【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2012年02月

イタリア危機に群がる欲望たち




イタリア危機がやって来てベルルスコーニが去って、モンティ新政権が危機脱出のための緊縮財政策を始めて以来、イタリア国民の生活は日々苦しさを増している。

 

原発が稼動していないことが大きく影響して、この国の電気料金はもともとヨーロッパ一高く、ガソリンの値段もほぼ同じ状況がつづいていた。

 

増税と歳出カットを柱にしたモンティ緊縮策がスタートしてからは、あらゆる分野に似たような状況があらわれた。

 

そして、ついにイタリア国民一人当たりの年収は、先週末の統計で約2万3千ユーロとなって、ドイツやオランダのそれの半分近くにまで減った。

 

その数字はギリシャやスペインよりも低いのだ。すべて危機脱出を図るモンティ政権の増税策が原因である。

 

イタリアの元々の財政状況は実はそれほど悪くはなかった。たとえばドイツなどに比べれば、それは確かに良いとは言えないが、基礎的財政収支いわゆるプライマリーバランスは、イタリア危機が叫ばれる直前でもプラスだったのだ。

 

基礎的財政収支がプラスということは、日本や米国などと比較した場合は優等生と言っても過言ではない良好な状況だったのである。

 

それでもイタリアは財政危機に陥った。なぜか。

 

それが世界経済(特に金融市場)の摩訶不思議なところで、数字や論理やファンダメンタルズ(経済活動状況を示す基礎的な要因や数値)だけでは説明ができない。

 

投資家や投機筋や金融機関などの思惑や、不安や、期待や、術策などが複雑にからまって動いているからだ。

 

つまり世界中の投資家や投機筋や金融機関が、ギリシャの財政危機を見てイタリアにも不安を持った。そのためにイタリア国債(イタリア政府の借金)に信用不安が生まれて価値が下がった。

 

国債は価値が下がれば金利が上がる。この上がった金利をイタリア政府は支払えないのではないか、という疑心暗鬼が生じてますます状況が悪くなる・・

 

簡単に言えばそういうことだ。

 

要するに損をしたくないという人間の感情、つまり「欲」が大きく影響してイタリア危機は生まれた。

 

そして、今のイタリア国民の生活の痛みを通してやがて財政収支は改善し、それを見た世界の投資家は安心して、今度は儲けたいという欲に駆られて再びイタリアへの出資を始める。

 

つまりイタリアを危機に陥(おとしい)れた彼らの感情、つまり「欲」が今度はイタリアを財政危機から救い上げるのである。

 

人間の欲って醜悪だし気持ち悪いけど、でもしたたかに面白い・・



ステレオタイプたちのステレオタイプなののしり合い(Ⅱ)



ドイツ国民とイタリア国民が、週刊誌のデア・シュピーゲルと新聞のイル・ジョルナーレを介して
いがみ合いを続けている間も、両国政府は欧州財政危機の回避に向けて緊密に連絡を取り合って仕事をしている。先週末にはメルケル首相がローマを訪問してモンティ首相と会談するはずだったが、ドイツのウルフ大統領が汚職疑惑がらみで辞任したことを受けて、ローマ訪問を中止した。

ウルフ氏は映画制作者から金銭を含む便宜供与を受けたり、他の事業者とも癒着するなど、イタリアの汚職政治家も顔負けの悪徳為政家だったわけだが、幸いイタリアのメディアは、ドイツ大統領の汚職事件をデア・シュピーゲル対イル・ジョルナーレの口論にからませて、不毛な水掛け論に持ち込んだりはしていない。

ドイツのメルケル首相とイタリアのモンティ首相は強い信頼関係で結ばれている。前任のベルルコーニ首相の時とは大違いである。それはあえて言えば、モンティ首相の財政の舵取りがドイツ的だからである。あるいはEU信奉者であるモンティ首相が、EU(つまりこの場合は主にドイツ)の意に沿った方向でイタリアの財政再建に向けて邁進しているからである。国民に多くの犠牲を強いる財政緊縮策を厳しく、緻密に、且つ粛々として押し進めている彼を、ドイツを中心とするEUは今のところ評価している。ドイツ政権とイタリア政権の蜜月関係はそこに起因している。

しかしそれは、デア・シュピーゲルの記事をきっかけに表面に出た、イタリア国民とドイツ国民の間にくすぶっている古くて新しい問題とは別の話である。さらに言えば、両国の間にくすぶっている古くて新しい問題とは実は、ドイツ国民とその他の全ての欧米諸国民との間の問題、と普遍化してもいい極めて重要な論点なのである。

イル・ジョルナーレがデア・シュピーゲルに『われわれにスケッティーノがあるなら、ドイツ人のお前らにはアウシュヴィッツがある』と言い返したことを受けて、ヨーロッパでは国境を越えて大きな反響があった。ネットなどの書き込みを見ると、人々はイル・ジョルナーレの立場に寄り添いつつも「アウシュヴィッツ」という言葉に困惑し、それでもやはりナチスのアウシュヴィッツでの蛮行を心のどこかで糾弾する思いにあふれたものが多かった。僕がこの前の記事でドイツ国民の言動を憂い、それだけでは飽き足らずにまだこうしてこの問題にこだわっているのもそれが理由である。

最近のドイツは危なっかしい。特にギリシャの財政危機に端を発したEU危機以降、その兆候が強くなった。ドイツは言うまでもなくEU加盟国の中では財政的にもっとも強く且つ安定している経済大国である。そればかりではなくEUの牽引車としてフランスとともに危機脱却のために奮闘している。そのあたりから来る自信のようなものが、ドイツ国民をどうも少し驕慢にしつつあるようにも見える。危なっかしいとはそういうことである。

兆候がはっきりと現れたのは2010年2月。ドイツの週刊誌が、右手の中指を突き立てているミロのヴィーナス像の合成写真を表紙に使って『ユーロファミリーの中のペテン師』というタイトルで、ギリシャの財政問題を強く避難する特集を組んだ頃である。その4ヶ月前の2009年10月、発足したパパンドレウ新政権の下で旧政権が隠蔽しつづけていた巨額の財政赤字が表に出た。それまでギリシャの財政赤字はGDPの4%程度とされてきたが、実際は12、7%に膨らみ、債務残高も113%にのぼっていることが分かった。いわゆるギリシャ危機の始まりである。ドイツの週刊誌は、そのことを皮肉って特集を組んだのだった。

それはギリシャ政府の放漫財政を攻撃したジャーナリズムの当たり前の動きだった。ギリシャはドイツにとって外国とはいうものの、統一通貨のユーロという船に乗った運命共同体である。しかも、ギリシャ危機のツケをもっとも多く被るのは、EUの優等生ドイツになることは火を見るよりも明らかだった。従って、ドイツが怒っても少しも不思議ではない、と第三者の僕のような人間の目には映った。

ところがギリシャ人にとってはそうではなかった。週刊誌の写真はギリシャを侮辱するものだとして激しい反発が起こった。パリのルーブル美術館に所蔵されているミロのヴィーナスは、古代ギリシャの巨大な芸術作品のひとつであり、ヨーロッパの至宝である。週刊誌は、そのミロのヴィーナス像を汚した上にギリシャ人を侮辱したとして人々は怒った。中指を突き立てるのは欧米ではもっとも嫌われる行為。それは尻の穴に中指を突き立てる、という暗喩で顔に唾を吐きかけるのと同じくらいの侮辱、挑発と見なされる。

週刊誌は、神聖なヴィーナス像に最悪のアクションを取らせて彼女自身を侮辱した上に、そのヴィーナスの中指がギリシャの尻の穴にずぶりと突き立てられる、という実にえげつないメタファーを示してギリシャ国民を侮辱した、と多くのギリシャ人は感じた。今でこそ国力ではドイツに遠く及ばないが、ギリシャ人には、過去にヨーロッパの核を成す文化文明を生み出したという自負がある。それは歴史的事実である。だからギリシャ人は、彼らにとってはいわば「新興成金」に過ぎないドイツからの侮辱を甘んじて受けたりする気はない。その上、ドイツはナチスのおぞましい闇を抱えた国だ。思い上がるのもほどほどにしろ、と反発したのである。

ギリシャ人を含めた全てのヨーロッパ人は、ドイツの経済力に感服している。同時にドイツ以外の全てのヨーロッパ人は、心の奥で常にドイツ人を警戒し監視し続けている。彼らはヨーロッパという先進文明地域の住人らしく、ドイツ人とむつまじく付き合い、彼らの科学哲学経済その他の分野での高い能力を認め、尊敬し、評価し、喜ぶ。

しかし、ドイツ人は彼らにとっては同時に、残念ながら未だにヒトラーのナチズムに呪われた国民なのである。ドイツ以外の全てのヨーロッパ人が、心の奥で常にドイツ人を監視・警戒している、というのはそういう意味である。いや、ヨーロッパ人だけではない。米国や豪州や中南米など、あらゆる西洋文明域またキリスト教圏の人々が、同じ思いをドイツ人に対して秘匿している。

僕はここではたまたま、欧州危機の元凶とされるギリシャとイタリアに対するドイツメディアの反応、というところから論を進めることになったが、ドイツとギリシャあるいはドイツとイタリアとの関係性は、ドイツと欧米のあらゆる国とのそれに当てはまる。

それと矛盾するようだが、今メディアを通してドイツといがみ合っているイタリアを筆頭に、欧米諸国のほとんどの人々は、前述したようにドイツ国民の戦後の努力を評価し、アウシュヴィッツに代表される彼らの凄惨な過去を許そうとしている。しかし、それは断じて忘れることを意味するのではない。「加害者は己の不法行為をすぐに忘れるが被害者は逆に決して忘れない」という理(ことわり)を持ち出すまでもなく、ナチスの犠牲者であるイタリア人(枢軸国の一角であるイタリアも加害者だが、最終的にはイタリアはドイツと袂を分かち、あまつさえ敵対してナチスの被害を受けた)を含む欧米人の全ては、彼らの非道を今でも鮮明に覚えている。そのあたりの執念の深さは、忘れっぽいに日本人には中々理解できないほどである。

ドイツ国民は他者の寛大に甘えて自らの過去を忘れ去ってはならない。忘れないまでも過小評価してはならない。なぜなら、ドイツ国民が性懲りもなく思い上がった行動を起こせば、欧米世界はたちまち一丸となってこれを排斥する動きに出ることは間違いがない。ドイツと欧米各国の現在の融和は、ドイツ国民の真摯な反省と慎みと協調という行動原理があってはじめて成立するものであることを、彼らは片時も忘れてはならないのである。

ローズの勇気


ローズ・ニントゥンツェは身長186センチ、痩せ型、鼻筋のすっと通った輝くばかりに美しい30代前半のアフリカ人女性である。

 

彼女は、北イタリアのブレッシャ県を本拠にする、アフリカ支援が専門の大きなボランティア団体の秘書をしている。

 

ローズはその団体のメンバーのひとりである僕の妻と先ず親しくなった。妻とローズたちが行なう様々なボランティア活動の場で何度か顔を合わせるうちに、やがて僕も彼女の友だちになった。

 

先週末、ローズは妻と僕の要請に応じて、僕らの住む村の図書館で「ルワンダ虐殺」について講演をしてくれた。

 

ローズは「ルワンダ虐殺」に巻き込まれて九死に一生を得た過去を持つ。彼女は奇跡的に生き延びたが、母親と2人の兄および16人の親戚が事件の犠牲になった。

 

ルワンダにはツチとフツとトゥワという3種族がいる。

 

ルワンダの人口の約15%を占めるツチ族の人々は、長身で鼻が高く痩せ型。いわゆるマサイ系の人々である。ローズもツチ族の女性だ。

 

トゥワ族の人々は対照的に小柄。いわゆるピグミー系の種族で人口の1%に過ぎない。

 

人口の84%を占めるのがフツ族。彼らが普通に見られるアフリカの黒人の人々と言っていいだろう。

 

1994年に起きた「ルワンダ虐殺」は、同国の多数派であるフツ族の過激派が、少数派のツチ族と共に自らと同じフツ族のうちの穏健派を大量殺害した事件である。

 

事件はイギリス、イタリア、南アフリカの三ヶ国が共同制作した「ホテル・ルワンダ」でも詳しく描かれた。

 

「ルワンダ虐殺」では、約100日間におよそ50万人から100万人が犠牲になったとされる。それはルワンダ全国民の10%から20%にあたり、最終的には隣国のブルンジと合わせて120万人以上が殺害されたという説もある。

 

ローズは正確に言うと、当時は隣国のブルンジにいた。ルワンダとブルンジの二国は、かつては同じ国だった。ベルギーの植民地時代のことである。

 

ブルンジでも歴史的に少数派のツチ族と多数派のフツ族の対立が激しく、虐殺事件では同国も巻き込まれてツチ族の多くの人々が殺害された。

 

ローズはイタリアのブレッシャノ大学の卒業論文で、自らと家族が巻き込まれた「ルワンダ虐殺」にからめて、世界の虐殺事件を取り上げた。

 

昨年それを読んで感動した妻が、論文について講演してくれと頼んだが、ローズはあまり乗り気ではなかった。シャイな性格に加えて、巻き込まれた虐殺事件のトラウマもあって中々そんな気になれなかったのである。

 

その後は僕も妻と共に彼女を説得した。今年になってローズは、顔見知りが多い僕らの村の小さな図書館でなら、という条件付きでようやく講演をOKしてくれた。

 

最近できた彼女の恋人のイタリア人ドクターの後押しも大きかった。ドクターも多くのアフリカの子供たちを助ける活動をしている。

 

それはとても良い講演になった。そこに出席した人々の何人かが、妻同様にすっかり感動して、ローズにそこかしこでのレクチャーを頼んでいる。

 

シャイで控えめなローズは、そのことにかなり困惑している。

 

僕らはローズの勇気と講演の成功を喜ぶと同時に、彼女をあちこちのイベントに引っ張り出そうとする人々を制止するのに苦労しているほど。

 

ローズがその気になって、どんどん講話を引き受けてくれれば一番いいのだが、今のところはそれはとても望めそうにない。

 

僕らは連絡をしてくる人々に事情を話し、どうかローズの気持ちを尊重してしつこくしないでほしい、と釘を刺したうえで彼女に取り次いでいるが・・

 


愛のカテリーナ



雪解けの庭の一角にウサギのカテリーナがいた!

 
丸々と太って。元気いっぱいで。

 

庭やブドウ園の草は厳寒の今も完全には枯れず、ウサギの餌は充分にある分かってはいても、一面が雪におおわれた景色を見ているとやはり心配だった。

 

雪が降っても積もっても、わが家の敷地まわりには倉庫や石垣や門扉脇などにたくさんの庇(ひさし)や日よけや屋根がある。そこには雪はない。草もよく茂る。

 

でも大雪になると、さすがにそれらの空間の多くも「流れ雪」に見舞われてうっすらと綿帽子をかぶる。古い倉庫内を除いて。

 

それなので、積雪中はカテリーナが気になって何度か倉庫周りや中を覗いてみた。しかし、一度も見つけることができなかった。

 

飢え死にすることはあり得ないと分かっていても、姿が見えないとやはりどうしてもやきもきした。

 

白状すると、僕はもうカテリーナは死んだのだとさえ考えたりした。

いろいろな可能性があった。

 

まず庭師のグイドがカテリーナを捕らえて食べてしまったこと。あるいはブドウ園やワイナリーの従業員や近所の農夫の可能性・・

 

また、犬や猫や、あるいはそれとは全く違う野生動物の餌食になったかも知れないこと。

 

さらに、もしかすると、わが家の敷地の外に逃げ出して、誰かに捕らえられたか、交通事故に遭った確率も・・・

が、

逃亡物語りの場合には、近くの畑地や藪や森にまぎれ込んで、そこで生きのびている見込みもあるので、少しの安心も。

しかし、

 

そのどれもが思い過ごしで、カテリーナはちゃんとわが家の敷地内で生きていた!

では、

 

雪が解けると同時に姿を見せたカテリーナは一体どこにひそんでいたのだろうか?

 

白い保護色を頼りに雪の中?

まさか。

 

やはり最も可能性が高いのは、倉庫の中だろう。

 

カッシーナと呼ばれる巨大倉庫は、あちこちが朽ちかけている農業用施設。

かつて、貴族家の屋台骨を支えた巨大農地と農業の、そのまた屋台骨となった建物。

 

何かの奇跡で資金が手に入れば、倉庫を改修して売却あるいは賃貸に出して、伯爵家の建物などの莫大な維持費に宛てたい、と僕が密かに考えているほどの古い大きな価値ある「準」廃屋。

 

カテリーナは、そんな建物を独り占めにして生きている・・


ウ~む、なんとゼイタクな・・・




ステレオタイプたちのステレオタイプなののしり合い(Ⅰ)



財政危機で四苦八苦しているEU(ヨーロッパ連合)の加盟国間に不協和音が深く静かに鳴り響いている。イタリアの豪華客船コスタ・コンコルディアが座礁した事件にからんで、ドイツの有力ニュース週刊誌「デア・シュピーゲル」が客船のフランチェスコ・スケッティーノ船長を非難する記事を発表した。そこまではいいのだが、記事は「スケッティーノ船長がもしもドイツ人かイギリス人だったなら、決してあのような軽薄な操船をすることはなく、船を見捨てて自分だけが助かる行動も取らないだろう。スケッティーノは典型的な卑怯者のイタリア人だ」という趣旨の論陣を張ってしまった。


この記事に対してイタリア中が激しく反発し、イタリアのドイツ大使も正式にデア・シュピーゲルに抗議をする騒ぎになった。つまりイタリアは国民のみならず政府も一体になってドイツに反発しているのである。ドイツ人が持つイタリア人へのステレオタイプな見方に対してイタリアの各メディアは怒りを表明したが、特にミラノの新聞「イル・ジョルナーレ」は『われわれにスケッティーノがあるなら、ドイツ人のお前らにはアウシュヴィッツがある』というキツイ見出しで反ドイツキャンペーンを張り、「ドイツ人へのステレオタイプな見方」に縛られている多くのイタリア国民の支持を得た。

さらに同紙はドイツ人の臆病と卑怯の典型として、2009年9月4日にアフガニスタンで起きたジョージ・クレイン大佐のアフガニスタン市民虐殺事件を引き合いに出して論じた。ドイツ軍のクレイン大佐はタリバンを怖れるあまり、自らは安全な場所に身を隠したまま市民のいる場所を友軍に爆撃させて102人を殺害した。そのことが明るみに出たとき、ドイツ防衛相は辞任に追い込まれた。大佐の行動は、彼が軍人であることを考慮すればなおさら、臆病と卑怯さにおいてスケッティーノ船長をはるかに凌駕する、と新聞はたたみかけた。

イタリア国民が他者の評価や指弾に本気で反発するのは稀である。彼らは外国からの批判や揶揄や悪口には動じない。むしろそれを受け入れて冷静に分析したり受け流したり無視したりする。こう書くと、熱い血を持つラテン人、というステレオタイプのイタリア人像に染まっている人々はきっと驚くだろう。彼らは確かに興奮しやすく大げさな言動も多いのだが、自らを見つめる自己批判の精神が旺盛で日ごろから物事を冷静に見つめるところがある。古代ローマ帝国を築き、繁栄させ、滅び、分裂し、イタリア共和国に収斂するまでの、波瀾と激動と紛擾に満ち満ちた長い歴史の中で培われた「大人の精神」は実は、冷静で緻密で真面目な印象のあるドイツ人よりも、イタリア人の中に顕著なのである。

デア・シュピーゲルの記事はタイミングも悪かった。巨大客船の運行を一手に任されていた男が、個人的な付き合いのある元船乗りを喜ばせるために巨船を無理に陸側に近づけて岩礁に激突、座礁せしめるという前代未聞の行為。その上、船と運命を共にするはずの同船長は、信じがたいことに乗客・乗員合わせて4200人もの人々を沈み行く船に残して、自らは救命ボートに乗り移ってのうのうと生きのびた。イタリア中がスケッティーノ船長の驚愕の行動に言葉を失い、困惑し、大きな怒りに包まれているそのただ中に、デア・シュピーゲルの記事が出てしまったのである。

イタリア国民は二重の意味でこれに激烈に反発した。まず、彼ら自身が誰よりもよく知っているスケッティーノという男の卑劣を、ドイツ人記者があたかも新発見のようにしたり顔で言い募ったことへの怒り。そして二つ目、これが一番大きいのだが、スケッティーノという個人の失態を「イタリア人全体の失態」ととらえて、イタリア人は皆同じ、つまりイタリア人は皆スケッティーノ」というニュアンスで論理を展開したことへの怒りである。ステレオタイプのカタマリ以外の何ものでもない愚かな主張に、イタリア中が激昂のマグマと化してしまった。そこから右寄りの新聞「イル・ジョルナーレ」の『われわれにスケッティーノがあるなら、ドイツ人のお前らにはアウシュヴィッツがある』という厳しい言葉を使った反撃記事が出るまでは時間を要さなかった。ドイツ人=アウシュヴィッツというくくり方は、昨今の欧米論壇ではほとんどタブーに近い表現である。

デア・シュピーゲルのステレオタイプにイル・ジョルナーレがステレオタイプで言い返しただけ、という見方もできるが、毒矢の大きさはイル・ジョルナーレの方がはるかに大きい。記事を書いたデア・シュピーゲルのフレシャウアー記者は、そのつもりがないままイタリアに切りつけてみたが、激しい返り討ちに遭ってしまった、という具合である。

ところで、このフレシャウアー記者の「そのつもりがないまま」というアブナイ態度が何を意味するかというと、それはずばり、想像力の欠如ということである。ここで言う想像力とは、今自分が描写したり表現している事案が「ステレオタイプになっていないかどうか」と一瞬立ち止まって絶えず自問することである。それだけでも多くの間違いが回避できる。人は誰しも「ステレオタイプなものの見方」から完全に自由でいることはできない。しかし、ステレオタイプの可能性を絶えず意識する者と、そうでない者の間には天と地ほどの違いが生まれるのである。

卑怯という言葉がひどく軽く見えるほどのスケッティーノ船長の驚愕の行為を、誰よりも先に非難し、怒り、罵倒するのはイタリア人であろう、と想像するのはたやすいことではなかっただろうか?フレシャウアー記者にはそのほんの少しの想像力が欠如していた。その想像力の欠如という致命的な欠陥は、もっと大きな間違いにつながった。つまりステレオタイプをあたかも重大な発見でもあるかのように書き連ねたことである。この愚かさが、フレシャウアー記者一人のものであることを祈りたい、と言いたいところだが、それはきっとあり得ない。

雑誌記事は記者が書いたものがそのまま掲載されることはまずない。編集者やデスクや編集長や部長や局長など、雑誌の責任者らが目を通し管理をした後に掲載が決定される。ということはつまり、デア・シュピーゲルの責任者達は誰一人として、フレシャウアー記者の書いた記事のステレオタイプな内容に気づかなかった。だからその記事は世の中に出た、ということになる。

それは偶然だろうか?・・・僕にはとてもそうは思えない。

考えられるのは、欧米では今でもよく指摘されることだが、ドイツ人の中にどす黒く沈殿しているごう慢な優越意識が彼らを支配して、皆が集団催眠状態に陥ってしまった。そのために記事の重大な誤謬が誤謬とは見なされずに表に出た。あるいは、彼らの全員が記事の誤謬を充分に知っていてあえて、つまり「わざと」それを世に問うた。もしそうだとするなら、ドイツ国民(読者)の中にヒトラーの選民思想につながる前述の優越意識があり、その要求に従ってジャーナリストたちは記事を発表したという考え方もできる。読者の読みたい内容を意識的に或いは無意識のうちに提示することが多いのが、メディアのアキレス腱の一つだ。

もし本当にそこにナチスの過去の魁偉に直結するようなものがあったとしたら、それはまず誰よりもドイツ国民にとってマズイことである。なぜなら、ドイツを除く欧米各国の国民は、アウシュヴィッツの惨劇とナチスの極悪非道な振る舞いを、今もって微塵も忘れてはいないのだ。それはヨーロッパやアメリカに住んでみれば誰でも肌身に感じて理解できる、いわば欧米の良心の疼きである。開かれた文化文明を持つ西洋人は、ナチスの台頭を許してしまったドイツ人の過去の「誤り」を許すつもりでいて、ドイツ国民に対してそのように振る舞っている。が、誰一人としてその歴史事実を忘れてなどいない。

イタリア人の場合はなおさらだ。彼らにはヒトラーと手を結んだムッソリーニを有した歴史がある。最終的にはイタリアはドイツと袂を分かち、あまつさえ敵対してナチスの被害を受けたが、初めのうちはナチスと同じ穴のムジナだった、という負い目がある。だから彼らは他の欧米諸国民よりもドイツ人に対して寛大である。彼らが過去に数え切れないほど起きた、ドイツメディアのイタリアへの皮肉や非難やステレオタイプに常に鷹揚に対してきたのもそうした背景があるからである。しかし、イタリア国民の多くは今回のデア・シュピーゲルの記事に対しては激しく反論し、今も反発している。これまでとは何かが違っている。それは恐らく今ヨーロッパに大きな影を投げかけている財政危機とも関係がある。

が、それでなくても、アウシュヴィッツの非道を人々に繰り返し思い起させるような行動は、ドイツにとっては少しも良いことではない。なぜなら人々はその度に、ドイツ人が未だにナチスそのものでありアウシュヴィッツの悪魔である、という巨大なステレオタイプにとらわれて、あっさりと過去に引き戻されて盲信してしまうことが多いからである。

それはドイツ国民が戦後、自らの過ちを認め、謝罪し、ナチスの悪行を糾弾し続けて世界の信頼を徐々に取り戻してきた、自身の必死の努力をご破算にしてしまいかねない、愚かな行為以外のなにものでもない。

 

 

スケベで嘘つきで怠け者のイタリア人?


【加筆再録】

 


世界の24時間衛星放送局の報道も、新聞に代表される紙媒体も雑誌も、そしてネットも、依然としてヨーロッパの財政危機問題で埋めつくされている。ヨーロッパ経済が沈没すれば、この地球上のあらゆる国や地域がその影響をもろに受けるのは火を見るよりも明らかだから、世界中のメディアが騒ぎ立て、議論百出して紛糾するのは当然である。

 

中でも当事者であるEU諸国のそれはかしましい。そしてそのEUの中でも、ギリシャと共に危機の元凶みたいに見なされてしまったここイタリアでは、高名な経済学者や財務官僚や金融アナリストや銀行トップや大投資家などが、メディアの要請に応じて理路整然とした数字の理屈や高邁な考察や主張を、これでもかこれでもかとばかりに連日連夜開陳している。

そうした中で、経済も数字もゆるく見えかねない自分の意見を言ったり書いたりするのは不謹慎に映りそうで気が引けるが、経済でさえ断じて数字やファンダメンタルズや理論だけで動くものではないから、僕は僭越を承知であえて人間存在の本質、つまり感情という不透明で面倒でやっかいなものに引き摺(ず)られることが多い不思議にこだわって、記事を書き続けて行ければと考えている。

僕は日本人だが、イタリア的な軽さと寛大と明朗を愛し、できれば彼らに倣(なら)いたい一心でここに住み、テレビ番組を作り、文章を書き、主張をしている。それなので僕の一連の悪文は、論理と数字と科学の明晰だけを愛する方々には、きっと不快なものであると思う。従ってそういう方々は読むのはここまでにして、どうか他の記事や論文や主張にページを移していただき、それらを吟味することに貴重な時間を使ってほしい、と腹の底からの誠実で申し上げておきたい。

閑話休題

先日の記事「“違うこと”は美しい」の中でチラと書いたことにも重なるが、イタリア人(特にイタリア男)のイメージの一つに「スケベで怠け者で嘘つきが多く、パスタやピザをたらふく食って、日がな一日カンツォーネにうつつを抜かしているノーテンキな人々」というステレオタイプ像がある。ここではその真偽について、僕なりの考えを少し述べたい。

イタリア人は恋を語ることが好きである。男も女もそうだが、特に男はそうである。恋を語る男は、おしゃべりで軽薄に見える分だけ、恋の実践者よりも恋多き人間に見える。

ここからイタリア野郎は、手が早くてスケベだという羨ましい(!)評判が生まれる。しかも彼らは恋を語るのだから当然嘘つきである。嘘の介在しない恋というのは、人類はじまって以来あったためしがない。

ところで、恋を語る場所はたくさんあるけれども、大人のそれとしてもっともふさわしいのは、なんと言っても洒落たレストランあたりではないだろうか。イタリアには日本の各種酒場のような場所がほとんどない代わりに、レストランが掃(は)いて捨てるほどあって、そのすべてが洒落ている。なにしろ一つ一つがイタリアレストランだから・・。
 
イタリア人は昼も夜もしきりにレストランに足を運んで、ぺちゃクチャぐちゃグチャざわザワとしゃべることが好きな国民である。そこで語られることはいろいろあるが、もっとも多いのはセックスを含む恋の話だ。実際の恋の相手に恋を語り、友人知人のだれ彼に恋の自慢話をし、あるいは恋のうわさ話に花を咲かせたりしながら、彼らはスパゲティーやピザに代表されるイタリア料理のフルコースをぺろりと平らげてしまう。
 
こう書くと単純に聞こえるが、イタリア料理のフルコースというのは実にもってボー大な量だ。したがって彼らが普通に食事を終えるころには、二時間や三時間は軽くたっている。そのあいだ彼らは、全身全霊をかけて食事と会話に熱中する。どちらも決しておろそかにしない。その集中力というか、喜びにひたる様というか、太っ腹な時間のつぶし方、というのは見ていてほとんどコワイ。
 
そうやって昼日なかからレストランでたっぷりと時間をかけて食事をしながら、止めどもなくしゃべり続けている人間は、どうひいき目に見ても働くことが死ぬほど好きな人種には見えない。

そういうところが原因の一つになって、怠け者のイタリア人のイメージができあがる。
 
さて、次が歌狂いのイタリア人の話である。

この国に長く暮らして見ていると、実は「カンツォーネにうつつを抜かしているイタリア人」というイメージがいちばん良く分からない。おそらくこれはカンツォーネとかオペラとかいうものが、往々にして絶叫調の歌い方をする音楽であるために、いちど耳にすると強烈に印象に残って、それがやたらと歌いまくるイタリア人、というイメージにつながっていったように思う。

イタリア人は疑いもなく音楽や歌の大好きな国民ではあるが、人前で声高らかに歌を歌いまくって少しも恥じ入らない、という質(たち)の人々では断じてない。むしろそういう意味では、カラオケで歌いまくるのが得意な日本人の方が、よっぽどイタリア人的(!)である。
 
そればかりではなく、スケベさにおいても実はイタリア人は日本人に一歩譲るのではないか、と僕は考えている。

イタリア人は確かにしゃあしゃあと女性に言い寄ったり、セックスのあることないことの自慢話や噂話をしたりすることが多いが、日本の風俗産業とか、セックスの氾濫(はんらん)する青少年向けの漫画雑誌、とかいうものを生み出したことは一度もない。

嘘つきという点でも、恋やセックスを盾に大ボラを吹くイタリア人の嘘より、本音と建て前を巧みに使い分ける日本人の、その建て前という名の嘘の方がはるかに始末が悪かったりする。
 
またイタリア人の大食らい伝説は、彼らが普通一日のうちの一食だけをたっぷりと食べるに過ぎない習慣を知れば、それほど驚くには値しない。それは伝統的に昼食になるケースが多いが、二時間も三時間もかけてゆっくりと食べてみると、意外にわれわれ日本人でもこなせる量だったりする。
 
さらにもう一つ、イタリア人が怠け者であるかどうかも、少し見方を変えると様相が違ってくる。

イタリアは自由主義社会(こういう言い方は死語になったようでもあるがイタリアを語るにはいかにもふさわしい語感である。また自由主義社会だから中国を排除する)で、米日独仏につづいて第5番目か6番目の経済力を持つ。IMFの統計ではここのところブラジルの台頭が著しいが、イタリアはイギリスよりも経済の規模が大きいと考える専門家も少なくない。言うまでもなくこれには諸説あるが、正式の統計には出てこないいわゆる「闇経済」の数字を考慮に入れると、イタリアの経済力が見た目よりもはるかに強力なものであることは、周知の事実である。
 
ところで、恋と食事とカンツォーネと遊びにうつつを抜かしているだけの怠け者が、なおかつそれだけの経済力を持つということが本当にできるのだろうか?
 
何が言いたいのかというと・・

要するにイタリア人というのは、結局、日本人やアメリカ人やイギリス人やその他もろもろの国民とどっこいどっこいの、スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎に過ぎない、と僕は考えているのである。

それでも、やっぱりイタリア人には、他のどの国民よりももっともっと「スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎」でいてほしい。せめて激しくその「振り」をし続けてほしい。それでなければ世界は少し寂しく、つまらなく見える。

 

ローマの雪と猿と郷愁(?)と・・



今日もはらはら、ひらひらとうすい小さな綿のような雪が舞い落ちている。

 

僕の書斎兼仕事場から見下ろすブドウ畑には、雪が厚く敷きつめられて、冬枯れたブドウの木が白い大地に突き立てられたように整然と並んで広がっている。

 

今のところ、ブドウの木々をおおい隠すほどの雪は降りそうにない。アルプスから遠くない村にあるわが家の周りには、ひんぱんにではないがドカ雪が降ってけっこう難渋することがある。

 

実際にイタリアの各地で大雪が降って、交通機関の混乱にはじまる困難や被害が広がっている。それなのに北イタリアにあるわが家の一帯には、ほとんど雪の影響は出ていないのである。

 

美しいと思えるほどの雪ならいいが、イタリアのほかの地域や新潟をはじめとする北日本の大雪などは、つらい。

 

わが家のあたりは、北陸や東北のように豪雪に見舞われる不運は起こりにくい。アルプスや前アルプスの山々が盾になって、雪雲の南下を絶つからである。

 

それでも時どき往生するような積雪がある。今がその時かと身構えているのだが、何度も言うように大雪になりそうな気配がない。南イタリアなども雪に手を焼いている日々なので、アルプスの山を望む北イタリアの村にいる自分は、ちょっと不思議な気分がするのである。

ローマも雪で難儀をしている。

 

イタリアきっての高級紙(全国紙)「Corriere della Sera(コリエーレ・デッラ・セーラ)」は昨日、古代ローマ帝国の戦士の甲冑を着た大道芸人が、雪に煙るコロッセオを背景にとぼとぼと歩いて帰宅する様子の写真と共に、首都の雪害を一面トップで報じた。

 

観光客を相手に商売をする写真の大道芸人は、まるで(チクショー、商売あがったりだ、バカ雪め!)とでもつぶやきながら、仕事場の観光スポットを後にしているように見えて秀逸。

 

同紙は一面トップから3ページに渡って、大雪によるローマのてんやわんやを伝えているが、掲載された写真がどれもこれも面白い。

ローマの大通りでスキーをする男や、二人の女性が、雪をものともしない足肌の露出したエレガントなハイヒールを履いて、トレビの泉の前を歩く姿など、ただの雪景色ではないユーモラスな絵が多い。

 

その中でももっとも僕の気を引いたのは、ローマの動物公園の日本猿の姿。

降りしきる雪の中、頭に綿帽子をかぶって木の枝に「ひとり」チョコンと座っている。

どう見ても
1匹ではなく「ひとり寂しく」という感じ。

そして、

(もし日本なら大勢の仲間といっしょに温泉に浸かれるのになぁ)


とでもつぶやいているような・・


でも、


実際にそうつぶやいたのは、僕だったのである。


日本から遠く離れたローマの動物公園で、たったひとり(写真だけを見れば)寒そうに座ってこちらを見つめている猿君は、断じて猿なんかではなく「ひとりの同胞」(笑)としてしか僕の目には映らなかった・・



荒ぶる雪景色の情緒



イタリアも日本同様に大雪に見舞われている。交通機関がマヒし大きな被害が出ている。

 

北イタリア・ロンバルディア州の片田舎、わが家のあるフランチャコルタ地方は、一昨日から間断なく降りつづけている雪であたり一面が白銀のパノラマに変わった。

 

他の地方に比べてフランチャコルタには降雪は遅く来た。その代わりに最低気温が氷点下10度近くに留まる寒い日が続いていたのである。

 

おととい始まった雪降りは、始めは無風状態の中のこな雪だったが、間もなく無数の白蝶が踊るかと見まがう、わた雪に変わって積もり始めた。

 

今は、少しの風に押されてわずかに横に乱れ舞う、つぶ雪が降りしきっている。言葉を換えれば、少し横なぐりに落下しつづける細雪(ささめゆき)。谷崎潤一郎の世界・・

 

こう書きながら、雪の風情を想いはじめた。雪の風情とは、雪にまつわる言葉の風情と考えることもできる。雪を表す日本語は秋言葉をはるかに凌ぐほど数が多い。

 

新沼謙治という演歌歌手の歌に、7種類の津軽の雪を愛でたフレーズがあるが、それは太宰治の小説「津軽」に出てくる雪の名称である。即ち:こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪、かた雪、ざらめ雪、こおり雪の7つ。

 

7種類でもずいぶん多いようだが、降雪と積雪に大別される雪の呼称は、実は7種類どころではないのである。文学的な表現を加えれば、数え切れないと言いたくなるほど数が豊富である。

 

今思い出すだけでも7つのほかに新雪、もち雪、ぼたん雪、みぞれ雪、はい雪、あわ雪、大雪、垂(しず)り雪、べた雪、うす雪、しら雪、にわか雪、み雪、忘れ雪・・etc、etc

と枚挙にいとまがない。

 

だが秋言葉などと同じで、雪を表す言葉もイタリア語には多くない。イタリア語に限らず欧米語の常である。

 

言葉の乏しさは現実の光景にも影響を与えずにはおかない。それはもちろん人間心理の綾(あや)が投影されたもので、自然そのものは何も変わらない。しかし、雪言葉の少ないこの国で見る雪には、風情がそれほどないように感じるのも又事実なのである。

そう感じるのは恐らく、今ここで言葉あそびをしている僕のような人間の、ちょっとゆがんだ感覚がなせるわざに違いない。ペダンチックと言うと少し大げさだが、日本語の多くの雪言葉を通して、いま降りしきっている雪を見ることから来る気取り、くさみ、しったかぶり・・のようなもの。


そこで、

懸命に邪念を振り切って、ありのままの雪景色を見つめようと気持ちを集中してみる。すると、まだドカ雪にならない一帯の白い眺望は、やはり美しく、それなりの深い感慨を見る者に抱かせずにはおかない。

 

静かに降りしきるつぶ雪は、わが家の庭とブドウ園にあるエノキとシナノキにまるで樹氷のような白い大輪の花を咲かせている。

 

綿帽子をかぶった家々の屋根を見下ろしてそびえる巨木の雪の花は、樹氷のようなきらめきや輝きはないものの、イタリアの自然らしく男性的に荒く、雄雄しく咲き誇っている。

 

巨大な雪の花の間に遠景をのぞかせるはずの標高およそ2千メートルのカンピオーネ山は、今日は雪煙の彼方に消されて見えない。そのさらに先に望めるアルプスの山々ももちろん視界には入ってこない・・

 

閑話休題

 

僕は庭の大木たちをエノキにシナノキと書き記しているが、それらの木はイタリア語ではそれぞれ「bagolaro」に「tiglio」と言う。辞書で調べると、それぞれエノキとシナノキ(フユボダイジュとも)となるが、実はシナノキは日本特産の木である。従ってその木の名称はホントは西洋シナノキ、とでも呼ぶべきものではないか、と僕は勝手に考えたりもしている。

 

ついでに言えば、bagolaro(エノキ)は別名spaccasassi(スパッカサッシ)つまり「石割木」という。その名前は、荒涼とした山の岩盤などを突き破って育つ、ド根性幼木をも連想させて僕はとても好きである。

 

 

 


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