結局、ウサギ君たちの出番はなかった。
期待していた最大数よりも多い220人前後がコンサートを聴きに来てくれた。集まった人数におどろいたらしいウサギ君2匹は、どこかに雲隠れをして影も形も見えなかった。
ほっとして、そして、腹の底から嬉しい。
一番の喜びは、やはり多くの皆さんが足を運んでくれたことである。そしてそれに見合う演奏パフォーマンスがあったこと。
ギターのセグレさんもピアノの吉川さんも、それぞれの楽器のマエストロ(名人)である。従ってソロ演奏の素晴らしさは、いわば当たり前。ところが昨日の二人はデュオさえも見事にこなした。これは少し驚きだった。
クラシック音楽音痴の僕には、ピアノとギターの二重奏なんて、正直うまく想像もできなかったが、卓越した二人のアーティストはなんなくこなして、しかも出色の出来だった。聴衆が大喜びしたのがその証拠である。
個人的にも心をゆさぶられる出来事があった。重病でもう先は長くない、と医者に宣告されているピエロとフランチェスコが、それぞれの妻に手を引かれるようにして顔を出してくれたことである。二人は兄弟で妻の親戚。僕らの父親世代のうちの最も若い年代に当たるが、残念ながら両人とも癌に侵(おか)されてしまった。
二人が力をふりしぼってコンサートに顔を出したのは、僕の妻への親愛はいうまでもないが、普段から僕自身をも可愛がってくれていて、そこから震災に見舞われた日本への愛惜を人一倍募(つの)らせているのが理由である。日ごろの二人との付き合いの中で、僕はそうしたことをひしひしと感じているから、二人の姿を見て涙ぐむほどの感動を覚えた。
募金そのものもうまく行った。全てが思った以上に首尾よく運んだ。
ほんの少しだけ反省点があるとすれば、220人はわが家でのコンサートとしては、いささか多すぎる人数だったかも知れないということである。会場とした中庭には、詰めに詰めれば500人ほどの聴衆が入れるだろうが、そんなことをしては最早この館でクラシック音楽のコンサートをやる意味が無い。
古い貴族館でのコンサートの良さは、ちょっとばかりの気取りと「優雅」である。それが売りなのである。コンサートに続いて供される立食パーティやブッフェも、あくまでもそのコンセプトの中にある。そこに多人数が群(むらが)ってしまうと、元も子もない。また私邸で開く宴(うたげ)だから、余りにも人数が多いと何もかもがキャパシティーを越えてしまう。
わが家でのイベントの場合は、やはり最大200人程度が少しの「優雅」を維持できる人数。220人はほんのちょっとオーバーかも・・という微妙な数だった。
「優雅」などと言って、わざと少しのスノビズムを「売り」にするのにはもちろん意味がある。そこではより大きな金額を集めやすいのである。
100円の善意も10000円の善意も、善意は善意である。しかし、少ない数の参加者からより多くの義援金を集めるためには、心を鬼にしてひたすら10000円を追求するしかない。それでなければ主催者のただの自己満足に終わってしまう。
チャリティーコンサートの目標は自己満足ではなく、あくまでも被災地を助けることである。従ってわが家のような貴族館のイベントで、「優雅」を売り物にすることをためらっていては、目標を達成することはできない。
より多くの参加者から広く浅く義援金を集めるのであれば、私邸でコンサートを行ってはならない。何千人も或いは何万人も聴衆が入れるような広い場所で開催するべきである。コンサート会場や学校のグラウンドや球場などなど・・そういう場所はいくらでもある。
そういうわけで、わが家を会場にした昨夜の東日本大震災支援コンサートは、参加者の数という意味では「嬉しい悲鳴」を上げるレベルに達し、ぎりぎりのところで何とか「優雅」も維持することができた、サクセス興行と言うことができそうである。