横綱鶴竜が誕生した陰で、元大関琴欧州がひっそりと引退した。31歳。残念。
彼は昨年、8年も務めた大関から陥落した。それからたった4ヶ月後、早くも引退することに。ケガが命取りになった。
琴欧州はブルガリアから大相撲界に飛び込んで瞬く間に出世。22歳で大関に駆け登って、横綱になるのも時間の問題と言われた。
だが、連続負傷の不運に泣き、優勝1回きりで低迷した。何度もカド番を経験しながらその都度克服して、大関の地位だけは守り続けた。しかし、ついに力尽きた。
大阪場所途中で引退を表明した彼は、記者会見を開いて自らの相撲人生について涙ながらに語った。とても印象的な映像だった。
僕は琴欧州と、昨年引退した把瑠都の二人の大関が横綱になるのを心待ちにしていた。
ヨーロッパ出身の2人がハワイ、モンゴル勢につづいて横綱になれば、ヨーロッパにおける.相撲への関心が今以上に高まり、若者の入門希望者も増えて大相撲のグローバル化がさらに進む。
角界はそうやってますます発展していくだろう、と容易に予測することができた。
その意味では琴欧州の引退は、把瑠都のそれと同じく極めて遺憾な出来事だ。しかし、福音もある。琴欧州が引退後も親方として日本相撲協会に残る、と決まったことだ。
彼は今年1月に日本国籍を取得しているため、欧州出身力士として初めて、引退後も指導者として日本相撲協会に残ることになった。
大相撲の世界では、外国人力士は日本に帰化していない限り引退後に親方になることはできない。また帰化していても年寄り名跡を取得していなければ残留できない。
だが幸いなことに、大関経験者は3年に限って現役時代の四股名で親方になれる、という特例事項がある。琴欧州はその恩恵に浴し、琴欧州親方として相撲協会に残って、後進の指導にあたることになる。
外国人力士は、国籍や年寄り名跡取得の壁に阻まれて、現役引退後は角界を去る場合がほとんどである。そうではなくても親方として長く務めるケースは少ない。
例外が元関脇高見山の東関親方と、元横綱武蔵丸の武蔵川親方。琴欧州が彼らにならって、3年の特例期間が過ぎても親方であり続けるよう期待したい。
大相撲界は日本社会に一歩先んじてグローバル化を成し遂げた。だがそれは道半ばである。国際化は土俵上で闘う現役力士だけのことであり、大相撲を総轄する親方衆の世界にまでグローバル化が進んでいるわけではない。
そこまで国際化が浸透すれば、真の意味でのグローバリゼーションが成されることになる。そうした観点からも、琴欧州が親方として角界に残るのは朗報である。
大相撲のさらなる発展のためには、力士に続いて指導者の世界もグローバル化されるべきだ僕は考える。しかしそれは、一気に全てを開放して何もかも国際化してしまえ、ということではない。
なぜなら大相撲界が変わるのと平行して、外国出身の親方衆が自らを大相撲の世界に厳しく順応させて行く努力が先ず求められるべきだからだ。
角界のグローバル化とは、大相撲の根幹である日本の心を確実に保ったまま外国人を受け入れる、ということなのであって、日本の真髄を捨てて国際化するべき、という意味では断じてない。
国技である大相撲の伝統を守り発展させていくのは、やはり日本人か日本人に近い心を持つ者でなくてはならないと思う。従って力士引退後に親方として協会に残る者は、日本人として生きていくことに喜びを見出せる人物であるべきだ。
そうした考え方から、親方になりたい外国人力士は日本に帰化するべし、という厳しい規則は妥当なものだと言いたい。日本に帰化したくないなら、外国人力士は引退と共に大相撲界からは身を引くべきだ、と僕は今のところは思う。
誤解を怖れずにさらに言えば、外国出身の親方衆は徹底して日本人になる努力をするべきだ。なぜなら大相撲は、他の分野とは違って「日本的な特殊な世界」であり続けることによって、存在価値が高まる世界だからだ。
日本人力士の衰退が鮮明になりつつある今、大相撲は「グローバル化しつつグローバル化を拒否する」という不条理を体現することによってのみ、生き伸び、発展していくことができるように思う。
僕は一人の大相撲ファンである。スポーツでありエンターテイメントでもある大相撲がサッカーと並んで大好きだ。従って僕が相撲協会の趨勢や力士の動向などに関心があるのは、純粋に一相撲ファンとしてである。
同時に僕は、日本でもっとも保守的な社会のひとつである大相撲が、速やかに国際化を成し遂げた事実に、外から日本を見ている日本人の一人として瞠目してもいる。
多様化とグローバル化が急速に進んでいく世界の中で、今のところ日本はその流れに乗り遅れ、孤立しかけているように見える。僕はそのことに少し不安を抱いている。
そんな中でグローバリゼーションの大波に上手く乗った大相撲の世界は、日本社会全体のグローバル化のロールモデルになり得るのではないか、と僕は日頃から考えている。相撲界の変化に僕が常に関心を抱いているのは、それが理由である。