【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

震災支援 チャリティコンサート


被災地支援の催し物を、晩餐会ではなくコンサートと決めて以来、主に北イタリアの日伊双方の友人たちに連絡を取って協力を頼んでいる。皆こころよく賛同してくれるのが嬉しい。励みになる。

 

今のところ僕が目指しているのは、去年わが家で開かれた慈善コンサートに近いものである。その時は三人のスカラ座の楽団員と日本人ピアニストの吉川隆弘さんが出演して大成功を収めた。

 

これまでに自宅と妻の実家で開催された慈善コンサートを見ると、催し物がいつも成功するとは限らない。ある年は、れっきとしたスカラ座の二人の楽団員が出演してくれたにもかかわらず、パフォーマンスがかなり難しくて僕のような音楽の素人には良く理解できなかった。

 

それはアーチストが、いわゆる音楽通と呼ばれる高度な聴衆を目安に演奏をするときや、聴衆への音楽教育を意識したパフォーマンスをする時などに起こるようである。

 

それでも、人々の善意がいっぱいに詰め込まれているから、チャリティコンサートはいつ見ても心があたたまる行事ではある。しかし、内容に差が出るのもまた事実なのである。

 

義援金を用意してコンサートを聴きに来る皆さんは、その時点でイベントの趣旨に賛同して参加してくれている。従ってコンサートの内容がたとえ思ったほどの盛り上がりを見せなくても、誰も文句を言ったり不満を感じたりすることはない。いや、たとえ心中で少し残念に感じても、それを表に出すようなことはしない。慈善コンサートとはそういうものである。

 

だからこそ僕は、できれば足を運んでくれる皆さんが喜ぶようなイベントにしたい。誠意を持ってくる皆さんに、お願いをするこちらも良いイベントを用意して心からの感謝を示したい。

 

自宅で催された昨年のコンサートは秀逸だった。何度もアンコールの拍手が起こって感動的だった。どうせならそういうコンサートにしたい。
 

ミラノの友人達がジョイントしてくれるとはいえ、イベントの開催では素人のわれわれがどこまでやれるかは分からない。しかし、あくまでも昨年のレベルに挑戦するつもりで頑張ってみようと思う。

 

コンサートの時期についても考えた。できれば早いほうがいい。震災の記憶がイタリアの人々の心の中から消えないうちに開催するほうが、きっと成功の確率が高くなるだろう。

 

なんとか4月中にと考えたが、それでは準備期間がなさ過ぎる。会場は自宅だから良いとして、アーチストの都合や開催方式や招待状の制作や発送や広報活動などなど・・余りにもやることが多すぎる。

 

しかし、5月になるとわが家は別のイベントで埋まって空きがなくなる。コムーネ(村)が自宅の敷地を含む村の一画を隔離して大会場を造って、盛大な園芸祭を開くのである。

 

祭りは5月半ばの三日間だが、規模が大きいために、5月に入るとすぐに準備や根回しや設定等々であわただしくなる。

 

諸々を勘案すると、コンサートは5月末から6月初め頃の開催になりそうである。

 

 

心ばかりの被災地へのエールを



大震災の被災者支援に何かできないかと自分なりに考えて少し動いてきた。

 

どうやらミラノの友人たちと組んで、わが家でチャリティーコンサートが開けそうである。いくらか心が晴れた気分。ささやかでも被災者の皆さんの助けになれば嬉しい。

 

僕が当初から考えたのは、自宅を会場にしての何らかのチャリティーイベントだった。わが家では食事会や園芸祭りやコンサートや展示会などの慈善活動がよく行われる。村役場(コムーネ)や妻がかかわる慈善団体などが主催するのである。

 

そういうイベントには、ロケやリサーチなどの仕事で家を空けていない限り、僕も積極的に参加してきた。しかし、それはどちらかというと受身の活動である。僕自身が動いてイベントを催してきたわけではない。

 

言うまでもないことだが、ひそかに個人的に寄付をすることと、広く寄付をお願いすることとはまるっきり意味合いが違う。

 

大震災の惨劇に激しく動揺しながら、僕はまったくの泥縄ではあるけれども、広く寄付をお願いするチャリティーの開催方法を考え始めたのだった。

 

チャリティー活動に熱心な妻のアドバイスを受けながら、彼女がかかわる慈善団体の人々にも会って話を聞いたりしていた。

 

そうしながら僕が考えていたのはチャリティー晩餐会である。

 

数年前、妻のかかわる慈善団体が、南米で活動するウーゴ神父を囲む晩餐会を自宅で催した。裕福なビジネスマンを中心に30人ほどを招いたその晩餐会では、僕が知る限り、自宅で開かれたイベントでは一番多い寄付金が集まった。桁違いと言ってもいい額だった。

 

僕はそれにあやかろうかと考えた。でも、多くのビジネスマンを知っているわけではないので、少し二の足を踏んでいた。

 

そこに、かつて僕の事務所でも一緒に仕事をしてくれた友人の田中基子さんから、コンサートをしないかと連絡が入った。ミラノの日本人仲間で慈善団体を立ち上げたのだという。僕は渡りに船と二つ返事で引き受けた。

 

 

わが家では、ミラノのスカラ座の楽団員に協力を願って、ほぼ毎年慈善コンサートを催している。自宅で行わないときは妻の実家を使う。昨年のコンサートには、初めて日本人のピアニストにも参加してもらった。吉川隆弘さんという優秀なアーチストである。彼はスカラ座の楽団員ではないが、技量抜群で観客の大きな喝采を浴びた。

 

そうしたいきさつもあって、コンサートは晩餐会の次に開催可能なイベントとして僕も考えていた。まさにグッドタイミングだった。

 

これからいろいろと手筈を整えなければならない。長い準備期間が必要になるが、僕は早速、去年出演してくれた吉川さんに連絡を入れて快諾をもらい、ミラノ日本総領事館の主席領事、坂口尚隆さんにも連携をお願いしたりして動き出した。また、毎年協力をしてくれるスカラ座の楽団員たちにも連絡を取り始めた。

 

ミラノの友人たちが探してくれるアーチストと合わせれば、それなりの陣容できっと聴衆を魅了できるはずである。

 

イベントはもちろん、東日本大震災の被災者の皆さんへの義援金集めが目的である。でも僕はこの催しを通して、僕の住む地域を含むミラノ近辺の日本人の連帯が深まることも期待している。できるだけ多くの日本人に声をかけて参加をお願いするつもりでいる。

 

日本人なら誰もが、僕と同じように故国の不幸に胸を痛めているに違いない。田中さんたちが慈善組織を作ったのも、結局そういうことなのだろう。皆が協力しあうことで、それぞれの痛恨の思いが少しでもやわらげばとても嬉しい。

微力ながら、被災者の皆さんを助けることは、われわれ自身を助けることでもあるのだと僕は強く感じている。

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅧ



小田原の皆さんがわが家を訪ねてくれたことを機に、大震災を忘れるわけではないが、心の中で少し距離をおいて前に進もうと心に決めた。が、それはまだ無理だと分かった。

 

昨夜、被災地の子供たちを取り上げたNHKの「クローズアップ現代」を見た。とつぜん親や家族を奪われ、家をなくし、自身も津波の恐怖を体験した子供たちの心の闇を思って暗澹(あんたん)とした。僕はまた泣いた。

 

いったいなぜこんな酷いことが起こるのか。何度も何度も繰り返した自問を胸中でふたたびつぶやき、無力感と苦しく対峙しつづけた。

 

NHKは震災二日後の19時のニュース以来、渾身の力で被災地に密着した報道を続けている。僕がイタリアで追いかけているCNN、BBC、アルジャジーラなどの衛星局も、NHKに遅れて取材クルーを被災地に送り込んで見ごたえのある報道を続けた。今は原発事故にしぼってニュースとして触れることがほとんどで、現場に入り込んでの報告はぐんと少なくなった。それでもアルジャジーラは、今朝も現場からの特派員レポートを流した。

 

被災地のさまざまな問題や苦しみや痛み、そしてわずかばかりだが灯りだした希望の光、といった情報を現地の皆さんに密着してきめ細かく伝えるのはNHKだが、国外メディアも依然として頑張っている。

 

心の中で少し距離をおこうと考えた土曜日とは逆に、今日は無理に大震災から目をそらすのはやめた方がいいのではないか、と感じはじめている。我ながら落ち着きのない心理状態がつづく。

 

そうやって自分の気持ちが揺れ動くのは、まだまだ続く被災地の業苦と平穏な自らの日常を比較して、心中に強い負い目がわき起こるからである。

 

それは嘘でも偽善でもない。日本人としての、あるいは人間としての心の揺れである。

 

もどかしいが、しばらくは一方に決め付けることをやめて、震災にも正面から向かい合い、自らの日常にもありのままに対峙していくべきなのだろう。


昨夜、被災地の子供たちに泣かされて、今朝は7時前に起きだして、自宅の2回にある書斎兼仕事場に入った。

そこからはブドウ園の広がりが見渡せる。急速に春めいていく畑地には、緑が芽吹いてすがすがしい。

 

ふと窓に寄って下を見た。ブドウ園の端の草地で2匹のウサギが戯れている。白と灰色に近い茶色の毛の子ウサギである。

 

近くの農夫が、食用に飼っていたものを放し飼いにさせてくれと頼んできた。わけを聞くと、2匹は体が小さく、兄弟ウサギに食料を横取りされてこのままでは育たない。だから、ブドウ園においてくれと言う。

 

一も二もなくオーケーしたのが一週間ほど前。

2匹は食べたいだけ草を食べて元気に遊んでいる。僕はときどき2匹に近づいたり、今のように窓から見下ろしたりしてひどく癒やされている・・・

 

僕の前にある平穏で美しくさえある日常。そして遠い故国には地獄のような被災地の日常がある。

 

これはいったい何を意味するのだろうか。世界はなぜ酷薄な不条理を体現して、平然とそこに広がっているのだろうか。

 

僕は考えても答えの得られるはずのない疑問を、また考えずにはいられない・・・


カミングアウト、に続いての話



言うまでもなく、共和国制のイタリアには法的な制度としての爵位はない。第二次世界大戦後に廃止されたのである。しかし社会通念としてのそれは厳然として存在する。これは革命が起こったフランスにおいてさえそうなのだから、いわんやイタリアにおいてをや、というところである。

 

たとえば妻の実家の家族を、人々はほとんど常に伯爵の称号をつけて呼ぶし、郵便物や届け物や書類などにも伯爵という枕詞が添えられている場合が多い。

 

イタリアの爵位は廃止されたけれども、法律では苗字に取り込んで姓の一部として名乗っても良いことになっている。しかし、そういう形を取った貴族家はあまりないようである。少なくとも僕はそういう家を一つも知らない。もちろん妻の実家もそんなことはしていない。

そういうことをしなくても、社会通念としての爵位の存在が十分に大きいから、改名をする必要がなかったのではないかと思う。

 

また、敗戦によって国民の全てが法の前では平等であるとうたわれている時代に、あえて過去の特権にしがみつくような改名をして、威をかざしたいと考える驕慢(きょうまん)は、さすがに出にくかったのではないか。

 

さらに言えば、多くの貴族家はほとんどの場合、その地域で極めて目立つ建物を所有し住居としている。爵位を持つ場合も持たない場合も、人目を引く歴史的建造物によって、貴族の館と分かることがほとんどだから、隠しようもないのである。そのあたりにも、あえて改名までして爵位にこだわろうとする貴族が少なかった原因があるように思う。

 

さて、僕は「カミングアウト 」の記事で、妻が伯爵だと書いた。が、それでは、その言葉が彼女や僕にとってどれだけの意味を持つのかと言うと、ほとんどゼロ、何の意味もないというのが真実である。

だからこそ僕はあえて伯爵と言った。分かりやすくて、しかも軽佻な感じが出て、カミングアウトという軽いタイトルにふさわしいと思ったのである。

 

実際に僕は、ふざける時によく妻を「伯爵(Signora Contessaシニョーラ コンテッサ)さん」と呼んでからかう。僕らの中では、伯爵などという時代錯誤な称号はその程度の意味しか持たない。

 

ただ前述した、妻の実家の家族を伯爵と呼ぶ人々や、その周りにある制度、あるいは習慣などにまつわる社会通念の中では、妻は今でも伯爵(Contessa、男性形はConte)と呼ばれることがよくある。

 

妻はそれには何も反応しない。そういうときに一緒に行動していることが多い僕も、ほとんど無関心である。それが形式だけの、無意味な呼びかけであることを知っているからだ。

 

妻がかつて爵位を持っていた家に生まれた現実が、妻自身はもちろん、僕や息子たちにも大きな影響を与えるのはもっと別なところにある。

そのことはまたおいおい書いて行ければと思う。





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東日本大震災でイタリアも揺れているⅦ



今日、4月2日の土曜日にわが家を訪問してくれたのは、小田原から来たオーケストラの子供達だった。村役場(コムーネ)からは合唱団だと聞かされていたが、明らかな誤報である。


時期が時期だけに僕は少し困惑してあれこれ考え過ぎたが、子供達の明るい顔や引率の大人の皆さんの節度ある笑顔に接して、とても心が安らいだ。全てを大震災にからめて否定的に捉えたり、大げさに反応したりすることはもうそろそろやめるべきだと感じた。

 

日本人なら誰もが大震災に心を痛め、悲しみ、苦しい気持ちでいる。しかし、いつまでもそれにこだわっていても問題の解決にはならない。苦境を乗り越えるには未来志向で前進するしかない。今日わが家を訪ねてくれたオーケストラの皆さんの活動は、僕が心の底で少し否定的に捉えかけた動きではなく、今まさに日本人に必要なプラス思考の象徴であり典型だということに僕は気づいた。

 

彼らは大人も子供も誰もが、大震災の影を心に刻みながら、イタリアの人々との友好親善や交流という活動を通して、未来に向かって進もうとしている。

 

われわれは誰もが被災地の皆さんと共に泣いた。これからは涙をぬぐって、小田原のオーケストラの皆さんのように前向きに行動するべきであろう。そうすることが、被災地への大きなエールになるに違いない。いや、強い日本人のことだ、国内ではきっと誰もが被災地を気にかけつつ、もうそういう動きになっているのではないか、とも気づく。とても嬉しい一日になった。

 

そのことに加えて、今日4月2日はさらに特別な日になった。わが家を、僕が招いた人以外の日本人が訪ねてきた、初めての日になったのである。しかも大勢で。

 

少しふざける気分で「カミングアウト」と名付けて記事を書いたばかりだから、僕は何か因縁のようなものを感じている・・・

 

 

 

カミングアウト



僕の妻の実家は北イタリアの古い貴族家である。文献や家系図では、家の興りは13世紀頃まで遡(さかのぼ)ることができる。

一家はオーストリア女王のマリアテレジアによって伯爵に叙せられた。マリアテレジアはイタリア語ではマリアテレザである。女王にあやかって付けられた名前はイタリアにも多いが、妻の名もたまたまそのうちのひとつでマリアテレザという。

女王が家に与えた爵位には男女の区別はない。従って、呼び方が女性形になるが、妻自身も伯爵である。同時に彼女は伯爵家の18代目の跡取りでもある。

つまり僕は、ヨーロッパの女伯爵を妻に持つ一介の日本人である。これが僕のカミングアウトだ。

こう書くと大変な女傑と暮しているように聞こえるかも知れないが、妻はいたって普通の大人しい女性である。若い頃はイタリア人らしくピーチクパーチク良くしゃべったが、最近は少し年を取ってきてカラスみたいにギャーギャーわめくこともある。

僕は最近まで、妻と妻の実家の事情を隠す努力をずっと続けてきた。


理由は、今でも大きな存在感を持つ彼女の実家に、僕が経済的に世話になっているのではないか、と人に勘ぐられるのがシャクだったからである。

僕は妻の実家とは良好な関係にあるが、彼女の実家からは一銭の援助も受けたことはない。自分の甲斐性で妻と二人の息子をきちんと養ってきた。しかし、伯爵家のことを知れば、人は必ず玉の輿ならぬ「逆玉の輿」などと陰口をたたくだろう。その方が話が面白い。僕がいくら弁解をしようとも、人の口に戸は立てられない。僕もヤジウマ根性盛んなテレビ屋の端くれだ。それぐらいの認識はある。

とは言うものの、僕はヨーロッパの歴史がいっぱいに詰まった伯爵家の有り様(よう)を、日本人にも知ってほしいと強く思ってもきた。家屋が博物館などになって過去の遺産として展示されている貴族の歴史などではなく、今でも実際に人が住まい、呼吸し、生き生きと活動している貴族館の様子を実体験として味わってもらう。

それはめったにできないことだし、面白くて少しはためにもなる貴重な体験だと僕はいつも信じていた。なぜなら、僕自身にとっての伯爵家とは、いつもそういうものであり続けていたから。

そこで自分の中で基準を設けて、それに当てはまる人だけを家に招待した。その基準とは「僕がギャクタマ男の、怠惰なヨタロー
的人物ではないことを知っている人々(笑)」というものだった。

その筆頭は家族や友人である。でも日本で普通に仕事をこなし、生活をしている彼らは、そう簡単にはイタリア旅行はできない。従って数は限られた。

次には仕事関係の友人知人。仕事上の付き合いだから、当然彼らは僕の仕事振りを知っているし信頼関係もある。その流れで、大きくお世話になったNHKとWOWOWのプロデュサーやスタッフを中心とする人々に落ち着いた。つまり僕にとってのいわば内輪の皆さんには、妻と伯爵家のことは実は周知のことではあったのである。

このブログを書き続けるなら、僕はどこかで伯爵家のことを話さなければならないと分かっていた。なぜなら、僕が伯爵家から金銭的な援助を受けていない事実を別にすれば、その家の存在は、イタリアに移住してからの僕と僕の家族の生活に深く関わりを持ち続けてきたし、これからも関わり続ける。僕と妻はロンドンで出会い、結婚して東京に移住し、そこからニューヨークに移り住んで、最後に妻の国ここイタリアにやって来たのである。

また、ブログに記す事柄の中には、伯爵家のことを話しておかなければ、恐らく意味が良く分からないような内容も出てくるに違いない。

僕は思い迷った末にこうしてカミングアウトすることにした。

そうすることで、もしかすると自慢だ、気取りだ、威張っているなどと誤解や曲解を受けることがあるかも知れない、とチラと考えないでもなかった。しかし、そういうことは何をどう書いても必ず起こることだから悩んでも仕方がない。あえて無視して僕は早いうちにこうして告白をしておこうと決めたのである。

僕は妻の出自を自慢したりする気は毛頭ないけれども、根が軽佻浮薄でアバウトでノーテンキな男だから、またできれば常にそうありたいと努力をしているつもりの人間だから、伯爵家の在り方や歴史などをひどく面白がる傾向がある。

カミングアウトをした以上は、そうしたことも今後できるだけ書いていくつもりだが、それを自慢や得意やおごりなどと捉えられても困る。

なぜなら、もしかすると、まさにそれが僕のねらいかもしれないではないか!





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東日本大震災でイタリアも揺れているⅥ


イタリアの民放局のうち最大の5チャンネルは、毎朝6時から8時までトップ(見出し)ページと銘打った報道番組を流す。これは15分にまとめたニュースや生活情報などを繰り返して放送するもので、前日までと今日これからの世界や国内の社会情勢が、ある程度分かる形になっている。そうしておいて、同局はトップページのうちの重要なものを、午前8時からの通常ニュース番組で深く掘り下げて放送する。40分のその番組は週7日間休みなく放送され、土日の週末は50分に延長される。

 

東日本大震災発生以来、5チャンネルのトップページは毎日欠かさずに日本の情勢を伝えてきたが、今日(29日)、初めて、原発事故を含む震災関連の話題がそこから外された。8時からの通常ニュースでは、さすがに福島第一原発の危険な現状については言及したものの、トップページでは触れなかったのである。

 

このことは前にも言ったように、被災地や日本にとっては良い面と残念な面がある。良い面とは被災地に少なくともこれまで以上の新たな不幸が起きていないことを示唆すること。残念な面は人々が早くも被災地のことを忘れ始めた現実を暗示することである。放射能の問題が悪化しなければ、人々の多くは急速に大震災のことを忘れていくだろう。そして、やはりどちらかといえば、イタリアに限らず海外のメディアが次第に大震災のことを忘れてくれる方が、被災地や日本にとってはいいことに違いない。

 

でも、依然として危機的な状況が続く福島原発問題は、再び5チャンネルのトップページに大々的に取り上げられる可能性が残っている。もしそうなった時は、恐らく日本を見る世界のムードが変わる。今の同情や友愛や支援や好意ばかりではなく、放射能汚染を食い止められなかった日本政府や東京電力への批判が巻き起こり、それは当然日本国民に対する世界の見方にも影響を及ぼす可能性がある。そうならないことを心から願いたい。

 

東日本大震災に替わるイタリアの各メディアのトップニュースは、イタリア南端のランペドゥーサ島に押し寄せる中東(北アフリカ)難民。島の人口を上回る流民が上陸し続け、ついに島民が悲鳴を上げて難民排斥に立ち上がった。この問題はイタリア一国で解決できるものではなく、やがてEU(欧州連合)全体が協力して対処することになるだろう。特にリビアへの共同軍事介入を断行しているEU主要国は見て見ぬ振りはできない。

 

難民、リビア問題に続くイタリアのもう一つのトップニュースは、横領容疑などでミラノ地裁の予備審問に出廷したベルルコーニ首相の動向。先だって未成年者買春容疑で起訴された同首相は、2003年6月にも汚職事件の公判で裁判所に出廷している。

 

イタリアは多国籍軍に多くの基地を提供してリビアへの軍事介入に深く関わっているが、NATO内では意志決定会議で蚊帳の外に置かれ、米英仏独だけが衛星会議を開いて話し合う事態が起きたりしている。イタリア政府は「無視されたわけではない」などと負け惜しみを言っているが、これは僕などに言わせると、元々イタリアが世界の主要国の中ではマイナーな国であることを差し引いても、スキャンダルまみれのダメ男をトップに戴く国を、人々が信用していないことの証にしか見えない。

 

そうこうしているうちに、日本からの合唱団が北イタリアを訪れ、僕の住む村にもやって来るという。それには僕らの一家も関わることになる。実はそれは大分前から計画されていたイベントだが、大震災が起こった今、当然キャンセルまたは延期されたものだと僕は信じ込んでいたから驚いた。

 
白状すると、僕は計画が予定通りに実施されることに、驚きを通り越して腹立ちにも近い困惑さえ覚えた。そこで主催者である村役場(コムーネ)の担当者に連絡を入れた。少し抗議をしたい気分だった。

 

日本から遠いイタリアにいる僕と妻でさえ、震災被災地の皆さんの辛酸を想うとき、文字通り何もできないながら、いや何もできないからこそ、以前から計画を立てていた旅行を心苦しく思って中止するような場合に、日本から合唱団がやってくるなんてどういうことなんだろうと思った。

 

でも話を聞くと、合唱団はどうやら中学生程度の子供達が中心のグループらしい。それで僕は少し心が静まった。それどころか少し明るい気分にさえなった。

いつまでも沈み込んでいるわけにはいかない。どこかで誰もが前を向いて歩き出さなければならない。子供達がその先頭に立つのはいいことではないかと思い直した。


普天間基地を災害避難所にしろ


東日本大震災のNHK報道を僕は日本との衛星同時放送でずっと見続けてきた。言葉を失う惨劇を、遠いイタリアで苦しい思いで追いかけながら、一つ気づいたことがある。

 

今回の東日本大震災も16年前の阪神淡路大震災も寒い時期に起きている。またそうではない例えば新潟中越地震の場合でも、災害後に厳しい寒さが訪れて、被災者の皆さんの苦労をさらに大きくした。

 

そこで、冬でも暖かい沖縄の米軍基地の全てを、国営の災害避難所に作り変えて、残念ながら今後も全国で発生し続けることが宿命の、あらゆる種類の天災への備えにしたらいいのではないかと考えた。

沖縄以外の日本国土は、本土最南端の鹿児島県でさえ、真冬には雪も降る寒い土地柄だ。冬でも花が咲き乱れ小鳥がさえずっている沖縄県に、苦しんでいる被災者の皆さんを迎えてあげるのは意義のあることであろう。
 

まず手はじめに普天間基地の米軍に退散を願って避難所となし、東日本大震災の被災者の皆さん、避難所の皆さんを全て受け入れる。とにもかくにも厳しい寒さをしのげる、というだけでも大きな負担減になるのではないか。

そうすれば、沖縄県民の基地への怒りも嘆きもきれいさっぱりとなくなり、本来の明るい性格ともてなしの心だけが最大限に発揮されて、被災者の皆さんを暖かく迎え、援助の手を差し伸べるだろう。

 

基地擁護者が言いたがる抑止力が、国難を排するための力であるなら、大震災で甚大な被害を受けて苦しむ国民の存在、という大きな国難を排する避難所こそ、真の抑止力だと言うこともできる。

 

普天間基地を開放して作る避難所には、被災者の皆さんが家族ごとに入れる、アパート群を始めとする様ざまな設備を作るのは言うまでもない。その時、応急処置のチャチな建物ではなく、しっかりしたりっぱな設計建築をすることが重要である。というのも、そこは災害避難所として使われない期間は、国民保養所や国民宿舎のような形にして低料金で貸し出すのである。言うまでもなく、災害が発生した場合は無条件に明け渡す、という契約で。

 

そうすれば施設はきっと夏には海で遊びたい若者で、冬には避寒保養地として、年金生活の高齢者の皆さんなどで溢れるに違いない。

またそうした施設は、島を訪れる多くの観光客が台風で足止めを食う時にも利用してもらう。

台風による足止めは、観光客にとってはホテル宿泊費を始めとする旅行費用の想定外の入り用で負担が大きい。ここでも低料金で提供すれば大きな助けになる筈である。そのほかにも知恵をしぼればいろいろと利用価値があるのではないか。

 

荒唐無稽な話、と一笑に付す人もいるだろう。だが民主主義国家のわが国において、沖縄県民の民意を完全に無視して、現職総理や幹事長や各閣僚が島を訪れては、バカの一つ覚えのように辺野古への基地移設を唱えることこそ荒唐無稽だ。

 

同じ荒唐無稽なら、被災者の負担と沖縄の基地負担を一気に解決できる避難所の方がよっぽどましである。


 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅤ


多国籍軍によるリビア爆撃が始まってから、東日本大震災に集中していた欧州の関心は急激に対リビア戦争に移行した。それぞれの国や社会の日々の動きや、世界情勢に流されるように内容が移行していくテレビの、特に報道の現場では仕方のないことである。というか、それがテレビに限らずメディアの宿命である。巨大な出来事である今回の東日本大震災でさえ、メディアの関心を永久に留どめておくことはできない。日本人としては内心不服だが、それが現実である。

 

当初、英米仏伊、カナダ、ベルギー、それにカタールの7カ国が参加した多国籍軍は、21日の時点ではスペイン、デンマーク、ギリシャなどが加わり、さらにアラブ首長国連邦も参加した。アメリカとヨーロッパの参戦国は、最近起こったイラク、アフガニスタン戦争でのアラブ諸国の反発をもっとも恐れている。従ってカタールとアラブ首長国連邦という二つのアラブ国の参戦は極めて重要な意味を持つ。

 

もっとも強硬に作戦を押してきたのはフランス。さらに英米と続いたが、もっとも強く作戦遂行の影響を懸念しているのはイタリアであろう。イタリアは7つの航空基地を多国籍軍に提供し且つ参加国の中では一番リビアに近く、従って報復攻撃を受けやすい。そのせいもあるだろうが、首相のベルルスコーニはカダフィ大佐との友情を慮る振りで彼の立場を心配して見せたり、イタリア空軍機はリビアに向けては一発の砲撃もしなかった、などと言い訳をしたりしている。

 

イタリアのジレンマはもう一つある。難民問題である。アフリカに近い南イタリアのランペドゥーサ島には、次々に難民が押し寄せている。これまではチュニジア人が主体だったが、リビアを攻撃することでイタリアは難民の数をさらに増やす手助けもすることになる。今やイタリア国内のトップニュースは、東日本大震災でもリビア戦争でもなく「難民」なのである。もっとも深刻なランペドゥーサ島には人口とほぼ同じ数の5400人が上陸して大混乱になっている。リビアに近い周辺の島々にカダフィ大佐がミサイルでも撃ちこんだら、島々はさらに大混乱になり、やがてここ北イタリアにも波及してきそうな勢いである。

 

ある意味では日本の震災ニュースが減るのはいいことでもある。なぜならそれは、少なくともこれまで以上の悲惨な出来事が起きていないことを物語るから。福島第一原発に重大な悪化現象が現れたりすれば別だが、イタリアでは日を追うごとに大震災への関心が無くなって行きそうな気配である。被災者と被災地の本当の戦いはこれからだが、今はイタリアのメディアが震災に
無関心になって行くことを願うばかりである。

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅣ

 

今月25日から3~4日の日程で予定していたスペイン・アンダルシア旅行をキャンセルした。週末を利用して、妻と二人でフラメンコを観に行く計画を1月末頃に立てて楽しみにしていたのだ。

日本から逐一入る大震災の厳しい情報に埋もれて、かなり落ち込んでいる気分を引き上げるために、予定通り旅行をしようかと考えなくもなかった。が、やっぱりそんな気にはなれない。遠いイタリアにいて何ができる訳でもないが、しばらくは被災者の方々に心だけでも寄り添っていたいと思った。おそらく海外在住の日本人は誰もが僕と同じ気持ちでいるのではないか。旅行のキャンセルには妻も即座に賛成してくれた。

 

旅行を取りやめたことで何かできることはないかと夫婦で話した。彼女は南米やアフリカなどの貧しい人々を支援する複数の団体に所属して活発に活動している。それとは事情が異なるが、こういう場合にはどうするべきか良く心得ているから、全て妻に任せることにする。

気分高揚という意味では、実は一昨日17日の木曜日に僕は普段は余り考えられないことをして、自分を慰めた。今思うと少々冷や汗ものの行動だったが、不思議なことにその時は何のためらいもなくできた。

3月 17日はイタリア統一150周年記念日だった。イタリア中で盛大な祝典が催された。

僕ら夫婦も住まいのあるコムーネ(COMUNE:共同体)の祝賀会に招かれた。

僕が住んでいる北イタリアの村は、人口一万人弱のコムーネの中心地区である。僕は分かりやすいようにそこを勝手に「村」と呼んでいる。町や街と呼んでもいいのだろうが、のどかな田園地帯も広がる地域なので、僕の感じでは「村」というのが一番しっくり来る。

 

実は、イタリアには市町村という行政単位はない。首長を戴く全ての地域は、等しく「コムーネ」と呼ばれる。つまり、ローマやミラノのような都会も僕が住む田舎町も、一律にコムーネなのである。

 

コムーネ主催の「イタリア統一150周年記念式典」で、僕は妻と二人で壇上に上がって少し話をした後、妻を巻き込んで日本語で、日本式に「イタリア、バンザイ」と三唱した。突然、バンザイ三唱を強制された妻も、聴衆も驚いていたが、一番驚いたのは僕自身だった。生まれて初めてのバンザイ三唱を、僕は何の迷いも抵抗感も逡巡もなくやってのけた。そのことに自分でも驚いたのである。

 
僕は式典そのものに顔を出すと決めた時、日本の震災のことを少し忘れて、祭りに身をゆだねて気分転換をしようと思った。

 

ところが式典が始まると、挨拶をする来賓の多くが話の冒頭で東日本大震災に言及して同情を表明してから本題に入る。僕はそれで少しじんとなってしまった。

 

加えて、統一国家というものにそれほどの価値を見出さないイタリア人の真骨頂、とでもいうべき挨拶の一つ一つが面白かった。彼らはスピーチを一様に「統一イタリア、バンザイ!」と締めくくるのだが、その言い方がものすごく嘘っぽい。無理をして、というのが少し大げさなら、ひどく遠慮しいしい言っているのがわかる。

 

かつて独立自尊の気概に富む都市国家が群雄割拠していたこの国の人々は、今でもその記憶を失わず、むしろ誰もがそのことを誇りにして現代を生きている。人々にとっては統一国家の前にそれぞれが所属する「コムーネ」があり、それはいわば一つ一つが独立国家なのである。巨大コムーネのローマと僕の住む北イタリアの小さな「村」コムーネが、行政的に完全に対等な立場に置かれているのも、それが理由の一つである。

 

僕はイタリア人の独立自尊の気風が大好きである。それを尊敬し楽しんでいるからイタリアに住み続けている、と言ってもいいくらいだ。

 

大震災に見舞われた日本への連帯感を表明してくれる来賓の情にじんとしたり、統一国家よりも「オラが街が大事」という本音を隠して「イタリア、バンザイ」とか細い声で建前を言う様子を面白がったりしながら、僕はだんだん本気で楽しくなり愉快になって行った。

またその時の僕の胸の底の底には、甚大な災害に見舞われながらも人間性を失わずにじっと耐える、故国の被災者を讃える世界中のメディアの報告を、自身が誇る気持ちも少なからずあったと思う。

 

そこでイタズラ心が出た。僕は隣にいた妻に「僕に続いて日本語でバンザイを三唱して」と耳打ちして、聴衆に向かって「ビバ(バンザイ)、イタリア!」を日本語ではこう表現します、と言ったあと実際にバンザイ、バンザイとやったのである。
 

 自分の行動をあとで振り返ると冷や汗が出たが、会場にいた人は皆喜んだ、少なくとも面白がっていた、などの噂を聞いて僕はほっとした。

でも、やっぱり反省している。

なぜなら僕は叫んだり、悲鳴を上げたり、勝ち鬨(どき)を上げるなどの金切り声が嫌いだからだ。叫喚(きょうかん)や咆哮(ほうこう)や絶叫や大呼が起こる場所にはロクなことがない。そして僕の中では「~バンザイ!」というのは絶叫にしか聞こえないのだ。

 

軽い遊びのつもりでやってしまったが、僕は反省している。会場の人々の中には僕のジョークが分からず、日本的な過激なアクション、と決め付けた人も必ずいあたであろうから、なおさら・・・

 

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅢ

 

日曜日(3月13日)もずっとNHKの地震関連ニュースを見て過ごした。

 

午前11時(日本時間19時)のNHK7時のニュースから、報道の様子ががらりと変わった。被災現場にカメラが入り、いったん津波に飲み込まれながら難を逃れて、九死に一生を得た人々の生の声が電波に乗り始めたのだ。

 

最初は宮城県名取市の自宅で、津波に巻き込まれた石川竜郎さんという男性だった。津波が名取市の全てを飲み込んで膨れ上がっていく恐ろしい姿は、空撮カメラで克明に捉えられて、それまで何度も繰り返し放映されてきたが、石川さんは、まさにその地獄絵のただ中にいたのだった。

 

自宅2階にいた彼は突然巨大な濁流に飲み込まれ、水中に引きずり込まれ、死を覚悟して、それでも懸命に足掻(あが)くうちに奇跡的に助かった。顔にたくさんの傷を負った石川さんが語る生々しい恐怖体験は、それまでのあらゆる驚愕映像が語り得なかったものを語り始めた。


それをきっかけにして、
NHKのカメラは被災現場の詳細を舐めるように映し出し、石川さんに続く「地獄からの生還者」も少しづつ紹介していった。

 

そこまでの報道はいわばロング(引き)の報告だった。実況報告の中心は、地震と津波の破壊の模様を遠くから見たいわば大局的なものだった。2次災害、3次災害の危険のある被災地では、空撮やロングの絵を駆使した報道になるのは仕方のないことだった。

 

ところがこの7時のニュースからはアップ(拡大、接写、寄り)の報道に変わった。一つ一つの絵の多くが、対象の「今現在」のクローズアップになったのだ。九死に一生を得た石川さんのような人たちが見つかり、津波の心配が低くなった被災現場にカメラが入って、あらゆる事象に密着し、生々しい映像が多く出始めたのである。

 

被災地に襲い掛かる巨大地震や津波をロングで捉えたそれまでの映像は、言うまでもなく十分に恐ろしいものだったが、カメラが対象に密着してアップで捉えることができるようになったそれ以後の報告は、ロングの絵をはるかに上回る圧倒的なインパクトを持っていた。

 

同時にそれは、被災地の惨状に激しく胸を揺さぶられ、同情し、悲しみながらも、結局何をすることもできず、遠い安全な場所で事態を眺めているに過ぎない自分に対する嫌悪感のようなものももたらした。僕は故国の途方もない悲運をただ苦しく見つめているだけの、無用で無力な情けない存在でしかないというような・・
 

自分の言葉の全てが空しく、何かを言うことはただの偽善にしか思えないような、被災者の圧倒的な不運、悲しみ、苦悩・・・


それは13時(日本時間21時)から始まった
NHKスペシャルでさらに深められた。

 

被害の実相が徐々に明らかになっていくに連れて、NHKの検証も次第に重くなっていく。それと正比例して自分の言葉が果てしもなく軽くなっていくように感じる。ここからは少し言葉を慎もう。しばらく黙って、圧倒的な不運に襲われた人々に心だけをそっと寄り添わせて見守って行こう・・・

 

と思う先から、地震と津波に続いて発生した原発問題に対する強い不信感が湧き上がって、微小微力の自分なりにやはり何かを語らなければならないとも考える。


天災は、悔しいが、仕方がない。人災の原発は許せない。許してはならない。


原発の危険がこのまま回避されることを祈りつつ、僕はそれを取り巻く不透明な現象にはしっかりと目を留めておきたいと思う。

原発問題に関しては、日本の報道と世界の報道との間にギャップがあるのだ。そこには単純な善し悪しでは測れない理由があり原因がある。

そのことについてはどこかで必ず検証したいと思う。ただそれは僕だけの問題ではなく、日本人のひとりひとり全てが、それぞれの立場で検証をし、結論を出し、議論をくり返して、将来の道筋を決めていくべき巨大なテーマであるように思う。


東日本大震災でイタリアも揺れているⅡ


昨日(3月12日、土曜日)はずっと衛星放送でNHKの地震特集を見続けた。

時間がたって少し気持ちが落ち着いてくると、CNNやBBC、アルジャジーラなどの衛星局にもチャンネルを合わせて覗いてみる余裕が出た。

どの局も日本の地震の報告で満たされている。日本で放送されているものと同じ生のNHK映像や民放のそれが世界配信され、各局はそれを流しながら解説をする形を取ったり、特派員や日本に滞在しているエージェントと結んで、電話で話を聞くなど、独自の構成、番組作りをする努力も怠っていない。

夜も3時間ほど寝ただけでずっと地震のニュースを見続け、それは今日になっても続いた。

NHKは当たり前として、世界の24時間衛星ニュース局は、渾身の力で客観的な報道を続けている。

そして彼らの報道の根底には、日本に対する温情、頑張れと応援する気持ち、愛情がこもっているのが分かる。

それは当然と言えば当然のことではあるが、絶望的な状況の中では、やはりその気持ちは嬉しい。

イタリアのテレビの論調も、基本的には世界の衛星テレビ局と同じ。今朝になって一斉に発売された新聞も、全てが一面トップで日本の震災を伝えつつ、根っこにはやはり強いいたわりがあるように僕には感じられる。

僕はもしかすると、今日になっても次々にかかってきた友人知己の見舞いの電話やメッセージに影響されて、気持ちが少し甘くなっているのかも知れない。

連絡をしてくる友人たちは、当然の成り行きで、先ず日本の僕の家族は大丈夫かと話を切り出してくる。が、彼らの中には被災地に始まる日本全体への思いやりがいっぱいに詰まっている。

僕の個人的な体験ばかりではない。いろいろなところで人々が日本に寄せる友愛がある。例えば、先日活躍したサッカーの長友選手が所属するチーム、インテルは、日本をいたんで選手全員が喪章をつけて試合をした。それは有力なスポーツ新聞などに取り上げられて、サポーターの関心を引いた。

また、米国や豪州などに始まる多くの国々が、日本への支援を迅速に表明し、実際に動き出し、最近は対立することが多い中国でさえ、わが国への同情を隠そうとはしない。

被災地のすさまじい状況と、不運にも巻き込まれてしまった方々の絶望を思い、被害の最小と人命救護の最大を祈りながら、せめて僕は日本を取り巻く世界や、世界の人々の善意にも気を留めていたいと思う。

それはいわば「巨大な不幸中の、かすかな幸い」とでもいうべきものであり、大切にするべきものであるように僕には感じられる・・

東日本大震災でイタリアも揺れているⅠ

 

イタリアの3月8日は、黄色いミモザの花を恋人や妻に贈るその名もズバリ『女性の日』。昨日、そのことについて3日遅れで何かを書こうとノーテンキなことを考えていたら、日本から巨大地震発生のニュースが飛び込んできた。

 

すぐにテレビの前に走る。地震発生から既に3時間ほどが過ぎていて、日本とのリアルタイムのNHK番組が衛星放送で逐一流れてくる。大津波が、家も車も船も畑も何もかも飲みこんで、膨れ上がっていく驚愕映像が繰り返し流される。巨大な濁流の中に人々がいると思うとたまらない。画面をじっと見すえたまま泣く。

 

津波警報が、東北のみならず北海道から沖縄の宮古島、石垣島に至る全国に出ていることに気づいて、今度は電話の前に走る。

まず先島諸島内にある故郷の島に国際電話を掛ける。そこには90歳を過ぎた父とその面倒を見る妹が住んでいる。豆粒のような平坦な島は、たった今映像を見たばかりの津波が見舞った場合、人家や農地を含む一切が完璧に洗い流されてしまうだろう。


もしかすると島そのものが消えて無くなるのかも知れない。それ程に小さい島である。

 

実家の電話は通じない。妹の携帯電話も無理。すぐに埼玉県に住むもう一人の妹にも電話をしてみる。そこも通じなかった。那覇に住む姉のところも通じない。


次にトライした宮古島の兄がようやく電話に出た。津波への警戒はしているが、恐らく大丈夫、島は平穏だという。ならば、そこに近い父の島も同じ状況だろう。一応安心したが、日本のそこかしこにいる家族の安否はまだ全ては分からない。

 

テレビの前と電話を行き来しながら連絡を取り続けて、どうやら全員が無事と分かったのは、そこからさらに一時間半ほどが過ぎたあとだった。同じ頃に東京や近辺の友人らとも連絡がついた。

 

腰を落ち着けてテレビ画面に集中する。

 

言葉を失う凄惨な場面が、次々に、繰り返し映し出される。涙ぐみながら僕はずっと見入った。時々携帯電話で自宅近辺やミラノに住む日本人の友だちに連絡を入れる。皆NHKの衛星放送を見ている。お互いに慰めあいながら話しては少し心を落ち着かせる。

 

午後になって、気仙沼市の火災の映像が流れ出した。日本はもう夜。

 

自衛隊機から撮影された映像は、またまた震撼させられる状況だ。夜の闇を焦がすような火災が広範囲に渡って続いている。火は人々の制御能力を超えてひたすら燃え広がっているらしい。ドラマでも有り得ないような衝撃的な絵。

 

誰もが生きたまま、なす術もなく炎に飲み込まれているのが見えるようだ。涙が止まらなくなった。

 

時間経過と共に、日本の惨劇を知ったイタリア中の友人達から、僕の携帯に次々に見舞いの電話がかかってくる。妻の携帯電話にもかかってくる。

 

彼らの気遣いが僕をさらに泣かせる・・


 

長友選手バンザイ!


イタリア、プロサッカーリーグセリエAの強豪チーム、インテルの長友選手が、昨日の試合で初ゴールを決めた直後に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。
 
大観衆が見つめる檜(ひのき)舞台でチームメイトに向かって深々とお辞儀をしたのだ。それは流れるように自然な動きで、日本人らしい律儀さと仲間への敬意に溢れた、しかもユーモアたっぷりのステキな動きだった。

この上なく爽やかで楽しいスタンドプレーは、テレビや新聞で大々的に伝えられてイタリア中が湧いた。

新聞の場合は、スポーツ新聞は当たり前として、なんとイタリアきっての高級紙「コリエレ・デッラ・セーラ」までが、 “
festeggiato alla giapponese日本式に祝賀”という説明文と共に、チームメイトに囲まれた長友選手が、主将のザネッティ選手に深く一礼するカラー写真を一面に大きく載せ、さらにスポーツ欄でも再び写真付きで詳しい記事を書いている。

僕は試合の中継を見、テレビニュースを見、新聞を読み漁って、それでもまだ飽きずにインターネットの動画で何度も何度も秀逸の場面を見返している。

テレビ屋の僕はイタリアのサッカーにも大きく関わってきた。僕の事務所は
WOWWOWのセリエA生中継のコーディネーションを一手に引き受けていた時期がある。同時に僕はそれと連携する番組制作のディレクターとしてもロケに駈けずり回った。

長友選手はセリエ
Aの9人目の日本人選手である。パイオニアはいわずと知れた三浦カズ選手。僕は三浦選手のデビュー戦も生中継の現場で見た。昔からサッカーが好きなことも手伝って、以来僕は公私ともにサッカーの動静を見守り続けてきた。

そのことはまたおいおい書いていこうと思うが、実は僕は最近次のような文章を新聞に寄稿したことがある。


【衛星放送で日本のプロサッカーの試合を見ていたら、得点を入れた選手が疾走しながら欧米人並みに拳にキスをするしぐさをした。
僕はその時、安倍元総理が、外遊先の飛行場で妻と手をつないでタラップを降りる姿を見たときと同じくらい気恥ずかしい思いをした。
どちらも普段やらないことをパフォーマンスでやっているところが見苦しい。

拳にキスをしたJリーガーの男は、欧米の選手は結婚指輪に口づけをして妻に感謝を捧げているということを知っているのだろうか?
意味は分からないが、選手の動きがカッコいい、という理由だけであのしぐさを真似ているように見える。
たとえ意味を理解して指輪にキスをしていたとしても、僕はやっぱりあのアクションは見るに堪えないものに感じる。なぜなら、それは日本人の自然な動きではないからだ。

妻への感謝を表すときに結婚指輪に接吻をするなんて、いったいどこの日本人だと思ってしまうのだ。

元首相の安倍さんが、奥さんと手をつないで飛行機を降りたのは、ブッシュ大統領や英国のブレア前首相あたりを真似ていたのだろうが、彼は普段から欧米人のように公衆の面前で奥さんを抱きしめ、手をつないで町を歩き、ほっぺたにチュー、としたりするのだろうか?
そうした欧米の慣習があって、はじめて拳へのキスや大舞台での夫婦の手つなぎが自然になり、絵になる。
 今のところ日本人はそうしないことが自然で美しいと僕は思うが、どうだろうか】


長友選手のお辞儀パフォーマンスは、僕がそこで見たこととはまったく逆の、完璧な自然体の、明るく美しい日本人の姿だった。
堅苦しくて面白くない、と敬遠されることも多いわれわれの低頭の習慣を、一瞬にして好ましいものに変える魔法のようなアクションだった。

僕は個人的にそれを喜ぶと同時に、長友選手の登場が、日本のサッカーレベルの高揚の証でもあると感じて、二重に喜んでいるのだ。

そのこともまた先に書いていこうと思うが、とりあえず今日あたりまでは、長友選手のパフォーマンス動画を再生して
は、また一人でニコニコ笑っていようと思う。

 

 

火葬と埋葬




イタリア人の僕の妻は、埋葬を葬儀の基本とするカトリック教徒である。ところが、彼女はいつか訪れる死に際しては、それを避けて火葬にされたいと考えている。

しかし、カトリック教徒が火葬を望む場合には、生前にその旨を書いて署名しておかない限り、自動的に埋葬されるのが習わしである。


妻は以前から埋葬という形に抵抗感を持っていたが、僕と結婚して日本では火葬が当たり前だと知ってからは、さらにその思いを強くした。日本人の僕はもちろん火葬派である。


僕は最近亡くなった母が荼毘(だび)に付された際、火葬によって肉体が精神に昇華する様をはっきりと見た。


母の亡きがらがそこにある間は苦しかった。が、儀式が終わって骨を拾うとき、ふっきれてほとんど清々(すがすが)しい気分さえ覚えた。それは母が、肉体を持つ苦しい存在から精神存在へと変わった瞬間だった。


以来、死に臨んでは、妻も自分も埋葬ではなく火葬という潔い形で終わりたいと切に願うようになっている。


葬礼はどんな形であれ生者の問題である。生き残る者が苦しい思いをする弔事は間違っている。


僕は将来、妻が自分よりも先立った場合、もしかすると彼女が埋葬されることには耐えられないかもしれない。


土の中で妻がゆっくりと崩れていく様を想うのは、僕には決してたやすいことではない。キリスト教徒ではない分、遺体に執着して苦しむという事態もないとは言えない。


埋葬が当たり前のキリスト教徒の皆さんの多くは、逆に、火葬に対して僕と同じ感慨を抱くことが多い。それだけに僕は、自ら火葬を選びたいという妻に、ほっと胸を撫で下ろすような気分でいる。


将来、十中八九は男の僕が先にいくのだろうが、万が一ということもある。念のために、一刻も早く火葬願いの書類を作ってくれ、と僕は彼女に言い続けているのである。


普通なら妻も僕もまだ死ぬような年齢ではないが、それぞれの親を見送ったりする年代にはなった。



何かが起こってからでは遅いのである。






~酔っぱらいとヨッパライ~




イタリアに住んでいて一番なつかしいのは日本の酒場である。この国には、じっくりと腰を落ちつけてひたすら飲んだり、あたりをはばからずに浮かれ騒いだりすることのできる、居酒屋やバーや赤ちょうちんやスナックやクラブというものがほとんどない。

 
それではイタリア人は酒を飲まないのかというと、全く逆で彼らは世界最大のワイン生産国の国民らしく、のべつ幕なしに飲んでいる。食事時には夜昼関係なく水や茶の代わりにワインを飲むし、その前後には食前酒や食後酒も口にする。 それとは別に、人々は仕事中でも「バール」と呼ばれるカフェに気軽に立ち寄って、カウンターで一杯のビールやワインをぐいと立ち飲みして去るのが普通の光景である。

  
そんな具合に酒を飲みつづけていながら、彼らは決して酔わない。

 
西洋社会は概(おおむ)ねそうだが、イタリア社会はその中でも酔っぱらいに非常に厳しい。たしなみ程度の飲酒には寛大だが、酔っぱらいというものを人々は蛇蝎(だかつ)のように嫌う。


「いやあ、ゆうべは飲み過ぎてしまって」

「いやいや、お互い様。また近いうちに飲(や)りましょう」

とノンベエ同志が無責任なあいさつを交わし合い、それを見ている周囲の人々が、

「しょうがないな。ま、酒の上のことだから・・」

と苦笑しながら酒飲みを許してやっている日本的な光景はここには存在しない。

酒に酔って一度ハメをはずしてしまうと、よほど特殊な状況でもない限りその人はもう翌日からまともな人間としては扱ってもらえない。

 
酔っぱらい、つまり酒に呑(の)まれる人間を人々はそれほどに嫌う。交通安全の標語じゃないが“飲んだら酔うな。酔うなら飲むな。”というのが、イタリアに於ける酒の飲み方なのである。

 


それならイタリアには酔っぱらいは一人もいないのかというと、面白いことにこれまた全く逆の話なのである。うじゃうじゃいる。というよりも、イタリア国民の一人一人は皆酔っぱらいである。ただし、彼らは酒に酔った本物の“酔っぱらい”ではない。精神的なあるいは性格的な“ヨッパライ”である。

 
酔うと人は楽しくなる。陽気になる。やたらと元気が出て大声でしゃべりまくる。社長も部長も課長も平社員も関係がなくなって、皆平等になってホンネが出る。仕事仕事とガツガツしない。いや、むしろ仕事など投げ出して遊びに精を出す。

こうした酔っぱらいの特徴は、そのまますべてイタリア人に当てはまる。酒飲みも下戸も、男も女も子供も老人もドロボーも警察官も、そして夜も昼も関係がない。彼らは生まれながらにして、誰もが等しく酔っぱらいならぬ“ヨッパライ”なのだ。

 
ヨッパライたちの酔いぶりは、アルコールとは縁がないから抑制がきいていて人に迷惑をかけない。くどくどと同じことを繰り返ししゃべらない。狂暴にならない。言動に筋が通っていて、翌日になってもちゃんと覚えている等々、いいことずくめである。

ただし、イタリア野郎にフランス男というくらいで、男のヨッパライの多くは白昼でもどこでもむやみやたらに若い女性に言い寄る、という欠点はある。なにしろ、ヨッパライだからこれはしょうがない。

 


素面(しらふ)で酔うことは、飲んで酔わずにいるよりもはるかに難しいことである。昨日今日で身につけられる業ではない。イタリア人は大昔からずっとそのための鍛錬を続けてきた。

「すべての道はローマに通ず」とたたえられた時代から、彼らはりっぱな建物や芸術をつくり出す一方で、酒を飲まずに酔う技術も少しづつ身につけていったのだ。

それを文化といい社交術という。あるいは人生を楽しむ技術、と言い換えてもいいだろう。そしてイタリア人が人生を楽しむ達人であることは、今さらぼくがここで言わなくても世界中の誰もが知っている事実である。

 
で、
イタリアにいる限りは郷に入らば郷に従えで、ぼくも彼らにならってヨッパライにならなければ生きていけない。幸いぼくは南国生まれの島人だからテーゲー(大概、アバウト)人間で根が明るい(と自分では思っている)。元々ヨッパライの素質はある。

しかし二千年来の偉大な歴史と文化に裏打ちされたイタリア人のヨッパライぶりには歯が立たない。

それで彼らに合わせようと毎日いっしょうけんめいに努力をする。努力をするから毎日疲れる。疲れるから夜は一杯やってストレスを解消したくなる。ところが、先に言ったようにこの国では酒を飲んで酔うのはヤバイのだ。ヨッパライはいいが酔っぱらいは毛嫌いされる。当然ここでも飲みながら酔わないように、酔わないように、と努力の連続・・・。


そういう暮らしばかりをしているものだから、飲んで騒いで無責任になれる日本の酒場がなつかしい。赤ちょうちんや居酒屋の匂いが恋しい。努力なんか少しもしないでなれる本物の酔っぱらいになりたい・・・。

 
ローマは一日にして成らず。ローマ人には一生かかってもなれないなァ、これでは・・・とつくづく思う。

 





                             

 

アルジャジーラ、中東、そして日本


中東問題が大きくなって以来、CNNよりも衛星放送のアルジャジーラ・インターナショナルを見ることが多くなった。アラビア語は分からないが、英語放送なので付いて行くことができる。

アルジャジーラは中東カタールに本拠を置く衛星局だから、現地の情勢に詳しく、24時間体制で流れる情報の多くに臨場感がある。イタリアで見ている同局の英語放送は、恐らくロンドンかドーハから発信されていると思うが、僕が知る限り中東現地からの生中継は、例えばイギリスのBBCインターナショナルよりもはるかに量が多く、新情報の発信速度もわずかばかり速いようである。BBCインターナショナルもCNNと共に普段から僕が良く覗く衛星チャンネルである。

例えばエジプトのムバラク元大統領の息子が政府の要職を辞任したというニュースを、僕はアルジャジーラの画面テロップで最初に見たが、直後にチャンネルを回したBBCにはまだ出ていなかった。僕が見逃したのでなければ、恐らくアルジャジーラが世界で最初にその情報を発信したのだろうと思う。

ただ情報発信の速度に関して言えば、今や世界中の放送局が様ざまな情報ネットワークを駆使してしのぎを削っていて、あまり大きな差はないようである。

BBCインターナショナルのほかに、NHKのニュースも衛星放送で日本と同時に見ているが、アルジャジーラやBBCが現地からの生中継でえんえんと伝えている中東の主だった動きについては、ほぼ間違いなく取り上げていて遅滞感はない。速度ばかりではなく、その時々で現地情勢を掘り下げて詳しく伝える手法もNHK独特のものがあって、見ごたえがある。

イタリア公共放送RAIのニュースももちろん見ているが、時差の関係でこちらは速さや臨場感ではあまり頼りにしていない。イタリアにいてRAIの「時差」というのも変だが、こういうことである。

まず朝のうちにアルジャジーラやBBCの24時間体制に近い中東中継を見る。気が向けばCNNも覗く。その後NHKの19時のニュースを日本とのリアルタイムで見る。イタリア時間の午前11時である。そこまで見ると、少なくとも中東情勢に関しては充分。
13時半に始まるRAIの昼のニュースは見なくても間に合う、というのが実感である。

それでもやはりイタリアの放送局のニュースも見る。中東がらみでは特に難民問題が重い。アフリカに近い南イタリアの島には、今中東からかなりの難民が押し寄せている。チュニジア人が主流だが、やがてリビアなどからもやって来ると考えられている。着の身着のままで島に上陸する多くの難民を見ると、中東の混乱はイタリアのすぐ隣で起こっているのだと今さらながら痛感する。

ニュースを見ながら、僕はいつもの癖で日本のことを考えずにはいられない。

もしも中東の混乱或いは変革が、中国や北朝鮮にまで波及した場合、日本にも難民の波が押し寄せる日が来るかも知れない。イタリアの現実を見ていると、それは決して荒唐無稽な妄想ではないような気がする。多くの難民は先ず陸続きの韓国に流れるだろうが、日本にも必ずやってくると考えるのが自然だろう。

わが国は彼らの隣人として、また責任ある先進国として、そのときどう行動するべきか考えておく必要があるのではないか。そうしておいて、もしもそれが杞憂に終わった場合はそれで良しとするが、そこで考えたことは、将来高い確率でやって来るであろう、移民と日本人との共存社会の構築に役立てることもできるはずである。

 

~魚料理談義~



「世界には三大料理がある。フランス料理、中華料理、そしてイタリア料理である。その三大料理の中で一番おいしいのは日本料理だ」


これは僕がイタリアの友人たちを相手に良く口にするジョークである。半分は本気でもあるそのジョークのあとには、僕は必ず大げさな次の一言もつけ加える。


「日本人は魚のことを良く知っているが肉のことはほとんど知らない。逆にイタリア人は肉を誰よりも良く知っているが、魚については日本料理における肉料理程度にしか知らない。つまりゼロだ」


三大料理のジョークには笑っていた友人たちも、イタリア人は魚を知らない、と僕が断言したとたんに口角沫を飛ばして反論を始める。でも僕は引き下がらない。スパゲティなどのパスタ料理にからめた魚介類のおいしさは間違いなくイタメシが世界一であり、それは肉料理の豊富さに匹敵する。しかしそれを別にすれば、イタリア料理における魚は肉に比べると貧しい。料理法が単純なのである。


この国の魚料理の基本は、大ざっぱに言って、フライかオーブン焼きかボイルと相場が決まっている。海際の地方に行くと目先を変えた魚料理に出会うことはある。それでも基本的な作り方は前述の三つの域を出ないから、やはりどうしても単調な味になる。

一度食べる分にはそれでいい。素材は日本と同じように新鮮だから味はとても良い。しかし二度三度とつづけて食べると飽きがくる。何しろもっとも活きのいい高級魚はボイルにする、というのがイタリア人の一般的な考え方である。ボイルと言えば聞こえはいいが、要するに熱湯でゆでるだけの話だ。刺身や煮物やたたきや汁物などにする発想がほとんどないのである。


僕らは日伊双方の料理の素材や調理法や盛り付けや味覚などにはじまる様々な要素をよく議論する。そのとき、魚に関してはたいてい僕に言い負かされる友人たちがくやしまぎれに悪態をつく。


「そうは言っても日本料理における最高の魚料理はサシミというじゃないか。あれは生魚だ。生の魚肉を食べるのは魚を知らないからだ。」


それには僕はこう反論する。


「日本料理に生魚は存在しない。イタリアのことは知らないが、日本では生魚を食べるのは猫と相場が決まっている。人間が食べるのはサシミだけだ。サシミは漢字で書くと刺身と表記する(僕はここで実際に漢字を紙に書いて友人らに見せる)。刺身とは刺刀(さしがたな)で身を刺し通したものという意味だ。つまり“包丁(刺刀)で調理された魚”が刺身なのだ。ただの生魚とは訳が違う」


煙(けむ)に巻いておいて、僕はさらに言う。


「イタリア人が魚を知らないというのは調理法が単純で刺身やたたきを知らないというだけじゃないね。イタリア料理では魚の頭や皮を全て捨ててしまう。もったいないというよりも僕はあきれて悲しくなる。魚は頭と皮が一番おいしいんだ。たしかに魚の頭は食べづらいし、それを食べるときの人の姿もあまり美しいとは言えない。なにしろ脳ミソとか目玉をずるずるとすすって食べるから。要するに君らが牛や豚の脳ミソをおいしそうに食べるのと同じさ。


あ、それからイタリア人は―と、いうか西洋人は皆そうだが―魚も貝もイカもエビもタコも何もかもひっくるめて、よく“魚”という言い方をするだろう? これも僕に言わせると魚介類との付き合いが浅いことからくる乱暴な言葉だ。魚と貝はまるで違うものだ。イカやエビやタコもそうだ。何でもかんでもひっくるめて“魚”と言ってしまうようじゃ料理法にもおのずと限界が出てくるというものさ」 


僕は最後にたたみかける。

「イタリアには釣り人口が少ない。せいぜい百万人から多く見つもっても二百万人。日本には逆に少なく見つもっても二千万人の釣り愛好家がいると言われる。この事実も両国民の魚への理解度を知る一つの指標になる。

なぜかというと、釣り愛好家というのは魚料理のグルメである場合が多い。彼らはスポーツや趣味として釣りを楽しんでいますという顔をしているが、実は釣った魚を食べたい一心で海や川に繰り出すのだ。釣った魚を自分でさばき、自分の好きなように料理をして食う。この行為によって彼らは魚に対する理解度を深め、理解度が深まるにつれて舌が肥えていく。つまり究極の魚料理のグルメになって行くんだ。


ところが話はそれだけでは済まない。一人一人がグルメである釣り師のまわりには、少なくとも十人の「連れグルメ」の輪ができると考えられる。釣り人の家族はもちろん、友人知人や時には隣近所の人たちが、釣ってきた魚のおすそ分けにあずかって釣り師と同じグルメになるという寸法さ。

これを単純に計算すると、それだけで日本には二億人の魚料理のグルメがいることになる。これは日本の人口より多い数字だよ。ところがイタリアは一千万から二千万人。人口の1/6から
1/3だ。これだけを見ても、魚や魚料理に対する日本人とイタリア人の理解度には、おのずと大差が出てくるというものだ」


友人たちは僕のはったり交じりの論法にあきれて、皆一様に黙っている。釣りどころか、魚を食べるのも週に一度あるかないかという生活がほとんどである彼らにとっては、「魚料理は日本食が世界一」と思い込んでいる『釣りキチ』の僕の主張は、かなり不可解なものに映るらしい。

 

~イタリア式 人気番組の作り方~



「同じ公共放送なのに、どうして俺達にはこんな番組が作れないのかなぁ・・・」イタリアのNHKに当たるRAIの番組を見ていた山田さんが、ため息まじりに言った。山田さんはNHKのプロデュサーで僕の友人である。イタリア旅行に来た彼に、僕はわざとゴールデンタイムに放送されるRAIの看板番組を見せて反応を確かめていた。少し前の話だが、イタリアの状況は今もあまり変わっていない。


番組の内容は歌あり踊りありクイズありマジックショーありゲストコーナーあり・・・要するに何でもござれのバラエティーである。たかがバラエティー番組なのに、いや、たかがバラエティー番組だからこそ、そこにはアメリカでもイギリスでもドイツでもない、もちろん断じて日本でもない、イタリア的なセンスが全編にちりばめられていた。


テレビ画面ではふんどしそっくりの布を腰に巻き、ついでに胸元にもその切れ端を二つだけチョンと付けてみました、という感じのアブナイ衣装を着た十人の娘が、スタジオの舞台上で花かごを片手に踊りながら、片方の手では花びらと投げキッスを交互に観客に送っている。十人の娘、というよりもダンサーたちは、いずれもちょっと見かけたことがない、というぐらいに華々しくセクシーでグラマーでそれなのになぜかスマートで、とにかくムチャクチャに魅力的である。そして極めつきは、彼女たちが少しもいやらしくない、という厳然たる事実だった。


ただ美女を集めて、お色気を売り物にするだけの番組なら誰でも作れる。ところがこのRAIのショーは、性を売り物にしているようで、そのくせそこを突き抜けてしまっているために、メルヘンのようなおかしみだけが画面いっぱいに広がって、子供から年寄りまで安心して見ていられる。だからこそゴールデンタイムに放送が可能であり、冒頭の山田さんの「どうして俺達には・・・」という嘆きを誘い出してしまうのである。


イタリアのテレビ局はこの手の遊び番組にどかんと金をかける。たとえば十人の娘は、日本の常識の数倍にはなる大人数の番組スタッフが、手分けしてイタリア中の美形の中から選りすぐり、肉感的でありながらしかもいやらしくない、いわば童話の中のキャラクターでもあるような不思議なダンサーに作り上げる。作り上げるのであって、元々そういうダンサーではないのだ。これだけでも金と時間が相当にかかる。

そして彼女たちが着るコスチュームは、たとえばアルマーニのような超一流のデザイナーブランドに特注して作らせる。番組の司会は年収ン億円の花形タレントを、年収に見合うかそれ以上のギャラを支払って拘束する。他の出演者も同じ。

乗りの良いすばらしい音楽は、イタリアといわず世界中のトップミュージシャンに当たって、納得のいくものを作曲させる。カラフルでまぶしくておシャレなスタジオセットの制作には、これまた莫大な金をかけて超一流のアーティストを呼ぶ、などなど。この手の番組に彼らは思い切って金を注ぎ込む。


それでは単に金をかければいいのかというと、それだけでもやっぱり無理だ。

十人のダンサーに代表される「天真爛漫イケイケゴーゴームチムチムッチリほんとにキレイ!」という風に、性をオブラートに包んで見苦しくない物(子供達に見せても構わないという意味で)に換えてしまう、イタリア人の才能がないとこの手の番組は作れない。


たとえばこれがアメリカならば、金も才能もあるが、十人のダンサーの使い方が女性をバカにしていると女権論者からすぐに猛烈な反発がくる。少なくともゴールデンタイムの放送は無理だ。イギリスのテレビが作ると、007映画よろしくお色気が前面に出すぎて子供には見せにくい雰囲気になる。フランス人がやるとイタリアに一番近くなるが、作る側の照れとか気取りとかが必ず画面にちらついて、あっけらかんとした自然な感じがなくなる。ドイツ人がやると、真面目すぎてひたすらコワイ。わが日本のテレビがやると、たぶん真夜中を過ぎてのピンクショーになってしまうかも・・・。テレビでの性の扱い方は、おそらく日本人が誰よりも不器用なのだから、これはしょうがない。


「そうか。イタリア人の才能というのは分かった。だけど、一つの番組にそんなに金をかけても視聴者は文句を言わないの?」と山田さん。「言いません。これはテレビ番組というよりも一つの壮大な“見世物”だという考え方があって、それには金がかかるのだと誰もが理解しています。そして何よりもイタリア人は“見世物”が大好きです」と僕。


イタリアのNHK、RAIは毎年大赤字である。当然批判も多い。民営化してしまえ、という声も年ごとに高まっている。ところがこうした番組に対しては、まるで局の体質とは関係がないかのように余り批判が起こらない。しかしもっと驚かされるのは、番組が半年間だけ放送されて、しばらく休んだ後に再開されることである。


「番組が休みの間、スタッフは何をしてるの?」と山田さん。「それは充電期間です」僕が答えると、山田さんはヒッと短い叫び声を上げた。恐怖と羨望で顔がひきつっている。

番組が当たれば、スタッフは充電期間どころか、ぶっ倒れてスカスカの干物になるまでむち打たれこき使われて制作をしつづけるのが、日本のテレビ局の常識であることを山田さんは誰よりも良く知っている・・・。

 

 

 

 

小さな大都市ミラノ


 

言うまでもなくミラノはニューヨークやパリやロンドンなどと並ぶ世界のファッションの流行発信地である。そのミラノの中でも最も重要な、いわば流行発信の震源地、とも呼べるのがファッションショーの会場である。僕はテレビ番組の取材でそこにも良く出掛けてきた。


毎年行われるファッションショー、つまりミラノコレクションでは、イタリアのトップデザイナーたちが作った服を、世界中から集められたこれまたトップの中のトップモデルたちが美しく、優雅に、そして華麗に着こなして舞台の上を練り歩く。


テレビカメラが回りつづけ、写真のフラッシュがひっきりなしにたかれる中で、観客は舞台上のモデルたちを見上げながら、称賛し、ため息をつき、あるいは拍手を送ったりしてショーを盛り上げる。実に華やかで胸が躍るような色彩と光と夢に満ちあふれた催し物である。


ミラノでファッションやデザインを取材する時にいつも感じるのは、なぜこの小さな街がロンドンやパリやニューヨークや東京などの巨大都市と対抗して、あるいはそれ以上の力強さで世界をリードするデザインやファッションを発信して行けるのだろうかということである。 


ロンドンとパリは都市圏の人口がそれぞれ約1200万人、ニューヨークは1900万人もいる。東京の都市圏の人口3000万人には及ばないにしても、巨大な都会であることに変わりはない。それらの大都市に対してミラノ市の人口はおよそ130万人、その周辺部を含めた都市圏でもわずか390万人ほどに過ぎない。


もちろん人口数が全てではないが、人が多く寄ればそれだけ多くの才能が集まるのが普通だから、小さなミラノがファッションの世界で多くの巨大都市に負けない力を発揮しているのはやはり稀有のことである。


それは多分ミラノが都市国家の伝統を持つ自治体として機能し、完結したひとつの小宇宙を作って独立国家にも匹敵する特性を持っているからではないか、と考えられる。つまり、ニューヨークやパリやロンドンが飽くまでも国家の中の一都市に過ぎないのに対して、ミラノは街そのものが一国なのである。都市と国が相対するのだから、ミラノが世界の大都市と競合できたとしても何の不思議もないわけである。

 
ところで、秀れた才能に恵まれたミラノのファッションデザイナーたちが、新しい流行を求めて生み出す服のデザインは、まぎれもなく一級の芸術作品である。しかしその芸術作品は、どんなに素晴らしい傑作であっても、たとえば絵画や小説や音楽のように長く人々に楽しまれることはない。言うまでもなくファッションが、流行によって推移していく消費財だからである。


ファッションデザイナーたちは、一瞬だけ光芒を放つ秀れた作品(服)を作るために、絶え間なく努力をつづけていかなければならない。なにしろファッションショーは、一年間に女物が二回、男物が二回の計四回行なわれる。彼らはその度に、少なくとも数十点の新しい作品を作り上げていかなければならないのである。アイデアをひねり出すだけでも、大変な才能と精進が必要であることは火を見るよりも明らかである。


僕は、10年以上前に44歳の若さで亡くなった偉大なデザイナー・モスキーノが、ファッションショーで語った内容を決して忘れることができない。


モスキーノは当時のミラノのファッション界では、アルマーニやフェレやベルサーチなどと並び称される大物デザイナーだった。同時に彼らとは一線を画す、カラフルで斬新で遊び心の強い作品を魔法のように次々に生み出すことで知られていた。彼のファッションショーも、作り出された服と同じでいつもハチャメチャに明るく賑やかで、舞台劇を見るような楽しさにあふれていた。


ある日彼のショーを取材した後のインタビューの中で、ファッションショーの度に次から次へとアイデアが出るのには感心する、というような月並みな賛辞を僕はモスキーノに言った。するとデザイナーが答えた。

「ファッションショーは一つ一つが生きのびるか死ぬかを賭けたテストなんだ。この間何かの雑誌で読んだけど、日本の大学の入学試験はものすごく厳しいらしいじゃないか。ファッションショーもそれと同じだよ。しかも僕らの入学試験は、仕事を続ける限り毎年毎年三ヶ月に一度づつ繰り返されていく。ときどき辛くて泣きそうになる・・・」

 
駆け出しのデザイナーならともかく、一流のデザイナーとして既に揺るぎない評価を得ているモスキーノが、一つ一つのファッションショーを生きのびるか否かのテストだと言ったのが僕にはすごく新鮮に聞こえた。


季節ごとに一新される各デザイナーの作品(コレクション)は、必ずファッションショーで発表される。そしてそのショーの成否は服の売り上げに如実に反映される。モスキーノはそのことを指して、ファッションショーを生きのびるか否かを賭けたテストだと言ったのである。


ファッションは創作と販売が分かち難くからみついている珍しい芸術分野である。従ってモスキーノが、ファッションショーを生死を賭けたテスト、と言ったのは極めて適切な表現だったと僕は思う。


ミラノには日夜髪を振り乱して創作にまい進する多くのモスキーノたちがいる。だからこそ小さな都市ミラノは、世界中の大都市に対抗して今日も堂々とファッションの世界をリードしていけるのだろう。

 

 

 

 

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