【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2017年10月

漁師の命と百姓の政治



2017年10月末収穫の作物800pic
種まき、少しの水遣りの後、放っておいた野菜たち(2017年10月末収穫)


菜園を耕して分かったことの一つは、野菜は土が育ててくれる、という真理である。

土作りを怠らず、草を摘み、水や肥料を与え、虫を駆除し、風雪から保護するなどして働きつづければ、作物は大きく育ち収穫は飛躍的に伸びる。

しかし、種をまいてあとは放っておいても、大地は最小限の作物を育ててくれるのである。

百姓はそうやって自然の恵みを受け、恵みを食べて命をつなぐ。百姓は大地に命を守られている。

大地が働いてくれる分、百姓には時間の余裕がある。余った時間に百姓は三々五々集まる。するとそこには政治が生まれる。

1人では政治はできない。2人でも政治は生まれない。2人の男は殺し合うか助け合うだけだ。

百姓が3人以上集まると、そこに政治が動き出し人事が発生する。政治は原初、百姓のものだった。政治家の多くが今も百姓面をしているのは、おそらく偶然ではないのである。

漁師の生は百姓とは違う。漁師は日常的に命を賭して生きる糧を得る。

漁師は船で漁に出る。近場に魚がいなければ彼は沖に漕ぎ進める。そこも不漁なら彼はさらに沖合いを目指す。

彼は家族の空腹をいやすために、魚影を探してひたすら遠くに船を動かす。

ふいに嵐や突風や大波が襲う。逃げ遅れた漁師はそこで命を落とす。

古来、海の男たちはそうやって死と隣り合わせの生業で家族を養い、実際に死んでいった。彼らの心情が、土とともに暮らす百姓よりもすさみ、且つ刹那的になりがちなのはそれが理由である。

船底の板1枚を経ただけの地獄と格闘する、漁師の生き様は劇的である。劇的なものは歌になりやすい。演歌のテーマが往々にして漁師であるのは、故なきことではない。

現代の漁師は馬力のある高速船を手にしたがる。格好つけや美意識のためではない。沖で危険が迫ったとき、一目散に港に逃げ帰るためである。

また高速船には他者を出し抜いて速く漁場に着いて、漁獲高を伸ばす、という効用もある。

そうやって現代の漁師の生は死から少し遠ざかり、欲が少し増して昔風の「荒ぶる純朴な生き様」は薄れた。

水産業全体が「獲る漁業」から養殖中心の「育てる漁業」に変貌しつつあることも、往時の漁師の流儀が廃れる原因になった。

今日の漁師の仕事の多くは、近海に定位置を確保してそこで「獲物を育てる」漁法に変わった。百姓が田畑で働く姿に似てきたのだ。

それでも漁師の歌は作られる。北海の嵐に向かって漕ぎ出す漁師の生き様は、男の冒険心をくすぐって止まない。

人の想像力がある限り、演歌の中の荒ぶる漁師は永遠なのである。




「ヨハネの黙示録」の島を行く


聖ヨハネの修道院ロング800
丘の上にそびえる「聖ヨハネ修道院」


ギリシャのドデカネス諸島を訪ねた。9月のクレタ島につづいて今年2度目のギリシャ旅。

ミラノ→アテネ→レロス島と飛行機で移動し、ヨットでリプスィ島→アルキ島→パトモス島と巡って再びレロス島に戻った。

主にレロス島を拠点に夏のバカンスをヨット上で過ごす友人たちがいる。そのうちの1人にかねてから誘われていた。

夏の盛りに、ヨットの狭いキャビンで他人と共同生活をするのは気が引ける。ずっと断りつづけてきたが、今回は断りきれなかった。

季節外れの10月半ば過ぎなので人出が少なく、ヨットのキャビン内の窮屈は、船外の開放感で埋め合わせられるのではないか、という思いがあった。それは的外れな予見ではなかった。

ヨット船内の狭苦しさはやはりつらかったものの、甲板に立てば、エーゲ海上のまだまだ暑い日差しと、乾いた風に救われた。

上陸した島々の素朴な美しさと人出の少なさも予想通り気分を良くしてくれた。食事もうまかった。ひと月前のクレタ島の食とは違い、どの島でも魚介類が中心食材である。

今回の旅の主な目的は、使徒ヨハネが「ヨハネの黙示録」を書いた場所とされるパトモス島の見聞だった。

修道院からスカラ街を見下ろす800
「聖ヨハネ修道院」から見下ろす港街

ヨハネが神からの啓示を与えられたとする洞窟内の礼拝所と、その上の広大な「聖ヨハネの修道院」は圧巻だった。

だがそこに人がからむと少し興ざめの光景もあった。明らかに観光客用のパフォーマンスと見える司祭らの動きが垣間見えたのである。

たとえばクレタ島のゴニア修道院では、カメラを向けられた神父が顔を隠して急ぎ足に通り過ぎた。そこには俗に汚されまいとする気概が見えて新鮮だった。

ところが「聖ヨハネの修道院」では、歩いている神父がカメラに向かってそ知らぬ振りでポーズを取り、洞窟内の礼拝所では、神父の祈りの声が観光客の団体が着くたびに高くなる、というふうだった。

僕は苦笑しながら、それでも神気と高貴と清廉が満ちた雰囲気を、厳粛な思いで検分し楽しんだ。

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修道院内は隅々まで美と緊張に満ちている

パトモス島にほど近い、リプスィ島とアルキ島はどちらも小さな島。特にアルキ島はミニチュアのようにかわいい。面積はたった2.15 km2 である。

小なりとはいうものの、どちらの島にも誇り高く且つ友好的なギリシャの島人が住んでいる。間もなく観光シーズンが終わる10月半ばでもバカンス客がけっこう滞在している。

両島ともに観光が主な産業であり、観光客また長期滞在のバカンス客を当てにしての漁業も盛んだ。魚介料理が島の目玉なのである。

島の魚料理は、ほぼ常に焼く、煮る、揚げる、の単純なものだが、地中海域のあらゆる島の魚介膳と同様に、素材の新鮮がレシピの貧困を補って余りあるおいしさだった。


異常気象と遺伝子

搾り出されるトマトヨリ1800pic
夏恒例のトマトソース作り


異常気象、といっても異常が通常になっていて、もはやあまり意味をなさない。だがイタリアでは今年は、水不足と暑さのせいなのか野菜の成長が急激で、サラダ菜などは7月中に花が咲いたり、老いて硬くなったり、枯れたりしてほとんど食べられないものが多くあった。

トマトの出来も良くなかった。主茎も側枝 も大きく育って木のようになったにもかかわらず、実があまり成らなかったのだ。それでも7月19日に第一回目の収穫をした。昨年に比べると10日ほど早かった。実の数は少ないが成長が早かった、ということだ。その後、どちらもひどく少ない量だがさらに2回トマトソース作りをした。

ここ北イタリアは3月以降は極端な少雨で4月、5月は冷えた。6月になると相変わらず少雨ながら日差しは強かった。おかげで野菜の成長は早くなった。7月に入ると気温が高くなり野菜はますます良く育った。雨もテンポラーレ(強風を伴う雷雨)が適度に襲って結構降った。

ところがその時期、北イタリアの一部を除くイタリアの大部分は雨がほとんど降らず、旱魃に見舞われていた。ローマでは給水制限が検討されるほど事態は深刻だった。

不思議に思うのは、4月~5月の寒さを除いて、ここ北イタリアのロンバルディア州一帯では結構な日差しと降雨があったにもかかわらず、つまり割りと通常の天候であったにもかかわらず、野菜の成長が異常に早かったという点である。

イタリア半島全体が暑さと水不足になることを察知して、野菜の多くは自ら成長を早めて花を咲かせ種を実らせたのではないか、と思ったりしている。

今夏よりも日差しが強く、日照時間も長く、且つ暑いイタリアの夏は過去に何度もあった。当年が過去と違うのは、3月~6月の間に雨がほとんど降らなかったことだ。今年は過去60年間で2番目に乾いた春期だったのである。

奇態な春の気象状況は夏になってもそのまま続き、北イタリアの一部を除くイタリア半島は高温と旱魃に苦しんだ。水不足は農作物を直撃して大きな損害をもたらした。飲料水にまで影響が出て、首都ローマは給水制限にまでは至らなかったものの、噴水や水飲み場の閉鎖を強いられた。

僕は小さな菜園に多種類の野菜を少量づつ作って、多彩な生態を楽しみ多様な味をエンジョイしている。もとよりそれは趣味の域を出ず、野菜たちの世話も時間があまりない関係で十分と言うには程遠いものだが、おかげで季節変化や天気の動きに以前よりも敏感になった。

いくつかの野菜の今年の奇妙な成長振りを見てふと思った。もしかするとそれらの植物は、春から夏に至る季節の乾きをなんらかの途方で事前に悟って、子孫を残すため、つまり種の保存のために、速く成長し花を付けて種子を得ようとするのではないか。

それが事実ならその途方とは、要するに遺伝子である。遺伝子には子孫を残そうとする強制力がある。子孫を残そうとしない生物はたちまち淘汰され絶滅するからだ。野菜たちは意思や原因や目的とは全く関係なく、今年は遺伝子の働きで急いで種(たね)を作ろうとした。。。

ということは、野菜には意思はないが、遺伝子にはそれに近い何かがある、という結論になる。今現在そこに存在している生物とは、子孫を残そうとする遺伝子を持つ生物、のことである。そこには機械的なプログラムが存在しているだけだ。自然の摂理と言ってもいい。

だが、この先の乾き(水不足)を感知して今年は速く成長しよう、と遺伝子がはたらきかけたのであれば、それは遺伝子の意思とも呼べるべきものである。子孫を残そうとする通常の機械的なプログラミングに加えて、遺伝子には特殊状況に対応する意思や手段も備わっている。

という具合に考える先から、それはおかしい、とも僕はまた考えた。遺伝子にそのような力があるならば、全ての生物(の遺伝子)が「先の危険」を予測し、それを避けようとして何らかの方策を企てるのではないか。僕の菜園の野菜たちが種を残すために急速に成長したように。

その思考過程を経て僕はまたあらたな発見をした。つまり今年は多くの農作物が水不足でいびつな育ち方をしたり、結実しなかったり、果ては枯れたりしたが、実はそうした弊害は、それらの作物が僕の菜園の野菜同様に「急激に成長しようとした結果」もたらされた毀損なのではないか、と。

それならば作物の不作は、来年の豊作へ向けての準備段階、という考え方もできる。つまり不作は豊作の予兆。従って喜ぶべきこと、と捉えられないこともない。こんなことを口にすれば、耕作で生計を立てている農家から「オチャラケを言うな。俺たちにとっては今年の不作、つまり生活が破壊される現実だけが問題だ」と憤慨されるだろうが。。。

楽しみと同時に、いろいろなことに気づかせてくれるのが菜園である。





夏の終わりのリゾート地の、いつもの少し気になる光景 

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北イタリアのガルダ湖畔はドイツ人が愛してやまないリゾート地である。5月から10月にかけて多くのドイツ人バカンス客が訪れる。同地に住まいを得て移り住むドイツ人も少なくない。

7月から9月半ばの間はイタリア人バカンス客も押し寄せる。その他の国々からの旅人もけっこういる。その時期のドイツ人は多数派だが、決して「彼らのみ」の存在ではなく、言わば「他国民との共存」状態である。

ところが9月半ば頃を境に、イタリア人やその他の国からのバカンス客が一気に姿を消して、あたりはドイツ人だらけになる。彼らは時間差休暇を利用して
10月頃にも多くやって来るのだ。

たまたま湖畔に家がある関係で僕はよくそこに行く。すると一帯のホテルやレストランやカフェなどにドイツ人客だけがあふれている状況に出会う。

普通彼らは礼儀正しく、静かで、友好的でさえある。観光産業で生きている地元の人々にも大いに歓迎されている。

ところがドイツ人同士が集まると、彼らは少し人が変わったようになる場合がある。例えばドイツ人バカンス客のほぼ貸切り状態になった夜のバールなどで、声高に話し始める。

ビールの大ジョッキを頻繁に空にしながらうるさく議論をする。果ては酔って放歌高吟し騒ぎ出すようなことも起こったりする。

そこでは他国民と混じりあっているときのドイツ人の文化文明的な雰囲気が失せて、彼らは少々粗野になり時として傍若無人と形容してもいいような動きを見せることさえある。

ドイツ人とは違って普段から少し騒々しく、友好的だが礼儀を欠くこともなくはないイタリア人たちは、ドイツ人の「突然の」変貌を醒めた目で見つめる。

彼らはドイツ人が集団になると、傲岸で危険な存在になる要素を秘めていることを知っている。歴史がそれを物語っている。

ドイツ人自身もそのことを知っている。だから彼らは抑制し羽目を外し過ぎないようにしようとしている。周りの目も気にしている。それでも時としてある種のドイツ人はその性癖の露見を止めることができないようだ。

酒が入ったりすると、つい彼らの本性が出てしまう。そのような変化はどの国民にでも起こることだが、素面の時は物静かで大人しいドイツ人の場合は、普段との落差が大きいと人々は感じる。

全てのドイツ人バカンス客が野放図であるわけでは無論ない。むしろ威儀を保ち続ける者のほうが多数派だ。その多数派が今のドイツ人の実相である。群れて騒ぐ人々はドイツ人のうちの少数派だ。

その少数派の行動が、大多数の「良いイメージのドイツ人」を悪く見せてしまい、「群れると崩れかねない危うさを内包しているドイツ人」という過去の亡霊を人々に思い起こさせる。

酒に浮かれて放歌高吟するのは、日本人とドイツ人、とよく言われる。また両国民は1人では何もできないが集団になると手ごわく、野卑で不遜で攻撃的になる、とも言われる。

あるいは2国民は「かつて」はそう言われた。だが少なくとも日本人は、敗戦を境にたとえ集団になっても昔日の傲岸不遜の傾向は失くしたように見える。優越意識のようなものもちらつかせない。

むろん、中韓やアジアなどを蔑視するネトウヨヘイト系の日本人は少なからず存在する。だがまともな日本人は、戦前の愚かな心根からは開放されたように見えなくもない。

敗戦でボロボロになったドイツ人も日本人と同じ道筋をたどった。だが白人種ではない日本人が、真の意味での謙虚を学んだようにはいかなかった。

ドイツ人の中には、誤解を恐れずに言えば、白人種の優越意識があり、さらに白人種の中でも彼らこそもっと優越だ、という秘めた自負がある。

そうした秘密の心根は、ナチスの巨大な負の遺産を“ほぼ”帳消しにして世界の信頼を勝ち取り、自らの手でドイツ国家の大いなる繁栄を築いた、という自信に基づいている。

だが彼らは一歩間違えばそれが尊大な物腰になり、荒い声音に変わり、攻撃的な振る舞いに変容して「かつてのドイツ」の再来を彷彿とさせる事態になる可能性を知っている。

危険を自覚し、決してそこに向かわないように自制しているドイツ人は、欧米の人々の尊敬も集めている。それは疑いようがない。だが人々の中の一抹の不信感は断じて消えていないのだ。

ドイツ人が彼ら同士で固まって盛り上がる様子を見ながら、バールのイタリア人従業員や客の心中にかかすかな警戒感が頭をもたげる。

それはイタリアだけに見られる特殊な状況ではない。ドイツを除くヨーロッパ中のリゾート地や行楽地や観光地で、飽きもせずに毎年繰り返されている光景なのである。

今年はそこにさらなる負の要素が加わった。先のドイツの総選挙で極右の「ドイツのための選択肢」党が飛躍した事実だ。

欧州に台頭する極右勢力は、EU(欧州連合)の弱体化と相まって世界に暗い影を投げかけている。中でもドイツのそれがもっとも人々に恐れられている。

ナチスと、極右党の「ドイツのための選択肢」と、リゾート地のバールで騒ぐ「一部のドイツ人」が人々の心の中でぴたりと重なり合って、それらを真っ向から否定する「大方のドイツ人」にまで偏見が及びかねない状況が出来上がる。

人々の偏見は、ドイツ人が戦後一貫して続けてきた反省と謝罪と贖罪の努力を今後も怠らないことで必ず消えていくだろう。だが極右の台頭をドイツ国民が許し続けるなら、人々の偏見は偏見ではなくなって、ドイツ人への敵愾心をあおる結果にもなるだろう。

僕はバールの片隅で、騒ぐドイツ人バカンス客をイタリア人の友人らとともに眺めながら、密かに彼らに同情したり心配したりする。やがてその心は、もしかすると日本人も近隣のアジアなどでドイツ人と同じ轍を踏んではいないか、という忘れかけた不安におおわれて行ったりたりもするのである。

ギリシャ・クレタ島の食日記~おいしい味覚史



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肉・野菜・魚介・カタツムり-なんでもありのクレタ料理惣菜



世界で一番美味いのは日本料理、というのが僕の偽らざる思いである。以下ランク順にイタメシ、中華、トルコ料理、ギリシャ料理と続く。

多くの人が世界一と考えるフランス料理は5本の指に入らない。フランス料理にはなんの恨みもない。仏メシの「こってり感と気取り感」が僕の中ではランクを下げる、というだけの話。

僕の独断と偏見では世界第5番目においしいのがギリシャ料理。そのギリシャ料理の中では国の最南端にあるクレタ島の食が、これまでのところはもっとも美味いと感じる。

この直前の2稿でも言及したように、クレタ島の食は魚介類が少なく、肉が主体である。それはギリシャ全体にも言えることだが、クレタ料理が「島の食」である事実を思えば興味は尽きない。

四方を海に囲まれた島でありながら、魚料理よりも肉料理が豊富なところは、クレタ島と同じく地中海に浮かぶ島、イタリアのサルデーニャ島の状況によく似ている。

サルデーニャ島は歴史的に多くの民族の侵略を受けた。特にイスラム教徒のそれは過酷で殺戮が多発した。そのため島人は内陸の山間部に逃げた。

四国よりも少し大きなサルデーニャ島は山深い土地である。侵略者から逃れた人々は、海から遠い内陸の山里に定住した。魚介よりも羊肉を中心とする肉料理が好まれたのはそのせいである。

いや、肉料理が好まれたというよりも、山峡に住まうことを強いられた人々は、いやでも肉料理に向かわざるを得なかった。海際の住民が魚介を主な糧とするように。

そうした歴史もあって、美食の国イタリアの一部でありながら、サルデーニャ島の魚料理にはあまり見るべきものがない。これは僕が実際に現地で体験しての感想である。

少し前の話になるが、キャンピングカーを借りて家族4人でサルデーニャ島に長期滞在をした。その時にレストランで食べた魚介料理はつまらなかった。

島だけに素材は新鮮な場合が多かったが、料理の味が良くないのである。明らかに魚介類への思い入れが薄いことから来る弊害と見えた。

僕はしばらくすると、魚介類をレストランで食べることをやめた。代わりに鮮魚店や市場で新鮮な素材を手に入れて、家族のために自分で料理をした。

たいした料理ではなかったが、妻も子供たちもそっちの方を喜んで食べた。キャンピングカーでの旅なのでそういうことができたのである。

現在、サルデーニャ島の魚介料理に見える少しの進展は、イタリア北部の金持ちたちによってもたらされたものだと考えられる。

彼らはバカンスで島を訪れる度に沿岸地帯の魚料理を少しづつ改良した。あるいは彼らの要求によって、島の魚介料理は変わることを余儀なくされたのである。

サルデーニャ島に限らずイタリアの魚料理は、パスタにからめたものを別にすれば肉料理ほどのインパクトはない。日本料理における魚介膳のような奥深さはないのだ。

従ってイタリア北部のバカンス客がサルデーニア島に持ちこんだ魚介料理も、日本食に比べた場合はそれほど目覚ましいものではない、と僕には見える。

そうはいうものの魚介類のたとえばパスタは、サルデーニャ島を含むイタリアのそれが世界一の味であることは、幾重にも付け加えておきたい。

あえて簡略化したサルデーニャ島の歴史事実は、ある程度クレタ島にも当てはまるように思う。サルデーニャよりも小さいがクレタ島も山深い土地である。

海からの侵略者に翻弄され続けたクレタ島民も、内陸部を主な居住地とした。そのために島には、魚介ではなく豚、鶏、牛、羊肉などの肉料理が発達した。

そう考えれば、海が間近に広がる島で、魚介膳が大きく進化しなかった理由が説明できるのではないか。ただし繰り返しになるが、島の魚介料理は素朴ではあるものの、素材が新鮮な分うまいことは美味いと付け加えておきたい。

島にやって来たのは侵略者ばかりではなかった。交易や友好を望む者や旅人も多く訪れた。また近年は、島の温暖な気候や鮮やかな景観に魅せられたバカンス客も群れをなして来訪する。

世界中から島に足を運ぶそれらの人々は、彼らの国のレシピを島民に伝え、あるいは彼らの嗜好で島伝来のレシピに改良や変化を求めた。

古来、欧州とアフリカと西アジアの人々が行き交う地中海の要衝であったクレタ島には、そうやって外来の煮炊きも多く根付いていった。

それらのほとんどもやはり肉料理だった。バルカン半島やトルコや西アジアにルーツを持つと見られる、スヴラギやギロスなどの肉料理がもっとも顕著な例である。

またクレタ島の魚介料理も外からの影響によって少なからず変貌していった。その最たるものはイタリア料理である。

クレタ島は13世紀初頭にヴェネツィア共和国の支配下に入った。以後、海の民ヴェネツィア人の魚介レシピが紹介され試されて、次第に島料理に取り込まれていった。

それでも、先に何度も述べたように、クレタ島の食は主に肉料理にかたよって、野菜、オリーブ油、チーズなどの乳製品をからめて発展した。魚介料理は少数派であり続けたのである。

そうしたところもクレタ島とサルデーニャ島の食の容貌は相似している。サルデーニャ島はヴェネツィア共和国に支配されたことはない。が、同島はイタリアの一部であることに変わりはない。

いうまでもなくサルデーニャ島の魚介料理は、イタリア本土のそれの影響下にはある。そしてヴェネツィア(共和国)はイタリア本土の一角にほかならないのである。

ついでに住民の気質についても言及しておくと、2島の住民はどちらかと言えば頑固でとっつきにくい、という評判がある。やはり山の民なのである。

しかし僕が知る限り、気難しい彼らは一度ふところに飛び込んで親しくなってしまうと、逆に大いなる友人となって心あたたかく寛大、且つとびきり明るい素顔を見せてくれる。

そして山の民である彼らが、友好の証として料理のもてなしをしてくれる場合には、今まさに獲れ立ての魚介類がない限り、たとえ島の沿岸部であっても圧倒的に肉料理が多い、とされるのである。


ノーベル文学賞って大丈夫?



ダイナマイトを頭に付けたアルフレッド・ノーベル400picに拡大


日本生まれの英国人作家カズオ・イシグロが、2017年度のノーベルを受賞した。すばらしい出来事である。心から賛称したい。

カズオ・イシグロはあくまでも英国人

そのことを明確に踏まえたうえで、自分の中で少しひっかかっている事どもを述べておきたい。それは多少ノーベル賞に批判的な内容になるかもしれない。

だがそれはあくまでもノーベル賞と選考委員会への異論申し立てであって、作家カズオ・イシグロへの僕の三嘆の気持ちはいささかも変わらない。

本題に入る前に、カズオ・イシグロが日本生まれであることを理由に大騒ぎをする日本の風潮に、先ず異議を唱えておきたい。

カズオ・イシグロは日本生まれかもしれないが、あくまでも英国人である。騒ぐならば彼が日本生まれである点ではなく、彼の作品が「優れているか否か」を検証して騒ぐべきである。

またカズオ・イシグロは日本国籍を捨てて英国に帰化した人だ。ことさら国籍にこだわって騒ぐのなら、かつて日本国籍が「あった」ことではなく「日本国籍を捨てたこと」を問題にするべきだ。

英国人作家のサルマン・ラシュディをインド人と呼ぶ人は少ないだろう。英国に帰化したカズオ・イシグロも同じ。彼は日本と日本国籍を捨てた英国人だ。

少子高齢化と人口減少が進む日本なのだから、日本を捨てた人を大事にするのではなく、日本に帰化してくれる人や日本を愛し日本にこだわる人たちをこそ大事にしたほうがいい。

文学賞の良さと限界

ノーベル文学賞を含むあらゆる文学賞は主観的なものである。主観を投影するのは個人であり集団である。彼または彼らが独断と偏見によって、彼らの良しとする基準を満たす作品あるいは作家を選んで賞を与える。

今年ノーベル財団はカズオ・イシグロを文学賞に選んだ。だがそれは村上春樹でも宮本輝でも吉本ばななでも、はたまたイタリアの誰それや中国の誰それでもよかった。要するに選考委員会が気に入るなら誰でもいいのだ。

自然科学部門の物理学賞や生理学・医学賞や化学賞などは、その対象の優劣を客観的に判断できるものだから分かりやすい。経済学賞も経済学者が実体経済に疎く、しばしば理路整然と間違う笑い話を別にすれば、文学よりはずっと明晰な分野だ。

選考基準があいまいな平和賞にしても、選考委員の主観が入りつつも平和活動をしている個人や団体を受賞対象にしている点で、選択の基準がまったく見えない文学賞よりはやはりまだ分かりやすい。

ノーベル文学賞選考委員会は、彼らの主観でカズオ・イシグロを選んだ。繰り返しなるがそれはそれですばらしいことである。そこで僕は僕の主観に基づいて、なぜ村上春樹ではなくカズオ・イシグロなの?と問いたいのである。

ノーベル文学賞に値する日本人はうようよいるよ

言うまでもなく僕は、カズオ・イシグロよりは村上春樹のほうが先に受賞するべき、と考える者である。僕の中ではノーベル文学賞にふさわしい日本人作家は今のところ2人いる。村上春樹と宮本輝である。

また僕の独断と偏見によるノーベル文学賞に値する日本人作家はランク順に:
1.安部公房 2.村上春樹 3.夏目漱石  4.三島由紀夫 5.藤沢周平 6.谷崎潤一郎 7.山本周五郎 8.司馬遼太郎 9.大江健三郎 10.川端康成 11.宮本輝 の11人である。 

このうち実際に受賞したのは周知のように大江健三郎と川端康成。ノーベル賞は存命中の者に授与される賞だから、今後可能性のあるのは村上春樹と宮本輝の2人になる。

なお、ノーベル文学賞の日本人候補として吉本ばななも取り沙汰されるようだが、僕は彼女の本は読んでいなので判断のしようがない。ちなみに僕は前述の11作家の著作はほぼ全て読んでいる。

ほかの日本人作家のことは知らない。またここイタリアをはじめとする欧米やその他の世界の作家のことも知らない。僕の主観では賞にふさわしい作家はいない。いや、ふさわしい作家を知らない。

村上春樹がノーベル賞をもらえない理由にならない理由

文学賞を含むノーベル賞の選考過程は50年後まで公表されない。従って誰が候補に上がっているかは現在はわからない。村上春樹が候補者として取り沙汰されるのは、彼がカフカ賞を受賞したからだ。

チェコのフランツ・カフカ賞は、ノーベル文学賞への登竜門とも目される。これを受賞したことで村上春樹はノーベル文学賞候補とみなされるようになった。しかし、正式なノーベル賞候補というのは存在しない。あくまでも憶測である。

ノーベル文学賞には政治的なバイアスがかかっていると思えるフシが多くある。かつては各国のペンクラブの会長であること、あるいは少なくともペンクラブに属していることが受賞の条件、という噂もあった。

ノーベル文学賞はまた欧州と北米、アジアとアフリカ、また南米その他にバランス良く振り分けられる、という分析もある。それが事実ならば、そろそろ日本人作家が受賞してもいいのではないか、という見方も広がった。

だが村上春樹は、長い間その候補と噂されながら受賞を逃し続けている。ノーベル賞は人道主義的な作風の作家が取ることが多い 。村上春樹にはそういう題材の作品がほとんどない。

また村上春樹は、イスラエルでの「卵と壁」発言の後で沈黙するなど、政治的人道的な活動が少ないから受賞しない、という説もある。

だが「卵と壁」発言は、パレスチナに対するイスラエルの圧倒的な軍事力を壁に譬え、抑圧された民衆を卵にたとえて、イスラエルの地で当のイスラエルを真っ向から批判したものだ。それは極めて大きな政治的発言であり行動だ。

爆弾受賞

つまり村上春樹が受賞しないのはそういうことでもないらしい。要するに理由が分からない。そうこうするうちにノーベル文学賞は、ボブ・ディランの昨年の爆弾受賞でますます分からなくなった。

ボブ・ディランのあっとおどろくノーベル文学賞獲得によって、同賞の受賞対象は「誰でも良い」という実体をさらけ出した、と僕は思う。

爆弾受賞を受けて昨年は、ボブ・ディランの受賞は画期的。ノーベル文学賞選考委員会は創造的。すばらしい。さすがはノーベル賞、などと無責任な賞賛の声が上がった。

ばかばかしい。ボブ・ディランは天才的なアーティストだが、音楽家であって物書きではない。ボブ・ディランが文学賞を受賞するのなら、井上陽水と小椋佳、ここイタリアのファブリツィオ・デ・アンドレとピノ・ダニエレも十分に資格がある。

もっとも残念ながらイタリアのアーティスト2人は亡くなったので、存命者が条件のノーベル賞の対象にはならない。だが両者はボブ・ディランと日本の2人に勝るとも劣らない天才だ。

あえて亡くなった2人の名前を出したのは、僕が知らないだけでイタリアには2人に迫るあるいは凌駕するシンガーソングライターが必ずいると思うからだ。

他の国にもおそらくそれらのアーティストに匹敵する優れたシンガーソングライターがいるに違いない。さあ、ノーベル賞よどうする?と問いかけたいものだ。

あ、あぶなく忘れかけたが、吉田拓郎も「旅の宿」1曲だけでノーベル賞はもらった、と言いたいところだ。しかし、作詞は残念ながら彼本人ではないので厳しいかも。

奇をてらうノーベル文学賞

ボブ・ディランの受賞理由は「偉大な米国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」というものだった。ところが世界中には「それぞれの国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」アーティストがゴマンといる。米国だけには限らないのだ。

国際的な認知度ではなく「米国(一国)の歌の伝統」というボブ・ディランの受賞理由に従えば、彼らの全員も「ノーベル文学賞」の対象でなければならない。それがバカバカしいというのなら、ノーベル文学賞そのものがバカバカしいのである。

文学賞をまともなコンセプトに戻したいならば、財団はボブ・ディランの文学賞を没収した上で「ノーベル音楽賞」を新たに設定し、彼をその第一回目の受賞者に認定すればいい。

カズオ・イシグロの受賞は、あるいはボブ・ディランのそれに続くノーベル文学賞の、近年の隠れたテーマ「奇をてらう」の一環である可能性がある。

つまり、村上春樹という王道の受賞候補があまりにも人気が高いため、嫉妬した選考委員(会)が「今年もまた」村上春樹を無視して意表をつく選択をした。

いや、無視したというよりも、出生地を出身国と見なす彼らの考えでは、「長崎県生まれの日本人」であるカズオ・イシグロに賞を授与することで、そろそろ日本人が受賞するべきという人々の思いに応えた。

村上春樹の受賞をわざと外しているようなノーベル財団の動きは、米国アカデミー賞がスピルバーグ監督の受賞を嫌い続けた事実に通底している。アカデミーショーはスピルバーグの人気に嫉妬して彼の受賞を拒み続けた疑いがる。

しかし、アカデミーショー委員会はやがてスピルバーグに賞を与えた。理不尽な態度を批判されたからだ。ノーベル文学賞選考委員会も、間もなく実力絶大な作家の村上春樹に賞を授与せざるを得なくなるのではないか。ぜひそうであってほしいものである。



ギリシャ・クレタ島の食日記~珍味という名のゲテモノ料理



2則食べ分に近い
パツァス


ギリシャ料理は僕の勝手なランク付けでは、世界で第5番目に美味い食べ物だが、中でもギリシャ南端のクレタ島料理が特に美味い。

クレタの島料理は、素材が新鮮でそれなりにおいしい魚介レシピよりも、肉料理のほうが豊かである。豚肉と鶏肉が上等で牛肉も美味い。また羊肉料理も秀逸である。

それらの肉料理は、ほとんど全て島の野菜と共に提供される。クレタの島野菜は、まるで家庭菜園の産物でもあるかのように色鮮やかで味が濃く、新鮮そのものである。

サラダで食べても一級品だが、肉に合わせて煮たり焼いたり味付けされたりした野菜もすばらしい。クレタ島は地味豊かな且つ陽光目覚ましい土地柄。野菜の風味も芳醇なのである。

野菜をサラダで食べるときにはオリーブ油が欠かせない。クレタ島はオリーブ油の一大産地であり消費地。ギリシャ全体の約50%を産出し住民の1人当たりの消費量は世界一である。

今年9月に滞在したときは、島産のオリーブ油と醤油で味付をしたサラダを文字通り毎日食べた。僕はもう40年近くサラダをオリーブ油と醤油のドレッシングで食べている。もちろんイタリアでも。

休暇の終わりにはクレタ島第2の街ハニアで、ロンドンの映画学校時代の友人と会食をした。ギリシャのアテネ出身の友人は先年、英国人の奥さん共々クレタ島に移住したのだ。

ハニアの中心街にある市場の中の店で、友人が勧めてくれたパツァスを食べてみることにした。パツァスは豚の胃や腸その他の内臓を煮込んだスープ。牛や羊の内臓も使うという。

僕はその料理を、日本のもつ煮込みやイタリアのトリッパ(牛の胃の煮込み)を想像しながら注文した。ところが出てきたのは、内臓のエグい臭いが沸き立つ代物。良く言えば珍味、はっきり言えばゲテモノ料理だった。

大げさではなく吐き気を催すほどの臭みをぐっとこらえて、僕は口の中の異物を喉に流し込んだ。友人自慢のギリシャ料理を吐き出すのはとてもできなかった。

僕はその後、唐辛子のエキスが詰った激辛のスパイスを大量にスープにぶち込んで、味も臭味もわからないようにした上で必死に、おもむろに、だが完食した。

食べ終わったあとに友人が言った。「良くそんなまずい物が食べられるね」と。実はそれは、イタリアのトリッパと同じで人の好き嫌いが大きく分かれる食べ物であり、彼は大嫌いなほうなのだという。

それを早く言え、と思ったが後の祭りだった。それにしても、日本のもつ煮込みは言うまでもなくイタメシのトリッパにも内臓の臭味はない。パツァスの腐臭じみたにおいは驚きだった。

僕はそこで故郷の沖縄のヤギ汁のにおいを思った。好きな人にとっては強い「風味」であるヤギ汁の臭みは、ヤギ汁が嫌いな人や慣れない人には風味ではなく「異臭」として感じられる。

パツァスの独特のにおいもおそらくそれと同じものである。ある食べ物の「特異な風味」は、それが好きではない者にとっては、「ゲテモノ」とほぼ同義語なのである。

世界の観光地では地元の味をかたくなに守る店がその狷介ゆえに人気がある場合と、観光客向けに味を改良あるいは改悪して人気が出るケースがある。

クレタ島のハニアで僕が食したパツァスは、古いレシピを頑固に守っているという店のひと皿なので、島内の他の店のパツァスとは違っている可能性がある。

その店には地元民らしい客が多かったが、観光地のクレタには、旅行者の嗜好に合わせて、臭いを抑えたパツァスもきっと提供されているに違いない。

伝統料理パツァスの名誉のためにもそう付け加えておく。が、しかし、たとえにおいを制御したパツァスであっても、僕は今のところはもう一度それを食べようという気にはならない。

                                      つづく





ギリシャ・クレタ島の食日記~肉料理



800pic「ギロピタ」あるいは「ピタ・ギロス」
レストラン店内でも注文できるファーストフードのギリシャ版ケバブ「ピタ・ギロス」


独断と偏見であえて世界の食のランク付けをすれば、ギリシャ料理は僕の中では世界で5番目に美味い膳である。

僕にとって世界で一番美味いのは日本料理。以下イタメシ、中華、トルコ料理、と続いてギリシャ料理がそれらの後を追う。

ギリシャ料理の中でも、国の最南端にあるクレタ島の食べ物が、これまでのところはもっとも美味しいと僕は感じる。

島なのだからクレタ料理には魚介類が多そうである。ところがクレタの島料理は肉が主体である。魚介膳はギリシャ本土よりも少ないのではないか、とさえ思う。

クレタ島の魚料理は、焼いたり煮たり揚げたりするだけのシンプルなものがほとんどだ。だが島だけに素材は新鮮である。

新鮮であれば魚介料理は常に美味い。刺身が美味いのも基本的にはそういうことだ。つまりレシピの単純を補って余りあるのが、魚介の活きの良さなのである。

深みのないクレタ島の魚料理の中で秀逸なのがタコ料理。タコ料理はギリシャ全体で好まれてさまざまな調理法があるが、ワインで煮込んだクレタ島のものが特に美味しいと思う。

前述したようにクレタ島は肉料理がメインの土地柄だ。主な素材は、牛肉、豚肉、鶏肉、羊肉である。ヤギ肉もあるのだろうが今回は出会わなかった。

ギリシャでもっともポピュラーな肉料理はおそらく「ギロス」と「スヴラキ」だろう。ギロスは肉をぐるぐる回しながら焼く料理。スヴラキは肉の串焼きである。

スヴラギに用いられる肉はいろいろだが、ギロスの素材は豚肉がほとんど。調理法や食べ方はトルコ料理のドネルケバブと同じである。イスラム教国のトルコでは豚肉の代わりに羊肉を使う。

ギロスは皿盛りでも提供されるが、ピタという薄いパンで包んでファーストフードとしても売られる。いわゆるギロピタあるいはピタ・ギロス。僕はレストランで両方を食べた。どちらもトルコの羊肉ドネルケバブに劣らないすばらしい味がした。

鶏肉料理も美味しい。ほぼ連日通ったレストランのカレー味のチキンは絶品だった。ビーチと宿泊先のほぼ中間に位置するその店は全ての料理が出色だった。

出される料理のどれもが絶巧なので、僕は一度あえてイタリア料理のパスタを頼んだ。クレタ島のレストランはほぼどこでも、イタメシのパスタとピザをメニューに組み入れている。

出てくる料理のすべてが美味しいその店で、もしもパスタがイタリア並みにうまければすごいことだと思った。シェフの力量を見てみたくなった。

だが、提供されたカルボナーラは最悪だった。いや、風味は良いのだが、パスタが茹で過ぎというのもばかばかしいくらいにやわらかくて、フォークにからまらずにちぎれてしまうほどだった。

イタリア以外の国では、専門のイタリアレストランでもない限りアルデンテ(歯ごたえのある)なパスタは余り期待できない。そこの店もさすがにイタリア風のパスタにまでは手が回らないようだった。

同店では、地中海旅行で僕が追求しているヤギ料理および羊肉料理のうち、後者も堪能した。子羊肉を柔らかく煮込んだ一品と羊肉をチーズと共に素焼鉢の中で焼いたひと皿。どちらも絶妙な味がした。

羊肉を素焼鉢に詰めて鉢ごと窯に入れて焼く料理は、トルコのカッパドキアの名物「壷焼きケバブ」の流れをくむように見えた。

カッパドキアでは壷をナイフでカチ割る演出が面白かったが、それ以上に味が印象的だった。店の素焼鉢の羊肉はカッパドキアのひと皿に勝るとも劣らない味がした。

車で遠出をした島の西北端に近いキサモスのレストランでは、羊の成獣の肉を巧妙に焼き上げた一品にも出会った。強烈な臭みを「風味」以外のなにものでもない、というところまで消し去った手腕は素晴らしいと思った。

今年はスペインのカナリア諸島のうちのフエルテベントゥーラ島で、ヤギの成獣の絶品料理にも出会った。クレタ島で食べた羊の成獣の味は、カナリア諸島のそれを彷彿とさせる美味しさだった。ムスリム圏を含む地中海の羊&山羊料理の奥はひたすら深い。。。。

                               
                                    つづく

                                                    




安倍VS小池なら消去法でまだ小池のほうがましな訳



Japanバックに400ぴc


小池新党と民進党が事実上合流することで起きている、日本政界の激震は歓迎するべきことだ。保守自民と保守希望の党のうちのどちらを選ぶか、と問われれば僕は「思い上がった」安倍政権にはここで一度退陣してもらって、小池政権で日本の再出発を試みてもいいのではないか、と答えるだろう

希望の党の突然の台頭は、アメリカのトランプ主義旋風やフランスの共和国前進の躍進、また(政権奪取には至っていないものの)ここイタリアの五つ星運動の急伸などに通底した、社会変革を求める市民の抗議活動の一環として捉えることもできる。日本国内の卑近な例で言えば、先の都議選における「都民ファースの会」の飛躍と同じものだ。

小池百合子希望の党代表は、短期間のうちに2つもの大きな政治変革運動を起こして、今度もまた勝利しようとしているように見える。いや、たとえ今回選挙で政権奪取までいかなくても、最後まで「失速することなく」選挙戦を戦いぬくことができれば、彼女の変革は成功したも同然だろう。

それは少なくとも、安倍政権が唱える空疎な変革よりはましなものである可能性が高い。なぜなら彼女は安倍政権の抱える問題点を客観的に勘案して、それを軌道修正した「保守政策」を推し進める、と見るのが妥当だからだ。同時にその政策は、理念も形も熱意も何も見えない民進党のそれに比較しても、まだしも救われるものになるだろう。

民進党の消滅によって、リベラル勢力のさらなる弱体化が進む、という見方もある。しかし、逆の効果を生む可能性も同じ程度にあるのではないか。民進党内の左派勢力は、保守派が希望の党に移ったことを幸いに結集し新党を作るなどして、共産党以外の小勢力との合流も視野に、リベラルの再構築を図るべきだ。民進党の壊滅が、リベラルの死ではなくむしろ「再生の始まり」となってほしい。

希望の党と民進党の合体にはさまざまな批判が浴びせられている。期待する声はほとんど聞こえないくらいだ。たとえば曰く、希望の党の小池代表は独裁者。民進党リベラル派を虐殺しようとしている。彼女の原発ゼロ公約は口からでまかせ。なぜなら彼女は核武装論者、云々。

また民進党前原代表は、希望の党と合流することによって党内のリベラル派を体よく切り捨てようとする詐欺師。前原代表は民進党を破壊し、小池党首に追従するだけの理念なき政治家。「言うだけ番長」が初めて行動したと思ったら、それは党への大いなる裏切り行為だった、云々。

さらに保守自民党と保守派の希望の党が対立するのは、対立ではなく将来の2党の連立から大政翼賛会にまでつながりかねない由々しき事態。改憲勢力が国会の3分の2どころか8割を占めて、日本はますます「戦争のできる国」へと暗転・進行していく、など、など。

改憲がすぐに「戦争」へと結びつく思考は、「思考していない」と同義語の無意味な主張である。僕は「戦争を避けるための改憲」に賛成する。日本は70年以上にわたって平和をエンジョイしてきた。そこに平和憲法があったからではない。アメリカの保護があったからだ。保護の代償に日本は、イタリア語でいう「アメリカのケツ舐め(lecca culo)」外交を強いられてきた。

それは今後も続くことが確実だ。自民党政権であろうが希望の党政権であろうが同じだ。だが、希望の党政権になれば、「アメリカのケツを舐める」だけの屈辱的な生き方から、自主独立国へ向けての「舵取りが始まる」かもしれない。たとえそうはならなくとも、自民党と一線を画す政策を推し進める、と主張するのだから少なくとも自民党政権より後退することはないだろう。

変革はあらたな変革を呼ぶ可能性が高い。アメリカとの友好同盟関係は維持しながら、日本は中韓をはじめとする近隣諸国との平和共存に向けて「対話」による外交を強烈に推し進めるべきだ。対話による外交は、北朝鮮との場合にも当てはまる。武力による解決は日本を含む近隣国の多大な人命喪失を意味するのだから、断じてあってはならないことだ。

安倍首相は、先の国連演説で「北朝鮮との対話はもはやあり得ない。圧力あるのみだ」と、例によって「引き籠もりの暴力愛好家」丸出しの無茶な演説をした。北朝鮮の出方次第では同国を破壊するしかない、などとするトランプ大統領の大言に合わせたつもりなのかもしれないが、実はその傍若無人な米大統領ですら、決して「北朝鮮との対話を拒否する」とは言わない重大点を、安倍首相は見逃しているとしか考えられない。

安倍首相の発言は、アメリカと北朝鮮の交戦を心のどこかで期待しているようにさえ聞こえる。米朝が砲火を交えれば、日本にも必ず巨大な危険が及ぶ、という極めて現実的な事態が想像できないのだろうか。危険は及ぶが米軍と自衛隊が協力して防衛に当たれば危険はゼロになる、とでもいうのだろうか?もしそうだとすれば、あまりにも荒唐無稽でもはや議論をする価値さえない。

小池百合子希望の党党首も前原誠司民進党代表も、どちらかといえば安倍晋三首相の政治姿勢(あえて思想とは言わない)に親和的な立場である。だが2人は自民党を抜け出して、自民党とは相容れない政治勢力や政治家とも和し、あるいはぶつかり合いながら政界を泳いできた。おのずから安倍氏とは違う体質を持っている。

民進党を飲みこんで勢力を拡大した希望の党が、何らかの形で政権を奪取すれば対米政策も変わる余地ができると考えたい。つまり新政権がアメリカとの同盟関係を維持しつつ、「両国の対等な立場」を強力に主張・推進することを期待したいのだ。その可能性は、小沢一郎氏が希望の党に参画することなどでかなり高まるのではないか、と個人的には考える。





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