【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2013年06月

雨、のち雨・・所により、時どき・・雨



4月、5月と日本の梅雨も顔負けの雨が降りつづいた北イタリア。

 

6月に入って、いざ夏本番、と身構えているのに中々そうはならず、もう水無月も終わりになる。

 

昨晩もかなり激しい雨降りになった。

 

今日昼過ぎになっても、中庭に大きな水溜りが幾つも残っている。

 

イタリアの6月らしい日差しがかっと照りつけたのは数日だけ。あとは雨、また曇り、そして大小の降雨・・

 

おどろいたことに、僕は今年、菜園への水遣りをここまで3回か4回しかやっていない。

 

4月にはサラダ菜をはじめ多くの種まきをするが、今年は雨続きでできなかった。

 

5月になってようやく、こうしてはいられないと、雨を押して菜園に入った。

 

以後、気温は上がらないものの、野菜はそれなりに順調に育った。水遣りの必要もほとんどないまま。

 

僕は菜園にできるだけ多くの野菜を少量づつ作っている。

 

食べることもそうだが、多種類の野菜を作るのが楽しいのだ。

 

水遣りの仕事も、草取りも、楽しい。

 

今年はその水遣りの手間が省けている。

 

じゃ、楽しくないのかというと・・

やっぱ、楽しいに決まってんじゃン。

 

仕事が一つ減って・・・




コンフェデ杯スペイン戦を運命論者の如く待つイタリア


今夜のコンフェデ杯準決勝戦を待つイタリア現地からひと言。

イタリアはいたって静かです。理由が幾つかあります。もっとも大きな理由は、今のスペインにはイタリアはまだ勝てないだろう、という国民多数の悟りのような思い込み。

もう一つの理由は、コンフェデ杯をそれほど重要視していないこと。楽しんで見てはいるが、W杯や欧州選手権とは格が違う、というこれまた国民的コンセンサスのようなムード。

頼みの綱の一人、フォワードのマリオ・バロテッリが負傷で戦線離脱してしまったこと。この事実は対スペインへ戦へ向けての無力感をさらに増大させています。

こう書いてくると、イタリア中が暗い悲壮感におおわれて沈んでいるように聞こえるかもしれませんが、楽しんで見てはいる、と前述したように決してそういうことはなく、いわばサッカー強豪国の余裕のようなものを感じさせる前向きの諦観、みたいな不思議な雰囲気なのです。

僕はテレビ屋ですので、これまでセリエAを中心にイタリアのサッカーの取材もずいぶんやってきました。そこでつくづく感じるのは、イタリアのサッカーの強さとは「イタリア国民のサッカーへの思い入れ」そのものに他ならない、ということです。

選手の能力の高さやチームの組織力や指導者の力量の偉大、などももちろん強さの秘訣ですが、そうしたことは国民のサッカーへの思い入れの深さによって支えられ育てられたもので、それはひるがえって国民のサッカーへの情熱をさらに掻き立て、めぐり巡って選手やチームや指導者のレベルをさらに押 し上げて行く、という悪循環ならぬ良循環を形成しています。

言葉を変えれば、イタリア国民はサッカーを実に良く知っています。イタリア国民の一人一人はサッカーの監督、という彼らのディープな思い込みをイタリア人自身が揶揄った言葉がありますが、事ほど左様に彼らはサッカーにうるさい。

サッカーをこよなく愛するイタリア人は、当然我を無くすほどに熱く燃えることも多々あります。同時にそれを熟知する彼らは、事態を冷静に観察して理性的に構えていることもまた多いのです。

今夜の対スペインとの準決勝を待つ彼らの態度がまさにそれです。イタリア国民は今現在のイタリアのサッカーが、2006年のW杯制覇をピー クに停滞期に入っていることを良く知っています。同時にスペインのサッカーが、恐らく来年のW杯くらいまでは世界最強であり続けるのではないか、とも感じています。

もっともこの点に関しては異論もあり、2010年のW杯を挟んで欧州選手権を史上初めて連覇したスペインは、そろそろ常勝サイクルの終わりを迎えつつあるのではないか、と考える人々も増えています。

ただ多くのイタリア人は、スペインが後退してもそれに取って代わるのがイタリアだとは少しも思っていません。それは多分ブラジルであり、ドイツであり、あるいはアルゼンチンあたりではないか、と思っているふしがあります。つまり今のイタリアは、世界の強豪国の中では最も下位にいる、と冷静に 分析しているのです。

スペインのデル・ボスケ監督は、準決勝でイタリアと対戦することが決まった時「私のキャリアの中で初めて決勝戦を行なった後で準決勝を戦うことになる」という趣旨のことを言いました。イタリア戦が事実上の決勝戦だという訳です。

彼は恐らく選手の気持ちを引き締める目的でそう発言したのでしょうが、W杯をブラジルの5回に次いで4回も制覇しているイタリアは「腐っても鯛」、という気持ちもまたきっと抱いているのでしょう。

ボスケ監督の言葉はここイタリアでも大きく報道されましたが、サッカーにまつわる心理作戦にも慣れている人々は、彼の言葉をスペインチーム自身への戒めと捉えて、ぬか喜びをするようなことはありませんでした。このあたりが、ラテン人らしく熱く燃えながら同時に冷めてもいる、イタリアのサッ カーファンのすごいところだと感じます。

個人的なことを言いますと、わが日本が敗退してしまった今は、僕はイタリアを応援しています。しかし、サッカー大好き人間としては、決勝戦でスペインとブラジルの激突を見てみたい気もします。周知のように華麗なパス回しを誇るスペインのプレースタイルは、欧州各国はもとより南米の強豪国にも 強い影響を与えています。イタリアやドイツなどの古豪は、その戦術を彼ら独自のやり方で取り込んで進化を遂げつつあります。ブラジルが、その本家のスペインにどう挑むのか、来年のW杯を前にやっぱり見てみたい。

もしもイタリアがスペインに勝てば、決勝でブラジルも下してあっさり優勝するかもしれません。イタリアというのは不思議なチームで、不利な状況に置かれたり、やっとのことで予選を勝ち進むような苦しい展開が続くと底力を出します。昨年の欧州選手権でも優勝候補のスペインやドイツの影に隠れ て、ほとんど注目されていなかったのですが、結局ドイツも破って決勝戦まで駒を進めました。

今年のコンフェデ杯もそうです。今この時まで進んだ段階でも、スペインとブラジルにはとても歯が立たないような印象があります。こういう時のイタリアは要注意だと思います。

再び個人的には、たとえ決勝戦まで行ってもイタリアには優勝してほしくない。なぜならそこで勝てば、イタリアは「コンフェデ杯優勝チームは W杯に勝てない」というジンクスをきっと継承するように思うのです。これがスペインやブラジルなら、コンフェデ杯を制して来年のW杯も優勝するだけの「余力」がある、と僕は感じます。言葉を変えれば、スペインとブラジルはそれだけ今現在のイタリアの力を凌駕しているように思います。

日本ではコンフェデ杯で3連敗したザックジャパンと監督自身への批判が高まっているようですね。残念です。次回はサッカー文化、という観点から日伊のサッカーについて意見を述べてみたいと思います。僕はサッカーの専門家ではありませんが、サッカーを愛する気持ちと、仕事体験の中で見てきたイ タリアサッカーの面白さや不思議をおどろく気持ちは誰にも負けないつもりでいます。

 

ベルルスコーニ有罪判決



2013年6月24日、ついにと言うか、やはりと言うか、ベルルスコーニ元首相に少女買春容疑と職権乱用容疑で禁固7年の有罪判決が下った。同時に終身の公職禁止命令も出た。

 

元首相は上告すると見られるので刑は確定せず、三審制を取るイタリアでは今後長い期間に渡って裁判が続くと考えられる。

 

だが禁固7年の有罪判決は、検察の求刑6年を上回る厳しい内容。元首相の立場は苦しくなった。

 

そればかりではない。ベルルスコーニ元首相は、所有会社「メディアセット」の巨額脱税事件でも、二審で禁固4年、公職禁止5年の有罪判決を受けている。

 

今秋にも最高裁判断が出ると予想されるが、そこで上告を退けられれば、その件では刑が確定。国会議員を辞職しなければならない。

 

そうなれば彼は、自らの巨大な政治力を使って影響を及ぼすことができなくなる。

 

元首相の終わりの始まりが視野に入ってきたのかもしれない。

 

 

崖っぷちに立つ五つ星運動



お笑い芸人ベッペ・グリッロ氏が率いるイタリアの「五つ星運動」は、今年2月の総選挙で大躍進を遂げて、イタリア政界に旋風を巻き起こした。2大政党の民主党とベルルスコーニ元首相の率いる自由国民を抑えて、単一政党としてはトップの票数を獲得したのだ。

 

五つ星運動はそれ以来イタリアの政治混迷を演出してきた。が、ここに来て停滞、あるいは後退、ひょっとすると消滅の危機に瀕している。

 

五つ星運動は、既成政党や政治家の腐敗をインターネットを駆使して痛烈に批判する手法で、国民の不満を吸い上げて大きく勢力を伸ばした。先の選挙では国民の25%もの支持を得た同党は、もはや単なる抗議運動ではなく、イタリアの政治を大きく動かす勢力になった筈だった。

 

ところが彼らは、総選挙を制した中道左派連合(民主党中心)の政権参加要請を拒否して、飽くまでも単独で政権獲得を目指すとして独立独歩の道を選んだ。それは大きな誤算だった。

 

というのも、単独会派では政権を樹立できない民主党は、犬猿の中の中道右派の自由国民と連立を組むことを余儀なくされた。そうやって五つ星運動は、彼らが目指した「ベルルスコーニ元首相打倒」の目標とは全く相反する形で、同氏が率いる自由国民の政権参加を許してしまった。

 

その後五つ星運動への支持率はジリ貧状態を続けてきたが、先日の地方選挙で500の選挙区のうちわずか2箇所を制しただけの惨敗を喫した。

 

敗北の責任を巡って運動内部に亀裂が走った。総選挙で当選した国会議員の一部が党首のグリッロ氏の独断専横的な運営に反旗を翻したのだ。

 

彼はメンバーを独断で除籍したり、メディアとの接触を厳しく禁じたり、組織の内実を秘匿したりと、まるでカルト団体のボスかと見紛うばかりの横暴な側面も持つ。

 

五つ星運動は、党首グリッロ氏の無責任に見える言動や、不透明な党運営や政策などが明るみになるに連れて、多くのイタリア国民の深い困惑を呼んでいる。しかし前述したように、元々はインターネットを駆使して、イタリアの既存の政党や政治家を厳しく断罪し、同時にそれによってグローバルなコミュニケーション・ネットワークを構築して、将来は世界政府まで樹立しよう、という若々しい理想を掲げている団体である。

 

イタリアの既成政党や政治家の腐敗は目を覆うばかりである。浄化は一向に進んでいない。もしも五つ星運動がこのまま衰退、あるいは消滅してしまえば、イタリアの政治堕落の改善はまた置き去りにされるだろう。それは非常に残念なこと言わなければならない。

 

 

ボーイング787に期待すること



前のエントリーで主張したこととは矛盾するようだが、僕はボーイング787には大きな期待も寄せている。

 

それは言うまでもなく、ボーイング社が787型機のバッテリー発火の真の原因を探り当てて、根本的な改善をすることである。

 

それが行なわれた後、日本航空か全日空のどちらかが787を投入して、ぜひミラノ-東京便を復活させてほしい、とも実は僕は密かに願っている。

 

日本航空は2010年10月、長年運航してきたミラノ-成田便を閉鎖した。放漫経営のツケを回したのである。

 

僕は長い間JALのミラノ-成田直行便に乗って帰国し、またイタリアに戻ることを繰り返してきた。日本航空が同路線を撤退した後は、常にアリタリア航空の直行便を利用している。しかし、正直なところ、日本の航空会社の便に乗りたい。

 

ボーイング777によるアリタリア航空便のサービスは悪くはないのだが、日本航空のきめ細かいサービスを知っている者には、やっぱりちょっと物足りないように思う。

 

日本航空が撤退してからのアリタリア航空のミラノ-成田便は、同社のドル箱路線の一つになっている。常に満席状態と言っても過言ではないのだ。

 

日本航空は経営破綻から立ち直って黒字を出すまでになっているようだが、それは公的資金を使って、いわば誰でも収益を出せる路線だけに集中して運航をしたからで、赤字路線や収益の少ない路線を経営努力で黒字にしたり、利益を大きくするなどの頑張りがあったわけではないように見える。

 

企業なのだから、もちろんそれは誰にも文句を言われる筋合いのないりっぱな動きである。利益を出さなければ企業とは言えないのだから。

 

経営を立て直した日本航空は、今度は真の企業努力をして、ミラノー東京便を復活させてほしい。もちろん全日空でも構わない。

 

同路線は前述したようにアリタリア航空のドル箱ルートになっている。

 

日本航空か全日空が参入すれば、客を奪い合うことになって今のアリタリアのようにほぼ全便が楽に満席になる(ように見える)、ということにはならないだろう。

 

しかし、日本の航空会社には「もてなしの心」に満ちた世界に冠たるサービスのノウハウがある。それを効率良く活かしながら燃費の良いボーイング787を投入すれば、必ず利益の出る路線になるのではないか。

 

ミラノ-成田便の場合、僕が自ら何度も搭乗して見た限り、9割以上の客が日本人である。もしも日本の会社が直行便を運航していたなら、彼らの多くもそれを利用したいと感じるのではないだろうか。

 

企業の論理とは別の意味でも、僕はやはり日本の航空会社の参入を期待したい。

 

と言うのも同路線の復活は、ちょっと大げさに言えば国威発揚の機会になると考えるから。

 

外国の空港に自国の航空機が駐機している姿は、やっぱりちょっと誇らしいし、それは外国の人々の目にも印象深く映る。日本が元気を無くしている今こそ特に、そうしたささやかな「元気の元」も大切なのではないか。

 

そんなポジティブな事態が、ミラノ-東京路線に限らず世界中の空港に招来することを期待する意味でも、ボーイング787のバッテリー問題が一刻も早く根本解決に至ることを願いたい。


雨、のち雨・・



6月になっても、北イタリアには初夏どころか、春もまだ訪れない。

 

気温はさすがに冬ではないのだから、春はやって来ているのだが、ほぼ連日雨で朝晩は肌寒い。

 

寒い日も多い。

 

初夏は明らかにまだ訪れていない。

 

荒々しい気候変化がイタリアの季節の特徴だから、初夏はもうやって来ることはなく、やがて一気に盛夏になるのだろう。

 

それは今月中旬というのが気象予報。

 

そこでは盛夏が訪れるとは言わず、雨模様の天気が終わる、と表現されている。雨天が消えると同時に日差しがカッと照りつけるようになるのだろう。

 

それにしてもこれだけ雨が降れば農作物にも悪影響があるのではないか。作物の根が腐ったり・・

 

そう思いたくなるほどの異常な雨降りがつづいているのだ。

 

農家に聞いてみたら、雨はいくら降っても良いのだという。雨降りが気温の低下をもたらしていて、それが悪なのだそうだ。

 

気温が低いために作物の成長が阻害される・・なるほど、そう言われてみれば、僕の菜園の野菜たちの育ちも遅い。

 

芽を出してはみたが、寒いので毎日毎日身をすくめている、という感じ。

 

そして、再びそう言われてみれば、激しい雨が降った後でも、少し日が差すと土の表面は一気に乾燥する。

 

やはりこの国の空気は、日本とは比べ物にならないくらいに乾いているのだ、と実感する。

 

今年は日本の梅雨以上の雨が降り続いている。が、カビなども見たことがない・・

それは少し嬉しいことである。

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