【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2017年05月

終わコン茶番劇「G7」の再生法   

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イタリア、シチリア島のタオルミーナで開かれたG7が終わった。イタリアで開かれることもあって、準備段階から気をつけて見続けた。その感想は、G7は「やはり」もうやめるべき、である。

金持ち国の首脳が集まって、世界をわがもの顔に語る時代遅れの会議には、もうほとんど何の意味もない。各国首脳はそのことを知っている。

その証拠にトランプ米大統領とメルケル独首相は、会議終了後に行われる恒例の記者会見をスキップ、逃走した。

トランプさんは記者にロシアゲートを追求されるのを嫌い、メルケルさんは会議での不協和音から目をそらしたい一心で記者会見を拒否した、とされる。

ということはつまり、彼らが会議そのものの重要性を少しも認めていない、ということにほかならない。その逆ならば2人とも、何はさておいても会議の成功と意義を説明するために記者会見を開くはずだ。

それを避けたのは、G7がやはり形骸化した空虚なセレモニーに過ぎないからだ。他の参加国の首脳らも、そのことを知っている。おそらく日本のトップを除いて。

会議前、日本のネトウヨ政治家と市民またネトウヨメディアは、タオルミーナでは「G7サミットの古株」になった安倍首相がリーダーシップを発揮して、新顔の米英仏伊の首脳らを引っ張るだろう、と相も変らぬチンケな分析を披瀝していた。

世界から顔を背けて、日本という家に閉じこもって壁に向かって怨嗟を叫び続けているだけの、それらの「ネトウヨ勢力」には世界は見えない。そこに支持されて得意になっている安倍さんも同じ穴のムジナだ。

内弁慶の安倍さんは、G7が唯一の国際舞台での見せ所、とわきまえていることもあって、ネトウヨ勢力を背景に懸命に目立つ努力をしたが誰にも相手にされなかった。

アメリカのネトウヨ大統領との間に「北朝鮮への圧力を高める」という、陳腐で無能な口約束を交し合い、それと同じ合意を他の5ヶ国とEU首脳とも交わした、という無内容な声明を引き出しただけだ。実質的な成果など何もないのだ。

他には国際的な活躍の場がない安倍さんはG7を重視していることが明らかだ。またその気持ちも分からないではない。が、他の国の首脳らはG7のミッションがとうに終わっていることを知悉している。

G7はもともとは政治ではなく経済のことを話し合う目的で始まった。日本ではあたかも「政治的な重要問題を話し合う場」でもあるかのように主要メディアでさえ喧伝するが、それはほとんど印象操作にも似たフェイク所感だ。欧米のメディアは一貫してそれを「経済サミット」と位置づけてきた。

時間経過と共に、政治的な問題も話し合われる場合も確かに多くはなった。が、G7サミットの本質は金持ち国による「金儲けの話し合いの場」である。金儲けの話し合いの場に、いまや世界第2の経済大国である中国が参加していないのは茶番だ。

また世界政治を話し合う場であるならば、往々にしてそのトップつまりプーチン大統領が、もはや「世界最強の権力者」、とさえみなされるロシアが参加していないのは噴飯ものだ。

同時に、政治的には世界でほぼ影響力ゼロの日本やイタリアやカナダが、したり顔でサミットのテーブルに着いているのはお笑い種だ。

G7は2014年、クリミア問題への制裁処置としてロシアを(G8から)排除した。また中国に対しては、グループ入りを検討してみることさえばかばかしい後進国とみなして、冷淡な態度を取ってきた。

だがいまや経済規模の小さいロシアは強大な政治力国であり、政治力の劣る中国は巨大な経済国だ。後者は経済力を背景に政治力も日々高め続けている。

ロシアと中国の悪を嫌って彼らを金持ちクラブから締め出しても、彼らの悪がなくなる訳ではない。G7のメンバー国は、自らを世界のリーダーだと自認するならば、悪を悪のまま排除しておくのではなくそれを取り込んで、彼らが悪ではなくなるように仕向けるべきだ。

G7構成国が中心になって進めてきた対ロシアまた対中国政策はほとんど功を奏していない。ロシアは経済制裁などものともせずにシリアほかに介入して混乱を増長させている。

中国は中国で米国を相手に一歩も引かない力の張り合いを繰り返し、日本や韓国その他の対立国など眼中にないほどの大物ぶりだ。

G7は今後も存続を目指すなら、ロシアと中国を巻き込んでG9を目指すべきだ。もしもG9がいやならば、解散して、たとえばG20 に軸足を移すなりして活動するべきだ。それが終わコンG7を救う方法である。


25年前、確かにマフィアの静かな壊死は始まったが・・

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ファルコーネ判事


1992年5月23日、つまり25年前の今日、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される)のスピードで走行していた「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がった。

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、1/2トンの爆薬を炸裂させた瞬間だった。正確に言えば1992年5月23日17時58分。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えた。マフィアはそうやって彼らの天敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去った。

大爆殺を指揮したシチリアマフィアのボス、トト・リィナは、その夜部下を集めてフランスから取り寄せたシャンパンで「目の上のたんこぶ」ファルコーネ判事の死を祝った。当時、イタリア共和国そのものを相手にテロを繰り返して勝利を収めつつある、とさえ恐れられていたトト・リィナは得意の絶頂にいた。が、実はそれが彼の転落の始まりだった。

敢然とマフィアに挑み続けてきた英雄ファルコーネ判事の死にシチリア島民が激昂した。敵対する者を容赦なく殺戮するマフィアの横暴に沈黙を強いられてきた島の人々が、史上初めてマフィア撲滅を叫んで立ち上がった。その怒りは島の海を越えてイタリア本土にも広がった。折からのマニプリーテ(汚職撲滅)運動と重なってイタリア中が熱く燃えた。

世論に後押しされた司法がマフィアへの反撃を始めた。翌年1993年の1月、ボスの中のボスといわれたトト・リィナをついに警察が逮捕したのだ。マフィアはその前にファルコーネ判事の朋友ボルセリーノ判事を爆殺し、リィナ逮捕後もフィレンツェやミラノなどで爆弾テロを実行するなど激しい抵抗を続けた。しかし司法はマフィアの一斉検挙を行ったりして組織の壊滅を目指して突き進んだ。

1996年5月20日、ファルコーネ判事爆殺テロの実行犯ジョバンニ・ブルスカが逮捕された。彼はマフィアの襲撃防止のために高速走行をしていたファルコーネ判事の車の動きを、近くの隠れ家から双眼鏡で確認しつつ爆破装置を作動させた男。フィレンツェほかの爆弾テロの実行犯でもある。100人~200人を殺したと告白した凶暴な殺人鬼でありながら、リーダーシップにも優れた男であることが判明している。

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爆殺現場

ブルスカは当時マフィアの第3番目のボスと見られていた。組織のトップはすでに逮捕されたリィナ。ナンバー2が1960年代半ば以来逃亡潜伏を続けているベルナルド・プロヴェンツァーノだった。ブルスカは逮捕後に変貌して司法側の協力者になり、逃亡先からマフィア組織を指揮していたプロヴェンツァーノは2006年4月に逮捕され、昨年6月、83歳で獄死した。

現在のマフィアを指揮しているのは、トト・リィナが逮捕された1993年から逃亡潜伏を続けている マッテオ・メッシーナ・デナーロ(Matteo Messina Denaro 55歳)と見られている。警察はこれまでに何度か彼を逮捕しかけたが失敗。獄中のトト・リィナとなんらかの方法で連絡を取っている、という見方も根強いが真相は分かっていない。

メッシーナ・デナーロが逮捕される時、マフィアの息の根が止まる、という考え方もあるが、それは楽観的過ぎるどころか大きな誤謬である。25年前、反マフィアのシンボル・ファルコーネ判事を排除してさらに力を誇示するかに見えたマフィアは、そこを頂点に確かに実は崩壊し始めた。だがその崩落は四半世紀が過ぎた今もなお全体の壊滅とはほど遠い、いわば壊死とも呼べるような不完全な死滅に過ぎない。

イタリアの4大犯罪組織、つまりマフィア、ンドランゲッタ、カモラ、サクラ・コローナ・ウニータのうち現在最も目立つのはンドランゲッタである。彼らを含むイタリアの犯罪組織を全て一緒くたにして「マフィア」と呼ぶ、特にイタリア国外のメディアのおかげで、真正マフィアは表舞台から姿を消したのでもあるかのように見える。だがその状況はマフィア自身がその現実をうまく利用して沈黙を守っている、とも考えられるのだ。

その沈黙は騒乱よりも不気味な感じさえ漂わせている。トト・リィナの逮捕後、潜伏先からマフィア組織を牛耳ったプロヴェンツァーノが昨年獄死したとき、元マフィア担当検事で上院議長のピエトロ・グラッソ氏(Pietro Grasso)は「多くの謎が謎のまま残るだろう。プロヴェンツァーノは長い血糊の帯を引きずりながら墓場に行った。おびただしい数の秘密を抱え込んだまま・・」とコメントした。

マフィアの力は、前述してきたように、過去20数年の間に確実に弱まってはいる。ファルコーネ判事の意思を継いだ反マフィア活動家たちが実行し続ける「マフィア殲滅」運動が、じわじわと効果をあげつつあるのだ。またイタリアがEU(欧州連合)に加盟していることから来るマフィアへの圧力も強いと考えられる。しかし、マフィアは相変わらず隠然とした勢力を保っている。反マフィアのピエトロ・グラッソ氏が指摘するように、多くの事案が謎に包まれた犯罪組織は絶えず蠕動し続けていて、死滅からは程遠いと言わざるを得ないのである。




伊最高裁の“移民は郷に入らば郷に従え”判決は差別裁定・・なの?



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シク教徒のキルパン


イタリア最高裁は2017年5月15日、インド人のシク教徒で移民の男が、キルパン(シク教の儀礼ナイフ)を腰に差して街なかを歩くのは違法、という最終判断を下した。

男は4年前の 2013年3月6日、北イタリアのゴイト市でキルパンを身につけて自宅を出てところを住民に通報され、武器の不法所持で警察に逮捕された。

オーソドックスなシク教徒は、宗教戒律として髭を蓄えターバンを頭に巻いて、キルパンを腰に差し下げている。男は身に着けたキルパンは武器ではなく宗教上のシンボルだと主張した。

しかし認められず、マントヴァ高等裁判所は2015年、男を有罪として€2000(約25万円)の罰金刑に処した。男はそれを不服として控訴したが、最高裁は先日、男の訴えを斥けて冒頭に記したように刑が最終確定したのである。

シク教徒はインドを中心に世界に約3000万人いるとされ、欧州には50万人ほどが居住している。そのうちのおよそ7万人がイタリアに暮らす。イタリアは英国に次いで、欧州第2のシク教徒移民受け入れ国なのである。

ターバンを頭に巻いたユニークな姿が目立つシク教徒は温和な人々である。少なくともここ欧州においては、例えばイスラム過激派のように、彼らの宗教を騙ってテロを起こすような、不穏な要素も持たない。

インドのパンジャブ地方に起こったシク教の信者数は、同国に約8、3億人いるとされるヒンドゥー教徒に比較すると圧倒的に少ない。それにもかかわらず、ターバンを巻いた彼らの姿は、世界中の多くの人々に今もなお「インド人の典型」のようにイメージされているフシがある。

シク教徒の多くはインドの富裕層である。教育水準も高く昔から海外に出る者も多かった。またインドを統治したイギリスが優秀な彼らを重用したこともあって、ターバン姿の彼らはますます世界に知られるようになった。やがて人々は、インド人は皆ターバンを頭に巻いているもの、と思い込むようになった。

シク教はインドの代表的な宗教であるヒンドゥー教とは違って一神教である。だが、他宗教を否定することはなく、苦行やカースト制度に反対し、離婚や同性愛に関しても比較的に寛容である、など、近代的な教義も備えている。

またシク教では、神前に供えた飲食物を信徒が畏まって食べる習慣がある。まるで日本人が神仏に捧げた供え物を有り難くいただく風習のようである。僕はそうしたことなどからも、個人的にはシク教徒の皆さんに親近感を覚える。

それでも僕は、シク教徒に不利な判決を下したイタリア最高裁の裁定を支持したい。最高裁の判決は、シク教徒がキルパンの着装と同様に宗教上の義務と見なすターバンには言及しなかった。あくまでも長さが18センチ~20センチ程度のキルパンを「武器」と見なして禁止しただけである。

キルパンを禁止するというイタリア最高裁の決定は、言葉を替えて簡単に形容すれば、要するに「移民は郷に入らば郷に従え」という宣告である。宗教の自由や多様性の尊重、また寛容の精神の奨励などを毀損しかねない、微妙な要因も孕(はら)むその判決を、僕は善しとしたいのだ。

なぜならばここのところ多くの移民、特にイスラム教徒などが、欧州社会の寛容をいいことに自らの存意のみを言い張るケースも少なくない、と僕はしばしば思うからだ。僕は日本国籍を捨ててはいないものの、自身も日本からの移民だと見なし、従って彼らとほぼ同じ立場にいる者、と自らを規定している。

最近ヨーロッパでは、イスラム教徒の女性が頭に被るヒジャブへの風当たりが非常に強い。ヒジャブは女性蔑視の象徴か否か、という欧州に元々あった議論に加えて、イスラム過激派への恐怖心や不信感が相まってその議論は、倫理や宗教や権利論の域を逸脱して、単なる「イスラムフォビア(嫌い)」の表出に過ぎなくなっている場合も少なくない。

今回のイタリア最高裁の判決にも、人々の移民嫌いの心理が働いていない、とは言い切れない。しかし、繰り返しになるが、禁止対象は武器と見なされたキルパンのみで、ターバンを狙い所にしなかっただけでもまだ増しだと僕には思えるのだ。もしもターバンを巻いて出歩くことも違法であり禁止、と裁判所が決め付けたりしていれば、あるいは宗教の自由に抵触する重大問題に発展したかもしれない。

前述のように自らもイタリアに住む移民の一人、と考えている僕はこの国に限らず欧州の全ての移民に親近感を持ち、彼らの移民としての弱い立場に思いを馳せ、なによりも移民への偏見や差別に強く反対する。同時に移民は「人さまの国にお世話になっている」のだから、移民先の社会の規範や慣習や法などの全てを尊重しながら自らを戒めるべき、とも考えているので伊最高裁の判決も支持するのである。

イタリアを含む欧州各国は、かつて現在の多くの移民の祖国であるアフリカ、アラブ、アジア地域に出向き彼らを支配し搾取して、そこでは‘郷に入らば郷に従え’どころか、逆に彼らを同化させようとしたりさえした。その歴史に鑑みれば、移民が欧州に来て欧州の規範に倣うのは理不尽、という考え方もあるかもしれない。

だが時代は変わった。欧州は絶え間ない対立と戦争による相互殺戮の悲惨な歴史を経て、自由と平等と民主主義を学習し、現在は彼らの「傲慢からではなくむしろ寛容から」移民や難民を受容し、彼らの宗教また信教の自由も十全に認めている。それは他者への抑圧と詭弁と搾取と蔑視と悪に満ちた「かつての欧州の論理」とは違うものである。

また判決は「イタリア社会は多様性を重んじるべき」と論及し「移民とそれを受け入れる社会は核になる価値観を共有するべき」とした上で、「公共の治安は一部の宗教義務よりも優先される」とも断じた。判決はさらに続けて「出身国では合法の事案でも移住先の国で違法なら違法」であり「移民の宗教信義は受け入れ先社会の法律と合致しなければならない」などの付帯文言も加えた。それらの宣告なども納得のいくものであるように僕は思うが、どうだろうか。

ハイレベルな歌番組‘ユーロビジョン・ソング・コンテスト’


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久しぶりに面白い歌番組を見た。2017年「ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest 以下ESC)」である。毎年ほぼ常に5月に行われ、欧州全体を網羅する大型音楽番組。ヨーロッパのみならず、ロシア、トルコ、イスラエルなどの欧州周辺国、また北アフリカの国々も参加資格を有している。例外的だがオーストラリアも出場している。相当にグローバルなイベントなのである。

今年は5月13日に42カ国が参加してウクライナのキエフで決勝大会が開かれた。43カ国の予定だったが、ロシアがウクライナに拒否されて不出場となった。ロシアによるウクライナ南部のクリミア併合を巡って2国は対立している。残念ながらその影響が出たのだ。欧州との確執が鮮明になりつつあるトルコも参加しなかった。もしかするとトルコは、同国のエルドアン大統領が退陣しない限り、コンテストから目をそむけ続けるのかもしれない。

そんな具合に政治的な問題も皆無ではないが、ESCは歌を通して欧州が友好親善を確認し合う素晴らしいイベントである。欧州を一つにつなげるという理念が目覚しいばかりではない。そこで披露される楽曲が極めてレベルが高く、文字通りどのアーティストが優勝してもおかしくない面白い歌ばかりなのだ。

ESCでは、普段はお互いにほとんど耳にすることのない欧州各国の歌を、欧州の人々が衛星生放送で同時に聞き、楽しみ、評価し合う。出場するアーティストは、ほとんど常にそれぞれの国のスター歌手である。そこで披露される曲も、厳しい審査を経てエントリーしているから、レベルが高いのが当たり前、といえば当たり前ではある。

今年優勝したのはポルトガルだったが、僕の中ではその歌は「普通にラブソング」過ぎて面白くなかった。一緒に観ていた妻も同じ意見だった。しかし、その楽曲は各国のプロの審査員や、一般視聴者投票でもダントツに人気があった。歌に対する人の好みの違いの広大を改めて思った。

全く偶然なのだが、僕がいいなと感じた曲は中東欧諸国のものが多かった。優勝曲は審査員と一般視聴者のWEB投票によって決まるので、僕も投票をするつもりで一曲づづチェックしていた。それを記すと、1位ルーマニア 2位モルドバ 3位ハンガリー 4位アゼルバイジャン、続いてベラルーシなど。いわゆる西側ヨーロッパの国の曲はその後にスウェーデンが来るのみだった。

僕が高得点を入れた中東欧諸国は、全ていわゆるロマ(ジプシー)音楽の伝統や影響が強い地域である。僕が3位と評価したハンガリーの曲は、ロマ音楽の影響どころか、ロマ音楽そのものと言っても構わないものだった。だがそれ以外はあからさまにロマ音楽を思わせる楽曲ではない。それでも僕の琴線に触れるものが多いのは、ロマ音楽の心意気がどこかに秘匿されているからではないか、と思う。僕はそれが好きなのだ。

イタリアは今年は優勝候補の筆頭と目されていたが振るわなかった。僕のランク付けでもスウェーデンの次の次ぐらいに位置していただけだ。イタリアの歌は2月のサンレモ音楽祭の優勝曲である。イタリアのみならず欧州でもヒットしているせいで、優勝候補の最右翼と見なされていた。それが6位に終わって、イタリア中が深いため息をついた。

イタリアは実はESCをちょっとバカにしているところがある。ESCがイタリアの老舗の音楽番組サンレモ音楽祭を手本にして作られたからだ。ESCの放送権を持つイタリア公共放送のRAIは、明らかにESCよりもサンレモ音楽祭を重視している。「歌大国」でありながら、イタリアがESCに参加したりしなかったりを繰り返してきたのも、そのあたりに理由がある。

サンレモ音楽祭はイタリアの公共放送局RAIが主催する音楽コンテストである。繰り返すがESCはサンレモ音楽祭を真似て作られたイベント。RAIはそれが得意なのではないかと思う。同時にRAIには、イタリア国内で圧倒的に人気のあるサンレモ音楽祭を盛り上げるほうが営業的に得策、という計算もある。だからESCよりもサンレモ音楽祭に力を入れる。

だがRAIは、もうそろそろ考えを改めるべき時だ。ESCのエントリー曲の全ては本当に質が高い。一方サンレモ音楽祭には退屈な曲も多く参加する。一日4時間余りの放送を5日間も続けるために、たいして優れてもいない楽曲も挿入しなければならないからだ。サンレモ音楽祭は、イタリア国内だけで喜ばれる「大あくび番組」に過ぎないことにRAIは気づいた方がいい。

最近音楽番組のことを書くことが多かった。僕はサンレモ音楽祭に少し辟易していて、今後は見ないぞ、と誓ったりしている。NHKの紅白歌合戦も長時間過ぎてちょっと疲れることがないでもないが、これは今年も観るつもり。一方ESCの場合は、文句なしに、積極的に、ずっと観つづけて行こうと思う。とにかく面白いのである。ネットなどでも観ることができると思うので、読者の皆さんもぜひ一度覗いてみてほしい。

伊豪華客船‘コスタ・コンコルディア’船長の「堕ち尽き」先が決まった!


横倒しの船を陸から見る切り取り

2012年1月、地中海周遊の豪華客船「コスタ・コンコルディア」を、軽薄な動機でジリオ島に過度に寄せて座礁させた、イタリアメディアの言う「腰抜け船長」フランチェスコ・スケッティーノに、伊最高裁が禁錮16年を言い渡し刑が確定した。検察は26年の刑を要求していた。

日本人43人を含む3276人の乗客と1023人の乗組員を乗せた「コスタ・コンコルディ」は、ローマ近くのチビタヴェッキオ港を出発して地中海に乗り出した。イタリア沿岸部と地中海の島々、またフランス、スペインなどを7日間で巡るツアーだった。

出発から間もない夕食時、正確には夕餉が佳境に入っていた夜10時前、コスタ・コンコルディアはイタリア・トスカーナ州沖合いのジリオ島の浅瀬に座礁し、ほぼ1時間後に右舷側に70度傾き転覆した。

32人の犠牲者が出た大惨事に関しては、驚愕の事実が次々に明るみに出た。最大のものは、船長のスケッティーノが、船を無理に島に近づけて座礁・沈没させておきながら、乗客を船に残したまま逃げ出した事実だった。

スケッチノ切り取り
事故当時、スケッティーノは若い愛人とワインを飲みながら食事をしていた。スケッティーノは東欧出身でダンサーのその女性を、誕生日祝いとして航海に招待し無断で乗船させていた。女性の名前が乗客名簿になかったことが、後日露見したのである。

その前にスケッティーノは、巨大客船を無理に島に近づける操船をした。イタリアの船乗りの間には、船から陸の友人知人に挨拶を行う習慣がある。スケッティーノは当初、島に住む元船乗りの知人を喜ばせるために船を島に寄せた、と考えられていた。

しかしそれは誤報で、彼は島出身の同船の給仕長を喜ばせるために、その無茶な舵取りをしたことが間もなく明らかになった。スケッティーノは給仕長をデッキに呼んで「見ろ、君のジリオ島だ」と得意気に言ったという。給仕長は驚愕して「船が島に近づき過ぎている」と返した。その直後に事故が起きた。

スケッティーノは船が沈みかけている間まともな行動を取るどころか、乗客よりも先にジリオ島に上陸避難していた。つまり船から逃げ出したのだ。そればかりではなく、沿岸警備隊員や港湾当局者に「船に戻って救助の指揮をとれ!」と繰り返し罵倒されてさえいた。

彼の行動はイタリア国内に怒りの嵐を巻き起こした。イタリアのメディアはスケッティーノを「腰抜け船長」「ふ抜け野郎」などと命名して激しく非難した。それに対してスケッティーノと彼の弁護人は、あれこれと言い訳がましいことを持ち出しては反論した。

いわく:スケッティーノ船長は最後に船を離れた。いわく:犠牲者の数は32人では済まなかった。座礁後にスケッティーノが、陸側に近づくように操船をしたり、いかりを下ろす措置などをしたおかげで、犠牲者の数が大幅に抑えられた、など。など。

しかしその後の捜査や多くの検証によって、スケッティーノの言い分が事実ではないことが明らかになると、彼はついに乗客を見捨てて船を離れたことを認めた。ところがそれについても「船の上で転んで、偶然に救命ボートの中に落ちた」と付け加えて、人々のさらなる不信と怒りと嘲笑を買った。

スケッティーノの行為と、にわかには信じがたい彼の反論の数々は、国際的な摩擦にまで発展した。ドイツの週刊誌が「スケッティーノは典型的なイタリア人」という趣旨の記事を掲載したのだ。これにイタリア中が猛反発。折からの欧州財政危機に伴う2国民の対立も重なって、外交問題にまで発展する騒ぎになった。

スケッティーノは裁判が進行する間、なんら拘束されることもなく自由の身だった。彼は2014年9月には、ローマ大学で「危機管理とはなんぞや」というテーマで講演までしている。僕はそのことを知ったとき、彼を講師に呼ぶほうも呼ぶほうだが、のこのこと出かけて行くスケッティーノも相当のKY・鉄面皮だ、と思った。

事故後一貫して世論の怒りを招くような言動を繰り返してきたスケッティーノは、禁固16年という最高裁判決が下された2017年5月12日、「違う結果を期待したが、私は司法を信頼し尊重している」と珍しく神妙な言葉を発して出頭し、直ちにローマの刑務所に収監された。

それは「腰抜け」「卑怯者」「恥知らず」などとさんざんマスコミに叩かれ、世論からも総スカンを食らい続けた「堕天使船長」フランチェスコ・スケッティーノが初めて見せた、賞賛に値すると言えば過言になるだろうが、少なくとも潔い言動であるように僕は感じた。

ところでコスタ・コンコルディア事故の2年後には 韓国でセウォル号事件が起きて、船長が真っ先に船から逃げ出して問題になった。船長が船と運命を共にする、という万人承知のコンセプトいわゆる「最後退船義務」は、実は飽くまでも慣例であって義務ではない。

しかし船の危険に際しては船長は「人命と船舶と積荷の救助に全力を尽くさなければならない」と規定されている。世界中の批判を浴びたスケッティーノの大失態を見て、世の中の船乗りは改めて襟を正したはずなのに、セウォル号の船長はそのことを知らなかったのだろうか、と僕はその時に考えたことをふと思い出したりもした。



リラ冷えのブドウ園?

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ブドウ園のうち絵の中央から壁際までの一帯が冷害で傷めつけられた区画


4月半ばから続いている北イタリアの寒の戻りは農作物に大きな被害をもたらしている。

雪にはならないが、雨もかなり降ってそれも気温の低下につながっている。

雨そのものはいい。3月以降は水不足で農業への悪影響が心配されていたのだから。

だが、降雨とともに居座ってしまった冷気が 厳しい状況を作り出している。

イタリア・シャンパンつまり「スプマンテ」の里として知られる、ミラノ近郊のフランチャコルタ地域のブドウ園も災難に遭っている。

場所によって、また風の具合や大気の流れの妙で、同じ区画内のブドウの木々が(写真のように)ダメージを受けたり受けなかったりする。

フランチャコルタ地方にはひそかにパニックが広がっている。

冒頭で今の低温を「寒の戻り」と言ってみたが、少し違う。それに似た言葉「花冷え」はもっと腑に落ちない。

日本の「寒の戻り」は晩春の冷温だが、ここの「寒さのぶり返し」は、時には6月にまで害するところが、北海道の「リラ冷え」にイメージが近いようにも思う。緯度的に見ても北イタリアは北海道北部あたりに位置している。

僕の小さな菜園にも影響が出ている。

4月初めの陽気ですくすくと育ったサラダ菜を除いて、野菜の発育が阻害されているのだ。

早めの収穫を目指して、苗屋から購入して露地に植えた果菜類の背も全く伸びてくれない。

キュウリ枯れUP400育苗用プランターの苗のいくつかは、霜焼けに似たダメージを受けて枯れてしまうものも出た。

冷温が続くこういうときには、温暖化現象を疑ってみたくなる。

しかし、温暖化という言葉ができるはるか以前から、4月~6月のイタリアの気候は、諺にもなっているように予測が難しいと相場が決まっていた。

温暖化という言葉は、高温をイメージさせることが多い。

だが、実際には温暖化とは、地球が暖まるとによって起こる異常気象の全体のことでもあるのだから、暑い時期に寒くなったりその逆の奇矯が展開されることも、つまり温暖化現象なのだろう。

それにしても、農家にとっては辛いこの冷温現象を、「リラ冷え」などという美しい響きの言葉で表すのは、よいことなのだろうか、鈍感のそしりを免れないことでもあるのだろうか。。。

マクロン仏新大統領はEUの巨人になれるか



選挙キャンペーンEUフラッグに両手挙げるマクロン400


順当な結果

フランス大統領選挙は、ほぼ全ての世論調査の結果通りに、むしろそれよりも良い数字で、エマニュエル・マクロン候補が当選した。

BBCの生中継放送でそのことを確認し、喜び、ワインで乾杯した。その後、5月3日に行われたマクロンVSルペンのテレビ討論会の録画を見たリしながら、2日間を過ごしていた。

決戦投票前、米大統領選の苦い体験に懲りている各種メディアは、支持率で大きく引き離されている極右のルペン候補の大逆転劇を警戒して、選挙戦の最後まで緊張していた。

第一回目の投票で、米国とは違って世論調査の精度の高さが証明されていたにも拘わらず、アメリカでの「隠れトランプ票」に匹敵する棄権票が出るのではないか、と疑ったのだ。

僕も同じ不安を抱いて選挙戦を見守った。結局、有権者の25%強つまり4人に1人が投票を棄権し、投票総数の11%以上が白票や無効票などの「抗議票」だったものの、フランス国民の良心がポピュリズムを斥けた。

国民分断の証明

「抗議票」の抗議の内容は、両候補を「ペストとコレラ」と定義してどちらも拒否するというものや、極右のルペン候補を否定しつつ、しかしマクロン候補にも大差では勝たせたくない、という意思表示など。

有権者の複雑な心理は、決選投票史上2番目に低い投票率と共に、フランス国民の不満と不安と相互不信が深く進行していることを物語っている。

つまり仏大統領選では、昨年のBrexitや米大統領選、あるいはイタリア国民投票のように、トランプ主義またはポピュリズムが勝利を収めることはなかった。

しかし、既成政治や経済や権力に対する民衆の不満は根深く、米英伊と同様に国民の間の分断もまた深刻であることが露呈された。

ポピュリズムは死なない

フランスの極右ポピュリズムは阻止されたが、国民戦線のルペン候補は1000万票余りを獲得して、政党としては現在フランスで最も勢力が強いことを証明した。

国民戦線は2002年の大統領選で、党創始者のジャンマリー・ルペン候補が決選投票にまで進出したが、国民の激しい反発に遭って沈没した。

その後、党の実権を握った娘のマリーヌ・ルペン氏は、父親のジャンマリーを追放するなど、「脱悪魔化」と評価された国民戦線の刷新を進めて成功。今回の躍進につながった。

それはまだ彼女を大統領に押し上げるほどの強烈なマグマではなかったが、6月の下院選挙での国民戦線の成功や、2022年の大統領選での勝利も夢ではない地点に彼女が立っていることを、世界に知らしめた。

負のルペンVS楽観のマクロン

ルペン候補は、国民の不満と怒りと恐怖で構成された、負のエネルギーを盾に選挙戦を闘った。一方マクロン候補は、若さと希望とポジティブな理想主義を掲げて彼女の前に立ちはだかった。

彼は対抗者のルペン氏に、金融と既成権力を守るだけのエリート、などと断罪されてもひるまず「あなたは恐怖を操るだけの最高位女性聖職者だ」などと切り返し、飽くまでも明朗を旗印にして前進した。

弁舌に長けた、若々しく且つエネルギッシュなマクロン候補は、選挙運動期間中は常に、たとえ反対者であっても彼の言い分を立ち止まって聞かずにはいられない、コミュニケーションの達人だけが持つ魅力を発散し続けた。

5月3日の対ルペン討論会ではマクロン候補は、演説のうまい相手が怒りと嘲笑を投げつける戦法に出て自滅した感もあるものの、冷静且つ巧みな弁舌でルペン氏を貶めることに成功した。

マクロン氏の高いコミュニケーション能力は、単に舌の滑りが良いだけの無意味な武器として終わるか、あるいは優れた政治的能力の顕現であることが証明されて、大統領としての彼の成功の一助となるかが間もなく明らかになるだろう。

偉大なコミュニケーターの成長物語

39歳と若いマクロン候補は、彼の年代のフラン人の中では、明らかにずば抜けた頭脳と能力を持つ経済テクノクラートであることを、十全に示した後で大統領選に臨んだ。

そして選挙キャンペーンを通して、知性と教養と言語能力、また前述したようにコミュニケーション力にも極めて優れていることを証明した。そうした彼の能力はエリートと嫌悪され憎まれることにもなった。

しかし彼は、選挙戦中に出会ったさまざまの厳しい批判や反論によって、エリートの反対側にいる世の中の不運な若者や、落ちこぼれや、数奇な生活者などの社会的弱者の存在にも気づかされたに違いない。

マクロン氏は第一回目の投票で勝利したとき、パリの高級ビストロで祝賀パーティーを催して、贅沢だ、やはり俗物のエリートだ、などと厳しい批判を浴びた。それはサルコジ元大統領の悪名高い選挙勝利祝賀会を彷彿とさせるものだったのだ。

2007年、サルコジ元大統領は、有名人や大金持ちなどのセレブを高級レストランに招いて、選挙戦の勝利を祝った。それが世論の総スカンを食らい、以後彼は大統領としての信頼を取り戻すことができないままに終わった。

決選投票を制したマクロン氏は、第一回投票後の失敗を肝に銘じて勝利祝賀会に臨んだ。彼は集まった支持者を前に飽くまでも謙虚に、生真面目な態度で勝利宣言をし、演説を行った。

彼はそこで第一回目のように「自らを誇る」のではなく、「フランスには私と違う意見の人々が多くいる。私は彼らの主張にも耳を傾けて国民全ての大統領になる努力をする」という趣旨のスピーチをして、高く評価された。

弁舌家マクロンとレンツィ

マクロン氏は厳しい選挙キャンペーンを経て、人間的に成長したと考えられるフシが多々ある。謙虚な勝利宣言演説もその一つだ。僕はマクロン新大統領を、ここイタリアのレンツィ前首相と比べてみる誘惑を禁じえない。

レンツィ氏はイタリア政界に颯爽と登場して、「壊し屋」とも呼ばれる他者を強引に押しのけ猛進する手法で、あっという間に首相の座に駆け上った。マクロン氏と同じ39歳の若さだった。だが多くの反感を買ってたちまちその地位から陥落した。

先日イタリア民主党の書記長に再選出されたレンツィ氏は、マクロン氏に似た弁舌の巧みさでも知られている。同時に、権謀術数を巡らしながら舌鋒鋭く政敵を攻める策士であることが、時と共に明らかになってきた。

つまり彼の弁舌の巧みさは、論語にいう「巧言令色鮮し仁」のうち、巧言にして仁の少ない男、つまり言葉だけが優れていて徳のない人、という本性の現われにも見えるのだ。

片やマクロン氏はこれまでのところ、言行一致の実直な男という印象を僕は持つ。そこには15歳の時に40歳の女教師に指導を受けて成長したという、マクロン少年に重なる何かがあるようにも思う。

ゴシップにさらされるマクロン夫人は公的存在

40歳の女教師とは、現在のマクロン氏の妻ブリジットさんのことである。彼は29歳の時にその女教師と結婚し、今でも彼女に師事しながら支え合って暮らし、生き、そして選挙戦も闘い抜いた。

15歳の少年のままとは言わないが、自らの母親ほどの年齢の女性を伴侶に持って、彼女の助言や意見に師事する心を捨てずにいる男の素直な精神は、前述したように反対者に耳を傾けることの重要性なども必ず学んだに違いない、と僕は思うのだ。

39歳の若き大統領と64歳の妻の在りようは、かすかな女性蔑視と、少しの老年者差別と、若い夫への賞賛などが複雑に入り混じった大衆の「覗き趣味」を刺激して、フランス内外のメディアの話題をさらっている。

25歳も年上の女性を妻に持つマクロン新大統領は、例えば24歳若い妻を持つトランプ米大統領や、50歳若い婚約者を持つイタリアのベルルスコーニ元首相などの、古い退屈なマッチョ権力者とは違う、新タイプのリーダーになるのかもしれない。

多難な前途

言うまでもなく、さしあたってのマクロン大統領の課題は、いつのどの国の選挙でもそうであるように、分断した国民の融和を図ることと、選挙公約を守ることだ。その中でも最大の課題は雇用の拡大であり格差の解消である。そして何よりもBrexitによって傷ついたEUを、その主要国としていかに立て直して行くかを模索することでもある。

それらの政策を実現するために、新大統領は来月のフランス下院選挙で自ら立ち上げた政治運動「En Marche!(前進!)」と共に選挙を戦い、過半数の獲得を目指す。それが叶わない場合には連立政権を目標にすることになるが、それでは安定した政権運営は保障されず、前途は多難になる。新大統領の先行きが、安穏とはほど遠いものであることは、火を見るよりも明らかである。




メディアの喉元を過ぎたイタリア地中海難民問題の殺気


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ヨーロッパにおいてさえ、いや、それどころかイタリアにおいてさえ、ともすると忘れられがちだが、地中海を渡ってイタリアに到着するアフリカ・中東諸国からの難民は、絶えることなく、ほぼ連日大挙して押し寄せている。

例えば2017年度は、フランスに史上最年少の大統領が誕生した翌日すなわち5月8日現在、43245人がイタリアに上陸した。これは2016年の同時期よりも38.54%多い数字。

また欧州全体で見ると、イタリア、ギリシャ、スペインの3国が今年のほとんどの難民の票着地。イタリアには全体の84%が上陸し、続いてギリシャの11.5%、スペインが4.5%である。

2016年4月、EU(欧州連合)とトルコは、シリアを中心とする国々からギリシャへの密航者をトルコに送り返すことで合意した。

難民が中東からギリシャに渡り、バルカン半島を通って北部ヨーロッパに向かう、いわゆるバルカンルートの閉鎖である。

以来、難民は主に北アフリカのリビアを経由して、地中海⇒イタリア⇒欧州各地を目指す方向に転換。

いわゆる地中海ルートは、バルカンルートと共にいつも存在していたが、後者が閉鎖されてからは地中海が主な流入ルートになっている。

イタリアは常に難民救助にあたってきたが、EUの多くの国が国境を閉鎖しているために、難民の保護、管理、衣食住の提供その他の負担に悩まされ続けている

そうした中、ほとんどの難民が上陸するシチリア島のカルメロ・ズゥッカロ( Carmelo Zuccaro)検察官が、難民を救出している民間NGOが難民ボートを誘導して(利益を得て)いる、と発言して物議を醸している。

難民は「人身売買兼運び屋」に金を払って、用意されたボートに乗って命がけで地中海に乗り出す。NGOの勝手な救出活動は、難民を鼓舞して危険な海に向かわせている、という指摘は以前からある。

殺到する難民問題はイタリア国内の政治闘争となって、台頭するポピュリズム政党の格好の攻撃材料になっている。

極右の北部同盟はあからさまに難民・移民の受け入れに反対し、ポピュリズム政党の五つ星運動も彼らのイタリア一時滞在に反対している。

2013~2016年間にイタリアには55万人以上の難民・移民が到着した。今年は前述したように1月1日~5月8日までに既に4万3千人あまりが上陸。

その数は夏に向かうほどに好天が続いて、海が静かになるこれからの季節にさらに増大することが確実視されている。

ドイツを始めとする難民受け入れ国が国境を閉ざしたり管理を厳しくして、欧州内の人の移動を自由にしたシェンゲン協定が形骸化した現在、イタリアの一人苦悩が続く。

それは、前述のポピュリズム政党の怒りを増大させて、フランス大統領選で下火になる兆候が見え始めた、欧州のトランプ主義の再燃を誘導しかねない危険も秘めている。

仏大統領選の結果を待ちながら


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仏大統領選の投票が始まった。

19時半から始まるBBCの生中継を待つ間、そこかしこのWEBサイトの中継報告を眺めつつ、寒くなったまま動かないイタリアの季節変化の妙を楽しんだりしている。

写真はアルプス山脈に連なるいわゆるプレ・アルプス(前アルプス)の山々の一つ。4月半ばの寒の戻りで冠雪し、いったん融けたものの、昨夜の悪天候で再び雪景色に変わった。

仏大統領選は、マクロン候補の優勢が伝えられる中、投票2日前の5月5日に同陣営をターゲットにしたサイバー攻撃が明らかになり、昨年の米大統領選を彷彿とさせる謎絡みの展開になっている。

また、劣勢とされるルペン候補が勝つ大波乱が起きるのは、依然として「大量の棄権票が出た場合」と考えられていて、その可能性は投票当日の今日になっても全く消えていない。

極右のルペンは問題外だが、富裕層の味方でエリートのマクロンも受け入れがたい、という有権者の揺れる心がどこに落ち着くか、が勝敗の決め手となる。

それでも苦渋の選択で、午後5時以降に投票所に行ってマクロンに投票しよう、という呼びかけがSNSでなされている。

その理由はこうである。

仏大統領選では午後12時と17時の2回に渡って投票者総数が発表される。そこで、17時以降に投票することで彼らの存在証明をしよう、というわけである。

つまり17時以降に入ったマクロン票は、積極的に彼を支持したものではなく、極右のルペンを阻止するために「いやいやながら」入れられた票、ということを明確にしようという行動。

それらの動きを見るにつけ、僕は仏国民の良心に触れる思いがして胸を撃たれる。

トランプ主義者の極右候補を排斥したいが、対抗する候補も既成権力側のエリートで庶民の敵。

それでもファシスト(フランス的表現)を国のトップに据えることはできないから、マクロンを僅差で勝たせる。

大統領になったマクロンはその事実を重く受け止めて、将来の国の舵取りをしろ、というメッセージである。

それらの真摯な人々の願いが実現すれば、フランスの将来は明るいものになる。フランスが明るく強くなれば、それはEUのために大いに良いことだ。

だから僕はそれらの真摯な人々の抵抗が功を奏することを、アルプスから遠くないイタリアの片隅でひそかに、強く、心から願っている


イタリアの春の詐欺師に気をつけろ!


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4月になって、暖かいというよりも暑いくらいの陽気になった北イタリアは、このまま夏に突入かとさえ見えた。

ところが4月半ばの復活祭(伊語:パスクア 英語:イースター)直後から冬が舞い戻ったような寒さがやってきた。

今日5月4日も、気温が下がった当初から数日前までの、本気モードの寒さほどではないものの、けっこう冷える。

イタリア語には春から夏に向かう時期を的確に言い表すことわざがある。すなわち:
Aprile non ti scoprire ; maggio va adagio ; giugno apri il pugno, Luglio poi fai quel che vuoi.

イタリア語を知らない人でも、アルファベットを「ローマ字」と呼ぶことを思い出して、ローマ字風にそのまま読んでみてほしい。そうすればほぼ完全にイタリア語の発音になる。イタリア語は日本語に優しい言語なのである(笑)。

そこで前述のイタリア語を敢えてカタカナで表記してみると:
『アプリィレ ノン ティ スコプリィレ; マッジョ ヴァ アダァジョ; ジューニョ アプリ
イル プーニョ, ルーりィョ ファイ クエル ケ ヴォイ』

直訳すると: 4月には覆いを外すな。5月はゆっくり行け。6月に拳をひらけ。そして7月は好きなようにしろ。

意訳をすると:4月に早まって冬着を仕舞うな。5月も油断はできない。6月にようやく少し信用して拳を緩めるように衣替えの準備をしろ。7月は好きなように薄着をして夏を楽しみなさい。

4月から6月を表現するのに《アプ“リィレ” スコプ“リィレ”; マ“ッジョ”  アダ“ァジョ”; ジュー“ニョ” プー“ニョ”》と 韻を踏みつつ、予測の難しい季節の装いを提案しているのがこの格言である。

他にAprile non ti scoprire ; maggio adagio adagio ; giugno allarga il pugno, ossia ti puoi liberare dei vestiti pesanti.

という言い方など、地域や人によって言い方が多少違う。だが4月~6月までの不安定な天候(気温)に気をつけろ、と戒めているところは皆同じ。冒頭の箴言は7月まで言及し後者は6月でまとめているが。

イタリアの季節の変わり目は男性的で荒々しい。暑くなったり寒くなったり荒れたり吹き付けたり不機嫌になったりと予測ができない

春から夏に移行する時季を言いあらわす上記のことわざは、そんなイタリアの自然の気まぐれと躍動をうまく言い当てたものだと思う。

イタリアを含む欧米のメンタリティーには、季節を細やかに観察し、楽しみ、詩心を研ぎ澄まして表現したりする文化はない。

いや、あることはあるが、日本人ほどの強いこだわりはない。何事につけ季節、つまり自然よりも人間に関心の比重があるのが、欧米のメンタリティーだ。

そんな中にあって、季節の移り変わりを気にしているイタリアの格言は珍しいものである。「珍しい」とは、くどいようだが「日本語の豊富な季節感」と比較して、という意味である。

イタリア語にはここで言及している金言以外にも季節表現があることは言うまでもない。それは英語などの他の欧州の言語も同じである。

話は変わるが、

先日、厚切りジェイソンというアメリカ人お笑いタレントが「4季は日本だけじゃなくどこにでもあるよ」と騒いでいたというネット記事を見つけて僕は笑った。

日本には4季があるのがすごいのではなく、「日本人が4季を敏感に悟りそれを徹底して愛(め)でるのがすごい」のである。4季があるだけではもちろんすごいとは言わない。

厚切りジェイソンに4季を語ったという日本人もうっかりだが、彼の言葉の意味を解しなかったお笑い芸人自身も似たり寄ったりだ。

お笑い芸人が日本人の説明をうまく理解しなかったのは、前述したように欧米人が日本人ほどには季節のあれこれを繊細に感じるメンタリティーを持たないからだ。

欧米人である厚切りジェイソン(それにしても面白い芸名だなぁ)は、「4季があるのがすごい」は「4季に感動しまくる日本人はすごい」のことだと気づけなかったのだろうと思う。

それは優劣や良い悪いの問題ではなく、単に文化が違う、ということである。文化には優劣はなく、文化間の「違い」があるだけだ。

春の桜や秋の紅葉に熱狂したり感服したりして、テレビが連日桜前線や紅葉前線を追いかける文化は、日本好きの外国人には素敵に見えるが、そうでない場合は首を傾げる類の不思議だ。

同時に日本人にとっては、なぜ四季の美しさにもっと思い入れを持たないのか、春の花や秋のもみじに激しく心を乱されないのか、と外国人が不思議に見えるわけだが。

で、日本で生まれ住んだ時間よりももはや外国住まいが長くなってしまった僕は、桜や紅葉を愛寵しながらも、例えば衛星を介して見るNHKが、毎年、連日、桜また紅葉前線をニュースで語るのを見ると、少し首を傾げたくなることがないでもない。それってそんなにニュースバリューがあることなの?と。

それでいながら、特に4月から6月の間や、晩夏から晩秋にかけてのイタリアの活発な気温の振幅を目の当たりにすると、退屈な番組も多いイタリアのNHK、つまりRAI放送局は、なぜ少しぐらいこの面白い季節変化に目を向けた番組を制作しないのか、と首を傾げたりもするのである。


フランス大統領選「危険な棄権」を憂慮する


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僕はこの前の記事で、仏大統領選決戦投票でのマクロン候補有利説に対する懐疑を述べた。それは同説からくる楽観を戒めたい思いで書いたものだが、その後あらたにマクロン敗北の可能性が浮き彫りになってきた。

5月7日の決選投票までわずか4日となった今も、世論調査上は無所属のマクロン候補の勝利は間違いない、という数字が示され続けている。ところがそこには、大きな「普通ならば」という枕詞が付くのである。

「普通ならば」とは、有権者が過去の大統領選と同程度の確率で投票所に足を運んだ場合、という意味である。投票を棄権したり白票を投じたりする者が続出した時は、ルペン氏の大逆転勝利の可能性があるのだ。

正確に言えば、全体の投票率ではなく、マクロン支持者の棄権率が問題だ。ルペン支持者の投票率が高く、マクロン支持者のそれが低い場合に、思わぬ結末が待っているかもしれない。

マクロン支持者が投票所に行かない理由は「私が投票しなくても大丈夫。マクロンは勝つ」と思った時だ。その場合は、米大統領選でのトランプ現象のように、基礎票が強いルペン氏が有利になる。

選挙では、大幅にリードしているとされる候補者の支持者が、安心し油断して、投票に行かないケースがしばしば起こる。そうやって一発逆転劇が生まれる。マクロン陣営がその轍を踏む可能性が指摘されている。

マクロン支持者の油断の可能性と共に、多くの有権者が「棄権」という選択肢を取る前兆もあり、それが最大の懸念だ。

第一回投票で敗れた極左のメランション元候補は、マクロン支持を表明していない。そのせいもあって、メランション氏の支持者の39%~41%程度が棄権に回るのではないか、と見られている。

それだけではない。同じく第一回投票で敗北し、直後にマクロン候補への支持を表明した共和党のフィヨン元候補の支持者の間にも、決選投票で「棄権か白票を投じる」と回答する者が増えている。その数は支持者全体の32%前後にのぼるとされる。

さらにそれよりも悪い情報もある。マクロン氏への投票を呼びかけた、社会党のアモン元候補支持者の間にも、同じ事態が起こっているのだ。マクロン候補は社会党を基盤とするオランド政権の元閣僚であり、大統領自身の支持も受けている。

政権与党の社会党党員を始めとするアモン元候補支持者からの共鳴は、マクロン候補にとっては、中核の支持者の後押しにも等しい重要なものである。それらの有権者のあいだに、棄権や白票投じという行動が増えれば、大きな痛手になりかねない。

それらの有権者が投票放棄や白票を考える理由はさまざまだ。最も多いのは、極右のルペンは嫌だがマクロンも嫌、という理由。あるいはルペンを阻止したいが大差でのマクロンの勝利も阻止したい。マクロンの勝利は、単純にルペンの次の大統領撰での勝利を保証するだけだから棄権する、など、などである。

理論上はマクロンとルペン両候補への支持率の変化はない。とはいうものの、今述べたように、第一回投票で敗北した重要候補の支持者のあいだに広まる、白票や投票棄権の動きが、ルペン候補の大躍進の可能性を消し去っていない。棄権や白票は、結局ルペン候補に投票するのと同じ行為なのである。

投票日5月7日の翌月曜日が連休中の旗日にあたることも、投票率の低下につながりかねない要因と見られている。多くの国民がバカンスに出てしまい投票所に足を運ばない可能性があるのだ。それらの有権者の「棄権票」は米大統領撰の「隠れトランプ票」と同じ効果をもたらしかねない。

数理社会学者セルジュ・ガラム氏の計算によれば、ルペン候補を支持すると考えている有権者の90%が実際に投票所に行って投票し、マクロンを支持すると答えた有権者の65%だけが同じ行動を取った場合、ルペン氏の最終的な得票率は50.07%になって、彼女が僅差で勝つことになる。

そしてルペン候補がその分水嶺を制覇するには、各種世論調査が示しているマクロン62%~59% VS ルペン38%~41%の数字を42%にまで上げれば済む、という見方もある。もちろん同時にマクロン支持者の大量棄権が発生することが条件である。

ルペン候補が42%の票を獲得するのは、もはやハードルが高いとはとても言えないだろう。ハードルが高いどころか十分に達成可能な数字だ。特に第一回目の投票以降一週間で、マクロン支持率が3%下がり、逆にルペン支持がわずかに伸びている状況を見てもそれは明らかだ。

間違ってはならないのは、ルペン氏が42%を獲得しマクロン氏が残りの58%を獲得した場合は、文句なしにマクロン氏の勝利ということである。ところが、前述したように、そこでルペン支持者の多くが予定通りに投票行動をし、マクロン支持者が大量に棄権すれば、逆転現象が起こり得るのだ。

2002年のフランス大統領選でルペン氏の父親のジャンマリー・ルペン候補が決選投票に進出したとき、非常な危機感に襲われたフランス国民は、「極右ルペン阻止」で大同団結して投票所に繰り出した。結果、対立するジャック・シラク候補が82%強もの票を獲得してルペン氏を完全に押さえ込んだ。

当時はあり得ないと考えられていた極右のルペン候補が決選投票に進んだのは、低い投票率が強固な組織と支持者を抱える政党、国民戦線に有利に働いたからだ。あれから15年。フランスの社会状況は大きく変わって、今回は決選投票で同じ事態が起こり、極右の大統領が誕生するという悪夢が待ち受けているかもしれないのである。

帰ってきた「壊し屋」レンツィ民主党党首は救世主か


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民主党党首選の3候補。左からオルランド、レンツィ、エミリアーノ各氏


イタリア政権与党の民主党党首選が昨日行われ、即日開票の結果マッテオ・レンツィ前首相が勝利。レンツィ氏は投票総数約200万人のうちのおよそ73%を獲得。圧勝と言っても良いだろう。

レンツィ氏はイタリア政界に彗星のように現れて39歳の若さで首相に就任。トップに上り詰めた速さと同じ程度のスピードでその座から転がり落ちた。

2016年12月、彼の最大の政治目標だった上院改革・憲法改正を問う国民投票に於いて、自らを過信する余り「私を取るか否か」と国民に呼びかけて反感を買い、失脚したのだ。

それでも彼は民主党書記長に留まっていたが、今年2月19日に辞任。昨日の第4回イタリア民主党書記長選挙で再び民主党党首に選出された。

レンツィ氏は昨年12月の国民投票の不手際や、今年2月の民主党分裂騒動での責任問題にも拘わらず、同党で最も力のある政治家であることをあらためて証明した形だ。

民主党が分裂した責任は、その直前まで書記長だったレンツィ氏にもある。彼は党を去ったダレマ元首相やベルサーニ元党首らを「少数派の独裁者」と断罪した。

ダレマ元首相は特に奸物のイメージが強いことは確かだが、レンツィ氏はリーダーシップを発揮して党をまとめるべきだった。どっちもどっちなのである。

イタリア民主党の内部騒動が激しいのは、日本の民主党と同様に寄せ集めの集団だからだ。旧共産党系と旧キリスト教民主主義勢力左派などが合流したのが民主党だ。

イタリア民主党は、党名を民主党から民進党に変えて再生を試みる姑息な「日本民主党」ほど愚かではないが、お家騒動を繰り返す同党を国民の一部がいつもマユツバで見ているのも現実である。

レンツィ新党首は今後、首相返り咲きを目指して遮二無二突き進むだろう。なぜなら彼はいつもそうしてきたからだ。それが彼の持ち味であり強い反感を買う特徴でもある。

「壊し屋」とも呼ばれる、他者を強引に押しのけて猛進するレンツィ氏の政治手腕は、現在支持率トップにいるポピュリスト政党「五つ星運動」の勢いをあるいは止めるかもしれない。

イタリアのユーロ離脱を主張し、将来のEU離脱も見据えている「五つ星運動」は、米トランプ主義やBrexit推進派、またフランスの国民戦線などと同じ民衆扇動に長けた勢力だ。

「五つ星運動」は、レンツィ失脚の引き金となった国民投票や、民主党のお家騒動などをうまく捉えて支持率を伸ばし、今では政権与党に最大8ポイントの差をつけている。

民主党が沈んだ原因の多くはレンツィ氏自身にある。その当事者が失地回復を目指すシナリオは面妖だ。だが彼以外にはその能力を持つ者がいないらしいのも、またイタリア政界の現実だ。

レンツィ氏は党首選挙戦中に、将来連立政権を樹立する場合には、民主党を割って出たダレマ前首相やベルサーニ元党首らとは手を組まず、政敵のベルルスコーニ派と話し合うと示唆した。

元仲間を断罪する彼の厳しい姿勢は、その仲間が党を去った遠因にもなっている横暴な手法、という指摘も良くなされる。またなり振り構わずに政敵とも手を握るのがレンツィ氏の常套手段だ。

彼はそうした政治手腕を巧みに繰り出して首相の座に就き、その政治手腕に裏切られてその地位から陥落した。そして同じ手法でまた権力の掌握を目指そうとしている。

彼の力量の善し悪しや、好き嫌いの感情を語れば異論は尽きない。が、ポピュリズムの勢いを殺ぎ、EU(欧州連合)の安定と結束を最重視する立場では、僕はレンツィ氏に期待をしたい。

レンツィ氏が徹底したEU信奉者であることは心強い事だ。フランス大統領選で親EUのマクロン候補が勝てば、ひるがえってレンツィ氏に有利な風が吹く可能性もある。

マクロン氏の勝利はさらに、9月のドイツの総選挙でメルケル首相を後押しし、親EU政権が次々に生まれる可能性も高める。

イギリスのEU離脱が決まってしまった今、独仏伊のEU3大国が結束することはEUの将来にとっては極めて重要である。レンツィ氏の書記長当選がその第一歩であることを祈りたい。



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