【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2015年09月

いつまでも死なない老人を敬う必要はない


去ったシルバーウィークの期間中、間もなく90歳になるイタリア人の義母に日本には「敬老の日」というものがある、と会食がてらに話した。

義母は即座に「私を含めて最近の老人はもう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」ときっぱりと返した。

老人は適当な年齢で死ぬから大切にされ尊敬される。いつまでも生きていたら私のようにあなたたち若い者の邪魔になるだけだ、と義母は続けた。

そう話すとき義母は微笑を浮かべていた。しかし目は笑っていない。彼女の穏やかな表情を深く検分するまでもなく、僕は義母の言葉が本心から出たものであることを悟った。

老人の義母は老人が嫌いである。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観である。そして義母自身は僕に言わせると、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない。

それなのに彼女は、老人である自分が他の老人同様に嫌いだという。なぜならいつまで経っても死なないから。彼女は80歳を過ぎて大病を患った頃から本気でそう思うようになったらしい。

僕は正直、死なない自分が嫌い、という義母の言葉をそのまま信じる気にはなれない。それは死にたくない気持ちの裏返しではないかとさえ考える。だがそれはどうやら僕の思い違いだ。

義母は少し足腰が弱い。大病の際に行われたリンパ節の手術がうまく行かずに神経切断につながった。ほとんど医療ミスにも近い手違いのせいで特に右足の具合が悪い。

足腰のみならず、彼女は体と気持ちがうまくかみ合わない老女の自分がうとましい。若くありたいというのではない。自分の思い通りに動かない体がとても鬱陶しい。いらいらする。

もう80年以上も生きてきたのだ。思い通りに動かない体と、思い通りに動かない自分の体に怒りを覚えて、四六時中いら立って生きているよりは死んだほうがまし、と感じるのだという。

そういう心境というのは、彼女と同じ状況にならない限りおそらく誰にも理解できないのではないか。体が思い通りに動かない、というのは老人の特性であって、病気ではないだろう。

そのことを苦に死にたい、という心境は、少なくとも今のままの僕にはたぶん永遠に分からない。人の性根が言わせる言葉だから彼女の年齢になっても分かるかどうか怪しいところだ。

ただ彼女の潔(いさぎよ)さはなんとなく理解できるように思う。彼女は自分の死後は、遺体を埋葬ではなく火葬にしてほしいとも願っている。カトリック教徒には珍しい考え方である。僕はそこにも義母の潔さを感じる

カトリック教徒が火葬を望む場合には、生前にその旨を書いて署名しておかない限り、自動的に埋葬されるのが習わしである。

そこでカトリック教徒である義母は、50歳台半ば頃にそのことを明記した書類を作成して、火葬協会(SOCREM)に預けた。娘である僕の妻にもコピーを一部渡してある。

現在は書類を作らなくてもカトリック教徒を荼毘に付すことができる。しかし義母がまだ若かった30~40年前までは、イタリアでは火葬は奇怪な風習とみなされていたのだ。今もそう考えるカトリック教徒は多い。

また義母はこのさき病魔に侵されたり、老衰で入院を余儀なくされた場合、栄養点滴その他の生命維持装置を拒否する旨の書類も作成し、署名して妻に預けてある。

生命維持装置を使うかどうかは、家族に話しておけば済むことだが、義母はひとり娘である僕の妻の意志がゆらぐことまで計算して、わざわざ書類を用意したのだ。

義母はこの国の上流階級に生まれた。フィレンツェの聖心女学院に学んだ後は、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきた。学問もあり知識も豊富だ。

彼女は80歳台前半で子宮ガンを患い全摘出をした。その後、苛烈な化学療法を続けたが、副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をひとことも愚痴ることがなかった。毎日を淡々と生きて来年1月で90歳になる。

理知的で意志の強い義母は、あるいは普通の90歳の女性ではないのかもしれない。ある程度年齢を重ねたら、進んで死を受け入れるべき、という彼女の信念も特殊かもしれない。

だが僕は義母の考えには強い共感を覚える。それはいわゆる「悟り」の境地に達した人の思念であるように思う。理知的ではなかったが僕の死んだ母も義母に似ていた

日本の高齢者規定の65歳が待ち遠しい還暦まっ盛りの「若造」の僕は、運よく80歳まで生きるようなことがあっても、まだ死にたくないとジタバタするかもしれない。

それどころか、義母の年齢やその先までも生きたいと未練がましく願い、怨み、不満たらたらの老人になるかもしれない。いや、なりそうである。

だから今から義母を見習って「死を受容する心境」に到達できる老人道を探そうかと思う。だが明日になれば僕はきっとそのことを忘れているだろう。

常に死を考えながら生きている人間はいない。義母でさえそうだ。死が必ず訪れる未来を忘れられるから人は老境にあっても生きていけるのだ。だが時おり死に思いをめぐらせることは可能だ。

少なくとも僕は、「死を受容する心境」に至った義母のような存在を思い出して、恐らく未練がましいであろう自らの老後について考え、人生を見つめ直すことくらいはできるかもしれない。

これといった理由もないままに忘れ果てていた「敬老の日」が、いつからか9月の第三月曜日と決められ、且つその前後の日々がシルバーウィークと呼ばれることを今回はじめて知った。

「敬老の日」の前日の日曜日、いつもの週末のように妻が母のもとを訪れた際に、妻に伴って行って僕も義母に会った。そこで日本の「敬老の日」の話をしたのである。

義母は足腰以外は今日もいたって元気である。身の回りの世話をするヘルパーを一日数時間頼むものの、基本的には「自立生活」を続けている。そんな義母にとっては「敬老の日」などというのは、ほとんど侮辱にも近いコンセプトだ。

「同情するなら金をくれ」ではないが、「老人と敬うなら私が死ぬまで自立していられるように手助けをしろ」というあたりが、彼女がきっと日本の「敬老の日」への批判にかこつけて僕ら家族や、役場や、ひいてはイタリア政府などに向かって言いたいことなのだろう。

言葉を変えれば、義母の言う「いつまでも死なない老人を敬う必要はない」とはつまり、元気に長生きしている人間を「老人」とひとくくりにして、「敬老の日」などと持ち上げ尊敬する振りで実は見下したり存在を無視したりするな、ということなのだろうと思う。

言い訳は嘘つきの母だぞ



思うようにブログが書けない。

溜まりに溜まっているテーマや書きかけの文章、一度どこかに発表して加筆、省筆、修正したいエッセイやコラムや記事等が多くある。

そこに時事話が加わるので、いよいよ書くべき事案が山積してきた。それはゴミやモノ(所有物)と同じで、溜まるほどに片付けや整理が難しくなる。

収入になる時間潰し、つまり「仕事」さえなければ好きな執筆に専念できる。でもなかなか仕事が減らない。減るどころか増え続けている。

本来のテレビ屋の仕事はぐんと少なくした。しかし、それにかかわるリサーチやビデオ制作コンサルティング的な仕事はなくならない。

そこに、家族にまつわる財務管理あるいは不動産経営見習い、はたまた見よう見まねの経営者、みたいな気の重い仕事がここ数年ドカンと増えた。

ここ数日間も財務管理に駆け回りながら、難民のこと、又吉芥川賞本のこと、敬老の日のこと、アンダルシアのこと、などなど・・の、

時事話を書いた。ツーか、書きかけている。ツーか「下書きを書き上げて」いる。それらは、溜まりに溜まっているテーマやその下書きに加えての「書き物」。

それらの「書き物」は時間が見つかり次第仕上げて投稿するつもり。それは急がないと時事モノなので腐ってしまう。

腐ると個人ブログとはいえ発表できない。発表してはいけない。そうやって投稿できずに僕の「記事ネタ倉庫」に入った腐れネタあるいは記事はたくさんある。

それでも。メチャ忙しくても、僕はいい加減に時間を潰して遊ぶことは忘れない。忙中閑あり。とあえて意識しているわけではない。が、遊ぶことが好きだ。

先々週からは大相撲に心浮かれて過ごしている。大相撲は大好きだ。メチャ忙しいのに大相撲を見る時間は間違ってもアル。間違わなくてもアル。

今場所は白鵬が休場して、照ノ富士の台頭が余計に鮮明になって楽しい。時間がないので、録画をしておいて、長くのんびりの仕切り部分は飛ばして勝負だけを見る。

それでも十分に面白い。それどころか、短い試合が面白い。それを見ていて、なぜ自分が大相撲が好きか分かった。好きな理由の一つが分かった。

それは相撲の勝負がほとんどの場合、一瞬と言ってもいいほどの短時間で決着がつくからだ。長い勝負でも1、2分がいいところ。それ以上だと水入りにさえなる。

短い勝負だから本気の場合は八百長などできない。真剣勝負になる。大相撲が先ごろ八百長問題で揺れたのは本気を失っていたからだ。

大相撲は叩かれて“本気”を取り戻した。それは大相撲をずっと見てきた者には分かる。そして僕は遠いイタリアにいながらもずっと大相撲を見てきた。

ブログが書けない言い訳を探していたら、大相撲に心を奪われている自分に気づいた。そのことを言いたくてこの記事を書き出した。

ブログよりも大相撲が面白い。だから僕はブログ書きに時間を潰すよりも、大相撲観戦に貴重な時間を割り当てているのだ。

Ecco(エッコ)、これがこのエントリーで言いたかったことだ。Eccoとはイタリア語で、ま、いわば「え~っと」とか「つまり」とか「分かった?」みたいなチョー便利な言葉。

あえて日本語で言えば「ありがとう」「ごめん」「こんにちは」「しばらく」などなど、何にでも使える『どうも』みたいな言葉。

Ecco、分かっていただけましたでしょうか?

独メルケル首相は難民に心を閉ざしたのか



ハンガリーに足止めされていた難民を一気にドイツに入国させて世界を感動させた同国のメルケル首相は、一転して国境を一時的に閉鎖すると発表して再び世界を驚かせた。気の早い者は、彼女が「豹変」したと批判しているほどである。

ドイツがEU(欧州連合)域内の人の行き来を自由にするシェンゲン協定を反故にするのではないか、と怖れる人々も多い。だがその心配はないと僕は考える。なぜならシェンンゲン協定はEUの存在意義を担保するもっとも重要な取り決めの一つだからだ。

人が自由に行き来することによって、EU内の文化芸術の交流が盛んになると同時に物の流れもスムースになる。そのことによって経済が活発化する。それによってEU内でもっとも大きな恩恵を受けるのが他ならぬドイツである。もちろん他の加盟国もドイツと同じ恩恵を受けていることは言うまでもない。

ドイツがシェンゲン協定を否定するなら、それは自らの首を絞めるにも等しい愚行である。ではなぜドイツは国境管理体制を導入したのか。それはドイツが『わが国は難民を受け入れる用意がある。しかし全ての重荷を一国で負うつもりは毛頭ない』と他のEU加盟国に向けて宣言したかったからだ。

メルケル首相は中でも特にハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキアの東欧4国を念頭に置いていると考えられる。それらの4国は、難民受け入れによる経済的負担の重さを主な理由に、ドイツが提唱する一定数の分担義務を頑として拒否している。

シェンゲン協定では、緊急の場合は国境を閉じても良い、と定められている。従ってドイツが一時的に国境管理を行い、オーストリア他の国々がそれに追随したのは合法である。が、道義的には周知のように各方面からの非難を浴びた。

しかし、ドイツはハンガリーに集積していた難民を受け入れ、さらにこの先何年かに渡って、年間50万人程度(2015年の申請数は80万人の予想)の難民を受け入れ続けると約束している。その寛容と勇気を決して忘れるべきではない。

膨大な数の難民が一気に押し寄せることによって起こるであろう、混乱と騒擾を避ける意味でも、また前述のいわば反難民の国々を説得する意味でも、ドイツの処置を適切と考えたい。ドイツが沈没すればEUそのものも立ち行かなくなるのだから。

先の大戦への反省と道義的責任、また直近ではギリシャ危機に臨んでの厳し過ぎる態度への反省等々が、メルケル首相の政策決定に影響している。だがそれが全てではない。彼女は政治的、また経済的にも難民受け入れは長期的にはEUにとってプラスだと考えて賭けに出た。

ドイツの主張する難民割り当てにEU各国が合意して、あるいは団結して危機を乗り切る道を模索し、メルケル首相の賭けが必ず成功することを祈りたい。それはEUが一枚岩になることを意味し、ひいては難民を生む中東問題の解決策を見出す糸口にもなり得るからである。

“難民受け入れ”~メルケル独首相の歴史的英断~

20015年9月5日、アンゲラ・メルケル独首相は、ハンガリーで足止めを食っていたシリアをはじめとする中東などからの難民・移民を受け入れる、と発表した。

独首相の表明を受けて、英国ブラウン内閣で史上2番目に若い外務大臣を務めたデイヴィッド・ミリバンド氏は、「ヨーロッパが覚醒した」と驚きと賞賛を込めて発言した。

メルケル独首相の勇気ある決断は、ミルバンド氏の言葉を待つまでもなく、“欧州の歴史の分岐点”としてこの先も長く記憶されていくだろう。

先の大戦の悪夢と汚濁の中から立ち上がったドイツは、ナチスの亡霊と戦いながら国を立て直してきたが、今回また素晴らしい歴史物語を作り上げた。

中東やアフリカから欧州に流入する難民や移民の数は怒涛の勢いで増え続け、受け入れを拒否したい国と同情する国との間に確執が生まれつつあった。

ホロコーストの暗い過去を持つドイツは、欧州の中でも難民や移民の受け入れに積極的であり続けてきた。贖罪の意識がドイツを常にその方向に駆り立てた。

そのドイツでさえ最近の難民の急増には危機感を抱いた。相変わらず欧州最大の難民受け入れ国でありながら、EU(欧州連合)を隠れ蓑にして難民排斥の動きに加担したりもしてきた。

賛否両論が渦巻く混乱の中、3歳のシリア人難民アイラン・クルドちゃんが逃避行の途中の海で溺死し、その遺体写真が世界に衝撃を与えた。国際世論が大きく騒いだ。

人道的にこれ以上の難民拒否は無理だと悟ったメルケル首相は、ドイツを目指す難民・移民を受け入れる、という大いなる決断をした。山が動いたのである。

言うまでもなく幼児の遺体写真だけがメルケル首相の背中を押したのではない。戦乱や貧困を逃れて欧州を目指す難民の悲劇は、それまでにも欧州中のメディアで繰り返し語られてきた。それらの蓄積が首相の決断を促した。

メルケル首相の声明を受けて、ドイツ政府は冬に向けてただちに15万人分のベッドを用意し、今後は1年間に50万人程度の難民・移民を受け入れて行くと発表した。

ドイツが多くの難民を受け入れるのは、EU(欧州連合)のリーダーとしての道義的責任感があるからだ。が、同時に好調な経済状況とそれに伴う労働力不足を補いたい、という実務目的もある。

いずれにしてもドイツの動きは、欧州はもとよりアメリカにも大きなインパクトを与えた。難民受け入れに消極的だった英仏が前向きになったのに加えて、アメリカ政府もシリア難民を少なくとも1万人引き受けると発表した。

これまで欧州では、難民流入の最前線に立たされてきたイタリアやギリシャと、ドイツを主体とするEU(欧州連合)との間に、受け入れを巡って本音と建前を言い合う醜い争いが繰り広げられてきた。

また、EU(欧州連合)のメンバー国でありながら、英国は難民問題に関してはまるで他人事のような態度を取り続け、経済的負担を怖れる東欧のメンバー国も、難民受け入れに難色を示し続けた。

そこにドイツが、「自らの身を切る」と言うにも等しい犠牲を払う決断を下した。すると難民問題に対する欧州諸国の態度が一変した。誰もがドイツに続かなければならない、と考え始めたのである。

EU(欧州連合)がドイツと完全に同じ方向を向いているとはまだ言えない。ドイツが主導して進める難民割り当て制度に反対する国々も、前述の東欧国などをはじめ依然としてある。

しかし難民を巡って分断されつつあったEU(欧州連合)が、「難民受け入れ」という方向に向かって共に歩みを始めよう、とする空気が醸成されつつあることもまた事実である。

もとよりそれは、経済、文化、また社会的にも大きなリスクを伴う歩みである。着の身着のままで流れ着く人々の生活を支え、改善させていくのは受け入れ国にとって大きな経済的負担である。

それらの人々が、社会に順応し融合することを嫌って、摩擦が起きる可能性もある。現に欧州はイスラム系移民とキリスト教系住民との間の対立で、社会が分断されかねない状況にある。そして今の難民のほとんどもイスラム系の人々なのである。

難民受け入れの扉を開け放しにすることによって、生命の危険にさらされている真の難民ばかりではなく、より良い生活を求めて移住を試みるいわゆる経済移民も加わった、さらに多くの流民が殺到する可能性もある。

さらに指摘すれば、イスラム過激派のテロリストが難民を装い難民に紛れて、欧州全体に押し寄せるのではないか、というここイタリアなどで従前から危惧されていた事態が現実化する恐れも高まる。

それでも欧州、特にEU(欧州連合)諸国が、難民を自分以外の誰かに押し付けようとしてギクシャクした関係を続けた過去を捨てて、寛容の精神を回復し団結するなら、それらのリスクを取る価値が大いにある。

なぜなら欧州が一つにまとまれば、そこに北米なども加わって、難民が発生するそもそもの元を断ち切り改善するための方策が立てやすくなる。つまりイスラム過激派などを撃破し、中東に平和をもたらすことである。

そうした動きは欧米が、難民受け入れを実践すると同時に、日本なども含めた世界の国々を巻き込んで、目指していくべき道である。独メルケル首相は見事にその道筋を示した。

彼女の賭けが吉と出るか凶と出るかは分からない。が、メルケル首相が示した広く深い寛容の精神は、狭量と憎悪に支配されかけていた欧州の良心を呼び覚ました。メルケル首相はそうやって歴史に大きな足跡を残した。


子供は親の所有物(モノ)ではない

僕は前回の記事でイスラム教徒と「イスラム国」のテロリストはまったく違うものであり、これを混同してはならない、と書いた。そのことに異議を唱える者は いないと思う。ところが同時に、イスラム教の持つ極端な保守性が、「イスラム国」のテロリストと一般のイスラム教徒を同一のものに見せてしまうような事案 もひんぱんに起こる。次のようなことである。

先日(2015年8月)、中東ドバイのビーチに家族で遊びに来ていた20歳の娘が波に呑みこまれた。助けを求める叫びに応えて居合わせた救助員二人が海に飛び込も うとした。すると屈強な体格の娘の父親が彼らを力ずくで引き止めた。見ず知らずの男に触られたら娘が汚れる、そうなるくらいなら彼女は死んだほうがいい、 と暴力がらみで救助を拒み続け娘はついに溺れて死んだ。

イスラム教徒が起こす類似の事件は欧州でも頻発する。少し前にはここイタリアでパキスタン人移民の娘が父親に喉を掻き切られて殺害され、遺体を庭に埋めら れた。犯行動機は娘が父親の意向に背いて「西洋風」に自由に生きようとし、挙句に「キリスト教徒の」イタリア人若者と付き合っている、というものだった。父親の兄弟が共犯者になった。娘が西洋風に自由に生き、西洋人を恋人にまでしたのは、一族の名誉を汚す行為だからそれは名誉の殺人だと彼らは主張した。

そうした凶悪事件ばかりではなく、親が娘に暴力を振るったり、イタリア人の友人を作ることを禁止したり、親の決めた相手との結婚を強制したりという横暴が 次々に明るみに出ている。移民社会におけるそうした女性虐待の流れの一つで、イタリア国内だけで年間2000件程度の強制未成年者結婚が行われていると推 定されている。この場合の犠牲者も全て女性である。似たような事件は欧米のそこかしこで発生している。

犬が人に噛み付いてもニュースにはならないが、人が犬に噛み付けばニュースになる。異常な出来事だからだ。イスラム教徒によるそれらの事件は、人が犬に噛 み付くケースと同様の異変である。従ってそれらを持って全てのイスラム教徒が同じだと考えてはならない、というのは理想的なあるべき態度である。しかし現 実はそううまくは運ばない。

それらの異様な事件は、イスラム教徒と対立するキリスト教徒が多数を占める欧米社会に強い衝撃を与え、少数派のイスラム移民への偏見や差別を増幅させる。 そのことがひるがえって中東移民を主体とするイスラム社会の反発を招き、憎悪が憎悪を呼ぶ悪循環が繰り返される。結果、欧米で生まれ育ったイスラム教徒の 息子らが、シャルリー・エブド襲撃事件に代表されるテロを起こしたり中東のイスラム過激派に身を投じたりする。

欧米社会の良心ある人々は、一貫して中東移民との融和を唱えて行動してきたが、事態が悪化した現在はさらに危機感を覚えてイスラム社会との対話を強く模索 している。イスラム系移民への欧米側の偏見と差別は糾弾されて然るべきである。同時にイスラム系移民も自らが所属する欧米社会の文化を尊重し、郷に入らば 郷に従え、の精神で欧米社会に順応しようと懸命の努力をするべきだ、というのが欧州住民で且つ第三者的な立場にいる「日本からの移民」の僕が感じることである。

ドバイの事件もイタリアの事件も、根底にあるのは子供、特に女子を親の所有物でもあるかのように見なす時代錯誤な保守性である。それをほとんど未開性と呼 んでもかまわない。見知らぬ男に触れられた娘は傷物であり、従って売り物にならない、つまり嫁に行けない。それは一家の不名誉である。処女信仰も加わった イスラム特有の考え方は奇怪だが、実はそうした考え方や風習はその昔、ヨーロッパにもまた日本にもあったものだ。

今の日本では考えられないことだが、娘を物のように扱って遊郭に売り飛ばしたり、強制的に労働させたり結婚させたりしたのは、つい最近まで日本でも普通に あったことである。時期は違うものの西洋でも事情は同じだった。娘ばかりではない。かつて子供は男女とも親の所有物だった。少なくとも親の所有物に近い存 在だった。子供が生まれながらにして一個の独立した存在であり人格である、と認めそのように社会通念を変えていったのは欧米人の手柄である。

われわれ日本人はイスラム圏の人々よりも一歩早くその恩恵にあずかって、子供、特に女子を親の思いのままに扱う野蛮な文化を捨てた。しかし何百年も続いた 習わしはそう簡単には消えない。日本社会に根強く残る女性差別、男尊女卑の風はその名残である。そればかりではない。親が子供を自己の所有物と見なす風俗 さえも実は日本社会には残っている。それが如実に表れる例の一つが親子の無理心中である。自分が死んだ後に残される子供が不憫だ、という理由で親が子を道連 れにするのは、子供の人格を認めずに自らの所有物だとどこかで見なしているからである。

そこまで極端な例ではなくとも日本社会には同じ陥穽に落ちている現象が多い。たとえば親子の間に会話がなく、思春期の子供が激しく親に反抗する事態なども 実はその遠因に子供を独立の人格と認めない、つまり自らの所有物と見なす精神構造が関係している。幼児から子供を独立の人格と見なしていれば、親は子供と 対等に対話をせざるを得ないし、ただひたすらに勉強しろ、いい大学に入れと問答無用に強制し続けることも無くなる。

今イタリアを含む欧米のイスラム系移民社会で起こっていることは、どこかで日本の過去にもつながっている。欧米の過去にもつながっている。欧米も日本も試行錯誤を重 ねて「学習」し今の自由な社会を築いた。それはそこかしこに問題の多い、まだまだ不完全な自由社会だが、少なくとも中東のイスラム教社会よりは進歩した社 会である。この進歩とは欧米的基準あるいは日本的基準で見る進歩である。従ってイスラム教徒がそれを進歩とは認めないと主張するなら、彼らがそう主張する 権利と自由を認めつつも、やはりこちらの社会の方が進歩している、とわれわれが宣言する進歩である。

イスラム系移民がその進歩した社会に適合する努力をすることと、彼らが自らの宗教を守りその教義を実践することとはいささかも矛盾しない。欧米社会はそこ でもまた不完全ながら、多様性を重視しようと日々努力をしている。イスラム教徒の信仰を認め尊重することを欧米社会はためらわない。しかしそれを他人に押 し付けようとしたり、自らの宗教を盾に欧米社会の価値基準に挑もうとする者は容赦なく排除しようとする。

宗教は個人的内面的なものであり、社会の価値基準は公共の財産である。もしも宗教が公共の社会的価値基準に抵触する行動や主張をしなければならない場合に はこれを慎む、ということが欧州社会における最重要な暗黙の合意事項である。それは自らの神のみが絶対だと信じて疑わないイスラム教徒も例外ではない。しかしながら、イス ラム系移民はこのことを知らず、あるいは知っていてもルールを認めずに我を通そうとすることが多い、と自称「仏教系無神論者」の僕などの目には映る。

イスラム系移民のそんな頑なさは、シャルリー・エブドのジョークや風刺を受け入れない狭量にもつながる。シャルリー・エブドのイスラム風刺はもちろんイス ラム教徒への侮辱である。だが同時にそれは、違う角度から見たイスラム教やイスラム教徒やイスラム社会の縮図でもある。立ち位置によって一つのものが幾つ もの形に見える、という真実を認めるのが多様性を受け入れるということである。そして多様性を受け入れない限り、欧米社会における中東移民と地元住民との融合 はありえない。それはもちろん欧米住民の側にも求められていることである。


アンダルシアを「イスラム国」に重ねて見れば(Ⅰ)


先ごろイベリア半島のスペイン・アンダルシアを訪ねた。イベリア半島は8世紀から15世紀終わりにかけてアラブの支配下にあっ た。中でもジブラルタル海峡を挟んでアフリカと対面するアンダルシア地方は、もっともアラブの影響を受けた地域である。

およそ800年にも渡ったアラブのアンダルシア支配は、多くのイスラム文化遺産を同地に残した。世界遺産にも登録されている目ざましいものをざっと見ただけでも、例えばグラナダのアルハンブラ宮殿、セビリアの大聖堂とアルカサル、コルドバのメスキータ(モスク)等々がある。

それらの文化遺産の圧倒的な美しさとアラブ文明の息吹は、スペインの中でも特に旅行者に人気の高いアンダルシアを、まさしくアンダルシアたらしめているものであり、同州のみならずスペイン王国全体の宝といっても過言ではないだろう。

アンダルシアを旅しながら、僕はアラブのテロ集団「イスラム国」を思い続けた。理由は二つある。一つは彼らが極端な原理主義を掲げているとはいえ、文化遺産を残した人々と同じイスラム教徒である事実。また「イスラム国」が世界制覇への一段階として、スペインを含むイベリア半島を2020年までに支配下に置く、と宣言していることである。


後藤健二さんを惨殺した「イスラム国」の蛮行は止む気配がない。シリアとイラクにまたがる地域にはびこっていたテロ集団はリビアにも侵攻し、アフガニスタ ンやパキスタンにも魔手をのばした。中東の他の地域にも影響力を及ぼしつつ東南アジアのムスリム国にさえ忍び入る気配である。

また直近ではシリアの世界遺産パルミラ遺跡の破壊を進めながら、遺跡の保護者である82歳の考古学者ハレド・アサド氏を斬首刑にした。アサド氏がテロ集団への協力を拒んだため公衆の面前で殺害し、血まみれの遺体を遺跡の柱に吊るす、という相変わらずの残虐ぶりを見せている。

「イスラム国」が近い将来、イベリア半島からアフリカ、東ヨーロッパから中東を経てインドネシアに及ぶ広大な地域をカリフ制に基づいて支配する、というのは笑い話の世界だ。が、実はそれらの地域の大部分はかつて、あるいは現在のイスラム世界の版図ではある。彼らの主張はその意味では全てが荒唐無稽ではないのである。

そうしたことからも、その昔イスラム教徒の支配下にあったアンダルシアと「イスラム国」を結びつけて考えるのは、筋の通ったものだ。しかし同時に「こじつ け」にも似た不条理でもある。なぜならテ ロリストである「イスラム国」と一般のイスラム教徒とは断じて同じ人々ではない。

従って、例えばイスラム王朝が残したアルハンブラ宮殿と、「イスラム国」の未開と酷薄をイスラム文化あるいはアラブ文明として、ひとくくりにすることはで きない。あるいはコルドバのメスキータを生んだ創造的で開明的な人々と、人質の首にナイフを突き立てて殺害する「イスラム国の」蛮人とを同一視してもなら ない。

そのことを疑問に思う者は、日本人なら例えばオウム真理教のテロリストと自らを対比して考えてみればいい。オウム真理教のテロリストたちは同じ日本人である。だが彼らは僕やあなたを含むほとんどの日本人とは実に違う人々だ。

彼らはまさに狂気に支配されたテロリストである。イスラム過激派とイスラム教徒の関係はそれと同じだ。その単純だが重大な真実に気づけば、アンダルシアの素晴らしいイスラム文化と「イスラム国」を混同するべきではない、と明確に理解できる。

そしてそのことが理解できれば、「イスラム国」が近い将来世界の有志連合によって殲滅されるであろうことを喜ぶ気持ちにもなれる。なぜならアンダルシアに 偉大な文化遺産を残したムスリム とは無縁の「イスラム国」が破壊されても、イスラム教徒の誰も傷つくことはないからである。

その場合の理想の形は、有志連合が世界中のイスラム教徒によって結成されることだ。そうすれば非イスラム教徒は誰も戦いに参加する必要がなくなる。 それはこれまでの歴史の重要な節目ごとに他者、特に欧米人の介入によって翻弄され、傷つけられてきた中東の誇りを取り戻すきっかけになるかもしれない。

スペイン・アンダルシアの壮麗なイスラム文化遺跡を巡りながら、僕はそうした事どもを考え続けた。かつて偉大な文化・文明を有し今も大きな可能性を秘めているかもしれない「イスラム教世界」が、自らの内部に生まれた過激派の蛮行によって傷つけられ貶められて、世界から疑惑の目で見られているのは実に残念なことである。

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