ダレマ(妻?愛人?)&レンツィ
2013年、マッテオ・レンツィ前イタリア首相また民主党(政権与党)前党首は、文字通り彗星のごとく政権党党首になり、2ヵ月後に実権を掌握して首相に就任した。
当時僕は、そこに至るプロセスと彼の政治手法に若干の疑問を覚えながらも、若き宰相の登場を歓迎し大いなる「変化」を期待した。彼はそのとき弱冠39歳。イタリア憲政史上最年少の首相だった。
時間とともに彼の政治手腕への違和感はさらに高まった。またしばしば傲慢だと批判される彼の性格と才幹を訝しく感じることも多くなった。
だが年老いた魑魅魍魎が多く跋扈するイタリア政界では、39歳という若い宰相には少しの横柄さも必要なのだろう、と考えてひそかに応援し続けてきた。
彼がイタリア政界最大の怪物、ベルルスコーニ元首相と選挙法を巡って取引をした時は大いに困惑した。さらに憲法改正を目指した国民投票キャンペーンで、「私を取る(イエス)かノーか」と問いかけたのには呆然とした。
レンツィ前首相は、そこで最大級の思い上がりを発揮して国民に嫌われ、ついに敗北して改革を遠ざけた。そればかりではなく、首相職も失う不手際を見せた。僕はそこに至って完全に彼を見損なっていたことを知った。
「私を取るか憲法改正ノーを取るか」という問いは、自信過剰だった英国の前首相デヴィッド・キャメロンが、EU離脱(BREXIT)を問う国民投票を実施して敗北したぽか と同じ大失態だった。
キャメロン前首相は、国民が彼の主張とは逆のEU離脱を選択することはあり得ない、と勝手に思い込んで、しなくても良い国民投票を実施して自らの政治生命を絶った。
レンツィ前首相は、そのいきさつをつぶさに見ていたにもかかわらず、「私(憲法改正イエス)かノーか」と慢心が透けて見える問いを投げかけて、見事に有権者にそっぽを向かれた。
彼はキャメロン前首相と同様に宰相職を辞任したが、与党民主党の党首(書記長)の地位には留まり続けた。そしてそこでも策士の本領を発揮して首相返り咲きを狙った権謀術策を弄した。
挙句、党内の反発を招いた。そこで懐の深い指導者らしい振舞いを見せて党内をまとめるのかと思ったら、頑なに独善を通し、ついに民主党分裂の最悪の結果を招いたのである。
僕はイタリアでの選挙権はない。選挙権を得るためにはイタリア国籍を取得する必要がある。だがイタリア国籍を得るためには日本国籍を捨てなければならない。日本の法律がそう定めている。
日本国籍を放棄する気は全くないので、僕は選挙権のない永住許可保持者の地位のままでこの国に住んでいる。選挙で投票できないということ以外には、それでほとんど不自由はない。
だが、僕は税金もこの国できちんと支払っているし、政治状況は暮らしや僕の生き様(よう)にもてきめんに影響する。家族も皆イタリア人だ。だから僕は政治動向には大いに物申すし、監視もしている。
レンツィ前首相の野望と独善は、この直前のエントリーでも論じた通り、イタリアの政局を混乱させるというローカルな問題に留まらず、極右の北部同盟とポピュリスト勢力の五つ星運動を利して、それがひいては欧州全体のトランプ主義化にも資していく、というのが僕の懸念だ。
レンツィ前首相は今日現在、ベルサーニ元民主党党首が率いる分離派を裏で操ったのは、ダレマ元首相だと攻撃の矛先を変えて声高に主張している。ダレマ元首相は奸物の印象が強い。そういうこともありそうである。
しかし、それを言えば、レンツィ前首相も同じ穴のムジナだ。またベルサーニ元民主党党首も、さらにいえばベルルスコーニ元首相も同じ。皆、奸物。政界の魑魅魍魎たちだ。
ここで国民の支持を得たいなら、前首相は「他者への攻撃をやめて沈黙する」のが得策だと思う。また近い将来の総選挙で民主党が勝っても、過半数に届く可能性は皆無。従って連立を組まざるを得ない。
その時の縁組相手として温存するためにも、昨日までの仲間を追い詰めるのは控えたほうが良い。が、自意識過剰で喧嘩好きのレンツィ前首相は聞く耳を持たないだろう。しかしそれは、再び言うが、相手方も同じ。
情けない体たらくの民主党だが、それでも僕は「今のところは」彼らに肩入れする。なぜなら民主党とその周辺は確固としたEU(欧州連合)支持派だからだ。ドロ沼のように停滞するイタリアの政治を変えよう、と叫ぶ五つ星運動にも共感するものがある。が、彼らはなにしろ反EUが旗印だ。とうてい受け入れられない。