【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2012年10月

ディックとピーター



今、ニューヨークからわが家に遊びに来ている友人のディックはゲイである。

 

彼は先日、25年間付き合ってきた恋人のピーターと結婚した。今回のイタリア訪問はピーターを伴なった新婚旅行である。

 

僕は昨日までディックの結婚のことはもちろん、ピーターという彼のパートナーのことも知らなかった。

 

僕がニューヨークでディックと仕事をしていた頃は、彼がゲイであることはいわば公然の秘密だった。

 

秘密というのはちょっと語弊があるかもしれない。なぜならディックの「秘密」には何も暗いものはなく、また彼自身があえてゲイであることを隠している様子もなかった。

 

彼はごく自然体で生きていて、周りの人々が勝手に彼がゲイであることを察して憶測したり、噂をしたり、陰で軽く揶揄したりしている、というふうだった。

 

僕が知る限り、ディックが自らゲイであると周囲に宣言したことはなく、人々が彼にあえて「君はゲイか」と聞くこともなかった。

 

何が言いたいのかというと、要するに、そこは自由と寛容と闊達の風が吹くニューヨークである。ゲイなんて誰も問題になんかしていない、というのが真実だったと思う。

 

ディックとは25年ぶりに再会した。時どき連絡はし合うものの、なかなか会うことができずに長い時間が経ってしまった。

 

彼のイタリア訪問を知り、必ずわが家にも寄ってくれと誘った。その連絡の途中で彼が「恋人」と共にイタリア旅行をするらしいことを知った。

 

僕は気を利かせて(利かせたつもりで)、部屋は幾つ用意すればいいのか、と彼に聞いた。わが家は古い(不便な)大きな家で、部屋数が多いことは彼にも伝えてあったのである。

 

ディックは珍しく、あ~、う~、と口ごもりながら、できたら二部屋あったほうがいいかな、と電話で話した。

 

彼の要請どおりに隣り合った部屋を二つ用意した。

 

昨日午後、ディックとピーターを迎えた。妻もディックと会うのはニューヨーク以来である。

 

ディックとの再会、ピーターとの出会いを喜んでシャンパンを開けた。サラミを肴(さかな)に4人で祝杯を挙げ始めるとすぐに「実は」、とディックが切り出した。

 

今回のこの旅は新婚旅行なのだ、とディックは続けた。

 

僕ら夫婦は驚き、喜び、何度も何度も二人をハグした。ディックは僕らを驚かせるために、あえて結婚のことは話さず、部屋も二つ用意してくれと言ったのである。

 

昨日はシャンパンでの祝杯に始まり、夕食を挟んで大いに飲んだ。

 

今日は庭でバーベキューをする。

 

僕は温存している1997年物の赤ワイン、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノを開けるつもりでいる。

 

1997年物のブルネッロ・ディ・モンタルチーノは、20世紀最高のイタリアの赤ワインである。ディックの結婚にはそのワインを開けるだけの価値がある、と僕は判断したのだ!

 


ペルー旅 ~序章~             



10月末、ペルーより生還。

 

日本⇔イタリア往復と良く似た時差ぼけのまっただ中にいる。

 

心身ともに「激しい」旅だった。


入国、リマ経由フアヌコまで 


現地時間10月9日早朝、マドリードを経由してペルーの首都リマに入った。

 

想像を絶するような空港近辺の混雑、渋滞。しかしどこかで見た光景。そう、どこかで何度も見た「想像を絶するような」カオス。

 

南米、東南アジア、インド、中東、ヨーロッパ・・最近ではギリシャの首都アテネでも同様の混雑を見た。それはたいてい貧困がもたらすもの。

 

リマの気候は米フロリダや沖縄あたりに良く似ている。花々や木々にも共通するものが多いようだ。

リマに1泊後、フアヌコへ。

途中で海抜4818メートルのティクリオ峠越えがある。高山病に備えて出発前にアスピリン一錠を服用。

 

長い険しい道程を経て無事に峠を越えた。アスピリンのおかげで少しめまいを覚えただけだった。わずかに息苦しさも感じた。

 

日本やヨーロッパで海抜5000メートル近辺の山に突然登ったら問題だが、赤道に近い南半球のアンデスの山々ではインパクトが少ないのだ。

 

2100mのフアヌクで2泊後、3600メートルにあるプンチャオへ。

リマ⇔フアヌクを凌駕する厳しく険しい道。

1000m~2000mの谷底がすぐそこに口を開けている断崖絶壁の山道を、7時間もかけて移動した。

 


プンチャオからサンルイスまで

PM2時ころプンチャオ着。

人口2千余の村。

道路にはロバと犬と羊と豚が溢れている。それはリマを離れて以来ずっと集落や路上や畑地などの「あらゆる場所」で見てきた光景。

しかし、集落の中で人とそれらの動物が一心同体のように暮らしているプンチャオ村の様子はさすがに面白い。

こんな風景は、日本では極端に貧しかった終戦直後のような時代でもなかった。日本の僻地などに見えた放し飼いの動物といえば、せいぜい鶏ぐらいではなかったか?

プンチャオ村にはもちろん鶏もいるが、羊やロバ、特に豚のインパクトが余りにも大きくて、僕の目にはほとんど印象づけられないのだった(笑)。

 

2晩滞在後、サンルイスへ。

マト・グロッソの雇い運転手ホアンの運転で。

そこまでで最も険しく危険な道程。

しかしホアンの安全運転振りに安心して、ビデオカメラを回し、さらに写真も撮り続けた。撮影は好調。

三脚もない小さなハンディカメラでのロケだが、ロンドンの映画学校の学生だったころ以来の本格カメラいじり。

撮影を続けながら、自分がやはりロケが好きなんだと実感する。

しかも思うことをカメラマンに伝えるわずらわしさがなく、自らが思い、決めたままをビデオに収める。

撮影技術はカメラマンには及ばずとも、思うことをそのまま実行する爽快感がある。

 

 

準備完了、いざペルーへ



明日はペルーに向けて出発する。

 

あれこれ準備に手間取ったが、どうやら完了。

 

準備にもっとも気を遣ったのはビデオのハンディカメラ。

わざわざミラノまで出て小型のHDカメラを購入した。その際はカメラマンのステファノとピーノに見立ててもらった。

 

今はどこにでもあるハイビジョン用の小さなカメラ。でもプロ中のプロのカメラマンの二人に言わせると、セミプロ程度の価値がある、とのこと。

 

僕はディレクターだから、カメラの性能にはほとんど興味がない。

 

いや、ディレクターだからカメラの性能には興味がない、という言い方はおかしい。正確には「僕はカメラの性能にはほとんど興味がないディレクター」である。

 

ディレクターとしての僕の仕事は、一にも二にも「アイデア」をひねり出すことである。

続いてそのアイデアを映像に焼き付けることである。

 

言葉を変えれば、アイデアという抽象を映像という具象に置き換えることである。

 

ビデオカメラはその手段に過ぎない。カメラマンはその手段を活かすオペレーターである。

カメラの性能を活かし又殺すのはカメラマンの仕事だ。

そしてディレクターである僕のアイデアが無くては、カメラの性能もカメラマンの腕もクソもないのである。

僕はひたすらアイデアを考え、それを映像にする道筋を考え続ける。それがあって初めてカメラもカメラマンも存在し活きていく。

 

僕はカメラの性能にはあまり興味がない。言葉を変えれば、カメラの性能にこだわっている時間などない、というのがディレクターたる僕の正直な気持ちである。

 

ペルーでは購入したビデオカメラを自分で回すつもりだが、足手まといになるようならさっさと写真撮影に切り替えるつもり。

たとえそれがカメラの性能に疎(うと)い僕の問題だったとしても。

だって僕はカメラマンじゃないのだから。

 

ハードよりソフト、技術よりアイデア、具象より抽象を追い詰めるのがディレクターである僕の仕事だから。


日馬富士よ、必ず品格高い横綱を目指してほしい


加筆再録


9月の大半は大相撲観戦に結構時間をつぶしました。日馬富士の綱取りが成るかどうか、はらはらしながら連日テレビの前に釘付けになったのです。ヨーロッパの日本衛星放送は、大相撲の本場所中は1日3回
NHKの相撲中継を流します。最初は朝9時(日本時間16時)から日本との同時生放送。午後になってそれの録画再放映があり、さらに夜は幕内の全取組みを仕切りなしで短く見せます。

5年振りの横綱誕生劇は実に面白いものでした。僕は元々日馬富士の横綱昇進を予想していましたが、彼よりも大関把瑠都の方が先に横綱になると考えたりしていましたから、完全な見込み違いでした。それでも相撲が大好きな僕は、久しぶりの横綱誕生が嬉しい。心が躍る。双葉山、貴乃花以来の大関2場所連続全勝優勝、という快挙を成し遂げて横綱になった日馬富士は、大横綱になる可能性を秘めていると思います。しかし、少し不安もあります。

2年前、幕内最高位にいた朝青龍が「横綱の品格」を問われて引退に追い込まれましたが、日馬富士はその朝青龍を慕い、彼に可愛がられていました。僕はそこに一抹の不安を覚えるのです。新横綱は、不祥事を次々に起して前代未聞の引退劇を演じた「朝青龍とは人物が違う」とは思うのですが、日本の心の深みに疎い外国人力士のままでいると、彼の慕う元横綱の二の舞を演じることがないとも限らない。日馬富士にはぜひ朝青龍に欠けていた「横綱の品格」を身につけて大横綱への道を歩んでほしいと思います。その願いを込めて少し意見を述べます。

-横綱の品格とは何か-

横綱の品格を問われつづけた朝青龍の引退騒ぎを、僕は当時衛星放送をはじめとする日本の各種メディアを通してずっと見ていました。その中で最も大きくまた真摯な態度で騒ぎを取り上げたNHKの特集番組では、元横綱の北の富士勝昭さんややくみつるさんなど、大相撲のご意見番とも呼べる専門家たちが、横綱の品格とは結局なんなのか分からない、という話に終始していて驚きました。不思議なことでした。鏡に顔を近づけ過ぎると自分の顔の輪郭が良く見えなくなります。それと同じように、日本国内にいると日本人自らの姿が良く見えなくなるのか、とさえ思いました。

横綱の品格とは、ずばり「強者の慎(つつし)み」のことだと僕は考えます。

この「慎み」というのは、日本文化の真髄と言ってもいいほど人々の心と社会の底流に脈々と流れている、謙虚、控えめ、奥ゆかしさ、などと同じ意味のあの「慎み」です。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という格言句に完璧に示された日本人の一番の美質であり、僕のように日本を離れて外国に長く住んでいる人間にとっては、何よりも激しく郷愁をかき立てられる
日本の根源です。日本人から年々慎み深さが消えていっている、といわれる昨今「何をオメデタイことを・・」と反論する人がいるかも知れません。しかし、それは間違いです。日本人は世界の水準で測れば、今でもはるかにはるかに慎み深いのです。

朝青龍は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という日本の心が分からなかった。あるいは分かろうとしなかった。もしかすると分かっていたが無視した。そのいずれであっても同じことです。彼は日本人が最も大切にしている価値観、道徳を侮辱した。だから激しく非難されたのです。

慎みというのは実は、世界中のどの国に行っても尊敬される道徳律です。人は誰でも「実るほど頭を垂れる者」を慕う。そして実った人の多くが頭を垂れるのが世界の現実です。たとえばイタリア映画の巨匠フェリーニは、僕が仕事で会った際「監督は生きた伝説です」と真実の賛辞を言うと「ホントかい?君、ホントにそう思うかい?嬉しい、嬉しい」と子供のように喜びました。またバッジョやデルピエロなどのサッカーの一流選手も、仕事の度に常に謙虚で誠実な対応をしてくれました。頂点を極めた真の傑物たちは皆、実るほどに頭を垂れるのが普通です。「慎み」は日本人だけに敬愛される特殊な道徳律ではない。真に国際的な倫理観なのです。

相撲には、他のあらゆるスポーツと同様に我われ人間の持つ凶暴さ、残虐性、獣性などを中和する役割があります。同時に、他のスポーツ以上に、それと対極にある思いやりや慎みや謙虚も「演出すること」が求められています。

相撲は格闘技である。強ければそれでいい。慎みや謙虚などというのは欺瞞だという考え方もきっとあるでしょう。しかし相撲は、プロレスやボクシングや総合格闘技などとは違って、最も日本的な伝統と型と美意識を持つ「儀式」の側面を持つスポーツでもあります。そこでは常勝が当たり前の「強者横綱」は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という日本精神の根本を体現することを強要されます。それが相撲の文化なのです。文化ですからそれは特殊なものであり、普遍性が命の文明とは違って、特殊であること自体に価値があります。

朝青龍は優れたアスリートでした。また疑いなく大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花などの大横綱と肩を並べる存在でもありました。僕は個人的には朝青龍の明るさが好きでした。さらに言えば、土俵外での彼の奔放な行動も、多くが許せるものだったと思います。引退の直接の原因となった泥酔・暴力事件は言語道断ですが、それ以外の不祥事の多くは、破天荒な性格の彼が羽目をはずした、という程度の出来事がほとんどだったように思うのです。しかし、土俵上での態度は横綱の品格を貶めるものも少なくありませんでした。特に勝負が決まった後の動きがそうでした。

たとえば、強い横綱だった朝青龍には、せめて倒した相手にダメを押すような行為を慎んで欲しかった。勝負が決まった後の一撃は、見苦しいを通り越して醜いものでした。そしてもっと無いものねだりをすれば、倒れ込んでケガでもしたかと思うほど参っている相手には、手を差し伸べる仕草をして欲しかった。

その態度は最初は「強制された演技」でも「嘘」でも「欺瞞」でも良かったのです。行為を続けていくうちに気持ちが本物になっていく。本物になるともはや演技ではなくなり、じわりとにじみ出る品格へと変貌します。

強くて明るくて個性的な横綱朝青龍は、そうやっていつか品格高い名横綱に生まれ変わる筈でした。しかし彼は「横綱の品格」を求める多くの日本人の心性が何であるのかを少しも理解できないまま、ついに引退にまで追い込まれてしまったのでした。新横綱日馬富士がその轍を踏まないように強く願いたいと思います。 

 

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