【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2017年02月

やっぱりレンツィの野望は横暴で無謀で、どうしても絶望っぽい

ダレマ+レンツィ in ベッド切り取り400pic
ダレマ(妻?愛人?)&レンツィ


2013年、マッテオ・レンツィ前イタリア首相また民主党(政権与党)前党首は、文字通り彗星のごとく政権党党首になり、2ヵ月後に実権を掌握して首相に就任した。

当時僕は、そこに至るプロセスと彼の政治手法に若干の疑問を覚えながらも、若き宰相の登場を歓迎し大いなる「変化」を期待した。彼はそのとき弱冠39歳。イタリア憲政史上最年少の首相だった。

時間とともに彼の政治手腕への違和感はさらに高まった。またしばしば傲慢だと批判される彼の性格と才幹を訝しく感じることも多くなった。

だが年老いた魑魅魍魎が多く跋扈するイタリア政界では、39歳という若い宰相には少しの横柄さも必要なのだろう、と考えてひそかに応援し続けてきた。

彼がイタリア政界最大の怪物、ベルルスコーニ元首相と選挙法を巡って取引をした時は大いに困惑した。さらに憲法改正を目指した国民投票キャンペーンで、「私を取る(イエス)かノーか」と問いかけたのには呆然とした。

レンツィ前首相は、そこで最大級の思い上がりを発揮して国民に嫌われ、ついに敗北して改革を遠ざけた。そればかりではなく、首相職も失う不手際を見せた。僕はそこに至って完全に彼を見損なっていたことを知った。

「私を取るか憲法改正ノーを取るか」という問いは、自信過剰だった英国の前首相デヴィッド・キャメロンが、EU離脱(BREXIT)を問う国民投票を実施して敗北したぽか と同じ大失態だった。

キャメロン前首相は、国民が彼の主張とは逆のEU離脱を選択することはあり得ない、と勝手に思い込んで、しなくても良い国民投票を実施して自らの政治生命を絶った。

レンツィ前首相は、そのいきさつをつぶさに見ていたにもかかわらず、「私(憲法改正イエス)かノーか」と慢心が透けて見える問いを投げかけて、見事に有権者にそっぽを向かれた。

彼はキャメロン前首相と同様に宰相職を辞任したが、与党民主党の党首(書記長)の地位には留まり続けた。そしてそこでも策士の本領を発揮して首相返り咲きを狙った権謀術策を弄した。

挙句、党内の反発を招いた。そこで懐の深い指導者らしい振舞いを見せて党内をまとめるのかと思ったら、頑なに独善を通し、ついに民主党分裂の最悪の結果を招いたのである。

僕はイタリアでの選挙権はない。選挙権を得るためにはイタリア国籍を取得する必要がある。だがイタリア国籍を得るためには日本国籍を捨てなければならない。日本の法律がそう定めている。

日本国籍を放棄する気は全くないので、僕は選挙権のない永住許可保持者の地位のままでこの国に住んでいる。選挙で投票できないということ以外には、それでほとんど不自由はない。

だが、僕は税金もこの国できちんと支払っているし、政治状況は暮らしや僕の生き様(よう)にもてきめんに影響する。家族も皆イタリア人だ。だから僕は政治動向には大いに物申すし、監視もしている。

レンツィ前首相の野望と独善は、この直前のエントリーでも論じた通り、イタリアの政局を混乱させるというローカルな問題に留まらず、極右の北部同盟とポピュリスト勢力の五つ星運動を利して、それがひいては欧州全体のトランプ主義化にも資していく、というのが僕の懸念だ。

レンツィ前首相は今日現在、ベルサーニ元民主党党首が率いる分離派を裏で操ったのは、ダレマ元首相だと攻撃の矛先を変えて声高に主張している。ダレマ元首相は奸物の印象が強い。そういうこともありそうである。

しかし、それを言えば、レンツィ前首相も同じ穴のムジナだ。またベルサーニ元民主党党首も、さらにいえばベルルスコーニ元首相も同じ。皆、奸物。政界の魑魅魍魎たちだ。

ここで国民の支持を得たいなら、前首相は「他者への攻撃をやめて沈黙する」のが得策だと思う。また近い将来の総選挙で民主党が勝っても、過半数に届く可能性は皆無。従って連立を組まざるを得ない。

その時の縁組相手として温存するためにも、昨日までの仲間を追い詰めるのは控えたほうが良い。が、自意識過剰で喧嘩好きのレンツィ前首相は聞く耳を持たないだろう。しかしそれは、再び言うが、相手方も同じ。

情けない体たらくの民主党だが、それでも僕は「今のところは」彼らに肩入れする。なぜなら民主党とその周辺は確固としたEU(欧州連合)支持派だからだ。ドロ沼のように停滞するイタリアの政治を変えよう、と叫ぶ五つ星運動にも共感するものがある。が、彼らはなにしろ反EUが旗印だ。とうてい受け入れられない。


レンツィの野望は横暴で粗暴で無謀で阿呆で泥棒にも似て絶望っぽい

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イタリア民主党が分裂した。欧州で近く行われる選挙でフランス“国民戦線”、オランダ“自由党”、ドイツ“独の選択肢”などの極右勢力の躍進を暗示するような、残念な出来事である。

それというのもEU(欧州連合)支持の民主党が弱体化することで、イタリアの反ユーロ・ポピュリスト政党「五つ星運動」と、脱EU派で極右の「北部同盟」がさらに勢力を伸ばしそうだからだ。

民主党の分裂は、マッテオ・レンツィ前首相の野望と独善と権力欲に、対立勢力の愚直と視野狭窄と嫉妬がからんだ、民主党お得意の救いようのない言い争い体質ゆえの結果だ。

レンツィ氏は昨年12月、憲法改正を問う国民投票で敗れて首相を辞任。彼の内閣の外相だったジェンティローニ氏が首相に昇格した。

レンツィ氏は首相辞任後も政権与党である民主党の党首に留まり続けたが、党内での統率力には強い疑問符が付いて回っていた。

彼は2013年、民主党内の極左勢力を抑えて実権を握った。しかし、党内での内紛は絶えなかった。それでも前首相は、4月に予定されている民主党党首選で再び勝利すると見られている。

党首に再選された暁には、できるだけ早い時期に前倒し総選挙を行って、首相に返り咲きたい、というのが彼の野望である。

民主党と袂を分かつグループは、下院の任期満了(2018年)まではジェンティローニ首相の続投を支持するべき、と主張して前首相の野望に強く反発した。

反レンツィ派のリーダーはベルサーニ元民主党党首。党を割って出た後は新党を結成し、ジェンティローニ政権を支持し続けると見られている。

分裂直後の世論調査によると、民主党は2、3%の支持を即座に失った。それによって支持率は28、1%に落ち、最大野党の五つ星運動の支持率27,8%とほぼ同じになった。

ベルサーニ派は最終的には5%~8%の支持を得ると見られている。それが現実になれば、民主党は五つ星運動に支持率で逆転される可能性が極めて高くなる。

民主党の分裂によってイタリア国民の政治不信はさらに高まるだろう。それは前述したようにユーロからの離脱を主張する五つ星運動や、反EUで極右の北部同盟の躍進を呼びかねない。

最大EU支持派の民主党が弱体化すれば、イタリアのトランプ主義勢力が勢いづくことは確実であり、それは同国のみならず欧州全体の憂事である。


霧憂いあるいは霧ブルー


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書斎からブドウ園を望む。奥に高い壁があるが全く見えない


2017年2月22日朝、ミラノからほど近いわが家の周りは深い霧に包まれた。翌23日はさらに濃い霧が立ち込めた。

12月ごろから2月ごろのミラノと周辺は、ひんぱんに深い霧に閉ざされる。霧は冬の、特に晴れた日に発生する、いわゆる放射霧。

若いころ住んでいたロンドンにもよく霧がかかった。「霧の街ロンドン」と昔から言われる。が、ミラノの霧に比較するとロンドンの霧は、僕のイメージの中では子供だましに等しい

それでも霧は、ミラノ市内では幽玄に見えないこともない。いくら深くても街の灯りに淡いベールのようにからんで、霞みとなって闇の中にぼうと浮かび上がっていうにいわれぬ風情がある。

しかし郊外に出ると霧はたちまち怖い障害物になる。車の運転に支障をきたして、時には死の恐怖さえもたらすとんでもない代物になる。

僕は自分の事務所のあるミラノでは車ざんまいの暮らしをしてきた。郊外にある自宅との行き来も常に車だが、運転の大敵である霧には大分悩まされた。

霧は街なかよりも、人家や明かりの少ない郊外ではさらに濃くなって、行く手を阻む。

ひどい時は前後左右がまったく見えず、車のドアを開けて路上のセンターラインを確認しながらそろそろと走ることさえある。

霧中での運転にあまり自信がない僕は20数年前、霧が発生して車での帰宅が覚束なくなるときのために、ミラノ市内に小さな古いマンションを一軒確保したほどである。

年月とともに霧の中での運転にも少しは慣れていったが、霧の夜の運転は依然として不安だ。仕事柄、僕は夜遅い帰宅が多い。番組編集などがあるとなおさらだ。

高速道路で霧に出くわすと、一般道よりもさらに運転の危険が増す。

視界を遮られた霧の中では、恐怖から車を止めたくなるが、「死にたくなければ絶対に停車するな」というのが鉄則である。

みだりに停止すると視界のきかない後方車がたちまち激突しかねない。

だからといって高速で走ればもっと危ない。

霧の怖さやそれに対する心構えは当然イアタリア人は良く知っている。それにもかかわらずに彼らは、濃霧の中でも高速走行をしたがる。

運転に自信があるのだ。事実、イタリア人は一般的に運転がうまい。もっと正確にいえば、高速走行時の運転がうまい。言葉を替えれば乱暴である。

すべての車が止まらずに走り続ければ玉突き事故は起こらない、というのが彼らの言い分だが、そんなばかな話はあるはずもなく、霧中の高速運転は容易に事故を呼ぶ。

結果、数十台、時には何百台もの車が巻き込まれる玉突き事故さえ起きる。

事故の原因はいつも同じ。スピードの出し過ぎである。今さらのような言い方だが、イタリア人はスピード狂が多いのだ。

視界が閉ざされた高速道路で一台が玉突き事故を起こすと、玉突きはドミノ式に次々に起こって、結果多くの車を巻き込む壮大な事故になる。

そんな現実を見ると僕はイタリア人が分からなくなり、この国に住んでいること自体が怖くなったりすることさえある。

同時に、学生時代のロンドンの霧がひたすらロマンチックに見えたのは、車を持つ余裕などない貧しさのおかげだったのだ、とこれまた今さらながら気づいたりもするのである。



新カテゴリ 「投稿し忘れたこと」また「掲載し遅れたこと」について

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このブログのカテゴリにも置いている「書きそびれたこと」や「書き遅れたこと」はアイデアであったり数行のメモであったりの、「まだ書いていないテーマ」のことである。

ところが僕のPCには、そこから一歩先に行った「ある程度書き進んだネタ」や
「ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ」などというものが結構ある。

それらは時事ネタである場合がほとんどである。つまり、「書きそびれたこと」や
「書き遅れたこと」と同じだ。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。

そこで、「投稿し忘れたこと」あるいは「掲載し遅れたこと」というカテゴリでそうした事案も公表してみようと考え付いた。自分なりのあらたなトライである。

僕はこれまで自分がかかわってきたテレビ主体の映像媒体や、紙媒体とは違う可能性や面白さを感じて、このネットメディアを活用している。

可能性および面白さの一つは、周知のように、SNSの基本コンセプトである自らが『テレビ局になり出版社や新聞社になる』ことである。もう一つは『そこでは何でもトライできる』ことである。

そんなわけで、たとえば《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトでトライしてみようと思う。つまらなければさっさとやめるつもりで。

手始めに次のエントリーかその先あたりで、韓国のパク・クネ大統領にまつわる「投稿し忘れたこと」を掲載してみようと思う。


PCの前にも10年



2011年3月2日、僕はこのブログを始めた。

それからわずか9日後に東日本大震災が発生した。

衝撃の中で僕はわけも分からないまま、震災への思いを思いのままに書いた。

わけも分からないが、ブログとは日記のことで、従って毎日なにかを書くべきだと理解していた。

なので、当時は毎日なにかを書こうとし、また書かなければならないと思った。

そうやって懸命に震災にまつわる思いや、出来事や、またそれとは関係のないことを書き続けた。

その頃の僕の本気の願いは「毎日ブログを更新する」ことだった。

だが毎日書くことは時間的にもまた気分的にも無理だった。

今になってみると、その願いは笑い話だ。

毎日なにかを書けるなら書けばいい。

でも毎日書かなくちゃ、と脅迫観念に捉われるのは愚の骨頂だ。

毎日書かなくちゃ、ではなく、毎日書くことがあって、一心不乱に書くうちに気づいたら毎日書いていた、という風になれば良いのだと気づいた。

葛藤しながら書いているうちにいくつかの論壇に寄稿する機会も得た。

そうやって「則ブログ」の記事は公けにも活字になった。

公けになると、記事によっては個人ブログよりも多くの読者に出会うケースも出てきた。

そのあたりから自分の文章のスタイルが変わった。

大上段に構えるテーマや思いが多くなり、文体も硬くなったと感じる。

反省。

ブログの良さとは、書く側と読む側の親密な関係なのではないか、と今さらながら考えるようになった。

親密な関係とは、日常茶飯事も伝え合える「私的」関係ではないか。

小説でいえば「私小説」。

私小説はぶっちゃけつまらない、と最近の僕は思う。昔はいわゆる純文学とともに私小説も好きだった。純文学系には私小説的なものも多い。

私小説がつまらないのは、想像力の欠落とも取れる「スケールの小ささ」が特徴だからだ。あるいは「重箱の隅をほじくり返す」的なディティールのうっとうしさ。

しかも私小説の「私」を読者である僕はほとんど知らない。ツーか全く知らない。有名作家の場合は知っているような錯覚に陥るが、実は知らないのだ。

その点Facebookの友達の場合は、個人的なことはほとんど知らないが、「表現」という人間だけが欲求する道具(SNS)を共有する意識でつながっている。これは人類のコミュニケーションの歴史の中では極めて重大な事件である。

それを大事にしてみようと考えるようになっている。しかし、それだけでは物足りない。つながっている人の絶対数が少ないからだ。そこで個人ブログをあらためて気を入れて見直すことにした。

つまり、公私にわたるテーマを、さらに真剣に自分のスタイルで、できる限り多く書き綴って行ってみようと考えている。

ここから最低10年を目処に進もうと思う。僕はブログの開始当初から最低10年の継続を目指していて、そう宣言もしたりした。

ブログ開始から丸5年以上を経て、いろいろな体験も経て僕は再び「ここから10年」、と考えている。残された半分の5年ではなく10年だ。

一応、その目標を立てたが、今現在の気分としては「飽きがくるまで」が正確である。

その気分が変わらなければ、これから10年後に再三「ここから10年」と宣言しようと思う。

僕はやっぱりブログ、またSNSという表現手段全体が好きなのである。それでなければ何度も「ここから10年」、などと書き続ける期間を延ばしたりはしないだろう。

新聞、雑誌、文芸誌などにも書いてきて、紙媒体への愛着も依然としてある。

同時に今のところは、発見したこのWEB媒体の可能性も追い続けたい。

グワンバルぞ~



私刑(リンチ)殺人を招いたイタリア司法の稚拙

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ディ・レッロ&ロベルタ夫妻


2016年7月1日夕刻、イタリア・アブルッツォ州ヴァストの交差点で、ヤマハのスクーターに乗った女性が、赤信号を無視して交差点に侵入してきたフィアット車に撥ねられ、単車ごと信号機に激突した。女性はすぐに病院に運ばれたが同日の夜死亡した。女性の名はロベルタ・スマルジャッシ(33歳)。加害者はイタロ・デリーザ(22歳)。

それからちょうど7ヶ月後の2017年2月1日、事故のあった同じ町のカフェ前の路上で、事故加害者のイタロ・デリーザは1人の男に至近距離から拳銃で撃たれて即死した。撃ったのはファビオ・ディ・レッロ(34歳)。デリーザの車に撥ねられて亡くなったロベルタ・スマルジャッシの夫である。彼は妻を殺された報復に4発の銃弾を若者に浴びせたのだった。

若者を殺害したディ・レッロ は、その足で墓地に向かい、妻の墓前に供え物でもするように拳銃を置いた。それから警察に自首した。ディ・レッロ は妻の死後、毎日亡き彼女の墓に参っては悲嘆に暮れていた。その行為の仕上げとして、彼は復讐を遂げたあと墓前に拳銃を安置したのである。

交通事故の加害者を被害者(の家族)が私刑で殺害する、という耳を疑うようなこの事件は、イタリア司法制度の最大の欠陥のひとつ、審理の遅滞と混乱が引き起こした悲劇である。同時に、イタリア司法制度の長所の一つである厳罰回避主義も関係しているのが皮肉だ。

加害者から一転して被害者になったイタロ・デリーザは、交差点で赤信号を無視して死亡事故を起こしたにもかかわらず、裁判所の審理を待つ間、ほとんど何の制約も受けずにヴァストの町を自由に動き回っていた。そこは人口3万8千人の町。住人の全てがお互いに顔見知りのような関係だった。

何事もなかったかのように振舞うデリーザの噂を聞くのは、ディ・レッロにとっては耐えがたい苦痛だった。彼は裁判の迅速化を主張し、人々に働きかけ、SNSでも同様の投稿を繰り返した。町の住民の多くも妻を殺されたディ・レッロに味方をした。

町には動きの遅い裁判所への批判が高まった。「早く裁判をしろ!ロベルタに正義を!」という抗議デモまで起こった。それは同時に、重大事故を起こしながら自由を謳歌しているデリーザへの問責でもあった。デリーザへの風当たりはそうやって日ごとに強くなった。

2017年2月21日には公判が予定されていたが、加害者のデリーザは恐らく刑務所に入ることもない軽い刑罰で済み、結審後もほぼ自由であろうことが予想された。なぜならイタリアの法律では、交通事故の犯人は酒気帯び、麻薬摂取、あるいは轢き逃げのような悪質なケースを除いて、刑罰が極めて軽くなるからである。

その観測が妻を殺されたディ・レッロの苦悩となっていた。事故のことを謝ろうともしないデリーザへの怒りも募った。そんな折、彼はデリーザと道で行き逢った。デリーザは、事故後に乗り回すようになったバイクのエンジンをこれ見よがしに噴かして、彼に挑むような態度に出た。

その出来事がディ・レッロに重大な決意をさせた。デリーザを殺害してしまおうと心に誓ったのだ。恐らくディ・レッロは、町の人々が彼に同情し、事故加害者のデリーザを非難する風潮にも触発されたのだろう。ディ・レッロはその時まで拳銃を扱ったことはなかったが、密かに一挺を手に入れて襲撃の準備を始めた。

彼は犯行に及ぶ直前、Facebookに映画グラディエーターの主人公マキシマス・デシマス・メレディウス の写真と共に、彼の有名なセリフ“~And I will have my vengeance...in this life or the next=~私は必ず復讐を果たす・・この世か、あるいはあの世で”と投稿した。そして事件は起きた。

この不幸な出来事には、いかにもイタリアらしいエピソードや、多くの偶然や必然や不運や誤解などが複雑に絡まっている。だが実はそれは、イタリアに限らずどこにでも起こり得る事件であり、真相は「藪の中」にしか存在しない人間劇だと僕には見える。

ここからはその人間劇について少し言及しておこうと思う。

ディ・レッロは妻の死後、毎日彼女の墓に参っては悲嘆に暮れていた。それは愛情の深さを物語るエピソードに違いないが、7ヶ月にも渡って連日墓に出向いては涙に暮れる、というのは少し異様で、彼の思い込みの強さを語るエピソードという感じがしないでもない。

その行為はFacebookにグラディエーターの一場面の模様を投稿したことや、復讐を果たした後にピストルを妻の墓前に手向けた事実などと共に、少し芝居がかっていて、やはり違和感を覚えずにはいられない。犯罪心理の専門家などが分析を試みたがる案件のようでもある。

銃撃犯のディ・レッロは、前述したように、彼にとっては妻を殺した憎むべき犯人であるデリーザが、まるで挑発するように町で行き逢った彼に対してバイクのエンジンを吹かした、と主張している。それは事実らしいがそこに至るまでには伏線がある。

デリーザの家族の言い分によると、彼は死亡事故を起こした後、強いトラウマに襲われて苦しんでいた。そこに彼を非難する町の住民の声が重なって、当人の心的苦痛はいよいよ高まった。そうした異常な精神状態にあったため、デリーザはディ・レッロと遭遇した際、思わず反抗的な態度に出たのだという。

つまりふてぶてしく生きているように見えたデリーザは実は、「普通に」死亡事故を起こした責任感に苛まれていた。罪悪感で押しつぶされそうになっていた彼に世論のバッシングが重なって、彼はますます追い詰められていった、というある意味で尋常な加害者の心理劇がそこにはあったのである。

また、デリーザは事故後に、共通の友人を介して亡くなったロベルタ・スマルジャッシの家族に謝罪をしたいと申し出たが、彼女の家族は「今はとても謝罪を受けられる心理状態ではない。時間がほしい」と拒否したとされる。

ところがこの点に関しても、前述したようにディ・レッロは逆に、デリーザから一言の謝罪の言葉もなかったと憤っている。ということはもしかすると、彼と亡くなった妻の家族との間には何らかの行き違いがあって、情報が共有されていなかったのだろうか。又は何らかの確執でもあったのだろうか。

ディ・レッロと妻の家族との関係がどうあろうとこの際は関係のない事案かもしれない。しかし、デリーザが彼に謝罪をしなかったことも、ディ・レッロが凶行に走った動機の一つになっているのだから、被害者が実は謝罪を申し出ていたというのは、無視できないエピソードのように見える。

デリーザ側の主張には、普通の感覚では中々受け入れがたいものも幾つかある。たとえば彼らは、「交差点での事故の際、ヤマハのスクーターに乗っていたロベルタ・スマルジャッシはヘルメットを被っていなかった。これは彼女の過失である」と言い張った。

また「責任を取れ。反省しろ」という街の人々の非難に対しても「デリーザは事故時には一滴の酒も飲んでいなかったし、麻薬常習者でもない。また事故後は逃げも隠れもしないで被害者の救護にも当たった。いったい何を反省し何の責任を取るのか」と開き直ったりもしている。

それらの主張は、少なくとも僕にとっては、首を傾げたくなるような強弁にしか聞こえない。加害者が信号を無視して交差点に突っ込み被害者を死亡させた厳然たる事実は、被害者のヘルメットの有無によってキャンセルしたり矮小化したりできるものでは断じてない。

飲酒や麻薬使用の有無、また事故後に救護活動をしたか否か、などの主張もやはり強弁の類であり本末転倒の議論のように思う。自らの立場を明確にしてそれを主張することが善とされる西洋的メンタリティーではOKなのだろうが、少なくとも日本人の僕には分かりづらい、というのが正直な感想だ。

しかし、だからといって、ディ・レッロはもちろん個人的なあだ討ちなどをするべきではなかった。彼は犯行に至る前には一貫して「ロベルタの悲劇は2度とあってはならない」と亡き妻の写真と共にSNSに繰り返し投稿していた。ところが彼は、不幸にも妻の悲劇を繰り返してしまった。被害者の名前が妻ロベルタからデリーザと変わりはしたものの。

僕には亡くなった2人の男はいずれもイタリアの司法制度の被害者に見える。厳罰主義を否定するイタリアの司法の精神はすばらしい。そこにはキリスト教最大の教義の一つ「赦(ゆる)し」の哲学が込められている。

「人は間違いを起こす弱い存在」である。だから、厳罰よりも赦しが優先される。飲酒運転や麻薬摂取や轢き逃げに当たらない、「普通の」死亡事故の加害者を許そうとするベクトルが働くのも、その考え方故だ。

しかし、司法の遅滞は重大問題だ。デリーザが死亡事故を起こした時点で司法による素早い介入があったならば、彼は被害者の家族も住む小さな街で自由に動くことはなく、従って加害者のディ・レッロと行き逢うこともなかった。

精神つまりソフトは優秀だが、時として実体つまりハードが稚拙な「イタリア的な仕組み」の一端がここでも発揮されたのだと思う。ハードの遅れた司法の鈍感と無神経と無能のせいで、事故の加害者と被害者が日常的に顔を合わせるという苦しくも残酷な状態が生まれ、やがて悲惨な結末が訪れたのである。


やっぱり退屈なオバケ番組「サンレモ音楽祭」

会場ヒキ+パネル400pic


2017年2月11日、5日間に渡って開催されたサンレモ音楽祭が幕を閉じた。

先日、紅白歌合戦にからめて同音楽祭のことをいろいろ言った手前、今年は頑張ってTV生中継を見ようと決めた。

しかし、いつものように挫折した。つまらぬ、好かぬ、たまらぬ、の3拍子がそろっていたのだ。「つまらぬ」のはエントリーしている楽曲。「好かぬ」のは番組の内容。「たまらぬ」のは放送時間のムチャクチャな長さである。

つまり、「いつもの理由」で、僕はサンレモ音楽祭を放送するRAIの番組視聴を貫徹することができなかった。貫徹どころか、最初は「さぁ、見るぞ」と始めたものの、たちまちウンザリしてチャンネルを替えた。

その後は「我慢して見つづけよう」と自分に言い聞かせては、やはりチャンネルを替えたり、テレビの前から立ち去ることを繰り返した。

サンレモ音楽祭は応募曲の優劣を決める音楽コンテストである。優勝曲はほぼ間違いなくイタリア国内でヒットし、欧州全体さらには世界的なヒットになる可能性もある。

それでいながら参加曲の多くが、どれも良く似た凡庸なものであるのも現実だ。カンツォーネは日本でいえば演歌(あるいは歌謡曲的な演歌)なのだから、それも仕方がない。

そこでは似たような印象のメロディー、リズム、歌詞の歌を、これまた似たような印象の歌い方をする歌手が絶唱する、というイメージである。それは僕にとっては極めて退屈だ。

もっとも演歌でなければ楽しいのか、といえば決してそうではない。演歌を「歌謡曲」や「ニューミュージック(死語?)」などを含むJ-POP(ポップス)と置き換えても事情は同じ。どのジャンルでも面白い歌は少なく、つまらない歌は盛りだくさんだ。

それらの歌の合間に、ゲストと称される有名人のダベリや、司会との掛け合い、多くがお笑い系の芸人のパフォーマンス、時の人や事物の紹介、外国人ゲストの歌やパフォーマンス等々が、これでもか、これでもかとばかりに執拗に挿入される。

実を言えば、それらの賑やかで多彩で大量のエピソードの合間に、コンテストにかけられる歌が歌われる、という方が正しい。今年はなぜか猿の着ぐるみを着たダンサーが踊りまくる演芸も加わって、例年以上に舞台が濃厚になった。

僕の個人的見解では過剰以外の何ものでもない大量の「バラエティーショー的ネタ」の合間に、陳腐な歌が次々と陳腐に上演されて行く時間の長さと、ネガティブな番組構成要素の総体は、ほとんど恐怖である。もっと言えばずばり「拷問」ですらある。

僕は前述のごとく「いつものように」我慢して番組を見ようとした。そして「いつものように」脱落した。それでも優勝曲の発表がある最終夜は、イライラしながらも懸命に見た。午後8時半に始まった番組は、途中で大量のコマーシャルを挟みつつ延々と続いた。

このコマーシャルも僕の気に触り続けた。というのも番組を流しているRAIはイタリアの公共放送局である。つまりイタリアのNHK。当然視聴料を徴収している。それでいながら大量のCMも流すのだ。きちんと視聴料を支払っている僕は普段からこのことに腹を立てている。RAIは民営化されるべき、と僕が主張する理由の一つだ。

優勝曲の発表の前にも、思わせぶりで脇道に逸れる構成が連綿と続いて、いつまでたっても結論が出ない。且つそこでもCMががんがん流される。やりきれない時間が過ぎて、ようやく優勝曲が発表された時には、日付がとっくに変わって翌日の午前1時半になっていた。

それだけでも疲れたが、もっと残念なことがあった。優勝曲が今年は良くないのだ。サンレモ音楽祭はマンネリ感満載の番組内容とエントリー曲の陳腐が退屈だが、優勝する歌はたいていいいものが多く、ひんぱんに傑作が生まれる。今年に限っては唯一の楽しみである優勝曲も凡庸でつまらない曲で終わった。

その平平とした歌の披露が済んでオンエアが完全に終わったのは1;45分だった。僕は2度とサンレモなど見ないぞ、と悪態をついていた。今後はほんとに2度と見ないつもりだ。優勝曲についてはこれまで通りチェックするとは思うけれど。

などと、呪詛の言葉を吐いているのは、全くの僕の個人的趣味である。イタリアではサンレモ音楽祭は、依然として人々の強い支持を受けている。視聴率や国民の関心度、という観点から言えば、恐らく日本における紅白歌合戦以上の、イタリアのチョー国民的番組なのである。

同番組は、今年も事前の国民の関心度や視聴率が、イタリアで1,2を争うオバケ番組であることを証明した。平均視聴率は50、7%に達し、過去12年間で最も高かった。そうはいうものの同番組は、ほとんど常に40%台後半の数字を稼ぐのだけれど。付け加えれば、今年の優勝曲発表時の瞬間視聴率は、なんと
79、5%に上った。

また年間を通しての国民の関心、という意味では「サンレモ」という語がGoogleの検索エンジンリストの第6位である事実と、音楽祭の開催期間である2月7日~11日が、文化イベント・カレンダーの重要キーワードとして、人々に意識され続けることでもその存在感の大きさが知れる。

もっとも、さらに付け加えれば、そんなオバケ番組ゆえに敵も多い。日本の紅白歌合戦に敵が多いように。僕自身に限っていえば、番組制作者たちの努力と、番組の特に舞台デザインにいつも瞠目しているファンの一人だが、番組の長さとしつこさにはほとんど敵意に近い感情さえ覚える。

しかしそれは、毎年衛星中継でしっかり見ている紅白歌合戦も同じ。紅白歌合戦は昔の2時間番組に戻したほうが僕は今の10倍くらい好きになると思う。またサンレモ音楽祭の場合は、全体が4時間程度の「1日限り」のイベントにしてくれれば、今の100倍くらいは好きになれそうな気がするのだが・・


稀勢の里の横綱昇進にケチをつけるケチ臭さ


400pic北斎漫画相撲縦組み合う


稀勢の里の横綱昇進は甘い、という説がそこかしこにある。大手新聞の論説やトップ漫才師なども言及している。が、彼らは本当に大相撲を見ているのか、と僕は違和感を抱く場合も多い。

僕はイタリアにいて衛星放送で毎場所欠かさず大相撲を観戦している。ロンドンに拠点を置くJSTVが、NHKの大相撲放送を1日3回電波に乗せるのだ。

イタリア時間では朝の9時前後からほぼ生中継で幕内の全取り組みをオンエアする。午後は日本での生放送の時間帯を意識した頃合いに、全取り組みを2時間ほど使って録画再放送する。

さらに、午後11時頃から幕内の全取り組みを再三放映する。その時は番組を大幅に編集して、仕切り部分をほぼ全てカットして一番一番の勝負だけを短く見せる。

僕はほとんどの場合、朝のほぼ生中継を録画しておいて仕事の合間に全取り組みを見る。その時は仕切り部分の絵を飛ばして見ることが多い。時間節約のためだ。

時間に余裕があれば、仕切りの様子も含めて全て見る。本当は常にそうしたいのだが、なにかと多忙で思うようにはいかない。

朝も午後も観戦のチャンスがない場合は、夜11時からの勝負のみのダイジェスト版を見逃さないようにしている。

何が言いたいのかというと、僕は遠いイタリアにいながらもきっちりと大相撲の本場所の状況を把握している。相撲が大好きなのだ。

だから、相撲に言及する人々が実際に取り組みを見て口を挟んでいるか否か、すぐに分かる。あるいは彼らが大相撲ファンかそうでないかが、感覚的に結構分かる。

その伝でいえば、前述の大手新聞の論説執筆者やトップ漫才師は大相撲を逐一見てもいないし大相撲ファンでもない、と感じる。

稀勢の里の横綱昇進は順当だ。彼は横綱昇進の条件である、2場所連続優勝かそれに準ずる成績、という基準を満たしている。

優勝に準ずる、という規定の解釈が人によって微妙に違うが、昇進直前2場所のうち、九州場所は12勝3敗の準優勝、続いて初場所は14勝1敗での優勝だから、僕は妥当だと思う。

甘いという説も理解できないことはない。というのも1990年に旭富士が2場所連続優勝で横綱に昇進して以降、曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜の全力士が連続優勝後に横綱になっている(鶴竜のみ一場所は優勝決定戦で敗れて、優勝力士と同成績)。

しかし、旭富士以前は、今回の稀勢の里のように準優勝に続く優勝、またはその逆の形の成績で横綱に昇進したケースが多い。あの大横綱の千代の富士も準優勝場所の後に優勝して横綱になった。

2場所連続優勝なし、準優勝と優勝同点(決定戦で敗れて)で昇進した三重の海や2場所連続優勝同点で昇進の2代目若乃花というケースなどもあった。優勝なしだから彼らの横綱昇進は稀勢の里より甘いとも言える。

旭富士以降の昇進基準が厳しくなったのは、一度も優勝したことがない双羽黒が横綱に昇進(準優勝と優勝同点)した後、問題を起こして廃業したことへの反省があったからである。

旭富士以前の横綱昇進の条件は「直前の3場所の成績が36勝以上」というものだった。双羽黒の問題以降、横綱昇進の条件は「大関で2場所連続優勝、もしくはそれに準ずる成績」と厳しくなった。

稀勢の里は「直前3場所36勝」制で見た場合は最低ラインの36勝に留まるが、2016年の3、5、7月場所の合計は38勝で十分に規定をクリアし、そこで既に横綱になっていてもおかしくない強さだ。

しかし、懐疑論者たちは満足しない。彼らは稀勢の里の九州場所での準優勝が、優勝より星二つ少ないことを問題にしたがる。準優勝は優勝より勝ち星が一つだけ少ない成績であるべきだ、という訳である。

確かに稀勢の里は、優勝場所の直前の九州場所で鶴竜に次ぐ準優勝ではあったものの、鶴竜の14勝1敗での優勝に対して12勝3敗と星二つ足りなかった。

だが彼は昇進以前に12回にも渡って準優勝という成績を残している。そのうちの3回は横綱昇進直前の2016年の成績だ。加えて2016年は史上初の優勝なしでの年間最多勝も獲得した。

彼に先んじて優勝した同僚大関の琴奨菊と豪栄道が、優勝場所以外ではほとんど常にクンロク大関と呼んでも構わないほどの、不甲斐ない成績に終始している事実とは大違いだ。

稀勢の里の準優勝12回のうち11回は大関での成績である。このうち2013年7月場所、2014年1月と7月場所、2016年5月、7月、9月場所と計6回の綱取り挑戦を経験した。

6回もの綱取り場所がありながら失敗し続けたのは、ここ一番に弱いノミの心臓の持ち主だから、という批判もある。それもまた正鵠を射た意見だ。正直に言えば僕もそこが一番気になる。

しかし、その準優勝12回という数字の意味するところは、稀勢の里が長期に渡って安定した成績を残している、ということでもある。それが彼の強みではないかと思う。強みになってほしい。

長い苦しい体験が彼の横綱人生に強さを付け加えるのか。あるいはやはりプレッシャーに弱いか細い横綱で終わるのかは、いやでも来場所以降に明確になるだろう。

僕は稀勢の里が優勝回数5回前後のまあまあ強い横綱になりそうな気がする。優勝回数5回は柏鵬時代を築いた柏戸などに匹敵し、彼の師匠だった隆の里ほかの横綱を上回る成績である。

グワンバレ稀勢の里!


トランプ入国禁止令に[賛成多数]の衝撃

stara and stripes のスカーフを被ったイスラム女性400pic


トランプ米大統領が、中東・アフリカ7カ国からの人の入国を一時禁止したことなどをめぐり、全米各地で抗議活動が起きている。報道を見る限りでは米国民の大多数が大統領令に反対しているような印象を持つ。

ところが、ロイター通信が行った世論調査によると、入国禁止の大統領令に反対しているのは米国民の41%、一方賛成しているのは49%という数字が出た。この結果に僕は、少し大げさに言えば、衝撃を受けた。

ほぼ同時期に行われたギャラップ社の世論調査の結果では、賛成と反対の数字が42%と55%と逆転している。が、いずれにしても米国民の少なくとも半数が、トランプ大統領の政策を支持していることは間違いない。

選挙戦でもトランプ大統領と民主党のクリントン候補の支持率は拮抗していた。従って7カ国からの入国禁止令をめぐっても賛否がほぼ半々になるのが当たり前、という見方もできるかもしれない。

だが、米国を筆頭に世界中のメディアが連日報道しているのは、大統領令に反発して抗議活動をする人々の動きばかりである。あたかも「大統領令への反対一色」という雰囲気だ。だが現実は違っている。

インターネット、特にSNSの普及によって大手メディアの報道の中身が問われ始め、やがてそれはエスカレートして、ネット住民による「マスゴミ」呼ばわりは過激すぎるにしても、既成メディアへの不信感や懐疑論は膨らみ続ける一方だ。

今ではSNSのツイッターを駆使して世界最強の権力の座に就いたトランプ大統領が、大手メディアのテレビ画面でその大手メディアの記者に向かい、「君たちはフィエクだ。嘘を垂れ流すクズだ」と言い放つ時代になった。

大手メディアをフェイクと断罪するトランプ大統領とその陣営が、実はフェイク・ニュースを垂れ流している虚構であり、危険な嘘で塗り固められた存在、という可能性の方がもちろん依然として非常に高い。

去った選挙戦へのロシアの介入の有無や、オバマ前大統領と現職の就任式の人出の多寡をめぐる言い争い、現政権の報道官の不可解な言動など、など、疑問符満載の状況は時と共に真偽が暴かれ改善されていくだろう。

だが現在進行形で報道されている「事実」と、冒頭で述べた世論調査が示唆する「実証」との間に乖離があるのも明白な「現実」だ。僕は自身もメディアの中で生きてきた人間として、衝撃と共に目からウロコ、という思いにも強く捉われている。

叫ぶtrump醜悪顔400pic


それはトランプ大統領に賛成するという意味では毛頭ない。いや、むしろ逆だ。それらの「多様な現実」の存在を容認しつつ、僕はここ欧州に跋扈しつつある排外・差別主義者、日本に多い歴史修正論者や「反ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)主義者」つまりネトウヨ・ヘイト扇動者、また不寛容志向者や引きこもりの暴力愛好家などに反対する。

「反ポリコレ主義者」に反対するとは、ポリコレ棒を振りかざして言おうとするのではない。ポリコレ棒で他者を殴る者は、差別や偏見をしないという善を盾に言葉狩りの「独善」に陥って、あらゆるものを糾弾し、多様性を認めるはずが、逆に多様性否定論者と同じになってしまうことが多い。

つまり行き過ぎたポリコレ信者は、自らの差別思想や偏見や不寛容や憎しみを秘匿して、差別用語やヘイト感情をむき出しに他人を攻撃する、「反ポリコレ主義者」と何も変わらない存在になってしまうのだ。

人種、宗教、女性差別などに始まる多くの差別感情と憎しみをあおり続けるトランプ大統領は、どこまでいっても危険なポピュリストだ。人類が多くの犠牲を払って獲得したポリコレの哲学や知恵やコンセプトは、全て無駄でつまらないことだと断定して、世界を後退させようとするネガティブな存在だ。

しかし、大多数の人々がそれを望んでいるとすれば、民主主義を標榜する限りアメリカは、トランプ大統領の目指す方向に引きずられていく可能性が極めて高い。そうなればアメリカは、自由や平等や機会の均等などを高らかに謳う、これまでのアメリカではなくなる。

いやトランプ氏を大統領に選んだ時点で、アメリカはもはや『米国民が理想とするアメリカ』の実現を目指して進む国家、ではなくなったとも言える。それは僕自身もそこに住んで実体験した偉大なアメリカ、つまり人種差別や不平等に苦しみながらも、敢然としてその撤廃に向けて歩み続ける人々の住む国ではなくなった、という意味だ。

僕は選挙戦の初めからトランプ候補の批判者であり続け、今はさらにそうだが、大統領になった彼の極論を歓迎する民衆の姿を見て、自分の立場を少し軌道修正しつつある。つまりアメリカはトランプ主義を即座には撃退できない。撃退どころかますますそれに飲み込まれていく可能性が高い、という悲観論者の立場への傾斜だ。

同時にその悲観論は、トランプ革命によって古い秩序が破壊される結果、これまでは見られなかったポジティブな方向に米国が変わり、それが世界をリードするかもしれない、というかすかな期待とも連動している。言うまでもなくそれは、過去の歴史に鑑みれば、トランプ主義は世界に否定的な打撃をもたらす運命にある、という危惧に比べてとても小さいけれど。

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