【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

日馬富士よ、必ず品格高い横綱を目指してほしい


加筆再録


9月の大半は大相撲観戦に結構時間をつぶしました。日馬富士の綱取りが成るかどうか、はらはらしながら連日テレビの前に釘付けになったのです。ヨーロッパの日本衛星放送は、大相撲の本場所中は1日3回
NHKの相撲中継を流します。最初は朝9時(日本時間16時)から日本との同時生放送。午後になってそれの録画再放映があり、さらに夜は幕内の全取組みを仕切りなしで短く見せます。

5年振りの横綱誕生劇は実に面白いものでした。僕は元々日馬富士の横綱昇進を予想していましたが、彼よりも大関把瑠都の方が先に横綱になると考えたりしていましたから、完全な見込み違いでした。それでも相撲が大好きな僕は、久しぶりの横綱誕生が嬉しい。心が躍る。双葉山、貴乃花以来の大関2場所連続全勝優勝、という快挙を成し遂げて横綱になった日馬富士は、大横綱になる可能性を秘めていると思います。しかし、少し不安もあります。

2年前、幕内最高位にいた朝青龍が「横綱の品格」を問われて引退に追い込まれましたが、日馬富士はその朝青龍を慕い、彼に可愛がられていました。僕はそこに一抹の不安を覚えるのです。新横綱は、不祥事を次々に起して前代未聞の引退劇を演じた「朝青龍とは人物が違う」とは思うのですが、日本の心の深みに疎い外国人力士のままでいると、彼の慕う元横綱の二の舞を演じることがないとも限らない。日馬富士にはぜひ朝青龍に欠けていた「横綱の品格」を身につけて大横綱への道を歩んでほしいと思います。その願いを込めて少し意見を述べます。

-横綱の品格とは何か-

横綱の品格を問われつづけた朝青龍の引退騒ぎを、僕は当時衛星放送をはじめとする日本の各種メディアを通してずっと見ていました。その中で最も大きくまた真摯な態度で騒ぎを取り上げたNHKの特集番組では、元横綱の北の富士勝昭さんややくみつるさんなど、大相撲のご意見番とも呼べる専門家たちが、横綱の品格とは結局なんなのか分からない、という話に終始していて驚きました。不思議なことでした。鏡に顔を近づけ過ぎると自分の顔の輪郭が良く見えなくなります。それと同じように、日本国内にいると日本人自らの姿が良く見えなくなるのか、とさえ思いました。

横綱の品格とは、ずばり「強者の慎(つつし)み」のことだと僕は考えます。

この「慎み」というのは、日本文化の真髄と言ってもいいほど人々の心と社会の底流に脈々と流れている、謙虚、控えめ、奥ゆかしさ、などと同じ意味のあの「慎み」です。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という格言句に完璧に示された日本人の一番の美質であり、僕のように日本を離れて外国に長く住んでいる人間にとっては、何よりも激しく郷愁をかき立てられる
日本の根源です。日本人から年々慎み深さが消えていっている、といわれる昨今「何をオメデタイことを・・」と反論する人がいるかも知れません。しかし、それは間違いです。日本人は世界の水準で測れば、今でもはるかにはるかに慎み深いのです。

朝青龍は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という日本の心が分からなかった。あるいは分かろうとしなかった。もしかすると分かっていたが無視した。そのいずれであっても同じことです。彼は日本人が最も大切にしている価値観、道徳を侮辱した。だから激しく非難されたのです。

慎みというのは実は、世界中のどの国に行っても尊敬される道徳律です。人は誰でも「実るほど頭を垂れる者」を慕う。そして実った人の多くが頭を垂れるのが世界の現実です。たとえばイタリア映画の巨匠フェリーニは、僕が仕事で会った際「監督は生きた伝説です」と真実の賛辞を言うと「ホントかい?君、ホントにそう思うかい?嬉しい、嬉しい」と子供のように喜びました。またバッジョやデルピエロなどのサッカーの一流選手も、仕事の度に常に謙虚で誠実な対応をしてくれました。頂点を極めた真の傑物たちは皆、実るほどに頭を垂れるのが普通です。「慎み」は日本人だけに敬愛される特殊な道徳律ではない。真に国際的な倫理観なのです。

相撲には、他のあらゆるスポーツと同様に我われ人間の持つ凶暴さ、残虐性、獣性などを中和する役割があります。同時に、他のスポーツ以上に、それと対極にある思いやりや慎みや謙虚も「演出すること」が求められています。

相撲は格闘技である。強ければそれでいい。慎みや謙虚などというのは欺瞞だという考え方もきっとあるでしょう。しかし相撲は、プロレスやボクシングや総合格闘技などとは違って、最も日本的な伝統と型と美意識を持つ「儀式」の側面を持つスポーツでもあります。そこでは常勝が当たり前の「強者横綱」は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という日本精神の根本を体現することを強要されます。それが相撲の文化なのです。文化ですからそれは特殊なものであり、普遍性が命の文明とは違って、特殊であること自体に価値があります。

朝青龍は優れたアスリートでした。また疑いなく大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花などの大横綱と肩を並べる存在でもありました。僕は個人的には朝青龍の明るさが好きでした。さらに言えば、土俵外での彼の奔放な行動も、多くが許せるものだったと思います。引退の直接の原因となった泥酔・暴力事件は言語道断ですが、それ以外の不祥事の多くは、破天荒な性格の彼が羽目をはずした、という程度の出来事がほとんどだったように思うのです。しかし、土俵上での態度は横綱の品格を貶めるものも少なくありませんでした。特に勝負が決まった後の動きがそうでした。

たとえば、強い横綱だった朝青龍には、せめて倒した相手にダメを押すような行為を慎んで欲しかった。勝負が決まった後の一撃は、見苦しいを通り越して醜いものでした。そしてもっと無いものねだりをすれば、倒れ込んでケガでもしたかと思うほど参っている相手には、手を差し伸べる仕草をして欲しかった。

その態度は最初は「強制された演技」でも「嘘」でも「欺瞞」でも良かったのです。行為を続けていくうちに気持ちが本物になっていく。本物になるともはや演技ではなくなり、じわりとにじみ出る品格へと変貌します。

強くて明るくて個性的な横綱朝青龍は、そうやっていつか品格高い名横綱に生まれ変わる筈でした。しかし彼は「横綱の品格」を求める多くの日本人の心性が何であるのかを少しも理解できないまま、ついに引退にまで追い込まれてしまったのでした。新横綱日馬富士がその轍を踏まないように強く願いたいと思います。 

 

ペルーまで。ウーゴさんを訪ねて。



今年の夏の慈善事業が昨日、9月29日でほぼ終わった。

 

昨日の仕事は正確に言えば慈善事業ではなく、伝(つて)を通して要請があった歴史的建造物保存会の人々に伯爵家を公開することだった。

 

夏の間は伯爵家では、慈善コンサートや展示会などの催し物のほかに、そうした社会奉仕活動がしきりに舞いこむ。主に妻がそれらの仕事をこなすが、伯爵家の家族の多くが亡くなりまた老いた今は、僕も妻の手伝いに狩り出されることが多くなった。

 

伯爵家にまつわるそれらの役回りは妻の義務である。妻の義務なので僕は黙って彼女に協力する。義務でなければ、おそらく事情は少し違っていただろう。

 

10月8日にペルーに行くことが決まった。ウーゴさんに会いに行くのだ。

 

ウーゴさんとは、今年88歳になるウーゴ・デ・チェンシ神父のこと。彼はマト・グロッソという慈善団体の創始者である。

彼を慕うマト・グロッソのボランティアたちは、神父さんと言う代わりに皆「ウーゴ」と彼を実名で呼ぶ。だから僕も時どき彼らにならう。

 

マト・グロッソには妻も僕も関わりがあって、わが家でのチャリティーコンサートなどは彼らが仕切って開催される。

 

昨年、わが家で催した東日本大震災支援チャリティーコンサートも、マト・グロッソのボランティアの皆さんのおかげで成功裡に終わった。

 

今年は、例年通り6月に南米支援の慈善コンサートを行い、ペルーからイタリアに帰国していたウーゴさんもわざわざ駆けつけてくれた。

 

その時に、ペルーに来ないかとウーゴさんに誘われた。僕らは喜んで行くと答えた。

 

問題があった。マト・グロッソの責任者のブルーノが、果たして僕ら夫婦とともにペルーに行けるかどうかがはっきりしなかった。ペルーでは主に山中で活動するマト・グロッソの施設を訪れることになる。マト・グロッソの誰かの案内がなくては難しかった。

 

ブルーノは妻のヴィカと共に重度の障害を持つ息子の世話をしながら仕事をし、マト・グロッソの事業にも関わっている。どこで、どのように時間が取れるかはっきりしなかった。

 

ところが障害を持っている息子のキーコが先日亡くなった。ブルーノ夫妻は36年振りに息子の世話から解放された。

 

悲しみは悲しみとして受け留めつつ、ブルーノとヴィカは息子キーコの死を淡々と見つめた。36年の苦しい年月を生き抜いた息子を誉め讃え、慈しみ、そして見送った。

 

そんな思いがけない展開があって、ブルーノはヴィカと共にペルー行きを決めた。36年振りの夫婦旅行だという。これまでは旅行の機会があっても、どちらか一方が必ずキーコの側にいなければならなかったのだ。

 

そうやって、僕ら夫婦とブルーノ夫婦の4人でウーゴさんに会いに行くことにした。

ブルーノとヴィカは僕ら夫婦よりも年上だが、とても気が合う。その上に僕は彼らの自己犠牲の精神にいつも頭が下がる思いでいる。彼らと旅行できるのは腹から嬉しい。
 

今回の旅にはハンディカメラを持って行くつもり。ウーゴさんとマトグロッソの活動の模様を撮影しておこうと思う。

 

リサーチのつもりだが、ブルーノか誰かに頼まれれば一本の作品にまとめることがあるかもしれない。カメラマンを伴なわないロケだから、たいした絵は撮れないとは思うが・・

 

イタリア戻りは10月26日。戻るとすぐにアメリカ・ニューヨークからの友人を迎える。ディック・ブリリア。優秀なTVディレクター兼プロデュサー。

アメリカ生まれのTV番組「どっきりカメラ」の現代版の創始者の一人である。

 

ニュヨークでは同僚として共に仕事をし、同時に先輩でもある彼からはずい分多くのことを教わった。

 

再会がとても待ち遠しい。

 

 

領土という武骨、秋言葉という風雅


加筆再録



尖閣、竹島、北方四島・・

ここところ、それらを思う度に心が昂ぶり体が戦闘的になるような気がします。自分自身も、また故国日本全体の世論も、ここ数週間ですっかり「兵(つわもの)振り」が身についたようにも見えます。

それはそれでいいのですが、日本には勇猛な武将でさえ花を活け和歌をたしなむ、という文武両道、硬軟融和の伝統もあります。国難を見て心が騒ぐ今こそ、その繊細な文化を思い出してみるのも一興かも知れません。

ここ北イタリアは9月の声を聞くと同時に涼しくなり、今はもうすっかり秋です。異常気象とまで言われた8月の猛暑が遠い昔のようです。秋の日はつるべ落としと言いますが、この国では秋そのものがつるべ落としに素早くやって来て、あっという間に過ぎ去ります。印象としては夏が突然冬になります。

日本の平均よりも冬が長く厳しい北イタリアですが、短い秋はそれなりに美しく、風情豊かに時間が流れて行きます。ところが、イタリア語には、枯れ葉、病葉(わくらば)、紅葉(こうよう)、落葉、朽ち葉、落ち葉、木の葉しぐれ、黄葉、木の葉ごろも、もみじ・・などなど、というたおやかな秋の言葉はありません。枯れ葉は「フォーリア・モルタ」つまり英語の「デッド・リーフ」と同じく「死んだ葉」と表現します。

少ししとやかに言おうと思えば「乾いた葉(フォーリア・セッカ)」という言い方もイタリア語には無いではない。また英語にも「Withered Leaves(ウイザード・リーブ)」、つまり「しおれ葉」という言葉もあります。が、僕が知る限りでは、どちらの言語でも理知の勝(まさ)った「死に葉」という言い方が基本であり普通です。

言葉が貧しいということは、それを愛(め)でる心がないからです。彼らにとっては「枯れ葉」は命を終えたただの死葉にすぎない。そこに美やはかなさや陰影を感じて心を揺り動かされたりはしないのです。山に行けば紅葉がきれいだと知ってはいても、そこに特別の思い入れをすることはなく、当然テレビなどのメディアが紅葉の進展を逐一報道するようなこともあり得ません。

ただイタリア人の名誉にために言っておくと、それは西洋人社会全般にあてはまるメンタリティーであって、この国の人々が特別に鈍感なわけではありません。

それと似たことは食べ物でもあります。たとえば英語では、魚類と貝類をひとまとめにして「フィッシュ」、つまり「魚」と言う場合があります。というか、魚介類はまとめてフィッシュと呼ぶことが多い。Seafood(シーフード)という言葉もありますが、日常会話の中ではやはりフィッシュと短く言ってしまうことが普通です。イタリア語もそれに近い。が、もしも日本語で、たとえひとまとめにしたとしても、貝やタコを「魚」と呼んだら気がふれたと思われるでしょう。

もっと言うと、そこでの「フッィッシュ」は海産物の一切を含むフィッシュですから、昆布やわかめなどの海藻も含むことになります。とは言うものの、欧米人が海藻を食べることはかつてはなかったのですが。タコさえも海の悪魔と呼んで口にしなかった英語圏の人々は、魚介類に疎(うと)いところが結構あるのです。

イタリアやフランスなどのラテン人は、英語圏の人々よりも多く魚介に親しんでいます。しかし、日本人に比べたら彼らでさえ、魚介を食べる頻度はやはりぐんと落ちます。また、ラテン人でもナマコなどは食べ物とは考えないし、海藻もそうです。もっとも最近は日本食ブームで、刺身と共に海藻にも人気が出てきてはいますが。

多彩な言葉や表現の背景には、その事象に対する人々の思いの深さや文化があります。秋の紅葉を愛で、水産物を「海の幸」と呼んで強く親しんできた日本人は、当然それに対する多様な表現を生み出しました。
 
もちろん西洋には西洋人の思い入れがあります。たとえば肉に関する彼らの親しみや理解は、われわれのそれをはるかに凌駕(りょうが)する。イタリアに限って言えば、パスタなどにも日本人には考えられない彼らの深い思いや豊かな情感があり、従ってそれに見合った多彩な言葉やレトリックがあるのは言うまでもありません。

さらに言えば、近代社会の大本を作っている科学全般や思想哲学などにまつわる心情は、われわれよりも西洋人の方がはるかに濃密であるのは論を待たないところだと思います。

と、書き進めても、領土問題の解決には何も役には立ちません。が、逆に領土問題も人の心の琴線を振るわせる何の役にも立ちません。むしろ心を昂ぶらせ、すさませ、虚しくさせる。領土問題ではどうしても気持ちが武闘的になります。その行き着く先は戦争です。戦争などあってはなりません。従って、やはり、われわれは中国その他の国々との問題を平和裏に解決しなくてはなりません。そのためには荒ぶる心を鎮める必要がある。その方法は多々ありますが、陳腐なように見えてもやはり、花や紅葉を愛でる日本の伝統文化に思いを馳せることなどもその一助になる、と考えたりするのはただのこじつけでしょうか。

ブログは自慢話のオンパレード?



渋谷君ではない僕の親しい人が「ブログは全て自慢話に見える」と連絡をくれた。

 

正直、僕の最初の反応は「???・・」だった。

 

それはブロガーの中には自慢話が好きな人もいるだろうが、全てのブログが自慢話というのはおかしいだろう、と思った。

 

僕自身も自慢話を書いているつもりはない。自慢話をするなら、これは自慢話だが、と断ってから書き出すと思う。

 

しかし、そのつもりがなくても、読者から見ると結局自慢話めいたものになったり、自己満足や我田引水的な主張に過ぎない話などもきっとあるに違いない。

 

でもそれは、何をどう書いても見る人によってはそういう風に見えるものだから、考えても仕方がない。と、僕は割り切っている・・

 

僕の反応「???・・」の中身を分析すると、およそそんな感じになる。

 

それで終わりかと思ったら、意外にも自分の中で引っかかっていて、考え続ける羽目になった。

そして、考えたら、「ブログは自慢話」という見方はあながち的外れなものではない、と気づいた。

 

ブログを書くとは表現をすることである。表現をするとは、自分を分ってもらおうとする行為である。

文章、絵画、音楽、劇作、建築、アートetc etc・・あらゆる芸術表現は、人の「自分を知ってほしい」という切実な願いから出ている。

 

自分を知ってほしいのだから、それは自分の自慢話になるのが落ちである。

 

自分の嫌なところ、醜いところ、暗いところを敢えて他人に伝えたい者はいない。特に個人的な表現手段であるブログではその傾向は強いと考えられる。

 

敢えて自らの醜悪な部分や心の闇も描くとそれは文学になる。

そしてその文学も、僕の親しい人の見方に固執して考えると、やはり自慢話である。

 

なぜなら暗部も含めた己自身をさらけ出すことによって、作者はやはり自分を他人に分かってもらいたいのであり、しかも己のネガティブな側面も正直に描き出すことで読者の共感を得たい、と願っている。

正直な人間、誠実な人間、己の全てをさらけ出す勇気ある人間・・などと評価されたいと密かに切望している。

 

だから、それはやっぱり自慢話なのである。

 

そうと分ったら、開き直って「自慢話」を書き続けてやる、と僕は決意した。

ような・・・

かも。

 

世界に感染拡大しようとする中国の蛮声 



昨日、中国の反日デモに関して在ミラノ領事館から次のような知らせがありました。北イタリア在住の邦人全員に送られたメールです。

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「尖閣諸島国有化に反対する中国人による抗議活動」

北イタリア治安情勢通報(2012年・第10号)
~ミラノ市内における抗議活動に関する注意喚起~

 今般,尖閣諸島国有化に反対する当地中国人により,ミラノ市内において抗議活動が行われるとの情報を入手しました。実施日時・場所及び注意事項について以下のとおりお知らせします。

1.実施日時
  2012年9月18日(火)14:00~16:00の間

2.実施場所
  ミラノ市内レプッブリカ広場周辺

3.注意事項
○抗議活動が行われている場所へ近づかない
 抗議活動が予定されている当日にレプッブリカ駅及びその周辺へ出かける予定のある方は,抗議活動等が行われている場合,必ず迂回する等して抗議活動が行われている場所を避けるようお願いします。抗議活動が行われている直近を通行した場合,抗議活動参加者から罵声を浴びせられたり,暴行等不測の事態が発生する可能性もありますので,興味本位等で近づくことのないようご注意願います。

○又,当日当館に来られる予定の方は,周囲の状況に気をつけて下さい。

平成24年9月17日 
在ミラノ日本国総領事館

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華僑を始めとするイタリア在住の中国人が、ミラノの中心地の共和国広場で反日デモを行なう、という。中国人のしつこさと熱いほどの行動力にうんざりし、やがて暗澹たる思いに捉われました。

その思いは二つの理由によっています。一つは今言った中国人の行動への疎ましさ。もう一つはわが国政府の無能、つまりコミュニケーション力の欠落と外交音痴ぶりへのがっかり感、脱力感。

多くの国のメディアや専門家が指摘しているように、反日デモは中国政府筋あるいは権力筋の肝煎りで行なわれていると見るべきでしょう。海外在住の中国人にまで彼らの管理統制は及んでいると考えられる。だからミラノでも反日デモが組織化されたのです。

ミラノには華僑が集中するチャイナタウンがあります。そこは無法地帯としてイタリア人の不評を買ったりもします。チャイナタウンをミラノ郊外に丸ごと移転させようとする計画さえあります。イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずにかの国に擦り寄る態度もときどき見せます。

しかし、ミラノに限らずイタリア国民の多くが、中国人に不信や苛立ちを感じているのも事実です。その原因の多くは、彼らが圧倒的な人数でこの国に押し寄せているにもかかわらず、全くと言って良いほどイタリア社会に溶け込まないことにあります。

彼らの反日デモは恐らく異様な出来事としてイタリア人の目には映るでしょう。従ってそれほど心配するには及びません。しかし、それでも、デモを異様と感じたイタリア人の中には例えば、せめてデモの意味を知ろうとする者や、また何とかそれを理解しようと努力する者、あるいはそれをきっかけに日中の確執に興味を抱き始める者等々も出て来るでしょう。そうなればそれは、デモを起した中国人たちの勝利です。

我われ日本人から見れば理不尽なことが多い彼らの主張は、それらの何も知らないイタリア人たちの関心を引き、しかもその関心は中国人側のフィルターを通して形成される確率が高くなります。なぜなら主張しているのは我われではなく中国人だから。そして、そうしたことの積み重ねが、国際世論に影響を及ぼす可能性は決して低くないのです。

彼らの策動に対抗するためには、日本政府が動かなくてはなりません。騒ぎを起せ、ということではなく、中国政府と国民に毅然として相対する一方で、世界に向けて我われの真実と言い分を喧伝しなければならないのです。世界中のメディアに「金をかけて」広告や主張を掲載し、各国政府に働きかけ、政財界のあらゆる伝を使ってわが国の立場を強く申し立てていかなければなりません。つまりコミュニケーションの構築です。黙っていてはいけないのです。好むと好まざるにかかわらず、主張する者が勝つ、或いは認められる。それが国際社会です。

でも政府民主党は党首選挙でそれどころではないようですし、自民党も同じ。一体いつになったら内向きの姿勢を正して、外に向けても働きかけることのできる政権や政治家が出て来るのか疑問です。反日デモはそのうち収まるでしょうし、また収まってほしいと願いますが、領土問題だけに限らず日本が国際社会に向かって主張し対話をし続けなければならない懸案は、今後も決して無くなることはありません。これを一つのきっかけに、世界と楽に対話のできる国造りを目指し、今回の騒動もまんざら捨てたものでもなかった、と誰もが将来笑い合えるようになることを祈りたいと思います。

観光産業の落とし穴~能動的であるべきか否か~




北イタリアのガルダ湖は、イタリア最大の湖である。その周りには、南アルプスの連山と北部ロンバルディア州の豊かな森林地帯が迫って、青い湖面に影を落とす。それは幾層もの緑の帯となって湖水深く沈み、大湖をさらに重厚なエメラルド色に染め抜く。


湖畔には観光客が愛してやまない景勝地がたくさんある。DHローレンスやゲーテなどの大作家も讃えた、例えばシルミオーネ、ガルドーネ、サンヴィジリオ、マルチェージネ等々、おとぎの国のような美しい村々。そうした湖畔の集落は、芸術家たちが住んだり旅をしたりした当時とほとんど変わらない姿で今もそこにある。


イタリアは周知の通り世界でも屈指の観光大国である。
国中に数え切れないほど存在する古都や歴史遺跡や自然や人や文化や食や産業が、世界中の観光客を引き付けてやまない。

この国の観光資源は大きく分けると二つある。一つはローマやベニスやフィレンツェなどに代表される数多くの歴史都市とそこに詰まっている文化芸術遺産。もう一つは豊かな自然に恵まれた海や山や湖などのリゾート資源である。

この二大観光資源のうち、歴史都市の多くには黙っていても観光客が訪れる。そこはいわば「受け身の観光地」という捉え方もできる。受け身でいても良い観光地の人々は、極端に言えば何もしない。何もしなくても、彼らが「もうこれ以上来てくれなくてもいい」と密かに陰口を叩くほどの訪問客が毎年ある。先に挙げた3都市などはまさにそういう場所だ。

しかし夏のバカンス客や冬場のスキー客、あるいはその他の旅人を相手にするリゾート地の場合は、自ら客を呼び込む努力をしない限り決して土地の発展はない。イタリアのリゾート地の多くはその厳しい現実を知りつくしていて、各地域がそれぞれに知恵をしぼって客を誘致するために懸命の努力をしている。そこは言わば「攻め気の観光地」、つまり住民の自発性が物を言う観光地である。

僕はそうした人々の努力の一環を、30年近く前に初めて訪れたガルダ湖で目の当たりにして、驚いたことがある。そのときの旅では遊覧船に乗って湖を巡ったのだが、最初の寄港地であるガルドーネという集落に船が近づいていったときの光景が、今も忘れられない。

遊覧船が近づくにつれてはっきりと見えてくる湖岸は、まるで花園のようだった。港や道路沿いや護岸など、町のあらゆる空間に花が咲き誇っているのが見えた。そればかりではなく、湖畔に建っている民家やカフェやホテルなどの全ての建物の窓にも、色とりどりの花が飾られている。まるで一つ一つの建物が花に埋もれているかのような印象さえあった。

船がさらに岸に近づいた。そこで良く見ると、花は窓やベランダに置かれているのではなく、鉢や花かごに植えられて、窓枠やベランダの柵に「外に向かって」吊り下げられている。要するにそれらの花々は、家人が鑑賞し楽しむためのものではなく、建物の外を行く人々、つまり観光客の目を楽しませるために飾られているのだった。

南アルプスのふもと近くに位置していることが幸いして、ガルダ湖地方には歴史的にドイツを始めとする北部ヨーロッパからの訪問客が多く、観光産業が発達してきた。そのため住人の意識も高く、誰もが地域の景観を良くするための努力を惜しまない。町を花で埋め尽くす取り組みなどはそのひとつで、観光地のお手本とされ、今ではイタリアのどこのリゾート地に行っても当たり前に見られる光景になった。

突然話が飛ぶようだが、世界の観光地の中には、受動的であるべきか能動的であるべきかの区別がつけられずに、四苦八苦している美しい土地が結構あるように思う。一例を挙げれば、僕が知る限り日本の南の島々の一部もそうである。それらの島々には例えば、古代ローマ時代からルネサンスを経て現代にいたる、イタリアの偉大な歴史遺産に匹敵する観光資源は残念ながらない。しかしガルダ湖などに代表される、イタリアのリゾート地に勝るとも劣らない観光資源なら大いにある。言うまでもなく美しい海がそうであり、冬でも暖かい気候がそうである。

そこを活かして、観光客を「楽しませ」「遊ばせる」ための自発的な行動や施策や方針や活動が必要なのに、何を勘違いするのか、地元の人々は良くムラの遺跡や文化にこだわって、観光客を呼ぶためにまずそれらのひどく「ローカルな文物」を整備しようと躍起になったりする。それらの伝統はもちろん重要である。しかし観光客はほとんどの場合、そうしたものを見るために島に足を運んだりはしない。島の自然を遊ぶために訪ねて行くのだ。その後で時間があり、しかも気が向けば歴史観光もするかもしれないという程度のものだ、と話してもなかなか分ってくれなかったりするのである。

同じようなことはイタリアでも起こる。例えば僕の住むここ北イタリアの村は、前述の日本の島のように自然豊かで、且つイタリア特産のシャンパン、スプマンテの産地としても知られる。村役場は観光客の誘致に力を入れていて、ひんぱんに祭やイベントを催したりして頑張っている。観光課の責任者たちと話をする機会が良くあるが、彼らは村の今の特徴を真っ先に考えるべきところで、一律に「文化」や「歴史」にこだわってしまい、大観光地のフィレンツェやローマを真似て歴史遺産を観光の目玉にしたいと考える者が多い。また実際に、村の貴重な税金を使って、古い建物や遺跡の整備をしたりもする。

でもそうした活動は、「村の住民の心を豊かにする」ために為されるべきことであって、「観光客の誘致」という観点からは余り意味がない。そこで整備・改善されて村人の心を癒やし続けた「村の文物」はやがて将来、長い時間の経過の後で、フィレンツェやローマの歴史芸術にも匹敵する観光資源となるかもしれない。が、旅人にとっては今のところは、例えば「未知の土地のわずらわしいオブジェや田舎の美意識の過剰な表出」のようなものでしかない、というケースも結構あるのだ。

イタリアには主要歴史都市以外にも、歴史文化遺産を多く抱える町や村や地域が吐いて捨てるほどある。だから僕が住む無名の村にあるような文化遺産では、訴求力が弱すぎて人は呼べないと思う。それよりも、例えば村域にある広大なブドウ園を結んで遊歩道を築いたり、各ワイナリーと提携して常時試飲会を開いたり、販売促進イベントを開催するなど、地域の特徴を活かすべきではないかと僕などが話すと、なるほど良いアイデアだと頷いたりするものの、中々そうした方向には動かない。ムラ人たちはいつも、歴史的観光都市や地方への密かな憧れと劣等意識を抱え込んでいて、その反動で「ムラの文化や歴史」にこだわり過ぎてしまうきらいがある。だから村の観光事業は、いつまで経っても滑走離陸しない場合が多いのである。

 


雨、テンポラーレ、カテリーナ、たち・・



シリアの話、マフィアの動き、終わったばかりのオリンピックこぼれ話、英王室がらみ、一年前から書く計画の「今のところ」のあれこれ・・

 

と、書くべき或いは書きたいテーマは多くあるのに、天気のことが気になってしょうがない。

 

というか、天気のことを書いておきたい。記録或いは記憶用に。

 

昨日(9月5日水曜日)も雨。

 

乾ききった長いcaldoafricano(アフリカ暑熱)への反動で、一度雨が降ると止まらなくなって降り続くのではないか、という人々の予想は今のところはハズレに見える。

 

でも、まだ分らないけれど。

 

今夏、もっとも僕の印象に残っているのは、異常と形容してもいいような暑さや乾燥ではなく、激しい雷雨を伴なって暴力的に吹く風(僕が豆台風と勝手に名付けている)、テンポラーレがほとんど無かった事実。

 

イタリアの夏はテンポラーレと共にあり、テンポラーレと共に終わる、と言っても良いほどそれはひんぱんに吹き募る。

 

盛夏にはテンポラーレが吹いて一時暑気を飛ばし雨が降る。暑気はすぐに戻って大気中に熱がこもり霞が沸き広がる。

 

霞やもやは鬱積して、間もなくテンポラーレがやってきて一掃する。

 

ということが繰り返される。

 

8月も半ばを過ぎると、テンポラーレの一撃ごとに涼風が募って、秋が駆け足でやって来る。

 

その秋はせわしなく、やって来た時と同じ早足で去って、するともう冬・・

 

というのが一年後半のイタリアの季節の動き。少なくとも僕の印象にある季節変化。

 

今年はそこでの主役のテンポラーレが無かったのだ。ちょっと不思議。

 

でも雨と共にやって来た涼気は、テンポラーレが運び来るそれと変わらない。早朝には冷気と言ってもいいほど気温は下がる。

 

ほんの一週間ほど前までの暑さが嘘のよう。やっぱりイタリアの季節変化は荒々しい。面白い。

 

昨日夕刻、冷たい雨に打たれてカテリーナがブドウ園にうずくまっていた。

 

ちょうど僕の書斎兼仕事場の窓に近い場所。

 

ブドウ園は広く、また敷地内には雨を凌げる場所がいくらでもあって、カテリーナは冬の間などはそこで寒さを避けながら生きているようだ。

 

なのに、昨日は冷たい雨に濡れて、わざわざ僕の目につきやすい場所にいた。

 

気になって仕方がない。

天気のことにこだわっているのは、そのことともほんの少し関係がある・・


カテリーナ引き
真ん中あたりの白いポツン・・

カテリーナ中引き
寄ってみると・・

カテリーナ寄り
もっと寄ってみると・・

う~む

ちょっと切ないぜ・・

招き招かれも人生。かも。楽しいかも。



友人を招いてのスピエド料理パーティー(昼食会)は大成功だった。

 

天気は結局最悪。

 

前日から降り出した雨が、パーティー当日の土曜日も降り続いた。むしろ前日よりも強く。

 

それでもパーティーは成功裡に終わった。

 

雨を警戒して、Aperitivo(食前酒会)を屋内用にも準備していたことと、そして何よりも昼食メイン料理のスピエドが、抜群に美味しく大好評だったのが良かった。

 

スピエドは秋の料理だが、標高1000Mの山中は涼しいので、夏でも良く食べられる。その場合には、冷凍保存していた前年の狩猟の獲物肉少々と、スペアリブや鶏肉などが多く使われる。

 

晴れてくれれば食前酒会は屋外で開く予定だった。

 

ガルダ湖を見下ろす絶景の中で飲む食前酒は、また格別の味がした筈だが、ま、仕方がない。

 

時どき晴れ間も出たので、窓から少しのパノラマも楽しめたし。

 

招いたのは40人弱。

 

1/3の親しい友人と、2/3の社交友人、つまり招かれたお返しに招いた客人。

 

ま、でもその皆さんも友人と言ってもいいだろう。

 

招待されて出た集まりやパーティーで出会う人々を、全て招くことはできないので。

 

また招くのは妻や僕ではなく、実は「伯爵家を招いている」だけというケースも多いので。

 

それぐらいの認識、見きわめはいつでもしているし(笑)。


だから今回初めて招いた2/3の客人たちは、それなりに気心の知れた友達だな。やっぱり。
 

社交はつらいところもあるけれど、ワインを少し飲めばはしゃいで少しはおしゃべりもできる。

 

本来のノーテンキな自分が表に出て、まあまあ社交的にもなる。

 

もっともノーテンキは、飲まなくてもしっかり表に出ているとは思うが(笑)。

 

9月いっぱいは、週末を中心にまたそこかしこに招(よ)ばれている。

ホントの友人らの招きもあれば、義理の友人たち(?)からのそれも。

 

後者は疲れる。

が、

でも、

義理が転じて友にもなることを信じて。

さ、

行くぞ~~~い!!

 

想い雨



待ちに待った雨が降った。この直前の記事「ブログ日和」を書いてすぐに。


北イタリアのみ。


南の方はまだ乾いた日々が続きそうだ。でも、雨雲もそのうちに南下するだろう。


季節の変わり目なのに、雷鳴を伴わない静かな降雨である。つまり、テンポラーレ(豆台風)ではない普通の雨。


長い間雨が降らなかったから、今度は逆に多過ぎるほどの雨が降り続ける、とまるで見てきたように確信をこめて話す人々が結構いる。

誰もが異常気象に慣れてきたのだ。


異常気象が続けばそれが常態になる。気温が上昇傾向にあるのはどうやら間違いないらしいから、もう既に異常は「普通」になっているのかもしれない。


そうなったらそれで、人も自然も世界も、しぶとく順応して行くのだろう。ある程度の犠牲や、混乱や、痛みを克服しながら。


歴史はいつもそうやって作られてきた。


人も自然も世界も、しぶとい。


幸いなことに・・


今ガルダ湖畔にいる。大湖の水嵩はかなり低い。灌漑用に抜き取られたのだ。例年のことだが、今夏は特に多くの水が灌漑に使われた。


今回の雨量程度では大湖の渇きは癒されない。水位が戻るのは、アルプスの雪解け水が流れ込む来年の春だろう。


冬、雪が十分に降れば・・ 異常気象でなければ・・


明日はスピエド・パーティの日。雨が降り続けなければいいが。と自分の都合に合わせて考え、祈る。


昨日まで、そして夏の間中、あれほど雨を待ち続けていたくせに。


人間はほんとに自己チューで、しぶとい・・




ブログ日和



ブログを書く良さの一つは、それぞれの記事が、カレンダーのような役割も果たしてくれることである。


必ず日付がついて回るから、文字通り暦にもなるばかりではなく、その記事を書いたころの自分の気分や暮らしぶりや出来事なども連想される。まるで流行(はや)り歌みたい。


ほら、昔流行った歌を久し振りに聞くと、当時の思い出が走馬灯のようによみがえるじゃないですか。あれと同じ。


日記というものをほとんど書いたことがない僕にとっては、ブログが担(にな)ってくれるカレンダーの役割がとても新鮮である。役にも立つ。


たとえばここ最近は、自分のブログを読み返して、去年の夏の天候を確認しては感慨にふけることが多い。


去年は10月まで暑かったりした。が、雨は適当に降った。今年は8月終わりの今現在、イタリアは旱魃の危機にある。


イタリアの大半の地域では雨が降らない。


もう三ヶ月も。


大地が乾ききって農作物にかなりの被害が出ている。


昨日、田舎道を車で走っていると、立ち枯れているトウモロコシ畑がそこかしこに見えた。結構ショッキングな光景だった。


誰もが雨を待っている。


僕は荒々しくて爽快なテンポラーレ(豆台風)を待っている。


実は、ここ2、3週間、雨をもたらすテンポラーレの予報が何度も出た。ところがそれはまったくやって来ない。


いや、予報通りに雲が湧き、風が吹いて、ほんの申し訳程度の雨のしずくが落ちたりもする。でも、本物の雨は訪れない。


今日も雲が湧き、雨、もしくは豆台風・テンポラーレへの期待が高まった。でも、また肩透かしに終わった。


あさって土曜日、友人たちを招いてスピエド会を開く。スピエドは北イタリア独特のジビエ料理。元々は狩猟の獲物の肉を串焼きにした。


今は豚肉、スペアリブ、鶏肉、野鳥、ジャガイモなどを基本に串にして5、6時間かけてじっくりと 炙り焼く。


スピエド食事会の土曜日は晴れてほしい。予報も晴れ。

 

でもそれは、今日(木曜日)、昨日、さらに週初の日々に雨が降って、その後は晴れる、という予測、セオリーからの予報のようだった。


今のところ、予報は当たっていないようだ。そうすると、土曜日が大雨の日・・という最悪のシナリオも考えられる。


そうなるとちょっとつらいが、でも、正直それもまた面白い・・


ような・・・


 

アスマ・アサド、シリア大統領夫人への公開状



かわいそうなアスマ・・

シリア危機が勃発して以来、僕はあなたに関するニュースを目にする度に、強い憐れみの念が湧くのを禁じ得ません。骨の髄までアジア人女性であるあなたに、同じアジア人として深く同情してしまうのです。あなたはシリア移民の子としてロンドンで生まれ、そこで育ち、民主主義大国の教育を一貫して受けています。出生地優先の理念から自動的にイギリス国籍を獲得し、同時にシリア人である両親の国籍も受け継ぎました。でも人々はあなたを「シリア国籍も有するイギリス人」だと考えました。「イギリス国籍も持つシリア人」とは誰も考えなかったのです。だってあなたはロンドンで生まれ、育ち、英語を母国語としてずっと生きていたのですから。

 

あなたは欧米のメディアから「中東のダイアナ妃」という美しい呼び名さえ与えられていたことがあります。人権意識の乏しいシリア国内で、女性の地位向上に向けて働く一方、貧しい子供たちを救うために精力的に慈善事業に関わっているという「噂」が、生前多くの慈善行為を行って世界を感動させた、あのダイアナ妃に似ているという軽率な命名でした。あなたは断じてダイアナ妃などではない。エイズに掛かったアフリカの幼な子を抱きかかえて苦悩する姿が、若い慈母のほとばしる真実を表して感動的だったダイアナ妃とは似ても似つかない。ダイアナ妃の行為にはあふれ出るまごころだけがもたらす美と高潔があった。あなたの行為には、見られることを意識して振舞うパフォーマンスと計算の臭いが漂っている。それはパレスチナの子供たちを憂慮する振りで、イスラエルを口汚くののしっているだけの陳腐な政治ショーに満ちたTVインタビューや、貧しい子供たちを抱擁し慈しんでいる「らしい」多くの写真や、夫と共に外国首脳や元首に相対する聡明そうな写真などなど、全てに共通する特徴です。

あなたはロンドン大学を卒業後にJPモルガンに勤務したこともあるモダンなキャリアウーマンという一面も持つ。従って自己演出をうまく行って、公共イメージを高めることの重要性も恐らく知っているのでしょう。あなたはファッションのセンスも群を抜いて優れています。体形も三人の子供を生んだとは思えない理想的な姿に見えます。フォトジェニックな美貌とセンスの良いファッションは、世界中の女性たちの羨望を呼び起こすほどです。あなたはきっとパブリシティのプロを雇って、一挙手一投足を制御管理し、最高のパフォーマンス効果とイメージの向上に躍起になっているに違いない。そうとしか考えられない「わざとらしさ」が、あなたのやることなすことの全てにはにじみ出ています。

あなたが最後にパフォーマンスをしたのは6月の末です。ジーンズにTシャツ、しかも裸足というラフな格好でバドミントンをしていましたね。普段のエレガントなファッションをかなぐり捨てて遊ぶ姿は、ほとんど女学生かと見えるほどに若々しく健康的で生気に満ちていました。どこから見ても市街戦の恐怖に苛まれている国の、当事者中の当事者である大統領の妻とはとても思えない。それもその筈です。Tシャツにはアラビア語で大きく「私の国シリアは情け深いやさしい国」と書かれていました。それは世界に向けてのプロパガンダ写真だったのです。だからあなたは思い切り明るく楽しげに振舞ったのですね。なかなかの役者ですが、この期に及んで見え透いた喧伝文句をTシャツにプリントする感覚は、遅れたお国のおバカさん、としか僕には見えませんでした。おどろくほどに愚劣で幼い、世界との感覚の齟齬が露呈したパフォーマンスでした。きっとあなたも、あなたのスタッフや優秀なアドバイザーたちも、追い詰められてまともな思考ができなくなっているのでないか、と僕は推測しています。

あなたはそのあとに起きた7月のダマスカス中心部での閣僚爆死事件以来、公に姿を現していませんが、今のところ国外に逃亡した様子もないようです。昨年民衆に殺害されたリビアのカダフィ大佐は、妻と娘を含む家族たちを政権が崩壊する前に国外に逃亡させましたが、あなたの夫はあなたとまだ幼い3人の息子たちを安全な場所に避難させるつもりはないのでしょうか。なにしろ民衆を虫けらのように虐殺しながら、卑怯千万にも自分の身や家族は最後までかばい、守ろうとしたり、安全な場所に避難させたりするのが、独裁者の十八番ですから。

あなたが生まれ育ったロンドンは世界でもっとも国際的な街、グローバル化の進んだ開明的な都会です。たとえば同じ国際都市でもニューヨークの場合は白人と黒人がせめぎあう街と言うことができます。世界中からあらゆる人種の人々が流れ込み住み着いてはいるものの、そこでの主役はあくまでも白人と黒人なのです。少なくとも圧倒的に彼らの存在感が大きい。ロンドンは違います。そこはニューヨーク同様に西洋の都会でありながら、住まう人々の肌の色は白も黒も黄色も褐色も緑も青も、なにもかもが一緒くたになっています。白人と黒人ばかりではなく、インド・パキスタン系、中近東・アラブ系、中国・日本・韓国などの東洋系、南米インディオ系などなど、世界中の人種が坩堝(るつぼ)になり入り乱れて主役を演じているのがロンドンです。

人種混合に寛容なロンドンはまた、世界でもっとも女性解放の進んだ都会でもあります。非欧米世界からロンドンにやって来た多くの者は、そこで生まれて初めて女性の人権と解放についても真剣に考えさせられることになります。女性は我われ男性と同等の権利と能力を持つ相棒であり、かけがえのないオルター・エゴです。それは男女が同じ存在という意味ではなく、「男女は違うものであり且つ違いは優劣ではない」という基本精神に基づく、真の意味での男女同権論のことです。女性差別を無くさない限り真の民主主義はあり得ず、人間性の解放もない。世界の文化・文明国のランクは、女性差別の重さと反比例する。従って女性差別の撤廃に向かって積極的に歩む欧米の国々が、上位にランクインするのは論を待たないところです。

あなたは、イスラム教徒であるシリア人を両親に持つ女性です。従ってあなたの家の中にはきっと男性上位の戒律、掟、道徳が満ち満ちていて、あなたはそれにまみれて育ったものと思います。しかしロンドンのあなたの自宅を一歩出れば、アメリカなどと並んで女性解放の大きく進んだ国の、風通しの良い進歩的な社会が広がっていた。聡明なあなたは、きっといち早く自分の家族のあり方について、男尊女卑の理不尽について気づいたのではないでしょうか。ロンドンで最高学府まで学び、JPモルガンという世界屈指の投資銀行で働いたこともあるあなたはまた、堂々たるフェミニストでもあったでしょう。あなたがフェミニストになるのは、サナギが蝶になるように全く自然で確実な道のりだったように僕には感じられます。

事実あなたは、シリアの独裁者一族の中では、もっとも開明的な男だった眼科医のバシャール・アサドと出会い、結婚します。結婚後はヒジャブなどのアラブ女性の服装は一切身にまとわず、欧米の首脳夫人と一寸も違わない物腰で、大統領となった夫のバシャール・アサドと共に外国訪問などをこなし、世界各国の首脳はもちろんあなたの母国でもあるイギリスのエリザベス女王にさえ謁見しています。あなたは欧米の国々のファーストレディとそっくり同じでした。そればかりではなく、シリア国内の貧しい人々、特に子供たちに心をよせる、慈悲深い女性「中東のダイアナ妃」という称号さえ得たのでした。

ところがあなたは、シリア危機勃発後は自国民を弾圧する夫を尻目に沈黙を続け、それを不審に思う欧米のメディアの間では「あなたはきっと夫のアサドに脅迫されて沈黙を強いられている」とか「監禁されている」とか、果ては「子供を人質にされて身動きができずにいる」などという噂が飛び交いました。欧米のメディアにとっては、進歩的な「イギリス人女性」であるあなたが、バシャール・アサドという野蛮な独裁者の凶行を黙って見ている筈がない、すぐに立ち上がって夫を諭すか反旗を翻すにちがいない、と誰もが思い込んだのです。シリアの国内外の反政府勢力が、アスマ・アサドは自国民を弾圧・虐殺する夫と行動を共にしている魔女だ、といくら喧伝しても信じませんでした。あなたはそれほど欧米のメディアと人々に信用されていました。ほとんど何の根拠もなく。あるいは作られた虚像によって。

あなたは女性差別と闘う知的な女性でもなければ、慈愛深いファーストレディでもない。「中東のダイアナ妃」などという呼称に至っては噴飯ものの恥ずかしいレッテルです。あなたは、伝統という仮面を被った因習に縛られ、精神の強い閉塞と硬直に苛まれている一人の哀れなアジアの女性です。あなたが独裁者の夫に意見を言えないのは、あなたが精神的に自立していない、幼い、暗愚な女性だからです。あなたは多分夫のアサド大統領を深く愛しているのでしょう。夫の愛に包まれ守られて、揺りかごの中の赤ん坊のように夫に頼りきり寄りかかり、夫がこの世の全てとばかりに妄信して、精神的にほとんど夫の影のような存在であり続けているのではないですか?

もし僕の主張が間違っているなら、今からでも決して遅くありません。立ち上がってあなたの女性としての尊厳と、あなたの3人の息子の母としての強さと、あなたの愛する夫への真実を見せてください。夫のアサド大統領に「もう私たちの同胞を殺すのはたくさん!もうやめて!」と叫んでください。そうやってアジアの偉大な女性に生まれ変わってください。

 

イタリアがマジで燃えている



2012年8月23日(木)午前2時。

 

暑さで目が覚めた。

 

書斎兼仕事場に行き、窓外に置いてある温度計を見た。

 

なんと28℃。

 

熱帯夜。

 

イタリアに住み始めて初の体験。

 

いや、実際には過去にもあったのかも知れないが、僕はまったく覚えていない。朝、というか夜中の2時に、暑くて目が覚めた、なんていう記憶がないのだ。

 

腹からおどろいた。


自宅は古い貴族館である。分厚い石壁や柱に支えられた家の幾つかの部屋は、真夏でもひんやりするほど涼しい。

寝室はそんな部屋の一つ。昨夜(今朝は)その部屋で暑さを感じて目が覚めたのだ。

書斎兼仕事場は建物の西側に位置する。そこは西日ががんがん当たって夏は最も暑くなる。仕事にならないのでかなり前にクーラーを取り付けた。広い家の中で唯一冷房のある場所。

家の大半は真夏でも冷房はいらない。

いや、

いらなかった。

最近は日中そこかしこの部屋で暑く感じる。本当に気候は変わったようだ。

書斎兼仕事場でクーラーを除湿に設定して、そのままベッドに横たわった。そこには簡易ベッドを置いて疲れたら横たわれるようにしてある。

横になるとすぐに窓外で白光が走った。稲光。

起きて見ると、遠いアルプスの山並みの上にテンポラーレ(豆台風)が吹き荒れている様子。

立て続けに稲光が走り雷鳴もとどろく。

どちらも遠い。でも風が起こってあたりもひんやりしだした。

温度計を見ると28℃あった気温がひと息に20℃まで下がっている。僕はこういう激しい天気の変化が大好きだ。

眠気が吹き飛んでしまった。窓際に寄って遠くのテンポラーレを見つめた。

あたりにまた風が起こり、さーっという雨の音が続いた。暗い中に目をこらしてみる。

雨は見えない。

さらに目をこらしていると、見えてきた。

ような気がした。でも実際は見えない。しかし雨は確かに降っている。かすかに。

除湿が効いてきて部屋がひんやりする。

毛布を足に掛けて横になって雨の音にじっと耳を傾けた。

雨は降っている。かすかな音だが確かに降っている。どしゃ降りになってほしい、と胸中で願ううちに眠りに落ちた。

目覚めて采園に行ってみると、土は乾いている。わずかな雨量では乾ききった土は湿り気さえ帯びない。

降った先から乾いて行ったのだ。そこでも今のイタリアの空気の乾燥が分かる。

采園の野菜たちは喘いでいる。

人間も。

イタリアは本当に燃えている・・

尖閣で吠えずに世界に向けて静かに叫ぶべき



尖閣問題がついにイタリアのメディアにも「上陸」しました。イタリア随一の新聞コリエーレ・デッラ・セーラが「車両、店に放火―中国人の日本への怒りが爆発」という見出しと共に、中国の反日デモの様子を写真付きで大きく取り上げてしまったのです。他の媒体も追随しました。

 

僕は欧米のメディアとアルジャジーラなどを参照しつつ、日本のテレビ、新聞、ネット情報なども詳しく見ています。原発、エネルギー、いじめ、慰安婦、領土問題などなど、今一番ホットな話題も逐一追いかけているのは言うまでもありません。そして、それらの問題には多くの論者の皆さんが意見を開陳しているので、外国にいる自分は三面記事風の話題も含めて、あえて違うテーマの記事を書こうとそこかしこで心がけています。が、尖閣問題に関しては黙っていられなくなりました。

 

今回のトピックスに対しましても既に多くの論者の皆さんが優れた記事を書かれています。それらに目を通してもう余すことなく論点は出尽くした、自分が出る幕はないと考えていたところに、こちらのメディアへの飛び火があり黙っていられなくなったのです。尖閣問題では冷静に行動しろ、と主張する論者の皆さんに100%賛同しながら、自分なりの考えも少し付け加えて述べてみたいと思います。

 

香港の活動家の動きに対抗する形で日本の地方議員の皆さんが尖閣に上陸したのは、気持ちは大いに理解できるものの、やはり軽率だったのではないでしょうか。彼らはそうすることで中国の反日デモを呼び世界中のメディアの関心も呼びこんでしまった。影響力の強い欧米主要国のメディアは言うまでもなく、先進国の中では比較的マイナーな国ここイタリアのマスコミが、中国の反日デモの様子を大きく紹介したことでもそれは分かります。つまり彼らは行動を起すことで尖閣には領土問題が存在する、と世界に喧伝してしまったのです。中国に対しては、わが国の怒りを知らしめることになって、あるいは良しとする面があるのかも知れません。しかし、現実問題として暴力で解決できる案件ではないのは明らかですから、やはり話し合いで解決して行く道を探らなくてはならない。

 

こういうことを言うとすぐに弱腰、売国奴、事なかれ主義、などと勇ましい言葉でののしる人々がいますが、いい加減に時代錯誤な軍事優先思考はやめてもらいたいものです。日本人であるなら誰でも尖閣の中国に怒り、竹島の韓国に苛立ち、北方領土のロシアに腹を立てない訳がありません。愛国者とは何事につけ武力行使を口に出して騒ぐ皆さんのことではない。そういうやり方では国の行く末を誤ると考える僕のような人間も愛国者です。僕は平和、平和と叫んでいれば自然に平和が訪れると考える者でもなければ、軍隊を否定することでたちまち戦争が無くなり安寧がやってくると考える者でもない。究極の理想は核廃絶、非武装だとは信じているものの、人類がそこに至る道は長く、或いは永遠にやって来ないかも知れない、とさえ考える者です。そこに至るまでには軍備も止むを得ない。必要悪だと考える。ただし抑止力として。

 

くやしくても、武力行使はまずできないのですから、三つの事案に対しても経済制裁や外交圧力などに始まる強硬策を模索し実施しながら、飽くまでも対話で臨むしかないでしょう。中国や韓国やロシアといった国々にはまともな対話など通用しない。それらは一党独裁や腐敗や汚職に満ち満ちた人権抑圧国家であり、日本とは国のレベルが違うのだから対話など無理だ、という意見もネットなどでは良く散見します。特に最近の3国(北朝鮮を含めれば4国)の動静を見ていると、そうした意見に頷きたくなることも多々あります。

 

しかし、だからと言って、わが国は彼らへの対話や呼びかけを怠るべきではない。それどころか、冷静に秩序立てて「しつこく」彼らに話しかけるべきです。彼らが分からなくてもいいのです。彼らが理不尽でも野蛮でも構いません。とにかく対話を持ちかける、つまり日本の言い分を彼らに伝え続けるのです。なぜなら、そうした行動は彼ら以外の国際社会が見ています。言い変えれば日本は、国際社会が見やすい形で「戦略的に」彼らと対話を続けるべきです。それだけではありません。

 

彼らと会話を続け、或いは執拗に対話を呼びかけながら、彼ら以外の世界に向けてさらに会話をする、つまり情報を発信し続けるのです。実はこれが日本の主な目的にならなくてはなりません。彼らと対話を続けることは目的の2番目です。世界を味方につけることが第1のそして最大の目的。ではどうやって国際世論に訴えて行くのか。僕なりの考えを述べます。

 

先ず当たり前に世界中の、特に欧米と近隣のアジア諸国の媒体に「資金をふんだんに使って」日本の主張を訴え続けます。いわば国家によるロビー活動です。日本はこれまでそういう伝統的で在り来たりの手段さえ余り取ってきていません。コミュニケーション能力が欠落しているのです。ただこの点に関してはわが国の政治家や官僚やわれわれ国民自身を責めても仕方がありません。日本人は長い間「黙っていてもお互いに分かりあえる」という、思い込み、信条、メンタリティーのもとに生き、子供を教育し、国が動いて来ました。そして世界を相手にしない限り、その生き方は何の問題もなく十分に通用しました。

ところが日本が徐々にグローバル社会に組み込まれて行く過程でもわれわれはそうやって生き続け、やがて第二次世界大戦という破局を招き、その後もコミュニケーション能力の不足によって再び、いや再三再四、繰り返し国の行く末を誤ろうとしています。国と国民にコミュニケーション能力が不足しているのは、それを獲得するための教育がなされてこなかったからです。「日本人なら黙っていてもお互いに分かりあえる」という精神と態度で、世界に相対しても全く分ってもらえません。われわれは、おそらく多くの日本人にとって一番苦手な、一番辛い、「対話能力」を懸命に学び身につけていかなくてはなりません。

 

それと同時に、今ここでこうして利用しているようなインターネット・SNSを徹底的に活用することです。インターネットの特徴を生かしてあらゆる方法で掲示板やブログを立ち上げます。そこに日本の主張を書き込み、人々の参加を呼びかけて議論を誘導します。加えてツイッターやfacebookをとことん利用して世界中に語りかけるのです。日本国内だけに目が行っている人々には、或いはピンとこないことかもしれませんが、特にfacebookは有効です。実に簡単に世界とつながることができるのですから。ジャスミン革命を覚えていますか。?そしてそれに続くアラブの春を見ていますか?そこで威力を発揮し、今も強い影響力を持ち続けているのがFacebookです。同じように領土問題でもfacebookを利して世界中に働きかけるのです。

 

私事ですが、国内だけを相手にしている皆さんに一例を紹介します。僕はほんの数週間前にfacebookに登録しました。動機は世界中に散らばっているロンドンでの学生時代の「かつての」友人達と連絡を取りたい、というものでした。すると、イタリア人の友人2人から早速友達申請があり、それらにOKを出したところ、イタリア内外で爆発的に知り合いの輪が広がっています。いえ、正確に言うと僕はほとんど友達探しや承認などをしていない(facebookを利用していない)ので、知り合いの輪(友達確認)は実際には広がっていません。が、その気になれば一気にネットワークが広がることがはっきりと分かっています。

 

そうしたソーシャルネットワーク活動を個人がばらばらにやるのではなく、言語やネットの専門家を多く集めて「国家プロジェクト」として構築して、世界に向けて本気で情報を発信し、日本の立場と日本の真実をきちんと主張し対話を続ける、というのが僕の考えです。

 

最後に再び私事で恐縮ですが、とても重要なことを言わせていただきます。僕は故国日本の次にはヨーロッパが好きで、さらにアメリカも好きな人間で、そうした国々に住んだり勉強をしたり、もちろん仕事もたくさんやって来ました。好きな国々ですのでいつも楽しく過ごしてきたのですが一つだけとても辛いものがあります。それが社交です。

 

社交とは何か。それは「おしゃべり」のことです。つまり会話の実践場がいわゆる社交なのです。社交こそ、一番疲れる気の重い時間です。しかもそれは、欧米社会では社会生活の根幹を成す最も重要なものの一つと見なされます。社交、つまり「おしゃべり」ができなくては仕事も暮らしもままならないのです。

 

昔、三船敏郎が演じる「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルがありました。あのキャッチフレーズは、沈黙を美徳とする日本文化の中でのみ意味を持ちます。欧米では、男はしゃべることが大切です。「男はだまってしゃべりまくる」のです。特に紳士たる者は、パーティーや食事会などのあらゆる社交の場で、自己主張や表現のために、そして社交仲間、特に女性を楽しませるために、一生懸命にしゃべらなければならない。男はしゃべりまくるのが美徳なのです。例えばイタリアには人を判断するのに「シンパーティコ⇔アンティパーティコ」という基準がありますが、これは直訳すると「面白い人⇔面白くない人」という意味です。そして面白いと面白くないの分かれ目は、要するにおしゃべりかそうでないかということなのです。

 

事ほど左様に欧米社会ではしゃべりが重要視されます。西洋社会の人間関係の基本にはおしゃべり、つまり会話がドンと居座っています。社交の場はもちろん、日常生活でも人々はぺちゃくちゃとしゃべりまくる。社交とは「おしゃべり」の別名であり、日常とは「会話」の異名なのです。

 

彼らのコミュニケーション能力は、子供の頃から徹底して培われます。家庭では、例えば食事の際、子供たちはおしゃべりを奨励される。楽しく会話を交わしながら食べることを教えられます。日本の食卓で良く見られるように、子供に向かって「黙って食べなさい」とは親は決して言わない。せいぜい「まず食べ物を飲みこんで、それからお話しなさい」と言われるくらいです。

 

学校に行けば、子供たちはディベート(討論)中心の授業で対話力を鍛えられ、口頭試問の洗礼を受け続けます。そうやって彼らはコミュニケーション力を育てられ、弁論に長けるようになり、自己主張の方法を磨き上げていきます。それが国際社会です。われわれはそこに向かって、彼らに対抗しながら明確な意見を述べ続けなければなりません。幸いSNSならば顔と顔を付き合わせる会話や議論ではなく、文章によるやり取りが主ですからわれわれ日本人でも十分にこなせるように思います。国が国家プロジェクトとしてしっかりと予算を立てて取り組めば、世界世論を動かす効果的な喧伝活動も夢ではないと考えるのです。



燃えるイタリア


 

昨日、最高気温が44℃かも、と予想されたフィレンツェのそれは、結局40℃だった。

 

それがイタリアの昨日の最高気温。

 

で、隣のボローニャが39℃。

 

ローマが37℃、ミラノが35℃など、だった。

 

シロッコ交じりのむっとする風が吹く夏。

 

暑い。

 

そして

 

イタリアは燃えている。

 

文字通り燃えさかっている。

 

国中で火事が多発しているのだ。

 

先週だけでもイタリア全土で840件もの火事があった。

 

山や原野や農地で。

 

1日平均なんと110件もの火事が発生している。

 

元々イタリアの夏は火事が多い。空気が乾いていて暑くて不心得者も多い。

 

何年か前にシチリア島で夏にロケをした際、高速道路のそこかしこの路肩で、枯れ木や草が燃え盛っていてびびったことがある。

 

誰かが煙草を車窓から投げ捨ててそんな火事が起こるのだという。

 

今年、ここまでの林野火災の件数は6200。

 

煙草の投げ捨てや不注意な火起しや放火などで逮捕、起訴された者300人。

 

火事で失われた森や藪は合計3万5千ヘクタール。

 

暑さも熱さも山火事もまだまだ続く。

 

イタリアは燃えさかっている・・



盛り夏



イタリアは暑い日が続いている。

 

8月だから暑いのは当たり前だが、雨も降らずこの国特有の
テンポラーレも全くやってこない。

 

テンポラーレは僕が勝手に「豆台風」と呼んでいる、独特の夕立。

 

独特とは、黒雲が一気に湧いて風が逆巻き、雷雨が走り、冷気が満ち満ちて激しく騒ぐ現象だから。

 

夕立よりも激烈な夕立。だから豆台風。

 

去年も暑かった。

だが夏の初めから8月半ばまでは比較的涼しかった。

 

8月の半ば過ぎから急に暑くなって、9月は暑過ぎ、10月になっても夏のような日々が続いた。

だから猛暑だった印象が普通よりも強い。

もっとも去年は258年振りに9月に「ラ・ファ(蒸し暑い日)」が記録されるという画期的な夏だった。

記録的猛暑だったのだ。

9月だから記録的に暑い秋だったと言うべきか・・

 

7月、8月の今と暑い今年は、9月、10月が涼しくなるのだろうか。

 

予報によると今月(8月)は2003年以来の猛暑月になることは間違いがないらしい。

 

2003年の夏といえば、WHOの試算で、欧州主要10ヶ国内で暑さによる死者が合計7万人も出たとされる年。

 

この8月がその最悪年に次ぐ暑熱を記録しそうだというのだ。

ならば、せめて9月、10月と涼しくなってほしいが、どうも期待できそうには見えない。

 

夏は年々暑さが増し、さらに暑い期間もひたすら長くなっているのだから。

 

ちなみに今日のフィレンツェの最高気温はなんと44℃まで上がる可能性があるという。ホントかよ・・

 

空気が乾いているからイタリアの夏の気温は日本に比べると高めになることが多い。

 

日本のような湿気で、気温が40℃にでも上がったら耐え難いだろうが、空気が乾燥しているおかげで、つらいながらもイタリアではなんとか凌げる。

 

もっともイタリア人にとっては、夏の日の多くが厳しい湿気に満ちているということだが。

 

日本の夏の蒸し暑さをぜひ経験させてあげたくなる。

そういう人には。

 

そうすればここの夏の凌ぎやすさ、ありがた味がわかって、笑顔がはじけるだろう。

きっと。



いつもと違う夏の偶感



毎年8月は妻の実家の伯爵家本家があるガルダ湖畔で過ごすことが多い。伯爵家は近くに山も所有していて、最も暑い時期には標高1000Mにある山荘で避暑などという贅沢もできる。

 

ガルダ湖はイタリア最大の湖である。その周囲には、南アルプスの連山と北部ロンバルディア州の豊かな森林地帯が迫って、青い湖面に影を落とす。

 

それは幾層もの緑の帯となって湖水深く沈み、大湖をさらに重厚なエメラルド色に染め抜く。

 

湖畔には観光客が愛してやまない景勝地がたくさんある。例えばシルミオーネ、ガルドーネ、サンヴィジリオ、マルチェージネ等、おとぎの国のような美しい村々。

 

イタリアは周知の通り世界でも屈指の観光大国である。国中に数え切れないほど存在する古都や歴史遺跡や自然や人や文化や食や産業が、世界中の観光客を引き付けてやまない。

 

この国の観光資源は大きく分けると二つある。一つはローマやベニスやフィレンツェなどに代表される数多くの歴史都市とそこに詰まっている文化芸術遺産。もう一つは豊かな自然に恵まれた海や山や湖などのリゾート資源である。

 

この二大観光資源のうち、歴史都市の多くには黙っていても観光客が訪れる。

 

しかし夏のバカンス客や冬場のスキー客、あるいはその他の旅人を相手にするリゾート地の場合は、自ら客を呼び込む努力をしない限り決して土地の発展はない。

 

イタリアのリゾート地の全てはその厳しい現実を知りつくしていて、各地域がそれぞれに知恵をしぼって客を誘致するために懸命の努力をしている。

 

僕はそうした人々の努力の一環を、20年以上前に初めて訪れたガルダ湖で目の当たりにして、驚いたことがある。

 

僕はそのときの旅では遊覧船に乗って湖を巡ったのだが、最初の寄港地であるガルドーネという集落に船が近づいていったときの光景が、今も忘れられない。

 

遊覧船が近づくにつれてはっきりと見えてくる湖岸は、まるで花園のようだった。港や道路沿いや護岸など、町のあらゆる空間に花が咲き誇っているのが見えた。

 

そればかりではなく、湖畔に建っている民家やカフェやホテルなどの全ての建物の窓にも、色とりどりの花が飾られている。まるで一つ一つの建物が花に埋もれているかのような印象さえあった。

 

船がさらに岸に近づいた。そこで良く見ると、花は窓やベランダに置かれているのではなく、鉢や花かごに植えられて、窓枠やベランダの柵に「外に向かって」吊り下げられている。

 

要するにそれらの花々は、家人が鑑賞し楽しむためのものではなく、建物の外を行く人々、つまり観光客の目を楽しませるために飾られているのだった。

 

南アルプスのふもと近くに位置していることが幸いして、ガルダ湖地方には歴史的にドイツを始めとする北部ヨーロッパからの訪問客が多く、観光産業が発達してきた。そのため住人の意識も高く、誰もが地域の景観を良くするための努力を惜しまない。

 

町を花で埋め尽くす取り組みなどはそのひとつで、観光地のお手本とされ、今ではイタリアのどこのリゾート地に行っても当たり前に見られる光景になった。

 

伯爵家のある村もそんな観光地の一つである。そこでの滞在を僕はいつも楽しみにしてきた。

 

しかし今年はガルダ湖と住まいとブレシャ市を行ったり来たりして過ごしている。

 

少しも休まる暇がない。

 

湖での「いつもの」慈善事業や行事の手伝い、またこれまでに夕食会などに招かれた人々をこちらが招き返す会食などをこなしながら、イタリア政府の新増税策に伴なうあれこれで奔走しているのである。

 

伯爵家が潰れるのはまだ先のことだろうが、終わりの始まりがじわじわと近づいているように僕には見える。

 

だからといって、あわてたり、嘆いたり、悲しんだり、暗くなったりしているわけでは毛頭ないけれど。

 

渋谷君、Ho cambiato idea:ワルイけど転びます、ね。



本や新聞や雑誌や手紙などの文章と、ブログの文章は違うのではないか、と友人の渋谷君に意見された。

 

彼は僕がブログでは写真を使わない(投稿しない)、と宣言したことに疑問を投げかけたのだ。

 

少し考えた。

 

本や新聞や雑誌などの紙媒体の文章も、ブログ他の電子媒体(Webページ)の文章も、僕にとっては基本的には同じである。

 

少なくとも僕自身が文章を書くときには、文体も語彙も調子も思想も構えも、あるいは書く苦労も書く喜びも、つまり一切が両媒体で同じ。何も変わらない。


ところが


渋谷君の言う

「本や新聞や雑誌や手紙などの文章と、ブログの文章は違うのではないか」


という意見を


「本や新聞や雑誌や手紙などの『表現法』と、ブログの『表現法』は違うのではないか」


と「文章」を「表現法」に置き換えて見ると、彼の指摘が正しいようにも感じられてきた。


そこであっさりと「転ぶ」ことにした。


せっかくブログという新しい媒体で表現をしているわけだから、こだわらずに写真などの武器も使ってみようと。


その上で、やっぱり文章だけで勝負したいと感じるならば、そのときには写真はさっさとやめにすればいいじゃないか、と。


そこで


まずは先日撮ったウサギのカテリーナの写真を掲載してみることにした。



IMG_3032
ブドウ園では機械による草刈が良く行なわれる。必要ならば除草剤も用いられる。
 

 

カテリーナ引き
カテリーナは草刈が済んだばかりの、赤土の露出が多い園にいた。




カテリーナ後ろ引き
草が刈り取られた後とはいえ、ブドウ園内ではカテリーナが食べる分の食料には事欠かない。

 

 カテリーナ右横寄り
カテリーナが好んで食べる草を摘み取って、何度か差し伸べてやる動きをするうち、彼女は一瞬だけ背中に触れさせてくれた。ただほんとに一瞬の出来事で、その様子を写真に収めることはできなかった。



・・と書き込んでみると、やはり写真の力は大きいと痛感する。

だって写真を見れば文章なんていらねーだろう・・・

と、腹から思う。

う~む、悩ましい・・
 


独裁者アサドの埋蔵金が暴かれる



シリアのアサド大統領とその一族の秘匿金を捜し求める動きが加速している。

独裁者の終末には金を巡る憶測や風評や問責が必ずついて回る。逆に言えば、独裁者が金の噂をされるようになったら、
もう「お終い」ということである。


独裁者が権力を振るっている間は、金よりも彼の政治的行動、つまり民衆抑圧のあれこれがはるかに重要だから、誰も金の話などしない。

それに独裁者というのは、ほとんどが自国の国庫金や財産を含む一切を私物化して、我が物顔で使いまくり盗みまくるのが当たり前だから、当たり前のことは誰も指摘しない。

加えて圧政下の国民の場合は、そのことを指摘して、弾圧・復讐されることへの恐怖心も働くからなおさらである。

金の周りには魑魅魍魎が群がる。独裁者の金を語るのは、その政権の腐敗そのものを語ることだから決して無視されるべきではない。

これまでに新聞を中心とするメディアで取り沙汰されたアサド関連の金の動きの主なものは:


1)世界中に分散秘匿しているアサド個人の裏金は10~15億ドルに上ると見られる。


2)シリアのGDPの60%が、アサドの承認の元に彼の従兄弟のラミ・マキロフ(Rami Makhlouf)傘下の会社や事業によって支配されている。


3)EU(欧州連合)は2012年7月までに、アサドの隠し財産を管理していると見られた129人のシリア人と49の会社の資産を凍結した。このうち英国内だけでも1億2千8百万ユーロがほぼ現金で見つかり差し止めされた。


4)アメリカ財務省は7月20日、シリアの4人の閣僚並びにシリア中央銀行総裁を含むシリア人29人に対して、アサド大統領に代わって同国の富を盗み隠匿したとして制裁を課した。


など。

ロンドンを拠点にする民間諜報会社“Alaco”のトップ、イアイン・ウイリス氏によれば、これまでに見つかったアサド大統領の隠匿資産は氷山のほんの一角に過ぎない。彼は家族や親族や政権内部の人間に託して、莫大な資産を世界中に分散秘匿している。中でもロシア、ドバイ、レバノン、モロッコ、さらに香港などが主な隠し先と考えられている、という。


だが、アサドのような独裁者の隠し資産を追い詰めるのは容易ではない。彼らはその道に長けた専門家を数多く抱えていて、資産の移動、管理、隠匿が決して表に出ないようにあらゆる方策を取っている。そうしておいて何か事が起これば、すぐさま資産を右から左に動かして、証拠のまったく残らない形で秘匿してしまうのである。


例えばこういうケースがある。かつて英国の捜査機関がイラクのサダム・フセインの違法な資産をフランスで発見し、これを差し押さえようとした。ところが1億ユーロにも及んだその裏金は、パリからパナマさらにジュネーブへと次々に移動隠匿されて行き、結局差し押さえることができなかった。


シリアのアサド大統領がありとあらゆる方法で国から盗んだ莫大な金を隠しているのは明らかだろうが、それを追い詰めて没収するのは至難の業なのである。同様なことは、2006年に死亡した前述のサダム・フセインに限らず、エジプトのムバラクやリビアのカダフィ大佐とその一族の場合にも起きている。

また英国のある財務査察官はBBCのインタビューに応えてこう話した。シリアは盗賊に支配された国、と断定しても決して間違いではない。アサド以下の支配者たちは、彼らの友人や親族などに次々に便宜を与えて国富を盗ませ、私腹を肥やし、さらに資産を国外に運んで隠すことを許可してきた。


アサド大統領の秘密資金の捜索は今始まったばかりである。

それはアサド自身が、反政府軍によって政権の座から引き摺り下ろされた後も続くことが確実な、長い忍耐の要る作業であることは疑う余地がないのである。

 

 

『シリアの春』の行方



 

シリアの独裁政権の崩壊は近いと見るべきだろうが、世界中から非難されながらここまで生きのびてきたアサド政権の狡猾ぶりを見ると、一筋縄ではいかない不気味さも感じる。

 

首都から離れたホムスなどを中心に続いていた戦闘は、ついに政権の牙城であるダマスカス市内に至り、あまつさえ首都中枢部での爆破事件でアサド大統領は義兄をはじめとする側近を失った。

 

またそれより先の7月初旬には、幼なじみで親友のマナフ・トラス准将が亡命した。それはアサド大統領にとっての最も大きな痛手であり「政権の終わりの始まり」だと見られていた。

 

准将の亡命は、アラブの春の一連の騒乱の中でも直近のリビア革命の際、カダフィ大佐の右腕のアブデル・ユニス将軍が翻意・諜報反逆・暗殺された案件と重なる。

 

独裁者カダフィの命を受け「裏切り者」として反政府軍に侵入していた同将軍は、2重スパイとして処刑されたが、実はそれはカダフィの策略によるものだった。いずれにしても独裁政権の崩壊前には同様な出来事が必ずと言って良いほど起こる。

 

現在はシリア北部の都市アレッポを主体に激しい戦闘が依然として続いていて、首都ダマスカスの緊張状態も相変わらずの状況だと報告されている。

 

追い詰められたアサド一派は、化学兵器の存在を認め、その上「決してそれを自国民向けには使わない。使う時は外敵に対してだけだ」と意味不明かつ異例の声明を出して、大量殺戮兵器の使用をほのめかしている。

 

面妖極まるそうした動きは、終焉を迎えようとする独裁政権の断末魔の足掻きのようにも見える。が、アサド政権がまだ命脈を保つ可能性も依然として残るのである。

 

その辺が例えばエジプトやリビアなどの状況とは異なる。自国民を虐殺し続ける蛮行にも関わらず、なぜシリアのアサド独裁政権がしつこく生き残っているのか、少し考えてみる。

 
バッシャール・アサドとその取り巻きは、これまでのアラブ革命を通して、権力者たちがどのような最期を迎えたかを知り過ぎるほどに知っている。政権崩壊後には地獄が待っているだけである。従って彼らは自らの身を守るために徹底して戦い、民衆への弾圧を続ける覚悟である。それはある意味分りやすい動きだ。

カダフィ政権が崩壊したリビアと比較して見ると、シリア革命がなかなか成就しない理由がさらに明らかになる。

 

リビアの反政府軍は、ベンガジを拠点に広い国土の山野で潜伏、攻撃、退却を繰り返しながら徐々に首都に迫って行き、ついにはトリポリも落としてカダフィを追い詰めた。シリアではそういう戦いができない。なぜならシリアの国土はリビアの約1/10程度の規模しかなく、しかも人口はリビアの3倍以上の約2190万人もいる。

 

狭い国土のシリアは、リビアに比較すると都市化が進み、人口の約半数がダマスカスやアレッポなどの都市部に集中している。その都市部は政府軍がほぼ完璧に掌握していて、自由シリア軍をはじめとする反政府勢力は、拠点となるような国土の重要な部分をしっかりと制覇できずにいる。

 

そうしたことに加えて、シリアの反政府軍は多くの派閥に分裂していてまとまりがない。中心となる自由シリア軍でさえ、はっきりとした指導者がいないような現状である。このことはアサド後の政権の受け皿が存在しないことを意味する。

 

言うまでもなくロシアと中国、さらにイランなどがアサド政権をあからさまに支援していることも大きい。エジプトやリビアのケースでは、それらの国々は欧米の介入に対して賛成はしなかったものの、反対にも回らずに静観するという態度に出た。アラブ諸国を始めとするその他の国々も同じである。だから欧米列強は、リビアではNATO軍による軍事介入さえすることができた。

 

シリア危機では状況が一変して、前述の国々がシリアを公に支持・支援している。欧米列強は軍事介入どころか経済制裁さえ思うようにはできないのが現実である。国庫の富を使って取り巻きの歓心を買っているに違いないアサド政権にとっては、ヘタをすると欧米列強の軍事介入よりも怖いのが完全な経済封鎖による孤立である。それによって国庫が疲弊しバラまく金がなくなったら、政権を裏切る者が続出するのは火を見るよりも明らかだからだ。
 

シリアに利権を持つロシアや中国、それにイランなどの支持・支援が続く限り、アサド独裁政権の壊滅までの道のりはあるいは長いのかも知れない。しかし、圧政が終わりを告げるシナリオは、もはや書き換えのできない決定事項のように見える。ぜひそうであってほしいと願うのは、おそらく僕だけではないだろう。

 

 

オリンピックってなに?


間もなく始まるロンドンオリンピックで、イタリアも国中が盛りあがっていると言いたいところだが、開会式を明日に控えた今もいたって平静である。

新聞やテレビをはじめとするマスコミはオリンピックについて最小限の報道しかしないし、国民もそれに呼応するように平常心でいる。冷めていると言ってもいいくらいである。

五輪に対するイタリア人の冷めた反応は今に始まったことではない。彼らは例えばサッカーのW杯や先日終わったサッカー欧州選手権などでは、ちょっと大げさに言えば「国中が狂喜乱舞する」みたいな盛り上がりを見せるが、オリンピックに際してはいつも冷静である。

前回2008年の北京、前々回2004年のアテネ大会など直近の大会でも盛り上がりに欠けた。その中間年、2006年に開かれた冬季オリンピック対する関心度は、開催地がなんとここイタリアのトリノであったにもかかわらず、もっとひどかった。

なにしろ一番売れているスポーツ新聞の報道でさえ、開幕まで数日と迫った時点でも、紙面25ページのうちプロサッカーに関する記事が1面から15面までを占め、その後にやはりプロテニスやバレーボール、バスケットやカーレースの記事が続いて、ようやくオリンピック関連の記事が出ているという有様だった。オリンピックがいかに軽い扱いであったかは、その事実だけでも歴然としている。

なぜ僕が当時のことを良く知っているのかというと、僕はその頃ビデオのロケ取材に加えて新聞記事を書くためにたくさんの情報を集めていて、いまそのメモを読み返しながら当時を振り返っているからである。そしてあの時点でも僕は、イタリアのマスコミの「盛り下がり」振りに結構衝撃を受けたりしたものだった。

五輪ではイタリアは常に多くの競技に参加する。それなりに好成績も収める。関心もある。でも決して、例えば日本のように大いに「盛り上がる」というふうにはならない。それって一体なんだろうかと考えを巡らせると、少し見えてくるものがある。

まずイタリア人はスポーツに限らず国際的なイベントに慣れきっている。ヨーロッパの中でも、イタリアはイギリスやフランスと並んで国際的な催し物であふれている。規模は大きいものの、オリンピックも彼らが慣れているそんな国際的イベントの一つに過ぎない。

また彼らには愛国心がそれほど強くないということもある。つい最近統一国家になったとは言え、イタリアの各地方にはかつての独立都市国家の精神が強く残っている。そのために統一国家への愛着心が国民に薄いのはよく知られたことである。

オリンピックって、けっこう国家対国家の競い合いみたいな様相を呈することが多いから、カンパニリズモと呼ばれる強力な地方中心主義に捉われている者も多いイタリア国民には、あまりうまくアピールしないということもあると言っていいだろう。

さらにこういうこともある。実は今年もそうだが、オリンピックの年にはサッカーの欧州選手権が開かれる。欧州選手権も四年に一度の大会で、ちょうど五輪と重なる日程になっているのだ。サッカー好きの多くのイタリア国民は、欧州杯の応援にエネルギーを使い果たして、とてもオリンピックまで気が回らないという事情も皆無ではないように思う。

だが、僕の考えでは実は、イタリア人がオリンピックに付いて回るいわゆる「純粋なアマチュア精神」なるものを「まゆつばものの潔癖」と見なして嫌う国民であることが、彼らが五輪にあまり燃えない理由であると思う。

イタリア語ではスポーツの試合や競技のことをジョーコという。ジョーコは「遊び」という意味である。イタリア人にとってはサッカーもオリンピックの競技も「遊び」である。或いはあらゆるスポーツはスポーツである前に「ゲーム=遊び」でなければならない。

そして「ゲーム=遊び」には相手を出し抜くズルさがなくてはならない。このズルさこそ「遊び」の真髄である。遊びの精神が優先されなければならないのだ。だから参加選手が国の威信を背負って気張っているような、オリンピックの堅苦しさがあまり好きになれないのだろうと思う。

かてて加えて、イタリア的な重大かつ現実的な原因がもう一つある。バカンスである。

毎年7月~8月はイタリアはバカンス真っ盛りの季節。特に8月に入ると国中が一気にバカンスモードに入る。オリンピックが始まろうとする今は、誰もがバカンスの計画立案や予約や期待でドタマが一杯である。

バカンスの喜びでオリンピックどころじゃないよ、というのもまた、多くのイタリア人の偽らざる心境であることは間違いがない。



 


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