【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

島々の死者たち



ギリシャのクレタ島に滞在した時の話です。

借りたアパートからビーチに向かう途中に墓地がありました。そこには大理石を用いた巨大な石棺型墓石が並んでいました。

墓石はどれもイタリアなどで見られる墓標の4~5倍の大きさがあります。筆者はそれを見たときすぐに日本の南の島々の異様に大きな墓を想いました。

先年、母を亡くした折に筆者は新聞に次のような内容の文章を寄稿しました。

生者と死者と


死者は生者の邪魔をしてはならない。僕は故郷の島に帰ってそこかしこに存在する巨大な墓を見るたびに良くそう思う。これは決して死者を冒涜したりばち当たりな慢心から言うのではない。生者の生きるスペースもないような狭い島の土地に大きな墓地があってはならない。  

島々の墓地の在り方は昔ならいざ知らず、現代の状況では言語道断である。巨大墓の奇怪さは時代錯誤である。時代は変わっていく。時代が変わるとは生者が変わっていくことである。生者が変われば死者の在り方も変わるのが摂理である。

僕は死んだら広いスペースなどいらない。生きている僕の息子や孫や甥っ子や姪っ子たちが使えばいい。日当りの良い場所もいらない。片隅に小さく住まわしてもらえれば十分。われわれの親たちもきっとそう思っている。

僕は最近母を亡くした。灰となった母の亡き骸の残滓は墓地に眠っている。しかしそれは母ではない。母はかけがえのない御霊となって僕の中にいるのである。霊魂が暗い墓の中にいると考えるのは死者への差別だ。母の御霊は墓にはいない。仏壇にもいない。

母の御霊は墓を飛び出し、現益施設に過ぎない仏壇も忌避し、母自身が生まれ育ちそして死んだ島さえも超越して、遍在する。

肉体を持たない母は完全に自由だ。自在な母は僕と共に、たとえば日本とイタリアの間に横たわる巨大空間さえも軽々と行き来しては笑っている。僕はそのことを実感することができる。

われわれが生きている限り御霊も生きている。そして自由に生きている御霊は間違っても生者の邪魔をしようとは考えていない。僕と共に生きている母もきっと生者に道を譲る。

母の教えを受けて、母と同じ気持ちを持つ僕も母と同じことをするであろう。僕は死者となったら生者に生きるスペースを譲る。人の見栄と欺瞞に過ぎない巨大墓などいらない。僕は生者の心の中だけで生きたいのである。



日本の南の島々の墓が巨大なのは、家族のみならず一族が共同で運営するからです。生者は供養を口実に大きな墓の敷地に集まって遊宴し、親睦を深めます。

そこは死者と生者の距離が近い「この世とあの世が混在する共同体」です。生者たちは死者をダシにして交歓し親しみあうのです。島々の古き良き伝統です。

ところが、従前の使命が希薄になった現代の墓を作る際も、人々は虚栄に満ちた大きな墓を演出したがります。筆者はそこに強い違和感を覚えます。

ギリシャ南端のクレタ島には、ギリシャの島々の街並みによくみられる白色のイメージがあまりありません。山の多い島の景色は乾いて赤茶けていて、むしろアフリカ的でさえあります。

その中にあって、白大理石を用いた石棺型墓石が並ぶ霊園は明るく、強い陽ざしをあびて全体がほぼ白一色に統一されています。

大きな墓石のひとつひとつは、島の遅い夏の、しかし肌を突き刺すような陽光を反射してさらに純白にかがやいています。

死の暗黒を必死に拒絶しているような異様な白さ、とでも形容したいところですが、実はそこにはそんな重い空気は一切漂っていません。

墓地はあっけらかんとして清廉、ひたすら軽く、埋葬地を抱いて広がる集落の向こうの、エーゲ海のように心はずむ光景にさえ見えました。

ギリシャと日本の南の島々の巨大墓には、死者への過剰な思い入れと生者の虚栄心が込められています。

そして死者への思い入れも生者の精神作用に他ならないことを考えれば、巨大墓はつまるところ「生者のための」施設なのです。

あらゆる葬送の儀式は死者のためにあるのではない。それは残された遺族をはじめとする生者のためにあります。

死者は自らの墓がいかなるものかを知らないし、知るよすがもありません。

墓も、葬儀も、また供養の行事も、死者をしのぶ口実で生者(遺族)が集い、お互いの絆を確かめ、親睦を図るための施設であり儀式です。

死者たちはそうやって生者のわれわれに生きる道筋を示唆します。

死者は生者の中で生きています。巨大墓地などを作って死者をたぶらかし、暗闇の中に閉じ込めてはなりません。

通常墓や仏壇でさえ死者を縛り、貶める「生者の都合」の所産です。

死者は生者と共に自由に生きるべきです。

それどころか生者の限界を超えてさらに自由な存在となって空を飛び、世界を巡り、「死者の生」を生きるべきなのです。

筆者の中の、筆者の母のように・・




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エーゲ海の光と風~群青の空とカモメとグルメ

子羊モツ炙り焼きUP650

エーゲ海を旅した。コロナ後初のイタリア国外への旅。

610日、ミラノからミコノス島に飛び、船でパロス島に移動した。

目的地のパロス島の前に寄った、乗り換え地のミコノス島の上空がすでに曇っていた。

船に乗り換えて、パロス島に着いた。その夜から朝にかけて雨が降った。

翌日もぐづついた天気が続いた。だが徐々に回復していき、3日目にはエーゲ海の空が戻ってきた。

群青色とシアンが重なったような深い青色。

あるいは瑠璃紺からホリゾンブルー分の青をそっと抜き取ったのでもあるかのような濃い空色。

言葉で遊べばいくらでも表現ができる。だが、どんなに言葉をなぞっても正確には言いあらわせない、エーゲ海の空だけの美しい巨大な色。

見渡す限り、360度の天空に明るい稠密な青いカーテが展延している。

それはコバルトブルーの海にきらきらと反射し、教会の青い屋根をくっきりと縁取り、白い壁や鐘楼をまぶしく輝かせる。

景色の細部は遠景の真っ白な光彩に吞み込まれて融合し昇華する。そうやって空と地の天淵が埋まる。

調和した世界には朝も昼も夜も、間断なく強風が吹き募る。碧海にも群青の空にも地上の白い街並みにも。

強風はメルテミ(Meltemi)と呼ばれる。夏のエーゲ海を象徴する風物詩だ

調和した、だが違う色彩の天地の間をカモメが飛ぶ。

風に乗って舞い上がり、碧空の白い一点となって悠々と浮かぶ。やがて吹き上がる強風を捉えて猛然と加速する。

加速するカモメは白い光跡を残しながら群青のカーテンの中に吸い込まれていく。

僕はビーチを行き来しては滑空するカモメの白い飛翔を撮影しようと試みる。

だがただの一度も成功したことがない。

かろうじて捉えることができるのは、風と戯れながら低空で静かに浮かぶ彼らの姿だけである。

海鳥をカメラで追うゲームに疲れると、ビーチパラソルの下の寝椅子にねそべって読書をし、あれこれ思いを巡らし、想像し、空想の中で遊ぶ。

それにも飽きたら泳ぎ、水中眼鏡をかけて海中を探索し、13時前後から食べる。

レストランにはギリシャ料理とともにイタリア料理が幅を利かせている。僕らはむろんイタリア料理には見向きもしない。

素朴な味わいのギリシャ料理を堪能する。

魚介はタコとイワシが特に美味く、小さなマグロと呼ばれるカツオの煮込みなども味わい深い。

肉は相変わらずヤギと羊肉を追い求める。

ギリシャのヤギ&羊肉料理は、欧州ではいわば本場のレシピだから当たりはずれはほとんどない。

ヤギ&羊肉膳はほぼすべての店が美味しかった。そして今回もまた世界一と呼びたくなるLamb(子羊)料理に出会った。

子羊のモツの炙り焼き。

内臓をさばき腸に詰め込んでじっくりと炭火で回し焼いた一品。肉とは違う食感と香りと味が秀逸だった。

ミコノス島での経験である。

少し以外な感じがしないでもなかった。ヤギや羊の炭火モツ焼き、と言えばワイルドな響きがする。ミコノス島はエーゲ海の島々の中でも洗練された場所。

その料理はたとえば今回訪れた中ではナクソス島あたりが似合いそうだ。ナクソス島はキクラデス諸島の中では最も大きく山岳地帯も多い。

素朴な山中などに息づいていそうな料理にも見えたが、実態は違う。子羊モツの炙り焼きの味は洗練されたものだった。やはりミコノス島に最も似合う、と考え直した。







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エーゲ海の空がもどってきた


則カモメ800

2022年6月、エーゲ海を目指した。コロナ後初のイタリア国外への旅。

コロナはほぼ収束したと見られているが、完全に終息してはいない。その意味では昨年のイタリア国内旅行に続くコロナ禍中での地中海紀行である。

目的地のパロス島の前に寄った、乗り換え地のミコノス島の上空がすでに曇っていた。

船に乗り換えて、パロス島に着いた。その夜から朝にかけて雨が降った。

翌日もぐづついた天気が続いた。

だが徐々に回復していき、3日目にはエーゲ海の空が戻ってきた。

群青色とシアンが重なったような深い青色。

あるいは瑠璃紺からホリゾンブルー分の青をそっと抜き取ったのでもあるかのような濃い空色。

言葉で遊べばいくらでも表現ができる。だが、どんなに言葉をぞっても正確には言いあらわせない、エーゲ海の空だけの美しい巨大な色。

見渡す限り、360度の天空に明るい稠密な青いカーテが展延している。

それはコバルトブルーの海にきらきらと反射し、教会の青い屋根をくっきりと縁取り、白い壁や鐘楼をまぶしく輝かせる。

景色の細部は遠景の真っ白な光彩に吞み込まれて融合し昇華する。そうやって空と地の天淵が埋まる。

調和した世界には朝も昼も夜も、間断なく強風が吹き募る。碧海にも群青の空にも地上の白い街並みにも。

強風はメルテミ(Meltemi)と呼ばれる。夏のエーゲ海を象徴する風物詩だ

調和した、だが違う色彩の天地の間をカモメが飛ぶ。

風に乗って舞い上がり、碧空の白い一点となって悠々と浮かぶ。やがて吹き上がる強風を捉えて猛然と加速する。

加速するカモメは白い光跡を残しながら群青のカーテンの中に吸い込まれていく。

僕はビーチを行き来しては滑空するカモメの白い飛翔をカメラで捉えようと試みる。

だがただの一度も成功したことがない。

かろうじて撮影できるのは、風と戯れながら低空で静かに浮かぶ彼らの姿だけである。

海鳥をカメラで追いかける作業に疲れると、ビーチパラソルの下の寝椅子にねそべって読書をし、あれこれ思いを巡らし、想像し、空想の中で遊ぶ。

それにも飽きたら泳ぎ、水中眼鏡をかけて海中を探索し、13時前後から食べる。食べた後は、再びビーチに戻ったりドライブに出る。

レストランにはギリシャ料理とともにイタリア料理が幅を利かせている。僕らはむろんイタリア料理には見向きもしない。

素朴な味わいのギリシャ料理を堪能する。

魚介はタコとイワシが特に美味く、小さなマグロと呼ばれるカツオの煮込みなども味わい深い。

肉は相変わらずヤギと羊肉を追い求める。

ギリシャのヤギ&羊肉料理は、欧州ではいわば本場のレシピだから当たりはずれはほとんどない。

長くトルコの支配下にあったギリシャの島々のヤギ&羊肉膳は奥が深い。

イスラム教徒のトルコ人は豚を食べない。代わりに羊やヤギを多く食べる。トルコ人の食習慣はギリシャの島々にも定着した、

牛肉や豚肉また鶏肉料理などもむろんギリシャでは豊かだ。だがどこにでもあるそれらの肉に加えて、島々にはいま触れた羊肉やヤギ肉のレシピもまた発達した。

ヤギ&羊肉はここでは珍味ではない。ごく普通の食材だ。それでも旅人の僕らにとっては少し珍しい。

珍しさに魅かれて食べるうちに、その美味さにのめり込んだ。今ではどこにでもある牛、豚、鶏料理ではあまり満足できなくなった。

ただし、島々には豚肉の炭火焼きや子豚の丸焼きなど、イタリアによく似た極上のレシピもある。

肉料理を求めるのは、言うまでもなく島の魚介料理からの乗り換えである。

食を楽しむ、ごく当たり前のバカンス旅の時間を過ごしながら、僕はよく人と時間と空間を考える。

要するにドキュメンタリーを頭の中に構築する。

だがここ最近は僕のスタッフ、つまりカメラマや音声マンや照明スタッフ、またアシスタントやドライバーなどを招集することはほとんどない。

僕はドキュメンタリーやドラマをWEB・ブログ・SNSなどの媒体で代替できないかと考え、できると見なしてひたすら書いているのである。

この先もこの形を貫いてみようと思う。

どこまでその状態が続くかは分からないが、考えに考え抜いたWEB記事を例えば10本書くと、1本のドキュメンタリー番組を仕上げた程度の疲労感と自己満足を覚えないこともない。





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雨のエーゲ海はエー海じゃない

曇り空教会800

エーゲ海のパロス島にいる。

610日、ミラノからミコノス島に飛び、船で島に移動した。

パロス島でしばらく過ごしてナクソス島に移動し、ミラノ戻りの前日にミコノス島を巡る。

全行程2週間の旅である。

キクラデス諸島内の3島はいずれ劣らぬ観光名所だが、もっとも有名なのはミコノス島だ。

だが今回は、ミコノス島を乗りかえ地レベルの短い訪問にとどめて、パロス島とナクソス島に集中する。

実はミコノス島にもしばらく滞在する予定だった。

ところがひどく混みあっていて、僕らが目指すキャンプ地内の一軒家やビーチ際の借家などにまったく空きがなかった。

ことしの欧州の夏は旅行ブームである。コロナがほぼ収束したと見なされ、コロナ規制で窮屈な日々を送ってきた人々がどっと旅に出る。

それは早くから予想されていた。

そこにロシアによる戦争が勃発した。

224日以来ヨーロッパは、コロナ疲れに重なったウクライナへの気遣いで大きく疲弊した。疲弊はロシアへの怒りにひきずられてさらに深刻化した。

だが人は何ごとにも慣れる。

欧州の人々は戦争にも慣れつつある。連日の戦争報道はもはや日常化して、衝撃をもたらすことが少なくなった。

緊張がゆるみつつあるタイミングで夏がやってきた。

人々はコロナと戦争という巨大なストレスへの反動から、バカンスや旅行へと熱に浮かされたように行動し始めた。

豊かな欧州の金余り現象もそれに拍車をかける。人々はコロナ禍中の2年間ほとんど消費をしなかった。バカンスに出ず旅を控えレストランにも足を向けなかった。

コロナは多くの弱者をさらに貧しくしたが、多くの金持ちとさらにもっと多くの中間層に貯えをもたらした。消費せずまた消費できない分、人々の貯えが増えたのだ。

夏の旅行ブームはそれらの「豊かな」人々によって支えられている。

ミコノス島が混雑しているのはそんな背景があるからだが、ここパロス島の人出もすごい。

6月の今これだけ旅人が訪れるのなら、7月から8月のバカンス最盛期には人々が島からあふれて海に落ちるのではないか、とさえ危ぶむほどだ。

島の盛況に目をみはりつつまた楽しみつつ、新しい体験もしている。

島に到着した日に雨が降り、その後も曇りがちの荒れた天候が続いているのだ。

夏の間の地中海域は極端に雨が少ない。南のイオニア海やエーゲ海域は特にそうだ。

6月の天気は7月や8月と比べた場合にはやや不安定だが、それでも晴天が続くのが普通だ。

だが少なくとも僕は、6月から10月までの間のギリシャ旅では、雨はおろか曇り空に遭った記憶さえない。

来る日も来る日も抜けるような青空が続いてきたのだ。

エーゲ海の島々の白い家並みや教会の青い屋根や海の碧や花々の彩は、雲一つない青空ときらめく日差しの洗礼によって「エーゲ海」の景色になる。

曇りや雨では少しつまらない。

ありのままが美しいという意味の「日日是好日」は、日常の中での日常のそれぞれの良さや美しさを称える言葉だ、

そうすると日常の対岸にある旅という非日常の時間の中では、エーゲ海のくすんだ空はつまらない、という捉え方も許されるのかもしれない。

こじつけのような、でも真実のようなそんなことを思いつつ、僕は空いっぱいの「青空」と白くきらめく日差しを待ちわびている。









「クイ食いネー」と言われても食えねェバヤイもある


仰向け丸焼き












ペルーは南米でもっとも観光客に人気のある国とされます。アンデス山脈、アマゾン川、ナスカの地上絵、マチュピチュなど、など・・ペルーには魅惑的な観光スポットが数多くあります。


そのぺルーを旅した時の話。

旅では標高約5千メートルの峠越え3回を含む、3700メートル付近の高山地帯を主に移動しました。

目がくらむほどに深い渓谷を車窓真下に見る、死と隣り合わせの険しい道のりと、観光客の行かない高山地帯の村々や人々の暮らしは、見るもの聞くものの全てが新鮮で大いに興奮しました。

その中でも特に面白かったのは「ペルーの豚」料理でした。面白かったというのは実は言葉のあやで、筆者は「ペルーの豚」料理に閉口しました。

ペルーには2種類の豚がいます。一つは誰もが知っている普通の豚。山中の村では豚舎ではなく、道路などでも放し飼いにされています。これはとてもおどろきでした。

でももう一種の豚はもっとおどろきです。それは普通の子豚よりもずっと小さな豚で、ここイタリアを含む欧米で「ギニア(西アフリカ)の豚」とか「チビ豚」また「インド豚」などとも称されます。

ペルーでは「クイ」と呼ばれ、それの丸焼き料理がよく食べられます。つまり先に触れた「ペルーの豚」料理です。レストランなどでも正式メニューとして当たり前に提供されています。

クイは見た目は体がずんぐりしていて頭が大きく、確かに極小の豚のようでもあります。だがクイは本当は豚ではなく、モルモットのことです。日本語では天竺鼠とも言います。

筆者はクイの丸焼き料理がどうしても食べられませんでした。天竺鼠の「ネズミ」という先入観が邪魔をして、とても口に入れる気になれないのでした。

クイの丸焼きの見た目は、どちらかと言えばウサギの丸焼きです。イタリアでよく食べられるウサギも、実は筆者は長い間食べることができませんでした。

が、郷に入らば郷に従え、と自分に言い聞かせて後には何とか食べられるようになりました。

ウサギ肉は、自ら望んで「食べたい」とは今も思いませんが、提供されたら食べます。クイもそのつもりでいました。

しかしモルモットでありネズミである、という思いが先にたってどうしてもだめだったのです。

実を言うと筆者がクイを食べられなかったのは、ネズミという先入観が全てではありません。筆者が田舎者であることが真の理由なのだろうと思います。

田舎の人というのは新しい食べ物を受けつけない傾向があります。誤解を恐れずに言えば、いわゆる田舎者の保守体質です。

日本でもそうですが、ここイタリアでも田舎の人たちは、たとえば筆者が日本から土産で持ち込む食べ物を喜ばないことが多い。悪気があるのではなく、彼らは食の冒険を好まないのです。

生まれが大いなる田舎者の筆者は、イタリアに来て丸2年間生ハムを口にしませんでした。それが生肉だと初めに告げられたのが原因でした。ウサギ肉どころの話ではなかったのです。

イタリアでは生ハムは、ほぼ毎日と言っても良いくらいにひんぱんに食卓に供される食物です。2年後に思い切って食べてみました。以来大好きになり、今では生ハムのない食卓は考えもつきません。

ウサギを食べられるようになったのは、生ハムのエピソードからさらに10年以上も経ってからのことです。筆者はそんな具合に田舎者にありがちなやっかいな食習慣を持っています。

日本のド田舎を出て、ついには日本という祖国も飛び出して外国に住んでいる身としては、この「食の保守性」というか偏向性はちょっとまずい性癖です。世界の食は多様過ぎるほど多様なのですから。

それは良く分っているのですが、その面倒くさい性分は、標高が富士山よりはるかに高いアンデス山中でも変わることはありませんでした。

変わるどころか、土地の珍味を食べなくても別に死にはしない、と開き直っている自分がいました。まさに田舎者の保守性丸出しだったのです。





プーチン暗殺未遂やクーデター論のケセラセラ


ロシアのウクライナ侵攻からほぼ80日が経った5月14日、ウクライナ諜報機関のボス、キリロ・ブダノフ准将が、ロシアでプーチン大統領を引きずりおろすクーデターが進行している、と英スカイニュースで公言した。

だがその後は何事もなく時間が過ぎた。真相は闇の中だが、ロシアの反プーチン勢力がクーデターを繰り返し画策していても不思議ではない。

プーチン大統領の暗殺を目指して動くスパイや、特務機関の存在もしきりに取りざたされている。

そうした権謀術数は、しかし、今のところは成功の確率は非常に低い。限りなくゼロに近いと言っても構わないのではないか。

そうはいうものの、劇画やスパイ映画じみたそれらの計画が存在しないと考えるのは、プーチン大統領の暗殺が明日にでも成就する、と主張するのと同じ程度に荒唐無稽だ。

前出のダノフ准将は、公表されていないが3月にプーチン暗殺未遂事件が確かにあった、とも明言している。

またブダノフ准将は、プーチン大統領がいくつかの病気に罹っていて、精神的にも肉体的にも追い詰められているとも断言。

イギリスのタイムズ紙も、プーチン大統領が「血液のがん」に侵されていると報告し、アメリカのメディアも同様に彼の健康状態が良くない、と伝えている。

また別の英紙によると、プーチン大統領は暗殺を恐れて疑心暗鬼になっている。食事や飲み物は毒見担当のスタッフが味見をした後でなければ口にしないらしい。

クレムリン内ではかつてなくプーチン大統領の求心力が低下している。だが、権力争いは活発化していない。なぜならプーチン時代の終わりを誰もが予感しているからだ。

いま無理して争わなくてもプーチン大統領は間もまく失墜するか死亡する、と彼に続こうとする権力の亡者たちは踏んでいるようだ。

巷に流れている情報がどこまで真実なのかはいまのところ誰にも分からない。

ウクライナやアメリカの諜報機関も、ロシアのそれと同じくらいにフェイクニュースを発信して、情報のかく乱を目指しているからだ。

一方では猫も杓子も希望的観測も、ひたすらプーチン大統領の失脚を待ちわびている。

そして先行きがまったく見えないまま、世界は徐々に戦争報道に飽きつつある。人の集中力は長くは続かないのだ。

プーチン大統領はその時をじっと待っているとも目されている。

世界の関心が薄れたとき、間隙を縫ってプーチン大統領の決定的な攻勢が始まる、という考え方もある。

どこまで行っても一筋縄ではいかないのがプーチン大統領という魔物である。






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兵士みたい、とほめられた男の欣喜雀躍

カラフル市場則中ヨリ450


先日FBに投稿した上の顔写真を「兵士みたい」とほめてくださった方がいます。そこをきっかけに僕が一言申しあげたところ、別の方が親切なちゃちゃをいれてくれました。さらにさらにそこに、別の美女の方が「おもしろい」とコメントをくださったので、僕は勇気百倍、はなしをチョーおおげさに拡大してコメントしました。全ては公開のコメント欄での出来事です。しかし、それはFB投稿の一枚の写真欄でのやり取りなので、恐らく多くの方々の目には留まらない。そこでコメントを下さった皆さんにお断りを入れた上で、ほぼそっくりそのままの形でここにも掲載させていただくことにしました。

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おほめの言葉
第二次世界大戦中の、陸軍の日本兵のような雰囲気

Masanori Nakasone
ワシは人殺しではないよ。

Masanori Nakasone さん、言葉が相応しくなかったかもしれませんね ただ、国の命令で、多くの人々が泣く泣く出征していた人も多かったはずです。人殺しという言葉は、少しキツイと思いますが報道に陰に隠れているであろうロシアだって、そういう方はいると思うのです。

親切なちゃちゃ
沖縄の方々にとって日本兵は禁句です。第二次大戦で唯一の陸上戦がおこって1/4以上の県民が亡くなり、その内多くが日本兵が原因で命を落としています。コメントを削除した方が貴女のためですよ。

Masanori Nakasone
どなたさまも考えすぎです。兵士は殺されないために殺す、これが彼らのレゾンデートル。兵士が悪いのではありません。でも彼らは殺します。だから私は人殺しではないよ、といったのです。つまらないコメントにつまらない返事をしてしまいました。つまらないので該当者の皆さんが読まれたとおぼしき後(数時間後)にすべて削除します。悪しからず。

美女の方
Masanori Nakasone つまらなくないです。私にはみなさまのお考えを知る、良い機会

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コメントを削除しようと思いましたが、上記のように美女の方から「つまらなくない」というコメントが入りましたので、その真摯なお言葉に応えることにしました:

暑い旅行先での普通の帽子絵に兵士とコメントする感覚がつまらない。コメントを笑って受け流さない自分の感覚もつまらない。兵士と沖縄だけをつなげる発想もつまらない。沖縄の犠牲への思いやりからでしょうが、沖縄の犠牲の原因は兵士ではなくもっと別のものだから。

また犠牲になった沖縄の、まさにその地の出身の僕の父親も旧陸軍の険しい兵士だった。その僕の父親も含めた兵士は皆殺人者です。敵も味方も家族も友も、文字通り全員が。

日本兵だけを庇う感覚も、日本兵だけを責める感覚もつまらない。庇うなら日本兵に限らず全ての兵士を庇うべき。なぜなら全ての兵士は彼らを兵士に仕立てた権力の犠牲者だから。

自ら進んで兵士になった者も同じ。なぜなら彼らが殺人を犯すのも権力が始めた戦争に於いてだから。

また兵士を責めるなら全ての兵士を責めるべき。なぜなら彼らは全員が殺人者だから。たとえ敵を殺していなくても、彼らは殺人をするために存在する。お国を守るとか、正義を貫徹する云々という大義名分で変装しても、兵士の本質は殺人者です。

そして殺人者の彼らを責めるのは、実は彼らを庇うことと同じ。なぜなら「真の悪」は彼らを兵士にし、戦争を始め、その戦争に兵士を投入する権力だからです。

沖縄の犠牲もその権力によって生まれました。そして重大なことは、その権力はかつては天皇や将軍ほかの軍人や国王や君主etcの「独裁者」だったが、現在では民主主義という仕組みによって「民衆に選出された」権力に変ったということ。

つまり、民主主義社会に生きているわれわれは全員が権力の一端を担う加害者である。と同時に犠牲者にもなり得る。

沖縄を犠牲にしたのは民主主義以前の独裁権力、つまり天皇+軍部でしたが、それを支えた国民の意志もあった。その意志は自由な環境から生まれた自由意志ではなく、無知と強制によって作られた(今の中国、北朝鮮、ロシアなどの民衆の置かれた立場と同じ)ものだった。

しかし、そこにはかつて琉球と呼ばれた小さな独立国と民衆への差別意識という重いしこりもあった。そのしこりは現在も基地の過重負担という現実につながっている。

沖縄で生まれ育った者が強く感じるのは、基地の過重負担に伴って見える執拗且つ無意識の差別と、日本全国の安全保障のために存在する沖縄の基地負担を、大半の国民が「沖縄だけの問題」と捉えて無関心でいることへの怒りです。

そこへもってきてネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者らは「沖縄は金欲しさに基地に反対する」などのあきれた主張をして人々をさらに怒らせる。

日本全体の安全保障の問題である米軍基地が、小さな沖縄県だけに過重に押し付けられているのは不公平。だから是正されるべき、という沖縄の声が全国に届かないのは、国民の大半が無関心だからです。

政府は大半の国民の無関心を巧みに利用して、口先だけの基地負担軽減を繰り返し言いつつ負担を押し付けている。いわゆる構造的な沖縄差別です。

一方怒る沖縄は、ナントカのひとつ覚えのように事あるごとに「県民総決起大会」を開いて抗議しますが、国民の無関心はますます深まるばかり。

そこで僕は国と国民をおどろかせて沖縄の基地問題を本気で議論させるために、特に沖縄の為政者は沖縄独立論にまで踏み込め、とさえ主張したりします。

それは多くの国民の反感を呼んであるいは逆効果になるかもしれない。しかし政府はどうでしょうか?あるいはあわてて沖縄の基地軽減を本気で考えるかもしれません。

僕はむろん沖縄の独立には反対ですが、何か大きなインパクトのあることをしないと沖縄の基地問題は解決できない、と感じます。

以上、長くなりましたが、兵士、国家、戦争という言葉の連鎖から、僕は基地問題や沖縄への構造的差別にまで考えが進むことを禁じえません。無関心な人にはその複雑な心理もまた「つまらない」ものだろうと考えましたが、冒頭で述べたようにある方の「つまらなくない」というご指摘が目からウロコになりましたので書き進めてみました。

なお、ここのコメントも全てが公開欄ですので、後ほど僕のブログ及びFB記事としても再投稿、再掲載させていただきます。その方が多くの読者の目に留まると考えるからです。

また、今後noteなどへの転載や加筆も考えている「沖縄問題関連記事」のURLも貼付しますので、お時間と興味のあるかたは「先行読破」しておいてください。





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美しく老いる肉体のメカニズム


 650一皮向けば婆

先日、イーロン・マスク氏の74歳になる母親のマイエ・マスクさんが、スポーツ誌の水着モデルになって話題を呼んだ。

水着姿の彼女は美しく「セクシー」だ、という意見やコメントや批評が躍った。

僕はそこに違和感を持った。

マイエ・マスクさんは外見的には高齢の普通の女性だ。

彼女が最高齢の水着モデルとして雑誌に採用されたのは、なにかと物議をかもすイーロン・マスク氏という億万長者の息子がいるからにほかならない。

イーロン・マスク氏の強い話題性に乗っかって一儲けしようとする魂胆が、母親を雑誌の水着モデルに仕立て上げた。

よくある話であり、ありふれた手法である。

ふつうなら黙って見過ごすところだが、いま触れたように彼女の水着姿を「セクシー」だと言い張る声に強いひっかかりを覚えた。

水着姿のマイエ・マスクさんは、かわいく元気そうな女性ではあるが、断じてセクシーではない。

老いてセクシーというのは、自然の摂理に反する空しいコンセプトだ。

そしてもしもある個人が、高齢になってもセクシーであろうと足掻くのは悲しい料簡だ。

セクシーとは性的な輝きのことだ。

ところが閉経し膣に潤いがなくなった女性は、輝きではなく性交痛に見舞われる。それは性交をするな、という自然の通達だ。

高齢になって性交し妊娠するのは、母体にとって危険である。出産はもっと危険だ。

だが自然はそれ以上の周到さで、高齢女性の性交を戒めている。

女性が高齢で生む子供は、障害や弱さや死にまとわれる可能性が高い。それは種の保存、継続にとっての最大の危機である。だから膣を乾かせる。

膣に潤いがなくなるのは年齢のせいではない。自然がそう命令するのである。

むろん自然は男性の側にも同様の警告をする。だから男は年を取ると勃起不全になり性的攻撃性が減退する。それもまた自然の差し金だ。

性交をしない、つまり性交ができない肉体はセクシーではありえない。美しくはあり得ても、それはセクシーではないのだ。女もむろん男も。

年齢を重ねると女も男も肉体がひからび、くすんでいく。自然現象だ。

自然現象だが、人間はまた自然現象に逆らうこともできる存在だ。意志があり心があるからだ。

ひからび、くすんでいく自然現象に立ち向かって、肉体を磨く人の行為は尊い。意志が、心がそれをやらせる。

肉体を磨く行為は、肉体を着飾る意思ももたらす。高齢になっても若やいだ、色鮮やかな装いをして颯爽と生きる人の姿は美しい。

ところで

肉体を磨くことに関しても衣装に関しても、特に女性の場合は日本人よりも西洋の女性のほうがより積極的であるように見える。

多くの場合日本人は、年齢を意識してより落ちついたデザインや色彩の衣装を身にまとう。そこにはノーブルな大人の美がある。

だが、ただでもかわいてくすんでいく肉体を、より暗い地味な衣装でくるんでさらに老いを強調するのは理に合わない、という考え方もある。

寂しい外見の肉体だからこそ、華やいだ衣装で包んで楽しく盛り上げるべき、という主張だ。

衣装が肉体の美を強調することになるかどうかはさておき、見た目が楽しくのびやかになるのは間違いがない。

年齢に縛られて、年相応にとか、年だから、などの言葉を金科玉条にする生き方はつまらない。

だが同時に、年齢に逆らって、望むべくもないセクシーさを追求するのは、悲しくもわびしい生きざまだ。

老いた肉体をセクシーにしようとすると無理がくる。苦しくなる。

老体の美は、セクシー以外の何かなのである。

何かの最たるものは心だ。

ひどく陳腐だが、結局そこに尽きる。

老いを、つまりセクシーではない時間を受け入れて、心を主体にした肉体の健全と平穏を追求することが、つまり美しく老いるということではないか。

60歳代になり老人の入り口に立っている僕は、既に老人の域にいるマイエ・マスクさんのことが他人事には見えない。

幸い、彼女を「セクシー」だとはやし立てているのは、金儲けとゴマすりが得意な周辺の人々であって、彼女自身はそうでもないらしいのが救いである。

それというのも彼女はこう言っている:

「もしも私が雑誌の水着モデルになれると思ったら、頭のおかしい女性として閉じ込められていたことでしょう」

と。

つまりマイエ・マスクさんは、自身の姿を客観視することができる健全な精神の持ち主なのだ。

彼女のその健全な精神が、自身を水着モデルに仕立て上げたのは、成功あるいは金儲けを追い求める世間だったのだ、と主張しているのである。





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日本共和国はあり得るか


旗握り締める拳切り取り650

イタリアは昨日、共和国記念日で祝日でした。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生しました。イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日です。

世界の主な民主主義国は、日本とイギリスを除いて共和国体制を取っています。筆者は民主主義国には共和国体制が最もふさわしいと考えています。

共和国制は民主主義と同様にベストの体制ではありません。あくまでもベターな仕組みです。しかし再び民主主義と同じように、われわれは今のところ共和制を凌駕する体制を知りません。

ベストを知らない以上、ベターが即ちベストです。

先年、筆者は熱烈な天皇制支持者で皇室尊崇派の読者から「あなたは天皇制をどう見ているのか」という質問を受けました。その問いに筆者は次のような趣旨の返事をしました。

天皇制については私は懐疑的です。先の大戦の如く、制度を利用して、国を誤らせる輩が跋扈する可能性が決してなくならないからです。

しかし「天皇制」と「天皇家」は別物です。天皇制を悪用して私利私欲を満たす連中は天皇家のあずかり知らないことです。

天皇家とその家族は善なる存在ですが、天皇制はできればないほうが良いと考えます。しかし、(天皇制を悪用する)過去の亡霊が完全に払拭されるならば、もちろん今のままの形でも構わない、とも思います。


筆者は今のところ、信条として「共和国主義が最善の政治体制」だと考えています。「共和主義者」には独裁者や共産党独裁体制の首魁などもいます。筆者はそれらを認めません。あくまでも民主的な「共和国主義」が理想です。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことです。それらは「全ての人間は平等に造られている」 という不磨の大典的思想、あるいは人間存在の真理の上に造られています。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治制度が死守されています。多くの場合、大統領は元首も兼ねます。

筆者は国家元首を含むあらゆる公職は、主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべき、と考えます。つまり国のあらゆる権力や制度は米独仏伊などのように国民の選挙によって造られるべき、という立場です。

世界には共和国と称し且つ民主主義を標榜しながら、実態は独裁主義にほかならない国々、例えば中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国なども存在します。

共和国と民主国家は同じ概念ではありません。そこを踏まえた上で、筆者は「共和国」を飽くまでも「民主主義体制の共和国」という意味で論じています。

筆者が読者への便りに「天皇制はできればないほうが良い」と言いつつ「今のままの形でも構わない」と優柔不断な物言いをしたのは、実は筆者が天皇制に関しては、自身がもっとも嫌いな「大勢順応・迎合主義」を信条としているからです。

大勢順応・迎合主義とは、何事につけ主体的な意見を持たず、「赤信号、皆で渡れば怖くない」とばかりに大勢の後ろに回って、これに付き従う態度でありそういう動きをする者のことです。

ではここではそれはどういう意味かと言いますと、共和国(制)主義を信奉しながらも、日本国民の大勢が現状のように天皇制を支持していくなら、筆者は躊躇することなくそれに従うということです。

共和国(制)主義を支持するのですから、君主を否定することになり、従って天皇制には反対ということになります。それはそうなのですが、筆者が天皇制を支持しないのは天皇家への反感が理由ではありません。

読者への返信で示したように、天皇制を利用して国家を悪の方向に導く政治家が必ずいて、天皇制が存続する限りその可能性をゼロにすることは決しできません。だから天皇制には懐疑的なのです。

しかしながら、繰り返しになりますが、日本国民の大多数が天皇制を良しとしているのですから、筆者もそれで良しとするのです。天皇家を存続させながら天皇制をなくす方法があれば、あるいはそれが適切かもしれません。

とはいうもののそのことに関しては、筆者は飽くまでも大勢に従う気分が濃厚なのです。そこには日本国民が、今さらまさか昔の過ちを忘れて、天皇制を歪曲濫用する輩に惑わされることはないだろう、という絶対の信頼があります。



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マフィアの壊死は進まない

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1992年5月23日、つまり30年前の今日、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港(1995年に「ファルコーネ・ボルセリーノ国際空港」と改称)から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される)のスピードで走行していた「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がりました。

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、1/2トンの爆薬を炸裂させた瞬間でした。正確に言えば1992年5月23日17時58分。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えました。マフィアはそうやって彼らの天敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去りました。

大爆殺を指揮したシチリアマフィアのボス、トト・リィナは、その夜部下を集めてフランスから取り寄せたシャンパンで「目の上のたんこぶ」ファルコーネ判事の死を祝いました。当時、イタリア共和国そのものを相手にテロを繰り返して勝利を収めつつある、とさえ恐れられていたトト・リィナは得意の絶頂にいました。が、実はそれが彼の転落の始まりでした。

敢然とマフィアに挑み続けてきた英雄ファルコーネ判事の死にシチリア島民が激昂しました。敵対する者を容赦なく殺戮するマフィアの横暴に沈黙を強いられてきた島の人々が、史上初めてマフィア撲滅を叫んで立ち上がりました。その怒りは島の海を越えてイタリア本土にも広がりました。折からのマニプリーテ(汚職撲滅)運動と重なってイタリア中が熱く燃えました。

世論に後押しされた司法がマフィアへの反撃を始めました。翌年1993年の1月、ボスの中のボスといわれたトト・リィナをついに警察が逮捕したのです。マフィアはその前にファルコーネ判事の朋友ボルセリーノ判事を爆殺し、リィナ逮捕後もフィレンツェやミラノなどで爆弾テロを実行するなど激しい抵抗を続けました。しかし司法はマフィアの一斉検挙を行ったりして、組織の壊滅を目指して突き進みました。

1996年5月20日、ファルコーネ判事爆殺テロの実行犯ジョバンニ・ブルスカが逮捕されました。彼はマフィアの襲撃防止のために高速走行をしていたファルコーネ判事の車の動きを、近くの隠れ家から双眼鏡で確認しつつ爆破装置を作動させた男。フィレンツェほかの爆弾テロの実行犯でもあります。100人~200人を殺したと告白した凶暴な殺人鬼でありながら、リーダーシップにも優れた男であることが判明しています。

ブルスカは当時マフィアの第3番目のボスと見られていました。組織のトップはすでに逮捕されたリィナ。ナンバー2が1960年代半ば以来逃亡潜伏を続けているベルナルド・プロヴェンツァーノでした。ブルスカは逮捕後に変心して司法側の協力者になり、逃亡先からマフィア組織を指揮していたプロヴェンツァーノは2006年4月に逮捕され、2016年6月、83歳で獄死しました。

現在のマフィアを指揮しているのは、トト・リィナが逮捕された1993年から逃亡潜伏を続けている マッテオ・メッシーナ・デナーロ(Matteo Messina Denaro 60歳)と見られています。警察はこれまでに何度か彼を逮捕しかけましたが失敗。やはり獄中で死亡したトト・リィナとなんらかの方法で連絡を取っていた、という見方も根強くありますが真相は闇の中です。

メッシーナ・デナーロが逮捕される時、マフィアの息の根が止まる、という考え方もありますが、それは楽観的過ぎるどころか大きな誤謬です。30年前、反マフィアのシンボル・ファルコーネ判事を排除してさらに力を誇示するかに見えたマフィアは、そこを頂点に確かに実は崩壊し始めました。だがその崩落は30年が過ぎた今もなお全体の壊滅とはほど遠い、いわば壊死とも呼べるような不完全な死滅に過ぎません。

イタリアの4大犯罪組織、つまりマフィア、ンドランゲッタ、カモラ、サクラ・コローナ・ウニータのうち現在最も目立つのはンドランゲッタです。彼らを含むイタリアの犯罪組織を全て一緒くたにして「マフィア」と呼ぶ、特にイタリア国外のメディアのおかげで、真正マフィアは表舞台から姿を消したのでもあるかのように見えます。だがその状況はマフィア自身がその現実をうまく利用して沈黙を守っている、とも考えられるのです。

その沈黙は騒乱よりも不気味な感じさえ漂わせています。トト・リィナの逮捕後、潜伏先からマフィア組織を牛耳ったプロヴェンツァーノが2016年に獄死したとき、元マフィア担当検事で上院議長のピエトロ・グラッソ氏(Pietro Grasso)は「多くの謎が謎のまま残るだろう。プロヴェンツァーノは長い血糊の帯を引きずりながら墓場に行った。おびただしい数の秘密を抱え込んだまま・・」とコメントしました。

マフィアの力は、前述してきたように、過去およそ30年の間に確実に弱まってはいます。ファルコーネ判事の意思を継いだ反マフィア活動家たちが実行し続ける「マフィア殲滅」運動が、じわじわと効果をあげつつあるのです。またイタリアがEU(欧州連合)に加盟していることから来るマフィアへの圧力も強いと考えられます。しかし、マフィアは相変わらず隠然とした勢力を保っています。

反マフィアのピエトロ・グラッソ氏が指摘したように、多くの事案が謎に包まれた犯罪組織は絶えず蠕動し続けていて、死滅からは程遠いと言わざるを得ないのです。


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文章が吹きすべれば暴力がもうかり喜ぶ

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文章の趣旨は、基本的に読者に100%は伝わらないと思っています。

原因は書き手と読み手の両方にあります。

言うまでもなく書き手がヘタで、読者に読解力がない場合、というのがもっとも深刻でもっとも多い要因でしょう。

しかし、ひんぱんに起こるのは、書き手の思い込みと読者の思い込みによる誤解です。

書き手の思い込みは「書き手のヘタ」と同じ意味でもありますが、読者の思い込みは少し違います。

読み手はいかに優れた人の場合でも、文章を「読みたいようにしか読まない」のです。

そのために同じ文章でも読み手によって全く違う解釈が生まれます。

黒と白、という極端な違いはあるいは少ないかもしれませんが、黒と白の間のグラデーションの相違、という程度のずれは多くあります。

そこに読者の「感情」がからまると、違いは目に見えるほど大きくなります。

例えば暴力に関する記述に接したとき、それと同じシチューエーションで殴った側に立ったことがある読者と、殴られた側にいた読者の間には、文意にそれぞれの「感情」がからまって違う解釈になる可能性が高い。

あるいは恋愛において、相手を捨てた側と捨てられた側の感情の起伏も、文意の解釈に影響することがあると思います。

それどころか、女と男という性差も文章読解にすでに影響している可能性があります。女と男の物事への感じ方には違いがあります。

その違いが文章読解に作用しないとは誰にも言えません。

そうしたことを考えだすと書く作業はひどく怖いものに見えてきます。

だが書かないと、理解どころが「誤解」さえもされません。つまりコミュニケーションができない。

人の人たるゆえんは、言葉によってコミュニケーションを図ることです。つまりそうすることで人はお互いに暴力を抑止します。

言葉を発せずに感情や思いを胸中に溜めつづけると、やがてそれは爆発し、人はこわれます。

こわれると人は凶暴になりやすい。

それどころか、コミュニケーションをしない人は、いずれ考えることさえできなくなります。

なぜなら「思考」も言葉だからです。

思考や思索の先にある文学は言うまでもなく、思想も哲学も言葉がなければ成立しません。数学的思考ですら人は言葉を介して行っています。

それどころか数式でさえも言葉です。

さらに感情でさえ言葉と言えるのかもしれません。なぜならわれわれは感情の中身を説明するのに言葉をもってするからです。

感情がいかなるものかを説明できなければ、他人はもちろん自分自身にもそれが何であるかがわかりません。

ただやみくもに昂ぶったり落ちこんだりして、最後には混乱しやはり暴力に走ります。

暴力は他人に向かう場合と自分自身に向かう場合があります。自分自身に向かって振るわれる最大の暴力が自殺です。

暴力は自分に向かうにしろ他人に向かうにしろ、苦しく悲しい。

暴力を避けるためにも、人はコミュニケーションをする努力を続けなければなりません。

文章を書くとは、言うまでもなくコミュニケーションを取ることですから、たとえ文意が伝わりづらくても、書かないよりは書いたほうがいい、と思うゆえんです。



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親の壁

800壁の赤バラ一輪

数年前、筆者の父親が101歳で他界しました。またその数ヶ月前にはイタリア人の義母が92歳で逝きました。

義母は先年、日本の敬老の日を評して「最近の老人は、もう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と喝破したツワモノでした。

101歳の父と92歳の義母が「いつまでも死なない老人」であったかどうかはわかりません。しかし、その名文句 を言い放ったときの義母が89歳だったことを思えば、彼女の言う「いつまでも死なない老人」 の目安は90歳あたりです。

それというのも義母は正確に言えば、「《私を含めて》最近の老人は、もう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と自らの境遇に即して発言したのでした。

また当時、麻生太郎副総理兼財務相 が「90歳になって老後が心配とか、訳の分からないことを言う人がいる。一体いつまで生きているつもりだ」という趣旨の発言をして物議をかもしました。

筆者は日本の敬老の日の趣旨に続いて麻生さんの発言も義母に話しました。彼女は麻生さんの箴言に拍手喝采しました。そうしたいきさつからも「いつまでも死なない老人」の始まりは90歳前後、と筆者は考えます。

そしてその90歳という目安は、長寿がますます盛んになっていく昨今は、速い速度で95歳、100歳とどんどん先送りされていくことになるでしょう。

義母の「爆弾発言」は、日伊ひいては世界の大問題の一つである高齢化社会のあり方について、しきりに考えをめぐらせることが多い筆者に目からウロコ的な示唆を与えました。

高齢化社会の問題とは、財政と理念に基づく国のあり方であり、安楽死や尊厳死の解釈と当為の是非であり、命題としての一人ひとりの人間の死に様、つまり「生き様」のことです。

60歳代の筆者は、父や義母ほどの老人ではないかもしれませんが、いかに死ぬか、つまりいかに生きるべきか、という問いに不自然さを感じない程度の“高齢者”となりました。

老人の義母が「いつまでも死なない老人」と断罪したのは、「無駄に長生きをして周囲に疎まれながらもなお生存している厄介な超高齢者」という意味でした。

また彼女の見解では「疎まれる老人」とは、愚痴が多く、精神的にも肉体的にも自立していない退屈な高齢者、のことでした。

義母自身もまた筆者の父も、終わりの数年は愚痴の多い、あまり幸せには見えない時間を過ごしました。とはいうものの2人の愚痴は、老人の誰もが陥る晩年の罠というよりも、両者の生来の難しい性格から来ているように見えました。

2人のさらなる長生きを願いながらも、筆者は彼らのあり方をいわば「反面教師」として、自らの老い先の道しるべにしよう、とひそかに思ったりもしたことを告白しなければなりません。

とまれかくまれ、父を最後に筆者の親と妻の両親、また双方の親世代の家族の人々がこの世から全ていなくなりました。それは寂しく感慨深い出来事です。

生きている親は身を挺して死に対する壁となって立ちはだかり、死から子供を守っています。だから親が死ぬと子供はたちまち死の荒野に投げ出されます。次に死ぬのはその子供なのです。

親の存在の有難さを象徴的に言ってみました。しかしそれはただの象徴ではありません。先に死ぬべき親が「順番通り」に実際に逝ってしまうと、子供は次は自分の番であることを実感として明確に悟るのです。

筆者自身が置かれた今の立場がまさにそれです。だが人が、その場ですぐに死の実相を知覚するのかといえば、もちろんそんなことはありません。

死はやがて訪れるものですが、生きているこの時は「死について語る」ことはできてもそれを実感することはあり得ません。

人は死を思い、あるいは死を感じつつ生きることはできません。「死を意識した意識」は、すぐにそのことを忘れて生きることに夢中になります。

100歳の老人でも自分が死ぬことを常時考えながら生きたりはしません。彼は生きることのみを考えつつ「今を生きている」のです。

まだ元気だった頃の父を観察して筆者はそのことに確信を持ちました。父は残念ながら100歳のすぐ手前でほとんど何も分からなくなりましたが、それまでは生きることを大いに楽しんでいました。

楽しむばかりではなく、生に執着し、死を恐れうろたえる様子さえ見せました。潔さへの憧憬を心中ひそかに育んでいる筆者は、時として違和感を覚えたほどでした。

ともあれ、死について父と語り合うことはついにありませんでしたが、筆者は人が「死ぬまで生き尽くす」存在であるらしいことを、父から教わったのでした。




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エーゲ海のカモメに会いたい


サントリーニ水色屋根教会650

ことしは、6月または9月に、コロナ騒動で中断していた地中海行を復活させる計画である。

日本語のイメージにある地中海は、西のイベリア半島から東のトルコ・アナトリア半島を経て南のアフリカ大陸に囲まれた、中央にイタリア半島とバルカン半島南端のギリシャが突き出ている海、とでも説明できるだろうか。

日本語ではひとくちに「地中海」と言って済ませることも多い広い海は、実は場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っている。

イタリア半島から見ると、地中海には西にバレアス海とアルボラン海があり、さらにリグリア海がある。東にはアドリア海があって、それは南のイオニア海へと伸びていく。

イタリア半島南端とギリシャの間のイオニア海は、ギリシャ本土を隔てて東のエーゲ海と合流し、トルコのマルマラ海にまで連なる。

それら全てを合わせた広大な海は、ジブラルタル海峡を経て大西洋と合流する。

地中海の日差しは、北のリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。

白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたエーゲ海で頂点に達する。

エーゲ海を起点に西に動くとギリシャ半島があり、イオニア海を経てイタリア半島に至る。

イタリア半島の西にはティレニア海がある。そこにはイタリア随一のリゾート地、サルデーニャ島が浮かんでいる。

サルデーニャ島は、一級の上に超が付くほどのすばらしいバカンス地である。

太陽はきらめき、地中海独特の乾いた環境が肌に心地よい。

エーゲ海の島々の空気感は、サルデーニャ島よりもさらに乾いて白いきらめきに満ちている。地中海では西よりも東の方が気温が高く、空気ももっと乾燥している。

そして多くの島々を浮かべたエーゲ海は、サルデーニャ島を抱くティレニア海よりも東にある。

清涼感に富む光がよりまぶしく、目に映るものの全てを白色に染めて輝くように見えるのは、そこが地中海の中でも南の、且つ東方に位置している碧海だからだ。

夏のエーゲ海の乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空がある。

雨はほとんど降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっている。

エーゲ海の砂浜に横たわって真っ青な空を見上げていると、ときおり白い線が一閃する。

目を凝らして追いかけると、白光は強い風に乗って飛ぶカモメの軌跡だったのだと気づく。

空気が乾いて透明だから、白が単なる白ではなく、鮮烈に輝く白光というふうに見えるのである。

コロナパンデミックの闇に慣れた目には、ことしのエーゲ海の光は一段と輝いて見えるに違いない。

すると空の青を裂いて飛ぶカモメの白い軌跡は、いったいどのような光彩となって目を射るのだろうか。

目もくらみそうなまぶしい想像に、心躍る思いを禁じえない。









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「時には娼婦のように」の革命的愉快

deandre切り取り横長650

なかにし礼作詞の名曲「時には娼婦のように」は次のように綴られます。

『時には娼婦のように 淫らな女になりな 
真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて
大きく脚をひろげて 片眼をつぶってみせな 
人さし指で手まねき 私を誘っておくれ

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように たっぷり汗を流しな 
愛する私のために 悲しむ私のために
時には娼婦のように 下品な女になりな 
素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ

自分で乳房をつかみ 私に与えておくれ 
まるで乳呑み児のように むさぼりついてあげよう

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように 何度も求めておくれ 
お前の愛する彼が 疲れて眠りつくまで』

この歌が発表された時、筆者は東京の大学の学生でした。歌詞の衝撃的な内容に文字通り目をみはりました。歌謡曲詞の革命だとさえ思いました。今もそう思っています。

「時には娼婦のように」について書いておこうと思ったのは、それが理由です。

かつて三島由紀夫は詩が書けないから小説を書くんだと言いました。詩とはそれほど卓越したものです。そして音楽とともに存在する歌詞もまた詩の一種です。

なかにし礼という作詞家は、阿久悠と共に一世を風靡しました。日本歌謡詞界の双璧として一時代に君臨しましたが、「時には娼婦のように」を生み出した分、なかにし礼の方が少し上かな、と筆者は考えています。

歌詞に限らず、あらゆる創造的な活動とは新しい発見であり発明です。新しい考え、新しい見方、新しい切り口、新しい哲学、新しい表現法などなど、これまで誰も思いつかなかったものを提示するのが創造です。

「時には娼婦のように」はそういう創造性にあふれた歌詞です。際どい言葉の数々を駆使しながらポルノにならず、「歌詞」という型枠を嵌められた「詞」でありながら、自由詩の大きさや凄みの域に達していると思います。

男の下賎な妄想である「昼は貞淑、夜は娼婦」という女の理想像を、歌謡曲という子供も女性たちも誰もが耳にする可能性のある普遍的な表現手段に乗せて、軽々とタブーを跨(また)ぎ越え世の中に広めてしまいました。

もう一方の天才・阿久悠は、名曲「津軽海峡冬景色」を

<上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中~>

と始めて短い表現で一気に時間を飛び越え、東京の上野駅と青森駅を瞬時に結んでドラマを構築しました。よく知られた分析ですが、こちらもまたすごいので一応言及しておこうと思います。

作詞家なかにし礼はそのほかにも多くの創造をしましたが、新人の頃には「知りたくないの」という訳詞でも物議をかもしましたた。

エルビス・プレスリーも歌った英語の名曲「I really don't want to know」を「あなたの過去など知りたくないの~」という名調子で始めたのですが、歌い手の菅原洋一が「過去」という語はよくないとゴネたといいます。

でも彼は信念を押し通して、そのおかげで今ある名訳詞が世の中に出回ることになりました。ヨカッタ。

筆者の独断と偏見による意見では、イタリアにも「なかにし礼」はいます。

ファブリツィオ・デ・アンドレというシンガーソングライターです。

彼は20年以上も前に亡くなりました。が、歌詞でも音楽でも圧倒的な存在感を持っています。あえて日本の歌手にたとえれば、小椋佳と井上陽水を合わせて、さらに国民的歌手に作り上げた感じ、とでも言えるでしょうか。

実力人気ともに超がつく名歌手、名作詞家、名作曲家です。

デ・アンドレもよく娼婦の歌を作り歌いました。彼は娼婦に対してとても親和的な考えを持っていました。娼婦を不幸な汚れた存在とは見ずに、明るく生命力にあふれた存在として描きました。

娼婦や娼婦に似せた女を歌うタブーは、デ・アンドレの活動期の頃のイタリアには存在しませんでした。従って禁忌を勇敢に破って世に出た「時には娼婦のように」と、デアンドレの歌を同列には論じられないかもしれません。

しかし、筆者はどうしても両者の「歌詞」の一方を聞くたびに、片方を思い起こしてしまいます。


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サルが木から落ちないためにするべきこと

猿650

先年、ミラノの語学学校でイタリア語を勉強しているN・Y君が筆者のところにやって来ました。

N・Y君は将来、イタリアと日本を結んでデザイン関係の大きなビジネスをやりたい、と青雲の志に燃えています。

そのためにイタリア語をものにしようとけん命に取り組んでいます。が、なかなか思うように上達しないのが悩みだそうです。

「おれ、語学の才能がないんだと自分でも思っています。くやしいけど、そのことは口を大にして言ってもいいですよ。おれ、本気ではそんなことは毛頭認めたくないんですけど・・・」
N・Y君は深刻な顔で彼の悩みを語り始めました。
 
筆者はN・Y君のイタリア語がうまくならない理由が分かったと思ったので、なおも話し続けようとする彼を制して、笑って言いました。
「イタリア語もいいけど、日本の古典文学をまず勉強した方がいいな」
「へ?」
「たとえば“源氏物語”とか“枕草子”とか、日本の古典文学だよ」
「・・コテン・・・ブンガク・・?」
N・Y君は、まるで頭の中がコテン、とでんぐり返った男でも見るような顔で筆者を見ました。

少しふざけ過ぎたと思ったので、筆者は言葉を変えました。
 
「今は必死になってイタリア語を勉強しているのだから、日本語は関係がない、と君は思っているだろう。そこが一番の問題なんだ」
「・・・?」
「はっきり言うと君の日本語はおかしい。口を大にして、というのは正確には声を大にして、と言うんだ。本気では、というのもここでは使い方が間違っている。それを言うなら、本心では、と変えた方がいい。毛頭、という小むつかしい語の使い方も少しニュアンスが違う。ついでに言うなら、おれ、おれと言いながらデスマス調で言葉をしめくくるのも変だ」
筆者はあえて指摘しました。
 
N・Y君は決してバカではありません。特別でもありません。彼の世代の日本の若者は皆彼のような言葉遣いをします。しかし、変なものは変です。
 
日本語をしっかり話せない日本人は外国語も決して上達しない。それが長い間そこかしこの国で言葉に苦労した筆者が出した結論です。
 
語学のうまい、へた、は多くが「言い換え」の能力によって決まります。
 
たとえば<猿も木から落ちる>という諺を、一番分かりやすいように英語にしてみます。

格言の一字一句を英語に変える時にはたいていの日本人は、たとえば

<猿>⇒モンキー。
<も>はトゥー、あ、でもここでは<でも>の意味だから多分イーブン。
<木>⇒ツリー。
<から>はフロムなのでフロム・ツリー。
そして<落ちる>⇒ドロップ?フォール?多分フォール・・・

などと辞書を引き引き考えて、最終的に《EVEN A MONKY FALLS  FROM  A TREE》のように英文を組み立てるのではないでしょうか。

少なくとも受験勉強をしていた頃の筆者などはそうでした。
 
こういう直訳の英語で話しかけられた外国人は、目をパチクリさせながら、それでも言おうとする意味は分かりますから、苦笑してうなずきます。

それでは<猿も木から落ちる>と全く同じ意味の<弘法にも筆の誤り>を訳するときはどうするのでしょうか。

前者と同じやり方で《EVEN MR. KOBO MAKES MISTAKES WITH HIS PENCIL》とでも言おうものなら、ドタマの変な奴に違いないと皆が引いたり、避けて通っていくこと必定です。

<ミスター・コーボー>を<空海>と置き換えても、<ペンシル>を<ブラッシュ>と置き換えても事情は変わりません。
 
こういうときに、素早く言い換えができるかどうかによって語学のうまい、へた、が決まるのです。

2つの諺は<私達はみんな間違いを犯す>という意味です。

そこで素早く直訳して《WE ALL MAKE MISTAKES》などと言い換えます。あるいは<人間は不完全な存在(動物)である>として《HUMANS ARE INPERFECT BEINGS 》など言い換えます。

それらは既に《EVEN A MONKY FALLS FROM A TREE》よりもはるかに英語らしい英語だと思いますが、さらに言い換えて<人は誰でも間違いを犯す>《EVERYBODY MAKES MISTAKES》とでもすればもっと良い英語になります。

それをさらに言い換えて

<完全な人間などいない>つまり《NOBODY IS PERFECT》
と簡潔に言い換えることができれば、<猿も木から落ちる>や<弘法にも筆の誤り>のほぼ完璧な英訳と言ってもいいのではないでしょうか。

事は英語に限りません。外国語はそうやってまず日本語の言い換えをしないと意味を成さない場合がほとんどです。

日本語を次々と言い換えるためには、当然日本語に精通していなければなりません。語彙が豊富でなければならない。筆者がN・Y君に言いたかったのは実はその一点に尽きます。

言葉を全く知らない赤ん坊ならひたすらイタリア語を暗記していけばいい。しかし、一つの言語(この場合は日本語)に染まってしまっている大人は、その言語を通してもう一つの言語を習得するしか方法がありません。

N・Y君は日本語の聞こえないイタリアに来て、イタリア語にまみれてそれを勉強しています。それは非常にいいことです。

言葉は学問ではありません。単なる「慣れ」です。従ってN.Y君も間もなく慣れて、少しはイタリア語が分かるようになります。

しかし、うまいイタリア語は日本語をもっと勉強しない限り絶対に話せないと筆者は思います。

この先彼が何十年もイタリアに住み続け、彼の中でイタリア語が日本語に取って代わって母国語にでもなってしまわない限り・・・。


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渋谷君への手紙~しつこい“ぷーちんシミ”の抜き方~

wanted dead or alive650


 「  渋谷君

長くなるので前便では触れませんでした。


ウクライナ戦争の最も上手い終結法はプーチン大統領の暗殺です。

物騒なことを言うようですが、プーチン大統領は多くのウクライナ市民をおおっぴらに虐殺している悪鬼です。

彼の死についてもおおっぴらに語られて問題はないと考えます。といいますか、語られるべきです。

プーチン大統領の暗殺と言いましたが、実は彼の殺害を隠し立てする必要はありません。

ウラジミール・プーチンという独裁者を何らかの方法で除去してしまえば紛争はいったん収束します。

きわめて難しいミッションですが、米英の諜報組織とNATOの隠密ネットワークが、ある限りの知略と軍略を駆使して必死に工作を行っています。

少なくとも工作の可能性について、彼らはあらゆる視点から考察しシミュレーションを繰り返しています。

名前は言えませんが、信頼できるロンドンやニューヨークの友人らからも情報を得ています。

作戦は一貫して秘密裏に行われます。

前身がスパイである独裁者のプーチン大統領は、本性の全てが密偵の暗い心魂でできている怪物であることが明らかになっています。

猜疑心の塊のようなその怪物は、用心にも用心を重ねて行動しています。

暗殺や謀殺はプーチン大統領の得意分野です。

従って彼は自らを暗殺から守る手法にもまた長けています。

対抗者は、プーチン大統領に悟られないように隠密・緻密に計画し実行することが求められます。

秘密が必須でなければならないもうひとつの大きな理由があります。

西側世界は、プーチン大統領の陰謀や秘密主義や謀略や嘘を、これでもかとばかりに暴き立てています。

それでいながらプーチン大統領を奸計を用いて謀殺すれば、彼と同じ悪を犯すことになります。西側は必死でその責任を回避しようとします。

プーチン排除工作が表ざたになることは決してない、と断言できる所以です。

暗殺によって独裁者を葬っても、騒動がもたらす一時的な変動があるだけで、本質的な変化は起きないことも多い。歴史がそのことを証明しています。

プーチン大統領を排除しても、ロシア国民自体が根本から目覚めない限り実は何も変わらないかもしれません。

プーチン大統領が死んでも、プーチン主義は生き残るからです。

それでもプーチン大統領を一旦放逐することは重要です。それによって停戦が実現しウクライナ国民への残虐行為がとりあえず収まると考えられます。

また動乱が鎮火すれば、恒久和平へ向けての協議もし易くなります。

表立ってなされているプーチン排除工作もあります。

いうまでもなく西側連合によるロシアへの経済制裁です。

経済制裁によってロシアは徐々に疲弊します。それは市民の不満を呼ぶでしょう。不満はやがて憤怒となって政府に向かいプーチン政権が倒れます。

その事変は独裁者を処刑するところまでエスカレートする可能性があります。歴史上多くの独裁者がそうやって最期を迎えています。

しかしながら経済制裁が、プーチン政権を壁際に追い詰めるまでには長い時間がかかります。その間にもウクライナ国民の犠牲は増え続けます。

ウクライナは耐え切れないかもしれませんし、国際世論が惨劇に終止符を打て、と叫んでNATOが軍事介入をする可能性もあります。

西側は第3次世界大戦への恐れから、戦闘には直接関与しないよう気をつけています。経済制裁を武器にロシアに立ち向かうしか方法がありません。

ロシアは西側のその弱みを見透かして、核兵器の使用をしきりにチラつかせて、西側の足をさらに竦ませる作戦に出ています。

西側はいま述べたように第3次世界大戦を恐れ、核戦争を恐れて、ロシアの脅しや嘘や因縁や吹っかけに唯々諾々と従っている。。

とまでは言えないかもしれませんが、軍事的には身動きができずにいます。

ウクライナへの兵器の支援は続けているものの、核兵器の使用を示唆するロシアに対して、こちらも同じ兵器で対抗する、などと威嚇する方法は取っていません。

そのため、皮肉なことに、核兵器による抑止力の恩恵を受けているのは、いまのところはロシアだけなのです。

だがその状況は永遠に続くとは限りません。

ロシアが戦線を拡大して収拾がつかなくなったり、実際に核兵器を使ったりなどして西側の世論が一変した場合には、西側がついに思い切り、結果第3次世界大戦に突入することもあり得ます。

そうなった場合には、NATOとその友邦勢力は短時間でプーチン大統領と権力中枢を殲滅するべきです。それでなければ報復の連鎖が起きて世界の終わりが来るかもしれません。

核戦争は悪夢中の悪夢です。

業腹ではあるものの、西側は今のところはやはり、限界までウクライナへの軍事支援を続け、一致団結してロシアへの強力な経済制裁を堅持していくべきではないか、と考えます。

                                         以上  」



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渋谷君への手紙~プーチン大統領にも一理あると考えるあなたは間違っています~ 


合成:悪鬼プー&ブチャ虐殺

「 渋谷君

“ウクライナ戦争はいつ終わるのか。プーチンだけが悪ではなく、戦争が起きる欧州のあり方そのものが悪なのではないか”、というあなたのメッセージにはひどく驚かされました。

戦争がいつ終わるのかについては僕は答えられません。それは誰にも答えられない問いです。当事者のプーチン大統領も、ウクライナのゼレンスキー大統領もおそらく知らないでしょう。

だが、 「プーチンだけが悪ではなく、戦争が起きる欧州のあり方そのものが悪なのではないか」というあなたの問いには明確に答えることができます。

つまりウクライナ戦争を起こしたプーチン大統領は徹頭徹尾悪です。のみならずウクライナ紛争では、プーチン大統領だけが悪、と僕は断言します。

ウクライナ戦争の先行きについては、世界中の多くの人が意見を述べていますね。

そのうち日本の各種メディアに躍っている主張は、欧州の現実を知らない事情や、逆に欧州の情報を頭デッカチに詰め込んだだけの、いわゆる欧州専門家なる人々の突飛な意見など、的外れなものも少なくありません。

欧州は外交や対話を知らず、軍による暴力を優先させる未開地域、という馬鹿げた意見さえあります。あなたもややそれに近い考えを持っているようですね。

何よりも先ず、その思考は全くの的外れであることを指摘させてください。

真実はこうです。

欧州は紛争を軍事力で解決するのが当たり前の、野蛮で長い血みどろの歴史を持っています。そして血で血を洗う凄惨な時間の終わりに起きた、第1次、第2次大戦という巨大な殺戮合戦を経て、ようやく「対話&外交」重視の政治体制を確立しました。

それは欧州が真に民主主義と自由主義を獲得し、「欧州の良心」に目覚める過程でもありました。

僕が規定する「欧州の良心」とは、欧州の過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことです。

その心は言論の自由に始まるあらゆる自由と民主主義を標榜し、人権を守り、法の下の平等を追求し、多様性や博愛を尊重する制度を生みました。

良心に目覚めた欧州は、武器は捨てないものの“政治的妥協主義”の真髄に近づいて、武器を抑止力として利用することができるようになりました。できるようになったと信じました。

欧州はその後、「欧州の良心」を敷衍する努力を続けてきました。

2022年現在、「欧州の良心」に基づく政治勢力は欧州全体では過半数、世界では半分をほんの少し上回る程度に存在する、と僕は考えています。

かつて僕は、その勢力は世界の圧倒的多数だ、と幼稚にユートピア的に考えていました。

だが、トランプ主義の台頭、Brexit の実現、イタリアのポピュリスト政権の登場などを見て、それは過半数をかろうじて上回る程度の弱々しい多数に過ぎない、と思い知るようになりました。

それらの動きに中露北朝鮮が率いる世界の専制国家群を加えると、対抗する「欧州の良心」はますます頼りない存在になってしまいます。「欧州の良心」に賛同する者(僕もその一人です)は、強い心でそれを死守するべく闘わなくてはなりません。

欧州の良心も、民主主義も、言論の自由も、その他あらゆる自由主義社会の良さは全て、闘って勝ち取るものです。黙っているとすぐに専制主義とそれを支持する勢力に凌駕されてしまいます。

「欧州の良心」に基づいて政治・社会・経済制度の改革を加速させる欧州は、ロシアも自らの一部と見なしました。

例えば西側を主導するG7クラブは、ロシアと協調する作戦を取り、同国をG7の枠組みに招待してG8クラブに作り変えたりしたほどです。

そこにはロシアを懐柔しようとする西側の打算と術数が秘匿されていました。

同時にロシアは、西側とうまく付き合うことで得られる巨大な経済的利益と、政治的なそれを常に計算してきました。

西側とロシアのいわば“化かし合いの蜜月”は、おおざっぱに言えば90年代の終わりに鮮明になり、プーチン大統領の登場によってさらに深化し定着しました。

なぜか。

西側がプーチン大統領の狡猾と攻撃性を警戒しながらも、彼の開明と知略を認め、あまつさえ信用さえしたからです。

言葉を替えれば西側世界は、性善説に基づいてプーチン大統領を判断し規定し続けました。

彼は西側の自由主義とは相容れない独裁者だが、西側の民主主義を理解し尊重する男だ、とも見なされたのです。

しかし、西側のいわば希望的観測に基づくプーチン像はしばしば裏切られました。

その大きなものの一つが、2014年のロシアによるクリミア併合です。それを機会にG8はロシアを排除して、元のG7に戻りました。

それでもG7が主導する自由主義世界は、プーチン大統領への「好意的な見方」を完全には捨て切れませんでした。

彼の行為を非難しながらも強い制裁や断絶を控えて、結局クリミア併合を「黙認」しました。

そうやって西側世界はプーチン大統領に蜜の味を味わわせてしまいました。

西側はクリミア以後も、プーチン大統領への強い不信感は抱いたまま、性懲りもなく彼の知性や寛容を期待し続け、何よりも彼の「常識」を信じて疑いませんでした。

「常識」の最たるものは、「欧州に於いては最早ある一国が他の主権国家を侵略するような未開性はあり得ない」ということでした。

プーチン・ロシアも血で血を洗う過去の悲惨な覇権主義とは決別していて、専制主義国家ながら自由と民主主義を旗印にする欧州の基本原則を理解し、たとえ脅しや嘘や化かしは用いても、“殺し合い”は避けるはずでした。

ところがどっこい、ロシアは2022224日、主権国家のウクライナへの侵略を開始しました。

ロシアはプーチン大統領という魔物に完全支配された、未開国であることが明らかになったのです。

ロシアは欧州の一部などではなく、同時にプーチン大統領は、民主主義の精神とはかけ離れた独善と悪意と暴力志向が強いだけの、異様な指導者であることが再確認されました。

プーチン・ロシアはいわばアジアだと僕は考えます。ここでいうアジアとは、民主主義を理解しない中国的、アラブ的、日本右翼的勢力の全てです。

現代では主権国家を力でねじ伏せることは許されません。それは欧州が、日本が、アラブが、世界が過去に繰り返しやってきた蛮行です。

プーチン大統領がウクライナ侵略を正当化しようとして何かを言い、弁解し、免罪符を求めても、もはや一切無意味になりました。それらは全て枝葉末節であり言い逃れであり虚偽になったのです。

事態の核心は、彼が歴史を逆回転させて大義の全くない侵略戦争を始め、ウクライナ国民を惨殺していることに尽きます。

細部、あるいは枝葉末節は、それのみを切り取って語ると過激論に陥る危険を秘めています。細部を語るのではなく、先ず幹を捕捉して、それを凝視しつつ全体を語るべきです。

日本では幹を見るどころか、細部だけを捉えてロシアにも一理がある、NATOの脅威がプーチンをウクライナ侵攻に駆り立てた、ウクライナは元々ロシアだった、などなどのこじつけや欺瞞に満ちた風説がまかり通っています。

東大の入学式では、名のあるドキュメンタリー制作者がロシアの肩を持つ演説をしたり、ロシアを悪魔視する風潮に疑問を呈する、という論考が新聞に堂々と掲載されたりしていますね。それらは日本の恥辱と呼んでもいいほどの低劣な、信じがたい言説です。

そうしたトンデモ意見は、愚蒙な論者が偽善と欺瞞がてんこ盛りになった自らの考えを、“客観的”な立ち位置からの見方、と思い込んで吠え立てているだけのつまらない代物です。

僕は愚陋な意見を開陳する人々に言いたい。

ウクライナを侵略しているプーチン大統領の行為は、言い訳など無用の完全な悪です。

繰り返しなりますが、彼は彼の得意な脅しや、騙しや、嘘や、情報操作など、彼が過去にも現在も実行しまくり、将来も実践し続けるであろう蛮行の限りを尽くしても、決して主権国家を侵略し市民を虐殺するべきではなかったのです。

ここではその認識が巨大な木の幹に当たります。幹はあまりにも大きく重大なため、それ以外の全てはほとんど意味のない枝葉末節であり細部になります。

巨大な木の幹こそ重要です。ウクライナ危機を論ずる場合には、幹のみを見つめ育み大切にしなければなりません。

幹を見失って詳細だけを見、語ると、既述の日本の論者のようにウクライナ危機ではプーチン大統領にも理がある、というような誤謬に迷い込みます。

欧州による、「欧州の良心」を具体化しようとする努力が生み出す結果は、民主主義と同様にむろん未だ完璧ではありません。むしろ欠点だらけです。

だがそれは、ロシアや中国や北朝鮮やトランプ主義者、さらに日本右翼団体ほかの強権、全体主義勢力に比べた場合は、完璧以上の優れた体制です。

ロシアの蛮行を放置し、プーチン大統領の悪意を徹底して挫(くじ)かなければ、それらの負の政治勢力が勢いを増して、世界中にいくつものウクライナが生まれることは必定と考えます。 

                                    以上 」                                                               



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夫婦の寝床と夫婦のベッド

・ミモザ合成イラクサ650

イタリアきってのシンガーソングライター、ファブリツィオ・デ・アンドレは彼の名作の一つ「バーバラの唄」の中で

「♪~あらゆる夫婦のベッド
 オルティカとミモザの花でできているんだよ
 バーバラ~♪」

と歌いました。

オルティカは触れると痛いイラクサのことです。

結婚生活は山あれば谷あり、苦楽でできています。

それを「夫婦のベッドは、イラクサと美しく甘い香りのミモザで作られているんだよ、バーバラ」と艶っぽく表現するところがデ・アンドレの才能です。

同時に、そういう言い回しができるのがイタリア語の面白さだとも考えられます。

それというのも、これを正確な日本語で言い表すと「夫婦の褥(しとね)は~でできている」とか「夫婦の寝床は~でできている」とかいうふうになって、とたんにポルノチックな雰囲気が漂い出しかねません。

少しこだわり過ぎに見えるかもかもしれませんが、この歌の内容は日伊ひいては日欧の文化の根源的な違いにまでかかわる事象の一つ、とも考えられますのであえて書いておくことにしました。

「♪~あらゆる夫婦のベッドは
  オルティカとミモザの花でできているんだよ ~♪」

をイタリア語で書くと、

「♪~ ogni letto di sposa
e’ fatto di ortica e mimosa ~♪」

となり、そのうち「夫婦のベッド」に当たるのは「letto di sposa」です。

筆者はその部分をダイレクトに「夫婦のベッド」と訳しました。

その上で、実は日本語では「夫婦の寝床」とか「夫婦の褥(しとね)」または「」夫婦の布団」とするのが正確な表現、というふうにもって回った説明をしました。

なぜそうしたのかというと、イタリア語をそのまま本来の日本語にすると「letto di sposa」の持つ「性的な意味合い」だけが突然強調されて、その結果、原詩が強く主張している(夫婦の)人生や生活や暮らし、というニュアンスが薄くなると考えたからです。

ポルノチックになりかねない、と書いたのもそういう意味でした。

だが、そうではあるものの、二次的とはいえ「letto di sposa」には性的な含蓄も間違いなくあって、それらの微妙なバランスがイタリア語では「艶っぽい」のです。

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日本語とイタリア語の間にある齟齬やずれは、性あるいは性的なものを解放的に語ったり扱ったりできるかどうか、という点にあります。

イタリア語のみならず欧米語ではそれができるが、日本語では難しい。

言葉が開放的である、とは思考や行動が開放的である、ということです。そう考えれば性的表現における欧米の開放感と日本の閉塞感の違いが説明できます。

性や性表現が閉鎖的だから、日本にはそのはけ口の一つとして「風俗」という陰にこもった性産業が生まれた、とも考えられます。

人生の機微や結婚生活の浮き沈みの中には、夫婦の性の営みも当然含まれていて、欧米文化の方向性はそのことも含めて直視しようとします。

日本文化の方向性はそこから目をそらせます。あるいは見て見ぬ振りをします。あるいはぼかして捉えます。

そこには日本文化の奥ゆかしさに通じる美もありますが、内向して「風俗」的な執拗につながる危うさもあるように思います。

良くしたもので、日本語には都合の悪い表現を別の言い回しでうまく切り抜ける方法があります。それが外来語です。

たとえば日常の会話の中ではちょっと言いづらい「性交」という言葉を「セックス」と言い換えると、たちまち口に出しやすくなるというようなこと。

筆者がバーバラの唄の「letto di sposa」を「夫婦の寝床」と訳さずに、あえて太字で強調して「夫婦のベッド」と書いたのも、そのあたりの機微にこだわったからです。

ベッドはもはや、日本語と言っても良いほどひんぱんに使われる言葉です。

しかし夫婦の「寝床」や「褥(しとね)」や「布団」に比べると、まだまだ日本語のいわば血となり肉となっている言い回しではありません。

依然として外来語のニュアンスを保っています。

だから「性交」に対する「セックス」という言葉のように、生々しい表現のクッションの役を果たして、それらの直截的な言い回しをぼかす効果があるように思います。

そればかりではなく、日本の大半の家の中には「夫婦のベッド」など存在しないのが普通です。夫婦のベッドとは巨大なダブルベッドのことです。だから狭い日本の家にはなじみません。

また例えそれを用いていても、ベッドはあくまでもベッド、あるいは寝台であって、朝になれば畳まれて跡形もなくなる「寝床」や「褥」や「布団」ではないのです。

そんな具合に日本の家においては「ベッド」は、やっぱりまだ特別なものであり、日本語における特別な言葉、つまり外来語同様に特別なニュアンスを持つ家具なのです。

だから夫婦の「寝床」や「褥」や「布団」と言わずに「夫婦のベッド」と表現すると、この部分でも恥ずかしいという感じがぐんと減って、耳に心地よく聞こえるのです。

もっと言えば、日本語では「夫婦の寝室」「や「夫婦の寝間」などと空間を広げて、つまりぼかして言うことは構わないが、「夫婦の寝床」とピンポイントで言うと、微妙に空気が変わってしまいます。

そこがまさに日本語のつまり日本文化の面白いところであり、ひるがえってそこと比較したイタリア語やイタリア文化、あるいは欧米全体のそれの面白さの一つなのだと思います。

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ウクライナの4月25日が待ち遠しい

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毎年4月25日はイタリアの「解放記念日」である。

解放とはファシズムからの解放のことだ。

日独伊3国同盟の仲間だったドイツとイタリアは、第2次大戦中の1943年に仲たがいした。3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は険しい敵同士になった。

イタリアではドイツに抵抗するレジスタンス運動が戦争初期からあったが、仲たがいをきっかけにそれはさらに燃え上がった。

イタリアは同時に、ドイツの傀儡政権である北部の「サロ共和国」と南部の「イタリア王国」との間の激しい内戦にも陥った。

1945年4月、サロ共和国は崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはムッソリーニのファシズムとドイツのナチズムを放逐した

掃滅されたはずのイタリアのファシズムは、しかし、種として残った。それは少しづつ土壌と湿りを獲得して、やがて発芽した。

芽は成長し、極右政党と規定されることが多い現在の「同盟」と、ファシスト党の流れを組むまさしく極右政党の「イタリアの同胞」になった。

「同盟」はトランプ主義と欧州の極右ブームにも後押しされて勢力を拡大。2018年、極左ポピュリストの「五つ星運動」と組んでついに政権を掌握した。

コロナパンデミックの中で連立政権は二転三転した。だが「同盟」も「イタリアの同胞」も支持率は高く、パンデミック後の政権奪還をにらんで鼻息は荒い。

彼らは自らを決して極右とは呼ばない。中道右派、保守などと自称する。だが彼らはウクライナを蹂躙しているプーチン大統領を賞賛しトランプ主義を信奉して止まない。

極右の頭を隠したがるが、尻がいつも丸見えなのである。

彼らは今日この時は、特にその傾向が顕著だ。ウクライナで残虐行為を働くプーチン・ロシアへの激しい批判が起きたため、一斉にプーチン大統領と距離を置くポーズを取っている。

しかしながら、それは見せかけの装い、死んだ振りに過ぎない。

彼らはフランス極右の「国民連合」 とも連携し欧州の他の極右勢力とも親しい。それらの極右勢力も、プーチン大統領との友誼を必死に隠匿しようとしているのは周知の通りだ。

極右はファシストに限りなく近いコンセプトだ。しかし、イタリアの極右勢力をただちにかつてのファシストと同じ、と決めつけることはできない。彼らもファシトの悪を知っているからだ。

だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避ける。

第2次大戦の阿鼻地獄に完全に無知ではない彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれと迷い込むとは思えない。

だが、それらの政治勢力を放っておくと、やがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからだ。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動極右勢力が一気に増えたように。

政治的奔流となった彼らの思想行動は急速に社会を押しつぶしていく。それは日独伊のかつての極右パワーの生態を見れば火を見るよりも明らかだ。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入する。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのは言うまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきだ。

では権力を握った極右の危険の正体とはいったい何だろう?

それは独裁者の暴虐そのもののことである。

ロシアの独裁者、プーチン大統領がウクライナで無差別殺戮を繰り返しているように、極右政権は自国民や他国民をいとも簡単に虐待する。

ウクライナ、またロシア国内の例を見るまでもなく、人類の歴史がそのことを雄弁に物語っている。

イタリアは今日、解放記念日を祝う。ファシズムとナチズムという専制主義を殲滅したことを称揚するのである。

それは将来ウクライナの人々が、プーチンという独裁者を地獄に追いやる時の儀式にも似ているに違いない。


ウクライナの4月25日を僕はイタリアの地で待ちわびている。


付記

ロシアを擁護することが多いイタリア右派連合の政党のうち「イタリアの同胞」のメローニ党首だけは、これまでの親プーチンのスタンスを捨ててロシアを厳しく批判している。それが選挙目当てのポーズかどうかは間もなく明らかになるだろう。






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マクロン勝利でも油断はできない

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フランス大統領選は予想通りマクロン候補が勝った。喜ばしいことだ。

ウクライナ危機が大きく影響した選挙戦は、マクロン候補の大差のリードで始まり、その同じ危機の余波でフランス国内のインフレが高まると、ルペン候補に支持が急激に集まった。

投票直前の2候補のテレビ討論によってマクロン候補の挽回が伝えられたが、フランス国内では同候補への反感も強く、棄権する有権者の動向によってはルペン候補の逆転勝利の可能性もあった。

結局、どんでん返しはなく、マクロン大統領が再選された。

マクロン大統領は、ウクライナ危機対応で欧州が暴君プーチンと戦うために欠かせない存在だ。

片や極右のルペン候補は、選挙戦中は必死でプーチン大統領との仲を隠していたが、当選すれば独裁者プーチンに肩入れし、欧州各国はもちろんアメリカなどとも距離を置く可能性があった。

ひと言でいえば“ルペン大統領”は、欧州の民主主義と自由を否定して、プーチン・ロシアや中国が主導する世界の専制主義勢力と親和的な政権を構築する。

それはウクライナ危機でさえ、プーチン大統領に理があると主張する、世界のネトウヨヘイト系排外差別主義勢力と握手をする政権ということだ。

フランスは再び極右の脅威を退けた。しかし、ルペン候補への支持率は右肩上がりに上がっている。

それはフランス国内に親トランプまた親プーチン勢力が増えていることを意味する。

その状況は、世界がネトウヨヘイト系排外差別主義勢力に支配される方向へと、じわじわと進んでいることを示唆している。




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