【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2013年05月

ボーイング787運航再開のブラックユーモア



バッテリーが発火するという大きな障害を抱えて、運航停止になっていた全日空のボーイング787が、故障の根本原因の究明ができていないにも関わらず、来月の予定を前倒しして5月26日に運航を再開した。

 

友人のマウロ・Aはアリタリア航空のボーイング777型機の機長、つまり飛行機の専門家である。日本にも頻繁に飛ぶ。そのマウロにボーイング787の運航再開をどう思うかと聞いた。

「787はいい飛行機だよ。でも777はもっと素晴らしい。だって
20年近くも実際に飛んでいて、バッテリーには何の問題もないんだから」

彼は言って方目をつぶって見せ、仕上げにニャリと笑った。

 

マウロはボーイング777をこよなく愛し、誇りにし、全幅の信頼を寄せている。その事実を差し引いても、僕は787を否定的に見ている彼の意見に今のところは賛成だ。僕自身も777に乗って何度も日本とイタリアを往復し、先日はスペインからペルーまでの往復も777に世話になった。ボーイン グ747、つまり「ジャンボ」が空から消えつつある今は、飛行機での長旅をすることが多い僕にとっては、777が一番親しみのある航空機だ。777を始めとして他に多くの選択肢があるのに、どうしてわざわざナンカヘンな787に乗らなければならないのだろう?

 

今年1月の787のバッテリー事故のあと、ボーイング社は故障の原因究明を懸命に行なったが結局分からず、可能性のある80通りのケースを想定して、これに対応する形での改善策を米FAA・連邦航空局に提示して了承された。それを受けて運輸省は3月26日、日本航空と全日空に運行再開を正式に許可した。その後バッテリーのシステムの改修作業と試験飛行などが行なわれ、全日空と日本航空は安全が確保されたとして、6月1日からの運行再開を決定 していた。全日空はそれを前倒しして、今月26日に運航を再開したのである。

 

米FAA・連邦航空局はたとえば、「なぜバッテリーが発火するか」が不明でも、ボーイング社は「たとえバッテリーが発火しても大丈夫」と考えられる程に十分な策を施した、と判断したに違いない。同社はさらに「運航中の飛行機が墜落する確率」と同じ程度かそれよりも低い数字にまで、バッテリーの 発火の確率や故障の可能性を抑えているのだと考えられる。いや、そうでなければならない。故障原因が究明されていないのに、敢えて運航再開に踏み切るには、そうした考えられる限りの建設的な論点をクリアし、改良した上で結論を出したのだろう。その内容がFAAに支持された。FAAは厳しい 審査で知られる役所だから、ボーイング社が提示した不具合の解決策はきっと十分に安全なのだろう。FAAの判断を受けて、これまた厳しい審査で知られる欧州航空安全局(EASA)も787の運航再開を認めた。だから、やっぱりきっと787は安全だと考えたい。

 

一方、首を傾げたくなることもたくさんある。いや首を傾げたくなることばかりだ。だからこの記事を書いているわけだけれど。

 

先ずFAAは、ボーイング社の提出した80項目に渡る改良・修正案を受け入れて、バッテリーは何重にも安全装置を施されるから、大事故は起きないとしたが、根本の原因が分からないのになぜそう断言できるのだろうか。また一体どうやってそのことを保障するのだろうか。80項目とは、想定でき るあらゆる原因を挙げて、これに対処できるようにした。つまり80の改善策のうちのどれかが有効に働くだろうという、いわば「希望的観測」的対策である。それって「ヘタなテッポも数撃ちゃ当たる」と同じで、目くら滅法に策を施しただけ、というふうには考えられないのだろうか。

 

バッテリーの主な改善策というのも不思議だ。それは発火した補助動力装置(APU)用バッテリーやメーンバッテリーの電池(セル)を絶縁テープでぐるぐる巻きに囲み、監視装置で電圧の管理を強化した上で、全体を排煙機能つきの密閉容器に入れるというものである。バッテリーが再び発火して も、それは箱の中でがんがん燃えるだけで外には燃え移りません、というわけである。

 

燃える(発火した)ことが問題なのに、それを防止するのではなく、再び燃えるようなことがあったら火を箱の中に密閉しますとは、つまり「臭い物にフタ」をするということである。また煙は機外に吐き出され、炎も箱の中に閉じ込められて機体は無事ですと言われても、箱の中で燃えているバッテリー は死んでいるか少なくとも機能不全に陥っているはずで、そのバッテリーに頼っている、さらなる機体の機能の一部も、同じ状態になるに違いない。

 

それにも関わらずボーイング社もFAAも、

「故障しない保証はないが、大事故はない。だから心配するな」

と主張しているわけだ。でも、心配するよ、それは。なんにも頼るもののない空の上で、飛行機が火事になったら、あるいはバッテリーが発火して火事になりそうになったら、はたまたそういう可能性があるかもしれない、と考えたりしながら座席に座っていても少しも楽しくないわけで。

 

飛行機に乗るのならば100%の安全やゼロリスクというのはもちろんあり得ない。しかし、故障の原因は分からないが「故障は封じ込めたから安心しろ」というのは、たとえば新品のPCを買ったところ中にウイルスが潜んでいて、でもそのウイルスは今のところは眠ったままで、しかもこのまま永遠に目を覚まさない可能性があるから安心してPCを使え、とメーカーに言われているようなものだ。そんなもの、可能性やら確率やらつべこべ言っているひまがあったら、さっさとウイルスを取り除いてくれよ、というのが人情というものではないだろうか。

 

ボーイング787は昨年末の時点で、世界各国の航空会社から800機以上の受注を受けていて、日本の2社を筆頭に既に50機以上が納入されている。早く運航を再開して安全をアピールしないと、運航を停止されていた50機にまつわる損失だけじゃなくて、受注を受けている分にも納入の遅れや最悪 の場合注文取消しなども起きて、膨大な損失につながりかねない。そこでボーイング社は、なり振り構わずに運航再開へ向けてのロビー活動を激しく行なったのではないか。結局、まず運航再開ありき、だったのではないかと疑いたくもなる。

 

驚いたのは、日本での運航再開の第一便に218人もの乗客が搭乗したことだ。臆病な僕にはとても考えられない。全日空副社長も操縦室の予備席に乗ったそうだから、218人の乗客はもしかすると全員がサクラだったんじゃなかろうか。あるいは乗客の誰も787がトラブルを抱えている飛行機である ことを知らなかった。あるいは全員がスリル大好き人間だった・・

 

冗談はさておき、搭乗客はきっと、米FAAも日本の運輸省も航空会社も皆安全と言っているのだから安全だ、と考えたのだろう。あるいは不安はあるものの、ま、皆が乗るのだから自分も乗ろうと考えた。またきっと仕事や私事の都合でその便に乗らざるを得なかった、という人もいるのだろう。そして 騒がれたあとの飛行機に乗って安全を確かめたい、という勇気ある者もいたのだろう。人は皆それぞれだ。

 

多くの人間は-特に僕のように臆病でバカな人間は-理論や理屈では動かない。感情で動くものだ。その感情が「ボーイング787には気をつけろ」と言っている。そこで僕は、自分はもちろんだが、良く旅をする大学生の息子にも、今後は飛行機に乗るときは、それがボーイング787ではないことを必 ず確認してから利用するように、と強くアドバイスした。他の家族や友人知己にも。だって777を始めとして、幾らでも787の代替航空機があるのだから、故障の原因が究明されて事態が明確になるまでは、無理して787に乗る必要はないのではないか。

 

目的地には永遠に到着しないより、遅れて到着したほうがいい。遅れたことで、たとえば仕事なら信用をなくしたり、罵倒されたり、首になったりすることもあるだろう。でもそうしたことも全て「生きていればこそ」の物種だ。気にすることなんかなにもない。

 

 

ちょっと気が抜けた大相撲5月場所



大相撲夏(5月)場所は白鵬の10回目の全勝優勝で終わった。


白鵬はこれで通算25回目の優勝。朝青龍の記録に並んだ。


史上3番目。


あとは千代の富士の31回と大鵬の32回があるだけだ。


白鵬は現在28歳。最低でも32歳程度までは相撲を取ると考えると、怪我などの不測の事態でもない限り、大鵬の記録を破りそうな勢いである。


ちなみに全勝優勝10回は、自身の記録を更新して史上最多。

これに次ぐのは双葉山と大鵬の8回。

優勝回数は同じでも、朝青龍の全勝優勝は白鵬の半分の5回に過ぎない。


また連勝記録は千秋楽時点で30になったが、これは4回目。大鵬の記録と並んだ。


雰囲気としては、白鵬が今後破れないかもしれない記録は、双葉山の69連勝だけになったようだ。


白鵬は2010年の九州場所で63連勝までいったが、2日目に稀勢の里に敗れた。


69連勝とは現在の6場所制では、最低必ず4場所連続で15戦全勝をしなければならないことを意味する。

わ~オっ・・疲っかれるだろうなぁ・・


白鵬は2010年の九州場所前、4場所連続で全勝優勝をしていた。今後そんな離れ業を繰り返すのはさすがに厳しいのではないか。でも、彼ならナセバナルのかも。


など、など・・


大横綱白鵬の素晴らしい成績を眺めるのはそれなりに楽しいのだが、僕は今場所は個人的には正直盛り上がらなかった。


理由は簡単。日馬富士が前半で崩れたことが僕の興味を削いだのだ。


ハチャメチャ横綱の日馬富士は、先場所クンロク(9勝6敗)で終わった分、今場所は奮起してあの魅惑的な弾丸ぶちかましを次々に披露して盛り上げてくれるかと思ったら、コロコロ負けやがって・・バカヤロ。


ツー訳で僕は早々と興味をなくしたのでした。ナンダカンダ言いながら僕は日馬富士が好きなのかな・・


白鵬は感嘆的だが、なんだか完璧過ぎて、ウ~ム・・


日馬富士は弱いくせに日本語も下手くそ。離婚して日本人と再婚しろ・・


国技の大相撲の外国人力士は、日本の真髄を理解するために、せめてきちんとした日本人女性と結婚するべき、というのが僕の独断と偏見による持論。


日本女性がいつも側にいれば日本語も必ず上達する。日本の心の深みも次第に分っていく。それは国技大相撲に対する力士の義務だ。


バルトもそう。できれば日本人女性を娶ってほしい。


白鵬と同じく日本人女性と結婚した琴欧州は嬉しいが、彼に大関以上の地位を期待してももうダメかなぁ・・


一度会って一緒にご飯を食べた(たまたま食堂で)こともある好青年の稀勢の里は迫力不足。


琴奨菊は大関昇進の頃こそ期待したが、今の体たらくを見るともうどうでも良くて・・


密かに期待している鶴竜はいつまで経っても化けず・・


テメーら、いい加減にしろ~、こら
~!!!!!~~~~。。。。

 

 

 

ミッレミリアinフランチァコルタインフィオーレ


5月12日の日曜日、マッジ伯爵家の中庭で催された、ミッレミリア祭りの審査員を務めた。


ミッレミリアロング80%青手前人々50%








スプマンテ(イタリア・シャンパン)の里、フランチァコルタで開催される大規模田園祭「フランチァコルタインフィオーレ」の一環として、クラシックカーレース
「ミッレミリア」の参加車の一部を展示して盛り上がったのだ。

 

ミッレミリアは1927年にアイモ・マッジ伯爵が音頭を取って始まったカーレースである。だからフランチァコルタ田園地帯のまっただ中にある、マッジ伯爵家の邸宅で祭りが行なわれた。


黄色50%赤ハンドル50%


 





ミッレミリアは世界的に有名になったカーレース。始まった当初から人気が高かった。

車好きの王侯貴族が北イタリアのブレシァ市に集合して、愛車をぶっ飛ばしてローマまで南下し、そこから折り返してブレシァに戻る周回路で競われた。


元々はスピードレースだったが、一般道を約1600キロメートル走行するため危険も多く、紆余曲折を経て現在は耐久レース形式になっている。


OM superba正面50%アストンマーティン50%








レースもさることながら、数々のクラシックカーの名車を見たい観客が押し寄せるのが、今のミッレミリアの特徴である。


アイモ・マッジ伯爵が存命中は、レースに参加するヨーロッパ貴族らが同家に宿泊して、親交を深めることが恒例だった。

 

世界でも指折りの名車の数々が、昨日の祭の場所に集まって華やかさを競い合ったのである。


ミッレミリア居んFCinfiore 186緑草むら50%






彼らはレースの日には同家から一斉にブレシャ市のレース場に向かい、終了後は再び伯爵家に戻ってパーティーを繰り広げた。

 

僕はミッレミリアを数回取材したことがある。いずれも10分から20分程度の報道番組のロケだった。

 

ミッレミリア居んFCinfiore 077

BMW白後ろ50%











カーレースを追いかける取材は結構大変だったが、ミッレミリアはイタリアの多くの歴史都市を縦貫して走るため、美しい景観が次々に目の前に展開して、いつも心が踊る撮影でもあった。

 

今回の仕事はそれともまた全く違う。ただただ楽しいだけの体験だった。仕事と言っても半ばボランティアの活動。


赤フェラーリロゴ50%ブガッティ50%

 






車の専門家4人と文化人4人の計8人の審査員が、参加車を好き勝手に審査するというもので、なぜか僕も文化人の一人として声を掛けられ、且つおこがましくも受諾して(笑)、審査に当たることになったのだった。


優勝したのは1950年製造のフェラーリ166MM。


奥にアニエリフェラーリ50%黄色手前奥人々50%







僕は何も知識はないものの、この車にたまたま10点満点をつけていたので、結果が発表された時は素直に嬉しかった。



赤細長50% ブガッティ正面50%

 

 








マフィアと魔王アンドレオッティ


2013年5月6日、イタリア政界きっての大物政治家、ジュリオ・アンドレオッティが94歳で他界した。魔王とも呼ばれた彼は、生涯に渡ってマフィアとの強い癒着を疑われ続けた怪異な存在だった。
 

マフィア戦争

 

1992年5月23日17時58分、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測されている。シチリア島では、マフィアの攻撃を回避するために捜査関係者の車は高速移動を義務付けられている)のスピードで走行していたジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がった。

 

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、500kgの爆弾を正確に炸裂させた瞬間だった。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えた。マフィアはそうやって彼らの最大の敵であるジョヴァンニ・ファルコーネ判事を冷然と葬り去った。

 

そのちょうど1ヶ月前の1992年4月24日、3回7期に渡ってイタリア首相を務めたジュリオ・アンドレオッティの最後の内閣が倒れた。首相自身と側近によるマフィアとの癒着や汚職疑惑を糾弾されたのである。

 

首相の座から引きずり降ろされた後は、アンドレオッティの政治的な影響力が低下して、司法や政界からの反撃が強まるであろうことが予想された。

 

そこで彼は将来に瑕疵を残さないために、当時のマフィアの大ボス、トト・リイナと謀って、マフィア捜査の強力なリーダーであり、反マフィア運動のシンボル的存在でもあった、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事を爆殺した可能性がある。

 

キリスト教民主党の首魁

 

第2次大戦後のイタリアをほぼ50年に渡って牛耳ったのは、キリスト教民主(主義)党であり、そのキリスト教民主党の最大の政治家、指導者、黒幕だったのが、ジュリオ・アンドレオッティである。

 

キリスト教民主党はいわば日本の自民党のような存在。第2次大戦後の廃墟からイタリアを経済復興させ、ドイツや日本と共に世界に再び存在感を示すことができる国家に仕立て上げた。功罪合わせて、戦後イタリアの歴史を作り上げた最大の政党である。

 

しかし、そのキリスト教民主党は、腐敗とマンネリズムと古色にまみれて1994年に消滅した。ところが、同党の事実上の最高権力者として君臨したジュリオ・アンドレオッティは、党がなくなった後も終身上院議員としてしぶとく生き残って、隠然たる影響力を行使し続けた。

 

ジュリオ・アンドレオッティの特異は、魑魅魍魎の跋扈するイタリア政界でしぶとく命脈を保ち続けた事実もさることながら、彼がその間一貫して政治力を駆使して犯罪組織のマフィアを操り、逆にマフィアを使って政治力を高めるという、おどろおどろしい手法を用い続けたことである。

 

朋友トト・リイナ

 

マフィアとの黒いつながりを非難され続けたアンドレオッティは、犯罪組織最大のボスであるトト・リイナとの関係が特に深かった。彼はリイナと抱擁し、頬と頬を触れ合わせるマフィア式の挨拶をするところを目撃されてもいる。

 

実はイタリアでは、親しい男同士が抱擁し頬を触れ合わせる挨拶は、少しも珍しいものではない。頬と頬をあわせるキスは、異性間は言うまでもなく同性間でも一般的に行なわれる。それはいわゆる「ハグ」であり、性的な意味合いは毛頭なく、強い親近感を表すだけの「普通の挨拶」である。

 

従って、リイナとアンドレオッティのその挨拶が、マフィアの構成員同士の「特別な」作法に則(のっと)ったものだったのか、それとも「普通の挨拶」だったのかは当事者にしか分からない。

 

とはいうものの、たとえマフィアの構成員同士の抱擁ではなかったとしても、一国の首相とマフィアの大ボスが親しく抱擁し合う様はただ事ではない。しかもトト・リイナは、マフィア始って以来最大の残虐・凶暴な首魁という悪名を轟かせていた男である。

 

トト・リイナは、欠席裁判で幾つもの終身刑の判決を下されながら逃亡潜伏を続けたが、アンドレオッティはその間も密かに彼に会い、逃亡の手助けもしたと見られている。そうした事実は、警察に逮捕された後に司法取引によって当局側に寝返った、マフィアの構成員らの証言によって次々に明らかになっていった。

 

司法の反撃

 

ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の暗殺からわずか2ヵ月後の1992年7月19日、ファルコーネ判事の同僚で親友のパオロ・ボルセリーノ判事が、やはり爆発テロによって惨殺された。母親の元を訪ねたボルセリーノ判事の動きを正確に察知していたマフィアが、道路脇の車中に仕掛けた爆弾を炸裂させて、護衛の警察官ともども中空に吹き飛ばしたである。

 

国家への挑戦とまで言われた、マフィアによるテロ事件が頻発した当時のイタリア社会には、マフィアに蹂躙される国家や住民という絶望的な思いが充満して、国中が暗く沈みかけていた。しかし実は、司法当局の逆転反撃を暗示する出来事もまた起こっていた。無敵に見えたマフィアのボスたちが次々に逮捕されていったのである。

 

そのうちの最も大きな出来事がマフィア最強のボス、野獣と異名されたトト・リイナの逮捕だった。それは1993年1月15日のこと。イタリア政界を代表する男、ジュリオ・アンドレオッティの友人とまで目された犯罪者は、24年間の逃亡生活後に司法当局に拘束された。それはトト・リイナの終わりであり、ジュリオ・アンドレオッティの「終わりの始まり」とも言える事件だった。しかし、アンドレオッティは前述したように、政治的にはその後もさらに20年間しぶとく生きのびたのである。

 

大ボスの逮捕から3年後の1996年5月20日、ファルコーネ判事爆殺の実行犯ジョヴァンニ・ブルスカが逮捕された。彼はフィレンツェのウフィッツィ美術館爆破事件の犯人でもある。ブルスカは生涯で100人~200人を殺害したが、正確な数字は覚えていないと告白している。

 

2006年4月11日、トト・リイナ逮捕後のマフィアのトップ、ベルナルド・プロヴェンツァーノが43年間の潜伏逃亡後に逮捕される。その後、組織の首領はサルヴァトーレ・ロ・ピッコロに代わったが、彼も翌年には逮捕された。2013年現在のマフィアのボスは逃亡中のマッテオ・メッシーナ・デナーロと見られている。

 

アンドレオッティ有罪判決


マフィアと国家の戦いが続けられていた2002年、ジュリオ・アンドレオッティは、自身に批判的なジャーナリスト(ミーノ・ペコレッリ)をマフィアを使って殺害した、として禁固24年の有罪判決を受けた。が、翌年、証拠不十分などという不可解な理由で逆転無罪の判決を受けた。

 

アンドレオッティは、その他のマフィアがらみの多くの事件への関与も疑われ起訴もされたが、結局、先日他界するまで投獄されることは無かった。しかし、彼とマフィアの強い「繋がり」に関しては、逆転無罪を言い渡した最高裁もこれを明確に認めた。

 

表舞台で権力を振るわない場合は、背後で強大な影響力を行使し続けた、イタリア政界きっての怪物政治家アンドレオッティには、そんな具合にマフィアとの深い関係や殺人や汚職事件に関与した疑惑などの暗い影や噂がつきまとって消えなかった。

 

2013年5月6日のアンドレオッティ元首相の死は、イタリアの政界とマフィアの一時代が確実に終焉したことを告げている。

 

 

猪瀬東京都知事の発言を他山の石とするべき



五輪招致に絡んだ東京都の猪瀬知事へのバッシングがすごいことになっていますね。ま、バッシングされて当たり前の呆れた「事件」を引き起こしたわけですが、僕は猪瀬さんの「事件」を、自分を含めた日本人はみな肝に銘じて、他山の石とするべし、と思っています。

 

つまり、東京都知事の中にごく自然に、さりげなく、暗澹として巣食っている「差別・偏見」病を、皆わが胸に手を当てて「あれは他人事」かどうか、と沈思検証するべき良い機会だと考えるのです。なぜならほとんどの日本人の中には、猪瀬知事と同じ密かな「差別・偏見」の病原菌が宿っています。

 

それは普段は表に出てこない沈黙の偏見であり差別意識です。その心の闇を抱えこんだ者は日本中に溢れている。そうした人々は偏見や差別なんて意識もしないし、考えてみることもない。その機会も理由もないからです。


かのマザー・テレサは「愛の反対は無関心」だと言いました。実は寛容や理解や融和の反対も無関心です。積極的な偏見や差別ではなくとも、人は無関心であることで偏見や差別に加担します。

 

そうした人は普段、猪瀬知事がやってしまったような偏見や差別に満ちた言葉を口にしたりはしません。でも実は彼らはそれを口に「しない」のではなく、口に「できない」だけです。なぜなら無関心だから。

 

無関心だから何も考えず、何も感じず、したがって言葉に紡(つむ)ぐ何ものも心の内にないのです。そして、そうした人々はまた当然、偏見や差別を糾弾する言葉も発しない。発することができない。ただ沈黙するだけです。

 

日本人の持っている寛容や理解や優しさは、そんな無関心に 拠っている場合が多々あります。国内の事柄もそうですが、特に日本という国の外の事案になるとその傾向が極端に強くなります。それは外国や外国人との接触が少ないことから来る、国際感覚の欠落の一つの証拠。明治維新以降言われ続けている、古くて常に新しい議論「精神的鎖国体制」は、今も歴然として日本に 残っています。島国の面目・根性躍如というわけです。

 

僕は長い間外国暮らしをしていますが、そこでもっとも気を遣うことの一つが、異文化や人種や宗教などに対して偏見を持ったり差別的な言動をしない、という行動規範です。僕はジャーナリズムの末席を汚すTVディレクターとして生きているため、そのことには特に神経を尖らせています。

 

たとえそうではなくても、日本の外に出て自らが「外国人」の立場で生きていく者にとっては、異文化や人種や宗教などは日常的に接するものですから、誰もがそれに関心を持ち、考察しながらそれらを受け入れ、理解し、共存しようと努力します。そうしなければ外国では生きて行けないからです。

 

それでも偏見や差別というのは100%克服するのが難しい。例えば僕は宗教や人種や異文化や女性やゲイ等々のホットなテーマに対して、全く偏見を持っていな い、というのは言い過ぎになるでしょうが、少なくとも偏見を持たない努力をし続けている、と自負しています。それでも例えば僕の自宅近くのスーパーの前で、買い物に行く度にアフリカ移民の男たちに金をねだられ続けると、決して口には出さずとも「仕事をしろ 怠け者の黒人」という言葉に近い、恥ずべき思いを抱くこともある、と白状します。それは心の奥の奥のどこかに「黒人=怠け者」という理不尽な偏見・差別意識が巣食っているからにほかなりません。

 

彼らは仕事をしたくても恐らくその仕事がない。仕事はあっても不法入国者であるため労働許可がない。だから働けない。あるいは合法移民で労働許可もあり労働意欲もある。でも不況のまっただ中にある今のイタリアでは、彼らにまで回ってくる仕事がない。あるいはただ単に黒人であることで差別されて、労働市場から はじき出されているだけかもしれない・・などなど、アフリカ系移民の人々が世界中で舐めてきた辛酸を思い、理解し、同情し、その負の歴史を正すべく全くの微力ながら努力もしているつもりでも、人生のどこかで刻印された胸の奥深くの偏見・差別意識は中々消えてはくれません。

 

意識してそれらと戦っている者でさえそうです。ましてや国内に留まっていて偏見や差別を考えてみる必要が余り無く、従って無関心でいるためにそれらを意識することさえない多くの日本人の場合は、それが消えてなくなることなどあり得ない。それはまさに無関心であるために普段は表に出てこないだけで、心の奥深く に巣ごもっています。そしてそれは何かの拍子に、化けて表に出てきます。猪瀬さんが何気なく重大な差別発言をしてしまったように。

 

沈黙を美徳と捉える文化を持つ我われ日本人は、世界がますますグローバル化して行く今こそ特に、差別や偏見というものが何であるかを、しっかりと口に出して議論しなければならないと思います。黙っていては偏見はなくならない。言葉にしなければ差別が何であるかが分からない。沈黙や無関心はただ「臭い物にフ タ」をしているに過ぎない。

 

言葉を発するという行為は、多くの日本人にとっては苦手どころか、苦痛である場合さえ少なくありません。しかし、世界がさらに狭くなり、インターネット・SNSの発達によってあらゆる情報が瞬時に地球上を飛び交う現在、日本人独特の「寡黙」は害悪でさえあれ決して良いことではありません。沈黙や寡黙は、偏見や差別を助長する悪しき習慣、と見なす方がグローバル社会には合致します。

 

都知事バッシングの矛先は、当初何よりも先ずイスラム教国や文化への差別発言、というところから出発したわけですが、時間と共に次第にそこからシフトしてやれ税金のムダ使いだ、やれ五輪精神を踏みにじる行為だ、やれ東京オリンピックの芽を潰した、知事を辞任しろ、トルコに行って謝罪しろ・・などなど、エスカ レートして行っています。

 

それらの論点は皆大事だと思いますし、僕自身も知事は大の親日国であるトルコまで出向いて、土下座して人々に謝罪をし、その上で今後は東京都もイスタンブールでのオリンピック開催を全面的に支持します、と宣言すればいいと思います。宣言するだけではなく、知事の地位に留まって本当にイスタ ンブール支援のために動けば、災い転じて福となる(する)ことも十分可能だと思うのです。

 

一方我われは、猪瀬知事の失言を他山の石として、自らの胸に手を当てて自問自答すればいいと思います。果たし て自分は彼とどれだけ違う意見や感情や見方を例えばトルコに対して持っているのか。ムスリムに対しては?中国や韓国に対しては?アフリカ人や近隣のアジア人に対しては?などと考え続け、発言をして行く「切っ掛け」に使えば、恐らく吹っ飛んでしまったであろう東京五輪の損失も取り返して、なおお釣りがくるのではないでしょうか。

 

 

イタリア新政権樹立、政治混乱は終わるか



新政権の特徴と課題

 

2ヶ月に渡る政治混乱を経て、イタリアにようやく新政権が樹立された。左派民主党のエンリコ・レッタ氏を首班とする、中道左派と右派の大連立政権。退任するモンティ首相の中道連合もこれに参加する。議会で左派民主党と右派自由国民両党に匹敵す る勢力を持つ五つ星運動は、予想通り政権には協力せず独自の路線を突き進む、と明言した。

 

レッタ新政権はいろいろな意味で、イタリアの政治変革の兆しを感じさせる要素に溢れている。それは、

 

一つ、激しく対立を続けてきた左右の議会最大会派同士が手を結んだこと。

一つ、その流れが87歳という高齢を押して、二期目の大統領選出馬を含む政党間の仲介に奔走した、ナポリターノ大統領の真摯な行為によって作られていったこと。

一つ、エンリコ・レッタ氏がイタリアでは珍しい若手(46歳)の宰相であること。彼は英国のキャメロン首相と同い年である。

一つ、閣僚21人中7人が女性という、イタリア憲政史上最大の女性登用比率を誇る内閣であること。

一つ、これまたイタリア憲政史上初の、黒人閣僚が誕生したこと。

など、などである。

 

連立新政権は、何よりも先ず、若者の失業者が巷に溢れる異様な経済状況を改善するべく、即座に行動を起こさなければならない。それは取りも直さず、イタリア財政危機からの脱出を目指すということであり、それがEU(欧州連合)全体の債務危機改善に貢献し、ひいては世界経済の安定と発展にもつながる重要な取り組みになる。

 

そうした即効の実利を目指さなければならない宿命もさることながら、レッタ新政権は押し寄せる社会変革の大波に乗って形成された、必然の出来事であるように僕には感じられる。

 

新政権の背後にあるもの

 

社会変革の大波とは、なによりも先ず「世代交代」である。イタリアにおいては、過去20年近く政界を牛耳ってきた76歳のベルルスコーニ元首相世代が退却して、レッタ新首相の世代以下の政治家が台頭する兆しがある。それは多くの若者が連帯して、イタリア政界にセンセーションを巻き起こしている、五つ星運動とも水面下で繋がっている。

 

面白いことに、大きな若い波動に敏感に反応したのはイタリアの老国父、87歳のナポリターノ大統領である。彼は宰相候補の最右翼と見られていたベルルスコーニ世代のアマート元首相を退けて、新世代のレッタ氏を首相に指名し組閣を要請した。また以前には、五つ星運動の盟主グリッロ氏を道化師と 呼んだ、ドイツ社会民主党(SPD)のペア・シュタインブリュック氏に腹を立てて、グリッロ氏を尊重するべきだ、と強く抗議したりする気骨も見せている。

 

変革のうねりの中で頭角を現したレッタ氏は、欧米先進国の中では比較的遅れているイタリアの女性の社会的地位を、閣僚登用率を一気に高めることで改善しようとしたようにも見える。同時に、これまた欧米先進国中では出遅れている、有色人種の閣僚起用も実現して、人種差別意識が強い部分もあるイ タリア社会に警鐘を鳴らした。

 

新首相のそうした一連の動きには、前述したように歴史の大きなうねりが作用しているのであり、決して偶然の出来事ではない、と僕は思う。

 

例えばイタリア国民が熱狂するプロサッカー界では、アフリカ系のマリオ・バロテッリ選手がイタリア代表として活躍して、国民の中にある人種差別意識に揺さぶりをかけている。また3月に行なわれたローマ教皇選出会議・コンクラーベでは、黒人のピーター・タークソン枢機卿が有力な教皇候補と見な されたりもした。

 

タークソン卿が、カトリック教会の最高位聖職者であるローマ教皇に選出されるなら、それはほとんど「革命」と形容しても過言ではない歴史的な出来事となる筈だった。


黒人教皇の実現は先送りされたが、コンクラーベの変化は、人種差別主義の巣窟と見なされ続けてきた米国に、史上初めて黒人のバラック・オバマ大統領が誕生して、人類の負の歴史の厚い壁に風穴を開けたこととも連動する、巨大な変革のうねりの表出以外の何ものでもない。

 

新政権の問題点

 

レッタ内閣にはまた、きな臭ささが目立つ新しさもある。それは、

一つ、昨日まで口汚く罵り合っていた民主党と自由国民党が、「あっさり」と形容しても良い手軽さで歩み寄って大連立を組んだ、その軽さの胡散臭さ。

一つ、エンリコ・レッタ新首相が、ベルルスコーニ元首相の右腕ジャンニ・レッタ氏の甥である事実。これはポジティブな効果を生むとも考えられるが、百選練磨のベルルスコーニ氏が背後にいることを考えれば、何らかの裏取引があったと勘ぐりたくもなる。

一つ、ベルルコーニ氏にべったりの、自由国民の幹事長アンジェリーノ・アルファーノ氏が、内務大臣兼副首相になったこと。政権与党の幹事長が連立内閣の重要ポストに就くのは当然かもしれない。が、ベルルスコーニ政権の法務大臣だったアルファーノ氏は、少女買春疑惑を始めとする多くの疑惑で訴 訟まみれになっているボスのベルルスコーニ氏を保護するために、でたらめな法整備をしたという批判がいつもついて回っている。ここもなんだかいかがわしいのである。

 

そうした不審からごく自然に導き出されて見えてくるのは、連立内閣の危うさである。民主党と自由国民の確執が再燃すればレッタ政権はあっという間に崩壊するだろう。事実、新政権の短命を予想する人々は多い。

 

そうした負の印象もあるが、しかし幸いにも、新世代のエンリコ・レッタ首相には、若さと清潔感がある。

 

日本と同様に汚れた老人が多くのさばっているイタリア政界だが、五つ星運動に代表される世代交代を求める社会の大きなうねりを追い風に、レッタ内閣は山積するイタリアの問題を次々に解決して歴史に名を残すかもしれない。ぜひそうなってほしいものである。

 

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