2013年5月6日、イタリア政界きっての大物政治家、ジュリオ・アンドレオッティが94歳で他界した。魔王とも呼ばれた彼は、生涯に渡ってマフィアとの強い癒着を疑われ続けた怪異な存在だった。
マフィア戦争
1992年5月23日17時58分、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測されている。シチリア島では、マフィアの攻撃を回避するために捜査関係者の車は高速移動を義務付けられている)のスピードで走行していたジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がった。
それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、500kgの爆弾を正確に炸裂させた瞬間だった。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えた。マフィアはそうやって彼らの最大の敵であるジョヴァンニ・ファルコーネ判事を冷然と葬り去った。
そのちょうど1ヶ月前の1992年4月24日、3回7期に渡ってイタリア首相を務めたジュリオ・アンドレオッティの最後の内閣が倒れた。首相自身と側近によるマフィアとの癒着や汚職疑惑を糾弾されたのである。
首相の座から引きずり降ろされた後は、アンドレオッティの政治的な影響力が低下して、司法や政界からの反撃が強まるであろうことが予想された。
そこで彼は将来に瑕疵を残さないために、当時のマフィアの大ボス、トト・リイナと謀って、マフィア捜査の強力なリーダーであり、反マフィア運動のシンボル的存在でもあった、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事を爆殺した可能性がある。
キリスト教民主党の首魁
第2次大戦後のイタリアをほぼ50年に渡って牛耳ったのは、キリスト教民主(主義)党であり、そのキリスト教民主党の最大の政治家、指導者、黒幕だったのが、ジュリオ・アンドレオッティである。
キリスト教民主党はいわば日本の自民党のような存在。第2次大戦後の廃墟からイタリアを経済復興させ、ドイツや日本と共に世界に再び存在感を示すことができる国家に仕立て上げた。功罪合わせて、戦後イタリアの歴史を作り上げた最大の政党である。
しかし、そのキリスト教民主党は、腐敗とマンネリズムと古色にまみれて1994年に消滅した。ところが、同党の事実上の最高権力者として君臨したジュリオ・アンドレオッティは、党がなくなった後も終身上院議員としてしぶとく生き残って、隠然たる影響力を行使し続けた。
ジュリオ・アンドレオッティの特異は、魑魅魍魎の跋扈するイタリア政界でしぶとく命脈を保ち続けた事実もさることながら、彼がその間一貫して政治力を駆使して犯罪組織のマフィアを操り、逆にマフィアを使って政治力を高めるという、おどろおどろしい手法を用い続けたことである。
朋友トト・リイナ
マフィアとの黒いつながりを非難され続けたアンドレオッティは、犯罪組織最大のボスであるトト・リイナとの関係が特に深かった。彼はリイナと抱擁し、頬と頬を触れ合わせるマフィア式の挨拶をするところを目撃されてもいる。
実はイタリアでは、親しい男同士が抱擁し頬を触れ合わせる挨拶は、少しも珍しいものではない。頬と頬をあわせるキスは、異性間は言うまでもなく同性間でも一般的に行なわれる。それはいわゆる「ハグ」であり、性的な意味合いは毛頭なく、強い親近感を表すだけの「普通の挨拶」である。
従って、リイナとアンドレオッティのその挨拶が、マフィアの構成員同士の「特別な」作法に則(のっと)ったものだったのか、それとも「普通の挨拶」だったのかは当事者にしか分からない。
とはいうものの、たとえマフィアの構成員同士の抱擁ではなかったとしても、一国の首相とマフィアの大ボスが親しく抱擁し合う様はただ事ではない。しかもトト・リイナは、マフィア始って以来最大の残虐・凶暴な首魁という悪名を轟かせていた男である。
トト・リイナは、欠席裁判で幾つもの終身刑の判決を下されながら逃亡潜伏を続けたが、アンドレオッティはその間も密かに彼に会い、逃亡の手助けもしたと見られている。そうした事実は、警察に逮捕された後に司法取引によって当局側に寝返った、マフィアの構成員らの証言によって次々に明らかになっていった。
司法の反撃
ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の暗殺からわずか2ヵ月後の1992年7月19日、ファルコーネ判事の同僚で親友のパオロ・ボルセリーノ判事が、やはり爆発テロによって惨殺された。母親の元を訪ねたボルセリーノ判事の動きを正確に察知していたマフィアが、道路脇の車中に仕掛けた爆弾を炸裂させて、護衛の警察官ともども中空に吹き飛ばしたである。
国家への挑戦とまで言われた、マフィアによるテロ事件が頻発した当時のイタリア社会には、マフィアに蹂躙される国家や住民という絶望的な思いが充満して、国中が暗く沈みかけていた。しかし実は、司法当局の逆転反撃を暗示する出来事もまた起こっていた。無敵に見えたマフィアのボスたちが次々に逮捕されていったのである。
そのうちの最も大きな出来事がマフィア最強のボス、野獣と異名されたトト・リイナの逮捕だった。それは1993年1月15日のこと。イタリア政界を代表する男、ジュリオ・アンドレオッティの友人とまで目された犯罪者は、24年間の逃亡生活後に司法当局に拘束された。それはトト・リイナの終わりであり、ジュリオ・アンドレオッティの「終わりの始まり」とも言える事件だった。しかし、アンドレオッティは前述したように、政治的にはその後もさらに20年間しぶとく生きのびたのである。
大ボスの逮捕から3年後の1996年5月20日、ファルコーネ判事爆殺の実行犯ジョヴァンニ・ブルスカが逮捕された。彼はフィレンツェのウフィッツィ美術館爆破事件の犯人でもある。ブルスカは生涯で100人~200人を殺害したが、正確な数字は覚えていないと告白している。
2006年4月11日、トト・リイナ逮捕後のマフィアのトップ、ベルナルド・プロヴェンツァーノが43年間の潜伏逃亡後に逮捕される。その後、組織の首領はサルヴァトーレ・ロ・ピッコロに代わったが、彼も翌年には逮捕された。2013年現在のマフィアのボスは逃亡中のマッテオ・メッシーナ・デナーロと見られている。
アンドレオッティ有罪判決
マフィアと国家の戦いが続けられていた2002年、ジュリオ・アンドレオッティは、自身に批判的なジャーナリスト(ミーノ・ペコレッリ)をマフィアを使って殺害した、として禁固24年の有罪判決を受けた。が、翌年、証拠不十分などという不可解な理由で逆転無罪の判決を受けた。
アンドレオッティは、その他のマフィアがらみの多くの事件への関与も疑われ起訴もされたが、結局、先日他界するまで投獄されることは無かった。しかし、彼とマフィアの強い「繋がり」に関しては、逆転無罪を言い渡した最高裁もこれを明確に認めた。
表舞台で権力を振るわない場合は、背後で強大な影響力を行使し続けた、イタリア政界きっての怪物政治家アンドレオッティには、そんな具合にマフィアとの深い関係や殺人や汚職事件に関与した疑惑などの暗い影や噂がつきまとって消えなかった。
2013年5月6日のアンドレオッティ元首相の死は、イタリアの政界とマフィアの一時代が確実に終焉したことを告げている。