【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2011年11月

確かにギリシャ危機にイタリア危機です。で?それがなにか?





ここのところ、日本の誰かと連絡を取るたびに、イタリアは大変ですね、とよく同情される。
 

ギリシャに始まったヨーロッパの財政危機は、イタリアに飛び火し、スペインを巻き込み、フランスにまで及びかねない情勢である。
 
イタリアの財政危機は、この国の札つきの前宰相・ベルルスコーニを辞任に追いやるという幸運ももたらした。が、借金漬けの国家財政が破綻にひんしている事態そのものは、もちろん良いことではない。

→<ベルルスコーニ「いったん」降参?


ギリシャの破綻→イタリア、スペイン沈没→欧米恐慌→世界恐慌へ、というような図式は、可能性としては本当にあり得ることだろう。
 
が、たとえそうなったとして「だから? なに?」というのが僕の腹の底の、さらにその底での思いである。
 
僕は決して運命論者ではない。経済を無視する夢想家でもなければアナキストでも皮肉屋でもない。ましてや悲観論者などでは断じてない。それどころか、楽観論者でありたいと願い、その努力もしているつもりの人間だが、未だ手放しの大いなる楽観論者にはなれずにいる凡人である。
 
その中途半端な凡人の視線で見てみても、ギリシャ危機に始まる世界恐慌など大したことではないのだ。
 
ギリシャが財政破綻したとする。
 
それは事件だが、ギリシャの人々は翌日から食うに困るわけではない。生活は苦しくなるだろうが、世界の最貧国や地域の人々のように飢えて死んで行くのでは決してない。
 
それどころか、依然としてこの地上で最も豊かな欧米世界の一員として、それなりの生活水準を維持していくだろう。
 
ギリシャの今の、そして将来の貧しさなんて、ヨーロッパ内や米国や日本などと比較しての貧しさでしかない。
 
昨今、その豊かさが大いに強調されて報道されたりする、中国の大多数の国民と比較してさえ、まだまだ雲の上と断言してもいい「貧しさ」だ。
 
それって、断じて貧しさなんかじゃない。
 
ギリシャの破綻が、イタリア、スペインなどの欧州諸国に波及したとする。

それもまた大いなる事件だが、人々はやはり飢え死にしたりはしない。生活の質が少し悪くなるだけだ。
 
危機にあおられて、同時不況に見舞われるであろう世界の富裕国、つまり日米欧各国や豪州なども皆同じ。今のところそれらの国々は、依然として豊かであり続けるだろう。
 
最近の騒ぎは ―― そして僕も少しそれに便乗してブログに書いたりあちこちで発言したりしているが ―― 日米欧を中心とする世界の金持ちが集まる、ま、いわば「証券取引所」内だけでの話、と矮小化してみても、当たらずとも遠からずというところではないか。
 
たとえギリシャが破綻し、イタリア経済が頓挫し、欧州の恐慌が世界に波及しても、今の世界の「豊かさの」序列がとつぜん転回して、天地がひっくり返るのではない。
 
それらの出来事は、この先何年、何十年、知恵があれば場合によっては何百年あるいは何千年かをかけて、ゆっくりと、しかし確実に衰退し、没落し、落下していく日米欧を中心とする富裕国家間に走る激震、一瞬のパニックでしかないのである。
 
地震は過ぎ、パニックは収まる。

そして富裕国家は被害を修復し、傷を癒やし、また立ち上がって、立場を逆転しようとして背後に大きく迫るいわゆる振興国の経済追撃の足音を聞きながら、それでも今の地位は守りつつ破滅に向かっての着実な歩みを続けるだろう。
 
各国経済はグローバル化している。従って富裕先進国のダメージは新興国にも及び、さらに弱者の貧困世界をも席巻するに違いない。
 
つまり、ギリシャやイタリアの破綻→世界恐慌の図式の中で真に苦しむのは、今もその時も同じ、世界の貧しい国の人々でしかないのである。
 
日伊を含む富裕国の国民は「ギリシャ危機「」や「イタリア危機」を心配するばかりではなく、少しはそれらの不運な人々に思いをはせて、自らの巨大な幸運を喜んでみることも必要ではないか。
 
それにしても
 
たとえ世界恐慌が起ころうとも、今この時でさえ餓死者が出る世界中の貧困地帯に、それ以上の悲惨が待っているとも思えない。

底を打った彼らの極貧は、もはや下には向かうことはなく、富裕国の落下と入れ替わりに上昇あるのみではないのか。

たとえそこに途方もない時間がかかろうとも……。
 
そうやって見てみれば、世界経済には何も悲観するべきことはないように思える。

全てがなるようになる。

なるようにしかならない世界は、なるようにしかならないのだから、きっとそれ自体がまっとうである。

ならばそれを悲観してみても始まらない。
 
流れのままに、世界も、イタリアも日本も、また人間も、流れていけばいいのである。

イタリア、シチリアの洪水・ミラノの霧

 

11月初め、大雨がジェノバを始めとする北イタリアからポー川を経てイタリア中部のエルバ島、南部のナポリなどを襲撃した。

→<ジェノバの洪水><ジェノバの洪水Ⅱ

ジェノバ、エルバ、さらにフランスも・・

 

悪天候はさらに、同月の9日頃にかけて南最南端のシチリア島も直撃。

 

島の東部のメッシーナとカターニャでは大雨のために7万世帯が停電した。

 

それから10日あまりが経った22日、シチリア島に再び大雨が降って、メッシーナ地方に洪水が発生。

ここまでに3人が亡くなった。

 

イタリア南部は週末にかけて、さらに悪天候に見舞われる可能性が高い。

 

一方、月初めに水害を蒙った北イタリアは、ここのところ快晴が続いて深い霧におおわれる日々が多い。

 

霧は冬の北イタリア、ミラノなどの風物詩。

 

ただその風物詩は、およそ詩情や風情とは縁遠い、危険がいっぱいの魔物。

 

へたをすると洪水にも匹敵する惨禍をもたらすこともある。しかもその危険は冬の間ずっと続く場合がほとんど。

 

ここのところイタリアは、南も北も、そして経済も、ぱっと明るいとは言えない毎日の繰り返しである

 

中東で欧米の腰が引ける訳  



シリアの独裁者アサド大統領が、イギリスの新聞「ザ・サンデー・タイムズ」のインタビューに応じ、その様子が衛星放送アルジャジーラで放映された。

 

それは昨日、リビアのカダフィ大佐の次男セイフ・アル・イスラムが拘束された映像と並んで、定時ニュースで流れたのである。

→<リビア、カダフィ次男拘束と家族の不安

 

独裁者が今、欧米のメディアのインタビューを受けたことにもおどろいたが、近隣諸国で起きている中東革命が、まさに自国にも及んでいることを認めない圧政者の感覚に、あいた口がふさがらなかった。

 

女性記者のインタビューに対してアサドは、今シリアで起こっているのは民衆のデモではなく暴徒の騒乱であり、危険だと主張し、シリア国民をその危険から守るために政府軍が出動しているのだ、としゃあしゃあと言った。

 

さらに市民の死亡者が多数にのぼると記者が指摘すると、民衆が殺されたのは、逆に彼らが800人もの治安維持部隊員を殺したからだと言い返す。

 

アサドはそうした主張を、例えばリビアの故カダフィ大佐のように叫んだり吼えまくったりするのではなく、流暢な英語で静かに且つ理路整然と話すのである。

 

彼は、民衆の反撃に遭って権力の座を追われたり、殺害されたりして行く同じ中東の独裁者たちの惨状を知っている。

 

従って、あるいは内心穏やかではないのかも知れないが、そんな風にはまったく見えない落ち着いたしゃべり方で、聞く者が慄然とする内容を語り、弾圧をやめる気はないと断言した。シリア国家に奉仕するのだという、粗暴な圧制者の常套句を用いて。

 

結局シリアもまた、独裁者が自ら身を引く事態にはならず、民衆が彼を地獄の底に投げ込むまでは平穏は訪れないのだろう。それまではまだまだ多くの血が流れるのが宿命のようだ。

 

それにしても、リビアに平然と介入した欧米列強が、シリア、バーレーン、イエメンなどに干渉しないのはなぜだろうか。

 

シリアが中東ではエジプトに次ぐ軍事大国であり、同国が混乱することは地域の更なる不安定要因になるから、という説もある。

 

しかし、中東が既に混乱の極みにある今、そういう主張は空しく聞こえる。

 

結局同国の石油資源が、欧米にとってはリビアほど魅力的ではない、という判断がどこかでなされているのだろう。

 

イエメンはシリアとは逆に、中東でもマイナーな国家だから欧米各国が無視しているだけなのではないか。

 

バーレーンの場合は、同地に米軍が駐留している事実や、同国とサウジアラビアとの親密な関係などが影響してアメリカの足枷になっている。

 

サウジアラビアの王家とバーレーンの王家は同系列であり、民衆の蜂起で支配者が追われれば、米軍駐留どころか反米政権が生まれないとも限らない。

 

したがってアメリカは良くて傍観、ひょっとすると密かに民衆弾圧に手を貸している可能性だって皆無とは言えない。

 

そしてアメリカの立場を知る欧州各国もこれに同調して、手をこまぬくだけである。

 

また、既に革命が成就したはずのエジプトでは軍と民衆が衝突して、あらたな混乱が起こっている。

 

チュニジアやリビアも新しい国造りはこれから、という状況である。

 

中東の春は、欧米列強の思惑によって、革命の様相や進展や内容がそそれぞれ違ったものになるという、やりきれない現実を垣間見せながら、遅々として進まないフシがある。


リビア、カダフィ次男拘束と家族の不安



カダフィ大佐の次男、セイフ・アル・イスラムが拘束された。リビア南部の砂漠地帯を逃走中だった。

 

彼はカダフィ大佐の後継者と目されていた。

 

かつてはリビアの民主化を支持する、と公けに話したりしたこともあったが、リビア危機に際しては豹変。

民衆を激しく弾圧する側に回った。

 

拘束された際、彼は「頭を撃って殺してくれ」と敵兵士に哀願したが、聞き入れられなかった、という情報もある。

 

自殺を禁じられているイスラム教徒の彼もやはり、父親のカダフィ大佐や他の兄弟たちのように自決を選ぶことはしなかった。

 

セイフ・アル・イスラムには、ICC(国際刑事裁判所)から人道に反する罪で逮捕状が出ている。

 

ICCは彼の身柄の引き渡しを要求すると見られるが、リビアの国民評議会は国内での裁判を目指している。ICCの要求には応じないだろう。

 

リビア国内で裁かれた場合、彼は死刑判決を受ける可能性がある。

 

その際は、ICCで裁判を受ける場合とは違って、カダフィ独裁政権と国際テロとの関わりや今回のリビア危機での弾圧のいきさつなど、重要な案件はあまり明らかにされることはないだろう。

なぜなら、多分彼は割と早い時期に処刑されてしまうのではないか。

 

恐らくリビアの民衆がそれを要求するように思える。

 

彼の拘束を知って、ニジェールとアルジェリアに逃亡中の残りのカダフィ一族は、あらたな恐怖にさいなまれているに違いない。

→<独裁家族の金の行方><独裁家族の肖像

 

仕方のないこととはいえ、彼らの心中を察して哀れを感じるのは僕だけだろうか・・

 


ポスト・ベルルスコーニ



イタリア、モンティ新首相が3人の女性を含む16人の閣僚名簿を提出した。

 

国会の承認は今日か明日中になるだろうが、もはやモンティ新内閣が発足した、と言い切ってもいいだろう。

 

閣僚の全員が民間人有識者という異例の形。文字通りのテクノクラート(実務型)内閣。

 

モンティ首相は、記者会見では「閣僚に政治家を起用しなかったのは、邪魔が入らずに仕事がしやすいから」という趣旨の説明をした。

 

しかし、実は政治家の内閣入りも模索した。だが、実現しなかった。拒否されたものらしい。

 

支持者や政党の思惑に縛られやすい政治家を排除した形だが、内閣は政治家で構成される国会の承認なしには何も仕事ができない。

 

そこにジレンマが発生する危険も大いにある。

 

モンティ内閣の前途は決して平坦ではない。

 

そのことを象徴するように、閣僚名簿が発表された11月16日のイタリア国債の金利は7.2%台に上昇した。

 

国債の金利は7%が危険水域とされ、それを越えると、国は自力での支払いができなくなる可能性が高まる。

 

辞任したばかりのベルルスコーニ前首相は、今のところモンティ新内閣に全面協力の姿勢を見せている。しかし、本心はどうか。まだ誰も知らない。

→<ベルルスコーニ「いったん」降参?

 

ギリシャからイタリアへと波及した欧州の財政危機は、フランスやオランダにまで及ぶ可能性が見えてきて、ますます混迷度を深めている。

 

ポスト・ベルルスコーニのイタリア・モンティ新政権は、暴風雨の中に船出をしたばかりなのである。

 

 

 

霜とウサギと采園と



北イタリアの田舎にあるわが家の周りは昨日、今日と雪のように濃い霜でびっしりと被(おおわ)われた。

 

今秋の初霜は日曜日に降りた。

 

それはうっすらとはかなげな印象だったが、3日後の今日は、早くも寒さが牙をむいたことを想わせる、深い重い霜に変わった。

 

陽が差し始めても中々消えない。

 

おそらく、アフリカ生まれの温風シロッコも、もう来春まではやってこないだろう。

 

僕は仕事場から見下ろすブドウ園の草が気になってならない。

 

そこを含む屋敷周りの叢(くさむら)のどこかに、白ウサギのカテリーナがいる。

 

霜をかぶった草はきっと食べ辛いだろう。

 

でも、すっかり枯れ落ちたブドウの葉とは違って、草はまだ青々と繁っている。もう少し時間が経てば、霜も消えてなくなるからカテリーナも喜ぶに違いない。

 

今冬は、僕はずっと草のことを気にしながら過ごすことになりそうだ。

 

冬の間の庭草がどうなっているかなんて、僕はほとんど考えたことがない。従って、それを詳しく観察したこともない。

 

カテリーナのおかげで少し勉強ができそうだ。

 

勉強といっても、1月、2月頃の寒さの中でも、庭師のグイドの説の通りに、青草が生えるかどうかしっかり見つづける、というだけのことだけれど。

 

僕の小さな采園にもまだ野菜が残っている。

 

日本から種を持ち込んで作る白菜と大根とゴボウ。そして主に若芽をサラダで食べるシュンギク。

 

イタリアの野菜ももちろん作る。

 

今も残っているのはほとんどサラダサ菜のみ。トマトやピーマンも少し残っているが、霜が降りた今はもうダメだろう。

 

小さな土地にわずかづつ、数多くの種類(たぶん多過ぎるくらい)の野菜を作るのが僕のやり方である。いろいろな種類の野菜を見るのが好きなのだ。

 

農薬や化学肥料は一切使わない。だから雑草がすごい。

 

その草をむしったり、水をやったりぐらいのことはするが、ほかにはほとん菜園の面倒は見ない。

 

霜対策ももちろんしない。

 

時間がないこともあるが、真相は、菜園に打ち込むほどの情熱が今のところはない。

 

そのくせ、楽しんだり、有機野菜の美味さに感嘆したりしている。

 

凝り性の自分は、間もなく野菜作りの虜(とりこ)になるのかもしれない。

 

だが、よく分からない。

 

4、5年前から料理も作るようになったが、楽しんだり、喜んだりしながら、でもそれに夢中になってはいない。

 

野菜作りも同じかもしれない。

 

でも、こう書きつつ、せめて育ちつづけている白菜の霜対策ぐらいはやってみようか、と、たった今気持ちが動いている・・

 


ベルルスコーニ「いったん」降参?



イタリア、ベルルスコーニ首相が正式に辞任した。

 

個人としては巨万の富を築き上げた「財政」のスペシャリストは、公人(首相)としては国家の借金ばかりを増やした「財政」の敗残者として、政権の座を明け渡したことになる。

 

ま、イタリアの借金が増え過ぎたのは全て彼のせい、とばかりは言えないけれど、国家の最高権力者として、高まった財政危機を回避できなかった責任は100%負うべきだろう。

 

後任にはいわゆるテクノクラート(実務型)のマリオ・モンティが就任することがほぼ確実。

 

挙国一致の体裁を取るために、全ての閣僚も実務者で占められることが望ましいとされ、またモンティ新首相とナポリターノ大統領もその方向で動くことが予想される。

だからと言って、政治色が完全に払拭されることなどあり得ないと思うけれど。

 

それにしても、ベルルスコーニ首相が本当に辞任した。

それには素直におどろいた。

 

同時にそれは、総選挙を経ない「モンティ橋渡し内閣」の次や、次の次をにらんで、ベルルスコーニ首相が「いったん」身を引いたに過ぎない茶番ではないか、とも思う。

 

合計4度、9年以上も政権の座に据わりつづけ、17年の長きに渡ってイタリア政局の台風の目であり続けたしたたかな男は、国を思うよりも保身のために、再び権力そのものか、その周辺での生き残りをねらっていても、少しも不思議はないのである。

 

なにしろ彼は、国民的人気を常にある程度保ちつつも、汚職疑惑や未成年者買春疑惑などで起訴され、さらに多くの醜聞と疑惑にまみれて、検察やあまたの政敵の恨みを買っている。

 

権力の座を降りて「ただの人」になった時は、普通に起訴され普通に裁かれて、まっすぐに刑務所へ、という事態も大いにあり得るのである。それを阻止するには、政局の目玉であり続けることが肝心、と彼はよく知っている。

 

それはそうとして、今回のベルルスコーニ首相退陣劇は、過去の例とはかなり様相が違っていた。

 

イタリアの首相は退陣するとき、大統領府に出向いて辞表を提出するのが慣例だが、その動きがあった11月12日の土曜日には、ローマのクイリナーレ(大統領府)広場に多くの市民が集まった。

 

彼らは退陣するベルルスコーニ首相に抗議をするために集合したのである。首相の乗った車には罵声が浴びせられ、大きなブーイングが起こった。

 

人々がわざわざ大統領府にまで詰め掛けて、辞めていく総理大臣に向って抗議行動を取る、というのはイタリアでは過去にはあまり例がない。

 

それだけベルルスコーニ氏への怒りが強かった、と言うこともできるが、実は衛星放送のアルジャジーラの生中継やその他のメディアの情報を分析すると、抗議に集まった者の多くが若者を中心とする「インターネット」世代だったように見えた。

 

つまり彼らは、中東のチュニジア、エジプト、リビアなどに革命を起こし、シリアやイエメンなどで今も起し続けている「Facebook」パワーの一翼を担う若者たちなのではないか。

 

イタリアは曲がりなりにも民主主義国家である。中東ほかの独裁国家のように完全な情報操作は行われていない。従って、若者らが「Facebook」だけに頼って情報交換をする環境にはない。

インターネット以外にも多くのメディアが当たり前に情報を発信して、それは他の欧米諸国や日本などと同様に、誰にでも自由にアクセスできるのは言うまでもない。

 

それでも、いわゆる若者間のトレンドというものがあって、それは今や世界規模で発生することも稀ではなく、「Facebook」パワー現象もその一つであるように思う。

 

中東の「Facebook」パワー革命は、ニューヨークでの格差是正デモにもつながり、それはさらに世界中に広がった。

その大きな渦の中で引き起こされたのが、まるで死者にムチ打つような、イタリア大統領府前での反ベルルスコーニ・コールだった、とも考えられる。

 

つまり、テレビを主体とするイタリアの既存メディアを牛耳ってのし上ったベルルコーニ氏は、もしかするとインターネット革命の大津波に呑み込まれて沈没するかも知れない危機に陥っていて、その前夜の象徴的な出来事が大統領府前での騒ぎだったのではないか、という風に。

 

時代は確実に変わっている・・・



こぼれ話 (言いそびれたあれ、これ・・)



洪水でひどい目にあったジェノバの市民は、多分イタリアでもっとも親切な人々。

 

特に交通巡査や役人や道行く人々・・つまり全てのジェノバ人。

 

僕はロケでイタリアのありとあらゆるところに行く。その体験から「親切なジェノバ人」という結論に行き着いたのである。

 

情報収集やコンタクトや時間の融通や撮影許可やロケ車の置き場所や始末や・・あるとあらゆる事案にジェノバ人は実に親切、丁寧、懇切に対応する。

 

それは多分ジェノバの人たちが国際的であることと無関係ではない。

港湾都市のジェノバには、常に多くの外国人が居住した。ジェノバの人々は言葉の通じない外国人を大事にした。彼らは皆ジェノバの重要な貿易相手国の国民だったから。

そこからジェノバ人の親切の伝統が生まれた。

国際都市ジェノバには、また、国際都市ゆえの副産物も多くあった。

その一つがサッカー。

世界の強豪、イタリアサッカーの発祥の地も、実はジェノバなのである。
 


その昔、ジェノバに上陸したイギリス人船乗りらが母国からサッカーを持ち込んで、それが街に広まった。だからイタリアサッカーの黎明期には、ジェノバチームは圧倒的に強かった。今でこそトリノやミラノのチームが権勢を誇っているが。

 

古来、イタリア半島西端のやせた狭い土地で生きなければならなかったジェノバ人は、働き者で節約精神も旺盛だと言われる。

 

そこで生まれた冗談が「イタリアのユダヤ人」。イギリスにおけるスコットランド人と同じ。

 

ジェノバ人は土地が貧しかったおかげで海に進出し、海洋貿易で大いに栄えた。知恵をしぼって巨万の富を得たのだ。奇(く)しくもイタリア半島東端のベニス人がそうであったように。

 

それは英国におけるスコットランド人や、世界におけるユダヤ人と同じ。

 

彼らのケチケチ振りを揶揄(やゆ)しながら、人は誰でも皆、また彼らの高い能力をひそかに賞賛してもいる。

「~のユダヤ人」というのは決して侮蔑語ではない。それは感嘆語だ。

 

親切でこころ優しいイタリアのユダヤ人、ジェノバ人に乾杯!

感嘆語のみなもと、ユダヤ人には、もっと、さらに乾杯!!

閑話休題

リビアなどの話。

 

父親のカダフィ大佐と共に殺害された、リビアのムタシム・カダフィとハンニバル・カダフィは、2003年に米軍によって殺害された、イラクのサダム・フセインの息子、クサイ・フセインとウダイ・フセインを髣髴(ほうふつ)とさせる。

 

4人は良く似ていて、同時に大いに違うイメージでもある。

 

似ているのは、お互いに専横的で暴力的。かつ父親の独裁政権の近くにいて、あわよくば親の権力を継承したがっていた節があること。

そして、実際に後継者候補であろうと考えられたのは、どちらの独裁者の場合も次男。つまりフセインがクサイ、カダフィがサイフ・アル・イスラムだった。


逆に似ていないのは、ウダイとクサイが土着的、閉鎖的であるのに対して、ムタシムとハンニバルが国際的、開放的な印象を与えることである。


言葉を替えれば、暗い暑苦しいイラクの悪人2人と、風通しの良い明るいリビアの悪人2人。

 

このイメージは彼らの父親にも当てはまるように思う。

 

サダム・フセインには、フレデリック・フォーサイスが小説「神の拳」で描破(びょうは)したような、酷薄で暗くて土着的な圧制者のイメージが強い。

 

それに比べるとカダフィは同じ暴君でありながら、ちょっと間抜けな感じもある明るい狂犬、あるいはドジな猛獣、とでもいうような。

 

サダム息子らが、一時期を除いてほとんど自国を出なかったのに対して、ムタシムとハンニバルの2人のカダフィ息子は、ひんぱんに外国に出た。

 

そして、そこで放蕩を尽くしたり暴力沙汰を起したりして、賑やかなスキャンダルをまき散らし続けた。

 

やることなすことが国際的で、従って世界のメディアの監視や批判にさらされ続けた分、カダフィ息子2人はなんとなく分かりやすいのである。

→<独裁家族の金の行方

 

そうした事情に加えて、殺害されたムタシム・カダフィの最後の様子が映像に乗って世界中を駆け巡ったことが、彼に対する同情を誘った。

 

それは父親のカダフィ大佐の殺害時の映像とは違って、無力な青年が屠殺同然に殺される印象があって、哀れを誘う酷いものだった。

 →ムタシム・カダフィの無念

また暴力と醜聞にまみれた彼の兄のハンニバルは、戦闘には向かないとカダフィ大佐に見抜かれて、腹違いの長兄と共に一族の女子供(おんなこども)を守る任務を負わされ、トリポリ陥落前に隣国のアルジェリアに逃亡させられた(らしい)。

 

このあたりのいきさつが、ちょっとほほえましいエピソードにも見えてきて、憎めないやつ、のような雰囲気をかもし出したりするのかもしれない。

 

それたこれやで、戦うことなくアルジェリアに逃れたハンニバルには、反カダフィ派の民衆と激しい戦闘を繰り返した2人の兄、サイフ・アル・イスラムとサーディとは違って、あるいはどこかで生きのびる道が残されているのかも、とも思う。共に逃亡中の穏健な人物らしい長兄のムハンマドも含めて。ただしおそらく、過去の罪を認め、償い、且つリビア国家から盗み出した金をきちんと返還するという条件でなら、ではあるが。

 

もしそうなった暁(あかつき)にはぜひ、今回のリビア政変に関する真相を、独裁者側の視線で書いたり、語ったり、叫んだり、ド突いたり(笑)して、情報を発信しまくってほしいものである。

 

なにしろ今のところ、世界中に喧伝されているのは、独裁者を糾弾する側の一方的な情報のみなのだから・・

生き物語り~ジェリーと、その素敵な仲間たち~



飼い主に生き埋めにされた牧羊犬のジェリーは奇跡的に助かった。

→<生き物語り ~ジェリーの受難~

 

僕はジェリーの幸運と生き物の命の強さに感動した。そしたら、今度はアメリカからさらなる感動の物語がもれ聞こえてきた。

 

米国のとある動物養護施設で、19匹の犬が殺処分されることになりガス室に送られた。17分間の処理が済んで職員が部屋に入ったところ、息絶えて横たわっている18匹の脇に1匹のビーグル犬が立って彼をじっと見ていた。

 

わが目を疑う奇跡に驚愕した職員は、大急ぎで獣医を呼んで犬の診断を頼んだ。すると、ダニエルという名のそのビーグル犬の健康状態には全く問題がなかった・・

 

ダニエルの奇跡はアメリカ中の話題になり、動物の殺処分に対する関心が高まった。

 

そして生き残ったダニエル自身は、ニュージャージー州の動物愛護団体に引き取られて、新たな飼い主の登場を待ちながら今も元気に過ごしている・・

 

ジェリーやダニエルほどではないが、実はわが家のカテリーナの生命力もすごい。

 

カテリーナとは庭で放し飼いにしている白ウサギのこと。メスだから女の子の名前を取って「カテリーナ」。庭師のグイドがふざけて付けた名前である。

→<ウサギ

 

まるで日本ウサギみたいな赤目の白ウサギは、ブドウ園や庭園でしばしば見かけるが、毛が灰茶色だったもう1匹は8月頃からまったく姿が見えない。

 

庭師のグイドとワイナリーの従業員らの話では、屋敷外に逃亡したか、猛禽類など、別の生き物の餌食になったのではないかという。

 

残念だが、逃亡の可能性も猛禽類に食われた可能性も確かにあると考えられる。

 

ワイナリーのあるわが家の敷地内には人の出入りが多く、門扉を開放しての醸造作業もひんぱんに行われる。開いた門からウサギが外に逃げ出したとしてもおかしくはないのだ。

 

また、自家のブドウ園を含む広大な農地が広がる一帯の上空には、鷲や鷹らしい鳥が舞い飛ぶ姿も時々見られる。小型のフクロウもよく見かける。それらの猛々しい鳥たちが、ウサギをさらって行ったこともまた十分にあり得ると考えられる。

 

そうだとしたら、残念だが仕方がない。不可抗力にまで責任を感じて嘆くような偽善には陥るまい。半野生的に放し飼いをするのは、ウサギに自由を謳歌して欲しいからだが、そこには檻の中で至れり尽くせりの世話をされて育つ場合とは違う、危険や不便もつきまとう。当たり前のことだ。


グイドによると、わが家の敷地内で元気に遊んでいるカテリーナは、冬の間もまったく問題なく生きのびることができるらしい。

 

ブドウ園と館の前後の庭園と倉庫周りの広い敷地には、冬でもウサギが腹いっぱい食べるだけの草は生え続ける。

 

たとえ万が一それが足りなくても、屋外のウサギは枯れ草や木の根や樹皮や木の実なども食べ、さらに土を掘って昆虫なども食べる。

 

檻の中で干し草を食べて冬を過ごす、グイド所有の食用ウサギなどよりも、よっぽど食べ物が豊富で元気一杯に生きるものらしい。

 

村の田園地帯にある駅の近くでは、ある家から逃げ出した2匹のウサギが草むらに住み着いて、数年で100匹近くにまで繁殖したことがあるそうだ。

 

ウサギは余りにも数が増え過ぎて、付近に迷惑をかけたり病気持ちもあらわれたりして住民に憎まれた。そこで村では仕方なく人を送り込んで、ウサギを捕らえて殺処分にした。僕はまったく知らなかったが、それはごく最近の出来事だとのこと。

 

ことほどさようにウサギの生命力は極めて強い。ほんの小さい時分にブドウ園に放たれたわが家のウサギは、腹いっぱいに食べて大きくたくましくなり、今やほぼ野生化していて雪山のウサギにも負けないくらいの生命力を持っている。里で命をつなぐことなど何の問題もないから少しも心配することはない、とグイドは続けた。

  

グイドの話を聞いて僕はとても安心した。

 

栄養不良の子ウサギへの同情心から2匹を庭に置くことにしたが、僕は彼らの面倒も十分に見られないくせに余計なことをして、いたずらに小さな命を苦しませることになったのではないか、とひどく気が重かったのだ。

 

グイドは、オスのウサギを1匹購入して、カテリーナの相手として庭に放そうかとも聞いてきた。そうすればウサギはすぐに数が増える。餌の草はたくさんあるのだ、と真顔で続けた。

 

僕はあわてて彼の申し出を断った。彼にとってはウサギは、あくまでも「食用」の家畜なのだ。

 

僕はこれ以上ウサギを増やす気はない。今いるウサギだけをできる限り保護しようと思う。ただ保護すると言っても、甘やかして過保護に面倒を見るのではなく、今のまま、ほぼ野生の生態と考えられる形を守って、農夫らに捕らえられないように監視しながら、あるがままに放し飼いを続ける。

 

これからますます寒くなる中で、カテリーナが元気に生き続けることを想像すると、虐待を受けた牧羊犬のジェリーや殺処分からたくましく生きのびたダニエルを思うのとほとんど同じくらいに、
僕は胸のあたりが、ぽこ、と熱くなる気がするのである・・


イタリア、洪水は少しも止む気配がなく・・



ジェノバを始めとする北イタリアに、甚大な被害をもたらした悪天候は南イタリアへ。

 

昨日は最南端のシチリア島を直撃。

島の東部のメッシーナとカターニャでは大雨のために7万世帯が停電した。

 

大雨はこれで、北イタリアからポー川を経てイタリア中部のエルバ島、南部のナポリなどを丁寧に襲撃したあと、さらに南の島嶼部にまで噛みついたことになる。

 

なお、ジェノバの洪水では7人の犠牲者が出た、という情報もあって混乱していたが、最終的に6人と確認された模様。不幸中の幸い、というべきか。

 

イタリア財政・政治の悪天候も継続中。いや、むしろ悪化中。

 

ベルルスコーニ首相が辞意を表明して、状況が好転するかと見えたが、疑心暗鬼に陥っている世界の金融機関や投資家は納得せず、欧米の株価が大きく下落。

 

ギリシャ危機につづいて、イタリアももはや「イタリア危機」の洪水に巻き込まれた恰好だ。

 

ナポリターノ大統領は、首相の辞意声明を受けて元欧州委員会委員-EU(欧州連合)の閣僚に当たる-で経済学者のマリオ・モンティを終身上院議員に任命し、同氏を後継首相とするいわゆるテクノクラート(実務型)内閣を発足させることを目指す。

 

そうすることで、信頼を回復し世界市場の混乱を落ち着かせるのが目的。

 

それは決して夢想家の妄言ではない。

 

イタリアは1990年代、テクノクラート政権であるアマート、チャンピ、ディーニの3代内閣が幾つもの重要な財政改革を実行して、現在よりももっと深刻だった市場危機を克服し、イタリア経済を建て直した実績がある。

 

大連立を組み「挙国一致」内閣で危機を乗り切ろうとする考え方もある。

しかし各派・政党の対立が激しいイタリア政界の現実がそれを阻むのではないか。

 

また、辞意を表明したものの、ベルルスコーニ首相の今後の動きに対する警戒感も政界には根強いだろう。

 

彼は次の選挙には立候補しないとも口にしたが、果たしてそれが本心かどうかは疑わしい、と僕などは思うのである。

 

汚職や女性問題など、多くの醜聞や疑惑にまみれ、またさまざまな事案で起訴されたりもしているベルルスコーニ首相は、中東の独裁者ではないが、権力を手放したとたんに世論のしっぺ返しに遭(あ)って地獄に突き落とされる可能性も高い。

 

そのことを知り尽くしているに違いない彼が、みすみす権力の周辺から遠ざかることはあり得ない、と考えるのはうがち過ぎだろうか・・

 

 

ベルルスコーニ、ついに降参?



イタリア、ベルルスコーニ首相が11月8日、現在国会で審議中の新予算関連法案が成立したあとに辞任すると発表した。

 

また辞任後に総選挙があっても、自分は立候補しないとも述べた。

 

もしそれが本当なら、1994年以来17年間に渡って、イタリア政界を牛耳ってきた男が表舞台から去ることになる。

 

ベルルコーニは土建屋から身を立てて、メディア王として大成功を収めたのち、1994年に政治家に転進した。

 

その頃の彼は、自信にあふれたさわやかな笑顔を持つ、イタリア語でいう「シンパーティコ(親しみやすい、面白い)」そのものの人物のように僕には見えた。

 

同年の選挙で実際に政権の座に着いたときは、コミュニケーション(対話)能力に長(た)けた人心掌握術のマエストロ(天才)であることが明らかになった。

 

以来、権力の座を行ったり来たりして現在の第3次内閣にまで至り、首相在任期間の合計は9年を越えて、イタリア憲政史上で戦後最長になった。

→<日伊、ダメ首相が行く

 

不支持勢力から「ベルルスカ」と戯称(ぎしょう)され、からかわれてきたしたたかな男は、首相のほかにもさまざまな顔を持っている。

 

つまり、イタリア一番の大金持ち、メディア王、強豪サッカーチームACミラン会長、女たらし、放言男・・

 

そして僕は彼を勝手に「超スーパー・スケべ・ラテン・ジジ・ラバー」と名付けて、ふざけたり、あきれたり、感心したりしながら眺めつづけてきた。

 

「ベルルスコーニのハーレム」と題された盗撮写真記事がイタリアの芸能週刊誌に大きく掲載されたこともある。

 

国内最高のリゾート地サルデニア島の豪華別荘で、五人の若い女性と手をつないで散歩したり、椅子に腰掛けて両膝に女性を座らせてにニヤケている写真などが紙面を飾った。

 

彼は権力者として君臨する間にさまざまな醜聞にまみれ、激しい批判や顰蹙(ひんしゅく)や問責や弾劾や駁撃(ばくげき)を浴び続けたが、持ち前の明るさと機知と権謀術数で常にピンチを逃れ、一時期は醜聞そのものや奔放な言動までが高感度アップにつながるという稀有な事態まで起こったりして、内閣支持率が60%という高い数字に張り付いたりもした。

 

大金持ちの首相は話し好きで、話し好きが高じて、フィンランドの女性大統領タルヤ・ハロネンにセクハラまがいの言葉をかけて物議をかもしたりもした。

しかし、やはりどこか憎めないところがあり、人気はいつも高かった。

 

だが2009年に起きた買春ハーレムスキャンダルの頃から雲行きが怪しくなった。

若い女性との交際発覚と、それに続く妻との離婚などの醜聞が続いて、私生活の乱れが政治手腕をかき消していたところ、今年に入って未成年者買春疑惑が飛び出した。

 

喜怒哀楽が表に出やすいいかにもイタリア人然とした首相の顔には、その頃から暗さと疲弊が滲み出るようになったと僕は感じていた。

 

ベルルスコーニ首相は、イタリアの財政危機に呑み込まれてついに権力の座から降りる、というのが大方の見方である。

 

一代で莫大な個人資産を獲得し、富を築き上げて大成功を収めた首相だが、イタリア国家の財政危機に際しては、これと戦い回避する能力を持つ「救国の士」ではなかったという訳である。

 

ベルルスコーニには失言や醜聞や尊大や軽薄などの欠点はあるものの、ビジネスや経済や財政に関しては、彼はイタリアのどの政治家よりも優れた能力を持っている、と僕はひそかに考えてきた。

 

だから、正直、少しガッカリしている・・

ジェノバ、エルバ、さらにフランスも・・


今朝もシロッコが居座って、寒い中に生暖かい空気が感じられる。

 

でも、昨日とは違って、時どき強い気流が吹き付ける。それがアフリカ産の風、シロッコ。

 

寒いのに生ぬるい。ホントに奇妙な風だ。

 

ジェノバのリグーリア州、トリノのピエモンテ州には夜通し洪水警報が出され、ポー川も監視下に置かれている。

 

悪天候はやはり南にも下り、イタリア中部トスカーナ州のエルバ島では、高齢者の女性が浸水した家の中で溺れて亡くなった。

 

また、ジェノバ洪水の犠牲者も1人増えて7人になった。

 

フランス南部でも水害。少なくとも3人が亡くなり750人以上が避難中という。

 

コート・ダジュールを含むフランス南部は、昨年6月にも激しい雨による洪水で多くの犠牲者が出た。

 

地中海に面したフランス南部もまたシロッコの吹きつける大地。

 

シロッコがもたらすアフリカの暖とヨーロッパの寒が、時には静かに、時には荒々しくせめぎ合い、押し合って今のような悪天候を引き起こす。

 

それは世界的な異常気象の一端。

 

でも、この地では大昔から繰り返されてきた「普通の出来事」でもある。

 
イタリアは依然として全土に大雨警報、または注意報を発令中。

北部はもちろん、南部ナポリも困リ果てている。

プロサッカーの試合が中止されたり、紀元79年にベスヴィオ火山の噴火で埋没したポンペイ遺跡への入場が禁止されたり・・

犠牲者こそ出ていないものの、最大級の警戒態勢が取られている。

 

 

ジェノバの洪水Ⅱ



今朝の空気には、寒い中にしこりのような生あったかいものが感じられた。

 

すぐに、あ、シロッコの息吹だと気づいた。

 

念のために天気概況を調べてみると、海にはやはりシロッコが吹いている。地中海のうちイタリア半島から見て西のティレニア海と、ベニスのある東のアドリア海は大荒れの様相である。

 

海際とは違って、僕の住む内陸の村には、強風の姿はない。

ただ無言のまま暖気が居座っている。

 

押し黙って、あたりに覆(おお)いかぶさって、生暖かい息を吹きかけている、アフリカ・サハラ砂漠生まれの奇妙な風、シロッコ。

 

シロッコのおかげで寒さが和(やわ)らいでいるので、それはそれで嬉しいのだが、どうしてもしっくり来ないものもある。

 

それは例えて言えば、自然の中に人工の何かが差し込まれたような感じ。つまり、寒気という自然の中に、シロッコの暖気という「人造の空気」が無理に挿入されたような。

 

シロッコも自然には違いないのだが、寒い時期にふいにあたりに充満するそれの暖気は、違和感があって落ち着かない。

 

暑い季節に吹く、さらに暑いシロッコには、不自然な感じはない。それはただ暑さを猛暑に変えるやっかいもの、あるいはいたずらもの。

 

夏が暑かったり猛暑だったりするのは当たり前だから、ほとんど気にならない。

 

でも寒中に暖を持ちこむ冬場のシロッコには、どうしても「トツゼン」の印象がある。まわりから浮き上がっていて異様である。なじめない。

 

そう、冬場に吹くシロッコは、寒いイタリアに「トツゼン」舞い降りた異邦人。


疎外感はそこに根ざしている。

 

シロッコの強風に煽られている海洋都市のジェノバとベニスは、今日も水害に悩まされている。

 

ジェノバはシロッコがからむ大雨による川の氾濫。大洪水。

 

昨日までに6人が死亡して、まだ大荒れが続いている。

 

ジェノバの洪水の映像は、東日本大震災の津波のそれをさえ思い出させる凄まじいもの。

 

道路が逆巻く川となって奔流し、車や家や人をなぎ倒していく様子は息を呑む。

 

誤解を恐れずに言えば、近代都市で「たかが降雨」程度で、6人もの人が亡くなるのは極めて異常な出来事である。

 

鉄砲水の暴力が、いかに桁外(けたはず)れのものだったかの証と言えるだろう。

 

もう一つの海洋都市ベニスは、高潮に見舞われて水に浸かっている。

 

100メートル近い高さがあるサンマルコ広場の鐘楼の足元には、高潮の潮位を示す掲示版メーターが備えられている。

 

それは今朝8時(11月6日)の時点では1.2メートルを示した。

 

ベニスには大雨注意報も出ているが、今朝の高潮は「いつものように」シロッコが持ち込んだ災い。

 

アフリカらアドリア海に吹き込むシロッコが、海面の潮を吹き集めて北のベニス湾に押し込み、遠浅の海に浮かぶベニスの街を水浸しにしたのだ。

 

そればかりではない。

 

ジェノバのあるリグーリア州の隣、ピエモンテ州の山々には大雪警報が出されている。

 

その山々は、フギュアスケートの荒川静香選手が、イナバウアーを繰り出して世界を湧かせた、2006年冬のトリノオリンピックの開催・本拠地。

 

隣のジェノバの惨劇を目の当たりにしたピエモンテ州の人々は、固唾をのんで雪と雨の動きを見つめている。

 

イタリア最大のポー川も危険。

 

氾濫さえ起こりかねない状況である。大河の水位は24時間体制で監視されている。

 

悪天候は北イタリアを席巻しながら中南部にも触手を伸ばす勢い。

 

楽天国イタリアは、財政危機と政治危機と洪水害危機のトリプルパンチ(三重苦)で、ここのところ青息吐息の日々である。

 

 

ジェノバの洪水



イタリアは最近、洪水被害に苦しんでいる。

 

特に、山が突然海に落ち込むような地形が多い、北イタリアの
リグーリア州一帯。

 

先月は同州のチンクエ・テッレで9人が死亡する洪水が発生し、昨日(11月4日)は州都のあるジェノバで、少なくとも6人が大雨のために亡くなる災害が起きている。

 

リグーリア州は土地が狭く、且つ貧しいために、古来、同地の人々は海洋に進出して巨万の富を得た。

 

アメリカ大陸を発見したとされる、コロンブスもこの地で生まれた。

 

今は、急峻な地形と行政の怠慢などが災いして、大雨のために死者も出る苦しい時間を過ごしている。

 

また

 

アフリカ・サハラ砂漠原産の風、シロッコもイタリアに吹き荒れている。

 

シロッコは初夏に多い暖風だが、3月から11月頃まではいつ吹き募(つの)ってもおかしくないやっかいもの。

 

シロッコは最近のリグーリアの洪水にも影響しているようだ。

 

さらにそれは、ベニスの高潮・浸水被害にも例年大きく作用してきた。

 

ベニスは徐々に水没している。

 

そのために高潮がひんぱんに寄せて、サンマルコ広場を始めとする一帯が浸水する被害を受ける。

 

もっとも多いのは今頃の季節。

 

その原因はいろいろあるが、元凶の一つがシロッコなのである。

 

シロッコによってアドリア海の潮が吹き集められて、ベニスのあるラグーナ(遠浅の海)が侵され、街の中心部が水につかる被害が出る。

 

イタリアに限って言えば、ギリシャに始まって世界を巻き込んで身悶(もだ)えている、昨今の金融洪水よりも、ジェノバやベニスの真正洪水の方がよっぽど身につまされるのである。

 

それは目に見える、身近な、現実的な痛み。

 

おそらく、今この時の、タイの人々にとってのバンコクの洪水がそうであるように・・

 

破綻してもギリシャは死なない



国民投票案を撤回したギリシャのパパンドレウ首相は、野党から辞任を迫られ、内閣不信任決議が行われた。ところが僅差で信任されてひとまず政治空白が回避され、ギリシャの財政破綻危機も一時収束した。でもそれは飽くまでも「一時収束」であって、まったく予断を許さない・・

 

と書きながら、我ながら内心で少し微苦笑している。

 

ギリシャの危機が「ひとまず回避」されたから言うわけではないが、僕は腹の底ではギリシャの破綻→イタリア、スペイン沈没→欧米恐慌→世界恐慌へ、というような絵図を信じているわけではない。

いや、可能性としては本当にありうることだとは思うが、たとえそうなったとして「だから?なに?」というのが腹の底の底の、さらにその底での思いである。

 

僕は決して運命論者ではない。経済を無視する夢想家でもなければアナキストでも皮肉屋でもない。ましてや悲観論者などでは断じてない。それどころか、大いなる楽観論者であると自負している。

 

ギリシャ危機に始まる世界恐慌など大したことではないのだ。

 

ギリシャが財政破綻したとする。

 

それは事件だが、ギリシャの人々は翌日から食うに困るわけではない。生活は苦しくなるだろうが、世界の最貧国や地域の人々のように飢えて死んで行くのでは決してない。

 

それどころか、依然としてこの地上で最も豊かな欧米世界の一員として、それなりの生活水準を維持していく。ギリシャの将来の貧しさなんて、ヨーロッパ内や米国や日本などと比較しての貧しさでしかない。

 

今、その豊かさが大いに強調して報道されたりする、中国の大多数の人々と比較してさえ、まだまだ雲の上と断言してもいい「貧しさ」だ。それって、断じて貧しさなんかじゃない。

 

ギリシャの破綻が、イタリア、スペイン、ポルトガルなどに波及したとする。

それもまた大いなる事件だが、人々はやはり飢え死にしたりはしない。生活の質が少し悪くなるだけだ。


アメリカも豪州も日本も、要するに世界の富裕国は皆同じ。依然として豊かであり続ける。

 

最近の騒ぎは― そして僕も少しそれに便乗してブログに書いたりあちこちで発言したりしているが― 日米欧を中心とする世界の金持ちが集まる、ま、いわば「証券取引所」内だけでの話。

 

今の世界の「豊かさの」序列がとつぜん転回して、天地がひっくり返るのではない。

 

それらの出来事は、この先何十年、何百年、知恵があれば場合によっては何千年かをかけてゆっくりと、しかし確実に衰退し、没落し、落下していく日米欧の富裕国家間に走る激震、一瞬のパニックでしかない。

 

地震は過ぎ、パニックは収まる。

そして富裕国家は被害を修復し、傷を癒やし、また立ち上がって、立場を逆転しようとして背後に大きく迫るいわゆる振興国の経済追撃の足音を聞きながら、それでも今の地位は守りつつ破滅に向かっての着実な歩みを続ける。

 

各国経済はグローバル化している。従って富裕先進国のダメージは新興国にも及び、さらに弱者の貧困世界をも席巻するだろう。

 

だが、餓死者も出る世界中の貧困地帯に、今以上の悲惨が待っているとも思えない。

底を打った彼らの極貧は、もはや下には向かうことはなく、富裕国の落下と入れ替わりに上昇あるのみではないのか。

たとえそこに途方もない時間がかかろうとも・・

 

そうやって見てみれば、世界経済には何も悲観するべきことはないように見える。

全てがなるようになる。

なるようにしかならない世界は、なるようにしかならないのだから、きっとそれ自体がまっとうである。

ならばそれを悲観してみても始まらない。

 

流れのままに、世界も、イタリアも日本も、また人間も、流れていけばいい。

そしてそれは、悲観どころか楽観以外のなにものでもない、と僕は思うのである。

  

 

ギリシャよ、しっかりしてくれⅡ



結局ギリシャのパパンドレウ首相は、124日に行うとした国民投票案を撤回したらしい。

 

しかし、国民投票がなくなっても、ギリシャ国会が、そして国民がEUの支援策を受け入れるのかどうかは不透明。

 

ギリシャに端を発したヨ-ロッパの経済混乱はまだまだつづく。

 

イタリアの不安も同じく・・


ギリシャよ、しっかりしてくれ



ギリシャは一体どこに行こうとしているのだろう・・

 

せっかくEU(ヨーロッパ連合)が大規模な財政支援策を申し出たのに、それを受け入れるか否かを国民投票によって決めるという。

 

簡単に言うとこういうことだ。

 

ギリシャという借金漬けの家庭に融資話が舞い込んだ。その条件はこれまでの野放図な浪費をやめて節約に徹底すること、といういわば当たり前の要請。

 

有り難い話と泣いて喜ぶかと思うと、一家の大黒柱である同国のパパンドレウ首相は、援助を受け入れるかどうか家族全員の意向を聞いて決める、と国民投票の実施を世界に向かって発表してしまった。

 

ギリシャ国民の6割以上は、政府の財政緊縮策に反対している。従って今の状況で国民投票を行えば、EUの支援策が否決される可能生が高い。

 

それはギリシャがEUから離脱すると同時に財政破綻に陥ることを意味する。

 

そうなると、ギリシャに金を貸している(ギリシャ国債などを大量に買っている)国々や金融機関に大損失が生じ、世界経済はパニックになって一段と悪化する。

 

それはたちまちイタリアやポルトガルやスペインなどの経済にも激震を起こし、下手をすると3国も破綻。ヨーロッパどころか世界中がさらなる不況に陥って大混乱が続く・・

 

という飛んでもないシナリオがにわかに現実味を帯びてきたのだ。

 

ギリシャのパパンドレウ首相は、カンヌで行われているG20に呼び出され、独仏を中心とする国々から国民投票を撤回するようにとの圧力を受けた。

 

そして現在は自国に戻って、EU支援策の拒否は即座に同経済圏からの離脱を意味するから国民投票ではイエスと言ってほしい、とギリシャ国会での演説を通して国民に呼びかけているらしい。

 

同時に世界中のメディアは、パパンドレウ首相の辞任説や国民投票案の撤回、といったニュースを配信したかと思うと、すぐにそれらを否定するなど、激しい混乱がつづいている。

 

僕は例によってBBCやアルジャジーラやCNN、さらにネットなどの緊迫した報道を逐一追いかけながら、ちょっとノーテンキなことも考えたりする。

 

つまり、ギリシャがEUから離脱して、旧通貨のドラクマに戻れば、多分あまり価値の無い通貨だから、今後のギリシャ旅行が格安になるに違いない・・などと。

 

でも、それもこれもここイタリアの経済が健全だった場合の話。

 

今のままではイタリアもギリシャと共に沈没しかねない。

 

ホントに怖い話が現在進行中なのだ・・

 

ウサギ



昨日、今年3月末にわが家にやってきたウサギ2匹のうちの1匹、白ウサギがブドウ園の草を食んでいるのを見た。

→<東日本大震災でイタリアも揺れているⅧ

→<震災支援 チャリティーコンサートⅤ

 

すっかり寒くなった園の端の木の下で、心なしか体を丸めて食餌をしている小動物の姿に僕は、決して大げさではなく、衝撃と言ってもいい強い心の揺れを覚えた。

 

うっかりしていたが、ブドウ園を含む邸内の全ての草地は間もなく枯れ果てるのだ。枯れ果てるばかりではない。凍った死の土が冬の期間中あたりを覆う。

 

そのとき、一体ウサギは何を食べて生きていくのか。

 

僕はそのことを考えてもみなかった。

 

春先、近くの農夫がやせた小さな子ウサギ2匹をわが家に持ち込んだとき、僕は即座に受け入れて敷地に放し飼いにした。

 

庭師のグイドに頼んで、2匹のために簡単な水のみ場を作らせたりもした。

 

また邸内に出入りする職人やワイナリーの従業員はもちろん、ウサギを持ち込んだ農夫らにももはや2匹を捕らえて食べてくれるな、と強く釘を刺した。

 

2匹のあまりの可愛さに、僕も家人もすっかり嬉しくなって、平飼いではあるが家族の一員として扱うことにしたのだ。

 

その気持ちに嘘はなく、広い屋敷内を自由自在に動き回って「たまに」姿を見せる2匹に癒やされ、親しんできた。

 

同時に僕はきっと、栄養不良で死にかけている小さな命を救う自分自身に、うっとりとなってしまったのだろう。

だから草木の枯れる冬のことまでアタマが働かなかった。

 

安っぽい同情、チンケな動物愛護心、余計なお世話、自己満足、偽善・・あらゆる責め句が脳裏をよぎった。

 

反省。

 

じゃ、今後はどうするか。

 

今さら農夫らにウサギを引き取ってくれとは言えない。彼らは喜び勇んですぐさま丸焼きにして食ってしまうだろう。

 

このまま放し飼いにすれば、かなりの確率で死んでしまいそうだ。広い敷地内には、石垣や屋根の下などに冬でも草の生える場所が無いではない。

が、果たしてそれが餌として十分な量かどうか分からない。

 

結局、庭師のグイドに頼んで干し草を作ってもらおうと思う。

 

その干し草を、今は半壊になったまま放置されている古い倉庫の一角に敷き詰めて、餌場とする。

ウサギにとっては、そこはきっと風雪をうまく凌(しの)ぐ巣の代わりにもなるだろう。

 

庭師のグイドは自宅でも食用ウサギを飼っている。夏の間はわが家の庭の手入れをしながら、ブドウ園も含めた敷地内の草をせっせと刈ってウサギの餌用に干し草を作る。だから作業はお手の物ものだ。

 

草が少なくなった今はそれが無理なら、グイドにウサギを引き取ってもらって、春まで彼のウサギと共に飼ってもらう。その後は再びわが家の草地に放つ。

 

一つ不安がある。

 

放し飼いにされてきたウサギはびっくりするほど逃げ足が速い。姿が余りにも可愛いので、時どき近づいて触ろうとすると、文字通り脱兎の勢いで走り去るのだ。

 

ウサギって実は時速60kmから80kmものスピードで走ることができる。

 

人間最速のあのウサイン・ボルトでさえせいぜい時速40km。

 

つまり、韋駄天(いだてん)のウサギ君って、ウサイン・ボルトの2倍ものスピードで脱兎するのだ!(笑)。

そんな彼らを果たしてうまく捕らえて保護することができるかどうか・・

独裁家族の肖像



カダフィ大佐と息子のムタシムの死後、例によってリビア関連のニュースが減り続けている。

 

世界中のメディアは早くもリビアネタに飽き始めたのだ。

 

そこで僕は、自分なりに大佐の家族について、改めて情報を少し整理しておくことにした。

 

英語圏の各メディアをはじめ、イタリアのメディアの情報も覗いているが、カダフィ家の家族の資産隠しの実態や金額などについては、米英仏、特にフランスのインテリジェンスサービス・諜報機関からのリークが多いようだ。

→<独裁家族の金の行方

 

ただ、カダフィ大佐の家族の履歴などの詳細に関しては、リビアとの歴史的なつながりや利害関係が深くて生々しい分、イタリアの情報がかなり信用できるように思う。

 

最も情報が錯綜しているのは、死亡したムタシムとハンニバル、さらにアイシャの類縁である。

 

3人のつながりは上からハンニバル(1975年生まれ)、アイシャ(1976年生まれ)、ムタシム(1977年生まれ)が正しいようだが、ハンニバルとムタシムの順序が逆になったり、アイシャがムタシムと同じ1977年生まれと見なされたりするなど、情報が混乱している。

 

あらためてカダフィ兄弟の続柄を整頓すると

――――――――――――――――――――――――――
長男:ムハンマド(1970年生まれ)

→カダフィ大佐の最初の妻との間の子供。また次男以降の7人は大佐の2番目の妻サフィヤとの間の子供。

次男:セイフ・アル・イスラム(1972年生まれ) 

3男:サーディ(1973年生まれ) 

4男:ハンニバル(1975年生まれ) 

長女:アイシャ(1976年生まれ)
5男:ムタシム(1977年生まれ) 
6男:セイフ・アル・アラブ(1982年生まれ) 
7男:ハミス(1983年生まれ) 
養女:ハナ(1986年の米軍リビア攻撃で死亡、とされたが実は生きているという説と、ハナ死亡後に別の養女に同じ名前をつけたなど、真偽がはっきりしない)

――――――――――――――――――――――――――

7人の兄弟のうち、ムタシム、セイフ・アル・アラブ、ハミスの3人はリビア内戦で死亡。

 
長男のムハンマドと4男のハンニバルは、母親と共にアルジェリアへ逃亡中。

 

次男のセイフ・アル・イスラムは、父親と5男のムタシムが殺害されたシルトの戦闘から逃れて、リビア南部の砂漠地帯か、隣国のニジェールに潜伏していると見られる。彼はリビア暫定政権と投降交渉をしているとも言われている。

 

3男のサーディは9月初旬、隣国ニジェールへ逃亡。現在も滞在中。

 

長女のアイシャは、逃亡先で生んだ自らの子供と母親、2人の兄(ムハンマド、ハンニバル)とその子供らと共にアルジェリア滞在中。

 
リビアに関する世界の報道は、何か大きな変化が起きなければこのまま下火になり、やがて忘れ去られるかもしれない。

 

特に四散した大佐の家族に関しては、リビアの新政権が一つにまとまって厳しく追及して行かない限り、彼らを連れ戻して犯した罪を償わせたり、彼らが盗んで国外に持ち出した国の資産の返還を実現させたり、といったことは夢のまた夢に終わるだろう。

 

それは根拠のないことではないのである。

 

例えば、イラクのサダム・フセインの妻と娘は、2003年にイラクからシリアに逃亡して、以来ずっと同国に潜伏しているとみられているが、イラク当局が2人に対してテロ支援容疑で逮捕状を出して追い求めているにも関わらず、一向に埒(らち)が明かない。

 

それと同じことがカダフィ家の逃亡者達にも十分に起こり得るのではないか。

 

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