【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

柿とカキ

柿2個家壁背景やや鮮明650

数年前に庭に植えた柿の木が実をつけている。

柿はイタリア語でも「カキ」と呼ばれる。そのことから分かる通り柿はもともとイタリアにはなく、昔日本から持ち込まれたもので、ほとんどすべてが渋柿である。

そのままでは食べられないので、イタリア人は容器や袋に密封して暗がりに置き、実がヨーグルトのようにとろとろになるまで熟成させてから食べる。そうすると渋みがなくなって甘くなるのだ。

要するにイタリアには、固い渋柿かそれを超完熟させた、とろとろに柔らかい甘柿しかない。

つまりこの国の人々にとっては、柿とは「液状に柔らかくなった実をスプーンですくって食べる果物」のことなのである。

最近は外国産の固い甘柿も売られているが、彼らはそれもわざわざ完熟させて極端に柔らかくしてから食べる。

かつて日本から柿をイタリアに持ち込んだのは恐らくキリスト教の宣教師だろう。

その際彼らがあえて渋柿を選んだとは考えにくい。きっと甘柿と渋柿の苗木を間違えたのだ。

あるいは甘柿のなる木が多くの場合、接ぎ木をして作られるものであることを知らなかったのだろう。

そんなわけで「普通に固い甘柿」が大好きな僕は秋になるといつも欲求不満になる。

店頭に出回る柔らかい柿はあくまでも「カキ」であって、さくりと歯ごたえのある日本のあの甘い柿とはまるきり別の果物だと感じるのだ。

そこで庭に柿の木を植えて甘柿の収穫を目指した。

植木屋に固い甘柿がほしいのだと繰り返し説明して、柿の木を手に入れ植えた。

数は多くないが甘柿の木はあるのだ。それには蜘蛛の巣のような模様のある実が生る。ところが庭の木に生った実は全て渋柿だった。

植木屋が僕をだましたとは思えない。

彼はきっと僕にとっての固い甘柿の重要さが理解できなくて、実がとろとろになるまで熟成させて食べれば渋いも甘いも皆同じじゃないか、と内心で軽く見切って僕に木を売ったと見える。

少し腹立たしくないこともないが、実をつけた柿の木は景色として絵になるので、まあ好し、と考えることにした。

結局、庭に生る柿は熟成させて家族が食べ、僕は相変わらず店で固い甘柿を買って食べている。



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異端がトリノの個性である


ポルチーニ売るおばさん650

オットブラータ(Ottobrata10月夏)の暖気に促されて繰り返した週末旅で、ピエモンテ州のアルバ(Alba)を訪ねた。

アルバはトリュフで知られた街。ちょうどトリュフ祭り(展示会)が開かれていた。だが僕が食べたいのはトリュフよりもポルチーニ茸だった。

トリュフは嫌いではないが興味もない、というのが僕の昔からの偽りのない気持ちだ。香りも味もピンと来ないのだ。

トリュフのパスタには簡単に出会った。だが、ポルチーニ料理にはありつけなかった。それでもメインで食べた子牛の頬肉煮込みが出色だったので満足した。

遅くなって帰宅の途に就いたが、途中で気が変わって一泊することにした。翌日は日曜日なので成り行き任せの決断でも問題なかった。

ほぼ行きあたりばったりにアスティ(Asti)で宿を取った。実はアルバほかの街々の宿はどこも満員で全く空きがなかった。「仕方なく」アスティに泊まった、というのが真実だ。

コロナが終息した、と考える国民が多いイタリアは旅行ブームだ。厳しい都市封鎖や規制から開放された人々が、観光地へどっと繰り出している。ホテルが混んでいるのもそのせいだった。

アスティは殺風景なたわいない街だった。ひとつ良かったのはアスティ産の甘い「アスティ・モスカートワイン」。アルコール度数がビール並みに低いので、ひとりでほぼ一本を開けた。むろん美味くなければそんなことはしない。

翌日は雨模様だった。

過去に仕事で訪ねた体験からも、地方は期待外れに終わりそうだと判断して、州都のトリノを目指すことにした。

トリノはイタリアの一部だがイタリアではない、と僕は少し誇張して考える。フランスのあるいはパリの下手な写しがトリノという都会である。

それは少し感性のある者なら誰でもすぐに嗅ぎつける同市の属性だ。

物事の多くは模写から始まる。

ところが模写を習いや修行や鍛錬などと称して尊重する日本文化とは違い、西洋のそれはオリジナリティを重視する。のみならず模写を否定する。

その意味ではトリノも否定的に捉えられがちだ。しかしトリノがフランスのそしてさらに詳細にはパリの模倣であっても構わない、と僕は思う。

なぜならトリノはフランスやパリを真似することで、イタリアの中で異彩を放つ都市になった。物真似がトリノの独自性である。

物真似から誕生したトリノは、そのありのままの形で存在することで、全体が個性的な都市や町や地域の集合体であるイタリア共和国の、多様性の一環を成している。

そうではあるものの、僕にとってはトリノは少しも美しくはない。

その理由はトリノの新しさだ。フランス的なものが新しく見えてつまらない。また建物が大げさで、そこかしこの広場や街路も無意味に広大だ。

イタリアの都市に必ず存在する旧市街あるいは歴史的街並がトリノにはない。気をつけて見ればないことはないのだが、それらは近代の建物に圧倒されてほとんど目につかない。

旧市街を別の言葉で言えば中世の街並み。あるいは中世的な古色に染まる景色。はたまた狭い通りや古い建物、崩れ落ちそうな遺跡などが醸し出す豊かな風情。あるいはワビサビの世界。

そういうシーンがトリノにはない。繰り返しになるが全てが比較的新しく、大きく、重厚気味に存在感があり、そしてたまらなく退屈だ。

トリノの街並みを思わせる歴史的なスタイルがイタリアにはもう一つある。それはファシスト時代の建築の構え、つまりリットリア様式の建築物だ。

リットリア様式は古代ローマを模倣しようとした表現法で、武骨且つ単純な力強さがある。尊大なファシストのムッソーリーニと取り巻きが、自らの力を誇示しようとして編み出した。

正確に言えばむろんそれとは違う。だが大きく、重々しく、うっとうしい雰囲気は共通している。

そこには「イタリアを所有している」とまで形容された巨大自動車メーカー、フィアット(FIAT)のイメージも影を落としている。

複合的な心象や写像や現実は、FIATそのものを支配し、果てはトリノという都市まで支配したアニエッリ一族のイメージへとつながる。

古い時代のトリノは、イタリア統一にかかわったサヴォイア王家の拠点だった。フランスの猿真似はサヴィオア家によって完成された。

後年、アニエッリ一族は自動車産業を介してトリノを支配した。街伝統の猿真似を踏襲しつつ貴族を気取ったのがアニエッリ一族だ。そのうさん臭さ。

アニエッリ一族の中でもっとも著名なジャンニ・アニエッリは、欧州に進出する日本のビジネスに恐れをなして「黄禍論」を公然と語った不埒な男だ。

当時の日本は今の中国と同程度に世界に嫌われ恐れられていた。従ってジャンニ・アニエッリの口吻は理解できないこともない。

だがイタリアに来たばかりの若い僕は、その有名人の言動に強い反感を抱いた。時間とともに怒りは収まったが、ジャンニ・アニエッリとアニエッリ家への好感は残念ながら未だに芽生えない。

そんな感慨は、しかし、トリノの街並みや雰囲気への僕のかすかな反感とは無関係だ。

なぜなら僕は、いま述べたように、トリノのみならずピエモンテの各地を巡るとき、他のイタリアの都市や地方とは違い、古色蒼然としたコアな街並みがほとんど存在しない点に、常に物足りなさを感じるからである。






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ヴェローナでリゾットを食べロメオとジュリエットに会った

人混みとジュリエット横顔650

10月、季節はずれのぽかぽか陽気と晴天にはしゃいで近場のヴェローナにも出かけた。

一応の旅の目的を立てた。つまりアマローネ・リゾットを食べること。ヴェローナ近辺で生産される高級ワイン、アマローネを使ったリゾットである。

僕はそれとは別に、なんとかの一つ覚えのように、ポルチーニ料理も頭に思い描いていた。

10月半ば過ぎの北イタリアでは、ほぼどこに行っても新鮮なキノコの料理が食べられる。

中でも僕が“イタリアマツタケ”と勝手に呼んでいるポルチーニは、それ自体でも、またパスタ絡みの調理でも出色の味がする。

ヴェローナはイタリアのエッセンスが詰まった美しい古都の一つだ。

だが晴天と暑気と週末が重なって、街には人出が多く花の都の景観をかなり損なっていた。少し前なら密が怖くて歩けなかったであろうほどに、街じゅうが混雑していた。

ローマ時代の円形闘技場・アレーナがあるブラ広場、街の中心のエルベ広場またシニョーリ広場とそれらを結ぶ大小の道を歩いた。

そこではときどき路上で立ち尽くさなければならないほどの人出があり、思わず雑踏事故の4文字を思い浮かべたりさえした。

イタリアではコロナがほぼ終息したと考えられていて、旅行また歓楽ブームが起きている。

コロナパンデミックに苦しめられ、ロックダウンで窒息した人々の怨念が解き放たれて、心身が雀躍しているのが分かる。

そこにOttabrata(10月夏)の好天が続いたので、人々の外出への欲求がいよいよ高まった。

僕は本職のビデオ取材以外でもヴェローナにはけっこう通った。

義父が製造販売していたワイン展示の手伝いでヴィンイタリー(Vinitaly)会場に出入りしたのだ。

ヴィンイタリー(Vinitaly)は毎年4月、ヴェローナ中心部に近い広大な会場で開催される。1967年に始まった世界最大のワイン展示会である。。

義父は10年ほど前までワインを作っていた。自家のブドウ園の素材を使って生産しVinitaly にも参加していた。

時間が許す限り僕はワインの展示を手伝うために会場に通った。

だが手伝うとは名ばかりで、実は僕はワインの試飲を楽しんだだけだった。展示会場を隈なく回って各種ワインの味見をするのだ。そこではずいぶんとワインの勉強をした。

義父のワイン事業はビジネスとしては厳しいものだった。

ワインは誰にでも作れる。問題は販売である。貴族家で純粋培養されて育った義父には商才は全く無かった。ワインビジネスはいわば彼の贅沢な道楽だった。

義父が亡くなったとき、僕がワイン事業を継ぐ話もあった。だが遠慮した。

僕はワインを飲むのは好きだが、ワインを「造って売る」商売には興味はない。その能力もない。

それでなくても義父の事業は赤字続きだった。

ワイン造りはしなくて済んだが、僕は義父の事業の赤字清算のためにひどく苦労をさせられた。彼の問題が一人娘である僕の妻に引き継がれたからだ。

ワインを造るのはどちらかといえば簡単な仕事だ。日本酒で言えば杜氏にあたるenologo(エノロゴ)というワイン醸造の専門家がいて、こちらの要求に従ってワインを造ってくれる。

もちろんenologoには力量の違いがあり、専門家としてのenologoの仕事は厳しく難しい。

ワイン造りが簡単とは、優秀なenologoに頼めば全てやってくれるから、こちらは金さえ出せばいい、という意味での「簡単」なのである。

ワインビジネスの真の難しさは、先に触れたようにワイン造りではなく「ワインの販売」にある。ワイン造りが好きだった義父は、enologoを雇って彼の思い通りにワインを造っていたが、販売の能力はゼロだった。

だから彼はワイナリーの経営に失敗し、大きな借金を残したまま他界した。借金は一人娘の妻に受け継がれ、僕はその処理に四苦八苦した、といういきさつだった。

vinitalyに顔を出していた頃は、会場から市内中心部まで足を運ぶこともなかった。それ以前にアレーナと周辺のロケをしたことがあるが、記憶があいまいなほどに時間が経った。

淡い記憶をたどりながらアレーナ周りを歩き、観察し、前述の広場や路地を訪ね巡った。

歴史的にはほぼフェイクとされる「ロメオとジュリエット」のジュリエット像と屋敷も見に行った。

そこの人ごみのすごさにシェイクスピアの物語の強烈な影響を思ったが、ただそれだけのことで格別に印象に残るものはなかった。

食べ歩きが主目的なので付け加えておけば、リゾットの後に子羊の骨付き肉を頼んだ。キノコ系のメインコースがなかったからだ。

どこにでもある炭火焼の、ありふれた味の一品だった。

子羊や子ヤギまた子豚などの肉は、炭や薪で焼く場合には丸焼きにしない限り陳腐な口当たりになる。それを地でいくもので作り話のジュリエット像にも似て味気なかった。



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国際都市ジェノヴァの肥溜めの彩

歌碑&顔中ヒキ650

10月の陽気に浮かれて旅したジェノヴァでは、下町の港周辺地区を主に歩いた。特にカンポ通り(Via del Campo)だ。

ジェノヴァは基本的に2地域に分かれると僕は考えている。港の周辺とそれ以外の地区である。

ジェノヴァ港は地中海でも1、2を争う規模と取引量を誇る。ジェノヴァの富の源泉がジェノヴァ港だ。

港周り以外のジェノヴァの地域は、割合で言えば8割程度の重みがある。

そこは街の政治経済文化の中心だ。元々のイタリア人(白人)で、いわば街の支配階級が住む場所である。

一方、そこからフェッラーリ広場を抜けて入るカンポ通りには、港の荷揚げ作業などの苦役に従事する外国人労働者や移民が多く住む。

通りは港の一部と形容しても構わないほどに近接している。

あたりの印象は、外国人に混じってイタリア人あるいはジェノバ人が細々と生きている、という風でさえある。

イタリアきってのシンガーソングライター、ファブリツィオ・デ・アンドレは



「カンポ通りには木の葉色の瞳を持つ娼婦がいる 

(通りも娼婦も街の肥溜めだ) 

ダイヤモンドからは何も生まれない 

だが肥溜めからは花が生まれる


と歌った。※( )内は僕の意訳


肥溜めのように貧しいカンポ通りに生きる娼婦こそ人生を正直に生きる花だ、と讃えたのである。

哀切を誘うメロディーに乗った寓意的な歌詞が、デ・アンドレの低い艶のある声でなぞられて心にぐさりと突き刺さる。

その歌“Via del Campo”は数多いデ・アンドレの名作の中でも最高傑作のひとつと見なされている

カンポ通りの一角の壁には、“Via del Campo”の1節を刻んだ表意絵が掛かっている。

通りを歩くと歌の世界と現実が交錯して、現実が歌を、歌が現実を補填し合い渾然一体となって迫り来る感覚にとらわれる。

歩いた先にあるレストランで食事をした。

そこには地域の住民はいない。街の8割方に住む豊かなジェノヴァ人と旅人が店の客だ。

僕らはその店で散財することができる特権的な旅人のひとりとなって食事を楽しませてもらった。

鮮やかな緑色のペスト・ジェノヴェーゼにからませたパスタは、本場でしか味わえない深い風味があった。

メインで食べたタコ料理に意表を衝かれた。いったいどんな手法なのか、タコが口に含むととろりと溶けるほどにやわらかく煮込まれていたのだ。

タコ料理は今日までにそこかしこの国でずいぶん食べたが、その一品はふいに僕の中で、ダントツのタコ料理レシピとして記憶に刻まれた。

白ワインはリグーリア特産のヴェルメンティーノ(Vermentino)。きんきんに冷えたものを、と頼むと予想を上回るほどに冷えたボトルが出てきた。

味は絶品以外のなにものでもなかった。

ところで

ジェノヴァ市民は、多分イタリアでもっとも親切な人々、というのが僕の持論だ。

特に交通巡査や役人や道行く人々・・つまり全てのジェノヴァ人。

僕はロケでイタリアのありとあらゆるところに行く。その体験から「親切なジェノヴァ人」という結論に行き着いたのである。

情報収集やコンタクトや時間の融通や撮影許可やロケ車の置き場所や始末や・・あるとあらゆる事案にジェノヴァ人は実に懇切、丁寧、に対応してくれる。

それは多分ジェノヴァの人たちが国際的であることと無関係ではない。

港湾都市のジェノヴァには、常に多くの外国人が出入りし居住した。埠頭の人足から豊かな貿易商人まで、様々な境遇の人々だ。

ジェノヴァの人々は言葉の通じない外国人を大事にした。彼らは皆ジェノヴァの重要な貿易相手国の国民だったから。

そこからジェノヴァ人の親切の伝統が生まれた。

国際都市ジェノヴァには、また、国際都市ゆえの副産物も多くあった。

その一つがサッカー。

世界の強豪国、イタリアサッカーの発祥の地も、実はジェノヴァなのである。

その昔、ジェノヴァに上陸したイギリス人の船乗りが母国からサッカーを持ち込んで、それが街に広まった。

今でこそトリノやミラノのチームが権勢を誇っているが、イタリアサッカーの黎明期には、ジェノヴァチームは圧倒的に強かった。

さらに

古来、イタリア半島西端のやせた狭い土地で生きなければならなかったジェノヴァ人は、働き者で節約精神も旺盛だと言われる。

そこで生まれた冗談が「ジェノヴァ人はイタリアのユダヤ人」。イギリスにおけるスコットランド人と同じ。

リグーリア州の大半は山が突然海に落ち込むような地形だ。平地が少なく地味もやせている。

そのため人々は海に進出し、知恵をしぼって貿易にいそしみ巨万の富を得た。

アメリカ大陸を発見したとされるコロンブスもこの地で生まれた。

それは英国におけるスコットランド人や、世界におけるユダヤ人と同じ。

彼らのケチケチ振りを揶揄しながら、人は皆彼らの高い能力をひそかに賞賛してもいる。

「~のユダヤ人」というのは決して侮蔑語ではない。それは感嘆語だ。

親切でこころ優しいイタリアのユダヤ人、ジェノヴァ人に乾杯。

感嘆語のみなもと、ユダヤ人には、もっと、さらに乾杯。




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聖人も信徒も等しく死者になる

光の中で女天使慟哭650

昨日、つまり11月2日はイタリアの盆でした。

一般には「死者の日」と呼ばれる万霊節。

「死者の日」という呼び名は日本語ではちょっとひっかかるニュアンスですが、その意味は「亡くなった人をしのぶ日」ということです。

やはり霊魂を慰める日本の盆や彼岸に当たると言えます。

ところで

死者の日の前日、すなわち11月1日は「諸聖人の日」でイタリアの祝日でした。

カトリックでは「諸聖人の日」は、文字通り全ての聖人をたたえて祈る日です。

ところがプロテスタントでは、聖人ではなく「亡くなった全ての信徒」をたたえ祈る日、と変化します。

プロテスタントでは周知のように聖人や聖母や聖女を認めず、「聖なるものは神のみ」と考えます。

聖母マリアでさえプロテスタントは懐疑的に見ます。処女懐胎を信じないからです。

その意味ではプロテスタントは科学的であり現実的とも言えます。

聖人を認めないプロテスタントはまた、聖人のいる教会を通して神に祈ることをせず、神と直接に対話をします。

権威主義的ではないのがプロテスタント、と筆者には感じられます。

一方カトリックは教会を通して、つまり神父や聖人などの聖職者を介して神と対話をします。

そこに教会や聖人や聖職者全般の権威が生まれます。

カトリック教会はこの権威を守るために古来、さまざまな工作や策謀や知恵をめぐらしました。

それは宗教改革を呼びプロテスタントが誕生し、カトリックとの対立が顕在化していきました。

カトリックは慈悲深い宗教であり、懐も深く、寛容と博愛主義にも富んでいます。

プロテスタントもそうです。

キリスト教徒ではない筆者は、両教義を等しく尊崇しつつ、聖人よりも一般信徒を第一義に考えるプロテスタントの11月1日により共感を覚えます。

また、教会の権威によるのではなく、自らの意思と責任で神と直接に対話をする、という教義にも魅力を感じます。

それでは筆者は反カトリックの男なのかというと、断じてそうではありません。

筆者は全員がカトリック信者である家族と共に生き、カトリックとプロテ

スタントがそろって崇めるイエス・キリストを敬慕する、自称「仏教系無心論者」です。



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夏10月を遊ぶ~カモーリ~ 

手前木枝&ビーチ・通り650

イタリア語にOttobrata(オットブラータ)という言い回しがある。Ottobre10月)から派生した言葉で、日本語に訳せば小春日和に近い。

小春日和は初冬のころの暖かい春めいた日のことだ。あえて言えば秋のOttobrataとは時期がずれる。が、イタリアの秋は日本よりも冷えるから小春日和で間に合うようでもある。

Ottobrataも小春日和も高気圧が張り出すことで生まれる。ただOttobrataは小春日和のように1日1日を指すのではなく、数週間単位のいわば“時節”を示す印象が強い。

ことしのOttobrataはほぼ10月いっぱい続き、11月にまでずれこみそうだ。もっともイタリア語では、11月に入ってからの暖かい日々は「サンマルティーノの夏」と呼ぶ。

それは英語のインドの夏とほぼ同じニュアンスの言葉だ。

ことしのOttobrataは期間が長く気温も高い。そこで週末は遠出をしたり1泊程度のプチ旅行をしたりしている。もう10月も終わるが、好天が続いているので過去形よりも現在進行形で語りたい。

このまま晴天が続けば、「サンマルティーノの夏」にまでなだれこんで、12月まで寒さがやってこないかもしれない、と考えたくなるほどの陽気が続いている。

長すぎるOttobrataはやはり温暖化のせい、というのが専門家の見立てである。専門家ではなくとも、近年の異常気象を見れば何かがおかしいと推測できる。

イタリアはことしは冬、異様な旱魃に見舞われ大河ポーが歴史始まって以来の低水位にまで下がった。危険な状況は春には改善したが、夏には再び干上がって警戒水準が続いた。

夏の少雨は強烈な日差しを伴った。記録的な暑さが和らぐと普通に気温が下がるかと見えた。だがそれはほんの数日のことだった。

真夏の暑さは去ったものの、強い日差しが続いて、Ottobrataに突入したのだった。

近場を巡り、少し足を伸ばしてリグーリア州やピエモンテ州にも出かけた。ほとんどが日帰りの旅だったが、リグーリアとピエモンテではそれぞれ一泊した。

車で半時間足らずの距離の小さな湖や、そこより少し遠いヴェローナなども訪ねた。

食べ歩きをイメージした仕事抜きの旅は、夏の休暇を除けば初めての経験である。

最初は10月半ばの週末。リグーリア州に向かった。そこにはジェノヴァがありチンクエテッレがありサンレモがありポルトフィーノもある。

僕はそれらの土地の全てをリサーチやロケなどの仕事で訪れている。

先ずジェノヴァの隣のカモーリを訪れた。

カモーリは崖と海に挟まれた小さなリゾート地。ミニチュアのような漁港がある。

漁港では毎年5月、直径4メートルもの大フライパンで魚を揚げて、人々に振舞う祭りがある。僕は以前その様子を取材したこともある。

レストランやバールが連なる海岸沿いの通りの下には海がありビーチがある。通りの先にあるのがいま触れた港である。

ほぼそれだけの街だが、リゾートの魅力がこれでもかと詰め込まれた印象があって、全く飽きがこない。

通りを行き来して不精をたのしみ、美味い魚介のパスタと土地の白ワインを堪能した。

きんきんに冷えた白ワインと魚介パスタの相性は、昔食べたときも今回も、筆舌に尽くしがたい絶妙な味がした。





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イタリア初の女性首相と極右の因縁

melonigiura berlusca e salvini650

極右と規定されることも多い右派「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首が、イタリア初の女性首相となって1週間が経過した。

連立政権とはいえ、ついに極右政党が政権を握る事態に欧州は驚愕した、と言いたいところだが現実は違う。欧州は警戒心を強めながらもイタリアの状況を静観してきた、というのが真実だ。

メローニ政権は、少しの反抗を繰り返しながらも、基本的にはEU(欧州連合)と協調路線を取ると見るのが現実的だ。

近年、欧州には極右政党が多く台頭した。それは米トランプ政権や英国のBrexitEU離脱)勢力などに通底した潮流である。

フランスの「国民連合」、イタリアの「同盟」と「イタリアの同胞」、スペインの「VOX」ほかの極右勢力が躍進して、EUは強い懸念を抱き続けてきた。

2017年には極右興隆の連鎖は、ついにドイツにまで及んだ。極右の「ドイツのための選択肢」が総選挙で躍進して、初めての国政進出ながら94議席もの勢力になった。

それはEUを最も不安にした。ナチズムの亡霊を徹底封印してきたドイツには、極右の隆盛はあり得ないと考えられてきたからだ。

それらの極右勢力は、決まって反EU主義を旗印にしている。EUの危機感は日増しに募った。

そしてとうとう2018年、極右の同盟と極左の五つ星運動の連立政権がイタリアに誕生した。

ポピュリストの両党はいずれも強いEU懐疑派である。英国のBrexit騒動に揺れるEUに過去最大級の激震が走った。

だが極右と極左が野合した政権は、反EU的な政策を掲げつつもEUからの離脱はおろか、決定的な反目を招く動きにも出なかった。

イタリアでは政治制度として、対抗権力のバランスが最優先され憲法で保障されている。そのため権力が一箇所に集中しない、あるいはしにくい。

その制度は、かつてファシスト党とムッソリーニに権力が集中した苦しい体験から導き出されたものである。同時にそれは次々に政治混乱をもたらす仕組みでもある。

一方で、たとえ極左や極右が政権を担っても、彼らの思惑通りには事が運ばれない、という効果も生む。

過激勢力が一党で過半数を握れば危険だが、イタリアではそれはほとんど起こりえない。再び政治制度が単独政党の突出を抑える力を持つからだ。

イタリアが過激論者に乗っ取られにくいのは、いま触れた政治制度そのものの効用のほかに、イタリア社会がかつての都市国家メンタリティーを強く残しながら存在しているのも大きな理由の一つだ。

イタリアが統一国家となったのは今からおよそ160年前のことに過ぎない。

それまでは海にへだてられたサルデーニャ島とシチリア島は言 うまでもなく、半島の各地域が細かく分断されて、それぞれが共和国や公国や王国や自由都市などの独立国家として勝手に存在を主張していた。

国土面積が日本よりも少し小さいこの国の中には、周知のようにバチカン市国とサンマリノ共和国という2つのれっきとした独立国家があり、形だけの独立国セボルガ公国等もある。

だが、実際のところはそれ以外の街や地域もほぼ似たようなものである。

ミラノはミラノ、ヴェネツィアはヴェネツィア、フィレンツェはフィレンツェ、ナポリはナポリ、シチリアはシチリア…と各地はそれぞれ旧独立小国家のメンタリティを色濃く残している。

統一国家のイタリア共和国は、それらの旧独立小国家群の国土と精神を内包して一つの国を作っているのだ。だから政府は常に強い中央集権体制に固執する。

もしもそうしなければ、イタリア共和国が明日にでもバラバラに崩壊しかねない危険性を秘めているからである。

各都市国家の末裔たちは、それぞれの存在を尊重し盛り立てつつ、常にライバルとして覇を競う存在でもある。

イタリア共和国は精神的にもまた実態も、かつての自由都市国家メンタリティーの集合体なのである。そこに強い多様性が生まれる。

そして多様性は政治の過激化を抑制する。多様性が息づくイタリアのような社会では政治勢力が四分五裂して存在するそこでは、極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなくより穏健になる傾向が強い。跋扈する極論者や過激思想家でさえ心底では多様性を重んじるのだ。

2018年に船出した前述の極右同盟と極左五つ星運動による連立政権は、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張がただちに国の行く末を決定付けることはない、ということを示した。

多様性の効能である。

今回のイタリアの同胞が主導する右派政権もおそらく同じ運命を辿るだろう。

メローニ首相率いるイタリアの同胞は元々はEUに懐疑的でロシアのクリミア併合を支持するなど、欧州の民主主義勢力と相いれない側面を持つ。

「イタリアの同胞」はファシスト党の流れも汲んでいる。だがイタリア国民の多くが支持したのは右派であって極右ではない。ファシズムにいたっては問題外だ。

メローニ新首相はそのことを知りすぎるほどに知っている。彼女は選挙戦を通して反民主主義や親ロシア寄りのスタンスが、欧州でもまたイタリア国内でも支持されないことをしっかりと学んだように見える。

メローニ「右派」政権は、明確に右寄りの政策を打ち出すものの、中道寄りへの軌道修正も行うというスタンスで進むだろう。

それでなければ、彼女の政権はイタリアと欧州全体の世論を敵に回すことになり、すぐにでも行き詰まる可能性が高い。




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タナボタ英新首相の正体

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リシ・スナク氏が英国の新首相に就任した

ジョンソン元首相、トラス前首相に続く3人目の負け犬首相である。前代未聞の事態が次々に起きる英国は、あるいは存続の危機にあるのではないか

ジョンソン元首相は追い詰められて辞任した。トラス前首相は失脚した。そしてスナク新首相は保守党の党首選でトラス前首相に敗れたばかり。彼もやはり負け犬なのだ。

負け犬が3連続で首相を務める英国はきわめて異様に見える。

何よりも先ずそのことを指摘しておきたい。

負け犬から突然、タナボタで英国最強の権力者になった、スナク首相の就任演説をBBCの実況放送で聴いた。

辞職したばかりのトラス前首相のミスをさりげなく、だが明確に指摘しながら、そのミスを是正し英国経済を立て直す、と宣言する様子は傲岸なふうではなく、むしろ頼もしいものだった。

だがそれはまだ単なる彼の言葉に過ぎない。

コロナパンデミックに続くロシアのウクライナへの侵攻によって、英国に限らず世界中の経済は危機にさらされている。巨大な危難は英国一国だけで解決できる問題ではないと見える

世界経済は複雑に絡み合い利害を交錯させながら回っている。

有名金融関連企業で働いた後、ジョンソン政権で財務大臣も務めたスナク首相は、実体経済にも詳しいに違いない。だが単独で英国経済を立て直せるかどうかは未知数だ。

経済政策でコケれば彼もまた早期退陣に追い込まれる可能性が高い。そうなるとスナク氏は再び落伍者となって、負け犬指導者が4代続く事態になり英国存続の危機はいよいよ深化するばかりだ。

閑話休題

スナク首相は経済政策を成功させるか否かに関わらず、既に歴史に残る一大事業を成し遂げた。僕の目にはそちらのほうがはるかに重要トピックと映る。

いうまでもなくスナク首相が、英国初の非白人の首班、という事実だ。

彼は宗教もキリスト教ではなくヒンドゥー教に帰依する正真正銘のインド系イギリス人である。人種差別が根深いイギリスでは、画期的な出来事、といっても過言ではない。

2009年、世界はアメリカ初の黒人大統領バラク・オバマの誕生に沸いた。それは歴史の転換点となる大きな出来事だった。

だが同時にそれは、公民権運動が激しく且つ「人種差別が世界で最も少ない国アメリカ」に、いつかは起きる僥倖と予見できた。

アメリカが世界で最も人種差別の強い国、というのは錯覚だ。アメリカは逆に地球上でもっとも人種差別が少ない国だ。

これは皮肉や言葉の遊びではない。奇を衒(てら)おうとしているのでもない。これまで多くの国に住み仕事をし旅も見聞もしてきた、僕自身の実体験から導き出した結論だ。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからだ。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからだ。

断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡り非常に目立つ。そのためにあたかも米国が人種差別の巣窟のように見える。

だがそうではない。自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い、ひたすら前進しようと努力しているのがアメリカという国だ。

長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴が、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生だったことは言うまでもない。

物事を隠さず直截に扱う傾向が強いアメリカ社会に比べると、英国社会は少し陰険だ。人々は遠回しに物を言い、扱う。言葉を替えれば大人のずるさに満ちている。

人種差別でさえしばしば婉曲になされる。そのため差別の実態が米国ほどには見えやすくない。微妙なタッチで進行するのが英国の人種差別である。

差別があからさまには見えにくい分、それの解消へ向けての動きは鈍る。だが人種差別そのものの強さは米国に勝るとも劣らない。それはここイタリアを含む欧州の全ての国に当てはまる真実だ。

その意味では、アメリカに遅れること10年少々で英国に非白人のスナク首相が誕生したのは、あるいはオバマ大統領の出現以上に大きな歴史的な事件かもしれない。

僕はスナク首相と同じアジア人として、彼の出世を心から喜ぶ。

その上でここでは、政治的存在としての彼を客観的に批評しようと試みている。

スナク首相は莫大な資産家でイギリスの支配階級が多く所属する保守党員だ。彼はBrexit推進派でもある。

個人的に僕は、彼がBrexitを主導した1人である点に不快感を持つ

白人支配の欧州に生きるアジア人でありながら、まるで排外差別主義のナショナリストのような彼の境遇と経歴と思想がひどく気にかかる。

ジョンソン首相の派手さとパフォーマンス好きと傲慢さはないものの、彼の正体は「褐色のボリス・ジョンソン」という印象だ。

それゆえ僕は英国の、そして欧州の、ひいては世界に好影響を与えるであろう指導者としての彼にはあまり期待しない。

期待するのはむしろ彼が、ジョンソン前首相と同様に「英国解体」をもたらすかもしれない男であってほしいということだ。

つまりスナク首相がイギリスにとっては悪夢の、欧州にとっては都合の良い、従って世界の民主主義にとっても僥倖以外の何ものでもない、英連合王国の解体に資する動きをしてくれることである。



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トラス首相とともに沈み行く英国が見える


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トラス英首相が辞任を表明した。

就任からわずか6週間での辞任。

驚きだが、予定調和のような。

不謹慎だが、何かが喜ばしいような。

何が喜ばしいのかと考えてみると、ボリス・ジョンソン前首相の鳥の巣ドタマが見えてきた。

ジョンソン前首相はいやいやながら辞任し、虎視眈々と首相職への返り咲きを狙っている。

トラスさんのすぐ後ではなくとも、将来彼は必ず首相の座を目指すだろう。

彼の首相就任は英国解体への助走、あるいは英国解体の序章。。。

なるほど。喜ばしさの正体はこれだ。僕は英国の解体を見てみたいのだ。

英国解体は荒唐無稽な話ではない。

英国はBrexitによって見た目よりもはるかに深刻な変容に見舞われている。

その最たるものは連合王国としての結束の乱れだ。

イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド から成る連合王国は、Brexitによって連合の堅実性が怪しくなった。

スコットランドと北アイルランドに確執の火種がくすぶっている。

スコットランドはかねてから独立志向が強い。そこにBrexitが見舞った。住民の多くがBrexitに反発している。

スコットランドは独立とEUへの独自参加を模索し続けるだろう。

北アイルランドも同じだ。

Brexitを主導したのはジョンソン前首相だった。彼は分断を煽ることで政治力を発揮する独断専行型の政治家だ。

Brexitのように2分化された民意が正面からぶつかる政治状況では、独断専行が図に当たればあらゆる局面で政治的に大きな勝ちを収めることができる。

言葉を変えれば、2分化した民意の一方をけしかけて、さらに分断を鼓舞して勝ち馬に乗るのだ。

彼はそうやって選挙を勝ち抜きBrexitも実現させた。だが彼の政治手法は融和団結とは真逆のコンセプトに満ちたものだ。

彼の在任中には英国の分断は癒されず、むしろ密かに拡大し進行した。

だが国の揺らぎは、エリザベス女王という稀代の名君主の存在もあって目立つことはなかった。

そんな折、ジョンソン首相がコロナ政策でつまずいて退陣した。

国の結束という意味ではそれは歓迎するべきことだった。

ところが間もなくエリザベス女王が死去してしまった。

代わってチャールズ3世が即位した。新国王は国民に絶大な人気があるとは言えない。国の統合に影が差した。

そこへもってきて就任したばかりのトラス首相が辞めることになった。

彼女の辞任によって、退陣したばかりのジョンソン前首相がすぐにも権力の座をうかがう可能性が出てきた。

ジョンソン前首相は英国民の分断を糧に政治目標を達成し続けたトランプ主義者であり、自らの栄達のためなら恐らく英国自体の解体さえ受け入れる男だ。

彼が首相に返り咲くのは、先述したように英国の解体へ向けての助走また序章になる可能性がある。

それは悪い話ではない。

理由はこうだ:

英連合王国が崩壊した暁には、独立したスコットランドと北アイルランドがEUに加盟する可能性が高い。2国の参加はEUの体制強化につながる。

世界の民主主義にとっては、EU外に去った英国の安定よりも、EUそのもののの結束と強化の方がはるかに重要だ。

トランプ統治時代、アメリカは民主主義に逆行するような政策や外交や言動に終始した。横暴なトランプ主義勢力に対抗できたのは、辛うじてEUだけだった。

EUはロシアと中国の圧力を押し返しながら、トランプ主義の暴政にも立ち向かった。

そうやってEUは、多くの問題を内包しながらも世界の民主主義の番人たり得ることを証明した。

そのEUBrexitによって弱体化した。EUの削弱は、それ自体の存続や世界の民主主義にとって大きなマイナス要因だ。

英連合王国が瓦解してスコットランドと北アイルランドがEUに加盟すれば、EUはより強くなって中国とロシアに対抗し、将来再び生まれるであろう米トランプ主義的政権をけん制する力であり続けることができる。

大局的な見地からは英国の解体は、ブレグジットとは逆にEUにとっても世界にとっても、大いに慶賀するべき未来だ。

《エリザベス女王死去⇒チャールズ国王即位⇒トラス首相辞任⇒ジョンソン前首相返り咲き》

という流れは、歴史が用意した英国解体への黄金比であり方程式である。

むろんそれは僕の希望的観測ではあるものの。。。



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イタリア初の女性首相の因縁


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ついにイタリア初の女性首相が誕生した。右派「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首が権力の座にすわる。

イタリアの同胞はファシスト党の流れをくんでいて、極右と規定されることも多い。

だがイタリア国民のほとんどは極右を支持していない。ファシズムにいたっては問題外だ。

メローニ新首相はそのことを知悉している。彼女の政権はEU(欧州連合)ともNATO(北大西洋条約機構)とも連携していくはずだ。

しかし連立を組む同盟とFI(フォルツァ・イタリア党)の中には、EU及びNATO懐疑派の勢力もある。

また同盟のサルビーニ党首とFIのベルルスコーニ党首はプーチン大統領と親しく、ロシアのウクライナ侵略に対するEUの制裁に疑問を呈することも辞さない。

メローニ首相率いるイタリアの同胞も、元々はEUに懐疑的でロシアのクリミア併合を支持するなど、欧州の民主主義勢力と相いれない側面を持つ。

メローニ新首相は選挙戦を通して、そうした反民主主義且つ親ロシア寄りの政策が、欧州でもまたイタリア国内でも支持されないことをしっかりと学んだように見える。

メローニ政権は明確に右寄りの政策を打ち出すものの、常に中道寄りへの軌道修正も行うというスタンスで進むだろう。

それでなければ、彼女の政権内の反対勢力が頭をもたげる前に、イタリアの世論と欧州全体のそれが、彼女を権力の座から引きずり下ろすことになるだろう。



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おバカなベルルスカのスカスカな脳ミソ


窓枠入り夕焼けカッツァーゴ650

イタリア・FI(フォルツァ・イタリア)党党首のベルルスコーニ元首相が、彼得意の放言・迷言・呆言街道を驀進中だ。

最新版は自党の国会議員の集まりで、ロシアのプーチン大統領との友情を再構築しプレゼントと友達の証の手紙を交し合った、と語ったもの。

発言はローマの日刊紙にすぐさまスッパ抜かれて、間もなく船出する予定の右派政権内に激震が走った。

ジョルジャ・メローニ次期首相は、すかさず「NATOに留まり西側諸国としっかり協調する政権だけが私の望みだ」と発言。ベルルスコーニ元首相を強くけん制した。

元欧州議会議長でFI党の副党首でもあるアントニオ・タイヤーニ氏は、FI党も彼自身も、また党首のベルルスコーニ氏も完全にNATO及び西側連合と一体であり、ウクライナを支持する、と火消しにやっきになった。

タイヤーニ氏はメローニ政権で外務大臣に指名されると見られていたが、ボスのベルルスコーニ氏の迷走でその役職が吹き飛んだとも囁かれている。

86歳のベルルスコーニ元首相が繰り出す多くの奇天烈な発言は、もはや老害以外のなにものでもない、と揶揄する声も高まっている。

元首相はかつて自分の庇護下にあったジョルジャ・メローニ氏が、彼を追い越してイタリア首相の座に就くことに実感がわかないのか、あるいはわざと実感できない振りをしているようだ。

誰それをどこそこの閣僚にとか、メローニ氏が傲慢になっているとか、私が次期政権の後見人だなど、など、まるで来たる右派政権が自らの主導でもあるかのような言動を繰り返している。

45歳のメローニ氏は、ベルルスコーニ翁の困った言動を、その都度たしなめたりうまくいなしたりしながら、自身の立場は明瞭に示す、という大人の対応をしている。

その態度は、彼女の首相としての資質はもしかするとベルルスコーニ元首相を上回るのではないか、と思わせるほど堂々としている。

プーチン大統領と極めて親密な間柄だった元首相は、ロシアのウクライナ侵略に際して口を噤んで、厳しい批判にさらされた。彼は後になって「しぶしぶ」プーチン大統領の動きを糾弾する発言をした。

だがその後は積極的にロシアを責める言動は控えて、彼が内心プーチン支持であることをにおわせ続けてきた。

そして元首相は何を血迷ったのか、彼自身も軽くない役割を担うであろう次期政権の発足直前になって、冒頭の発言をして世間を唖然とさせたのである。

元首相は一貫してEU支持者であり続けている。プーチンと親しい仲であるにもかかわらず、彼がロシアの独裁者のウクライナ侵略を批判したのも、芯に強いEU信奉の精神があるからだ。

そのことは恐らく今後も変わらないだろう。

僕はそれを見越して、元首相は時期政権内でEU協調路線を主張し続けるだろうとそこかしこで語ってきた。

彼がまさしくそう動けば、それは間違いなくイタリアの国益に資する。

彼の方向性は今後も同じと考えられる。だが、プーチン大統領とプレゼントを交換し合ったり、親しく手紙をやり取りしたなどと得意気に語るのは、相も変らぬ元首相の子供じみた軽挙妄動だ。

バカバカしいが、時節がら見苦しいことこの上もない。





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ベルルスコーニの最後の奉公

口歪めサングラス原版

ベルルスコーニ元首相に関する直近の記事を読んだ読者の皆さんの中には、彼のイタリアにおける影響力が極めて大きいと考える人も多いようだ。

それは僕の書き方が悪いのが原因だ。非力を謝罪したうえで少し付け加えておきたい。

ベルルスコーニ元首相は90年代初め以降、イタリア政界に多大な影響力を持ち続けたが、アップダウンを繰り返しながらその力は右肩下がりに下がり続けた。

2011年にはイタリア財政危機の責任を取らされて首相を辞任。支持率は急降下した。

そして2013年、脱税で有罪判決を受けて公職追放となり議員失職。彼の政治生命は絶たれたと見られた。

ところが元首相は2019年、公民権停止処分が解除されたことを受けて欧州議会選挙に出馬。何事もなかったかのように欧州議会議員に当選した。

イタリアのメディアの中には彼を《不死身》と形容するものまで出た。

だが、ベルルスコーニ元首相率いる「FI(フォルツァ・イタリア党)」の、先日の総選挙における得票率はわずか約8%。かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだった政党としてはさびしい数字だ。

非力なFI党首のベルルスコーニ氏が影響力を持つのは、同党が選挙で大勝した右派連合の一角を占めるからだ。

右派連合の盟主は、次期首相就任が確実比されているジョルジャ・メローニ氏が率いる極右「イタリアの同胞」である。

両者の立場が逆転した今、メローニ氏が自らの政権内でベルルスコーニ氏を優遇する可能性は十分にある。

醜聞と金権と汚職にまみれたベルルスコーニ元首相が、支持率を落としながらもしぶとく生き残ってきたのは、物理的な側面から見れば彼がイタリアのメディアの支配者である事実が大きい。

インターネットが普及した欧州先進国の中にあって、イタリアは未だに既存メディアが大きな影響力を持つ国のひとつだ。特にテレビの力は巨大である。

イタリアのメディア王とも呼ばれる元首相は、自らが所有するテレビ局のニュースや番組やショーに頻繁に登場して自己アピールをする。

日本で言えば民放全体を束ねた勢力である元首相所有のMEDIASETが、堂々とあるいは控えめを装って、ベルルスコーニ元首相の動きを連日報道するのである。

そうした実際的な喧伝活動に加えて、多くの国民が元首相を寛大な目で見ることも彼の生き残りに資する。

ほとんどがカトリック教徒であるイタリア国民は、「罪を忘れず、だがこれを赦す」というカトリックの教義に深く捉われている。

彼らはベルルスコーニ元首相の悪行や嫌疑や嘘や醜聞にうんざりしながらも、どこかで彼を赦す心理に傾く者が多い。

たとえ8%の国民の支持があっても、残りの92%の国民が強く否定すれば彼の政治生命は終わるに違いない。

だがカトリック教徒である寛大な国民の多くが彼を赦す。つまり消極的に支持する。あるいは見て見ぬ振りをする。

結果、軽挙妄動の塊のような元首相がいつまでも命脈を保ち続けることになるのだ。

要するにベルルスコーニ元首相は、右派連合が分裂しない限り、メローニ政権内で直接・間接に一定の影響力を行使するだろう。

彼の動きはいつものように我欲とまやかしに満ちたものになるに違いない。それは連立政権を崩壊させるだけの数の力を持っている。

だがそれだけのことだ。彼の時代は終わっている。もしも政権を瓦解させれば彼自身も今度こそ本当に政治生命を絶たれる。

86歳にもなった元首相はそんな悪あがきをすることなく、彼が唯一イタリア国民のために成せることをしてほしい。

つまり前回も書いたとおり、極右的性格のメローニ政権がEUに反目して国を誤ろうとするとき、諌めて中道寄りに軌道修正させるか、軌道修正の糸口を提供することである。

寛大な国民に赦され続けて政治的に生き延びてきたベルルスコーニ元首相の、それが国民への最後の奉公となるべき、と考えるが、果たしてどうなるだろうか。





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イタリア人がベルルスコーニを許す理由(わけ)

典型的な笑顔650

間もなく発足する予定のイタリアの右派政権には、醜聞と汚職と暴言また金権にもまみれたベルルスコーニ元首相も加わると見られています。

政権を率いるのは極右政党党首のジョルジャ・メローニ氏。彼女はかつてのベルルスコーニ政権で、31歳の史上最年少閣僚として起用された過去を持っています。

以来ベルルスコーニ氏は「政界の親」として、彼女を擁護してきました。

立場が逆転した今、メローニ氏が自らの政権内でベルルスコーニ氏を優遇する可能性は十分にあります。

ベルルスコーニ氏は外相あるいは法相を目指しているとも、上院議長の席を狙っているとも噂されています。

ベルルスコーニ元首相は2013年、脱税で有罪判決を受けて6年間の公職追放措置になりました。だが悪運強く前倒しで解放されました。

彼はすぐに選挙活動を開始。2019年には欧州議会議員に選出されて政界復帰を果たしました。86歳になる今日も変わらずにイタリア政界を掻き回しています。

実業家だったベルルスコーニ氏は1994年、独自のフォルツァ・イタリア党を結成。長年イタリアを牛耳っていたキリスト教民主党の死滅を受けて、ほどなく総選挙で勝利し首相に就任しました。

以後、3期(4期)9年余に渡って首班を務め、下野している間も一貫してイタリア政界に君臨し多大な影響力を持ち続けてきました。

他の先進民主主義国ならありえないようなデタラメな言動・行跡に満ちた彼を、なぜイタリア国民は許し、支持し続けるのか、という疑問が国際社会では良く提起されます。

その答えは、世界中のメディアがほとんど語ろうとしない、一つの単純な事実の中にあります。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元イタリア首相は、稀代の「人たらし」なのです。

日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相です。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまいます。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるものではなく、自然に身内から表出されます。

彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物なのです。

人心掌握術とは、要するに優れたコミュニケーション能力のことです。元首相が、人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではありません。

元首相はそのコミュニケーション力で日々顔を合わせる者をからめ取ります。

加えて彼の富の基盤である、自身が所有するイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者まで取り込んで味方にしてしまうのです。

イタリアのメディア王とも呼ばれる元首相は、政権の座にある時も在野の時も、ひんぱんにテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、飽くことなく政治主張をし続けてきました。

有罪判決を受けて以降も、彼はあらゆる手段を使って自らの潔白と政治メッセージを明朗に且つ雄弁に申し立ててきたのです。

しかしながら彼の明朗や雄弁には、暗い影もつきまとっています。ポジティブはネガティブと常に表裏一体なのです。

即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもあります。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは、偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながります。

さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくありません。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見てみればいい。

すると恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないでしょうか。

それでもイタリア国民は彼を許し続けています。ポジティブ志向のイタリア国民は、元首相のネガティブな側面よりも彼の明朗に多く目を奪われます。

短所はそれを矯正するのではなく、長所を伸ばすことで帳消しにできる、とイタリア国民の多くは信じています。短所よりも長所がはるかに重要なのです。

例えばこういうことです。

この国の人々は全科目の平均点が80点のありふれた秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考えます。

そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があります。その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践しようとします。

具体的な例を一つ挙げます。

ここに算数の成績がゼロで体育の得意な子供がいるとします。すると親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞するのです。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところですが、イタリア人はあまりそういう発想をしません。

要するに良くいう“個性重視の教育”の典型です。醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けるのも、子供の教育方針と似た理由からです。

元首相は未成年者買春や収賄や脱税などの容疑にまみれた男です。

同時に彼は性格が明るく、コミニュケーション能力に長け、一代で巨万の富を築いた知略を持つ傑出した男でもあります。

ならば後者をより重視しよう、という訳です。

イタリア共和国には ― 繰り返しになりますが ― 短所を言い募るのではなく長所を評価するべき、と考える人が多いのです。

実はそこには「過ちや罪や悪行を決して忘れてはならない。しかしそれは赦されるべきである」 というカトリック教の「赦し」の理念も強く作用しているように見えます。

人々は元首相の負の側面を決して忘れてはいません。忘れてはいませんがあえてそれを赦して、彼のポジティブな要素により重きをおいて評価をしている、とも考えられるのです。

閑話休題

ベルルスコーニ元首相が、極右とも規定されるメローニ政権内で国民のために成すことがあるとすれば、政権が反EUに走ろうとする際にこれを引き止めることです。

元首相はEU信奉者です。

メローニ氏は、逆に反EUを標榜してこれまで政治活動をしてきました。メローニ氏の立場は欧州の全ての極右勢力と同じです。

それはつまり、英国のBrexit首謀者やトランプ主義者と同じ穴のムジナ、ということでもあります。

保守主義者でプーチン大統領とも親しいベルルスコーニ氏が、我欲を捨ててEU結束のためにメローニ首相に諫言し立ちはだかるのかどうか、筆者はここからはより注意深く見守ろうと思います。


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パスタをスプーンで食う不穏、また愉快

カニスパゲティLivorno 650


先年、相手が音を立ててそばを食べるのが嫌、という理由で日本の有名人カップルの仲が破たんした、と東京の友人から連絡がありました。

友人は筆者がいつか「音を立ててスパゲティを食べるのは難しい」と冗談交じりに話したのを覚えていて、愉快になって電話をしてきたのです。

筆者も笑って彼の話を聞きましたが、実は少し考えさせられもしました。

スパゲティはフォークでくるくると巻き取って食べるのが普通です。巻き取って食べると3歳の子供でも音を立てません。

それがイタリアにおけるスパゲティの食べ方ですが、その形が別に法律で定められているわけではありません。

従って日本人がイタリアのレストランで、そばをすする要領でずるずると盛大に音を立ててスパゲティを食べても逮捕されることはない。

スパゲッティの食べ方にいちいちこだわるなんてつまらない。自由に、食べたいように食べればいい、と筆者は思います。

ただ一つだけ言っておくと、ずるずると音を立ててスパゲティを食べる者を、イタリア人もまた多くの外国人も心中で眉をひそめて見ています。あまり見栄えが良いとは言えません。

しかし分別ある大人はそんなことはおくびにも出しません。知らない人間にずけずけとマナー違反を言うのはマナー違反です。

また音を立ててスパゲティをすするほどではないかもしれませんが、右手にフォーク、左手にスプーン(あるいは左右逆の)姿でスパゲティを食べるのは、アメリカ式無粋だからやめた方がいい、という意見もあります。

フォークにからめたスパゲティをさらにスプーンで受けるのは、例えば湯呑みの下にコースターとか紅茶受け皿のソーサーなどを敷いて、それをさらに両手で支えてお茶を飲む、というぐらいに滑稽な所作です。

田舎者のアメリカ人が、スパゲティにフォークを差し立ててうまく巻き上げる仕草ができず、かと言って日本人がそばを食べるようにズルズルと盛大に音を立ててすすり上げることもできず、苦しまぎれに発明した食べ方。

それを「上品な身のこなし」と勘違いした世界中の権兵衛が、真似をし主張して広まったものです。本来の簡素で大らかで、それゆえ品もある食べ方とは違います。

上品のつもりで慎重になりすぎると物事は逆に下卑ることがあり、逆に素直に且つシンプルに振舞うのが粋、ということもあります。

スパゲティにフォークを軽く挿(お)し立てて、巻き上げて口に運ぶ身のこなしが後者の典型です。

というのは実は、数年前に亡くなったイタリア人の義母ロゼッタ・Pの受け売りです。義母は北イタリアの資産家の娘として生まれ、同地の貴族家に嫁しました。

義母は死の直前には残念ながら壊れてしまいましたが、それまでは物腰の全てが閑雅な人でした。義母に言わせると、イタリアで爆発的に人気の出たスイーツ「ティラミス」も俗悪な食べ物でした。

「ティラミス」はイタリア語で「Tira mi su! 」です。直訳すると「私を引き上げて!」となります。それはつまり、私をハイにして、というふうな蓮っ葉な意味合いにもなります。

義母にとってはこの命名が下品の極みでした。そのため彼女は「ティラミス」を食べることはおろか、その名を口にすることさえ忌み嫌いました。

筆者は義母のそういう感覚が好きでした。

彼女は着る物や持ち物や家の装飾や道具などにも高雅なセンスを持っていました。そんな義母がけなす「ティラミス」は、真にわい雑に見えました。

また、フォークですくったパスタをさらにスプーンで受けて食べる所作は、アメリカ的かどうかはともかく、大げさに言えば、法外で鈍重でしかも気取っているのが野暮ったい、という感じがしないでもありません。

そう感じるのは義母の影響もありますが、多くは子供でさえフォーク1本でうまくスパゲティをからめ取って食べる、イタリアの食卓を見慣れていることが関係しています。

その一方で筆者の目には、フォークにスプーンを加えて2刀流でスパゲティに挑む人々の姿は、剣豪宮本武蔵をも彷彿とさせて愉快、とも映ります。

発見や発明は多くの場合、保守派の目にはうっとうしく見え、新し物好きな人々の目には斬新・愉快に見えます。

そして筆者は、新し物好きだが保守的な傾向もなくはない、普通に中途半端な男です。




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「ちむどんどん」の微妙な大団円

魂よび650

NHKの朝ドラ「ちむどんどん」が終了した。大団円と形容しても良いフィナーレも相変わらず微妙だった。

だが、時間を一気に40年も飛ばした後で元に戻して終わる正真正銘の最後は、フィクション(ドラマ)の基本である時間経過の魔法を上手く使っていると感じた。

その一手だけでも、6ヶ月に渡った消化不良の一部がきれいさっぱり無くなった気がした。

結局、この長丁場のドラマの最大の欠陥は、これでもかとばかりに愚劣なエピソードを重ねた“にーにー”の存在だったこが明白になった。

多くの視聴者は、主人公の暢子のキャラクターにも好感を抱かなかったようだ。それが嵩じて役者自体の評判も悪くなっている風潮もあるらしい

主人公の暢子は料理にひたむきに取り組む一本気な女性として描かれる。彼女は料理に没頭するあまり、人情の機微に疎いKY(死語?)な女性であり続ける。

終盤では妹とその恋の相手が、衆目集まる前で感動の抱擁に至る直前、無謀にも2人の間に割って入って、恋人を押し退け妹を思い切り抱きしめることまでする。

多くの視聴者が「は?」と首を傾げた)に違いない演技は、役者ではなく演出のキテレツな感性が生み出したタワケだ。

演出は“暢子の愛すべきキャラクター”の一環としてそのシーンを描いている節がある。だが、そこだけに限らず、笑いを目指しているらしいエピソードの全てが空回りしている。

演出家にはユーモアのセンスがない。鈍感な暢子という視聴者の評判があるらしいが、そうではなくて演出が鈍感なのである。

断っておきたいが、僕は監督が誰なのか知らない。エンドクレジットも見ていない。彼(彼女)は明らかに能力のある演出家だ。全体の差配力も高い。何よりもNHKが演出を任せた監督だ。実力がない訳がない。

僕はドラマの演出も少し手がけた者として「ちむどんどん」を批判的に見ていて、脚色の不手際を指摘しつづけている。しかしそれはいわば細部の重大な欠点についてのもので、演出家の存在の全体を批判したいのではない。

完璧な演出家も完璧な演出もこの世には存在しない。それは「ちむどんどん」の場合も同じだ。僕は「ちむどんどん」の実力ある演出家の失点を敢えてあげつらって、ドラマの出来具合を検討してみたいだけなのである。

主人公の暢子のエピソードも人物像も、にーにーのそれも、つまるところ、前述のように演出家のユーモアのセンスの無さが生み出す齟齬、と僕の目には映る。

すべりまくるシーンのほとんどは、明らかに笑いを誘う目的で描かれている。だが一切うまく機能していない。

暢子の故郷である沖縄山原(やんばる)、東京、横浜市鶴見のシーンは割合に巧く描かれていると思う。だがしつこいようだが、主人公の暢子とその兄のにーにーの人物像とエピソードが辛い。

それはどちらも細部だ。しかし、物語の中核あたりにちりばめられた大きな細部であるため、結局ドラマ全体に深い影を落としてしまった。

視聴者の眉をひそめさせ、考えさせる優れたドラマの制作は難しい。多くのドラマがそこを目指して失敗する。

そして視聴者を笑わせるドラマを作るのは、もっとさらに至難だ。

さらに言えば、視聴者を笑わせ同時に考えさせるドラマは、天才だけが踏み込める領域だ。例えばチャップリンのように。

「ちむどんどん」は全体としては一定の水準を保つドラマながら、制作が非常に困難な笑いのシーンのほぼ全てでコケた、というのが僕の評価だ。

長帳場の朝ドラだから、資金力と能力のあるNHKとはいえ、安手のシーンや展開が頻繁に見られるのは仕方がない。

それらの瑕疵は以前にも言及したように、終わりが良ければ全て良しという雰囲気で仕舞いになるのが普通だ。「ちむどんどん」もそうだと言いたいが、やはり少し厳しい。

最終回の前日、重要キャラクターのひとりである歌子が昏睡(危篤?)状態になり、暢子に率いられた兄妹が、他人も巻き込んで海に向かって助けを求めて叫ぶシーンが放送された。

それは「理解不能だ」「もはやカルトだ」などとネット民の大ブーイングを呼んだらしい。だがネット民ではなくても、恐らく多くの視聴者が展開の唐突と場面の意味不明に驚いたのではないか。

何の説明も無く挿入された物語を僕は次のように解釈した。

あれはいわゆる「魂(たま)呼び」あるいは「魂呼ばい」の儀式である。死にかけている人の名を呼んで、肉体から去ろうとする魂を呼び戻し生き返らせようとする古俗の名残だ。

今のように科学が進んでいない時代の人々は、愛する者の死の合理的な意味が良くわからない分、恐らくわれわれよりもさらに強く死を恐れた。同時に奇跡も信じた。

恐れと祈りに満ちた強い純真な気持ちが、 魂(たま)呼びという悲痛な儀式を生んだ。そのやり方は地方によって違う。

井戸の底に向かって呼びかけたり、西に向かって叫んだり、屋根の上で号泣したりもする。井戸は黄泉の国につながっている。西方浄土は文字通り西にある。屋根に上れば西方への視界も開ける。

時代劇などで、人々が井戸の底に向かって死者や危篤者の名を呼ぶシーンを見たことがある読者も多いのではないか。井戸はあの世につながっているばかりではなく、底にある水が末期の水にも連動している。

沖縄の民間信仰では死後の理想郷は海のかなたにある。いわゆるニライカナイである。儀来河内とも彼岸浄土とも書く。それは神話の「根の国」と同一のものであり、ニライは「根の方」という意味である。

そこで沖縄の兄妹は、必死に海に向かって助けを求めて叫ぶのである。しかし呼ばれたのは病人の歌子の名前ではなく、死んだ父親の魂だ。

僕が知る限り沖縄には魂呼びの風習はない。だから危篤の歌子の名前ではなく、ニライカナイにいる亡き父の魂に呼びかけて助けを求めた、と解釈した。

だが兄妹が突然海に向かって叫ぶ場面の真の意味を、いったい何人の視聴者が理解していただろうか?極めて少数ではないか。もしかするとほぼゼロだったかもしれない。

ニライカナイという概念を知っている沖縄の視聴者でさえ首を傾げた可能性が高い。それほど唐突な印象のエピソードだった。

そんな具合にすっきりしないまま、ドラマは翌日の最終回を迎えて、歌子は元気に年齢を重ねて40年が過ぎた、という展開になる。

中途半端や荒唐無稽や独りよがりの多いドラマだったが、ニライカナイの概念と魂呼びの風習に掛けたらしい挿話を、突然ドラマの終わりに置いた意図も不明だ。

あのシーンはもっと早い段階で展開させたほうが、珍妙さが無くなって深みのあるストーリーになったと思う。

返す返すも残念な仕上がりだった。






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ゴダールは映画人のための映画屋だった  

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2022年9月13日、ジャン=リュック・ゴダール監督が亡くなったが、イタリアの総選挙、エリザベス女王国葬、安倍国葬などの重要行事が続いて執筆の優先順位が後回しになった。

映画史に残る、だが自分の中ではそれほど重要ではないスター監督の死は、仏・ヌーベルバーグという既に終わった一時代の墓標建立とも言える出来事だった。

そこで遅まきながらも、やはり少し言及しておくことにした。

僕は今、ゴダールは自分の中ではそれほど重要ではないスター監督、と言った。それは映画をあくまでも「娯楽芸術」と捉えた場合の彼の存在意義のことだ。

僕の個人的な規定は、言うまでもなく、ゴダールが映画史に燦然と輝く重要監督である事実を否定するものではない。

ゴダールはスイスでほう助による服毒自殺を遂げた。91歳の彼の死は予見可能なものだったが、スイスの自宅で安楽死を遂げたことは意外な出来事だった。

彼は自身の作品と同じように、最後まで予定調和を否定する仕方で逝きたかったのだろう。

僕は― 再び個人的な感想だが ― 映画監督としての彼よりも、その死に様により強く興味を引かれる、と告白しておきたい。

ジャン=リュック・ゴダールはいわば映像の論客だった。言葉を換えればゴダールは「映画人のための映画監督」だった。

映画の技術や文法や理論や論法に長けた者は、彼の常識破りの映画作法に驚き感心し呆気にとられ、時には和み心酔した。

映画人のための映画監督とは、インテリや映画専門家などに愛される監督、と言い換えることもできる。

要するに彼の映画は大衆受けはせず、映画のスペシャリスト、つまり映画オタクや映画愛好家、あるいは映画狂いなどとでも形容できる人々を熱狂させた。

そこには大衆はいなかった。「寅さん」や「スーパーマン」や「ジョーズ」や「ゴッドファーザー」や「7人の侍」等を愛する“大衆”は、ゴダールの客ではなかったのだ。

映画は映画人がそれを芸術一辺倒のコンセプトで塗り潰して、独りよがりの表現を続けたために衰退した。

言葉を換えれば、映画エリートによる映画エリートのための映画作りに没頭して、大衆を置き去りにしたことで映画は死に体になった。

それは映画の歴史を作ってきた日英独仏伊で特に顕著だった。その欺瞞から辛うじて距離を置くことができたのは、アメリカのハリウッドだけだった。

映画は一連の娯楽芸術が歩んできた、そして今も歩み続けている歴史の陥穽にすっぽりと落ち込んだ。

こういうことだ。

映画が初めて世に出たとき、世界の演劇人はそれをせせら笑った。安い下卑た娯楽で、芸術性は皆無と軽侮した。

だが間もなく映画はエンタメの世界を席巻し、その芸術性は高く評価された。

言葉を換えれば、大衆に熱狂的に受け入れられた。だが演劇人は、劇場こそ真の芸術の場と独りよがりに言い続け固執して、演劇も劇場も急速に衰退した。

やがてテレビが台頭した。映画人はかつての演劇人と同じ轍を踏んでテレビを見下し、我こそは芸術の牙城、と独り固執してエリート主義に走り、大衆から乖離して既述の如く死に体になった。

そして我が世の春を謳歌していた娯楽の王様テレビは、今やインターネットに脅かされて青息吐息の状況に追いやられようとしている。

それらの歴史の変遷は全て、娯楽芸術が大衆に受け入れられ、やがてそっぽを向かれて行く時間の流れの記録だ。

大衆受けを無視した映画を作り続けたゴダールは、そうした観点から見た場合、映画の衰退に最も多く加担した映画監督の一人とも言えるのだ。

大衆を軽侮し大衆を置き去りにする娯楽芸術は必ず衰退し死滅する。

大衆に理解できない娯楽芸術は芸術ではない。それは芸術あるいは創作という名の理論であり論考であり学問であり試論の類いである。つまり芸術ならぬ「ゲージュツ」なのだ。

ゴダールは天才的なゲージュツ家だった。

そしてゲージュツとは、くどいようだが、芸術を装った論文であり論述であり理屈であり理知である。それを理解するには知識や学問や知見や専門情報、またウンチクがいる。

だが喜び勇んで寅さんに会いに映画館に足を運ぶ大衆は、そんな重い首木など知らない。

彼らは映画を楽しみに映画館に行くのだ。映画を思考するためではない。大衆に受けるとは、作品の娯楽性、つまりここでは娯楽芸術性のバロメーターが高い、ということである。

それは同時に、映画の生命線である経済性に資することでもある。

映画制作には膨大な資金が要る。小説や絵画や作曲などとは違い、経済的な成功(ボックスオフィスの反映)がなければ存続できない芸術が映画だ。

興行的に成功することが映画存続の鍵である。そして興行的な成功とは大衆に愛されることである。その意味では売れない映画は、存在しない映画とほぼ同義語でさえある。

ゴダールの映画は大きな利益を挙げることはなかった。それでも彼は資金的には細々と、議論的には盛況を招く映画を作り続けた。だが映画産業全体の盛隆には少しも貢献しなかった。

片や彼と同時代のヌーベル・バーグの旗手フランソワ・トリュフォーは、優れた娯楽芸術家だった。彼は理屈ではなく、大衆が愛する映画を多く作った、僕に言わせれば真のアーティストだった。

トリュフォーは1984年に52歳の若さで死んでいなければ、ゴダールなど足元にも及ばない、大向こう受けする楽しい偉大な「娯楽芸術作品」 を、もっとさらに多く生み出していたのではないかと思う。

無礼な言い方をすれば、ゴダールには52歳で逝ってもらい、トリュフォーには91歳まで映画を作っていて欲しかった、と考えないでもない。

繰り返しになるが、ゴダールは映画人のための映画監督であり、トリュフォーは大衆のための名映画監督だった。


合掌





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安倍国葬はやはり間違いと証明された

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2022年9月26日から27日にかけて、イタリアの各放送局は、総選挙で大勝した極右政党「イタリアの同胞」と、次期首相就任が濃厚な同党のジョルジャ・メローニ党首にスポットを当てた報道を繰り返した。

イタリア初の女性首相の誕生は喜ばしいことだが、彼女が極右を通り越してファシストの心まで持つ人物とあっては、「めでたさも中くらい」どころか最悪の気分である。

だがファシスト政権は現代イタリアでは生き延びることはできない。従って彼女の政権は必ず中道寄りに軌道修正することを余儀なくされる。メローニ氏の言動には既にその兆候が見える。

そうではあるものの、ファシストの流れを汲むメローニ首相率いるイタリア共和国政府なんて、できれば目にしたくはない、というのがやはり正直な気持ちだ。

そんな折、安倍元首相の国葬の模様が衛星日本語放送を介して流れた。思わず気を引かれて見入った。見るうちにイタリアの選挙結果がもたらしていた重い気分が晴れた。

いや、重い気分が晴れたわけではない。安倍元首相の国葬儀を見進めるうちに、絶望的な感覚が身いっぱいに広がって、イタリア政局への怒りがどこかに吹き飛んでしまったというのが真実だ。

葬儀委員長と称する岸田首相の、独善的で恥知らずで不遜な追悼の辞に驚いた。また安倍元首相のポチ、菅前首相のうんざりするほど長い、空疎で笑止な“友人代表ラブレター”にも苦笑させられた。

数だけはやたらと多い出席者と、式次第と、儀式の中味の空しさに呆然とした。

先日のエリザベス女王の国葬と比べるのは詮無いことと知りつつ、それでも比べてしまう自分がいた。比べると心が寒々と萎えた。

目を覆いたくなるほど浅薄でうつろなセレモニーが続いた。虚栄心満載の無意味な式辞も、えんえんと繰り返される。

世論調査に慎重なNHKを含む報道各社が、「6割以上の国民が反対」と報告する国葬を岸田政権が強行したのは、ネオファシストと呼ばれることさえあるここイタリアの前述の次期首相、ジョルジャ・メローニ氏も真っ青の独断専行ぶりだ。

閣議決定だけで国事を進めることができるなら国会は要らない。それはつまり民主主義など要らないということと同じだ。

独自の思案を持たず、他派閥の顔色を伺うばかりに見える優柔不断な岸田首相の身内には、恐るべき独裁者気質が秘匿されているようだ。

6割の国民が反対し、例えば1割の国民が意見を持たないとするならば、残り3割の国民が国葬に賛成していることになる。その事実は尊重されるべきだ。

同時に6割の国民の思いも必ず尊重されなければならない。

だが岸田ご都合主義政権は、そのことを完全に無視している。3割のみを敬重し、少なくとも6割の国民を侮辱している。

葬送の儀は、どう考えても国葬ではない式典であるべきだったのだ。3割の国民と、安倍氏に心酔する自民党議員のみで合同葬を行っていれば、何も問題はなかった。

考えたくもないことだが、しかし、熱しやすく冷めやすくしかも忘れっぽい日本国民は、のど元を過ぎればこの無残な国葬騒ぎでさえ忘れがちになることだろう。

だが今回ばかりは断じて忘れてはならない。反民主主義どころか、イタリアの次期政権を上回るファシズム体質とさえ規定できそうな、岸田右顧左眄政権を野放しにしてもならない。

日本の民主主義は真に危機に瀕している。民主主義を理解しない勢力が権力を握っているからだ。

岸田政権に比べれば、欧州の、ひいては民主主義世界全体の懸念を一身に集めている、ここイタリアの次期政権、極右のジョルジャ・メローニ政権でさえ可愛く見える。

イタリアでは民主主義の本則がはきちんと機能していて、極右政権といえども議会を無視して国事を行うことは絶対にできない。それをやれば選挙で確実に権力の座から引き摺り下ろされる。

民主主義制度の自浄作用が働いて、ここイタリアでは政権交代があっさりと、当たり前に起こるのだ。

それに比べると、岸田政権のような横暴な権力が幅を利かせている日本の民主主義の土壌は、全くもってお寒い限り、と言わざるを得ない。













右でも左でも中庸を目指せば終わりは必ず良しだ


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イタリア総選挙は大方の予想通り右派連合が勝利した。

中でも極右の「イタリアの同胞」が躍進。

同党のジョルジャ・メローニ党首がイタリア初の女性首相になる公算が一層高まった。

メローニ氏はネオ・ファシストの心を持っている。だが、それを顔には出さない努力を続けてきた。彼女が選挙に勝ったのはその努力のおかげ、という一面もある。

だがむろんそれよりも、イタリア国民の多くが、彼女の主張に共感を持ったことが最大の勝因であるのは、言うまでもない。

連立とはいえ、ついに極右政党が政権を握る事態に欧州は驚愕している、と言いたいところだが現実は違う。

欧州は警戒心を強めながらもイタリアの状況を静観している、というのが真実だ。

しかも、メローニ政権は、少しの反抗を繰り返しながらも、基本的にはEU(欧州連合)と協調路線を取る、との読みがあるように思う。

近年、欧州には極右政党が多く台頭した。それは米トランプ政権や英国のBrexitEU離脱)勢力などに通底した潮流である。

フランスの国民連合、イタリアの同盟、スペインのVOXほかの極右勢力が躍進して、EUは強い懸念を抱き続けてきた。

極右興隆の連鎖は、ついにドイツにまで及んだ。

ドイツでは2017年、極右の「ドイツのための選択肢」が総選挙で躍進して、初めての国政進出ながら94議席もの勢力になった。

それはEUを最も不安にした。ナチズムの亡霊を徹底封印してきたドイツには、極右の隆盛はあり得ないと考えられてきたからだ。時代の変化はそこで明々白々になった。

それらの極右勢力は、決まって反EU主義を旗印にしている。EUの危機感は日増しに募った。

そしてついに2018年、極右の同盟と極左の五つ星運動の連立政権がイタリアに誕生した。ポピュリストの両党はいずれも強いEU懐疑派である。

英国のBrexit騒動に揺れるEUに過去最大級の激震が走った。

だが極右と極左が野合した政権は、反EU的な政策を掲げつつもEUからの離脱はおろか、決定的な反目を招く動きにも出なかった。

そこには、イタリア社会独特の多様性の力が働いている。

多様性が政治の極端化を妨げるのだ。

何はともあれ、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張が国の行く末を決定付けることにはならない、ということをイタリアの例は示した。

今回のイタリアの同胞が主導する右派政権もおそらく同じ運命を辿るだろう。

“ファシスト党の流れを汲む極右政党イタリアの同胞”というおどろおどろしい響きの勢力は、強い右寄りの政策を導入することは間違いないだろうが、過去のァシズムの闇に引きずり込まれることはあり得ない。

極右勢力に特有の暴力的な空気は充満するだろうが、政権がファシズムに陥らない限り彼らの存在は民主主義の枠組みの中に留まる。

僕は彼らを支持しないが、民主主義国の正当な選挙によって民意を得た彼らが政権を樹立することは、言うまでもなく認める。

2018年、極左の五つ星運動が総選挙で議会第1党になった時、僕は愕然とした。彼らの主導で政権が船出した時は、ついにイタリアの地獄が始まると思った。

それでも、民主主義の手続きを踏んでイタリア国民に選出された彼らの政権樹立に異論はなかった。むしろ民意の負託を得た以上それは必ず認められるべき、と考えそう主長した。

今回はイタリアの同胞が五つ星運動に取って変わった。五つ星運動で“さえ”政権を担った。当然イタリアの同胞“にも”その権利がある。

極左の五つ星運動と、極右のイタリアの同胞の間に何の違いがあるの?彼らは双方ともに政治的過激派で、ポピュリストという同じ穴のムジナに過ぎないぜ、というのが僕の正直な思いだ。

多様性が息づくイタリアには極論者も多いが、その多様性自体が極論者をまともな方向に導く、という持論を僕は今回も変える気はない。

極右でも極左でも、中庸を目指して進んでくれれば終わりは必ず良し、というふうに思いたいのである。

そうしなければ政権は与党内の争いで空中分解する。あるいは次の選挙で必ず政権の座から引きずり下ろされる。

例えば日本とは違ってイタリアには、民主主義の根幹の一つである政権交代の自浄作用が十分以上に備わっている。

その意味でも極左、極右、なにするものぞ、というところなのである。



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絵空事の真実と虚無~国葬の意義、君主の価値

道路ユニオンジャック翻る

2022年9月19日、イタリア時間午前11時55分頃、習慣で定時のBBCニュースをチェックしようと衛星放送をONにした。

するとエリザベス女王の葬儀の模様が目に飛び込んできた。

スペクタクルな絵の連続と荘厳な雰囲気にぐいと惹きつけられた。

イタリア公共放送RAINHKEURONEWSAlJazeeraCNNと次々にチャンネルを変えてみた。全ての局が生中継で儀式の様子を伝えていた。

このうちNHKの7時のニュースは、冒頭の数分間のみの生中継で別ニュースに変わった。

BBCに戻り、腰を落ち着けて観始めた。

BBCの生中継は、その後えんえんと6時間も続いた。

RAIは見事な同時通訳付きでBBCの放送を同じく最後まで中継した。

EURONEWSも全体を生放送で伝え続けた。CNNAljazeerahaはその後は確認しなかったが、おそらく同じ状況だったと思う。

エリザベス女王がいかに英国民と英連邦の住民に敬愛されていたかが分かる式典だった。

彼らの思いは全世界の人々に伝播し、感動が感動を呼んだ。世界中の放送局が熱く報道し続けたのがその証拠である。

式典にはまた、イギリスが国の威信をかけて取り組んだ跡がまざまざと刻印されていた。

エリザベス女王の死去を受けてすぐに行われた一般弔問から、遺体が埋葬されるウインザー城まで展開された壮大な葬儀式は、10年以上も前から周到に準備され、繰り返しシミュレーションされ訓練され続けてきたものである。

軍隊が式典の核を占めているからこそ完成できた大きな物語だと思う。

そこには大英帝国時代からのイギリスの誇りに加えて、Brexit(英国のEU離脱)の負の遺産を徹底して抑える意図などが絡んでいる。

むろん70年という異例の長さで英国を支え、奉仕し、国民に愛された巨大な君主を葬送する、という単純明快な意味合いもあった。

運も英国と女王に味方した。つまりコロナパンデミックが収まった時期に女王は逝去した。

だから英国政府は式典に集中することができ、英国のみならず世界中の膨大な数の人々がそれに参画した。

式典の終わりに近い時間には、偶然にも米バイデン大統領が「アメリカのコロナパンデミックは終息した」と正式に述べた。

僕は式典の壮大と、BBCの番組構成の巧みと、歴史の綾を思い、連想し、感慨に耽りながら、ついにウインザー城内での最後の典礼まで付き合ってしまった。

強く思い続けたのは、間もなく行われるであろう安倍元首相の国葬である。

エリザベス女王の無私の行為の数々と崇高で巨大な足跡に比べると、恥ずかしいほどに卑小で、我欲にまみれた一介の政治家を国葬にするなど論外だと改めて思う。

自民党内の権力争いの顕現に過ぎない賎劣な思惑で、国葬開催に突き進む岸田政権は、もはやプチ・ファシズム政権と形容してもいい。

今からでも国葬を中止にすれば、岸田首相は自らを救い、日本国の恥も避けることができるのに、と慨嘆するばかりだ。

いまこの時の日本に国葬に値する人物がいるとすれば、それは上皇明仁、平成の天皇以外にはない。

平成の天皇は世界的に見れば、かつての大英帝国の且つ第2次大戦の戦勝国である英国君主の、エリザベス女王ほどの重みを持たない。

だが平成の天皇は、戦前、戦中における日本の過ちを直視し、自らの良心と倫理観に従って事あるごとに謝罪と反省の心を示し、戦場を訪問してひたすら頭を垂れ続けた。

その真摯と誠心は人々を感服させ、日本に怨みを抱く人心を鎮めた。そしてその様子を見守る世界の人々の心にも、静かな感動と安寧をもたらした。

平成の天皇は、その意味でエリザベス女王を上回る功績を残したとさえ僕は考える。なぜならエリザベス女王は、英国の過去の誤謬と暴虐については、ついに一言も謝罪しなかった。

英国による長い過酷な統治は、かつての同国の植民地の人々を苦しめた。むろんエリザベス女王は直接には植民地獲得に関わっていない。だが英国の君主である以上、彼女は同国の責任から無縁ではありえない。

エリザベス女王は、人として明らかに平成の天皇に酷似した誠心と寛容と徳心に満ちた人格だった。

だが彼女は、第2時世界大戦によってナチズムとファシズムと日本軍国主義を殲滅した連合国の主導者、英国の君主でもあった。

彼女には第2次大戦について謝罪をする理由も、意志も、またその必要もなかった。むしろ専制主義国連合を打ち砕いた英国の行為は誇るべきものだった。

その現実は過去の植民地経営の悪を見えなくする効果があった。だから女王はそのことについて一言の謝罪もしなかった。その態度は世界の大部分にほぼ無条件に受け入れられた。

だが、英国に侵略され植民地となった多くの国々の人々の中には、女王は謝罪するべきだったと考える者も少なくない。彼らの思いは将来も生き続ける。

その意味では、過去の過ちを謝罪し続ける平成の天皇は、エリザベス女王の上を行く徳に満ちた人格とさえ言えると思う。

岸田政権は姑息な歴史修正主義者の国葬に時間を潰すのではなく、世界にも誇れるそして世界も納得するに違いない、上皇明仁の国葬のシミュレーションをこそ始めるべきだ。

英国政府が10余年も前からエリザベス女王の国葬の準備を進めていたように。



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エリザベス女王の闇と平成の天皇の真実

平成天皇とエリザベス女王564

亡くなったエリザベス女王を称える声が世界中にあふれている。

中には彼女をほぼ現人神と見なすらしく、天皇に捧げる言葉である“崩御”を用いて死を語るケースさえある。

そうするのはむろん日本人である。君主の死を特別扱いにして言葉まで変えるのは、外務省の慣例を含めて日本語以外にはありえない。

エリザベス女王は現人神ではなく人間である。人間の中で優れた人格の人だったから、世界中で賞賛の声が沸き起こっているのである。

天皇に象徴されるお上の死を別格と捉えて、無条件に平伏して称える日本人に特有の精神作用によっているのではない。

英国には反王室派の人々もいる。エリザベス女王はその反王室派の一部にさえ敬愛された。そのことが既に彼女の人柄を語って余りあると思う。

エリザベス女王は1952年、父親で国王のジョージ6世の死去を受けて25歳の若さで即位した。当時の英首相はあのウィンストン・チャーチル。

彼女はその後、70年の在位中に14人の首相を任命し、チャーチルを含む15人の宰相と仕事を共にした。その間は慎重に政治的中立の立場を守り続けたのは言うまでもない

女王の在位中には旧植民地の国々の多くが独立。イギリスの領土は大幅に縮小した。

同時に王室はさまざまなスキャンダルに見舞われた。だが女王は見事な手腕で危機を乗り越え、名君とみなされた。

僕は昨年、女王の夫であるエディンバラ公爵フィリップ殿下の死去に際して次のように書いた。

英国王室の存在意義の一つは、それが観光の目玉だから、という正鵠を射た説がある。世界の注目を集め、実際に世界中から観光客を呼び込むほどの魅力を持つ英王室は、いわばイギリスのディズニーランドだ。
おとぎの国には女王を含めて多くの人気キャラクターがいて、そこで起こる出来事は世界のトピックになる。むろんメンバーの死も例外ではない。エディンバラ公フィリップ殿下の死がそうであるように。
最大のスターである女王は妻であり母であり祖母であり曾祖母である。彼女は4人の子供のうち3人が離婚する悲しみを経験し、元嫁のダイアナ妃の壮絶な死に目にも遭った。ごく最近では孫のハリー王子の妻、メーガン妃の王室批判にもさらされた。
英王室は明と暗の錯綜したさまざまな話題を提供して、イギリスのみならず世界の関心をひきつける。朗報やスキャンダルの主役はほとんどの場合若い王室メンバーとその周辺の人々だ。だが醜聞の骨を拾うのはほぼ決まって女王だ。
そして彼女はおおむね常にうまく責任を果たす。時には毎年末のクリスマス演説で一年の全ての不始末をチャラにしてしまう芸当も見せる。たとえば1992年の有名なAnnus horribilis(恐ろしい一年)演説がその典型だ。
92年には女王の住居ウインザー城の火事のほかに、次男のアンドルー王子が妻と別居。娘のアン王女が離婚。ダイアナ妃による夫チャールズ皇太子の不倫暴露本の出版。嫁のサラ・ファーガソンのトップレス写真流出。また年末にはチャールズ皇太子とダイアナ妃の別居も明らかになった。
女王はそれらの醜聞や不幸話を「Annus horribilis」、と知る人ぞ知るラテン語に乗せてエレガントに語り、それは一般に拡散して人々が全てを水に流す素地を作った。女王はそうやって見事に危機を乗り切った。
女王は政治言語や帝王学に基づく原理原則の所為に長けていて、先に触れたように沈黙にも近いわずかな言葉で語り、説明し、遠まわしに許しを請うなどして、危機を回避してきた。
英王室の人気の秘密のひとつだ。
危機を脱する彼女の手法はいつも直截で且つ巧妙である。女王が英王室が存続するのに必要な国民の支持を取り付け続けることができたのは、その卓越した政治手腕に拠るところが大きい。
女王の潔癖と誠実な人柄は―個人的な感想だが―明仁上皇を彷彿とさせる。女王と平成の明仁天皇は、それぞれが国民に慕われる「人格」を有することによって愛され、信頼され、結果うまく統治した。
両国の次代の統治者がそうなるかどうかは、彼らの「人格」とその顕現のたたずまい次第であるのはいうまでもない。

自国民の大多数に愛され、世界の人々にも敬仰されたエリザベス女王を憎む人々もいる。一部の英国人とかつてイギリスに侵略され植民地にされた多くの国々の国民である。

エリザベス女王は英国の植民地主義には関わらなかった。また憲法上、君主は象徴に過ぎない。従ってエリザベス女王に植民地搾取の責任はなかった、という主張もできる。

だが彼女の地位は植民地主義で潤った英国の過去と深く結びついている。反王室派や元植民地の人々は、そのことを理由に女王に強く反発した。彼らにとって女王は抑圧の象徴でもあったのだ。

それは理解できることである。帝国主義時代を経た英国の君主である以上、例え彼女自身は直接植民地経営に携わっていなくても、国の責任から無縁でいることはできない。

エリザベス女王は恐らくそのことを熟知していた。だが彼女は過去について謝ることはほとんどなかった。女王が謝罪しなかったのは、英国が第2次大戦の戦勝国になったたことが大きい。

英国は連合国を主導して、日独伊という独裁国家群の悪を殲滅した。それでなければ世界は、今この時もナチズムとファシズムと軍国主義に支配された暗黒の歴史を刻んでいた可能性が高い。

戦勝国である英国は、ドイツ、イタリア、日本などとは違って、第2次大戦に於ける彼らの行為を謝る理由も、意志も、またその必要もなかった。

謝るどころか、専制主義国連合を打ち砕いた英国の行為はむしろ誇るべきものだった。その事実には、過去の植民地経営の不都合を見えにくくする効果もあった。

そうやってエリザベス女王は、第2次大戦のみならずそれ以前の植民地主義についても謝罪をしなくなった。そして世界の大部分はほぼ無条件に女王のその態度を受け入れた。

だが、英国に侵略され植民地となった前述の国々の人々の中には、女王は謝罪するべきだったと考える者も少なくない。彼らの鬱屈と怨みは将来も生き続けることになる。

片や敗戦国日本の君主である平成の天皇は、歴史に鑑みての義務感と倫理また罪悪感から、日本が戦時に犯した罪を償うべきと考えそのように行動した。

平成の天皇は、戦前、戦中における日本の過ちを直視し、自らの良心と倫理観に従って事あるごとに謝罪と反省の心を示し、戦場を訪問してひたすら頭を垂れ続けた。

その真摯と誠心は人々を感服させ、日本に怨みを抱く人心を鎮めた。そしてその様子を見守る世界の人々の心にも、静かな感動と安寧をもたらした。

同時に平成の天皇の行為と哲学は、過去の誤謬を知らずにいた多くの日本人の中にも道徳心を植えつけ良心を覚醒させた。

平成の天皇は、その意味でエリザベス女王を上回る功績を残したとさえ僕は考える。

エリザベス女王は植民地主義の負の遺産という闇を抱えたまま死去した。

平成の天皇は、日本の誠心を世界に示して薄明を点し、その上で退位した。

日本は平成の天皇が点した薄明を守り大きな明かりへと成長させなければならない。

象徴である天皇が政治に関わらない、というのは建前であり原則論である。天皇はそこにある限り常に政治的存在である。

政治家がそれを政治的に利用するという意味でも、また天皇が好むと好まざるにかかわらず、政治の衣をがんじがらめに着装させられているという意味でも。

天皇は政治に口を出してはならないが、口を出してはならないという建前も含めた彼の存在が、全き政治的存在である。

令和の天皇はそのことを常に意識して行動し発言をすることが望まれる。退位した平成の天皇、明仁上皇がそうであったように。

それはエリザベス女王の治世を引き継いだ英チャールズ国王が、旧植民地の人々に対する謝罪も視野に入れた抜本的なアクションを取るのかどうか、と同じ程度の重要課題である。





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