【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2011年03月

東日本大震災でイタリアも揺れているⅥ


イタリアの民放局のうち最大の5チャンネルは、毎朝6時から8時までトップ(見出し)ページと銘打った報道番組を流す。これは15分にまとめたニュースや生活情報などを繰り返して放送するもので、前日までと今日これからの世界や国内の社会情勢が、ある程度分かる形になっている。そうしておいて、同局はトップページのうちの重要なものを、午前8時からの通常ニュース番組で深く掘り下げて放送する。40分のその番組は週7日間休みなく放送され、土日の週末は50分に延長される。

 

東日本大震災発生以来、5チャンネルのトップページは毎日欠かさずに日本の情勢を伝えてきたが、今日(29日)、初めて、原発事故を含む震災関連の話題がそこから外された。8時からの通常ニュースでは、さすがに福島第一原発の危険な現状については言及したものの、トップページでは触れなかったのである。

 

このことは前にも言ったように、被災地や日本にとっては良い面と残念な面がある。良い面とは被災地に少なくともこれまで以上の新たな不幸が起きていないことを示唆すること。残念な面は人々が早くも被災地のことを忘れ始めた現実を暗示することである。放射能の問題が悪化しなければ、人々の多くは急速に大震災のことを忘れていくだろう。そして、やはりどちらかといえば、イタリアに限らず海外のメディアが次第に大震災のことを忘れてくれる方が、被災地や日本にとってはいいことに違いない。

 

でも、依然として危機的な状況が続く福島原発問題は、再び5チャンネルのトップページに大々的に取り上げられる可能性が残っている。もしそうなった時は、恐らく日本を見る世界のムードが変わる。今の同情や友愛や支援や好意ばかりではなく、放射能汚染を食い止められなかった日本政府や東京電力への批判が巻き起こり、それは当然日本国民に対する世界の見方にも影響を及ぼす可能性がある。そうならないことを心から願いたい。

 

東日本大震災に替わるイタリアの各メディアのトップニュースは、イタリア南端のランペドゥーサ島に押し寄せる中東(北アフリカ)難民。島の人口を上回る流民が上陸し続け、ついに島民が悲鳴を上げて難民排斥に立ち上がった。この問題はイタリア一国で解決できるものではなく、やがてEU(欧州連合)全体が協力して対処することになるだろう。特にリビアへの共同軍事介入を断行しているEU主要国は見て見ぬ振りはできない。

 

難民、リビア問題に続くイタリアのもう一つのトップニュースは、横領容疑などでミラノ地裁の予備審問に出廷したベルルコーニ首相の動向。先だって未成年者買春容疑で起訴された同首相は、2003年6月にも汚職事件の公判で裁判所に出廷している。

 

イタリアは多国籍軍に多くの基地を提供してリビアへの軍事介入に深く関わっているが、NATO内では意志決定会議で蚊帳の外に置かれ、米英仏独だけが衛星会議を開いて話し合う事態が起きたりしている。イタリア政府は「無視されたわけではない」などと負け惜しみを言っているが、これは僕などに言わせると、元々イタリアが世界の主要国の中ではマイナーな国であることを差し引いても、スキャンダルまみれのダメ男をトップに戴く国を、人々が信用していないことの証にしか見えない。

 

そうこうしているうちに、日本からの合唱団が北イタリアを訪れ、僕の住む村にもやって来るという。それには僕らの一家も関わることになる。実はそれは大分前から計画されていたイベントだが、大震災が起こった今、当然キャンセルまたは延期されたものだと僕は信じ込んでいたから驚いた。

 
白状すると、僕は計画が予定通りに実施されることに、驚きを通り越して腹立ちにも近い困惑さえ覚えた。そこで主催者である村役場(コムーネ)の担当者に連絡を入れた。少し抗議をしたい気分だった。

 

日本から遠いイタリアにいる僕と妻でさえ、震災被災地の皆さんの辛酸を想うとき、文字通り何もできないながら、いや何もできないからこそ、以前から計画を立てていた旅行を心苦しく思って中止するような場合に、日本から合唱団がやってくるなんてどういうことなんだろうと思った。

 

でも話を聞くと、合唱団はどうやら中学生程度の子供達が中心のグループらしい。それで僕は少し心が静まった。それどころか少し明るい気分にさえなった。

いつまでも沈み込んでいるわけにはいかない。どこかで誰もが前を向いて歩き出さなければならない。子供達がその先頭に立つのはいいことではないかと思い直した。


普天間基地を災害避難所にしろ


東日本大震災のNHK報道を僕は日本との衛星同時放送でずっと見続けてきた。言葉を失う惨劇を、遠いイタリアで苦しい思いで追いかけながら、一つ気づいたことがある。

 

今回の東日本大震災も16年前の阪神淡路大震災も寒い時期に起きている。またそうではない例えば新潟中越地震の場合でも、災害後に厳しい寒さが訪れて、被災者の皆さんの苦労をさらに大きくした。

 

そこで、冬でも暖かい沖縄の米軍基地の全てを、国営の災害避難所に作り変えて、残念ながら今後も全国で発生し続けることが宿命の、あらゆる種類の天災への備えにしたらいいのではないかと考えた。

沖縄以外の日本国土は、本土最南端の鹿児島県でさえ、真冬には雪も降る寒い土地柄だ。冬でも花が咲き乱れ小鳥がさえずっている沖縄県に、苦しんでいる被災者の皆さんを迎えてあげるのは意義のあることであろう。
 

まず手はじめに普天間基地の米軍に退散を願って避難所となし、東日本大震災の被災者の皆さん、避難所の皆さんを全て受け入れる。とにもかくにも厳しい寒さをしのげる、というだけでも大きな負担減になるのではないか。

そうすれば、沖縄県民の基地への怒りも嘆きもきれいさっぱりとなくなり、本来の明るい性格ともてなしの心だけが最大限に発揮されて、被災者の皆さんを暖かく迎え、援助の手を差し伸べるだろう。

 

基地擁護者が言いたがる抑止力が、国難を排するための力であるなら、大震災で甚大な被害を受けて苦しむ国民の存在、という大きな国難を排する避難所こそ、真の抑止力だと言うこともできる。

 

普天間基地を開放して作る避難所には、被災者の皆さんが家族ごとに入れる、アパート群を始めとする様ざまな設備を作るのは言うまでもない。その時、応急処置のチャチな建物ではなく、しっかりしたりっぱな設計建築をすることが重要である。というのも、そこは災害避難所として使われない期間は、国民保養所や国民宿舎のような形にして低料金で貸し出すのである。言うまでもなく、災害が発生した場合は無条件に明け渡す、という契約で。

 

そうすれば施設はきっと夏には海で遊びたい若者で、冬には避寒保養地として、年金生活の高齢者の皆さんなどで溢れるに違いない。

またそうした施設は、島を訪れる多くの観光客が台風で足止めを食う時にも利用してもらう。

台風による足止めは、観光客にとってはホテル宿泊費を始めとする旅行費用の想定外の入り用で負担が大きい。ここでも低料金で提供すれば大きな助けになる筈である。そのほかにも知恵をしぼればいろいろと利用価値があるのではないか。

 

荒唐無稽な話、と一笑に付す人もいるだろう。だが民主主義国家のわが国において、沖縄県民の民意を完全に無視して、現職総理や幹事長や各閣僚が島を訪れては、バカの一つ覚えのように辺野古への基地移設を唱えることこそ荒唐無稽だ。

 

同じ荒唐無稽なら、被災者の負担と沖縄の基地負担を一気に解決できる避難所の方がよっぽどましである。


 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅤ


多国籍軍によるリビア爆撃が始まってから、東日本大震災に集中していた欧州の関心は急激に対リビア戦争に移行した。それぞれの国や社会の日々の動きや、世界情勢に流されるように内容が移行していくテレビの、特に報道の現場では仕方のないことである。というか、それがテレビに限らずメディアの宿命である。巨大な出来事である今回の東日本大震災でさえ、メディアの関心を永久に留どめておくことはできない。日本人としては内心不服だが、それが現実である。

 

当初、英米仏伊、カナダ、ベルギー、それにカタールの7カ国が参加した多国籍軍は、21日の時点ではスペイン、デンマーク、ギリシャなどが加わり、さらにアラブ首長国連邦も参加した。アメリカとヨーロッパの参戦国は、最近起こったイラク、アフガニスタン戦争でのアラブ諸国の反発をもっとも恐れている。従ってカタールとアラブ首長国連邦という二つのアラブ国の参戦は極めて重要な意味を持つ。

 

もっとも強硬に作戦を押してきたのはフランス。さらに英米と続いたが、もっとも強く作戦遂行の影響を懸念しているのはイタリアであろう。イタリアは7つの航空基地を多国籍軍に提供し且つ参加国の中では一番リビアに近く、従って報復攻撃を受けやすい。そのせいもあるだろうが、首相のベルルスコーニはカダフィ大佐との友情を慮る振りで彼の立場を心配して見せたり、イタリア空軍機はリビアに向けては一発の砲撃もしなかった、などと言い訳をしたりしている。

 

イタリアのジレンマはもう一つある。難民問題である。アフリカに近い南イタリアのランペドゥーサ島には、次々に難民が押し寄せている。これまではチュニジア人が主体だったが、リビアを攻撃することでイタリアは難民の数をさらに増やす手助けもすることになる。今やイタリア国内のトップニュースは、東日本大震災でもリビア戦争でもなく「難民」なのである。もっとも深刻なランペドゥーサ島には人口とほぼ同じ数の5400人が上陸して大混乱になっている。リビアに近い周辺の島々にカダフィ大佐がミサイルでも撃ちこんだら、島々はさらに大混乱になり、やがてここ北イタリアにも波及してきそうな勢いである。

 

ある意味では日本の震災ニュースが減るのはいいことでもある。なぜならそれは、少なくともこれまで以上の悲惨な出来事が起きていないことを物語るから。福島第一原発に重大な悪化現象が現れたりすれば別だが、イタリアでは日を追うごとに大震災への関心が無くなって行きそうな気配である。被災者と被災地の本当の戦いはこれからだが、今はイタリアのメディアが震災に
無関心になって行くことを願うばかりである。

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅣ

 

今月25日から3~4日の日程で予定していたスペイン・アンダルシア旅行をキャンセルした。週末を利用して、妻と二人でフラメンコを観に行く計画を1月末頃に立てて楽しみにしていたのだ。

日本から逐一入る大震災の厳しい情報に埋もれて、かなり落ち込んでいる気分を引き上げるために、予定通り旅行をしようかと考えなくもなかった。が、やっぱりそんな気にはなれない。遠いイタリアにいて何ができる訳でもないが、しばらくは被災者の方々に心だけでも寄り添っていたいと思った。おそらく海外在住の日本人は誰もが僕と同じ気持ちでいるのではないか。旅行のキャンセルには妻も即座に賛成してくれた。

 

旅行を取りやめたことで何かできることはないかと夫婦で話した。彼女は南米やアフリカなどの貧しい人々を支援する複数の団体に所属して活発に活動している。それとは事情が異なるが、こういう場合にはどうするべきか良く心得ているから、全て妻に任せることにする。

気分高揚という意味では、実は一昨日17日の木曜日に僕は普段は余り考えられないことをして、自分を慰めた。今思うと少々冷や汗ものの行動だったが、不思議なことにその時は何のためらいもなくできた。

3月 17日はイタリア統一150周年記念日だった。イタリア中で盛大な祝典が催された。

僕ら夫婦も住まいのあるコムーネ(COMUNE:共同体)の祝賀会に招かれた。

僕が住んでいる北イタリアの村は、人口一万人弱のコムーネの中心地区である。僕は分かりやすいようにそこを勝手に「村」と呼んでいる。町や街と呼んでもいいのだろうが、のどかな田園地帯も広がる地域なので、僕の感じでは「村」というのが一番しっくり来る。

 

実は、イタリアには市町村という行政単位はない。首長を戴く全ての地域は、等しく「コムーネ」と呼ばれる。つまり、ローマやミラノのような都会も僕が住む田舎町も、一律にコムーネなのである。

 

コムーネ主催の「イタリア統一150周年記念式典」で、僕は妻と二人で壇上に上がって少し話をした後、妻を巻き込んで日本語で、日本式に「イタリア、バンザイ」と三唱した。突然、バンザイ三唱を強制された妻も、聴衆も驚いていたが、一番驚いたのは僕自身だった。生まれて初めてのバンザイ三唱を、僕は何の迷いも抵抗感も逡巡もなくやってのけた。そのことに自分でも驚いたのである。

 
僕は式典そのものに顔を出すと決めた時、日本の震災のことを少し忘れて、祭りに身をゆだねて気分転換をしようと思った。

 

ところが式典が始まると、挨拶をする来賓の多くが話の冒頭で東日本大震災に言及して同情を表明してから本題に入る。僕はそれで少しじんとなってしまった。

 

加えて、統一国家というものにそれほどの価値を見出さないイタリア人の真骨頂、とでもいうべき挨拶の一つ一つが面白かった。彼らはスピーチを一様に「統一イタリア、バンザイ!」と締めくくるのだが、その言い方がものすごく嘘っぽい。無理をして、というのが少し大げさなら、ひどく遠慮しいしい言っているのがわかる。

 

かつて独立自尊の気概に富む都市国家が群雄割拠していたこの国の人々は、今でもその記憶を失わず、むしろ誰もがそのことを誇りにして現代を生きている。人々にとっては統一国家の前にそれぞれが所属する「コムーネ」があり、それはいわば一つ一つが独立国家なのである。巨大コムーネのローマと僕の住む北イタリアの小さな「村」コムーネが、行政的に完全に対等な立場に置かれているのも、それが理由の一つである。

 

僕はイタリア人の独立自尊の気風が大好きである。それを尊敬し楽しんでいるからイタリアに住み続けている、と言ってもいいくらいだ。

 

大震災に見舞われた日本への連帯感を表明してくれる来賓の情にじんとしたり、統一国家よりも「オラが街が大事」という本音を隠して「イタリア、バンザイ」とか細い声で建前を言う様子を面白がったりしながら、僕はだんだん本気で楽しくなり愉快になって行った。

またその時の僕の胸の底の底には、甚大な災害に見舞われながらも人間性を失わずにじっと耐える、故国の被災者を讃える世界中のメディアの報告を、自身が誇る気持ちも少なからずあったと思う。

 

そこでイタズラ心が出た。僕は隣にいた妻に「僕に続いて日本語でバンザイを三唱して」と耳打ちして、聴衆に向かって「ビバ(バンザイ)、イタリア!」を日本語ではこう表現します、と言ったあと実際にバンザイ、バンザイとやったのである。
 

 自分の行動をあとで振り返ると冷や汗が出たが、会場にいた人は皆喜んだ、少なくとも面白がっていた、などの噂を聞いて僕はほっとした。

でも、やっぱり反省している。

なぜなら僕は叫んだり、悲鳴を上げたり、勝ち鬨(どき)を上げるなどの金切り声が嫌いだからだ。叫喚(きょうかん)や咆哮(ほうこう)や絶叫や大呼が起こる場所にはロクなことがない。そして僕の中では「~バンザイ!」というのは絶叫にしか聞こえないのだ。

 

軽い遊びのつもりでやってしまったが、僕は反省している。会場の人々の中には僕のジョークが分からず、日本的な過激なアクション、と決め付けた人も必ずいあたであろうから、なおさら・・・

 

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅢ

 

日曜日(3月13日)もずっとNHKの地震関連ニュースを見て過ごした。

 

午前11時(日本時間19時)のNHK7時のニュースから、報道の様子ががらりと変わった。被災現場にカメラが入り、いったん津波に飲み込まれながら難を逃れて、九死に一生を得た人々の生の声が電波に乗り始めたのだ。

 

最初は宮城県名取市の自宅で、津波に巻き込まれた石川竜郎さんという男性だった。津波が名取市の全てを飲み込んで膨れ上がっていく恐ろしい姿は、空撮カメラで克明に捉えられて、それまで何度も繰り返し放映されてきたが、石川さんは、まさにその地獄絵のただ中にいたのだった。

 

自宅2階にいた彼は突然巨大な濁流に飲み込まれ、水中に引きずり込まれ、死を覚悟して、それでも懸命に足掻(あが)くうちに奇跡的に助かった。顔にたくさんの傷を負った石川さんが語る生々しい恐怖体験は、それまでのあらゆる驚愕映像が語り得なかったものを語り始めた。


それをきっかけにして、
NHKのカメラは被災現場の詳細を舐めるように映し出し、石川さんに続く「地獄からの生還者」も少しづつ紹介していった。

 

そこまでの報道はいわばロング(引き)の報告だった。実況報告の中心は、地震と津波の破壊の模様を遠くから見たいわば大局的なものだった。2次災害、3次災害の危険のある被災地では、空撮やロングの絵を駆使した報道になるのは仕方のないことだった。

 

ところがこの7時のニュースからはアップ(拡大、接写、寄り)の報道に変わった。一つ一つの絵の多くが、対象の「今現在」のクローズアップになったのだ。九死に一生を得た石川さんのような人たちが見つかり、津波の心配が低くなった被災現場にカメラが入って、あらゆる事象に密着し、生々しい映像が多く出始めたのである。

 

被災地に襲い掛かる巨大地震や津波をロングで捉えたそれまでの映像は、言うまでもなく十分に恐ろしいものだったが、カメラが対象に密着してアップで捉えることができるようになったそれ以後の報告は、ロングの絵をはるかに上回る圧倒的なインパクトを持っていた。

 

同時にそれは、被災地の惨状に激しく胸を揺さぶられ、同情し、悲しみながらも、結局何をすることもできず、遠い安全な場所で事態を眺めているに過ぎない自分に対する嫌悪感のようなものももたらした。僕は故国の途方もない悲運をただ苦しく見つめているだけの、無用で無力な情けない存在でしかないというような・・
 

自分の言葉の全てが空しく、何かを言うことはただの偽善にしか思えないような、被災者の圧倒的な不運、悲しみ、苦悩・・・


それは13時(日本時間21時)から始まった
NHKスペシャルでさらに深められた。

 

被害の実相が徐々に明らかになっていくに連れて、NHKの検証も次第に重くなっていく。それと正比例して自分の言葉が果てしもなく軽くなっていくように感じる。ここからは少し言葉を慎もう。しばらく黙って、圧倒的な不運に襲われた人々に心だけをそっと寄り添わせて見守って行こう・・・

 

と思う先から、地震と津波に続いて発生した原発問題に対する強い不信感が湧き上がって、微小微力の自分なりにやはり何かを語らなければならないとも考える。


天災は、悔しいが、仕方がない。人災の原発は許せない。許してはならない。


原発の危険がこのまま回避されることを祈りつつ、僕はそれを取り巻く不透明な現象にはしっかりと目を留めておきたいと思う。

原発問題に関しては、日本の報道と世界の報道との間にギャップがあるのだ。そこには単純な善し悪しでは測れない理由があり原因がある。

そのことについてはどこかで必ず検証したいと思う。ただそれは僕だけの問題ではなく、日本人のひとりひとり全てが、それぞれの立場で検証をし、結論を出し、議論をくり返して、将来の道筋を決めていくべき巨大なテーマであるように思う。


東日本大震災でイタリアも揺れているⅡ


昨日(3月12日、土曜日)はずっと衛星放送でNHKの地震特集を見続けた。

時間がたって少し気持ちが落ち着いてくると、CNNやBBC、アルジャジーラなどの衛星局にもチャンネルを合わせて覗いてみる余裕が出た。

どの局も日本の地震の報告で満たされている。日本で放送されているものと同じ生のNHK映像や民放のそれが世界配信され、各局はそれを流しながら解説をする形を取ったり、特派員や日本に滞在しているエージェントと結んで、電話で話を聞くなど、独自の構成、番組作りをする努力も怠っていない。

夜も3時間ほど寝ただけでずっと地震のニュースを見続け、それは今日になっても続いた。

NHKは当たり前として、世界の24時間衛星ニュース局は、渾身の力で客観的な報道を続けている。

そして彼らの報道の根底には、日本に対する温情、頑張れと応援する気持ち、愛情がこもっているのが分かる。

それは当然と言えば当然のことではあるが、絶望的な状況の中では、やはりその気持ちは嬉しい。

イタリアのテレビの論調も、基本的には世界の衛星テレビ局と同じ。今朝になって一斉に発売された新聞も、全てが一面トップで日本の震災を伝えつつ、根っこにはやはり強いいたわりがあるように僕には感じられる。

僕はもしかすると、今日になっても次々にかかってきた友人知己の見舞いの電話やメッセージに影響されて、気持ちが少し甘くなっているのかも知れない。

連絡をしてくる友人たちは、当然の成り行きで、先ず日本の僕の家族は大丈夫かと話を切り出してくる。が、彼らの中には被災地に始まる日本全体への思いやりがいっぱいに詰まっている。

僕の個人的な体験ばかりではない。いろいろなところで人々が日本に寄せる友愛がある。例えば、先日活躍したサッカーの長友選手が所属するチーム、インテルは、日本をいたんで選手全員が喪章をつけて試合をした。それは有力なスポーツ新聞などに取り上げられて、サポーターの関心を引いた。

また、米国や豪州などに始まる多くの国々が、日本への支援を迅速に表明し、実際に動き出し、最近は対立することが多い中国でさえ、わが国への同情を隠そうとはしない。

被災地のすさまじい状況と、不運にも巻き込まれてしまった方々の絶望を思い、被害の最小と人命救護の最大を祈りながら、せめて僕は日本を取り巻く世界や、世界の人々の善意にも気を留めていたいと思う。

それはいわば「巨大な不幸中の、かすかな幸い」とでもいうべきものであり、大切にするべきものであるように僕には感じられる・・

東日本大震災でイタリアも揺れているⅠ

 

イタリアの3月8日は、黄色いミモザの花を恋人や妻に贈るその名もズバリ『女性の日』。昨日、そのことについて3日遅れで何かを書こうとノーテンキなことを考えていたら、日本から巨大地震発生のニュースが飛び込んできた。

 

すぐにテレビの前に走る。地震発生から既に3時間ほどが過ぎていて、日本とのリアルタイムのNHK番組が衛星放送で逐一流れてくる。大津波が、家も車も船も畑も何もかも飲みこんで、膨れ上がっていく驚愕映像が繰り返し流される。巨大な濁流の中に人々がいると思うとたまらない。画面をじっと見すえたまま泣く。

 

津波警報が、東北のみならず北海道から沖縄の宮古島、石垣島に至る全国に出ていることに気づいて、今度は電話の前に走る。

まず先島諸島内にある故郷の島に国際電話を掛ける。そこには90歳を過ぎた父とその面倒を見る妹が住んでいる。豆粒のような平坦な島は、たった今映像を見たばかりの津波が見舞った場合、人家や農地を含む一切が完璧に洗い流されてしまうだろう。


もしかすると島そのものが消えて無くなるのかも知れない。それ程に小さい島である。

 

実家の電話は通じない。妹の携帯電話も無理。すぐに埼玉県に住むもう一人の妹にも電話をしてみる。そこも通じなかった。那覇に住む姉のところも通じない。


次にトライした宮古島の兄がようやく電話に出た。津波への警戒はしているが、恐らく大丈夫、島は平穏だという。ならば、そこに近い父の島も同じ状況だろう。一応安心したが、日本のそこかしこにいる家族の安否はまだ全ては分からない。

 

テレビの前と電話を行き来しながら連絡を取り続けて、どうやら全員が無事と分かったのは、そこからさらに一時間半ほどが過ぎたあとだった。同じ頃に東京や近辺の友人らとも連絡がついた。

 

腰を落ち着けてテレビ画面に集中する。

 

言葉を失う凄惨な場面が、次々に、繰り返し映し出される。涙ぐみながら僕はずっと見入った。時々携帯電話で自宅近辺やミラノに住む日本人の友だちに連絡を入れる。皆NHKの衛星放送を見ている。お互いに慰めあいながら話しては少し心を落ち着かせる。

 

午後になって、気仙沼市の火災の映像が流れ出した。日本はもう夜。

 

自衛隊機から撮影された映像は、またまた震撼させられる状況だ。夜の闇を焦がすような火災が広範囲に渡って続いている。火は人々の制御能力を超えてひたすら燃え広がっているらしい。ドラマでも有り得ないような衝撃的な絵。

 

誰もが生きたまま、なす術もなく炎に飲み込まれているのが見えるようだ。涙が止まらなくなった。

 

時間経過と共に、日本の惨劇を知ったイタリア中の友人達から、僕の携帯に次々に見舞いの電話がかかってくる。妻の携帯電話にもかかってくる。

 

彼らの気遣いが僕をさらに泣かせる・・


 

長友選手バンザイ!


イタリア、プロサッカーリーグセリエAの強豪チーム、インテルの長友選手が、昨日の試合で初ゴールを決めた直後に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。
 
大観衆が見つめる檜(ひのき)舞台でチームメイトに向かって深々とお辞儀をしたのだ。それは流れるように自然な動きで、日本人らしい律儀さと仲間への敬意に溢れた、しかもユーモアたっぷりのステキな動きだった。

この上なく爽やかで楽しいスタンドプレーは、テレビや新聞で大々的に伝えられてイタリア中が湧いた。

新聞の場合は、スポーツ新聞は当たり前として、なんとイタリアきっての高級紙「コリエレ・デッラ・セーラ」までが、 “
festeggiato alla giapponese日本式に祝賀”という説明文と共に、チームメイトに囲まれた長友選手が、主将のザネッティ選手に深く一礼するカラー写真を一面に大きく載せ、さらにスポーツ欄でも再び写真付きで詳しい記事を書いている。

僕は試合の中継を見、テレビニュースを見、新聞を読み漁って、それでもまだ飽きずにインターネットの動画で何度も何度も秀逸の場面を見返している。

テレビ屋の僕はイタリアのサッカーにも大きく関わってきた。僕の事務所は
WOWWOWのセリエA生中継のコーディネーションを一手に引き受けていた時期がある。同時に僕はそれと連携する番組制作のディレクターとしてもロケに駈けずり回った。

長友選手はセリエ
Aの9人目の日本人選手である。パイオニアはいわずと知れた三浦カズ選手。僕は三浦選手のデビュー戦も生中継の現場で見た。昔からサッカーが好きなことも手伝って、以来僕は公私ともにサッカーの動静を見守り続けてきた。

そのことはまたおいおい書いていこうと思うが、実は僕は最近次のような文章を新聞に寄稿したことがある。


【衛星放送で日本のプロサッカーの試合を見ていたら、得点を入れた選手が疾走しながら欧米人並みに拳にキスをするしぐさをした。
僕はその時、安倍元総理が、外遊先の飛行場で妻と手をつないでタラップを降りる姿を見たときと同じくらい気恥ずかしい思いをした。
どちらも普段やらないことをパフォーマンスでやっているところが見苦しい。

拳にキスをしたJリーガーの男は、欧米の選手は結婚指輪に口づけをして妻に感謝を捧げているということを知っているのだろうか?
意味は分からないが、選手の動きがカッコいい、という理由だけであのしぐさを真似ているように見える。
たとえ意味を理解して指輪にキスをしていたとしても、僕はやっぱりあのアクションは見るに堪えないものに感じる。なぜなら、それは日本人の自然な動きではないからだ。

妻への感謝を表すときに結婚指輪に接吻をするなんて、いったいどこの日本人だと思ってしまうのだ。

元首相の安倍さんが、奥さんと手をつないで飛行機を降りたのは、ブッシュ大統領や英国のブレア前首相あたりを真似ていたのだろうが、彼は普段から欧米人のように公衆の面前で奥さんを抱きしめ、手をつないで町を歩き、ほっぺたにチュー、としたりするのだろうか?
そうした欧米の慣習があって、はじめて拳へのキスや大舞台での夫婦の手つなぎが自然になり、絵になる。
 今のところ日本人はそうしないことが自然で美しいと僕は思うが、どうだろうか】


長友選手のお辞儀パフォーマンスは、僕がそこで見たこととはまったく逆の、完璧な自然体の、明るく美しい日本人の姿だった。
堅苦しくて面白くない、と敬遠されることも多いわれわれの低頭の習慣を、一瞬にして好ましいものに変える魔法のようなアクションだった。

僕は個人的にそれを喜ぶと同時に、長友選手の登場が、日本のサッカーレベルの高揚の証でもあると感じて、二重に喜んでいるのだ。

そのこともまた先に書いていこうと思うが、とりあえず今日あたりまでは、長友選手のパフォーマンス動画を再生して
は、また一人でニコニコ笑っていようと思う。

 

 

火葬と埋葬




イタリア人の僕の妻は、埋葬を葬儀の基本とするカトリック教徒である。ところが、彼女はいつか訪れる死に際しては、それを避けて火葬にされたいと考えている。

しかし、カトリック教徒が火葬を望む場合には、生前にその旨を書いて署名しておかない限り、自動的に埋葬されるのが習わしである。


妻は以前から埋葬という形に抵抗感を持っていたが、僕と結婚して日本では火葬が当たり前だと知ってからは、さらにその思いを強くした。日本人の僕はもちろん火葬派である。


僕は最近亡くなった母が荼毘(だび)に付された際、火葬によって肉体が精神に昇華する様をはっきりと見た。


母の亡きがらがそこにある間は苦しかった。が、儀式が終わって骨を拾うとき、ふっきれてほとんど清々(すがすが)しい気分さえ覚えた。それは母が、肉体を持つ苦しい存在から精神存在へと変わった瞬間だった。


以来、死に臨んでは、妻も自分も埋葬ではなく火葬という潔い形で終わりたいと切に願うようになっている。


葬礼はどんな形であれ生者の問題である。生き残る者が苦しい思いをする弔事は間違っている。


僕は将来、妻が自分よりも先立った場合、もしかすると彼女が埋葬されることには耐えられないかもしれない。


土の中で妻がゆっくりと崩れていく様を想うのは、僕には決してたやすいことではない。キリスト教徒ではない分、遺体に執着して苦しむという事態もないとは言えない。


埋葬が当たり前のキリスト教徒の皆さんの多くは、逆に、火葬に対して僕と同じ感慨を抱くことが多い。それだけに僕は、自ら火葬を選びたいという妻に、ほっと胸を撫で下ろすような気分でいる。


将来、十中八九は男の僕が先にいくのだろうが、万が一ということもある。念のために、一刻も早く火葬願いの書類を作ってくれ、と僕は彼女に言い続けているのである。


普通なら妻も僕もまだ死ぬような年齢ではないが、それぞれの親を見送ったりする年代にはなった。



何かが起こってからでは遅いのである。






~酔っぱらいとヨッパライ~




イタリアに住んでいて一番なつかしいのは日本の酒場である。この国には、じっくりと腰を落ちつけてひたすら飲んだり、あたりをはばからずに浮かれ騒いだりすることのできる、居酒屋やバーや赤ちょうちんやスナックやクラブというものがほとんどない。

 
それではイタリア人は酒を飲まないのかというと、全く逆で彼らは世界最大のワイン生産国の国民らしく、のべつ幕なしに飲んでいる。食事時には夜昼関係なく水や茶の代わりにワインを飲むし、その前後には食前酒や食後酒も口にする。 それとは別に、人々は仕事中でも「バール」と呼ばれるカフェに気軽に立ち寄って、カウンターで一杯のビールやワインをぐいと立ち飲みして去るのが普通の光景である。

  
そんな具合に酒を飲みつづけていながら、彼らは決して酔わない。

 
西洋社会は概(おおむ)ねそうだが、イタリア社会はその中でも酔っぱらいに非常に厳しい。たしなみ程度の飲酒には寛大だが、酔っぱらいというものを人々は蛇蝎(だかつ)のように嫌う。


「いやあ、ゆうべは飲み過ぎてしまって」

「いやいや、お互い様。また近いうちに飲(や)りましょう」

とノンベエ同志が無責任なあいさつを交わし合い、それを見ている周囲の人々が、

「しょうがないな。ま、酒の上のことだから・・」

と苦笑しながら酒飲みを許してやっている日本的な光景はここには存在しない。

酒に酔って一度ハメをはずしてしまうと、よほど特殊な状況でもない限りその人はもう翌日からまともな人間としては扱ってもらえない。

 
酔っぱらい、つまり酒に呑(の)まれる人間を人々はそれほどに嫌う。交通安全の標語じゃないが“飲んだら酔うな。酔うなら飲むな。”というのが、イタリアに於ける酒の飲み方なのである。

 


それならイタリアには酔っぱらいは一人もいないのかというと、面白いことにこれまた全く逆の話なのである。うじゃうじゃいる。というよりも、イタリア国民の一人一人は皆酔っぱらいである。ただし、彼らは酒に酔った本物の“酔っぱらい”ではない。精神的なあるいは性格的な“ヨッパライ”である。

 
酔うと人は楽しくなる。陽気になる。やたらと元気が出て大声でしゃべりまくる。社長も部長も課長も平社員も関係がなくなって、皆平等になってホンネが出る。仕事仕事とガツガツしない。いや、むしろ仕事など投げ出して遊びに精を出す。

こうした酔っぱらいの特徴は、そのまますべてイタリア人に当てはまる。酒飲みも下戸も、男も女も子供も老人もドロボーも警察官も、そして夜も昼も関係がない。彼らは生まれながらにして、誰もが等しく酔っぱらいならぬ“ヨッパライ”なのだ。

 
ヨッパライたちの酔いぶりは、アルコールとは縁がないから抑制がきいていて人に迷惑をかけない。くどくどと同じことを繰り返ししゃべらない。狂暴にならない。言動に筋が通っていて、翌日になってもちゃんと覚えている等々、いいことずくめである。

ただし、イタリア野郎にフランス男というくらいで、男のヨッパライの多くは白昼でもどこでもむやみやたらに若い女性に言い寄る、という欠点はある。なにしろ、ヨッパライだからこれはしょうがない。

 


素面(しらふ)で酔うことは、飲んで酔わずにいるよりもはるかに難しいことである。昨日今日で身につけられる業ではない。イタリア人は大昔からずっとそのための鍛錬を続けてきた。

「すべての道はローマに通ず」とたたえられた時代から、彼らはりっぱな建物や芸術をつくり出す一方で、酒を飲まずに酔う技術も少しづつ身につけていったのだ。

それを文化といい社交術という。あるいは人生を楽しむ技術、と言い換えてもいいだろう。そしてイタリア人が人生を楽しむ達人であることは、今さらぼくがここで言わなくても世界中の誰もが知っている事実である。

 
で、
イタリアにいる限りは郷に入らば郷に従えで、ぼくも彼らにならってヨッパライにならなければ生きていけない。幸いぼくは南国生まれの島人だからテーゲー(大概、アバウト)人間で根が明るい(と自分では思っている)。元々ヨッパライの素質はある。

しかし二千年来の偉大な歴史と文化に裏打ちされたイタリア人のヨッパライぶりには歯が立たない。

それで彼らに合わせようと毎日いっしょうけんめいに努力をする。努力をするから毎日疲れる。疲れるから夜は一杯やってストレスを解消したくなる。ところが、先に言ったようにこの国では酒を飲んで酔うのはヤバイのだ。ヨッパライはいいが酔っぱらいは毛嫌いされる。当然ここでも飲みながら酔わないように、酔わないように、と努力の連続・・・。


そういう暮らしばかりをしているものだから、飲んで騒いで無責任になれる日本の酒場がなつかしい。赤ちょうちんや居酒屋の匂いが恋しい。努力なんか少しもしないでなれる本物の酔っぱらいになりたい・・・。

 
ローマは一日にして成らず。ローマ人には一生かかってもなれないなァ、これでは・・・とつくづく思う。

 





                             

 

アルジャジーラ、中東、そして日本


中東問題が大きくなって以来、CNNよりも衛星放送のアルジャジーラ・インターナショナルを見ることが多くなった。アラビア語は分からないが、英語放送なので付いて行くことができる。

アルジャジーラは中東カタールに本拠を置く衛星局だから、現地の情勢に詳しく、24時間体制で流れる情報の多くに臨場感がある。イタリアで見ている同局の英語放送は、恐らくロンドンかドーハから発信されていると思うが、僕が知る限り中東現地からの生中継は、例えばイギリスのBBCインターナショナルよりもはるかに量が多く、新情報の発信速度もわずかばかり速いようである。BBCインターナショナルもCNNと共に普段から僕が良く覗く衛星チャンネルである。

例えばエジプトのムバラク元大統領の息子が政府の要職を辞任したというニュースを、僕はアルジャジーラの画面テロップで最初に見たが、直後にチャンネルを回したBBCにはまだ出ていなかった。僕が見逃したのでなければ、恐らくアルジャジーラが世界で最初にその情報を発信したのだろうと思う。

ただ情報発信の速度に関して言えば、今や世界中の放送局が様ざまな情報ネットワークを駆使してしのぎを削っていて、あまり大きな差はないようである。

BBCインターナショナルのほかに、NHKのニュースも衛星放送で日本と同時に見ているが、アルジャジーラやBBCが現地からの生中継でえんえんと伝えている中東の主だった動きについては、ほぼ間違いなく取り上げていて遅滞感はない。速度ばかりではなく、その時々で現地情勢を掘り下げて詳しく伝える手法もNHK独特のものがあって、見ごたえがある。

イタリア公共放送RAIのニュースももちろん見ているが、時差の関係でこちらは速さや臨場感ではあまり頼りにしていない。イタリアにいてRAIの「時差」というのも変だが、こういうことである。

まず朝のうちにアルジャジーラやBBCの24時間体制に近い中東中継を見る。気が向けばCNNも覗く。その後NHKの19時のニュースを日本とのリアルタイムで見る。イタリア時間の午前11時である。そこまで見ると、少なくとも中東情勢に関しては充分。
13時半に始まるRAIの昼のニュースは見なくても間に合う、というのが実感である。

それでもやはりイタリアの放送局のニュースも見る。中東がらみでは特に難民問題が重い。アフリカに近い南イタリアの島には、今中東からかなりの難民が押し寄せている。チュニジア人が主流だが、やがてリビアなどからもやって来ると考えられている。着の身着のままで島に上陸する多くの難民を見ると、中東の混乱はイタリアのすぐ隣で起こっているのだと今さらながら痛感する。

ニュースを見ながら、僕はいつもの癖で日本のことを考えずにはいられない。

もしも中東の混乱或いは変革が、中国や北朝鮮にまで波及した場合、日本にも難民の波が押し寄せる日が来るかも知れない。イタリアの現実を見ていると、それは決して荒唐無稽な妄想ではないような気がする。多くの難民は先ず陸続きの韓国に流れるだろうが、日本にも必ずやってくると考えるのが自然だろう。

わが国は彼らの隣人として、また責任ある先進国として、そのときどう行動するべきか考えておく必要があるのではないか。そうしておいて、もしもそれが杞憂に終わった場合はそれで良しとするが、そこで考えたことは、将来高い確率でやって来るであろう、移民と日本人との共存社会の構築に役立てることもできるはずである。

 

~魚料理談義~



「世界には三大料理がある。フランス料理、中華料理、そしてイタリア料理である。その三大料理の中で一番おいしいのは日本料理だ」


これは僕がイタリアの友人たちを相手に良く口にするジョークである。半分は本気でもあるそのジョークのあとには、僕は必ず大げさな次の一言もつけ加える。


「日本人は魚のことを良く知っているが肉のことはほとんど知らない。逆にイタリア人は肉を誰よりも良く知っているが、魚については日本料理における肉料理程度にしか知らない。つまりゼロだ」


三大料理のジョークには笑っていた友人たちも、イタリア人は魚を知らない、と僕が断言したとたんに口角沫を飛ばして反論を始める。でも僕は引き下がらない。スパゲティなどのパスタ料理にからめた魚介類のおいしさは間違いなくイタメシが世界一であり、それは肉料理の豊富さに匹敵する。しかしそれを別にすれば、イタリア料理における魚は肉に比べると貧しい。料理法が単純なのである。


この国の魚料理の基本は、大ざっぱに言って、フライかオーブン焼きかボイルと相場が決まっている。海際の地方に行くと目先を変えた魚料理に出会うことはある。それでも基本的な作り方は前述の三つの域を出ないから、やはりどうしても単調な味になる。

一度食べる分にはそれでいい。素材は日本と同じように新鮮だから味はとても良い。しかし二度三度とつづけて食べると飽きがくる。何しろもっとも活きのいい高級魚はボイルにする、というのがイタリア人の一般的な考え方である。ボイルと言えば聞こえはいいが、要するに熱湯でゆでるだけの話だ。刺身や煮物やたたきや汁物などにする発想がほとんどないのである。


僕らは日伊双方の料理の素材や調理法や盛り付けや味覚などにはじまる様々な要素をよく議論する。そのとき、魚に関してはたいてい僕に言い負かされる友人たちがくやしまぎれに悪態をつく。


「そうは言っても日本料理における最高の魚料理はサシミというじゃないか。あれは生魚だ。生の魚肉を食べるのは魚を知らないからだ。」


それには僕はこう反論する。


「日本料理に生魚は存在しない。イタリアのことは知らないが、日本では生魚を食べるのは猫と相場が決まっている。人間が食べるのはサシミだけだ。サシミは漢字で書くと刺身と表記する(僕はここで実際に漢字を紙に書いて友人らに見せる)。刺身とは刺刀(さしがたな)で身を刺し通したものという意味だ。つまり“包丁(刺刀)で調理された魚”が刺身なのだ。ただの生魚とは訳が違う」


煙(けむ)に巻いておいて、僕はさらに言う。


「イタリア人が魚を知らないというのは調理法が単純で刺身やたたきを知らないというだけじゃないね。イタリア料理では魚の頭や皮を全て捨ててしまう。もったいないというよりも僕はあきれて悲しくなる。魚は頭と皮が一番おいしいんだ。たしかに魚の頭は食べづらいし、それを食べるときの人の姿もあまり美しいとは言えない。なにしろ脳ミソとか目玉をずるずるとすすって食べるから。要するに君らが牛や豚の脳ミソをおいしそうに食べるのと同じさ。


あ、それからイタリア人は―と、いうか西洋人は皆そうだが―魚も貝もイカもエビもタコも何もかもひっくるめて、よく“魚”という言い方をするだろう? これも僕に言わせると魚介類との付き合いが浅いことからくる乱暴な言葉だ。魚と貝はまるで違うものだ。イカやエビやタコもそうだ。何でもかんでもひっくるめて“魚”と言ってしまうようじゃ料理法にもおのずと限界が出てくるというものさ」 


僕は最後にたたみかける。

「イタリアには釣り人口が少ない。せいぜい百万人から多く見つもっても二百万人。日本には逆に少なく見つもっても二千万人の釣り愛好家がいると言われる。この事実も両国民の魚への理解度を知る一つの指標になる。

なぜかというと、釣り愛好家というのは魚料理のグルメである場合が多い。彼らはスポーツや趣味として釣りを楽しんでいますという顔をしているが、実は釣った魚を食べたい一心で海や川に繰り出すのだ。釣った魚を自分でさばき、自分の好きなように料理をして食う。この行為によって彼らは魚に対する理解度を深め、理解度が深まるにつれて舌が肥えていく。つまり究極の魚料理のグルメになって行くんだ。


ところが話はそれだけでは済まない。一人一人がグルメである釣り師のまわりには、少なくとも十人の「連れグルメ」の輪ができると考えられる。釣り人の家族はもちろん、友人知人や時には隣近所の人たちが、釣ってきた魚のおすそ分けにあずかって釣り師と同じグルメになるという寸法さ。

これを単純に計算すると、それだけで日本には二億人の魚料理のグルメがいることになる。これは日本の人口より多い数字だよ。ところがイタリアは一千万から二千万人。人口の1/6から
1/3だ。これだけを見ても、魚や魚料理に対する日本人とイタリア人の理解度には、おのずと大差が出てくるというものだ」


友人たちは僕のはったり交じりの論法にあきれて、皆一様に黙っている。釣りどころか、魚を食べるのも週に一度あるかないかという生活がほとんどである彼らにとっては、「魚料理は日本食が世界一」と思い込んでいる『釣りキチ』の僕の主張は、かなり不可解なものに映るらしい。

 

~イタリア式 人気番組の作り方~



「同じ公共放送なのに、どうして俺達にはこんな番組が作れないのかなぁ・・・」イタリアのNHKに当たるRAIの番組を見ていた山田さんが、ため息まじりに言った。山田さんはNHKのプロデュサーで僕の友人である。イタリア旅行に来た彼に、僕はわざとゴールデンタイムに放送されるRAIの看板番組を見せて反応を確かめていた。少し前の話だが、イタリアの状況は今もあまり変わっていない。


番組の内容は歌あり踊りありクイズありマジックショーありゲストコーナーあり・・・要するに何でもござれのバラエティーである。たかがバラエティー番組なのに、いや、たかがバラエティー番組だからこそ、そこにはアメリカでもイギリスでもドイツでもない、もちろん断じて日本でもない、イタリア的なセンスが全編にちりばめられていた。


テレビ画面ではふんどしそっくりの布を腰に巻き、ついでに胸元にもその切れ端を二つだけチョンと付けてみました、という感じのアブナイ衣装を着た十人の娘が、スタジオの舞台上で花かごを片手に踊りながら、片方の手では花びらと投げキッスを交互に観客に送っている。十人の娘、というよりもダンサーたちは、いずれもちょっと見かけたことがない、というぐらいに華々しくセクシーでグラマーでそれなのになぜかスマートで、とにかくムチャクチャに魅力的である。そして極めつきは、彼女たちが少しもいやらしくない、という厳然たる事実だった。


ただ美女を集めて、お色気を売り物にするだけの番組なら誰でも作れる。ところがこのRAIのショーは、性を売り物にしているようで、そのくせそこを突き抜けてしまっているために、メルヘンのようなおかしみだけが画面いっぱいに広がって、子供から年寄りまで安心して見ていられる。だからこそゴールデンタイムに放送が可能であり、冒頭の山田さんの「どうして俺達には・・・」という嘆きを誘い出してしまうのである。


イタリアのテレビ局はこの手の遊び番組にどかんと金をかける。たとえば十人の娘は、日本の常識の数倍にはなる大人数の番組スタッフが、手分けしてイタリア中の美形の中から選りすぐり、肉感的でありながらしかもいやらしくない、いわば童話の中のキャラクターでもあるような不思議なダンサーに作り上げる。作り上げるのであって、元々そういうダンサーではないのだ。これだけでも金と時間が相当にかかる。

そして彼女たちが着るコスチュームは、たとえばアルマーニのような超一流のデザイナーブランドに特注して作らせる。番組の司会は年収ン億円の花形タレントを、年収に見合うかそれ以上のギャラを支払って拘束する。他の出演者も同じ。

乗りの良いすばらしい音楽は、イタリアといわず世界中のトップミュージシャンに当たって、納得のいくものを作曲させる。カラフルでまぶしくておシャレなスタジオセットの制作には、これまた莫大な金をかけて超一流のアーティストを呼ぶ、などなど。この手の番組に彼らは思い切って金を注ぎ込む。


それでは単に金をかければいいのかというと、それだけでもやっぱり無理だ。

十人のダンサーに代表される「天真爛漫イケイケゴーゴームチムチムッチリほんとにキレイ!」という風に、性をオブラートに包んで見苦しくない物(子供達に見せても構わないという意味で)に換えてしまう、イタリア人の才能がないとこの手の番組は作れない。


たとえばこれがアメリカならば、金も才能もあるが、十人のダンサーの使い方が女性をバカにしていると女権論者からすぐに猛烈な反発がくる。少なくともゴールデンタイムの放送は無理だ。イギリスのテレビが作ると、007映画よろしくお色気が前面に出すぎて子供には見せにくい雰囲気になる。フランス人がやるとイタリアに一番近くなるが、作る側の照れとか気取りとかが必ず画面にちらついて、あっけらかんとした自然な感じがなくなる。ドイツ人がやると、真面目すぎてひたすらコワイ。わが日本のテレビがやると、たぶん真夜中を過ぎてのピンクショーになってしまうかも・・・。テレビでの性の扱い方は、おそらく日本人が誰よりも不器用なのだから、これはしょうがない。


「そうか。イタリア人の才能というのは分かった。だけど、一つの番組にそんなに金をかけても視聴者は文句を言わないの?」と山田さん。「言いません。これはテレビ番組というよりも一つの壮大な“見世物”だという考え方があって、それには金がかかるのだと誰もが理解しています。そして何よりもイタリア人は“見世物”が大好きです」と僕。


イタリアのNHK、RAIは毎年大赤字である。当然批判も多い。民営化してしまえ、という声も年ごとに高まっている。ところがこうした番組に対しては、まるで局の体質とは関係がないかのように余り批判が起こらない。しかしもっと驚かされるのは、番組が半年間だけ放送されて、しばらく休んだ後に再開されることである。


「番組が休みの間、スタッフは何をしてるの?」と山田さん。「それは充電期間です」僕が答えると、山田さんはヒッと短い叫び声を上げた。恐怖と羨望で顔がひきつっている。

番組が当たれば、スタッフは充電期間どころか、ぶっ倒れてスカスカの干物になるまでむち打たれこき使われて制作をしつづけるのが、日本のテレビ局の常識であることを山田さんは誰よりも良く知っている・・・。

 

 

 

 

小さな大都市ミラノ


 

言うまでもなくミラノはニューヨークやパリやロンドンなどと並ぶ世界のファッションの流行発信地である。そのミラノの中でも最も重要な、いわば流行発信の震源地、とも呼べるのがファッションショーの会場である。僕はテレビ番組の取材でそこにも良く出掛けてきた。


毎年行われるファッションショー、つまりミラノコレクションでは、イタリアのトップデザイナーたちが作った服を、世界中から集められたこれまたトップの中のトップモデルたちが美しく、優雅に、そして華麗に着こなして舞台の上を練り歩く。


テレビカメラが回りつづけ、写真のフラッシュがひっきりなしにたかれる中で、観客は舞台上のモデルたちを見上げながら、称賛し、ため息をつき、あるいは拍手を送ったりしてショーを盛り上げる。実に華やかで胸が躍るような色彩と光と夢に満ちあふれた催し物である。


ミラノでファッションやデザインを取材する時にいつも感じるのは、なぜこの小さな街がロンドンやパリやニューヨークや東京などの巨大都市と対抗して、あるいはそれ以上の力強さで世界をリードするデザインやファッションを発信して行けるのだろうかということである。 


ロンドンとパリは都市圏の人口がそれぞれ約1200万人、ニューヨークは1900万人もいる。東京の都市圏の人口3000万人には及ばないにしても、巨大な都会であることに変わりはない。それらの大都市に対してミラノ市の人口はおよそ130万人、その周辺部を含めた都市圏でもわずか390万人ほどに過ぎない。


もちろん人口数が全てではないが、人が多く寄ればそれだけ多くの才能が集まるのが普通だから、小さなミラノがファッションの世界で多くの巨大都市に負けない力を発揮しているのはやはり稀有のことである。


それは多分ミラノが都市国家の伝統を持つ自治体として機能し、完結したひとつの小宇宙を作って独立国家にも匹敵する特性を持っているからではないか、と考えられる。つまり、ニューヨークやパリやロンドンが飽くまでも国家の中の一都市に過ぎないのに対して、ミラノは街そのものが一国なのである。都市と国が相対するのだから、ミラノが世界の大都市と競合できたとしても何の不思議もないわけである。

 
ところで、秀れた才能に恵まれたミラノのファッションデザイナーたちが、新しい流行を求めて生み出す服のデザインは、まぎれもなく一級の芸術作品である。しかしその芸術作品は、どんなに素晴らしい傑作であっても、たとえば絵画や小説や音楽のように長く人々に楽しまれることはない。言うまでもなくファッションが、流行によって推移していく消費財だからである。


ファッションデザイナーたちは、一瞬だけ光芒を放つ秀れた作品(服)を作るために、絶え間なく努力をつづけていかなければならない。なにしろファッションショーは、一年間に女物が二回、男物が二回の計四回行なわれる。彼らはその度に、少なくとも数十点の新しい作品を作り上げていかなければならないのである。アイデアをひねり出すだけでも、大変な才能と精進が必要であることは火を見るよりも明らかである。


僕は、10年以上前に44歳の若さで亡くなった偉大なデザイナー・モスキーノが、ファッションショーで語った内容を決して忘れることができない。


モスキーノは当時のミラノのファッション界では、アルマーニやフェレやベルサーチなどと並び称される大物デザイナーだった。同時に彼らとは一線を画す、カラフルで斬新で遊び心の強い作品を魔法のように次々に生み出すことで知られていた。彼のファッションショーも、作り出された服と同じでいつもハチャメチャに明るく賑やかで、舞台劇を見るような楽しさにあふれていた。


ある日彼のショーを取材した後のインタビューの中で、ファッションショーの度に次から次へとアイデアが出るのには感心する、というような月並みな賛辞を僕はモスキーノに言った。するとデザイナーが答えた。

「ファッションショーは一つ一つが生きのびるか死ぬかを賭けたテストなんだ。この間何かの雑誌で読んだけど、日本の大学の入学試験はものすごく厳しいらしいじゃないか。ファッションショーもそれと同じだよ。しかも僕らの入学試験は、仕事を続ける限り毎年毎年三ヶ月に一度づつ繰り返されていく。ときどき辛くて泣きそうになる・・・」

 
駆け出しのデザイナーならともかく、一流のデザイナーとして既に揺るぎない評価を得ているモスキーノが、一つ一つのファッションショーを生きのびるか否かのテストだと言ったのが僕にはすごく新鮮に聞こえた。


季節ごとに一新される各デザイナーの作品(コレクション)は、必ずファッションショーで発表される。そしてそのショーの成否は服の売り上げに如実に反映される。モスキーノはそのことを指して、ファッションショーを生きのびるか否かを賭けたテストだと言ったのである。


ファッションは創作と販売が分かち難くからみついている珍しい芸術分野である。従ってモスキーノが、ファッションショーを生死を賭けたテスト、と言ったのは極めて適切な表現だったと僕は思う。


ミラノには日夜髪を振り乱して創作にまい進する多くのモスキーノたちがいる。だからこそ小さな都市ミラノは、世界中の大都市に対抗して今日も堂々とファッションの世界をリードしていけるのだろう。

 

 

 

 

文章のこと


 
ドキュメンタリーのリサーチや人々との連絡や情報集めなどに追われながらも、ミラノ近郊の自宅から市内にある事務所まで通勤する時間が節約された分、時間に余裕ができた。


自宅から事務所まではミラノ-ベニス間の
A4高速道路を使うが、かなり高速で車を走らせても40分ほどかかる。高速を降りてからの所用時間も含めると、どうしても往復2時間強になる。渋滞に巻き込まれたりするとさらに時間がかかってしまうのは言うまでもない。


自宅で仕事をしているとその時間がまるまる自由になる。そうなってみると、ただ物理的なものだけではなく気持ちにも余裕が生まれるようで、自由な時間がもっと多くなったような喜びを感じるから不思議である。


余裕の生まれた時間で、これまでそこかしこに書き散らかしてきた文章を見直してみようと考えている。


まず手はじめに雑誌や新聞に掲載された分から整理していこうと思う。大したものはないが、掲載された文章は全て字数制限の中で仕上げられている。

特に新聞の場合には雑誌に比べると字数が少なくなるケースがほとんどで、下手な寄稿者の僕のような人間の文章は、厳しい字数制限のおかげで曲がりなりにも引き締まったりする反面、本当に言いたいことが言えなかったり、書いた内容が舌足らずのまま終わったりすることも多い。

たまに読者から感想が寄せられて、自分の意図とは全く違う受け止められ方をしていることに気づき、愕然とすることもある。


僕は新聞や雑誌に寄稿する時は、まず初めに思いつくままをどんどん書き進めて行って、2稿、3稿、4稿、と字数制限の長さまで削っていく形を取っている。

新聞の場合の第1稿は、長い時は最終原稿の10倍程度の長さがある場合もざらである。


しかし雑誌の場合にはあまりそういうことはない。最初から字数制限を少し越える程度の長さにまとまることが多い。

雑誌では決められたテーマに沿って書くように求められていて、しかも内容もグルメだとかファッションとか旅やホテルなど、その時々の具体的なものごとを書き記すことが多いからだろう。

言葉を替えれば、雑誌の場合には自分の意見を書くのではなく、客観的な事象を記述して行くことがほとんどである。名のある作家やプロの雑誌記者などが書く記事は、おのずからまた別物だろうが、僕のような素人の場合には、現地にいる日本人の見聞記、程度の内容しか求められないことがほとんどである。


新聞は逆に、自分の意見や感想を自由に書くことができる。

極めて少ない字数制限の中に収まりさえすれば、多少の直しが入ることはあるものの、基本的に何を書いてもいい。

少なくとも僕はそういう形の短いコラムもここ何年か書かせてもらっている。それは南の島の新聞だから、自分が今住んでいるイタリアのことを書いても、できれば島に関連付けるなどして読者が親近感を持てるようにして欲しい、と言われてはいる。


しかしそれは建前で、内容やテーマにはほとんど制限がない。


そこで僕は好き勝手なことを書いてきたのだが、ほとんどの文章で欲求不満を覚えている。それはひとえに字数が少ないことから来ている。

字数を増やせば文章が良くなったり内容が自動的に深まったりするものではないだろうが、少なくとも言いたかったことを全てきちんと書きたい、という自分の不満は解消されるのではないか。

 
そうやって作業を続けて行くうちに、もしかするとこれまでどこにも掲載されることのなかった自分の小説、いや、「文学」を、友人二人を真似てここで発表したい気分になることがあるかもしれない 。そうなったら流れにまかせて漂ってみようと思う。なにしろ「ブンガク」あそびなんだから・・・

イタリア時間と島時間と

 


もはや旧聞に属する話だが、イタリア・アッシジのサンフランチェスコ教会の鐘の音を合図に、世界8ヶ国を衛星生中継で結んで、正月コンサートをしようというNHKの番組があった。

指揮者の小澤征爾さんが、イタリアの教会の12時丁度の鐘の音を合図に日本でタクトを振ると、中国、アメリカ、ドイツ、セネガル、イスラエル等の国々の楽団が一斉に演奏を始める。この時小澤さんのいる日本は午後8時、セネガルは午前11時、イスラエルは午後2時、ボストンは午前6時などと時差があるが、一斉に演奏を始めるタイミングはイタリア時間の昼の12時きっかりの鐘の音。

アッシジの中継現場にいた僕は、12時きっかりに合図を出して鐘を打たせる役割を担っていた。そこで1時間ほど前からリハーサルを繰りかえした。生中継でもリハーサルは欠かせないのである。いや、むしろ生中継だからこそ、リハーサルは普通の番組作りよりももっと重要になる。

合図で鐘がうまく鳴り出すようになったのが本番20分ほど前。そこで世界各地を結んで時刻合わせをした。ところがイタリアの時間だけが53秒ずれている。慌てて言わばNTTの117にあたるここの標準時報台に連絡した。するとそこもやはり53秒遅れていた。まさかと思って何度も確認するが結果は同じ。

衛星信号を経由するパリと東京に連絡を取った。2国はぴったりと時間が合っている。他の国々も同じ。つまりその年、1995年1月1日のイタリア時間は、グリニッジ世界標準時から、53秒ズレて動いていたのである!

僕はイタリア時刻を無視して、パリと東京がそれぞれ12時と20時を打った瞬間に鐘にゴーサインを出した。そうやってコンサートは無事に始まり、番組も無難に終わった。もしあの時イタリア時間に合わせて鐘を打っていたら・・と考えると、今でもぞっとする。


それは少し極端な例ではあったが、イタリア人は良く言われるように時間に対してけっこうアバウトな感覚を持っている。彼らが5分待ってくれと言えばそれは
20分とか30分であり、1分待ってくれと言えばそれもやっぱり20分とか30分である場合がほとんどだ。


どこかの家に夕食を招待されたりする時も、言われた時間より遅れて行くのが礼儀、という考え方さえある。要するに招待する側もされる側も、あくせく時間にこだわらない、という暗黙の了解があってそういうルールができているのである。


招待された側が時間通りにきちんと現れれば、招待した側はこれに応えるためにあくせく準備作業に精を出さなければならない。逆に招待する側が時間に厳しくこだわれば、招かれた側は万難を排して、急いで準備をし行動を起こして訪問先に姿を現わさなければならない。


イタリア人はそういうきっちりとした動きに余り価値を見出さないところがある。のんびりやろうよ、というのがそういう場合の彼らのキーワードである。それってけっこう沖縄あたりのいい加減な島タイムの感覚に近い。


そう、時間に対するラテン民族の大らかさは、テーゲー(大概、アバウト、いい加減)な南の島の時間感覚に似ているのである。


しかし、島時間がいかにトボけたいい加減なものであっても、公共の時報が1分近くも遅れるなんてあり得ない。


そうして見ると、イタリア時間こそ究極の本物・大物のテーゲーなのかもしれない。


マフィアの亡霊Ⅱ~選挙~




シチリア島は紀元前のギリシャ植民地時代に始まり、外からの大いなる力によって支配され続けた

 国(島)を乗っ取られて迫害を受けたと感じた人々は、列強支配への反発から島民同士で結束し、かたくなになり、時間経過と共にさらに団結を強化して行った。

その団結の要としてマフィアという秘密結社が形成されて、人々を保護したという説がある。その主張には一面の真実がある。マフィアは当初から犯罪組織として存在したのではないのだ。

 しかしマフィアは支配者への抵抗組織という顔を持つと同時に、時間の経過と共にシチリアの中で支配者とは関係なく存在してきた、シチリア社会だけの必要悪でもあったと考えられる。

マフィアは麻薬密売や恐喝や賭博などの犯罪に手を染める一方で、土建業に始まるシチリア島の多くの産業に入り込み、雇用を通して人々を支配し、彼らの票を一手に握って政治家をも支配する。

それはたとえば日本の片田舎で、発展する都会の富に全く浴さないと感じた人々が、土地の山を切り開いたり、施設や道路を作ったりする土建業者にぴたりと寄り添う心理と極めて似通っている。

マフィアは殺人や麻薬密売やテロに手を染める犯罪シンジケートである前に、土地開発にまつわるあらゆる利権を握っているシチリアの有力者、あるいは権力者とも呼べる存在なのである。  

「政治は生活なり」という感覚は都会人には良く分からない。しかし東北や山陰等々の片田舎や奄美・沖縄等の離島に行けば、町長選挙や村長選挙が直接に生活に結びついている構図が日本にもいくらもある。

就職先のない貧しい田舎の人々にとっては、A候補を支持し、A候補が当選することは死活問題である。なぜならばA候補が当選したあかつきには、村役場や施設 で息子や娘が仕事を得るからである。

あるいはA候補を通して公共事業が導入されて、仕事が生まれるからである。そしてその場合には、A候補を支持した者により多くの仕事 が行くのは、火を見るよりも明らかである。

それと同じようにマフィアは建設会社を経営し、建設会社を通して村人を支配し、村人の票を一手 に握って政治家を支配し、その単純な構図をさらに拡大してイタリアの国政にまで入り込んでいる。

そこまでは日本の土建業者や米農家を一手にまとめる村会議 員と何ら変わるところはない。シチリア島は、基本的に土建業者であるマフィアに生活の糧を握られている、巨大なムラ社会なのである。

土建業 者であるマフィアは、そこで儲けた金を元手にあらゆる事業に進出して、ますます強くなった。強くなるためには殺人を犯し恐喝をし無差別殺戮の爆弾テロにま で手を染める。

事業は麻薬密売、売春、密貿易とどんどんエスカレートして、巨大犯罪組織としての側面がふくらんでいくが、貧しい村や町の人々の生活に密接 に関わっている土地の土建業者あるいはこわ持ての有力者、という基本的な立場は少しも変わることなく保ちつづけている。

もっと言えば、シ チリアの人々の生活を助けてくれるのは、ローマの政治家に代表される大陸(シチリア人はイタリア本土を良くそういう風に呼ぶ)の力ではなく、その土地土地 のマフィアの男たちなのだ、と人々に思いこませるだけの力を保持している。

そこがシチリアにおけるマフィアの強さであり、マフィアとはシチリア島そのものだと僕が感じるゆえんである。

 シチリアのマフィアはシチリアの人々のメンタリティーが変わらない限り根絶することはできない。同時にマフィアが征服されない限りシチリアの人々のメンタリティーは変わらない。マフィアはそれほど深く広くシチリア社会の中に根を張っている。

マフィアの起源についてはいろいろな説があるが、元々はシチリア島西部に起こった、支配者フランスへの抵抗組織だという説が有力である。というよりも、シチリアの多くの人々がそう信じたがっているようである。

 その説に従えば、MAFIAという名も「Morte Alla Francese Insurrezione Armata」(武器を持って立ち上がれ。フランス人に死を!)」の頭文字を取ったものだということになる。意味は通じるのである。

ま た同じような解釈で「Morte Alla Francese Indipendenza Autonomia」(フランス人に死を! そして独立と自治を)、あるいは 「Morte Alla Francia Italia Anela(フランスに死を、これはイタリアの叫びだ)」の略語という説もある。

そうした解釈は、マフィアに少なからぬ連帯感を持っている人々のこじつけのような気が僕はする。第二次大戦時のナチスに対するフランスやイタリアのレジスタンス運動に似せて、マフィアをシチリアの民衆の味方として位置づけようとする作意が感じられるのである。

マフィアの持つおどろおどろしいイメージや実態には、むしろ次の二つの説のほうが良く似合う。一つは大昔シチリア島のパレルモ地方を支配していたアラブの種族「 Ma Afir(マ・アフィル)」から来ているという説。 またもう一つは、フランス兵に娘を殺された母親がシチリア方言で「Ma Figlia! Ma Figlia ! 」(娘よ、娘よ)と泣き叫びつづけたことから来るという説である。 Ma Figliaはシチリア訛りの発音では「マフィア」とほとんど区別がつかない。

西洋人がアラブ人に抱く不気味なイメージ、そして哀れなシチリアの農婦が娘の亡骸を掻き抱いて号泣する図。そうした不可解な感じ、土着的なもの、悲哀、古代の粘着感・・・のようなものがマフィアの本質であって、決してレジスタンス運動のような英雄的な、しかもある意味で近代的な思想や歴史を持つ男たちの集合体ではなかった、と僕は思う。

いずれにしても、それらの説には一つだけ重大な共通点がある。つまりどの説も支配され、蹂躙されつづけたシチリアの人々の悲劇や怨念や復讐心や詠嘆を背景にしてマフィアが生まれた、と主張している点である。

それは前述したように恐らく正しい。前近代的な様相を持つシチリア社会は、以後少しづつ変化をしながらも基本的には巨大なムラ社会であり続けている。

その最も象徴的な事例が、選挙でマフィアに支配されていても疑問を感じない、あるいは疑問を感じていない振りをする、旧態依然とした人々の行動心理であり島社会の在り方なのである。


マフィアの亡霊Ⅰ~オメルタ~


北欧系の人々が、美しい国と呼ぶことが多いイタリアも、世界中のあらゆる国と同じように多くの問題をかかえている。

たとえばイタリア共和国の持つ多面性は大きな美点と考えられるが、時として意見の不一致という弊害をもたらして政治不安を招き、国としてのまとまりが弱くなるという欠点もさらけ出す。また古くて新しい問題である南北イタリアの経済格差も健在である。あるいはイタリアの伝統産業を支えてきた職人の極端な後継者不足など、多くの先進国に共通する問題も抱えている。

中でももっとも知られているのはシチリア島にはびこるマフィアの問題ではないかと思う。

僕はシチリア島にたくさんの友人がいて、ロケ撮影やリサーチなどの仕事のほかにプライベートでも良く島を訪ねる。シチリアにはドキュメンタリーにしたい題材が多いが、一番魅力的なテーマはなんと言ってもマフィアである。しかし僕がこれまでにシチリア島で取材したドキュメンタリーも、また今後ロケをするチャンスをうかがっている作品も、今のところマフィアとは直接には関係がない。

それでいながら僕は、シチリアで何かの作品を制作することは、どこかで既にマフィアを描くことにつながっていると考えている。なぜならマフィアとはシチリア島そのものだからである。

シチリアの島民の全てがマフィアとかかわっているという意味ではもちろんない。それどころか彼らは犯罪の被害者であり、誰よりも強くマフィアの撲滅を願っている人々である。

それでいながらシチリアの島民は、恐怖と誇りという二つの強烈な感情の鎖で心をがんじがらめに縛りつけられているために、結果としてマフィアに協力してしまう形になることさえある。

マフィアにはオメルタ(沈黙)という鉄の掟がある。組織のことについては外部の人間には何もしゃべってはならない。裏切り者はその家族や親戚や果ては友人知人まで抹殺してしまう、というすさまじいルールである。オメルタは長い間に村や町や地域を巻き込んで、最終的にはシチリア島全体の掟になってしまった。

シチリアの人々はマフィアについては誰も本当のことをしゃべりたがらない。しゃべれば報復されるからだ。報復とは死である。人々を恐怖のどん底に落とし入れる方法で、マフィアはオメルタをシチリア島全体の掟にすることに成功

しかし、恐怖を与えるだけでは、マフィアはおそらくシチリアの社会にこれだけ深くオメルタの掟を植えつけて行くことはできなかった。シチリア人が持っているシチリア人としての強い誇りが、不幸なことにマフィアへの恐怖とうまく重なり合って、オメルタはいつの間にか抜き差しならない枷(かせ)となって人々にのしかかっていったのである。

シチリア人は独立志向の強いイタリアの各地方の住民の中でも、最も強く彼らのアイデンティティーを意識している人々である。それは紀元前のギリシャ植民地時代以来、ローマ帝国、アラブ、ノルマン、フランス、スペインなどの外の力に支配され続けた歴史の中で培われた。列強支配への反動で島民は彼ら同志の結束を強め、かたくなになり、シチリアの血を意識してそれが彼らの誇りになった。

シチリアの血を強烈に意識する彼らのその誇りは、犯罪のカタマリである秘密結社のマフィアでさえ受け入れてしまう。いや、むしろそれをかばって、称賛する心根まで育ててしまうことがある。なぜならば、マフィアもシチリアで生まれシチリアの地で育った、シチリアの一部だからである。

かくしてシチリア人はマフィアの報復を恐れて沈黙し、同時にシチリア人としての誇りからマフィアに連帯意識を感じて沈黙するという、巨大な落とし穴にはまってしまった。

そうした現実は、イタリア人を含むシチリア島以外の世界中の人々が、島や島人をマフィアそのものと見なしてしまう態度になって彼らにはね返り、シチリアの人々をさらにかたくなにしていく。かたくなになって、彼らはマフィアに関してはなお一層口をつぐんでしまい、マフィアはいよいよそれに助けられる、という悪循環にあえいでいるのがシチリア島の今の状況である。

マフィアはシチリア島の現実だが、島民を含む世界中の人々の恐怖心と嫌悪と怒りによって拡大解釈され、とめどもなく膨れあがって、ついには制御のきかなくなったいわば亡霊のような側面がある。

僕は冒頭で、マフィアとはシチリア島そのものである、と言った。それはシチリアの置かれた特殊な環境と歴史と、それによって規定されゆがめられて行った、シチリアの人々の心のあり方を象徴的に言ったものである。

もう一度冒頭の自分の言葉にこだわって言えば、マフィアとはシチリア島そのものであるが、シチリア島やシチリアの人々は断じてマフィアそのものではない。島民の全てがマフィアの構成員でもあるかのように考えるのは、シチリア島にはマフィアは存在しない、と主張するのと同じくらいにバカ気たことである。







日伊、ダメ首相が行く


ベルルスコーニ伊首相が未成年者買春容疑で起訴された。
 
これまで多くの失言やスキャンダルで物議を醸してきた男だが、持ち前の明るさと機知と権謀術策で難局を逃れてきた。が、今回の少女買春スキャンダルは様相が違う。国民は厳しい目を向けていて、特に女性の怒りは大きい。今月半ばには首都ローマを含む230の街で女性による糾弾集会が一斉に行われ、参加者は優に100万人を超えた。同じ日にはフランスでも抗議デモが起きている。
 
イタリア内外から厳しく指弾されている同氏だが、僕はそれらの真っ当な非難に同調しながら、一方で彼の存在をとても面白く思って眺めてもいる。
 
ほとんどノーテンキとも言える脇の甘さで各方面から攻撃されながらも、彼は1994年以来3回も首相になり、在任期間の合計は8年を超えて、イタリア憲政史上で戦後最長になった。
 
国民は時にはあきれ、怒ったりしながらも、まるでイタリア人気質のカタマリみたいな奔放で明るい性格の男を愛し、支持し続けてきた。また彼を首相の座から引きずり下ろしても、代わりの人材が皆無、というイタリア政界事情も長期政権維持につながった。
 
人材不足という点では日本の政治環境もよく似ているようだが、わが国の現職総理には、イタリア首相の政治手腕もカリスマ性も人間的な面白みもないばかりか、失言癖でさえ国際的にも話題になるような大放言の類ではなく、ベルルスコーニのそれと比較すると、いかにも器の小さいちまちましたものだからがっかりである
 。
 
政権維持が風前の灯火のように心細くみえる今、どうせなら管総理もノーテンキなイタリア首相にならって、国民を驚かせるようなパフォーマンスの一つもかましてから退陣をして欲しいものである。
 
例えば普天間基地を、米本土のワシントンかニューヨークに移設しろ、とオバマ大統領に迫って、拒否されたから抗議の意味で政権を投げ出します、というぐらいのパーフォーマンス。
 
管さんが辞めても日本国の大勢に影響は無いのだし、普天間基地も永久に今の場所から動きそうにないのだから、せめてそれぐらいやって国民を楽しませてくれ。

カンバン


フリーになったのはいいが、番組制作はまだできずにいる。体調を崩したこともあるが、もっと大きな問題がある。撮影機材のことである。


ハイビジョンカメラがイタリアにはない。いや、あることはあるのだがまだまだ一般的ではない。それなりの品質の機材はレンタルをするにも値段が高い。以前に比べればずいぶんと安くなったが、僕のようにカメラを長く回し続けるスタイルの撮影では金がかかり過ぎる。採算が合わない。


事務所を出してすぐの頃にベータカムカメラを買った。それもカメラをしつこく回す自分のスタイルがあったからである。レンタルをしていては金がかかり過ぎるから、思い切って買ったのである。 もちろん銀行から金を借りた。ついでに簡単な編集機材も手に入れた。カメラを多く回せば撮影テープも増えて、編集にも時間と金がかかる。オフライン(予備)編集ぐらいは自分の事務所でやらないと、編集スタジオの支払いだけで制作予算の大半が吹っ飛んでしまいかねない。

その作戦はうまく行って、カメラを含む撮影機材も編集機材も割と早めに減価償却を済ませて、機材を新しくしたり増やしたりする余裕さえ生まれたこともあった。

 

ならばハイビジョン機材もそうすれば良いようなものだがそうはいかない。値段のケタが違うし、ハイビジョン仕様が一般的ではないから、編集機材も少ない。それもまた自分で買わなければならなくなりそうだ。とてもじゃないがそんな金はない。もしあったとしても、フリーになった今はそんな気分にはなれない。機材が一般的になってレンタル料金も安くならなければ今は動き出せない。あるいは値段がもっと安くなって自前で買えるようになるか・・。 

撮影機材や編集機材を自前で持つメリットは、安上がりというだけではない。企画を売る前から番組の撮影を始めて、素材をストックしておくという離れ業もできる。そんなことは一介のフリーランスのディレクターには中々できない。なぜなら撮影には機材のレンタル料はもちろん、カメラマン以下のスタッフの人件費や宿泊・飲食費などなど、多くの費用がかかる。しかも企画が通る前の撮影だから、企画が売れなかった場合はまるまる損になる。自分の事務所があって機材もそろえていたりしなければ、簡単にはできない。

 

ドキュメンタリーを作りつつ、多くの報道番組の撮影などもこなしてムチャクチャに忙しくしていた頃は、数年に一本しか作らない映画監督を羨みつつ「カンバン倒れだ」などと思ったりもした。ほとんどロケに出かけない今は自分が「カンバン倒れ」のようなものだが、ディレクターのカンバンを下ろさないのはまだ作りたい番組があるからである。

 

そのうちの一つはイタリアの漁。日本ほどではないが、半島国のイタリアには多くの漁法がある。僕はアルプス山中からパンテレリアという地中海の島までの漁法をずっと調べていて、いつか番組にしたいと考えている。それは自分の中では、90年代半ばに「NHKスペシャル」のために作ったシチリア島の「フェルーカ漁」の流れを汲むもので、今はなくなった漁法も含めて少しづつリサーチを続けているのである。

 

沈み行くベニスも取り上げたい。ベニスは短い撮影も含めて何度も取材をしてきた。かつてNHKの衛星放送でミラノのフアッションショーの取材を担当していた頃や、WOWOWの番組制作にたずさわって主にミラノに張り付いていた頃などを除けば、ベニスはもっともひんぱんに取材に訪れた街である。高潮問題についても何度か取材したが、ある程度の長さになるきちんとした番組はまだ制作していない。

 

ベニスには映画も含めて世界中から撮影隊が訪れる。でもそれはほとんどの場合、いわばベニスを通りすがりに取り上げる、という類いの撮影であるように思う。自分が何度も取材をした時もそんな形である。僕は沈み行くベニスを、実際にベニスに住む人々の目線で描いてみたいと思っている。自分が知る限りまだそういう視点でのドキュメンタリーはないようだが、例えあったとしても、イタリア在住の利点を活かして自分スタイルでしつこくカメラを回してみたいと考えている。

 

実はそのコンセプトで、僕は馴染みのカメラマンとスタッフを連れて、一度ベニスの撮影を始めた。まだ企画も出していなかったが、すぐにはモノにならなくても必ずなんらかの形で一本の番組に仕上げる自信があった。万一ダメでも、高潮に見舞われたベニスの映像は、有りネガとしてストックをしておくだけの価値はあった。ところがそこにハイビジョンの問題が出た。自前のベータカムカメラで回した素材は、将来余り使えない可能性が高くなった。それで撮影をストップした。

 

今はそういう状況である。でも焦りは少しもない。ここまで走ってきた分のんびりと構えて、リサーチを続けながら機会を待とうと思う。作りたいテーマはたくさんあるのである。作りたい情熱が持続するかどうかは別にして。

情熱、とはまた大きく出るようだが、ドキュメンタリー番組作りなんて心身ともに疲れ果てるきつい、厳しい、気が張るの3K仕事だから、面白がったり熱中できたりする部分がないと中々うまく続けられない。僕はそれをちょっと大げさに「情熱」と呼んでみたりしている。

情熱がなくなったらその時に「ディレクターのカンバン」を下ろそうと思う。もっとも下ろさなくても、情熱がなくなれば僕の中では、テレビ関連のあらゆる仕事は終わるのだけれど。

 

 

記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

なかそね則

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ