【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2013年01月

ああ日馬富士、やったね、よかったね、未来は明るいね



昨日(1月27日)が千秋楽だった大相撲の初場所で横綱日馬富士が全勝優勝を果たした。

 

めでたい。

 

昨年、大関2場所連続全勝優勝という偉業を成し遂げて横綱になった日馬富士は、昇進後初の九州場所で9勝6敗というブザマな成績を残して非難を浴びた。

 

彼に大きな期待を寄せていた僕も失望し、疑問を抱き、批判めいた言葉も投げかけたりした。それだけに余計、今回の彼の成功を喜びたい。

 

九州場所の成績を見て一時は悲観的な気分になったこともあるが、日馬富士はやはり、既に名横綱の域に達している白鵬に追いついて、自身も歴史に残るような強い横綱になる可能性を秘めていると思う。

 

その第一の理由は、大横綱の大鵬や北の湖や千代の富士もできなかった、大関2場所連続全勝優勝という快挙を成し遂げて横綱に昇進した事実。

 

第二の理由は、横綱昇進後の場所でつまずいて大きく批判を浴びながら、直後の今場所で重圧をはねのけて優勝した精神力の強さ。したたかさ。しかも全勝優勝という文句の無い形で。

 

日馬富士は初場所の14日間は、持ち前のスピードで相手を圧倒して勝ち続けたが、千秋楽の白鵬戦ではスピードに加えて、技や戦略や知略も駆使して完勝した。

 

そのために14日間ずっと付きまとっていた不安定な感じ、ころりと負けて取りこぼしそうな感じ、軽量の悲哀、などといった彼の欠点が完全に姿を消した。

 

僕はそこに日馬富士の非凡を見る。彼は横綱昇進直前の場所の千秋楽でも、同じく白鵬と死闘を演じてこれを制した。僕はその相撲を見て彼の真の強さ、地力を確信した。

 

その後の九州場所の屈辱を経て、日馬富士は再び彼の真の強さを取り戻し、それを存分に発揮した。それが今場所の千秋楽での白鵬戦だったと思う。

 

日馬富士は間違いなく強い。繰り返して言うが、大横綱になる可能性を秘めていると思う。

 

でも不安もある。前述した先場所14日目までの相撲である。彼は14人の相手全てを持ち前のスピードで圧倒したのだが、それはいつも危なっかしい取り口だった。ハラハラさせられる戦いだった。

専門家の中にはその相撲を「負ける感じがしない」と評する人もいたが、一ファンの僕の目にはそれは、いつ取りこぼしがあってもおかしくない危うい戦いと映った。
 

速く鋭く機敏に動く取り口の力士がコケやすいのは大相撲の宿命である。スピードは不安定と表裏一体なのだ。素早い動きで相手を翻弄する相撲を取り続ける限り、日馬富士は常にその緊張とも闘い続けなければならない。

 

逆に言うと、不安定を安定に変えたとき、彼は疑いなく名横綱になる。つまり日馬富士は、大横綱白鵬を相手にここ数場所の千秋楽で見せ続けている相撲を、他の全ての力士に対しても実践できた時、ごく自然に歴史に残る横綱の域に達するのだと思う。

 

そしてそれは、そうならない方がおかしいほどにやさしいことである。

 

なぜなら日馬富士は、自分自身を除けば大相撲界で今もっとも強い横綱白鵬を、スピードとプラスαを駆使して粉砕し続けているのだから、他の力士を相手にそれができないはずがない。

 

そう、日馬富士は、スピードと知略と安定感を兼ね備えた偉大な横綱になる道をまっしぐらに進んでいる。

 

もしそうならない場合は彼は、場所ごとに15戦全勝と9勝6敗の間を行き来する、強いのか弱いのか分らない、強くないときは弱いのだからきっと弱いに違いない、トンデモ横綱になる・・
のだ。と思うのだ。んだ。なだ。のだ。

 

 

ペルー旅 ~奇章~


3週間のペルー旅では、撮影を兼ねた道行の最後に遊びでマチュピチュを訪ねた。マチュピチュがペルー旅行の最終訪問地だったのだが、そこまでの日々は結構波乱万丈だった。

 怖い体験

 あまりの恐怖のために一瞬で頭髪が真っ白になるとか、一夜にして白髪になってしまうとかの話がある。

 フランス革命時にギロチンの露と消えたマリー・アントワネットの白髪伝説。エドガー・アラン・ポーの小説「メールシュトレームに呑まれて」の漁師のそれ。

 また巷間でも、恐怖体験や強いストレスによって、多くの人々の頭髪が白くなった、という話をよく耳にする。

 僕はペルー旅行中にそれに近い体験をした。旅の間に白髪がぐんと増えたのだ。

 しかし、黒髪がいきなり白髪に変わってしまうことは科学的にはありえない、というのが世の中の常識である。

 髪の毛の色は、皮膚の深部にある色素細胞の中で作られるメラニン色素によって決定され、一度その色を帯びて育った黒髪や、その他の色の健康な髪は変色しない。白く変色するとすれば、新しく生えてくる髪だけである。

 簡単に言えば科学的にはそういう説明ができる。

 でも僕はペルーを旅した3週間の間に、白髪だらけの男になった。知命を過ぎたオヤジだから、頭に白髪が繁っていても別におかしくはない。

 ところが僕はペルー訪問までは、年齢の割に白髪の少ない男だったのだ。年相応に髪の毛は薄くはなったが、僕は同世代の男の中では明らかに白髪が少なく、自分と同じオヤジ年代の友人らがやっかむほどだった。

 白髪の急激な増え方に気づいたのは、自分が写っている写真を見た時だった。え?と思った。まるで白髪の中に髪がある、とでもいう感じで頭が真っ白に見えた。

 ビデオカメラを回している僕のその姿を写真に撮ったのは同行していた友人である。妻がたまたま僕のスチールカメラを友人に渡して、彼はそれでパチリパチリとシャッターを押してくれていたのだった。

 その後、スチールカメラは僕の手に戻され、旅が終わってビデオ映像と共に写真素材も整理していた僕は、そこでスチールカメラに収められた自分の姿を見たのである。

 死も友達旅

 僕はペルー入国以来ずっと、恐怖心を紛らわすためにも懸命にビデオカメラを回している、というふうだった。

 恐怖の全ては、目もくらむような深い谷底を見下ろしながら、車が車体幅ぎりぎりの隘路を走行し続けることから来ていた。

 もっとも強い恐怖は旅の半ば過ぎに襲った。標高3100Mのサンルイスから標高2500Mのハンガスへ向かう途中の、海抜ほぼ5000Mの峠越え。その日は夕方出発して、峠に差し掛かる頃には日が暮れてすっかり暗闇になった。しかも標高が高くなるにつれて天気がくずれて行き、ついには雪が降り出した。

 運転手は70歳の元警察官。割とゆっくりのスピードで行くのはいいが、急峻な難路を青息吐息という感じで車が登る様子に、高所恐怖症の気がある僕のみならず、同乗者の全員が息を呑むという感じで緊張していた。

 車窓真下には今にも泥道を踏み外しそうな車輪。そのさらに下には少なく見積もっても1000Mはあるだろう谷の暗い落ち込みが口を開けている。車がカーブに差し掛かるごとに崖の落下がライトに照らし出される。時どき後方から登り来る車のライトにも浮かび上がる。目じりでそれを追うたびに僕は気を失いそうである。

 間もなく峠を登り切ろうとしたとき、車はカーブを登攀(とはん)しきれず停車した。一呼吸おいてずるずると後退する。万事休す、と思った。車内が一瞬にして凍りついた。誰もが死を覚悟した。

 その時運転手がギアを入れ替えた。車がぐっとこらえて踏みとどまり、すぐに前進登攀を始めた。そうやって僕らは全員が死の淵から生還した。

 一瞬、あるいは一夜にして白髪になった、という極端な例ではないが、ペルー滞在中のそうした恐怖体験によって、僕の髪の毛は確かにとても白くなった。少なくともぐんと白髪が増えたように見えた。

 繰り返しになるが、髪の毛が瞬時に白髪に変わることはない。

 しかし、恐怖や強いストレスが原因で血流が極端に悪くなると、皮膚の末端まで十分な栄養が行き渡らなくなってしまい、毛髪皮質細胞が弱くなることがある。

 すると毛髪の中の空気の含有量が増えて、1本1本の色が銀色っぽく変化する。その銀色が光の反射の具合いで真っ白に見える、ということは起こり得るらしい。

 それもまた科学的な説明。

 僕の髪の毛はそれと同じ原因か、あるいは何日間かの強いストレスと恐怖体験によって、一瞬にではないが徐々に変化して白くなったのだと思う。

 それは、朝起きたら黒髪が真っ白になっていた、というような極端な変化ではなかったので、同行していた妻や友人夫婦もすぐには気づかなかった。僕自身を含む一行は後になって、高山の晴天の陽光に照らし出されて白く輝いている写真の中の僕の髪を見ておどろく、といういきさつになったものらしい。

 ハゲよりカッコいい白髪

 その白髪は、ペルー旅行から大分時間が経ったいま、それほど目立たなくなり、それどころか消えかけているようにさえ見える。しかしきっとそれは、僕自身が白髪に慣れたせいなのではないか、とも思う。

 近頃鏡をのぞいて目立つのは、白髪よりもむしろハゲの兆候である。そしてハゲてしまえば白髪も黒髪もなくなる訳で、僕にとってはそちらの方がよっぽど悲劇的である(笑)。

 僕はハゲの家系なので将来の悲劇に向けての覚悟はできているつもりだが、悲劇はできるだけ遅く来てくれるに越したことはない(歪笑・凍笑・硬笑・苦笑・震笑)。

 ともあれ今のところは、ペルーの恐怖体験で一気にハゲにならなくて良かった、と心から思う。短い時間で髪が白髪に変わるのはドラマチックだが、髪がバサリと落ちて一度にハゲてしまうのは、なぜかただの笑い話にしか感じられないから。

 言い訳

科学を信じたい僕にとっては、ここに書いたことは与太話めいてもいて気が引けたが、実際に自分の身に起こったことなので記録しておくことにした。信じるか信じないかは読む人の勝手、ということで・・

 


忙中の記・2013・1・26



ペルーの話。

 

さらなるホモセクシュアルの話題。

 

イタリア総選挙+財政危機。

 

日本のアベノミクス。

アベノミクスを危惧する欧米の専門家たちの見解。

アベノミクスへの僕のさらなる疑問。

でも期待も。

などなどなどに加えて、

 

イタリアの時事、たとえば収監されているマフィアのボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノの話。

 

日本女性の名前「かおり」を使って売春宿を経営する腐れ中国人マフィアの話・・・などなど。

 

書くことがいっぱいあるのに時間がなくて書けない。

 

 

なぜ時間がないかというと。

 

本来の自分の仕事に加えて、イタリア財政危機にまつわる妻の実家の伯爵家の税金納めの処理や心配や実務や喧嘩(?)で
1日のうち23時間程が過ぎてしまうから。

 

でも、そうしてばかりもいられないので、今日の午後あたりから何か書き始めようと思う。

 

まずはやっぱりぺルーの話かな。

 

たぶん・・

 


経済学ド素人の目に映るアベノミクスの怪


ここイタリアでは224日に予定されている総選挙に向けて、けんけんがくがくの選挙戦が展開され、昨年の日本の衆院選にも似た政党間の提携や協働や野合が、試されたり進んだり壊れたりしている最中である。

中でもベルルスコーニ前首相率いる中道右派のグループは、財政緊縮策や増税で苦しむ国民の不満に迎合して、モンティ首相の路線を修正し増税策も廃止する、と主張している。


しかし、ベルルスコーニ前首相を始めとする旧政権担当者らは、借金まみれの国家財政をどうするか、という議論には深くは踏み込まない。

しかも前首相自身は財政策の失敗を責められて20011年末に宰相職を辞したばかり。人気の無い増税策を非難して、選挙で票に結び付けようという魂胆だけが透けて見える。

困ったことに、一部の国民の不評を買いつつも堅実な財政策で国内外から高い評価を受けてきたモンティ首相までもが、選挙を意識して減税策の導入を示唆したりする有り様。彼は昨年12月に首相辞任を表明したが、総選挙を経て再び政権を担う可能性もあるのである。

日伊の懲りない面々

日伊の政界を比較検討すればするほど、僕には政権に返り咲いた安倍さんとベルルスコーニ前首相が重なって見えてしまう。

安倍さんにはスキャンダルまみれのベルルスコーニ前首相のような汚れた印象はないが、公共事業を拡大しバラマキ政策を推し進める様は、ベルルスコーニ氏がモンティ首相の緊縮策を批判して減税を声高に主張する姿と何も違わない。どちらも財政規律を無視して再び借金を増やそうとしているだけに見える。

ベルルスコーニさんより一足先に首相の座に返り咲いた安倍さんは、彼一流の財政強化策いわゆる「アベノミクス」を打ち出して景気へのてこ入れを図り、期待感から円安株高が急速に進行して日本中が喜んでいるようだが、それは果たして本当に手放しで喜んでもいい政策なのだろうか。

国民の大きな期待を裏切ったという意味で、恐らく史上最悪と形容しても構わない民主党政権から、タナボタ式に「政権後退(交代)」の恩恵を受けただけの自民党とそれを率いる安倍さんには、大型補正予算を組んで公共事業を中心にこれをバラまく、という古臭い手法を恥ずかしく思ったり怖れたりする感性はないようである。それは古臭いばかりではなく、国家財政をさらに悪化させる可能性が高い危険な政策でもあるというのに。

バラマキはバクチと同じ

アベノミクスが提起する事業規模20兆円にものぼるバラマキ補正予算は、経済学ド素人である僕の目で見ても、一時的には必ず景気浮揚効果があるだろうと考えられる。でもそれは借金まみれの国家財政にあらたな借金を積み上げて成されるもので、回らない首をさらに回らなくしてついにはこれを締め上げる自殺行為にもなりかねない。

借金で家計が苦しいならば、節約をして支出を減らすか、今以上に働いて収入を増やすかしかない訳で、さらなる借金をして苦境を乗り越えようとするのは、バカか怠け者のやり方である。もっともバクチに長けた金融虚業の専門家なら、そういうやり方で巧みに急場をしのぐ場合もあるのだろう。

しかし、そんな安易な方法は一国の経済政策としては避けるべきではないか。借金の上に借金を重ねるアベノミクスに反応して、円安や株高が起きているのは経済実体を伴なわない泡沫的な現象に過ぎない。

とは言うものの、経済は数字や論理やファンダメンタルズだけでは決して説明できない不思議な生き物だし、景気は気なり、という言い回しもあるように、人々の欲や思惑や願いや希望や絶望などが絡まって動いていくものだから、実体がない「アベノミクス」でさえ「実体経済そのもの」であるという矛盾した、しかし正しい説明もまたできるのが市場経済の面白いところである。

経済学者はもっと小説を読め

それでも経済の専門家である学者や評論家や経済記者などの中には、さすがにアベノミクスにまつわる市場経済の実体のなさに警鐘を鳴らす皆さんが多いように見える。それは僕の目には、不幸中の幸いであり頼もしい限り、というふうにも映る。

なにしろアベノミクスは、インフレ抑制が目的の「インフレターゲット」という世界共通の概念を「逆の意味に解釈」してスローガン化したり、借金を削るべき時に逆に借金を増やして公共事業に投ずるバラマキを提唱したり、財政の良心あるいは良心たるべき施設を目指して作られ存在する日銀の独立性を、怖いもの知らずに潰しにかかったりするなどの危険を伴なった、両刃の剣そのものの財政策であることが明らかだと思うから。

しかし、経済に詳しいと自負しているそれらの論客の皆さんは同時に、得てして机上の空論を弄しているに過ぎない場合も多く、彼らが景気や生身の経済のただ中に飛び込んでこれにまみれて呻吟し、喜び、戦い、悲しんだりして実態を把握分析した上で、その動向や意味や先行きを正確に示したためしはほとんどない、と言い切ってもあながち暴論にはならないのではないか。

呼び方を変えれば「経済評論」の専門家に過ぎないそれらの皆さんは、人間の欲や期待や希望や不安や絶望などの心理的要素が、数字や理論や基礎指標等にも増して経済を大きく動かす力である場合が多いことを知らないように見える。あるいは知っていてもあまりそれを認めたがらないように見える。

人の心がまとわり付きねちっこく絡みついて、今まさに生きてうごめいている生身のビジネスの真髄は、経済学の本ばかりをいくら読んでみても分らないのではないか。実際にビジネスにまみれる体験ができないならばせめて彼らは、それらの専門書に加えて、欲をはじめとする人間の心理を暴き、えぐり出しては描く、小説などの文芸作品も大いに読んで勉強するべし。ここ最近にわかに増えたアベノミクスを語る多くの経済専門家の皆さんの説を読み、聞けば聞くほど、その専門的知識の豊富と深度には大いに感服しながらも、僕はそういう思いを一段と強くするのである。

 

 

2013年、真の「アラブの春」を待つ  



シリアのアサド大統領が昨日(2013・1・6日)、首都ダマスカスのオペラハウスで演説し、その模様が国営テレビで生放送された。僕は中東衛星放送のアルジャジーラで演説の一部を見た。

 

アサド大統領は退陣を迫る国際世論に対して、シリアの反体制派の戦闘員の多くはアルカイダなどの外国のテロリストであり徹底してこれと戦う、などと述べて権力にしがみつく姿勢を改めて示した。

 

同大統領の演説は昨年6月以来であり、内戦勃発後では異例の出来事と言える。この事実は、国の内外で狭まり続けるアサド包囲網に対する政権側の危機感のあらわれではないかと思う。ぜひそうであってほしい。

 

僕は地中海域のアラブ諸国に民主主義が根付き、自由で安全な社会が出現すること願い続けている。それは圧政に苦しむアラブの民衆が解放されて、平穏かつ自由な世の中になってほしい、という当たり前の純粋な気持ちから出ている。

 

それに加えて、実は僕は利己的な理由からもアラブの「本当の」春を心待ちにしている。

 

僕は1年に1度地中海域の国々を巡る旅続けている。ヨーロッパに長く住み、ヨーロッパを少しだけ知った現在、西洋文明の揺らんとなった地中海世界をじっくりと見て回りたいと思い立ったのである。

 

計画はざっとこんな具合である。

 

まずイタリアを基点にアドリア海の東岸を南下しながらバルカン半島の国々を巡り、ギリシャ、トルコを経てシリアやイスラエルなどの中東各国を訪ね、エジプトからアフリカ北岸を回って、スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破する、というものである。

 

しかし、2011年にチュニジアでジャスミン革命が起こり、やがてエジプトやリビアやシリアなどを巻き込んでのアラブの春の動乱が続いて、中東各国には足を踏み入れることができずにいる。

 

この地中海域紀行では訪問先の順番には余りこだわらず、その時どきの状況に合わせて柔軟に旅程を決めていく計画。従ってそれらの国々を後回しにすることには問題はないのだが、それにしてもあまりにも政情不安が長引けば良い事は何もない。

 

昨年はトルコを旅し、その前にはギリシャとクロアチアをそれぞれ2回づつ巡っている。そろそろアラブの国にも入りたい。できれば先ずシリアに。

 

ことし、もしもその夢がかなうなら、それは内戦状態のシリアに平穏が訪れたことを意味する。ぜひそうなってほしいと思う。それはただの希望的観測ではない。

これまで強硬にシリア支持を表明し続けてきたロシアが、アサド大統領に反政府勢力との対話を模索するように促がしている、という情報も漏れ聞こえてくる。

それが事実かつ進展するならば、シリアにも間もなく民主的な政権が生まれ、停滞している他のアラブ諸国の民主改革にも好影響を与えて、やがて中東全体に真の「アラブの春」が訪れる、というシナリオが見えてきたように思うのである。

 

 

衆院選結果に思うこと、夢見ること



昨年12月16日の衆院選の模様を遠いイタリアから注意深く見つめた。

いくら民主党への失望と怒りが大きく、また選挙制度の影響もあるとは言え、3年前にレッドカードを突き付けた自民党へ国民が雪崩を打って擦り寄り、同党が圧勝したのは驚きだった。


長く日本をリードし繁栄も招いた自民党の功績は大きいが、官僚支配の硬直した体制をもたらしたのも彼らであり、それを打破しようとして政権交代が実現したはずである。


それなのに、突然右へ倣え、みんなで渡れば怖くない、とばかりに極端から極端に振れる日本世論は不可解だし悲しい。


自民党への積極的な支持ではなく、消去法で仕方なく同党に票が集まったというのは恐らく真実だろうが、変化を模索しない世論は、変遷流転を恐れる者の人生にも似て膠着し、内向し、やがて精神の死をもたらす空しい出来事に見える。

変革を約束した民主党に裏切られた日本国民は、世直しの目玉ともなるべきいわゆる第3極勢力に期待したはずだが、彼らが維新や改革をスローガンに選挙のためだけの野合を繰り返しているのを見抜き、その反動もあって自民党の地滑り的な勝利になった、というのがごく当たり前の戦況分析だろう。


従って、国民が変革を望まなかったのではなく、政治家の方が真の変革につながる政策や大望を有権者に示せなかった、という見方もできる。でも政治は突然そこに舞い降りて存在するのではなく、国民の写し絵として形成されるものだから、選挙結果はやはり人民の意思であり責任である。

その観点から僕は自民党の圧勝に釈然としないものを覚える。自民党に怨みがある訳ではない。自民党長期政権の停滞と膠着と腐敗を嫌気して、3年前にこれを拒否しておきながら、あっさりとそこに回帰した日本国民の節操のなさに不安を覚えるのである。

選択肢が無かったという状況は良く分かる。が、せめて自民党は僅差で勝ち、自公合わせてようやく過半数制覇、くらいであってほしかった。なのに自民党は単独で過半数を大きく上回り、かつ自公で衆院三分の二の議席確保なんて笑い話にさえならない。どうしても多様性の欠落、という風に僕には見えてしまう。

はこの前の記事で書いたように、自民党も民主党も×。悪役がすっかり板に付いた小沢一郎さんに、一度宰相として辣腕を振るってほしいと思っている。彼の所属政党の無様を目の当たりにした今でもなお・・

多くの政党を作っては壊してきた小沢さんの目標が、日本に真の民主主義を植えつけること、だったという点に僕は強く賛同している。彼の政治手腕や金回りや多くの疑惑を承知の上で、である。

決して反米ではないが、アメリカに正面からノーと発言し、かつ論理的にその理由を述べる。それができるのは日本の政治家の中では小沢さんだけだと僕は考えている。

そして、日本の政治にとって最も重要なのは、アメリカと同盟協調しつつ彼らと対等な口をきき、彼らに我われを尊重させることである。日本と同じ敗戦国であるドイツやイタリアとアメリカの関係がそうであるように。

民主党時代は言うまでもなく、その前の自民党時代も、日本は常に米国にへつらう植民地メンタリティーにでっぷりと浸って生きてきた。新首相の安倍さんや自民党が突然そこから抜け出せるとはとても考えられない。

彼らはアメリカとの同盟関係を強化するとは言うが、卑屈な従属主義から抜け出すとは言わない。そして実は真の同盟関係の強化は、卑屈を排し対等な立場で付き合うところでしか成り立たない。それは一方が軍事的に強力で豊かで国力がある、という物理的な優劣とは関係のないいわば「精神の対等性」のことである。

こういう話をするとすぐに夢物語、非現実、夢想家などと嘲笑が飛ぶ。だがそれは、鎖国精神に呪縛された島国根性の持ち主たちの遠吠えに過ぎない。

国と国の関係は人と人の付き合いと同じである。たとえ非力で貧乏で口下手であっても、精神の毅然とした人間なら人は尊重し尊敬する。国と国の関係もそれと同じだ。

どうしてもそれが信じられないならば、もう一度言う。日本と同じくかつての敵性国であり敗戦国、かつ軍事的にも経済的にも従って政治的にも米国よりひ弱なイタリアとドイツを、アメリカは同盟国として「精神的に」対等な立場で付き合っている。

安倍新政権はまず、米国が独伊と同程度のリスペクトを我が国に払い続ける関係の構築を目指して行動を起すべきである。なぜなら日本の経済不振も停滞する外交も何もかも、主としてアメリカとの関係性の中で複雑にからみ合いせめぎ合い相克しながら進行する。それは物理的なものである場合ももちろんあるが、数字や経済だけでは説明できない「精神的な」ものもかなり大きいと思う。

そういう点で僕は安倍さんにはあまり期待しない。が、もちろん彼と自民党が僕の不信を裏切ってほしいとは思っている。

ないものねだりをすれば、いわゆる第3極勢力が一堂に会し融合して、好戦的で無礼で危険な石原慎太郎氏を排し、その上で橋下さんと小沢さんが握手をして、まず小沢さんが国の舵取りをしてみる・・という風な事態になれば、日本の政治も少しは面白くなり、国際世論の耳目も集めるのではなかろうか。そんな時代は今の状況では永遠に来そうもないけれど。

 

 

 

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