【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

ベルルスコーニ有罪判決が意味するもの


ベルルスコーニ元首相に実刑判決が下った。ついに彼の終りが始まった、と言いたいところだが、世紀の大政治喜劇役者の命脈はどっこいまだ断ち切られていないのかもしれない。

イタリア最高裁(破毀院)は、脱税事件で起訴されていたベルルスコーニ 氏に禁錮4年の有罪判決を言い渡した。また2審のミラノ高裁判決「禁錮4年、公職追放5年」のうち、公職追放は認めたが、その期間については支持せずに高 裁に差し戻した(6年に確定)。この意味するところは、元首相は今のところは上院議員の地位は剥奪されず、彼の政治活動の牙城である自由国民党党首の地位も守られる、と いうことである。

元首相は、高裁による公職追放期間の再審理後には上院議員の資格も確実 に失うことになった。だが90年台半ば以来、ほぼ20年の長きに渡ってイタリア政界を牛耳ってきた男は、大いなる知恵者であり寝業師でもある。今後も多く の訴訟事案を抱えている事情もあって、政財界はもちろん司法にも影響力を行使し続けたい彼は、死に物狂いで反撃に打って出ることになるだろう。事実最高裁 の判決が出た直後から、元首相と自由国民党の幹部は司法改革を要求し、それが成されなければ総選挙を実施するべき、と声高に主張し始めた。政界での生き残 りを賭けた元首相の揺さぶりが既に始まったのである。

ベルルスコーニ氏は数々のスキャンダルにまみれ、30余の裁判事例を抱 えながら、自らの政治力を有効に使って全てを有利に運んできたが、今回初めて最高裁で4年の実刑を言い渡された。しかしそれは、刑務所の過密収監状態を緩 和するために制定された恩赦法によって、禁錮1年に減刑された。70歳以上の罪人の禁錮刑は自宅軟禁または社会奉仕活動で代替することができ、元首相は 30日以内にどちらを選ぶかを決めることになる。

最高裁で断罪されたとは言うものの、元首相の「終りが始まった」と考えるのは早計だと思う。なぜなら公職追放期間が高裁に差し戻されて再審理となった事実が、ベルルスコーニ氏の「終りの始まり」を阻む可能性があると考えるからである。

この審理差し戻しこそ玉虫色の政治決着である。なぜなら元首相は下級審での審理が結審するまでは上院議員や自由国民党党首に留まることができる。最高裁の決定は、元首相をただちに公職から追放することで起きるであろう、政界の大混乱を避けたものである。

い政治混乱を経てようやく樹立されたイタリア民主党のレッタ現政権は、元首相の王国である自由国民党との連携で辛うじて命脈を保っている。イタリア危機が 叫ばれ、深刻な財政危機に伴う不況からの脱出の出口が全く見えない現在のこの国の状況では、少なくとも現政権の安泰は絶対に必要なものである。イタリア政 財界はもとより、EU連合構成国や米国などの水面下でのプレッシャーにも後押しされて、イタリア最高裁は苦肉の策で公職禁止期間の差し戻しを決定した。

それは僕などもある程度予測していた結果 あり、イタリア共和国にとっては極めて重要な判決である。ベルルスコーニ氏と彼が党首を務める自由国民党は、前述したように実刑判決を不服として司法改革 や総選挙の実施を求める声明を出すなどして既に神経戦を展開している。彼らは2審高裁の判決が出ると予想されている年末までの間に、巻き返しを狙って必死 に攻勢をかけ続けるだろう。その間は影響力の失墜を怖れて、政権を手放すというような無謀な真似は恐らくしない。むしろ懸命に連立政権の維持を模索するの ではないか。そしてそれこそが、最高裁による公職期間差し戻し審理の本旨なのである。

権中枢の民主党議員団の中には、有罪判決を受けた元首相を党首に戴く自由国民党との提携はただちに解消するべき、という主張も決して少なくない。しかし同 党のエンリコ・レッタ首相は、「イタリアの利益が最優先されなければならない。事態に過剰反応することなく冷静になるべき」、として自由国民との連立政権 の維持を表明し、政治混乱の再来を深く懸念するナポリターノ大統領も、「司法制度の尊重」を訴えながらレッタ首相の立場を支持している。

曾有の経済危機にさらされているイタリアは現在、政権崩壊や政治混乱を容認する余裕はまったくない。それは反目する各政党や国民、またレッタ首相や大統領 や、果てはベルルスコーニ元首相その人までが同じ気持ちである、と断言しても恐らく過言ではないと思う。むろん司法界も例外ではない。繰り返しになるが、 そうした政治状況の中で出たのが、最高裁の玉虫色の政治的判決なのである。

首相は高齢(76歳)を理由に刑務所には収監されず、自宅軟禁か社会奉仕活動で贖罪をすると見られる。最高裁の判決の前には、政界や司法への揺さぶりを意 識して「実刑判決が出るなら刑務所に入る」と公言したりしていたが、判決が出た今はそれについては口を閉ざしており、恐らく自宅軟禁の道を選択するのでは ないか。

ラノ高裁は公職追放期間を5年から3年に減刑すると見られているが、ここから年末までの間にベルルコーニ氏と自由国民が激しく攻勢に出れば、状況は幾らで も変化すると考えられる。なにしろ元首相と自由国民は、レッタ連立政権をいつでも空中分解されられる決定的なカードを手にしている。自由国民が政権を離脱 すると宣言すれば、レッタ内閣はたちまち瓦解するのである。

ルルスコーニ氏は、今現在は連立政権内に留まることが自身の利益になるとは知りつつも、政治的社会的な生き残りを賭けてありとあらゆる奇策や方策や陰謀を 繰り出すのだろう。そのうちには政権離脱、という常識的に見れば自身の立場に不利益な手法も含まれるに違いない。何をするか予見できないのが元首相の本領 だ。

したたかな政治家である彼は、イタリア財政危機の操縦を誤った責任を取らされての2年前の失脚や、2審高裁での有罪判決などを受けて政治生命を絶たれた、とみなされていたにも関わらず、今年2月の総選挙で民主党に肉薄する勝利を得て見事に復活した。

にとっては1年間の自宅軟禁や前科者の烙印などはどうということもないだろう。それよりも、ミラノ高裁での結審後に上院議員の地位を失う公職追放の方が大 きな痛手である。しかし、巨大な財力としたたかな政治臭覚が衰えない限り、再び逆境から立ち上がる可能性は充分にある。たとえばイタリアの政治環境を大き く揺るがしたネット党「五つ星運動」の党首ベッペ・グリッロ氏にならって、自らは国会議員になることなく党を支配して大きな影響力を行使し続けることもで きる。

ベルルスコーニ元首相の終りはまだ始まっていない可能性が大いにあるのである。

ベルルスコーニの終りの始まり?


2013年8月1日、イタリア最高裁(破毀院)でベルルスコーニ前首相の脱税事件への判決が言い渡される。

 可能性が3つある。

 1. 無罪放免

2. 判決の先延ばし(詳細部分の審理やり直し等の理由で)

3. 有罪

 1. の場合は言うまでもなくベルルスコーニ氏の大勝利。イタリア政局は安泰。

2. の場合は文字通り結論の先延ばし。少なくとも数ヶ月は政局安泰。

3. の場合はイタリア政界にビッグバン襲来。上を下への大騒ぎになって、レッタ連立政権が一気に崩壊する可能性が高くなる。

 イタリアのエンリコ・レッタ民主党政権は、ベルルスコーニ前首相が率いる中道右派の自由国民との連立で辛うじて命脈を保っている。左の民主党と右の自由国民は元々は天敵同士。面従腹背、同床異夢のアカンベー連盟である。何かあれば互いに足元を掬おうと身構えながら、内閣を構成している。

 そんな間柄だから、自由国民党首のベルルスコーニ氏が有罪判決を受けた場合、民主党内から激しい拒絶反応が出て連立解消、たちまち政権崩壊というシナリオが十分に考えられるのである。

 そうなるとイタリアは再び政治混乱に陥り、第二次大戦後最悪とも言われる大不況・財政危機がさらに深刻化して、それはEU・ヨーロッパ連合にも飛び火して行くだろう。それを避けるためにイタリア国内からも、また密かにEU各国からもイタリア最高裁に圧力がかかって、3.を避けてしかし流石に1.は余りにも見え透いていてマズイので、結局2.の玉虫色の判決に落ち着く・・・

 というのは、僕の勝手な憶測、妄想である。でも、それは結構イタリア的な政治手法であり大人の処世術でもあるのだ。三権分立の一角である司法に政治が介入するのはどの国でもありふれた現実だが、イタリアの場合はそのからくりを隠そうとしないところが特徴。だから面白い。何事につけ玉虫色の落としどころを追求するのはわが日本のお家芸だが、イタリアも中々捨てたものではないのである。

もしも

 1.になった場合は、僕は個人的には呆れ果て腹を立てると思うが、ベルルスコーニ氏の事件裁判は未成年者買春疑惑を筆頭にこの後も目白押しなので、どこかで何らかの鉄槌が下ることを期待したい。

 2.になった場合は、やっぱり・・・

 3. になった場合ベルルスコーニ氏には、4年の禁錮刑と5年間の公職追放命令が言い渡される。つまり彼はその瞬間に国会議員の地位から転がり落ち、しかも5年間は選挙に立候補できない。ただのヒトになる訳である。そのインパクトはここイタリアでは巨大なものになる。

 付記しておくと

4年の禁錮刑が確定した場合、3年が減刑されてベルルスコーニ氏は1年の禁錮刑に処される。しかし、70歳以上の罪人は刑務所には収監されず、一年間の社会奉仕活動か又は自宅監禁という形での贖罪ができる。76歳のベルルスコーニ氏はこれに該当するが、彼は有罪判決が出た場合、刑務所で罪を償う、と公言している。これはレッタ内閣や最高裁への牽制発言と考えられる。彼は自らが断罪された場合の社会的な衝撃を知悉していて、政界や司法に揺さぶりをかけているのである。

 また求刑5年間の公職追放令は、3年に短縮され且つそれは議会の承認を必要とする。

 

 

ベニスを見てから死ね



ベニスロケに行ってきた。1日だけ。

今回のような短い撮影を計算に入れると、ベニスでの僕のロケは恐らく20回を超える。

ロケ以外の旅も加えると、僕はベニスを30回前後訪れている。その中には1人でふらりと行った道行きもある。僕はベニスがたまらなく好きである。

ベニスは街の全体が巨大な芸術作品と形容しても良い場所である。

その意味では、街じゅうが博物館のようなものだと言われる、ローマやフィレンツェよりもはるかに魅力的な街だ。

なぜなら博物館は芸術作品を集めて陳列する重要な場所ではあるが、博物館そのものは芸術作品ではない。

博物館、つまり街の全体も芸術作品であるベニスとは一線を画すのである。

ベニスは周知のように、何もない海中に人間が杭を打ちこみ石を積み上げて作った街である。 

そこには基本的に道路は存在しない。その代わりに運河や水路や航路が街じゅうに張り巡らされて、大小四百を越える石橋が架かっている。

水の都とは、また橋の都のことでもあるのだ。

ベニスの中心部には自動車は一台も存在せず、ゴンドラや水上バスやボートや船が人々の交通手段となる。

そこは車社会が出現する以前の都市の静寂と、人々の生活のリズムを追体験できる、世界で唯一の都会でもある。

道路の、いや、水路の両脇に浮かぶように建ち並んでいる建物群は、ベニス様式の洗練された古い建築物ばかり。

特にベニスの中心カナレグランデ、つまり大運河沿いの建物はその一つ一つが謂れのある建物群。全てが歴史的建造物。

それぞれの建物は、隅々にまで美と緊張が塗りこめられて大運河の全景を引き立て、それはひるがえって個別の建築物の美を高揚する、という稀有(けう)な街並みである。 

しかしこう書いてきても、ベニス独特の美しさと雰囲気はおそらく読む人には伝わらない。

 ローマなら、たとえばロンドンやプラハに比較して、人は何かを語ることができる。またフィレンツェならパリや京都に、あるいはミラノなら東京やニューヨークに比較して、人はやはり何かを語ることができる。

ベニスはなにものにも比較することができない、世界で唯一無二の都会なのである。

唯一無二の場所を知るには、人はそこに足を運ぶしか方法がない。

足を運べば、人は誰でもすぐに僕の拙(つたな)い文章などではとうてい表現し切れないベニスの美しさを知る。

ナポリを見てから死ね、と良く人は言う。

しかし、ナポリを見ることなく死んでもそれほど悔やむことはない。

ナポリはそこが西洋の街並みを持つ都市であることを別にすれば、雰囲気や景観や人々の心意気といったものが、たとえば大阪とか香港などにも似ている。

つまり、ナポリもまた世界のどこかの街と比較して語ることのできる場所なのである。

見るに越したことはないが、見なくても既に何かが分かる。

ベニスはそうはいかない。

ベニスを見ることなく死ぬのは、世界がこれほど狭くなった今を生きている人間としては、いかにも淋しい。

 


大相撲=ザ・日本グローバル化モデル



7月7日から21日までの2週間は大相撲観戦に結構時間をつぶした。ヨーロッパの日本衛星放送は、場所中は1日3回NHKの大相撲中継を流す。最初は朝9時(日本時間16時)から日本とのほぼ同時生中継。午後になってそれの録画再放送があり、さらに夜は幕内の全取組みを仕切りなしで短く見せる。相撲嫌いの人はうんざりするだろうが、相撲大好き人間の僕のような者には、一度見逃してもまた見るチャンスがあるのでありがたい。僕は朝の生中継(日本時間午後4時~6時)を録画しておいて、適当な時間に仕切り部分を飛ばし飛ばししながら観戦することが多い。

 

2013年の大相撲名古屋場所は、大関稀勢の里の綱取りへの期待が落胆に変わり、再び期待が膨らんで最後はしぼむ、という具合に稀勢の里に明け、稀勢の里に暮れた場所だった。僕は稀勢の里の綱取り期待騒ぎを端から冷めた目で眺めていた。なぜなら個人的には彼はまだ横綱の器ではないと考えているから。彼の強さには見ていて思わず「うむ」とうなってしまう芯の堅さがない。つまり横綱になる者の強靭さがない。それでも彼が終盤で2横綱を連続して破った時は、もしかして・・、と期待する気持ちも正直生まれた。だが、千秋楽で琴奨菊に負けた相撲を見たとたんに、やっぱり、と落胆し溜息をついた。恐らく日本中のほとんどの相撲ファンと同じように。

 

そんな具合に相撲ファンが一喜一憂したのは、稀勢の里が日本人だからである。だが実は僕は、相撲ファンに多い日本人横綱待望論にはあまり与しない。強くて魅力的な横綱なら国籍など気にならない、というのが正直な気持ちである。日本人横綱はもちろんだが、モンゴル勢に続く欧米人横綱も早く見たいと願っている。稀勢の里の動静に一喜一憂したのは、僕の場合は純粋に「新横綱誕生」の可能性への興味からだった。昨年、モンゴル人力士の日馬富士の綱取りの一部始終に一喜一憂したように。

 

元々スポーツとしての相撲そのものが好き、ということ以外に僕は最近は別の関心も抱いてテレビ観戦をしている。それは大相撲の世界が今後日本社会が決して避けては通れないであろう、グローバル化の見本として存在を主張している面白さである。少子高齢化、人口減少が加速する日本のグローバル化のモデルは英国、と僕は希望的観測を込めて勝手に考えているが、英国モデルを既に実現しているのが日本の中で最も保守的であるはずの大相撲界である。

 

日本は将来グローバル化を余儀なくされ、そこに向かって社会が変革して行かなければならないだろう。同時に日本はわが国独自の文化と伝統もしっかりと保持していかなければならない。その時重要なのは、外国からの移民や移住者がそれらの文化や伝統を「自発的」に受け入れ、愛し、わが物として心身で取り込んでくれることである。英国を始めとする欧米諸国に移り住んでいる移民の多くがそうであるように。

 

特に英国に入る移民は、人種混合に寛容な民主主義大国の文化や伝統を嬉々として学び、模倣し、受け入れている場合が殆どである、彼らはそれを尊敬し、憧れ、愛する。だから自発的にそれに染まって行こうとする。彼らのそうした態度が英国社会をさらに寛容な方向に導く。そんな理想的な形になっているのが多人種国家としての英国である。同じ島国で多少の共通点もある日本は、そこをロールモデルとするべきである。

 

将来日本に入ってくる移民に、日本の法律や規律、あるいは社会規則などを守ってもらうのは当然だが、彼らにわが国の文化や伝統を押し付けることはできない。強制してはならないのだ。日本に移り住み、日本国籍を取得した「元外国人」たちは、全員が彼らの文化を持ち伝統を有している。彼らはそれらの文化や伝統と共に日本に受け入れられた。従って彼らはそれらを保持し続ける権利がある。たとえそうではなくても、移民たちは自らの文化を捨てることはない。

 

同時に彼らは日本の文化や伝統を素晴らしいと心から感じない限り、決してそれを受け入れてわが物にしようとすることもない。強制してそうさせようとすれば、必ず反発を招くだろう。日本は日本独自の文化を守り、磨きをかけ、発展させて、移民の誰もがうらやみ感心して自ら進んでそれに染まりたがるようにしなければならない。実はそれは少しも難しいことではない。本来の伝統文化をきっちりと維持保存しながら、移民の増大に合わせて、少し変革するべきところを迷わずに変革する。それだけである。大相撲がその良い例だ。

 

大相撲は古い体質を維持しつづけ、それを批判されながらも少しづつ変革を遂げた。その最たるものが外国人への門戸開放だ。それは必要に迫られたものだったという見方も当然できる。が、もしも大相撲が外国人への門戸を開かず、あれこれと理由をつけて日本人力士の育成ばかりにこだわっていたなら、今頃は八百長疑惑その他の不祥事がなくても、間違いなく消滅の危機に瀕していたはずである。

 

ハングリーな若者たちが極端に少なくなった現在の日本では、古い厳しい大相撲の世界に飛び込んで立身出世をしたい、と考える者がいなくなるのは当然だ。好むと好まざるにかかわらず、大相撲が野心的な外国の若者の受け入れに向かうのは極めて自然な成り行きである。大相撲の今の発展は外国人力士の「移住」受け入れなくしてはありえなかった。

 

もっとも古い体質を持つ相撲界がグローバル化に成功した。これは奇跡だろうか?実はそれは少しも奇跡などではないのである。特殊にこだわることはしばしば普遍に結び着く。大相撲界の古い体質、つまり「日本的なもの」とは、日本の文化の意であり、それは特殊なものである。特殊なものは、自らが特殊であることを知りつつ、なお且つ特殊であり続けようと固執することで普遍性を獲得する場合が往々にしてある。あたかも一人の芸術家が自らの特殊性(才能つまり作品)に徹底的にこだわることによって、特殊性そのものが人々に受け入れられ、理解され、愛されて普遍化していくように。日本独特の「特殊な文化」である大相撲は、特殊であり続けることによって普遍性を獲得した、グローバル化の一つの典型的な見本なのである。
 

大相撲は外国人力士のために相撲文化や伝統を変えたりはしなかった。外国人力士たちが自らを「大相撲の文化や歴史に合わせた」のである。順応したのは大相撲ではなく力士たちだったのだ。将来移民が流入した時には、これと同じことが日本社会の全体でも起こらなければならない。最も保守的な相撲界でさえグローバル化に成功し、その割合はさらに進んでいる。相撲でさえそうだ、ましてやその他の日本社会においてをや、という風になるのが理想の形なのである。そうなれば日本は、将来いくら移民が増えても、自らのアイデンティティーを失う危険や恐怖にさらされることはない。

 

相撲ファンの間では日本人横綱待望論が根強い。では、角界ではどうだろうか。漏れ聞こえてくる相撲協会の幹部のコメントや相撲解説者などのそれには、多くのファンと同じように日本人横綱の誕生を願う趣旨の言葉が散りばめられている。でもそれらは、グローバル化の進んだ相撲界の「開けたマインド」を持つ彼らが、日本の主流である「閉鎖的なマインド」、つまり移民アレルギーを持つ相撲ファンや一般人向けに送るリップサービスのように僕には見える。

 

門戸を外国人に開放し、今や角界を支える横綱や大関はもちろん、多くの人気力士や有望力士も外国人が占める相撲界の人々にとっては、横綱の国籍などもはやどうでも良く、重要なことは横綱が横綱たる品格を持ってその地位に居座って欲しい、という一点に尽きるのではないか。そして、横綱の品格とは最も日本的な精神の発露のことであり、それはいみじくも「極めてグローバルな価値を有する日本文化」の一つにほかならないのである。

 

 

コンフェデ杯全敗より本田のミラン移籍の方が日本サッカーの一大事だ!



イタリアの強豪チームACミランが本気で本田圭佑の獲得を画策している。

ACミランは周知のようにユベントス、インテルと共にイタリアセリアAの御三家を形成する正真正銘の名門。国際タイトル獲得数はスペインのレアル・マドリードやバルセロナ、あるいはイングランドのマンチェスターUなど、錚々たる世界のビッグクラブを抑えて世界一を誇っている。

そのミランが本田圭佑を本心から追いかけている事態は、日本サッカーの進歩を端的に表すもので、例えばコンフェデ杯での日本代表の惨敗よりもはるかに大きな、象徴的な事件だと僕は思う。

コンフェデ杯で3連敗したのは、残念ながら日本代表チームの現在の実力に沿った結果であり、それはたやすく予想できたことだ。6月のコンフェデ杯出場チームの中で、唯一日本がほぼ確実に実力で勝っていたのは、FIFAのランキングなどとは全く関係なくタヒチだけだったと僕は思う。それは少 しも悲観するべきことではないし、事件でもない。

世界屈指のクラブチームであるACミランが本田を熱心に欲しがるのは、それだけで日本サッカーのレベルアップを示す喜ばしいことだと思えるが、それにも増して僕が大きな感慨を抱くのは、イタリアのメディアが本田圭佑を「FANTASISTA・ファンタジスタ」とさえ呼称している事実である。

ファンタジスタとは言うまでもなくイタリア語のファンタジア(英語:ファンタジー)、つまり想像力とか独創性から来た言葉で、オリジナリティーに富むトップ下の選手などを表す場合が多い。

サッカー選手のレベルを表す言葉としてイタリア語にはfuoriclasse(フゥオリクラッセ)、つまり「並外れの」とか「規格外の」あるいは「超一流の」というようなニュアンスの表現があるが、ファンタジスタはそのfuoriclasse(フゥオリクラッセ)の中でも特に優れた選手を形容する、最大最高の尊称なのである。

ファンタジスタには規定や条件はなく、ファンやメディアが自然にそれと見なして呼びかける言葉で、極めて少数の選りすぐりの選手だけに与えられる称号である。それがいかに特別な意味を持つ呼び方であるかは、次に示すファンタジスタたちの名前を見るだけでも十分ではないか。

最近のイタリア選手で言えば、ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デルピエロ、フランチェスコ・トッティ、またFWではないがアンドレア・ピルロもそのうちの一人。さらに言えばバルセロナのイニエスタ、シャビ、レアル・マドリードのメスト・エジルなどなど。

マラドーナやジダンももちろんイタリア的な感覚ではファンタジスタだ。

イタリアのメディアが日本人選手にその称号を与えたのは本田が初めてである。中田英寿も中村俊輔も、イタリアでプレー中にはついにそう呼ばれることはなかった。

本田圭佑が彼らよりも優れた選手で、且つロベルト・バッジョやジダンやマラドーナにも匹敵する大物、と考えるのはさすがに早計だし意見の分かれるところだとは思うが、独創性や意外性に富む天才的な選手を表すファンタジスタという称号を、何事につけオリジナリティーや独自性を最重視する イタリアのメディアが彼に与えた事実に、僕は深い感慨を覚えるのである。日本サッカーも思えば遠くへ来たもんだ、という気分だ。

日本代表チームが世界でのし上って行くためには、多くの技術革新や戦術改正やメンタリティーの改革やサポーターの増大やサッカー文化の深化などなど、多岐に渡る進展が必要であるのは火を見るよりも明らかである。その中で最も欠けているのが、チームとしてのファンタジア力だと僕は思う。

ファンタジアとは前述してきたように、独創性、意外性、想像力、個性の強さなどといったメンタルなクオリティーのこと。言葉を替えれば「画一性の真反対にある全ての要素」である。そしてチームのファンタジア力とは実は、ピッチに立つ一人一人の選手のファンタジアの集大成である。

独自色や発想の奇抜やオリジナリティー、つまり「ファンタジア」を何よりも愛し高く評価する「独創の国」イタリアのメディアが、本田圭介を独創的なクオリティーを持つ選手、と認めている事実が僕はわが事のように嬉しい。

ファンタジスタ本田圭佑の誕生は、GKからFWまでの11人の全ての選手が、それぞれのファンタジアを身内に宿して世界に挑む「理想の日本代表チーム」誕生の兆し、と僕はあえて考えたいのである。

 


コンフェデ杯で見えたスペインの終わりの始まり



ブラジルVSスペインのコンフェデ杯決勝戦は、昨年の欧州杯決勝戦を見ているようだった。互いに譲らない緊迫した試合を予想したのに、フタを開けてみるとブラジルがスペインを圧倒する一方的な試合展開。昨年の欧州杯決勝戦で、逆にスペインがイタリアを蹴散らしたみたいに。

 

スペインはイタリアとの準決勝で、延長戦からPK決戦までの死闘を演じて疲れていたのだろうか?でもそれを言えば、スペインと同じ疲れを抱えながら、ウルグアイとの厳しい3位決定戦を制したイタリアはどうよ、ということになる。

 

来年のW杯もあることだし、早計は禁物だが、2008年以降世界サッカーを牛耳ってきたスペインの常勝サイクルは終わって、ブラジルがまた世界サッカーを席巻するのではないか、と感じさせるような試合内容だった。

 

スペインは2大車輪である中盤のイニエスタとシャビのうち、後者が動きを封じられて全く精彩がなかった。スペインの敗因は多くあるのだろうが、僕にはシャビが機能しない中盤で、スペインが「いつものように」はゲームを構築できなかったことが、一番の命取りだったように見える。

 

少しはイタリアのサッカーを見ている僕は、ここ数年まっしぐらに常勝街道を進んできたスペインとイタリアの力の差は何か、と考え続けてきたが、それは僕の独断と偏見では:「スペインには2人のピルロがいる」から、ということにつきる。

 

アンドレア・ピルロはイタリアチームの司令塔であり肝心要(かんじんかなめ)の偉大なプレーヤーである。2006年W杯のイタリア優勝の立役者も彼だ。

 

スペインにはそのピルロが2人いる。言うまでもなくイニエスタとシャビである。その事実が2チームの具体的な力の差だと僕は考えている。

 

以前は2人に加えて、少し実績は落ちるがファブレガスも計算に入れて3人のピルロがいると考えたことさえある。が、ファブレガスに関しては、イタリアのデ・ロッシが十分に対抗して、プラスマイナス0の力関係になると思うようになった。

 

「ピルロ度」がスペイン2対イタリア1では、逆立ちしてもイタリアには勝ち目はない。

 

その強いスペインをブラジルは粉砕した。スペインの正確無比で華麗なポゼッションサッカーは、イタリアやドイツを始めとする欧州の各チームに大きな影響を与え続けてきたが、それは明らかに南米チームにも波及していて、ブラジルは彼ら独特のセンスと力量でスペインサッカーの良さを自家薬籠中の 物にしていると感じた。

 

ブラジルが中盤でスペインのボール回しを寸断し、逆に自らのポゼッションに持ち替えて果敢に攻めまくったのは偶然ではないように思う。ブラジルはスペインを踏み台にして、彼らのお家芸であるパス廻しとドリブルに磨きをかけてさらにステップアップしている。

 

それは実はイタリア、ドイツ、イングランドなどのヨーロッパの強豪チームも同じ。陳腐な言い方だが、例えば次のようなことである。イタリアはスペインを模倣することでカテナッチョ(ディフェンス重視)の伝統を捨て、ドイツはスペインを意識することで組織重視の四角四面のプレースタイルを変え た。またイングランドはスペインに追随することで運動能力重視の縦パス一辺倒の陳腐な戦略を克服した・・とでもいうような。

 

スペインはここから来年のW杯までに、彼ら独特のポゼッションサッカーにさらに磨きをかけるか、別の戦略を組み込んで今のスタイルを変革しない限り、W杯で勝つのは難しいのではないか。

 

繰り返すが、なにしろブラジルと欧州の強豪チームを筆頭に、世界各国の代表チームがスペインのプレースタイルを常に意識しながら独自のやり方でスペインの方法を習熟しようと躍起になってきた。それには高い技術と能力が要る。そして、前述の強豪国にアルゼンチンやフランスなどを加えた国々に は、それだけの技術と能力があるのだ。

彼らはスペインサッカーを咀嚼して、あるいは咀嚼しようと懸命に努力をしながら、それぞれの伝統のプレースタイルの中に組み込んでは進化を続けている。

 

言葉を変えれば、スペインサッカーの敵はスペインサッカーそのものである。従ってスペインは、今以上に自らを進化させて行かない限り、最早世界の頂点には立ち続けることはできない。力の拮抗している世界のトップチームが、スペインと同等かそれに限りなく近い高みにまで成長しているのだから。

 

スペインは自らを鍛え上げ、精進し、世界のトップに上り詰めた。そうすることで世界サッカーに巨大な影響を与え、世界サッカーのレベルを押し上げた。そして、まさにその功績によって、王者としての自らの立場を危うくすることになった。変革し、前進し続ける世界サッカーの歴史の中では、王者の 在り方が常にそうであったように・・

 


雨、のち雨・・所により、時どき・・雨



4月、5月と日本の梅雨も顔負けの雨が降りつづいた北イタリア。

 

6月に入って、いざ夏本番、と身構えているのに中々そうはならず、もう水無月も終わりになる。

 

昨晩もかなり激しい雨降りになった。

 

今日昼過ぎになっても、中庭に大きな水溜りが幾つも残っている。

 

イタリアの6月らしい日差しがかっと照りつけたのは数日だけ。あとは雨、また曇り、そして大小の降雨・・

 

おどろいたことに、僕は今年、菜園への水遣りをここまで3回か4回しかやっていない。

 

4月にはサラダ菜をはじめ多くの種まきをするが、今年は雨続きでできなかった。

 

5月になってようやく、こうしてはいられないと、雨を押して菜園に入った。

 

以後、気温は上がらないものの、野菜はそれなりに順調に育った。水遣りの必要もほとんどないまま。

 

僕は菜園にできるだけ多くの野菜を少量づつ作っている。

 

食べることもそうだが、多種類の野菜を作るのが楽しいのだ。

 

水遣りの仕事も、草取りも、楽しい。

 

今年はその水遣りの手間が省けている。

 

じゃ、楽しくないのかというと・・

やっぱ、楽しいに決まってんじゃン。

 

仕事が一つ減って・・・




コンフェデ杯スペイン戦を運命論者の如く待つイタリア


今夜のコンフェデ杯準決勝戦を待つイタリア現地からひと言。

イタリアはいたって静かです。理由が幾つかあります。もっとも大きな理由は、今のスペインにはイタリアはまだ勝てないだろう、という国民多数の悟りのような思い込み。

もう一つの理由は、コンフェデ杯をそれほど重要視していないこと。楽しんで見てはいるが、W杯や欧州選手権とは格が違う、というこれまた国民的コンセンサスのようなムード。

頼みの綱の一人、フォワードのマリオ・バロテッリが負傷で戦線離脱してしまったこと。この事実は対スペインへ戦へ向けての無力感をさらに増大させています。

こう書いてくると、イタリア中が暗い悲壮感におおわれて沈んでいるように聞こえるかもしれませんが、楽しんで見てはいる、と前述したように決してそういうことはなく、いわばサッカー強豪国の余裕のようなものを感じさせる前向きの諦観、みたいな不思議な雰囲気なのです。

僕はテレビ屋ですので、これまでセリエAを中心にイタリアのサッカーの取材もずいぶんやってきました。そこでつくづく感じるのは、イタリアのサッカーの強さとは「イタリア国民のサッカーへの思い入れ」そのものに他ならない、ということです。

選手の能力の高さやチームの組織力や指導者の力量の偉大、などももちろん強さの秘訣ですが、そうしたことは国民のサッカーへの思い入れの深さによって支えられ育てられたもので、それはひるがえって国民のサッカーへの情熱をさらに掻き立て、めぐり巡って選手やチームや指導者のレベルをさらに押 し上げて行く、という悪循環ならぬ良循環を形成しています。

言葉を変えれば、イタリア国民はサッカーを実に良く知っています。イタリア国民の一人一人はサッカーの監督、という彼らのディープな思い込みをイタリア人自身が揶揄った言葉がありますが、事ほど左様に彼らはサッカーにうるさい。

サッカーをこよなく愛するイタリア人は、当然我を無くすほどに熱く燃えることも多々あります。同時にそれを熟知する彼らは、事態を冷静に観察して理性的に構えていることもまた多いのです。

今夜の対スペインとの準決勝を待つ彼らの態度がまさにそれです。イタリア国民は今現在のイタリアのサッカーが、2006年のW杯制覇をピー クに停滞期に入っていることを良く知っています。同時にスペインのサッカーが、恐らく来年のW杯くらいまでは世界最強であり続けるのではないか、とも感じています。

もっともこの点に関しては異論もあり、2010年のW杯を挟んで欧州選手権を史上初めて連覇したスペインは、そろそろ常勝サイクルの終わりを迎えつつあるのではないか、と考える人々も増えています。

ただ多くのイタリア人は、スペインが後退してもそれに取って代わるのがイタリアだとは少しも思っていません。それは多分ブラジルであり、ドイツであり、あるいはアルゼンチンあたりではないか、と思っているふしがあります。つまり今のイタリアは、世界の強豪国の中では最も下位にいる、と冷静に 分析しているのです。

スペインのデル・ボスケ監督は、準決勝でイタリアと対戦することが決まった時「私のキャリアの中で初めて決勝戦を行なった後で準決勝を戦うことになる」という趣旨のことを言いました。イタリア戦が事実上の決勝戦だという訳です。

彼は恐らく選手の気持ちを引き締める目的でそう発言したのでしょうが、W杯をブラジルの5回に次いで4回も制覇しているイタリアは「腐っても鯛」、という気持ちもまたきっと抱いているのでしょう。

ボスケ監督の言葉はここイタリアでも大きく報道されましたが、サッカーにまつわる心理作戦にも慣れている人々は、彼の言葉をスペインチーム自身への戒めと捉えて、ぬか喜びをするようなことはありませんでした。このあたりが、ラテン人らしく熱く燃えながら同時に冷めてもいる、イタリアのサッ カーファンのすごいところだと感じます。

個人的なことを言いますと、わが日本が敗退してしまった今は、僕はイタリアを応援しています。しかし、サッカー大好き人間としては、決勝戦でスペインとブラジルの激突を見てみたい気もします。周知のように華麗なパス回しを誇るスペインのプレースタイルは、欧州各国はもとより南米の強豪国にも 強い影響を与えています。イタリアやドイツなどの古豪は、その戦術を彼ら独自のやり方で取り込んで進化を遂げつつあります。ブラジルが、その本家のスペインにどう挑むのか、来年のW杯を前にやっぱり見てみたい。

もしもイタリアがスペインに勝てば、決勝でブラジルも下してあっさり優勝するかもしれません。イタリアというのは不思議なチームで、不利な状況に置かれたり、やっとのことで予選を勝ち進むような苦しい展開が続くと底力を出します。昨年の欧州選手権でも優勝候補のスペインやドイツの影に隠れ て、ほとんど注目されていなかったのですが、結局ドイツも破って決勝戦まで駒を進めました。

今年のコンフェデ杯もそうです。今この時まで進んだ段階でも、スペインとブラジルにはとても歯が立たないような印象があります。こういう時のイタリアは要注意だと思います。

再び個人的には、たとえ決勝戦まで行ってもイタリアには優勝してほしくない。なぜならそこで勝てば、イタリアは「コンフェデ杯優勝チームは W杯に勝てない」というジンクスをきっと継承するように思うのです。これがスペインやブラジルなら、コンフェデ杯を制して来年のW杯も優勝するだけの「余力」がある、と僕は感じます。言葉を変えれば、スペインとブラジルはそれだけ今現在のイタリアの力を凌駕しているように思います。

日本ではコンフェデ杯で3連敗したザックジャパンと監督自身への批判が高まっているようですね。残念です。次回はサッカー文化、という観点から日伊のサッカーについて意見を述べてみたいと思います。僕はサッカーの専門家ではありませんが、サッカーを愛する気持ちと、仕事体験の中で見てきたイ タリアサッカーの面白さや不思議をおどろく気持ちは誰にも負けないつもりでいます。

 

ベルルスコーニ有罪判決



2013年6月24日、ついにと言うか、やはりと言うか、ベルルスコーニ元首相に少女買春容疑と職権乱用容疑で禁固7年の有罪判決が下った。同時に終身の公職禁止命令も出た。

 

元首相は上告すると見られるので刑は確定せず、三審制を取るイタリアでは今後長い期間に渡って裁判が続くと考えられる。

 

だが禁固7年の有罪判決は、検察の求刑6年を上回る厳しい内容。元首相の立場は苦しくなった。

 

そればかりではない。ベルルスコーニ元首相は、所有会社「メディアセット」の巨額脱税事件でも、二審で禁固4年、公職禁止5年の有罪判決を受けている。

 

今秋にも最高裁判断が出ると予想されるが、そこで上告を退けられれば、その件では刑が確定。国会議員を辞職しなければならない。

 

そうなれば彼は、自らの巨大な政治力を使って影響を及ぼすことができなくなる。

 

元首相の終わりの始まりが視野に入ってきたのかもしれない。

 

 

崖っぷちに立つ五つ星運動



お笑い芸人ベッペ・グリッロ氏が率いるイタリアの「五つ星運動」は、今年2月の総選挙で大躍進を遂げて、イタリア政界に旋風を巻き起こした。2大政党の民主党とベルルスコーニ元首相の率いる自由国民を抑えて、単一政党としてはトップの票数を獲得したのだ。

 

五つ星運動はそれ以来イタリアの政治混迷を演出してきた。が、ここに来て停滞、あるいは後退、ひょっとすると消滅の危機に瀕している。

 

五つ星運動は、既成政党や政治家の腐敗をインターネットを駆使して痛烈に批判する手法で、国民の不満を吸い上げて大きく勢力を伸ばした。先の選挙では国民の25%もの支持を得た同党は、もはや単なる抗議運動ではなく、イタリアの政治を大きく動かす勢力になった筈だった。

 

ところが彼らは、総選挙を制した中道左派連合(民主党中心)の政権参加要請を拒否して、飽くまでも単独で政権獲得を目指すとして独立独歩の道を選んだ。それは大きな誤算だった。

 

というのも、単独会派では政権を樹立できない民主党は、犬猿の中の中道右派の自由国民と連立を組むことを余儀なくされた。そうやって五つ星運動は、彼らが目指した「ベルルスコーニ元首相打倒」の目標とは全く相反する形で、同氏が率いる自由国民の政権参加を許してしまった。

 

その後五つ星運動への支持率はジリ貧状態を続けてきたが、先日の地方選挙で500の選挙区のうちわずか2箇所を制しただけの惨敗を喫した。

 

敗北の責任を巡って運動内部に亀裂が走った。総選挙で当選した国会議員の一部が党首のグリッロ氏の独断専横的な運営に反旗を翻したのだ。

 

彼はメンバーを独断で除籍したり、メディアとの接触を厳しく禁じたり、組織の内実を秘匿したりと、まるでカルト団体のボスかと見紛うばかりの横暴な側面も持つ。

 

五つ星運動は、党首グリッロ氏の無責任に見える言動や、不透明な党運営や政策などが明るみになるに連れて、多くのイタリア国民の深い困惑を呼んでいる。しかし前述したように、元々はインターネットを駆使して、イタリアの既存の政党や政治家を厳しく断罪し、同時にそれによってグローバルなコミュニケーション・ネットワークを構築して、将来は世界政府まで樹立しよう、という若々しい理想を掲げている団体である。

 

イタリアの既成政党や政治家の腐敗は目を覆うばかりである。浄化は一向に進んでいない。もしも五つ星運動がこのまま衰退、あるいは消滅してしまえば、イタリアの政治堕落の改善はまた置き去りにされるだろう。それは非常に残念なこと言わなければならない。

 

 

ボーイング787に期待すること



前のエントリーで主張したこととは矛盾するようだが、僕はボーイング787には大きな期待も寄せている。

 

それは言うまでもなく、ボーイング社が787型機のバッテリー発火の真の原因を探り当てて、根本的な改善をすることである。

 

それが行なわれた後、日本航空か全日空のどちらかが787を投入して、ぜひミラノ-東京便を復活させてほしい、とも実は僕は密かに願っている。

 

日本航空は2010年10月、長年運航してきたミラノ-成田便を閉鎖した。放漫経営のツケを回したのである。

 

僕は長い間JALのミラノ-成田直行便に乗って帰国し、またイタリアに戻ることを繰り返してきた。日本航空が同路線を撤退した後は、常にアリタリア航空の直行便を利用している。しかし、正直なところ、日本の航空会社の便に乗りたい。

 

ボーイング777によるアリタリア航空便のサービスは悪くはないのだが、日本航空のきめ細かいサービスを知っている者には、やっぱりちょっと物足りないように思う。

 

日本航空が撤退してからのアリタリア航空のミラノ-成田便は、同社のドル箱路線の一つになっている。常に満席状態と言っても過言ではないのだ。

 

日本航空は経営破綻から立ち直って黒字を出すまでになっているようだが、それは公的資金を使って、いわば誰でも収益を出せる路線だけに集中して運航をしたからで、赤字路線や収益の少ない路線を経営努力で黒字にしたり、利益を大きくするなどの頑張りがあったわけではないように見える。

 

企業なのだから、もちろんそれは誰にも文句を言われる筋合いのないりっぱな動きである。利益を出さなければ企業とは言えないのだから。

 

経営を立て直した日本航空は、今度は真の企業努力をして、ミラノー東京便を復活させてほしい。もちろん全日空でも構わない。

 

同路線は前述したようにアリタリア航空のドル箱ルートになっている。

 

日本航空か全日空が参入すれば、客を奪い合うことになって今のアリタリアのようにほぼ全便が楽に満席になる(ように見える)、ということにはならないだろう。

 

しかし、日本の航空会社には「もてなしの心」に満ちた世界に冠たるサービスのノウハウがある。それを効率良く活かしながら燃費の良いボーイング787を投入すれば、必ず利益の出る路線になるのではないか。

 

ミラノ-成田便の場合、僕が自ら何度も搭乗して見た限り、9割以上の客が日本人である。もしも日本の会社が直行便を運航していたなら、彼らの多くもそれを利用したいと感じるのではないだろうか。

 

企業の論理とは別の意味でも、僕はやはり日本の航空会社の参入を期待したい。

 

と言うのも同路線の復活は、ちょっと大げさに言えば国威発揚の機会になると考えるから。

 

外国の空港に自国の航空機が駐機している姿は、やっぱりちょっと誇らしいし、それは外国の人々の目にも印象深く映る。日本が元気を無くしている今こそ特に、そうしたささやかな「元気の元」も大切なのではないか。

 

そんなポジティブな事態が、ミラノ-東京路線に限らず世界中の空港に招来することを期待する意味でも、ボーイング787のバッテリー問題が一刻も早く根本解決に至ることを願いたい。


雨、のち雨・・



6月になっても、北イタリアには初夏どころか、春もまだ訪れない。

 

気温はさすがに冬ではないのだから、春はやって来ているのだが、ほぼ連日雨で朝晩は肌寒い。

 

寒い日も多い。

 

初夏は明らかにまだ訪れていない。

 

荒々しい気候変化がイタリアの季節の特徴だから、初夏はもうやって来ることはなく、やがて一気に盛夏になるのだろう。

 

それは今月中旬というのが気象予報。

 

そこでは盛夏が訪れるとは言わず、雨模様の天気が終わる、と表現されている。雨天が消えると同時に日差しがカッと照りつけるようになるのだろう。

 

それにしてもこれだけ雨が降れば農作物にも悪影響があるのではないか。作物の根が腐ったり・・

 

そう思いたくなるほどの異常な雨降りがつづいているのだ。

 

農家に聞いてみたら、雨はいくら降っても良いのだという。雨降りが気温の低下をもたらしていて、それが悪なのだそうだ。

 

気温が低いために作物の成長が阻害される・・なるほど、そう言われてみれば、僕の菜園の野菜たちの育ちも遅い。

 

芽を出してはみたが、寒いので毎日毎日身をすくめている、という感じ。

 

そして、再びそう言われてみれば、激しい雨が降った後でも、少し日が差すと土の表面は一気に乾燥する。

 

やはりこの国の空気は、日本とは比べ物にならないくらいに乾いているのだ、と実感する。

 

今年は日本の梅雨以上の雨が降り続いている。が、カビなども見たことがない・・

それは少し嬉しいことである。

ボーイング787運航再開のブラックユーモア



バッテリーが発火するという大きな障害を抱えて、運航停止になっていた全日空のボーイング787が、故障の根本原因の究明ができていないにも関わらず、来月の予定を前倒しして5月26日に運航を再開した。

 

友人のマウロ・Aはアリタリア航空のボーイング777型機の機長、つまり飛行機の専門家である。日本にも頻繁に飛ぶ。そのマウロにボーイング787の運航再開をどう思うかと聞いた。

「787はいい飛行機だよ。でも777はもっと素晴らしい。だって
20年近くも実際に飛んでいて、バッテリーには何の問題もないんだから」

彼は言って方目をつぶって見せ、仕上げにニャリと笑った。

 

マウロはボーイング777をこよなく愛し、誇りにし、全幅の信頼を寄せている。その事実を差し引いても、僕は787を否定的に見ている彼の意見に今のところは賛成だ。僕自身も777に乗って何度も日本とイタリアを往復し、先日はスペインからペルーまでの往復も777に世話になった。ボーイン グ747、つまり「ジャンボ」が空から消えつつある今は、飛行機での長旅をすることが多い僕にとっては、777が一番親しみのある航空機だ。777を始めとして他に多くの選択肢があるのに、どうしてわざわざナンカヘンな787に乗らなければならないのだろう?

 

今年1月の787のバッテリー事故のあと、ボーイング社は故障の原因究明を懸命に行なったが結局分からず、可能性のある80通りのケースを想定して、これに対応する形での改善策を米FAA・連邦航空局に提示して了承された。それを受けて運輸省は3月26日、日本航空と全日空に運行再開を正式に許可した。その後バッテリーのシステムの改修作業と試験飛行などが行なわれ、全日空と日本航空は安全が確保されたとして、6月1日からの運行再開を決定 していた。全日空はそれを前倒しして、今月26日に運航を再開したのである。

 

米FAA・連邦航空局はたとえば、「なぜバッテリーが発火するか」が不明でも、ボーイング社は「たとえバッテリーが発火しても大丈夫」と考えられる程に十分な策を施した、と判断したに違いない。同社はさらに「運航中の飛行機が墜落する確率」と同じ程度かそれよりも低い数字にまで、バッテリーの 発火の確率や故障の可能性を抑えているのだと考えられる。いや、そうでなければならない。故障原因が究明されていないのに、敢えて運航再開に踏み切るには、そうした考えられる限りの建設的な論点をクリアし、改良した上で結論を出したのだろう。その内容がFAAに支持された。FAAは厳しい 審査で知られる役所だから、ボーイング社が提示した不具合の解決策はきっと十分に安全なのだろう。FAAの判断を受けて、これまた厳しい審査で知られる欧州航空安全局(EASA)も787の運航再開を認めた。だから、やっぱりきっと787は安全だと考えたい。

 

一方、首を傾げたくなることもたくさんある。いや首を傾げたくなることばかりだ。だからこの記事を書いているわけだけれど。

 

先ずFAAは、ボーイング社の提出した80項目に渡る改良・修正案を受け入れて、バッテリーは何重にも安全装置を施されるから、大事故は起きないとしたが、根本の原因が分からないのになぜそう断言できるのだろうか。また一体どうやってそのことを保障するのだろうか。80項目とは、想定でき るあらゆる原因を挙げて、これに対処できるようにした。つまり80の改善策のうちのどれかが有効に働くだろうという、いわば「希望的観測」的対策である。それって「ヘタなテッポも数撃ちゃ当たる」と同じで、目くら滅法に策を施しただけ、というふうには考えられないのだろうか。

 

バッテリーの主な改善策というのも不思議だ。それは発火した補助動力装置(APU)用バッテリーやメーンバッテリーの電池(セル)を絶縁テープでぐるぐる巻きに囲み、監視装置で電圧の管理を強化した上で、全体を排煙機能つきの密閉容器に入れるというものである。バッテリーが再び発火して も、それは箱の中でがんがん燃えるだけで外には燃え移りません、というわけである。

 

燃える(発火した)ことが問題なのに、それを防止するのではなく、再び燃えるようなことがあったら火を箱の中に密閉しますとは、つまり「臭い物にフタ」をするということである。また煙は機外に吐き出され、炎も箱の中に閉じ込められて機体は無事ですと言われても、箱の中で燃えているバッテリー は死んでいるか少なくとも機能不全に陥っているはずで、そのバッテリーに頼っている、さらなる機体の機能の一部も、同じ状態になるに違いない。

 

それにも関わらずボーイング社もFAAも、

「故障しない保証はないが、大事故はない。だから心配するな」

と主張しているわけだ。でも、心配するよ、それは。なんにも頼るもののない空の上で、飛行機が火事になったら、あるいはバッテリーが発火して火事になりそうになったら、はたまたそういう可能性があるかもしれない、と考えたりしながら座席に座っていても少しも楽しくないわけで。

 

飛行機に乗るのならば100%の安全やゼロリスクというのはもちろんあり得ない。しかし、故障の原因は分からないが「故障は封じ込めたから安心しろ」というのは、たとえば新品のPCを買ったところ中にウイルスが潜んでいて、でもそのウイルスは今のところは眠ったままで、しかもこのまま永遠に目を覚まさない可能性があるから安心してPCを使え、とメーカーに言われているようなものだ。そんなもの、可能性やら確率やらつべこべ言っているひまがあったら、さっさとウイルスを取り除いてくれよ、というのが人情というものではないだろうか。

 

ボーイング787は昨年末の時点で、世界各国の航空会社から800機以上の受注を受けていて、日本の2社を筆頭に既に50機以上が納入されている。早く運航を再開して安全をアピールしないと、運航を停止されていた50機にまつわる損失だけじゃなくて、受注を受けている分にも納入の遅れや最悪 の場合注文取消しなども起きて、膨大な損失につながりかねない。そこでボーイング社は、なり振り構わずに運航再開へ向けてのロビー活動を激しく行なったのではないか。結局、まず運航再開ありき、だったのではないかと疑いたくもなる。

 

驚いたのは、日本での運航再開の第一便に218人もの乗客が搭乗したことだ。臆病な僕にはとても考えられない。全日空副社長も操縦室の予備席に乗ったそうだから、218人の乗客はもしかすると全員がサクラだったんじゃなかろうか。あるいは乗客の誰も787がトラブルを抱えている飛行機である ことを知らなかった。あるいは全員がスリル大好き人間だった・・

 

冗談はさておき、搭乗客はきっと、米FAAも日本の運輸省も航空会社も皆安全と言っているのだから安全だ、と考えたのだろう。あるいは不安はあるものの、ま、皆が乗るのだから自分も乗ろうと考えた。またきっと仕事や私事の都合でその便に乗らざるを得なかった、という人もいるのだろう。そして 騒がれたあとの飛行機に乗って安全を確かめたい、という勇気ある者もいたのだろう。人は皆それぞれだ。

 

多くの人間は-特に僕のように臆病でバカな人間は-理論や理屈では動かない。感情で動くものだ。その感情が「ボーイング787には気をつけろ」と言っている。そこで僕は、自分はもちろんだが、良く旅をする大学生の息子にも、今後は飛行機に乗るときは、それがボーイング787ではないことを必 ず確認してから利用するように、と強くアドバイスした。他の家族や友人知己にも。だって777を始めとして、幾らでも787の代替航空機があるのだから、故障の原因が究明されて事態が明確になるまでは、無理して787に乗る必要はないのではないか。

 

目的地には永遠に到着しないより、遅れて到着したほうがいい。遅れたことで、たとえば仕事なら信用をなくしたり、罵倒されたり、首になったりすることもあるだろう。でもそうしたことも全て「生きていればこそ」の物種だ。気にすることなんかなにもない。

 

 

ちょっと気が抜けた大相撲5月場所



大相撲夏(5月)場所は白鵬の10回目の全勝優勝で終わった。


白鵬はこれで通算25回目の優勝。朝青龍の記録に並んだ。


史上3番目。


あとは千代の富士の31回と大鵬の32回があるだけだ。


白鵬は現在28歳。最低でも32歳程度までは相撲を取ると考えると、怪我などの不測の事態でもない限り、大鵬の記録を破りそうな勢いである。


ちなみに全勝優勝10回は、自身の記録を更新して史上最多。

これに次ぐのは双葉山と大鵬の8回。

優勝回数は同じでも、朝青龍の全勝優勝は白鵬の半分の5回に過ぎない。


また連勝記録は千秋楽時点で30になったが、これは4回目。大鵬の記録と並んだ。


雰囲気としては、白鵬が今後破れないかもしれない記録は、双葉山の69連勝だけになったようだ。


白鵬は2010年の九州場所で63連勝までいったが、2日目に稀勢の里に敗れた。


69連勝とは現在の6場所制では、最低必ず4場所連続で15戦全勝をしなければならないことを意味する。

わ~オっ・・疲っかれるだろうなぁ・・


白鵬は2010年の九州場所前、4場所連続で全勝優勝をしていた。今後そんな離れ業を繰り返すのはさすがに厳しいのではないか。でも、彼ならナセバナルのかも。


など、など・・


大横綱白鵬の素晴らしい成績を眺めるのはそれなりに楽しいのだが、僕は今場所は個人的には正直盛り上がらなかった。


理由は簡単。日馬富士が前半で崩れたことが僕の興味を削いだのだ。


ハチャメチャ横綱の日馬富士は、先場所クンロク(9勝6敗)で終わった分、今場所は奮起してあの魅惑的な弾丸ぶちかましを次々に披露して盛り上げてくれるかと思ったら、コロコロ負けやがって・・バカヤロ。


ツー訳で僕は早々と興味をなくしたのでした。ナンダカンダ言いながら僕は日馬富士が好きなのかな・・


白鵬は感嘆的だが、なんだか完璧過ぎて、ウ~ム・・


日馬富士は弱いくせに日本語も下手くそ。離婚して日本人と再婚しろ・・


国技の大相撲の外国人力士は、日本の真髄を理解するために、せめてきちんとした日本人女性と結婚するべき、というのが僕の独断と偏見による持論。


日本女性がいつも側にいれば日本語も必ず上達する。日本の心の深みも次第に分っていく。それは国技大相撲に対する力士の義務だ。


バルトもそう。できれば日本人女性を娶ってほしい。


白鵬と同じく日本人女性と結婚した琴欧州は嬉しいが、彼に大関以上の地位を期待してももうダメかなぁ・・


一度会って一緒にご飯を食べた(たまたま食堂で)こともある好青年の稀勢の里は迫力不足。


琴奨菊は大関昇進の頃こそ期待したが、今の体たらくを見るともうどうでも良くて・・


密かに期待している鶴竜はいつまで経っても化けず・・


テメーら、いい加減にしろ~、こら
~!!!!!~~~~。。。。

 

 

 

ミッレミリアinフランチァコルタインフィオーレ


5月12日の日曜日、マッジ伯爵家の中庭で催された、ミッレミリア祭りの審査員を務めた。


ミッレミリアロング80%青手前人々50%








スプマンテ(イタリア・シャンパン)の里、フランチァコルタで開催される大規模田園祭「フランチァコルタインフィオーレ」の一環として、クラシックカーレース
「ミッレミリア」の参加車の一部を展示して盛り上がったのだ。

 

ミッレミリアは1927年にアイモ・マッジ伯爵が音頭を取って始まったカーレースである。だからフランチァコルタ田園地帯のまっただ中にある、マッジ伯爵家の邸宅で祭りが行なわれた。


黄色50%赤ハンドル50%


 





ミッレミリアは世界的に有名になったカーレース。始まった当初から人気が高かった。

車好きの王侯貴族が北イタリアのブレシァ市に集合して、愛車をぶっ飛ばしてローマまで南下し、そこから折り返してブレシァに戻る周回路で競われた。


元々はスピードレースだったが、一般道を約1600キロメートル走行するため危険も多く、紆余曲折を経て現在は耐久レース形式になっている。


OM superba正面50%アストンマーティン50%








レースもさることながら、数々のクラシックカーの名車を見たい観客が押し寄せるのが、今のミッレミリアの特徴である。


アイモ・マッジ伯爵が存命中は、レースに参加するヨーロッパ貴族らが同家に宿泊して、親交を深めることが恒例だった。

 

世界でも指折りの名車の数々が、昨日の祭の場所に集まって華やかさを競い合ったのである。


ミッレミリア居んFCinfiore 186緑草むら50%






彼らはレースの日には同家から一斉にブレシャ市のレース場に向かい、終了後は再び伯爵家に戻ってパーティーを繰り広げた。

 

僕はミッレミリアを数回取材したことがある。いずれも10分から20分程度の報道番組のロケだった。

 

ミッレミリア居んFCinfiore 077

BMW白後ろ50%











カーレースを追いかける取材は結構大変だったが、ミッレミリアはイタリアの多くの歴史都市を縦貫して走るため、美しい景観が次々に目の前に展開して、いつも心が踊る撮影でもあった。

 

今回の仕事はそれともまた全く違う。ただただ楽しいだけの体験だった。仕事と言っても半ばボランティアの活動。


赤フェラーリロゴ50%ブガッティ50%

 






車の専門家4人と文化人4人の計8人の審査員が、参加車を好き勝手に審査するというもので、なぜか僕も文化人の一人として声を掛けられ、且つおこがましくも受諾して(笑)、審査に当たることになったのだった。


優勝したのは1950年製造のフェラーリ166MM。


奥にアニエリフェラーリ50%黄色手前奥人々50%







僕は何も知識はないものの、この車にたまたま10点満点をつけていたので、結果が発表された時は素直に嬉しかった。



赤細長50% ブガッティ正面50%

 

 








マフィアと魔王アンドレオッティ


2013年5月6日、イタリア政界きっての大物政治家、ジュリオ・アンドレオッティが94歳で他界した。魔王とも呼ばれた彼は、生涯に渡ってマフィアとの強い癒着を疑われ続けた怪異な存在だった。
 

マフィア戦争

 

1992年5月23日17時58分、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測されている。シチリア島では、マフィアの攻撃を回避するために捜査関係者の車は高速移動を義務付けられている)のスピードで走行していたジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がった。

 

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、500kgの爆弾を正確に炸裂させた瞬間だった。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えた。マフィアはそうやって彼らの最大の敵であるジョヴァンニ・ファルコーネ判事を冷然と葬り去った。

 

そのちょうど1ヶ月前の1992年4月24日、3回7期に渡ってイタリア首相を務めたジュリオ・アンドレオッティの最後の内閣が倒れた。首相自身と側近によるマフィアとの癒着や汚職疑惑を糾弾されたのである。

 

首相の座から引きずり降ろされた後は、アンドレオッティの政治的な影響力が低下して、司法や政界からの反撃が強まるであろうことが予想された。

 

そこで彼は将来に瑕疵を残さないために、当時のマフィアの大ボス、トト・リイナと謀って、マフィア捜査の強力なリーダーであり、反マフィア運動のシンボル的存在でもあった、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事を爆殺した可能性がある。

 

キリスト教民主党の首魁

 

第2次大戦後のイタリアをほぼ50年に渡って牛耳ったのは、キリスト教民主(主義)党であり、そのキリスト教民主党の最大の政治家、指導者、黒幕だったのが、ジュリオ・アンドレオッティである。

 

キリスト教民主党はいわば日本の自民党のような存在。第2次大戦後の廃墟からイタリアを経済復興させ、ドイツや日本と共に世界に再び存在感を示すことができる国家に仕立て上げた。功罪合わせて、戦後イタリアの歴史を作り上げた最大の政党である。

 

しかし、そのキリスト教民主党は、腐敗とマンネリズムと古色にまみれて1994年に消滅した。ところが、同党の事実上の最高権力者として君臨したジュリオ・アンドレオッティは、党がなくなった後も終身上院議員としてしぶとく生き残って、隠然たる影響力を行使し続けた。

 

ジュリオ・アンドレオッティの特異は、魑魅魍魎の跋扈するイタリア政界でしぶとく命脈を保ち続けた事実もさることながら、彼がその間一貫して政治力を駆使して犯罪組織のマフィアを操り、逆にマフィアを使って政治力を高めるという、おどろおどろしい手法を用い続けたことである。

 

朋友トト・リイナ

 

マフィアとの黒いつながりを非難され続けたアンドレオッティは、犯罪組織最大のボスであるトト・リイナとの関係が特に深かった。彼はリイナと抱擁し、頬と頬を触れ合わせるマフィア式の挨拶をするところを目撃されてもいる。

 

実はイタリアでは、親しい男同士が抱擁し頬を触れ合わせる挨拶は、少しも珍しいものではない。頬と頬をあわせるキスは、異性間は言うまでもなく同性間でも一般的に行なわれる。それはいわゆる「ハグ」であり、性的な意味合いは毛頭なく、強い親近感を表すだけの「普通の挨拶」である。

 

従って、リイナとアンドレオッティのその挨拶が、マフィアの構成員同士の「特別な」作法に則(のっと)ったものだったのか、それとも「普通の挨拶」だったのかは当事者にしか分からない。

 

とはいうものの、たとえマフィアの構成員同士の抱擁ではなかったとしても、一国の首相とマフィアの大ボスが親しく抱擁し合う様はただ事ではない。しかもトト・リイナは、マフィア始って以来最大の残虐・凶暴な首魁という悪名を轟かせていた男である。

 

トト・リイナは、欠席裁判で幾つもの終身刑の判決を下されながら逃亡潜伏を続けたが、アンドレオッティはその間も密かに彼に会い、逃亡の手助けもしたと見られている。そうした事実は、警察に逮捕された後に司法取引によって当局側に寝返った、マフィアの構成員らの証言によって次々に明らかになっていった。

 

司法の反撃

 

ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の暗殺からわずか2ヵ月後の1992年7月19日、ファルコーネ判事の同僚で親友のパオロ・ボルセリーノ判事が、やはり爆発テロによって惨殺された。母親の元を訪ねたボルセリーノ判事の動きを正確に察知していたマフィアが、道路脇の車中に仕掛けた爆弾を炸裂させて、護衛の警察官ともども中空に吹き飛ばしたである。

 

国家への挑戦とまで言われた、マフィアによるテロ事件が頻発した当時のイタリア社会には、マフィアに蹂躙される国家や住民という絶望的な思いが充満して、国中が暗く沈みかけていた。しかし実は、司法当局の逆転反撃を暗示する出来事もまた起こっていた。無敵に見えたマフィアのボスたちが次々に逮捕されていったのである。

 

そのうちの最も大きな出来事がマフィア最強のボス、野獣と異名されたトト・リイナの逮捕だった。それは1993年1月15日のこと。イタリア政界を代表する男、ジュリオ・アンドレオッティの友人とまで目された犯罪者は、24年間の逃亡生活後に司法当局に拘束された。それはトト・リイナの終わりであり、ジュリオ・アンドレオッティの「終わりの始まり」とも言える事件だった。しかし、アンドレオッティは前述したように、政治的にはその後もさらに20年間しぶとく生きのびたのである。

 

大ボスの逮捕から3年後の1996年5月20日、ファルコーネ判事爆殺の実行犯ジョヴァンニ・ブルスカが逮捕された。彼はフィレンツェのウフィッツィ美術館爆破事件の犯人でもある。ブルスカは生涯で100人~200人を殺害したが、正確な数字は覚えていないと告白している。

 

2006年4月11日、トト・リイナ逮捕後のマフィアのトップ、ベルナルド・プロヴェンツァーノが43年間の潜伏逃亡後に逮捕される。その後、組織の首領はサルヴァトーレ・ロ・ピッコロに代わったが、彼も翌年には逮捕された。2013年現在のマフィアのボスは逃亡中のマッテオ・メッシーナ・デナーロと見られている。

 

アンドレオッティ有罪判決


マフィアと国家の戦いが続けられていた2002年、ジュリオ・アンドレオッティは、自身に批判的なジャーナリスト(ミーノ・ペコレッリ)をマフィアを使って殺害した、として禁固24年の有罪判決を受けた。が、翌年、証拠不十分などという不可解な理由で逆転無罪の判決を受けた。

 

アンドレオッティは、その他のマフィアがらみの多くの事件への関与も疑われ起訴もされたが、結局、先日他界するまで投獄されることは無かった。しかし、彼とマフィアの強い「繋がり」に関しては、逆転無罪を言い渡した最高裁もこれを明確に認めた。

 

表舞台で権力を振るわない場合は、背後で強大な影響力を行使し続けた、イタリア政界きっての怪物政治家アンドレオッティには、そんな具合にマフィアとの深い関係や殺人や汚職事件に関与した疑惑などの暗い影や噂がつきまとって消えなかった。

 

2013年5月6日のアンドレオッティ元首相の死は、イタリアの政界とマフィアの一時代が確実に終焉したことを告げている。

 

 

猪瀬東京都知事の発言を他山の石とするべき



五輪招致に絡んだ東京都の猪瀬知事へのバッシングがすごいことになっていますね。ま、バッシングされて当たり前の呆れた「事件」を引き起こしたわけですが、僕は猪瀬さんの「事件」を、自分を含めた日本人はみな肝に銘じて、他山の石とするべし、と思っています。

 

つまり、東京都知事の中にごく自然に、さりげなく、暗澹として巣食っている「差別・偏見」病を、皆わが胸に手を当てて「あれは他人事」かどうか、と沈思検証するべき良い機会だと考えるのです。なぜならほとんどの日本人の中には、猪瀬知事と同じ密かな「差別・偏見」の病原菌が宿っています。

 

それは普段は表に出てこない沈黙の偏見であり差別意識です。その心の闇を抱えこんだ者は日本中に溢れている。そうした人々は偏見や差別なんて意識もしないし、考えてみることもない。その機会も理由もないからです。


かのマザー・テレサは「愛の反対は無関心」だと言いました。実は寛容や理解や融和の反対も無関心です。積極的な偏見や差別ではなくとも、人は無関心であることで偏見や差別に加担します。

 

そうした人は普段、猪瀬知事がやってしまったような偏見や差別に満ちた言葉を口にしたりはしません。でも実は彼らはそれを口に「しない」のではなく、口に「できない」だけです。なぜなら無関心だから。

 

無関心だから何も考えず、何も感じず、したがって言葉に紡(つむ)ぐ何ものも心の内にないのです。そして、そうした人々はまた当然、偏見や差別を糾弾する言葉も発しない。発することができない。ただ沈黙するだけです。

 

日本人の持っている寛容や理解や優しさは、そんな無関心に 拠っている場合が多々あります。国内の事柄もそうですが、特に日本という国の外の事案になるとその傾向が極端に強くなります。それは外国や外国人との接触が少ないことから来る、国際感覚の欠落の一つの証拠。明治維新以降言われ続けている、古くて常に新しい議論「精神的鎖国体制」は、今も歴然として日本に 残っています。島国の面目・根性躍如というわけです。

 

僕は長い間外国暮らしをしていますが、そこでもっとも気を遣うことの一つが、異文化や人種や宗教などに対して偏見を持ったり差別的な言動をしない、という行動規範です。僕はジャーナリズムの末席を汚すTVディレクターとして生きているため、そのことには特に神経を尖らせています。

 

たとえそうではなくても、日本の外に出て自らが「外国人」の立場で生きていく者にとっては、異文化や人種や宗教などは日常的に接するものですから、誰もがそれに関心を持ち、考察しながらそれらを受け入れ、理解し、共存しようと努力します。そうしなければ外国では生きて行けないからです。

 

それでも偏見や差別というのは100%克服するのが難しい。例えば僕は宗教や人種や異文化や女性やゲイ等々のホットなテーマに対して、全く偏見を持っていな い、というのは言い過ぎになるでしょうが、少なくとも偏見を持たない努力をし続けている、と自負しています。それでも例えば僕の自宅近くのスーパーの前で、買い物に行く度にアフリカ移民の男たちに金をねだられ続けると、決して口には出さずとも「仕事をしろ 怠け者の黒人」という言葉に近い、恥ずべき思いを抱くこともある、と白状します。それは心の奥の奥のどこかに「黒人=怠け者」という理不尽な偏見・差別意識が巣食っているからにほかなりません。

 

彼らは仕事をしたくても恐らくその仕事がない。仕事はあっても不法入国者であるため労働許可がない。だから働けない。あるいは合法移民で労働許可もあり労働意欲もある。でも不況のまっただ中にある今のイタリアでは、彼らにまで回ってくる仕事がない。あるいはただ単に黒人であることで差別されて、労働市場から はじき出されているだけかもしれない・・などなど、アフリカ系移民の人々が世界中で舐めてきた辛酸を思い、理解し、同情し、その負の歴史を正すべく全くの微力ながら努力もしているつもりでも、人生のどこかで刻印された胸の奥深くの偏見・差別意識は中々消えてはくれません。

 

意識してそれらと戦っている者でさえそうです。ましてや国内に留まっていて偏見や差別を考えてみる必要が余り無く、従って無関心でいるためにそれらを意識することさえない多くの日本人の場合は、それが消えてなくなることなどあり得ない。それはまさに無関心であるために普段は表に出てこないだけで、心の奥深く に巣ごもっています。そしてそれは何かの拍子に、化けて表に出てきます。猪瀬さんが何気なく重大な差別発言をしてしまったように。

 

沈黙を美徳と捉える文化を持つ我われ日本人は、世界がますますグローバル化して行く今こそ特に、差別や偏見というものが何であるかを、しっかりと口に出して議論しなければならないと思います。黙っていては偏見はなくならない。言葉にしなければ差別が何であるかが分からない。沈黙や無関心はただ「臭い物にフ タ」をしているに過ぎない。

 

言葉を発するという行為は、多くの日本人にとっては苦手どころか、苦痛である場合さえ少なくありません。しかし、世界がさらに狭くなり、インターネット・SNSの発達によってあらゆる情報が瞬時に地球上を飛び交う現在、日本人独特の「寡黙」は害悪でさえあれ決して良いことではありません。沈黙や寡黙は、偏見や差別を助長する悪しき習慣、と見なす方がグローバル社会には合致します。

 

都知事バッシングの矛先は、当初何よりも先ずイスラム教国や文化への差別発言、というところから出発したわけですが、時間と共に次第にそこからシフトしてやれ税金のムダ使いだ、やれ五輪精神を踏みにじる行為だ、やれ東京オリンピックの芽を潰した、知事を辞任しろ、トルコに行って謝罪しろ・・などなど、エスカ レートして行っています。

 

それらの論点は皆大事だと思いますし、僕自身も知事は大の親日国であるトルコまで出向いて、土下座して人々に謝罪をし、その上で今後は東京都もイスタンブールでのオリンピック開催を全面的に支持します、と宣言すればいいと思います。宣言するだけではなく、知事の地位に留まって本当にイスタ ンブール支援のために動けば、災い転じて福となる(する)ことも十分可能だと思うのです。

 

一方我われは、猪瀬知事の失言を他山の石として、自らの胸に手を当てて自問自答すればいいと思います。果たし て自分は彼とどれだけ違う意見や感情や見方を例えばトルコに対して持っているのか。ムスリムに対しては?中国や韓国に対しては?アフリカ人や近隣のアジア人に対しては?などと考え続け、発言をして行く「切っ掛け」に使えば、恐らく吹っ飛んでしまったであろう東京五輪の損失も取り返して、なおお釣りがくるのではないでしょうか。

 

 

イタリア新政権樹立、政治混乱は終わるか



新政権の特徴と課題

 

2ヶ月に渡る政治混乱を経て、イタリアにようやく新政権が樹立された。左派民主党のエンリコ・レッタ氏を首班とする、中道左派と右派の大連立政権。退任するモンティ首相の中道連合もこれに参加する。議会で左派民主党と右派自由国民両党に匹敵す る勢力を持つ五つ星運動は、予想通り政権には協力せず独自の路線を突き進む、と明言した。

 

レッタ新政権はいろいろな意味で、イタリアの政治変革の兆しを感じさせる要素に溢れている。それは、

 

一つ、激しく対立を続けてきた左右の議会最大会派同士が手を結んだこと。

一つ、その流れが87歳という高齢を押して、二期目の大統領選出馬を含む政党間の仲介に奔走した、ナポリターノ大統領の真摯な行為によって作られていったこと。

一つ、エンリコ・レッタ氏がイタリアでは珍しい若手(46歳)の宰相であること。彼は英国のキャメロン首相と同い年である。

一つ、閣僚21人中7人が女性という、イタリア憲政史上最大の女性登用比率を誇る内閣であること。

一つ、これまたイタリア憲政史上初の、黒人閣僚が誕生したこと。

など、などである。

 

連立新政権は、何よりも先ず、若者の失業者が巷に溢れる異様な経済状況を改善するべく、即座に行動を起こさなければならない。それは取りも直さず、イタリア財政危機からの脱出を目指すということであり、それがEU(欧州連合)全体の債務危機改善に貢献し、ひいては世界経済の安定と発展にもつながる重要な取り組みになる。

 

そうした即効の実利を目指さなければならない宿命もさることながら、レッタ新政権は押し寄せる社会変革の大波に乗って形成された、必然の出来事であるように僕には感じられる。

 

新政権の背後にあるもの

 

社会変革の大波とは、なによりも先ず「世代交代」である。イタリアにおいては、過去20年近く政界を牛耳ってきた76歳のベルルスコーニ元首相世代が退却して、レッタ新首相の世代以下の政治家が台頭する兆しがある。それは多くの若者が連帯して、イタリア政界にセンセーションを巻き起こしている、五つ星運動とも水面下で繋がっている。

 

面白いことに、大きな若い波動に敏感に反応したのはイタリアの老国父、87歳のナポリターノ大統領である。彼は宰相候補の最右翼と見られていたベルルスコーニ世代のアマート元首相を退けて、新世代のレッタ氏を首相に指名し組閣を要請した。また以前には、五つ星運動の盟主グリッロ氏を道化師と 呼んだ、ドイツ社会民主党(SPD)のペア・シュタインブリュック氏に腹を立てて、グリッロ氏を尊重するべきだ、と強く抗議したりする気骨も見せている。

 

変革のうねりの中で頭角を現したレッタ氏は、欧米先進国の中では比較的遅れているイタリアの女性の社会的地位を、閣僚登用率を一気に高めることで改善しようとしたようにも見える。同時に、これまた欧米先進国中では出遅れている、有色人種の閣僚起用も実現して、人種差別意識が強い部分もあるイ タリア社会に警鐘を鳴らした。

 

新首相のそうした一連の動きには、前述したように歴史の大きなうねりが作用しているのであり、決して偶然の出来事ではない、と僕は思う。

 

例えばイタリア国民が熱狂するプロサッカー界では、アフリカ系のマリオ・バロテッリ選手がイタリア代表として活躍して、国民の中にある人種差別意識に揺さぶりをかけている。また3月に行なわれたローマ教皇選出会議・コンクラーベでは、黒人のピーター・タークソン枢機卿が有力な教皇候補と見な されたりもした。

 

タークソン卿が、カトリック教会の最高位聖職者であるローマ教皇に選出されるなら、それはほとんど「革命」と形容しても過言ではない歴史的な出来事となる筈だった。


黒人教皇の実現は先送りされたが、コンクラーベの変化は、人種差別主義の巣窟と見なされ続けてきた米国に、史上初めて黒人のバラック・オバマ大統領が誕生して、人類の負の歴史の厚い壁に風穴を開けたこととも連動する、巨大な変革のうねりの表出以外の何ものでもない。

 

新政権の問題点

 

レッタ内閣にはまた、きな臭ささが目立つ新しさもある。それは、

一つ、昨日まで口汚く罵り合っていた民主党と自由国民党が、「あっさり」と形容しても良い手軽さで歩み寄って大連立を組んだ、その軽さの胡散臭さ。

一つ、エンリコ・レッタ新首相が、ベルルスコーニ元首相の右腕ジャンニ・レッタ氏の甥である事実。これはポジティブな効果を生むとも考えられるが、百選練磨のベルルスコーニ氏が背後にいることを考えれば、何らかの裏取引があったと勘ぐりたくもなる。

一つ、ベルルコーニ氏にべったりの、自由国民の幹事長アンジェリーノ・アルファーノ氏が、内務大臣兼副首相になったこと。政権与党の幹事長が連立内閣の重要ポストに就くのは当然かもしれない。が、ベルルスコーニ政権の法務大臣だったアルファーノ氏は、少女買春疑惑を始めとする多くの疑惑で訴 訟まみれになっているボスのベルルスコーニ氏を保護するために、でたらめな法整備をしたという批判がいつもついて回っている。ここもなんだかいかがわしいのである。

 

そうした不審からごく自然に導き出されて見えてくるのは、連立内閣の危うさである。民主党と自由国民の確執が再燃すればレッタ政権はあっという間に崩壊するだろう。事実、新政権の短命を予想する人々は多い。

 

そうした負の印象もあるが、しかし幸いにも、新世代のエンリコ・レッタ首相には、若さと清潔感がある。

 

日本と同様に汚れた老人が多くのさばっているイタリア政界だが、五つ星運動に代表される世代交代を求める社会の大きなうねりを追い風に、レッタ内閣は山積するイタリアの問題を次々に解決して歴史に名を残すかもしれない。ぜひそうなってほしいものである。

 

イタリア、連立政権発足なるか



再選されたばかりのナポリターノ・イタリア大統領は4月24日、民主党のエンリコ・レッタ前副書記長に組閣要請をした。

 

レッタ氏はベルルスコーニ前首相率いる中道右派とモンティ首相のグループ市民の選択に連立を打診する。

 

レッタ氏はイタリア政界では若い46歳。組閣に成功すれば新世代の宰相の誕生となる。

 

ナポリターノ大統領が選ぶ首相候補の筆頭は、当初ジュリアーノ・アマート元首相だと見られていた。

レッタ氏の名前も挙がっていたが彼は二番手、或いは三番手と言われた。

 

レッタ氏はベルルスコーニ前首相の右腕と言われたジャンに・レッタ氏の甥にあたる。このあたりの事実がどうもクセ者だと僕には見える。

したたかなベルルスコーニさんは、ナポリターノ大統領をたらし込んで、いわば身内を首相候補に仕立て上げた?

 

その真相はやがて明るみに出るだろう。

ともあれ今は、連立政権を船出させてイタリア丸を運航するのが、喫緊の課題だから若いレッタ氏の手腕に期待したいと思う。

 


イタリア、ナポリターノ大統領再選が意味するもの



混迷を極めていたイタリア大統領選挙は、現職のナポリターノ大統領を、国が崩壊してもおかしくない土壇場で再選して終了した。全1007票のうち、自派の候補に固執した五つ星運動系の200余票を差し引いた、約800票中738票を獲得しての当選だから、心情的にはほぼ全会一致の再選、と形容しても良いだろう。

 

4月18日に始まった大統領選挙は、議会2大勢力である中道左派と中道右派の確執、一転しての協力合意、そして裏切り、とドラマチックに展開した。そこには左派の中核である民主党の内部分裂が深く関わっていて、求心力を失った同党のベルサーニ書記長は、大統領選挙後に辞任すると表明。

 

民主党の内紛のあおりを食って大統領選挙は完全に暗礁に乗り上げた。もはやどうにもならないと国中が絶望感に陥った時、なんと辞任を表明したベルサーニ民主党書記長、その天敵のベルルスコーニ前首相、さらに辞任が決まっているモンティ首相の3人が、個別にナポリターノ大統領を訪ねて続投を懇願した。

 

間もなく88歳になる同大統領は、高齢を理由に二期目の大統領選出馬を固辞し続けてきた。しかし、現状、政府さえも存在しないに等しいイタリアの政治混乱に、さらに輪をかけることが確実になった事態を憂慮した大統領は、「国に対する私の責任がある」と悲痛な心境を告白して、ついに3者の要請を受け入れた。

 

その直後に行なわれた6回目の投票で、ナポリターノ大統領はイタリア共和国史上初めて、2期14年を務める国家元首の地位に就くことが決まった。ここから7年の任期を終える頃には、ほぼ95歳になる同大統領は、政治混乱が収束した暁には途中退位すると見られている。が、自己犠牲の発露以外の何ものでもない、勇気ある決断をした老大統領の真情に、イタリア国民の多くは深い敬意を表している。

 

イタリア大統領には、議会解散権や首相任命権、また国民投票実施の権限などが与えられている。しかしそれらは、政治混乱が甚だしい現在のような国の状況でこそ重みを持つが、普段は儀礼的な役割を務める象徴的な国家元首、という面が強い。

 

それでも、イタリア財政危機に端を発した政治混乱の中で、ナポリターノ大統領が見せ続けた誠実な言動と指導力は、まるで無政府状態のように紛糾・空転するイタリア共和国を一つに繋ぎとめる効力があった。その最たる証拠とも言えるのが、大統領選3日目の4月20日の出来事である。

つまり、極限の政治混迷の中で議会が四面楚歌に陥ったその日、徹底的にいがみ合っていた右派のベルルスコーニ前首相と左派民主党のベルサーニ書記長、さらにモンティ首相の3人が、図らずもそれぞれが大統領府に赴いて、任期切れ間近のナポリターノ大統領に再出馬を要請したのである。

僕は今「図らずも」と言った。でも実は、彼らは多分それを「図った」のである。つまり3人は、大統領に面会する前に既に対立を脇に置いていて、政治混乱を収束させる方向に動こう、ということで一つにまとまっていたに違いない。そして彼らのその動きは、ナポリターノ大統領の再選となって見事に結実した。

再選されて任期が伸びたナポリターノ大統領は、議会の解散や総選挙の実施ができるようになった。だが、実は彼が望んでいるのは、政党間の亀裂が再び広がりかねない総選挙ではなく、あらゆる会派が集って作る連立政権である。現実的にはベルルスコーニ前首相の自由国民と書記長辞任を表明したベルサーニ氏の民主党、それにモンティ首相の少数会派「市民の選択」の話し合いによる連立政権が目標となる。

 

その場合、首相候補として名前が挙がっているのは民主党のジュリアーノ・アマート元首相、あるいは同党のエンリコ・レッタ副書記長。また、もしもそこで合意形成が成されないときは、ナポリターノ大統領とモンティ現首相が率いる暫定内閣の可能性も取り沙汰されている。

 

それとは全く違うシナリオも考えられると思う。

大統領には恐らくしおらしい言葉で再出馬を懇願したであろうベルルスコーニ前首相が、豹変して再び解散総選挙を要求することである。彼は大統領候補としても名前が挙がっていたアマート元首相を、連立政権の首班として受け入れるのには問題がないと考えられている。しかし分裂の危機にある民主党が一枚岩にならない時は、大統領選挙を通して弱体化した同党がさらに地盤沈下したと見て、総選挙に打って出たい欲求に駆られるに違いない。

一筋縄ではいかないしたたかな男がベルルスコーニ前首相なのである。

 

ベルルスコーニ前首相、ベルサーニ民主党書記長、モンティ首相という政界の重鎮が、手を携えてナポリターノ大統領の再選を演出したのは、政治混乱の収拾に向けた大きな一歩だった。しかし、多くの思惑が入り乱れて横行闊歩するマキャベリの母国、ここイタリアの政界のことである。先行きは全く不透明だと言わざるを得ない。

 

ただ今回の大統領選挙の騒動で明らかになったことが一つだけあると僕は思う。つまりこのまま既成政党間の連立が成って政権が樹立された場合、大きな政治のうねりを作ってきた五つ星運動の勢いが、かなり殺がれていくのではないか、ということである。

五つ星運動は、大統領選挙でも決して妥協せず、自らが立てた候補に固執した。それどころか、ナポリターノ大統領の再選にさえ、激しく反発した。それが彼らの真骨頂なのだが、政局の混乱を全く意に介していないことが明らかな身勝手な動きは、やはり異様なものに見えた。

既成政党や政治家の腐敗を痛烈に告発した、五つ星運動の功績は断じて無くなることはないだろう。が、今のままでは五つ星運動は、反対のための反対に終始するだけの、ただの「抗議勢力」に留まるのみで、実際に政権運営に関わるような、責任ある真の政党にはなり得ないのではないか、とも思うのである。

 

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