【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2013年12月

「パク・クネ韓国大統領への公開状」に対するH・Y氏の反論



先日の記事「パク・クネ韓国大統領への公開状」には賛否両論の多くの意見が寄せられました。ほとんどは僕へのメールの形で、従って友人知己の意見なのですが、その中にH・Yさんという最近NHKを退職された未知の方からの便りがありました。僕はNHKとも多く仕事をさせていただいてきた関係で、同局と周囲にも人脈が多少はあり、そこを通して便りをいただいたのです。


 

プロデュサーでいらっしゃったH・Yさんの論は明快で、かなりの誤解に基づく僕への反論です。なぜ誤解なのかというと、僕は韓国問題や歴史認識において、H・Yさんとほぼ同意見を持つ者だからです。僕はH・Yさんに連絡を取って彼の主張をブログに掲載させて欲しいと頼みました。H・Yさんは快諾してくれ、イニシャルではなく実名で掲載して構わないとまでおっしゃいました。しかし僕は敢えてイニシャルで彼の意見をそのまま転載することにしました。


 

ここを含む各ブログで主張を展開している僕自身に関する限り、誹謗中傷を含む記名・匿名での意見開陳を受け入れるのは当たり前だと僕は考えています。しかし、ブログその他で公けに自論を標榜していないH・Yさんの場合には、特に匿名で舞いこむかも知れない誹謗や中傷からは守られるべきだ、と僕は考えました。そこでご本人の了解を得て、イニシャルで紹介することにしました。実はこうしなければならないこと自体が、今現在のネットの弱点であり限界だと僕は考えています。


 

繰り返しになりますが、H・Yさんの意見は僕のそれに極めて近い。従って彼への論駁は僕へのそれとほぼ同じことです。反論ある方は、反日とか売国奴等々という根拠のない聞き飽きた愚劣な中傷ではなく、きちんとした反論をいただきたい。なぜなら僕はこれまでにも何度も言って来たように、「国際派の愛国者」を自負する者であり、韓国問題に関しても自らの考えがわが国の将来に資すると信じて疑いません。しかし同時に、反対意見を持つ方々の意見にも真摯に耳を傾け、議論を闘わし、全くの微力ながらそれを持ってさらに国際社会の中で日本が進むべき正しい道を模索し、主張して行きたいとも願っています。


 

H・Yさんへの僕からの反論と賛同と、同時に彼のメールをブログに掲載させてくれとお願いしたいきさつは、次回記事としてここに掲載しようと思っていますが、ここでは取りあえず「パク・クネ韓国大統領への公開状」に対する彼の反論のみを公表します。


 

H・Yさんの僕への反論メール)

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仲宗根雅則様


 

「パク・クネ韓国大統領への公開状」をザッと拝読しました。その趣旨にはほとんど賛同します。にもかかわらず、違和感をぬぐえません。あなたは同じような公開質問状を安倍首相にも出していらっしゃるのでしょうか。もし出していらっしゃるなら、私の違和感は払拭できるのですが。


 

私の違和感を大雑把に述べます。


 

★従軍慰安婦問題も含めて、朝鮮半島での日韓(朝鮮)の政治的問題の根幹には、戦前の日本による長期間の侵略行為があります。そして戦後の日本側の「このことへの態度」です。日本が加害責任を認めて、被害者が納得する形で謝罪をし、その後の言動も一貫しているか、です。これを俗っぽく言いますと「殴ったもの」と「殴られたもの」との間の問題です。「殴ったもの」はすぐにその事を忘れますが、殴られた側は永遠に忘れません。まして、殴った側が「もういい加減にそのことは、忘れろよ。」さらには「殴られたお前にも悪い所はあった」さらには「殴られて良かったこともあったろ」などといつまでも言い続けているとしたら、殴られた側が納得すると思いますか。


 

▲今日、「殴った側の態度」と「対話への姿勢」を問わないで、殴られた側だけに向かって『日本を貶める言動を収めて、対話への努力を」というのは、その趣旨は正しいとしても、客観的に考えて《虫が良い》と言う印象です。


 

★あなたはまず、殴った側の現在の代表的存在である安倍首相に「対話を模索するための公開質問状」を発表し、その後に【あるいは同時に】、韓国大統領に公開質問状を出すのが順番ではないでしょうか。何よりもまずは殴った側の態度を問題にすべきだと私は考えます。それとも、従軍慰安婦問題も、それから派生する賠償問題も、「すべては解決済み」だ、「何度も謝って来たじゃないか。それを今さら言われてもズルイ」とお考えでしょうか。私は、「殴られた側が問題はまだ解決していない」と考える以上は、「解決していない」と考えます。


 

★個人的な体験ですが、昭和天皇が亡くなった時、私はロンドンにいてそのニュースを知り、街頭の新聞屋で手に入る新聞数紙を購入しました。どの新聞も『天皇の死』が一面トップでした。論調はほとんどが厳しいもので、「エビル・イズ・デッド。悪魔が死んだ」「素晴らしいニュースだ」といった感じです。「第二次世界大戦中に元首だった人物で最後の生き残り」「当時の元首で一番最近に亡くなったのがスペインのフランコ。フランコを越える長期元首」「ヒットラー、ムッソリーニと同じく枢軸国の元首で、今なお同じ地位にいたのがヒロヒト」・・・。新聞やテレビでは、東南アジアで捕虜となった英国兵が、国際法を無視した日本軍によってどれほどひどい目に遭わされたかが繰り返し語られていました。


 

▲日本人は戦後すっかり忘れてしまいましたが、世界史的に見れば、ヒロヒトはヒットラー、ムッソリーニと同列の存在なのです。例えて言えば、ヒットラーが自殺しないで戦後も罰せられることもなく「20世紀の後半までドイツの元首であった」と考えれば、日本という国がどれほど異常な事態を内包してきたかが理解していただけるでしょう。


 

▲ここでも殴った側はすっかり忘れて、殴られた側はいつまでもその恨みを忘れない、その構図が見えます。


 

▲そして、その天皇を戦後、戦犯として断罪することもなく、象徴という名の元首として仰いで来たのが日本および日本人です。少なくとも日本人は戦争責任者を自ら罰したことがありません。その上、戦勝国による戦犯断罪【東京裁判】すら、国民から信任された多くの政治家たち(自民党と維新の会の多数。公明党や民主党の半分前後)は「あれは無実」と言い続けています【靖国参拝問題】。

これは、どう考えても、政治家ではなく日本人の問題でしょう。


 

★その意味で、世界の人々から「日本(日本人)に対して潜在的に持っているであろう不信感」が私には良く理解できます。

ましてや、近隣諸国は。


 

★それとも、これもまた《自虐的》でしょうか。


 

H・Y 拝


 

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年末年始のこと。イタリアの。



毎年いま頃になると、わが家を含むイタリア全体のチェノーネ(大食事会)のことが気になる。


 チェノーネとは、クリスマスイブの夕食とクリマス当日の昼食、また大晦日から新年にかけての夕食のこと。


 いずれもけたたましい量の食べものや飲みものが供され、大晦日のそれはしばしば元日の未明にまで及ぶ。わざわざチェノーネ(大食事あるいは大夕食)と呼ぶのもそれが理由。


 本年末のチェノーネで消費される飲食物はイタリア全土で26~28億ユーロ(4000億円前後)と試算されている。


 このうちクリスマスイブ、つまり今夜のチェノーネでは魚介類が多く食べられるが、そこで費消される魚介類は、昨年に比べて12、5%少ないと見積もられている。


 ちなみにイタリアでは、クリスマスイブには魚介類を食べるのがほぼ伝統、と言ってもよいくらいに普及していて、その他のチェノーネには圧倒的に肉類が多い。


 しかし決まりはなく、それぞれの好みでイブに肉料理もあればクリスマス当日や大晦日に魚介もあり、という方がより正確である。


 イタリアの年末商戦は財政危機のあおりで昨年も低調だった。それは今年も続いていて、至るところで「昨年比~%減」という数字が並ぶ。


 この国に於ける景気回復の目安の一つは、年末年始のチェノーネの消費額が前年比を上回る時、という考え方もできる。食の国ではやっぱり胃袋が重要なんですね。


 ちなみに息子2人が帰省しているわが家では、今夜は僕が腕を振るう刺身と妻の多分アクアパッツァ。

明日の昼食は親戚の持ち回りの昼食会へ。


 年末のチェノーネには大きな変化がある予定。


 クリスマスを家族で過ごしたあと、大晦日には友人や仲間を招いたり招かれたりして、チェノーネを催して賑やかに過ごすのが例年の習わしだが、今年はそれをやめる、と決めたのである。


 大晦日から新年にかけてのイタリアはひどく騒がしい。チェノーネの集いで共に飲み、食い、歌い、花火や爆竹を鳴り響かせて賑やかに過ごす。まるで中国の正月のようである。


 僕は若い頃から花火や爆竹の音をうるさく思い、夜更けの大宴会を少し鬱陶しく感じ続けてきた。


 日ごろ太り気味の体を持て余しているこの飽食の時代に、ナニが悲しくて年末から新年の真夜中にパクパク大食らい、どんどんパチパチの爆音に耳を劈(つんざ)かれなくちゃならない。


 大晦日は静かに除夜の鐘を聴きながら、熱燗やみかんや年越しそばや或いは肴などの軽食で十分・・とずっと密かに思いつづけてきた。
 
いや、たくさんの友人や親しい仲間たちと浮かれ騒ぐ年越しは、それはそれで楽しくて愉快で、もちろん良さも大いにあるのだけれど・・。


 その気になれば大晦日には、日本衛星放送から流れるNHKの「ゆく年くる年」の除夜の鐘も聞こえる。


 除夜の鐘はなくとも、それを静かに想えば、必ず聞こえてくるのが自らの煩悩の大音響・・

静かに深く、煩悩を見つめる平穏にまみれて、あるいは煩悩から目を逸らす一瞬の喜びにひたって、一年の終りを過ごすのもまた一興である。


 クリスマスを一緒に過ごした息子2人は、イタリアの慣習通りに今年も恋人と旅行に行ったり友人らと過ごす予定。


 そこで僕ら夫婦は、静かに熱燗やワインでも飲みながら衛星放送の紅白歌合戦、あるいはDVDの映画でも見ながら過ごさないか、と妻に提案したら意外にもあっさりとOKしてくれた。大晦日の騒ぎは彼女もやっぱり少し疲れるのだという。


 という訳で、大晦日には友人らの招きも断って、日本式に年越しをすることにした。
 

ただ、それを今後も続けるかどうかはわからない。


 郷に入れば郷に従え、というのが外国で生きつづけている僕の第一のモットーである。


 イタリア人の妻の気持も慮りながら、友人らと賑やかに祝いたくなったらまた元に戻せばいいさ、と僕は心ひそかに柔軟に考えてはいるのだけれど。


 

伊民主党党首マッテオ・レンツィという希望


イタリア最大政党の民主党党首に38歳のマッテオ・レンツィ氏が選ばれた。

 

フィレンツェ市長を経て民主党のトップになった同氏は、今年初めの政局混乱時も首相候補と目されたりした。結局同党のエンリコ・レッタ氏が首班になったが、若きレンツィ氏への期待は大きい。


ちなみにレッタ首相もイタリアでは若手の47歳。77歳のベルルスコーニ元首相に代表される老人がのさばる伊政界にとっては、2人の若さは明るい話題だ。


イタリアの財政危機は一向に収まらない。大不況の中、若者の失業率は40%を越えている。スペインの50%越えよりはマシかも知れないが、周囲を見渡したとき、若者のほぼ2人に1人が無職という現実は非常に重苦しく暗い。


若い政治家が大いに活躍してこの国を活性化させてほしい、と僕は個人的に強く願っている。とは言うものの、レンツィ氏は今のところ海のものとも山のものともつかぬ存在である。民主党内で台頭し、左派の牙城であるフィレンツェ市の市長を務めてはいるが、国政の場でどんな動きをするかは分らない。


しかし、イタリアを今の混乱に陥れたベルルスコーニ氏が伊政界の絶望なら、少なくとも彼は希望だ。若ければ全て良し、とは言えないが、多くの改革が必要なこの国の仕組みを変えるのは、やはり勢いのある彼のような政治家ではないかと思う。


右と叫び左と主張するイデオロギーは僕にはあまり興味はないが、マッテオ・レンツィという若い希望には大いにエールを送りたい。


日本の民主党に似て、伊民主党も内部分裂がお家芸である。旧共産党系の議員とその他の議員が寄り集まってできているからだ。


その弱さを突かれて、彼らは過去20年間べルルスコーニ氏率いる中道右派に多くリードを許してきた。逆に言えば、ベルルスコーニ氏は彼の求心力で右派を束ね続けて、長い間イタリア政界を牛耳ってきたのである。


若きレンツィ党首に求められるのは、求心力を発揮して民主党そのものと中道左派勢力をまとめることである。それができれば、民主党のレッタ内閣は綱渡りの今の政権運営から抜け出して、安定した政権を樹立できるだろう。


そうなった暁には、レッタ首相は効果的な経済政策も打ち出せるようになって、財政危機で沈鬱な状況にあるイタリア社会にも少しは光が差すのではないか。


それは同時に、レッタ後の首班へ向けてレンツィ氏が確固たる基盤を築くことを意味する。それどころか状況によっては、レッタ首相を差し置いて同氏が一気に首班指名を受ける事態も考えられる。


そうした可能性が見え隠れするからか、レッタ首相と若き党首の関係は、どうも完璧な一枚岩ではないような雰囲気もある。


もう一つの不安材料もある。レンツィ党首は毒舌家や皮肉屋などの議論好きが多いフィレンツェの政治家だ。彼自身も議論が好きで演説もうまい。

議論好きとは「おしゃべり」の別名でもある。彼が議論のための議論、つまり際限のないおしゃべりに終始して、結局敵を多く作って求心力を失うという事態も又あり得る。


大きな希望ではあるが、やっぱりまだ海のものとも山のものともつかないのが、彗星のごとく伊政界に出現したマッテオ・レンツィ伊民主党党首なのである。


 


 

ネルソン・マンデラ;キング牧師の夢を実現した英雄 逝く


南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の訃報が、世界中を駆け巡っています。95歳でした。

周知の通りマンデラ元大統領は、南アフリカの悪名高いアパルトヘイト・人種隔離政策に立ち向かい、それの撤廃を求める激しい闘争の中で27年間に渡って投獄されました。獄中からも黒人解放を訴え続け、1990年に釈放。翌年、アフリカ民族会議(ANC)議長に選ばれました。そして1993年ノーベル平和賞を受賞。1994年には同国初の黒人大統領に就任したのでした。

今年2013年は、あるいは黒人解放運動の節目の年として歴史に大きく刻印されるかも知れません。というのも本年は、公民権運動の指導者キング牧師が「I have a dream」演説を行なってからちょうど50年の節目であり、同時にそれを積極的に支持したケネディ大統領がダラスで暗殺されてからやはり半世紀の銘記年でもあります。

 また今年4月に開催されたローマ教皇選出会議・コンクラーベでは、当選には至らなかったものの、ガーナ出身の黒人司教ピーター・タークソン卿が、多くの支持者を集めるという出来事もありました。

 黒人のタークソン卿がカトリック教会の最高位聖職者、つまりローマ教皇の座に就くことは、アメリカ合衆国に史上初めて黒人の大統領が誕生したことよりももっと大きな意味を持つ、歴史の輝かしいターニングポイントになるところでした。なぜならオバマ大統領はアメリカ一国の指導者に過ぎませんが、教皇は世界各国にまたがる12億人のカトリック教徒の精神的支柱となる存在だからです。

 南アフリカで虐げられてきた黒人のために、そして世界中の抑圧された人々のために、ひいては人類全体の進歩のためでもある闘争を戦い抜いた偉大な人物が、また一人亡くなったのは悲しいことです。しかし、元大統領が世界の人種差別運動の節目の年に他界した事実は、今後も繰り返し思い出され話題になって、さらに深く歴史に刻まれて行く事も意味しますから、偶然とはいえ何かの因縁も感じます。

 マンデラ元大統領は、南アフリカの人種差別に敢然と立ち向かったのですが、それは脈絡もなく始まったのではなく、米国における黒人解放運動と深く連動していました。

 公民権運動に代表される米国の人種差別反対運動は、1862年のリンカーンによる奴隷解放宣言から1955年のローザ・パークスの抵抗を経て、キング牧師による50年前の「I have a dream」演説のうねりを介し、ついには2009年、アメリカ初の黒人大統領の誕生という大きな歴史の転換を迎えました。

 そうした米国での歴史変革の波は、南アフリカの反アパルトヘイト運動にも強い影響を与え、南アフリカの鳴動は翻ってアメリカにも力添えをする、というグローバルな人種差別反対運動の奔流となって今日に至っています。

 マンデラ元大統領の歩みをざっと見てみますと、ちょうどキング牧師のワシントン大行進の頃、反アパルトヘイト運動の闘士だった彼は国家反逆罪で逮捕。その後、27年間に渡って収監されますが、獄中でも決して怯まずに闘争を続けました。

 彼が戦いを続けられたのは、米国での絶え間ない反人種差別運動とそれを支持する国際世論が、同時に南アフリカの人道無視政策を非難し獄中のマンデラ氏を一貫して支援したからです。

 ネルソン・マンデラは1990年に釈放され、前述したように94年には黒人初の大統領に就任。それに合わせて、彼の釈放の前後から段階的に撤廃されてきた南アフリカのアパルトヘイトも、ついに完全撤廃されました。

 世界に大きなインパクトを与えた南アフリカの変化は、米国内の人種差別反対運動にも連動し、それを鼓舞し、さらに勢いを与えて、ついに2009年1月、ネルソン・マンデラを人生の師でありお手本だと公言するバラック・オバマが、黒人初の米国大統領に上り詰めたのでした。

 そうした世界変革のうねりは、われわれの住むこの世界が差別や偏見の克服へ向けて一歩また一歩と確実に前進していることの証に他なりません。

 半世紀前に「I have a dream」と格調高く訴えて世界中を熱狂させたキング牧師の夢を、完成に向けて確実に前進させたマンデラ元大統領の偉大な足跡を偲びつつ、ほぼ無力に等しい全くの微力ながら、そこへ向けて自分も「何かできないか」と問い続けて行きたいと思います。

 

 


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