バチカンに関するニュースを伝える日本のメディアでは「ローマ法王」と「ローマ教皇」で表記が分かれ、混乱している。
いや、正確に言えば「ローマ法王」の方が使用頻度は圧倒的に高いと思うが、「ローマ教皇」も併用されていてすっきりしない。
僕は2005年に亡くなったヨハネ・パウロ2世への畏敬の念から「ローマ教皇」と決めて、常にそう表記している。
調べてみると、日本のカトリック中央協議会は1981年、ヨハネ・パウロ2世の来日を機に、混乱していた表記を「ローマ教皇」に統一するとしている。その理由は「教える」という字の方が、カトリック教会最高位聖職者の職務をより良く表すからというもの。
それまではなぜ「法王」でも良くて、且つ当事者のカトリック教会側でもその表記の方が多かったのか、などを解説していないので、分ったような分らないようなもどかしい言い分だが、個人的には僕は「教皇」派なので、ま、いいか、というところ。
加えて、たまたまだが、カトリック中央協議会つまり教会にとっても、僕が敬慕するヨハネ・パウロ2世の存在が「法王」から「教皇」への《改宗》の動機だったらしいし。
1981年頃の僕はロンドンで必死に、且つ楽しく映画学校の学生を謳歌していた時代で、宗教にはほとんど興味がなかった。ヨハネ・パウロ2世が日本を訪問したことも知らなかった可能性さえある。ましてやカトリック中央協議会の《改宗》など知る由もない。
僕はカトリック教会の推奨とは全く関係なく、ヨハネ・パウロ2世個人を表現するには「教皇」が最適だと感じて、そう表記している。
繰り返しになるが、僕はカトリック教徒ではないにもかかわらず、一人の人間としてヨハネ・パウロ2世を深く尊敬しているのである。
ヨハネ・パウロ2世の偉大、つまり彼の功績と人格を知るまでは、実は僕も「法王」表記派だった。
「法王」という呼称には上から目線の尊大な印象があり、欺瞞の臭いが漂っている。そしてそれは、カトリック教会に対する僕の正直な感想でもある。
一人一人の人物は全て、と言っても良いくらいに神父をはじめとする聖職者の皆さんはいい人だらけなのだが、教会という組織になるとガラリと印象が変わる。世の中のあらゆる組織がそうであるように・・
だが、教会組織のその負の印象というものは、ヨハネ・パウロ2世の真実とは完全に離反している。
そのことに気づいて以来、僕は「教皇」という、より謙遜でより親しみやすい「印象」の呼び方が彼にはふさわしいと考えて、そう表記し始めた。
結果として彼に続く二人の教皇に対しても同表記を使用し、今後もそうするつもりでいる。
忌憚なく言えば、僕は退位したベネディクト16世に対しては今のところ「法王」の印象を抱き続けている。
バチカンは大ヨハネ・パウロ2世の死後、ベネディクト16世と共に後退した。少なくとも停滞した。
でも、第266代フランシスコ教皇とともに、再び前進し謙虚になり友好的になりそうな気配がある。
新教皇フランシスコはどちらかと言えば、今のところ、ヨハネ・パウロ2世的でありベネディクト16世的ではない、と僕には思えるのである。
ついでなのでもう2点:
新教皇は自らをfrancescoつまり「フランシスコ」と命名した。「フランシスコ1世」ではない。でも日本語では1世を付けた方が語感的に座りが良い感じもある。しばらく併用ということになるのかもしれない。
教皇選出会議conclaveを僕は「コンクラーベ」ではなくわざと「コンクラーヴェ」と表記している。見方によっては気取りに聞こえかねないが、そこかしこでconclaveを「根比べ」と揶揄しているのを見て、聞き飽きたセンスの無いオヤジギャグだと反発。それでわざわざ「コンクラーヴェ」と。でもそれも大人気が無く、反発すること自体がオヤジギャグのレベルだと気づいたので、さて今後はどうするか(笑)。