スティーブン・バノン氏について書いた2本の記事を読んだ東京の友人の渋谷君が、「なぜそれほどバノンにこだわるのか」と言ってきた。
僕はすぐにメールで彼に回答した。
スティーブン・バノンを称揚する、彼と同種の日本人は異様です。
彼らは差別、ヘイト、排外主義、不寛容などで共通しているが、バノンは白人至上主義者で日本人は黄色人種。バノンやトランプの蔑視の対象です。
なのにそれらの日本人が彼らを崇めるのはなぜか。それは彼らが自らを白人と無意識に思い込んでいるバナナ人間だからです。バナナは表は黄色いが中身は白い。
だが果物のバナナは、バノンを嘆賞する日本人のように自らの表皮の色を忘れて白などと思い込むことはない。
果物のバナナはバナナのままで在ることにより、実はそれらの日本人よりもはるかに上等な存在なのです。
ところがその後、複数の人からも「なぜバノンにこだわるのか」という趣旨の便りをいただいた。
考えた末、僕は渋谷君への手紙の内容をもっと詳しく書き換えて、僕の真意をブログにまとめて公表しておくことにした。
僕が2回に渡ってスティーブン・バノン氏に言及したのは、彼をアイドル化する日本のネトウヨヘイト系排外主義者らのあり様に危機感を覚えるからである。
ネトウヨヘイト系の排外主義者は、ここイタリアを含む欧州各地にも世界にもいる。彼らの正体は「極右」という言葉でも表せるExtremist(極端・過激論者)である。
彼らは自らの極論に凝り固まって他者の意見に耳を傾けず、ひたすら憎しみを増幅させて心身共に凶暴になる。その主たる結果がWEB上のヘイト書き込みなどだ。
そうしたことは日本と世界のネトウヨヘイト系排外主義者や差別主義者に共通する特徴だが、実は日本人だけが有している異様な性状がある。
それらの日本人が、自らをアジア人あるいは黄色人種とは考えず、白人と同じかそれに近い人種である、とほとんど無意識のうちに見なしている点である。
日本人が日本以外のアジアの国々を「アジア」と呼んで、自らをその外の存在のように捉える滑稽はよく見られる光景である。そこには日本人の優越意識が隠されている。
中国や韓国また北朝鮮を蔑視することが多いネトウヨヘイト系排外主義者や差別主義者の心中には、優越意識に憎悪が加わることが特徴だ。
彼らは、自らを「白人」とまでは見なしてはいなくとも、アジア人とは違ういわば「準白人」とでも呼べる地位に自分自身を置いている。
そのために、アジア人や黄色人種を「白人至上主義」思想によって蔑視している者とも安易に手を握る。あまつさえそれらの者を称揚さえする。彼らがバノン氏やトランプ氏を賛美するとはそういうことである。
世界の、特に欧州の極右勢力が、日本人のようにバノン氏を招聘してトランプ主義を熱賛させたり、彼自身を賞嘆することは考えにくい。
欧州人は欧州人としてのアイデンティティー(主体性 )を何よりも優先させるから、バノン氏の「米国流極右思想」とは距離を置くだろう。
同じ極右でも、主体性なくトランプ氏やバノン氏に尻尾を振る日本の極右とはそこが違う。またたとえ彼らと手を取り合って喜ぶ欧州ネトウヨヘイト系排外主義者や差別主義者がいたとしても、彼らはトランプ氏やバノン氏と同じ正真正銘の白人である。
従って、たとえ彼ら自身もまた白人至上主義を密かに胸中に抱いていたとしても、論に齟齬は来たさない。再びそこが、バナナのネトウヨヘイト系排外主義者や差別主義者の日本人とは違う点である。
僕が欧州の地にいて、日本のトランプ主義者を観察するときに感じる違和感や嫌悪感は、彼らがネトウヨヘイト系排外主義者や差別主義者であるという事実に加えて、「自らをアジア人ではないかの如くに振る舞う」ところにある。
そうした傾向は、日本が明治の開国以来、欧米に追いつくために必死に彼らの猿真似を重ねて国を近代化し、それを成し遂げていく過程で培われた。目新しいものではない。
だがトランプ大統領の誕生によって、世界が分断されつつある今こそ、その恥辱の性根や思い上がりを捨てて反省し、自らのルーツに立ち返るべきである。
極右勢力を含む日本人は、そのときこそ、友人とは名ばかりの「ご主人様の」米国と対等な付き合いができるようになり、世界中の誰からも真に一目置かれる存在になるだろう。