【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

ワールドカップTV観戦記③



日本VSギリシャは0-0の引き分け。

ギリシャは前半38分、カツラニスが 2枚目のイエローカードで退場。10人で引き分けに持ち込んだ。

負ければ絶望的な状況になるところだったから、この引き分けはギリシャにとっては勝利と同じ程度の価値がある。

逆に日本にとってはほぼ敗戦にも等しい痛い引き分けだ。

崖っぷちに立たされた日本は、決勝トーナメント進出のためには次のコロンビア戦で必ず勝って、同組のギリシャVSコートジボアール戦の結果を待つしかない。

日本の行く手は厳しい。ほぼ絶望的と言っても良いほどに勝ち抜ける可能性は低い。だが、少なくとも可能性はまだ残されている。

ところが王者スペインは、日本と同じく2試合を戦って既に予選敗退が決まった。

ビッグチームではイングランドも2連敗を喫して風前の灯状態。1敗1分の日本よりも厳しいかも知れない。

だが、スペインもイングランドもハイレベルの試合をしての2連敗だ。

一方日本チームは、本田の素晴らしい一撃で先行しながら、まるで蛇ににらまれた蛙よろしくドログバにびびりまくって、あっさりと2ゴールを許して負けた初戦、

また

レッドカード一枚で10人になったギリシャと引き分けた第2戦、

と、ともに退屈な試合をこなしての崖っぷちだ。内容がサッカー先進国のゲームとはまるで違う。

特に昨晩のギリシャ戦は退屈過ぎて涙が出そうなくらいだった。

次の試合では、もちろん勝つに越したことはないが、たとえ敗れることがあってもぜひ楽しめる面白いサッカーをやってほしい。

相手はC組トップ、絶好調のコロンビアだ。勝って予選突破をするためにも、また負けて、でも将来の日本のサッカーに資するためにも、日本は必ず「面白いゲーム」を目指すべきだ。

単調な攻撃や、ワンパターンの揺さぶりにならない揺さぶりや、流行遅れのポゼッションサッカーにこだわるのは、予選最終戦では禁物だ。

いや、スペイン得意のポゼッションサッカーは流行の終わりにあるとはいえ、日本チームの血となり肉となっている戦術なら、まだ戦力にもなる。

だが、日本選手はまだまだそれを「猿真似」している段階だ。それは昨夜のギリシャ戦ではっきりと露呈した。

攻めもなく、想像力もなく、独創性もなく、ただ漫然と仲間うちでパスを繰り返しているだけの物真似ボール回しは、退屈で貧弱で滑稽だ。日本はポゼッションサッカーの意味を全く理解していない。

僕は以前、日本サッカーは楽しいサッカーを自家薬籠中のものにしつつある、と書いた。

それは主に、コンフェデ杯で日本がイタリアと互角に戦った素晴らしいゲームを見て、真剣に感じたことだった。

しかし、W杯の2試合を観戦して僕は自分が希望的観測に犯されていることを知った。

日本のサッカーはまだまだだ。僕は今後、恐らくヨーロッパを始めとする世界のサッカーファンが読んだり聞いたりしたら失笑することが分かっている、日本チームを誉めすぎる話や、個人のプレーヤーを持ち上げ過ぎたりするような記事は書かないようにしようと思う。

僕は日本人以外のサッカー好きにはとうてい受け入れらそうもない話も、そうと知っていて書いた。批判するばかりでは何も生まれない、良いところを見つけて賞賛することも常に重要だ、という考えからそうしてきたのだ。

その考えは今も変わらず、今後もそういう視点での記事は書いていくが、批評や批判も大いにするべきだという気分でいる。

ここでは、昨晩の日本VSギリシャ戦の余りの拙さに呆れて、批判ばかりを書いた。次には心からの賞賛というか、日本サッカーの可能性と良さについても、自分なりに適正に「過剰にならない」形で意見開陳をしていこうと思う。


ワールドカップTV観戦記②


ワールドカップ・日本VSコートジボワール戦は、イタリア時間の6月15日午前3時のキックオフだった。

眠気と闘いながらPAYテレビの生中継に見入った。

試合開始から間もなく、本田圭祐の文字通り目の醒めるようなシュートがゴールに突き刺さった。

ぱっと眠気が吹き飛んで、僕は本気で目が覚めた。

だがその後は香川など活躍が期待された選手たちの沈滞で居眠り。

それでも頑張って観ていた後半、ドログバ登場で目が覚めた。

と思ったら、敵が立て続けに2ゴールを決めて、今度は僕は日本チームの行く末を思って不眠症になってしまった・・・


日本が負けたのは弱いからである。これは悔しくても認めなければならない。

そして、弱ければ強くなれば良いだけの話である。

もっと練習をし、研究し、創造につながる想像力を磨き、思考し、そしてまた練習をする・・

本気でそれを続ければいつか必ず強くなる・・・

と思いたい。

でも

何かが違う、と日本チームの試合運びを見ていていつもそう思う。今回のコートジボワール戦を見ながらもやっぱりそう思った。

「何か」とは何か、自分なりに考えてみた。

何かとは、多分サッカー文化のことである。日本には欧州や南米に深く根付いているサッカー文化が存在しない。

いや、存在しているのだが、その文化の深度が違う。

あるいは大胆に、敢えて言ってしまえば、そもそも日本の蹴球文化が強い欧州や南米のサッカー文化とは違う。

どちらが正しいにしろ、それはほぼ致命的と形容しても良い一つの大きな欠陥に由来している。

つまり、日本国におけるサッカーファンの絶望的な少なさである。

ここで言うサッカーファンとは、ワールドカップや国際試合を目の当たりにして、突然サッカーに興味を抱くにわか仕込みのファンのことではない。サッカーを心から愛し、従って情報収集にもいそしみ、勉強さえする真正のサッカーファンのことである。

日本における多くのサッカーファンと称する人々は、国際試合に際して急にナショナリズムに目覚める愛国的サッカーファンである。彼らはサッカーが好きなのではなく、日本が好きなのである。

それはそれで素晴らしいことだ。しかし、日本サッカーが本気で成長するためにはそれだけでは十分ではない。

ここからTV観戦記を書いていく間にそのことについてまた語りたい。

ここまでのもっとも大きな驚きはスペインの崩壊だ。

スペインの常勝サイクルが終わったことは、昨年のコンフェデ杯を通して僕はかなりはっきりと分かっていた

サッカー強国がしのぎを削る欧州 + 南米がリードする世界サッカーでは、一国がいつまでもトップに居座りつづけることはできない。サッカーを少し本気で追いかけている人間ならば、それはたやすく分かることだ。

しかし、スペインの崩壊を予想はしたものの、僕は正直に言って初戦でオランダに5-1で敗れるほどの大きな、かつ急速で明確な崩壊までは予想しなかった。

優勝争いに最後まで絡んだ上で敗れる、というシナリオを自分の中で描いていたのだ。

僕の独断と偏見では、世界サッカーの四天王はブラジル、ドイツ、イタリア、アルゼンチンである。この4チームはたとえ不調でも、下馬評に上がらなくても、常に強く常に優勝候補の一角を占める。

四天王の下に、スペイン、フランス、イングランド、オランダ、ウルグアイなどが控える。

こう言うと、なぜスペインが四天王の下なんだ、と目をむいて反論する人が必ずいる。

だが、スペインが圧倒的な強さを発揮してきたのは、2008年以降のことに過ぎない。その前にはフランスがジダンを擁して「一時的に」世界サッカーを牛耳った。

スペインが四天王の域に近づくためには、一度沈んでまた這い上がって世界に君臨する、というプロセスを何度か繰り返さなければならない。

四天王の真の強さは、世界のトップになって落ち込み、また這い上がって頂点を目指し、そして君臨する、という過程を何度も経験しているところにある。

W杯前に僕がひそかに予想していた優勝候補の筆頭はブラジル。その後にスペインとドイツ。続いてアルゼンチン、イタリア。そのさらに後ろにオランダ。やがてイングランド、ポルトガル、ウルグアイ等々が並ぶ、というものだった。

スペインの崩落を見た今は、ドイツが優勝候補の筆頭。続いてブラジルとイタリアが並んで、三者に肉薄してオランダ・・という風になった。

なぜスペインを蹴散らしたオランダがイタリアよりも下かといえば、ただ一言「オランダはまだW杯優勝の経験がないのでその分見劣りがする」というだけの、これまた僕の独断と偏見による意見。

だが、オランダは前回大会で決勝まで進んだ経験もあり、かなり高い確率で今回こそ悲願の初優勝、という結末も十分にあるとは思う。






ワールドカップTV観戦記① ~ W杯VS大相撲 ~


ブラジルW杯が始まった。ここから7月13日の決勝戦までわくわくの日々がつづく。

幸い大相撲の名古屋場所とは日程が重ならない。いや、決勝戦の13日は名古屋場所の初日だから、正確に言えば一日重なる。だが、ブラジルとの時差のお陰でどちらも実況放送を違う時間に見ることができる。良かった。
W杯開幕戦のブラジルVSクロアチアでは主審と線審の3人が日本人という、見ていて何となく嬉しくなるような珍しい配置があった。

しかし、主審の西村さんは難しい采配を強いられて、少し後味の悪い結果になった。ブラジルに与えたPKが是か非かという論争が巻き起こったのだ。

結論を先に言うと、西村さんには悪いが、PKを与えたのは失策だったと僕は考える。

試合の模様を録画していたので何度も再生して確認したが、クロアチアのDFロブレンに引き倒されたように見えるブラジルのFWフレッジは、シミュレーションだ。相手の手が体に触った瞬間を捉えて大げさに倒れ込んだのだ。

PKどころか、ファールはむしろ倒れたフレッジから取るべきだった。イエローカードものだと思う。

こういうことを書くと、ヘンなナショナリズムに侵された者がお前は日本人を批判するのか、反日か、などと言い出したりしかねないが、審判はピッチの上の仕事ぶりを評価されるのが宿命だ。国籍は関係がない。

問題の場面では誰が審判であろうと、またPKを与えても与えなくても、必ず批判が起きただろう。

なぜならそれはW杯の開幕戦という大舞台の、しかもゲームが拮抗している場面で起きた極めて重要なジャッジだったからだ。

PKはブラジルのエース・ネイマールによって得点になり、ブラジルが2-1とクロアチアを逆転した。

オウンゴールながらクロアチアに先行されて苦しんでいたブラジルは、1-1に持ち込んでからも本来の調子を取り戻せずにいた。そのまま行けばクロアチアにも十分に勝機がある展開だったのだ。

しかし、PKを境にブラジルは心理的に楽になって躍動し、最後はダメ押しの3点目を入れてクロアチアを突き放した。

サッカーは、多くのスポーツの中でも特に心理作用が強く働くゲームだ。サッカーの監督は何よりもまず心理分析に優れた者でなくてはならないとさえ言われる。

試合中もその前後でも常に、選手の心理を読み、状態を把握し、それらの集大成である試合の心理(動き)を読み、練習中にも読み続ける。

ブラジルVSクロアチア戦では、ネイマールのPK得点によってゲームを左右する微妙な心理変化の津波が起きた。ブラジルが圧倒的に有利になったのだ。

西村主審がPKの宣告をしたとき、クロアチアの選手が一斉に激しい抗議をしたのは、「彼らから見れば」明らかな誤審を糾弾する意味合いはもちろんだが、 PKが得点に結びついた後に来るであろう、強烈な心理的打撃を怖れたからだ。そうした場面はプロのゲームではひんぱんに見られる。

選手以上に憤懣を隠さなかったのがクロアチアのニコ・コヴァチ監督だった。心理分析の専門家である彼は、試合の流れが劇的に変わるであろうことを知悉しているから怒りをあらわにしたのだが、同時に彼は審判のジャッジがひっくり返らないことも知っている。

それでも激しく抗議をするのは、そうすることで選手をかばい、鼓舞し、士気が崩壊することを避けようとするからである。自チームの選手は悪くない。悪いのは審判でありひいては相手チームの選手だ、と主張することで選手を庇護しチームの戦意を高く保持しようとする。

それは現在進行中のゲームだけではなく、将来の戦いのためにも絶対にやっておかなければならないことだ。なぜならW杯は始まったばかりである。クロアチアはたとえ目の前の相手のブラジルに敗れても、次からの試合に勝ち続けることで予選を突破し、優勝することだって不可能ではない。だから彼は将来も見すえて、そこでは憤怒をあらわに抗議をしておかなければならないのである。

逆にPKを与えなければ、今度はブラジルの選手や監督が激しく抗議をしていたかも知れない。審判は虚実織り交ぜた両チームの猛烈な心理戦の標的になることもしばしばだ。従って主審を務めた西村さんが、その部分で批判されても何も気にすることはない。批判そのものが半ばハッタリの舞台劇だからだ。

しかし、西村さんがクロアチアの選手にPKに価するファールがあった、と判断したのは明らかにミスジャッジだ。それは世界中のテレビやビデオデッキで繰り返し再生された録画映像によって、万人が知るところとなった。

ここで、昔はビデオ映像などなかった。だからそれを見て誤審と判断するのはルール違反だ、などと抗弁するのはそれこそがルール違反だ。なぜなら、今やビデオ録画による確認も含めた一切の事象が、審判の正誤を判断する材料になっているからだ。

サッカーの試合中の激しい動きを見極めるのは至難の業だ。いかに優れた審判でも必ずミスを犯す。だから西村主審が誤審をしても仕方がない。しかし、誤審をそうではないと強弁するのは良くない。スロー再生ビデオで見れば、ブラジルのFWフレッジがシミュレーションをしているのは明白なのに、西村さんは逆にクロアチアのディフェンダーの真正のファールと見誤った。残念だがそれが真実だ。

この誤審はW杯の進展具合によっては世紀の誤審として歴史に残るかもしれない。もしそうなった場合は、西村さんは世紀の誤審を犯したことによって審判のあり方に警鐘を鳴らした、と敢えて考えてむしろ誇りにしてもいいのではないか。いかなる優秀な審判も完璧ではないのだから。

僕はW杯の開幕戦という大舞台で日本人が審判を務めたことを喜び、そこで誤審があったことを大いに残念がり、さらにそれをポジティブに捉えるべき、などと考えを巡らせながらサッカーと並んで僕が好きなスポーツ、大相撲のことを思ったりもした。

大相撲では、審判の誤審は極めて少ない。いや誤審はいくらでもあるのだが、ビデオによる検証が行われている現在は、サッカーのような「大誤審」は起こりようがない。

大相撲の舞台はサッカーのピッチとは違って、狭い丸い土俵の上である。その周りに主審の行司とは別に5人の勝負審判が陣取って、すぐ目の前で起こる力士の動きに神経を尖らせる。彼らの目利きは精確で迅速で見応えがある。行事を含む審判の鑑定は、同時進行で検証されるビデオ映像で補正あるいは補佐されて、さらに確実なものになる。

物言いの場合、審判同士の見解・指摘・確認作業とビデオ映像の検証が同時並行に行われた後、最終的な結果が出る。そこでは行司差し違えで判定がひっくり返るケースもざらにある。この点、試合の動きの中で出された審判の判断が、ビデオ映像と乖離があってもほぼ100%くつがえらないサッカーとは大違いである。

サッカーの試合では、ビデオ検証を審判の判断材料として取り入れた場合は試合のリズムが乱れる、という説などを中心に反対意見が多い。しかし、PKなどではいずれにしてもゲームが中断してプレイのリズムは変化するのだから、そこでビデオによる検証時間を差し挟んでも構わないのではないか。

例えば今ここで問題にしているブラジルVSクロアチアの場合、PKに価するファールと主審が一端結論付けた後にビデオによる検証を行い、そこでシミュレーションがあったと認められた時はPKを取り消して、逆にブラジルのフレッジにイエローカードを示しても良かったのではないか。その上で試合を再開しても、実際にその試合で発生した以上の「リズムの乱れ」は起きなかったのではないか、と思うのは僕一人だけだろうか。




書きそびれている事ども




書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは他の事案で忙しくて執筆そのものができずに後回しにしているネタは多い。それは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。過去形のトピックも現在進行形の話題も、できれば将来どこかで掘り下げて言及したいと思う。その意味合いで例によってここに箇条書きにしておくことにした。

大相撲:
5月場所(夏場所)の6日目、琴欧州親方がNHKの大相撲中継の解説者として放送席に座った。それには現役を引退したばかりの彼への慰労の意味合いもあっただろう。ヨーロッパ人初の大関、そしてヨーロッパ人初の親方へ、という経歴への物珍しさもあっただろう。また、NHKとしては彼に解説者としての資質があるかどうかを試す意味合いもあっただろう。あるいは解説者としての資質ありと見抜いていて、実際に力量を測ろうとしたのかもしれない。

結論を先に言うと、琴欧州は僕がいつも感じてきたように、人柄が良くて謙虚で礼儀正しいりっぱな元大関だった。そして解説者としても間違いなくうまくやっていけると思った。現在のNHKの大相撲中継の解説者は、北の富士勝昭さんが最上、貴乃花親方が最低、という図式だが、琴欧州親方は既に中の上くらいの力量があると僕は感じている。

そうこうしているうちに、横綱白鵬の「妻への愛」を貫く美談が飛び出して世間を騒がせている。このエピソードも琴欧州親方誕生のトピックスと同系列の、大相撲界の変化の一端である。妻や家族を愛する男は普遍的である。日本人、アフリカ人、モンゴル人、欧米人、中国人etcは関係がない。だが、それを「表現する仕方」はそれぞれの国であるいは文化圏で異なる。日本人とは違う表現習慣を持つ白鵬は、彼の身内に脈打っているモンゴル風の表現法に素直に従って、妻への愛を公に告知した。それは日本人なら少々躊躇するやり方である。

日本人には照れがあり、慎みを欠くのではないかと葛藤する内心、即ち「ためらい」がある。白鵬がなんなく実行した方法は、実は欧米的な感情表現に極めて近い。これはモンゴルの文化が欧米に追従したり阿(おもね)ったりしているのではなく、大陸的という意味で欧米文化に近いものがあって、愛情表現もそのうちの一つということなのだろう。彼らは欧米人のようにすぐにハグをするし、抱きしめて頬にキスし合う挨拶も普通に行う。大相撲界は彼らの影響を受けながら、そうやって少しづつ「開放的な道筋」を辿る方向に舵を切っている。

マフィア:
イタリアには三大犯罪組織がある。どれも北イタリアとの経済格差が大きい南部に根拠があり、北から順にナポリのカモラ、本土最南端カラブリア州のンドランゲッタ、そしてシチリア島のマフィアである。これにプーリア州のサクラ・コロナ・ウニタや第五のマフィアなどとも形容されるシチリア・マフィアの傍系スティッダなどが加わる。またローマをベースにするバンダ・デッラ・マリアーナもあるが、これは自然消滅したという説もある。

最近、どちらかというとマフィアの影が薄い。つまりメディアでの露出度が大幅に減っている。そこにはEU(欧州連合)の有形無形の圧力が影響している、と僕は考えている。ところがごく最近は、第三の勢力と見えたカラブリアのンドランゲッタの活動(メディア露出度)が増えている。摘発や締め付けやEUをバックにした当局の圧力などを警戒して、息を潜めているらしい2大組織とは対照的だ。怖いもの知らず、というところか。多分そういうことなのだと思うが、ンドランゲッタがマフィアやカモラを抑えて、イタリアの犯罪組織地図を塗り替えつつある、という可能性も皆無ではない。

電子書籍:
先日、海外居住者だけに提供されるサービスを利用して、生まれて初めてインターネットで雑誌を買った。文藝春秋と週刊文春。一つ一つの記事の魅力のなさにおどろく。値段が高い。記事1本1本を買える仕組みを作るべき。アゴラ、yahoo個人、ブロゴス等は基本的にそういう仕組みになっている。もちろん課金されるかどうかの違いはあるが。僕は電子書籍の登場を心待ちにしている。電子書籍は今でもネットで買えるらしいが、新たに端末が必要とか、買える本の数が(種類が)圧倒的に少ないとか、魅力を全く感じない。1年に1~2度帰国する度に大量に本を買い込む、という古くから続いている習慣はまだ捨てられない。

靖国参拝:
僕は先ごろ亡くなった島倉千代子の「東京だよおっかさん」を聞く度に泣かされる。この歌とそっくり同じ僕自身の体験、つまり東京での学生時代に行った母と2人での靖国神社参拝を思い出して、実際に涙にくれるのだ。ぼくの靖国とは、母の記憶である。沖縄の母。「天皇」のひと言で今も直立不動になる沖縄の父。軍国の申し子。父には沖縄を切り捨てた昭和天皇への怨みはないのだろうか。天皇問題の大局と局所の立場。靖国を摩文仁の丘(沖縄戦跡国定公園)に移す法的、思想的、感情的観点の是非について。


握り寿司賛歌:
昨年のクリスマスイブに、これも生まれて初めて握り寿司に挑戦した。ほとんどタブーの世界だった握り寿司。言霊の縛りや型の縛りと同じ、なんだか分からないあるいは無用な日本的な縛りに縛られていただけだったと覚醒。不惑とか年相応etcの縛りも同じ。

サッカー:
夜でもサングラスの本田の革命的愉快。でも本業のサッカーでの不振。彼を持ち上げ過ぎるほど持ち上げた責任を取って、謝罪記事を書こうと思いつつ時間が過ぎて、もはやワールドカップ。そこで本領を発揮して目覚しい活躍を見せてくれれば状況は変わるだろう。が、僕が彼を持ち上げすぎた事実は変わらない。ただし、僕は意識的に持ち上げ記事を書いた。読み方によっては、マラドーナやバッジョに匹敵するような印象さえ与えかねないことを承知で書いたのだ。つまり言霊。口にすれば実際に起こるかも、という言霊信仰に少し乗ってみたのだ。本当にそう意識して。


巨大な足跡~ヨハネ・パウロ2世の聖人昇格を寿ぐ~




先日、バチカン大聖堂前広場で第261代ローマ教皇のヨハネ23世と第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の列聖式が行われた。列聖とは、キリスト教において信仰の模範となるような高い徳を備えた信者を、その死後に聖者の地位に叙することである。

ヨハネ3世は史上もっとも庶民に愛された教皇と形容されるが、正直に言って僕はヨハネ3世を歴史知識としてしか知らない。だが、ヨハネ・パウロ2世については、いわば同時代人として良く知っていると感じている。そこでここでは、自分の経験に即してヨハネ・パウロ2世の聖人昇格について、思うところを語っておこうと考えた。

何よりも先ず、僕はキリスト教徒ではないが、ヨハネ・パウロ2世の聖人昇格を心から喜ぶ者である。2005年に亡くなった教皇は、単なるキリスト教徒の枠を超えて、宗教のみならず政治的にも道徳的にも巨大な足跡を世界に残した人物だった。

彼は他宗教との交流や融和に積極的に取り組み、キリスト教徒と敵対してきたユダヤ教徒及びイスラム教徒に対話を呼びかけ、プロテスタント緒派や東方正教会等にも胸襟を開いて相互理解を模索し、和解を演出した。もちろん仏教などの他の宗教に対しても同様の姿勢を貫いた。彼は共存と相互尊重による真の和平を目指したが、それを理念や理想として語ったり呼びかけたりするだけではなく、実際の行動によって達成する方向を選んだ。

そのために世界中を旅し続け、1981年には広島と長崎を訪れて「戦争は死です」と日本語で訴えた。それは日本だけで成された特別な行為ではなかった。ヨハネ・パウロ2世は世界の行く先々で、現地の言語で語りかけるのを常としたのである。そこにはあらゆる人種、文化、宗教等を敬仰し親しもうとする、彼の真摯な思いが込められていた。

旅の多さから「空飛ぶ教皇」とも呼ばれた男は、病の中にあってさえ世界各地に足を運んで貧困や戦乱にあえぐ弱者に手を差し伸べ、慈しみ、支え、人々のために生きた。同時に自らの母国であるポーランドの人々に「勇気を持て」と諭して同国に民主化の大波を発生させた。その大波はやがて東欧各地に伝播して、ついにはベルリンの壁を崩壊させる原動力になった、とも評価される。

バチカンもキリスト教徒も、過去には多くの間違いを犯し、今もたくさんの問題を抱えている。ヨハネ・パウロ2世はそれらの負の遺産を認め、謝罪し、改善しようと多大な努力をした。そうした事績と彼の人徳が広く認められて、教皇は亡くなって間もない異例の早さで聖人に列せられた。

しかし実は、ヨハネ・パウロ2世の在位中の大半をイタリアに住んで、彼の仕事を目の当たりにし続けてきた僕の中では、教皇は生前から既に聖人の域に達している偉大な存在だった。列聖式はそれを追認する単なる典礼に過ぎない。

ところで、今回の列聖式の場合もそうだったが、僕はヨハネ・パウロ2世にまつわる何かが起こるたびに、2005年の同教皇の葬儀にまつわる日本政府の不可思議な行動を思い出すのが慣わしになっている。

亡くなったヨハネ・パオロ2世の追悼式は、世界中が固唾を飲んで見守る壮大な祭礼だった。そこにはヨーロッパ中の王室と政府首脳とアフリカ・アラブ・南北アメリカの元首がほぼ全員顔をそろえた。元首や国のトップを送りこんでいない国を探すのが難しいくらいだった。

例えば欧米主要国だけを見ても、当事国のイタリアから大統領と首相をはじめとするほとんどの閣僚が出席したのは当たり前として、イギリスからは、自らの結婚式まで延期したチャールズ皇太子と当時のブレア首相、フランスがシラク大統領、ドイツは大統領とシュレーダー首相、アメリカに至っては当時の現職大統領 ブッシュ、前職のクリントン、元職のブッシュ父の三代の大統領と、ライス国務長官という大物たちがそろって出席したのだった。

そればかりではなく、葬儀にはヨーロッパ中の若者と各国の信者がどっと押し寄せて、その数は最終的には500万人にものぼった。それは過去2000年、263回にも及んだローマ教皇の葬儀で一度も起きたことがない事態だった。ヨハネ・パウロ2世はそれほど人々に愛された。

世界に強い影響を与えた偉大な男の葬儀が、外交的に重大な舞台になることをしっかりと認識していたアメリカは、まず世界中に12億人いるとも言われるカトリック教徒の心情に配慮した。さらに2000 年も敵対してきたユダヤ教徒や、またイスラム教徒にも愛された彼の業績の持つ意味を知り、ベルリンの壁を崩壊させた彼の政治力に対する東欧の人々の心情を汲みあげた。加えて、世界各地に足を運んでは人々を勇気付けた彼の功労に敬意を表し、現職を含む3代の大統領と国務長官をバチカンに送り込む、という派手なパフォーマンスを演出して見せたのだった。さすがだと言わざるを得ない。

ではその大舞台でわが日本は何をしたか。

なんと、世界から見ればどこの馬の骨とも知れない程度の外務副大臣を送って、お茶をにごしたのである。日本政府は教皇の葬儀が外交上の檜舞台であり、わが国の真摯な心を世界に知らしめる絶好の機会だということを、微塵も理解していなかった。

…あの落差は一体何なのだろう、と今でも、そしていつも考える。    

日本という国はもしかすると、まだまだ「世界という世間」を知らない鎖国メンタリティーの国家なのではないか。また、当時おそらく日本政府の中には、教皇とはいえキリスト教の一聖職者の葬儀だから、仏教と神道の国である日本はあまり関係がない、という空気があったのではないか。あるいは単純に、まさかとは思うが、ヨハネ・パウロ2世が生前に行った大きな仕事の数々を知らなかったのか・・

いずれにしてもそれは、何ともひどい外交音痴、世間知らず、と世界から笑われても仕方のない間抜けな行動だった。

それはさておき、

世界12億の信者の心の拠り所であるバチカンは、大ヨハネ・パウロ2世の死後、前教皇ベネディクト16世の在位中に後退した。少なくとも停滞した。

しかし、昨年第266代フランシスコ現教皇が就任すると同時に、再び前進を始めた。清貧と謙虚と克己を武器に、バチカンの改革を推し進めている現フランシスコ教皇は、聖人ヨハネ・パウロ2世に似た優れた聖職者であるように見える。少なくともベネディクト16世とは似ても似つかない・・。

頼もしい限りである。

EUは極右の巣窟になり得るか



先日の欧州議会選挙では、フランスの国民戦線に代表される反EU(欧州連合)や反移民などを掲げる極右政党が躍進した。この事実を受けて、多くのジャーナ リストや識者や論者が憂い顔で欧州の行く末を案じる議論を展開している。だが、彼らが心配するほど欧州の民主主義はひ弱ではない。

右傾化する社会心理を受けて、欧州の良心である民主主義の信奉者や守護者たちは、気を引き締めて危険な芽を摘みに行く動きを加速させるだろう。欧州には多様性という極めて大きな武器がある。極右や排外主義や人種差別主義等の悪でさえ、欧州の多様性の一環という側面があるほどだ。それらは欧州民主主義の主流勢力の驕りを戒める重要な少数派だ。彼らが政権を取ったり、それに近い勢力にまで成長する可能性は限りなくゼロに近い。とはいうものの、決して無視されるべき存在でももちろ んない。
欧州議会選挙は、加盟各国の政治、社会、経済問題などについて争われる場合がほとんどで、有権者の動向はそれぞれの国内政権への批判、という形で終わるのが常である。積極的選択というよりも異議申し立ての意味合いが強い。今回の極右の躍進にも抗議の意味合いがあるのであり、それ以上でも以下でもない。

先日の選挙でもっとも耳目を集めたフランスの極右政党・国民戦線の躍進は、フランスの国内政治の主流派への不満、特に現政権のオランド大統領と社会党への抗議が直接に反映された結果だ。それは今後政治不安を招き、欧州の他の極右勢力と相まって、混乱をもたらす可能性も確かにある。が、前述したように彼らが政治の主流となって政権を担ったり、欧州の舵取りをすることはあり得ない。

なぜなら欧州は、過去の各国家間の血にまみれた闘争やいがみ合いや夥しい間違いや経験を通して、対話と開明と寛容の尊さを学び且つそれらを民主主義の枠組みの中で最大限に生かす術を獲得した。それが形になって現われたのがEU(欧州連合)である。経済共同体として出発したEUは、加盟国間の経済の結びつきだけを目指すものではない。周知の通りそれには究極の戦争回避装置という役割がある。

戦争とは、国家間の対話拒否や閉鎖主義や不寛容や憎悪が膨張して爆発する破壊、とも定義ができる。そしてフランスの国民戦線に代表される極右政党の本質とは、まさに対話拒否や閉鎖主義や不寛容や憎悪である。欧州の民主主義はそうした危険な勢力を押さえ込む方法を知っている。今回のネガティブな民意の潮流を目の当たりにした「正当な」政治勢力は、そのこと自体を糧にしてさらに強固な民主主義を構築する道筋を探るだろう。そこにこそ欧州の真価がある。

先の欧州議会選挙では実は、イタリアの民主党の大勝利という「事件」もあった。マリーヌ・ルペンと国民戦線及びファラージの英国独立党の躍進、という2つの大きな話題に飲み込まれてほとんど注目されなかったが、イタリア民主党の勝利は「歴史的」と形容しても過言ではない大きな出来事だった。若きレンツィ首相率いる民主党は41%の票を獲得したが、それはイタリア民主党史上最強の数字であり、反EUを標榜する五つ星運動のほぼ2倍もの得票率に当たる。EU支持の主流派が勝って反EU政党の五つ星運動が負けるという、フランスとは逆の現象が起きたのである。

ところが昨年、イタリアの総選挙において最大勢力だった民主党は、国民の政治不信と主流政党への不満をうまく引き寄せて、反EUを唱えて総選挙を戦った五つ星運動に敗北した。民主党とベルルスコーニ元首相率いる勢力が主流であるイタリアで、反EUを掲げる第3勢力に過ぎなかった五つ星運動が大躍進をし、そのあおりを食って民主党は沈んだのだ。今回フランスで国民戦線が大勝して社会党が沈んだのとそっくり同じ構図である。

しかし総選挙後、イタリアの五つ星運動は衰退した。 党首のグリッロ氏の意味不明の言動や、政権を含む他党との協力や共闘を完全に拒否する責任逃れとも見える動きや、カルト染みた内部粛清の体質や、党首の専横ぶりなどが明るみに出て支持者離れが進んだ。結果、今回の欧州議会選挙では惨敗した。一年前の総選挙で僅差ながら民主党を押さえて、下院第一党に躍り出た時とは雲泥の差だ。

フランス国民戦線とルペン党首は、昨年の五つ星運動の躍進とグリッロ氏を彷彿とさせる。やり方を間違えれば彼女の党は必ず五つ星運動と同じ運命をたどるだろう。それは翻って、レンツィ首相への警鐘でもある。つまり今後レンツィ首相が、オランド仏大統領の轍を踏んで改革の歩みを失速させたり逡巡したり間違ったりすれば、彼もまた即座に落第の烙印を捺されてしまうであろうということだ。このようにEU内の政治地図は加盟国同士が互いに影響しあい、先導や後追いや批判や賛同を繰り返しながら絶えず書き換えられていく。EUの多様性とはそういうことであり、それが欧州の民主主義の強さである。

ところで、英仏伊あるいはギリシャなど、局地的には重い意味を持つ欧州内の極右あるいは反EU(欧州連合)政党だが、彼らはそれぞれが勝手に主張し行動をすることが多 く、国境を越えて手をつなぎ合うという関係にはなりにくい。その辺りがまさしく「極」の枕詞がつきやすい政治集団の限界である。街宣車でわめき散らす日本の極 右などと同じで、彼らは蛮声をあげて威嚇を繰り返すばかりで他者を尊重しない。従って相手の言い分を聞き、会話し、妥協して協力関係を築き上げる、という民主主義の原理原則が中々身につかない。

そのために彼らは欧州内にあってもそれぞれが孤立し、大きな政治の流れを生み出すには至らない。今後も恐らくそうなるとは思うが、もしもその流れが変わって、彼ら過激政党がお互いに手を組み合うようになれば、それこそ憂慮すべき事態である。そこからさらに進んで過激派が政権を取るような場面があるなら、その時点で世界政治・経済・文化その他の分野における欧州の優越性は、がらがらと音を立てて崩れ去ることになるだろう。

しかし、栄光と、また苦難にも事欠かない歴史体験と、そこから生まれた知恵と良心と誇りに満ちたEUあるいは欧州が、それを許すとはいかにも考えにくい。


ヴェネツィア共和国がよみがえる!?


州都ヴェネツィアの歴史にならう


水の都として名高いヴェネツィアが独立を模索するかもしれない。先日、ヴェネツィアを州都とする北伊ヴェネト州で、イタリア共和国からの分離独立を問うインターネット投票が行われ、参加した住民 の89%が賛成票を投じた。その後、独立を主張する急進派の24人が、ブルドーザーを改造した手製の戦車をヴェネツィアのサンマルコ広場 に持ち込んで、広場を占拠しようと画策していた等の動きも明るみに出た。

周知のようにヴェネツィア共和国は、強大な海軍力を背景に東方貿易を独占して7世紀から繁栄した海洋都市国家である。1797年にナポ レオンに滅ぼされるまで、1000年以上にわたって経済・文化・貿易の一大拠点として地中海に君臨した。同国は往時、アドリア海からイオニア海、さらにエーゲ海へと続く東地中海を席巻(せっけん)し、領地は現在のロンバル ディア州東南部からヴェネト州を含むイタリア本土の東北部と、かつてのユーゴスラビア、ギリシャ、トルコ、キプロス島にまで及んだ。  

ヴェネト州は、同州の州都でもある昔日の海洋都市国家ヴェネツィアにならって、いわば「ヴェネト共和国」としてイタリアから独立すると している。住民投票はヴェネト州の独立を推進する複数の地域政党が主催した。今のところネット投票の結果には法的な拘束力はないが、主催 者は独立へ向けた法案づくりを目指す計画である。

イタリアの心情的独立国家群
 

ヴェネト州の独立運動は、クリミアのウクライナからの独立や、スコットランドの英国からの独立要求などに影響されていると考えられる。それと同時に、一向に改善しないイタリア財政危機への抗議、という側面もある。しかしそればかりではない。イタリアの場合にはこの国独特の歴史背景があって、独立運動やそれに近い混乱が頻発するのである。  

イタリアが統一国家となったのは今からおよそ150年前のことに過ぎない。それまでは海にへだてられたサルデーニャ島とシチリア島は言 うまでもなく、半島の各地域が細かく分断されて、それぞれが共和国や公国や王国や自由都市などの独立国家として勝手に存在を主張してい た。その中には欧州全体で見ても屈指の強国も多くあった。良く知られているのが、例えばルネッサンスを生み出したフィレンツェであり、東 方貿易 と海運業で栄えたヴェネツィアやジェノヴァなどである。そうやって独立国家が乱立していた頃のイタリアの人々の心性は、統一から少し時間がたった今も実は ほとんど変わっていない。  

国土面積が日本よりも少し小さいこの国の中には、周知のようにバチカン市国とサンマリノ共和国という二つのれっきとした独立国家が あり、形だけの独立国セボルガ公国等もあるが、実際のところはそれ以外の街や地域もほぼ似たようなものである。ミラノはミラノ、ヴェネツィアはヴェネツィア、フィレンツェはフィレンツェ、ナポリはナポリ、シチリアはシチリア…と、イタリアは今もってたくさんの小さな独立 国家を内包して一つの国を作っている。  

そういう歴史があるために、1861年に国家が統一され、それから10年後にローマが統一国家の首都となっても、人々は少しも納得していない。ローマはイタリアの首都かも知れないが国の中心では ない。国の中心はあくまでも自分の邦(街)だと言い張って、お互いに協調するどころか反目しあってばかりいる。

カモッラのボスの本音  

TVドキュメンタリーや報道番組のディレクターという仕事柄、僕は長い間イタリア全国を巡り歩いてきた。僭越ながらイタリア人よりもより多くイタリアを見て歩いた、とさえ自負している。そうやってイタリアを旅して回ると、人々の言い分が強い根 拠に基づいたものであることを思い知らされる。前述の各都市や地方は言うまでもなく、古い歴史を持つイタリアの都市や地域は全て、独自の 文化や町並や気候風土や生活様式を持っている。人々の気風も違えば言葉も違う。  

地方中心主義のイタリア人の心性を端的に表すエピソードを、ここで一つ紹介しておきたい。ナポリの犯罪組織「カモッラ」の大ボス、ミ ケーレ・ザガリアが16年間の逃亡生活の後に検挙された時のことだ。彼は逮捕された瞬間にいかにもイタリア人らしい名言を吐いた。即ち、 “Va bbuo…. Ha vinto lo Stato.”(「わかったよ…。国家の勝ちだ」)。  

日本国と自らは一体だと無意識に思い込んでいるほとんどの日本人には、そんなセリフは逆立ちしてもまず思いつかないだろう。せいぜい 「くそ、サツの勝ちだ」とか「サツに負けた」とか、目いっぱい譲って「検察の勝ちだ」などとでも言うところではないか。ザガリアのその呟きは、各地方が独立国家のように存在を主張してツッパリあっているイタリアならではの愉快発言、と僕には見える。  

つまり彼はイタリア人である前に、イタリア共和国内の心情的独立国家「ナポリ国のナポリ人」なのである。そのナポリ人にとっては、統一 国家イタリア共和国は対立する存在である。「ナポリ国民」であるザガリアは、ナポリよりもより大きな「仮の所属国家」イタリア共和国の官憲に逮捕された。つまり国家に負けた。その思いがぽろりと口をついて出たのが「わかったよ…。国家の勝ちだ」という捨て台詞だったのだ。事ほど左様に、イタリア人の地域所属意識とそこから生まれる独立志向の精神というものは強烈である。

余りにもイタリア的な…  

統一国家は生まれたものの、イタリアの各地域には独立自尊の精神が色濃く残っていて、何かにつけて中央政府に盾ついたり旧独立国家間で言い争ったりと、頻繁に軋轢が生じる。そうした独立志向の精神の表れの一つが、今回のヴェネト州独立運動の背 景だ。ところが、ヴェネト州独立模索のニュースは実は、イギリスやアメリカを始めとする欧米諸国また日本などで結構話題になったものの、 当事国のここイタリアでは意外にもそれほど関心を呼ばなかった。地方自治体が住民投票によって分離独立を主張するのは憲法に抵触する可能 性が高いから、この国のメディアはあまり真剣に捉えなかったのだ。  

だがそれ以上に、メディアがニュースに無関心だった理由がある。つまりイタリア共和国からの独立を目指そうとする地域が、五つの特別自治州(※註1)などを筆頭にこの国の中には多くあるため、メディアも国民も「またかよ。だからなに?」という気分で、ヴェネト州での動きを醒めた目で見ていた、というのが真相なのである。

例えばドイツ語圏の南チロルは、今現在は平穏を保っているが、何かあればすぐに独立を画策する爆薬庫だし、シチリア島やサルデーニャ島などにも事あるごとに独立をチラつかせる強い勢 力がある。南部を斬り捨てて北部だけで独立しようと主張する「北部同盟」のような政党が存在するのも周知の事実である。  

今回のヴェネト州の騒ぎに触発されて、地中海の島嶼(とうしょ)州・サルデーニァ州でも独立を求める動きが活発化している。島の活動家 たちの主張はユニークだ。彼らはイタリアからの分離独立ばかりではなく、EU(ヨーロッパ連合)からの離脱も同時に求めるとしている。その方法はなんと、 EUに加盟していないスイスへの編入・統合なのだという。荒唐無稽な主張に見えるが、経済的に貧しい島の人々のイタリア本土への不満や、 EUへの恨みがにじみ出たような要求である。

このように、イタリアには独立志向の地方が多い。実際に独立運動を起こさなくても、隙あらばいつでもイタリア共和国の枠から出てみたい という意志を持つ、かつての都市国家や独立国家が少なからず存在するのだ。

独立自尊の大いなる光と小さな影
 

各地方が勝手に独立を唱えるような状況では、統一国家は当然まとまりに欠ける。イタリアの歴代政権が回転ドアみたいにくるくる変わったり、何事につけ国家としてのコンセンサスがとれていかなかったりするのも、その遠因には常に、独立自尊の心を持つ各地方が我が道を行こうとして喧々諤々の主張を続ける現実がある。

そこには国が混乱するというマイナス面がある。しかし、同時にそこ には大きなプラス面もある。つまり多様性を尊重・重視しようとする確かな哲学の存在であり、それに裏打ちされた精神の開放と自由な発想の乱舞である。誰もが自説を曲げずに独自の道を行こうと頑張る結果、イタリア共和国にはカラフルで多様な行動様式と、あっとおどろくような 独創的なアイデアが国中にあふれることになる。  

そして何よりも大切な点は、イタリア人の大多数が、「国家としてのまとまりや強力な権力機構を持つことよりも、各地方が多様な行動様式 と独創的なアイデアを持つことの方がこの国にとってははるかに重要だ」と考えている事実である。言葉を変えれば、彼らは、「それぞれの意 見は一致しないし、また一致してはならない」という部分でみごとに意見が一致するのである。

それは多様化とグローバル化が急速に進んでい く世界の中にあって、非常に頼もしい態度であり美しい国の在り方だと僕は思う。多様性こそイタリア共和国の真髄なのである。もっと言えば イタリアの多様性を愛するが故に僕はこの国に長く住んでいる・・  



(※註1)シチリア、サルデーニャ、ヴァッレ・ダオスタ、トレンティーノ=アル ト・アディジェ、フリウリ=ヴェネイア・ジュリアの各州。イタリアには州が20あ り、そのうち15州が通常州、5州 が特別自治州である。特別自治州は通常州よりも大きな地方自治権を有している。


小さな大都市ミラノ

加筆再録


2014年5月現在、イタリアは依然としてギリシャ危機に始まる欧州財政危機に端を発した大不況のただ中にある。失業率は13%。15~24歳の若者の失業率にいたっては42%。この数字の実感は、周囲を見回したら若者のほとんどが無職、と言う風である。やりきれない現実がつづく。

その大不況の中で、イタリアのファッション産業は頑張っている。繊維・衣料品・皮革製品などのファッション産業は、機械、金属製品に次いでイタリア第3位の輸出力を持つ。具体的には年間9兆円弱を売り上げ、100万人以上の雇用を生み出している。

ところが、洒落者が多いここイタリアに於いてさえ、ファッション産業を見下す者は多く、若きレンツィ首相が地元フィレンツェ生まれのフェラガモなどに始まる有名ブランドを着たり、それらを重視・擁護する言動をすると「おしゃれにうつつを抜かしている」などとして批判する人々がいる。

それに対してはレンツィ首相は、不況の中での9兆円の売り上げと100万人雇用、という冷徹な数字を示して、ファッションビジネスはイタリアにとって重要な産業だ、と反論するのが常である。言うまでもなく彼の見解は至当だ。

世の中の、真面目で正しくてまともな大人、と見られるような人々はファッションを軽く見る傾向がある。彼らはきっと、皮ジャンを着て若者とテレビで討論をしたり、ブランド物の服や装飾をさりげなく身につけて、自転車で颯爽と街を行くような39歳の「軽い若い」首相が気に食わないのだ。

どちらかと言うと僕もそんな古い人間の1人になりつつある。が、同時にレンツィ首相の如くこの国のファッション産業にはいつも瞠目し賞賛する気持ちでもいる。それは産業としてのファッションの重みに敬服する意味もさることながら、イタリアファッションの中心地・ミラノに対する僕の特別の思い入れからも来ている。

周知のようにミラノは、ニューヨークやパリやロンドンなどと並ぶ世界のファッションの流行発信地である。ファッションの街ミラノを、僕は長い間テレビ屋として観察してきた。テレビの番組制作や報道取材やリサーチ・オーガナイズ等を通して、実際に街と付き合ったりもしてきた。

ミラノでファッションやデザインを取材する時にいつも感じるのは、なぜこの小さな街がロンドンやパリやニューヨークや東京などの巨大都市と対抗して、あるいはそれ以上の力強さで、世界をリードするデザインやファッションを発信して行けるのだろうか、ということである。 

ロンドンとパリは都市圏の人口がそれぞれ約1300万人と1200万人、ニューヨークは2000万人もいる。東京の都市圏の人口3700余万人には及ばな いにしても、巨大な都会であることに変わりはない。それらの大都市に対してミラノ市の人口はおよそ130万人、その周辺部を含めた都市圏でもわずか400 万人ほどに過ぎない。

もちろん人口数が全てではないが、人が多く寄ればそれだけ多くの才能が集まるのが普通だから、小さなミラノがファッションの世界で多くの巨大都市に負けない力を発揮しているのはやはり稀有のことである。

それは多分ミラノが、都市国家の伝統を持つ自治体として機能し、完結したひとつの小宇宙を作って独立国家にも匹敵する特性を持っているからではないか、と考えられる。つまり、ニューヨークやパリやロンドンが飽くまでも国家の中の一都市に過ぎないのに対して、ミラノは街そのものが一国なのである。都市と国が相 対するのだから、ミラノが世界の大都市と競合できたとしても何の不思議もないわけである。

ところで、秀れた才能に恵まれたミラノのファッションデザイナーたちが、新しい流行を求めて生み出す服のデザインは、まぎれもなく一級の芸術作品である。 しかしその芸術作品は、どんなに素晴らしい傑作であっても、たとえば絵画や小説や音楽のように長く人々に楽しまれることはない。言うまでもなくファッショ ンが、流行によって推移していく消費財だからである。

ファッションデザイナーたちは、一瞬だけ光芒を放つ秀れた作品(服)を作るために、絶え間なく努力をつづけていかなければならない。なにしろファッション ショーは、1年間に女物が2回、男物が2回の計4回行なわれる。彼らはその度に、日々の制作とは別に、多くの新しい作品を作り上げていかなければならない。アイデアをひねり 出すだけでも、大変な才能と精進が必要であることは火を見るよりも明らかである。

1994年、44歳の若さで亡くなった偉大なデザイナー・モスキーノが、かつてファッションショーで語ってくれた内容を僕は決して忘れることができない。

モスキーノは当時のミラノのファッション界では、アルマーニやフェレやベルサーチなどと並び称される大物デザイナーだった。同時に彼らとは一線を画す、カ ラフルで斬新で遊び心の強い作品を魔法のように次々に生み出すことで知られていた。彼のファッションショーも、作り出された服と同じでいつもハチャメチャ に明るく賑やかで、舞台劇を見るような楽しさにあふれていた。

ある日彼のショーを取材した後の雑談の中で、ファッションショーの度に次から次へとアイデアが出るのには感心する、というような月並みな賛辞を僕はモスキーノに言った。するとデザイナーが答えた。

「ファッションショーは一つ一つが生きのびるか死ぬかを賭けたテストなんだ。この間何かの雑誌で読んだけど、日本の大学の入学試験はものすごく厳しいらし いじゃないか。ファッションショーもそれと同じだよ。しかも僕らの入学試験は、仕事を続ける限り毎年毎年3ヶ月に1度づつ繰り返されていく。ときどき辛く て泣きそうになる・・・」

駆け出しのデザイナーならともかく、一流のデザイナーとして既に揺るぎない評価を得ているモスキーノが、一つ一つのファッションショーを生きのびるか否かのテストだと言ったのが僕にはすごく新鮮に聞こえた。

季節ごとに一新される各デザイナーの作品(コレクション)は、必ずファッションショーで発表される。そしてそのショーの成否は服の売り上げに如実に反映される。モスキーノはそのことを指して、ファッションショーを生きのびるか否かを賭けたテストだと言ったのである。

ファッションは創作と販売が分かち難くからみついている珍しい芸術分野である。従ってモスキーノが、ファッションショーを生死を賭けたテスト、と言ったのは極めて適切な表現だったと僕は思う。

ミラノには日夜髪を振り乱して創作にまい進する多くのモスキーノたちがいる。だからこそ小さな都市ミラノは、街そのものが内に秘めている都市国家としての心意気も相俟って、世界中の大都市に対抗して今日も堂々とファッションの世界をリードしていけるのだろう。

マフィアの用心棒


マフィアの構成員ヴィットリオ・マンガノが、ベルルスコーニ元首相の厩舎番として雇われていたのは1973年から1975年の間である。彼は元首相の子供たちが誘拐されないよう警戒する役割を担っていた。

マンガノはベルルスコーニ邸を離れて25年後の2000年7月、殺人罪で終身刑を受けて収監され、わずか数日後に獄死した。死因は癌だとされる。彼はベルルスコーニ邸で仕事をしながら、デルトゥリ元上院議員と共にマフィアとベルルスコーニ氏の仲を取り持ったという強い疑いをかけられている。

 デルトゥリ元議員もベルルスコーニ元首相もそれを否定し、それどころか元首相は、マンガノを雇ったとき彼がマフィアの構成員であるとさえ知らなかった、と証言している。その真偽はさておいて、僕は元首相がマンガノを用心棒として雇ったのは許せる出来事であったように思う。 ベルルスコーニ氏が政界に進出した頃は、僕も彼の支持者とは言わないまでも、元首相に好感を抱いている人間の一人だった。しかし時間経過と共に、公私混同の著しい政策やでたらめな言動に嫌悪感を覚えて、僕は長い間彼の批判者であり続けている。しかし、マンガノ事案に関しては、僕はあまり元首相を批判する気にはなれない。そのことは公平を期するためにも言っておくべきだと考えたので、エントリーすることにした。

1960年代後半からイタリアでは誘拐事件が相次いで発生していた。政治がらみのものもあったが、身代金目当ての誘拐事件も頻発していた。裕福な家の子供が誘拐されて、本人であることの証明として耳を切り落とされ、身代金要求と共にそれが家族に送りつけられる、というような残酷なケースも目だった。

実業家として大成して大きな富を得、それをさらに拡大しようとしていた時期のベルルスコーニ氏が、そんな物騒な世情を目の当たりにして、2人の子供の安全を気遣ったのはごく自然なことである。彼は部下のデルトゥリ氏の紹介で強持ての男、マンガノを子供の周囲の監視役として雇った。

 恐らく彼はその時、マンガノがいかなる経歴の男であるかは知らされていたのではないか。マフィアの一員を雇ったこと。部下の中にマフィアとつながる者がいること。そしてマフィアの存在そのものetc、etc・・それらは悪であり、不快なことであり、排斥されるべき事柄であることは論を待つまでもない。長きにわたってイタリア随一の政治家であり続け、首相経験もあるベルルスコーニ氏の場合には特に。

ところが、マンガノを用心棒として雇った1973年のベルルスコーニ氏は、若くして富を得た有能な実業家の一人に過ぎなかった。彼が政界に進出するのはそこから20年以上も先、1994年のことである。子供の安全の為にマフィアの構成員を用心棒として雇った男が、一人の大金持ちなら良くて、政治家なら悪い、というのは筋の通らない話だが、僕はこの件では敢えて筋を曲げて元首相を弁護したい気持ちになるのだ。

なぜなら一連の出来事はここイタリアでの話である。誘拐事件を起こすような連中は、マフィアと直接あるいは間接に関わりがある場合も多いと考えられる。マフィアの真正の構成員であるヴィットリオ・マンガノが、子供の守護役としてベルルスコーニ氏に雇われた事実は、闇のサークルで素早く広く噂として拡散して、誘拐の抑止力になり易かったであろうことは想像に難くない。

元首相と、マフィアに近いとされる彼の右腕のデルトゥリ元上院議員は、そのことを確認しあった上で、例えば民間の警備会社員や元警察官や元軍人などの
「普通の用心棒」ではなく、闇社会に顔の聞く「異様な用心棒」ヴィットリオ・マンガノを敢えて採用したのではないか。

もしそうであるならそのエピソードは、ベルルスコーニ氏が政界進出をしていなかった場合は、きっと誰にも気に留められずに時間の流れに埋もれて消え去っていたに違いない。

そんなエピソードはイタリアにはきっと多い、と僕が感じるこの「感じ」はしかし、この国に住んでみないと恐らく分かってもらえないことなのだろう・・



「政治家ベルルスコーニ」の生みの親



2014年4月12日、マフィアとの共謀罪で有罪判決を受けて控訴していた元イタリア上院議員のマルチェッロ・デルトゥリ氏が、最高裁での審理を前にイタリアからの逃亡を試みて、レバノンの首都ベイルートで逮捕された。

デルトゥリ氏はシチリア島パレルモ市の出身。島を出て北イタリア・ミラノの大学で法律を学んでいた頃、若きベルルスコーニ元首相と知り合った。

デルトゥリ氏は大学を終えて故郷のシチリア島に帰り、銀行家になった。後年、実業家として大成しつつあった旧友のベルルスコーニ氏が、地中海セーリングに訪れて二人は船上で再会した。

氏はそこでベルルスコーニ氏に誘われて島を後にし、元首相のミラノの建設会社に転職した。その後デルトゥリ氏は元首相のビジネス帝国の中で出世を続け、やがてベルルコーニ氏の右腕の一人とみなされるようになった。

そんな折の1992年2月、イタリア共和国に激震が走った。政官財の癒着及び汚職を追及するタンジェントポリの大捜査(Mani puliteマーニ・プリーテ)が開始されたのだ。

ちょうどこの頃、イタリアでは国家とマフィアの戦争と呼ばれる犯罪組織と司法の対決が繰り広げられていた。それは言うまでもなくタンジェントポリ捜査とも深く関わっていた。つまり政官財界の癒着と汚職には、この国の巨大な犯罪組織が大きく関わっていたのである。

司法とマフィアは一進一退の綱引きを続けた。当初はマフィアが有利に見えた。マフィアは大胆にも1992年5月23日、反マフィア捜査のシンボルと見なされていたシチリア島パレルモのジュヴァンニ・ファルコーネ判事を、高速道路に仕掛けた爆弾で殺害した。そのさらに2ヶ月後の7月19日には、ファルコーネ判事の同僚パオロ・ボルセリーノ判事もやはりマファアによって爆殺された。

司法も反撃した。翌1993年1月15日、マフィアのボス中のボスと怖れられていたトト・リイナが23年間の逃亡潜伏の後に逮捕されたのだ。これを機にマフィアへの司法の反撃は勢いづき、大物の逮捕が続くことになる。

リイナの逮捕から2ヵ月後には、3回7期にも渡って首相を務め、戦後のイタリア政界を牛耳ったキリスト教民主党のドン、ジュリオ・アンドレオッティがマフィアとの関連疑惑で捜査の対象になった。またその一ヶ月前の1993年2月11日には、首相を務めたこともあるベッティーノ・クラクシ社会党書記長辞任劇もあった。これもタンジェントポリの汚職に関連した結果だった。

タンジェントポリの大捜査では、1994年までの2年間で400人の国会議員を含む3000人が摘発されたが、捜査対象とされたのは5000人にものぼる。

政界では先ずスキャンダルのあおりを食って、戦後イタリアを牛耳ってきたキリスト教民主党が1994年1月18日に瓦解消滅した。また同年11月には、当時連立政権党だった前述のベッティーノ・クラクシの社会党も崩壊。また西側最大の共産党だったイタリア共産党も1991年には分裂ほぼ消滅していた。

1992年に始まった大々的なタンジェントポリ捜査の包囲網は、2年の間にベルルスコーニ氏の周辺とビジネス帝国にも及ぼうとしていた。このことを敏感に悟ったのが、先日ベイルートで逮捕されたマルチェッロ・デルトゥリ氏だった。事業手腕に加えて彼は政治手腕にも長けていた。

危険を察知したデルトゥリ氏はベルルスコーニ元首相に大胆な進言をした。
即ち:『捜査の目を逃れるために政界に打って出るべき』と主張したのである。司法の攻撃に対抗する手段として政党を立ち上げ、ボス自身が首相を目指すべきだ、と彼は熱心に説いた。

ベルルスコーニ氏は部下の進言を受け入れ、キリスト教民主党の解散と同じ日の1994年1月18日、フォルツァ・イタリア党を旗揚げ。次期総選挙への出馬を表明した。つまりデルトゥリ氏の進言によって「政治家ベルルスコーニ」が誕生することになったのだ。

デルトゥリ氏の狙いは当たった。フォルツァ・イタリア党は政権党にまで急成長し、周知のように党首のベルルスコーニ氏は、以後20年に渡ってイタリア政界を牛耳る大物政治家へと変貌を遂げた。

デルトゥリ氏もフオルツァ・イタリア の創始者の一人として名を連ねた。その後、氏自らも政界に進出して、ボスの進撃と歩調を合わせるようにしてまず下院議員に。2001年から昨年2013年の3月までは上院議員も務めた。

デルトゥリ議員には常にマフィアとの関連を匂わせる黒い噂が付きまとった。事実マフィアの構成員であるヴィットリオ・マンガノが、ベルルスコーニ邸宅の厩舎番として雇われていたが、それはデルトゥリ氏の紹介によっていた。

マンガノは、元首相の幼い子供たちが誘拐されないように目を光らせる役割を負っていた、と言われる。彼は後に殺人罪で逮捕されて獄中で死んだが、マフィアとデルトゥリ氏や元首相の関連については口を噤んだままだった。

デルトゥリ氏は2012年にパレルモ上級裁判所で禁錮7年の有罪判決を受けて控訴していた。だが、冒頭で述べたように、最高裁結審を前にして逃亡を試みて外国で逮捕された。

それはボスのベルルスコーニ氏が、脱税の罪を償うために1年間の社会奉仕活動を開始する時期とほぼ重なっていた。

以心伝心テレパシー、はたまた因果は巡る糸車、か・・・合掌・・




ベルルスコーニの悪運



ベルルスコーニ元首相の適用刑罰が「社会奉仕活動」と最終的に決まった。正式発表は4月15日の予定。

元首相は昨年8月、脱税の罪で禁錮4年と公職禁止を言い渡されていた。

禁錮は恩赦法で1年に減刑され、公職禁止も5年から2年に短縮された。

それでも彼は昨年11月、2年以上の有罪判決が確定した議員を失職させる反汚職法によって、上院議員資格を剥奪され直ちに失職した。

イタリアでは70歳以上の高齢者は刑務所に収監されず、自宅軟禁か社会奉仕活動によって罪を償える、という決まりがある。77歳の元首相もその恩恵を受ける。

ところが自宅軟禁と社会奉仕活動では自由度に大きな違いがある。

自宅軟禁は1日2時間の自由行動が認められるだけ。

その2時間の自由も生活に必要な最小限度の活動の為のみ、と定められてれる。外部との連絡も厳しく監視される。

一方社会奉仕活動の場合は、週に一度、それも半日だけのボランティア活動をすれば済む。

許可なく居住地を変えることはできず、夜11時から翌朝7時までは外出禁止。前科のある者や麻薬中毒者と会うことも禁止等々の規定があるが、基本的には普通の生活と変わらない。

元首相とその支持者は、自由が厳しく制限される自宅軟禁ではなく、ほんの少しの屈辱を我慢すれば政治活動を含むほとんどの行動が許される、社会奉仕活動を希望しその旨裁判所に申請していた。その要望が認められた形である。

これって、結局ベルルスコーニ元首相の完全勝利に近い裁決だと僕は思う。

なぜなら現在の元首相は、脱税判決・議員資格剥奪・未成年者買春容疑・etc、 etc・・と不名誉と恥辱にまみれ切っている。

ところが彼は今でもイタリアの3大政党の1つ「フォルツァ・イタリア」の党首であり、且つ過去20年に渡ってイタリア政界を牛耳ってきたカリスマ性の名残もあって、依然として強い政治力を温存している。

元首相はその強い政治力をさらに拡大したい。できれば最大限にまで。そうすることで、少し対応を間違えればさらなる地獄へと向かいかねない、彼の転落へのスパイラルを断ち切りたいと考えている。

従って元首相にとっては、早くも5月に予定されているEU議会議員選挙で存分に選挙運動をすることもできる、社会奉仕活動がより好ましい選択だったのである。

そういう政治的駆け引きもさることながら、元首相に課された刑罰はほとんど茶番だと僕は思う。

禁錮4年は1年に減刑、公職追放期間は5年から2年へ短縮、且つ刑務所には収監されない等々、元首相は多くの恩恵を受けてきた。

そればかりではない。実は彼の1年の刑は、半年の服役後は45日間の減刑に処する、という法律によってさらに短くなって、10ヶ月半で終了する。

要するに刑罰という観点からは軽い仕置きである。

それは厳罰主義を嫌い、温情主義あるいは人権主義とでも形容できる態勢を取る、イタリアの審判制度から導き出された結論で、元首相だけが特別扱いをされている訳ではない。

僕は厳罰主義を取らないイタリアの司法制度には好感を抱きつつ、それでも正直、もう少しどうにかならないものか、という印象を持つ。

なぜなら元首相の場合は罪状が脱税だ。

イタリアの脱税の状況は酷い。脱税が半減すればイタリアの財政危機は直ちに消える、とさえ言われるくらいだ。

そんな国の1、2を争う大金持ちで、且つ政界を牛耳った20年間のうち、約半分の年月を首相として過ごした男が、脱税で有罪判決を受けたのだ。

彼の腐敗の温床である「政治」活動を制限する意味でも、適用刑をせめて自宅軟禁にできなかったものか、と考えるのは僕だけだろうか。

「琴欧州親方」の誕生は「横綱琴欧州」にも匹敵する快挙だ



横綱鶴竜が誕生した陰で、元大関琴欧州がひっそりと引退した。31歳。残念。

彼は昨年、8年も務めた大関から陥落した。それからたった4ヶ月後、早くも引退することに。ケガが命取りになった。

琴欧州はブルガリアから大相撲界に飛び込んで瞬く間に出世。22歳で大関に駆け登って、横綱になるのも時間の問題と言われた。

だが、連続負傷の不運に泣き、優勝1回きりで低迷した。何度もカド番を経験しながらその都度克服して、大関の地位だけは守り続けた。しかし、ついに力尽きた。

大阪場所途中で引退を表明した彼は、記者会見を開いて自らの相撲人生について涙ながらに語った。とても印象的な映像だった。

僕は琴欧州と、昨年引退した把瑠都の二人の大関が横綱になるのを心待ちにしていた。

ヨーロッパ出身の2人がハワイ、モンゴル勢につづいて横綱になれば、ヨーロッパにおける.相撲への関心が今以上に高まり、若者の入門希望者も増えて大相撲のグローバル化がさらに進む。

角界はそうやってますます発展していくだろう、と容易に予測することができた。

その意味では琴欧州の引退は、把瑠都のそれと同じく極めて遺憾な出来事だ。しかし、福音もある。琴欧州が引退後も親方として日本相撲協会に残る、と決まったことだ。

彼は今年1月に日本国籍を取得しているため、欧州出身力士として初めて、引退後も指導者として日本相撲協会に残ることになった。

大相撲の世界では、外国人力士は日本に帰化していない限り引退後に親方になることはできない。また帰化していても年寄り名跡を取得していなければ残留できない。

だが幸いなことに、大関経験者は3年に限って現役時代の四股名で親方になれる、という特例事項がある。琴欧州はその恩恵に浴し、琴欧州親方として相撲協会に残って、後進の指導にあたることになる。

外国人力士は、国籍や年寄り名跡取得の壁に阻まれて、現役引退後は角界を去る場合がほとんどである。そうではなくても親方として長く務めるケースは少ない。

例外が元関脇高見山の東関親方と、元横綱武蔵丸の武蔵川親方。琴欧州が彼らにならって、3年の特例期間が過ぎても親方であり続けるよう期待したい。

大相撲界は日本社会に一歩先んじてグローバル化を成し遂げた。だがそれは道半ばである。国際化は土俵上で闘う現役力士だけのことであり、大相撲を総轄する親方衆の世界にまでグローバル化が進んでいるわけではない。

そこまで国際化が浸透すれば、真の意味でのグローバリゼーションが成されることになる。そうした観点からも、琴欧州が親方として角界に残るのは朗報である。

大相撲のさらなる発展のためには、力士に続いて指導者の世界もグローバル化されるべきだ僕は考える。しかしそれは、一気に全てを開放して何もかも国際化してしまえ、ということではない。

なぜなら大相撲界が変わるのと平行して、外国出身の親方衆が自らを大相撲の世界に厳しく順応させて行く努力が先ず求められるべきだからだ。

角界のグローバル化とは、大相撲の根幹である日本の心を確実に保ったまま外国人を受け入れる、ということなのであって、日本の真髄を捨てて国際化するべき、という意味では断じてない。

国技である大相撲の伝統を守り発展させていくのは、やはり日本人か日本人に近い心を持つ者でなくてはならないと思う。従って力士引退後に親方として協会に残る者は、日本人として生きていくことに喜びを見出せる人物であるべきだ。

そうした考え方から、親方になりたい外国人力士は日本に帰化するべし、という厳しい規則は妥当なものだと言いたい。日本に帰化したくないなら、外国人力士は引退と共に大相撲界からは身を引くべきだ、と僕は今のところは思う。

誤解を怖れずにさらに言えば、外国出身の親方衆は徹底して日本人になる努力をするべきだ。なぜなら大相撲は、他の分野とは違って「日本的な特殊な世界」であり続けることによって、存在価値が高まる世界だからだ。

日本人力士の衰退が鮮明になりつつある今、大相撲は「グローバル化しつつグローバル化を拒否する」という不条理を体現することによってのみ、生き伸び、発展していくことができるように思う。


僕は一人の大相撲ファンである。スポーツでありエンターテイメントでもある大相撲がサッカーと並んで大好きだ。従って僕が相撲協会の趨勢や力士の動向などに関心があるのは、純粋に一相撲ファンとしてである。

同時に僕は、日本でもっとも保守的な社会のひとつである大相撲が、速やかに国際化を成し遂げた事実に、外から日本を見ている日本人の一人として瞠目してもいる。

多様化とグローバル化が急速に進んでいく世界の中で、今のところ日本はその流れに乗り遅れ、孤立しかけているように見える。僕はそのことに少し不安を抱いている。

そんな中でグローバリゼーションの大波に上手く乗った大相撲の世界は、日本社会全体のグローバル化のロールモデルになり得るのではないか、と僕は日頃から考えている。相撲界の変化に僕が常に関心を抱いているのは、それが理由である。



横綱鶴竜に期待すること



大相撲春場所、13勝以上の優勝で横綱昇進、と言われていた鶴竜が14勝1敗で初優勝した。

これを受けて横綱審議委員会が開かれて、「横綱鶴竜」が誕生することになった。

久々に3横綱が並び立つ大相撲。一相撲ファンの僕はひたすら嬉しい。

2年前に鶴竜が大関に駆け登った頃はすぐにでも横綱になると思った。相撲ファンのほとんどは僕と同じ気持ちだっただろう。

しかし、彼のその後は期待外れだった。大関昇進後の2012年夏場所から昨年九州場所までの勝ち星は、8、9、11、9、8、8、10、10、9、9。

優勝争いにほとんど絡めないどころか、平均するとほぼ常に9勝6敗。ダメ大関の代名詞である「クンロク大関」そのものだった。

ところが、先場所彼は14勝1敗と活躍した。それを基に今場所13勝以上の優勝なら横綱へ、という道筋ができていた。

彼はハードルの13勝を一つ上回って優勝した。従って横綱に推挙されて然るべきだし、また今後もきっと活躍もするだろう。

いや、活躍するべきである。なぜなら、大関時代の彼の成績を思えば、横綱昇進に至った基準が正直言って少し甘過ぎるように見える。その疑念を吹き飛ばすには、土俵上で暴れまくるしかないだろう。

横綱昇進直前の彼の2場所の成績は、優勝同点の14勝1敗と、その次の場所つまり今場所の14勝1敗での優勝。それだけを見れば文句のつけようのない成績である。

だがその前の場所は「いつもの」クンロク、9勝6敗に過ぎなかった。昇進直前の3場所を通して見ると、横綱の条件の一つである安定感に欠けるきらいがある。

また彼の取り口のうちの悪癖である“はたき込み”での勝ち星も多い。3場所前の9勝のうち、はたき込みでの勝ちが5番もある。次の場所でも14勝のうちやはり5勝ははたき込み。

綱取りの春場所こそ3勝と少な目だったが、取り組み中に何度も引き技を見せる場面があった。

引き技の“はたき込み”は相撲のりっぱな技の一つである。だが攻めるよりも受身の勝ち技であり、多用すると墓穴を掘る。また安易に勝ちに行く傾向の強い技で安定感もない。

そして何よりも、真っ向勝負を避けて「逃げながら勝つ」という印象があって、見た目が良くない。横綱相撲にはなりにくいのである。

加えて鶴竜は、上位陣のライバルにはからきし弱い、という欠点もある。2日前に終わった春場所とその前の初場所では、上位陣相手にも強さを見せた。しかしそれまでは横綱、大関との対戦成績が極端に悪い。特に白鵬には4勝30敗(優勝決定戦を含めると32敗) と大きく負け越している。

鶴竜が白鵬に初めて勝ったのはつい最近のこと。また4勝のうちの2勝は今場所と先場所のもの。それまでは非常に対戦成績が悪く、初勝利までに21連敗と全く歯が立たなかった。

日馬富士にも良く負ける。最近引退した元大関の把瑠都や琴欧州を含む大関全員にも負け越している。

しかし、今回彼は2場所連続で横綱、大関陣を全て撃破。初場所は日馬富士が休場していたものの、一皮向けた力強さも見せた。だからこそ、横綱審議委員会は彼を横綱に推奨することを決めたのである。

そうは言うものの鶴竜は、取り口の問題や垣間見えるひ弱さを別にすれば、人品においては既に横綱と呼ばれるべき域に達していると思う。控えめな性格、高い知性、また穏やかで礼儀正しい物腰は、今後きっと彼が獲得するであろう安定した強さと相まって、必ず鶴竜の「横綱の品格」を形成して行くだろう。

そうしたこと以外にも鶴竜にはぜひ意識して精進してほしいことがある。それは大関として多大な実績を残し、また綱取りの機会には横綱昇進の条件を彼以上に満たしていたと考えられるにも関わらず、横綱に推挙されなかったハワイ出身の元大関小錦のことだ。

小錦は1991年~1992年に13勝、12勝、14勝と3場所連続で好成績を残した。このうち13勝と14勝は優勝した勝ち星。普通なら横綱に推挙されて然るべき成績だが、見送られた。大相撲の歴史では、それよりも見劣りのする成績で横綱になった者も少なくないのに、である。

小錦の横綱昇進が見送られたのは人種差別が原因ではないか、という議論が当時沸き起こった。

相撲協会はもちろんそれを否定し、それを口にしたとされる小錦は、バッシングさえ受けて罰則(謝罪)を課せられた。

その出来事の真相は闇の中ということになっているが、今ならもう断言してもいいのではないだろうか。あれは人種差別だったのだと。

目立つ外国人幕内力士と言えば、高見山に続いて小錦自身しかいなかった時代、外国人が「国技」大相撲の横綱になるという現実は、大相撲界もまた日本社会全体もきっと受け入れ難かったのだろうと思う。

差別という言葉を軽々しく使うべきではないが、当時の日本社会には戸惑いがありその戸惑いが小錦の横綱昇進を阻んだ。つまりそれは、やはり差別だったのだ。

大相撲はその負の歴史を克服して、間もなく曙と武蔵丸という外国人横綱を誕生させ、さらに朝青龍、白鵬という歴史に残るモンゴル人大横綱も誕生させた。

今や大相撲には外国人力士への差別はほとんどない、と言っても過言ではないだろう。

鶴竜はそうした歴史の恩恵も受けて大相撲の最高位に就いた。精進して名横綱・大横綱を目指してほしい。

また大相撲界が、日本の伝統の真髄を守りつつ、さらなるグローバル化を目指して発展するよう、外国出身横綱としてぜひ心を砕いてほしい。

なぜなら閉鎖的な日本社会の中で一歩先んじてグローバル化を成し遂げた大相撲界は、この先日本が決して避けては通れないであろう社会全体のグローバリゼーションの手本として、確固たる地位を築く可能性も大いにあるのだから・・。


「不惑」という困惑

加筆再録


僕から見ると若いアラフォー世代の友人女性が、不惑という言葉を知って少し困惑したような、困惑しなかったような、不思議な気分になった様子の連絡をくれた。

そうした世代の男女の友人を見ていると、40歳という年齢に強い感慨を抱いたり不安を覚えるような言動をするのは、男性に比べて女性の方が多いように感じる。

40歳をあらわす不惑という言葉は、言うまでもなく論語の「40歳(しじゅう)にして惑わず」から来ていて、それは人生、つまり寿命が50年程度だった頃の道徳律、と解釈すれば分かりやすいのだが、正確に言うと少し違うようだ。

論語の一節であるその言葉を残した孔子の時代、つまり約2500年前は人間の平均寿命は50年よりもきっと短いものだったと考えられる。人間の平均寿命が 50歳ほどになったのは明治時代になってからという説さえある。人間は長い間短命だったのである。

でも2500年前の孔子でさえ72歳まで生きている。また70歳をあらわす古希という言葉もあって、それは周知の如く「70歳は古来、希(まれ)なり」のことである。つまり当時は70歳まで生きる者は「昔からひどく珍しい」と言われるほどの長生きだったのだ。孔子はその希な人間の一人だった。

過去の時代は全て「人生50年」ほどの世の中だった、という日本人の思い込みの多くは実は、織田信長が好んだ敦盛の中の「人間50年 下(化)天のうちを比ぶれば 夢まぼろしのごとくなり~♪」の影響が一番大きいように見える。

そこで言う人間50年とは平均寿命が50年という意味ではないが、人の生命は宇宙の悠久に比べるとあっという間に過ぎず、たとえ50年を生きたとしても宇宙の一日にしか当たらない、まことにはかないものだ、ということだから、拡大解釈をして平均寿命50年の人生、というふうに考えても当たらずとも遠からずというところだろう。

要するに、今現在の平均寿命である約80歳はさておいても、2500年前の孔子の時代から江戸の頃まで、大ざっぱに言って人間はやっぱり50歳程度が平均寿命だった、と考えてもいいと思うのである。

あるいは人々が願った長生きの目標が50歳程度だった、とか。はたまた、正式な統計があったわけではないが、50歳まで生きることができればラッキー、というふうに人々は感じていた、とか。

その伝で行くと、不惑の次の「知命」つまり「50歳にして天命を知る」とは、死期に至った人間が寿命や宿命を知るということになり、さらにその次の「還暦」の
60歳は、おまけの命だからもう暦をゼロに戻してやり直すということである。

そんなふうに人間が短命だった頃の70歳なんてほぼ想定外の長生き、希な出来事。だから前述したように古希。

さらに、88歳をあらわす「米寿」という言葉は、88歳なんていう長生きはある筈もないから、八十八をダジャレで組み立てて米という文字を作って「米寿」、というふうにでも決めたんじゃないか、と茶化したくなる。

何が言いたいのかというと、年齢を気にして「年相応に」とか「年甲斐も無く」とか「~才にもなって・・」などなど、人間を年齢でくくって行動や思想や生き方を判断しようとするのは、実に偽善的でつまらないことだと思うのである。

40歳を意味する不惑という言葉にも、精神の呪縛をもたらす東洋的な閉塞感と狭量と抑圧の響きが充満していると思う。少なくとも僕が好きで住んでいるここ西洋には、全くないとは言わないが、人を年齢で縛る考え方はほとんどない。

そういうところも僕が西洋文化を好きなった一因である。感じるままが年齢だ、という生き方に憧れを抱いている僕にとっては、年齢をあまり気にしない欧米社会の風通しの良さは心地よいのだ。

40歳でも惑いまくり悩みまくるのが普通の人間であって、それは人生50年の時代でも同じだったはずだ。ましてや人生80年の現代、40歳の若さで悟りきって惑わない、つまり「不惑」者がいるとするなら、その人こそまさに「古来希な」大天才か、あるいは重いビョウキか何かなのではないか。

僕はもう過ぎてしまった不惑からの時間よりも還暦までの時間の方が短くなったオヤジーだが、不惑なんて少しも気にしないまま(惑いまくってそれを気にする暇などないまま)ジーオヤになって、しかもそれが当たり前だと腹から思っている男である。

それどころか、還暦になっても、また運良く古希とか喜寿(77歳)とかまで生きることがあっても、きっと相変わらず惑い、悩み、葛藤し、妄想して、煩悩の中に居つづけるだろう。

いや、きっとそうしていたい。なぜならそれが生きているということであり、悩まなくなった人間はもはや死人と同じだと思うから。

惑い、悩み、葛藤し、妄想して、煩悩の中にいることこそ生きるということであり、生きている限りそれもまたきっと人生を楽しむ、ということなのだろう。

楽しむ、というのが言い過ぎなら、そうした人生の負の側面でさえ「生きていればこそ」と考えて立ち向かうこと。あるいは積極的に受け入れて肯定すること。つまりそれから目をそらさないこと。

そんな考え方は、言うまでもなく別に僕の発見ではない。禅の教えの根本である。いや、分かった風を装ってはならない。僕のここまでの浅い知識の範囲で理解している禅の根本である。

そうしてみると、不惑を意識して悩んでいる女性たちは、男などよりも人生を楽しむ術を知っている優れもの、ということにもなるのだが・・


女性の日



(加筆再録)


今日(3月8日)は女性の日。ここイタリアでは、ミモザの花がシンボルである。

女性祭り、ミモザ祭りなどとも言う。

ミモザは黄色い球形の小さな花が蝟集(いしゅう)して、枝からこぼれるように咲き乱れる様子が美しい。

2011年3月11日、僕はイタリアにおける女性の日についてブログに書こうと考えて「3日遅れのミモザ祭り」とか「フェミニズムとミモザの花」とか「ミモザって愛のシンボル?闘争のシンボル?」・・などなど、いつものようにノーテンキなことを考えながらPC の前に座った。

そこに東日本大震災のニュースが飛び込んだ。衛星テレビの前に走った僕は、東北が大津波に飲み込まれる惨劇の映像を日本とのリアルタイムで見た。息を呑む、という言葉が空しく聞こえる驚愕のシーンがえんえんと続いた・・

そうやって3月8日の女性の日は、僕の中で、日付が近いという単純な話だけではない理由から東日本大震災と重なり、セットになって住み着くことになってしまった。おそらく永遠に(僕が生きている限りという意味で)。

女性の日は元々、女性解放運動・フェミニズムとの関連が強い祭り。20世紀初頭のニューヨークで、女性労働者たちが参政権を求めてデモを行なったことが原点である。

それが「女性の政治参加と平等を求める」記念日となり、1917年にはロシアの2月革命を喚起する原因の一つにさえなった。

1975年には、国連が3月8日を「国際婦人デー(日)」と定めた。

しかし、この「国際婦人デー(日)」が、目に見える形で今でもしっかり祝福されているのは、僕が知る限りどうもロシアとイタリアだけのようである。

ロシアでは革命後、3月8日を女性解放の日と位置づけて祝ったらしい。だが今ではフェミニズム色は薄れて女性を讃え、愛し、女性に感謝する日として贈り物をしたりして寿ほぐ日になった。

ロシアの状況はイタリアにも通じるものがある。

イタリアでは3月8日には、ミモザの花を女性が女性に送るとされる。それには女性たちが団結してフェミニズムを謳歌する、という意味合いがある。

が、実際にはそう厳密なものではなく、ロシア同様にその日は女性を讃え、愛し、女性に感謝をする形がほとんどのようである。

男が女にミモザの花を贈るという習わしは実は、元々イタリアにあったものである。恐らくそのせいだと思うが、女性の日をフェミニズムに関連付けて考える人は、この国にはあまり多くないようだ。

イタリアきってのシンガーソングライター、ファブリツィオ・デアンドレは彼の名作の一つ「バーバラの唄」の中で

「♪~あらゆる夫婦のベッドは
 オルティカとミモザの花でできているんだよ
 バーバラ~♪」

と歌った。オルティカは触れると痛いイラクサのこと。

結婚生活は山あれば谷あり、苦楽でできているんだよバーバラ、と言う代わりに「夫婦のベッドはイラクサとミモザで作られているんだよ、バーバラ」と艶っぽく表現するところがデアンドレの才能だけれど、そういう言い回しができるのがイタリア語の面白さだとも考えられる。

だって、これを正確な日本語で言い表すと「夫婦の褥(しとね)は~でできている」とか「夫婦の寝床は~でできている」とかいうふうになって、とたんにポルノチックな雰囲気が漂い出しかねない・・

ミモザは前からそんなふうに僕に多くのことを考えさせる花だったが、そこに東日本大震災のイメージが重なって、いよいよ複雑な感情移入をしないではいられない「なにか」になってしまった。

伊最年少首相、嵐の中への船出



レンツィ政権発足から一週間が過ぎた。

一週間では何も変わらず、今日現在のイタリアの失業者数は約3百30万人、率にすると12、9%に達する。

イタリアが先進国の中で最も大きな借金を抱えて苦しんでいた1970年代後半以来の高率。若者の失業率に至っては42、4%という異常事態である。

これらの数字は、レンツィ政権発足直前よりもほんのわずかだが悪化したと考えられている。

早計は禁物だが、レンツィ政権は既に失敗したようにさえ僕には見える。

一週間で何も変わらなかったからではない。変革の予兆というものがほとんど感じられず、国民の熱狂がゼロだからだ。

熱狂とは言わないまでも、国民の熱い期待感が全くと言って良いほど姿をあらわさない。それはきっと期待する気持ちが人々にないからではないのか。

まさにイタリア語で言う:piu` cambia, piu` rimane uguale(変えれば変えるほど全てが同じ)状態である。

それらの極めて重大な問題、あるいは疑問は、ひとえにレンツィ政権が総選挙を経ないで成立したことに起因している。

レンツィ首相は、前任のレッタまたその前のモンティ両氏に続く、選挙の洗礼を受けていない3人目の首相だ。政権基盤が極めて脆弱である点も共通している。

政権党の民主党は、イタリア下院では過半数を制しているものの、上院では少数派に留まっている。そして悩ましいのは、上院と下院が全く同等の力を与えられている事実だ。それはつまり、政権のあらゆる政策が、上院によって潰される可能性があることを意味する。

先日、レンツィ内閣は上院で信認されたが、それは新首相の演説を聞く議員の冷ややか過ぎるほど冷ややかな態度と、院全体に漂うしらけ切った空気の中で進行した。

上院のタヌキ議員の多くは、この年若い「生意気な」首相への反感を隠そうともしなかった。なにしろ新首相は、上下両院が対等な力を持つ現在の状況を変えて上院の力を削ぎ、例えば日本の衆議院の優越に近い、下院の優越制を導入したいと考えている。

恐らく彼ら上院議員にとっては、国家の危機よりも今の自らの地位の方が百万倍も重要なのだ。だからモンティ及びレッタの2政権の改革案も全て潰してきた。なぜ今、過去の二人とほぼ同じ条件と資格で首相になったレンツィ氏に賛成し、サポートをする必要があるのだろう。

タヌキ議員らの考えには一理がないこともない。なぜなら彼ら自身は選挙によって国民の負託を受けている。話し合いと言えばまだ聞こえがいい が、つまるところ選挙を介 さない、謂わば「談合」によって首相になった男の言うことなど聞く必要はない。それよりも何よりも、こいつはたった39歳の若造ではないか・・・新首相の 演説を聴く振りをしていた、守旧派のタヌキ議員らの腹のうちは、きっとそんな具合いだったのだろう。

この前の記事にも書き、さらに何度も繰り返すようだが、レンツィ政権の巨大なアキレス腱はやはり選挙の洗礼を受けずに誕生してしまった事実だと思う。

税の優遇策を早速打ち出した点などが、国内外のビジネス界からは歓迎されているが、強い政権基盤を持たないレンツィ首相が、抵抗勢力を抑えて約束を確実に実行できる保証は無い。

前述したように、レンツィ政権の支持基盤は彼が追放したレッタ前政権のそれとほとんど変わらないのだ。分裂しつつある「五つ星運動」の議員を取り込む目算もあるにはあるが、党友のレッタ首相を裏切って自らの党内に敵を作ったために、たとえそれがうまくいっても相殺される可能性も高い。

首相自身の若さとカリスマ性を別にすれば、前政権と比較したレンツィ内閣の新しさは、閣僚の半分を一気に女性にした点くらいだ。だがその斬新も、真の変革ではなく「見せかけ」のような雰囲気がある。あるいは首相自身のエゴを目立たせるための道具に過ぎないようにさえ見える。

やり方があまりにも突然で、真に女性の能力を評価した結果のなのかどうか、という疑問がどうしても払拭できないのだ。「女性起用が流行り」だから、という軽いノリでの動きではなかったのか。どうにも信憑性が薄い。

レンツィ首相は、彼の最大の武器である若い勢いやカリスマ性が空回りをして、早くも孤立という落とし穴にはまりかけているのではないか、とさえ僕は考えてしまうのだ。

そしてこれもまた繰り返しになるが、僕は自分の見立てが間違っていることを心の底から願っている。

なぜなら、もしもレンツィ政権がコケるようなことがあれば、イタリアの近未来は絶望的なまでに暗い、、と真剣に考えるからだ。

というのもレンツィ氏の後には、イタリアにはもう有望な人材などいないように見える。下手をすると、イタリアの現在の危機を招いた張本人であるあのベルルスコーニ元首相が復活、などという悪夢のようなシナリオが現実にならないとも限らない。





イタリア史上最年少首相はもしかして年若い老人?



イタリア史上最年少、39歳のマッテオ・レンツィ首相が誕生した。カリスマ的な男は弱冠34歳でフィレンツェ市長になり、昨年は38歳でイタリア最大政党民主党の党首に選ばれた。

レンツィ氏には国政経験はないものの、最近は全国的な人気も高まって、政治腐敗と財政危機に苦しむイタリア共和国の救世主になるのも時間の問題と見られていた。

僕自身も氏にずい分と注目し期待を膨らませてきた。またこの若き政治家への期待をそこかしこで結構熱く語ったり書いたりもしてきた。期待通り、彼は今イタリアのトップになろうとしている。僕は大いに満足するはずなのに、どうしても手放しでは喜べない気分でいる。

それというのも、レンツィ氏が政権を手中にした一連の動きになんとしても違和感を覚えてしまうのだ。「革命」と表現するのは言い過ぎだろうが、イタリア政界に大きな変革をもたらしてくれるであろう男にしては、政権を獲得した手法がひどく古臭くて気持ちに引っかかる。

レンツィ氏は、昨年4月に発足したばかりの同じ民主党主導のレッタ内閣を、政治経済改革の進行が遅いとして激しく責め立てて崩壊させ、党友のエンリコ・レッタ首相を辞任に追い込んだ。

その後、ナポリターノ大統領からの首班指名を受けて各党と協議を進めて来たが、その過程では多くの醜聞にまみれた天敵のベルルスコーニ元首相とも会って、選挙制度改革案 について合意を取りつけたりしている。

そうした動きを大胆として評価する声もあるが、僕はどうも腑に落ちない。もちろん駆け引きも重要な政治手腕だ。でもそれは時と場所を間違うと因循姑息に見えかねない。そして、レンツィ氏の一連の行動は、残念ながら僕には策動とも呼びたくなるような行為にさえ見える。

レンツィ氏が政権に至る形は僕の中のイメージでは次のようなものだった。

彼は近い将来満を持して総選挙に打って出る。氏は高い人気と実力で有権者の心を鷲づかみにして、民主党が地すべり的な大勝利を収める。僕は別に民主党の支持者でもなんでもないが、同党が選挙に勝つことが、レンツィ氏の政権樹立につながる。だからそう期待してきたのだ。

選挙後に晴れて首相に就任する彼は、国民の熱い支持を背景に一気に政治改革を断行。また経済、雇用、社会保障その他の多くの懸案にも大ナタを振るい、守旧派を一掃してイタリア共和国をよみがえらせる…。

イタリア政界に彗星のごとく現れたレンツィ氏には、十分にそんな能力と運と哲学と知略が備わっているように見える。なのに彼が選んだのは、密室政治と非難されても仕方のない「選挙を経ない」政権樹立の道だった。

イタリアは曲がりなりにも民主主義国家である。国民の圧倒的な支持と負託がなくてはこの国の根深い構造的問題は解決できない。

根深い構造的問題の一つが政治である。そしてイタリアの政治の根本問題とは、ひとことで言えば「合意できない」国政ということである。多くの政党が乱立してそれぞれが勝手なことを言い合って紛糾するのが、イタリアの国会である。

なぜそうなるか。直接の原因の最大のものは、上院と下院が全く同等の権限を持つ、という政治システムである。それはかつてムッソリーニに権限が集中したことへの反省から生まれた仕組みだ。歴史と文化の要因もある。つまりイタリア共和国が徹底した多様性重視の国である、という恐らく政治制度よりも重要な契機だ。

古代ローマ帝国が崩壊した後、イタリア半島には多くの都市国家が乱立して繁栄した。国々の独立自尊の精神は、統一国家が成立した1861年以降も色濃く残って、今日でも多様性が最重視される。それは国家が一枚岩になって政治を遂行する際の大きな障害になる。多様性という言わばイタリア共和国のもっとも輝やかしい部分が、政治的にはこの国の最重篤な欠陥となるのだ。

だからこそこの国には、選挙で一番多くの支持を得た政党が、たとえ過半数に満たなくても「過半数に見合う勝利を得た」という形にして政権を担う、という法律が導入された。いわば総選挙におけるボーナス制度だ。昨年2月の総選挙で、過半数に満たない得票しかなかった民主党が、政権党となってレッタ内閣が発足したのもその制度のおかげである。

イタリアでは上下両院ともに比例代表制で、有権者が支持する候補者に直接投票できない。それは問題だとする意見が根強い。また前述の選挙結果ボーナス制度も、昨年12月に最高裁で憲法違反という判決が出ている。問題だらけなのだ。

だからといって、気軽にその制度を無くしてしまえば、小政党やグループや個人の主張と要求と論戦が頻発して収拾がつかなくなる。今でも激しい喧嘩や言い合いや誹謗中傷合戦が、さらにエスカレートするのが目に見えている。つまり政権の運営はおろか、政権の樹立さえ困難な状況が慢性的に続く可能性さえあるのだ。

現下のイタリアの政治状況では、そうした閉塞をただちに打破するおそらく最善の方法は一つ。若いカリスマ的なリーダーのレンツィ氏が、選挙に打って出て圧倒的多数で勝利を収めることである。国民的人気を持つ強い指導者が、一気に中央突破を図る以外には解決の道はないように見える。

そしてレンツィ氏には十分にその可能性があった。「あった」と過去形で言うのは、今回彼が朋友のレッタ首相を追い落として自らが組閣する道を画策したことで、せっかくの可能性をつぶしてしまったのではないか、と危惧するからである。今あわてて頂点に立つよりも、もうしばらく我慢して国民的要望が燃え上がるのを待つべきだったのではないか。そのときに選挙に打って出て大勝すれば理想的だったのではないか、と。


好意的に考えれば、レンツィ氏が総選挙を要求しなかった、あるいはできなかったのは、選挙制度が違憲、という最高裁判断に不安を覚えたからかも知れない。だが、それだからこそ、そのことを争点の一つに総選挙に持ち込んで勝利して、ひと息に選挙制度を改革することができた、という考え方もある。

今の状況ではレンツィ政権には強い支持基盤がない。彼が引きずり倒したレッタ前政権同様、党外に協力者を求めて連立政権を打ち立てるしかないし、また実際にそうなった。つまり、政権基盤はレッタ内閣とほぼ同じなのである。そしてレンツィ氏が改革の遅滞を指弾したレッタ前政権はまさに、主として連立政権内の守旧派及び抵抗勢力によって行く手を阻まれ続けたのだ。その同じ障害を彼はどのようにして手なずけ克服して行くのだろうか。

レンツィ新首相の若さとカリスマ性が求心力を発揮して、奇跡が生まれる可能性ももちろん大いにある。だが僕には、選挙で民意を問わずに成立したレンツィ政権が、果たして魑魅魍魎の跋扈するイタリア国会をまとめ、説得し、納得させて一大改革を成し遂げられるのか、疑問も残るのだ。やり方が拙速に過ぎたような気がしてならないのである。

僕はイタリア政界の変革を心から待ち望んでいる。「レンツィ氏はもしかすると年若い老人なのではないか」という、にわかに沸き起こった自分の中の不安が杞憂(きゆう)であることを願いつつ、新政権の行方を注意深く見詰めて行こうと思う。


奴隷も怒るに違いないローマ人の体たらく



「古代ローマ人は奴隷を所有していた。現代のローマ人はミラノ人を所有している」

古代ローマ帝国の人々が、奴隷に労働を任せて自身は楽で豊かな生活を送った史実を踏まえて、北イタリアの勤勉なミラノ人は良くそう嘆く。

周知のようにイタリア経済を牽引しているのは、首都ローマではなく商業都市ミラノである。そのことに揺るぎない自信を持っているミラノ人は、そこから来る余裕と、怠惰なローマ人への怒りを込めて、自虐と諧謔が入り混じった複雑な心境を自ら口にするのである。

ミラノ人がそうやって自分自身を笑っている間は、彼らの心にはまだゆとりがある。彼らの気持ちが切羽詰っていない限り、イタリアの「いつもの」経済問題にも救いの道が残されていることが多い。だが、ミラノ人の余裕も切れかけて、事態の深刻さが日々募っているのが、今のイタリアの危機的な財政状況である。

悪名高いイタリア・ローマのPalazzinari(パラッツィナーリ)の悪名が、先日ついにピークに達した。

Palazzinari(パラッツィナーリ)とは建設業者を示す蔑称で、「ハコモノ屋」「ビル屋」あるいは「土建屋」などといったニュアンスがある。

観光業を別にすると、ローマにある産業(らしきもの)はRAI(イタリアのNHK)と映画撮影所のチネチッタくらいのものだが、それだけでは首都の経済は立ち行かない。そこで台頭したのが、古い建物を修改築したり新規に建てたりする建設業である。産業のない歴史都市でそれは隆盛を極めることになった。

その全てを仕切っているのがPalazzinari(パラッツィナーリ)である。それは戦後のイタリアをほぼ半世紀に渡って牛耳ってきた、キリスト教民主党(イタリアの自民党)と癒着した巨大利権だった。その利権は、94年の同党の崩壊の後に権力を握った、ベルルスコーニ氏を首魁とする勢力に受け継がれた。そうやってハコモノ屋が跋扈するローマの状況にはさらに拍車がかかった。

元々が土建屋であるベルルスコーニ氏は、政権を握ると自らの所有する民放ネットワークに加えて、首都を拠点にする公共放送網RAIにまで影響力を行使するかたわら、首都のハコモノ屋らにも隠然たる影響を及ぼし続けた。彼はイタリア政界を牛耳る政界のドンであると同時に土建業のボスでもあり、さらにメディア王の称号までも与えられていた。ベルスコーニ氏はまさにイタリアの帝王と呼んでも構わないほどの権力者であり続けた。

そうした流れの中で、官僚組織を発明したともいわれる巨大官僚国家・古代ローマ帝国の末裔であるローマ市の現代の官僚と、Palazzinari(パラッツィナーリ)が結びついて癒着を深めるだけ深めていった。

そんな折の2014年1月末、次のようなおどろくべき数字が公表された。ローマ在住の役人と土建業を主とするハコモノ屋ら1657人が、それぞれ500軒以上のマンションを所有する、という事態が明るみに出たのである。それらの金持ちのほとんどが税金を払っていないか、払っていても全く本来の額に達しないものであることが明らかになっている。

中でもこれまでのところの圧巻は、ローマ市に1243軒のマンションを所有するアンジョラ・アメッリーニという女性。父親がローマ市の最も有力なPalazzinari(パラッツィナーリ)の一人だった彼女は、現在は住民票をモンテカルロに移しているが、つい最近までれっきとしたローマ市の住人だった。それでいながら彼女は、マンションの売買や賃貸等々にかかる税金を一切支払っていないのである。

彼女の父親レナート・アッメリーニは、かつてのイタリアの支配者・キリスト教民主党と切っても切れないほどの癒着関係にあった。その縁で娘のアンジョラも政治家との腐敗癒着にまみれて行き、やすやすと税金逃れをしてきたのである。彼女と似た境遇にあるのが、一人一人が500軒以上のマンションを所有する先の1657人(アッメリーニを含む)である。僕はこのニュースを聞いて強い憤りを覚えた。

財政危機のまっただ中にあるイタリアの経済状況にも関わらず、巨大な富を蓄積したそれらの人々が平然と脱税をしているのは許しがたい。イタリアの脱税額は1年で2000億ドル、20余兆円程度(それよりもはるかに多いという説もある)と見られているが、ローマの官僚とPalazzinari(パラッツィナーリ)が癒着して、そうした不正に大きく関わっているらしいことが徐々に明らかになってきた。

Palazzinari(パラッツィナーリ)などに代表される不正は、過去20年に渡ってイタリアの政財界を文字通り牛耳り、仕切り、思うように操ってきた、ベルルスコーニ元首相の失脚に伴なって表に出てきた。イタリア財政危機の責任者であり、政敵から戦後最大の不況の元凶だとさえ非難される、ベルルスコーニ氏の権威の失墜と共に見えてきたそれらの変化は、あるいは腐敗したイタリア政財界の膿が出ようとする兆候なのかもしれない。

もし僕のその見方が正しいのなら、それはEU・ヨーロッパ連合の影響力でマフィアの力が削がれ、バチカン改革派のフランシスコ教皇の出現によって、ローマ教会の洗浄がなされようとしている世情などともきっと無縁ではないように思う。

出た膿が清算され、不正をはたらいた者たちが断罪されて正義が勝つようなことがあれば、イタリアはもしかすると歴史の大きな曲がり角にさしかかることになるのかも知れない。それも大きな良き曲がり角に。

ま、そんなものはいつもの僕の願望、希望的観測に過ぎない、と誰かに言われれば、返す言葉もないのだけれど・・

書きそびれた事ども(2014年1月)



《書こうと思いつつ流れてしまった時事ネタは多い。そこで、いつものように、できれば将来どこかで言及したいという意味も込めて、自分にとって引っかかる出来事の幾つかを列記しておくことにした》

 

サッカー

 

いわずと知れたセリエA10人目の日本人選手、本田圭佑の可能性について。セリエAで実績といえるほどの活躍をした選手は、中田英寿、中村俊輔、森本貴幸、長友佑都の4人だ。パイオニアの三浦知良を含むその他の選手は何の実績も残さないままイタリアを去った。活躍した、また活躍中の四人の中で突出しているのは、中田英寿の存在だが、僕は本田圭佑はあるいは中田を越えるのではないか、越えてほしいと密かに期待している。

 

ベルルスコーニ


脱税で有罪判決を受けている彼は、刑務所に入る代わりに社会奉仕活動をするはずが、未だに大きな顔で自由を謳歌している。一体なぜ?理由はミラノ監視裁判所(il tribunale di sorveglianza di Milanoが時期と服役の形を決定するため(社会奉仕か自宅軟禁か)。また彼と似た罪状の者が列を作って裁判所の決定を待っているため、元首相の番が中々回ってこない。そこには多分、彼の刑の執行を遅らせようと暗躍する関係者の存在もあるのではないか、と僕は個人的には考えている。

 

バチカン


もしかするとフランチェスコ(フランシスコ)教皇は、偉大なヨハネ・パウロ2世をも越えるカトリック教会の金字塔的存在になるのではないか、という僕の期待と敬愛の根拠のあれこれ。僕はキリスト教徒ではないが、ローマ教皇には一方ならぬ関心と敬意を抱いて動向を見つめている。


現教皇はバチカンの改革に本気で取り組んでいて、保守反動のクーリア(バチカン内の官僚組織)が暗殺計画を練っているという物騒な噂さえある。

 

大ヨハネ・パウロ2世の力で前進した、世界12億人もの信者の心の拠り所であるバチカンは、ベネディクト16世時代に後退あるいは停滞し、いまフランチェスコ教皇によって再び希望の光を見出したように見える。そうであってほしい。


マフィア


現在のマフィアのトップはマッテオ・メッシーナ・デナーロと見られている。ほぼ20年に渡って逃亡潜伏している彼の行方と、服役中のトト・リイナが「マフィアの仕事はイタリア本土ではなく、シチリア島内のみで行なわれるべき」と発言した奇怪な動きの間には、何らかの関連性があるのかどうか。

 

数年前、シチリア島の中心都市パレルモで、メッシーナ・デナーロの顔を建物の壁に描いた落書きが出現して大きなニュースになった。マフィアの大物の逮捕前には、リーク情報のような話題が突然出現するケースが多い。壁の似顔絵はメッシーナ・デナーロの逮捕が近いことの現われかと見えたが、そのまま時間が過ぎて彼の行方は杳として知れない。刑務所の中のトト・リイナは、もしかして彼がどこにいるのか知っている?

 

イタリアから見る靖国参拝、名護市長選挙、イルカ漁など、など


安倍総理の靖国参拝とケネディ大使のイルカ漁ツイッターは、同じ穴のムジナ的行為。どちらも視野狭窄から来るKYアクションだ。安倍参拝は中韓にケンカをふっかけているようなもので、今回はなんと友好国のアメリカまで怒らせてしまった。まさにKYそのもの。一方、イルカの追い込み漁を糾弾したケネディ大使のツイッターも、一体なぜ今?という大きな疑問が残る。こちらも自らの価値観だけを絶対視した呆れたKY行為だ。

 

振興策と称して大金で票を買おうとした政府自民党に逆らって、普天間基地の辺野古移設にNOを突きつけた名護市民の意思は、金よりも貧しさの中の誇りを選んだ沖縄県民の総意と見るべきである。本土はもうこれ以上安全保障で沖縄にたかり続けることは許されない。基地問題の歪みの原因の一つは、日本国民のほとんどが「安全(保障)をただだと思っている」ところにある。世界から見たらそら怖ろしい幼稚性だ。ほとんど愚民に近い。

 

安全保障をただだと思っているから多くの国民が、沖縄にたかりつつ逆に島が本土に金をたかっている、と鉄面皮で下卑た非難をする。沖縄県民がもはや差別だとさえ口にする基地の過重負担と、それを見て見ぬ振りをする国民の存在は、日本国の品位を深く貶めている。日本国民はもうそろそろ偽善の仮面をかなぐり捨てて、沖縄の基地問題に真摯に向き合うべきである。なぜなら基地は安全保障の問題であり、安全保障は全ての国民の問題なのだから。

 

 

良い日本人と悪い日本人~イタリアの小学校の作文集より~


私はイタリアの小学生クリスティーナ・ロッシです。

 私のお父さんとお母さんはそれぞれ高校と中学の教師です。2人とも日本が好きで、お父さんは柔道を、お母さんは生け花を習っています。

 最近お父さんは、盆栽にも興味を持ち出して本やインターネットでいろいろと勉強しています。

 イタリア人の大人で日本に興味のある人はたくさんいます。でも実際に柔道の道場に通ったり、生け花の先生の指導を受けたりして、心から日本を愛している私の両親のような大人は、そんなにたくさんはいないと思います。

 なんとなく日本が好き、というだけの大人が多いのです。

 小学生の私は日本の漫画が大好きです。日本の漫画が大好きな子供はイタリアにはとっても多いです。また日本の漫画が好きな子供は、私の国に限らず世界中にたくさんいる、とこの間お父さんが言っていました。

 私は漫画だけではなく、日本の食べ物とか、日本の学校や小学生のこととか、日本の歌とか、つまり日本の文化についても、いろいろと興味を持っています。

 イタリアの学校では日本のことはあまり教えてくれないので、お父さんとお母さんに聞いたり、インターネットで調べたりします。

 最近、お父さんとお母さんは「日本の政治のじょうきょう」が心配だ、という話を良くしています。

 大みそかにたくさんのお客さんが集まった「チェノーネ」でも日本のことが話題になっていました。チェノーネとは、大みそかの夜から新年にかけて、えんえんと続けられる年越しの大食事会のことです。チェノーネでは、子供が大人にまじって夜中まで起きていても怒られません。

 その時に大人たちが話していたのは、日本のシンゾー・アベ総理が靖国神社にお参りして、中国や韓国やアメリカが怒っている、ということでした。

 イタリアを含むヨーロッパ連合も、シンゾー・アベ総理の行動そのものと、米中韓3国の反応を心配しているそうです。

 イタリアと日本は昔、ドイツも仲間になって、日独伊3国同盟を作って世界中と戦いました。それはイタリアのファシズムとドイツのナチズムと日本のミリタリズムが結託したもので、2度とあってはならないものです。

 イタリアとドイツは昔の悪と非を認めて反省し、ファシズムとナチズムを徹底的に否定しています。日本もミリタリズムを反省し、戦後はずっと平和主義で来たのですが、今になってミリタリズムが復活しそうな勢いになっています。

 それは、イタリアやドイツと違って、昔の間違いを認めようとしない日本人が少なからずいて、しかもその人たちが大きな顔をしているために起きているのだそうです。

 イタリアにもファシズムを信じている悪い人がいます。でも圧倒的多数のイタリア人が強い気持ちで彼らに対抗するため、彼らは大きな顔をすることはできません。だからファシズムの復活もありえません。ドイツのナチズムもイタリアのファシズムと同じじょうきょうです。

 昔の間違いを認めようとしない悪い日本人の1人がシンゾー・アベ総理大臣です。

 お父さんとお母さんは、日本人のりょうしきと良心を信じているので、悪いシンゾー・アベ総理がいても、かしこい日本の人たちはきっとミリタリズムを許さないだろうと言っています。

 私も大好きな日本が、ミリタリズムに支配されて世界から嫌われないように、と祈っています。

 シンゾー・アベ総理とは逆に、有名な良い日本人もいます。 

それは私の好きなサッカーチーム、ミランに入団したケイスケ・ホンダです。ケイスケは世界くっしのプロサッカーチーム、ミランに初めて入団した日本人選手です。ミランが獲得したくらいですから、それだけでただ者ではない選手だと分ります。

 ケイスケはサッカーのプレイ以外でもただ者ではないことを見せつけました。それは彼のファッションです。サングラスを掛けたまま記者会見に臨んだケイスケは、マブシクないのになぜサングラスを?と聞かれて「これは僕のファッションさ」と答えました。

 その答えにはイタリア中があっけにとられて、やがてみんなクスクス笑いました。それはYAKUZAファッションだからです。YAKUZAとは日本のマフィアのことです。

 普通ならそんな格好をする人はバカにされ軽蔑されるところですが、ケイスケは堂々としたそのひと言ですっかりイタリア人に愛されてしまいました。シンパーティコ、つまり面白い男、と評価されたのです。シンパーティコというのは、イタリア人が誰かをほめるときにもっともひんぱんに使う言葉です。

 ケイスケは昨日、イタリアのプロサッカーリーグ・セリエAの試合でデビューしました。ミランは負け、ケイスケも後半の25分をプレイしただけですが、なんと辛口のイタリアのスポーツ紙が「ベスト・プレイヤー」と評価する活躍を早速見せてくれました。

 ケイスケへの期待は大きく高まって、同時に日本や日本人への関心もふくれあがっています。

 それはシンゾー・アベ総理のような悪い噂ではなく、とても良い噂ですから、ケイスケ・ホンダはやっぱり良い日本人です。

 

 

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