【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2012年06月

にわか旅



今日、これからプーリア州のガルガーノへ移動する。車で。

 

ガルガーノはイタリア半島のかかとの反対側(北)にあるコブのような小半島。

 

あるいはブーツの足首の裏にあたる附近。

 

1週間の「短い」バカンス。海際のバンガロー・コテージで過ごす。

 

毎年6月、最低でも2週間は休むが、今年は忙しくて無理。

 

さんざん迷って、なんとか1週間取れた。でも仕事が残ったのでPCを持って行く。

 

普通は絶対にそういうことはしない。休みにはPCも休み。

 

ま、持って行けば必ず使いたくなるから、気が向けばブログも更新するかもしれない。

 

と、そういう風に流れ勝ちだから、休みにはきっぱりとPCとおさらばするのだけれど。

 

行き先をガルガーノに決定するまでに、トルコのアンタルヤにするかギリシャのコルフ島かとさんざん迷った。

 

結局、時間切れでうまく旅程が立てられず、イタリア国内のガルガーノへ。

 

ツー訳で、

 

ガルガーノから顔出しできない場合は、7月に会いましょう。

 

チャオ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!


おいしい君府と世界の料理~世界料理の四天王「仏・土・伊・中華」の中でもっとも美味しいのは日本料理だ!~


前の記事<ワンダーランド「君府」の魅力-その光と影->で書きそびれたイスタンブールのもう一つの大きな魅力は、食のことである。


トルコ料理は美味しい。しかもバラエティ豊かで見た目も楽しく値段も手頃だ。

特に僕の大好きな子羊料理がいたるところで食べられるのは嬉しかった。子羊の肉の塊を回転させながらじっくりと焼き上げ、店頭で削ぎ落として客に提供するドネルケバブは圧巻。

イスタンブールの街中には「ロカンタ」と呼ばれる料理屋がそこかしこにあって、ありとあらゆる料理が並べられ展示されている。

客は自分の食べたい料理を一つ一つ指示する。肉や野菜やヨーグルト他の乳製品などが素晴らしいレシピで味付けされて、美味しく嬉しく楽しい。言うことなしの体験ができる。

ロカンタで食べたものの全てが美味しかったが、特に驚いたのは米料理。PILAV(ピラウ)と呼ばれる「ご飯」には目をみはった。ぶっちゃけ、ご飯料理は日本食が一番と思い込んできたが、ピラウを食べて考えが変わった。ご飯料理は日本とトルコが一番!・・と。

また、世界遺産カッパドキアで食べた「壷焼きケバブ」は、多種類の野菜と肉(豚肉だけ無し)を小さな壷に密閉して、ピザなどを焼く大窯に入れてじっくりと炙り煮る。料理法の面白さに加えて、抜群の味の良さがびっくりの絶品料理だった。窯から取り出した壷を、トルコ刀などの伝統具で、仕上げに客に割らせて中身を取り出す手法も楽しい。

ところで

世界三大料理とは「中華、フランス、トルコ」の三件という説と「中華、フランス、イタリア」の三件という主張があるが、それならいっそ世界料理の四天王「中華、フランス、トルコ、イタリア」とまとめた方がすっきりして分かりやすいのではないか。

しかし、世界三大料理とか世界四天王料理とかの定義や、規定や、定説などというものは存在しない。それはあくまでも『日本人にとっての』世界三大料理であり世界四大料理のことである。

日本人が特に好きな「三大~」というくくり方は、言うまでもなく徳川御三家という考え方に由来している。また四天王というまとめ方が、仏教の4守護神にまつわるものであるのも周知のことである。徳川も、4守護神をたとえ話にする手法も、ひたすら日本独自のもの。世界の誰も分からない。

ところで、日本人が勝手に、(たぶん)遊び心で決めている世界三大料理や世界料理の四天王の中に、当の日本料理が加わっていないのは、一体どうした訳だろうか?

味も種類も見た目の美しさも何もかも、日本料理は世界三大料理や世界四天王料理に匹敵する。いや、凌駕する、と僕は個人的には思う

日本料理に唯一欠けているものがあるとすれば、世界での知名度くらいのものではないか。だが、それとて、もはや過去の話である。今どき日本料理を知らない世界の料理好きがいるなら、その人は“もぐり”である。と、言っても良いくらいに日本食は世界中で人気を博している。

という訳で、僕の考える世界の三大料理とは、ランク順に:
[
日本料理、イタリア料理、中華料理]である。

世界の料理四天王とは、ランク順に:
[
日本料理、イタリア料理、中華料理、トルコ料理]である。

申し訳ないが、フランス料理はこの後の世界五大料理に顔を出すのみだ。フランス料理には何の恨みもない。同料理の「こってり感と気取り感」が、個人的には5番目くらいに好き、というだけの話である。

またまたチョー個人的でどうでもいいことだが、僕はこれまでに実際に食べてみた世界料理の中では、六大料理というくくりを持っている。

いわく、やはりランク順に:
[
日本料理、イタリア料理、中華料理、トルコ料理、ギリシャ料理、フランス料理]である。

あれ?フランス料理は6番目になってしまった・・

この先もあちこちの国の料理を食べるつもりだが、そうしているうちに僕の中に将来、世界七大料理という「七つの海」みたいな、あって無いような或いはあってもそれぞれ意味が違うような、要するにひと言では片付けられない、美味しいものの大海原ができる日がとても楽しみである。


シチリア島・トラパニ市長の「オメルタのすすめ」



先日、イタリア・シチリア島トラパニ市の新市長に選ばれたヴィト・ダミアーニ氏が「マフィアについてはあまりしゃべらない方が良い。マフィアにこだわり過ぎることで青少年が恐怖心を抱くことになり、教育上良くない」と発言して物議をかもした。

新市長の表明は、反マフィアのシンボルであるジョヴァンニ・ファルコーネ判事が、シチリア島のカパーチでマフィアに爆殺されてからちょうど20年の節目を意識してのものだった。それに対してイタリア中から強い非難が湧き起こったのである。


1992年5月23日17時58分、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される)のスピードで走行していたジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がった。

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、500kgの爆薬を炸裂させた瞬間だった。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えた。マフィアはそうやって彼らの敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去った。

それから20年後の先月5月23日、イタリア各地から集まった
2500人の学生を乗せた2隻の大型客船が、シチリア島パレルモ港に着いた。学生らはマフィア撲滅の為に戦って命を落とした、ファルコーネ判事を讃えまた記念するために行動を起したのである。若者らのアクションに代表されるそうした「反マフィア」あるいは「マフィア撲滅」キャンペーンが、判事の死後20年という節目の今年はイタリア中で多く計画されている。

特に
犯罪組織のお膝元のシチリア島では、マフィア排撃の気分がどこよりも濃く充満している。トラパニ市長のおどろきの主張は、そのさ中に突然行なわれたのだった。多くの人々はそれを、マフィアを擁護するにも等しいトンデモ発言と捉えた。

マフィアには周知のように『オメルタ(沈黙)』という鉄の掟がある。組織のことについては外部の人間には何もしゃべってはならない。裏切り者はその家族や親戚や果ては友人知人まで抹殺してしまう、というすさまじいルールである。

オメルタは、犯罪組織が島に深く巣くっていく長い時間の中で、マフィアの構成員の域を超えて村や町や地域を巻き込んで巨大化し続けた。容赦ない掟はそうやって、最終的には
シチリア島全体を縛る不文律になってしまった。

シチリアの人々はマフィアについては誰も本当のことをしゃべりたがらない。しゃべれば報復されるからだ。報復とは死である。人々を恐怖のどん底に落とし入れる方法で、マフィアはオメルタをシチリア島全体の掟にすることに成功した。

しかし、恐怖を与えるだけでは、マフィアはおそらくシチリアの社会にオメルタの掟を深く植えつけることはできなかった。シチリア人が持っているシチリア人としての強い誇りが、不幸なことにマフィアへの恐怖とうまく重なり合って、オメルタはいつの間にか抜き差しならない枷(かせ)となって人々にのしかかっていったのである。

ファルコーネ判事に代表される反マフイァ活動家たちが目指してきた「マフィア殲滅(せんめつ)のシナリオ」の一つが、このオメルタの破壊である。いや、オメルタの打破こそ判事が目指した最大の目標だったと言ってもいいだろう。彼はそれに成功を収めつつあった。だからマフィアの反撃に遭って殺害されたのである。

「犯罪組織マフィアとは一体何か」と問われたなら、僕はためらわずにこう答えるだろう。「マフィアとはシチリア島そのもののことである」と。もちろんそれはシチリアの島民の全てがマフィアと関わっているという意味ではない。それどころか彼らは世界最大のマフィアの被害者であり、誰よりも強くマフィアの撲滅を願っている人々である。
 
シチリア人は
独立志向の強いイタリアの各地方の住民の中でも、最も強く彼らのアイデンティティーを意識している人々である。それは紀元前のギリシャ植民地時代以来、ローマ帝国、アラブ、ノルマン、フランス、スペインなどの外の力に支配され続けた歴史の中で培われた。列強支配への反動で島民は彼ら同志の結束を強め、かたくなになり、シチリアの血を意識してそれが彼らの誇りになった。

シチリアの血を強烈に意識する彼らのその誇りは、犯罪のカタマリである秘密結社のマフィアでさえ受け入れてしまう。いや、むしろそれをかばって、称賛する心根まで育ててしまうことがある。なぜならば、マフィアもシチリアで生まれシチリアの地で育った、シチリアの一部だからである。

かくしてシチリア人はマフィアの報復を恐れて沈黙し、同時にシチリア人としての誇りからマフィアに連帯意識を感じて沈黙するという、巨大な落とし穴にはまってしまった。

僕はさっきマフィアとはシチリア島そのものである、と言った。それはシチリア島の置かれた特殊な環境と歴史と、それによって規定されゆがめられて行った、シチリアの人々の心のあり方を象徴的に言ったものである。
 
もう一度自分の言葉にこだわって言えば、マフィアとはシチリア島そのものであるが、シチリア島やシチリアの人々は断じてマフィアそのものではない。島民の全てがマフィアの構成員でもあるかのように考えるのは、シチリア島にはマフィアは存在しない、と主張するのと同じくらいにバカ気たことである。

シチリア島をマフィアの巣窟たらしめている、オメルタの超ど級の呪縛と悪循環を断ち切って、再生させようとしたのがファルコーネ判事であり、彼に続く反マフィア活動家の人々である。20年に渡る彼らの運動は少しづつ奏功しているように見える。それは判事の死後トト・リーナ、ジョヴァンニ・ブルスカ、ベルナルド・プロヴェンツァーノなどのマフィアの大幹部が次々に逮捕されて、犯罪組織への包囲網が狭まっていることからも推測できる。

トラパニ新市長の発言を良いように解釈すれば、ファルコーネ判事の死から20年が過ぎたことを機に、マフィアにこだわるばかりではなく未来志向で生きて行くことも大切だ、という意味合いがあったのかもしれない。しかし、マフィアが未だ壊滅していないシチリア島の厳しい現実を見れば、それはやはり「オメルタの推奨=マフィアの擁護」と見られても仕方のない非常識な物言いというべきであろう。

 

 

 

ヨーロッパカップがまたやって来た!


日本でユーロ杯などとも呼ばれる、4年に1度のサッカーの一大イベント、欧州選手権が始まった。

 

見所はたくさんあるが、一番大きいのは前回優勝のスペインが連続優勝できるかどうか、という点ではないか。

 

なにしろスペインは2008年の欧州選手権で2回目の優勝を果たし、その勢いに乗ったのでもあるかのように2年前のワールドカップも制した。それは同国にとって初めてのW杯制覇だった。

 

もしもスペインが今回のユーロ杯でも頂点に立つなら、それはW杯と欧州杯を跨(また)いで3連続優勝を遂げる初のチームとなる。

 

そんな快挙はW杯4回優勝のイタリアや3回制覇のドイツも経験がない。

 

しかし、スペインチームが興味をそそるのは、優勝回数のみにあるのではない。

 

華麗なパス回しで相手を翻弄する競技スタイルがすばらしいのだ。高いテクニックとチームワークと美意識に裏打ちされた見ごたえのあるプレーの数々が魅惑的。

 

美意識というのはあるいはここではそぐわない言葉かもしれない。しかし、サッカーの歴史始まって以来最高の、と言っても過言ではない、正確で迅速で意表を突く選手たちのボール回しの技術は、見ていてため息が出るほどの美しさだから、僕はあえて「美意識」と表現したいのである。

 

残念ながら僕が応援しているイタリアチームは、今のところスペインには敵わないと断言しても良いだろう。

 

歴史的に見れば、ワールドカップの優勝回数4回と1回から判断して、イタリアがスペインに勝っているとも考えられる。

 

しかし、2006年にイタリアがW杯を制して以降は、目の覚めるようなパス回しを武器に2008年ユーロ杯、2010年W杯と連続優勝したスペインの後塵を拝しているのがイタリアの実情だ。

 

2国間の力の差は何か。

 

僕の勝手な考えでは:「スペインには3人のピルロがいる」から、ということにつきる。

 

アンドレア・ピルロ選手はイタリアチームの司令塔であり肝心要(かんじんかなめ)の偉大なプレーヤーである。2006年W杯のイタリア優勝の立役者も彼だ。

 

アンドレア・ピルロの真骨頂は正確無比なパス回し。そしてスペインには彼に匹敵する華麗なテクニックを持つ選手が3人いる。

 

即ち、シャビ、イニエスタ、ファブレガスの3選手である。このうちファブレガスは実績の点で少し劣るかもしれない。でも1対3じゃイタリアに勝ち目はないのが当たり前だ。

 

若い選手の集まるドイツの活躍いかんも見所の一つ。

 

ドイツはイタリアと共に長く欧州サッカーを引っ張ってきたが、沈滞期に入っているイタリアとは対照的に、プレースタイルの変革と選手の若返りを見事に成功させて、さらに強くなったように見える。

 

ま、波乱が多いのが欧州杯なので迂闊なことは言えないけれど、順当ならば7月1日の決勝戦ではドイツがスペインにぶつかる、というのが衆目の一致するところではないだろうか。

 

もしそうなった時は、どちらが勝つかは神のみぞ知るだが、ラテン的軽快が好きな僕としては、やっぱりスペインに勝ってほしいような・・

 

祭りのあと



伯爵本家でのイベントが終わった。

 

巨大な虚無感だけが残った。

 

悪い人ばかりではないが、家系や富を拠り所に自らの存在の優越を信じているらしい者を見ると、疲れがどっと僕を襲う。

 

そして問題は、イベントそのものが優越意識に基づいた催し物であるために、少数の「悪い人ではない人々」まで呑みこんで、見るに耐えないスノビズムの巣窟になってしまうことだ。

 

そういうイベントのために館を開けるのは今後一切やめようと家族に話した。

 

虚栄心だけで生きている妻の老いた叔母の存在、という障害はあるが、方向性だけははっきりとしておきたいと考えたのである。

 

慈善事業や地域の為になる行事には、これまで通り積極的に参加し、協力する。

 

しかし、虚飾に満ちた時代錯誤な祭りや、集会や、パーティーには参加もしないし協力もしない。

 

妻も子供たちも僕のその基本的な考えに賛成してくれた。義母も承知している。

 

見栄っ張りの84歳の叔母が亡くなると同時に伯爵家はそういう道を行くだろう。

 

時代は完全に変わったのである。

 

僕は共産主義者でもなければ革命思想の持ち主でもない。普通の感覚を持った一市民である。

 

その一市民の感覚では、人は家系や富や血筋で価値が決まるのではなく、一人ひとりの個人の独立した「在り方」つまり「人となり」によって価値が決まる。

 

特権が自らの存在証明だと勘違いしているような人間には、その普通の市民感覚が分からない場合が多いから、品性が下劣になる。

 

伯爵家を会場にして行なわれたイベントには、悪くない人々、つまり人となりのまともな人々ももちろんいた。

 

そんな人々とは、縁があれば今後も付き合いを願いたい、と考えているのは言うまでもないことである。

しかし、

できればそういう皆さんとは、空虚なイベントの場ではなく、普通の日常の中で普通の出会いをしたい、というのもまた僕の正直な気持ちなのである。

 

 

ガルダ湖畔の社交祭



今日6月8日、ガルダ湖の伯爵本家で行なわれる晩餐会には、ミラノの有名クラブ「クルビーノ」と「ウニオーネ」の会長夫妻も参加するらしい。

 

クルビーノはミラノというより恐らくイタリアで最も知られたクラブ。

数年前に現ベネトン社長のアレッサンドロ・ベネトンさんの入会を拒否してニュースになった。


クルビーノに入会を拒否された著名人は彼を入れて58人目だったそうだ。

クラブがなぜそうした有名人の入会を拒否するのかというと、会の基準ではそれらの人々が「まだ成金の域を出ていない」から。

いろいろともっともらしい理屈を言うが、結局それが本音。

スノビズムの面目躍如。俗物根性真骨頂(笑)。

ベネトンさんのずっと以前には、確か前首相のベルルスコーニさんも入会を拒否されている。僕はそのことについて雑誌に記事を書いた覚えがある。


ところが掲載された雑誌も原稿も見つからない。


PCどころかワープロもなかった頃の僕の手書きの原稿は多くが紛失している。僕はワープロを飛び越してPCを使い出したが、それはつい最近のことである。


そこでインターネットなどを少し当たってみたが、これまでのところベルルスコーニさんが入会を拒否された事実を書いた資料が見当たらない。つまり、事実関係がはっきりしない。


はっきりしないことをあえてこうして書こうと決めたのは、クルビーノという100年以上の歴史を持つ社交クラブの気骨というか、格式というか、はたまた気取り・スノビズムというか・・見方によって変わる存在感が面白いと思うからである。


600名前後のメンバーがいるとされるクルビーノは、それよりもさらに古いミラノの社交クラブ「ウニオーネ」から派生した。

ミラノ・ロンバルディア州の支配・権力階級はもちろん、フィアット創業者のアニエィッリなどイタリア各地の権勢家も会員になっている。


クルビーノは現在ではウニオーネを凌ぐ名声を備えたクラブ。ま、いうならば「青は藍より出でて藍よりも青し」を地で行く華のある社交団体、結社である。

 
今夜の伯爵家には、そんな著名クラブからはじまって、イタリア各地方の有力クラブの会長夫妻と、ブレッシャ県の最有力クラブ「チルコロ・アル・テアトロ」の会員の一部が一堂に会する。

合計200名前後の参加が見込まれている。

湖に面した前庭で食前酒が提供された後、邸内での晩餐会。


僕はイタリア本土のナポリ以南の皆さんと、シチリア島やサルデニア島の皆さんと会うのが楽しみ。


僕は南イタリアと南イタリアの人々が好きなのだ。


僕の独断と偏見によれば、南イタリアには明るくて飾らず、かつ丁重な物腰の人が多いと感じる。


つまりに日本人に近い物腰の人々・・

 

慈善も偽善もある、フツーの日々の。



日曜日のコンサートにはウーゴ神父が出席した。

 

おかげで聴衆の数が予想以上に多くなり、立見席も出た。

 

しばらくぶりに会うウーゴさんは、やはり少し年を取っていた。

 

体調が悪いのも影を落としているのだろうが、88歳という年齢は争えない。

 

それでもウーゴさんはコンサートの終わりにマイクを持って人々に話しかけた。

 

息を切らしながらも、ぜひ貧しい子供たちと不運な人々の存在を忘れないで下さい、と熱く訴えかけた。

 

そこには、わが身を顧みずに行動してきた男の、いつもの静かなカリスマが漂っていた。

 

僕のような俗人の心も動かす慈善イベントは、そうやって今回も人々の誠意に包まれて終了した。

 

が、

 

来たる金曜日には、僕の気を重くするもう一つのイベントが、ガルダ湖畔の伯爵本家で開かれる。

 

イタリア全国の社交クラブの会長とその夫人が一堂に会する行事。言いたくないが、きっと慈善よりも偽善が先行する催し物。

 

亡くなった伯爵家の家族のつながりで、邸宅の開放を頼まれて断りきれずに受けたもの。

伯爵家には慈善事業とは関係のないそんなイベントもしばしば舞いこむ。

 

僕は俗人だが、だからといってスノブな祭りを喜ぶほどの魁偉な俗物性は持ち合わせていない。

 

だから、ひたすら気が重い。


でも、家族への義務があるから逃げない。

 
伯爵家にからむあらゆる出来事に対するときの、それが僕の行動指針。

といっても、別にえらい考えや決意があるわけではなく、どうせ逃げられないから逃げないだけ、ということなのだけれど・・


 

カテリーナも観るコンサート?



今日、6月3日はわが家で一週間遅れの慈善コンサートが開かれる。

 

慈善団体マトグロッソ主催の例年のイベント。

 

今日はバイオリン、ビオラ、チェロの弦楽器にファゴットが参加する。モーツァルト2曲+バッハ2曲+ドヴィエンヌ。

 

早朝、ウサギのカテリーナがコンサート会場の中庭にちょこんと座っていた。
 

2階から声を掛けたら、両耳だけをそばだててきょとんとしている。2階といっても、古い館のそれは普通の家の3階ほどの高さがあるので、僕の姿には気づかないらしい。

 

昨年、マトグロッソの協力を得て東日本大震災支援コンサートを開いたのもこの場所で同時期(5月29日)だった。

 

その頃カテリーナは、今はいなくなったトーボー君といつも一緒だった。

 

震災支援コンサートの日の朝もトーボー君と2匹で中庭にいた
 

寒くなると中庭にはほとんど姿を見せないが、夏が近づくとそうやって屋敷内の庭にも遊びに入って来る。どういう行動原理によるものかは分からないが、不思議で面白くて可愛い。

 

今日のコンサートにはマトグロッソの創始者であるウーゴ神父が顔を出すかもしれない。

 

88歳の神父はペルーの山中で人々に奉仕をする生活だが、
10日ほど前にイタリアに帰ってきた。来週半ばには再びペルーに発つ。

 

ちょっと体調が悪いので、コンサートへの出席は微妙だと、マトグロッソ責任者のブルーノの談。

 

ウーゴ神父は、在野のヨハネ・パウロ2世だと僕は密かに思っている。偉大な人である。

 

数年前、彼を囲む夕食会をわが家で開いた。例によってマトグロッソのブルーノが主催した。

 

30人弱の招待客から、400万円ほどの寄付が集まった。

 

それはウーゴ神父への人々の敬慕の象徴。そうした寄付金は全て南米の貧しい子供たちのために使われることを誰もが知っている。

 

他人のために生きること、人のために行動すること、無償の奉仕、無償の愛・・それは美しく、だが実行は難しい。

 

その難しい行為を自然体で軽々と、かつ真摯に続けているのがウーゴ神父。

 

それを慕って付いて行くのが、ブルーノ率いるマトグロッソのボランティアたち。

 

僕は何もできないが、わが家でのチャリティー・イベントなどで彼らと共に行動できることを誇りに思う。


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