【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

バカンスよりイタリアのE杯制覇が大事だっツーの


合成ルカCR7&ビーチ

イタリア本土最南端のカラブリア州に2週間遊んだ。

実は例によって仕事を抱えての滞在だったが、やはり例によって、できる限り楽しみを優先させた。

カラブリア州はイタリアで1、2を争う貧しい州とされる。

“される”とひとごとのように言うのにはわけがある。

カラブリア州は経済統計上は、あるいは州のGDPを語れば、確かに貧しい。

だが、そこを旅してみれば果たして“貧しい”と規定していいものかどうか迷う。

つまりそこはやせても枯れても世界の富裕国のひとつ、イタリアの一部である。

2週間滞在したビーチ沿いの宿泊施設は快適で、食べ歩いたレストランはどこも雰囲気が良く、出る料理はことごとく一級品だった。

“南イタリアらしく”宿泊施設の備品は古いものもあり、サービスは時々ゆるく、インターネット環境も最新ではなかったりした。

だがそれらは、終わってみれば枝葉末節の類いの不同意で、大本の流れは十分に満足できるものだった。

特に食べ歩いた料理がすばらしかった。そのことについてはまたぼちぼち書いて行こうと思う。

カラブリア州滞在中に、TVでサッカー欧州選手権の激闘も楽しんだ。

16強が戦い、8強が出揃ったあたりで、僕はイタリアの進撃を予想し、スペインの成功を信じ、イングランドの負けっぽい展開を予測した

イタリアとスペインは僕の予測を裏切らなかった。だがそれほど強くないはずのイングランドは、ウクライナをコテンパンにやりこめた。

その試合は2つの意味で僕を驚かせた。

1つはイングランドが大勝したこと。

1つはウクライナのふがいなさ。

試合はウクライナのディフェンスの、草サッカー並みの稚拙さによってぶち壊しになった。

ウクライナの指揮官は同国史上最強のフォーワードだったアンドリー・シェフチェンコだ。

彼はこれまでいい仕事をしてきたが、今回はもしかするとストライカーだった者の落とし穴にはまって、ディフェンス陣の強化を怠ったのかもしれない。

イングランドは例によって、創造性に欠ける激しい運動でめまぐるしくピッチを席巻し、ウクライナのがっかり守備陣のおかげで4ゴールもものにした。

イングランドの運動量の豊富と、サッカーをあくまでも「スポーツ」とみなす生真面目さは、マジで尊敬に値する。

だが同時にそのメンタリティーは退屈だ。

退屈なサッカーは必ず負ける。

なぜならサッカーの辞書に「退屈」という言葉はないからだ。

サッカーは体力に加えて知恵と創造性と頭の回転の速さを競う「遊び」だ。スポーツだが遊びなのだ。

イングランドサッカーには後者が欠落している。だから退屈に見えてしまう。

最終的には退屈なサッカーが勝つことはありえない。

4強に入った“退屈な”イングランドが、もしもデンマークを下して決勝でイタリアを撃破するなら、それはイングランドのサッカーがついに「未開」から「文明」へ移行したことを意味する。

僕は今、スペインを無視して「イングランドが決勝でイタリアを撃破するなら」と、すらすらと書いた。

そう、準決勝のイタリアvsスペインは「イタリアの勝ち」というのが僕の確固たる思いだ。

「イタリアの勝ち」という僕の主張には、常にポジショントークの色合いがあることを僕は決して隠さない。

だが、絶不調の波に呑み込まれて呻吟している2つの強豪国のうちでは、マンチーニという優れた指揮官に率いられたイタリアの復調のほうがより本物に見える。

そこから推してのイタリアの勝利だ。

そういうわけで、

準決勝:

イタリアvsスペインはイタリアの勝ち。イングランドvsデンマークはイングランド。

へてからに、

決勝:

イタリアvsイングランドはイタリアの勝ち。

だぜ。

いぇ~い!!!!!!!




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サッカー欧州杯は電撃特攻テロに裏切り、何でもありの仁義なき戦いだ


goal!!!!!!!!!!!650


サッカー欧州選手権は準々決勝に進む8強が出揃って佳境に入った。

欧州選手権は番狂わせ、逆転、寝首搔き、闇討ち、だましあい、何でもござれの仁義なき戦いが面白い大会だ。

言葉を換えれば出場チーム全体のレベルが高く予測不可能な乱戦が展開されるのが特徴である。

いや、少し違う。

同大会やワールドカップ優勝体験国などを軸にして、誰でも展開や結果を予測をすることはできる。

だがそうした予測や期待がよく裏切られる。

だからこその乱戦なのである。また、だからこその欧州各国のサッカーのレベルの高さである。

例えばありふれた予測では、ポルトガルは二次リーグの初戦でベルギーを破るはずだった。

もうひとつのありふれた予測では逆に、ベルギーがポルトガルに競り勝つはずだった。

なぜならベルギーは最新のFIFA世界ランキングで、ブラジルやドイツなどを抑えてなんと一位にランクされているからである。

サッカーを継続して見ていない者や権威付けが好きな者はFIFAの発表をうのみにしがちなところがある。

一方で、割とサッカーに詳しい者はポルトガルが4年前(5年前)に優勝したディフェンディング・チャンピオンであること、あるいは世界最高峰の選手であるロナウドが所属するチームという事実などを基に、ポルトガル有利と見なす。

それらはいつも常に正しくまた間違っている。勝負は理論的に見渡せもするが、時の運でもあるからだ。

また専門家などの予測は、理路整然と間違うことがしばしばだ。経済学者が実体経済の予測を理路整然と間違うように。

ゲームの予測を立てるのはほとんどの場合ムダである。確率論に基づけばある程度の正しい方向性は見つかるのだろうが、選手とチームの心理的要素や偶然性が試合展開に大きくかかわるから、プロでも正確な予測はできない。

それでも人は予測を立てたがる。予測することが、ゲームそのものを見るにも等しいほどに楽しい行為だからだ。

当たるも八卦、当たらぬも八卦。当たれば嬉しく、当たらなければ無責任に何もなかった振りをする。

そんなわけで、僕もサッカー好きな者の常で、ここからもっともらしく予測を立ててみることにする。

準々決勝に残ったのは強い順にイタリア、スペイン、ベルギー、イングランド、 ウクライナ、デンマーク、チェコ、スイスの8強である。

僕はイタリアを応援するばかりではなく、その強さを腹の底から認知している。

そのことを拠りどころに正直に言えば、世界のサッカーのランクはブラジルとイタリアがトップ。次にドイツ。

続いてフランスとスペインとアルゼンチンが横一列に並び、その下のグループにポルトガル、イングランド、オランダ、などがいる、と見る。

今をときめくFIFA世界ランキング一位のベルギーがいないじゃないか。お前はバカか。という声が聞こえてきそうである。

だが僕は世界のサッカー強国のランキングを言っているのであって、今この時のチームの好調ぶりを語ろうとしているのではない。

また、ベルギーの話はさておいても、見ていて楽しい攻撃サッカーのブラジルと、カテナッチョ(かんぬき)とまで揶揄される守備主体のイタリアを同列に並べるのはナンセンス、という声も聞こえてきそうだ。

その主張の意味は分かるが、同時にサッカーの本質を忘れているとも言いたい。

攻撃的サッカーのブラジルのディフェンスは、フォワード陣と同様に超一級である。

同じように守備が堅固なイタリアの攻撃も超一級なのだ。

だから2チームはブラジルが5回、イタリアが4回もW杯を制している。

ドイツは2014年の第20回ブラジル大会を制して、イタリアに並ぶ4回優勝となった。

そしてドイツサッカーもブラジルとイタリアのように強く、超一級である。

だがドイツはブラジルの自由奔放な動きにかなわない。イタリアの独創性に富んだ戦術にも振り回されてよくコテンパンにやられる。

その分ドイツサッカーは、ブラジルとイタリアの下にランクされると思うのだ。

近年、ポゼッションサッカーで世界を席巻したスペインは、長くW杯を制することができなかった。

ポゼッションによって一世を風靡したが、世界が彼らの戦術を真似し、取り込み、改良し自家薬籠中のものにしてさらに前進した結果、スペインの衰退が訪れつつある。

フランスも移民選手を手厚く育てることで1998年のW杯を制し大きく伸びた。だが、未だにブラジル、イタリア、ドイツの境地にまでは至っていない。

アルゼンチンの立ち位置はフランスとスペインに近いが、2チームよりもほんの少し劣る。

W杯を一度制しているイングランドは存在感があまりない。2度優勝した古豪ながら近年は沈んでいるウルグアイにも似ている。

今回の欧州選手権では、ここまでに強豪のドイツが敗れ去り、フランスもポルトガルも消えた。

今後は、イタリアとスペインが有利である。

勢い盛んで且つ絶好調のベルギーが準々決勝でイタリアを撃破する可能性は高い。だがそれ以上に、イタリアが地力を発揮して勝つ可能性のほうがより高い、と僕は思う。

そこには希望的観測が含まれることを否定しない。

次の優位者のスペインは、優勝候補の筆頭だったフランスを撃破して意気盛んなスイスと対峙する。僕はここでも強豪のスペインが優勢と見る。

フランスとの激烈な戦いを制したスイスの布陣はすばらしい。だが彼らには大舞台での活躍の経験があまりなく、且つフランスと90+延長戦+PK戦を戦ったことによる心身の消耗が大きい。

いわば新参なだけに疲れよりも高揚のほうが優っていてむしろ有益、という見方もできるだろうが、クロアチアを相手に5得点を挙げたスペインの底力は無視できないように思う。

イタリアとスペインが敗れた場合、勢いから推してベルギーが圧倒的に有利になりそうである。

そこに、目の上のタンコブだったドイツを久しぶりに撃破した、イングランドが挑む、という構図である。

過去にそれぞれ一度づつ優勝しているデンマークとチェコも侮れない。

冒頭で触れたように欧州杯はW杯と違って下剋上や逆転劇が多い。

優勝経験のないベルギー、スイス、ウクライナ、イングランドに加えて、いま言ったように優勝経験はあるものの穴馬的存在に見えるチェコとデンマークが躍動する。

そうなれば、今回も番狂わせ全開の仁義なき戦いが繰り広げられることになるだろう。

ああ、ワクワク感が沸点に達しそうだ。



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イタリアの化けは本物かもかい?


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サッカー欧州選手権の第2戦で、イタリアがスイスを3-0で下して決勝トーナメント進出を決めた。

イタリアは2006年のW杯制覇で燃え尽き症候群におちいって不調になった。

2012年の欧州選手権では、マリオ・バロテッリの狂い咲きの活躍もあって、もしかしてトンネルを抜け出したかも、とも見えた。

だが、それはまぐれあたりというか、フェイントというか、要するに見かけだおしだった。

イタリアが絶不調から抜け出していないことは、決勝戦でスペインに4-0の大敗を喫したことでも分かるように思う。

欧州選手権の決勝戦で出た4点差という数字は、史上初の不名誉な記録でありそれはいまも生きている。

2012年当時のイタリアチームには、超一流のテクニックを持つファンタジスタのピルロが健在だった。

ピルロに続くファンタジスタに成長するはずだったカッサーノもいた。彼と前出のバロテッリの不作が、イタリアナショナルチームの長いスランプの原因のひとつ、とさえ僕は考えている。

またイタリアは鉄壁の守備を「カテナッチョ(カンヌキ)」と揶揄されるほどに守りが固い。それでいながら大舞台の決勝戦で4点も失点するのは尋常ではなかった。

まさに危機的な状況。調子のどん底で呻吟しているのは明らかだった。

イタリアは2018年のワールドカップ予選でも敗退1958年以来60年ぶりに本大会への出場を逃 した。

絶対絶命、という形容が大げさではないほどに凋落したイタリアチームを引き継いだのが、ロベルト・マンチーニ監督だった。

マンチーニ監督は、現役時代にはファンタジスタと呼ばれた一流選手だった。

監督になってからは、ミッドフィルダーとして培われた鋭い戦術眼を活かしてチームを指揮。次々に成功を収めた。

ファンタジスタ(想像力者)、レジスタ(創造者・監督)、フゥォリクラッセ(超一流の)などの尊称は、たとえばロベルト・バッジョやデル・ピエロ、はたまたフランチェスコ・トッティなど、ワールド・クラスのトップ選手のみに捧げられる。

マンチーニ監督も現役の頃はほぼ彼らに近い能力を持つ選手と見なされ、実際にサンプドリアというチームに史上初の優勝をもたらすなどの大きな仕事をした。

サッカー選手としての彼の力量は、繰り返すがバッジョやデルピエロにも劣らないと考えられる。だが、残念ながら人気の面では彼らに及ばなかった。

しかし、ロベルト・マンチーニにはバッジョやデルピエロをはるかに凌駕する能力があった。それが戦略眼とそれを選手に伝達するコミュニケーション力である。

だから彼は監督になり、優れた成績を残し、今後も残そうとしている。

その一方で、バッジョやデルピエロは監督にはなれなかった。彼らは監督に「ならなかった」のではなく「なれなかった」のでる。

マンチーニ監督は満を持してイタリアナショナルチームの指揮官になった。そして、すっかり零落したイタリアチームを鍛えなおした。

その結果が、2020年欧州選手権予選での10連勝であり、2018年の監督就任以来つづけている29試合連続負けなしの実績である。

マンチーニ監督は、次のウェールズ戦で勝てば30試合連続負けなしのイタリア記録に並ぶ。ここまでの戦いぶりを見れば、それは比較的たやすいことのように見える。

記録を達成することももちろん重要である。しかしマンチーニ監督とイタリアチームには、あくまでも優勝を目指してほしい。

優勝したときこそイタリアサッカーは、2006年以来つづく冬の時代を抜け出して、新たな歴史を刻み始めるに違いない。




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2020サッカー欧州選手権ワイド


伊初戦でトルコ破る650

2021年6月11日、コロナで1年遅れになっていた「2020サッカー欧州選手権」が開幕した。

開幕戦はイタリアvsトルコ。イタリアが3-0でいわば順当勝ちした。

イタリアのメディアは初戦の勝利を大々的に褒めたたえている。

いわく「勝ち組イタリア!」「イタリア歓喜!」「笑うイタリア!」「美しく舞い奔るイタリア」「行け!マンチーニ・イタリア!」など、など。

スポーツ紙ばかりかミラノの高級紙Corriere della seraも「マンチーニのイタリアは美しく強い」という見出しで報道するなど、国中が祝賀ムードであふれた。

イタリアサッカーは2006年のワールドカップを制して以降、沈滞期に入っている。

熱狂的だが同時に冷静でもあるイタリアのサポーターは、そのことを明確に意識していて、ナショナルチームに過大な期待は抱かなくなった。

だが彼らは、今このときのナショナルチームには確かな手ごたえを感じ喜んでいる。確かな手ごたえの中身は、ロベルト・マンチーニ監督の類まれな手腕、という意見が多い。

マンチーニ監督はイタリア・セリアAのチームを率いて多くの勝利を得た。またイギリスのマンチェスター・シティを率いて44年ぶりの優勝をもたらすなど、華々しく活躍してきた。

2018年にイタリア代表チームの監督になってからは、マンチーニ色を前面に出してチームを鍛え、2020年欧州選手権予選ではイタリアチーム史上初の10連勝(10戦10勝)をもたらした。

イタリアは予選の勢いを保ったまま大会に突入。冒頭で述べたように3-0でトルコを破った。

実はイタリアの1試合3ゴールもまた新記録。これまでは2得点が最高だったのだ。

いうまでもなくイタリアはワールドカップ4度の優勝を誇る強豪国。欧州選手権も1回制し、準優勝も2回ある。

だが意外なことに欧州選手権では、これまで38試合を戦って3得点以上を挙げたことがなかった。

イタリアチームが2006年のワールドカップ優勝を頂点に低迷し続けたのは、ひとえに違いを演出できる傑出した選手、すなわちファンタジスタが存在しないから、というのが僕の持論だ。

ところがマンチーニ監督は、強力なファンタジスタが出ないままのイタリアチームを率いて、無敗記録も塗り替え続けている。

彼はトルコ戦の勝利を受けて「イタリアは決勝まで進む」と明言した。

予選10連勝と、代表監督就任以後の無敗記録に自信を深めての発言だと思うが、あるいはそれは実現するかもしれない。

それどころか決勝に進出して、イタリア2度目の欧州選手権制覇さえ成し遂げる可能性がある。

それはそれですばらしいことだが、そこにイタリア伝統の傑出したファンタジスタが加われば、イタリアはいよいよ強く、美しく、最高に面白くなるに違いない。

そうなった暁には僕のサッカー熱も再び燃え上がりそうである。




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トドたちの裸祭り


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数年前のバカンス旅の、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナ国境に近い小さな入り江のビーチで実際にあった話。

ツーリストガイドやネットにも載っていない隠れ家のようなビーチに寝そべっていて、ふと見ると、まるで小山のようなトドが2頭ごろりと寝ころがっていた。

びっくり仰天して、目をこすりつつよく見ると、人間の男と女が素っ裸で、横柄にとぐろを巻いている。

肉塊の周囲では、地元民と見られる家族連れが、子供たちの目を手でおおいかくさんばかりにして、あわててトドから遠ざかろうとしている。

一方では若いカップルが、素っ裸の巨大な老いた肉塊を盗み見ては、くすくす笑っている。

また土地の人らしい高齢の夫婦は、不快感をあからさまに顔に出して、ぶざまに肥え太った2頭をにらみつけている。

ひとことでいえばあたりに緊張感がみなぎっていた。

だが2人の裸の侵入者は何食わぬ顔で日光浴をつづける。

それは明らかにドイツ人ヌーディストのカップルである。

クロアチアのそこかしこにはドイツ人が中心のヌーディストスポットが多くある。自然を体感する目的で裸体主義者が集まるのだ。

そこからおちこぼれるのか、はぐれたのか、はたまたワザと一般人用のビーチに侵入するのか、臆面もなく裸体をさらして砂上に寝転ぶ者もときどきいる。

そうした傍若無人、横柄傲慢なヌーディストは筆者が知る限りほぼ100%が高齢者だ。

平然と裸体をさらして砂浜に横たわったり歩き回ったりして、あたりの人々が困惑する空気などいっさい意に介さない。実に不遜な態度に見える。

彼らには性的な邪念はない、とよく言われる。

彼ら自身もそう主張する。

多くの場合はそうなのだろうが、僕はそれを100%は信じない。

それというのも、高齢者のヌーディストのうちの男の方が、僕の姿が向こうからは見えないようなときに、はるか遠くからではあるが、わざとこちらに向けて下半身を押し出して、ドヤ顔をしたりすることがあるからだ。

そういう因業ジジイは、僕が姿をあらわしてにらみつけてやるとコソコソと姿を隠す。だが彼と共にいる彼のパートナーらしき女性は、遠目にも平然としているように映る。男をたしなめたり恥じ入ったりする様子がない。

そのあたりの呼吸も僕には異様に見える。

彼らのあいだではあるいは、彼らの主張を押しとおすために、そうしたいわば示威行動にも似たアクションが奨励されているのかもしれない。

そうした体験をもとに言うのだが、彼らはいま目の前のビーチに寝転がっているトドカップルなども含めて、性欲ゼロの高齢者ばかりではないように思う。

かなりの老人に見える人々でさえそんな印象である。ましてや若い元気なヌーディストならば、性を享楽しない、と考えるほうがむしろ不自然ではないか。

そうはいうものの、まがりなりにも羞恥心のかけらを内に秘めているヌーディストの若者は、一般人向けのビーチに紛れ込んできて傍若無人に裸体をさらしたりはしない。

また欧州のリゾート地のビーチでは、トップレスの若い女性をひんぱんに見かけるが、全裸のヌーディストの女性はまず見あたらない。

ヌーディストの縄張りではない“普通の”ビーチや海で平然と裸体をさらしているのは、やはり、 もはや若くはない人々がほとんどなのだ。

おそらくそれらの老人にとっては、若い美しい肉体を持たないことが無恥狷介の拠りどころなのだろう。

コロナパンデミックの影も形もなかった2019年の夏、ヌーディストの本場ドイツでは、記録的な暑さだったことも手伝って、例年よりも多くの裸体主義者が出現した。

彼らは欧州ほかのリゾート地にも繰り出して、フリチン・フリマンの自由を謳歌した。

そういうことは彼らが彼らの領域である裸体村や、ヌーディストビーチなどで楽しんでいる限り何の問題もない。

むしろ大いに楽しんでください、と言いたくなる。

だが、僕らのような普通の、つまりヌーディストに言わせれば「退屈でバカな保守主義者」が、水着を着て“普通に“夏の海を楽しんでいるところに侵入して、勝手に下半身をさらすのはやめてほしいのだ。

繰り返しになるが彼らが彼らの領域にとどまって、裸を満喫している分には全く何も問題はない。僕はそのことを尊重する。

だから彼らもわれわれの「普通の感覚」を尊重してほしい。

水着姿で夏のビーチに寝そべったり泳いだりしている僕らは、既に十分に自由と開放感を味わっている。

身にまとっている全てを脱ぎ捨てる必要などまったく感じない。

それに第一、人は何かを身にまとっているからこそ裸の自由と開放を知る。

全てを脱ぎ捨ててしまえば、やがて裸体が常態となってしまい、自由と開放の真の意味を理解できなくなるのではないか。

さて、

ほぼ1年半にもわたるコロナ自粛・巣ごもり期間を経て、僕らはふたたび南の海や島やビーチへ出かける計画である。

ヌーディストたちも自宅待機生活の反動で、わっと海に山に飛び出すことが予想されている。

僕らは、今後は必ずヌーディスト村から遠いリゾートを目指す、と思い定めている。

それはつまり、出発前にネットや旅行社を介して、近づきになりたくないヌーディスト村の位置情報などを集めなければならないことを意味する。

申し訳ないが、彼らは2重、3重の意味で面倒くさい、と感じたりしないでもないのである。

 





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渋谷君への手紙~台湾へのワクチン供与は快挙です

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『 渋谷君

《日本政府が新型コロナウイルスの感染が急拡大している台湾に対し、アストラゼネカのワクチンおよそ124万回分を無償で提供したのは、日本自体がワクチン不足である現実を思うと理解できない》

というあなたの意見には賛成しかねます。

アストラゼネカ製のワクチンを日本は認可したものの、ごくまれに血栓が生じるとされることを懸念して使用していません。眠らせておいて有効期限が切れるかもしれませんから、同ワクチンを普通に接種している台湾に送るのは良いことだと考えます。

ただし、僕が良いことだと考えるのはもっと別の意味からです。つまり台湾へ、ひいては尖閣を介して日本へも軍事的な圧力をかけ続けている中国に対抗する意味でも、また単純に友好国の台湾を支援するという意味でも、ワクチン供与は快挙だと思うのです。

管政権が船出して以来はじめて行ったまともな仕事だとさえ考えます。菅首相の時代錯誤とも見える訥弁や、泥臭さや、無能ぶりなどをうんざりしながら眺めていた僕ですが、ここでは素直に賛辞を贈ります

台湾の皆さんが東日本大震災の際に多くの義援金を送ってくださったのは記憶に新しい。その友情にこたえる意味でもワクチンを迅速に送ったのはきわめて適切な行為です

台湾は周知のように親日の情の厚い国です。しかし日本人は台湾の皆さんの友誼また情誼に十分に応えているとは言いがたい面もあります。

これをきっかけに日本が台湾にもっと目を向け日台の友情がさらに深まれば、と思います。

個人的には僕は2019年に台湾を旅して以来、以前にもましてすっかり台湾ファンになりました。

その理由としては台湾そのものの魅力が先ずありますが、台湾の人々が示す親日の情がとてもうれしかった、という事実もあります。

日本と台湾の間には、こだわるつもりになれば気分が重くなる過去の因縁もあります。それを忘れてはなりませんが、負の遺産ばがりにかかずらうのではなくお互いに未来志向で向き合うべきです。

日本はかつては加害者でした。したがってこちらから過去を水に流してください、とは言えないし言ってもなりません。それは台湾の方々の自発的な意思があって初めて成立することです。

そして台湾の皆さんはあらゆる機会を捉えて、過去のわだかまりを越える努力をし実践されています。日本の側も気持ちは同じですが、今後はもっともっとその機運を高め実行していくべきです。

中国は台湾への威嚇を続けています。香港も脅しています。尖閣諸島への我欲も隠そうとはしません。日本はまず台湾と共闘し、香港も仲間に入れつつ中国に対抗するべきです。それが尖閣を守ることにもつながります。

幸いアメリカも台湾と香港を中国の奸計 から守る意志を示しています。日本はアメリカとも連携して台湾や香港にもコミットメントするべきと考えます。

日本政府はワクチン提供をあえて6月4日に実行しました。それは明らかに天安門事件を意識した動きです。ご存じのように天安門事件は1989年6月4日に発生しました。

日本は中国が台湾のワクチン政策を妨害しているとの観測に基づいて、民主化勢力を弾圧した天安門事件に重ねて行動を起こしたのでしょう。

一党独裁国家中国は、民主化を要求する学生らを弾圧し多くの死傷者が出たその事件の記憶を封印しようと躍起になっています。

その心根は、台湾や香港を抑圧し他国の領土に食指をのばす悪行も生みます。日本はそろそろ覚悟を決めて、同盟国と連携しつつ中国に対峙するべきです。

その意味でもあえて6月4日を選んで台湾にワクチンを届けたのは意味のあることだと考えます。中国に勝手なまねばかりをさせてはならない、という覚悟を少しは示したのですから。

中国は例によって自らの行為を棚に上げて、日本はワクチンを政治目的で台湾に供給している、と鉄面皮な非難をしています。

常識や誠意のなかなか通じない野蛮性は相変わらずです。ワクチンを誰よりも政治的に操っているのは中国なのです。

中国をけん制し蛮行を阻止するためにも、日本はアメリカほかの同盟国とも協力して、必要ならば台湾へのワクチン提供をさらに進めるべきではないでしょうか。


以上


                                       それではまた』





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マフィアの因果はめぐる糸車~殺人鬼との司法取引の是非

ブルスカ逮捕切り取り650

2021年5月31日、マフィアの凶悪犯、ジョヴァンニ・ブルスカが刑期を終えて釈放された。

ブルスカは2016年と2017年に獄死したマフィアの大ボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノとトト・リイナに続くコルレオーネ派のナンバー3とも目される。

ブルスカが犯した殺人のうちもっとも知られているのは、反マフィアの旗手だったジョヴァンニ・ファルコーネ判事の爆殺。

パレルモ空港から市内に向かう判事の車を、遠隔装置の爆弾で吹き飛ばしたいわゆる「カパーチの虐殺」だ。

また自らと同じマフィア内の敵への報復のために、相手の12歳の息子を誘拐して殺害し酸の中に遺体を投げ込んで溶かした。

そうすることで遺族は子供を埋葬できずに苦しみが深まると考えたのである。

ブルスカは1996年に逮捕された。そのとき取調官に「100人から200人を殺害した。だが正確な数字は分からない」と告白している。

彼は終身刑を受けたが、後に変心していわゆるペンティート(悔悛し協力する者)となり、マフィアの内部情報を提供する代わりに大幅な減刑を受ける司法取引にも応じた。

ブルスカが25年の刑を終えて出所したことに対して、イタリア中には賛否両論が渦巻いている。

彼を釈放するべきではないという怒りの声が大半だが、司法取引の条件が減刑なのだから仕方がない、という声も少なからずある。

秘密結社であるマフィアには謎が多い。ブルスカのような大物が司法協力者となって情報をもたらす意義は小さくない。

ブルスカの手によって殺害されたファルコーネ判事の姉のマリアさんは、ブルスカの釈放には人として憤りを感じるが、司法協力者となったマフィアの罪人を減刑するのは、弟が望んだことでもあるので尊重するしかない、と語った。

ブルスカのボスだった前述のリイナとプロヴェンツァーノは、マフィアの秘密を一切明かさないまま終身刑を受けて獄死した。

ブルスカもその同じ道をたどることができたが、司法に寝返った。

彼の告白は司法にとって重要なものだったとされる。同時にブルスカは全てを話してはいない、という否定的な意見もある。

いずれにしても100人以上の人間を殺害した男が、終身刑を逃れて釈放されるのは異様だ。

異様といえば、いかにもマフィア絡みの話らしい奇妙なことがある。

ブルスカは獄中から彼の犠牲者の遺族に謝罪するビデオを公開した。

ところがカメラに向かって話す彼の顔は覆面で覆われているのである。

彼の素顔は逮捕時にもその後にもいやというほどメディアその他で公開さている。いまさら顔を隠す意味がない。

それにもかかわらずブルスカは、ビデオの中でセキュリティーのためにこうして覆面をしている、と述べる。

不思議はまだ続く。

警官に囲まれて出所するブルスカは、左手で口のあたりを覆って顔を隠す仕草をしている。その絵が新聞の一面を飾っているのだ。

一連の出来事が示唆しているのは、ブルスカがおそらく顔の整形手術を受けていることである。

マフィアから見れば彼は司法に寝返った裏切り者だ。

ブルスカに恨みを抱く闇の世界の住民はたくさんいる、と容易に想像できる。

彼はマフィアの報復を避けるために警察の了解のもと、いやむしろ司法に強制されるようないきさつで整形手術を受けたと考えられる。

ブルスカは4年間の監視生活のあとで完全に自由になる。

その4年間はもちろん、その後も彼は常に警察の庇護を受けながら生きていくことになる。それが決まりである。

それでもマフィアの刺客の危険は付きまとう。しかもブルスカは自由人なのだから、護衛官は人々にはそれとは分からない形で彼を守り続けるのだろう。

ブルスカがひとりで行動することも増えるに違いない。だから顔の整形が役に立つ、ということではないかと思う。

しかし国家権力には慈悲などない。

権力は将来、ブルスカを庇護する価値がない、と判断したときにはさっさと彼を見離すだろう。

そればかりではなく権力は、整形のことも含めたブルスカに関する全ての情報を、彼の敵にバラしてしまうことも十分にあり得ると思う。




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権力者ではなく国民が威張るのが真の民主主義


ベスト悪人面横長


国民と対話できない菅首相はうっとうしい稿に続いて菅首相について書く。彼の存在は、日本の政治家の奇天烈を世界に知らしめるのに最善のテーマ、と考えるので今後もこだわって書いていければと思う。

それは僕のこの文章が世界で読まれるという不遜な意味ではなく、彼の存在自体が世界に日本の政治の不思議を物語る。その物語る様子を語ろう、という意味である。

適任者とも見えないのに、いわばタナボタのようないきさつで日本国のトップになった菅首相は、彼がその地位に登りつめたのではなく、国民がそこに据えてやったものだ。

ところが菅首相は、権力者の常ですっかりそのことを忘れてしまったようだ。あるいは彼はその事実を、事実通りに受け取って考えてみることさえないのもしれない。

だがわれわれ国民は決してそのことを忘れてはならない。なぜならそれは民主主義の根幹にかかわる重大な要件だからだ。

つまり国民が「主」であり彼ら権力者は「従」、という厳とした構造が民主主義であるという真実だ。

それにもかかわらずに、特に日本の権力者は上下を逆転して捉えて、自らがお上であり主権者である国民が下僕でもあるかのように尊大な態度に出る。

非はむろん政治家のほうにある。だが、彼らをそんなふうにしてしまうのは、長い歴史を通して権力者に抑圧されいじめぬかれてきた国民の悲しい性(さが)でもある、という皮肉な側面も見逃せない。

日本国民が、民主主義の時代になっても封建社会の首木の毒に犯されていて、政治家という“似非お上”の前についつい這いつくばってしまうのである。

そして政治家は、彼らを恐れ平伏している哀れな愚民の思い込みを逆手に取って、ふんぞり返っている背をさらに後ろに反らして付け上がり、傲岸不遜のカタマリになってしまう。

日本国民はいい加減に目覚めて、背筋を伸ばして逆に彼らを見下ろすべきである。

権力者が国民を見下ろす風潮は、民主主義がタナボタ式に日本に導入されて以後も常に社会にはびこってきた。厳しい封建制度に魂をゆがめられた日本人が、どうしてもその圧迫から脱しきれない現実がもたらす悲劇だ。

明治維新や第2次大戦という巨大な世直しを経ても桎梏は変わらなかった。変わらなかったのは、世直しの中核だった民主主義が、日本人自らが苦労して獲得したものではなかったからだ。

民主主義は欧米社会が、日本に勝るとも劣らない凶悪な封建体制を、血みどろの戦いの末に破壊して獲得したものだ。日本はその果実だけを試練なしに手に入れた。だから民主主義の「真の本質」がわからない。

菅首相は日本の未熟な民主主義社会で、その器とも見えないのに首相になってしまった。そして首相になったとたんに、日本の政治権力者が陥るわなにはまって、自らを過信して思い上がった。

言葉を替えれば彼は、自らを「お上」だと錯覚しある種の国民もまた彼をそう見なした。底の浅い日本民主主義社会にひんぱんに描かれる典型的な倒錯絵図である。

管首相はコロナ対策で迷走を繰り返しながら、国会質疑や記者質問に際して横柄な態度で失態を隠したり、説明責任を逃れたり、ブチ切れたり逆切れしたり、と笑止で不誠実な対応を続けた。

そこには国民との対話こそが民主主義の根幹、ということを理解できないらしい政治屋の、見苦しくうっとうしい姿だけがある。

管首相の一連の失態の中でも最も重大な不始末は、ことし1月27日、国会質疑で立憲民主党の蓮舫代表代行に対し「失礼だ。一生懸命やっている」 と答弁したことだろう。

蓮舫氏の言い方に問題があったことよりも、管首相が国民の下僕である事実を忘れて国民への報告(=対話)を怠り、開き直って居丈高に振る舞ったことが大問題だ。

日本最強の権力者という願ってもない地位を国民のおかげで手に入れながら、彼は日本の政治家の常で自らが民衆の上に君臨する「お上」だと錯覚した。

それは彼に限らず日本の政治家に特有の思い込みである。彼らは権力者という蜜の味の濃い地位に押し上げられたことに感謝し謙虚にならなければならない。ところが逆に思い上がるのである。

民主主義における権力者は、あくまでも民意によってその地位に置かれている「市民の下僕」である。ところがその真理とは逆の現象が起こる。それはー繰り返しになるがー日本の民主主義の底が浅いことが原因だ。

国民は権力者に対して、「俺たちがお前を権力の地位に付けた。お前は俺たちの下僕だ。しっかり仕事をしなければすぐに首を切る(選挙で落選させる)。そのことを一刻も忘れるな」 と威圧しつづけるべきなのだ。

国民は彼ら「普通の人」を、権力者という人もうらやむ地位に据えてやっている。国民はそのことをしっかりと認識して、彼らに恩を着せてやらなければならない。

彼ら政治家や権力者が威張るのではなく、国民が威張らなければならない。それが良い民主主義のひな型なのである。

だが日本ではほぼ常に権力者が「主」で国民が「従」という逆転現象がまかり通る。政権交代がなかなか起きないこともその負のメンタリティーを増長させる。

多くの先進民主主義国のように政権交代が簡単に起きると、国民は権力者の首が国民の手で簡単にすげ替えられるものであることを理解する。理解すると権力者にペこぺこ頭を下げることもなくなる。

例えばイタリアで2018年、昨日までの政治素人の集団だった「五つ星運動」が、連立政権を構築して突然権力の座に就いた。そんなことが現実に起きると、事の本質が暴かれて白日の下にさらされる。

つまり、言うなれば隣の馬鹿息子や、無職の若者や、蒙昧な男女や、失業者や怠惰な人間等々が、代議士なり大臣などになってしまう現象。

彼らの在り方と組織構成が権力者の正体であり権力機構の根本なのである。

そういう状況が日常化すると、権力なんて誰でも手に入れられる、あるいは国民の力でどうにでもなる代物だ、ということがはっきりとわかって、民衆は権力や権力者を恐れなくなる。

そこではじめて、真の民主主義が根付く「きっかけ」が形成されていくのである。




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手のかからない野菜の王様

ラデッシュ味噌漬けヒキ650
             ラディッシュの味噌漬け

菜園をたがやしてわかったことはたくさんあるが、作りやすい野菜と育てるのが難しい野菜がある、ということもそのひとつである。

そんなことはあたり前だと思っていたが、じつはそれはどこかで読んだり聞いたりしたことで、自分で本当に野菜の種の選択や芽の成長過程などにかかわってみないかぎり、具体的にはわからないものだと気づいた。

作りやすい野菜とは、僕の場合はおよそ次のようなことである。

種が早く、そして多く芽ぶく(つまりムダな種が少ない)。

萌えた芽の成長が早い。

水遣りや肥料がいらないか、最小限で済む。

病気になりにくい。

日照りや風や寒さに強い。など、など。

また地域によって異なる土質に適応しやすい。

土地の気候に順応しやすい。

などの人の力では変えられない条件に適合することも重要だろうが、そうした点はあまり気にかけなくてもいいようだ。

それというのも市販されている種子や苗は、種苗メーカーが長い間の経験で取捨していて、たとえば起源が南国の野菜でも寒い北イタリアで十分に育つ、など品種改良がなされている。

逆に作りにくい野菜とは、上記とは逆の性質を持つもののことである。

10年あまりにわたって野菜を作った中で、僕がもっとも作りやすいと思うのは、なんといってもラディッシュと春菊である。

どちらも種をまき散らしておけば確実に芽ぶき、成長も早い。水遣りも少なくて済む。また追肥もいらない。

ラディッシュは欧州で盛んに栽培される。

春菊はここにはないので日本から種を持ち込む。

ラディッシュはサラダで食べるのが主流だが、煮たり焼いたり漬物にしたりもできる。

僕はほぼ大根と同じとらえ方で扱い調理する。

冒頭の写真は収穫したばかりのラデッシュを葉とともに味噌をまぶして半日ほど漬け込んだもの。

イタリア人の友人らにも好評な一皿だ。

一方春菊は、自分で作ってはじめて生食できることを知った。新芽あるいは若芽を刈ってサラダにするのだ。

みずみずしく香りもまろやか。きわめて美味だ。

かつては僕にとって春菊とは、においのきつい、鍋に入れることが多い、個性の強烈な野菜のことだった。

が、菜園で栽培して初めて、新芽がにおいも味もたおやかで上品な野菜だと知った。

春菊の新芽のサラダを食べるのは、菜園をたがやす者の特権だとひとり合点しているが、実際はどうなのだろうか。

ラディッシュも春菊も、春浅い時期に種をまいてもよく芽ぶく。成長があきれるほどに早く、数週間から遅くても1ヵ月ほどで食べごろになる。

ラディッシュは一度収穫したらそれで終わりだが、春菊は切り取った茎からまた芽が出てくるので何度も収穫できる。

新芽を食べつづければ夏の間ずっと楽しめる。

春菊はサラダ以外に、野菜炒めに加えたり、豆腐と煮たり、白和えにしたりもする。

だがここイタリアで食べるかぎり、他のサラダ菜とまじえる生食がほとんどである。

その場合はわが家の鉄則で、オリーブ油と醤油だけで和える。




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マタレッラ大統領と反マフィア判事の接点


合成falcone&mattarella

1992523日17時半頃、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の乗った車が、シチリア島パレルモのプンタライジ空港を市内に向けて走り出した。

ファルコーネ判事はマフィア殲滅を目指して戦うイタリアの反マフィア勢力の旗手。島の出身であることを活かして、闇組織との激しい法廷闘争を繰り返していた。

自動車道を時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される 。判事の車はマフィアの襲撃を防ぐために常に高速走行することが義務付けられていた)で疾駆していた車が1758分、凄まじい爆発音と共に中空に舞い上がった。

ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えた。

マフィアはそうやって彼らの敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去った。

いわゆる「カパーチの悲劇」である

ほぼ2ヶ月後の7月19日、ファルコーネ判事の朋友で反マフィア急先鋒のパオロ・ボルセリーノ判事もパレルモ市内で爆殺された。

セルジョ・マタレッラ大統領はコロナ禍中の今日、パレルモ市内の刑務所のホールで催されたファルコーネ、ボルセリーノ両判事の29回目の追悼式典に参列した。

それはマタレッラ大統領の最後の式典参加になると見られている。彼の任期は来年2月まで。大統領は2期目の選挙への出馬は目指さない、とつい先日明言した。

マタレッラ大統領はシチリア島人である。そればかりではない。彼は家族をマフィアに殺された凄惨な過去を持っている。

1980年1月6日、シチリア州知事だった兄のペルサンティ・マタレッラがマフィアに襲われて死んだ。州知事は反マフィア活動に熱心だった。

それに反発した犯罪組織が刺客を送って知事に8発の銃弾を撃ち込んだ。

たまたまその場に居合わせたセルジョ・マタレッラは、救急車に乗り込んで虫の息の兄を膝に抱いたまま病院に向かった。

兄の体とそれを掻き抱いている弟の体が鮮血にまみれ車中に血の海が広がった。

そのむごたらしい出来事が、当時は学者だったセルジョ・マタレッラを変えた。

彼は兄の後を継いで政治家になる決心をした。

マフィアを合法的に殲滅するのが目的だった。3年後、かれは下院議員に初当選。

そうやって筋金入りの反マフィア政治家、セルジョ・マタレッラが誕生した。

2015年、セルジョ・マタレッラはイタリア共和国大統領に選出された。

マフィア撲滅を願う彼は、殺害された反マフィア判事らの追悼式にも毎年参列してきた。

シチリア島を拠点にするマフィアは、近年イタリア本土の犯罪組織ンドランゲッタやカモラに比べて陰が薄い。

だがそれはマフィアが消えたことを全く意味しない。

マフィアから見れば、新興勢力とも呼べるンドランゲッタやカモラが派手に活動するのを隠れ蓑にして、老舗の暗黒組織はむしろ執拗にはびこっている。

現にコロナパンデミック禍中では、マフィアが困窮した事業や一般家庭を援助する振りで取り入り、彼らを食い物にする実態なども明らかになった。

マフィアを完全に駆逐することは難しい。

それでも反マフィアの看板を下ろさないマタレッラ大統領は、あるいは来年からは市民のひとりとして、故郷の判事追悼式典に参加するのかもしれない。





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ベルルスコーニを許すイタリア人はワクチン抜け駆け接種者も斬り捨てない


イタリアを含むEU(欧州連合)のワクチン接種戦略は、宇紆余曲折をたどりながらもほぼ軌道に乗りつつある。

2021年、5月18日現在のイタリアのワクチン接種状況は:18.977.897人 人口の 31,82% 。このうち2回接種を受けた者:8.787.150 人口の14,73%

接種率約32%というイタリアの数字は、EU全域の数字と見てほぼ間違いない。

EU27ヵ国は共同でワクチンを購入し、人口に応じて公平に分配する仕組みを取っている。人口が多いほど受け取るワクチンの数は多いが、比率はほぼ同じである。

しかし国によって国民間の接種状況は違う。

ある国は高齢者への接種を優先させ、ある国は医療従事者への接種をまず徹底するなど、国によってワクチンの使い道は自由に裁量できるからだ。

例えばここイタリアでは医療従事者への優先接種を大幅に進めたあとで、80歳以上の高齢者への接種を始めた。

5月18日現在は、50歳代の国民への接種も開始されている。

ちなみに僕はワクチン鑑識表上は40歳~49歳をジジババ予備軍、50歳~69歳を若ジジババ、70歳~79歳をジジババ、80歳~99歳を老ジジババ、100歳~を超人老と呼んで区別している。

ワクチンの数が足りなかった2月から3月にかけては、順番や年齢を無視して抜け駆け接種をする不届き者の存在が問題になった。

僕の近くでも、介護で多くの老人に接することが多い、と偽って抜け駆け接種をした女性がいる。50歳代の彼女は他人の家で働くいわゆる家事手伝い。

長い間寝たきりだった夫を介護していた事実を利用して、あたかも他者の介護もする介護人資格保有者のように装い2月頃にワクチンの優先接種を受けた。

そのことがバレて近所で評判になったが、彼女は悪びれず「私は他人の家に入って清掃をするのが仕事。人の家だから感染のリスクが高い」と強弁してケロリとしていた。

似たようなことがイタリア中で起こった。4月初めの段階で、自分の番でもないのに割り込みで抜け駆け接種を受けた者は全国で230万人にものぼった。

中でも南部のシチリア、カラブリア、プーリア、カンパーニャ各州で割り込み接種が多く、4州ではそのせいで優先接種を受けるべき80歳代以上の住民の接種が大幅に遅れた。

そのうちナポリが州都のカンパーニャ州では、デ・ルーカ州知事自身が順番を無視して抜け駆け接種をしたことが明るみに出た。

批判を浴びると知事は、「カンパーニャ州は年齢順ではなく業種別に接種を進める」と開き直った。

南部4州に加えて、フィレンツェが州都のトスカーナ州でも割り込み接種が多かった。同州では80歳以上の人を尻目に接種を受けた不届き者が、弁護士や役場職員や裁判官などを中心に12万人にも及んだ。

似たようなことは、お堅いはずのドイツでさえ起こっている。例えば旧東ドイツのハレ市では、64歳の市長が優先接種の対象となっている80歳以上の人々を出し抜いてワクチン接種を受けた。

彼は「時間切れで廃棄処分に回されそうなワクチンを接種しただけ」と言い訳したが、規則に厳しいドイツ社会は抜け駆けを許さず、辞職を含む厳しい処分を受けると見られている。

同様な問題は日本でも起こっているが、ドイツほどの苛烈な批判にはさらされていないようだ。むろんイタリアほどひどくはないが、コネや地位を利用しての抜け駆け接種はやはり見苦しい。

その一方で、ドイツの厳格さも息が詰まるように感じるのは、よく言えばイタリア的寛容さ、悪く言えばイタリア的おおざっぱに慣れた悪癖なのかもしれない。

「人は間違いをおかす。だから許せ」が信条のイタリア人は、醜聞まみれのあのベルルスコーニさんも許し、ワクチン抜け駆け接種の狡猾漢も最終的には許してしまう。

人間が小さい僕は、どちらも許せないと怒りはするものの、結局イタリア人の信条にひそかに敬服している分、ま、しょうがないか、と流してしまういつもの体たらくである。




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特許権停止という世迷言

バイデン横顔 650

バイデン大統領が、コロナワクチンの特許を一時停止することに賛成、と表明して世間を騒がせている。

特許を開放して、ワクチン開発者たちの知的財産を世界中に分け与えるべき、という主張だ。

特許権を停止することで、企業秘密である生産ノウハウに誰もがアクセスしてワクチンを製造することができる。そうやってワクチンが貧しい国々にも行き渡る。だから公平だ、という論法だ。

しかし、それを果たして公平と呼べるのだろうか?

新型コロナは変異種の猖けつ もあり世界をますます恐慌に陥れている。その中でも特に苦しんでいるのがインドをはじめとする途上国だ。

そのインドと南アフリカが口火を切って、ワクチン特許の一時停止論が盛んになった。

ワクチン製造の秘密をまず彼らが無償で手に入れて、世界中の途上国も同じ道を行きワクチンを大量に製造して、コロナ禍から脱するというわけだ。

その主張をバイデン大統領が支持した。彼は善意を装っているが、ここまでアメリカは同国産のワクチンを独り占めにしている、という途上国などからの批判をかわす意図も透けて見える。

それに対して主に英独仏をはじめとする欧州各国が不支持を表明した。彼らは貧しい国々へのワクチンの流通を阻んでいるのは特許権ではなく、生産能力や品質基準の問題だと主張している。

またIFPMA(国際製薬団体連合会)も「ワクチンの特許を停止しても、生産量が増えたり世界規模の健康危機への対抗策が直ちに生まれるわけではない」と反論。

IFPMAはさらに、増産の真の障害はワクチンの原材料不足、サプライチェーンの制約、各国のワクチンの囲い込み、貿易障壁などが主要な要因だとも言明している。

当事者たちのそうした懸念を待つまでもなく、特許を保護しなければ研究開発に必要な民間投資が活性化せず、政府等の資金提供も損なわれる。それはイノベーションが起こらずワクチンの製造が不可能になることを意味する。

インドの惨状に心を痛めない人はまれだろう。また先進国だけがワクチンの接種を進めて途上国や貧しい国々にまで行き渡らなくてもよい、と考える者もよほどの冷酷漢でもない限りあり得ない。

弱者や貧しい人々は必ず救済されなければならない。だが、そのために多くの努力と犠牲と情熱を注いでワクチンを開発した人々や会社が、犠牲になってもいいという法はない。

ワクチン製造は慈善事業ではない。能力と意志と勇気と進取の気性に富んだ人々が、多大な労力を注ぎ込み且つ大きな経済的リスクを冒して開発したものだ。

彼らは成功報酬を目当てにワクチンを開発する。利益を得たいというインセンティブがあってはじめてそれは可能になる。それが自由競争を根本に据えた資本主義世界の掟だ。

懸命に努力をしても彼らの知的財産が守られず、したがって金銭的報酬もなければ、もはや誰も努力をしなくなる。しかもパンデミックは今後も繰り返し起きることが確実だ。

製薬会社は高く強い動機を持ち続けられる環境に置かれるべきだ。それでなければ、次のワクチンや治療薬を開発する意欲など湧かないだろう。彼らの努力の結果である特許権を取り上げるのは間違いだ。

特許権を取り上げるのではなく、それを基にして生産量を増やし急ぎ先進国に集団免疫をもたらすべきだ。その後すばやく途上国や貧困国にワクチンを送る方策を考えればいい。

世界はひとつの池のようなものだ。先進国だけが集団免疫を獲得しても、他の地域が無防備のままならコロナの危険は去らない。だから前者をまず救い同じ勢いで他も救えばよい。

先進国は、それ以外の世界のコロナを収束させなければ、どうあがいても彼ら自身の100%の安全を獲得することはできないのだ。

そのためにも特許権を守りつつ生産を大急ぎで増やして、まず先進国を安全にし、その安全を他地域にも次々に敷衍していけばいいのである。

途上国はコロナという大火事に見舞われている。同時に先進国も熱火に焼かれている。自家が燃えているときには、よその家の火事を消しに行くことは中々できない。

まず自家の火事を鎮火させてから、急ぎ他者の火事場に向かうのが最も安全で効果的な方法だ。それでなければ共倒れになって、二つの家が焼け落ちかねない。

バイデン大統領は、ここは善人づらで無定見な政治パフォーマンスをしている場合ではない。重大な発明をした製薬会社を守りつつ、世界の健康を守る「実務」パフォーマンスもぜひ見せてほしいものである。




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反ワクチン論者の理外の理  

ワクチン会場2看板650

明るい兆し

イタリアのコロナワクチン接種計画が軌道に乗りつつある。

EU(欧州連合)のワクチン療治スキームはことしに入ってから挫折しっぱなしだった。EU加盟国のイタリアもむろん例外ではない。

構想が崩れたのは、ワクチン製造会社の供給の遅れだった。特にアストラゼネカが大きく停滞。それは同社がイギリスへの配分だけをこっそり拡大したから、という疑惑さえ生まれた。

だがアストラゼネカ社以外からの供給が3月半ば頃から徐々に増えて、EUのワクチン政策は当初の計画に少しづつ追いついた。イタリアの状況もそれに連れて改善した。

5月5日時点でのイタリアのワクチン接種は一回接種が15.081.403回。総人口のおよそ25,30%。2回接種済の者は6.520.204 人である。

イタリア政府は4月26日、全土にわたるロックダウンを徐々に解除していくと決めた。観光・飲食店業界などが、これ以上の休業には耐えられない、と激しく政府を突き上げた。

それが思い切った緩和策の導入をもたらした。だが、その大きな規制緩和策の裏には、ワクチン接種環境が改善しつつある、という政府の自負もある。

懸念

政策転換は危険な賭けだ。なぜならイタリアのワクチン接種は、たとえばイギリスやアメリカなどに比べるとはるかに数が少ない。拙速な規制緩和は強いリバウンドを呼ぶリスクがある。

それとは別に、イタリアにはワクチン接種に絡むもうひとつの懸念もある。強い反ワクチン勢力の存在である。それが「“No Vax(ノー・ヴァクス)” 」だ。

No Vaxはイタリアの左右のポピュリスト政党、五つ星運動と同盟の主導で勢力を拡大した。きっかけは2017年、イタリア政府が全ての子供に10種類のワクチンを接種する義務を課そうとしたことによる。

過激集団No Vaxはワクチンの「危険と不自然性」を叫んで政府に噛み付いた。そこに「反体制」を標榜する両党が飛びついて運動の火に油を注いだ。火はたちまち燃え盛った。

反体制を標榜する両党は、No Vaxのみならずワクチン接種に懐疑的な人々の票が欲しかったのである。イタリアはフランスに似て、ワクチン接種に積極的ではない人々が多い国だ。

2018年の総選挙では、五つ星運動と同盟が躍進して両党による連立政権が発足。NoVaxはさらに隆盛しワクチン反対運動は激化の一途をたどった。

そこに新型コロナが出現した。No Vaxはそれまでの主張を踏襲拡大して、新型コロナウイルス・ワクチンにも断固反対と叫び始めた。

いきさつ

ワクチンの効能に疑問を持ち、且つ安全性に不安を持つ人々は、世界中で増え続けている。きっかけは20年以上前に遡る。

イギリスの医師、アンドリュー・ウェイクフィールドが、はしかの予防接種は自閉症を引き起こす、というセンセーショナルな論文を発表した。これが反ワクチン派の人々を狂喜させた。

論文はその後ねつ造だったことが分かり、彼は医師免許を剥奪された。しかし、道理を全く認めようとしない反ワクチン過激派の人々には、そんな真実など存在しないに等しい。

彼らはその後もワクチンの危険と欺瞞を「狂信」し続けた。イタリアのNo Vaxはその流れをくむ運動である。それはほぼ彼らの宗教だから、科学の言葉は通じない。

NoVaxは狂信的で声が大きく活動が荒っぽい。各国のグループをまとめる国際的な反ワクチン組織は、NoVaxが引っ張るイタリアの反ワクチン活動を「抵抗のシンボル」とさえ見なしている。

だが、そうはいうものの、ここ最近のイタリアの状況は少し静かに見えないこともない。

国論
コロナワクチンに猛然と異議を唱えているのは、極く少数の過激な人々である。それを裏付けるように、イタリアでワクチン接種が始まってからは、実力行使にまで及ぶ極端な動きは少ない。

仲間同士でつるんで気勢を上げる以外には、接種会場に火炎瓶を投げつけたり、高齢者を煽動して集団で接種を拒否させたりという動きがニュースになったぐらいだ。

またイスラエルや米英など、ワクチン接種先進国における成功が刺激となって、やはり予防接種は重要だという気運が全国的に高まりつつあるのも確かだ。

それでも過去のイタリアのありさまを思うと不安は大きい。

元々ある嫌ワクチン気分に加えて、イタリアの良く言えば多様性に富む国の様態、悪く言えば分裂気質の国民性が、国を挙げてのワクチン接種キャンペーンに影を落としている。

英独仏などの欧州先進国と違って、イタリアは同じ先進国ながら統一した民意が形成されにくい。だからこそイタリア政府は事あるごとに「イタリア全国民こぞって~」という類の主張を繰り返す。

それは多様性ゆえに四分五裂する世論をまとめるための、イタリア政府の懸命の努力のあらわれなのである。

だが、再びイタリアは、英独仏や北欧各国に比べて合理性への帰依が薄い。そこが同じカトリック教国であるフランスとも違う、イタリアの弱点であり面白さだ。

フランスも反ワクチン勢力の強い国だが、最終的には合理的思考が勝って、イタリアとは対照的にワクチン接種賛成論が世論を席巻する可能性が高い。

集団免疫

イタリアはそうはならないかもしれない。いま現在の正確な統計はないが、昨年末あたりの統計では、ワクチン接種に積極的なイタリア人は60%あまりというものもあった。

その60%あまりの人々が、ワクチン接種状況を良い方向に引っ張っているとするなら、やがてそれは行き詰まってしまうかもしれない。そうなるとイタリア政府が目指す「集団免疫」の獲得が頓挫する可能性もある。

「集団免疫」は運が良ければ、国民全体のワクチン接種率70%程度で達成できるともされる。だが一般的には80%程度が目安で、数字が高ければ高いほど確率が高くなる。

既述のように今日現在の明確な統計はないが、僕が友人知己その他を含む独自のネットワークで調べた限りでは、80%の接種率に至るのはかなり厳しいように感じる。

積極的にワクチン接種に反対、とは言わなくても、喜び勇んで接種会場に足を運ぶ気にまではなれない、という者も多いのだ。

NoVaxを筆頭にしたワクチン懐疑派の喧伝と、血栓などの健康被害が発見されたアストラゼネカ・ワクチンの出だしでのつまずき等が、大きく影響しているようだ。

統計の数字にこだわるわけではないが、イタリアのワクチン戦略は接種率が60%に近づいたあたりで停滞し、その後は何らかの措置が取られない限り「集団免疫」の完成には至らない可能性がある。

そうなった場合イタリア政府は、一般的には懐疑論が強い「ワクチン接種の義務化」を模索するかもしれない。イタリアは先日、欧州で初めて医療従事者のワクチン接種を義務化した。

多様性と自由を尊重するところがイタリア共和国の最大の美点だが、それは行き過ぎてカオスを呼び込むことも多い。そしてカオスが制御不能に陥ると、伝家の宝刀「強制施行策」が抜かれる。ワクチン接種もそうなる可能性があるように思う。

切捨てではなく説得が解決策

ワクチン懐疑論者のうち陰謀説などにとらわれている勢力は、科学を無視して荒唐無稽な主張をする米トランプ大統領や追随するQアノンなどを彷彿とさせる。

言うまでもなくワクチンには問題がないわけではない。だがワクチンを凌駕するほどの感染症への特効薬をわれわれ人類ははまだ見出していない。

ワクチンを拒否するのは個人の自由だ。

NoVavを含むワクチン懐疑派の人々は、彼らなりの考えで自分自身と愛する人々の健康を守ろうとしている。

問題は彼らが間違った情報や嘘に惑わされていることだ。

従って彼らは正しい情報と科学の言葉によって説得されるべきだ。決して切り捨てられるべき存在ではない。彼らを納得させるのが政治の仕事である。

ワクチンはフェイクニュースや思い込みに縛られている人々自身を救う。同時に彼らが所属する社会は、コロナ禍から脱出するために「集団免疫」が必要だ。

それは社会の大多数がワクチン接種を受けたときに達成される。彼らを無知蒙昧だとして切り捨てれば、ワクチンの社会的な効果は半減しかねない。

繰り返すが、ワクチン接種は彼ら自身を守ると同時に彼らが生きる社会を守る。為政者は彼らを啓蒙して、そのことをしっかりと理解させなければならない。

どうしても理解しない者、あるいは理解してもワクチン接種を意図的に拒む者には、罰則が科されてもあるいは仕方がないと考える。反社会的行為にも当たるからだ。

むろんコロナパンデミックは、反ワクチン派の人々が主張するように、自然のままに蔓延させることで「自然に」集団免疫ができ「自然に」終息する、という考え方もある。

しかし、そこに至るまでに一体何人の人が死に、医療崩壊を含むどれだけの社会の混乱と不都合と不利益と不自由があるかを考えた場合、やはりワクチンによって終息を図ることが重要だ。

また、ウイルスが絶え間なく変異する怖い存在であることを考えても、できるだけ迅速に宿主を減らしてウイルスの活動を封じ込むべきである。


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男の出産



則菜園:チンゲン&大根中ヒキ800

菜園を耕すようになって10年あまりがたちました。

野菜作りはおいしい食料の獲得、という実利以外にも多くのことを教え、気づかせてくれます。

菜園耕作者はいやでも季節の変化に敏感になり、野菜たちの成長や死滅に大きくかかわる気候変動に一喜一憂します。

彼らは風気の多情に翻弄されつつ、育児のように甲斐甲斐しく野菜たちの世話を焼きます。

菜園作りでもっとも嬉しいのは、育った野菜の収穫です。

そしてもっとも感動的なのは、土中で目覚めた芽が「懸命に」背伸びをし肩を怒らせ、せり上がって土を割る瞬間。

ICHIGO デカデカと650

すなわち大地の出産。

いつ見ても言葉をのむ劇的な光景です。

出産できない男がそこに感服するのは、おそらく無意識のうちに「分娩の疑似体験」めいたものを感じているからではないか。

自ら耕やし、種をまき水遣りをして大切にはぐくむ過程が、仮想的な胚胎の環境を醸成して、男をあたかも女にします。

そして男は大地とひとつになって野菜という子供を生みます。

それはいうまでもなく「生みの苦しみ」を伴わない出産です。

苦しみどころか生みの喜びだけがある分娩です。

だが楽で面白い出産行為も出産には違いありません。

竹かご野菜800に拡大

一方、女性も、菜園の中では男と同じように「命の起こりの奇跡」を再び、再三、繰り返し実体験します。

真の出産の辛さを知る女性は、もしかすると苦痛を伴わないその仕事を男よりもさらに楽しむのかもしれません。

菜園ではそうやって男も女も大地の出産に立ち会い合流します。

野菜作りは実利に加えて人生の深い意味も教えてくれる作業です。

少なくともそんな錯覚さえも与えてくれる歓喜なのです。





しびれるワクチン


入り口看板と女性650


4月27日、イタリアが3度目のロックダウンを緩和した翌日、待望のワクチン接種を受けた。

副反応は注射跡のほんの少しの痛み。毎年受けているインフルエンザワクチン接種後の症状にも似た、軽いだるさもあるような、ないような。

コロナの恐怖と不快とに比べたら“それがどうした、河童の屁だぜ”という程度の差し合いにすぎないけれど。

5月には早くも2回目の接種を受ける。それでコロナの全てが終わるわけではないが、ある程度の行動の自由は保障されるのではないか。

知らぬ間に年をくって、もはや無駄にできる時間はない、とコロナ自粛・閉鎖中にしみじみと気づいた。

仕事も旅も趣味も、特に旅と趣味にハジケてやる、とひとりひそかに決意中。

4月27日現在のイタリアのワクチン接種状況は:累計13142028 回。5475401人が2回接種済み 。

4月26日に始まったイタリアの規制緩和は早すぎるのではいか、と実は僕は少し気にしている。

ワクチン接種数は、たとえば日本に較べればはるかに多いが、イギリスやイスラエルまたアメリカなどに及ばない。

拙速な規制緩和は強烈なリバウンドを呼びかねない。いま大問題になっているインドがそうだ。

ほかにも枚挙にいとまがない。

ここイタリアでも起きた。

4月初めには感染防止の優等生だったサルデーニャ州が、規制緩和が始まった4月26日には、唯一のロックダウン継続地(レッドゾーン)と指定された。

3月終わりから4月初めにかけての復活祭期間に、安全地帯として規制をゆるめたとたんに、感染再拡大に見舞われたのである。

始まったばかりのイタリア全土のロックダウン解除も同じ結末になりかねない。

だが遅れがちだったワクチン接種計画が軌道に乗りつつあるのも事実。

だから高齢者の入り口あたりでウロウロしている僕にもすぐに順番が回ってきた。

リバウンドが起こらないことを祈りつつ、2回目の接種をわくわくと、且つじれったい思いで待つことにする。

ところで

世の中にはワクチンを喜ばない人々もいる。喜ばないどころか彼らはワクチンを敵視さえする。

理由は拙速な開発や効果を疑うという真っ当なものから、根拠のないデマや陰謀論に影響された思い込みまである。

後者の人々を科学の言葉で納得させるのはほとんど不可能に近い。

それらの人々のうち、陰謀説などにとらわれている勢力は、科学を無視して荒唐無稽な主張をするトランプ前大統領や、追随するQアノンなどをほう彿とさせないこともない。

ここイタリアにもそれに近い激しい活動をする人々がいる。「NoVax(ノー・ヴァクス)” 」だ。

NoVaxはイタリア政府のワクチン政策を乱し、結果最終目標である「集団免疫」の獲得を邪魔する可能性もある。きわめて深刻な課題だ。


そのことについてはまた報告しようと思う。





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型やぶりという“型”の光彩



白黒テレビ頭男女650
日本とイタリアのテレビスタッフがいっしょに仕事をすると、かならずと言っていいほど日本の側からおどろきの声があがります。
それはひとことで言ってしまうと、日本側の生まじめさとイタリア側のおおらかさがぶつかって生じるものです。
おたがいに初めて仕事をする者どうしだからこの場合には両者がおどろくはずなのに、びっくりしているのは日本人だけ。生まじめすぎるからです。
それは偏狭という迷い道に踏みこみかねません。
同時に何ごとも軽く流すイタリア人のおおらかさも、いい加減の一言で済まされることがよくあります。

こういうことがありました。
「どうしてフォーマットをつくらないのかねぇ・・・。こんな簡単なこともできないなんて、イタリア人はやっぱり本当にバカなのかなあ・・・」
その道35年のテレビの大ベテランアナウンサー西尾さんが、いらいらする気持ちをおさえてつぶやくように言いました。
西尾さんを含むぼくら7人のテレビの日本人クルーはその時、イタリアのプロサッカーの試合の模様を衛星生放送で日本に中継するために、ミラノの「サン・シーロ」スタジアムにいました。
ぼくらが中継しようとしていたのはインテルとミランの試合です。
この2チームは、そのころ“世界最強のプロサッカーリーグ“と折り紙がつけられていたイタリア「セリエA」の中でも、実力人気ともにトップを争っている強力軍団です。

大観衆サンシーロ650

ただでも好カードであるのに加えて、その日の試合は当時18チームがしのぎを削る「セリエA」の選手権のゆくえを、9割方決めてしまうと言われる大一番でした。
スタジアムにつめかけたファンは約8万5千人。定員をはるかにオーバーしているにもかかわらず、外には入場できないことを承知でまだまだ多数のサポーターが集まってきていました。
球場内では試合前だというのに轟音のような大歓声がしばしばわき起こって巨大スタジアムの上の冬空を揺り動かし、氷点下の気温が観衆の熱気でじりじりと上昇していくのでもあるかのような、異様な興奮があたりにみなぎっていました。

こういう国際的なスポーツのイベントを日本に生中継する場合には、現地の放送局に一任して映像をつくって(撮って)もらい、それに日本人アナウンサーの実況報告の声を乗せて日本に送るのが普通です。
それでなければ、何台ものカメラをはじめとするたくさんの機材やスタッフをこちらが自前で用意することになり、ただでも高い番組制作費がさらに高くなって、テレビ局はいくら金があっても足りません。
その日われわれはイタリアの公共放送局RAIに映像づくりを一任しました。つまりRAIが国内向けにつくる番組の映像をそのまま生で受け取って、それに西尾アナウンサーのこれまた生の声をかぶせて衛星中継で日本に送るのです。
言葉を変えれば、アナウンサーの実況報告の声以外はRAIの番組ということになります。ところがそのRAIからは、いつまでたっても番組の正式なフォーマットがわれわれのところに送られてきませんでした。
西尾さんはそのことにおどろき、やがていらいらして前述の発言をしたのです。

鳥かごにしがみつく男600

フォーマットとはテレビ番組を作るときに必要な構成表のことです。
たとえば1時間なら1時間の番組を細かく分けて、タイトルやコマーシャルやその他のさまざまなクレジットを、どこでどれだけの時間画面に流すかを指定した時間割表のようなものです。
正式なフォーマットを送ってくる代わりに、RAIは試合開始直前になって「口頭で」次のようにわれわれに言いました。
1)放送開始と同時に「イタリア公共放送局RAI」のシンボルマークとクレジット。
2)番組メインタイトルとサブタイトル。
3)両チームの選手名の紹介。
4)試合の実況。
ほとんど秒刻みに近い細かなフォーマットが、一人ひとりのスタッフに配られる日本方式など夢のまた夢でした。
あたふたするうちに放送開始。なぜかRAIが口頭で伝えた順序で番組はちゃんと進行して、試合開始のホイッスル。
2大チームが激突する試合は、黙っていても面白い、というぐらいのすばらしい内容で、2時間弱の放送時間はまたたく間に過ぎてしまいました。
西尾さんは、さすがにベテランらしくフォーマットなしでその2時間をしゃべりまくりました。

マスク

しかし、フォーマットという型をドあたまで取りはずされた不安と動揺は隠し切れず、彼のしゃべりはいつもよりも精彩を欠いてしまいました。
ところでこの時、西尾さんとまったく同じ条件下で、生き生きとした実に面白い実況報告をやってのけたもう1人のアナウンサーがいます。
ほかならぬRAIの実況アナウンサーです。
筆者はたまたま彼と顔見知りです。放送が終わった数日後にも会う機会があったので、番組フォーマットの話をしました。

彼はいみじくもこう言いました。
「詳細なフォーマット?冗談じゃないよ。そんなものに頼って実況放送をするのはバカか素人だ。ぼくはプロのアナウンサーだぜ。プロは一人ひとりが自分のフォーマットを持っているものだ。」
公平に見て彼と西尾さんはまったく同じレベルのプロ中のプロのアナウンサーです。年齢もほぼ似通っています。2人の違いはフォーマット、つまり型にこだわるかどうかの点だけです。
実はこれは単に2人のテレビのアナウンサーの違いというだけではなく、日本人とイタリア人の違いだと言い切ってもいいと思います。


confomismとは切り取り650


型が好きな日本人と型やぶりが型のイタリア人。

どちらから見ても一方はバカに見えます。この2者が理解し合うのはなかなか難しいことです。
型にこだわりすぎると型以外のものが見えなくなります。一方、型を踏まえた上で型を打ちやぶれば、型も型以外のものも見えてきます。
ならば型やぶりのイタリア人の方が日本人より器が大きいのかというと、断じてそういうことはありません。
なぜなら型を踏まえるどころか、本当は型の存在さえ知らないいい加減なイタリア人は、型にこだわりすぎる余り偏狭になってしまう日本人の数とほぼ同じ数だけ、この国に生きているに違いありませんから・・・







イタリア解放記念日に佇想するファシズム

25 APRILE風船と白黒古合成


今日、4月25日はイタリアの「解放記念日」である。

解放とはファシズムからの解放のこと。

ドイツとイタリアは第2次大戦中の1943年に仲たがいした。日独伊3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は敵同士になった。

イタリアではドイツに抵抗するレジスタンス運動が戦争初期からあったが、仲たがいをきかっけにそれはさらに燃え上がった。

イタリアは同時に、ドイツの傀儡政権である北部の「サロ共和国」と「南部王国」との間の激しい内戦にも陥った。

1945年4月、サロ共和国は崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはムッソリーニのファシズムとドイツのナチズムを放逐した。

つまりそれはイタリアの「終戦記念日」。

掃滅されたはずのイタリアのファシズムは、しかし、種として残った。そしてコロナパンデミックで呻吟する頃来、種が発芽した。

極右政党と規定されることが多い「同盟」と、ファシスト党の流れを組むまさしく極右政党の「イタリアの同胞」がそれである。

「同盟」はトランプ主義と欧州の極右ブームにも後押しされて勢力を拡大。2018年、極左ポピュリストの「五つ星運動」と組んでついに政権を掌握した。

コロナパンデミックの中で連立政権は二転三転した。だが「同盟」も「イタリアの同胞」も支持率は高く、パンデミック後の政権奪還をにらんで鼻息は荒い。

彼らは決して自らを極右とは呼ばない。中道右派、保守などと自称する。だがトランプ主義を信奉し、フランス極右の「国民連合」 と連携。欧州の他の極右勢力とも親しい。

特に「イタリアの同胞」は連立政権に参加していないこともあって、より過激な移民排斥や反EU策を標榜してそれが支持率のアップにつながったりする。

欧州もイタリアも、そして地中海を介して移民の大流入と対峙しなければならないイタリアでは特に、移民排斥をかかげる極右政党には支持が集まりやすい。

極右とはいえそれらの政治勢力は、ただちにかつてのファシストと同じ、と決めつけることはできない。彼らもファシトの悪は知っている。

だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避ける。極右はファシストに限りなく近いコンセプトだ。よって彼らはその呼称を避けるのである。

第2次大戦の阿鼻地獄に完全に無知ではない彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれとはまり込むとは思えない。

だが、それらの政治勢力を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからである。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に増えたように。

政治的奔流となった彼らの思想行動は急速に社会を押しつぶしていく。日独伊のかつての極右パワーがそうだったように。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入する。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。



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女王陛下の平凡な、だが只ならぬ孤独  

女王黒い塊のような800

エディンバラ公爵フィリップ殿下の死去に伴う英王室関係の報道を追いかけていて最も印象的だったのは、教会の席に黒い小さな塊となって丸まり、頭をたれている老女王の姿だった。

73間年も連れ添った伴侶をなくして悲しみにくれるエリザベス女王は、落ちぶれたとはいえ強大な権威に包まれ人々の畏怖を集める、大英帝国の君主ではなく、どこにでもいる孤独な老女に過ぎなかった。

加えて、大英帝国あるいはイギリス連邦の君主のイメージと、小さな黒い塊との間の途方もない落差が、彼女をさらに卑小に無力に見せて哀れを誘った。

丸まって黒くうずくまっている94歳の女王はおそらく、夫の棺を見つめながら自らの死についても思いを巡らしていたのではないか。

彼女が自らの死を予感しているという意味ではない。

生ある限り人は死を予感することはできない。生ある者は、生を目いっぱい生きることのみにかまけていて、死を忘れているからだ。それが生の本質である。

生きている人は死の「可能性」について思いを巡らすことができるだけだ。そして思いを巡らすところには死は決してやってこない。死はそれを忘れたころに突然にやって来るのである。

夫の死に立会いつつ自らの死の影も見つめている老いた女性は、ひ孫世代までいる大家族の中心的存在である。彼女の職業はたまたま「英国女王」という存在感の大きな重いものだ。

職業あるいは肩書きのイメージ的には、背筋を伸ばし傲然と座っていてもおかしくない人物が、背中を丸め小さく固まっている姿はいたいけだった。そこに世界の同情が集まったのは疑いがない。

夫の棺をやや下に見おろす教会の席で、コロナ感染予防の意味合いからひとり孤独に座っている女王の姿には、悲しみに加えて、自らの人生の終焉を直視している者の凄みも感じられて僕はひどく撃たれた。

英国王室の存在意義の一つは、それが観光の目玉だから、という正鵠を射た説がある。世界の注目を集め、実際に世界中から観光客を呼び込むほどの魅力を持つ英王室は、いわばイギリスのディズニーランドだ。

おとぎの国には女王を含めて多くの人気キャラクターがいて、そこで起こる出来事は世界のトピックになる。むろんメンバーの死も例外ではない。エディンバラ公フィリップ殿下の死がそうであるように。

最大のスターである女王は妻であり母であり祖母であり曾祖母である。彼女は4人の子供のうち3人が離婚する悲しみを経験し、元嫁のダイアナ妃の壮絶な死に目にも遭った。ごく最近では孫のハリー王子の妻、メーガン妃の王室批判にもさらされた。

英王室は明と暗の錯綜したさまざまな話題を提供して、イギリスのみならず世界の関心をひきつける。朗報やスキャンダルの主役はほとんどの場合若い王室メンバーとその周辺の人々だ。だが醜聞の骨を拾うのはほぼ決まって女王だ。

そして彼女はおおむね常にうまく責任を果たす。時には毎年末のクリスマス演説で一年の全ての不始末をチャラにしてしまう芸当も見せる。たとえば1992年の有名なAnnus horribilis(恐ろしい一年)演説がその典型だ。

92年には女王の住居ウインザー城の火事のほかに、次男のアンドルー王子が妻と別居。娘のアン王女が離婚。ダイアナ妃による夫チャールズ皇太子の不倫暴露本の出版。嫁のサラ・ファーガソンのトップレス写真流出。また年末にはチャールズ皇太子とダイアナ妃の別居も明らかになった。

女王はそれらの醜聞や不幸話を「Annus horribilis」、と知る人ぞ知るラテン語に乗せてエレガントに語り、それは一般に拡散して人々が全てを水に流す素地を作った。女王はそうやって見事に危機を乗り切った。

女王は政治言語や帝王学に基づく原理原則の所為に長けていて、先に触れたように沈黙にも近いわずかな言葉で語り、説明し、遠まわしに許しを請うなどして、危機を回避してきた。英王室の人気の秘密のひとつだ。

危機を脱する彼女の手法はいつも直截で且つ巧妙である。英王室が存続するのに必要な国民の支持を取り付け続けられたのは、女王の卓越した政治手腕に拠るところが大きい。

女王の潔癖と誠実な人柄は―個人的な感想だが―明仁上皇を彷彿とさせる。女王と平成の明仁天皇は、それぞれが国民に慕われる「人格」を有することによって愛され、信頼され、結果うまく統治した。

両国の次代の統治者がそうなるかどうかは、彼らの「人格」とその顕現のたたずまい次第であるのはいうまでもない。

喪服と帽子とマスクで黒一色に身を固めて、小さな影のようにうずくまっているエリザベス女王の姿を見ながら、僕はとりとめもなく思いを巡らしたのだった。




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たかがオリンピック、されどワクチン~強気のイタリア&大風呂敷のEU?


中庭的ストーブ付き650

ことし3月中旬から事実上のロックダウン下にあったイタリアは、4月26日から規制を段階的に緩和していくことになった。

2020年、イタリアは世界初の全土ロックダウンという地獄を体験した後、年末年始と4月の復活祭にかけてもロックダウンをかけた。

だが、強い規制とワクチン接種の進展が効を奏しつつあり、感染拡大の鈍化のきざしが見え始めた。

状況はまだ全く予断を許さないが、ドラギ政権は規制緩和に踏み切った。

過酷な封鎖措置に国民の疲弊はピークに達している。特に打撃の大きかった観光業界や飲食業界では不満が爆発してデモが頻発。抗議の声が日ごとに高まっていた。

それらを受けての決断である。

イタリアはコロナの警戒レベルを高い順に赤、オレンジ、黄色、白と4段階に色分けして規制を掛けている。規制が最も弱い白の地域は今のところは存在しないに等しい。

今月初めの復活祭期には、島嶼州のサルデーニャが唯一白の安全地帯と規定された。ところが今やそこは赤の危険地帯に。人の移動が活発になるとウイルスも活性化する、という典型的な例である。

現在は全国が赤とオレンジで埋まっているが、4月26日からはほとんどの州が警戒レベルが“やや弱い”に当たる黄色に規定される。最高警戒域の赤の州はいったん無くなる予定。

黄色域では各州間の移動が自由になり、オレンジと赤の州にも許可証(グリーンパス)を所持すれば移動ができる。

許可証はワクチンを接種済みか、コロナに掛かったことのある人のそれは6ヶ月間有効。コロナ検査で陰性とされた人のものは48時間だけ有効となる。違反すると禁固刑を受ける可能性がある。

レストランは店の外の席のみ昼夜営業可能。店内での接客は6月1日からランチのみ営業可。映画館、劇場、博物館はオープン。屋外でのコンサートやショーも許可される。

屋外プールは黄色州では5月15日から営業可。屋内ジムは6月1日から。全国レベルのスポーツイベントは観客を数を制限して6月1日から開催してもよい

フィエラ(見本市)は6月15日から再開。コングレス(大会議、各種大会)またテーマパークなどは7月1日より開催許可。

高校生は70%が対面の授業を許される。残りはオンライン授業。これはバスや電車などの公共交通機関が密になり過ぎることを避ける措置。現在は25-50%が対面授業中。小中学校はこの規制対象ではない。

夜間外出禁止令は当面は従来どおり午後10時以降朝5時まで。これに関してフォルツァ・イタリアと同盟またイタリア・ヴィヴァが午後11時からを主張して対立。多党連立のドラギ内閣では初の造反込みの政策となった。

イタリアは4月30日までにEUの査定(2090億ユーロ)より多い2215億ユーロ(28兆円弱)分のコロナ復興資金を申請する。認められればEU内で最悪クラスの打撃を受けた経済のカンフルになると期待されている。

4月22日現在、イタリアのワクチン接種実績は約1150万回。2回接種された者は約480万人。秋までに国民の80%の接種を終えるのがドラギ政権の目標。

だがEUはもっと野心的な計画を持っている。7月までに全加盟国の成人人口の7割に接種を済ませるというのである。達成すればEU全域での集団免疫がほぼ獲得されることになる。

イタリアよりもEUの計画のほうが早期実現することを祈りたい。

そうはいうもののEUは一枚岩ではない。先日もいわば組織の双頭とも呼べるEU大統領とEU委員長が、トルコのエルドアン大統領に侮辱されながらも共闘できず、弱点をさらけ出した。

それでもEUはワクチン接種を加速させるために必死に動いている。無論イタリアもそれは同じ。EUにとってもイタリアにとっても、遠い日本で騒がれているオリンピックなど念頭にはない。

たかがオリンピック、されどワクチン。誰も大っぴらには口にしないが、欧州でも、親日国のイタリアにおいてさえも、そして世界でも、人々の気分は今のところはそれに尽きるのである。



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エルドアン“仁義なき戦い”大統領を無視したフォンデアライエン“穏健派”委員長の知性


蛮人大統領&デアライエンBest-800

先日、名実ともにEU(欧州連合)大統領と同格と見なされる欧州委員会のフォンデアライエン委員長が、トルコのエルドアン大統領にコケにされたエピソードには、そこに至るまでの多くの秘められた事象や因果関係が絡み合っている。

まず第一は、エルドアン大統領による根強い女性蔑視の心情。これはアラブ・アジア的後進性に原因があり、辞任した森喜郎東京五輪組織委員会長などにも通底する因習だ。エルドアン大統領の場合には、かてて加えてムスリム文化独特の男性優位思考が幾重にもからまっているから一筋縄でいかない。

トルコ側はミシェルEU大統領の席をエルドアン大統領の脇に用意したものの、EU大統領と同位のフォンデアライエン委員長には提供せず、彼女は状況に驚いて棒立ちになった。やがて男2人から遠い位置の、且つ格下を示唆するソファに腰を下ろして会談に臨んだ。この成り行きをトルコ側は、EUの意向に沿ったもの、と不可解な言い訳をした。

だがそれより数年前のそっくり同じ場面では、双方ともに男性だったEU大統領と委員長が、エルドアン大統領の両脇にそれぞれの椅子を提供されている。そのことから推しても、エルドアン大統領が、わざと女性委員長を見下して状況を演出したと見られている。何のために?むろん出る女性杭(くい)を打つために、だろう。

ジェンダーギャップや差別という観点で見れば、エルドアン大統領とムスリム女性蔑視文化の関係は、ナントカに刃物、というくらいに危険な組み合わせだ。修正や矯正は両者共に至難の業、と見えるからなおさらだ。

だが問題はトルコ側だけにあるのではない。委員長と共に行動していたミシェルEU大統領の立ち居も、きわめて無神経且つ稚拙だった。彼は立ち往生している同僚の女性委員長にはお構いなしに、エルドアン大統領に合わせて自分の椅子に腰を下ろしたのである。

男性はこういう場合、つまり女性が共にいる場合、公式、私的、外交、遊びや仕事を問わずまたどこでも、女性が先に着席するのを見届けてから座するものである。それは最近になって問題化した性差別やジェンダー平等などとは無関係の、欧米発祥のマナーだ。いわゆるレディーファーストの容儀だ。彼は欧州人でありながらそれさえしなかった。

非常識、という意味ではミシェルEU大統領は、エルドアン大統領に勝るとも劣らない。彼はエルドアン大統領に習ってさっさと椅子に腰を下ろし、なす術なく立ちつくしているフォンデアライエン委員長を、カバを連想させると言えばカバに失礼なほどの鈍重さで眺めるだけだった。

彼はそうする代わりに、状況の間違いを正すように毅然としてトルコ側に申し入れるべきだったのだ。

ミシェルEU大統領は、後になって自らの不手際を批判されたとき、重要な会談を控えた外交の場で、事を荒立てて機会を台無しにしたくなかったと弁明した。

それが言い逃れであるのは明らかだ。なぜなら外交の場だからこそ彼は、外交のプロトコルに則って、フォンデアライエン委員長用に自分の椅子と同じものを設置するよう、トルコ側に求めるべきだ。

もしも本当に事を荒立てたくなかったならば、欧米式のマナーに基づいて、彼自身が立ち上がって委員長に自分の椅子を勧めるべきだった。

その後で、トルコ側の対応を見定めつつ彼がソファに座るなり、あらたに自身の分の椅子を要求するなりすれば良かったのである。

見事なまでにドタマの中がお花畑のEU大統領は、外交どころか日常のありきたりの礼節さえわきまえていない男であることを、自ら暴露したのである。

言うまでもなくレディーファーストという欧米の慣習と、女性差別という世界共通の重要問題を混同してはならない。

だが、ミシェル大統領がもしも的確に行動していれば、トルコの男尊女卑思想の前で女性委員長が公に味わった屈辱を避けられただけではなく、彼の一連の動きがジェンダー平等を呼びかける強力なメッセージとなって、世界のメディアを賑わせた可能性もあっただけに残念だ。

EUは選挙の洗礼を受けない官僚機構が支配する体制を常に批判されてきた。そのことも引き金のひとつとなって、英国は先ごろEUから離脱した。

英国離脱とほぼ同時に起きたコロナパンデミックでは、ワクチン政策でEU枠外にいるまさにその英国に遅れを取って、連合自体は体制の限界をさらけ出した。

その最中に起きた、ミシェル大統領の失策は、EUそのものの不手際を象徴的に表しているようで先が思いやられる。

トルコ・アンカラでのエピソードは、非常に重い外交問題にまで発展しかねない出来事だった。だがフォンデアライエン委員長が「今後起きてはならないこと」と裏で釘を刺すだけに留めて、それ以上騒がなかったためにすぐに収束した。

委員長が金切り声を上げて、火に油を注がなかったのは幸いだった。個人的には彼女の冷静な対応を評価したいと思う。

ところで、このエピソードには実はイタリアのマリオ・ドラギ首相がからんでいる。

ドラギ首相は会談の直後、フォンデアライエン委員長をかばってエルドアン大統領を“独裁者”と呼んで厳しく批判した。普段は独仏、またつい最近までは英国を含めた3国の陰に隠れているイタリアだが、ドラギ首相は異例の対応をした。

そこには長年ECB(欧州中央銀行)の総裁として高い評価を受けてきたドラギ首相の責任感と、ほんの少しの驕りがあったと思う。

政治の国際舞台では、日本同様にほとんど何の影響力もないイタリアの宰相でありながら、ドラギ首相は過去の国際的な名声を頼りに、英独仏などに先駆けてエルドアン大統領を指弾したのだ。

しかし他の欧州首脳は誰一人として彼に援護射撃をしなかった。当事者のフォンデアライエン委員長も沈黙を守った。ドラギ首相と委員長は、むろん私的には連絡を取り合っただろうが、委員長は既述のごとく表向きは口を閉ざして、事態への厳正な対応をEU機関に非公式に要請しただけだった。

ところが「事件」から10日ほどが経って、エルドアン大統領が、ドラギ首相を「無礼者」と罵倒する声明を出した。僕はトルコでの一件を、フォンンデアラオエン委員長にならって静かに見過ごすつもりだったが、エルドアン大統領の突然の反撃に刺激されて、こうして書いておくことにした。

エルドアン大統領がなぜ遅ればせに行動したのか、真意は分からない。その一方でトルコのチャブシオール外相は、「ドラギ首相は独裁者の心配をするなら自国のムッソリーニを思い出すべき」と早くから反論していた。

今回のエルドアン大統領の声明に対しては、イタリア極右政党のジョルジャ・メローニ党首が反発し、ドラギ首相を強く支持すると表明した。彼女はエルドアン政権の横暴とイスラム過激主義を糾弾。トルコがEUに加盟することにあらためて断固反対する、と息巻いている。

トルコの首都アンカラで起きたエピソードには、繰り返しになるが、重大な歴史及び文化的要素や齟齬や思惑や細部が幾重にも絡み合っている。だがそこで生まれた逸話は、エルドアン大統領とミシェルEU大統領によるお粗末な外交の結果なので、おそらくこれ以上に重大視しないほうが無難だ。

騒げば騒ぐほど無益な緊張を誘発するのみで、エルドアン大統領が反省し、自説を変える可能性はほぼゼロだと思うからである。

 

 

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