【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2014年11月

握り寿司という言霊(ことだま)



先日、家庭内祝祭で人生2度目の握り寿司を拵(こしら)えた。ネタはマグロと鯛である。

マグロは地中海産の黒マグロ。最近は刺身の味を覚えたイタリア人がよく食べるので、質の良いものが割りと簡単に手に入るようになった。

鯛は外見が真鯛に良く似た、DENTICE(デンティチェ)と呼ばれる天然もののヨーロッパ黄鯛。2キロ弱の大物を自分でさばいた。

ここイタリアでは鯛(ORATA・オラータ)とは、日本で普通チヌと呼ばれる黒鯛のこと。真鯛はPAGRO(パグロ)というが魚屋ではあまり見かけず、代わりにDENTICE(デンティチェ)が店頭に並ぶことが多い。

DENTICE(デンティチェ)は、味は良いが身がやわらかくて肉(身)が割れやすい、という特徴がある。従って刺身にもまた握りのネタにもあまり適さない。

僕は今回はマグロに加えて、敢えてそのDENTICE(デンティチェ)を使って握りを作ることにした。天然大物のその魚の姿があまりにも美しいので、いつも料理する養殖ものの黒鯛の確実(身割れしないという意味で)を捨てて挑戦する気になったのだ。

結論を先に言うと、僕の握りは今回も大好評で家族の全員と招待客が大いに喜んでくれた。マグロも真鯛もどきのDENTICE(デンティチェ)も。

人気の握り寿司への自信を深めた僕だが、実はそれへの挑戦は、前述したように昨年のクリスマスイブと今回の2回だけである。

昨年、生まれて初めて握り寿司に挑戦した後、僕は日本とイタリア在住の友人知己に連絡をして、彼らが家庭で握り寿司を作るかどうかを確認した。

それというのも、巻き寿司やちらし寿司あるいは稲荷寿司などとは違って、握り寿司は寿司屋で職人が握った品を食べるものであり、自宅で自ら作って食べる 料理ではない、という強い固定観念が僕にはあったからだ。そしてそれは多くの日本人の固定観念でもあるように感じていたからだ。

結果、僕の「感じ」はやはり的を射ていた。ほとんどの人が握りは寿司屋の専売特許、という風な答え方をした。自分で握ることがあると答えた者も、それをいわば握り寿司「もどき」とまでは考えないが、寿司屋で職人の握る寿司とはどこか違うもの、という捉え方のようだった。

僕自身にとっても、『自分で握る握り寿司』の世界はほぼタブーだった。ところが僕は人生でたった2度の寿司握りの体験を経て、そうした思い込みは無意味な「型の縛り」であり、「言霊(ことだま)」にも似た迷信だと確信するに至った。

周知のように言霊とは、言葉に宿るといわれる霊のことで、それは強い力をもってわれわれの生に作用するとされる。古来日本に多く見られる思考観念だが、実は世界中に少な からず見られる傾向である。しかしながら日本の場合は、例えば欧米などと比べるとその縛りが強くて、ほとんど信仰の域にまで達していると思う。

僕の握る寿司は、プロの寿司職人の握る寿司とは完成度や見た目や味のこくや深みなどという部分でもちろん違いはあるだろう。が、それはまぎれもなく握り寿司であって、まがいものや「握り寿司もどき」では断じて無い。

握り寿司は家庭でも作れる料理であり、それを寿司職人の専売特許と考えるのは根拠の無い偏見だ。言葉を変えれば、例えば鯛という魚がメデタイに通じるから 縁起が良い、と考えるダジャレと同じ感覚である。

そうした遊びは遊びとして楽しんでいるうちはいい。が、いつの間にか例えば、鯛だけが縁起ものだからそれ以外の魚は祝いには向かない、などと頑迷に言い張るようになってはつまらない。握り寿司イコール職人芸、という思い込みはどうもそれに似ていると感じる。

僕は今後、さらに握りの腕を磨いて、家族や友人らに喜んでもらおうと考えている。そして、寿司職人の握る素晴らしい味もまた素直に探求しようと思う。寿司 を自分で握ってみて、僕はその見事な料理の絶妙と精良の核心が理解できそうな気になっている。それは言霊や迷信を怖れてチャレンジをしない者には分からない喜びである。

論が前後するようだが、僕は言葉の持つ力を信じる者である。言葉には「言霊」という迷信ではなく、科学的かつ論理的な力がある。つまり、われわれの思考の全ては言葉なのだから、それは肉体と同じ程度の実体と根拠を持つ人間存在の基盤だ。

人は言葉を実際に音にして発するだけではない。思索も言葉で行っている。文学は言うまでもなく、思想も哲学も言葉がなければ存在しない。数学的思考ですら人は言葉を介して行っている。それどころか数式でさえも言葉である。

言葉には人間存在の根源と言っても過言では無い巨大なパワーがある。存在そのものが言葉だと言えば語弊があるが、人間が他の動物と違うのは言葉を獲得したことなのだから、そういう言い方でさえある意味では正しい。

言葉は明晰で実際的な力を持つ人工物である。それは自然物のように説明不可能な霊力を発揮して(飽くまでもそういうことがあるという前提で)人間や世界を変えることはない。人間が自らが作った明晰な言葉によって人間自身に影響を及ぼし、存在を変え、世界を変えるのである。それ以外の形は迷信であり陋習であり、文字通り単なる言葉の遊びに過ぎない。

麻薬大国の恋人たち



過日、ベニス近くの村で行われた友人の結婚式に出席した。友人とは花嫁のアンナと花婿のマルコ。ともに50歳代半ば過ぎ。マルコは元麻薬中毒患者でイタリア人の妻の幼なじみ。今では僕の友人でもある。

イタリアの麻薬汚染は根深い。誰の身近にも麻薬問題を抱える人間が1人や2人は必ずいる。僕の周りには、オーバードーズなどで亡くなった者以外に、マルコを含めて7人の患者や元患者がいる。

その人数には、僕がテレビや文字媒体での取材を通して知り合った、薬物中毒者や元中毒者は含まれていない。また面識はないが、家族や友人知己を介して聞き知っている常習者も数えていない。

僕が直接に知っている麻薬患者7人のうちの2人は、現役というか今現在の依存症患者。友人と知人の息子である。若い2人は共に麻薬患者更正施設に入っている。

残りの5人は元麻薬中毒者。5人とも40歳代から50歳代の男性4人と女性1人である。彼らのうち早くに中毒から抜けた者は良いが、遅れて開放された者は今も後遺症に悩まされている。

マルコとアンナが10代で出会った時、彼は既に麻薬に溺れていた。アンナはマルコに寄り添い、世話を焼き、麻薬の罠から彼を救い出そうと必死の努力を続けた。

アンナの献身的な介護の甲斐があって、マルコは麻薬中毒から解放され、地獄のふちから生還した。彼が20歳代半ばのことである。
 
しかし、彼は麻薬をやめても精神的に不安定で、落ち着いた普通の暮らしができなかった。元麻薬中毒者によくあるパターンで、肉体的な依存症がなくなっても、精神的なそれからは容易に解放されずに苦しむのである。

2人の息子をもうけながらも、彼らは結婚の決心がつかず、一時期は別れたりもした。マルコが落ち着き、アンナが彼と結婚しても良い、と感じ始めたのは40歳代も終わりのころだったという。
 
10代の後半で麻薬中毒になり、20代でそこから開放されたマルコは、早くに麻薬のくびきから逃れた患者の部類に入る。それでも以後、彼は麻薬の「精神的」禁断症状に苦しみ、還暦が視野に入った今でも「元麻薬中毒者」という世間の偏見と、自らの負い目に縛られ続ける時間を過ごしている。

教会で行われた結婚式では、28歳と26歳の彼らの息子が、結婚の証人として2人の両脇に寄り添って立った。それは正式なものではなく、長い春を経て結婚を決意した両親を祝福する意味を込めて、息子2人が「ぜひに」と教会に申し出て実現したものだった。

2人の結婚を、特にアンナのために、僕は心から喜んでいる。長年マルコに尽くしてきたアンナは、とても女性的でありながら身内にきりりと強い芯を持っている。それは慈愛に満ちた母親的なものである。
 
アンナはその強い心で、廃人への坂道を転がっていたマルコを支えて見事に更生させたのだ。穏やかなすごい女性がアンナなのである。

                               (つづく・随時)


チュニジア総選挙は真の「アラブの春」の前兆か



先日、中東の民主化運動「アラブの春」の引き金となった「ジャスミン革命」の地元・チュニジアで議会選挙が行われた。結果、世俗派政党の「ニダチュニス (チュニジアの呼びかけ)」が勝利し、これまで第1党だったイスラム主義政党「アンナハダ(再生)」は第2勢力に後退した。

中東から北アフリカにかけてのアラブの国々は「アラブの春」以降もイスラム主義の台頭で政治不安や騒乱が絶えない。その中にあってチュニジアは曲がりなりにも民主化が進展した国だが、保守色の強い「アンナハダ」を抑えて「ニダチュニス」が第一党になったことは、同国の民主化が一層進むことを示唆している。

とは言うものの、「ニダチュニス」は全体の39%に当たる85議席を獲得しただけで、単独過半数には至らなかった。そのために今後は、全体の32%の69 議席を得たイスラム主義政党「アンナハダ」との連立政権を目指すと見られる。連立には「アンナハダ」も意欲的とされるが、硬直した考え方をするイスラム主義政党との提携は、恐らく前途多難だろうと推測できる。

議会選挙の前の7月、僕はそのチュニジアを旅した。チュニジアはイタリアから最も近い北アフリカのアラブ国。イタリア南端のシチリア海峡をはさんで約 150キロの距離にある。元はフランスの植民地だが、そのはるか以前はローマ帝国の版図の中にあった。歴史的事情と、シチリア島に近いという地理的事情が相まって、同国にはイタリア人バカンス客が多く渡る。

1980年代に、イタリアにしては長い4年間の政権維持を果たした社会党のベッティーノ・クラクシ元首相は、汚職事件の関連で失脚してチュニジアに亡命。その後 イタリアに帰ることはなく、同地で客死した。似たようなエピソードはイタリアには多い。イタリア人はチュニジアが好きなのである。

そんなわけでイタリアーチュニジア間には多くの飛行便があり船も行き交う。そのうちの一つを利用して僕もチュニジアに渡った。 リサーチと少しの休暇を兼ねた一週間の逗留。多くの遺跡や首都チュニスなどを精力的に回った。ジャスミン革命は未だ終焉していないとも言われるが、同国の世情は平穏そのものだった。

しかし実はその頃チュニジアは、来たる議会選挙へ向けて国中が熱く燃えていた。それは革命後に憲法制定のために設置された暫定議会に代わる、正式な国会を発足させるための重要な選挙である。それに向けて国中で有権者の名簿作りが急ピッチに行われていて、首都チュニスの政府庁舎近くに作られた登録所前には、多くの市民が行列を作って登録をしていた。

また滞在中に僕がよく買い物をしたフランス系の大手スーパー「カルフール」の売り場の一角には、「チュニジアを愛する。だから登録をする」という標語を掲げた有権者登録所が設けられていて、ヒジャブ姿の受付の若い女性2人が、次々に登録にやって来る有権者の対応に追われていた。

周知のようにチュニジアでは2011年に民主化を求めるジャスミン革命が起こり、23年間続いたベンアリ独裁政権が崩壊した。それはエジプトやリビアさらにシリアなどにも波及して、アラブの春と呼ばれる騒乱に発展した。だが多くのアラブ諸国では、騒乱は収まるどころかむしろ民主化に逆行する形で継続している。

例えばアラブの大国で周辺への影響も大きいエジプトでは、独裁軍事政権を倒した民主化運動を、再び軍が立ち上がって弾圧するなど、明らかにアラブの春の後退と見える事態が発生している。それよりもさらに混乱の激しいリビアやシリアの場合は、ここに論を展開するまでもない。

アラブ全域の民主化の確たる行方が知れない中で行われたチュニジアの議会選は、ベンアリ独裁政権が崩壊した直後に制定された憲法の下で初めて実施された。同憲法は大統領権限を国防と外交に限定し、行政権その他の権限は議会の多数派が組閣する内閣に付与すると定めている。

従って議会選が国民による 実質的な政権選択の機会となる。比例代表制で行われた今回の選挙では、先に書いたように世俗政党の「ニダチュニス」が選挙に勝ち、恐らく連立政権が樹立されるであろうと考えられている。

チュニジアではまた、今月23日に大統領選挙も行われる予定である。議会第1党の「ニダチュニス」からは、総選挙を勝利に導いた党首のカイドセブシ元首相の立候補が有力視されている。カイドセブシ党首は、ジャスミン革命後の「アンナハダ」政権下で台頭したイスラム過激派への警戒を選挙戦で強く呼びかけて、市民の支持を取り付けた手腕が評価されている。

アラブの春の民主化は、繰り返し述べたように、チュニジアを除けば一進一退の状況が続いている。しかし、それはきっと本格的な民主化に至るまでの足踏みなのだと思いたい。アラブの春が結実するためにも、その手本としてチュニジアの民主化が大幅に前進してほしい、と僕は先日の旅行中、アフリカの強烈な日差しに焼かれながら思い、総選挙が終わった今はさらに強くそう願っている。 


記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

なかそね則

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ