【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2016年06月

イタリアが“Italexit”=EU離脱と叫ぶとき

英国地図にX


国民投票によって決まった英国のEU(ヨーロッパ連合)離脱は、事態の真の意味を理解しないまま、多くの国民がポピュリズムをあおる者らに乗せられてEU離脱に投票してしまった、というのが真相らしいことが各種分析で明らかになってきた。

彼らが離脱賛成に回ったのは、増え続ける移民への怒り、あらゆるものに規制をかけるEU官僚への反感、EUへの拠出金が多過ぎるという不公平感、そして何よりも、EUに奪われた主権を取り戻す、という高揚感に我を忘れたのが主な理由だった。

EU離脱による英国の利益はほぼ何もない。一方、こうむる損失は甚大だ。EUという世界最大の経済ブロックに属するメリットを捨てて、独自の経済力や英連邦という「貧経済」圏を頼みにするなど、馬鹿げた思い込みで「貧乏国イギリス」の構築に向けての舵取りを始めた、とさえ言える。

英国がEUから去れば、イタリアはEU内での良き戦友を失うことになる。というのも英伊はしばしば手を結んで、EUの事実上の盟主である独仏コンビに対抗してきたからだ。中東危機などにまつわる軍事政策等では、EUはアメリカと絶えず会話をしながら共闘したり妥協したりしてきた。

そうしたケースではEUの中心になるのはほぼ常に英独仏だった。盟主の独仏が英国を介してアメリカと交渉する、という形がしばしば見られたのだ。イタリアはそこでは少し無視される存在だった。だがEUの「日常的」な意思決定の場面では、英伊は朋友であり続けたのだ。

イタリアのレンツィ首相はBrexitの投票前に、英国民に向けてEU残留を選択してほしい、とあの手この手で強く呼びかけた。その大きな理由の一つは、あるときはひそかに又あるときは公然と、EU内で独仏の専横に歯止めをかける役割りを果たした「英伊同盟」の存在があったからだ。

イタリア首相のマッテオ・レンツィは、EUの全き信奉者である。彼は英国の残留を願ったのと同じ強い気持ちでEUの将来を信じ、その発展を切望している男だ。ところがイタリアには実は、彼に同調する国民と反対する国民がほぼ半々の割合いで存在する。英国とほぼ同じ状況なのだ。

英国Ipsos Moriの最新の世論調査によると、イタリアのEU懐疑派は国民全体の48%にも上り、英国を含むEU加盟28ヵ国の中で最大の数字だった。それは2010年にイタリア国民の73%がEUを支持していた数字とは劇的に異なる。そのため調査結果は信用できない、という疑問さえ出た。

イタリアにおける反EU勢力は、極右の「北部同盟」を筆頭に抗議政党と呼ばれる「五つ星運動」、さらに「イタリアの同胞・国民同盟」などを含めた野党勢力である。それが全体に占める割合は、ちょうど47%になる。それから考えると48%というのは極めてリアリティーのある数字なのである。

EU懐疑派の増大の背景には、EU加盟で物価が急激に高くなってそのまま高止まりしている現実やイタリア財政危機、さらにイタリアがEUの意思決定過程の外に置かれているという国民の不安や不満などがある。つまり主権の喪失感だ。

不満が高まっていた折、いわゆる欧州難民問題が勃発した。ギリシャと共に難民流入の最前線に立たされているイタリアは、EUの十分な支援を受けられない中で難民救助や受け入れに孤軍奮闘してきたが、独仏など5ヶ国が国境を閉ざしたことでさらに孤独感を覚え怒りを募らせている。

そうしてみるとイタリアにおけるEU懐疑派の不満とは、英国のEU離脱派のそれとそっくり同じものに見える。少し違うのは、移民・難民問題に関してはイタリアの場合EUの中東難民対策への不信感があるのに対して、英国民はEU内のポーランドを始めとする中東欧域からの移民増大に反発している。

イタリアの反EU勢力の急先鋒である北部同盟は、Brexitが成ると同時に「英国に続け」と宣言した。それを受けて、イタリア第二の政治勢力である「五つ星運動」もEU離脱に向けて気勢を上げるのではないか、という恐れが一気に高まった。「五つ星運動」は2009年の結党以来、反EUを旗印にしてきたからだ。

ところが事態は別の方向に向かう可能性が出てきた。「五つ星運動」党首のべッぺ・グリッロ氏が「Brexitは明らかにEUの失敗だ。EUは内部から変わらなければならない。「五つ星運動」はEUの中で《真の欧州共同体》の構築を目指す」などとEU支持とも取れる発言をし始めたのだ。

「五つ星運動」は過去に何度も風見鶏的な動きをしてきた歴史を持つ。それは時として党首のグリッロ氏が専横的な動きをしたり、党の意思やその決定過程が不透明であるところから来るように見える。そこが改善されない限り同運動は、あらゆるものに異議を唱えるだけの無責任な「抗議勢力」に留まる危険がある。

ところが「五つ星運動」は、Brexit直前に行われたローマ市長選挙において、女性候補を擁立して圧勝。史上初めてローマに女性市長を誕生させた。快挙に気を良くしたグリッロ氏は政権獲得を目指すとも発言。お祭り騒ぎの中での「気まぐれ」なEU擁護発言、という可能性も否定はできない。

しかし、彼の宣言が本物ならば、イタリアのEU離脱あるいは‘Italexit’が現実のものになる可能性は、「今のところは」きわめて低い。イタリアの政治勢力の約25%を占める「五つ星運動」なくしては、EU懐疑派が総選挙や国民投票でEU支持派に勝利するのは不可能に近い。

そうはいうものの、予断は全く許されない。欧州にはイタリア以外にもEU懐疑派が多くいる。英国ではEU支持派のスコットランドが再び英国からの独立を目指してうごめき始めた。それは英国の弱体化をもたらすだけではなく、EU加盟各国にも強く影響して混乱の引き金になる可能性が大いにある。

その混乱が「五つ星運動」の風見鶏的本性を刺激して、人々の間に反EUの気運が一気に高まれば、Brexitに続いてイタリアがEU離脱を目指して疾駆している日が来るかもしれない。それは荒唐無稽なシナリオではない。少なくとも「そんな日は来ない」とは誰にも断言できない、と思うのである。


放言大王『タローア・ソー』のチョー名言「いつまで生きてんだよ、90歳」


麻生太郎副総理兼財務相 が「90歳になって老後が心配とか、訳の分からないことを言う人がいる。一体いつまで生きているつもりだ」という趣旨の発言をしたという。

僕は麻生さんの発言を早速イタリア人の義母ロゼッタ・Pに伝えた。義母はまさに90歳。昨年、日本の「老人の日」に際して「今どきの老人はもう誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と言い放ったツワモノである。

「お義母さんの友達が日本にもいるよ」と前置きして、麻生さんの発言を「いつまでも生きてんじゃねーよ。邪魔なんだよ90歳」みたいな、ちょっとふざけた 表現に訳して聞かせたら、義母は麻生さんの名前を独特の調子で発音しながら、「Bravo(良くぞ言った)Taroaso(タローア・ソー) Giovanotto(青年よ)」とカカ大笑した。高齢の麻生さんも義母の前では若造なのだ。

真正老人の義母が先頃、激増する長寿者を「いつまでも死なない老人」と喝破した見識は、僕をう~むとうならせた。イタリアを含む欧米諸国はみな日本同様に長寿国だ。老人問題は、特に先進国の全てが抱える深刻な事案だ。それは財政問題にほかならない。

高齢者の増加で年金を始めとする社会保障費の膨張は止まることを知らない。例えばイタリアでは100歳以上の人の数が、2002年の5650人から昨年は
19000人にまで増えた。言うまでもなくそれは慶賀するべきことだが、国の財政という意味では破産にも等しい結果をもたらしかねない。いや、もうもたらしつつある。

財務大臣の麻生さんは、そんなシビアな現実を少しジョークを交えて指摘したのだ。言い方は洗練されていなかったかもしれないが、発言の全体を見れば正論中の正論だったことは明らかだ。発言の一部だけを捉えて、放言だ暴言だと噛み付くのはいかがなものか。

イタリア人の義母は「いつまでも死なない老人」発言の中で、『最近の老人は
《私を含めて》もう誰も死なない』と表現した。死なない他人を責めながらも、自らも問題のまったき当事者だという意識を明確に持っているのだ。

聞くところによると、75歳の麻生さんは講演の度に同じような話をして「かく言う自分も後期高齢者になってしまった」と締めて会場の爆笑を誘うらしい。つ まり自分も「いつまで生きてんだよ」的な高齢者だ、と自虐ネタを言っているのだろう。深刻な問題を笑いに変えた力量を、むしろほめてもいいくらいの名言ではないか。

麻生発言の一部だけを切り取った報道に早速、「(老人を侮辱されて)私は怒っている」と言った民進党党首の岡田さんや「人間の尊厳云々」と表明した共産党の志位委員長の発言など、選挙目当ての偽善的な言動などよりよっぽど正直で人間味に溢れている。

財政面もさることながら、日本における高齢化社会の問題の一つは、昔ながらの「敬老」の精神だ。年寄りを敬う心は大切に違いないが、年寄りがひたすら敬われていれば済む限度を超えて長生きをしているのに、その現実を無視して敬う「振り」をし続けていることだ。

老人問題は日本的「敬老精神」だけでは解決できない。90歳にもなればさすがに静かに余生を過ごしてもらうべきだろうが、もっと「若い」高齢者に関しては、就職や労働や年金のカット等を含めて現実的な対応がなされるべきだ。それは老人を切り捨てろ、という意味では断じてない。

長寿を祝いつつも、長寿社会の弊害を正面から見つめるべき時期が来た、という当たり前の話だ。そうすれば、元気に長生きしている人間を「老人」とひとくくりにして、見下したり存在を無視したりしているだけのくせに、「尊敬する高齢者の年金をカットしてはならない」などという偽善的な声も少しは消えて、より理にかなった政策が打ち出せる。

麻生さんはそれらのことを表現を変えて口にしただけ、というのは言い過ぎだろうか?


ローマに女性市長:古代ローマ帝国以来の慣習が崩壊

6月19日イタリア地方選挙の決選投票が行われ『永遠の都』ローマに史上初の女性市長が誕生した。

当選したのは既成政党に異議を唱える「五つ星運動」のビルジニア・ラッジ氏。ローマ市政の全てを変えるか、全てをこれまでと同じままにするか選択してほしい。私が全てを変える、と訴えた。

ラッジ氏は37歳。生粋のローマっ子で弁護士。ほんの数ヶ月前までは全く無名の存在だったが、ローマ市長選挙に立候補して優れた論客であることを証明し知名度を上げた。

ローマでは2015年、民主党の前市長が東京都の舛添要一 知事ばりに公費流用疑惑で辞任。また市当局がマフィアと癒着していた醜聞まで明らかになって市民が激怒。政治不信が広まっていた。

既存のあらゆる政治勢力に歯向かう「五つ星運動」は、そこを突いて大きく支持を伸ばした。そうやって古代ローマ帝国時代からえんえんと続いてきた「男性指導者オンリー」の支配体制に終止符が打たれた。

その出来事は2つの意味で重要である。一つはレンツィ首相が敗北によってダメージを受けたこと。近く憲法改正の国民投票を実施したい首相にとっては手痛いブローになった。

一つは欧米先進国の中で女性の社会進出が遅れているイタリアにおいて、しかも欧州の精神の核の一つを形成してきた古代都市ローマにおいて、女性のトップが生まれたという歴史的意義である。

ローマでは過去2000年余り、皇帝や貴族や執政官や独裁官やローマ法王や元首など、男性一辺倒の支配体制が続いた。それは欧州に於ける男尊女卑の社会風潮の象徴でもあった。

たとえばパリやロンドンやニューヨークなどの、欧米の他の偉大な都市で女性市長が誕生しても、もはや誰も驚かない。それらの都市は既に十分に近代的で「男尊女‘’」の社会環境があるからだ。

ローマは違う。さり気なく且つ執拗に男尊女卑の哲学を貫くバチカンを擁する現実もあって、イタリア国内を含む他の欧州の都市のように近代的メンタリティーを獲得し実践するのは困難だった。それが古来はじめて転換したのである。

今回の地方選挙ではローマ、ミラノ、トリノ、ボローニア、ナポリの5大都市が最も注目を浴びた。それらの都市での勝敗が次の国政選挙に大きく影響すると見られるからだ。

「五つ星運動」はローマのみならず北部の工業都市トリノでも勝利した。それは想定外の出来事でイタリア中が驚いた。「五つ星運動」は地方自治におけるこれまでの実績が思わしくなく、ローマ以外では勝てないと見られていたのだ。

レンツィ首相の民主党、「五つ星運動」、ベルルスコーニ党(フォルツァ・イタリア)というイタリアの3大政治勢力のうち、2大都市を制した「五つ星運動」が躍進、ローマを落とした民主党が苦戦、1都市も取れなかったベルルスコーニ党が惨敗、と形容できる結果になった。

そうした構造は一見するとイタリア特有のローカルな政治状況のように映る。だが実はそれは今、欧米世界に共通して存在する現象で、人々の不満や怒りが表出したものだと考えられる。

アメリカでは共和党大統領候補のトランプ氏が、白人労働者階級の怒りの受け皿となって支持を伸ばし、民主党のサンダース候補が既存の勢力に飽き足らない若者やマイノリティーの支持を集めている。

今回のイタリアの選挙結果も水面下でそれらの動きとつながっている。それはまた英国で今まさにBrexit≪英国のEU(ヨーロッパ連合)離脱≫の暴風が吹き荒れて、世論が“《反EU》”の怒りをはらんでてうねっている状況とも密接にからまっている。

「五つ星運動」はインターネットを駆使してイタリアの既存の政党や政治家を厳しく断罪し、同時にネットを通じてグローバルなコミュニケーション・ ネットワークを構築して、将来は世界政府を樹立する、という理想を掲げてイタリア政界に旋風を巻き起こしてきた。

同運動はお笑い芸人のベッペ・グリッロ氏が2009年に立ちあげた。その基本スタンスはEU無用論である。抗議政党とも呼ばれていて、既存の政治勢力にことごとく反旗を翻すことを身上としている。EU(ヨーロッパ連合)にも批判的で、単一通貨「ユーロ」も気に食わない。

「五つ星運動」とラッジ氏は、今回の選挙では《反EU》の旗印を引っ込めて、ローマ市政の腐敗と汚職と混乱を糾弾し市民の怒りを掻き立てる作戦で大勝した。だが彼らの正体はEU懐疑派であり、そこからの離脱を目指しているのである。

6月23日には英国でEU離脱か残留かを決める国民投票がある。もしも英国民がEUからの離脱を選択すれば、「五つ星運動」は勢いついて同じ方向を目指そうと叫ぶだろう。それはEU信奉者のレンツィ首相へのさらなる打撃になる。

またたとえ英国がEUに残留することを決めても、「五つ星運動」の反EUのスタンスは変わらないだろう。英国民のほぼ半数がEU懐疑派として存在し続け、アメリカではトランプ氏が勝っても負けても民衆の怒りや不満はくすぶり続ける。世界は歴史の岐路にいる。

世界政治の傍流であるイタリアの地方選で見えた流れは、実は決してイタリアに特異な現象ではなく、世界のトレンドがイタリアを巻き込んで流れていく巨大な奔流のほんの一部が表出したもの、という見方もできるのである。

学生たちとあそぶ




先日、高校生およそ30人と2人の教師を含むグループが僕の編集スタジオに見学に来た。

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編集室は狭いので学生は床に座ってもらった

いま適当な言葉が見つからないので「見学」と言ったが、中身は僕のドキュメンタリー作品を皆で見て、そのあと僕がその作品にからめてドキュメンタリーとは何か、とか、ニュースとドキュメンタリーの違いとは?また類似点とは?などに始まって、映画の話や映像制作現場の話などを思いつくままにざっくばらんに話した後、生徒と質疑応答をする、というものである。要するにちょっとしたテレビ教室あるいは番組制作講座、などと呼べるかもしれない。

僕は数年前までミラノに小さな映像制作プロダクションを置いていた。仕事は忙しく、年中イタリア各地を巡ってはミラノに籠もるという生活だった。そのため僕の住まうロンバルディア州の田舎の町にはビデオ関係の拠点はなく、書き物をする書斎があるだけだった。数年前、ミラノ事務所を閉鎖した際、撮影機材と編集機材を自宅脇のスタジオに移動した。今はそこでも仕事をする。

ミラノから移動した機材はHDでもPC仕様でもないため、使い勝手が悪い。それどころか、従来の機材も依然として多く使われるイタリアにおいてさえ、テレビ番組等の制作現場には適さない。古くなってしまったのだ。今現在のビデオ映像の仕事が入ると、僕はミラノ事務所を開く前のフリーランスのディレクターのように、撮影機材や編集スタジオをレンタルしてこなす場合が多い。

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そんな訳で自宅のスタジオは、これまでの仕事のアーカイブ(ビデオ書庫)的な使い方をしている。アーカイブといっても、数え切れないくらいに取材・制作をした短い報道番組などの記録は残していないので、あるのは長尺(Feature)番組のコピーや撮影済み素材などに過ぎない。テレビ番組はConsumer goods つまり日々の消費財だと考える僕は、それらの一つ一つを保存しようなどとは考えもしなかった。

テレビ屋としての僕の少しの自負もまさにそこにある。人々の「今の」関心や無関心、あるいは喜怒哀楽や憧憬や欲望や噂好きなどを敏感に察して作られて行くのがテレビ番組だ。言葉を換えれば大衆と共に呼吸し存在しているのがテレビ番組である。それは芸術でもゲージュツでもアートでもなく、今日生まれて消えていく消耗品だ。だから制作者である僕も今を呼吸していなければならない。それは書籍や思索や机上議論とは違う、路上でのアクションなのである。

書かない作家は作家ではなく、映画を撮らない映画屋はフェイクであるように、ロケに出ないテレビ屋は偽者である。テレビ屋は----中でもニュース屋やドキュメンタリー屋は特に----ロケに出ることによって大衆と共に呼吸することができる。それをしない場合、大衆を置き去りにする芸術やゲージュツやアートがやがて一部の「通」、つまりオタクだけが後生大事に抱え込むおわコンになるように、消耗品のテレビ番組は死滅する。死滅するどころか、大衆と共に歩まないテレビ番組はそもそも生まれることさえない。

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かつて映像の世界でひと角のクリーエーターになろう、また必ずなれると信じていた怖いもの知らずの僕は、若気の至りで教師という職業をバカにしきっていた。特にアートの分野ではアーティストになれなかった者が教師に「成り下がる」とひそかに思っていた。「教える」という仕事は制作ではない。そしてアートは制作することが全てだ。だから制作をしない教師はおかしい、という理屈
である。

今は違う。僕は教師というプロの指導者の価値を知っている。教えるという行為は、確かにアート制作とは別物だ。が、そこでの教師はアート制作をする「生徒を制作する」のである。優れたアーティストには必ず優れた教師がいる。その教師はアーティストと教室で直接に顔を合わせることはなくても、彼の手引きとなる仕事をして「アーティスト造り」の一翼を担う。それよりももっと明確な「教師」であるのが、実際にアーティストを指導する先達だ。要するにプロの指導者としての教師だ。そして誰もが優れたプロの指導者また教師になれるわけではない。

僕が自宅スタジオで請われてやっていることは、あるいは教える行為に近いかもしれない。しかし、僕は生徒を指導しようなどという僭越なことは微塵も考えない。教えるノウハウを知らないからだ。また今さらそれを知ろうとも思わない。前述したように、いま手元に残っている自分の作品と、それにまつわるあれこれの経験を学生に話して、彼らの成長の糧になれれば嬉しいと思っているだけだ。そして、教えるというのではないそういう活動は、申し入れがある限り今後も続けようと考えている。

沖縄が米兵犯罪に過激に反応する“隠れ無き”本当の理由

過重負担は全国で分担引き受けるべき

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徳島文理大学大学院教授の八幡和郎さんが沖縄女性遺棄事件に関連して2本の興味深い記事を発表している。「沖縄が米兵犯罪に過激に反応する隠された理由」「元沖縄県民として元米兵の事件を客観的考察 」である。僕も沖縄で生まれ育ったものの長く外国暮らしをしている「元沖縄県民」である。そこで八幡さんにならって「元沖縄県民」という立場から意見を述べてみることにした。

沖縄が米兵犯罪に過激に反応する隠れようもない本当の理由は、八幡さんが前述の「元沖縄県民として元米兵の事件を客観的考察 」の中でいみじくも披瀝した「沖縄県における基地のあり方については、本土で引き受けられるものは、46都道府県は無条件に引き受けて沖縄に押しつけている状態を解消すべきだ 」にある。

沖縄の基地問題の肝はまさにそこだ。それ以外の議論は、正論・曲論・極論また誤解や中傷や罵倒や、たとえ礼賛であっても、全て枝葉末節である。負担軽減策において、政府の誠実と県外の多くの人々との連帯が実感できれば、沖縄は確実に静まる。なぜなら、県民の大半は八幡さんも指摘している通りアメリカが好きだし、基地の必要性も日米安保条約の重要性も認知し賛成しているからだ。

沖縄には基地を全て無くせと叫んだり中国脅威論を否定したりする人々もいる。また普天間の辺野古移設に賛成する者ももちろんいる。それらの人々のうちの前者は、主として自らの政治信条に従う人々であり、後者は土地や土建にまつわる利権業者とその周辺に多い。それらの人々の声ももちろん尊重されなければならない。が、彼らは飽くまでも少数派だ。それを拡大解釈して、あたかもそこに沖縄の真意があるように主張するのは間違っている。

「沖縄でなければならない」は虚偽

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抑止力論を盾に「海兵隊は沖縄にいなければならない」という辺野古移設を正当化したい政府の最大の主張の根拠は破綻している。海兵隊は抑止力の中核ではない。真の抑止力は別にある。「海兵隊=抑止力」論は、辺野古移設をゴリ押ししたい政府の詭弁だ。

そうした事実は森本敏元防衛相の「普天間基地を名護市辺野古沖に移設する現行案は軍事的、地政学的でなく、政治的状況を優先して決定した」発言でも如実に示された。その発言内容は防衛省・自衛隊のサイトでも確認することができる。

そればかりではない。現在はサイトが閉じられているものの中谷元防衛大臣は「普天間基地は沖縄でなくてもいいが、本土のどこも引き受けてくれない」と思わず本音を漏らしたことがある。同サイトのタイトルは「ぼくらが見にいく!在日米軍基地 沖縄に行ってきた!」だ。サイトが閉められたのは、あるいは官邸あたりが「都合の悪い発言」と見なして圧力でもかけたのだろうか・・・。

またモンデール元駐日米大使は、普天間の移設先に関して「アメリカは辺野古とは言っていない。岩国への提案をしたが、場所を決めるのはあくまで日本政府。米国は沖縄に固執していない」と、さらに踏み込んだ発言をした。

政府は普天間基地の移転先は辺野古だけが唯一の解決策だと言い張る。なぜなら地政学的にそうだから。また基地を分散したら抑止力が落ちるから、などと説明する。だがその本音は、移設先は軍事的には沖縄(辺野古)でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域である。つまり本土で受け入 れ先を確保するのが「政治的に」無理だから、沖縄に押しつける。もっと言えば「沖縄以外の46都道府県のどこも受け入れないから沖縄県内でたらい回しにする」ということである。

NIMBYをどうにかするのが政治

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米軍基地は日本の安全保障また国防にとって重要極まるものだ。同時にそれは 迷惑施設でもある。そのため基地をいくつも背負わされてあえぐ沖縄の、その背中の荷物のほんの一部(普天間基地は沖縄全体の基地負担の2%に過ぎない)でも引き受けましょう、とは本土の誰も言わない。
基地の重要性は分かっていても誰も迷惑施設を地元に導入したくはない。基地は必要だからそこに存在するべきだ、でも誰もが「NIMBY(ノット・イン・マイ・バックヤード)、私の裏庭には持ってこないで」と思っている。そうやって「なんであれ、よその県が嫌がるので、沖縄に集中している現状であるのが事実だ」と八幡さんも述べる状況がまかり通る。

とはいうものの、迷惑施設はごめんだという人々の気持ちは理解できることだ。その思いを責めるのは酷である。だが同時に、やはり八幡さんが主張するように「沖縄以外の46都道府県は過重負担に苦しんでいる沖縄の米軍基地を引きとったほうがいい」というのもまた決して無茶な要望ではない。

そこで日本を統治する中央政府は政治を大胆に行わなければならない。この場合の政治とは「反対している本土のどこかの土地」、つまり NIMBYを決め込んでいる土地と人々を説得し、どうにかして基地負担を分散することだ。それを民主主義と言う。つまり妥協である。政府がその仕事を投げ 出すなら、それは「政治の堕落」だと沖縄県知事は表現し、多くの人々はそこに「沖縄差別」を見、指摘し、憤っている。

地位協定も癌

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八幡さんの主張にこだわる。彼が「地位協定にはなお改善の余地がある。この種の事件が起きるたびに小出しに改定することなく、ヨーロッパでの扱いなども参考にして、包括的最終的解決をめざすべきである」と指摘しているように、地位協定は全面的に見直されるべきだ。僕は改善ではなく破棄、あるいは最低でも全面改訂をするべきだと考える。

敗戦国という弱みを背負った日本の、最貧県の沖縄に君臨してきた米軍は、不平等条約と比較するのもばかばかしいほどの、米軍が一方的に有利な地位協定によって特権を誇示しエンジョイしてきた。日米地位協定は、米国が絶対で日本はそれに従う、という奴隷の発想から出たものだ。協定のおかげで米 軍は沖縄で傍若無人に振舞う。沖縄はそのことにも激しく怒っている。

ここまで述べたように米軍属の犯罪に対する人々の過敏な反応の原因はひたすら「沖縄の過重負担」だ。あるいは県民が「過重負担と感じている」現実 だ。それを取り除かない限り真の問題解決はあり得ないし、米軍(属)への怒りも収まることはない。そのことに目を向けない主張は、例えば沖縄の米軍専用施設は日本全体の74%ではなく23% 、などという議論と同じで、数字等を使った印象操作にしか見えない。

海兵隊にお引取りを願う

女性首を吊られた300pic












最後に提案をしたい。沖縄の怒りも静まり、46都道府県が嫌な基地負担を背負うことも なく、かつ日米同盟もしっかりと維持しつつ抑止力も働く方法がある。それは米海兵隊に日本から完全に撤退してもらうことだ。海兵隊はアジア太平洋から中東 に至るまでの広大な地域を絶えず移動しており、沖縄に拠点を置かなければならない理由はない。

抑止力という意味でも同じだ。沖縄にいなければならない必然性はなく、抑止力としてもそれほどの貢献はしない。海兵隊は有事の際に米国民を救うことが第一義の軍隊であって、日本の防衛が本筋ではない。この際日米で話し合って撤退してもらっても、日本の安全保障にはそれほど支障はきたさない。

沖縄の基地の7割は海兵隊の専用施設だ。従って彼らがいなくなれば、単純計算でも沖縄の基地問題の70%が解消する。それでも沖縄には、横田、厚木、三沢、横須賀、佐世保、岩国の県外主要米軍6基地を合計した面積の1・2倍にも相当する嘉手納基地・弾薬庫を始め、広大且つ強力な米軍基地が残る。

沖縄が担う中国および北朝鮮への抑止力は、嘉手納基地と自衛隊とそして何よりも日米同盟で十分というのが多くの専門家の見方だ。海兵隊がいなくなれば普天間基地も辺野古もなくなる。あとは地位協定を抜本的に見直すことで、米軍と県民がより良く共生できる環境を整えれば済む。

それが叶った暁には沖縄の民意も政治も静まり、島々は穏やかで明るい人々の住む、適度にリベラルで保守気質も他府県同様に十分にある、本来の沖縄に回帰して行くだろう。その時こそ日本とアメリカはさらに友誼を深め信頼しあって、日本の安全保障のみならずアジア太平洋地域の安定にも資する、真の同盟関係を構築することができると考える。


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