脱皮を促す~



安倍晋三総理大臣

遅ればせながら、総選挙での大勝また長期政権への展望、まことにおめでとうございます。

長期政権への疑念

あらかじめ申し上げておきます。残念ながら私は安倍政権を支持する者ではありません。あなたが推し進めているアベノミクスは長い目で見た場合は方向性が間違っていると以前から思っていますし、歴史認識や安全保障を巡る政策にも違和感を覚えています。私はわが国の政治の安寧と発展を願いながらも、安倍政権の長期化には懸念を抱いている者です。

しかし、だからと言って、私は冒頭の賛辞を皮肉や揶揄で口にしたのではありません。突然解散を行ったあなたの政治屋(政治家ではありません)としての鋭い嗅覚とセンスと、低い投票率(投票に行かなかった国民は国民自身の咎なのであって、決してあなたの責任ではありません)とはいえ、国民の圧倒的な支持を得た事実に心から敬意を表し賞賛を申し上げています。

私は日本で大学を終えた直後に学業で英国に渡り、その後メディア関連の仕事で米国とイタリアに移り住みました。現在はここイタリアで、人々の日本意識と日々向き合い、同時にBBC、Al Jazeeraなどの英語圏の衛星放送やインターネット等を介して、グローバル世界の日本意識とも相対しています。同じ手法で日本の情報にも密に接しているのは言うまでもありません。

長い外国生活の全ての過程で、私は故国を眺めては時には批判をし、懐かしがり、誇りに思い、悲しみ、喜んだり呆れたりしながら生きてきました。ここでは私のそうした経験から見た安倍さんの「グローバル世界におけるイメージ」について考えてみようと思います。

イメージとは、火のないところに立つ煙のようなものです。つまり事実や、真実や、事象の形が曖昧なのに、煙の鮮明だけが目立つでき事です。従ってそれは虚偽やまやかしである場合が多々あります。しかし、また、火のないところに煙は立たない、とも言います。煙の向こう側には煙を出すだけの何かがあることもまた確実です。それは検証に値する現象なのです。

国際世論の見方

もはや言い古されたことかもしれませんが、あなたは国際社会から潜在的に危険な極右に近いナショナリストと見なされています。また同時に、現在の日本のタカ派の主要な関心事に鑑みて、歴史修正主義者とも規定されます。そうした見方は、私自身の見解ともぴたりと一致するものですが、私は同時にあなたは柔軟なプラグマティストであり、その意味では優れた政治家ではないかとも考えています。

あなたはかつて慰安婦にかかわる河野談話や村山談話の見直しを声高に主張していました。それは当然韓国や中国の反発を招くものでした。が、あなたは意に介しませんでした。あなたがそれを言わなくなったのは、欧米、特にアメリカ世論の反発があったからです。恐らくそれを不快と見なす米国政府からの圧力もあったのではないか、と私は見当をつけています。

それでもあなたは、もう一つの歴史認識の争点である靖国神社参拝を決行しました。アメリカはその前に、千鳥ケ淵戦没者墓苑が彼らが認める参拝所である、とさり気なくあなたにシグナルを送ったのですが、あなたは気づかなかったのか、あるいは確信犯的思い入れからなのか、あえて靖国神社を参拝したのでした。それは周知のように中韓は言うまでもなくアメリカをも怒らせてしまいました。

その後、あなたは何事もなかったかのように経済政策アベノミクスに集中する傍ら外遊を重ね、秘密保護法や集団的自衛権など、議論百出する事案を数を頼りに楽々と思い通りの方向に決めていきました。また沖縄の普天間基地移転問題では、地元の民意を無視する形で県知事を懐柔して、移転へ向けての布石を打ちました。全く見事な手腕だと思います。これらの論点についても私は大いに異議を持つ者ですが、長くなるので議論は別の機会に譲ります。

過去の言動や直近のそれに照らし合わせて、前述したように国際社会はあなたを姑息な国粋主義者、歴史修正主義者と規定し常に監視しています。あなたは建前と本音を使い分ける日本の文化や、熱し易く冷め易い国民の意識に助けられて、まるで以前の言動がなかったのでもあるかのように振る舞っていますが、敏感で疑り深く且つ執拗な国際世論は、あなたの正体を見抜いていて監視・追求の手を少しも緩めてはいません。

日本極右は中韓の味方

あなたに対する疑念は、あなたとあなたの周りの民族主義者らの願いとは全く裏腹に、特に中国と習近平国家主席に資しています。一党独裁国家、人権無視の野蛮国、覇権主義国家、そこに君臨する共産主義の巨魁・習近平等々のネガティブなイメージは、中国と対立する日本、という構図で語られる時には、以前とは違って「戦争被害国の中国」という印象が強調されて、同情さえ買う構図になってしまっています。

それは偏えにあなたの極右的言動と歴史修正主義者というイメージによって、相対的に中国の暗部が薄められたものです。直近の例をあげれば、APECであなたが習近平さんと握手を交わし、無視されて公衆の面前で恥をかいた時、私の知る限りの多くの知識人は、習さんの子供染みた態度はあなたの言動への反発、従って身から出た錆、という風な捉え方をしました。国際世論は中国と習主席の動きにも敏感でよく眉をひそめますが、昨今はあなたに対しての「眉のひそめ度」がはるかに大きいために、結果、中国の悪が見えにくくなるという事態が起こっているのです。

あなたとあなたの周囲の民族主義者らは、靖国参拝を正当化するとき「国の為に死んだ方々の御霊を慰めるのは日本人として当たり前のことだ。他国にとやかく 言われる筋合いはない」と実にもっともな反論をします。戦争で国の為に倒れた人々の霊を敬うのは、口に出して言うことさえばかばかしいほど、当たり前のこ とです。その考えは真っ当なものです。世界基準の心の在り方、と言っても差し支えないでしょう。もちろんその心は、あなたの靖国参拝に猛烈に反発している中韓でさえ同じです。

周知のように中韓は参拝そのものに噛み付いているのではなく、彼らに酷い不利益をもたらした軍国主義日本の象徴である「戦犯も祀られている靖国神社」参拝に反発しているだけです。そこで、ならば合祀を無くして分祀を、とか、新施設を建てるべき、云々の古くて常に新しい議論もここでは後回しにして、あなたが敢えてそこに参拝することの是非について意見を述べます。

御霊を崇め礼を尽くすのは前述したように人として当たり前のことです。また日本人の心情として、例え悪人でも死して仏になってしまえばこれを貶めない。従って戦犯とされる人々の霊も尊崇されて然るべき、という考え方にも一理ありま す。しかし残念ながら、戦犯と呼ばれる人々は軍国主義日本の代表であり象徴として規定されています。戦後世界は、日本やドイツを始めとする敗戦国とその他の国々との間に、そうした決め事を作成し合意することによって、憎しみと混乱と怨みを安らげて前進しよう、と誓い合い、実際に前進してきました。

日本のイメージを貶める行為

あなたは靖国参拝によって、買わなくても良い中韓の怒りを買い、アメリカを苛立たせ、国際社会に疑念を抱かせました。その行為はあなたの周りにいる極右やネトウヨの人々が、例えば私のような国際派の愛国者(私は自分をそう規定しています)を指して、国賊、反日、売国奴などと蛮声を挙げる、まさにそれらの形容詞そのものの通りの行動でした。あなたがやったことは、グローバルな視点では、日本の国益にとっては徹頭徹尾ネガティブな行為だったのです。

あなたが政権に就いて以来、日本の政治的なイメージや評判は悪化しています。この辺りの空気が、日本国内に住んで昨今の「右傾化した」熱い世論にまみれていると、国民の多くにとっても 中々見えにくい事態だと思います。鏡に顔を近づけ過ぎると自分の顔の輪郭がぼやけて見えにくくなります。国内にいると日本の世論の実際がぼやけ、しかもそれが全て正しいような錯覚に陥ります。なにしろ自分の顔さえ良く見えないのですから、グローバル世界の目線など見えるはずもありません。

かつて驕りと欲と無知から、進むべき道を間違えて侵略戦争に突入し、多くの犠牲を払って破滅した日本は、過去70年間、先の大戦の非道な行為を世界から責められ、また自らも責め立ててこれを反省し、ひたすら平和主義と友愛を信条に国を立て直してきました。戦後の瓦礫の中から立ち上がった日本は、一心に働き続けてついには経済大国にまでなりました。国際社会は日本の多大な努力と、国民の誠実で真摯な行動と高い民意を大いに賛辞するまでになったのでした。

日本に対する国際世論のあくまでもポジティブな意見は3年前、東日本大震災という巨大な不幸と引き換えに最高潮に達しました。即ち、東日本大震災における 被災者の方々の崇高な行動と、それを支えようとする日本国民の真摯な姿が世界中を感動の渦に巻き込んだのです。大災害を蒙りながらの苦しいパラドックスで はありますが、あの時ほど日本が世界で輝いた瞬間はありません。

ところがそうしたイメージは、あなたの愚かな行動によって崩壊しました。あなたは自らの政治的信条と国内で高まる民族主義のうねりに力を得て、自身の満足と、また人々の中韓への反発心を安んじるために靖国神社に参拝しました。その行為は、前述した通り、特に慰安婦問題に対するあなたの見解と相まって、中韓米のみならず国際世論をも困惑させました。中韓やアメリカだけが文句を言っているのでは決してない。親日国を含む国際社会の意見の大半は、あなたに風当たりの強いものであることをぜひ理解して下さい。

怒りにはひたすら真心と誠実で応えるのみ

あなたとあなたに近い国粋主義者は、日本の外の事象に対して鈍感で想像力を欠く傾向があります。そのため他人の立場を理解せず、理解しようと努力することもなく、また理解もできない。中韓の怒りが理解できないという人々のために次のリンク先を貼付します。
 http://news.livedoor.com/article/detail/7924365/

記事にある「日本の軍国主義や右翼勢力が消滅しない限り、被害国の人々の反日感情はなくならない~米国やロシアは日本に徹底的に報復したから、今は平穏な 気持ちで日本と付き合える。だが、中国人は何も報復していない」 という文章の最後は、「中国人も韓国人も朝鮮人も何も報復していない」と書き変えることもできます。北朝鮮による日本人拉致は報復ではないか、という意見 もあるかも知れませんが、ここでいう報復とは、軍隊による日本全国民への報復、という意味だと考えられますから規模や恨みの深さが桁違いに違います。

ほんの少しの想像力があれば、彼らの心情は立ち所に理解できます。しかし、隣国の人々の報復感情を怖れる必要は全くありません。われわれは軍国主義日本が 彼らに与えた被害を見つめて反省し、誠意を持って彼らに対していけば良いだけの話です。彼らの怒りは加害者であるわれわれ日本人の行動によってのみ収まりがつきます。

日本はこれまで同様、今後も自らの過ちを見つめ続けて謝罪するべきところは謝罪をし、中韓及び北朝鮮を始めとするアジアの国々を密かに、或いは公然と蔑視する愚にもつかない思い上がりを捨てて、隣人として、対等な国としてまた人として、誠実にまっすぐに付き合っていくべきです。そうすれば必ず彼らの傷は癒され憎しみは消えます。それは彼らが努力をするべきことではない。少なくともわれわれが彼らに「皆さんも過去を忘れる努力をしろ」と言ってはならない。われわれ日本人が努力するべきことなのです。

自虐史観だ、もう何度も謝った、謝ればまた金を要求される、反日、売国奴、などなど・・聞き飽きた罵声が聞こえてくるようです。それらは想像力を持たない者の野蛮な咆哮です。自らを貶めるという意味の自虐史観とは、実は逆に、そうした蛮声を挙げる人々が主張する歴史認識にほかなりません。なぜなら彼らは国粋主義的見解に基づいて歴史修正を試みますが、そうすることによって国際社会から糾弾される。それこそが自虐行為であり自虐史観以外の何ものでもないのです。

歴史を学ぶのではなく「歴史から学ぶ」べき

繰り返しになりますがあなたは以前、河野、村山談話への異議を表明し、これまた中韓だけに目が行く視野狭窄から従軍慰安婦問題では狭義の強制性はなかった、というKYな主張をして世界の顰蹙を買いました。よく言われることですが、信用を勝ち取るまでには途方もない努力と時間がかかり、それを失うのは一瞬 です。あなたはあの主張を表明したことで、自らの信用を一気に失墜させると同時に、世界の多くの人々の心中に日本国への疑惑を芽生えさせました。

世界は軍の強制性云々などには微塵も興味がありません。世界が関心を持っているのは、女性の人権と戦争犯罪です。国際世論は「慰安婦は戦時中に実際に存在していた。それは悪であり恥ずべき過去である」ということを確認したいだけなのです。従って、当時はそれが当たり前だった、だから今の感覚で非難するのはおかしい、などという主張は国際社会では決して受け入れられません。なぜなら国際世論が問題にしているのは、まさにその「今の感覚で見た慰安婦」なのですから。

もう一つ例を挙げれば、日本が中国を侵略し韓国を併合したのは、当時の世相や考え方では普通のことだった。欧米列強も同じことをしていた、などと主張してはならないのです。なぜならそれは「今の感覚」では悪だからです。人間は間違いを起こします。大事なことはその間違いに気づき、二度と同じ間違いを起こさないことです。学習したかどうかが論点なのです。

学習すれば反省に至り、再び同じ過ちを繰り返すまいという決意と行動が生まれます。歴史を学ぶとはそういうことです。歴史事実を調べ確認して満足しているだけでは意味がない。それは無味乾燥な学者的行動様式です。歴史の事実を調べて検証し、それが「今の感覚」ではどうなるのか、という視点まで論を進めることにこそ意味があります。それが真に歴史を学ぶことです。言葉を替えれば「歴史を学ぶ」のではなく、「歴史から学ぶ」ことが重要なのです。

引き籠りの暴力愛好家とは手を切れ


そういう意味では、例えばあなたの心情的な仲間である石原慎太郎さんなどは少しも学習していない。彼と彼の同類の人々は、世界から目をそむけたまま日本という一軒家に閉じこもって、壁に向かって怨嗟を叫んでいる者たちです。私は彼らを「引き籠りの暴力愛好家」と規定しています。そして私が極めて残念に思う のは、あなたが彼らと親和的な思想信条を持っていることです。あなたは一国の首相だけに少しは自制していますが、あなたの本性は石原さんと同じか又は極めて近いものに見える。

その石原さんは政界を引退すると表明し、先の選挙では、極右以外の何ものでもない頼母神氏を始めとする「次世代」の党の皆さんが、きっちりと有権者のノーの審判を受けました。彼らには極右やネトウヨなどの支持があっただけで、保守層の共感は無かったことが明白になったと思います。これは右傾化が進む日本の風潮の中にあって、極めて明るい出来事であると私は考えます。

あなたには国際世論を敏感に嗅ぎ取る能力があるようです。国粋主義的な言動を試みて、それが批判されるや否や、さっさと引っ込める事実がそのことを如実に示しています。それは日和見主義や右顧左眄の策士と同じである危険があります。が、同時に自らの思い込みを見直して正しい道を歩もうとする「形」も意味します。すぐにそうはならなくても、その振りを続けるうちに真実になる、ということは人の世では良くある話です。或いは嘘もつき続ければ本当になる、とも表現できます。

安倍さん、いかがでしょうか。長期政権への展望も開けたことですし、この際「引き籠りの暴力愛好家」らとはきっぱりと縁を切っ て、ナショナリストではなく『保守主義者』として日本の舵取りをしてはいただけないでしょうか。

保守がいて革新が同じ力で相対していれば、極右主義者や極左思想の持ち主が台頭して国際社会の顰蹙を買う事態は必ず避けられます。私はあなたの政権は支持しませんが、中韓にも絶えず対話をしようと呼びかけ(対話が途切れているのはあなたの極右的言動が元々の原因ではありますが)、経済を立て直して自信を喪失している日本国を甦らせよう、と懸命に政策を実行している姿には大いに共感します。この際ですから日本の過去の過ちと国際社会の実態にしっかりと目を据えていただいて、自らの言動に責任を持つ右顧左眄のない『真正保守』として、堂々と主張をされ行動されることを切に願います。

                                敬具

PS:まだ申し上げたいことがありますが、長い文章がさらに長くなってしまいますので割愛して、また別の機会にお便りを差し上げられれば、と思います。

無神論者がクリスマスに熱狂する理由(わけ)

ここイタリアを含む欧米諸国や世界中のキリスト教国は、クリスマス・シーズンのまっただ中にあって賑わっている。それだけではなく、日本や中国などに代表される非キリスト教国でも、人々はクリスマスを大いに楽しみ、祝う。

毎年、クリスマスのたびに思うことがある。つまり、今さらながら、西洋文明ってホントにすごいな、ということである。クリスマスは文明ではない。それは宗教にまつわる文化である。それでも、いや、だからこそ僕は、西洋文明の偉大に圧倒される思いになるのだ。

文化とは地域や民族から派生する、祭礼や教養や習慣や言語や美術や知恵等々の精神活動と生活全般のことである。それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえある。

だからこそそれは「化け物の文(知性)」、つまり文化と呼称されるのだろう。

文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからである。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからである。だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなる。

ところが文化の価値とはまさに、偏見や恐怖や差別さえ招いてしまう、それぞれの文化の特殊性そのものの中にある。特殊であることが文化の命なのである。従ってそれぞれの文化の間には優劣はない。あるのは違いだけである

そう考えてみると、地球上に文字通り無数にある文化のうちの、クリスマスという特殊な一文化が世界中に広まり、受け入れられ、楽しまれているのは稀有なことである。

それはたとえば、キリスト教国のクリスマスに匹敵する日本の宗教文化「盆」が、欧米やアフリカの国々でも祝福され、その時期になると盆踊りがパリやロンドンやニューヨークの広場で開かれて、世界中の人々が浴衣を着て大いに踊り、楽しむ、というくらいのもの凄い出来事なのである。

でもこれまでのところ、世界はそんなふうにはならず、キリスト教のクリスマスだけが一方的に日本にも、アジアにも、その他の国々にも受け入れられていった。なぜか。それはクリスマスという文化の背後に「西洋文明」という巨大な力が存在したからである。

文明とは字義通り「明るい文」のことであり、特殊性が命の文化とは対極にある普遍的な知性(文)のことである。言葉を替えれば、普遍性が文明の命である。誰もが希求するもの、便利なもの、喜ばしいもの、楽しい明るいものが文明なのである。

それは自動車や飛行機や電気やコンピュターなどのテクノロジーのことであり、利便のことであり、誰の役にも立ち、誰もが好きになる物事のことである。そして世界を席巻している西洋文明とは、まさにそういうものである。

一つ一つが特殊で、一つ一つが価値あるものである文化とは違って、文明には優劣がある。だから優れた文明には誰もが引き付けられ、これを取り入れようとする。より多くの人々が欲しがるものほど優れた文明である。

優れた文明は多くの場合、その文明を生み出した国や地域の文化も伴なって世界に展延していく。そのために便利な文明を手に入れた人々は、その文明に連れてやって来た、文明を生み出した国や地域の文化もまた優れたものとして、容易に受け入れる傾向がある。

たとえば日本人は「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と言われた時代から、必死になって西洋文明を見習い、模倣し、ほぼ自家薬籠中のものにしてきた。その日本人が、仏教文化や神道文化に照らし合わせると異なものであり、不可解なものであるクリスマスを受け入れて、今や当たり前に祝うようになったのは一つの典型である。

西洋文明の恩恵にあずかった、日本以外の非キリスト教世界の人々も同じ道を辿った。彼らは優れた文明と共にやって来た、優劣では測れないクリスマスという「特殊な」文化もまた優れている、と自動的に見なした。あるいは錯覚した。

そうやってクリスマスは、無神論者を含む世界中の多くの人が祝い楽しむ行事になった。それって、いかにも凄いことだと思うが、どうだろうか。



訂正:FBのアブナイ面々



前回エントリーで、面識のない人からのメッセージの無いFB友達リクエストには困惑する、と書いたのは自分の本心だが、心構えとしては間違っているのだろうな、 と気づいた。

面識のない人と突然友達になれるのがSNSの良さであり真髄だから。

ただ友達リクエストを送って承認されたら、やっぱり一言挨拶はするべ き、とは強く思う。

元からの友人知己なら気心が知れていたりするから、その必要はない場合も多いだろうけれど・・。

FBを始めた頃は何がなにやら良く分からず、面白がったり困惑もしたりして、僕自身もルール違反的な行為もしたかもしれないな、とも考える。

このブログを含めたSNSは面白く、不思議で、やはり常に怖さも秘めた媒体だと感じるのは僕だけだろうか。

FBのアブナイ面々


最近、全く面識のない人からのfacebookの友達リクエストが多いのだが、何のメッセージもなく送られてくるので困惑する。

また、たまたまこちらがそれに答えてもやっぱり何の反応も返ってこない。

それって、きっとなにかの間違いなのだろう。

だってなんの挨拶もない友達なんて聞いたことも見たこともないし。

そういう行動をとる人は、友達といっても伝統的な意味での友達ではなく、SNS友達だからそれでいいんだ、と思っているのではないか。

それって何よりもまず不愉快だが、ちょっとアブナイな、と僕などは考える。

礼儀をわきまえないことがその人の本質だから、少しネジがゆるんでいることになり、なにかあるとアブナイかも、と考えてしまったりもするのである。

その人自身がアブナイことはなくても、その人を介してアブナイことが起きるかもしれない・・

と思わせるところが、その人のアブナサである。

要するに普通ではないのだ。

来年、つまり2015年1月1日から、Facebookの利用規約が変わる。

一口で言えば、自分の情報は自分で守れ。Facebookは責任を取らない、という風に変わる。

そんなところでは、アブナイ人たちはますますアブナイ。

だから余計に気をつけようと思う。




チュニジア・ジャスミン革命に終わりはあるか


11月23日に行われたチュニジアの大統領選挙には27人が立候補した。

その結果10月の議会選挙で第一党になった世俗派政党ニダチュニス(チュニジアの呼びかけ)の党首カイドセブシ氏(87)が39%を獲得して1位。

人権活動家の暫定大統領マルキーズ氏(69)が33%を獲得して2位になった。同氏は世俗派である。

どちらも過半数には届かなかったため、12月21日に2人による決戦投票が行われる。そこで選ばれる大統領は、議会第一党のニダチュニスと第二勢力のイスラム主義政党アンナハダ(再生)との共生を余儀なくされる。

僕は地中海域のアラブ諸国に民主主義が根付き、自由で安全な社会が出現することを願っている。それはアラブの春以降、混乱が続く同地域の人々が圧政から解放されて、平穏かつ自由な世の中になってほしい、という当たり前かつ純粋な気持ちから出ている。

それに加えて、以前にも書いたことだが、実は僕は利己的な理由からもアラブの「本当の」春を心待ちにしている。

僕は1年に1度地中海域の国々を巡る旅を続けている。ヨーロッパに長く住み、ひどく世話になり、ヨーロッパを少しだけ知った現在、西洋文明の揺らんとなった地中海世界をじっくりと見て回りたいと思い立ったのである。

イタリアを基点にアドリア海の東岸を南下して、ギリシャ、トルコを経てシリアやイスラエルなどの中東各国を訪ね、エジプトからアフリカ北岸を回って、スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破しようと考えている。

しかし、2011年にチュニジアでジャスミン革命が起こり、やがてエジプトやリビアやシリアなどを巻き込んでのアラブの春の動乱が続いて、中東各国には足を踏み入れることができずにいる。

そんな中にあって、ジャスミン革命が起こったチュニジアは比較的安定しているとされる。そこで今年7月、僕は思い切って同国を訪ねてみることにした。

チュニジアは平穏だった。ジャスミン革命はまだ続いているとされ、政治的にも流動的な状態が収まっていないが、少なくとも市民生活は表面上は穏やかに見えた。

しかし、チュニジアの経済は停滞し、若者の失業率も高い。国に不満を持つ若者が、シリアに渡航して凶悪な「イスラム国」の戦闘員になるケースも増えている。「イスラム国」に参加する外国人戦闘員の中では、チュニジア人が最も多いとさえ言われている。

僕はそうした情報を目にする度に、イタリアやフランスを始めとする西洋資本によって乱開発されて、一見発展しているように見えるチュニジアのリゾート地の悲哀を思い出す。

チュニジアの地中海沿岸には、大規模ホテルを中心とする観光施設がひしめいている。それらは全てがヨーロッパ資本によって建てられている。所有者はチュニジア国籍の会社や人物でなければならない、という規定があるとも聞いたが、そんなものはいくらでも誤魔化しが可能である。

ホテルに滞在しているのはほぼ100%が欧州人である。彼らはそこに滞在してバカンスを過ごすのだが、食事や買い物などもほぼ全てホテル施設内で済ませる。バカンスの一切がパックになっているのである。

つまり欧州からのバカンス客は、欧州の旅行業者からパックを買って、欧州の航空機でチュニジアに入り、欧州資本の大型バスでリゾート施設に向かい、欧州資本のバカンス施設の中で1~2週間を過ごして、同じ行程で欧州の自宅に帰っていく。

そうした事業がチュニジアにもたらすのは、雇用と食材などの需要益程度である。それだけでも無いよりは増しかもしれないが、利益のほとんどは欧州に吸い上げられている。

チュニジア側にも問題はある。バカンス施設を一歩外に出ると、施設が管理している周りの土地だけが日本や欧米並みに清潔を保っていて、町や村の通り、また空き地などにはゴミが散乱する不潔な光景がえんえんと続いている。

そこには観光客が入りたくなるようなカフェやレストランもほとんど無い。そのためバカンス客は、首都のチュニスなどの大都市を別にすれば、仕方なくホテル施設内に留まって消費活動を行う、という形になる。

貧しい国を欧米や日本などの大資本がさらに食い荒らす、というのは余りにもありふれた光景だが、チュニジアの地中海沿岸のそれはひどく露骨で、僕はしばしば目をそむけたい気分になった。

そうした中で、革命後初の政権選択のための議会選挙が行われ、大統領選挙も断行された。両選挙ともに過半数を占める者がなく、議会では連立政権への模索が続き、大統領も今月28日の決選投票によって選ばれる予定である。

何もかもが流動的な状況の中で、経済は混迷し欧米資本の搾取が続き、絶望した若者が「イスラム国」に参加していくチュニジアの今。

ジャスミン革命以後、僕はチュニジアに注目してきたが、混乱とそして奇妙な平穏が同居する同国を訪ねてからは、ますますそこから目が離せなくなっている。

大相撲勝手番付け表


1年収めの大相撲九州場所が終わって1週間が過ぎた。九州場所の結果を基本に、しかし平成26年度全体を振り返って、独断と偏見をもって上位力士の2年後の予想番付け表を作ってみた。同時に九州場所の少しの解説と評論も。そうすることで大相撲の現在を掘り下げて見てみたい、というのが目的であるのは言うまでもない。

これは相撲が大好きな1相撲ファンの勝手な思いだから、読者の中には贔屓の力士をけなされて気を悪くする人がいるかもしれない。でも贔屓力士がいるということは、その人もきっと僕と同じ相撲大好き人間だろうと思う。それはつまり、大相撲の発展を願うという意味ではわれわれは同志、ということである。そこに免じてもしも無礼があればお許しを願いたい。

なお、横綱及び3役には同地位のうちの格下の者、いわゆる張出(今は使われていない)を設けてみた。また、予想番付け表では期待と失望を込めて、昇格ばかりではなく降格のケースも列記してみた。
 
【2014年九州場所の実際の番付け】

東横綱-白鵬      西横綱-鶴竜       張出横綱-日馬富士    
東大関-琴奨菊     西大関-稀勢の里      張出大関-豪栄道    
東関脇-碧山      西関脇-逸ノ城       張出関脇-不在
東小結-豪風       西小結-勢         張出小結-不在
 

【2016年九州場所の予想番付け】 ※横綱も格下げの対象とした場合

東横綱-逸ノ城    西横綱-白鵬      張出横綱-照ノ富士      

東大関-栃の心    西大関-稀勢里      張出大関-日馬富士   

東関脇-妙義龍    西関脇-鶴竜       張出関脇-高安 

東小結-碧山      西小結-千代鳳     張出小結-蒼国来
 
東前頭1 - 大砂嵐         西前頭1 - 遠藤

東前頭2 - 豪栄道         西前頭2 - 琴奨菊


横綱について:
白鵬の32回優勝は言うまでも無く凄い。素晴らしい。ただ彼だけが抜きん出ていて、且ついつもの結果で僕の心は盛り上がらなかった。1人横綱時代を含めて、他の力士が不甲斐ないから次々と大記録を打ち立てている、という側面はないのだろうか。決して白鵬の偉大にケチをつけたいからではなく・・。

日馬富士には「相撲をナメンナよ」と、余計なお世話の苦言を呈したい。綱を張りながら大学に通うオチャラケのことだ。そんな暇があったらもっと稽古をし鍛錬し修行して横綱の責を果たしてほしい。大学に通うという立派な心がけは、引退後で十分ではないか。大学に通って人間を磨きたい、という言いもまた立派だが、現役横綱がやることではない。今は横綱道にまい進してこそ人間が磨かれると考える。本末転倒だ。

鶴竜の人格は随一だが、引き技ばっかりみたいな横綱では、優勝どころか常勝さえ難しい雰囲気である。彼の横綱昇進は拙速だったというのが僕の意見だった。が、今は確信になりつつある。この不安をくつがえしてほしいと強く思うが、どこかで化けない限り今のままでは厳しいだろう。横綱も降格される規定があるとすれば、彼は大関も通り越して万年関脇あたりにいた方がいい。関脇が強いと大相撲が面白くなるから、鶴竜はそこで毎場所大暴れして相撲全体を盛り上げたらどうか。

将来の横綱候補は逸ノ城、照ノ富士、栃ノ心:
九州場所最高の見せ場は、 逸ノ城VS照ノ富士戦だった。2人は千秋楽でぶつかり、2分12秒の大相撲の末に照ノ富士が勝った。ケガなどのアクシデントが無ければ、2力士は今後横綱にまで駆け上がって、繰り返し九州場所のような戦いをするだろう。

逸ノ城が大騒ぎをされているが、僕はずっと照ノ富士にも注目していた。どこから見ても大器の雰囲気を発散していたからだ。そこに怪物逸ノ城が彗星の如く現れて、少しダレかけていた照ノ富士の闘争心に再び火が点いたように見える。2人は来年中に大関、あるいはどちらかは横綱にまで駆け上がる可能性さえあると思う。

栃ノ心にも僕は注目してきた。なぜか。四つ相撲を目指す彼の取り口の型もさることながら、像みたいな巨大な尻が将来の横綱級だとずっと思っていたからだ。相撲の親方衆は若者をスカウトしようとするとき、尻の形や大きさに注目する。大きな尻は相撲の基本中の基本である下半身の強さを示唆するからだ。栃ノ心はそれを備えている。

ケガから復活した栃ノ心を横綱候補に挙げたのは、自分の希望的観測もからんでいる。僕は早く欧州出身の横綱が誕生することを願っている。欧州に居を構える者としての、単純な欧州人力士贔屓とは別に、欧州出身の横綱が出ればここでの相撲人気がまた高まって、さらに多くの才能ある若者が大相撲を目指すと考えるからだ。琴欧州、把瑠都の欧州出身大関が引退した今、最も横綱に近いのは栃ノ心だ。碧山も力をつけているが、押し相撲である分安定性に欠けるから、大関、また綱取りレースでは、四つ相撲の栃ノ心に分がありそうだ。

将来の大関候補について:
上からの降格組の日馬富士に加えて、日本人力士を含む5人を大関候補として三役の地位に据えてみた。碧山  妙義龍  高安 千代鳳  蒼国来である。 ここに遠藤を入れたいのは山々だが、彼は立会いの当たりを磨いて厳しさと重厚さを獲得しない限り、小手先の相撲が上手いだけの力士で終わるだろう。そうなると平幕上位から小結、関脇あたりを常時往復することになる。しかし、例えば大きな 碧山などを立会いの当たりで粉砕するくらいの力強さを身につければ、大関も超えて久しぶりの日本人横綱誕生もあり得る、と希望的観測を込めて付け加えておきたい。

礼儀作法について:
白鵬が賞金を受け取って、それを振り回す仕草は醜い。中に大金が入っているから嬉しいぜ、という気持ちは分かるが、静かにありがたく受け取って、横綱の品格の片鱗を見せてほしい。鼻や口を歪めて示威行為をするのもなんだかなァ・・せっかく日本人の素晴らしい嫁さんをもらって、多分彼女の大きな努力もあって日本人の心を理解し、それに染まろうと努力している苦労が水の泡になりかねない。

賞金なんかいらねぇが、ま、くれるんならもらっておいてやるよ、という安美錦の手刀の切り方は、飄ひょうとした彼のキャラが出ていて面白い。少なくとも白鵬よりよっぽど醜くない。

戦いの後の辞儀の姿は、外国人力士の碧山と魁聖が横綱級。自然体で頭を下げる角度も好ましい。辞儀は顎を引くだけという安美錦も、ここでは他の力士に率先して2人の外国人力士を見習うべきだ。九州場所は姿が見えなかったが、豊真将の120度か?と見えるほどに深々と頭を下げる辞儀は、大げさ過ぎて逆に少し滑稽だと思う。なんとか自然体で行けないものだろうか。

最後に、取ってつけたようにNHKの大相撲解説者の番付も書いておくことにした。その理由は、今ここで書いておかないと、一体どこでいつ書くんだ?という訳で。

NHK大相撲解説者番付:

東横綱 - 北の富士勝昭   西横綱 - 不在

大関 - 九重親方 

小結 - 舞の海  琴欧州

平幕 - 貴乃花親方を除く全員

序の口 - 貴乃花親方

貴乃花親方は、テレビの解説者席などに座ってはいけない。元「天才ガチンコ横綱」のままでいるべきだ。解説者として登場するたびに、過去の栄光に傷をつ けてしまっている。解説者の資質、つまりシャベリの能力はほぼゼロだということにNHKも気づいて、どうやら彼を呼ばない方向でいるらしいのは喜ばしいことだ。

琴欧州親方は、引退直後の今年5月場所の6日目に、NHK大相撲中継の解説者として放送席に座った。それには現役を引退したばかりの彼への慰労の意味合いもあっただろう。ヨーロッパ人初の大関、そして ヨーロッパ人初の親方へ、という経歴への物珍しさもあっただろう。また、NHKとしては彼に解説者としての資質があるかどうかを試す意味合いもあっただろ う。あるいは解説者としての資質ありと見抜いていて、実際に力量を測ろうとしたのかもしれない。

結論を先に言うと、琴欧州は僕がいつも感 じてきたように、人柄が良くて謙虚で礼儀正しいりっぱな元大関だった。そして解説者としても間違いなくうまくやっていけると思った。その後九州場所を含めて彼は何度かNHKの解説者席に座った。現在のNHKの大相撲中継の解説者は、前述したように北の富士勝昭さんが最上、貴乃花親方が最低、という図式だが、琴欧州親方は既に中の上くらいの力量があると僕は感じている。

多くの日本人親方を差し置いて彼を番付で小結に格付けしたのは、僕からのご祝儀の意味合いももちろんある。だがそればかりではなく、通り一遍のことしか言わない(言えない)解説者群の中にあって、ちょっと相撲にうるさい人々も頷く視点での意見開陳ができる実力をも考慮してのことである。

握り寿司という言霊(ことだま)



先日、家庭内祝祭で人生2度目の握り寿司を拵(こしら)えた。ネタはマグロと鯛である。

マグロは地中海産の黒マグロ。最近は刺身の味を覚えたイタリア人がよく食べるので、質の良いものが割りと簡単に手に入るようになった。

鯛は外見が真鯛に良く似た、DENTICE(デンティチェ)と呼ばれる天然もののヨーロッパ黄鯛。2キロ弱の大物を自分でさばいた。

ここイタリアでは鯛(ORATA・オラータ)とは、日本で普通チヌと呼ばれる黒鯛のこと。真鯛はPAGRO(パグロ)というが魚屋ではあまり見かけず、代わりにDENTICE(デンティチェ)が店頭に並ぶことが多い。

DENTICE(デンティチェ)は、味は良いが身がやわらかくて肉(身)が割れやすい、という特徴がある。従って刺身にもまた握りのネタにもあまり適さない。

僕は今回はマグロに加えて、敢えてそのDENTICE(デンティチェ)を使って握りを作ることにした。天然大物のその魚の姿があまりにも美しいので、いつも料理する養殖ものの黒鯛の確実(身割れしないという意味で)を捨てて挑戦する気になったのだ。

結論を先に言うと、僕の握りは今回も大好評で家族の全員と招待客が大いに喜んでくれた。マグロも真鯛もどきのDENTICE(デンティチェ)も。

人気の握り寿司への自信を深めた僕だが、実はそれへの挑戦は、前述したように昨年のクリスマスイブと今回の2回だけである。

昨年、生まれて初めて握り寿司に挑戦した後、僕は日本とイタリア在住の友人知己に連絡をして、彼らが家庭で握り寿司を作るかどうかを確認した。

それというのも、巻き寿司やちらし寿司あるいは稲荷寿司などとは違って、握り寿司は寿司屋で職人が握った品を食べるものであり、自宅で自ら作って食べる 料理ではない、という強い固定観念が僕にはあったからだ。そしてそれは多くの日本人の固定観念でもあるように感じていたからだ。

結果、僕の「感じ」はやはり的を射ていた。ほとんどの人が握りは寿司屋の専売特許、という風な答え方をした。自分で握ることがあると答えた者も、それをいわば握り寿司「もどき」とまでは考えないが、寿司屋で職人の握る寿司とはどこか違うもの、という捉え方のようだった。

僕自身にとっても、『自分で握る握り寿司』の世界はほぼタブーだった。ところが僕は人生でたった2度の寿司握りの体験を経て、そうした思い込みは無意味な「型の縛り」であり、「言霊(ことだま)」にも似た迷信だと確信するに至った。

周知のように言霊とは、言葉に宿るといわれる霊のことで、それは強い力をもってわれわれの生に作用するとされる。古来日本に多く見られる思考観念だが、実は世界中に少な からず見られる傾向である。しかしながら日本の場合は、例えば欧米などと比べるとその縛りが強くて、ほとんど信仰の域にまで達していると思う。

僕の握る寿司は、プロの寿司職人の握る寿司とは完成度や見た目や味のこくや深みなどという部分でもちろん違いはあるだろう。が、それはまぎれもなく握り寿司であって、まがいものや「握り寿司もどき」では断じて無い。

握り寿司は家庭でも作れる料理であり、それを寿司職人の専売特許と考えるのは根拠の無い偏見だ。言葉を変えれば、例えば鯛という魚がメデタイに通じるから 縁起が良い、と考えるダジャレと同じ感覚である。

そうした遊びは遊びとして楽しんでいるうちはいい。が、いつの間にか例えば、鯛だけが縁起ものだからそれ以外の魚は祝いには向かない、などと頑迷に言い張るようになってはつまらない。握り寿司イコール職人芸、という思い込みはどうもそれに似ていると感じる。

僕は今後、さらに握りの腕を磨いて、家族や友人らに喜んでもらおうと考えている。そして、寿司職人の握る素晴らしい味もまた素直に探求しようと思う。寿司 を自分で握ってみて、僕はその見事な料理の絶妙と精良の核心が理解できそうな気になっている。それは言霊や迷信を怖れてチャレンジをしない者には分からない喜びである。

論が前後するようだが、僕は言葉の持つ力を信じる者である。言葉には「言霊」という迷信ではなく、科学的かつ論理的な力がある。つまり、われわれの思考の全ては言葉なのだから、それは肉体と同じ程度の実体と根拠を持つ人間存在の基盤だ。

人は言葉を実際に音にして発するだけではない。思索も言葉で行っている。文学は言うまでもなく、思想も哲学も言葉がなければ存在しない。数学的思考ですら人は言葉を介して行っている。それどころか数式でさえも言葉である。

言葉には人間存在の根源と言っても過言では無い巨大なパワーがある。存在そのものが言葉だと言えば語弊があるが、人間が他の動物と違うのは言葉を獲得したことなのだから、そういう言い方でさえある意味では正しい。

言葉は明晰で実際的な力を持つ人工物である。それは自然物のように説明不可能な霊力を発揮して(飽くまでもそういうことがあるという前提で)人間や世界を変えることはない。人間が自らが作った明晰な言葉によって人間自身に影響を及ぼし、存在を変え、世界を変えるのである。それ以外の形は迷信であり陋習であり、文字通り単なる言葉の遊びに過ぎない。

麻薬大国の恋人たち



過日、ベニス近くの村で行われた友人の結婚式に出席した。友人とは花嫁のアンナと花婿のマルコ。ともに50歳代半ば過ぎ。マルコは元麻薬中毒患者でイタリア人の妻の幼なじみ。今では僕の友人でもある。

イタリアの麻薬汚染は根深い。誰の身近にも麻薬問題を抱える人間が1人や2人は必ずいる。僕の周りには、オーバードーズなどで亡くなった者以外に、マルコを含めて7人の患者や元患者がいる。

その人数には、僕がテレビや文字媒体での取材を通して知り合った、薬物中毒者や元中毒者は含まれていない。また面識はないが、家族や友人知己を介して聞き知っている常習者も数えていない。

僕が直接に知っている麻薬患者7人のうちの2人は、現役というか今現在の依存症患者。友人と知人の息子である。若い2人は共に麻薬患者更正施設に入っている。

残りの5人は元麻薬中毒者。5人とも40歳代から50歳代の男性4人と女性1人である。彼らのうち早くに中毒から抜けた者は良いが、遅れて開放された者は今も後遺症に悩まされている。

マルコとアンナが10代で出会った時、彼は既に麻薬に溺れていた。アンナはマルコに寄り添い、世話を焼き、麻薬の罠から彼を救い出そうと必死の努力を続けた。

アンナの献身的な介護の甲斐があって、マルコは麻薬中毒から解放され、地獄のふちから生還した。彼が20歳代半ばのことである。
 
しかし、彼は麻薬をやめても精神的に不安定で、落ち着いた普通の暮らしができなかった。元麻薬中毒者によくあるパターンで、肉体的な依存症がなくなっても、精神的なそれからは容易に解放されずに苦しむのである。

2人の息子をもうけながらも、彼らは結婚の決心がつかず、一時期は別れたりもした。マルコが落ち着き、アンナが彼と結婚しても良い、と感じ始めたのは40歳代も終わりのころだったという。
 
10代の後半で麻薬中毒になり、20代でそこから開放されたマルコは、早くに麻薬のくびきから逃れた患者の部類に入る。それでも以後、彼は麻薬の「精神的」禁断症状に苦しみ、還暦が視野に入った今でも「元麻薬中毒者」という世間の偏見と、自らの負い目に縛られ続ける時間を過ごしている。

教会で行われた結婚式では、28歳と26歳の彼らの息子が、結婚の証人として2人の両脇に寄り添って立った。それは正式なものではなく、長い春を経て結婚を決意した両親を祝福する意味を込めて、息子2人が「ぜひに」と教会に申し出て実現したものだった。

2人の結婚を、特にアンナのために、僕は心から喜んでいる。長年マルコに尽くしてきたアンナは、とても女性的でありながら身内にきりりと強い芯を持っている。それは慈愛に満ちた母親的なものである。
 
アンナはその強い心で、廃人への坂道を転がっていたマルコを支えて見事に更生させたのだ。穏やかなすごい女性がアンナなのである。

                               (つづく・随時)


チュニジア総選挙は真の「アラブの春」の前兆か



先日、中東の民主化運動「アラブの春」の引き金となった「ジャスミン革命」の地元・チュニジアで議会選挙が行われた。結果、世俗派政党の「ニダチュニス (チュニジアの呼びかけ)」が勝利し、これまで第1党だったイスラム主義政党「アンナハダ(再生)」は第2勢力に後退した。

中東から北アフリカにかけてのアラブの国々は「アラブの春」以降もイスラム主義の台頭で政治不安や騒乱が絶えない。その中にあってチュニジアは曲がりなりにも民主化が進展した国だが、保守色の強い「アンナハダ」を抑えて「ニダチュニス」が第一党になったことは、同国の民主化が一層進むことを示唆している。

とは言うものの、「ニダチュニス」は全体の39%に当たる85議席を獲得しただけで、単独過半数には至らなかった。そのために今後は、全体の32%の69 議席を得たイスラム主義政党「アンナハダ」との連立政権を目指すと見られる。連立には「アンナハダ」も意欲的とされるが、硬直した考え方をするイスラム主義政党との提携は、恐らく前途多難だろうと推測できる。

議会選挙の前の7月、僕はそのチュニジアを旅した。チュニジアはイタリアから最も近い北アフリカのアラブ国。イタリア南端のシチリア海峡をはさんで約 150キロの距離にある。元はフランスの植民地だが、そのはるか以前はローマ帝国の版図の中にあった。歴史的事情と、シチリア島に近いという地理的事情が相まって、同国にはイタリア人バカンス客が多く渡る。

1980年代に、イタリアにしては長い4年間の政権維持を果たした社会党のベッティーノ・クラクシ元首相は、汚職事件の関連で失脚してチュニジアに亡命。その後 イタリアに帰ることはなく、同地で客死した。似たようなエピソードはイタリアには多い。イタリア人はチュニジアが好きなのである。

そんなわけでイタリアーチュニジア間には多くの飛行便があり船も行き交う。そのうちの一つを利用して僕もチュニジアに渡った。 リサーチと少しの休暇を兼ねた一週間の逗留。多くの遺跡や首都チュニスなどを精力的に回った。ジャスミン革命は未だ終焉していないとも言われるが、同国の世情は平穏そのものだった。

しかし実はその頃チュニジアは、来たる議会選挙へ向けて国中が熱く燃えていた。それは革命後に憲法制定のために設置された暫定議会に代わる、正式な国会を発足させるための重要な選挙である。それに向けて国中で有権者の名簿作りが急ピッチに行われていて、首都チュニスの政府庁舎近くに作られた登録所前には、多くの市民が行列を作って登録をしていた。

また滞在中に僕がよく買い物をしたフランス系の大手スーパー「カルフール」の売り場の一角には、「チュニジアを愛する。だから登録をする」という標語を掲げた有権者登録所が設けられていて、ヒジャブ姿の受付の若い女性2人が、次々に登録にやって来る有権者の対応に追われていた。

周知のようにチュニジアでは2011年に民主化を求めるジャスミン革命が起こり、23年間続いたベンアリ独裁政権が崩壊した。それはエジプトやリビアさらにシリアなどにも波及して、アラブの春と呼ばれる騒乱に発展した。だが多くのアラブ諸国では、騒乱は収まるどころかむしろ民主化に逆行する形で継続している。

例えばアラブの大国で周辺への影響も大きいエジプトでは、独裁軍事政権を倒した民主化運動を、再び軍が立ち上がって弾圧するなど、明らかにアラブの春の後退と見える事態が発生している。それよりもさらに混乱の激しいリビアやシリアの場合は、ここに論を展開するまでもない。

アラブ全域の民主化の確たる行方が知れない中で行われたチュニジアの議会選は、ベンアリ独裁政権が崩壊した直後に制定された憲法の下で初めて実施された。同憲法は大統領権限を国防と外交に限定し、行政権その他の権限は議会の多数派が組閣する内閣に付与すると定めている。

従って議会選が国民による 実質的な政権選択の機会となる。比例代表制で行われた今回の選挙では、先に書いたように世俗政党の「ニダチュニス」が選挙に勝ち、恐らく連立政権が樹立されるであろうと考えられている。

チュニジアではまた、今月23日に大統領選挙も行われる予定である。議会第1党の「ニダチュニス」からは、総選挙を勝利に導いた党首のカイドセブシ元首相の立候補が有力視されている。カイドセブシ党首は、ジャスミン革命後の「アンナハダ」政権下で台頭したイスラム過激派への警戒を選挙戦で強く呼びかけて、市民の支持を取り付けた手腕が評価されている。

アラブの春の民主化は、繰り返し述べたように、チュニジアを除けば一進一退の状況が続いている。しかし、それはきっと本格的な民主化に至るまでの足踏みなのだと思いたい。アラブの春が結実するためにも、その手本としてチュニジアの民主化が大幅に前進してほしい、と僕は先日の旅行中、アフリカの強烈な日差しに焼かれながら思い、総選挙が終わった今はさらに強くそう願っている。 


夏から一気に冬へ、日本のイメージみたいなイタリアの時季


夏から一気に冬へ。

いつものイタリアの季節変化のイメージ。

10月25日(土曜日)、客人を迎えて庭でBBQ。天気もよく気温も夏の低温がそのまま続いている感じで程好い。日が暮れると少し肌寒いが依然として心地よかった。

翌26日の日曜日は前日に続く好天。むしろ晴れ間は多いくらい。気温も前日程度。

26日深夜から気温がぐんと下がる。27日にはストーブを点ける。一気に冬へ。

そうやって北イタリアは今年も夏から突然冬になった・・

という印象の季節の移ろいが見られた。

僕はいつものこの国の荒々しい季節変動が好きだ。日本のゆるやかな季節の動きとはまた違う魅力がある。

雨が降り続いた冷夏のまっただ中では、早い冬の訪れを思った。しかし、9月になっても、雨は多いものの急激な気温低下はなかった。

10月になると、気温は10月としては高いまま、つまり夏の気温の流れを引き継いだまま、前述の26日~27日まで来た。

そして一気に冬になった。

ミランの本田は本物か、というタイトルでブログを書こうと思ううちに、直近の2試合で彼の活躍がストップ。開幕から7試合での6ゴールはあのシェフチェンコに迫る凄い記録だったのに。

獣トト・リイナが獄中であれこれ呟いていたのは、どうやらナポリターノ大統領のマフィアがらみ証言を見越して、プレッシャーを掛けようとの魂胆からのようだ。塀の中にいても彼がマフィア組織の支配者?

夏以降、イタリア随一の高級紙「CORRIERE DELLA SERA」に安倍政権にまつわるネガティブな印象の記事が多い。中でも写真付きのそれらはインパクトがさらに強い。

安倍首相は、戦後日本が徹底した平和主義の下で築いてきたグローバルな信用と、東日本大震災を経て得た賞賛を、いとも簡単に反故にしようとしている。いや、もう反故にしてしまったかもしれない。

嫌韓や反中国の日本の世論は、2国が反日だからそれに反発して形成されたものではない。靖国参拝に代表される安倍首相のナショナリスト的言動と、石原慎太郎氏を始めとするその周囲の民族主義者たちの同様の言動が、少し収まりつつあった中韓の反日の激情を呼び覚まし、それに日本国民が反応している、というのが真相だ。

中韓のみに怒りや苛立ちや反感を募らせて、従って中韓しか眼中になく、ほとんど世界を見ていない石原慎太郎さん的「引き籠りの暴力愛好家」たちは、世界が彼らをどう見ているかを知るべきである。

そのヒントが、最近の「CORRIERE DELLA SERA」紙にいっぱいに詰まっている。また欧米各国の、特に英語圏のメディアの記事や言論にも。

麻薬大国 ~モディカ・クアンティタ~


大麻解禁

2014年9月20日、イタリア政府はこれまで禁止されていた大麻の栽培を軍施設に限って解禁すると発表した。欧米では、特に痛みの軽減に効果があるとし て医療用に大麻を使うケースが増えている。イタリアも例外ではなく2007年から医療用大麻の販売や使用が合法化された。

しかしイタリアにおける医療用の大麻は、それが普通に流通している「大麻先進国オランダ」からの輸入がほとんどで、しかも値段が高いために一般化していない。そこでイタリア政府は、医療向けの安い大麻を軍の厳しい管理のもとに生産する決定をした。

その数日後、まるで呼応するように、地中海の島嶼州サルデニアで82歳の麻薬密売人の女ステファニア・マルーが逮捕された。老女は数人の若い男を配下に置いて麻薬密売にいそしんでいて、1962年の初仕事以来50年以上に渡って麻薬を売ってきた猛者だった。

また昨年末にはローマでも80歳になる女密売人が逮捕された。彼女はローマ中心街の自宅窓から、通りを歩く客に麻薬を渡して素早く金を受け取る、という方法で薬物を売っていた。同女も長年に渡って麻薬の密売を続けてきた手練れである。

医療用大麻の生産を解禁したイタリア政府の動きは滑稽なほどに鈍かった。それはイタリアに麻薬が蔓延している状況と無縁ではない。中毒患者数を始めとするイタリアの麻薬事情は年々改善傾向にあるが、たとえ医療用とはいえ、それを解禁することが社会にもたらす心理的な影響を考慮して、イタリア政府は二の足を踏んでいたのだと考えられる。

大麻栽培を解禁した政府の動きと、それに前後して麻薬密売の罪で逮捕された2人の老女のエピソードは、実は直接に関連するものではない。しかし、あたかも政府発表に合わせるかのように老密売人2人が逮捕された事実は、僕にはイタリアの麻薬事情を端的に表す逸話のようにも見える。

麻薬汚染都市ミラノ

あまり言いたくないが、僕が長く仕事の拠点にしてきたミラノは実は、世界でも有数の麻薬汚染都市である。過去には「世界最悪の」という有難くない 烙印まで押されたことがある。人口10万人当たりの麻薬関連の死亡者数を比較検討したところ、ミラノが世界第1位に躍り出てしまったことがあるのだ。

そうした統計でワーストNO1に輝くのは米国のサンフランシスコと相場が決まっていた。ミラノはそこを抑えてトップになった。繰り返しになるが、イタ リアには麻薬が蔓延している。国中が麻薬にまみれているという現実が先ずあって、ミラノの問題が出てきた。それは決して偶然のでき事ではない。

イタリアに麻薬が蔓延している理由は、ごく単純に言ってしまえばイタリア社会が豊かだからである。米英独仏蘭などに代表される欧米の国々で麻薬がはびこっ ているのと同じ社会背景があって、イタリアにも麻薬が広がっていった。つまり「豊かさに付いてまわる負の遺産」がこの国の麻薬問題である。

ところがイタリアという国は、何事につけ人騒がせなところがあって、麻薬の場合にもまたまた他人とは違う独特のやり方というか、あり方というか、不可解な「イタリア的事情」をいかんなく発揮して、前述の国々とは異なる麻薬環境を国中に作り出してしまった。

モディカ・クアンティタ

イタリアの麻薬関連法には通称「モディカ・クアンティタ(小量保持)」というコンセプトがある。これは個人が使用する分と考えられる小量の麻薬(モディカ・クアンティタ)の所持を認めるというものである。つまり麻薬は、1人1人の個人の責任において、これを所持し使用する分にはお構いなしという規定だ。

かつてはイタリアの麻薬関連法も、薬物の量の大小に関わらずにそれの保持を厳しく規制していた。それが1970年代を境にモディカ・クアンティタのコンセプトが導入されて規制がゆるくなった。ただし、麻薬を大量に所持してこれを売る者
(売人)は、その生産者と同じく飽くまでも厳しい罰則の対象ではある。

モディカ・クアンティタ(小量保持)の「小量」には具体的な規定がない。いや、あることはあるのだが、すぐに内容が変わるなど厳格さに欠けるため、言葉の解釈をめぐって大きな混乱が起きる。麻薬所持で捕 まった売人が、個人使用の分量だと主張し、裁判の度に有罪になったり無罪になったりもする。

少量の麻薬保持は罪に問わないという法の在り方には、イタリア人得意の物の考え方が関わっている。即ち、麻薬を所持し使用することは個人の問題なのだから、これを他人(国)がとやかく言うべきではない、という立場である。それがモディカ・クアンティタの原則というか基本的な哲学である。

モディカ・クアンティタの廃止・・・?

言葉を変えればそれは、厳罰主義を嫌うイタリア国民の強い意志の表明でもある。少量の麻薬保持を容認する態度の根っこには、人間は罪深い存在であり、間違いを犯すものであり、従って許されるべき存在であるというキリスト教的な死生観がある。

モディカ・クアンティタのコンセプトの根源は宗教的である分これを否定したり、矯正、改削することが難しい。加えてそこには、マリファナやハシシなどのいわゆる「軽い麻薬」を、酒や煙草よりも健康被害の少ない嗜好品、と見なす欧米社会の通念に近い考え方もあるからなおさらである。

2014年現在、イタリアの麻薬法は少量保持も禁止、という立場を取っている。しかしながら依然として罰則はゆるく、初犯の場合にはお構いなし。再犯やそれ以降でも運転免許証やパスポートが一時的に停止される場合もある、という程度である。 モディカ・クアンティタの精神を良しとする社会風土は、法の規定にはお構いなく歴然として存在する。

モディカ・クアンティタという厄介な考え方のおかげで、イタリアの麻薬環境は半ば野放し状態になった、という風に僕は考えている。そうしたイタリアの社会状況の中で、多くの麻薬患者は言うまでもなく、麻薬から最も遠いところにいると見える前述の2人の老婆のような者まで密売人になった。

麻薬はそうやってイタリアの日常茶飯の出来事の一つになって行った。
                        
                       (つづく・随時)

~さて、それはともかく。いずれにしても。である~ 


先月、イタリア政府は軍の管理の下で医療用大麻の栽培を進めると決めた。

それに関連してイタリアの麻薬汚染状況についてブログ記事を書き出したが、一向に進まず書き止まっている。

僕は90年代の半ばにイタリアの麻薬問題を取り上げたドキュメンタリーを作ったことがある。その作品はテレビ局によってずたずたにされ、改編され、報道番組として細切れに電波に乗った。

僕は怒りまくったが、編集権を含む全ての権利は金を出したテレビ局にあったので、どうすることもできなかった。その局とは以後一切付き合わないと決め、その通りになった。

ブログが書けないのはしかし、苦い記憶のせいではもちろんない。

当時僕はスタッフを総動員して麻薬関連の事実を徹底的に調べ上げた。自分でも足を使いコネを使い無いアタマを使って懸命に勉強した。真剣に番組制作に向かい合うときは常にそうであるように。

そうして力を尽くした事案は、番組終了と同時に僕の興味の対象外に去ってしまうことがある。調べ尽くし、格闘し尽くした内容が激烈だったりすると、しばらくそのことを忘れたくなるのだ。

イタリアの麻薬問題がまさにそうである。

それでも記事を書くと決めた以上、今の情報を集め確認し自分なりに検証しなければならない。

その作業に手間取っている。だから短いブログ記事に過ぎないのに中々書き終えることができない。気分が重い。

などと愚痴をこぼしている暇があったら記事を書けばいいのに、と自分に言い聞かせながらこうして愚痴三昧の駄文を書くのは、もしかして気分転換にならないかとの思いから・・




ハゲとオッパイ



最近、僕は急速にハゲてきている。年齢も年齢だから珍しいことではないし、血筋もハゲの系列だから、さらに大きくハゲることへの覚悟もできている。

それでも、ハゲるのはなんだかイヤだなぁという気分がどうしてもついて回る。それどころかハゲることが不安なようでもある。われながらうっとうしいもの思いである。

なぜそうなのか、と考えつづけていたら見えてきたものがある。

つまり、ハゲは実は女性の問題であり、そう考えてみると、なんとオッパイは実は男性の問題なのではないか、というオソロシイ結論に至ったのだ。

そこで僕は自分のコワイ発見を、10年以上に渡ってスペースをもらっている日本のある新聞のコラムに寄稿することにした。

僕はこれまで新聞雑誌にも結構記事を書いてきたが、10年以上も連載を続けているケースなど、ほかにはない。つまり僕とその新聞は、まあまあ強い信頼関係にある、と僕は考えている。

それにも関わらずその短い記事は、連載開始以来はじめてボツという憂き目を見た。記事は次のような内容だった:

ハゲとオッパイ

ハゲは女性の問題であり、オッパイは男性の問題である。
 つまり、男は女のせいでハゲを気にし、女は男のせいでオッパイの大小を気にする。
 僕は男だから100%分かるのだけれども、もしもこの世の中に男しかいなかったなら、男の誰もハゲなんか気にしない。自分のハゲも他人のハゲも。
 たとえば僕は男オンリーの世界でなら、僕の周りの男どもが全員ハゲで、かつ自分が彼らの百倍ハゲていたとしても、まったく気にならないと断言できる。
 世の中の女性が男のハゲを笑い、男のハゲを気にするから、僕ら哀れな男どもはハゲに強烈な恐怖心を抱いている。
 それと同じことがもしかすると女性の側にも言えるのではないか。
 つまり、女性は世の中の男どもが巨乳とかボインとか爆乳とか面白おかしく話題にするから、自分のオッパイの大きさを気にするのではないだろうか。
 もしもこの世の中に女しかいなかったら、自分の胸や他人の胸のデコボコが高いか低いかなんて、全然気にならないのではないか。ハゲは女性の問題であり、オッパイは男性の問題である、とはそういう意味である。
 ところで、男のハゲを気にするのは日本人女性が圧倒的に多い。ここイタリアを含む西洋の女性たちは、男性のハゲをあまり気にしない。
 大人の感覚とも言えるが、欧米人男性が元々毛深くてハゲが多いせいもあるのだろうと思う。女性が男のハゲに寛大だから、西洋の男どもは日本人男性ほどにはハゲを悩みにしていない。
 そんな訳でヤマトナデシコの皆さん、あんまりハゲ、ハゲと僕ら哀れな男どもを笑うのをやめてくれませんか?


記事が掲載拒否になった理由は、ハゲは不快用語で、オッパイという言葉も新聞では使いにくい、というものだった。

ところが実は、まさにハゲが不快用語だからこそ、ハゲである僕はそれを問題にした。つまりハゲと言う言葉に恐怖心を抱いている(不快感をもっている)僕は、その言葉が無神経に流布している現実への密かな抗議と、また自己防衛の思惑からそのコラムを書いた。他人にハゲと言われる前に自分で言ってしまえ、というあの心理ですね。

ところが新聞はそこのところを全く無視して、ハゲと言う言葉には読者が不快感を抱きかねないので掲載できない。またオッパイの大小も個性の問題なのであり、これも読者が反発しかねない、という奇妙な論理でボツにした。

ハゲと言う言葉に不快感を持つ読者とは、つまり「ハゲている読者」のことであり、それらの読者は僕の同志である。彼らこそまさに、僕のこのコラムを読みたい人々のはずなのだ。それなのに新聞は、一歩間違えば偽善的とさえ言われかねない自らの考えに固執して、そのことに気づかないように見える。

またオッパイの大小が女性の個性の一つだというのは、まさにその通りである。ところが世の中の男どもは、その個性を個性として認めようとはせず、ま、いわば劣情に曇った目で女性の胸を見て、あれこれ品定めをし辱(はずか)しめる。巨乳よ爆乳よ、とはやし立てるばかりではなく、その逆の大人しい胸を貧乳や壁やこ(小)っぱいと揶揄したりする。

そのことを指摘して、そんなものは男のたわ言であり身勝手な魂胆なのだから、無視して堂々としていた方が良い、というのが最終的には僕の言いたいところである。その趣旨は僕の短い文章の中に十分に示唆されていると考える。もしもそうでないのなら、それは僕の文章力の拙さが第一の原因である。が、同時にもしかすると、新聞人のあり余るほどの自信がその目を曇らせている、ということもあり得るのではないか。従軍慰安婦VS朝日新聞の例もあることだし・・

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