【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2011年12月

イタリア危機地元の明け暮れ



欧州危機は収まるどころか、フランス国債の格付け引き下げが取り沙汰されて金融市場が悶々とする中、その欧州危機の台風の目である「イタリア危機」渦中のこの国は、モンティ新政権が打ち出した緊縮財政策に対する国民の受容と諦めと、そして当然ながら怒りも巻き込んで、一年で最も大きな消費経済活動が展開されるクリスマス期を迎え、乗り切って、今は新年を待つばかりとなっている。

 

緊急財政緊縮策は案の定イタリアの景気に暗い影を投げかけた。イタリア人はクリスマスイブと大晦日に「チェノーネ(cenone)」と呼ばれる巨大食事会を各家庭やレストランや宴会や懇親会などで催す習慣がある。

 

去ったクリスマスイブの夕食と、翌クリスマス当日の昼食の2食で、イタリア全国では23億ユーロ(約2400億円)分の飲食物が消費された。それはたった2食分の消費量としては、一人頭の計算では恐らく世界でも1、2を争う水準の金額であると考えられる。

 

しかしその巨額の飲食費は実は、昨年に比べて18%少なく且つ2000年以来で最低の水準だった。モンティ首相の緊縮・増税策はやはり、国民の消費意欲にブレーキを掛けることになったのである。クリスマスイブの夕食よりもさらに大きな消費が期待される大晦日の「チェノーネ」も、昨年に比べて大幅な減少になると試算されている。

 

その実態を見て、たった一ヶ月余り前に失脚(と言ってもあながち過言ではないだろう)したばかりのベルルスコーニ前首相は、自らの失策を棚に上げて「増税策が不況を招きつつある。不況になれば国民に信を問う選挙は避けられず、わが党の勝利は間違いない」と、権力にしがみついていたい本音をあからさまに口にし始めた。

 

先日発効されたモンティ首相の緊急財政策の一つに、1000ユーロを越える全ての取引の電子化を義務付ける脱税防止措置がある。イタリアの脱税額は1年で2000億ドル、16兆円程度(それよりもはるかに多いという説もある)と見られている。脱税の防止は歴代政権の最重要課題の一つだが、なかなか有効な手を打てずにきたというのが現実である。

 

そうしたなか、1227日付のミラノの新聞「Libero」にドイツの脱税問題を大きく扱った記事が掲載された。首をうなだれて悩む恰好のドイツ・メルケル首相の写真と共に「脱税はドイツの国民的スポーツ」という刺激的な見出しが躍(おど)る報告だった。

 

ドイツ税務労働者組合(German Tax Workers Union)のトップ、トーマス・エイゲンターラー氏はその記事の中で、国外送金を隠れ蓑にしたドイツ人の脱税額は1年で約300億ユーロ(約31千億円)に登ると語っている。

 

しかし実は、外国を巻き込んだそうした「目立つ」脱税例とは別に、ドイツ国内の連邦、州、自治体などに於ける脱税の総額は年間1000 億ユーロ(10兆円余)を超える、というのが定説である。イタリアよりかなり低い数字だが、EUの優等生ドイツにもやはり脱税問題は存在する、という当たり前の話である。

 

脱税というのは欧州内では南に行くほどひどくなる印象がある。北欧よりは南欧、その南欧の中でも例えばイタリアなら北部イタリアよりローマ、ナポリ、シチリア島と南に下るほど脱税への罪悪感が薄れて行き、国境を越えてギリシャに至ると、もはや脱税がトーマス・エイゲンターラー氏の言う「人々の国民的娯楽」のようにさえなってくる。いや娯楽という生易しいものではない。まさに生活そのもの、とでも言った方がいい日常茶飯の出来事である。

 

たとえば僕が今夏滞在したギリシャでは、アテネよりもエーゲ海の島々に明らかにその傾向が強かった。一つ具体的な例をあげると、アテネではガソリン代をカードで支払うことができるが、エーゲ海のミロス島では現金以外は一切受け付けなかった。カードでは売買記録が残って課税を免れない。そこで島のガソりンスタンドでは客に現金清算を強要する。そればかりか、レンタカー会社などでは値引きをしてまでカードでの支払いを避けようとする。ことほど左様にヨーロッパでは、一般的に南に下るほど脱税への罪意識は低くなっていくのである。

 

とは言うものの、少なくともここ北イタリアあたりでは「1000ユーロを越える全ての取引の電子化」という脱税防止策は、効を奏しつつあるように見える。銀行は1000ユーロ超のキャッシュの動きについては顧客にその都度注意を促がし、出入りの職人や自動車整備士などとの間の支払いも、現金ではなくカードや小切手を使うようになっている。そうしたやり取りには確実に20%の消費税が加算されるのは言うまでもない。

 

 


ミラノ・スカラ座にはイタリア危機などないのだ。のだ!


さすがはイタリア人。役者やのう~、という思いで僕はマリオ・モンティ・イタリア新首相のパーフォーマンスを眺めていた。

 

財政危機で国中が緊張しているさ中の12月7日、首相はなんとエルザ夫人を伴なって、ミラノのスカラ座のオープニング公演に悠然と顔を出したのである。しかもそこにはナポリターノ大統領夫妻も同席するという周到振りだった。

 

オペラの殿堂、ミラノのスカラ座の公演は毎年12月7日がシーズン初日と決まっている。イタリアはもちろん世界中のセレブ、つまり王侯貴族や芸術家や富豪や映画スターや政治家等々が一堂に会する大イベントである。

そのきらびやかなスカラ座の初日に、
タキシードを身にまとった宰相と国家元首が夫人と共にロイヤルボックスに並んで座って、2011年~2012年のオペラシーズンの華々しい幕開けをさらに盛り上げたのである。

  

オペラ初日の3日前の12月4日、モンティ首相は深刻なイタリア財政危機の回避をねらった300億ユーロ(約3.2兆円)の緊縮会計策を発表した。

 

その中身は国民に多くの苦痛を強いる内容で、付加価値税率を2ポイント引き上げるほか、年金支給開始年齢も大幅に引き上げる。さらにベルルスコーニ前首相が廃止した居住用不動産への固定資産税を復活させ、ヨットや高級車種などのぜいたく品に対する新税も導入する。また脱税防止策として、1000ユーロを越える全ての取引の電子化を義務付けることなどを盛り込んでいる。

 

ひとことで言うと、100億ユーロ余りを歳出削減で、また残りの約200億ユーロを増収分でまかなう計画である。

 

緊縮策は実は週明けの12月5日に発表される予定だった。が、スカラ座のオープニング公演を鑑賞すると決めていたらしい首相は、あえてそれを一日繰り上げて閣議決定し、公表したのである。スカラ座でのパフォーマンスまでに、少しでも長い緩衝(かんしょう)期間がほしかったのだろう。

 

そうとは知らない国民の多くは、前倒しの政策発表が首相と新内閣の「やる気」の表れた仕事振りだと思い、その動きを歓迎した。結果、首相の「やる気」は本物で、その上さらに深謀遠慮とも言える計画があったことが明らかになった。それが首相自身と大統領によるオペラ観劇だったのである。

 

その目的は、国内はもちろん世界中のメディアが注視するスカラ座の晴れの舞台で、優雅にゆったりと行動してみせることでイタリアの国家財政が修正可能であり、安泰であることを国民に印象付けるための演出だったと考えられる。

 

同時にそれは賭けでもあった。国民に多大な犠牲を求める政策を推し進めている当人が、この厳しい緊急時にオペラ鑑賞なんて何を悠長な、不謹慎な、と強い非難が湧き起こっても不思議ではなかったからである。

 

結果として首相の賭けは成功した。大統領と二人三脚で演じたパーフォーマンスは功を奏して、国内メディアはスカラ座の舞台と、2人の首脳をはじめとする観客の写真を一面トップにふんだんに使って報道を続けた。おかげでイタリア国民は、財政危機の憂うつをしばし忘れて、スカラ座のきらびやかな舞台と出席者の典雅な遊宴模様に酔いしれたのである。

 

それは地に落ちたイタリア国民の誇りをくすぐる十分な効果があった。

イタリア経済は先進国の中で二流か三流、もしかすると四流かもしれない。その結果、イタリアには財政危機がもたらされた、という国民の忸怩(じくじ)たる思いは、スカラ座の舞台と出席者が織り成すきらびやかな絵模様を目の当たりにした時に遠くに消えて、芸術文化における独創性と見識は、未だ世界中のどの国にも負けない、というイタリア人の誇りが甦ったのである。

  

僕は新首相のしたたかな動きを見ながら、イタリア人が好んで口にしたがる格言を思い出した。曰く「イタリア共和国は常に危機を生きている」。

 

都市国家と呼ばれた多くの独立国が、わずか150年前に結びついて統一国家となったこの国では、あらゆる事案に意見が百出してまとまる物も中々まとまらない。まとまらないから政治経済がしばしば滞(とどこお)り紛糾する。イタリアのほとんどの危機の本質はそこにある。しかし余りにも危機が多いために、イタリア人はそれに慣れて、めったに慌(あわ)てることがないという余得も生まれた。彼らはあらゆる危機をアドリブで何とか乗り切ることに長(た)けている。今回の財政危機もたぶん同じ結果になるのだろう。

 

この国の人々は、ギリシャ危機の影響もあって、今回の債務危機に対しては早くから犠牲を払う覚悟ができていたように思う。モンティ首相のパフォーマンスが肯定的に受け止められたのは、その辺にも原因があるのだろう。国民の暗い心に一条の光を投げかけたのが、首相の動きだったのだ。

 

今のところイタリアは、自国の救済も含めた欧州債務危機に関しては、一国が成すべきことを一応全てやったと感じている。国内には緊縮策に対する反対ももちろんあるが、国民は最終的には政府が打ち出した案を全面的に受け入れるだろう。そのほかには道はない、とういうのがイタリア国民の総意であるように見える。

 

あとはイタリアが属するEU(ヨーロッパ連合)の出方次第である。イタリア経済が沈没するようなことがあれば、それはEU圏の崩壊につながりかねないのだが、当のEUは一枚岩ではなく、イギリスが包括的な財政統合案を拒否するなど、依然として不透明な状況が続いている。

 

イタリア国民は、強い楽観と、一抹の不安と、この先の生活の劣化の可能性をひしひしと肌身に感じながら、事の成り行きをじっと見守っているというところである。



贖罪という名の愚弄


「渋谷君

 

君の要望に答えて新聞とネット論壇に寄稿した僕の記事を転載します。

ネット雑誌では、記事は掲載されてもすぐに古くなって次のネタに取って代わられるから忙しい。君が見逃したのも仕方がないね。
 

 

―――――――――――――――――――――――


~謝り過ぎるのは、謝らない、と同じこと~

 

テレビドキュメンタリーや報道番組のディレクターという仕事柄、僕は連日CNN、アル・ジャジーラ、BBCインターナショナル等々の24時間衛星放送やNHKなどの報道番組をリアルタイムで追いかけ、同時に新聞や雑誌などにも絶えず目を配っています。最近そこにインターネットという途方もなく強力な文明の利器が加わったおかげで、僕は今では遠いイタリアにいながら、日本の様子が細大漏らさず、それこそ手に取るように分かると感じています。


そうした中で最近僕が追い続けてきたのが普天間基地の移設問題です。多くの日本国民が基地の地元の皆さんに同情し、理解を示し、一刻も早い基地負担の軽減を願っています。また一方で相当数の国民の皆さんが、基地地元の動きを不可解と見なし、沖縄を補償金泥棒のように悪しざまに言い、ゆすり・たかりを生業とする怠惰な人々
、という見方さえしています。人種差別の本性とゴーヤー論争がステキな、あの愉快なケビン・メアさんと同じ発想ですね。

 

そうした人々の一部は、沖縄の民意など無視して普天間基地をさっさと辺野古に移設しろ、という驕慢(きょうまん)な心を隠して「本土はいったいいつまで沖縄に謝り続けるのだろうか」などと発言したりもします。

 

まったく彼らの言うとおりです。僕は全面的にその方々に賛成です。本当に、いったい本土はいつまで沖縄に謝り続けるつもりなのでしょうか。

 

本土はもうこれ以上沖縄に謝ってはなりません。なぜなら謝り続けるのは「謝らない」ことと同じであり、従ってそれは沖縄を侮辱し続けることだからです。

謝るとは、言うまでもなく間違いや失敗や不手際等々を認めて、反省し、再びそれを繰り返さないことを誓って「ごめんなさい」と頭を下げることです。そればかりではなく、謝った後に、同じミスを犯さないように努力をすること、またできれば実際にミスを犯さないこと、で謝罪は完成すると考えられます。

 

再び謝ることがあれば、それはまた同じ間違いを犯したということです。人間は間違うことの多い存在ですから、3度目に間違うこともあるでしょう。そこでもまた謝罪します。それはいいと思います。しかし、それ以後も謝罪がえんえんと続くようなら、それはもう謝罪ではありません。謝罪に名を借りた愚弄です。なぜなら間違いを犯し続けるということは、間違いを犯さない努力などしていないことを意味しています。口先だけで謝っていることにほかなりません。だから間違いを繰り返してえんえんと謝り続けるのです。

 

田中前沖縄防衛局長発言のあとの防衛大臣や野田佳彦総理の謝罪は言うまでもなく、現政権のこれまでの総理や閣僚、さらに歴代政権のお偉方や大臣や官僚も、しつこいくらいに沖縄に謝り続け、今も謝っています。間違いを正す努力などせずにただ口先だけで謝り続ける。つまり沖縄を侮辱し続けているのです。

 

本土の、つまり政府のその動きは日本国の品格を貶(おとし)めています。国家は人と同じです。誠実を欠く者が人として劣るように国家も誠実を欠けば下卑てしまう。民主主義を標榜する世界の文化・文明国は、例外なく自国の中にある不公平、差別、矛盾などに毅然として向き合い、これを無くすために絶えず努力をしています。だからこそ民主国家と呼ばれ文明国や文化国家と呼ばれて尊敬されるのです。自国の小さな一部である「たかが沖縄ごとき」の悲しみや苦しみさえ救えない日本国が、どうして大きな民主国家としての品格と尊厳を保つことができるのでしょうか。

 

政府はもうそろそろ謝ることを止めて、行動するべきです。行動するとは、沖縄の基地負担を軽減することです。わが国の安全保障上、沖縄にはある程度の基地はなくてはならないでしょう。また沖縄は日本の一部としてそれを負担するのは当然です。しかし、小さな島・沖縄の負担は明らかに重過ぎます。重すぎる負担に伴なって、少女暴行事件に象徴されるような米軍人・軍属による不祥事や騒動や悪行など、屈辱的な事案がひんぱんに起こっています。基地の何割かを撤去し、不公平極まりない日米地位協定を是正すべく、断固として米国と向かい合うべきです。

そのためにも基地の地元の皆さんは怒り続けて下さい。ここのところ日米地位協定の改善が少しだけ進んでいます。とてもいいことです。しかし、それはほんの始まりに過ぎません。政府の口先だけの謝罪や、小さな不平等の改善にはまだほだされてはなりません。怒りは悲しみの発露です。怒ることは苦しく、また見た目も良くはありません。しかし、悲しみがある限り抗議の声を消してはならないのです。

負担軽減の象徴的な存在である普天間基地は、もはや座り込みの地元の皆さんをブルドーザーで轢(ひ)いて前進でもしない限り、今のままでは辺野古への移設は無理でしょう。国内移設も到底できるとは考えられません。ならばグアム移設か完全撤廃しかありません。

 

しかし、それでは日本の抑止力や安全保障上問題がある、という結論になります。それならば、どうすればいいのでしょうか。話はいたって簡単です。この閉塞(へいそく)状況をはっきりと認めて、同盟国であるアメリカともう一度話し合うのです。ただし、卑屈な従属外交ではなく、凛とした態度で。アメリカは敵性国ではありません。仲の良い同盟国です。友だちなのです。政府の覚悟さえあれば真っ当な議論ができない筈はありません。

 

イザヤ・ペンダサンではないのですが、安全(保障)はただではありません。今も国防には多大な金が掛かっています。その上、アメリカとの交渉の結果、さらに莫大な経済的負担を強いられることも考えられます。逆に言えば、経済的負担さえ覚悟すれば、道は必ず開けるのではないでしょうか。

 

その時こそ、わが国の安全保障や抑止力に関する、真の意味での全国民的な議論が湧き起こるように思えます。真摯な国民的議論を経たあとならば、その結果がどう出るにしろ、基地の地元の皆さんも必ず納得するのではないでしょうか。政府は心にもない下劣な謝罪で時間を潰すことなどやめて、早く行動を起こすべきなのです。

                                                             

                                                                (おわり)

―――――――――――――――――――――――

 

というものでした。

記事にも書きましたが、基地問題の歪みの原因の一つは、言うまでもなく、日本国民のほとんどが「安全(保障)をただだと思っている」ところにある。世界から見たらそら怖ろしい幼稚性だが、ま、日本が平和だからしょうがないとも言える。

でも国のトップの連中まで無知な国民と同レベルか、へたをするとそれ以下の認識しか持ち合わせていないように見える現実は、やっぱりマズイと僕は思う。

ところで渋谷くん、

基地の地元に降りる政府の補償金が、特別視されるほどに手厚いものなら、どうして全国の自治体は手を挙げて「ここに基地を持ってきてくれ」って言わないんだろう?

日本の自治体って東京を除けばほとんどが財政難で苦しんでいる筈なのに。

僕はそこのところも不思議で仕方がない。君はどう思う?

名前、又はニックネーム?のこと


僕はこのブログのタイトルを遊び心で付けた。書き続ける(続けられる)なら、将来は本名に戻すつもりだったのだが、そのうちに自分で気に入ってしまって変更したくなくなってきた。

 

則(のり)というのは僕の子供の頃の呼び名である。雅則というのが名前だが、家族にも友だちにも村のおじさんやおばさんにも、常に則かまたは則坊と呼ばれた。島に帰ると、チョーおやじになった今でもそう呼ばれる。

 

島を出てからは普通に名前で呼ばれたが、東京での学生時代、喫茶店などのアルバイト先で、マー坊と呼ばれた記憶もある。

 

ロンドンではそのマー坊にヒントを得て、自分からマーボーと名乗ったこともある。マサノリという名前を覚えられない外国人が多かったので、煙草のマールボロに引っ掛けてマールボロのマーボーだと言うと、誰もが一発で覚えてくれた。なぜノリと名乗らなかったかというと、僕は当時は島での子供時代のその名が、田舎クサくてイヤだと感じていたのだ(笑)。

 

その後、仕事で住んだニューヨークでは、アメリカ人からマサと呼ばれたりした。そこでもマサノリが覚えづらいということのほかに、短縮形にして親しみを込めてくれる意味があった。マサというのは、黒人の奴隷が主人を呼ぶ時の発音(多分マスターが訛ったものではないか)に似ているので覚えやすい、といわれて複雑な気分になったこともある。が、あまり深くは考えなかった。

 

イタリア人の友人たちにもマサと呼ばれることが多い。イタリア語でも名前の短縮形は、ほとんどの場合親しみの意味合いが強い。そこでは名の後半部分を発音しないのが普通である。クリスティーナをクリ、アレッサンドロをアレまたはアレックス、マウリツィアをマウ、などなど。

 

学生時代、同人誌などに小説を書くときはペンネームを使った。文芸誌「小説新潮」の月間新人賞佳作というものをもらったのも、同じペンネームで書いた短編小説だった。

 

そうやってあらためて振り返って見ると、自分ではまったくそんなつもりはなかったのに、いろいろな名前で呼ばれたり名乗ったりしていて、けっこうおどろく。

 

島から島へと渡り歩き、ついには日本を出て英米伊の3国に移り住んだことが、そんな不思議体験につながったのだろうか。

 

そういう自分史の流れがあったから、ブログのタイトルを考えた時、すらすらと「なかそね則」と出てきたのだろうと思う。則というのは雅則と共に、僕がまさしく自分そのものだと感じる名前である。そこに少しふざけて「なかそね」と付け加えたら、なぜか座りも良いような感じがして気に入ってしまった。

 

普段はもちろん本名で過ごしていて、仕事でも、あちこちで書いたり発言したりする時も本名である。

 

なぜ突然こんなことを書いているのかと言うと、事情があってこのブログのプロフィール欄に自分の顔写真を載せることになってしまった。ついでに自己紹介文も。

 

自己紹介はブログ記事の中でひんぱんにやっているからいいとして、顔写真が載った以上は、ブログ名を最初の計画通りに本名にした方がいいのか、と考えたりしているからである。

 

でもやっぱり「なかそね則」の響きがいい。捨てたくない。

 

『時には娼婦のように』という僕の好きな大歌詞を生み出した「なかにし礼」さんみたいだし(笑)・・



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