今年の夏の慈善事業が昨日、9月29日でほぼ終わった。
昨日の仕事は正確に言えば慈善事業ではなく、伝(つて)を通して要請があった歴史的建造物保存会の人々に伯爵家を公開することだった。
夏の間は伯爵家では、慈善コンサートや展示会などの催し物のほかに、そうした社会奉仕活動がしきりに舞いこむ。主に妻がそれらの仕事をこなすが、伯爵家の家族の多くが亡くなりまた老いた今は、僕も妻の手伝いに狩り出されることが多くなった。
伯爵家にまつわるそれらの役回りは妻の義務である。妻の義務なので僕は黙って彼女に協力する。義務でなければ、おそらく事情は少し違っていただろう。
10月8日にペルーに行くことが決まった。ウーゴさんに会いに行くのだ。
ウーゴさんとは、今年88歳になるウーゴ・デ・チェンシ神父のこと。彼はマト・グロッソという慈善団体の創始者である。
彼を慕うマト・グロッソのボランティアたちは、神父さんと言う代わりに皆「ウーゴ」と彼を実名で呼ぶ。だから僕も時どき彼らにならう。
マト・グロッソには妻も僕も関わりがあって、わが家でのチャリティーコンサートなどは彼らが仕切って開催される。
昨年、わが家で催した東日本大震災支援チャリティーコンサートも、マト・グロッソのボランティアの皆さんのおかげで成功裡に終わった。
今年は、例年通り6月に南米支援の慈善コンサートを行い、ペルーからイタリアに帰国していたウーゴさんもわざわざ駆けつけてくれた。
その時に、ペルーに来ないかとウーゴさんに誘われた。僕らは喜んで行くと答えた。
問題があった。マト・グロッソの責任者のブルーノが、果たして僕ら夫婦とともにペルーに行けるかどうかがはっきりしなかった。ペルーでは主に山中で活動するマト・グロッソの施設を訪れることになる。マト・グロッソの誰かの案内がなくては難しかった。
ブルーノは妻のヴィカと共に重度の障害を持つ息子の世話をしながら仕事をし、マト・グロッソの事業にも関わっている。どこで、どのように時間が取れるかはっきりしなかった。
ところが障害を持っている息子のキーコが先日亡くなった。ブルーノ夫妻は36年振りに息子の世話から解放された。
悲しみは悲しみとして受け留めつつ、ブルーノとヴィカは息子キーコの死を淡々と見つめた。36年の苦しい年月を生き抜いた息子を誉め讃え、慈しみ、そして見送った。
そんな思いがけない展開があって、ブルーノはヴィカと共にペルー行きを決めた。36年振りの夫婦旅行だという。これまでは旅行の機会があっても、どちらか一方が必ずキーコの側にいなければならなかったのだ。
そうやって、僕ら夫婦とブルーノ夫婦の4人でウーゴさんに会いに行くことにした。
ブルーノとヴィカは僕ら夫婦よりも年上だが、とても気が合う。その上に僕は彼らの自己犠牲の精神にいつも頭が下がる思いでいる。彼らと旅行できるのは腹から嬉しい。
今回の旅にはハンディカメラを持って行くつもり。ウーゴさんとマトグロッソの活動の模様を撮影しておこうと思う。
リサーチのつもりだが、ブルーノか誰かに頼まれれば一本の作品にまとめることがあるかもしれない。カメラマンを伴なわないロケだから、たいした絵は撮れないとは思うが・・
イタリア戻りは10月26日。戻るとすぐにアメリカ・ニューヨークからの友人を迎える。ディック・ブリリア。優秀なTVディレクター兼プロデュサー。
アメリカ生まれのTV番組「どっきりカメラ」の現代版の創始者の一人である。
ニュヨークでは同僚として共に仕事をし、同時に先輩でもある彼からはずい分多くのことを教わった。
再会がとても待ち遠しい。