【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2016年04月

オーストリアがイタリアとの国境を閉鎖したい理由(わけ)

ブレンネロ抗議デモ引き300pic
バリケード構築に抗議するデモ隊

国境を接する隣国同士のオーストリアとイタリアが、難民を巡っていがみあっている。国境近くでは反難民政策に異議を唱える人々がデモ行進をおこなって、機動隊との間でつばぜり合いが発生したりしている。

オーストリアはEU(欧州連合)内の国々を自由に行き来できるとするシェンゲン協定を無視する形で、ハンガリーとの国境に続きイタリアとの国境にもバリケードを構築。5月末から難民の流入を阻止するために国境検問に踏み切る計画である。

衝突ブレンネロ抗議デモ300pic
デモ隊の一部はオーストリア国境警察と衝突

バリケードの場所は、イタリアとオーストリアをつなぐブレンナー峠。両国を結ぶもっとも重要な場所であると同時に、南欧と北欧の間の人と物の自由な往来を担保する最大のルートの一つでもある。そこはシェンゲン協定によって常時開放されていることが義務づけられている。

昨年およそ100万人の難民が通過した、トルコ→ギリシャ→バルカン諸国→北欧という経路のいわゆるバルカンルートは、通路に当たる国々が国境を閉鎖したことによって事実上通行不可能になった。以来、バルカンルートに流れ込む難民の数は約8割も減少した。

またEUは今年3月20日以降に不法に欧州に入った難民、つまり難民申請をしないまま移動を続ける難民・移民を、トルコ政府との合意の上で同国に強制送還している。トルコはその見返りにEUから4年間で最大60億ユーロ(約7600億円)の供与を受けることになっている。

バルカンルートから締め出された難民は、アフリカ北岸に回って地中海に乗り出し、イタリアを目指す可能性が高いと見られる。難民が欧州を目指して押し寄せる地中海ルートは、バルカンルートが主流になるまで、最も混雑した場所だった。それが復活すると考えられているのだ。

地中海を渡ってイタリアに入る難民を一国で対処することはできないと恐れる同国政府は、北欧への移動口であるブレンナー峠を閉鎖すれば、難民のみならずイタリアから各地に向かう100億ユーロ(約1兆3千億円)分の物流も滞る。明確なシェンゲン協定違反だとしてオーストリアを非難している。

イタリアの主張はもっともである。オーストリアによる国境閉鎖は物流にとどまらず人的資源などの行き来も滞って、大きな損失が見込まれる。それは当事国のイタリアとオーストリアに限らない。EU全体にとっても同様だ。経済のみならず多方面で負の波及効果も伴う重大問題である。

しかし難民問題だけに限って見ればオーストリアの主張もまた理解できないことではない。2015年、同国は全人口の1%以上にあたる9万人の難民を受け入れた。この数字はイタリアの人口比に当てはめると約60万人に相当する。決して小さくない数字だ。

一方、イタリアが2015年に受け入れた難民は8万3千人。ところが地中海を渡ってこの国に到着したのは15万4千人である。オーストリアのクルツ外相は、国境閉鎖を非難するイタリア政府に対して「残りの7万1千人のうちの多くが不法にオーストリアに入国した」と反論した。

またクルツ外相は次のようにも述べている。「今年オーストリアが受け入れられる難民は3万7千5百人までだ。昨年のように大量の難民を受け入れることはできない。イタリアがもしも地中海から流入する難民を効果的に制御できない場合は、予定通り国境を閉鎖する」。

難民受け入れ口をせばめようとするオーストリアの動きは、おそらくドイツのメルケル首相の承認を得ているのではないか。メルケル首相は昨年9月、それまでの反移民政策を大きく転換して大量の難民を受け入れると発表。世界を驚かせた。変わり身の速さが政治家アンゲラ・メルケルの身上である。

その後、急激な難民流入に苛立ったドイツ国民が反発。メルケル首相は退陣を余儀なくされるのではないか、というところまで追い詰められた。そこで彼女は得意の変わり身の術を発揮。半年間という期限付きではあるが国境の管理を強化して難民の流入を制限した。

これに北欧各国とオーストリアも同調。緊急の場合は国境を一定期間閉鎖できる、というシェンゲン協定の例外規定を利用したのだ。オーストリアはこのときハンガリーとの国境を閉鎖して入国審査を始めた。それを今回イタリア国境にも導入しようというのである。

互いに非難しあっているイタリアとオーストリアは、今後EU本部の調停を受けながら話し合いを続けることになる。EUは建前上はシェンゲン協定に違反するオーストリアを責める形だが、ドイツを始めとする北欧と東欧諸国が同じ施策を実施しているために本気で非難するのは難しい。

加盟国の多くが国境管理に乗り出した時点で、多くの人々は「シェンゲン協定の前提が崩壊した」と考えている。加盟諸国の国境閉鎖の期限が間もなく切れようとする今、オーストリアが新たに国境閉鎖を行えばシェンゲン協定の理念そのものが危機にさらされる。それはEU自体の存続が危機にさらされるのと同義語である。


熊本地震とブログ記事

「ブダペストまで」というタイトルのブログ記事をfacebookに転載した直後にNHKのNews7を衛星中継で見た。

熊本と大分の地震はいつまでも止まず被害は拡大し続けている。それ自体が見ていて胸が苦しくなる現実だが、脳裏には東日本大震災の記憶もくり返し浮かんでいよいよいたたまらない思いが募る。

するとついさっきfacebookとブログに投稿した自らの記事がひどくノーテンキ且つ不謹慎にさえ感じられてきた。よほど削除してしまおうかと考えた。

いや、削除しようとPCを開いて、それから思いとどまった。記事を削除することに何の意味があるのかと自問自答したのだ。

被災地と被災者の皆さんに同情している自分の気持ちには偽りのかけらもない。同時に彼らに何もしてあげられない自分もまた完全な現実だ。

記事を削除することはその冷酷な事実に風穴を開けたりはしない。それはただの自己満足に過ぎない。あるいは、非常時にノーテンキな記事など書くな、と誰かに非難されることを怖れるあまりの自己保身の行動なのではないか。

不用意に記事を自粛したりするのは、人々に一様に行動することを強いる日本社会の大勢順応圧力に屈しただけの、非自主的かつ醜悪な行動である可能性が高い。

被災者の皆さんに寄り添う自分の心と、書いた記事の間には矛盾も偽善も反目もない、と考える。だからそのまま掲載し続けることにした。

ブダペストまで~ウイーンの有内とブダペストの清新~



オーストリアとハンガリーではウイーンとブダペスト以外にもいくつかの街を訪ねた。だが、ここでは今回の旅の主役だった二つの首都について少し語っておこうと思う。

音楽の都ウイーン。ドナウの真珠ブダペスト。どちらも魅惑的な街だった。旅人としてのあたりまえの僕のセンチメントは、初めて訪れた2都市の芳香にふるえた。

ただウイーンはデジャヴが多く、イタリア人の友人らが言う「ロマンチックな街」という形容がよくわからなかった。また日本人が口にする「きれい」という表現も自分にはしっくりこなかった。

ロマンチックな街もきれいな街も、特に欧米で多く見てきたから「ウイーンだけが格別」というふうには僕には正直感じられなかったのである。

ならばウイーンはつまらない場所かというと、それはまったく当たらない。楽都は華やかで訴求力に富んだすばらしい街だ。

でも「純粋に遊びだけでもう一度で訪ねたいか」と聞かれれば、僕はあまりそういう気にはなれないと答える。これは好みの問題だから仕方がない。

僕はここヨーロッパでは、北欧やゲルマン系の景色や文化より も、ラテン系や地中海系のそれに強く魅かれるのだ。だから僕はイタリアにいる。

ラテンでも地中海系でもないが、ブダペストには大きな魅力を感じた。街のたたずまいや建物群が北欧を含むかつての西側欧州とは違う。

独特で重厚だが同時に軽快でもある、という多様でさわやかな空気を感じた。建物では特に屋根の造りや瓦の色にきわめて独創性を見た。それらもすがすがしく鮮烈で楽しい。

土産物屋や市場などで見た手工芸品の多くにも、創造性が豊かで遊び心に満ちた美質を多く発見した。それはとてもおどろきだった。

イタリアやスペインあるいはフ ランスなどに通じるクリエイティブと活発と爽やかさが充満しているのだ。それらがとても好ましく、もう一度訪ねたい気分にさせられた。

個人的な興味では食べ物のサラミにも目が行った。ここイタリアには、全てをまとめて「サルーミ」と呼ぶ数え切れないほどの加工保存肉がある。

中でもプロシュット、つまり生ハムがもっとも知られていると思うが、さらに種類が多いのがサラミやサラミ系の加工肉である。それらは土地によっても味や形や人々の思い入れがすべて違う。

僕はサラミがワインと同じくらいに好きで、どの土地に行っても特産品を試食し購入し本格的に食べる。しかもサラミだけを直接食して楽しむ。イタリア人のようにパ ンに挟んで食べた りはしない。

サラミは単独で食べると体に悪いとされる。が、僕はまったく気にしない。それほどサラミが好きだ。サラミは欧州の酒の、つまりワインの肴(さかな)としては最善のものだと感じる。

イタリアで売られているサラミは、ほとんどの場合全てイタリアのものである。僕が知る限りイタリアで生産販売されている外国のサラミは一種類しかない。

それが豚の脂をハンガリー風に細かく切り刻んで練りこむ一品、その名もハンガリー・サラミ(salame ungherese)である。ウインターサラミという別称もある。

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ブダペストで購入した正真正銘のハンガリーサラミ 美味い!

とは言うものの、実はそれはイタリアテイストのハンガリーサラミである。いわば日本風のカレーや日本風のチャーハン(広東飯)にもたとえられるべきもの。

そのルーツはハンガリーかもしれないが、もはや名前だけが残って中身は似て非なるものである。要するに外国発祥のイタリアサラミの一種なのだ。

ハンガリーにはイタリアに根づいた「ハンガリーサラミ」以外にも多くの種類のサラミがある。僕はそれらをできる限り試食してみた。どれも美味だった。

ブダペストのサラミは「サラミフ リーク」の僕を“う~ む”とうならせる素晴らしい品ばかりだったのだ。それはちょっと大げさに言えば、もう一度ブダペストを訪ねたい理由のひとつに加えたいほどのうれしい体験だったのである。

ブダペストまで ~EUのシェンゲン協定は生き残れるか~

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オーストリア・ハンガリー国境で検問するハンガリー警察

仕事でウイーンを訪ねたついでにブダペストまで足をのばした。前の記事で書いたように、オーストリアもハンガリーも中東難民に端を発したバトルの渦中にある。

オーストリアは難民の流入を防ごうとしてハンガリーやイタリアとの国境監視を強化。ハンガリーは隣国のセルビアとクロアチアとの国境を閉鎖した。

オーストリアとハンガリーに限らず、ここイタリアも含めたEU諸国のすべては、中東難民をめぐって責任の押しつけ合いなどの駆け引きをくり返している。

イ タリアは国境閉鎖には踏みきっていないが、今後地中海が再び難民で騒がしくなればどうなるか分からない。国境地帯はどの国も熱い。

と思いきや、熱いのは基本的に欧州西側諸国の南と東の国境線の一部。その他の国境は-あくまでも仕事の旅程内での見聞だが-シェンゲン協定に守られていて自由に行き 来できる。

またそれぞれの国内も、熱い国境線のまわりを別にすればほとんど混乱は見られない。今回訪ねたウイーンとブダペストも平穏だった。

イタリアとオーストリアの国境では、検問どころか車両を減速させなければならないような障害もなく、スムーズに車が通行できた。

しかしオーストリアとハンガリーの国境では、ハンガリー側の警察が出て高速道路の通行証のチェックを丹念に行っていた。

ハンガリーの高速道路の通過料金は一律で、支払い証明チケットをフロントガラスに貼りつけることが義務づけられている。

外から確認できて、且つ使いまわし しなどの不正防止が目的という。しかし、それだけのために実施されていた物ものしい警備は、やはり国境監視の意味合いが強いものにも見えた。

それでもハンガリー国内に入ると、首都ブダペストを始めとして、国境の喧騒はいったいどこの国の話だろう?と首をかしげたくなるほどに平穏だった。

ブダペ ストを経て2日後にスロベニアの国境も通ったが、そこにも検問や封鎖はなく、シェンゲン協定通りに自由に通り抜けることができた。

もっともトルコ経由でハンガリーに入る難民は、ほとんどがセルビアとクロアチアを経てやって来るため、ハンガリーが神経をとがらせているのはその2国との 間の国境線である。

従ってスロベニア国境はあまり関係がないとは言える。それでも少しの監視強化があるのではないか、と思っていたから完全な自由通行は意外だった。

スロベニアとイタリアの国境も同じ。どこからどこまでがスロベニアでどこからがイタリアなのか、気をつけて確認しないと分からないほど2国はシェンゲン協定の枠内で同化している。

同化というのは言い過ぎかもしれないが、そう形容したくなるほどの静かな国境通過だった。これがシェンゲン協定の真髄。

それは欧州の平和の象徴であり同時に現実でもある。長い血みどろの歴史を経て獲得した、世界にも拡散されるべきヨーロッパの英知を、決して崩壊させてはならない、と腹から思う。

陸路を閉ざされた難民は再び地中海に殺到するか

上からの船見下ろしベストショット

日本での報道は少なくなり勝ちのようだが、中東から欧州に流入する難民は途切れることがない。4月11~12日の2日間で、イタリア沿岸警備隊と海軍はリビアからの難民4000人余をシチリア海峡で救助、保護した。ほぼ同日、オーストリア政府は難民の流入に備えるためという名目で、同国とイタリアとの国境線にバリケードを設置。5月からの運用を目指している。

オーストリアは最近まで北欧やドイツと並んで難民に寛大な政策を取ってきた。しかし、急激に増え続ける難民に恐れをなして、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー 、フランスなどと共に難民の流入ルートの一つであるハンガリーとの国境を閉鎖して検問に踏み切った。そこに加えてもう一つのルートであるイタリアとの国境にも同様の施策を始めた。

イタリアとオーストリアを含むEU(欧州連合)は、今月に入って「不法」とされる難民・移民をトルコ政府との合意の上で同国に強制送還し始めた。2015年にトルコを経由して欧州に向かった難民は85万人にのぼる。このうち強制的に送還されるのは今年3月20日以降にギリシャに到着した者のうち、同国で難民申請をしなかった者やいわゆる経済移民など。

EUは同時にシリアなどからの「合法」的な難民を受け入れる措置も進めていて、強制送還を実施した同じ日の4月4日には、ドイツがトルコ国内にいたシリア難民を受け入れて定住させる処置をとった。そうした動きは難民の受け入れを拒否している中東欧諸国を除いた欧州地域では普通の光景である。

先日、中東欧の反難民国の中で最も過激な政策を取っているハンガリーを訪ねた。ハンガリーは中東や北アフリカからの難民がやって来る隣国のセルビアやクロアチアとの国境を閉鎖している。そればかりではなく、同国のオルバン首相が「難民は欧州の問題ではなくドイツの問題だ」と言い放つほど難民嫌いを隠さない国である。

ハンガリーの強い難民アレルギーを示すエピソードは枚挙にいとまがない。前述のオルバン首相は「欧州は難民の故郷にはなりえない」とも発言し、ハンガリーの女性ジャーナリストが子供を抱いた難民の男性に足をかけて転倒させた事件は、SNSなどで爆発的に拡散されて世界中に知れ渡った。

またハンガリーではセルビア国境を越えてきた子供が虐待に遭ったり、難民収容所で警官がまるで動物に対するように人々を扱う姿が目撃されたりするなど、道義的に疑問を抱かせるばかりではなく国連やEU規則にも反していると批判される不祥事や逸話が多い。

かつてソ連の庇護の下にあった元共産主義の中東欧国には、ハンガリーに限らず人種差別にあまり罪悪感を感じない人々が多く住むという説がある。そうした人々のほとんどは、第二次世界大戦中のドイツ人やオーストリア人などと同様にユダヤ人を虐殺したり、虐殺に手を貸したりなどしてナチスにぴたりと寄り添い協力した過去を持っている。

それにもかかわらず、戦後は共産主義世界に組み込まれて戦時の総括をしないままに日を過ごした。やがてソビエト連邦が崩壊し、現在ではEU(欧州連合)のメンバー国にまでなる幸運を得ながら、先の対戦への総括がなかったために昔風の反ユダヤ主義やムスリム嫌悪やアジア・アフリカ差別などの心理を払拭できずにいるというのである。

そうした国民感情は先の大戦への徹底総括がないままに歴史を刻んできた日本などにも通じるものである。ただ難民問題だけに限って言えば、彼らの頑なな嫌難民言動はそれぞれの国の脆弱な経済も影響しているように見える。貧しい者は難民を助ける経済的な余裕がなく、故に彼らへの親和感や博愛や憐憫の情を育む心の余裕もないケースが多い。

その点、例えばドイツやオーストリアなどの西側諸国は、経済的に強いために比較的柔軟に難民への協力や援助や寛容な施策などを取ることができる。加えてそれらの国々の住民の心の中には、戦時中にユダヤ人を徹底的に迫害したことへの強い引け目がある。だからなおさらその傾向が強くなるのだろう。

オーストリアとハンガリーに限らず、ここイタリアを含むEU諸国の全ては中東難民を巡る試練と駆け引きと攻防の渦中にある。イタリアは国境閉鎖には踏み切っていないが、オーストリアとハンガリーは前述したように一部の国境を封鎖したり検問をや監視を強めたりしている。

シリアを始めとする中東などからの難民はトルコを経由してギリシャに渡り、そこから北上を開始する。いわゆるバルカンルートである。そこを通って昨年だけでも90万人近い難民が欧州に入った。バルカンルートの混雑は、前述のハンガリーなどの反難民国の国境封鎖や、ドイツ、オーストリアに代表される「かつての難民抱擁国」の変節で今後は少なくなるかもしれない。

しかし、欧州へのもう一つの流入経路である「地中海・イタリア」ルートは、閉鎖がほとんど不可能な海の道である。夏に向かって天気が安定するに従って、そこにはこれまでのチュニジア経由の難民に加えて、バルカンルートを閉ざされた人々が殺到する可能性がある。

地中海からイタリアに流入する難民をイタリア一国で受け入れたり対処したりするのはほぼ不可能と言ってよい。欧州、特にEU(欧州連合)の国々はイタリアと協力してこの大問題に対処できるのか問われている。それは欧州統合を目指すEUが結束して未来に向かうのか、ここで崩壊するかの瀬戸際にあると断言できるほどの重要な局面である。



ブログの怪


ブログではときどき不思議なことが起こる。とつぜん閲覧者の数が増えるのもその一つだ。

ウイーンでの仕事のついでにブダペストを訪ね、スロベニア回りでイタリアのトリエステに入って昨日帰宅したら、それを見ていたかのようにブログの閲覧数が急増した。

旅の間もときどきブログの様子はのぞいていたから、読者の数は知っていた。公の論壇への投稿をしていないから訪問者の数は少ない。

また公論壇に記事を投稿しても、僕の場合は書きたいことを勝手に書くスタイルだから、それほど読者がいたりシェアが伸びたりするのではない。が、個人ブログのみの掲載に比較するとやはり急激に増える。

今朝、見たらそんな「事件」が起きていた。なんだろう、と探っていくと公の論壇の一つで古い記事がアクセスランキングのベスト10に入っていて、そこから個人ブログへのアクセスも伸びているとわかった。

なるほど、と思いつつも、古い記事がなぜとつぜん今日ランキング上位に掲載されているかが理解できない。でも面白い。

ちなみに思い出したように読まれている記事は:http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52184757.html

である。

今後も続きを書いていくつもりでいるテーマだから、早く書け、という誰かの催促なのだろうと解釈しておくことにした。


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