【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

ワールドカップTV観戦記⑨ ~ブラジルの悪夢の金縛り~



ブラジルの大崩壊を受けて行われたW杯準決勝第2戦オランダVSアルゼンチンは、夢も興奮も魅力も何もない退屈な試合だった。両チームが前夜のブラジルVSドイツの亡霊に脅かされて、すっかり萎縮してしまったのが原因だと思う。

正確に言えば、前夜の試合の亡霊 ではなく、7失点もの大敗を喫したブラジルの二の舞を演じることを怖れた両チームの選手たちが、攻撃に慎重になり過ぎたのだ。ガチガチに固まった印象の試 合運びは、彼らの気持ちが多く守備に引きずられていて、攻撃は「相手のミスを待つ」という程度の構えでいたからではないか。

サッカーはメンタルな要素が強く働くゲームだ、と僕はこの一連の観戦記の中で何度も書いた。W杯準決勝のオランダVSアルゼンチン戦は、その典型的な例だ と考える。対戦では試合開始と同時に、いや恐らく試合開始前から、選手たちが強い心理的ストレスに襲われていたことが明らかなゲーム展開に見えた。

その前日、文字通り世界中の耳目を集めて行われたW杯準決勝戦のドイツVSブラジルは、最終スコアが7-1という歴史的な「事件」になって終結した。オラ ンダとアルゼンチンの選手たちはそのドラマを目の当たりにした。またそれに伴う地元ブラジルの動揺と騒乱、さらに試合結果に衝撃を受けた世界中のサッカー ファンの反応等もひしひしと肌身に感じながら試合に臨んだ。

彼らは試合前からブラジルの大崩壊がもたらした混乱に心を奪われていて、ブラジルと同じ失敗をすることを極端に怖れていた。選手たちにそのことを問いただ せば彼らはきっと一様にそんな事実はないと否定するだろう。なぜならそこでは誰もが、W杯の大舞台で相手を蹴散らして決勝進出を果たしたい、と心の底から 願っていただろうから。

しかし彼らの思いとは裏腹に、前日のブラジルの転落の悪夢がもたらしている恐怖が、無意識のうちに彼らの動きを規定した。金縛りをかけたと言っても良い。 つまり大量失点への警戒感が先立ってしまい、仕掛ける攻撃のことごとくが腰砕けになった。斬り込みに展開がなく華もなく動きも鈍い。結果シュート数も少ない 試合内容になった。

シュート数が少ないとは、シュートを撃つまでに至る攻撃の組み立てが少なかった、ということである。攻撃には必ず相手の反撃を誘い込むリスクが伴う。リスクを取らなければ思い切った攻撃はできないのだ。

そしてオランダとアルゼンチンにとっては、攻撃と表裏一体のそのリスクが、昨夜の試合に限ってはブラジルの崩壊のイメージと重なって巨大に見えた。だから オフェンスの度に足が竦んでしまい中途半端な動きになった。延長戦までもつれこみながら、0-0に終わったのもそのことと恐らく無関係ではない。

レベルの高いサッカーの試合では、結末が0-0で終わっても十分に面白い、見応えのある内容であるケースには事欠かない。それは両チームがリスクを怖れず に攻めまくり且つ必死に守り抜く結果、見る者を飽きさせない価値あるメッセージが形成されるからである。オランダVSアルゼンチンの0-0にはそんなメッ セージは微塵も含まれていなかった。

ここで考えてみたいのは、ブラジルの悪夢は実はドイツの歓喜だったという事実である。オランダとアルゼンチンはブラジルの悪夢に振り回される のではなく、ドイツの歓喜の「二の舞を舞う」こともできたのだ。あるいは舞うことを目指して、リスクを冒しながら大胆に攻めまくることもできたのだ。しか し、彼らはドイツの成功を目指すよりも「ブラジルと同じ失敗をしない」道を選んだ。

それは-繰り返しになるが-ブラジルと同じ境遇に陥るこかもしれない、と内心恐怖に怯える集団が無意識のうちに選択した道である。怯えと呪縛と葛藤が積極果敢な攻撃を仕掛ける気持ちを挫いた。その結果、世界屈指のチーム同士の準決勝戦には相応しくない、大あくびを誘発するゲーム展開が生まれた、と結論付けることもできる。

ともあれ、アルゼンチンはPK戦を制して決勝進出を果たした。こうなったら捨て身の覚悟で強力軍団のドイツにぶつかっていってほしい。ブラジルを粉砕したドイツの成功をなぞる気持ちで当のドイツに挑む以外、今のアルゼンチンが成果を残せる道はないように思う。



ワールドカップTV観戦記⑧~ブラジル崩壊の衝撃と陳腐と~



W杯準決勝のドイツVSブラジル戦は7-1でブラジルの大負け。非現実的な光景に唖然とした。ブラジルの崩れ方はあまりにもあっけなく、そして徹底していた。

それは対戦相手のドイツの大きな成功、ということでもあるのだが、当のドイツチーム自体が信じられない試合展開に喜びつつ困惑している、という風にさえ見えた。

ブラジルは主将でDFのチアゴシウバ、FWのネイマールの2人が欠場するためやや不利、という雰囲気は試合前からあった。

チアゴシウバもネイマールもそれぞれのポジションで世界屈指の優れた選手である。チーム内でも最重要な位置を占める。2人がいないブラジルには動揺があった。

しかし、古豪ブラジルの選手層は厚い。強いチームが常にそうであるように、ブラジルにも2人がいない穴を埋める選手がいて、それでも足りないものを補う戦略と知略と作戦がある。それでなければ、W杯を過去最多の5回も制覇できる訳がない。

それでもブラジルには危ういものが付きまとっていた。予選から準々決勝に至る戦いの中で露見した、たとえばイタリア語で言うところの「SENZA GIOCO(センツァ ジョーコ)=ジョーコの無さ、ジョーコの欠落」である。

伊語のジョーコ(GIOCO)とは英語のPLAYに当たる言葉だが、サッカー用語として使う場合はPLAYよりも複雑で微妙で深い意味がある。

それは遊戯であり、知恵であり、ゲームであり、展開であり、技術であり、戦略であり、狡猾さのことでさえある。要するにジョーコとは、サッカーのゲーム運びの真髄に当たるものである。

僕が知る限り「SENZA GIOCO(センツァ  ジョーコ)に当たる英語の言い回しはない。それを日本語に置き換えた場合のニュアンスも難しいが、敢えて言えば「連携プレイの妙の無さ」とでもすれば少しは意味が伝わるだろうか。

各チームには技術レベルや才能の違う個々人の選手がいる。彼らはそれぞれが独自の能力を発揮して、味方の選手と「連携」して相手ゴールを目指す。従って連携とはパスワークのことである。

しかし、パスワークはそこに技術や、技術を活かす知略や、相手を出し抜く狡猾や、予測不可能なアイデアや、独創や想像力や驚き等々が加味された「ジョーコ」でなくてはならない。

ブラジルにはそのジョーコが希薄だった。その為にブラジルの戦いはFWネイマール1人に大きく頼り過ぎるような印象のゲーム運びになっていた。実はそれは、今回大会に関する限り、もう一つの準決勝進出国アルゼンチンにも当てはまるように僕は思う。

ジョーコも無く攻撃の頼みのネイマールもいないブラジルは、ならば絶望ではないか、という見方もあるかもしれない。が、決してそうはならない。ブラジルにはそれらを補って余りある経験と他とは違う奥の手の「ジョーコ」がある、と少しサッカーを知っている者なら考える。

そんな訳で、ブラジルはドイツに比べて少々不利、というほぼ一致した見解はあったものの、誰もが世界サッカーの頂点にいるチーム同士の激突に胸を膨らませていた。大舞台では少しの不利が刺激になって、逆に力強いパフォーマンスが生まれたりもするものだから、余計に。

だが現実は、「信じられない」という言葉が空しく聞こえるほどの、ブラジルの大崩壊だった。W杯という大舞台の準決勝で、しかも誰もが知る強豪同士の戦いでの7-1という結果は、ほとんど笑い話だ。バスケットの試合じゃあるまいし。

そこで見えるのは、サッカーはやはり心理作用が大きく働くゲームだということである。ドイツとブラジルの間には-ブラジルが2人の重要選手を欠いての戦いを余儀なくされたとはいうものの-7対1の得点数に見合う物理的な差異はもちろん無い。だが、心理的な7-1の状況があったのである。

ブラジルは、自チーム不利という下馬評を粉砕しようとでもするように、試合開始と同時に攻勢に出た。ホームの大観衆がそれを後押しした。開始45秒では早くもコーナーキックを得、2分過ぎにはマルセルの惜しいシュートもあった。しかしブラジルの攻勢はほぼそこまで。

ドイツは試合開始5分前後から目覚め、逆に攻勢に出始めた。そして10分過ぎには最初のゴール。その後も攻め続けて、23分からほぼ1分置きに3ゴールを叩き込んだ。前半25分でドイツの4ゴール対0。ブラジルの心は完全に折れた。

最終スコアの7-1は異様な数字である。ここから多くの分析と議論と罵り合いも起こるだろう。心理的な圧力によって生じた結果はしかし、恐らく誰にも正確には説明できない。現場にいて選手と「ジョーコ」を指示し管理していたスコラーリ監督でさえも。多分。

なぜならブラジルの崩壊の規模は確かに衝撃的だが、スコアに現れた数字の大きさを別にすれば、心理的要素が強く作用する「肉体的ゲーム」であるサッカーでは、そうした恐慌が選手をそしてチームを襲うのは、極めてありふれた出来事でもあるから。

ともあれ結果がこうなった以上、僕は個人的にはドイツVSオランダの決勝戦を見てみたい。なぜなら今夜オランダとぶつかるアルゼンチンは、前述したようにブラジルに似て今のところは「ジョーコ」が希薄だ。その為に試合運びをメッシ1人に頼り過ぎているきらいがある。

それよりは、ドイツ同様に明確な「ジョーコ」を展開しているオランダが勝ち進んで、両チームが決勝で激突するのを見てみたい。

もしそうなった場合には、歴史的にドイツに少なからぬ怨念を持つオランダは、W杯初優勝の悲願達成の夢も相まって、見応えのあるゲームを展開してくれそうな気がする。

そして再びもしもそうなった場合には、僕は判官贔屓でオランダの肩を持ちたい。ドイツには何の恨みもないが

とはいうものの、もしも今夜の準決勝のオランダVSアルゼンチン戦で、後者のエース・メッシが大いなる活躍を見せてくれるなら、1986年大会でマラドーナが大活躍をしてアルゼンチンを優勝に導いた夢の再来を期待して、アルゼンチンも応援したい。

そして決勝がドイツVSアルゼンチンになった場合にも、僕はやっぱりドイツではなくアルゼンチンの肩を持ちたい。なぜならメッシがマラドーナの神域に達する歴史的瞬間を見たいから。ドイツには何の恨みもないが。




ワールドカップTV観戦記⑦~準決勝に進んだ独伯蘭のあやうさ~



去った6月12日、W杯観戦記を毎日書いてやろう、とひそかに決意して臨んだが、準々決勝真っ盛りの6月終わりに思いつきでふいにチュニジア旅に出たりして、計画通りには行かなかった。

もっともチュニジア旅行がなくても、連日TV観戦記事を書くことはなかっただろう。スポーツ記者やスポーツライターではない僕が、試合結果などを細大漏らさずに毎日書いても、意味も無ければ面白くもない。

書くにはやはり自分だけの視点と考えがあるべきだが、来る日も来る日も独自のストーリーを書きまくるほどのアイデアや情報や思惟があるなら、矛盾するようだがそれこそスポーツ記者かライターにでもなっていたはずだ。

チュニジアでは、多くのバカンス客らと共にリゾートホテルの大スクリーンで試合を見た。しかし、PCを持って行かなかったこともあって、観戦記は書けなかった。いや、書かなかったというほうが正確である。書く気にならなかった。

W杯よりも、アラブの春を呼んだジャスミン革命の国・チュニジアを観察し、想いを馳せ、感じることに気が行き続けていた。それでもブラジル、ドイツ、オランダ、アルゼンチンの4強が出揃った準々決勝までの一部始終には強い感慨を覚えた。

準々決勝は割と退屈な試合が続いた。気になって調べてみると、全4試合のゴール数は5。これは2010年W杯準々決勝総得点数の半分だ。もちろんオランダVSコスタリカのPK戦得点は含まない。

退屈に映ったのは、ゴール数の少なさにも原因があるのは間違いが無い。

さらにその前、予選を勝ち上がったベスト16の勝ち抜き第1戦8試合では、ブラジルVSチリがPK戦の末ブラジル勝利。コスタリカVSギリシャがPK戦でコスタリカの勝ち。またドイツ、アルゼンチン、ベルギーの3チームが延長戦の末に準々決勝に進む形になった。

強豪チームが、PK戦や延長戦の末に「辛うじて」勝つことが多かったのは、点を取り合っての接戦ならばそれなりに面白いが、そうでない場合はチームに明確な戦略や作戦がないために無得点で終わったりするケースが多く、やはり退屈な試合になる。

ベスト16から準々決勝の展開を詳しく見てみると、もしも勝ち抜き第1戦でブラジルがPK戦でチリに敗れ、延長戦までもつれたドイツがアルジェリアに負け、また準々決勝のPK戦でオランダがコスタリカに苦杯をなめていた場合、準決勝にはチリ(コロンビア)、アルジェリア(フランス)、コスタリカ、アルゼンチンの4チームが残っていたことになる。

それはもちろん「たら」「れば」のゴタクに過ぎないが、力の差がある場合にはPK戦どころか延長戦もなく、通常の90分で勝負がつくのが普通だから、ほんの僅差で勝ち負けが決まったそれらのゲームは、もしかすると世界サッカーの実力地図に変化が起きていることを示唆しているのかもしれないのである。

僕はチュニジアのリゾートホテルの大スクリーンで準々決勝の4試合の全てを見た。見ながら、勝ち進んだ独蘭伯爾の4チームが勝ち進むことを願った。今のところ、それらの4強の方がそれぞれの対戦相手よりも実力があり、従って今後の優勝争いが面白くなる、と信じて疑わなかったからである。

その気持ちは、あと3時間ほどでブラジルとドイツが準決勝で激突する今この時になっても変わらない。2チームの代わりにもしもチリVSアルジェリアの準決勝になっていたら、興味は半減どころかほとんど無くなって、僕は今夜の試合は見る気にならなかったかもしれない。

僕の中ではそれほどに準決勝に残った4チームは強く、順当な展開に見える。

それでも、前述したように、4強に加えて世界サッカーの常連強豪チームに数えられるイタリア、スペイン、イングランド等とその他のチームの実力差は、じわじわと埋まっているのかも知れないのである。

僕はそのことに想いを馳せる時はいつも、そうであって欲しいような、欲しくないような、複雑な気分になる。

世界の頂点にいる欧州と南米の強豪チームはどれもが、サッカー大好き人間の僕にとってはそれほどに長い間、深く、強烈に、輝かしく魅惑的であり続けてきた。

今ふいに弱小チームが台頭して存在を主張しても、中々素直には喜べないのが正直なところだ。逆に言えば、世界の強豪チームに比較すると、残念ながら日本を始めとするアジア・アフリカ等のほとんどのチームに全く魅力がない。

僕はナショナリズムに基づく贔屓チームを持たない。日本やイタリアが勝てばもちろん嬉しいが、強い魅惑的なゲームをする者だけが僕が真に贔屓にするチームだ。そういう意味では僕は自らを純粋のサッカーファンと自負して止まない。

今日と明日の準決勝、そして決勝と、僕は胸が震えるような喜びを覚えつつTVの前に座り続ける・・


ジャスミン革命の今を見た



チュニジアに行ってきた。

 恒例の地中海周遊の一環だが、昨年のアンコーナのポルト・レカナーティ旅行同様、迷いつつ突然のように急いで決めて出た旅だった。

アラブの春の騒動で、中東から北アフリカの国々は安心して旅をするには程遠い環境にある。その中でチュニジアは比較的落ち着いているとされる。

 一連のアラブの国々の中で一番初めにジャスミン革命が起こったから、沈静するのも早かったという見方もできる。しかし、そればかりではない。

誰も言わないが、実はチュニジアは北アフリカのムスリム国家の中では、最も穏健で開明的という考え方がある。

もっと身も蓋もない言い方をすれば、同地域のアラブ国の中では最も野蛮的ではない、ということである。 

だからという訳でもないだろうが、革命後の混乱も過ぎて平和になったという情報も耳に入った。

 一方、 チュニジア国内を自由勝手に動き回るのは危険だ、という意見もまたあった。

 一見平穏に思えるがやはりジャスミン革命の影響は大きい。また革命はまだ進行中であり、いつ何が起こってもおかしくない政情不安は続いている、というのである。

イタリアの旅行社などは彼ら独自のバカンス・ツアーを盛んに売り出していて、それには結構多くの客が付いている。

要するに自由気ままな旅は良くないが、彼らが管理運営する領域内に留まっていれば問題はない、ということらしかった。

思い切ってそのツアーに乗ってみることにした。

そうでもしないと、いつまで経ってもアラブの国々への立ち寄りができない、というほんの少しの焦燥感もあった。

結論を先に言うと、チュニジアは平穏だった。

ところどころに自動小銃で武装した警察官(軍警察?)が立っていたことを別にすれば、とても革命が進行している国のようには感じられなかった。

また機関銃で武装した警察や軍が街中に立っていたりするのは、欧州や南米でも良く見られる光景だからほとんど気にならなかった。



ワールドカップTV観戦記⑥~「ザ・牙男」スアレスのお笑いと闇と~


FIFA(国際サッカー連盟)は、W杯のイタリアVSウルグアイ戦でイタリアDFのキエッリーニに噛み付いたウルグアイのFWスアレスに対して、代表戦9試合の出場停止と4カ月のサッカー活動の禁 止、さらに罰金10万スイスフラン(約1100万円)を科した。

この処分によってスアレスはW杯の残り試合に出場することはできなくなった。FIFA はさらに同選手に対し、W杯スタジアムへの入場とチームとの接触も禁止した。また処罰は来年のコパ・アメリカ(南米選手権)にも及ぶため、スアレスは同大会にも出場 できなくなった。

4カ月に渡って一切のサッカー活動を禁じられたスアレスは、10月末まで所属先のイングランド・リヴァプールでのトレーニングにも参加できない。 またチャンピオンズリーグの最初の3試合も出場禁止になるばかりではなく、プレミアリーグも開幕から9試合はピッチに立てない。

サッカーは肉体が激しくぶつかり合う競技である。その中で頭突キやマワシ蹴リやヒジ撃チやケタグリなどの反則も起きる。しかし、相手に噛み付くという反則 はあまり聞かない。僕が知る限りはスアレスだけが犯している悪行だ。サッカー以外でならボクシングのマイク・タイソンが、イベンダー・ホリフィールド の耳を噛み切った恐るべき「事件」があるが。

スアレスの噛み付きは今回が初めてではない。オランダ・アヤックス時代にも一度、現在所属しているイングランド・プレミアリーグでも相手選手に噛み付い て、出場停止などの重い処分を受けている。そして先日、W杯の大舞台でもまた違反行為をやってしまった。2度あることは3度あるということなのか。3度目 の正直で、もうこれで終わり、ということになるのか・・

展開の速いサッカーの試合中に相手に噛み付くなんて、僕には相当に滑稽感の伴う行為に思えるが、当人のスアレスにとっては笑い話どころか、きっと深刻な心の闇的な原因によってもたらされる反応なのだろう。

噛み付きは小児科学によって説明される。本能的、自己防衛的に子供が見せる行為で、ほとんどの場合は成長と共に消えていく現象であり無害である。しかし、家庭環境が難しかったり成長過程で何らかのトラウマがあったりすると、突発的に噛み付きの衝動が出てしまうことがある。

スアレスは子供の頃に家庭環境が難しかったことが原因でトラウマになり、大試合などで極度の緊張を強いられたりカッとなったりすると、自分を抑えられずに噛み付きの衝動が表れるのではないか、とスポーツ心理学の専門家は分析している。

つまり、スアレスの吸血鬼的行為はほとんど病気なのである。FIFAは彼に処罰を下すだけではなく、心理セラピーなどの治療に専念するよう促すべきだ。 もっともスアレスは実は、既に治療を受けたりもしてはいるらしい。でもドラキュラ伯爵みたいな行為を続けているところを見ると、きっとあんまり効果がない のだろう。

噛み付き行為は被害者にとって深刻な結果をもたらすことも多い。というのも人間の口の中には200近いとも言われる種類のバクテリアが棲みついていて、噛んだときにそれらが相手に作用して感染症を起こすことも少なくない。噛まれて痛い、というだけでは済まないのだ。

昔「♪あなたが噛んだ、小指が痛い♪~」という歌が流行ったが、あれは恋人との小指の思い出で胸が痛いという意味ではなく、あなたに噛まれて私の小指は感染症になった、一体どうしてくれるのよ、という女性の怒りの歌だったのである。

それはさておき、世界トップクラスのストライカーであるスアレスが噛み付き行為に走ったのは、イタリアのDFであるキエッリーニが彼をきっちりと抑え続けたからである。

カテナッチョ(かんぬき)と陰口をたたかれる程に伝統的に守備の強いイタリアチームには、優れたDFが多く輩出する。キエッリーニは現在のイタリアのDF の中では恐らく最も強い選手。スアレスは強力なディフェンダーに行く手を阻まれ続けて、ついに気がおかしくなったのである。

噛み付き行為とスアレスへの批判ばかりが先行して、スアレスを抑え込んだキエッリーニの力量を褒める者が誰もいないのでここで言及しておくことにした。

ところで、そのキエッリーニは試合後は早々とスアレスの行為を許すと宣言し、FIFAの処罰については重過ぎると批判している。そればかりではなく、彼は世界中の非難を浴びているスアレスの家族の立場を慮って、彼への攻撃を止めるべきだとさえ主張している。

僕はスアレスに対しては正直キエッリーニほど優しい気持ちにはなれない。ほぼ病気に近い行為だから強く非難もしない。しかし、彼がピッチ上で審判の処罰を逃れたことには怒りを感じる。あれは明らかにレッドカードものの反則だった。

スアレスは即退場になるべきだったのだ。それをしなかったのは、W杯開幕戦で西村主審がブラジルにPKを与えた誤審にも匹敵するレフェリーの失策だ。

スアレスが退場になっていれば試合の流れは確実に変わっていただろう。審判の行過ぎたアクションで退場者が出て、10人で戦っていたイタリアは、スアレスのレッドカードで同じく10人態勢になったはずのウルグアイに襲い掛かって、ゴールを決めていたかもしれない。

たとえそうはならなくとも、スアレスの大反則の直後の失点は発生せず、引き分けで一次リーグを突破していた・・

と、まぁ、イタリアサッカーのファンとしては思いたくもなるわけなのである。

ワールドカップTV観戦記⑤ ~強弱の溝は埋まりつつあるのか~



アルゼンチンVSイランとドイツVSガーナの2試合は面白かった。

内容は、途中で展開がぴたりと閉ざされて、にっちもさっちもいかなくなって退屈になる「ブロック(閉塞)」現象も起きたが、総体としては極めて興味深いものだった。

なによりもアルゼンチンとドイツという世界サッカーの強豪、W杯の常連優勝候補を相手に、サッカー後進地域のアジアとアフリカの2チームが、それぞれの相手とほぼ互角に渡り合パフォーマンスを見せたのが素晴らしかった。

イランもガーナも勝っていてもおかしくない試合展開だった。特にイランは堅守からのカウンター攻撃が光った。

アルゼンチンは何度も危ない場面をしのぎ、ロスタイムに例によってエースメッシの左足から繰り出されたシュートで辛うじて勝利を呼び寄せた。

ガーナは僕が優勝候補最右翼と勝手に決めているドイツを相手に互角以上の試合をした。ドイツは先制したが、追いつかれて、さらにすぐに2点目を入れられてリードされる苦しい展開。

ドイツは後半24分ベテランのFWクローゼとMFシュワインシュタイガーを投入。その2分後、クローゼがロナウド(ブラジル)のW杯歴代最多得点15と並ぶゴールを決めて追いつき、やっとのことで引き分けた。

この2試合は昨年のブラジル・コンフェデ杯の日本VSイタリア戦に良く似ていると僕は思った。

コンフェデ杯の日本VSイタリア戦は、イタリアよりもはるかに格下と見られていた日本が果敢に攻めまくって古豪を苦しめた。

結果は3-4で日本が敗れたが、当事者のイタリアはもとより世界中のサッカーファンが日本の強さに舌を巻いた。あの一戦は日本が世界のサッカー強国の仲間入りを果たしたのではないか、という錯覚をさえもたらしたものである。

イランは僕が世界サッカーの四天王と規定する、独伊伯爾(ドイツ・イタリア・ブラジル・アルゼンチン)のうちのアルゼンチンを苦しめ、ガーナはやはりその一角で今回W杯の優勝候補最右翼でもあるドイツと引き分けた。

二つの試合がコンフェデ杯の日本VSイタリア戦に似ていたのは、弱者が強豪を激しく攻め立てて互角以上に戦い抜き、かつその内容が片時も目が離せないほどに面白く充実していた点である。

イランとガーナが今後も世界サッカーの舞台で同じような活躍を見せるなら、欧州と南米が優位を占める世界サッカーのランク図が書き換えられて行くことも不可能ではない。

しかし、この2チームが「コンフェデ杯での強さは一体何だったのか?」と世界中のサッカー愛好家が首を傾げるほどに弱く、頼りなく、陳腐なサッカーを展開している日本みたいに、継続性に欠けるパーフォーマンスしか行えないことが明らかになるなら、欧州と南米が支配する世界のサッカーの勢力図はまだまだ書き換えられることはないだろう。



ワールドカップTV観戦記④



僕にとっては、日本VSギリシャ戦の引き分けのショックも冷めやらない6月20日晩(イタリア時間)、コスタリカが1-0でイタリアを下した。

コスタリカは初戦で強豪のウルグアイを破っているとはいえ、W杯4回制覇の実績を持つイタリアを倒したのは、やはり番狂わせと言っても良い快挙だろう。

イタリアの敗北でD組のもう一つの強豪イングランドの予選落ちが決定した。スペインに続く早々のW杯舞台からの退場確定。

イタリアが最終戦に予選突破をかけるのは日本と同じ立場。一勝しているので予選通過の可能性は日本より高いとはいえ、難しい状況に陥ったことは間違いがない。

僕はこの前の記事で、王者スペインが敗退した今はドイツが優勝候補の筆頭。続いてブラジルとイタリアが並んで、そのすぐ後ろを僅差でオランダが追う、と書いた。そのときは忘れたが、アルゼンチンも優勝候補であることは疑いがないところだろう。

正直に言えば、イタリアがコスタリカに負けるとは予想していなかった。それが現実になった今、果たしてイタリアをブラジルと並ぶ優勝候補の一角、と位置づけることが可能か自問しないことはないが、敢えて状況に変わりなし、と捉えることにした。

希望的観測、という部分も皆無ではないが、過去のイタリアチームのパフォーマンスを考えると、今にも敗退して舞台から消えるのではないかとハラハラさせながら前進する方が強いのだ。

W杯に限らず、欧州選手権などでもイタリアにはそういう傾向がある。優勝候補と目されている時でも、フタを開けるとからきし弱くてよたよたと進む。そして時間経過とともに芯が明確に形成されいって、気がついたら決勝戦まで進出していた、というケースが良くあるのである。少なくともそういう印象の戦いぶりが圧倒的に多い。

そういう意味では、予選第2戦で格下と見られていたコスタリカに苦杯をなめさせられたのは想定内の出来事。むしろ吉兆だという考え方さえできる。

イタリアは予選最終のウルグアイ戦で勝つか引き分けるかして決勝トーナメントに進めば、例によってファンをハラハラどきどきさせながら勝ち続けて、結局決勝戦のピッチに立っている可能性は極めて高い、と僕は今この時点では考える。

データ的にもイタリアに味方するものは少なくない。

例えばW杯直前のコンフェデ杯を制したチームは、W杯では優勝できない。準優勝チームもダメというジンクス。2013年のコンフェデ杯の覇者はブラジル。準優勝はスペイン。そのスペインは既に予選敗退が決定している。

その伝で行くと、優勝したブラジルはW杯では負ける、ということになる。もちろんそれはコンフェデ杯で3位だったイタリアが優勝する、というジンクスにつながるものではないが、もしも2チームが決勝戦で相まみえることがあればイタリア有利、という風には形容できる。

もう一つのデータ、ジンクスもある。これはブラジルにも言えることだが、イタリアは前回W杯を制したチームではない、ということである。

W杯では前回優勝チームが予選リーグで早々に消える、ということも結構起こる。今回のスペインも2010年南アフリカ大会のディフェンディングチャンピオンだった。

ちょうど同じことが1950年のイタリア、1966年のブラジル、2002年のフランス、そして再び2010年のイタリアと史上5回も起きている。

もちろん決勝トーナメントで敗退する前回王者も多い。むしろその方が普通だ。なにしろW杯を連覇している国は史上イタリアとブラジルの2国しかない。

今回大会では、スペインが史上3番目の連覇を目指したが、一次リーグでの敗退、という悪い方のジンクスに絡め取られた。

実を言えばイタリアに不利なデータも多々あるのだが、ここでは敢えてイタリア有利と言えそうな記録の幾つかのみを並べてみた。

もう一度言えば、今の時点での優勝候補NO1はドイツ、続いてブラジル、イタリア。快進撃を続けているオランダとアルゼンチンがその次あたり。

ダークホースとして、ウルグアイ、コスタリカ、フランス・・などなど。

ドイツにはほとんど欠点らしい欠点は見えないが、ブラジルがネイマーまたイタリアはピルロ依存症のチームというのが気になる。同じことはどうもアルゼンチンとメッシの関係にも当てはまる。

そうなると、今のところどこにも隙がなさそうなオランダがドイツと並ぶ優勝候補の最右翼、と言えそうだが、僕はやっぱりオランダの優勝経験0にひっかかりを感じる。

優勝予想なんて無責任なものだし(僕も責任を取る気はない)外れても当たってもあまり意味のあることではないが、一応自分の「考え」をまとめるために考えてみた。

それでも、もしここにあげた国以外のチームが優勝することがあるなら、ほぼ死に体の日本がよみがえって決勝トーナメントに進み、かつ優勝してしまうことだってきっとある、とは思う。

なぜなら世界サッカーのランクは、独伊伯爾の四天王と英仏西蘭などの欧州の強国をまとめたグループと、それ以外の国々のグループが、今日でも深くて巨大な溝を隔てて対峙している、というのが僕の偽らざる感慨だからである。


ワールドカップTV観戦記③



日本VSギリシャは0-0の引き分け。

ギリシャは前半38分、カツラニスが 2枚目のイエローカードで退場。10人で引き分けに持ち込んだ。

負ければ絶望的な状況になるところだったから、この引き分けはギリシャにとっては勝利と同じ程度の価値がある。

逆に日本にとってはほぼ敗戦にも等しい痛い引き分けだ。

崖っぷちに立たされた日本は、決勝トーナメント進出のためには次のコロンビア戦で必ず勝って、同組のギリシャVSコートジボアール戦の結果を待つしかない。

日本の行く手は厳しい。ほぼ絶望的と言っても良いほどに勝ち抜ける可能性は低い。だが、少なくとも可能性はまだ残されている。

ところが王者スペインは、日本と同じく2試合を戦って既に予選敗退が決まった。

ビッグチームではイングランドも2連敗を喫して風前の灯状態。1敗1分の日本よりも厳しいかも知れない。

だが、スペインもイングランドもハイレベルの試合をしての2連敗だ。

一方日本チームは、本田の素晴らしい一撃で先行しながら、まるで蛇ににらまれた蛙よろしくドログバにびびりまくって、あっさりと2ゴールを許して負けた初戦、

また

レッドカード一枚で10人になったギリシャと引き分けた第2戦、

と、ともに退屈な試合をこなしての崖っぷちだ。内容がサッカー先進国のゲームとはまるで違う。

特に昨晩のギリシャ戦は退屈過ぎて涙が出そうなくらいだった。

次の試合では、もちろん勝つに越したことはないが、たとえ敗れることがあってもぜひ楽しめる面白いサッカーをやってほしい。

相手はC組トップ、絶好調のコロンビアだ。勝って予選突破をするためにも、また負けて、でも将来の日本のサッカーに資するためにも、日本は必ず「面白いゲーム」を目指すべきだ。

単調な攻撃や、ワンパターンの揺さぶりにならない揺さぶりや、流行遅れのポゼッションサッカーにこだわるのは、予選最終戦では禁物だ。

いや、スペイン得意のポゼッションサッカーは流行の終わりにあるとはいえ、日本チームの血となり肉となっている戦術なら、まだ戦力にもなる。

だが、日本選手はまだまだそれを「猿真似」している段階だ。それは昨夜のギリシャ戦ではっきりと露呈した。

攻めもなく、想像力もなく、独創性もなく、ただ漫然と仲間うちでパスを繰り返しているだけの物真似ボール回しは、退屈で貧弱で滑稽だ。日本はポゼッションサッカーの意味を全く理解していない。

僕は以前、日本サッカーは楽しいサッカーを自家薬籠中のものにしつつある、と書いた。

それは主に、コンフェデ杯で日本がイタリアと互角に戦った素晴らしいゲームを見て、真剣に感じたことだった。

しかし、W杯の2試合を観戦して僕は自分が希望的観測に犯されていることを知った。

日本のサッカーはまだまだだ。僕は今後、恐らくヨーロッパを始めとする世界のサッカーファンが読んだり聞いたりしたら失笑することが分かっている、日本チームを誉めすぎる話や、個人のプレーヤーを持ち上げ過ぎたりするような記事は書かないようにしようと思う。

僕は日本人以外のサッカー好きにはとうてい受け入れらそうもない話も、そうと知っていて書いた。批判するばかりでは何も生まれない、良いところを見つけて賞賛することも常に重要だ、という考えからそうしてきたのだ。

その考えは今も変わらず、今後もそういう視点での記事は書いていくが、批評や批判も大いにするべきだという気分でいる。

ここでは、昨晩の日本VSギリシャ戦の余りの拙さに呆れて、批判ばかりを書いた。次には心からの賞賛というか、日本サッカーの可能性と良さについても、自分なりに適正に「過剰にならない」形で意見開陳をしていこうと思う。


ワールドカップTV観戦記②


ワールドカップ・日本VSコートジボワール戦は、イタリア時間の6月15日午前3時のキックオフだった。

眠気と闘いながらPAYテレビの生中継に見入った。

試合開始から間もなく、本田圭祐の文字通り目の醒めるようなシュートがゴールに突き刺さった。

ぱっと眠気が吹き飛んで、僕は本気で目が覚めた。

だがその後は香川など活躍が期待された選手たちの沈滞で居眠り。

それでも頑張って観ていた後半、ドログバ登場で目が覚めた。

と思ったら、敵が立て続けに2ゴールを決めて、今度は僕は日本チームの行く末を思って不眠症になってしまった・・・


日本が負けたのは弱いからである。これは悔しくても認めなければならない。

そして、弱ければ強くなれば良いだけの話である。

もっと練習をし、研究し、創造につながる想像力を磨き、思考し、そしてまた練習をする・・

本気でそれを続ければいつか必ず強くなる・・・

と思いたい。

でも

何かが違う、と日本チームの試合運びを見ていていつもそう思う。今回のコートジボワール戦を見ながらもやっぱりそう思った。

「何か」とは何か、自分なりに考えてみた。

何かとは、多分サッカー文化のことである。日本には欧州や南米に深く根付いているサッカー文化が存在しない。

いや、存在しているのだが、その文化の深度が違う。

あるいは大胆に、敢えて言ってしまえば、そもそも日本の蹴球文化が強い欧州や南米のサッカー文化とは違う。

どちらが正しいにしろ、それはほぼ致命的と形容しても良い一つの大きな欠陥に由来している。

つまり、日本国におけるサッカーファンの絶望的な少なさである。

ここで言うサッカーファンとは、ワールドカップや国際試合を目の当たりにして、突然サッカーに興味を抱くにわか仕込みのファンのことではない。サッカーを心から愛し、従って情報収集にもいそしみ、勉強さえする真正のサッカーファンのことである。

日本における多くのサッカーファンと称する人々は、国際試合に際して急にナショナリズムに目覚める愛国的サッカーファンである。彼らはサッカーが好きなのではなく、日本が好きなのである。

それはそれで素晴らしいことだ。しかし、日本サッカーが本気で成長するためにはそれだけでは十分ではない。

ここからTV観戦記を書いていく間にそのことについてまた語りたい。

ここまでのもっとも大きな驚きはスペインの崩壊だ。

スペインの常勝サイクルが終わったことは、昨年のコンフェデ杯を通して僕はかなりはっきりと分かっていた

サッカー強国がしのぎを削る欧州 + 南米がリードする世界サッカーでは、一国がいつまでもトップに居座りつづけることはできない。サッカーを少し本気で追いかけている人間ならば、それはたやすく分かることだ。

しかし、スペインの崩壊を予想はしたものの、僕は正直に言って初戦でオランダに5-1で敗れるほどの大きな、かつ急速で明確な崩壊までは予想しなかった。

優勝争いに最後まで絡んだ上で敗れる、というシナリオを自分の中で描いていたのだ。

僕の独断と偏見では、世界サッカーの四天王はブラジル、ドイツ、イタリア、アルゼンチンである。この4チームはたとえ不調でも、下馬評に上がらなくても、常に強く常に優勝候補の一角を占める。

四天王の下に、スペイン、フランス、イングランド、オランダ、ウルグアイなどが控える。

こう言うと、なぜスペインが四天王の下なんだ、と目をむいて反論する人が必ずいる。

だが、スペインが圧倒的な強さを発揮してきたのは、2008年以降のことに過ぎない。その前にはフランスがジダンを擁して「一時的に」世界サッカーを牛耳った。

スペインが四天王の域に近づくためには、一度沈んでまた這い上がって世界に君臨する、というプロセスを何度か繰り返さなければならない。

四天王の真の強さは、世界のトップになって落ち込み、また這い上がって頂点を目指し、そして君臨する、という過程を何度も経験しているところにある。

W杯前に僕がひそかに予想していた優勝候補の筆頭はブラジル。その後にスペインとドイツ。続いてアルゼンチン、イタリア。そのさらに後ろにオランダ。やがてイングランド、ポルトガル、ウルグアイ等々が並ぶ、というものだった。

スペインの崩落を見た今は、ドイツが優勝候補の筆頭。続いてブラジルとイタリアが並んで、三者に肉薄してオランダ・・という風になった。

なぜスペインを蹴散らしたオランダがイタリアよりも下かといえば、ただ一言「オランダはまだW杯優勝の経験がないのでその分見劣りがする」というだけの、これまた僕の独断と偏見による意見。

だが、オランダは前回大会で決勝まで進んだ経験もあり、かなり高い確率で今回こそ悲願の初優勝、という結末も十分にあるとは思う。






ワールドカップTV観戦記① ~ W杯VS大相撲 ~


ブラジルW杯が始まった。ここから7月13日の決勝戦までわくわくの日々がつづく。

幸い大相撲の名古屋場所とは日程が重ならない。いや、決勝戦の13日は名古屋場所の初日だから、正確に言えば一日重なる。だが、ブラジルとの時差のお陰でどちらも実況放送を違う時間に見ることができる。良かった。
W杯開幕戦のブラジルVSクロアチアでは主審と線審の3人が日本人という、見ていて何となく嬉しくなるような珍しい配置があった。

しかし、主審の西村さんは難しい采配を強いられて、少し後味の悪い結果になった。ブラジルに与えたPKが是か非かという論争が巻き起こったのだ。

結論を先に言うと、西村さんには悪いが、PKを与えたのは失策だったと僕は考える。

試合の模様を録画していたので何度も再生して確認したが、クロアチアのDFロブレンに引き倒されたように見えるブラジルのFWフレッジは、シミュレーションだ。相手の手が体に触った瞬間を捉えて大げさに倒れ込んだのだ。

PKどころか、ファールはむしろ倒れたフレッジから取るべきだった。イエローカードものだと思う。

こういうことを書くと、ヘンなナショナリズムに侵された者がお前は日本人を批判するのか、反日か、などと言い出したりしかねないが、審判はピッチの上の仕事ぶりを評価されるのが宿命だ。国籍は関係がない。

問題の場面では誰が審判であろうと、またPKを与えても与えなくても、必ず批判が起きただろう。

なぜならそれはW杯の開幕戦という大舞台の、しかもゲームが拮抗している場面で起きた極めて重要なジャッジだったからだ。

PKはブラジルのエース・ネイマールによって得点になり、ブラジルが2-1とクロアチアを逆転した。

オウンゴールながらクロアチアに先行されて苦しんでいたブラジルは、1-1に持ち込んでからも本来の調子を取り戻せずにいた。そのまま行けばクロアチアにも十分に勝機がある展開だったのだ。

しかし、PKを境にブラジルは心理的に楽になって躍動し、最後はダメ押しの3点目を入れてクロアチアを突き放した。

サッカーは、多くのスポーツの中でも特に心理作用が強く働くゲームだ。サッカーの監督は何よりもまず心理分析に優れた者でなくてはならないとさえ言われる。

試合中もその前後でも常に、選手の心理を読み、状態を把握し、それらの集大成である試合の心理(動き)を読み、練習中にも読み続ける。

ブラジルVSクロアチア戦では、ネイマールのPK得点によってゲームを左右する微妙な心理変化の津波が起きた。ブラジルが圧倒的に有利になったのだ。

西村主審がPKの宣告をしたとき、クロアチアの選手が一斉に激しい抗議をしたのは、「彼らから見れば」明らかな誤審を糾弾する意味合いはもちろんだが、 PKが得点に結びついた後に来るであろう、強烈な心理的打撃を怖れたからだ。そうした場面はプロのゲームではひんぱんに見られる。

選手以上に憤懣を隠さなかったのがクロアチアのニコ・コヴァチ監督だった。心理分析の専門家である彼は、試合の流れが劇的に変わるであろうことを知悉しているから怒りをあらわにしたのだが、同時に彼は審判のジャッジがひっくり返らないことも知っている。

それでも激しく抗議をするのは、そうすることで選手をかばい、鼓舞し、士気が崩壊することを避けようとするからである。自チームの選手は悪くない。悪いのは審判でありひいては相手チームの選手だ、と主張することで選手を庇護しチームの戦意を高く保持しようとする。

それは現在進行中のゲームだけではなく、将来の戦いのためにも絶対にやっておかなければならないことだ。なぜならW杯は始まったばかりである。クロアチアはたとえ目の前の相手のブラジルに敗れても、次からの試合に勝ち続けることで予選を突破し、優勝することだって不可能ではない。だから彼は将来も見すえて、そこでは憤怒をあらわに抗議をしておかなければならないのである。

逆にPKを与えなければ、今度はブラジルの選手や監督が激しく抗議をしていたかも知れない。審判は虚実織り交ぜた両チームの猛烈な心理戦の標的になることもしばしばだ。従って主審を務めた西村さんが、その部分で批判されても何も気にすることはない。批判そのものが半ばハッタリの舞台劇だからだ。

しかし、西村さんがクロアチアの選手にPKに価するファールがあった、と判断したのは明らかにミスジャッジだ。それは世界中のテレビやビデオデッキで繰り返し再生された録画映像によって、万人が知るところとなった。

ここで、昔はビデオ映像などなかった。だからそれを見て誤審と判断するのはルール違反だ、などと抗弁するのはそれこそがルール違反だ。なぜなら、今やビデオ録画による確認も含めた一切の事象が、審判の正誤を判断する材料になっているからだ。

サッカーの試合中の激しい動きを見極めるのは至難の業だ。いかに優れた審判でも必ずミスを犯す。だから西村主審が誤審をしても仕方がない。しかし、誤審をそうではないと強弁するのは良くない。スロー再生ビデオで見れば、ブラジルのFWフレッジがシミュレーションをしているのは明白なのに、西村さんは逆にクロアチアのディフェンダーの真正のファールと見誤った。残念だがそれが真実だ。

この誤審はW杯の進展具合によっては世紀の誤審として歴史に残るかもしれない。もしそうなった場合は、西村さんは世紀の誤審を犯したことによって審判のあり方に警鐘を鳴らした、と敢えて考えてむしろ誇りにしてもいいのではないか。いかなる優秀な審判も完璧ではないのだから。

僕はW杯の開幕戦という大舞台で日本人が審判を務めたことを喜び、そこで誤審があったことを大いに残念がり、さらにそれをポジティブに捉えるべき、などと考えを巡らせながらサッカーと並んで僕が好きなスポーツ、大相撲のことを思ったりもした。

大相撲では、審判の誤審は極めて少ない。いや誤審はいくらでもあるのだが、ビデオによる検証が行われている現在は、サッカーのような「大誤審」は起こりようがない。

大相撲の舞台はサッカーのピッチとは違って、狭い丸い土俵の上である。その周りに主審の行司とは別に5人の勝負審判が陣取って、すぐ目の前で起こる力士の動きに神経を尖らせる。彼らの目利きは精確で迅速で見応えがある。行事を含む審判の鑑定は、同時進行で検証されるビデオ映像で補正あるいは補佐されて、さらに確実なものになる。

物言いの場合、審判同士の見解・指摘・確認作業とビデオ映像の検証が同時並行に行われた後、最終的な結果が出る。そこでは行司差し違えで判定がひっくり返るケースもざらにある。この点、試合の動きの中で出された審判の判断が、ビデオ映像と乖離があってもほぼ100%くつがえらないサッカーとは大違いである。

サッカーの試合では、ビデオ検証を審判の判断材料として取り入れた場合は試合のリズムが乱れる、という説などを中心に反対意見が多い。しかし、PKなどではいずれにしてもゲームが中断してプレイのリズムは変化するのだから、そこでビデオによる検証時間を差し挟んでも構わないのではないか。

例えば今ここで問題にしているブラジルVSクロアチアの場合、PKに価するファールと主審が一端結論付けた後にビデオによる検証を行い、そこでシミュレーションがあったと認められた時はPKを取り消して、逆にブラジルのフレッジにイエローカードを示しても良かったのではないか。その上で試合を再開しても、実際にその試合で発生した以上の「リズムの乱れ」は起きなかったのではないか、と思うのは僕一人だけだろうか。




書きそびれている事ども




書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは他の事案で忙しくて執筆そのものができずに後回しにしているネタは多い。それは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。過去形のトピックも現在進行形の話題も、できれば将来どこかで掘り下げて言及したいと思う。その意味合いで例によってここに箇条書きにしておくことにした。

大相撲:
5月場所(夏場所)の6日目、琴欧州親方がNHKの大相撲中継の解説者として放送席に座った。それには現役を引退したばかりの彼への慰労の意味合いもあっただろう。ヨーロッパ人初の大関、そしてヨーロッパ人初の親方へ、という経歴への物珍しさもあっただろう。また、NHKとしては彼に解説者としての資質があるかどうかを試す意味合いもあっただろう。あるいは解説者としての資質ありと見抜いていて、実際に力量を測ろうとしたのかもしれない。

結論を先に言うと、琴欧州は僕がいつも感じてきたように、人柄が良くて謙虚で礼儀正しいりっぱな元大関だった。そして解説者としても間違いなくうまくやっていけると思った。現在のNHKの大相撲中継の解説者は、北の富士勝昭さんが最上、貴乃花親方が最低、という図式だが、琴欧州親方は既に中の上くらいの力量があると僕は感じている。

そうこうしているうちに、横綱白鵬の「妻への愛」を貫く美談が飛び出して世間を騒がせている。このエピソードも琴欧州親方誕生のトピックスと同系列の、大相撲界の変化の一端である。妻や家族を愛する男は普遍的である。日本人、アフリカ人、モンゴル人、欧米人、中国人etcは関係がない。だが、それを「表現する仕方」はそれぞれの国であるいは文化圏で異なる。日本人とは違う表現習慣を持つ白鵬は、彼の身内に脈打っているモンゴル風の表現法に素直に従って、妻への愛を公に告知した。それは日本人なら少々躊躇するやり方である。

日本人には照れがあり、慎みを欠くのではないかと葛藤する内心、即ち「ためらい」がある。白鵬がなんなく実行した方法は、実は欧米的な感情表現に極めて近い。これはモンゴルの文化が欧米に追従したり阿(おもね)ったりしているのではなく、大陸的という意味で欧米文化に近いものがあって、愛情表現もそのうちの一つということなのだろう。彼らは欧米人のようにすぐにハグをするし、抱きしめて頬にキスし合う挨拶も普通に行う。大相撲界は彼らの影響を受けながら、そうやって少しづつ「開放的な道筋」を辿る方向に舵を切っている。

マフィア:
イタリアには三大犯罪組織がある。どれも北イタリアとの経済格差が大きい南部に根拠があり、北から順にナポリのカモラ、本土最南端カラブリア州のンドランゲッタ、そしてシチリア島のマフィアである。これにプーリア州のサクラ・コロナ・ウニタや第五のマフィアなどとも形容されるシチリア・マフィアの傍系スティッダなどが加わる。またローマをベースにするバンダ・デッラ・マリアーナもあるが、これは自然消滅したという説もある。

最近、どちらかというとマフィアの影が薄い。つまりメディアでの露出度が大幅に減っている。そこにはEU(欧州連合)の有形無形の圧力が影響している、と僕は考えている。ところがごく最近は、第三の勢力と見えたカラブリアのンドランゲッタの活動(メディア露出度)が増えている。摘発や締め付けやEUをバックにした当局の圧力などを警戒して、息を潜めているらしい2大組織とは対照的だ。怖いもの知らず、というところか。多分そういうことなのだと思うが、ンドランゲッタがマフィアやカモラを抑えて、イタリアの犯罪組織地図を塗り替えつつある、という可能性も皆無ではない。

電子書籍:
先日、海外居住者だけに提供されるサービスを利用して、生まれて初めてインターネットで雑誌を買った。文藝春秋と週刊文春。一つ一つの記事の魅力のなさにおどろく。値段が高い。記事1本1本を買える仕組みを作るべき。アゴラ、yahoo個人、ブロゴス等は基本的にそういう仕組みになっている。もちろん課金されるかどうかの違いはあるが。僕は電子書籍の登場を心待ちにしている。電子書籍は今でもネットで買えるらしいが、新たに端末が必要とか、買える本の数が(種類が)圧倒的に少ないとか、魅力を全く感じない。1年に1~2度帰国する度に大量に本を買い込む、という古くから続いている習慣はまだ捨てられない。

靖国参拝:
僕は先ごろ亡くなった島倉千代子の「東京だよおっかさん」を聞く度に泣かされる。この歌とそっくり同じ僕自身の体験、つまり東京での学生時代に行った母と2人での靖国神社参拝を思い出して、実際に涙にくれるのだ。ぼくの靖国とは、母の記憶である。沖縄の母。「天皇」のひと言で今も直立不動になる沖縄の父。軍国の申し子。父には沖縄を切り捨てた昭和天皇への怨みはないのだろうか。天皇問題の大局と局所の立場。靖国を摩文仁の丘(沖縄戦跡国定公園)に移す法的、思想的、感情的観点の是非について。


握り寿司賛歌:
昨年のクリスマスイブに、これも生まれて初めて握り寿司に挑戦した。ほとんどタブーの世界だった握り寿司。言霊の縛りや型の縛りと同じ、なんだか分からないあるいは無用な日本的な縛りに縛られていただけだったと覚醒。不惑とか年相応etcの縛りも同じ。

サッカー:
夜でもサングラスの本田の革命的愉快。でも本業のサッカーでの不振。彼を持ち上げ過ぎるほど持ち上げた責任を取って、謝罪記事を書こうと思いつつ時間が過ぎて、もはやワールドカップ。そこで本領を発揮して目覚しい活躍を見せてくれれば状況は変わるだろう。が、僕が彼を持ち上げすぎた事実は変わらない。ただし、僕は意識的に持ち上げ記事を書いた。読み方によっては、マラドーナやバッジョに匹敵するような印象さえ与えかねないことを承知で書いたのだ。つまり言霊。口にすれば実際に起こるかも、という言霊信仰に少し乗ってみたのだ。本当にそう意識して。


巨大な足跡~ヨハネ・パウロ2世の聖人昇格を寿ぐ~




先日、バチカン大聖堂前広場で第261代ローマ教皇のヨハネ23世と第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の列聖式が行われた。列聖とは、キリスト教において信仰の模範となるような高い徳を備えた信者を、その死後に聖者の地位に叙することである。

ヨハネ3世は史上もっとも庶民に愛された教皇と形容されるが、正直に言って僕はヨハネ3世を歴史知識としてしか知らない。だが、ヨハネ・パウロ2世については、いわば同時代人として良く知っていると感じている。そこでここでは、自分の経験に即してヨハネ・パウロ2世の聖人昇格について、思うところを語っておこうと考えた。

何よりも先ず、僕はキリスト教徒ではないが、ヨハネ・パウロ2世の聖人昇格を心から喜ぶ者である。2005年に亡くなった教皇は、単なるキリスト教徒の枠を超えて、宗教のみならず政治的にも道徳的にも巨大な足跡を世界に残した人物だった。

彼は他宗教との交流や融和に積極的に取り組み、キリスト教徒と敵対してきたユダヤ教徒及びイスラム教徒に対話を呼びかけ、プロテスタント緒派や東方正教会等にも胸襟を開いて相互理解を模索し、和解を演出した。もちろん仏教などの他の宗教に対しても同様の姿勢を貫いた。彼は共存と相互尊重による真の和平を目指したが、それを理念や理想として語ったり呼びかけたりするだけではなく、実際の行動によって達成する方向を選んだ。

そのために世界中を旅し続け、1981年には広島と長崎を訪れて「戦争は死です」と日本語で訴えた。それは日本だけで成された特別な行為ではなかった。ヨハネ・パウロ2世は世界の行く先々で、現地の言語で語りかけるのを常としたのである。そこにはあらゆる人種、文化、宗教等を敬仰し親しもうとする、彼の真摯な思いが込められていた。

旅の多さから「空飛ぶ教皇」とも呼ばれた男は、病の中にあってさえ世界各地に足を運んで貧困や戦乱にあえぐ弱者に手を差し伸べ、慈しみ、支え、人々のために生きた。同時に自らの母国であるポーランドの人々に「勇気を持て」と諭して同国に民主化の大波を発生させた。その大波はやがて東欧各地に伝播して、ついにはベルリンの壁を崩壊させる原動力になった、とも評価される。

バチカンもキリスト教徒も、過去には多くの間違いを犯し、今もたくさんの問題を抱えている。ヨハネ・パウロ2世はそれらの負の遺産を認め、謝罪し、改善しようと多大な努力をした。そうした事績と彼の人徳が広く認められて、教皇は亡くなって間もない異例の早さで聖人に列せられた。

しかし実は、ヨハネ・パウロ2世の在位中の大半をイタリアに住んで、彼の仕事を目の当たりにし続けてきた僕の中では、教皇は生前から既に聖人の域に達している偉大な存在だった。列聖式はそれを追認する単なる典礼に過ぎない。

ところで、今回の列聖式の場合もそうだったが、僕はヨハネ・パウロ2世にまつわる何かが起こるたびに、2005年の同教皇の葬儀にまつわる日本政府の不可思議な行動を思い出すのが慣わしになっている。

亡くなったヨハネ・パオロ2世の追悼式は、世界中が固唾を飲んで見守る壮大な祭礼だった。そこにはヨーロッパ中の王室と政府首脳とアフリカ・アラブ・南北アメリカの元首がほぼ全員顔をそろえた。元首や国のトップを送りこんでいない国を探すのが難しいくらいだった。

例えば欧米主要国だけを見ても、当事国のイタリアから大統領と首相をはじめとするほとんどの閣僚が出席したのは当たり前として、イギリスからは、自らの結婚式まで延期したチャールズ皇太子と当時のブレア首相、フランスがシラク大統領、ドイツは大統領とシュレーダー首相、アメリカに至っては当時の現職大統領 ブッシュ、前職のクリントン、元職のブッシュ父の三代の大統領と、ライス国務長官という大物たちがそろって出席したのだった。

そればかりではなく、葬儀にはヨーロッパ中の若者と各国の信者がどっと押し寄せて、その数は最終的には500万人にものぼった。それは過去2000年、263回にも及んだローマ教皇の葬儀で一度も起きたことがない事態だった。ヨハネ・パウロ2世はそれほど人々に愛された。

世界に強い影響を与えた偉大な男の葬儀が、外交的に重大な舞台になることをしっかりと認識していたアメリカは、まず世界中に12億人いるとも言われるカトリック教徒の心情に配慮した。さらに2000 年も敵対してきたユダヤ教徒や、またイスラム教徒にも愛された彼の業績の持つ意味を知り、ベルリンの壁を崩壊させた彼の政治力に対する東欧の人々の心情を汲みあげた。加えて、世界各地に足を運んでは人々を勇気付けた彼の功労に敬意を表し、現職を含む3代の大統領と国務長官をバチカンに送り込む、という派手なパフォーマンスを演出して見せたのだった。さすがだと言わざるを得ない。

ではその大舞台でわが日本は何をしたか。

なんと、世界から見ればどこの馬の骨とも知れない程度の外務副大臣を送って、お茶をにごしたのである。日本政府は教皇の葬儀が外交上の檜舞台であり、わが国の真摯な心を世界に知らしめる絶好の機会だということを、微塵も理解していなかった。

…あの落差は一体何なのだろう、と今でも、そしていつも考える。    

日本という国はもしかすると、まだまだ「世界という世間」を知らない鎖国メンタリティーの国家なのではないか。また、当時おそらく日本政府の中には、教皇とはいえキリスト教の一聖職者の葬儀だから、仏教と神道の国である日本はあまり関係がない、という空気があったのではないか。あるいは単純に、まさかとは思うが、ヨハネ・パウロ2世が生前に行った大きな仕事の数々を知らなかったのか・・

いずれにしてもそれは、何ともひどい外交音痴、世間知らず、と世界から笑われても仕方のない間抜けな行動だった。

それはさておき、

世界12億の信者の心の拠り所であるバチカンは、大ヨハネ・パウロ2世の死後、前教皇ベネディクト16世の在位中に後退した。少なくとも停滞した。

しかし、昨年第266代フランシスコ現教皇が就任すると同時に、再び前進を始めた。清貧と謙虚と克己を武器に、バチカンの改革を推し進めている現フランシスコ教皇は、聖人ヨハネ・パウロ2世に似た優れた聖職者であるように見える。少なくともベネディクト16世とは似ても似つかない・・。

頼もしい限りである。

EUは極右の巣窟になり得るか



先日の欧州議会選挙では、フランスの国民戦線に代表される反EU(欧州連合)や反移民などを掲げる極右政党が躍進した。この事実を受けて、多くのジャーナ リストや識者や論者が憂い顔で欧州の行く末を案じる議論を展開している。だが、彼らが心配するほど欧州の民主主義はひ弱ではない。

右傾化する社会心理を受けて、欧州の良心である民主主義の信奉者や守護者たちは、気を引き締めて危険な芽を摘みに行く動きを加速させるだろう。欧州には多様性という極めて大きな武器がある。極右や排外主義や人種差別主義等の悪でさえ、欧州の多様性の一環という側面があるほどだ。それらは欧州民主主義の主流勢力の驕りを戒める重要な少数派だ。彼らが政権を取ったり、それに近い勢力にまで成長する可能性は限りなくゼロに近い。とはいうものの、決して無視されるべき存在でももちろ んない。
欧州議会選挙は、加盟各国の政治、社会、経済問題などについて争われる場合がほとんどで、有権者の動向はそれぞれの国内政権への批判、という形で終わるのが常である。積極的選択というよりも異議申し立ての意味合いが強い。今回の極右の躍進にも抗議の意味合いがあるのであり、それ以上でも以下でもない。

先日の選挙でもっとも耳目を集めたフランスの極右政党・国民戦線の躍進は、フランスの国内政治の主流派への不満、特に現政権のオランド大統領と社会党への抗議が直接に反映された結果だ。それは今後政治不安を招き、欧州の他の極右勢力と相まって、混乱をもたらす可能性も確かにある。が、前述したように彼らが政治の主流となって政権を担ったり、欧州の舵取りをすることはあり得ない。

なぜなら欧州は、過去の各国家間の血にまみれた闘争やいがみ合いや夥しい間違いや経験を通して、対話と開明と寛容の尊さを学び且つそれらを民主主義の枠組みの中で最大限に生かす術を獲得した。それが形になって現われたのがEU(欧州連合)である。経済共同体として出発したEUは、加盟国間の経済の結びつきだけを目指すものではない。周知の通りそれには究極の戦争回避装置という役割がある。

戦争とは、国家間の対話拒否や閉鎖主義や不寛容や憎悪が膨張して爆発する破壊、とも定義ができる。そしてフランスの国民戦線に代表される極右政党の本質とは、まさに対話拒否や閉鎖主義や不寛容や憎悪である。欧州の民主主義はそうした危険な勢力を押さえ込む方法を知っている。今回のネガティブな民意の潮流を目の当たりにした「正当な」政治勢力は、そのこと自体を糧にしてさらに強固な民主主義を構築する道筋を探るだろう。そこにこそ欧州の真価がある。

先の欧州議会選挙では実は、イタリアの民主党の大勝利という「事件」もあった。マリーヌ・ルペンと国民戦線及びファラージの英国独立党の躍進、という2つの大きな話題に飲み込まれてほとんど注目されなかったが、イタリア民主党の勝利は「歴史的」と形容しても過言ではない大きな出来事だった。若きレンツィ首相率いる民主党は41%の票を獲得したが、それはイタリア民主党史上最強の数字であり、反EUを標榜する五つ星運動のほぼ2倍もの得票率に当たる。EU支持の主流派が勝って反EU政党の五つ星運動が負けるという、フランスとは逆の現象が起きたのである。

ところが昨年、イタリアの総選挙において最大勢力だった民主党は、国民の政治不信と主流政党への不満をうまく引き寄せて、反EUを唱えて総選挙を戦った五つ星運動に敗北した。民主党とベルルスコーニ元首相率いる勢力が主流であるイタリアで、反EUを掲げる第3勢力に過ぎなかった五つ星運動が大躍進をし、そのあおりを食って民主党は沈んだのだ。今回フランスで国民戦線が大勝して社会党が沈んだのとそっくり同じ構図である。

しかし総選挙後、イタリアの五つ星運動は衰退した。 党首のグリッロ氏の意味不明の言動や、政権を含む他党との協力や共闘を完全に拒否する責任逃れとも見える動きや、カルト染みた内部粛清の体質や、党首の専横ぶりなどが明るみに出て支持者離れが進んだ。結果、今回の欧州議会選挙では惨敗した。一年前の総選挙で僅差ながら民主党を押さえて、下院第一党に躍り出た時とは雲泥の差だ。

フランス国民戦線とルペン党首は、昨年の五つ星運動の躍進とグリッロ氏を彷彿とさせる。やり方を間違えれば彼女の党は必ず五つ星運動と同じ運命をたどるだろう。それは翻って、レンツィ首相への警鐘でもある。つまり今後レンツィ首相が、オランド仏大統領の轍を踏んで改革の歩みを失速させたり逡巡したり間違ったりすれば、彼もまた即座に落第の烙印を捺されてしまうであろうということだ。このようにEU内の政治地図は加盟国同士が互いに影響しあい、先導や後追いや批判や賛同を繰り返しながら絶えず書き換えられていく。EUの多様性とはそういうことであり、それが欧州の民主主義の強さである。

ところで、英仏伊あるいはギリシャなど、局地的には重い意味を持つ欧州内の極右あるいは反EU(欧州連合)政党だが、彼らはそれぞれが勝手に主張し行動をすることが多 く、国境を越えて手をつなぎ合うという関係にはなりにくい。その辺りがまさしく「極」の枕詞がつきやすい政治集団の限界である。街宣車でわめき散らす日本の極 右などと同じで、彼らは蛮声をあげて威嚇を繰り返すばかりで他者を尊重しない。従って相手の言い分を聞き、会話し、妥協して協力関係を築き上げる、という民主主義の原理原則が中々身につかない。

そのために彼らは欧州内にあってもそれぞれが孤立し、大きな政治の流れを生み出すには至らない。今後も恐らくそうなるとは思うが、もしもその流れが変わって、彼ら過激政党がお互いに手を組み合うようになれば、それこそ憂慮すべき事態である。そこからさらに進んで過激派が政権を取るような場面があるなら、その時点で世界政治・経済・文化その他の分野における欧州の優越性は、がらがらと音を立てて崩れ去ることになるだろう。

しかし、栄光と、また苦難にも事欠かない歴史体験と、そこから生まれた知恵と良心と誇りに満ちたEUあるいは欧州が、それを許すとはいかにも考えにくい。


ヴェネツィア共和国がよみがえる!?


州都ヴェネツィアの歴史にならう


水の都として名高いヴェネツィアが独立を模索するかもしれない。先日、ヴェネツィアを州都とする北伊ヴェネト州で、イタリア共和国からの分離独立を問うインターネット投票が行われ、参加した住民 の89%が賛成票を投じた。その後、独立を主張する急進派の24人が、ブルドーザーを改造した手製の戦車をヴェネツィアのサンマルコ広場 に持ち込んで、広場を占拠しようと画策していた等の動きも明るみに出た。

周知のようにヴェネツィア共和国は、強大な海軍力を背景に東方貿易を独占して7世紀から繁栄した海洋都市国家である。1797年にナポ レオンに滅ぼされるまで、1000年以上にわたって経済・文化・貿易の一大拠点として地中海に君臨した。同国は往時、アドリア海からイオニア海、さらにエーゲ海へと続く東地中海を席巻(せっけん)し、領地は現在のロンバル ディア州東南部からヴェネト州を含むイタリア本土の東北部と、かつてのユーゴスラビア、ギリシャ、トルコ、キプロス島にまで及んだ。  

ヴェネト州は、同州の州都でもある昔日の海洋都市国家ヴェネツィアにならって、いわば「ヴェネト共和国」としてイタリアから独立すると している。住民投票はヴェネト州の独立を推進する複数の地域政党が主催した。今のところネット投票の結果には法的な拘束力はないが、主催 者は独立へ向けた法案づくりを目指す計画である。

イタリアの心情的独立国家群
 

ヴェネト州の独立運動は、クリミアのウクライナからの独立や、スコットランドの英国からの独立要求などに影響されていると考えられる。それと同時に、一向に改善しないイタリア財政危機への抗議、という側面もある。しかしそればかりではない。イタリアの場合にはこの国独特の歴史背景があって、独立運動やそれに近い混乱が頻発するのである。  

イタリアが統一国家となったのは今からおよそ150年前のことに過ぎない。それまでは海にへだてられたサルデーニャ島とシチリア島は言 うまでもなく、半島の各地域が細かく分断されて、それぞれが共和国や公国や王国や自由都市などの独立国家として勝手に存在を主張してい た。その中には欧州全体で見ても屈指の強国も多くあった。良く知られているのが、例えばルネッサンスを生み出したフィレンツェであり、東 方貿易 と海運業で栄えたヴェネツィアやジェノヴァなどである。そうやって独立国家が乱立していた頃のイタリアの人々の心性は、統一から少し時間がたった今も実は ほとんど変わっていない。  

国土面積が日本よりも少し小さいこの国の中には、周知のようにバチカン市国とサンマリノ共和国という二つのれっきとした独立国家が あり、形だけの独立国セボルガ公国等もあるが、実際のところはそれ以外の街や地域もほぼ似たようなものである。ミラノはミラノ、ヴェネツィアはヴェネツィア、フィレンツェはフィレンツェ、ナポリはナポリ、シチリアはシチリア…と、イタリアは今もってたくさんの小さな独立 国家を内包して一つの国を作っている。  

そういう歴史があるために、1861年に国家が統一され、それから10年後にローマが統一国家の首都となっても、人々は少しも納得していない。ローマはイタリアの首都かも知れないが国の中心では ない。国の中心はあくまでも自分の邦(街)だと言い張って、お互いに協調するどころか反目しあってばかりいる。

カモッラのボスの本音  

TVドキュメンタリーや報道番組のディレクターという仕事柄、僕は長い間イタリア全国を巡り歩いてきた。僭越ながらイタリア人よりもより多くイタリアを見て歩いた、とさえ自負している。そうやってイタリアを旅して回ると、人々の言い分が強い根 拠に基づいたものであることを思い知らされる。前述の各都市や地方は言うまでもなく、古い歴史を持つイタリアの都市や地域は全て、独自の 文化や町並や気候風土や生活様式を持っている。人々の気風も違えば言葉も違う。  

地方中心主義のイタリア人の心性を端的に表すエピソードを、ここで一つ紹介しておきたい。ナポリの犯罪組織「カモッラ」の大ボス、ミ ケーレ・ザガリアが16年間の逃亡生活の後に検挙された時のことだ。彼は逮捕された瞬間にいかにもイタリア人らしい名言を吐いた。即ち、 “Va bbuo…. Ha vinto lo Stato.”(「わかったよ…。国家の勝ちだ」)。  

日本国と自らは一体だと無意識に思い込んでいるほとんどの日本人には、そんなセリフは逆立ちしてもまず思いつかないだろう。せいぜい 「くそ、サツの勝ちだ」とか「サツに負けた」とか、目いっぱい譲って「検察の勝ちだ」などとでも言うところではないか。ザガリアのその呟きは、各地方が独立国家のように存在を主張してツッパリあっているイタリアならではの愉快発言、と僕には見える。  

つまり彼はイタリア人である前に、イタリア共和国内の心情的独立国家「ナポリ国のナポリ人」なのである。そのナポリ人にとっては、統一 国家イタリア共和国は対立する存在である。「ナポリ国民」であるザガリアは、ナポリよりもより大きな「仮の所属国家」イタリア共和国の官憲に逮捕された。つまり国家に負けた。その思いがぽろりと口をついて出たのが「わかったよ…。国家の勝ちだ」という捨て台詞だったのだ。事ほど左様に、イタリア人の地域所属意識とそこから生まれる独立志向の精神というものは強烈である。

余りにもイタリア的な…  

統一国家は生まれたものの、イタリアの各地域には独立自尊の精神が色濃く残っていて、何かにつけて中央政府に盾ついたり旧独立国家間で言い争ったりと、頻繁に軋轢が生じる。そうした独立志向の精神の表れの一つが、今回のヴェネト州独立運動の背 景だ。ところが、ヴェネト州独立模索のニュースは実は、イギリスやアメリカを始めとする欧米諸国また日本などで結構話題になったものの、 当事国のここイタリアでは意外にもそれほど関心を呼ばなかった。地方自治体が住民投票によって分離独立を主張するのは憲法に抵触する可能 性が高いから、この国のメディアはあまり真剣に捉えなかったのだ。  

だがそれ以上に、メディアがニュースに無関心だった理由がある。つまりイタリア共和国からの独立を目指そうとする地域が、五つの特別自治州(※註1)などを筆頭にこの国の中には多くあるため、メディアも国民も「またかよ。だからなに?」という気分で、ヴェネト州での動きを醒めた目で見ていた、というのが真相なのである。

例えばドイツ語圏の南チロルは、今現在は平穏を保っているが、何かあればすぐに独立を画策する爆薬庫だし、シチリア島やサルデーニャ島などにも事あるごとに独立をチラつかせる強い勢 力がある。南部を斬り捨てて北部だけで独立しようと主張する「北部同盟」のような政党が存在するのも周知の事実である。  

今回のヴェネト州の騒ぎに触発されて、地中海の島嶼(とうしょ)州・サルデーニァ州でも独立を求める動きが活発化している。島の活動家 たちの主張はユニークだ。彼らはイタリアからの分離独立ばかりではなく、EU(ヨーロッパ連合)からの離脱も同時に求めるとしている。その方法はなんと、 EUに加盟していないスイスへの編入・統合なのだという。荒唐無稽な主張に見えるが、経済的に貧しい島の人々のイタリア本土への不満や、 EUへの恨みがにじみ出たような要求である。

このように、イタリアには独立志向の地方が多い。実際に独立運動を起こさなくても、隙あらばいつでもイタリア共和国の枠から出てみたい という意志を持つ、かつての都市国家や独立国家が少なからず存在するのだ。

独立自尊の大いなる光と小さな影
 

各地方が勝手に独立を唱えるような状況では、統一国家は当然まとまりに欠ける。イタリアの歴代政権が回転ドアみたいにくるくる変わったり、何事につけ国家としてのコンセンサスがとれていかなかったりするのも、その遠因には常に、独立自尊の心を持つ各地方が我が道を行こうとして喧々諤々の主張を続ける現実がある。

そこには国が混乱するというマイナス面がある。しかし、同時にそこ には大きなプラス面もある。つまり多様性を尊重・重視しようとする確かな哲学の存在であり、それに裏打ちされた精神の開放と自由な発想の乱舞である。誰もが自説を曲げずに独自の道を行こうと頑張る結果、イタリア共和国にはカラフルで多様な行動様式と、あっとおどろくような 独創的なアイデアが国中にあふれることになる。  

そして何よりも大切な点は、イタリア人の大多数が、「国家としてのまとまりや強力な権力機構を持つことよりも、各地方が多様な行動様式 と独創的なアイデアを持つことの方がこの国にとってははるかに重要だ」と考えている事実である。言葉を変えれば、彼らは、「それぞれの意 見は一致しないし、また一致してはならない」という部分でみごとに意見が一致するのである。

それは多様化とグローバル化が急速に進んでい く世界の中にあって、非常に頼もしい態度であり美しい国の在り方だと僕は思う。多様性こそイタリア共和国の真髄なのである。もっと言えば イタリアの多様性を愛するが故に僕はこの国に長く住んでいる・・  



(※註1)シチリア、サルデーニャ、ヴァッレ・ダオスタ、トレンティーノ=アル ト・アディジェ、フリウリ=ヴェネイア・ジュリアの各州。イタリアには州が20あ り、そのうち15州が通常州、5州 が特別自治州である。特別自治州は通常州よりも大きな地方自治権を有している。


小さな大都市ミラノ

加筆再録


2014年5月現在、イタリアは依然としてギリシャ危機に始まる欧州財政危機に端を発した大不況のただ中にある。失業率は13%。15~24歳の若者の失業率にいたっては42%。この数字の実感は、周囲を見回したら若者のほとんどが無職、と言う風である。やりきれない現実がつづく。

その大不況の中で、イタリアのファッション産業は頑張っている。繊維・衣料品・皮革製品などのファッション産業は、機械、金属製品に次いでイタリア第3位の輸出力を持つ。具体的には年間9兆円弱を売り上げ、100万人以上の雇用を生み出している。

ところが、洒落者が多いここイタリアに於いてさえ、ファッション産業を見下す者は多く、若きレンツィ首相が地元フィレンツェ生まれのフェラガモなどに始まる有名ブランドを着たり、それらを重視・擁護する言動をすると「おしゃれにうつつを抜かしている」などとして批判する人々がいる。

それに対してはレンツィ首相は、不況の中での9兆円の売り上げと100万人雇用、という冷徹な数字を示して、ファッションビジネスはイタリアにとって重要な産業だ、と反論するのが常である。言うまでもなく彼の見解は至当だ。

世の中の、真面目で正しくてまともな大人、と見られるような人々はファッションを軽く見る傾向がある。彼らはきっと、皮ジャンを着て若者とテレビで討論をしたり、ブランド物の服や装飾をさりげなく身につけて、自転車で颯爽と街を行くような39歳の「軽い若い」首相が気に食わないのだ。

どちらかと言うと僕もそんな古い人間の1人になりつつある。が、同時にレンツィ首相の如くこの国のファッション産業にはいつも瞠目し賞賛する気持ちでもいる。それは産業としてのファッションの重みに敬服する意味もさることながら、イタリアファッションの中心地・ミラノに対する僕の特別の思い入れからも来ている。

周知のようにミラノは、ニューヨークやパリやロンドンなどと並ぶ世界のファッションの流行発信地である。ファッションの街ミラノを、僕は長い間テレビ屋として観察してきた。テレビの番組制作や報道取材やリサーチ・オーガナイズ等を通して、実際に街と付き合ったりもしてきた。

ミラノでファッションやデザインを取材する時にいつも感じるのは、なぜこの小さな街がロンドンやパリやニューヨークや東京などの巨大都市と対抗して、あるいはそれ以上の力強さで、世界をリードするデザインやファッションを発信して行けるのだろうか、ということである。 

ロンドンとパリは都市圏の人口がそれぞれ約1300万人と1200万人、ニューヨークは2000万人もいる。東京の都市圏の人口3700余万人には及ばな いにしても、巨大な都会であることに変わりはない。それらの大都市に対してミラノ市の人口はおよそ130万人、その周辺部を含めた都市圏でもわずか400 万人ほどに過ぎない。

もちろん人口数が全てではないが、人が多く寄ればそれだけ多くの才能が集まるのが普通だから、小さなミラノがファッションの世界で多くの巨大都市に負けない力を発揮しているのはやはり稀有のことである。

それは多分ミラノが、都市国家の伝統を持つ自治体として機能し、完結したひとつの小宇宙を作って独立国家にも匹敵する特性を持っているからではないか、と考えられる。つまり、ニューヨークやパリやロンドンが飽くまでも国家の中の一都市に過ぎないのに対して、ミラノは街そのものが一国なのである。都市と国が相 対するのだから、ミラノが世界の大都市と競合できたとしても何の不思議もないわけである。

ところで、秀れた才能に恵まれたミラノのファッションデザイナーたちが、新しい流行を求めて生み出す服のデザインは、まぎれもなく一級の芸術作品である。 しかしその芸術作品は、どんなに素晴らしい傑作であっても、たとえば絵画や小説や音楽のように長く人々に楽しまれることはない。言うまでもなくファッショ ンが、流行によって推移していく消費財だからである。

ファッションデザイナーたちは、一瞬だけ光芒を放つ秀れた作品(服)を作るために、絶え間なく努力をつづけていかなければならない。なにしろファッション ショーは、1年間に女物が2回、男物が2回の計4回行なわれる。彼らはその度に、日々の制作とは別に、多くの新しい作品を作り上げていかなければならない。アイデアをひねり 出すだけでも、大変な才能と精進が必要であることは火を見るよりも明らかである。

1994年、44歳の若さで亡くなった偉大なデザイナー・モスキーノが、かつてファッションショーで語ってくれた内容を僕は決して忘れることができない。

モスキーノは当時のミラノのファッション界では、アルマーニやフェレやベルサーチなどと並び称される大物デザイナーだった。同時に彼らとは一線を画す、カ ラフルで斬新で遊び心の強い作品を魔法のように次々に生み出すことで知られていた。彼のファッションショーも、作り出された服と同じでいつもハチャメチャ に明るく賑やかで、舞台劇を見るような楽しさにあふれていた。

ある日彼のショーを取材した後の雑談の中で、ファッションショーの度に次から次へとアイデアが出るのには感心する、というような月並みな賛辞を僕はモスキーノに言った。するとデザイナーが答えた。

「ファッションショーは一つ一つが生きのびるか死ぬかを賭けたテストなんだ。この間何かの雑誌で読んだけど、日本の大学の入学試験はものすごく厳しいらし いじゃないか。ファッションショーもそれと同じだよ。しかも僕らの入学試験は、仕事を続ける限り毎年毎年3ヶ月に1度づつ繰り返されていく。ときどき辛く て泣きそうになる・・・」

駆け出しのデザイナーならともかく、一流のデザイナーとして既に揺るぎない評価を得ているモスキーノが、一つ一つのファッションショーを生きのびるか否かのテストだと言ったのが僕にはすごく新鮮に聞こえた。

季節ごとに一新される各デザイナーの作品(コレクション)は、必ずファッションショーで発表される。そしてそのショーの成否は服の売り上げに如実に反映される。モスキーノはそのことを指して、ファッションショーを生きのびるか否かを賭けたテストだと言ったのである。

ファッションは創作と販売が分かち難くからみついている珍しい芸術分野である。従ってモスキーノが、ファッションショーを生死を賭けたテスト、と言ったのは極めて適切な表現だったと僕は思う。

ミラノには日夜髪を振り乱して創作にまい進する多くのモスキーノたちがいる。だからこそ小さな都市ミラノは、街そのものが内に秘めている都市国家としての心意気も相俟って、世界中の大都市に対抗して今日も堂々とファッションの世界をリードしていけるのだろう。

マフィアの用心棒


マフィアの構成員ヴィットリオ・マンガノが、ベルルスコーニ元首相の厩舎番として雇われていたのは1973年から1975年の間である。彼は元首相の子供たちが誘拐されないよう警戒する役割を担っていた。

マンガノはベルルスコーニ邸を離れて25年後の2000年7月、殺人罪で終身刑を受けて収監され、わずか数日後に獄死した。死因は癌だとされる。彼はベルルスコーニ邸で仕事をしながら、デルトゥリ元上院議員と共にマフィアとベルルスコーニ氏の仲を取り持ったという強い疑いをかけられている。

 デルトゥリ元議員もベルルスコーニ元首相もそれを否定し、それどころか元首相は、マンガノを雇ったとき彼がマフィアの構成員であるとさえ知らなかった、と証言している。その真偽はさておいて、僕は元首相がマンガノを用心棒として雇ったのは許せる出来事であったように思う。 ベルルスコーニ氏が政界に進出した頃は、僕も彼の支持者とは言わないまでも、元首相に好感を抱いている人間の一人だった。しかし時間経過と共に、公私混同の著しい政策やでたらめな言動に嫌悪感を覚えて、僕は長い間彼の批判者であり続けている。しかし、マンガノ事案に関しては、僕はあまり元首相を批判する気にはなれない。そのことは公平を期するためにも言っておくべきだと考えたので、エントリーすることにした。

1960年代後半からイタリアでは誘拐事件が相次いで発生していた。政治がらみのものもあったが、身代金目当ての誘拐事件も頻発していた。裕福な家の子供が誘拐されて、本人であることの証明として耳を切り落とされ、身代金要求と共にそれが家族に送りつけられる、というような残酷なケースも目だった。

実業家として大成して大きな富を得、それをさらに拡大しようとしていた時期のベルルスコーニ氏が、そんな物騒な世情を目の当たりにして、2人の子供の安全を気遣ったのはごく自然なことである。彼は部下のデルトゥリ氏の紹介で強持ての男、マンガノを子供の周囲の監視役として雇った。

 恐らく彼はその時、マンガノがいかなる経歴の男であるかは知らされていたのではないか。マフィアの一員を雇ったこと。部下の中にマフィアとつながる者がいること。そしてマフィアの存在そのものetc、etc・・それらは悪であり、不快なことであり、排斥されるべき事柄であることは論を待つまでもない。長きにわたってイタリア随一の政治家であり続け、首相経験もあるベルルスコーニ氏の場合には特に。

ところが、マンガノを用心棒として雇った1973年のベルルスコーニ氏は、若くして富を得た有能な実業家の一人に過ぎなかった。彼が政界に進出するのはそこから20年以上も先、1994年のことである。子供の安全の為にマフィアの構成員を用心棒として雇った男が、一人の大金持ちなら良くて、政治家なら悪い、というのは筋の通らない話だが、僕はこの件では敢えて筋を曲げて元首相を弁護したい気持ちになるのだ。

なぜなら一連の出来事はここイタリアでの話である。誘拐事件を起こすような連中は、マフィアと直接あるいは間接に関わりがある場合も多いと考えられる。マフィアの真正の構成員であるヴィットリオ・マンガノが、子供の守護役としてベルルスコーニ氏に雇われた事実は、闇のサークルで素早く広く噂として拡散して、誘拐の抑止力になり易かったであろうことは想像に難くない。

元首相と、マフィアに近いとされる彼の右腕のデルトゥリ元上院議員は、そのことを確認しあった上で、例えば民間の警備会社員や元警察官や元軍人などの
「普通の用心棒」ではなく、闇社会に顔の聞く「異様な用心棒」ヴィットリオ・マンガノを敢えて採用したのではないか。

もしそうであるならそのエピソードは、ベルルスコーニ氏が政界進出をしていなかった場合は、きっと誰にも気に留められずに時間の流れに埋もれて消え去っていたに違いない。

そんなエピソードはイタリアにはきっと多い、と僕が感じるこの「感じ」はしかし、この国に住んでみないと恐らく分かってもらえないことなのだろう・・



「政治家ベルルスコーニ」の生みの親



2014年4月12日、マフィアとの共謀罪で有罪判決を受けて控訴していた元イタリア上院議員のマルチェッロ・デルトゥリ氏が、最高裁での審理を前にイタリアからの逃亡を試みて、レバノンの首都ベイルートで逮捕された。

デルトゥリ氏はシチリア島パレルモ市の出身。島を出て北イタリア・ミラノの大学で法律を学んでいた頃、若きベルルスコーニ元首相と知り合った。

デルトゥリ氏は大学を終えて故郷のシチリア島に帰り、銀行家になった。後年、実業家として大成しつつあった旧友のベルルスコーニ氏が、地中海セーリングに訪れて二人は船上で再会した。

氏はそこでベルルスコーニ氏に誘われて島を後にし、元首相のミラノの建設会社に転職した。その後デルトゥリ氏は元首相のビジネス帝国の中で出世を続け、やがてベルルコーニ氏の右腕の一人とみなされるようになった。

そんな折の1992年2月、イタリア共和国に激震が走った。政官財の癒着及び汚職を追及するタンジェントポリの大捜査(Mani puliteマーニ・プリーテ)が開始されたのだ。

ちょうどこの頃、イタリアでは国家とマフィアの戦争と呼ばれる犯罪組織と司法の対決が繰り広げられていた。それは言うまでもなくタンジェントポリ捜査とも深く関わっていた。つまり政官財界の癒着と汚職には、この国の巨大な犯罪組織が大きく関わっていたのである。

司法とマフィアは一進一退の綱引きを続けた。当初はマフィアが有利に見えた。マフィアは大胆にも1992年5月23日、反マフィア捜査のシンボルと見なされていたシチリア島パレルモのジュヴァンニ・ファルコーネ判事を、高速道路に仕掛けた爆弾で殺害した。そのさらに2ヶ月後の7月19日には、ファルコーネ判事の同僚パオロ・ボルセリーノ判事もやはりマファアによって爆殺された。

司法も反撃した。翌1993年1月15日、マフィアのボス中のボスと怖れられていたトト・リイナが23年間の逃亡潜伏の後に逮捕されたのだ。これを機にマフィアへの司法の反撃は勢いづき、大物の逮捕が続くことになる。

リイナの逮捕から2ヵ月後には、3回7期にも渡って首相を務め、戦後のイタリア政界を牛耳ったキリスト教民主党のドン、ジュリオ・アンドレオッティがマフィアとの関連疑惑で捜査の対象になった。またその一ヶ月前の1993年2月11日には、首相を務めたこともあるベッティーノ・クラクシ社会党書記長辞任劇もあった。これもタンジェントポリの汚職に関連した結果だった。

タンジェントポリの大捜査では、1994年までの2年間で400人の国会議員を含む3000人が摘発されたが、捜査対象とされたのは5000人にものぼる。

政界では先ずスキャンダルのあおりを食って、戦後イタリアを牛耳ってきたキリスト教民主党が1994年1月18日に瓦解消滅した。また同年11月には、当時連立政権党だった前述のベッティーノ・クラクシの社会党も崩壊。また西側最大の共産党だったイタリア共産党も1991年には分裂ほぼ消滅していた。

1992年に始まった大々的なタンジェントポリ捜査の包囲網は、2年の間にベルルスコーニ氏の周辺とビジネス帝国にも及ぼうとしていた。このことを敏感に悟ったのが、先日ベイルートで逮捕されたマルチェッロ・デルトゥリ氏だった。事業手腕に加えて彼は政治手腕にも長けていた。

危険を察知したデルトゥリ氏はベルルスコーニ元首相に大胆な進言をした。
即ち:『捜査の目を逃れるために政界に打って出るべき』と主張したのである。司法の攻撃に対抗する手段として政党を立ち上げ、ボス自身が首相を目指すべきだ、と彼は熱心に説いた。

ベルルスコーニ氏は部下の進言を受け入れ、キリスト教民主党の解散と同じ日の1994年1月18日、フォルツァ・イタリア党を旗揚げ。次期総選挙への出馬を表明した。つまりデルトゥリ氏の進言によって「政治家ベルルスコーニ」が誕生することになったのだ。

デルトゥリ氏の狙いは当たった。フォルツァ・イタリア党は政権党にまで急成長し、周知のように党首のベルルスコーニ氏は、以後20年に渡ってイタリア政界を牛耳る大物政治家へと変貌を遂げた。

デルトゥリ氏もフオルツァ・イタリア の創始者の一人として名を連ねた。その後、氏自らも政界に進出して、ボスの進撃と歩調を合わせるようにしてまず下院議員に。2001年から昨年2013年の3月までは上院議員も務めた。

デルトゥリ議員には常にマフィアとの関連を匂わせる黒い噂が付きまとった。事実マフィアの構成員であるヴィットリオ・マンガノが、ベルルスコーニ邸宅の厩舎番として雇われていたが、それはデルトゥリ氏の紹介によっていた。

マンガノは、元首相の幼い子供たちが誘拐されないように目を光らせる役割を負っていた、と言われる。彼は後に殺人罪で逮捕されて獄中で死んだが、マフィアとデルトゥリ氏や元首相の関連については口を噤んだままだった。

デルトゥリ氏は2012年にパレルモ上級裁判所で禁錮7年の有罪判決を受けて控訴していた。だが、冒頭で述べたように、最高裁結審を前にして逃亡を試みて外国で逮捕された。

それはボスのベルルスコーニ氏が、脱税の罪を償うために1年間の社会奉仕活動を開始する時期とほぼ重なっていた。

以心伝心テレパシー、はたまた因果は巡る糸車、か・・・合掌・・




ベルルスコーニの悪運



ベルルスコーニ元首相の適用刑罰が「社会奉仕活動」と最終的に決まった。正式発表は4月15日の予定。

元首相は昨年8月、脱税の罪で禁錮4年と公職禁止を言い渡されていた。

禁錮は恩赦法で1年に減刑され、公職禁止も5年から2年に短縮された。

それでも彼は昨年11月、2年以上の有罪判決が確定した議員を失職させる反汚職法によって、上院議員資格を剥奪され直ちに失職した。

イタリアでは70歳以上の高齢者は刑務所に収監されず、自宅軟禁か社会奉仕活動によって罪を償える、という決まりがある。77歳の元首相もその恩恵を受ける。

ところが自宅軟禁と社会奉仕活動では自由度に大きな違いがある。

自宅軟禁は1日2時間の自由行動が認められるだけ。

その2時間の自由も生活に必要な最小限度の活動の為のみ、と定められてれる。外部との連絡も厳しく監視される。

一方社会奉仕活動の場合は、週に一度、それも半日だけのボランティア活動をすれば済む。

許可なく居住地を変えることはできず、夜11時から翌朝7時までは外出禁止。前科のある者や麻薬中毒者と会うことも禁止等々の規定があるが、基本的には普通の生活と変わらない。

元首相とその支持者は、自由が厳しく制限される自宅軟禁ではなく、ほんの少しの屈辱を我慢すれば政治活動を含むほとんどの行動が許される、社会奉仕活動を希望しその旨裁判所に申請していた。その要望が認められた形である。

これって、結局ベルルスコーニ元首相の完全勝利に近い裁決だと僕は思う。

なぜなら現在の元首相は、脱税判決・議員資格剥奪・未成年者買春容疑・etc、 etc・・と不名誉と恥辱にまみれ切っている。

ところが彼は今でもイタリアの3大政党の1つ「フォルツァ・イタリア」の党首であり、且つ過去20年に渡ってイタリア政界を牛耳ってきたカリスマ性の名残もあって、依然として強い政治力を温存している。

元首相はその強い政治力をさらに拡大したい。できれば最大限にまで。そうすることで、少し対応を間違えればさらなる地獄へと向かいかねない、彼の転落へのスパイラルを断ち切りたいと考えている。

従って元首相にとっては、早くも5月に予定されているEU議会議員選挙で存分に選挙運動をすることもできる、社会奉仕活動がより好ましい選択だったのである。

そういう政治的駆け引きもさることながら、元首相に課された刑罰はほとんど茶番だと僕は思う。

禁錮4年は1年に減刑、公職追放期間は5年から2年へ短縮、且つ刑務所には収監されない等々、元首相は多くの恩恵を受けてきた。

そればかりではない。実は彼の1年の刑は、半年の服役後は45日間の減刑に処する、という法律によってさらに短くなって、10ヶ月半で終了する。

要するに刑罰という観点からは軽い仕置きである。

それは厳罰主義を嫌い、温情主義あるいは人権主義とでも形容できる態勢を取る、イタリアの審判制度から導き出された結論で、元首相だけが特別扱いをされている訳ではない。

僕は厳罰主義を取らないイタリアの司法制度には好感を抱きつつ、それでも正直、もう少しどうにかならないものか、という印象を持つ。

なぜなら元首相の場合は罪状が脱税だ。

イタリアの脱税の状況は酷い。脱税が半減すればイタリアの財政危機は直ちに消える、とさえ言われるくらいだ。

そんな国の1、2を争う大金持ちで、且つ政界を牛耳った20年間のうち、約半分の年月を首相として過ごした男が、脱税で有罪判決を受けたのだ。

彼の腐敗の温床である「政治」活動を制限する意味でも、適用刑をせめて自宅軟禁にできなかったものか、と考えるのは僕だけだろうか。

「琴欧州親方」の誕生は「横綱琴欧州」にも匹敵する快挙だ



横綱鶴竜が誕生した陰で、元大関琴欧州がひっそりと引退した。31歳。残念。

彼は昨年、8年も務めた大関から陥落した。それからたった4ヶ月後、早くも引退することに。ケガが命取りになった。

琴欧州はブルガリアから大相撲界に飛び込んで瞬く間に出世。22歳で大関に駆け登って、横綱になるのも時間の問題と言われた。

だが、連続負傷の不運に泣き、優勝1回きりで低迷した。何度もカド番を経験しながらその都度克服して、大関の地位だけは守り続けた。しかし、ついに力尽きた。

大阪場所途中で引退を表明した彼は、記者会見を開いて自らの相撲人生について涙ながらに語った。とても印象的な映像だった。

僕は琴欧州と、昨年引退した把瑠都の二人の大関が横綱になるのを心待ちにしていた。

ヨーロッパ出身の2人がハワイ、モンゴル勢につづいて横綱になれば、ヨーロッパにおける.相撲への関心が今以上に高まり、若者の入門希望者も増えて大相撲のグローバル化がさらに進む。

角界はそうやってますます発展していくだろう、と容易に予測することができた。

その意味では琴欧州の引退は、把瑠都のそれと同じく極めて遺憾な出来事だ。しかし、福音もある。琴欧州が引退後も親方として日本相撲協会に残る、と決まったことだ。

彼は今年1月に日本国籍を取得しているため、欧州出身力士として初めて、引退後も指導者として日本相撲協会に残ることになった。

大相撲の世界では、外国人力士は日本に帰化していない限り引退後に親方になることはできない。また帰化していても年寄り名跡を取得していなければ残留できない。

だが幸いなことに、大関経験者は3年に限って現役時代の四股名で親方になれる、という特例事項がある。琴欧州はその恩恵に浴し、琴欧州親方として相撲協会に残って、後進の指導にあたることになる。

外国人力士は、国籍や年寄り名跡取得の壁に阻まれて、現役引退後は角界を去る場合がほとんどである。そうではなくても親方として長く務めるケースは少ない。

例外が元関脇高見山の東関親方と、元横綱武蔵丸の武蔵川親方。琴欧州が彼らにならって、3年の特例期間が過ぎても親方であり続けるよう期待したい。

大相撲界は日本社会に一歩先んじてグローバル化を成し遂げた。だがそれは道半ばである。国際化は土俵上で闘う現役力士だけのことであり、大相撲を総轄する親方衆の世界にまでグローバル化が進んでいるわけではない。

そこまで国際化が浸透すれば、真の意味でのグローバリゼーションが成されることになる。そうした観点からも、琴欧州が親方として角界に残るのは朗報である。

大相撲のさらなる発展のためには、力士に続いて指導者の世界もグローバル化されるべきだ僕は考える。しかしそれは、一気に全てを開放して何もかも国際化してしまえ、ということではない。

なぜなら大相撲界が変わるのと平行して、外国出身の親方衆が自らを大相撲の世界に厳しく順応させて行く努力が先ず求められるべきだからだ。

角界のグローバル化とは、大相撲の根幹である日本の心を確実に保ったまま外国人を受け入れる、ということなのであって、日本の真髄を捨てて国際化するべき、という意味では断じてない。

国技である大相撲の伝統を守り発展させていくのは、やはり日本人か日本人に近い心を持つ者でなくてはならないと思う。従って力士引退後に親方として協会に残る者は、日本人として生きていくことに喜びを見出せる人物であるべきだ。

そうした考え方から、親方になりたい外国人力士は日本に帰化するべし、という厳しい規則は妥当なものだと言いたい。日本に帰化したくないなら、外国人力士は引退と共に大相撲界からは身を引くべきだ、と僕は今のところは思う。

誤解を怖れずにさらに言えば、外国出身の親方衆は徹底して日本人になる努力をするべきだ。なぜなら大相撲は、他の分野とは違って「日本的な特殊な世界」であり続けることによって、存在価値が高まる世界だからだ。

日本人力士の衰退が鮮明になりつつある今、大相撲は「グローバル化しつつグローバル化を拒否する」という不条理を体現することによってのみ、生き伸び、発展していくことができるように思う。


僕は一人の大相撲ファンである。スポーツでありエンターテイメントでもある大相撲がサッカーと並んで大好きだ。従って僕が相撲協会の趨勢や力士の動向などに関心があるのは、純粋に一相撲ファンとしてである。

同時に僕は、日本でもっとも保守的な社会のひとつである大相撲が、速やかに国際化を成し遂げた事実に、外から日本を見ている日本人の一人として瞠目してもいる。

多様化とグローバル化が急速に進んでいく世界の中で、今のところ日本はその流れに乗り遅れ、孤立しかけているように見える。僕はそのことに少し不安を抱いている。

そんな中でグローバリゼーションの大波に上手く乗った大相撲の世界は、日本社会全体のグローバル化のロールモデルになり得るのではないか、と僕は日頃から考えている。相撲界の変化に僕が常に関心を抱いているのは、それが理由である。



横綱鶴竜に期待すること



大相撲春場所、13勝以上の優勝で横綱昇進、と言われていた鶴竜が14勝1敗で初優勝した。

これを受けて横綱審議委員会が開かれて、「横綱鶴竜」が誕生することになった。

久々に3横綱が並び立つ大相撲。一相撲ファンの僕はひたすら嬉しい。

2年前に鶴竜が大関に駆け登った頃はすぐにでも横綱になると思った。相撲ファンのほとんどは僕と同じ気持ちだっただろう。

しかし、彼のその後は期待外れだった。大関昇進後の2012年夏場所から昨年九州場所までの勝ち星は、8、9、11、9、8、8、10、10、9、9。

優勝争いにほとんど絡めないどころか、平均するとほぼ常に9勝6敗。ダメ大関の代名詞である「クンロク大関」そのものだった。

ところが、先場所彼は14勝1敗と活躍した。それを基に今場所13勝以上の優勝なら横綱へ、という道筋ができていた。

彼はハードルの13勝を一つ上回って優勝した。従って横綱に推挙されて然るべきだし、また今後もきっと活躍もするだろう。

いや、活躍するべきである。なぜなら、大関時代の彼の成績を思えば、横綱昇進に至った基準が正直言って少し甘過ぎるように見える。その疑念を吹き飛ばすには、土俵上で暴れまくるしかないだろう。

横綱昇進直前の彼の2場所の成績は、優勝同点の14勝1敗と、その次の場所つまり今場所の14勝1敗での優勝。それだけを見れば文句のつけようのない成績である。

だがその前の場所は「いつもの」クンロク、9勝6敗に過ぎなかった。昇進直前の3場所を通して見ると、横綱の条件の一つである安定感に欠けるきらいがある。

また彼の取り口のうちの悪癖である“はたき込み”での勝ち星も多い。3場所前の9勝のうち、はたき込みでの勝ちが5番もある。次の場所でも14勝のうちやはり5勝ははたき込み。

綱取りの春場所こそ3勝と少な目だったが、取り組み中に何度も引き技を見せる場面があった。

引き技の“はたき込み”は相撲のりっぱな技の一つである。だが攻めるよりも受身の勝ち技であり、多用すると墓穴を掘る。また安易に勝ちに行く傾向の強い技で安定感もない。

そして何よりも、真っ向勝負を避けて「逃げながら勝つ」という印象があって、見た目が良くない。横綱相撲にはなりにくいのである。

加えて鶴竜は、上位陣のライバルにはからきし弱い、という欠点もある。2日前に終わった春場所とその前の初場所では、上位陣相手にも強さを見せた。しかしそれまでは横綱、大関との対戦成績が極端に悪い。特に白鵬には4勝30敗(優勝決定戦を含めると32敗) と大きく負け越している。

鶴竜が白鵬に初めて勝ったのはつい最近のこと。また4勝のうちの2勝は今場所と先場所のもの。それまでは非常に対戦成績が悪く、初勝利までに21連敗と全く歯が立たなかった。

日馬富士にも良く負ける。最近引退した元大関の把瑠都や琴欧州を含む大関全員にも負け越している。

しかし、今回彼は2場所連続で横綱、大関陣を全て撃破。初場所は日馬富士が休場していたものの、一皮向けた力強さも見せた。だからこそ、横綱審議委員会は彼を横綱に推奨することを決めたのである。

そうは言うものの鶴竜は、取り口の問題や垣間見えるひ弱さを別にすれば、人品においては既に横綱と呼ばれるべき域に達していると思う。控えめな性格、高い知性、また穏やかで礼儀正しい物腰は、今後きっと彼が獲得するであろう安定した強さと相まって、必ず鶴竜の「横綱の品格」を形成して行くだろう。

そうしたこと以外にも鶴竜にはぜひ意識して精進してほしいことがある。それは大関として多大な実績を残し、また綱取りの機会には横綱昇進の条件を彼以上に満たしていたと考えられるにも関わらず、横綱に推挙されなかったハワイ出身の元大関小錦のことだ。

小錦は1991年~1992年に13勝、12勝、14勝と3場所連続で好成績を残した。このうち13勝と14勝は優勝した勝ち星。普通なら横綱に推挙されて然るべき成績だが、見送られた。大相撲の歴史では、それよりも見劣りのする成績で横綱になった者も少なくないのに、である。

小錦の横綱昇進が見送られたのは人種差別が原因ではないか、という議論が当時沸き起こった。

相撲協会はもちろんそれを否定し、それを口にしたとされる小錦は、バッシングさえ受けて罰則(謝罪)を課せられた。

その出来事の真相は闇の中ということになっているが、今ならもう断言してもいいのではないだろうか。あれは人種差別だったのだと。

目立つ外国人幕内力士と言えば、高見山に続いて小錦自身しかいなかった時代、外国人が「国技」大相撲の横綱になるという現実は、大相撲界もまた日本社会全体もきっと受け入れ難かったのだろうと思う。

差別という言葉を軽々しく使うべきではないが、当時の日本社会には戸惑いがありその戸惑いが小錦の横綱昇進を阻んだ。つまりそれは、やはり差別だったのだ。

大相撲はその負の歴史を克服して、間もなく曙と武蔵丸という外国人横綱を誕生させ、さらに朝青龍、白鵬という歴史に残るモンゴル人大横綱も誕生させた。

今や大相撲には外国人力士への差別はほとんどない、と言っても過言ではないだろう。

鶴竜はそうした歴史の恩恵も受けて大相撲の最高位に就いた。精進して名横綱・大横綱を目指してほしい。

また大相撲界が、日本の伝統の真髄を守りつつ、さらなるグローバル化を目指して発展するよう、外国出身横綱としてぜひ心を砕いてほしい。

なぜなら閉鎖的な日本社会の中で一歩先んじてグローバル化を成し遂げた大相撲界は、この先日本が決して避けては通れないであろう社会全体のグローバリゼーションの手本として、確固たる地位を築く可能性も大いにあるのだから・・。


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