【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

「夫婦の寝床」と「夫婦のベッド」の違い



少しこだわり過ぎに見えるかもかもしれないが、実は日伊ひいては日欧(米)の文化の根本的な違いにまでかかわる事象の一つとも考えられるので、あえて書いておくことにした。

 

この前の記事に書いたファブリツィオ・デアンドレの「バーバラの唄」の歌詞

 

「♪~あらゆる夫婦のベッドは

  オルティカとミモザの花でできているんだよ ~♪」

 

をイタリア語で書くと、

 

「♪~ ogni letto di sposa

e’ fatto di ortica e mimosa ~♪」

 

となり、そのうち「夫婦のベッド」に当たるのは「letto di sposa」である。

 

前回、なぜ僕がその部分を直接に「夫婦の寝床」とか「夫婦の褥(しとね)」あるいは「夫婦の布団」などと訳さずに「夫婦のベッド」と訳して、それをさらに日本語では「夫婦の寝床」とか「夫婦の褥(しとね)」とするのが正しい、みたいな回りくどい言い方をしたのかというと、イタリア語をそのまま日本語にすると「letto di sposa」の持つ「性的な意味合い」だけが突然強調されて、その結果、原詩が強く主張している(夫婦の)人生や生活や暮らし、というニュアンスが薄くなると考えたからである。ポルノチックになりかねないと書いたのもそういう意味だった。

 

だが、そうではあるものの、二次的とはいえ「letto di sposa」には性的な含蓄も間違いなくあって、それらの微妙なバランスがイタリア語では「艶っぽい」のである。

 

日本語とイタリア語の間にある齟齬やずれは、性あるいは性的なものを解放的に語ったり扱ったりできるかどうか、という点にある。イタリア語のみならず欧米語ではそれができるが日本語では難しい。

 

言葉が開放的である、とは思考や行動が開放的である、ということである。そう考えれば性的表現における欧米の開放感と日本の閉塞感の違いが説明できる。性や性表現が閉鎖的だから、日本にはそのはけ口の一つとして「風俗」という陰にこもった性産業が生まれた、とも考えられるのである。

 

人生の機微や結婚生活の浮き沈みの中には、夫婦の性の営みも当然含まれていて、欧米文化の方向性はそのことも含めて直視しようとする。日本文化の方向性はそこから目をそらせる。あるいは見て見ぬ振りをする。あるいはぼかして捉える。そこには日本文化の奥ゆかしさに通じる美もあるが、内向して「風俗」的な執拗につながる危うさもあるように思う。

 

良くしたもので、日本語には都合の悪い表現を別の言い回しでうまく切り抜ける方法がある。それが外来語である。

 

たとえば日常の会話の中ではちょっと言いづらい「性交」という言葉を「セックス」と言い換えると、たちまち口に出しやすくなるというようなこと。僕がバーバラの唄の「letto di sposa」を「夫婦の寝床」と訳さずに、あえて下線まで引いて「夫婦のベッド」と表現したのもそれと同じことである。

 

ベッドはもはや、日本語と言っても良いほどひんぱんに使われる言葉だが、夫婦の「寝床」や「褥」や「布団」に比べると、まだまだ日本語のいわば血となり肉となっている言葉ではない。だから「性交」に対する「セックス」という言葉のように、生々しい表現のクッションの役を果たして、それらの直截的な言い回しをぼかす効果があるように思う。

 

そればかりではなく、日本の家の中には「夫婦のベッド」なんて存在しないのが普通である。夫婦のベッドとは巨大なダブルベッドのことである。だから狭い家にはなじまない。

また例えそれを用いていても、ベッドはあくまでもベッド、あるいは寝台であって、朝になれば畳まれて跡形もなくなる「寝床」や「褥」や「布団」ではないのだ。

 

そんな具合に日本の家においては「ベッド」は、やっぱりまだ特別なものであり、日本語における特別な言葉、つまり外来語同様に特別なニュアンスを持つ家具なのである。だから夫婦の「寝床」や「褥」や「布団」と言わずに「夫婦のベッド」と表現すると、この部分でも恥ずかしいという感じがぐんと減って、耳に心地よく聞こえるのである。

 

もっと言えば、日本語では「夫婦の寝室」「や「夫婦の寝間」などと空間を広げて、つまりぼかして言うことは構わないが「夫婦の寝床」とピンポイントで言ってしまうと、微妙に空気が変わってしまう。そこがまさに日本語のつまり日本文化の面白いところであり、ひるがえってそこと比較したイタリア語やイタリア文化、あるいは欧米全体のそれの面白さの一つなのだと思う。



大震災、女性の日、ミモザ・・



今日(38日)は女性の日。ここイタリアでは、黄色い球形の小さな花が蝟集(いしゅう)して、枝からこぼれるように咲き乱れる様子が美しい、ミモザの花がシンボルである。女性祭り、ミモザ祭りなどとも言う。

 

昨年311日、僕はイタリアにおける女性の日についてブログに書こうと考えて「3日遅れのミモザ祭り」とか「フェミニズムとミモザの花」とか「ミモザって愛のシンボル?闘争のシンボル?」・・などなど、いつものようにノーテンキなことを考えながらPCの前に座った。

 

そこに東日本大震災のニュースが飛び込んだ。衛星テレビの前に走った僕は、東北が大津波に飲み込まれる惨劇の映像を日本とのリアルタイムで見た。息を呑む、という言葉が空しく聞こえる驚愕のシーンがえんえんと続いた・・

 

そうやって38日の女性の日は、僕の中で、日付が近いという単純な話だけではない理由から東日本大震災と重なり、セットになって住み着くことになってしまった。おそらく永遠に(僕が生きている限りという意味で)。

 

女性の日は元々、女性解放運動・フェミニズムとの関連が強い祭りである。20世紀初頭のニューヨークで、女性労働者たちが参政権を求めてデモを行なったことが原点である。

 

それが「女性の政治参加と平等を求める」記念日となり、1917年にはロシアの二月革命を喚起する原因の一つにさえなって、1975年には国連が38日を「国際婦人デー(日)」と定めたいきさつがある。

 

しかし、この「国際婦人デー(日)」が、目に見える形で今でもしっかり祝福されているのは、僕が知る限りどうもロシアとイタリアだけのようである。

 

ロシアでは革命後、38日を女性解放の日と位置づけて祝ったらしいが、今ではフェミニズム色は薄れて女性を讃え、愛し、女性に感謝する日として贈り物をしたりしてことほぐ日になった。

 

ロシアの状況はイタリアにも通じるものがある。

 

イタリアでは38日には、ミモザの花を女性が女性に送るとされ、それには女性たちが団結してフェミニズムを謳歌する、という意味合いがある。

 

が、実際にはそう厳密なものではなく、ロシア同様にその日は女性を讃え、愛し、女性に感謝をする意味で「誰もが女性に」ミモザの花をプレゼントする、というふうである。

 

男が女にミモザの花を贈るという習わしは実は、元々イタリアにあったものである。そのせいだと思うが、女性の日をフェミニズムに関連付けて考える人は、この国にはあまり多くないように見える。

 

イタリアきってのシンガーソングライター、ファブリツィオ・デアンドレは彼の名作の一つ「バーバラの唄」の中で

 

「♪~あらゆる夫婦のベッドは

 オルティカとミモザの花でできているんだよ

 バーバラ~♪」

 

と歌った。オルティカは触れると痛いイラクサのこと。

 

結婚生活は山あれば谷あり、苦楽でできているんだよバーバラ、と言う代わりに「夫婦のベッドはイラクサとミモザで作られているんだよ、バーバラ」と艶っぽく表現するところがデアンドレの才能だけれど、そういう言い回しができるのがイタリア語の面白さだとも考えられる。

 

だって、これを正確な日本語で言い表すと「夫婦の褥(しとね)は~でできている」とか「夫婦の寝床は~でできている」とかいうふうになって、とたんにポルノチックな雰囲気が漂い出しかねない・・

 

ミモザは前からそんなふうに僕に多くのことを考えさせる花だったが、そこに東日本大震災のイメージが重なって、いよいよ複雑な感情移入をしないではいられない「なにか」になってしまった。

東日本大震災一周年、誇りの再生あるいは確認の時



イタリア最大の週刊誌「パノラマ(panorama)」の最新号が、3月11日を待たずに東日本大震災一周年記念特集を組んだ。1日に発売された同紙の表紙はまるで日章旗そのもののデザイン。白地に大きな日の丸を描き、その中心に「奇跡の日本-以前よりもさらに力強く」と大きくタイトルを打っている。さらにキャプションで地震と津波と原発事故の3重苦に見舞われた日本は、危機的状況に長く留まるであろうという大方の予想を覆して、わずか1年で立ち上がり復興に向けて力強く歩みだした、と説明している。
15ページにも及ぶ「パノラマ」の特集記事は先ず、宮城県の女川市と仙台空港の地震直後、3ヶ月後、さらに6ヵ月後の定点撮影写真を掲載しながら、災害現場から瓦礫が取り除かれ整理されていく様子を紹介して、復興への着実な歩みを印象付ける構成になっている。定点撮影写真の手法は、いろいろな震災報告で使われていて目新しさはないが、瓦礫の山が消えてすっきりしていく様子は、何度見てもやはり、日本人ならではの迅速かつ正確な仕事振りが一目瞭然で感慨深い。

特に行政の仕事が大ざっぱで遅いことが多いここイタリアでは、紹介された一連の写真を見ただけで驚く読者が相当数いるに違いない。なにしろ2009年に起きたイタリア中部地震の瓦礫の整理さえまだ完全には終わっていないし、最近ではナポリのゴミの山の問題が、人々の気持ちを深く落ち込ませたりもしているお国柄だから。

言うまでもなく東北の被災地の瓦礫処理作業はまだ道半ばであり、パノラマの記事でも、2253万トンにものぼる被災地の瓦礫(イタリア全体が一年で出すゴミの約73%に相当する)のうち、2012年2月現在で5.2%が最終処分されただけに過ぎない、と説明することを忘れてはいない。しかし、東北が蒙った圧倒的な被害規模を考慮すればそれでも、日本の作業の進み具合はほとんど奇跡に近い、とこの国の人々が考えても何ら不思議はないのである。

続けて特集記事は、高速道路や鉄道などのインフラ復旧の早さと効率の良さを紹介したあと、大まかに論点を3つに絞って考察を展開している。それは、1)我慢強い国民性、2)産業力の圧倒的な強さ、3)政治の怪物的な無能ぶり、の3点である。そこには日本への真摯な賞賛が溢れている。特に1)と2)に対する思い入れは強く、ほとんど絶賛と言っても良いほどの論陣を張っている。3)の政治の無能を指摘することでさえ、1)と2)の素晴らしさを際立たせるための道具、というような書き方なのである。

パノラマは言う。日本経済の牽引車である自動車産業は今年1月の時点で18.8%の伸び率を示し、東北の部品メーカーの停滞で落ち込んだ昨年の実績が嘘のようにエンジン全開となった。2012年、イタリアを含むEUが債務危機のあおりで-0.5%という厳しい経済成長率を予測されているのに対して、日本経済はなんと、1、7%の成長率が見込まれる(IMF予測)。日本経済の長い間の低迷と大災害に見舞われた昨年の-0、5%の成長率は、今年見込まれる1.7%という大きなジャンプへの助走にしか過ぎなかった。それは決して偶然の出来事ではない。自動車に限らず、付加価値を付ける能力に長けた日本の産業は大震災のあとも健在である。例えばロボット作りもその一つ。経済大国になった中国ではロボットへの需要が急速に大きくなったが、最先端技術であるロボットは日本人にしか作れない。中国人は日本に頭を下げるしかないのだ。

事ほど左様に、日本経済が過去20年に渡って停滞し続けたという経済統計は、単なる伝説であることが明らかになりつつある。日本はヒロシマとナガサキの悲劇を乗り越え、数々の地震災害を撥ね返し、多発する火山の憤怒に打ち勝ち、そして今東日本大震災の3重苦を克服しようとしている。そうした奇跡は、原発の停止によって発生した電力供給能力の急激な低下を、火力と水力に切り替えることで成し遂げられたのだが、原発を素早く他の発電機能に置き換えて電力を確保してしまうこと自体もまた、驚嘆するべき能力であり日本経済の揺るぎない底力を示している。

返す刀でパノラマはわが国の政治の蒙昧も厳しく指摘する。

被災地救済の特別予算こそ与野党一致で通したものの、日本の政治家は国難を尻目に国会で喧嘩ばかりしている。政府はあってないようなもの。首相はこの6年間で6回変わり、有権者の46%が総理大臣なんて誰がなっても同じ。何も期待しない、と答えた。日本は政治の脳死状態の中にあるが、国民と産業界と地方自治体から成る健全優秀な肉体は、何の問題もなく動き続けている、とたたみかける。

パノラマが、しかし、さらに持ち上げて強調するのは日本の国民性である。わざわざ『我慢』という漢字まで文中に実際に使って、被災地の皆さんをはじめとする日本国民の自己犠牲の精神と、忍耐と、強靭な連帯意識の尊さを、これでもかこれでもかとばかりに誉めたたえている。僕は記事を読みながら、まるでエズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」にはじめて接した時のような、こそばゆい思いさえしたほどだ。

同時に僕は当然、震災直後から世界中の人々が寄せ続けた日本への好意と大きな賞賛も思っていた。そしてあの時と今とは一体何が同じで何が変わっているのか、見極めようとした。震災直後に世界から日本に送られたエールの数々は、ある意味で当たり前のことだった。未曾有の災害に見舞われた国民に同情しない者などいる筈もなく、大震災が起こった直後から世界は日本をあたたかい目で見つめ続けた。

あの時もわれわれ日本人は自らを誇らしく思った。日本人が当然のこととして考え、行う行為が、かけがえのない尊いものであることを外国人の目を通してはじめて気づいたりもした。また、特にパノラマの記事が指摘するような「我慢」や「忍耐」の精神が、世界を驚かせることに驚いたりもした。我慢は自己犠牲の心に通じ、連帯感を芽生えさせ、お互いに助け合い頑張ろう、という強い意志の発露ともなる。しかもそうした覚悟や行動様式は日本人の場合、外に向かって大きくうねりを上げて突き進んでいくものではなく、内に秘めた静かな強い芯のようなものになって体内に沈殿する、と僕には感じられる。それは慎みになり謙遜を誘い節度を生む。日本人の真の美質である「日本的なもの」の完成である。それはまさしく、パノラマがわざわざ日本語の漢字を印刷してまで指摘した『我慢』の中に脈々と波打っているもの、と断定してもあながち過言ではないように思う。われわれはきっとパノラマの賛美を素直に喜んでいいのだ。

これから先しばらくは、おそらく世界中のメディアが競って東日本大震災の一周年特集を組むだろう。そしてその多くが、パノラマと同じように日本に対して肯定的な意見や主張を展開するのではないか。もしそうなれば、それは世界の人々のわが国に対する応援であり、好意であり、そして何よりも忌憚のない賛辞である。われわれはその事実を斜に構えることなく、照れず、真っすぐに受け止めて内なる力となし、さらに謙虚になって前進するべきである。巨大な不幸から一年が経った今、一年を頑張り抜いた被災者の皆さんに深い敬意を表すとともに、われわれ自らをもあらためて見つめ直し、鼓舞し、誇りにするべきなのである。

「中東のダイアナ妃」の化けの皮



欧米のメディアが「中東のダイアナ妃」「砂漠の薔薇」などと呼んで賞賛してきた、シリアのアスマ・アサド大統領夫人の化けの皮がはがれようとしている。いや、もうはがれてしまったと言ってもいいだろう。

 

先月、イギリスの新聞「タイムズ」は“アサドの妻、沈黙を破る”という見出しで、アスマ夫人の公開状を掲載した。シリア危機の発生後、表舞台から姿を消して沈黙を続けていた彼女は、同じタイムズ紙が「アスマ・アサド大統領夫人は、弾圧によって多くのシリア国民が犠牲になっている現実をいったいどう考えているのだろうか」と問いかけた公開状に答える形で、同紙に連絡をしたのである。

「アサド大統領夫人は」と、3人称形式で綴られたメール書簡の中で、彼女は「大統領の夫を支持する」と述べ、「国内の抗争を解消するための対話の構築に腐心し」「暴動に巻き込まれた犠牲者市民の遺族の救済に力を尽くしている」という内容の主張を行なった。

人々は、アスマ夫人が夫の弾圧政策を支持すると明確に述べたことに驚き、且つ対立する国内勢力間の対話の構築に奔走し、暴力の犠牲者遺族の救済に力を尽くしている、という真っ赤な嘘にさらに驚愕した。

イギリスで生まれ育ったアスマ夫人は、シリア騒乱の勃発までは同国内で慈善事業に邁進する進歩的な女性と見なされ、欧米メディアから「中東のダイアナ妃」という愛称さえ与えられていた。そればかりか、騒乱発生から間もない昨年3月には、ファッション雑誌ヴォーグが彼女を「砂漠の薔薇」と讃えてしまい、世界世論の顰蹙(ひんしゅく)を買ったりする事件も起きた。ロンドン生まれの若くて美貌の独裁者の妻は、そうやって多くの欧米メデァアを惑わせてきたのである。

なぜ欧米のメディアはアスマ・アサド大統領夫人を持ち上げ、注目しつづけてきたのか?

それは彼女がアラブ革命の希望の星だったからである。アラブ革命の本質とは言うまでもなく、民主化であり抑圧からの解放である。それには必ず女性解放が伴なう。逆に言えば、女性解放を伴なわない民主化は決して真の民主化ではない。

 

多くのシリア国民が殺害され、弾圧が続き、内戦勃発さえ懸念される状況の前では、大統領夫人の動向などどうでもいいことのようにも見えるが、アスマ夫人を巡るメディアのこだわりの裏には、アラブ革命の根幹の一つを成す「女性解放」という重大なコンセプトが存在するのである。


欧米が勝手に思い込んだことではあるが、人々は彼女にチュニジア・エジプト・リビア・イエメンなどの独裁者の妻や家族とはまったく違う役割を期待してきた。具体的に言えば、独裁者の夫を説得して弾圧をやめさせる。あるいは夫の横暴に反旗を翻して国際世論に訴える。あるいは国外脱出を試みる。あるいは亡命する・・などなど。

 

シリア危機発生前までの彼女の姿が真実なら、夫人は必ずそういう行動に出るはずだった。そして彼女の反抗がたとえ失敗に終わっても、いや失敗に終わった時こそ欧米メディアは、夫のアサド大統領をさらに苛烈に指弾して国際世論を盛り上げ、ついには権力の座から引き摺り下ろすことが可能になるかも知れない。誰言うとなくそんなシナリオが描かれていたように思う。しかし、アスマ夫人が選んだのは「沈黙」という期待はずれの動きだったのである。

ロンドン生まれでイギリス国籍を有し、民主主義大国の教育を大学まで一貫して受け、JPモルガンに勤務した経験もある極めて進歩的な女性、アスマ・アサド大統領夫人。女性の地位向上のためにねばり強く活動をつづけるファーストレディ。3人の子供の母親で慈愛深く、身分を隠して貧民街を歩いては人助けをする・・・などなど、まるで聖女そのものような彼女のイメージは、1年近い沈黙の間に大きく傷ついた。シリア国内の反政府活動家らの告発もあって、独裁者の夫に寄り添う弾圧の共犯者、という見方が徐々に強まったのである。

それでも英国を中心とする欧米のメディアはアスマ夫人への期待を完全に捨て去ることはなかった。

 

「アスマ大統領夫人は夫と同罪の抑圧者であり巨大な権力と金を握っている」と主張する反政府側に対して、欧米は「夫人は無理やり沈黙を強いられているばかりか移動の自由さえ奪われている。また彼女は優雅な生活や贅沢が好きなだけであり、例えば国家の富の大半を盗んだと批判されるエジプト前大統領夫人のスザンヌ・ムバラクなどとは違う」と弁護したりもした。

 

嘘で固められた夫人の公開状を掲載したタイムズ紙に至っては「われわれはアスマ夫人に返答を督促(とくそく)したことはないが(彼女が自主的に公開状を送ってきた・・)≪( )内は筆者注≫」とまるで未練たっぷりにも見える但し書きまで付けたほどである。

だが、夫人が沈黙を守っている間に、シリア国内外の反政府運動家たちによって、彼女の裏の顔は徐々に暴かれていったのであり、このタイムズ紙の弁護は笑止でさえある。

英国籍を持つ彼女は現在では、イギリスにいる実家の家族と結託して大きく財を蓄えつつあり、カタール首長夫人と共同で高級ホテルチェーンを経営したりもしているという。

 

夫人はそうした噂に対抗して、タイムズ紙を通して自らの立場を表明してみたものらしい。しかし、国民を殺戮する夫の立場を支持する、と述べた愚かな声明は致命的なミスだった。

 

人々は今では彼女に対して何の希望も期待も持たなくなり、黒い噂はたちまち真実になって一人歩きを始めた。夫人の今をあえて感傷的に表現するなら、さしずめ「地に落ちた中東のダイアナ妃」あるいは「血にまみれた砂漠の薔薇」とでもいうところか。

僕自身の考えを言えば、アスマ夫人はバッシャール・アサド大統領と結婚した頃まではまさしく、民主的に開けた考えを持つ女性であったろうと思う。彼女のみならず夫のアサド大統領も当初はそうだったのではないか。バッシャール・アサドは、シリアの民主化も視野に入れた進歩的な考えを持って権力の座に就いたフシがあるのである。

 

妻のアスマは夫以上にシリアの民主化を願い後押しをする積もりでいたに違いない。しかし、権力と金と特権はしばしば人を狂わせる。シリアの最高権力者とその妻は時間と共にその罠に嵌まって行った。

 

バッシャールは徐々に独裁者の様相を強め、アスマ夫人もまた同じ道をたどった。間もなく、シリア危機勃発によってその傾向は決定的になって、2人はもはや後戻りができないところまで行ってしまった。僕にはそういう風にも見えるのである。


独裁とはほとんどの場合ファミリービジネスである。2人はこの先も権力の掌握にこだわる一方で、国外送金を含めた蓄財にやっきになって行くに違いない。権力の座からすべり落ちたときは、頼りになるのは金だけである。

 

アサド政権が崩壊する可能性も見つめて、また奇跡的に権力にしがみつくことに成功した場合にはなおさら、彼らは国家から盗み出す莫大な金を死守するべくあらゆる方策を練って行くだろう。それはエジプトやリビアの例を持ち出すまでもなく、アラブの春の動乱の中でこれまで何度も繰り返されてきたことである。

 

そして、シリア国内からの外国送金をはじめとする金の操作を国際的に自由にできるのは、欧米の規制を受け易いシリア国籍のアサド大統領やその側近ではなく、イギリス国籍を有するアスマ夫人その人なのである。


 

 

ルーチョ・ダッラを知ってるかい?



天才シンガーソングライターのルーチョ・ダッラが亡くなった。69歳の誕生日を前にしての訃報。スイスでのコンサートツアー中に心臓発作に見舞われてしまった。

 

僕は彼とは仕事をしていない。友だちとも言えないかもしれないが、でも彼はいつも僕の心の中にいた。

 

1994年の夏、僕はシチリアのリパリ島でルーチョに会った。マグロを追いかけるドキュメンタリーの撮影中のことだった。

 

僕はシチリア本島のメッシーナから遠出をした猟師たちと共に船で寝泊りをして、連日マグロ漁の撮影をしていた。

 

ルーチョはリパリ島で船上のバカンスを過ごしていて、港で一緒になったのだ。

 

彼は僕が行動を共にしている猟師たちと友だちで、よくこちらの漁船にやって来ては夕食を一緒に食べた。カジキマグロを中心にした猟師料理は抜群の美味しさで、彼はリパリ島にいるときはひんぱんに猟師の船に招かれて食事をするのだという。

 

ルーチョはシンプルで自然体で優しい人だった。僕はそこで彼と親しくなり、いつか一緒にドキュメンタりー番組を作りましょうと話した。ルーチョは快くOKしてくれた。

 

その機会はないまま時間は過ぎた。僕の作るドキュメンタリー番組は実は、市井の人々を取り上げるのがほとんどだ。有名人は追いかけないし、あまり興味もない。

 

この世の中に存在する一人一人の人間の生きざまは全てドラマチックである、というのが僕の持論である。従ってあらゆる人々の人生はドキュメンタリーになりうる。

 

有名歌手のルーチョ・ダッラの日々は、市井の人々のそれよりも既に激しく劇的である。でもそれはいわば劇場劇とも言える特殊な劇で、劇場の外の広い巷間に展開される劇とは違うものである。有名人という名の劇場劇と市中劇とは違うのだ。僕が有名人を追いかけるドキュメンタリーに興味がないのはそれが理由である。

 

でも、先のことは分からない。僕はいつか劇場を出たルーチョ・ダッラの人生に行き逢うかもしれない。そのときに、共にドキュメンタリーが作れないとは誰にも言えないのである。

 

シチリア島で出会ったあと、ルーチョ・ダッラとは猟師たちを介して消息を尋ねる程度の付き合いしかなかった。それは付き合いというよりも、天才歌手への僕という一ファンの思い入れ、いう方があるいはふさわしい関係ではあったかもしれないが、僕は彼と仕事をする「可能性」を片時も疑ったことはなかったのである。

 

その機会がないまま時間が過ぎてルーチョは亡くなってしまった。

 

実は僕はファッションデザイナーのジャンフランコ・フェレとも全く同じような体験をしている。NHKの中継番組で一緒に仕事をした時、いつか一緒にドキュメンタリーを撮りましょうと約束したものの、実現しないまま天才デザイナーも亡くなってしまった。

 

彼らの人生は、僕が作るささやかなドキュメンタリーの枠組みなどからは大きく逸脱した、輝くばかりの劇場劇の連続だったのだから、それはそれでまったく問題ないのだけれど。

 

ルーチョ・ダッラを知らない人のためにユーチューブのリンクを一つ。自身のマスターピース『カルーソ』をヴィタスと共に歌うルーチョ・・

 

 

 

イタリア危機に群がる欲望たち




イタリア危機がやって来てベルルスコーニが去って、モンティ新政権が危機脱出のための緊縮財政策を始めて以来、イタリア国民の生活は日々苦しさを増している。

 

原発が稼動していないことが大きく影響して、この国の電気料金はもともとヨーロッパ一高く、ガソリンの値段もほぼ同じ状況がつづいていた。

 

増税と歳出カットを柱にしたモンティ緊縮策がスタートしてからは、あらゆる分野に似たような状況があらわれた。

 

そして、ついにイタリア国民一人当たりの年収は、先週末の統計で約2万3千ユーロとなって、ドイツやオランダのそれの半分近くにまで減った。

 

その数字はギリシャやスペインよりも低いのだ。すべて危機脱出を図るモンティ政権の増税策が原因である。

 

イタリアの元々の財政状況は実はそれほど悪くはなかった。たとえばドイツなどに比べれば、それは確かに良いとは言えないが、基礎的財政収支いわゆるプライマリーバランスは、イタリア危機が叫ばれる直前でもプラスだったのだ。

 

基礎的財政収支がプラスということは、日本や米国などと比較した場合は優等生と言っても過言ではない良好な状況だったのである。

 

それでもイタリアは財政危機に陥った。なぜか。

 

それが世界経済(特に金融市場)の摩訶不思議なところで、数字や論理やファンダメンタルズ(経済活動状況を示す基礎的な要因や数値)だけでは説明ができない。

 

投資家や投機筋や金融機関などの思惑や、不安や、期待や、術策などが複雑にからまって動いているからだ。

 

つまり世界中の投資家や投機筋や金融機関が、ギリシャの財政危機を見てイタリアにも不安を持った。そのためにイタリア国債(イタリア政府の借金)に信用不安が生まれて価値が下がった。

 

国債は価値が下がれば金利が上がる。この上がった金利をイタリア政府は支払えないのではないか、という疑心暗鬼が生じてますます状況が悪くなる・・

 

簡単に言えばそういうことだ。

 

要するに損をしたくないという人間の感情、つまり「欲」が大きく影響してイタリア危機は生まれた。

 

そして、今のイタリア国民の生活の痛みを通してやがて財政収支は改善し、それを見た世界の投資家は安心して、今度は儲けたいという欲に駆られて再びイタリアへの出資を始める。

 

つまりイタリアを危機に陥(おとしい)れた彼らの感情、つまり「欲」が今度はイタリアを財政危機から救い上げるのである。

 

人間の欲って醜悪だし気持ち悪いけど、でもしたたかに面白い・・



ステレオタイプたちのステレオタイプなののしり合い(Ⅱ)



ドイツ国民とイタリア国民が、週刊誌のデア・シュピーゲルと新聞のイル・ジョルナーレを介して
いがみ合いを続けている間も、両国政府は欧州財政危機の回避に向けて緊密に連絡を取り合って仕事をしている。先週末にはメルケル首相がローマを訪問してモンティ首相と会談するはずだったが、ドイツのウルフ大統領が汚職疑惑がらみで辞任したことを受けて、ローマ訪問を中止した。

ウルフ氏は映画制作者から金銭を含む便宜供与を受けたり、他の事業者とも癒着するなど、イタリアの汚職政治家も顔負けの悪徳為政家だったわけだが、幸いイタリアのメディアは、ドイツ大統領の汚職事件をデア・シュピーゲル対イル・ジョルナーレの口論にからませて、不毛な水掛け論に持ち込んだりはしていない。

ドイツのメルケル首相とイタリアのモンティ首相は強い信頼関係で結ばれている。前任のベルルコーニ首相の時とは大違いである。それはあえて言えば、モンティ首相の財政の舵取りがドイツ的だからである。あるいはEU信奉者であるモンティ首相が、EU(つまりこの場合は主にドイツ)の意に沿った方向でイタリアの財政再建に向けて邁進しているからである。国民に多くの犠牲を強いる財政緊縮策を厳しく、緻密に、且つ粛々として押し進めている彼を、ドイツを中心とするEUは今のところ評価している。ドイツ政権とイタリア政権の蜜月関係はそこに起因している。

しかしそれは、デア・シュピーゲルの記事をきっかけに表面に出た、イタリア国民とドイツ国民の間にくすぶっている古くて新しい問題とは別の話である。さらに言えば、両国の間にくすぶっている古くて新しい問題とは実は、ドイツ国民とその他の全ての欧米諸国民との間の問題、と普遍化してもいい極めて重要な論点なのである。

イル・ジョルナーレがデア・シュピーゲルに『われわれにスケッティーノがあるなら、ドイツ人のお前らにはアウシュヴィッツがある』と言い返したことを受けて、ヨーロッパでは国境を越えて大きな反響があった。ネットなどの書き込みを見ると、人々はイル・ジョルナーレの立場に寄り添いつつも「アウシュヴィッツ」という言葉に困惑し、それでもやはりナチスのアウシュヴィッツでの蛮行を心のどこかで糾弾する思いにあふれたものが多かった。僕がこの前の記事でドイツ国民の言動を憂い、それだけでは飽き足らずにまだこうしてこの問題にこだわっているのもそれが理由である。

最近のドイツは危なっかしい。特にギリシャの財政危機に端を発したEU危機以降、その兆候が強くなった。ドイツは言うまでもなくEU加盟国の中では財政的にもっとも強く且つ安定している経済大国である。そればかりではなくEUの牽引車としてフランスとともに危機脱却のために奮闘している。そのあたりから来る自信のようなものが、ドイツ国民をどうも少し驕慢にしつつあるようにも見える。危なっかしいとはそういうことである。

兆候がはっきりと現れたのは2010年2月。ドイツの週刊誌が、右手の中指を突き立てているミロのヴィーナス像の合成写真を表紙に使って『ユーロファミリーの中のペテン師』というタイトルで、ギリシャの財政問題を強く避難する特集を組んだ頃である。その4ヶ月前の2009年10月、発足したパパンドレウ新政権の下で旧政権が隠蔽しつづけていた巨額の財政赤字が表に出た。それまでギリシャの財政赤字はGDPの4%程度とされてきたが、実際は12、7%に膨らみ、債務残高も113%にのぼっていることが分かった。いわゆるギリシャ危機の始まりである。ドイツの週刊誌は、そのことを皮肉って特集を組んだのだった。

それはギリシャ政府の放漫財政を攻撃したジャーナリズムの当たり前の動きだった。ギリシャはドイツにとって外国とはいうものの、統一通貨のユーロという船に乗った運命共同体である。しかも、ギリシャ危機のツケをもっとも多く被るのは、EUの優等生ドイツになることは火を見るよりも明らかだった。従って、ドイツが怒っても少しも不思議ではない、と第三者の僕のような人間の目には映った。

ところがギリシャ人にとってはそうではなかった。週刊誌の写真はギリシャを侮辱するものだとして激しい反発が起こった。パリのルーブル美術館に所蔵されているミロのヴィーナスは、古代ギリシャの巨大な芸術作品のひとつであり、ヨーロッパの至宝である。週刊誌は、そのミロのヴィーナス像を汚した上にギリシャ人を侮辱したとして人々は怒った。中指を突き立てるのは欧米ではもっとも嫌われる行為。それは尻の穴に中指を突き立てる、という暗喩で顔に唾を吐きかけるのと同じくらいの侮辱、挑発と見なされる。

週刊誌は、神聖なヴィーナス像に最悪のアクションを取らせて彼女自身を侮辱した上に、そのヴィーナスの中指がギリシャの尻の穴にずぶりと突き立てられる、という実にえげつないメタファーを示してギリシャ国民を侮辱した、と多くのギリシャ人は感じた。今でこそ国力ではドイツに遠く及ばないが、ギリシャ人には、過去にヨーロッパの核を成す文化文明を生み出したという自負がある。それは歴史的事実である。だからギリシャ人は、彼らにとってはいわば「新興成金」に過ぎないドイツからの侮辱を甘んじて受けたりする気はない。その上、ドイツはナチスのおぞましい闇を抱えた国だ。思い上がるのもほどほどにしろ、と反発したのである。

ギリシャ人を含めた全てのヨーロッパ人は、ドイツの経済力に感服している。同時にドイツ以外の全てのヨーロッパ人は、心の奥で常にドイツ人を警戒し監視し続けている。彼らはヨーロッパという先進文明地域の住人らしく、ドイツ人とむつまじく付き合い、彼らの科学哲学経済その他の分野での高い能力を認め、尊敬し、評価し、喜ぶ。

しかし、ドイツ人は彼らにとっては同時に、残念ながら未だにヒトラーのナチズムに呪われた国民なのである。ドイツ以外の全てのヨーロッパ人が、心の奥で常にドイツ人を監視・警戒している、というのはそういう意味である。いや、ヨーロッパ人だけではない。米国や豪州や中南米など、あらゆる西洋文明域またキリスト教圏の人々が、同じ思いをドイツ人に対して秘匿している。

僕はここではたまたま、欧州危機の元凶とされるギリシャとイタリアに対するドイツメディアの反応、というところから論を進めることになったが、ドイツとギリシャあるいはドイツとイタリアとの関係性は、ドイツと欧米のあらゆる国とのそれに当てはまる。

それと矛盾するようだが、今メディアを通してドイツといがみ合っているイタリアを筆頭に、欧米諸国のほとんどの人々は、前述したようにドイツ国民の戦後の努力を評価し、アウシュヴィッツに代表される彼らの凄惨な過去を許そうとしている。しかし、それは断じて忘れることを意味するのではない。「加害者は己の不法行為をすぐに忘れるが被害者は逆に決して忘れない」という理(ことわり)を持ち出すまでもなく、ナチスの犠牲者であるイタリア人(枢軸国の一角であるイタリアも加害者だが、最終的にはイタリアはドイツと袂を分かち、あまつさえ敵対してナチスの被害を受けた)を含む欧米人の全ては、彼らの非道を今でも鮮明に覚えている。そのあたりの執念の深さは、忘れっぽいに日本人には中々理解できないほどである。

ドイツ国民は他者の寛大に甘えて自らの過去を忘れ去ってはならない。忘れないまでも過小評価してはならない。なぜなら、ドイツ国民が性懲りもなく思い上がった行動を起こせば、欧米世界はたちまち一丸となってこれを排斥する動きに出ることは間違いがない。ドイツと欧米各国の現在の融和は、ドイツ国民の真摯な反省と慎みと協調という行動原理があってはじめて成立するものであることを、彼らは片時も忘れてはならないのである。

ローズの勇気


ローズ・ニントゥンツェは身長186センチ、痩せ型、鼻筋のすっと通った輝くばかりに美しい30代前半のアフリカ人女性である。

 

彼女は、北イタリアのブレッシャ県を本拠にする、アフリカ支援が専門の大きなボランティア団体の秘書をしている。

 

ローズはその団体のメンバーのひとりである僕の妻と先ず親しくなった。妻とローズたちが行なう様々なボランティア活動の場で何度か顔を合わせるうちに、やがて僕も彼女の友だちになった。

 

先週末、ローズは妻と僕の要請に応じて、僕らの住む村の図書館で「ルワンダ虐殺」について講演をしてくれた。

 

ローズは「ルワンダ虐殺」に巻き込まれて九死に一生を得た過去を持つ。彼女は奇跡的に生き延びたが、母親と2人の兄および16人の親戚が事件の犠牲になった。

 

ルワンダにはツチとフツとトゥワという3種族がいる。

 

ルワンダの人口の約15%を占めるツチ族の人々は、長身で鼻が高く痩せ型。いわゆるマサイ系の人々である。ローズもツチ族の女性だ。

 

トゥワ族の人々は対照的に小柄。いわゆるピグミー系の種族で人口の1%に過ぎない。

 

人口の84%を占めるのがフツ族。彼らが普通に見られるアフリカの黒人の人々と言っていいだろう。

 

1994年に起きた「ルワンダ虐殺」は、同国の多数派であるフツ族の過激派が、少数派のツチ族と共に自らと同じフツ族のうちの穏健派を大量殺害した事件である。

 

事件はイギリス、イタリア、南アフリカの三ヶ国が共同制作した「ホテル・ルワンダ」でも詳しく描かれた。

 

「ルワンダ虐殺」では、約100日間におよそ50万人から100万人が犠牲になったとされる。それはルワンダ全国民の10%から20%にあたり、最終的には隣国のブルンジと合わせて120万人以上が殺害されたという説もある。

 

ローズは正確に言うと、当時は隣国のブルンジにいた。ルワンダとブルンジの二国は、かつては同じ国だった。ベルギーの植民地時代のことである。

 

ブルンジでも歴史的に少数派のツチ族と多数派のフツ族の対立が激しく、虐殺事件では同国も巻き込まれてツチ族の多くの人々が殺害された。

 

ローズはイタリアのブレッシャノ大学の卒業論文で、自らと家族が巻き込まれた「ルワンダ虐殺」にからめて、世界の虐殺事件を取り上げた。

 

昨年それを読んで感動した妻が、論文について講演してくれと頼んだが、ローズはあまり乗り気ではなかった。シャイな性格に加えて、巻き込まれた虐殺事件のトラウマもあって中々そんな気になれなかったのである。

 

その後は僕も妻と共に彼女を説得した。今年になってローズは、顔見知りが多い僕らの村の小さな図書館でなら、という条件付きでようやく講演をOKしてくれた。

 

最近できた彼女の恋人のイタリア人ドクターの後押しも大きかった。ドクターも多くのアフリカの子供たちを助ける活動をしている。

 

それはとても良い講演になった。そこに出席した人々の何人かが、妻同様にすっかり感動して、ローズにそこかしこでのレクチャーを頼んでいる。

 

シャイで控えめなローズは、そのことにかなり困惑している。

 

僕らはローズの勇気と講演の成功を喜ぶと同時に、彼女をあちこちのイベントに引っ張り出そうとする人々を制止するのに苦労しているほど。

 

ローズがその気になって、どんどん講話を引き受けてくれれば一番いいのだが、今のところはそれはとても望めそうにない。

 

僕らは連絡をしてくる人々に事情を話し、どうかローズの気持ちを尊重してしつこくしないでほしい、と釘を刺したうえで彼女に取り次いでいるが・・

 


愛のカテリーナ



雪解けの庭の一角にウサギのカテリーナがいた!

 
丸々と太って。元気いっぱいで。

 

庭やブドウ園の草は厳寒の今も完全には枯れず、ウサギの餌は充分にある分かってはいても、一面が雪におおわれた景色を見ているとやはり心配だった。

 

雪が降っても積もっても、わが家の敷地まわりには倉庫や石垣や門扉脇などにたくさんの庇(ひさし)や日よけや屋根がある。そこには雪はない。草もよく茂る。

 

でも大雪になると、さすがにそれらの空間の多くも「流れ雪」に見舞われてうっすらと綿帽子をかぶる。古い倉庫内を除いて。

 

それなので、積雪中はカテリーナが気になって何度か倉庫周りや中を覗いてみた。しかし、一度も見つけることができなかった。

 

飢え死にすることはあり得ないと分かっていても、姿が見えないとやはりどうしてもやきもきした。

 

白状すると、僕はもうカテリーナは死んだのだとさえ考えたりした。

いろいろな可能性があった。

 

まず庭師のグイドがカテリーナを捕らえて食べてしまったこと。あるいはブドウ園やワイナリーの従業員や近所の農夫の可能性・・

 

また、犬や猫や、あるいはそれとは全く違う野生動物の餌食になったかも知れないこと。

 

さらに、もしかすると、わが家の敷地の外に逃げ出して、誰かに捕らえられたか、交通事故に遭った確率も・・・

が、

逃亡物語りの場合には、近くの畑地や藪や森にまぎれ込んで、そこで生きのびている見込みもあるので、少しの安心も。

しかし、

 

そのどれもが思い過ごしで、カテリーナはちゃんとわが家の敷地内で生きていた!

では、

 

雪が解けると同時に姿を見せたカテリーナは一体どこにひそんでいたのだろうか?

 

白い保護色を頼りに雪の中?

まさか。

 

やはり最も可能性が高いのは、倉庫の中だろう。

 

カッシーナと呼ばれる巨大倉庫は、あちこちが朽ちかけている農業用施設。

かつて、貴族家の屋台骨を支えた巨大農地と農業の、そのまた屋台骨となった建物。

 

何かの奇跡で資金が手に入れば、倉庫を改修して売却あるいは賃貸に出して、伯爵家の建物などの莫大な維持費に宛てたい、と僕が密かに考えているほどの古い大きな価値ある「準」廃屋。

 

カテリーナは、そんな建物を独り占めにして生きている・・


ウ~む、なんとゼイタクな・・・




ステレオタイプたちのステレオタイプなののしり合い(Ⅰ)



財政危機で四苦八苦しているEU(ヨーロッパ連合)の加盟国間に不協和音が深く静かに鳴り響いている。イタリアの豪華客船コスタ・コンコルディアが座礁した事件にからんで、ドイツの有力ニュース週刊誌「デア・シュピーゲル」が客船のフランチェスコ・スケッティーノ船長を非難する記事を発表した。そこまではいいのだが、記事は「スケッティーノ船長がもしもドイツ人かイギリス人だったなら、決してあのような軽薄な操船をすることはなく、船を見捨てて自分だけが助かる行動も取らないだろう。スケッティーノは典型的な卑怯者のイタリア人だ」という趣旨の論陣を張ってしまった。


この記事に対してイタリア中が激しく反発し、イタリアのドイツ大使も正式にデア・シュピーゲルに抗議をする騒ぎになった。つまりイタリアは国民のみならず政府も一体になってドイツに反発しているのである。ドイツ人が持つイタリア人へのステレオタイプな見方に対してイタリアの各メディアは怒りを表明したが、特にミラノの新聞「イル・ジョルナーレ」は『われわれにスケッティーノがあるなら、ドイツ人のお前らにはアウシュヴィッツがある』というキツイ見出しで反ドイツキャンペーンを張り、「ドイツ人へのステレオタイプな見方」に縛られている多くのイタリア国民の支持を得た。

さらに同紙はドイツ人の臆病と卑怯の典型として、2009年9月4日にアフガニスタンで起きたジョージ・クレイン大佐のアフガニスタン市民虐殺事件を引き合いに出して論じた。ドイツ軍のクレイン大佐はタリバンを怖れるあまり、自らは安全な場所に身を隠したまま市民のいる場所を友軍に爆撃させて102人を殺害した。そのことが明るみに出たとき、ドイツ防衛相は辞任に追い込まれた。大佐の行動は、彼が軍人であることを考慮すればなおさら、臆病と卑怯さにおいてスケッティーノ船長をはるかに凌駕する、と新聞はたたみかけた。

イタリア国民が他者の評価や指弾に本気で反発するのは稀である。彼らは外国からの批判や揶揄や悪口には動じない。むしろそれを受け入れて冷静に分析したり受け流したり無視したりする。こう書くと、熱い血を持つラテン人、というステレオタイプのイタリア人像に染まっている人々はきっと驚くだろう。彼らは確かに興奮しやすく大げさな言動も多いのだが、自らを見つめる自己批判の精神が旺盛で日ごろから物事を冷静に見つめるところがある。古代ローマ帝国を築き、繁栄させ、滅び、分裂し、イタリア共和国に収斂するまでの、波瀾と激動と紛擾に満ち満ちた長い歴史の中で培われた「大人の精神」は実は、冷静で緻密で真面目な印象のあるドイツ人よりも、イタリア人の中に顕著なのである。

デア・シュピーゲルの記事はタイミングも悪かった。巨大客船の運行を一手に任されていた男が、個人的な付き合いのある元船乗りを喜ばせるために巨船を無理に陸側に近づけて岩礁に激突、座礁せしめるという前代未聞の行為。その上、船と運命を共にするはずの同船長は、信じがたいことに乗客・乗員合わせて4200人もの人々を沈み行く船に残して、自らは救命ボートに乗り移ってのうのうと生きのびた。イタリア中がスケッティーノ船長の驚愕の行動に言葉を失い、困惑し、大きな怒りに包まれているそのただ中に、デア・シュピーゲルの記事が出てしまったのである。

イタリア国民は二重の意味でこれに激烈に反発した。まず、彼ら自身が誰よりもよく知っているスケッティーノという男の卑劣を、ドイツ人記者があたかも新発見のようにしたり顔で言い募ったことへの怒り。そして二つ目、これが一番大きいのだが、スケッティーノという個人の失態を「イタリア人全体の失態」ととらえて、イタリア人は皆同じ、つまりイタリア人は皆スケッティーノ」というニュアンスで論理を展開したことへの怒りである。ステレオタイプのカタマリ以外の何ものでもない愚かな主張に、イタリア中が激昂のマグマと化してしまった。そこから右寄りの新聞「イル・ジョルナーレ」の『われわれにスケッティーノがあるなら、ドイツ人のお前らにはアウシュヴィッツがある』という厳しい言葉を使った反撃記事が出るまでは時間を要さなかった。ドイツ人=アウシュヴィッツというくくり方は、昨今の欧米論壇ではほとんどタブーに近い表現である。

デア・シュピーゲルのステレオタイプにイル・ジョルナーレがステレオタイプで言い返しただけ、という見方もできるが、毒矢の大きさはイル・ジョルナーレの方がはるかに大きい。記事を書いたデア・シュピーゲルのフレシャウアー記者は、そのつもりがないままイタリアに切りつけてみたが、激しい返り討ちに遭ってしまった、という具合である。

ところで、このフレシャウアー記者の「そのつもりがないまま」というアブナイ態度が何を意味するかというと、それはずばり、想像力の欠如ということである。ここで言う想像力とは、今自分が描写したり表現している事案が「ステレオタイプになっていないかどうか」と一瞬立ち止まって絶えず自問することである。それだけでも多くの間違いが回避できる。人は誰しも「ステレオタイプなものの見方」から完全に自由でいることはできない。しかし、ステレオタイプの可能性を絶えず意識する者と、そうでない者の間には天と地ほどの違いが生まれるのである。

卑怯という言葉がひどく軽く見えるほどのスケッティーノ船長の驚愕の行為を、誰よりも先に非難し、怒り、罵倒するのはイタリア人であろう、と想像するのはたやすいことではなかっただろうか?フレシャウアー記者にはそのほんの少しの想像力が欠如していた。その想像力の欠如という致命的な欠陥は、もっと大きな間違いにつながった。つまりステレオタイプをあたかも重大な発見でもあるかのように書き連ねたことである。この愚かさが、フレシャウアー記者一人のものであることを祈りたい、と言いたいところだが、それはきっとあり得ない。

雑誌記事は記者が書いたものがそのまま掲載されることはまずない。編集者やデスクや編集長や部長や局長など、雑誌の責任者らが目を通し管理をした後に掲載が決定される。ということはつまり、デア・シュピーゲルの責任者達は誰一人として、フレシャウアー記者の書いた記事のステレオタイプな内容に気づかなかった。だからその記事は世の中に出た、ということになる。

それは偶然だろうか?・・・僕にはとてもそうは思えない。

考えられるのは、欧米では今でもよく指摘されることだが、ドイツ人の中にどす黒く沈殿しているごう慢な優越意識が彼らを支配して、皆が集団催眠状態に陥ってしまった。そのために記事の重大な誤謬が誤謬とは見なされずに表に出た。あるいは、彼らの全員が記事の誤謬を充分に知っていてあえて、つまり「わざと」それを世に問うた。もしそうだとするなら、ドイツ国民(読者)の中にヒトラーの選民思想につながる前述の優越意識があり、その要求に従ってジャーナリストたちは記事を発表したという考え方もできる。読者の読みたい内容を意識的に或いは無意識のうちに提示することが多いのが、メディアのアキレス腱の一つだ。

もし本当にそこにナチスの過去の魁偉に直結するようなものがあったとしたら、それはまず誰よりもドイツ国民にとってマズイことである。なぜなら、ドイツを除く欧米各国の国民は、アウシュヴィッツの惨劇とナチスの極悪非道な振る舞いを、今もって微塵も忘れてはいないのだ。それはヨーロッパやアメリカに住んでみれば誰でも肌身に感じて理解できる、いわば欧米の良心の疼きである。開かれた文化文明を持つ西洋人は、ナチスの台頭を許してしまったドイツ人の過去の「誤り」を許すつもりでいて、ドイツ国民に対してそのように振る舞っている。が、誰一人としてその歴史事実を忘れてなどいない。

イタリア人の場合はなおさらだ。彼らにはヒトラーと手を結んだムッソリーニを有した歴史がある。最終的にはイタリアはドイツと袂を分かち、あまつさえ敵対してナチスの被害を受けたが、初めのうちはナチスと同じ穴のムジナだった、という負い目がある。だから彼らは他の欧米諸国民よりもドイツ人に対して寛大である。彼らが過去に数え切れないほど起きた、ドイツメディアのイタリアへの皮肉や非難やステレオタイプに常に鷹揚に対してきたのもそうした背景があるからである。しかし、イタリア国民の多くは今回のデア・シュピーゲルの記事に対しては激しく反論し、今も反発している。これまでとは何かが違っている。それは恐らく今ヨーロッパに大きな影を投げかけている財政危機とも関係がある。

が、それでなくても、アウシュヴィッツの非道を人々に繰り返し思い起させるような行動は、ドイツにとっては少しも良いことではない。なぜなら人々はその度に、ドイツ人が未だにナチスそのものでありアウシュヴィッツの悪魔である、という巨大なステレオタイプにとらわれて、あっさりと過去に引き戻されて盲信してしまうことが多いからである。

それはドイツ国民が戦後、自らの過ちを認め、謝罪し、ナチスの悪行を糾弾し続けて世界の信頼を徐々に取り戻してきた、自身の必死の努力をご破算にしてしまいかねない、愚かな行為以外のなにものでもない。

 

 

スケベで嘘つきで怠け者のイタリア人?


【加筆再録】

 


世界の24時間衛星放送局の報道も、新聞に代表される紙媒体も雑誌も、そしてネットも、依然としてヨーロッパの財政危機問題で埋めつくされている。ヨーロッパ経済が沈没すれば、この地球上のあらゆる国や地域がその影響をもろに受けるのは火を見るよりも明らかだから、世界中のメディアが騒ぎ立て、議論百出して紛糾するのは当然である。

 

中でも当事者であるEU諸国のそれはかしましい。そしてそのEUの中でも、ギリシャと共に危機の元凶みたいに見なされてしまったここイタリアでは、高名な経済学者や財務官僚や金融アナリストや銀行トップや大投資家などが、メディアの要請に応じて理路整然とした数字の理屈や高邁な考察や主張を、これでもかこれでもかとばかりに連日連夜開陳している。

そうした中で、経済も数字もゆるく見えかねない自分の意見を言ったり書いたりするのは不謹慎に映りそうで気が引けるが、経済でさえ断じて数字やファンダメンタルズや理論だけで動くものではないから、僕は僭越を承知であえて人間存在の本質、つまり感情という不透明で面倒でやっかいなものに引き摺(ず)られることが多い不思議にこだわって、記事を書き続けて行ければと考えている。

僕は日本人だが、イタリア的な軽さと寛大と明朗を愛し、できれば彼らに倣(なら)いたい一心でここに住み、テレビ番組を作り、文章を書き、主張をしている。それなので僕の一連の悪文は、論理と数字と科学の明晰だけを愛する方々には、きっと不快なものであると思う。従ってそういう方々は読むのはここまでにして、どうか他の記事や論文や主張にページを移していただき、それらを吟味することに貴重な時間を使ってほしい、と腹の底からの誠実で申し上げておきたい。

閑話休題

先日の記事「“違うこと”は美しい」の中でチラと書いたことにも重なるが、イタリア人(特にイタリア男)のイメージの一つに「スケベで怠け者で嘘つきが多く、パスタやピザをたらふく食って、日がな一日カンツォーネにうつつを抜かしているノーテンキな人々」というステレオタイプ像がある。ここではその真偽について、僕なりの考えを少し述べたい。

イタリア人は恋を語ることが好きである。男も女もそうだが、特に男はそうである。恋を語る男は、おしゃべりで軽薄に見える分だけ、恋の実践者よりも恋多き人間に見える。

ここからイタリア野郎は、手が早くてスケベだという羨ましい(!)評判が生まれる。しかも彼らは恋を語るのだから当然嘘つきである。嘘の介在しない恋というのは、人類はじまって以来あったためしがない。

ところで、恋を語る場所はたくさんあるけれども、大人のそれとしてもっともふさわしいのは、なんと言っても洒落たレストランあたりではないだろうか。イタリアには日本の各種酒場のような場所がほとんどない代わりに、レストランが掃(は)いて捨てるほどあって、そのすべてが洒落ている。なにしろ一つ一つがイタリアレストランだから・・。
 
イタリア人は昼も夜もしきりにレストランに足を運んで、ぺちゃクチャぐちゃグチャざわザワとしゃべることが好きな国民である。そこで語られることはいろいろあるが、もっとも多いのはセックスを含む恋の話だ。実際の恋の相手に恋を語り、友人知人のだれ彼に恋の自慢話をし、あるいは恋のうわさ話に花を咲かせたりしながら、彼らはスパゲティーやピザに代表されるイタリア料理のフルコースをぺろりと平らげてしまう。
 
こう書くと単純に聞こえるが、イタリア料理のフルコースというのは実にもってボー大な量だ。したがって彼らが普通に食事を終えるころには、二時間や三時間は軽くたっている。そのあいだ彼らは、全身全霊をかけて食事と会話に熱中する。どちらも決しておろそかにしない。その集中力というか、喜びにひたる様というか、太っ腹な時間のつぶし方、というのは見ていてほとんどコワイ。
 
そうやって昼日なかからレストランでたっぷりと時間をかけて食事をしながら、止めどもなくしゃべり続けている人間は、どうひいき目に見ても働くことが死ぬほど好きな人種には見えない。

そういうところが原因の一つになって、怠け者のイタリア人のイメージができあがる。
 
さて、次が歌狂いのイタリア人の話である。

この国に長く暮らして見ていると、実は「カンツォーネにうつつを抜かしているイタリア人」というイメージがいちばん良く分からない。おそらくこれはカンツォーネとかオペラとかいうものが、往々にして絶叫調の歌い方をする音楽であるために、いちど耳にすると強烈に印象に残って、それがやたらと歌いまくるイタリア人、というイメージにつながっていったように思う。

イタリア人は疑いもなく音楽や歌の大好きな国民ではあるが、人前で声高らかに歌を歌いまくって少しも恥じ入らない、という質(たち)の人々では断じてない。むしろそういう意味では、カラオケで歌いまくるのが得意な日本人の方が、よっぽどイタリア人的(!)である。
 
そればかりではなく、スケベさにおいても実はイタリア人は日本人に一歩譲るのではないか、と僕は考えている。

イタリア人は確かにしゃあしゃあと女性に言い寄ったり、セックスのあることないことの自慢話や噂話をしたりすることが多いが、日本の風俗産業とか、セックスの氾濫(はんらん)する青少年向けの漫画雑誌、とかいうものを生み出したことは一度もない。

嘘つきという点でも、恋やセックスを盾に大ボラを吹くイタリア人の嘘より、本音と建て前を巧みに使い分ける日本人の、その建て前という名の嘘の方がはるかに始末が悪かったりする。
 
またイタリア人の大食らい伝説は、彼らが普通一日のうちの一食だけをたっぷりと食べるに過ぎない習慣を知れば、それほど驚くには値しない。それは伝統的に昼食になるケースが多いが、二時間も三時間もかけてゆっくりと食べてみると、意外にわれわれ日本人でもこなせる量だったりする。
 
さらにもう一つ、イタリア人が怠け者であるかどうかも、少し見方を変えると様相が違ってくる。

イタリアは自由主義社会(こういう言い方は死語になったようでもあるがイタリアを語るにはいかにもふさわしい語感である。また自由主義社会だから中国を排除する)で、米日独仏につづいて第5番目か6番目の経済力を持つ。IMFの統計ではここのところブラジルの台頭が著しいが、イタリアはイギリスよりも経済の規模が大きいと考える専門家も少なくない。言うまでもなくこれには諸説あるが、正式の統計には出てこないいわゆる「闇経済」の数字を考慮に入れると、イタリアの経済力が見た目よりもはるかに強力なものであることは、周知の事実である。
 
ところで、恋と食事とカンツォーネと遊びにうつつを抜かしているだけの怠け者が、なおかつそれだけの経済力を持つということが本当にできるのだろうか?
 
何が言いたいのかというと・・

要するにイタリア人というのは、結局、日本人やアメリカ人やイギリス人やその他もろもろの国民とどっこいどっこいの、スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎に過ぎない、と僕は考えているのである。

それでも、やっぱりイタリア人には、他のどの国民よりももっともっと「スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎」でいてほしい。せめて激しくその「振り」をし続けてほしい。それでなければ世界は少し寂しく、つまらなく見える。

 

ローマの雪と猿と郷愁(?)と・・



今日もはらはら、ひらひらとうすい小さな綿のような雪が舞い落ちている。

 

僕の書斎兼仕事場から見下ろすブドウ畑には、雪が厚く敷きつめられて、冬枯れたブドウの木が白い大地に突き立てられたように整然と並んで広がっている。

 

今のところ、ブドウの木々をおおい隠すほどの雪は降りそうにない。アルプスから遠くない村にあるわが家の周りには、ひんぱんにではないがドカ雪が降ってけっこう難渋することがある。

 

実際にイタリアの各地で大雪が降って、交通機関の混乱にはじまる困難や被害が広がっている。それなのに北イタリアにあるわが家の一帯には、ほとんど雪の影響は出ていないのである。

 

美しいと思えるほどの雪ならいいが、イタリアのほかの地域や新潟をはじめとする北日本の大雪などは、つらい。

 

わが家のあたりは、北陸や東北のように豪雪に見舞われる不運は起こりにくい。アルプスや前アルプスの山々が盾になって、雪雲の南下を絶つからである。

 

それでも時どき往生するような積雪がある。今がその時かと身構えているのだが、何度も言うように大雪になりそうな気配がない。南イタリアなども雪に手を焼いている日々なので、アルプスの山を望む北イタリアの村にいる自分は、ちょっと不思議な気分がするのである。

ローマも雪で難儀をしている。

 

イタリアきっての高級紙(全国紙)「Corriere della Sera(コリエーレ・デッラ・セーラ)」は昨日、古代ローマ帝国の戦士の甲冑を着た大道芸人が、雪に煙るコロッセオを背景にとぼとぼと歩いて帰宅する様子の写真と共に、首都の雪害を一面トップで報じた。

 

観光客を相手に商売をする写真の大道芸人は、まるで(チクショー、商売あがったりだ、バカ雪め!)とでもつぶやきながら、仕事場の観光スポットを後にしているように見えて秀逸。

 

同紙は一面トップから3ページに渡って、大雪によるローマのてんやわんやを伝えているが、掲載された写真がどれもこれも面白い。

ローマの大通りでスキーをする男や、二人の女性が、雪をものともしない足肌の露出したエレガントなハイヒールを履いて、トレビの泉の前を歩く姿など、ただの雪景色ではないユーモラスな絵が多い。

 

その中でももっとも僕の気を引いたのは、ローマの動物公園の日本猿の姿。

降りしきる雪の中、頭に綿帽子をかぶって木の枝に「ひとり」チョコンと座っている。

どう見ても
1匹ではなく「ひとり寂しく」という感じ。

そして、

(もし日本なら大勢の仲間といっしょに温泉に浸かれるのになぁ)


とでもつぶやいているような・・


でも、


実際にそうつぶやいたのは、僕だったのである。


日本から遠く離れたローマの動物公園で、たったひとり(写真だけを見れば)寒そうに座ってこちらを見つめている猿君は、断じて猿なんかではなく「ひとりの同胞」(笑)としてしか僕の目には映らなかった・・



荒ぶる雪景色の情緒



イタリアも日本同様に大雪に見舞われている。交通機関がマヒし大きな被害が出ている。

 

北イタリア・ロンバルディア州の片田舎、わが家のあるフランチャコルタ地方は、一昨日から間断なく降りつづけている雪であたり一面が白銀のパノラマに変わった。

 

他の地方に比べてフランチャコルタには降雪は遅く来た。その代わりに最低気温が氷点下10度近くに留まる寒い日が続いていたのである。

 

おととい始まった雪降りは、始めは無風状態の中のこな雪だったが、間もなく無数の白蝶が踊るかと見まがう、わた雪に変わって積もり始めた。

 

今は、少しの風に押されてわずかに横に乱れ舞う、つぶ雪が降りしきっている。言葉を換えれば、少し横なぐりに落下しつづける細雪(ささめゆき)。谷崎潤一郎の世界・・

 

こう書きながら、雪の風情を想いはじめた。雪の風情とは、雪にまつわる言葉の風情と考えることもできる。雪を表す日本語は秋言葉をはるかに凌ぐほど数が多い。

 

新沼謙治という演歌歌手の歌に、7種類の津軽の雪を愛でたフレーズがあるが、それは太宰治の小説「津軽」に出てくる雪の名称である。即ち:こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪、かた雪、ざらめ雪、こおり雪の7つ。

 

7種類でもずいぶん多いようだが、降雪と積雪に大別される雪の呼称は、実は7種類どころではないのである。文学的な表現を加えれば、数え切れないと言いたくなるほど数が豊富である。

 

今思い出すだけでも7つのほかに新雪、もち雪、ぼたん雪、みぞれ雪、はい雪、あわ雪、大雪、垂(しず)り雪、べた雪、うす雪、しら雪、にわか雪、み雪、忘れ雪・・etc、etc

と枚挙にいとまがない。

 

だが秋言葉などと同じで、雪を表す言葉もイタリア語には多くない。イタリア語に限らず欧米語の常である。

 

言葉の乏しさは現実の光景にも影響を与えずにはおかない。それはもちろん人間心理の綾(あや)が投影されたもので、自然そのものは何も変わらない。しかし、雪言葉の少ないこの国で見る雪には、風情がそれほどないように感じるのも又事実なのである。

そう感じるのは恐らく、今ここで言葉あそびをしている僕のような人間の、ちょっとゆがんだ感覚がなせるわざに違いない。ペダンチックと言うと少し大げさだが、日本語の多くの雪言葉を通して、いま降りしきっている雪を見ることから来る気取り、くさみ、しったかぶり・・のようなもの。


そこで、

懸命に邪念を振り切って、ありのままの雪景色を見つめようと気持ちを集中してみる。すると、まだドカ雪にならない一帯の白い眺望は、やはり美しく、それなりの深い感慨を見る者に抱かせずにはおかない。

 

静かに降りしきるつぶ雪は、わが家の庭とブドウ園にあるエノキとシナノキにまるで樹氷のような白い大輪の花を咲かせている。

 

綿帽子をかぶった家々の屋根を見下ろしてそびえる巨木の雪の花は、樹氷のようなきらめきや輝きはないものの、イタリアの自然らしく男性的に荒く、雄雄しく咲き誇っている。

 

巨大な雪の花の間に遠景をのぞかせるはずの標高およそ2千メートルのカンピオーネ山は、今日は雪煙の彼方に消されて見えない。そのさらに先に望めるアルプスの山々ももちろん視界には入ってこない・・

 

閑話休題

 

僕は庭の大木たちをエノキにシナノキと書き記しているが、それらの木はイタリア語ではそれぞれ「bagolaro」に「tiglio」と言う。辞書で調べると、それぞれエノキとシナノキ(フユボダイジュとも)となるが、実はシナノキは日本特産の木である。従ってその木の名称はホントは西洋シナノキ、とでも呼ぶべきものではないか、と僕は勝手に考えたりもしている。

 

ついでに言えば、bagolaro(エノキ)は別名spaccasassi(スパッカサッシ)つまり「石割木」という。その名前は、荒涼とした山の岩盤などを突き破って育つ、ド根性幼木をも連想させて僕はとても好きである。

 

 

 


イタリア危機地元の明け暮れ



欧州危機は収まるどころか、フランス国債の格付け引き下げが取り沙汰されて金融市場が悶々とする中、その欧州危機の台風の目である「イタリア危機」渦中のこの国は、モンティ新政権が打ち出した緊縮財政策に対する国民の受容と諦めと、そして当然ながら怒りも巻き込んで、一年で最も大きな消費経済活動が展開されるクリスマス期を迎え、乗り切って、今は新年を待つばかりとなっている。

 

緊急財政緊縮策は案の定イタリアの景気に暗い影を投げかけた。イタリア人はクリスマスイブと大晦日に「チェノーネ(cenone)」と呼ばれる巨大食事会を各家庭やレストランや宴会や懇親会などで催す習慣がある。

 

去ったクリスマスイブの夕食と、翌クリスマス当日の昼食の2食で、イタリア全国では23億ユーロ(約2400億円)分の飲食物が消費された。それはたった2食分の消費量としては、一人頭の計算では恐らく世界でも1、2を争う水準の金額であると考えられる。

 

しかしその巨額の飲食費は実は、昨年に比べて18%少なく且つ2000年以来で最低の水準だった。モンティ首相の緊縮・増税策はやはり、国民の消費意欲にブレーキを掛けることになったのである。クリスマスイブの夕食よりもさらに大きな消費が期待される大晦日の「チェノーネ」も、昨年に比べて大幅な減少になると試算されている。

 

その実態を見て、たった一ヶ月余り前に失脚(と言ってもあながち過言ではないだろう)したばかりのベルルスコーニ前首相は、自らの失策を棚に上げて「増税策が不況を招きつつある。不況になれば国民に信を問う選挙は避けられず、わが党の勝利は間違いない」と、権力にしがみついていたい本音をあからさまに口にし始めた。

 

先日発効されたモンティ首相の緊急財政策の一つに、1000ユーロを越える全ての取引の電子化を義務付ける脱税防止措置がある。イタリアの脱税額は1年で2000億ドル、16兆円程度(それよりもはるかに多いという説もある)と見られている。脱税の防止は歴代政権の最重要課題の一つだが、なかなか有効な手を打てずにきたというのが現実である。

 

そうしたなか、1227日付のミラノの新聞「Libero」にドイツの脱税問題を大きく扱った記事が掲載された。首をうなだれて悩む恰好のドイツ・メルケル首相の写真と共に「脱税はドイツの国民的スポーツ」という刺激的な見出しが躍(おど)る報告だった。

 

ドイツ税務労働者組合(German Tax Workers Union)のトップ、トーマス・エイゲンターラー氏はその記事の中で、国外送金を隠れ蓑にしたドイツ人の脱税額は1年で約300億ユーロ(約31千億円)に登ると語っている。

 

しかし実は、外国を巻き込んだそうした「目立つ」脱税例とは別に、ドイツ国内の連邦、州、自治体などに於ける脱税の総額は年間1000 億ユーロ(10兆円余)を超える、というのが定説である。イタリアよりかなり低い数字だが、EUの優等生ドイツにもやはり脱税問題は存在する、という当たり前の話である。

 

脱税というのは欧州内では南に行くほどひどくなる印象がある。北欧よりは南欧、その南欧の中でも例えばイタリアなら北部イタリアよりローマ、ナポリ、シチリア島と南に下るほど脱税への罪悪感が薄れて行き、国境を越えてギリシャに至ると、もはや脱税がトーマス・エイゲンターラー氏の言う「人々の国民的娯楽」のようにさえなってくる。いや娯楽という生易しいものではない。まさに生活そのもの、とでも言った方がいい日常茶飯の出来事である。

 

たとえば僕が今夏滞在したギリシャでは、アテネよりもエーゲ海の島々に明らかにその傾向が強かった。一つ具体的な例をあげると、アテネではガソリン代をカードで支払うことができるが、エーゲ海のミロス島では現金以外は一切受け付けなかった。カードでは売買記録が残って課税を免れない。そこで島のガソりンスタンドでは客に現金清算を強要する。そればかりか、レンタカー会社などでは値引きをしてまでカードでの支払いを避けようとする。ことほど左様にヨーロッパでは、一般的に南に下るほど脱税への罪意識は低くなっていくのである。

 

とは言うものの、少なくともここ北イタリアあたりでは「1000ユーロを越える全ての取引の電子化」という脱税防止策は、効を奏しつつあるように見える。銀行は1000ユーロ超のキャッシュの動きについては顧客にその都度注意を促がし、出入りの職人や自動車整備士などとの間の支払いも、現金ではなくカードや小切手を使うようになっている。そうしたやり取りには確実に20%の消費税が加算されるのは言うまでもない。

 

 


ミラノ・スカラ座にはイタリア危機などないのだ。のだ!


さすがはイタリア人。役者やのう~、という思いで僕はマリオ・モンティ・イタリア新首相のパーフォーマンスを眺めていた。

 

財政危機で国中が緊張しているさ中の12月7日、首相はなんとエルザ夫人を伴なって、ミラノのスカラ座のオープニング公演に悠然と顔を出したのである。しかもそこにはナポリターノ大統領夫妻も同席するという周到振りだった。

 

オペラの殿堂、ミラノのスカラ座の公演は毎年12月7日がシーズン初日と決まっている。イタリアはもちろん世界中のセレブ、つまり王侯貴族や芸術家や富豪や映画スターや政治家等々が一堂に会する大イベントである。

そのきらびやかなスカラ座の初日に、
タキシードを身にまとった宰相と国家元首が夫人と共にロイヤルボックスに並んで座って、2011年~2012年のオペラシーズンの華々しい幕開けをさらに盛り上げたのである。

  

オペラ初日の3日前の12月4日、モンティ首相は深刻なイタリア財政危機の回避をねらった300億ユーロ(約3.2兆円)の緊縮会計策を発表した。

 

その中身は国民に多くの苦痛を強いる内容で、付加価値税率を2ポイント引き上げるほか、年金支給開始年齢も大幅に引き上げる。さらにベルルスコーニ前首相が廃止した居住用不動産への固定資産税を復活させ、ヨットや高級車種などのぜいたく品に対する新税も導入する。また脱税防止策として、1000ユーロを越える全ての取引の電子化を義務付けることなどを盛り込んでいる。

 

ひとことで言うと、100億ユーロ余りを歳出削減で、また残りの約200億ユーロを増収分でまかなう計画である。

 

緊縮策は実は週明けの12月5日に発表される予定だった。が、スカラ座のオープニング公演を鑑賞すると決めていたらしい首相は、あえてそれを一日繰り上げて閣議決定し、公表したのである。スカラ座でのパフォーマンスまでに、少しでも長い緩衝(かんしょう)期間がほしかったのだろう。

 

そうとは知らない国民の多くは、前倒しの政策発表が首相と新内閣の「やる気」の表れた仕事振りだと思い、その動きを歓迎した。結果、首相の「やる気」は本物で、その上さらに深謀遠慮とも言える計画があったことが明らかになった。それが首相自身と大統領によるオペラ観劇だったのである。

 

その目的は、国内はもちろん世界中のメディアが注視するスカラ座の晴れの舞台で、優雅にゆったりと行動してみせることでイタリアの国家財政が修正可能であり、安泰であることを国民に印象付けるための演出だったと考えられる。

 

同時にそれは賭けでもあった。国民に多大な犠牲を求める政策を推し進めている当人が、この厳しい緊急時にオペラ鑑賞なんて何を悠長な、不謹慎な、と強い非難が湧き起こっても不思議ではなかったからである。

 

結果として首相の賭けは成功した。大統領と二人三脚で演じたパーフォーマンスは功を奏して、国内メディアはスカラ座の舞台と、2人の首脳をはじめとする観客の写真を一面トップにふんだんに使って報道を続けた。おかげでイタリア国民は、財政危機の憂うつをしばし忘れて、スカラ座のきらびやかな舞台と出席者の典雅な遊宴模様に酔いしれたのである。

 

それは地に落ちたイタリア国民の誇りをくすぐる十分な効果があった。

イタリア経済は先進国の中で二流か三流、もしかすると四流かもしれない。その結果、イタリアには財政危機がもたらされた、という国民の忸怩(じくじ)たる思いは、スカラ座の舞台と出席者が織り成すきらびやかな絵模様を目の当たりにした時に遠くに消えて、芸術文化における独創性と見識は、未だ世界中のどの国にも負けない、というイタリア人の誇りが甦ったのである。

  

僕は新首相のしたたかな動きを見ながら、イタリア人が好んで口にしたがる格言を思い出した。曰く「イタリア共和国は常に危機を生きている」。

 

都市国家と呼ばれた多くの独立国が、わずか150年前に結びついて統一国家となったこの国では、あらゆる事案に意見が百出してまとまる物も中々まとまらない。まとまらないから政治経済がしばしば滞(とどこお)り紛糾する。イタリアのほとんどの危機の本質はそこにある。しかし余りにも危機が多いために、イタリア人はそれに慣れて、めったに慌(あわ)てることがないという余得も生まれた。彼らはあらゆる危機をアドリブで何とか乗り切ることに長(た)けている。今回の財政危機もたぶん同じ結果になるのだろう。

 

この国の人々は、ギリシャ危機の影響もあって、今回の債務危機に対しては早くから犠牲を払う覚悟ができていたように思う。モンティ首相のパフォーマンスが肯定的に受け止められたのは、その辺にも原因があるのだろう。国民の暗い心に一条の光を投げかけたのが、首相の動きだったのだ。

 

今のところイタリアは、自国の救済も含めた欧州債務危機に関しては、一国が成すべきことを一応全てやったと感じている。国内には緊縮策に対する反対ももちろんあるが、国民は最終的には政府が打ち出した案を全面的に受け入れるだろう。そのほかには道はない、とういうのがイタリア国民の総意であるように見える。

 

あとはイタリアが属するEU(ヨーロッパ連合)の出方次第である。イタリア経済が沈没するようなことがあれば、それはEU圏の崩壊につながりかねないのだが、当のEUは一枚岩ではなく、イギリスが包括的な財政統合案を拒否するなど、依然として不透明な状況が続いている。

 

イタリア国民は、強い楽観と、一抹の不安と、この先の生活の劣化の可能性をひしひしと肌身に感じながら、事の成り行きをじっと見守っているというところである。



贖罪という名の愚弄


「渋谷君

 

君の要望に答えて新聞とネット論壇に寄稿した僕の記事を転載します。

ネット雑誌では、記事は掲載されてもすぐに古くなって次のネタに取って代わられるから忙しい。君が見逃したのも仕方がないね。
 

 

―――――――――――――――――――――――


~謝り過ぎるのは、謝らない、と同じこと~

 

テレビドキュメンタリーや報道番組のディレクターという仕事柄、僕は連日CNN、アル・ジャジーラ、BBCインターナショナル等々の24時間衛星放送やNHKなどの報道番組をリアルタイムで追いかけ、同時に新聞や雑誌などにも絶えず目を配っています。最近そこにインターネットという途方もなく強力な文明の利器が加わったおかげで、僕は今では遠いイタリアにいながら、日本の様子が細大漏らさず、それこそ手に取るように分かると感じています。


そうした中で最近僕が追い続けてきたのが普天間基地の移設問題です。多くの日本国民が基地の地元の皆さんに同情し、理解を示し、一刻も早い基地負担の軽減を願っています。また一方で相当数の国民の皆さんが、基地地元の動きを不可解と見なし、沖縄を補償金泥棒のように悪しざまに言い、ゆすり・たかりを生業とする怠惰な人々
、という見方さえしています。人種差別の本性とゴーヤー論争がステキな、あの愉快なケビン・メアさんと同じ発想ですね。

 

そうした人々の一部は、沖縄の民意など無視して普天間基地をさっさと辺野古に移設しろ、という驕慢(きょうまん)な心を隠して「本土はいったいいつまで沖縄に謝り続けるのだろうか」などと発言したりもします。

 

まったく彼らの言うとおりです。僕は全面的にその方々に賛成です。本当に、いったい本土はいつまで沖縄に謝り続けるつもりなのでしょうか。

 

本土はもうこれ以上沖縄に謝ってはなりません。なぜなら謝り続けるのは「謝らない」ことと同じであり、従ってそれは沖縄を侮辱し続けることだからです。

謝るとは、言うまでもなく間違いや失敗や不手際等々を認めて、反省し、再びそれを繰り返さないことを誓って「ごめんなさい」と頭を下げることです。そればかりではなく、謝った後に、同じミスを犯さないように努力をすること、またできれば実際にミスを犯さないこと、で謝罪は完成すると考えられます。

 

再び謝ることがあれば、それはまた同じ間違いを犯したということです。人間は間違うことの多い存在ですから、3度目に間違うこともあるでしょう。そこでもまた謝罪します。それはいいと思います。しかし、それ以後も謝罪がえんえんと続くようなら、それはもう謝罪ではありません。謝罪に名を借りた愚弄です。なぜなら間違いを犯し続けるということは、間違いを犯さない努力などしていないことを意味しています。口先だけで謝っていることにほかなりません。だから間違いを繰り返してえんえんと謝り続けるのです。

 

田中前沖縄防衛局長発言のあとの防衛大臣や野田佳彦総理の謝罪は言うまでもなく、現政権のこれまでの総理や閣僚、さらに歴代政権のお偉方や大臣や官僚も、しつこいくらいに沖縄に謝り続け、今も謝っています。間違いを正す努力などせずにただ口先だけで謝り続ける。つまり沖縄を侮辱し続けているのです。

 

本土の、つまり政府のその動きは日本国の品格を貶(おとし)めています。国家は人と同じです。誠実を欠く者が人として劣るように国家も誠実を欠けば下卑てしまう。民主主義を標榜する世界の文化・文明国は、例外なく自国の中にある不公平、差別、矛盾などに毅然として向き合い、これを無くすために絶えず努力をしています。だからこそ民主国家と呼ばれ文明国や文化国家と呼ばれて尊敬されるのです。自国の小さな一部である「たかが沖縄ごとき」の悲しみや苦しみさえ救えない日本国が、どうして大きな民主国家としての品格と尊厳を保つことができるのでしょうか。

 

政府はもうそろそろ謝ることを止めて、行動するべきです。行動するとは、沖縄の基地負担を軽減することです。わが国の安全保障上、沖縄にはある程度の基地はなくてはならないでしょう。また沖縄は日本の一部としてそれを負担するのは当然です。しかし、小さな島・沖縄の負担は明らかに重過ぎます。重すぎる負担に伴なって、少女暴行事件に象徴されるような米軍人・軍属による不祥事や騒動や悪行など、屈辱的な事案がひんぱんに起こっています。基地の何割かを撤去し、不公平極まりない日米地位協定を是正すべく、断固として米国と向かい合うべきです。

そのためにも基地の地元の皆さんは怒り続けて下さい。ここのところ日米地位協定の改善が少しだけ進んでいます。とてもいいことです。しかし、それはほんの始まりに過ぎません。政府の口先だけの謝罪や、小さな不平等の改善にはまだほだされてはなりません。怒りは悲しみの発露です。怒ることは苦しく、また見た目も良くはありません。しかし、悲しみがある限り抗議の声を消してはならないのです。

負担軽減の象徴的な存在である普天間基地は、もはや座り込みの地元の皆さんをブルドーザーで轢(ひ)いて前進でもしない限り、今のままでは辺野古への移設は無理でしょう。国内移設も到底できるとは考えられません。ならばグアム移設か完全撤廃しかありません。

 

しかし、それでは日本の抑止力や安全保障上問題がある、という結論になります。それならば、どうすればいいのでしょうか。話はいたって簡単です。この閉塞(へいそく)状況をはっきりと認めて、同盟国であるアメリカともう一度話し合うのです。ただし、卑屈な従属外交ではなく、凛とした態度で。アメリカは敵性国ではありません。仲の良い同盟国です。友だちなのです。政府の覚悟さえあれば真っ当な議論ができない筈はありません。

 

イザヤ・ペンダサンではないのですが、安全(保障)はただではありません。今も国防には多大な金が掛かっています。その上、アメリカとの交渉の結果、さらに莫大な経済的負担を強いられることも考えられます。逆に言えば、経済的負担さえ覚悟すれば、道は必ず開けるのではないでしょうか。

 

その時こそ、わが国の安全保障や抑止力に関する、真の意味での全国民的な議論が湧き起こるように思えます。真摯な国民的議論を経たあとならば、その結果がどう出るにしろ、基地の地元の皆さんも必ず納得するのではないでしょうか。政府は心にもない下劣な謝罪で時間を潰すことなどやめて、早く行動を起こすべきなのです。

                                                             

                                                                (おわり)

―――――――――――――――――――――――

 

というものでした。

記事にも書きましたが、基地問題の歪みの原因の一つは、言うまでもなく、日本国民のほとんどが「安全(保障)をただだと思っている」ところにある。世界から見たらそら怖ろしい幼稚性だが、ま、日本が平和だからしょうがないとも言える。

でも国のトップの連中まで無知な国民と同レベルか、へたをするとそれ以下の認識しか持ち合わせていないように見える現実は、やっぱりマズイと僕は思う。

ところで渋谷くん、

基地の地元に降りる政府の補償金が、特別視されるほどに手厚いものなら、どうして全国の自治体は手を挙げて「ここに基地を持ってきてくれ」って言わないんだろう?

日本の自治体って東京を除けばほとんどが財政難で苦しんでいる筈なのに。

僕はそこのところも不思議で仕方がない。君はどう思う?

名前、又はニックネーム?のこと


僕はこのブログのタイトルを遊び心で付けた。書き続ける(続けられる)なら、将来は本名に戻すつもりだったのだが、そのうちに自分で気に入ってしまって変更したくなくなってきた。

 

則(のり)というのは僕の子供の頃の呼び名である。雅則というのが名前だが、家族にも友だちにも村のおじさんやおばさんにも、常に則かまたは則坊と呼ばれた。島に帰ると、チョーおやじになった今でもそう呼ばれる。

 

島を出てからは普通に名前で呼ばれたが、東京での学生時代、喫茶店などのアルバイト先で、マー坊と呼ばれた記憶もある。

 

ロンドンではそのマー坊にヒントを得て、自分からマーボーと名乗ったこともある。マサノリという名前を覚えられない外国人が多かったので、煙草のマールボロに引っ掛けてマールボロのマーボーだと言うと、誰もが一発で覚えてくれた。なぜノリと名乗らなかったかというと、僕は当時は島での子供時代のその名が、田舎クサくてイヤだと感じていたのだ(笑)。

 

その後、仕事で住んだニューヨークでは、アメリカ人からマサと呼ばれたりした。そこでもマサノリが覚えづらいということのほかに、短縮形にして親しみを込めてくれる意味があった。マサというのは、黒人の奴隷が主人を呼ぶ時の発音(多分マスターが訛ったものではないか)に似ているので覚えやすい、といわれて複雑な気分になったこともある。が、あまり深くは考えなかった。

 

イタリア人の友人たちにもマサと呼ばれることが多い。イタリア語でも名前の短縮形は、ほとんどの場合親しみの意味合いが強い。そこでは名の後半部分を発音しないのが普通である。クリスティーナをクリ、アレッサンドロをアレまたはアレックス、マウリツィアをマウ、などなど。

 

学生時代、同人誌などに小説を書くときはペンネームを使った。文芸誌「小説新潮」の月間新人賞佳作というものをもらったのも、同じペンネームで書いた短編小説だった。

 

そうやってあらためて振り返って見ると、自分ではまったくそんなつもりはなかったのに、いろいろな名前で呼ばれたり名乗ったりしていて、けっこうおどろく。

 

島から島へと渡り歩き、ついには日本を出て英米伊の3国に移り住んだことが、そんな不思議体験につながったのだろうか。

 

そういう自分史の流れがあったから、ブログのタイトルを考えた時、すらすらと「なかそね則」と出てきたのだろうと思う。則というのは雅則と共に、僕がまさしく自分そのものだと感じる名前である。そこに少しふざけて「なかそね」と付け加えたら、なぜか座りも良いような感じがして気に入ってしまった。

 

普段はもちろん本名で過ごしていて、仕事でも、あちこちで書いたり発言したりする時も本名である。

 

なぜ突然こんなことを書いているのかと言うと、事情があってこのブログのプロフィール欄に自分の顔写真を載せることになってしまった。ついでに自己紹介文も。

 

自己紹介はブログ記事の中でひんぱんにやっているからいいとして、顔写真が載った以上は、ブログ名を最初の計画通りに本名にした方がいいのか、と考えたりしているからである。

 

でもやっぱり「なかそね則」の響きがいい。捨てたくない。

 

『時には娼婦のように』という僕の好きな大歌詞を生み出した「なかにし礼」さんみたいだし(笑)・・



確かにギリシャ危機にイタリア危機です。で?それがなにか?





ここのところ、日本の誰かと連絡を取るたびに、イタリアは大変ですね、とよく同情される。
 

ギリシャに始まったヨーロッパの財政危機は、イタリアに飛び火し、スペインを巻き込み、フランスにまで及びかねない情勢である。
 
イタリアの財政危機は、この国の札つきの前宰相・ベルルスコーニを辞任に追いやるという幸運ももたらした。が、借金漬けの国家財政が破綻にひんしている事態そのものは、もちろん良いことではない。

→<ベルルスコーニ「いったん」降参?


ギリシャの破綻→イタリア、スペイン沈没→欧米恐慌→世界恐慌へ、というような図式は、可能性としては本当にあり得ることだろう。
 
が、たとえそうなったとして「だから? なに?」というのが僕の腹の底の、さらにその底での思いである。
 
僕は決して運命論者ではない。経済を無視する夢想家でもなければアナキストでも皮肉屋でもない。ましてや悲観論者などでは断じてない。それどころか、楽観論者でありたいと願い、その努力もしているつもりの人間だが、未だ手放しの大いなる楽観論者にはなれずにいる凡人である。
 
その中途半端な凡人の視線で見てみても、ギリシャ危機に始まる世界恐慌など大したことではないのだ。
 
ギリシャが財政破綻したとする。
 
それは事件だが、ギリシャの人々は翌日から食うに困るわけではない。生活は苦しくなるだろうが、世界の最貧国や地域の人々のように飢えて死んで行くのでは決してない。
 
それどころか、依然としてこの地上で最も豊かな欧米世界の一員として、それなりの生活水準を維持していくだろう。
 
ギリシャの今の、そして将来の貧しさなんて、ヨーロッパ内や米国や日本などと比較しての貧しさでしかない。
 
昨今、その豊かさが大いに強調されて報道されたりする、中国の大多数の国民と比較してさえ、まだまだ雲の上と断言してもいい「貧しさ」だ。
 
それって、断じて貧しさなんかじゃない。
 
ギリシャの破綻が、イタリア、スペインなどの欧州諸国に波及したとする。

それもまた大いなる事件だが、人々はやはり飢え死にしたりはしない。生活の質が少し悪くなるだけだ。
 
危機にあおられて、同時不況に見舞われるであろう世界の富裕国、つまり日米欧各国や豪州なども皆同じ。今のところそれらの国々は、依然として豊かであり続けるだろう。
 
最近の騒ぎは ―― そして僕も少しそれに便乗してブログに書いたりあちこちで発言したりしているが ―― 日米欧を中心とする世界の金持ちが集まる、ま、いわば「証券取引所」内だけでの話、と矮小化してみても、当たらずとも遠からずというところではないか。
 
たとえギリシャが破綻し、イタリア経済が頓挫し、欧州の恐慌が世界に波及しても、今の世界の「豊かさの」序列がとつぜん転回して、天地がひっくり返るのではない。
 
それらの出来事は、この先何年、何十年、知恵があれば場合によっては何百年あるいは何千年かをかけて、ゆっくりと、しかし確実に衰退し、没落し、落下していく日米欧を中心とする富裕国家間に走る激震、一瞬のパニックでしかないのである。
 
地震は過ぎ、パニックは収まる。

そして富裕国家は被害を修復し、傷を癒やし、また立ち上がって、立場を逆転しようとして背後に大きく迫るいわゆる振興国の経済追撃の足音を聞きながら、それでも今の地位は守りつつ破滅に向かっての着実な歩みを続けるだろう。
 
各国経済はグローバル化している。従って富裕先進国のダメージは新興国にも及び、さらに弱者の貧困世界をも席巻するに違いない。
 
つまり、ギリシャやイタリアの破綻→世界恐慌の図式の中で真に苦しむのは、今もその時も同じ、世界の貧しい国の人々でしかないのである。
 
日伊を含む富裕国の国民は「ギリシャ危機「」や「イタリア危機」を心配するばかりではなく、少しはそれらの不運な人々に思いをはせて、自らの巨大な幸運を喜んでみることも必要ではないか。
 
それにしても
 
たとえ世界恐慌が起ころうとも、今この時でさえ餓死者が出る世界中の貧困地帯に、それ以上の悲惨が待っているとも思えない。

底を打った彼らの極貧は、もはや下には向かうことはなく、富裕国の落下と入れ替わりに上昇あるのみではないのか。

たとえそこに途方もない時間がかかろうとも……。
 
そうやって見てみれば、世界経済には何も悲観するべきことはないように思える。

全てがなるようになる。

なるようにしかならない世界は、なるようにしかならないのだから、きっとそれ自体がまっとうである。

ならばそれを悲観してみても始まらない。
 
流れのままに、世界も、イタリアも日本も、また人間も、流れていけばいいのである。

イタリア、シチリアの洪水・ミラノの霧

 

11月初め、大雨がジェノバを始めとする北イタリアからポー川を経てイタリア中部のエルバ島、南部のナポリなどを襲撃した。

→<ジェノバの洪水><ジェノバの洪水Ⅱ

ジェノバ、エルバ、さらにフランスも・・

 

悪天候はさらに、同月の9日頃にかけて南最南端のシチリア島も直撃。

 

島の東部のメッシーナとカターニャでは大雨のために7万世帯が停電した。

 

それから10日あまりが経った22日、シチリア島に再び大雨が降って、メッシーナ地方に洪水が発生。

ここまでに3人が亡くなった。

 

イタリア南部は週末にかけて、さらに悪天候に見舞われる可能性が高い。

 

一方、月初めに水害を蒙った北イタリアは、ここのところ快晴が続いて深い霧におおわれる日々が多い。

 

霧は冬の北イタリア、ミラノなどの風物詩。

 

ただその風物詩は、およそ詩情や風情とは縁遠い、危険がいっぱいの魔物。

 

へたをすると洪水にも匹敵する惨禍をもたらすこともある。しかもその危険は冬の間ずっと続く場合がほとんど。

 

ここのところイタリアは、南も北も、そして経済も、ぱっと明るいとは言えない毎日の繰り返しである

 

中東で欧米の腰が引ける訳  



シリアの独裁者アサド大統領が、イギリスの新聞「ザ・サンデー・タイムズ」のインタビューに応じ、その様子が衛星放送アルジャジーラで放映された。

 

それは昨日、リビアのカダフィ大佐の次男セイフ・アル・イスラムが拘束された映像と並んで、定時ニュースで流れたのである。

→<リビア、カダフィ次男拘束と家族の不安

 

独裁者が今、欧米のメディアのインタビューを受けたことにもおどろいたが、近隣諸国で起きている中東革命が、まさに自国にも及んでいることを認めない圧政者の感覚に、あいた口がふさがらなかった。

 

女性記者のインタビューに対してアサドは、今シリアで起こっているのは民衆のデモではなく暴徒の騒乱であり、危険だと主張し、シリア国民をその危険から守るために政府軍が出動しているのだ、としゃあしゃあと言った。

 

さらに市民の死亡者が多数にのぼると記者が指摘すると、民衆が殺されたのは、逆に彼らが800人もの治安維持部隊員を殺したからだと言い返す。

 

アサドはそうした主張を、例えばリビアの故カダフィ大佐のように叫んだり吼えまくったりするのではなく、流暢な英語で静かに且つ理路整然と話すのである。

 

彼は、民衆の反撃に遭って権力の座を追われたり、殺害されたりして行く同じ中東の独裁者たちの惨状を知っている。

 

従って、あるいは内心穏やかではないのかも知れないが、そんな風にはまったく見えない落ち着いたしゃべり方で、聞く者が慄然とする内容を語り、弾圧をやめる気はないと断言した。シリア国家に奉仕するのだという、粗暴な圧制者の常套句を用いて。

 

結局シリアもまた、独裁者が自ら身を引く事態にはならず、民衆が彼を地獄の底に投げ込むまでは平穏は訪れないのだろう。それまではまだまだ多くの血が流れるのが宿命のようだ。

 

それにしても、リビアに平然と介入した欧米列強が、シリア、バーレーン、イエメンなどに干渉しないのはなぜだろうか。

 

シリアが中東ではエジプトに次ぐ軍事大国であり、同国が混乱することは地域の更なる不安定要因になるから、という説もある。

 

しかし、中東が既に混乱の極みにある今、そういう主張は空しく聞こえる。

 

結局同国の石油資源が、欧米にとってはリビアほど魅力的ではない、という判断がどこかでなされているのだろう。

 

イエメンはシリアとは逆に、中東でもマイナーな国家だから欧米各国が無視しているだけなのではないか。

 

バーレーンの場合は、同地に米軍が駐留している事実や、同国とサウジアラビアとの親密な関係などが影響してアメリカの足枷になっている。

 

サウジアラビアの王家とバーレーンの王家は同系列であり、民衆の蜂起で支配者が追われれば、米軍駐留どころか反米政権が生まれないとも限らない。

 

したがってアメリカは良くて傍観、ひょっとすると密かに民衆弾圧に手を貸している可能性だって皆無とは言えない。

 

そしてアメリカの立場を知る欧州各国もこれに同調して、手をこまぬくだけである。

 

また、既に革命が成就したはずのエジプトでは軍と民衆が衝突して、あらたな混乱が起こっている。

 

チュニジアやリビアも新しい国造りはこれから、という状況である。

 

中東の春は、欧米列強の思惑によって、革命の様相や進展や内容がそそれぞれ違ったものになるという、やりきれない現実を垣間見せながら、遅々として進まないフシがある。


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