【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

燃える欧州、渇くイタリア

半枯れトウモロコシ

欧州はことしは6月から熱波に見舞われた。

フランス、スペイン、ポルトガルなどでは記録的な猛暑が続き、山火事が相次いだ。それは昨年のイタリア南部の状況によく似ていた。

昨年、イタリアでは熱波で気温が上がり、シチリア島ではヨーロッパで過去最高となる48、8℃が観測された。それに合わせて山火事も頻発した。

ことしのイタリアは北部で干ばつが起きた。冬の間もその後もほとんど雨が降らず、川や湖が干上がって農業用水が確保できなくなった。

イタリア最強の大河ポーでさえ至るところで枯渇し、そこを灌漑のよすがにする広大な農業地帯の作物が枯れた。イタリア以外の欧州の国々の多くも同じような被害を被っている。

そんな中、さらなる驚きがやってきた。北国のイギリスで7月、気温がついに40℃を超えたのだ。それは昨年、イタリア南部で気温が48、8℃まで上がった時と同じくらいの大きなニュースになった。

北イタリアの干ばつは8月の雨で一部解消された。だが雨は各地で集中豪雨となり、それ自体が被害をもたらした。まさに異常気象である。

世界の気温は産業革命を機に約1、1度上昇してきた。

増加幅は年々大きくなって、1970年から現在までの気温は過去2000年間でも例のない異様な速度で上がっているとされる。

COP(気候変動枠組条約締約国会議) では、今後の世界の気温上昇を、1、5度までに抑える目標が立てられた。だが、各国の欲と思惑と術数が複雑にからんで達成は難しそうだ。

パリ協定を離脱した政治的放火魔トランプ前大統領や独裁者のプーチン大統領、ラスボス習近平主席、また彼らに追随する世界中の多くの唯我独尊指導者らが幅を利かせる限り、地球はますます熱を帯びて耐えがたくなっていくのではないか。

異常気象が続けばそれが当たり前になってもはや異常とは呼べない。

僕らはもしかすると異常が通常になって、通常が異常になる過程を生きているのかもしれない。

だが、もっとよく考えてみると、気象の異常とはつまり支離滅裂ということだから、やはりそれを尋常とは規定できないだろう。

異常気象はどこまで行っても異常気象なのだ。

ただわれわれ人間も動物も植物も、要するに自然の全てが、きっと異常気象に順応していく。

むろんある程度の犠牲や、混乱や、痛みはあるだろう。でも異常気象に慣れてなんとか生き延びるのだ。歴史はいつもそうやって作られてきた。

幸いなことに人も自然も世界も、しぶとい。

・・という見方が正しかった、と将来われわれが確認できるようなら万々歳だ。

しかし、そうはならない最悪の事態がやって来る可能性も高い。

だからやっぱり今、異常を正常に戻す努力を懸命にしたほうがいい。




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仙人は風邪をひかない

custode isola budelli mauro morandi顔UP

2021年4月、イタリアの離島で32年間独り暮らしをしていた男が島から転出する、というニュースが注目を集めた。

その男とは当時81歳のマウロ・モランディさん。1989年、イタリアの島嶼州サルデーニャのブデッリ島に移り住んだ。

以来、島のたった1人の住人として生きてきたが、島を管轄するマッダレーナ諸島国立公園の要請で離島することになった。

孤独な男のエピソードは国内のみならず世界の関心を呼び、英国のBBCなどは“イタリアのロビンクルーソー”として彼のこれまでの生き様を詳しく伝えたりした。

モランディさんは人間が嫌いで自然が好き。それが嵩じて、文明から離れて南太平洋のポリネシアの孤島に移り住もうと考えた。

彼は友人とともに航海に出て、サルデーニャ島の北東部にあるマッダレーナ諸島に着いた。そこで働いてポリネシアまで航海を続けるための資金を作ると決めたのだった。

だがブデッリ島を訪ねた際、島の管理人が退職することを知って、そこに移り住むことを決意。以来32年が過ぎた。

モランディさんはインタビューに答えて、32年間健康で風邪一つひかなかったと強調した。

僕はその言葉に強い印象を受けた。

人間は孤独なら風邪をひかない、という真実を確認できたからだ。

コロナパンデミックが起きて以来、僕はインフルエンザにもかからず風邪もひかなくなった。

同居している妻以外の人間とは全くと言っていいほど接触しなかったからだ。

僕は風邪やインフルエンザに愛されていて、それらの流行期にはほぼ必ず罹患する。特にインフルエンザには弱く、しかもかかると高熱が出る。

若いころに横隔膜を傷めていて、それが原因で高熱が出ると医者には言われた。医者は毎年インフルエンザワクチンを打つように勧めた。

僕は懐疑的だった。ワクチンは自然に逆らっているようで危険ではないか、と思い医者にそう伝えた。

彼は即座に言った:

あなたの場合、インフルエンザにかかる度に高熱を出して寝込むことの方がワクチンよりずっと危険です。

目からうろこが落ちた。ワクチンへの僕の信頼はそこから始まった。20年以上前の話だ。

以来、毎年冬の始めにインフルエンザワクチンを打つ。それでもインフルエンザにかかることがある。だが、以前のように高熱が出ることはなくなった。

ワクチンを打っていてもインフルエンザにかかるのは、外に出て他者と接触するからである。あるいは自家に人が訪ねてくるからである。

その証拠に同居人以外にはほとんど会わなかった2020年~2021年の間、前述のように僕全く風邪ひかずインフルエンザにもかからなかった。

独り孤島に生きていマウロ・モランディさんは、風邪をひきたくてもインフルエンザにかかりたくても、ウイルスを運び来る他者がいないため罹患することはなかったのだ。

僕はコロナ感染を避けるために人との接触を絶っていた頃の自分の暮らしを振り返って、“人は孤独ならインフルエンザはおろか風邪さえひかない”としみじみ思うのである。

2020年以降はインフルエンザワクチンと並行してコロナワクチンも接種している。

コロナワクチンを3回接種し4回目を待っていることし(2022年)の春からは、ほぼ普通に外出をし人とも当たり前に会っている。

これまでのところ、コロナはおろかインフルエンザにもかかっていない。だが人との接触が増えた今は、先のことはわからない。



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イタリア・シエナの広場を疾駆する美しき裸馬たち

正面躍動Ⅱ650

コロナ禍で中止されていたイタリア・シエナのパリオが復活しました。

シエナはフィレンツェから70キロほど南にある中世の美しい街。パリオは街の中心の広場で開催される伝統競馬です。

街を構成する「コントラーダ」と呼ばれる17の町内会のうち、くじ引きで選ばれた10の町内会の馬が競い合います。

パリオは毎年7月と8月の2回行われます。8月16日が今年2度目のパリオの日でしたが、悪天候のために一日順延されました。

パリオはずっと存続の危機にさらされてきました。動物愛護者や緑の党などの支持者が、競走馬の扱いを動物虐待と見なして祭りの廃止を主張するのです。

そこにコロナパンデミックがやって来て2年間中止されました。多くの人が祭りの行く末を憂慮しましたが、ことし7月に祭りが再開されました。

パリオは街の中心にある石畳のカンポ広場を馬場にして、10頭の裸馬が全速力で駆け抜けるすさまじい競技です。

なぜすさまじいのかというと、レースが行なわれるカンポ広場が本来競馬などとはまったく関係のない、人間が人間のためだけに創造した、都市空間の最高傑作と言っても良い場所だからです。

カ ンポ広場は、イタリアでも1、2を争う美観を持つとたたえられています。1000年近い歴史を持つその広場は、都市国家として繁栄したシエナの歴史と文化の 象徴として、常にもてはやされてきました。シエナが独立国家としての使命を終えて以降は、イタリア共和国を代表する文化遺産の一つとしてますます高い評価 を受けるようになりました。

パ リオで走る10頭の荒馬は、カンポ広場の平穏と洗練を蹂躙しようとでもするかのように狂奔すます。狂奔して広場の急カーブを曲がり 切れずに壁に激突したり、狭いコースからはじき出されて広場の石柱に叩きつけられたり、混雑の中でぶつかり合って転倒したりします。負傷したり時には死ぬ馬も出ます。

カンポ広場を3周するパリオの所要時間は、1分10秒からせいぜい1分20秒程度。熾烈で劇的でエキサイティングな勝負が展開されます。しかし、それにも増して激烈なのが、このイベントにかけるシエナの人々の情熱とエネルギーです。それぞれが4日間つづく7月と8月のパリオの期間中、人々は文字通り寝食を忘れて祭りに没頭します。

シエナで広場を疾駆する現在の形のパリオが始まったのは1644年です。しかしその起源はもっと古く、牛を使ったパリオや直線コースの道路を走るパリオなどが、13世紀の半ば頃から行なわれていたとされます。もっと古いという説もあります。

パリオでは優勝することだけが名誉です。2位以下は全く何の意味も持たず一様に「敗退」として片づけられます。従ってパリオに出場する10の町内会「コントラーダ」は、ひたすら優勝を目指して戦う・・・と言いたいところですが、実は違います。

それぞれの町内会「コントラーダ」にはかならず天敵とも言うべき相手があって、各「コントラーダ」はその天敵の勝ちをはばむために、自らが優勝するのに使うエネルギー以上のものを注ぎこみます。

天敵のコントラーダ同志の争いや憎しみ合いや駆け引きの様子は、部外者にはほとんど理解ができないほどに直截で露骨で、かつ真摯そのものです。天敵同志のこの徹底した憎しみ合いが、シエナのパリオを面白くする最も大きな要因になっています。

パリ オの期間中のシエナは、敵対するコントラーダ同志の誹謗中傷合戦はもとより、殴り合いのケンカまで起こります。毎年7月と8月の2回、それぞれ4日間に渡って人々はお互いにそうすることを許し合っています。そこで日頃の欲求不満や怒りを爆発させるからなのでしょう、シエナはイタリアで最も犯罪の少ない街とさえ言われています。

長い歴史を持つパリオは、2011年7月のパリオに出走した馬の1頭が、広場の壁に激突して死んで以来、恒常的に存続の危機にさらされています。動物愛護者や緑の党の支持者などが、馬の虐待だと決めつけて祭りの廃止を叫ぶのです。実 はそのこと自体は目新しいものではなく、パリオを動物虐待だとして糾弾する人々はかなり以前からいました。

2011年の場合は事情が違いました。当時ベルルスコーニ内閣の観光大臣だったミケーラ・ブランビッラ女史が、声を張り上げて反パリオ運動を主導したのです。動物愛護家で菜食主義者の大臣は、かねてからシエナのパリオを敵視してきました。事故を機に彼女はパリオの廃止を強く主張し、その流れは今も続いています。

筆者はかつてこのパリオを題材に一時間半に及ぶ長丁場のドキュメンタリーを制作しました。6~7年にも渡るリサーチ準備期間と、半年近い撮影期間を費やしました。NHKで放送された番組は幸いうまく行って高い評価もいただきました。筆者は今もパリオに関心を持ち続け、番組終了後の通例で、撮影をはじめとする全ての制作期間中に出会ったシエナの人々とも連絡を取り合います。

その経験から言いたいことがあります。

パリオで出走馬が負傷したり、時には死んだりする事故が起こるのは事実です。しかしシエナの人々を動物虐待者と呼ぶのは当たらないのではないかと思います。なぜなら馬のケガや死を誰よりも悼(いた)んで泣くのは、まさにシエナの民衆にほかならないからです。街の人々は馬を深く愛し、親しみ、苦楽を共にして何世紀にも渡って祭りを盛り上げてきました。

彼らは馬を守る努力も絶えず続けています。石畳の広場という危険な馬場に適合した馬だけを選出し、獣医の厳しい監査を導入し、馬場の急カーブにマットレスを敷き詰め、最終的には激しい走りをするサラブレッドをパリオの出走馬から外すなど、など。それでも残念ながら事故は絶えません。

しかし、だからと言って歴史遺産以外のなにものでもない伝統の祭りを、馬の事故死という表面事象だけを見て葬り去ろうするのは、あまりにも独善的に過ぎるのではないでしょうか。今日も世界中の競馬場で馬はケガをし、死ぬこともあります。それも全て動物虐待なのでしょうか?

最後に不思議なことに、ブランビッラ元大臣を含むパリオの動物虐待を指摘する人々は、馬に乗る騎手の命の危険性については一切言及しません。また筆者が知る限り、元大臣を含む多くの反パリオ活動家の皆さんは、パリオ開催中のシエナの街に入ったことがない。つまり彼らは、パリオについては、馬の事故死以外は何も知らないように見えます。

そのことに違和感を覚えるのは筆者だけでしょうか?



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8月15日の兵士葬送曲~歴史修正主義者はまた必ず若者を壊す


東条込み世界指導者650

戦後総括の欠落

先の大戦で多くの若い兵士を壊して、戦場で悪魔に仕立て上げた国家権力の内訳は、先ず昭和天皇であり、軍部でありそれを支える全ての国家機関だった。

兵士の悪の根源は天皇とその周辺に巣食う権力機構だったのである

彼らは、天皇を神と崇める古代精神の虜だった未熟な国民を、情報統制と恐怖政治で化かして、縛り上げ、ついには破壊した。

それらの事実敗戦によって白日の下にさらされ、勝者の連合国側は彼らを処罰した。だが天皇は処罰されず多くの戦犯も難を逃れた。

そして最も重大な瑕疵は、日本国家とその主権者である国民が、大戦までの歴史と大戦そのものを、とことんまで総括する作業を怠ったことだ。

それが理由の一つになって、たとえば銃撃されて先日亡くなった安倍元首相のような歴史修正主義者が跋扈する社会が誕生した。


分断

彼らは軍国主義日本が近隣諸国や世界に対して振るった暴力を認めず、従ってそのことを謝罪もしない。あるいは口先だけの謝罪をして心中でペロリと舌を出している。

そのことを知っている世界の人々は「謝れ」と日本に迫る。良識ある日本人も、謝らない国や同胞に「謝れ」と怒る

すると謝らない人々、つまり歴史修正主義者や民族主義者、またネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者らが即座に反論する。

曰く、もう何度も謝った。曰く、謝ればまた金を要求される。曰く、反日の自虐史観だ。曰く、当時は誰もが侵略し殺戮した、日本だけが悪いのではない云々。

「謝れ!」「謝らない!」という声だけが強調される喧々諤々の不毛な罵り合いは実は事態の本質を見えなくして結局「謝らない人々」を利している

なぜなら謝罪しないことが問題なのではない。日本がかつて犯した過ちを過ちとして認識できないそれらの人々の悲惨なまでの不識と傲岸が、真の問題なのである。


岸田政権の危うさ

ところが罵り合いは、あたかも「謝らないこと」そのものが問題の本質であり錯誤の全てでもあるかのような錯覚をもたらしてしまう。

謝らない或いは謝るべきではない、と確信犯的に決めている人間性の皮相が、かつて国を誤った。そして彼らは今また国を誤るかもしれない道を辿ろうとしている。

その懸念を体現するもののひとつが、国民の批判も反論も憂慮も無視し法の支配さえ否定して、安倍元首相を必ず国葬にしようと躍起になる岸田政権のあり方だ。

歴史修正主義者だった安倍元首相を国葬にするとは、その汚点をなかったことにしその他多くの彼の罪や疑惑にも蓋をしようとする悪行である。


功罪

安倍元首相には実績も少なくない。国防と安全保障に対する国民の意識を高めたこともその一つだ。

だがそこには安全保障の負担を一方的に沖縄に押し付ける彼特有の横暴が付いて回っている。外交や経済政策も然りだ。

外交に関しては、彼の多くの外遊やトランプ前大統領との友誼などを良しと考える支持者も多数い。またプーチン大統領との親交でさえポジティブに捉えて評価する者が少なくない。

安倍元首相の多くの外遊はあまたの知己を得て、彼の横死に際して国外から弔辞が殺到する事態になった。

だが国際政治に於ける彼の存在感や力量は、米英仏独等の首脳と比較するまでもなくほぼ無きに等しい。

国際政治の舞台では日本同様に重みのないここイタリアの首脳でさえ、安倍元首相に比べれば一目置かれる存在と断言しても差し支えない。

彼の支持者のネトウヨ・ヘイト系人士や国粋主義者などが、よく知ったかぶりで国際政治に於ける安倍氏の存在感の高さを吹聴する。だがそれは文字通りの知ったかぶりに過ぎない。

そうではあるものの、しかし、安倍元首相が国益を主眼にトランプ前大統領やプーチン大統領と親しくするのは正しい動きだった、とはフェアに言っておきたい


ラスボスたちの罠

だがそうした行動には、安倍元首相の良識と知識と教養が担保するところの、批判精神が秘められていなければならない。

安倍元首相には残念ながらそれが欠落していた。彼は無批判にトランプ前大統領やプーチン大統領に近づいた。のみならず無批判に彼らを称揚したりさえした。

やがてトランプ前大統領は、民主主義を踏みにじることも厭わない危険人物であることが明らかになった。

またプーチン大統領は、先進社会ではもはやあり得ないと考えられていた「侵略戦争」をいとも簡単に始めて、自国民を偽りウクライナ国民を易々と殺戮する大賊であることを自らさらけだした。

大きな不幸は、安倍元首相がトランプ前大統領とプーチン大統領にかねてから付いて回っていた、危険思想や言動また政策等の兆しを見抜けなかったことだ。彼の愚蒙の罪は深い。


修正主義者の闇

だが安倍元首相の最大の汚点は、彼の揺らがない歴史修正主義だったと僕は思う。彼の歴史観は、日本の過去の過誤を過誤と感じない恐るべき無明と無恥と不道徳に支えられている

そこに加えて、著名家系に生まれたことから来る彼個人の優越意識と、近隣アジア諸国に対する日本人としての優越感が加わって、軍国主義日本の行為でさえ是とする悲しい思い込みが生まれた。

同時に安倍元首相には欧米、特にアメリカに対する抜きがたい劣等意識があった。その秘められた闇は彼が2年間アメリアに留学した経験から生まれた可能性が高い。

そう考えれば、米大統領との友情を懸命に演出してはいるものの、トランプ前大統領のポチに徹していただけの、安倍元首相の悲惨な動きの数々が説明できる。


いつか来た道

戦争でさえ美化し、あったことをなかったことにしようとする歴史修正主義者が、否定されても罵倒されても雲霞の如く次々に湧き出すのは、日本が戦争を徹底総括していないからだ。

総括をして国家権力の間違いや悪を徹底して抉り出せば、日本の過去の悪への「真の反省」が生まれ民主主義が確固たるものになる。

そうなれば民主主義を愚弄するかのような安倍元首相の国葬などあり得ず、犠牲者だが同時に加害者でもある兵士を、一方的に称えるような国民の感傷的な物思いや謬見もなくなるはずである。

だが今のままでは、日本がいつか来た道をたどらないとは決して言えない。拙速に安倍元首相の国葬を決める政府の存在や兵士を感傷的に捉えたがる国民の多さはの目にはどうしても少し不気味に映る。





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8月15日の兵士葬送曲~被害者には加害者の自分は見えない


日の丸と敬礼兵士

兵士の本質を語るとムキになって反論する人々がいる。

兵士を美化したり感傷的に捉えたりするのは、日本人に特有の、少し危険な精神作用である。

多くの場合それは、日本が先の大戦を「自らで」徹底的に総括しなかったことの悪影響だ

兵士を賛美し正当化する人々はネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者である可能性が高い。

そうでないない場合は、先の大戦で兵士として死んだ父や祖父がいる人とか、特攻隊員など国のために壮烈な死を遂げた若者を敬愛する人などが主体だ。

つまり言葉を替えれば、兵士の悲壮な側面に気を取られることが多い人々である。それは往々にして被害者意識につながる。

兵士も兵士を思う自分も弱者であり犠牲者である。だから批判されるいわれはない。そこで彼らはこう主張する:

兵士は命令で泣く泣く出征していった彼らは普通の優しい父や兄だったウクライナで無辜な市民を殺すロシア兵も国に強制されてそうしている可哀そうな若者だ、云々。

そこには兵士に殺される被害者への思いが完全に欠落している。旧日本軍の兵士を称揚する者が危なっかしいのはそれが理由だ。

兵士の実態を見ずに彼の善良だけに固執する、感傷に満ちた歌が例えば島倉千代子が歌う名曲「東京だョおっ母さん」だ。

「東京だョおっ母さん」では亡くなった兵士の兄は

優しかった兄さんが 桜の下でさぞかし待つだろうおっ母さん あれが あれが九段坂 逢ったら泣くでしょ 兄さんも♫

と切なく讃えられる。

だが優しかった兄さんは、戦場では殺人鬼であり征服地の人々を苦しめる大凶だったのだ。彼らは戦場で壊れて悪魔になった。

歌にはその暗い真実がきれいさっぱり抜け落ちている。

戦死した優しい兄さんは間違いなく優しい。同時に彼は凶暴な兵士でもあったのだ。

自分の家族や友人である兵士は、自分の家族や友人であるが故に、慈悲や優しさや豊かな人間性を持つ兵士だと誤解される。

兵士ではない時の、人間としての彼らはもちろんそうだっただろう。だが一旦兵士となって戦場を駆けるときは、彼らは非情な殺人者になる。

敵の兵士も味方の兵士も、自分の家族の一員である兵士も、自分の友人の兵士も、文字通り兵士全員が殺人者なのだ。

兵士は戦争で人を殺すために存在する。彼らが殺すのは、殺さなければ殺されるからだ。

だからと言って、人を殺す兵士の悪のレゾンデートルが消えてなくなるわけではない。

兵士は人殺しである。このことは何をおいても頑々として認識されなければならない。

そのことが認識されたあとに、「殺戮を生業にする兵士を殺戮に向かわせるのが国家権力」という真実中の真実が立ち現れる。

真の悪は、言うまでもなく戦争を始める国家権力である。

その国家権力の内訳は、先の大戦までは天皇であり、軍部でありそれを支える全ての国家機関だった。つまり兵士の悪の根源は天皇とその周辺に巣食う権力機構である。

敗戦によってそれらの事実が白日の下にさらされ、勝者の連合国側は彼らを処罰した。だが天皇は処罰されず多くの戦犯も難を逃れた。

そして最も重大な瑕疵は、日本国家とその主権者である国民が、大戦をとことんまで総括するのを怠ったことだ。

それが理由の一つになって、たとえば銃撃されて亡くなった安倍元首相のような歴史修正主義者が跋扈する社会が誕生した。

歴史修正主義者は兵士を礼賛する。兵士をひたすら被害者と見る感傷的な国民も彼らを称える。そこには兵士によって殺戮され蹂躙された被害者がいない。

過去の大戦を徹底総括しないことの大きなツケが、その危険極まりない国民意識である。




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子ヤギ食らいという自罪を見つめて生きる

下を向く木の向こうの銅像650

輿子田さん

ことしの復活祭で子ヤギ肉を食べたあと、先日のギリシャ旅でも子ヤギ&子羊肉(以後子ヤギに統一)を食べる罪を犯しました。あなたに責められても仕方がないと思います。

ただし私があなたの批判を甘んじて受けるのは、あなたが考えるような意味ではありません。私は子ヤギという愛くるしい動物の肉を食らった自分を悪とは考えません。

その行為によって、感じやすいやさしい心を持ったあなたの情意を傷つけたことを、心苦しく思うだけです。

私たちが食べる肉とは動物の死骸のことです。野菜とは植物の亡き骸です。果物は植物の体の一部を切断したいわば肉片のようなものです。

私たち人間はあらゆる生物を殺して、それを食べて生きています。菜食主義者のあなたは動物を殺してはいませんが、植物は殺しています。

動物は赤い熱い血を持ち、動き、殺されまいとして逃げ、殺される瞬間には悲痛な泣き声をあげます。だから私たちは彼らを殺すことが辛く、怖い。

植物は血液を持たず、動かず、殺されても泣かず、私たちのなすがままにされて黙って運命を受け入れています。

彼らは傷つけられても殺されても痛みを覚えない。なぜなら血も流れず、逃げもせず、悲鳴も上げないから。だから私たちは彼らを殺しても、殺したという実感がない。

でも、私たちのその思い込みは本当に正しいのでしょうか?

私たち動物も植物も、炭素を主体にした化合物 、つまり有機化合物と水を基礎にして存在する生命形態です。

動物と植物の命の根源や発祥は共通なのです。だから私たち動物は植物と同じ「生物」と呼ばれ、そう規定されます。

同時に動物と植物の間には、前述の違いを含む多くの見た目と機能の違いがあります。私たちは、動物が持つ痛みや苦しみや恐怖への感覚が植物にはないと考えています。

しかし、その証拠はありません。私たちは、植物が私たちに知覚できる形での痛みや苦しみや恐怖の表出をしないので、今のところはそれは存在しない、と勝手に思い込んでいるだけです。

だがもしかすると、植物も私たちが知らない血を流し(樹液が彼らの血にあたるのかもしれません)、私たちが気づかない痛みの表現を持ち、私たちが知覚できない悲鳴を上げているのかもしれません。

私たち人間は膨大な事物や事案についてよくわかっていません。人間は知恵も知識もありますが、同時に知恵にも知識にも限界があります。

そしてその限界、あるいは無知の領域は、私たちが知るほどに広がっていきます。つまり私たちの「知の輪」が広がるごとに円周まわりの未知の領域も広がります。

知るとは言葉を替えれば、無知の世界の拡大でもあるのです。

そんな小さな私たちは、決して傲慢になってはならない。植物には動物にある感覚はない、と断定してはならない。私たちは無知ゆえに彼らの感覚が理解できないだけかもしれないのですから。

そのことが今後、私たちの知の進化によって解明できても、しかし、私たちは私たち以外の生命を殺すことを止めることはできません。

なぜなら私たち人間は、自らの体内で生きる糧を生み出す植物とは違い、私たち以外の生物を殺して食べることでしか生命を維持できません。

人が生きるとは殺すことなのです。

だから私は子ヤギを食べることを悪とは考えません。強いて言うならばそれは殺すことしかできない「人間の業」です。子ヤギを食らうのも野菜サラダを食べるのも同じ業なのです。

それでも私は子ヤギを憐れむあなたの優しい心を責めたりはしません。その優しさは、私たち人間の持つ残虐性を思い起こさせる、大切な心の装置なのですから。

殺すことしかできない私は、子ヤギ食らいという自罪を畏れつつ、これからもいただく命にひたすら感謝しつつ生きて行きます。




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エーゲ海の島ヤギ・羊肉レシピ~ナクソス・パロス・ミコノス編

シェフ込み子羊子豚丸焼き650


2022年6月のギリシャ旅行でも恒例のヤギ・羊肉料理の食べ歩きをした。

一週間づつ滞在したパロス島とナクソス島では、いかにもギリシャの島々らしい美味しいヤギ・羊肉料理に出会った。

また乗り換え地として旅の終わりに短く滞在したミコノス島では、あっと驚く子羊のモツ料理に遭遇した。

子羊の内臓を腸に詰め込んで炭火でじっくりと炙り焼いたもので、レシピも味も強烈な印象を僕に与えた。

ミコノス島で行き合った激うまレシピを別にすれば、今回旅ではナクソス島のレストランの子羊の丸焼きがベストの味だった。

そのレストランは滞在した家とビーチの間にあった。歩いて1分もかからない。なにしろ家からビーチまではほんの50~60メートルしかなかったのだ。

地元の食材を使ったバラエティに富む料理を提供する店だった。キクラデス諸島で最も大きいナクソス島は、食料の自給自足ができるほどに豊穣な島だ。畜産も盛んで耕作地も山も多い。

店では毎日島産の子豚の丸焼きを提供し、週末には子羊の丸焼きを目玉にしていた。豚の丸焼きは絶妙の味がし、子羊のそれは食べ歩いた限りの島の全店の味を圧倒していた。

ヤギ・羊肉膳は、焼くよりも煮物の方が味に深みがありバラエティにも富む、というのが僕の意見だ。そして煮物は各店の秘伝のタレやスープで煮込まれるのが普通である。

タレやスープの味の違いの分だけ煮込みの数がある。つまり無限ということだ。

一方、肉を焼く場合には味付けは塩と胡椒が基本だ。下味を付けたりバターやタレを塗りこむ手法もあるが、そのやり方では素材の純度が薄れて目覚しい味にはならないようだ。

少なくとも僕が食べた焼きレシピの最上のものは、これまでは全て塩焼きばかりだ。胡椒にバラエティがありハーブなども使うが、基本は飽くまでも塩味である。

頻繁に通ったナクソス島の近場の店は、客からよく見える店内の一角に丸焼き用の釜をおいて、シェフが客の視線を受けながら調理をする。見た目にも食欲をそそる演出で繁盛していた。

パフォーマンスで客を楽しませる店は、見せ物にエネルギーを費やす分調理の力が削がれて味が落ちたりする。

だがその店には失策がなかった。無口で無骨な料理人は、人目などどこ吹く風というふうで肉焼きに集中していた。子豚の丸焼きも子羊肉と同じ手法で調理していてそちらの味も秀逸だった。

ナクソス島では子羊肉の煮物も食べた。ハズレはひとつもなかったが、先に触れたように家の隣の店の丸焼きにかなう味はなかった。同店は独自のソース煮も提供していたが、それも美味かった。

片やパロス島では、焼きレシピには一度も行き合わなかった。島内産のヤギ・子羊肉が豊富なナクソス島とは違って、丸焼きにする素材が少ないということもあるのかもしれない。

パロス島で印象深かったレシピは3点。

ひとつは漁港脇の店で食べた子羊肉のレモンソース煮込み。これは3年前にクレタ島で食べた子ヤギの煮込みによく似ていた。

味はきわめて良かったが、クレタ島の子ヤギのレモンソース煮込みは、これまでに僕が食べた中では1、2を争う味の一品だ。さすがにそれには及ばなかった。

肉の味もやや劣ったが、それを乗せているパスタがいけなかった。それはイタリア以外の国でよく見る茹で過ぎのたるいパスタで、僕は一口食べて文字通り匙を投げた。

ギリシャはイタリアのいわば隣国でパスタ人気も高いが、味は最悪の部類に入る。もっと不運だったのは、パスタの味が肉と全く調和していなかったこと。

肉とパスタがかみ合っていないのは、料理人が自分で食べてみればすぐに気がつくはずなのになぜ?といぶかるほど杜撰だった。

肉の味が悪くなかっただけにますます不思議に感じた。

それに比べてクレタ島のレモンソース煮込みには、白飯が添えられていてヤギ肉との相性が抜群に良かった。

2つ目は、うっそうと茂る木々が濃い影を作っている海際の食堂のエピソード。

店では影が一段と濃い大木の下のテーブル席に座った。するとすぐに年寄りの女性ウエイターが構ってくれた。

メニューに目を通しながら、潮気が皺に染み込んだような味わい深い顔のおばばウエイターとよもやま話をした。店の雰囲気の良さをほめ名物料理を聞いたりした。

テーブルから見える厨房で老人が炭火の世話をしていた。おばばウエイターにあの人がシェフかと聞くと、私がシェフで彼は私の夫、調理のアシスタント、と笑った。なんとおばばはオーナーシェフだったのだ。

オーナーシェフと敢えて言えば、瀟洒な店を想像されそうだが、大木も茂る広い庭付きの民家をレストランに改造した、という印象の店で、むしろ素朴でアットホームな雰囲気が強い。

僕は店と主人への敬意、また親しみを込めて、オーナーシェフをおばばシェフと呼ぶことに決めた。

「厨房に入っていなくてもいいのか」と給仕をするおばばシェフに聞くと、一緒に来なさいと店の中に誘われた。

追いて行くと、厨房の前のガラス棚の中に既に調理された膳部と仕込みの終わった食材が整然と並べられていた。

一日分のレシピをしっかり準備しておいて、できる限り客との接触も楽しむのだ、とおばばシェフは流暢な英語で語った。

シェフの得意料理だというムサカと肉団子、天ぷら風の揚げ物の3品に加えて、僕の目指す子羊の煮込みも頼んだ。

壷風の食器で供された子羊の煮込みは上等の味だった。先に頼んだ既述の3品も、おばばシェフ独自の工夫がてんこ盛りになっていて非常に美味だった。

3つ目はおばばの店の翌日。

島では最も山深いレストランに向かった。そこでの興味はひたすら子羊料理だった。山深い店には美味いヤギ・羊肉料理がある。これまでの経験がそう教えていた。

山の集落の入り口付近に子羊膳を提供している店があった。早速頼んだ。子羊のトマトソース煮込みに焼きジャガイモが添えられた一品が出てきた。

ここに書くくらいだから味が良かったのは言うまでもない。だが正直に言えば強烈に印象に残るほどのものではなく、普通以上に美味しい、というふうだった。

こうして見ると、今回旅ではミコノス島で出会った子羊モツの炙り焼きがやはり圧巻だった。その次に印象に残ったのが、ナクソス島の海際の、家から歩いてすぐの店の子羊の丸焼き。

旅ごとにまとめる、僕の独断と偏見によるヤギ・羊肉レシピのランク付けの1位と2位が、ソース煮込みではなくモツ焼きと子羊の丸焼きという「焼きレシピ」に収まったのは珍しい結果である。




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斧で指を切断したイタリア人学者の武士道

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2020年、イタリアが世界に先駆けてコロナ地獄にさいなまれ医療崩壊に陥った時、医師不足を補うために300人の定年退職医師の現場復帰を求めたところ、たちどころに8000人もの老医師の応募があった。

彼らベテランの医師たちは、コロナが主に高齢者を攻撃して死に至らしめることを熟知しながら、年金生活者の平穏な暮らしを捨てて危険な医療の現場に敢然と飛び込もうとしたのだ。

老医師らの使命感と勇気は目覚ましいものだったが、当時は実は一般のイタリア国民も、先行きの見えないコロナパンデミックの恐怖の底で、彼らなりの勇気をふるって必死にコロナと向かい合っていた。

普段はひどく軽薄で騒々しい印象がなくもないイタリア国民の、ストイックなまでに静かで勇猛果敢なウイルスとの戦いぶりは、僕を感動させた

彼らの芯の強さと、恐れを知らないのではないかとさえ見えた肝のすわった態度はまた、作家のダーチャ・マライーニとその父フォスコのエピソードも僕に思い起こさせた。

ノーベル文学賞候補にも挙げられる有力作家のダーチャ・マライーニは、アイヌ文化の研究家だった父親に連れられて2歳から9歳までを日本で過ごした。

第2次大戦末期の1943年、ドイツと反目していたイタリアは連合国と休戦し、日独伊3国同盟の枠組を離れて日本の「友邦」から「敵国」になった。

ヒトラーはイタリア北部に傀儡政権サロー共和国を樹立。日本にいるイタリア人はそのナチス・ファシズム国家への忠誠を誓うように求められたが、ダーチャの両親はこれを拒否した。

その結果、一家は名古屋の収容所に入れらる。家族は敵性国家の国民として収容所で虐待された。

食事もろくに与えられないような扱いに怒りを募らせたダーチャの父フォスコは、待遇の改善を要求して抗議のために斧で自らの左小指を切断した。

フォスコ・マライーニの勇猛な行動に震え上がった収容所の監視役の特高は、ヤギを調達して父親に与えた。

フオスコ・マライーニはその乳を搾ってダーチャと兄弟に与えて飢えをしのいだ

そのエピソードはダーチャの両親やダーチャ自身によってもあちこちで語られ書かれているが、僕は10年以上前に作家と会う機会があって、彼女自身の口からも直に聞くことができた。

父親の豪胆な行動は、日本国家と家族を現場で虐待する看守らへの怒り、と同時に家族を守ろうとするひとりの父親の強い意志から出たものだ。

彼はその行為をいわば切腹のような武士の自傷行為に見立てたのである。

指を切る日本の風習は、武家社会で誓文に血判をする時などに見られたもの。

江戸時代には遊女がそれを真似する陋習が生まれ、それをさらにヤクザが真似しやがて曲解して、いわゆる「指詰め」の蛮習へと発展する。

フォスコ・マライーニの記憶の中には、武士の自傷行為は潔癖と勇猛の徴として刻まれていた。彼は武士に倣って激烈な動きで異議申し立てをしたのである。

収容所で一家を監視していたのは前述の特高である。彼らの多くは粗野で小心で品性下劣だった。旧日本軍の中核を成していた百姓兵士と同列の軍国の走狗である。

今で言えば、正体を隠したままネット上で言葉の暴力を振るうネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者や、彼らに親和的な政治家、似非文化人、芸能人等々のようなものか。

収容所では侍の精神は日本人ではなく、フオスコ・マライーニの中にこそ潜んでいた。

フォスコ・マライーニの壮烈なアクションは、コロナパンデミックの最中に死地に赴こうとした8000人のイタリア人老医師の勇気に通底している。

8000人の年老いた医師の魂の中には、カトリックの教義の刷り込みがある。片やフォスコ・マライーニの魂には、最善の形での武士の精神の刷り込みが見られる。

そしてそれらの突出した強さは-繰り返しになるが-コロナ地獄の中では一般の人々によってもごく普通に顕現されていた。

善男善女によるボランティアという形での献身と犠牲の尊い働きがそれだ。

死と隣り合わせの医療現場に突き進んだ退役医師のエピソードはほんの一例に過ぎない。

当時は多くのイタリア国民が、厳しく苦しいロックダウン生活の中で、救命隊員や救難・救護ボランティアを引き受け、困窮家庭への物資配達や救援また介護などでも活躍した。

イタリア最大の産業はボランティアである。

イタリア国民はボランティア活動に熱心である。彼らは誰もがせっせと社会奉仕活動にいいそしむ。

善良なそれらの人々の無償行為を賃金に換算すれば、莫大な額になる。まさにイタリア最大の産業だ。

無償行為の背景には、自己犠牲と社会奉仕と寛容を説くカトリックの強い影響がある。

カトリックの教義は、死の危険を顧みずに現場復帰を申し出た老医師らの自己犠牲の精神と、ボランティアにいそしむ一般国民の純朴な精神の核になっている。

それはさらに、学者であるフォスコ・マライーニが、家族のためにささげた自己犠牲、つまり斧で自分の指を切断するという果断な行為にもつながっている。

武士道は筋肉を鍛え上げたサムライの険しい肉体だけに宿るのではない。

自己犠牲を恐れないか弱い女性や善良な男たち、また年老いた医師たちの中にもある気高く尊い精神なのである。





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安倍元首相の国葬に反対する

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安倍元首相を国葬にするのは、日本の民主主義の底の浅さと、過去に大きく国を誤った保守強硬派の呪縛が依然として強いことの証しのようで違和感を拭えない。

犯行が容疑者の個人的な恨みによるものなら、民主主義云々を言い立てて元首相を国葬にするのは欺瞞だ。権力の乱用と批判されても仕方がないのではないか。

国葬にする理由を問われて岸田首相は、①長期間に渡る政権運営、②多くの分野で重要な実績をあげたこと、③国内外、特に外国から多くの哀悼のメッセージが寄せられていることなどを挙げた。

その上で岸田首相は「わが国は暴力に屈せず、断固として民主主義を守り抜く」と、あたかも銃撃事件が政治的・思想的動機に基づくもの、と決めつけるような主張を繰り返した。

個人的怨恨が犯行の動機らしいという重要な情報を敢えて無視して、論点をずらそうとでもするような相変わらずの奇妙な言動だ。

安倍元首相の理不尽な死に対しては衷心から哀悼の意を表しつつ、僕は礼賛一辺倒の議論や報道に対しては強い疑問を持つ。

同時に彼の国葬についても反対する。何よりも法的根拠が希薄だ。また功罪ある元首相の実績を、あたかも功のみであるかのように言い募る誤魔化しにはとてもついていけない。

元首相と旧統一教会の癒着についても徹底的に解明されるべきだ。それ以前の曖昧な状況下で国葬を決定するのは、「民主主義を守る」どころか、逆に民主主義に反する所業だ。

犯行の動機や影響についての考察、元首相の実績への賛否や是非、また国葬に対する賛否両論などが多数出回っている。国葬賛成論は岸田首相のそれにほぼ集約されるように思う。

僕自身は安倍元首相の実績には多く疑問を持ち、国葬に対しては明確に反対の立場だが、外国に住んで日本を客観的に眺める立場からもう少し踏み込んだ意見を述べておきたい。

まず岸田首相が明言した国葬の理由について:

長期間に渡る政権運営が国葬に値するというのは、法的にも歴史的にも倫理的にも破綻した主張だ。

長く政権を担うことが国葬にあたるなら、ここイタリアのベルルスコーニ元首相も合計で10年近くに渡り首相を務めた。実績も少なくない。だが醜聞にまみれた彼が国葬に値するといえば、悪魔や鬼がしてやったりと笑うだろう。

またドイツのメルケル前首相は、2005年から2021年まで実に16年間も政権を維持した。だが民主主義と法の支配が堅固なドイツでは、彼女が「無条件に」国葬になることはあり得ない。国葬の条件は法律に明記されている。

一方で安倍元首相を国葬にするのは、国葬令が1947年に失効した現在は違法だ。岸田首相の言う「内閣府設置法」 の適用はこじつけにしか見えない。

安倍元首相は多くの分野で重要な実績をあげたことは事実だが、同時に多方面で民主主義に逆行したり欺瞞にまみれた政策、言動にも終始した。森友・加計・桜を見る会などがそうだ。

また民意に反して辺野古に新基地建設を強行するなどの横暴も見逃せない。

加えて自らの死と引き換えに、山上容疑者によって旧統一教会との癒着疑惑まで暴かれてしまった。

多くの闇と罪に目をつぶって拙速に国葬を決め、国民を分断するほどの強い反対意見があるにもかかわらずにそれを無視しようとするのは、あるいは何か別の意図でもあるのだろうか。

安倍元首相の悲劇的な最期を受けて、内外から多くの哀悼の意が示されるのは当たり前すぎて国葬の理由になどなり得ない。

9年近くも日本の首相を務めた安倍元総理は、G7ほかの国際会議にも必ず出席し外遊も多くした。彼の政治信条がどうであれ、世界中の指導者や著名人が弔意を示すのは外交儀礼上も当然のことだ。

再びここイタリアのベルルスコーニ元首相にからめて言う。

もしも今ベルルスコーニ元首相が死去するなら、彼に敵対した人々も含めて多くの哀悼のメッセージが寄せられるだろう。暗殺などの横死である場合には、さらに多くの同情と弔意が殺到するのは必至だ。

人の死とはそういうものだ。ましてや安倍元首相は長く日本国のトップに君臨した人物だ。彼が「実際には何者であるか」には関係なく、哀悼の意が多く集まるのが当たり前だ。

国外から寄せられる多くの弔意の裏にある本音を見逃してはならない。

それはこうだ:

「日本が近隣国を始めとする世界に振るった暴力を否定したがる、歴史修正主義者としての安倍元首相には怒りを覚えるが、暗殺者によって不慮の死を遂げた彼に強い憐憫の情を表明します」というものだ。

良識と良心を持つ「米国を含む」世界の知性の多くは、安倍元首相の姑息な歴史修正主義を完全に見抜いていて、絶えず監視の目を向け警戒心を抱き続けてきている。

それが見えないのは、“外交辞令“とさえ呼べる類いの国際儀礼の多くを、本音と取り違える初心な人々や、安倍元首相を救世主と崇めるネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者くらいのものではないか。

安倍元首相は、日本の過去の過ちを認めず、軍国主義日本の被害者の国々や人民に謝ることを拒否した。だが彼の致命的な誤謬は、「謝らないこと」ではない。

日本の過去の過ちを過ちとして認識できないこと自体が問題なのだ。過ちと認識できないのは無明と優越意識のなせるわざだ。そこに確信犯的な思い込みが加わると真実はいよいよ遠のいて見えなくなる。

理由が何であれ日本の過去の過ちを過ちとして認識できないから、安倍元首相は平然と歴史を修正し、あったことをなかったことにするような言動を続けたのだ。

再び言う。

安倍元首相が銃撃され亡くなったのは、悲しいあってはならない惨劇だった。山上容疑者の行為と背後関係者は徹底して糾弾されるべきだ。

同時にこの事件に対しては「生前がどうであれ死ねばみな仏。死者に鞭打つな」という日本に顕著な美徳(世界にも同様の考え方は多い)を適用してはならない。

なぜなら政治家などの公人は、必要ならば死者も大いに鞭打つべきだ。

ましてや権力の座にあった者には、職を辞してもたとえ死しても、監視の目を向け続けるのが民主主義国家の国民のあるべき姿だ。なぜなら監視をすることが後世の指針になる。

公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受ける。受けなければならない。

「死んだらみな仏」という考え方は、恨みや怒りや憎しみを水に流すという美点もあるが、権力者や為政者の責任をうやむやにして歴史を誤る、という危険が付きまとう。決してやってはならない。

他者を赦すなら死して後ではなく、生存中に赦してやるべきだ。「生きている人間を貶めない」ことこそ、真の善意であり寛容であり慈悲だ。だがそれは、普通の人生を送る普通の善男善女が犯す「間違い」に対して施されるべき、理想の行為だ。

安倍元首相は普通の男ではない。日本最強の権力者だった人物だ。日本の将来のために良い点も悪い点も全て洗い出して評価しなければならない。

それをしないまま、あるいは賛美一辺倒の偏った評価だけに基づいて国葬が執り行われるのは、民主主義を守るのではなく民主主義を踏みにじる許し難い行為、と重ねて主張したい。



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イタリア大統領が全能の皇帝になる季節

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イタリア大統領って何者?

イタリアでまた政変があり、例によって通常は何の権限もない飾り物の大統領がふいに強い力を発揮した。

マタレッラ大統領が辞表を提出したドラギ首相の申し出を拒否して、もう一度連立工作をするよううながしたのである。

ドラギ首相は大統領の命令に従って連立工作を試みた。だが、議会最大勢力のポピュリスト政党「五つ星運動」の裏切りはくつがえらず、ドラギ政権は崩壊。9月に総選挙が行われることになった。

国家元首であるイタリア大統領は、上下両院議員と各州代表の投票によって選出される。普段は象徴的な存在で冒頭で触れたように実権はほとんどない。

ところが政治危機のような非常時には議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施し、軍隊を指揮するなどの「非常時大権」を有する。大権なのでそれらの行使には議会や内閣の承認は必要がない。

政府が瓦解するなどの国家の非常時には、かつての絶対君主を思わせるような強い権力を行使することも許され、機能しない議会や政府に代わって単独で一切を仕切ることができまる。

いわば国家の全権が大統領に集中する事態になるのである。


対抗権力のバランス

イタリア共和国は政治危機の中で大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、混乱を引き起こす原因にもなる政治システムを採用している

ムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ぐのが目的である

憲法によっていわゆる「対抗権力のバランス」が重視されているのだ。

議会は任期が満了したり政治情勢が熟すれば解散されなければならない。議会が解散されれば次は総選挙が実施され。総選挙で過半数を制する政党が出ればそれが新政権を担

その場合は大統領は政権樹立に伴う一連の出来事の事後承認をすれば済。それが平時のイタリア大統領の役割だ。

しかし、いったん政治混乱が起きると、大統領は一気に存在感を増すのである。


民主主義の権化vs民主主義の真髄

イタリアの政治混乱とは言葉を変えれば「大統領の真骨頂が試される」時でもあり、「大統領の“非常時大権“の乱用」による災いが起きるかもしれない、微妙且つ重大な時間でもある。

例えば2018年の第1次コンテ政権誕生を巡っては、見方によっては大統領の非常事大権の乱用ではないか、とさえ疑われる事態が起きた。

当時マタレッラ大統領は、五つ星運動と同盟の「ポピュリスト連合」が推薦したコンテ首相候補をいったん否認した。

もっと正確にいえば、首相候補を介して五つ星運動と同盟が提出した閣僚名簿のうち、財務相候補のパオロ・サヴォナ氏を拒否することで、コンテ内閣の成立を一度は阻止した。

マタレッラ大統領は、憲法に沿って「制度としての大統領の権限」を行使したのである。

民主主義制度の権化のようなイタリア大統領が、たとえ連立とはいえ過半数を制した政党が政権を樹立する、というこれまた「民主主義の正統な制度」に真っ向から挑むというジレンマに陥った

そしてマタレッラ大統領は、自らと並立する民主主義の正当な仕組みの片方を敢えて否定する道を選んだ。


道義的責任

なぜそれが可能になったのかというと、イタリア大統領には制度として国家非常事態の際に議会に対抗できる力を持つと同時に、道義的な理由で時の政権や議会に物申す権限も託されているからだ。

イタリアはEU圏内最大規模の累積債務を抱えて呻吟し、借金を減らすための緊縮財政をEUに迫られてこれに合意してい。五つ星運動と同盟が主張するバラマキ政策が実施されれば、イタリア経済はさらなる打撃を受け国民が不幸になり、EUとの約束も守れなくな

マタレッラ大統領はEUへの信義や国民生活を守るという「道義的責任」に基づいて、反EU且つ反緊縮財政の立場を採るサヴォナ氏を否認し、それによってコンテ内閣全体も否定した。

その結果、既述のごとく、五つ星運動と同盟の2大ポピュリスト勢力による政権樹立も、取りあえず阻止する形になった。

いわば欧州の良心、あるいは民主主義国家の道徳意識の体現ともいえる理由での大統領の政治介入は、先に触れたように制度上の権力行使と並んで受容されるもの

大統領が自身の良心に基づいて、時の政権や議会に介入できる仕組みは、実イタリア大統領の専売特許ではない。ドイツ大統領などにも共通する欧州発祥の基本原理である。

例えばドイツのシュタインマイアー大統領は2017年、ドイツ総選挙後に政治空白が発生した際、連立政権に参加するように、と社会民主党に強く働きかけ

その行為は制度上の合法的な動きであると同時に、EUの結束とドイツの極右勢力を抑制する、という大統領の「道義的」心情も強く反映したものだった。


問題点

そうではあるものの、しかし、マタレッラ大統領が2018年、制度的権限と道義的権限を併せて行使して、ポピュリスト政権の成立を阻んだのは、2つの意味で問題があると思う

一つは単純に、民主主義国家のイタリアで、選挙の洗礼を受けた2政党が、連立を組み過半数制覇を成し遂げて、政権樹立を図った真っ当な行為を妨害したこと。

もう一つは、マタレッラ大統領が元々左派の民主党に属し、民主党と同様の「親EU主義者」である点である。

彼は成立しかけている連立政権が、自らの政治信条に合わない「反EU・反体制のポピュリスト政権」だからこれを潰した、という見方もできる。それは権限の乱用と指弾されても仕方のない動きだ。

事実、五つ星運動のディマイオ党首は当時、連立政権の樹立が拒否されたことを受けて、マタレッラ大統領を弾劾にかけると公に宣言した。

筆者はEU信奉者であり、五つ星運動と同盟のほとんどの政策には違和感を覚える者だ。従ってマタレッラ大統領の心情が理解できる。

そうではあるものの、長い連立協議を経て政権合意に至った五つ星運動と、同盟の両党が政権を樹立する権利は認めなけれならない、とも考える。民主主義の重要原理の一つは主義主張の違う者を認め尊重することにほかならない。

マタレッラ大統領はコンテ内閣の成立を阻んだ直後に、自らの権限でEU信奉者のカルロ・コッタレッリ氏に組閣を要請した。それには議会多数派の五つ星運動と同盟が猛反発。

紛糾の末に、五つ星運動と同盟は、財務大臣候補にローマ大学のジョバンニ・トリア教授を立てて、再びマタレッラ大統領に閣僚名簿を提出。今度は大統領が承認して第1次コンテ内閣が船出した。


歴史は繰り返される

そして今回、マタレッラ大統領はドラギ首相の辞表を受け入れず、政権の維持を要請するなど強い権限を発動した。

そしてドラギ首相が連立工作に行き詰まると、首相の再びの辞任要請を受け入れて、議会を解散し総選挙を行う決定を下した。

イタリアはコロナパンデミックによる経済・社会的な打撃からの回復が遅れて呻吟している。そこにウクライナ戦争が起きた。イタリアの経済、社会はさらなる窮地に陥っている。

そんな中、ほぼ全政党の信任を受けたドラギ内閣は、首相の強いリーダーシップと明確なビジョンを武器に目覚ましい仕事を続けてきた。

ところが五つ星運動の独断とエゴによる狂気じみたアクションを受けて、ドラギ政権はあっさりと終焉を迎えてしまった。

政権を倒した五つ星運動党首、コンテ前首相へのイタリア国民の怒りは大きく、国家の先行きは闇の中だ。

イタリアは再び政治混乱の季節に入った。総選挙の後の政権樹立を含め、国家の舵取りは混迷するのが必至だ。

再び、再三再四、マタレッラ大統領が非常時大権を駆使して共和国をリードする可能性が高い、と思う。

この先しばらくは、イタリアの政情から目が離せない日々が続きそうである。








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「や、コンニチワ、またですね」のイタリア政治危機を招いたバカの壁

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マリオ・ドラギ首相が辞任して、イタリアのお家芸の政治危機が始まった。

近年は野心家のマッテオ・レンツィ元首相が政権をぶち壊す悪役を演じることが多かった。

だが2019年には政権与党だった極右「同盟」のマッテオ・サルビーニ党首が第1次コンテ内閣を倒した。

そしてその2年後には、再びレンツィ元首相が悪役を演じて第2次ジュセッペ・コンテ政権が崩壊した。

その直後に成立したマリオ・ドラギ政権が7月21日、事実上空中分解したのである。

連立政権内の今回の裏切り者は、「五つ星運動」党首のジュゼッペ・コンテ前首相。

自らの政権を木っ端みじんにされたコンテ前首相が、今度は他者の内閣を引き裂いた恰好である。

もっともドラギ政権の崩壊には、コンテ前首相に加えて同盟のサルビー二党首、ベルルスコーニ元首相などの反逆もからんではいるが。

コンテ前首相は、2021年の首相辞任後に彼の政権を支えた五つ星運動の党首に迎えられた。

つまりコンテ前首相はそうやって、極左の真っ赤なハチマキを巻き付けて吠えるポピュリスト政党の党首になったのである。

とたんに彼は、自身が首相当時にNATOと約束した防衛費増額を認めない、と言い出して約束を平然と破る過激論者の一端を示した。

そしてロシアがウクライナを侵略すると、彼のボスである五つ星運動創始者のベッペ・グリッロ氏に追随して、ロシアのプーチン大統領を擁護する立場を取った。

五つ星運動は、ロシアと中国にきわめて親和的な組織。創始者のグリッロ氏はトランプ主義者でもある。

2019年、イタリアはEUの反対を無視して、G7国では初めて中国との間に「一帯一路」構想を支持する覚書を交わした。

当時のイタリア首相は件のコンテ氏。覚書に署名したのは、当時五つ星運動の党首だったディマイオ副首相。今は外務大臣である。彼もコンテ氏同様に中国に目がない男だ。

コンテ前首相とドラギ政権の対立が決定的になったのは、前者がイタリアのウクライナへの武器供与に強硬に反対したことである。

コンテ氏は、武器の供与が戦争終結を遅らせる、と考える人々に近いように見えるが、実はプーチン・ロシアへの忖度が背後にある。

彼は、武器に金を使うならイタリアの貧者を救済しろ、と叫ぶのが得意だ。

ウクライナ危機は欧州危機であり、ロシアに対抗することが欧州の一部であるイタリアの救済にもつながることを理解しない。あるいは理解しない振りをしている。

五つ星運動の旗艦政策は、ベーシックインカムすなわち最低所得保障である。

五つ星運動党首で前首相のコンテ氏が、貧者を救済しろと吼えるのは、彼の政権が導入した最低所得保障制度を死守したいから。

それは五つ星運動の最大の票田につながっている。

イタリアの貧富の格差は開き続けている。

弱者はいうまでもなく救済されなければならない。だがそのことを盾に金をバラまく五つ星運動のやり方は無残だ。

金をバラまくのではなく、それが確実に弱者に行き渡る仕組みを作り、同時に仕事を創出する政策を考えるのが為政者の役割だ。

現行の制度では多くの不正受給が明らかになっている。また特に南イタリアでは、予想されたようにマフィアやカモラなどの犯罪組織が交付金に喰らいついている。

言いにくいことを敢えて言えば、怠け者で補助金に寄りかかることが得意な者も多い地域では、仕事をしない若者が増えている。

たとえ仕事をしても、報酬を闇で受け取って失業中を装い給付を受ける、という者も多い。

働き者が多い僕の住む北イタリアでさえ、給付金を目当てに仕事をしない住人が増えて、人手不足が深刻化している現実さえある。

五つ星運動のバラ巻き策は、百害あって一利なし、というふうだ。いや、真に貧しい弱者へ行き渡る金もあるのだから、百利のうち五利ぐらいはあるのかもしれない。

それでもやはり、バラまき策は人心をたぶらかし、嘘と怠惰と不誠意を増長させると僕は思う。

またウクライナが危機に瀕し、欧州もそれに巻き込まれている現在は、ウクライナに武器を供与して他の欧州の国々と共にロシアに対抗するべきだ。

欧州の民主主義と自由と富裕は、ロシアのような覇権主義勢力の横暴を黙って看過すればすぐに破壊される類いのもろい現実だ。それらは闘って守り、勝ち取るものなのだ。

それは断じて戦争を推進するべき、という意味ではない。攻撃され侵略された場合には、反撃し守りぬくべき、ということだ。

欧州が破壊されイタリア共和国が抑圧されれば貧者も金持ちもない。誰もが等しく地獄に落ちる。コンテ前首相と彼の周囲の過激論者にはそれが分からないらしい。

4年前イタリア政界に彗星のようにあらわれた素人政治家のンテ氏は、世界に先駆けてコロナ・パンデミックの地獄に沈んでいたイタリアに、全土ロックダウンという前代未聞の施策を導入してこれを救った。

あっぱれな仕事ぶりだった。

当時イタリアは、国家非常事態宣言下にあった。政府は議会に諮ることなく、閣議決定だけで法律を制定することができた。

コンテ首相はその制度に守られてほぼ自在に規制を行うことができた。

未曾有のコロナ恐慌に陥っていたイタリアの国民は、コンテ政権が打ち出すロックダウンほかの強烈な規制を唯々諾々と受け入れた。それしか道はなかったからだ。

コンテ首相にそれなりの求心力があったのは確かだが、空前のパンデミックの中では、あるいは誰が首班であっても成し得た仕事だった可能性も高い。

ともあれ危機を抜け出したコンテ首相を待っていたのは、彼自身と彼を支える五つ星運動が「体制側」とみなして反発する政治勢力の巻き返しだった。

連立を組む小政党が離脱してコンテ政権は立ち行かなくなった。またその前には冒頭で述べたように、連立相手の同盟が反乱を起こしてコンテ政権は危機に陥ったことがある。

そして2022年7月、今度はコンテ氏率いる五つ星運動が反旗を翻してドラギ政権を崩落させた。彼はそうすることでイタリアに再びの政治危機をもたらすことになった。

それはイタリアではありふれた政変劇だ。一見するとカオスに見えるが、それがイタリア政治の王道だ。

地方が都市国家の意気を持ち続けているタリアでは、中央政府の交代劇は深刻に捉えられはするものの、各地方が独立独歩の前進を試みようとする。

試みようとする意志を固く秘めている。だから大きくは動揺しない。それがイタリアの最大の長所である多様性の効能だ。

だからといってコンテ前首相の罪が消えるわけではないが。。。




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エーゲ海の島々の歓喜と少しのアンニュイ


裸族村教会屋根650

ゲイの島

ギリシャ・キクラデス諸島のうちのミコノス、パロス、ナクソス島を旅した。

このうちミコノス島には旅の初めに半日、終わりに一泊二日だけ滞在。乗り換えおよび中継地としてあわただしく通り過ぎた。

それでも島のにぎやかさと楽しさ、またオーバーツーリズム気味の歪みにも十分に触れたと感じた。同島では短い滞在の間に目からうろこの料理にも出会った。

ミコノス島はLGBTQの人々が好んで訪ねる島としても知られるが、それは最近になって出てきた拡大解釈で、ゲイの人々が愛する島、というのが元々の状況だろうと思う。

ミコノスタウンの通りやカフェ、バーなどではゲイらしい男性カップルを見かけたが、それは欧州のどこにでも見られる風景。そこだけが特別とは感じなかった。

情報ではそれらの皆さんが集まる店やビーチや溜り場などが別にあるようである。

僕はゲイではないが、明るくて愉快な彼らが好きでゲイの友人も多い。ミコノス島でも会えるのをどこかで期待していた。

なぜゲイ旅行者の人々がコノス島を目指すようになったかというと、元ケネディ大統領夫人だったあのジャクリーン・オナシスさんが、1970年代にゲイの島として推奨・紹介したのが発端だった。

それとは全く別に、僕はギリシャ神話のアポロンにまつわる話を考えていた。

美しい青年の神・アポロンは多彩な力を持ち恋愛にも多く関わった。相手は女性が大半だが、美少年のキュパリッソスやヒュアキントスとも愛し合った

アポロンはミコノス島の目と鼻の先にある古代遺跡のメッカ、デロス島に祭られている。ゲイの人々は、男を愛した美しいアポロンを慕って、隣のミコノス島に集まるようになった。。。

エピソードとしてはギリシャ神話にからめるほうが面白いと思うが、それはあくまでも僕の妄想である。

有名観光地のミコノス島には、欧州全域をはじめとする世界各国から旅行者が押し寄せる。むろんゲイではない人々が大多数だ。

宮古島よりも小さなミコノス島は開発が進み人があふれている。ギリシャ国内や世界の富裕層が、家や別荘を所有しているため土地建物は極めて高価だ。

物価もきわめて高いミコノス島は、将来は一般の観光客を締め出して、富裕層オンリーのリゾート地として特化されるのかもしれない。だが、現在のところはクルーズ船などを利用して押し寄せる大衆観光客もあふれている。

一見したころではオーバーツーリズム気味である。特に島の中心地のミコノスタウンの人出はすさまじい。


ミニ・ミコノス島

次に訪れたパロス島は、ミコノス島を追いかけて観光地化が急速に進み、滞在した島の第2の街ナウサは、ミニ・ミコノスタウンの趣きがあった。

洒落たカフェやバーやレストラン、各種店舗、またナイトスポッなどが目白押しだが、都会的な中にどうしても「垢抜け切れない」ような不思議な雰囲気が漂っていた。それは不快ではなく、むしろほほえましい印象で興味深かった。

今回はナウサのホテルに滞在したが、連日レンタカーで島の南岸のビーチに通った。一帯のビーチが広く静かで美しかったからだ。車では面白い体験もした。

レンタカー会社に「小型の車を」と予約しておいたら、なんとベンツに当たったのだ。ベンツを運転したのは初めての体験。実際にハンドルを握ってみてベンツがなぜ優れた車なのかを体感した。

路面をがっしりと掴んで一気に加速するような走りで、爽快かつ安全確実な印象を常に抱き続けた。

パロス島の物価はミコノス島に匹敵するほど高い。

だが、島の中心地のパリキアやナウサを離れると、野趣あふれる野山や素朴な集落を背景にビーチが多くあって、宿泊費用もやや安い印象があった。

食事も郊外のレストランがより美味しいと感じた。

ナウサの港には、数百から1千卓を並べて大型クルーズ船から吐き出される大量の観光客を受け入れているレストランなど、過剰に観光化した店も多くやや食傷させられた。

過度に観光化した全ての店の料理が不味いとは言えないだろうが、あまりにも多くのツアー客が群がる店に足を向けるのは勇気がいる。


魅惑のカスバ

パロス島のすぐ隣にあるナクソス島は、キクラデス諸島最大の島である。ビーチも多く山岳地帯も広がっている。

島の中心地のホラ(ナクソスタウン)には、北アフリカなどのカスバを髣髴とさせる一画があって非常に驚いた。古い歴史的マーケットで、地元の人はその町をオールドタウンと呼んでいる。

アルジェリアあたりのカスバ、あるいはイスタンブールのバザールなどを、規模を小さくした上で洗練された店やレストランや装飾などをはめ込んだ街、とでもいうような雰囲気がある。

建物の全体は古い時代のものがそっくり残されているが、そこに入っているあらゆるものがひどく趣があって垢抜けている。芸術的センスにあふれているのだ。

店やレストランを経営する人々もイギリスやフランス、アメリカや北欧出身者が多い。

地元の経営者に混じって店を切り盛りする、それらの人々の新しいアイデアやセンスや営業方針などが相まって、市場の雰囲気を磨き上げている、と見えた。

いわば「都会的に洗練されたカスバ」がホラの歴史的マーケットなのである。

パロス島ではホラから車で15分ほどのビーチ脇にアパートを借りた。

アパートからビーチに降りる小道の角にレストランがあった。

レストランでは子豚と子羊の丸焼きがほぼ毎日提供されていた。食べてみるとどちらも秀逸な味だった。特に子豚の丸焼きが印象深かった。

子羊の丸焼きも疑いなく特上級の味だったが、ナクソスでは他の店でも美味い子羊レシピが多々あったため、その分印象が薄れたのである。

ナクソス島は一級のバカンス施設を備えた魅惑的なリゾート地である。それでいながらミコノス島や隣島のパロス島と比べると、観光開発がすこし緩やかなペースで行われているように見える。

観光業以外にはほとんど産業のないキクラデス諸島内にあって、ナクソス島は畜産や農業が盛んで食料の自給率も圧倒的に高い。

雄大な自然と洒落たリゾート施設が共存するナクソス島は、キクラデス諸島のうちのミコノス、ミロス、サントリーニ、パロスなどの島々よりは知名度は低い。

だが僕にとっては、たちまち再訪したい島の筆頭格に躍り出た。




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安倍元首相が銃撃され亡くなったのは悲しいことだ。だが。。

beautifulsuirenn600

安倍元首相が銃撃され亡くなったのは悲しいことだ。あってはならない惨劇であったのは言うまでもない。

衷心より哀悼の意を表したい。

犯人の動機が何であれ、彼と背後関連者(存在するとして)は徹底して糾弾されなければならない。

同時にこの事件の場合には「生前が何であれ死ねば全て許される。死者に鞭打つな」という日本独特の美しい慣わしを適応してはならない。

政治家などの公人の場合には、必要ならば死者も大いに貶めるべきだ。

ましてや権力の座にあった者には、職を辞してもたとえ死しても、監視の目を向け続けるのが民主主義国家の国民のあるべき姿だ。

なぜなら監視をすることが後世の指針になるからだ。

公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受ける。

受けなければならない。

「死んだらみな仏」という考え方は、恨みや怒りや憎しみを水に流すという美点もあるが、権力者や為政者の責任をうやむやにして歴史を誤る、という危険が付きまとう。決してやってはならない。

他者を赦すなら死して後ではなく、生存中に赦してやるべきだ。「生きている人間を貶めない」ことこそ、真の善意であり寛容であり慈悲だ。

だがそれは、普通の人生を送る普通の善男善女が犯す、「間違い」に対して施されるべき理想の行為。

安倍元首相は普通の男ではない。日本最強の権力者だった人物だ。日本の将来のために良い点も悪い点もあげつらって評価しなければならない。

亡くなったばかりの安倍元首相に対しては、ほとんどのメディアが賞賛一辺倒の報道をしている。彼の政治手法や哲学への批判や検証はなされていない。

それは危険な兆候だ。

間違いや悪い点に対しては口をつぐむ、という態度はもってのほかである。

僕は安倍元首相の政治手法や哲学や政策には基本的に反対の立場を貫いてきた。彼の歴史修正主義的な言動に強い違和感を抱き続けた。

安倍元首相は森友・加計・桜を見る会などに始まる疑惑と嘘と不実にも塗れていた。それらが解明されなくなるのは残念だ。

そうはいうものの僕は、決して彼への反対一辺倒ではなく、元首相のプラグマティストしての柔軟で現実的な政治手法を認めてもきた。

功罪相半ばする、とまでは言えないが、ある程度は彼の政策に賛同するところもあったのである。

そうした僕の思いや意見を記した記事は多い。そのうち幾つかのURLを貼付して、僕の元首相へのお悔やみの印としたい。


1.https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52291110.html

2.http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52128918.html

ミコノス島の鮮烈Lamb料理

羊中身炙り650

2022年6月、ギリシャのミコノス島でおどろきの料理に出会った。

羊のモツの炙り焼きである。

心臓、肝、胃、腎臓、横隔膜ほかの内臓をさばき腸に詰めて巻き固め、炭火でじっくりと回し焼いた一品。

腸を入れ物に使う食べ物の代表格としては、ミンチ肉を詰めて熟成させるサラミあるが、完成するとサラミの皮になる腸は普通は食べない。

ところが子羊モツの炙り焼きは、サラミとは違って中身を詰めて巻きつけた腸自体も美味しく食べられる。

肉とは違う食感と香り、そしてなによりも各部がこんがりと焼けた腸にからまって絶妙な味わいを演出していた。

僕はレバ(肝)の味が苦手である。日本で食べるレバニラ炒めも、レバ抜きで、と頼むほどだ。

ところが子羊モツの炙り焼きに含まれているレバは、えぐみが他の具材で抑えられていてほとんど気にならなかった。

地中海域の旅ではヤギ・羊肉料理を食べ歩いている。

言うまでもなくそこでは魚介料理をはじめ牛、豚、鶏などの当たり前の肉料理も楽しむ

その合間に日本ではあまりなじみのないだが世界ではよく食べられているヤギ・羊肉レシピを敢えて探し求めるのである。

ヤギ&羊肉は地中海域ではごく普通の食材だ。珍味とは呼べない。それでも旅人の僕らにとっては少し珍しい。

珍しさに魅かれて食べるうちに、その美味さにのめり込んだ。今ではイタリア国内を含む旅先のレストランで、メニューを手にするとすぐにヤギ・羊肉料理の項を探す。

10年以上も前に始まったその習慣は、僕に付き合ってくれる妻が次第に「ヤギ・羊肉料理好き」になったことでますます深まった。妻はかつてはヤギ・羊肉料理が嫌いな人だったのだ。

僕がこだわるヤギ・羊肉料理はもともと成獣の肉ではなく、子ヤギと子羊肉のレシピのことだった。

ヤギや羊の肉には独特の臭いがある。それは成獣になるほど強くなる。

そのために両者の肉は幼獣のものが好まれ成獣のそれは避けられる。北部イタリアなどでは成獣の肉はほとんど市場に出回らない。

だが、南イタリアを含む南部の地中海沿岸では成獣のヤギ・羊肉も食される。その場合は独特の強烈な臭いが消されて風味へと昇華し深みのある肉の味だけが生かされているケースがほとんどだ。

子羊モツ炙り焼きUP650

僕はこれまでにイタリアのサルデーニャ島、スペインのカナリア諸島、トルコのイスタンブールなどで絶品のヤギ・羊の成獣肉料理に出会った。

子ヤギと子羊の場合は、地中海域のあらゆる国で優れたレシピがある。

2022年現在、食べた子ヤギ・子羊レシピのベスト3は、敢えて言えば:

1.ギリシャのロードス島の山中の食堂の一品

2.クロアチア国境に近いボスニア・ヘルツェゴビナのレストランの丸焼き肉

3.イタリア、ギリシャの島々、またその他の地域の多くのレストランのレシピ

という具合いである。

要するに子ヤギ・子羊はどこでもよく食べられ、その結果レシピが発達してバラエティに富み、味も多彩になったということである。

長くトルコの支配下にあったギリシャの島々のヤギ&羊肉膳は特に奥が深い。

イスラム教徒のトルコ人は豚を食べない。代わりに羊やヤギを多く食べる。トルコ人の食習慣はギリシャの島々にも定着した。

それは以前から根付いていたギリシャ独自のヤギ&羊肉文化と融合して、より奥深い味を生み出していった。

ギリシャのヤギ&羊肉料理は、欧州ではいわば本場のレシピ。従って当たりはずれはほとんどない。ほぼすべての店の膳美味しい。

その中でもミコノス島で食べた子羊モツの炙り焼きは、素材ユニークさもさることながら、モツの各部位が絶妙のバランスで融合して感動的なまでの味の良さに仕上がっていた

ヤギ・羊肉料理は、既述のようにギリシャの島々からイタリアのサルデーニャ島、トルコや北アフリカなど多くの素晴らしいレシピが存在する。だがモツ料理には出会ったことがなかった

2018年、サルデーニャ島のレストランでモツ焼き及びモツのパスタソースを味わった。めざましいレシピだったがそれは豚と子牛の内臓でヤギ羊のそれではなかったのである。

子羊の腸に内臓各部を詰めてからめて炙り焼き、深い滋味を作り出すミコノス島の店の手法は見事だった

そこにはシェフの創造性と多くの努力と試行錯誤の歴史がぎゅうぎゅうに詰まっている。

意外性のある美味いレシピに出会う喜びの真諦は、味もさることながら、料理人の独創性に触れる感動なのである。





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島々の死者たち



ギリシャのクレタ島に滞在した時の話です。

借りたアパートからビーチに向かう途中に墓地がありました。そこには大理石を用いた巨大な石棺型墓石が並んでいました。

墓石はどれもイタリアなどで見られる墓標の4~5倍の大きさがあります。筆者はそれを見たときすぐに日本の南の島々の異様に大きな墓を想いました。

先年、母を亡くした折に筆者は新聞に次のような内容の文章を寄稿しました。

生者と死者と


死者は生者の邪魔をしてはならない。僕は故郷の島に帰ってそこかしこに存在する巨大な墓を見るたびに良くそう思う。これは決して死者を冒涜したりばち当たりな慢心から言うのではない。生者の生きるスペースもないような狭い島の土地に大きな墓地があってはならない。  

島々の墓地の在り方は昔ならいざ知らず、現代の状況では言語道断である。巨大墓の奇怪さは時代錯誤である。時代は変わっていく。時代が変わるとは生者が変わっていくことである。生者が変われば死者の在り方も変わるのが摂理である。

僕は死んだら広いスペースなどいらない。生きている僕の息子や孫や甥っ子や姪っ子たちが使えばいい。日当りの良い場所もいらない。片隅に小さく住まわしてもらえれば十分。われわれの親たちもきっとそう思っている。

僕は最近母を亡くした。灰となった母の亡き骸の残滓は墓地に眠っている。しかしそれは母ではない。母はかけがえのない御霊となって僕の中にいるのである。霊魂が暗い墓の中にいると考えるのは死者への差別だ。母の御霊は墓にはいない。仏壇にもいない。

母の御霊は墓を飛び出し、現益施設に過ぎない仏壇も忌避し、母自身が生まれ育ちそして死んだ島さえも超越して、遍在する。

肉体を持たない母は完全に自由だ。自在な母は僕と共に、たとえば日本とイタリアの間に横たわる巨大空間さえも軽々と行き来しては笑っている。僕はそのことを実感することができる。

われわれが生きている限り御霊も生きている。そして自由に生きている御霊は間違っても生者の邪魔をしようとは考えていない。僕と共に生きている母もきっと生者に道を譲る。

母の教えを受けて、母と同じ気持ちを持つ僕も母と同じことをするであろう。僕は死者となったら生者に生きるスペースを譲る。人の見栄と欺瞞に過ぎない巨大墓などいらない。僕は生者の心の中だけで生きたいのである。



日本の南の島々の墓が巨大なのは、家族のみならず一族が共同で運営するからです。生者は供養を口実に大きな墓の敷地に集まって遊宴し、親睦を深めます。

そこは死者と生者の距離が近い「この世とあの世が混在する共同体」です。生者たちは死者をダシにして交歓し親しみあうのです。島々の古き良き伝統です。

ところが、従前の使命が希薄になった現代の墓を作る際も、人々は虚栄に満ちた大きな墓を演出したがります。筆者はそこに強い違和感を覚えます。

ギリシャ南端のクレタ島には、ギリシャの島々の街並みによくみられる白色のイメージがあまりありません。山の多い島の景色は乾いて赤茶けていて、むしろアフリカ的でさえあります。

その中にあって、白大理石を用いた石棺型墓石が並ぶ霊園は明るく、強い陽ざしをあびて全体がほぼ白一色に統一されています。

大きな墓石のひとつひとつは、島の遅い夏の、しかし肌を突き刺すような陽光を反射してさらに純白にかがやいています。

死の暗黒を必死に拒絶しているような異様な白さ、とでも形容したいところですが、実はそこにはそんな重い空気は一切漂っていません。

墓地はあっけらかんとして清廉、ひたすら軽く、埋葬地を抱いて広がる集落の向こうの、エーゲ海のように心はずむ光景にさえ見えました。

ギリシャと日本の南の島々の巨大墓には、死者への過剰な思い入れと生者の虚栄心が込められています。

そして死者への思い入れも生者の精神作用に他ならないことを考えれば、巨大墓はつまるところ「生者のための」施設なのです。

あらゆる葬送の儀式は死者のためにあるのではない。それは残された遺族をはじめとする生者のためにあります。

死者は自らの墓がいかなるものかを知らないし、知るよすがもありません。

墓も、葬儀も、また供養の行事も、死者をしのぶ口実で生者(遺族)が集い、お互いの絆を確かめ、親睦を図るための施設であり儀式です。

死者たちはそうやって生者のわれわれに生きる道筋を示唆します。

死者は生者の中で生きています。巨大墓地などを作って死者をたぶらかし、暗闇の中に閉じ込めてはなりません。

通常墓や仏壇でさえ死者を縛り、貶める「生者の都合」の所産です。

死者は生者と共に自由に生きるべきです。

それどころか生者の限界を超えてさらに自由な存在となって空を飛び、世界を巡り、「死者の生」を生きるべきなのです。

筆者の中の、筆者の母のように・・




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エーゲ海の光と風~群青の空とカモメとグルメ

子羊モツ炙り焼きUP650

エーゲ海を旅した。コロナ後初のイタリア国外への旅。

610日、ミラノからミコノス島に飛び、船でパロス島に移動した。

目的地のパロス島の前に寄った、乗り換え地のミコノス島の上空がすでに曇っていた。

船に乗り換えて、パロス島に着いた。その夜から朝にかけて雨が降った。

翌日もぐづついた天気が続いた。だが徐々に回復していき、3日目にはエーゲ海の空が戻ってきた。

群青色とシアンが重なったような深い青色。

あるいは瑠璃紺からホリゾンブルー分の青をそっと抜き取ったのでもあるかのような濃い空色。

言葉で遊べばいくらでも表現ができる。だが、どんなに言葉をなぞっても正確には言いあらわせない、エーゲ海の空だけの美しい巨大な色。

見渡す限り、360度の天空に明るい稠密な青いカーテが展延している。

それはコバルトブルーの海にきらきらと反射し、教会の青い屋根をくっきりと縁取り、白い壁や鐘楼をまぶしく輝かせる。

景色の細部は遠景の真っ白な光彩に吞み込まれて融合し昇華する。そうやって空と地の天淵が埋まる。

調和した世界には朝も昼も夜も、間断なく強風が吹き募る。碧海にも群青の空にも地上の白い街並みにも。

強風はメルテミ(Meltemi)と呼ばれる。夏のエーゲ海を象徴する風物詩だ

調和した、だが違う色彩の天地の間をカモメが飛ぶ。

風に乗って舞い上がり、碧空の白い一点となって悠々と浮かぶ。やがて吹き上がる強風を捉えて猛然と加速する。

加速するカモメは白い光跡を残しながら群青のカーテンの中に吸い込まれていく。

僕はビーチを行き来しては滑空するカモメの白い飛翔を撮影しようと試みる。

だがただの一度も成功したことがない。

かろうじて捉えることができるのは、風と戯れながら低空で静かに浮かぶ彼らの姿だけである。

海鳥をカメラで追うゲームに疲れると、ビーチパラソルの下の寝椅子にねそべって読書をし、あれこれ思いを巡らし、想像し、空想の中で遊ぶ。

それにも飽きたら泳ぎ、水中眼鏡をかけて海中を探索し、13時前後から食べる。

レストランにはギリシャ料理とともにイタリア料理が幅を利かせている。僕らはむろんイタリア料理には見向きもしない。

素朴な味わいのギリシャ料理を堪能する。

魚介はタコとイワシが特に美味く、小さなマグロと呼ばれるカツオの煮込みなども味わい深い。

肉は相変わらずヤギと羊肉を追い求める。

ギリシャのヤギ&羊肉料理は、欧州ではいわば本場のレシピだから当たりはずれはほとんどない。

ヤギ&羊肉膳はほぼすべての店が美味しかった。そして今回もまた世界一と呼びたくなるLamb(子羊)料理に出会った。

子羊のモツの炙り焼き。

内臓をさばき腸に詰め込んでじっくりと炭火で回し焼いた一品。肉とは違う食感と香りと味が秀逸だった。

ミコノス島での経験である。

少し以外な感じがしないでもなかった。ヤギや羊の炭火モツ焼き、と言えばワイルドな響きがする。ミコノス島はエーゲ海の島々の中でも洗練された場所。

その料理はたとえば今回訪れた中ではナクソス島あたりが似合いそうだ。ナクソス島はキクラデス諸島の中では最も大きく山岳地帯も多い。

素朴な山中などに息づいていそうな料理にも見えたが、実態は違う。子羊モツの炙り焼きの味は洗練されたものだった。やはりミコノス島に最も似合う、と考え直した。







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エーゲ海の空がもどってきた


則カモメ800

2022年6月、エーゲ海を目指した。コロナ後初のイタリア国外への旅。

コロナはほぼ収束したと見られているが、完全に終息してはいない。その意味では昨年のイタリア国内旅行に続くコロナ禍中での地中海紀行である。

目的地のパロス島の前に寄った、乗り換え地のミコノス島の上空がすでに曇っていた。

船に乗り換えて、パロス島に着いた。その夜から朝にかけて雨が降った。

翌日もぐづついた天気が続いた。

だが徐々に回復していき、3日目にはエーゲ海の空が戻ってきた。

群青色とシアンが重なったような深い青色。

あるいは瑠璃紺からホリゾンブルー分の青をそっと抜き取ったのでもあるかのような濃い空色。

言葉で遊べばいくらでも表現ができる。だが、どんなに言葉をぞっても正確には言いあらわせない、エーゲ海の空だけの美しい巨大な色。

見渡す限り、360度の天空に明るい稠密な青いカーテが展延している。

それはコバルトブルーの海にきらきらと反射し、教会の青い屋根をくっきりと縁取り、白い壁や鐘楼をまぶしく輝かせる。

景色の細部は遠景の真っ白な光彩に吞み込まれて融合し昇華する。そうやって空と地の天淵が埋まる。

調和した世界には朝も昼も夜も、間断なく強風が吹き募る。碧海にも群青の空にも地上の白い街並みにも。

強風はメルテミ(Meltemi)と呼ばれる。夏のエーゲ海を象徴する風物詩だ

調和した、だが違う色彩の天地の間をカモメが飛ぶ。

風に乗って舞い上がり、碧空の白い一点となって悠々と浮かぶ。やがて吹き上がる強風を捉えて猛然と加速する。

加速するカモメは白い光跡を残しながら群青のカーテンの中に吸い込まれていく。

僕はビーチを行き来しては滑空するカモメの白い飛翔をカメラで捉えようと試みる。

だがただの一度も成功したことがない。

かろうじて撮影できるのは、風と戯れながら低空で静かに浮かぶ彼らの姿だけである。

海鳥をカメラで追いかける作業に疲れると、ビーチパラソルの下の寝椅子にねそべって読書をし、あれこれ思いを巡らし、想像し、空想の中で遊ぶ。

それにも飽きたら泳ぎ、水中眼鏡をかけて海中を探索し、13時前後から食べる。食べた後は、再びビーチに戻ったりドライブに出る。

レストランにはギリシャ料理とともにイタリア料理が幅を利かせている。僕らはむろんイタリア料理には見向きもしない。

素朴な味わいのギリシャ料理を堪能する。

魚介はタコとイワシが特に美味く、小さなマグロと呼ばれるカツオの煮込みなども味わい深い。

肉は相変わらずヤギと羊肉を追い求める。

ギリシャのヤギ&羊肉料理は、欧州ではいわば本場のレシピだから当たりはずれはほとんどない。

長くトルコの支配下にあったギリシャの島々のヤギ&羊肉膳は奥が深い。

イスラム教徒のトルコ人は豚を食べない。代わりに羊やヤギを多く食べる。トルコ人の食習慣はギリシャの島々にも定着した、

牛肉や豚肉また鶏肉料理などもむろんギリシャでは豊かだ。だがどこにでもあるそれらの肉に加えて、島々にはいま触れた羊肉やヤギ肉のレシピもまた発達した。

ヤギ&羊肉はここでは珍味ではない。ごく普通の食材だ。それでも旅人の僕らにとっては少し珍しい。

珍しさに魅かれて食べるうちに、その美味さにのめり込んだ。今ではどこにでもある牛、豚、鶏料理ではあまり満足できなくなった。

ただし、島々には豚肉の炭火焼きや子豚の丸焼きなど、イタリアによく似た極上のレシピもある。

肉料理を求めるのは、言うまでもなく島の魚介料理からの乗り換えである。

食を楽しむ、ごく当たり前のバカンス旅の時間を過ごしながら、僕はよく人と時間と空間を考える。

要するにドキュメンタリーを頭の中に構築する。

だがここ最近は僕のスタッフ、つまりカメラマや音声マンや照明スタッフ、またアシスタントやドライバーなどを招集することはほとんどない。

僕はドキュメンタリーやドラマをWEB・ブログ・SNSなどの媒体で代替できないかと考え、できると見なしてひたすら書いているのである。

この先もこの形を貫いてみようと思う。

どこまでその状態が続くかは分からないが、考えに考え抜いたWEB記事を例えば10本書くと、1本のドキュメンタリー番組を仕上げた程度の疲労感と自己満足を覚えないこともない。





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雨のエーゲ海はエー海じゃない

曇り空教会800

エーゲ海のパロス島にいる。

610日、ミラノからミコノス島に飛び、船で島に移動した。

パロス島でしばらく過ごしてナクソス島に移動し、ミラノ戻りの前日にミコノス島を巡る。

全行程2週間の旅である。

キクラデス諸島内の3島はいずれ劣らぬ観光名所だが、もっとも有名なのはミコノス島だ。

だが今回は、ミコノス島を乗りかえ地レベルの短い訪問にとどめて、パロス島とナクソス島に集中する。

実はミコノス島にもしばらく滞在する予定だった。

ところがひどく混みあっていて、僕らが目指すキャンプ地内の一軒家やビーチ際の借家などにまったく空きがなかった。

ことしの欧州の夏は旅行ブームである。コロナがほぼ収束したと見なされ、コロナ規制で窮屈な日々を送ってきた人々がどっと旅に出る。

それは早くから予想されていた。

そこにロシアによる戦争が勃発した。

224日以来ヨーロッパは、コロナ疲れに重なったウクライナへの気遣いで大きく疲弊した。疲弊はロシアへの怒りにひきずられてさらに深刻化した。

だが人は何ごとにも慣れる。

欧州の人々は戦争にも慣れつつある。連日の戦争報道はもはや日常化して、衝撃をもたらすことが少なくなった。

緊張がゆるみつつあるタイミングで夏がやってきた。

人々はコロナと戦争という巨大なストレスへの反動から、バカンスや旅行へと熱に浮かされたように行動し始めた。

豊かな欧州の金余り現象もそれに拍車をかける。人々はコロナ禍中の2年間ほとんど消費をしなかった。バカンスに出ず旅を控えレストランにも足を向けなかった。

コロナは多くの弱者をさらに貧しくしたが、多くの金持ちとさらにもっと多くの中間層に貯えをもたらした。消費せずまた消費できない分、人々の貯えが増えたのだ。

夏の旅行ブームはそれらの「豊かな」人々によって支えられている。

ミコノス島が混雑しているのはそんな背景があるからだが、ここパロス島の人出もすごい。

6月の今これだけ旅人が訪れるのなら、7月から8月のバカンス最盛期には人々が島からあふれて海に落ちるのではないか、とさえ危ぶむほどだ。

島の盛況に目をみはりつつまた楽しみつつ、新しい体験もしている。

島に到着した日に雨が降り、その後も曇りがちの荒れた天候が続いているのだ。

夏の間の地中海域は極端に雨が少ない。南のイオニア海やエーゲ海域は特にそうだ。

6月の天気は7月や8月と比べた場合にはやや不安定だが、それでも晴天が続くのが普通だ。

だが少なくとも僕は、6月から10月までの間のギリシャ旅では、雨はおろか曇り空に遭った記憶さえない。

来る日も来る日も抜けるような青空が続いてきたのだ。

エーゲ海の島々の白い家並みや教会の青い屋根や海の碧や花々の彩は、雲一つない青空ときらめく日差しの洗礼によって「エーゲ海」の景色になる。

曇りや雨では少しつまらない。

ありのままが美しいという意味の「日日是好日」は、日常の中での日常のそれぞれの良さや美しさを称える言葉だ、

そうすると日常の対岸にある旅という非日常の時間の中では、エーゲ海のくすんだ空はつまらない、という捉え方も許されるのかもしれない。

こじつけのような、でも真実のようなそんなことを思いつつ、僕は空いっぱいの「青空」と白くきらめく日差しを待ちわびている。









「クイ食いネー」と言われても食えねェバヤイもある


仰向け丸焼き












ペルーは南米でもっとも観光客に人気のある国とされます。アンデス山脈、アマゾン川、ナスカの地上絵、マチュピチュなど、など・・ペルーには魅惑的な観光スポットが数多くあります。


そのぺルーを旅した時の話。

旅では標高約5千メートルの峠越え3回を含む、3700メートル付近の高山地帯を主に移動しました。

目がくらむほどに深い渓谷を車窓真下に見る、死と隣り合わせの険しい道のりと、観光客の行かない高山地帯の村々や人々の暮らしは、見るもの聞くものの全てが新鮮で大いに興奮しました。

その中でも特に面白かったのは「ペルーの豚」料理でした。面白かったというのは実は言葉のあやで、筆者は「ペルーの豚」料理に閉口しました。

ペルーには2種類の豚がいます。一つは誰もが知っている普通の豚。山中の村では豚舎ではなく、道路などでも放し飼いにされています。これはとてもおどろきでした。

でももう一種の豚はもっとおどろきです。それは普通の子豚よりもずっと小さな豚で、ここイタリアを含む欧米で「ギニア(西アフリカ)の豚」とか「チビ豚」また「インド豚」などとも称されます。

ペルーでは「クイ」と呼ばれ、それの丸焼き料理がよく食べられます。つまり先に触れた「ペルーの豚」料理です。レストランなどでも正式メニューとして当たり前に提供されています。

クイは見た目は体がずんぐりしていて頭が大きく、確かに極小の豚のようでもあります。だがクイは本当は豚ではなく、モルモットのことです。日本語では天竺鼠とも言います。

筆者はクイの丸焼き料理がどうしても食べられませんでした。天竺鼠の「ネズミ」という先入観が邪魔をして、とても口に入れる気になれないのでした。

クイの丸焼きの見た目は、どちらかと言えばウサギの丸焼きです。イタリアでよく食べられるウサギも、実は筆者は長い間食べることができませんでした。

が、郷に入らば郷に従え、と自分に言い聞かせて後には何とか食べられるようになりました。

ウサギ肉は、自ら望んで「食べたい」とは今も思いませんが、提供されたら食べます。クイもそのつもりでいました。

しかしモルモットでありネズミである、という思いが先にたってどうしてもだめだったのです。

実を言うと筆者がクイを食べられなかったのは、ネズミという先入観が全てではありません。筆者が田舎者であることが真の理由なのだろうと思います。

田舎の人というのは新しい食べ物を受けつけない傾向があります。誤解を恐れずに言えば、いわゆる田舎者の保守体質です。

日本でもそうですが、ここイタリアでも田舎の人たちは、たとえば筆者が日本から土産で持ち込む食べ物を喜ばないことが多い。悪気があるのではなく、彼らは食の冒険を好まないのです。

生まれが大いなる田舎者の筆者は、イタリアに来て丸2年間生ハムを口にしませんでした。それが生肉だと初めに告げられたのが原因でした。ウサギ肉どころの話ではなかったのです。

イタリアでは生ハムは、ほぼ毎日と言っても良いくらいにひんぱんに食卓に供される食物です。2年後に思い切って食べてみました。以来大好きになり、今では生ハムのない食卓は考えもつきません。

ウサギを食べられるようになったのは、生ハムのエピソードからさらに10年以上も経ってからのことです。筆者はそんな具合に田舎者にありがちなやっかいな食習慣を持っています。

日本のド田舎を出て、ついには日本という祖国も飛び出して外国に住んでいる身としては、この「食の保守性」というか偏向性はちょっとまずい性癖です。世界の食は多様過ぎるほど多様なのですから。

それは良く分っているのですが、その面倒くさい性分は、標高が富士山よりはるかに高いアンデス山中でも変わることはありませんでした。

変わるどころか、土地の珍味を食べなくても別に死にはしない、と開き直っている自分がいました。まさに田舎者の保守性丸出しだったのです。





プーチン暗殺未遂やクーデター論のケセラセラ


ロシアのウクライナ侵攻からほぼ80日が経った5月14日、ウクライナ諜報機関のボス、キリロ・ブダノフ准将が、ロシアでプーチン大統領を引きずりおろすクーデターが進行している、と英スカイニュースで公言した。

だがその後は何事もなく時間が過ぎた。真相は闇の中だが、ロシアの反プーチン勢力がクーデターを繰り返し画策していても不思議ではない。

プーチン大統領の暗殺を目指して動くスパイや、特務機関の存在もしきりに取りざたされている。

そうした権謀術数は、しかし、今のところは成功の確率は非常に低い。限りなくゼロに近いと言っても構わないのではないか。

そうはいうものの、劇画やスパイ映画じみたそれらの計画が存在しないと考えるのは、プーチン大統領の暗殺が明日にでも成就する、と主張するのと同じ程度に荒唐無稽だ。

前出のダノフ准将は、公表されていないが3月にプーチン暗殺未遂事件が確かにあった、とも明言している。

またブダノフ准将は、プーチン大統領がいくつかの病気に罹っていて、精神的にも肉体的にも追い詰められているとも断言。

イギリスのタイムズ紙も、プーチン大統領が「血液のがん」に侵されていると報告し、アメリカのメディアも同様に彼の健康状態が良くない、と伝えている。

また別の英紙によると、プーチン大統領は暗殺を恐れて疑心暗鬼になっている。食事や飲み物は毒見担当のスタッフが味見をした後でなければ口にしないらしい。

クレムリン内ではかつてなくプーチン大統領の求心力が低下している。だが、権力争いは活発化していない。なぜならプーチン時代の終わりを誰もが予感しているからだ。

いま無理して争わなくてもプーチン大統領は間もまく失墜するか死亡する、と彼に続こうとする権力の亡者たちは踏んでいるようだ。

巷に流れている情報がどこまで真実なのかはいまのところ誰にも分からない。

ウクライナやアメリカの諜報機関も、ロシアのそれと同じくらいにフェイクニュースを発信して、情報のかく乱を目指しているからだ。

一方では猫も杓子も希望的観測も、ひたすらプーチン大統領の失脚を待ちわびている。

そして先行きがまったく見えないまま、世界は徐々に戦争報道に飽きつつある。人の集中力は長くは続かないのだ。

プーチン大統領はその時をじっと待っているとも目されている。

世界の関心が薄れたとき、間隙を縫ってプーチン大統領の決定的な攻勢が始まる、という考え方もある。

どこまで行っても一筋縄ではいかないのがプーチン大統領という魔物である。






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