【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2014年08月

バチカンは反「イスラム国」一色の全体主義に巻き込まれてはならない



ドイツとイタリアは先日、イラク北部で過激派組織「イスラム国」と戦うクルド人勢力に対して武器の供与を行うと発表した。2006年に結成されたイスラム国は、その母体だったアルカイダにも勝る組織力と資金力を持つといわれている。
イスラム国はこれまでに多くの自爆テロや虐殺や誘拐事件を起こし、クルド人やキリスト教徒を殺戮し、先日は米国人ジャーナリストの首をはねる様子を撮影して、ネットに配信するという残虐非道な行動も取っている。

イタリアとドイツの異例の動きは、イラク国内で勢力を拡大し続ける過激派への欧州全体の苛立ちと不安が形になったものであり、それはイラクを空爆している米国やその後方支援に回っている英国などとも連動している。またフランスがクルド人勢力に精密兵器を供与しているのも周知の事実である。

ドイツとイタリアの武器供与宣言は驚くべきものだ。中でも政治・経済的にグローバルな影響力を持つドイツの決定は特筆に値する。

ドイツは世界第3位の武器輸出国でありながら、紛争地域への直接関与を避けて武器の供給等も控えてきた。第2次世界大戦への責任感とナチスの過去の重いくびきがあるからだ。同国が2003年の米国主導のイラク攻撃にさえ反対したのは記憶に新しい。

またイタリアは政治・経済的にはドイツほどの威力を持たないものの、バチカンを擁することで世界中のカトリック教徒に間接的あるいは心理的な影響力を行使している、という見方もできる。それだけに、ドイツに歩調を合わせた今回のイタリア政府の決定も、非常に重い意味を持つ。

欧州は彼らの持てる力を最大限に使って、米国と強調してイスラム国の蛮行に待ったをかける決心をした、と言い切っても間違いではないだろう。自由と民主主義を信じる世界のあらゆる勢力は、団結してこれを支持し、行過ぎたイスラム国の行動を阻止するべきである。

ところで、独伊が武器供与宣言をする2日前には、世界12億のカトリック信者の最高指導者であるバチカンのフランシスコ教皇が「イスラム国に対する国際社会の戦いは合法的である」と武力行使を容認する趣旨の、これまた異例中の異例の発言を行っている。

しかし、一大宗教組織の指導者であるフランシスコ教皇が、事実上「戦争を容認した」と受け取られても仕方のない発言をしたのは大きな疑問だと思う。

バチカンは過去において、キリスト教の名の下に戦争や殺戮等の罪を数多く犯した。その反省から近年は戦争に絶対反対の立場を貫き、いかなる紛争も対話で解決するべきという平和路線を維持してきた。

そうした観点からもフランシスコ教皇の表明は極めて驚くべき出来事だ。イタリアとドイツは、教皇の「戦争容認」発言を受けて大っぴらに武器供与宣言を行ったのではないか。バチカンと独伊の間には事前に合意があった、と考えても決して不自然ではないだろう。

フランシスコ教皇は、昨年3月に就任して以来、多くの急進的な改革に着手し、「マフィアは破門する」等の過激な発言も辞さない。改革を押し進める教皇に苛立つバチカン内の保守官僚組織「クーリア」の一部や、彼に糾弾されて窮地に陥っているマフィア等の犯罪組織は、フランシスコ教皇の暗殺を画策していると実(まこと)しやかに囁かれているほどだ。

そうしたことからも分かるように、フランシスコ教皇は彼の2代前の大ヨハネ・パウロ2世に勝るとも劣らない勇気と信念を持って、バチカンの旧弊や悪を取り除く努力をしている。彼の率直かつ正善な活動の数々は、質素を愛しまた実践する篤厚清楚な人柄と相まって、カトリック教徒のみならず世界中の多くの人々の尊敬を一身に集めている。

フランシスコ教皇の影響力は甚大だ。彼は軽々しく戦争肯定と見られかねないような発言をしてはならない。カトリックを含む世界中のキリスト教徒は既に、彼らの兄弟であるイラクのキリスト教徒を弾圧するイスラム国に怒りを募らせている。教皇の発言は彼らの怨讐心の後押しをするだけの結果になりかねない。

また宗教とは距離を置く欧米の政治勢力や権力機構も、完全に反イスラム国で大同団結している。そればかりではない。心あるイスラム教徒を含む世界の良心も、残虐非道なイスラム国の動きに胸を痛めている。

つまり、世界は反イスラム国一色に染まっているのだ。言葉を変えれば、世界は過激派組織「イスラム国」と国際社会の闘いを支持し、あまつさえその組織の殲滅を願っている、と形容しても過言ではないだろう。

イスラム国憎しの激情が逆巻く先は、憎悪が憎悪を呼び、恨みが恨みを買う暗黒の社会である。そんな折にバチカンは人々の怨嗟の炎に油を注ぐ行為をしてはならない。バチカンは逆に、憎しみの連鎖を遮断する最後の砦となる努力をするべきである。

バチカン及びキリスト教は2000年に渡る血みどろの歴史を持っている。それへの反省から近年は徹底した平和主義を唱え、先導し、実践してきたことは前述した。教皇はバチカンのその努力を水泡に帰すような行為を慎むべきである。

イスラム国への人々の挑戦は、この先いやでも徹底的に実践されるに違いない。従って教皇は、たとえ建前だけでも「戦争には反対」と主張するべきではないか。そうすることで彼は、キリスト教徒のみならず将来必ず破綻するであろうイスラム国の戦士らの魂も救うことができると考える。

事はバチカンに限らない。世界のあらゆる宗教の指導者たちは、憎しみが逆巻く現在のような時こそ、強い意志で友愛と平和を説き続けるべきである。宗教は戦争に巻き込まれてはならない。そして宗教は自らが戦争に巻き込まれない努力をしない限り、直接・間接に必ずそれに巻き込まれるのが宿命である。


2014 爆雨の夏



イタリアは雨また雨+低温の夏が続いている。

8月の今でも夜は寒い日が多い。

リゾート地は海も山も川も湖もどこもかしこも閑古鳥の群れが泣き叫び、ビーチも土産物屋もレストランも収入がガタ落ち。

結果、仕事にあぶれる者も続出。

イタリアはただでも財政危機で大きな不況に見舞われている。

バカンス関連ビジネスの不振は泣き面に鉢だ。

海や山の歓楽施設や飲食店などは9月の晴天に大きな期待をかけている。

が、見通しはあまり良くない。

このまま季節が移ろえば10月どころか9月にもストーブを点火する家庭が多く出そうな勢い。

日本も広島の不幸を筆頭に大雨の被害が大変だと聞いている。ここイタリアの今夏の降雨も記録破りである。

そうしたおかしな気候を目の当たりにすると、異常気象という言葉はもはや正しくないような気さえしてくる。

僕らはもしかすると異常が通常になって、通常が異常になる過程を生きているのかもしれない。

爆雨の夏で得をしたのは僕の小さな菜園と、

無許可の路上傘売り屋と、

日焼けサロンと、

連日の雨で自宅待機を余儀なくされた人々が群がるIKEAの日曜大工コーナーと、

街中の映画館と美術館など、など。。。

でもそれらは、リゾート地のバカンスビジネスが蒙(こうむ)った大きな損失に比べると、もちろんささやかすぎる程ささやかなゲインに過ぎない・・・


映画にならないマフィアの実像



言うまでもないことだが、映画「ゴッドファーザー」でマーロン・ブランド、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノなどが演じた、躍動するマフィアの男たちの姿は劇中のみの夢物語である。いや、多くの犯罪行為は現実のマフィアのそれにも重なるが、イメージとしての人物群像は映画のように格好の良いものではない。

たとえば今言った映画の登場人物3人の顔に、収監中のマファの大ボス、トト・リイナ、ベルナルド・プロヴェンツァーノ、ジョヴァンニ・ブルスカ等の、洗練とは程遠い横柄不遜な悪相を重ねて見るだけでも語るには十分だろう。銀幕上の颯爽たる役者とは似ても似つかないのがマフィアの男たちである。

シチリア・マフィアの起源についてはいろいろな説があるが、元々はシチリア島西部に起こった、支配者フランスへの抵抗組織だったという説が有力である。というよりも、シチリア島の多くの人々がそう信じたがっているように見受けられる。

その説に従えば、MAFIAという名も「Morte Alla Francese Insurrezione Armata」(フランス人に死を。武器を持って立ち上がれ。)の頭文字を取ったものだということになる。意味は通じるのである。

また同じような解釈で「Morte Alla Francese Indipendenza Autonomia」(フランス人に死を。そして独立と自治を。)、あるいは「Morte Alla Francia! Italia Anela!(フランスに死を。これはイタリアの叫びだ。)」の略語という説もある。  

こうした解釈は、マフィアに少なからぬ連帯感を持っている人々のこじつけのような気が僕はする。第二次大戦時のナチスやファシストに対するフランス及びイタリアのレジスタンス運動に似せて、マフィアを「シチリアの民衆の味方」として位置づけようとする作意が感じられるのである。

しかしマフィアの持つおどろおどろしいイメージや実態には、むしろ次の2つの説のほうが良く似合う。

1つは、大昔シチリア島のパレルモ地方を支配していたアラブの種族「 Ma Afir(マ・アフィル)」から来ているという説。 またもう1つは、フランス兵に娘を殺された母親がシチリア方言で「Ma Figlia! Ma Figlia ! 」(娘よ、娘よ)と泣き叫びつづけたことから来るという説である。 Ma Figliaはシチリア訛りの発音では「マフィア」とほとんど区別がつかない。

西洋人がアラブ人に抱く不気味なイメージ、そして哀れなシチリアの農婦が娘の亡骸を掻き抱いて号泣する図。そうした不可解な感じ、悲哀、土着的なもの、古代の粘着感・・・のようなものがマフィアの本質であって、決してレジスタンス運動のような英雄的な、しかもある意味で近代的な思想や行動様式を持つ男たちの集合体ではなかったと僕は思う。

いずれにしても、それらの説には1つだけ重大な共通点がある。つまりどの説も支配され、蹂躙されつづけたシチリアの人々の悲劇や怨念や復讐心や詠嘆を背景にしてマフィアが生まれた、と主張している点である。

シチリア島は紀元前のギリシャ殖民地時代以来、間断なく島外の大きな力の支配を受け続けてきた。国(島)を乗っ取られて迫害を受けたと感じたシチリアの人々は、彼らだけで団結し、団結の要としてマフィアという秘密結社が形成されて人々を保護した、という訳である。その主張は恐らく正しい。
 
とはいうもののマフィアはそれと同時に、シチリア島の中で支配者とは関係なく存在してきたシチリア社会だけの必要悪でもあった。それはたとえば日本の片田舎で、発展する都会の富に浴さないと感じた人々が、土地の山を切り開いてリゾート施設を作ったり、道路を作ってくれたりする地元の建設業者にぴたりと寄り添う心理と極めて似通っている。

マフィアは殺人や麻薬密売やテロに手を染める犯罪シンジケートであると同時に、土地開発やハコ物行政やインフラ整備に関わるあらゆる公共事業等の利権を握っているシチリアの有力者、あるいは権力者とも呼べる存在である。その構図は表向きは秘匿されている。だからこそのマフィアなのである。  

マフィアは建設会社を経営し、建設会社を通して村人を支配し、村人の票を一手に握って地域の政治家を支配し、その単純な構図をさらに拡大してイタリアの国政にまで入り込んでいる。シチリア島は、基本的に土建業者であるマフィアに生活の糧を握られている巨大な村社会でもあるのだ。
 
土建業者であるマフィアは、そこで儲けた金を元手にあらゆる事業に進出して、ますます強くなった。強くなるためには殺人を犯し恐喝を実践し無差別殺戮の爆弾テロにまで手を染める。事業は密貿易、売春、麻薬密売とどんどんエスカレートして、巨大犯罪組織としての側面がふくらんでいく。

しかしながらその巨大犯罪組織は、それぞれの土地の構成員をうまく使い隠れ蓑にして、貧しい村や町の人々の生活に密接に関わっている土地の土建業者、あるいは強持ての有力者、という基本的な立場は少しも変わることなく保ちつづけている。
 
もっと言えば、シチリアの人々の生活を助けてくれるのは、ローマの政治家に代表される大陸(シチリア人はイタリア本土を良くそういう風に呼ぶ)の力ではなく、その土地土地のマフィアの男たちなのだ、と人々に思いこませるだけの力を保持している。そこがシチリアにおけるマフィアの強さであり、マフィアとはシチリア島そのものだと僕が感じるゆえんである。

シチリアのマフィアはシチリアの人々のメンタリティーが変わらない限り根絶することはできない。同時にマフィアが征服されない限りシチリア島の人々のメンタリティーは変わらない。マフィアはそれほど深く広くシチリア社会の中に根を張っている。

しかしシチリア島民の名誉のために付け加えておけば、そうした癒着の構図は、内容や構成要因その他に様々の違いはあるものの、イタリア本土にもまた欧州にも、さらには日本を含む世界各国にも存在する普遍悪であって、決してシチリア島の専売特許ではない。





マフィアの亡霊



加筆再録



僕はイタリア・シチリア島にたくさんの友人がいて、ロケ撮影やリサーチなどの仕事のほかにプライベートでも良く島を訪ねる。シチリアにはドキュメンタリー にしたい題材が多いが、一番魅力的なテーマはなんと言ってもマフィアである。しかし僕がこれまでにシチリア島で取材したドキュメンタリーも、また今後ロケ をするチャン スをうかがっている作品も、今のところマフィアとは直接には関係がない。

それでいながら僕は、シチリアで何かの作品を制作することは、どこかで既にマフィアを描くことにつながっていると考えている。なぜならマフィアとはシチリア島そのものだからである。シチリアの島民の全てがマフィアと関わっているという意味ではもちろんない。

それどころか彼らは犯罪の被害者であり、誰よりも強くマフィアの撲滅を願っている人々である。しかし島民は、恐怖と誇りという2つの感情の鎖で心をがんじがらめに縛りつけられているために、結果としてマフィアに協力してしまう行動を取ることさえある。
 
マフィアにはオメルタ(沈黙)という鉄の掟がある。組織のことについては外部の人間には何もしゃべってはならない。裏切り者は本人はもちろんその家族や親 戚、果ては必要ならば友人知己まで抹殺してしまう、というすさまじいルールである。オメルタは長い間に村や町や地域を巻き込んで、最終的にはシチリア島全 体の掟になってしまった。

シチリアの人々はマフィアについては誰も本当のことをしゃべりたがらない。しゃべれば報復されるからだ。報復とは死である。人々を恐怖のどん底に落とし入れる方法で、マフィアはオメルタをシチリア島全体の掟にすることに成功した。
 
しかし、恐怖を与えるだけでは、マフィアはおそらくシチリアの社会にこれだけ深くオメルタの掟を植えつけて行くことはできなかった。シチリア島民が持って いる シチリア人としての強い誇りが、不幸なことにマフィアへの恐怖とうまく重なり合って、オメルタはいつの間にか抜き差しならない枷(かせ)となって人々にの しかかっていったのである。

シチリア人は独立志向の強いイタリアの各地方の住民の中でも、最も強く彼らのアイデンティティーを意識している人々である。四方を海に囲まれた島国の人間というのは共同体意識が強く、常に内と外を分けて考える性癖が身についているのは周知の事実である。

それは時代が進み近代化の波が押し寄せる過程で薄れていくものだが、シチリア島にはその波がゆっくりとした速度でしか寄せてこなかった。そのためにシチリア島には、イタリアの中でも前近代的な側面を最も強く持つ社会が今も残ることになった。
 
そうしたことに加えてシチリア島は、紀元前のギリシャ植民地時代以来、ローマ帝国、アラブ、ノルマン、フランス、スペイン、等と 次々に異国に征服されてきた。外の力に支配されつづけたシチリア人は、その反動でますます彼ら同志の結束を強め、かたくなになり、シチリアの血を意識して それが彼らの誇りになった。

シチリアの血を強烈に意識する彼らのその誇りは、犯罪のカタマリである秘密結社のマフィアでさえ受け入れてしまう。いや、むしろそれをかばって、称賛する心根まで育ててしまう。なぜならば、マフィアもシチリアで生まれシチリアの地で育った、シチリアの一部だからである。

かくしてシチリア人はマフィアの報復を恐れて沈黙し、同時にシチリア人としての誇りからマフィアに連帯意識を感じて沈黙するという、巨大な落とし穴にはまってしまった。

1861年にイタリアは統一された。 この出来事は異民族の支配下にあったシチリアの立場を良くするどころか、むしろ人々の疎外感を強める結果になった。統一はイタリア北部の主導で成されて、 北部の発展だけに寄与する体制だとシチリア人は感じたのである。事実統一後のイタリア国家は、現在でも北部と南部の経済格差が激しい国情である。

シチリアの島民は、統一が異民族の支配からの脱却などではなく、新たな異民族つまりイタリア北部人によるシチリア島の征服である、とはっきりと悟った。以 来彼らはシチリアの一部であるマフィアに対する連帯意識をさらに強めて、北部がローマを隠れみのにくり出してくるマフィア撲滅を目的にした国家権力、つま り警察には一切協力しない方向に傾いていった。

シチリアの人々はマフィアについては誰も本当のことを語らない。従って警察もなかなかマフィアのシッポをつかむことができない。マフィアの構成員と考えら れる犯罪者を捕らえても、目撃者や被害者をはじめとする周囲の人々が沈黙を守るために、決定的な証拠が不足してしまうのである。

マフィアを一掃できないのは、イタリアの官憲がだらしないからだと良く聞く。それにも一面の真実がある。しかし、シチリア島のおよそ500万人の住民が官憲に対して敵意に近い感情を持ち、結果としてマフィアをかばう図式があることも、また事実なのである。

そうした現実は、イタリア人を含むシチリア島以外の世界中の人々が、島や島人をマフィアそのものと見なしてしまう態度になって彼らにはね返り、シチリアの 人々をさらにかたくなにしていく。かたくなになって、彼らはマフィアに関してはなお一層口をつぐんでしまい、マフィアはいよいよそれに助けられる、という 悪循環にあえいでいるのがシチリア島の状況である。

マフィアはシチリア島の現実だが、島民を含む世界中の人々の恐怖心と嫌悪と怒りによって拡大解釈され、とめどもなく膨れあがって、ついには制御のきかなくなったいわば亡霊のような側面がある。

僕は冒頭で、マフィアとはシチリア島そのものである、と言った。それはシチリアの置かれた特殊な環境と歴史と、それによって規定されゆがめられて行ったシチ リアの人々の心のあり方を象徴的に言ったものである。シチリアの人々を何かにつけてマフィアそのもののように見なす風潮には、僕は加担しない。
 
もう一度冒頭の自分の言葉にこだわって言えば、マフィアとはシチリア島そのものであるが、シチリア島やシチリアの人々は断じてマフィアそのものではない。 島民が全てマフィアの構成員でもあるかのように考えるのは、シチリア島にはマフィアは存在しない、と主張するのと同じくらいにバカ気たことである。



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