【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2018年10月

世界はトランプとミニ・トランプと赤・トランプとフン・トランプに支配されている



ギュスターヴ・クールベ《絶望(自画像)》ウイキ800


分水嶺?

世界の反トランプ主義者の旗手、ドイツのメルケル首相が10月29日、与党キリスト教民主同盟(CDU)の党首を辞任すると表明した。直近の二つの州議会選挙で歴史的な大敗を喫した責任を取ったのである。

自国第一主義に凝り固まる米トランプ大統領と対峙するメルケル首相は、昨今は自由世界のリーダーとみなされてきた。首相職は2021年の任期まで続けるが、一つの時代が終わったことを知らせる明確なシグナルが世界に向けて発信された。

ほぼ同時にブラジルで「ブラジルのトランプ」と呼ばれる男が権力を握ることになった。差別と不寛容と憎悪を旗印に選挙戦を戦った極右のジャイル・ボルソナーロ候補が勝利したのだ。欧州の良心の対極にあるトランプ主義者がトップに立つ国が、地球上にはまた一つ増えた

トランプ主義とは

トランプ主義の本家本元のアメリカでトランプ大統領が誕生して以来、世界にはトランプ主義が目に見える形で拡散している。僕が規定するトランプ主義またそれを信奉し実践するトランプ主義者とは次の如くである。

反移民、人種差別、宗教差別などを旗印にして、「差別や憎しみや不寛容や偏見を隠さずに、汚い言葉を使って口に出しても構わない」と考え、そのように行動すること。それらの行為者は「罵詈や雑言も許される」といった悪意あるメッセージを拡散させることに長けている。

付け加えて言えば、欧州に跋扈しつつある排外・差別主義者、日本に多い歴史修正論者や「反ポリコレ主義者」つまりネトウヨ・ヘイト扇動者、また不寛容志向者や引きこもりの暴力愛好家などもトランプ主義者の一形態である。

トランプ主義者は人類が多くの犠牲と長い時間を費やして獲得した「寛容で自由で且つ差別や偏見のない社会の構築こそ重要」というコンセプトを粉々に砕き、唾棄し、憎悪や分断や差別や偏見をもってそれに差し替えることをいとわない。

米国以外の国々、特に欧州ではトランプ主義者が政権を取ることは難しいと見られていた。ところがイタリアにトランプ主義者でポピュリストの連立政権が発足したことによって、状況ががらりと変わった。

そんな折に、冒頭で言及したように反トランプ主義の旗手とみなされていたドイツのメルケル首相の失墜が重なり、自由主義社会の分断と衰退が懸念される事態になった。その懸念はブラジルにあらたなトランプ主義政権が誕生することによって脅威に変わった。

トランプ大統領の誕生が不可能と考えられた2016年までの世界の「常識」が、まさにトランプ大統領の出現によって完全に覆されたように、欧州でも世界でもトランプ主義者の跋扈は普通の事態になりあつつある。

欧州のトランプ主義者

欧州でその状況が最近もっとも明確に顕現したのが、既述のイタリアのポピュリスト政権誕生だ。反体制政党の五つ星運動と極右政党の同盟が連立を組むイタリアの現政権内では、同盟の党首であるサルヴィーニ(副首相兼)内相が強いリーダーシップを発揮し始めた。

サルヴィーニ内相は、連立を組む五つ星運動・党首のディマイオ(副首相兼)労働相と権力を2分して、彼らの操り人形であるコンテ首相を支えるポーズで実権力を行使すると考えられていた。

ところがサルヴィーニ内相は、政権船出と同時に内相としての権限を最大限に活かして強烈な反移民政策を実行に移し、またたく間に彼が権力を掌握した形で政権が運営されている。

サルヴィーニ内相は、フランスの国民連合党首・ルペン氏を始めとする欧州の極右勢力との連携を強めている。同内相は極右政党・同盟の党首であると同時に、米トランプ大統領を賞賛し追尾する、過激な反EU・反移民主義者でもある。

僕はトランプ主義に親和的な政治家、という意味で彼をイタリアの「ミニ・トランプ」と規定しているが、それはサルヴィーニ氏がトランプ大統領と比較して人間的にまた政治家として器が小さい、という意味では断じてない。

サルヴィーニ内相はトランプ大統領と対等な「トランプ主義者」だが、世界に与える影響力はトランプ大統領のそれには遥かに及ばない、という意味で僕は
「ミニ・トランプ」と呼ぶのである。それはこれから述べる世界中の全ての「ミニ・トランプ」指導者にも当てはまる。

世界のミニ・トランプ

それらの指導者とは次の人々であり政党である。

1.政権を掌握または政権入りを果たしたミニ・トランプ:
オーストリア自由党のシュトラーヒェ党首、ハンガリーのオルバン首相、トルコのエルドアン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、など。

2.選挙を経ずに権力を独占しているミニ・トランプ:
例えばムハンマド皇太子率いるサウジ王族、イランの最高指導者・ハメネイ師と周辺 。形だけの選挙で独裁政権を維持しているシリアのアサド大統領などもそのうちの一人と考えていいだろう。

3.政権掌握はしていないが、強烈なイメージを持つミニ・トランプ:
フランスのルペン氏、オランダ自由党のウィルダース氏、英国独立党のナイジェル・ファラージ氏 など。また政党で言えばオーストリア自由党、ギリシャ黄金の夜明け、東欧各国のナショナリストなどがミニ・トランプに分類される。

それらのミニ・トランプ、あるいは極右勢力は、互いに連携することはなく、従って欧州民主主義の良心、つまり自由と寛容と人権重視の精神を破壊する力にまで増大することはない、と僕はかつて間違って考えブログ等に書いたりもした。だが今では彼らは密に連絡を取り合い共闘し、欧州の良心に挑む明確な脅威になりつつある。

フン・トランプ&赤・トランプ

ミニ・トランプでありながら、その正体を表に出さないまま金魚のフンよろしく、米トランプ大統領に忠誠を尽くすことでトランプ主義を称揚している悪質なミニ・トランプ、別名「フン・トランプ」もいる。日本の安倍晋三首相、英のテリーザ・メイ首相などがその典型だ。

なかでも安倍首相はもしかすると、難民と移民と外国人労働者の区別もつかないのではないか、とさえ疑われるほどそれらの問題に無知に見える。それは恐らく島国根性からくる視野狭窄と鈍感のなせる業だが、先進国の指導者として寂しい資質だと言わざるを得ない。

一方英国のテリ-ザ・メイ首相は、欧州の政治家だけにさすがにそれらの事案に無知、無関心ではありえない。むしろ積極的に反移民政策に軸足を移し、その点だけを見れば彼女が密かに憧れているらしいかつてのマーガレット・サッチャー首相に似ていなくもない。

だがメイ首相は、将来のBrexit後の試練も見据えてのことなのか、トランプ大統領に批判精神も無しに近づき追従する。イタリア語で「ケツ舐め(lecca culo)外交」と形容されるその卑屈な姿勢は、誇り高き民主主義大国・英国の首相とはとても思えない。トランプ主義に無批判な安倍晋三首相となんら変わるところはないのである。

それらの「自由主義圏」の「ミニ・トランプ」や「フン・トランプ」に負けずとも劣らない勢いを示しているのが、似非自由主義の一党独裁国家、中国とロシアと北朝鮮だ。僕はそれらの国の指導者である習近平主席とプーチン大統領と金委員長をまとめて「赤・トランプ」と呼んでいる。

トランプ主義と米中間選挙

地球上にはそのようにトランプ主義の悪意に染まった国家と指導者が次々に誕生している。彼らが国益追求に名を借りて、エゴイズムを剥き出しにそれぞれが勝手な主張をするだけの状況になれば、世界には確実に対立が増え、分断と憎しみが充満するだろう。

トランプ主義の本家のアメリカでは、トランプ主義の行く末を決定する可能性が高い中間選挙が間もなく行われる。そこでトランプ大統領が率いる共和党が上下両院を制すれば、トランプ主義はさらに勢いを増し、世界のミニ、赤、フンの3トランプ主義もまた盛ることになるだろう。

選挙予測では共和党が上院を制し、下院は反トランプ主義の民主党が有利とされてきた。しかし、選挙戦終盤の現在はトランプ大統領への支持率が高まって、あるいは下院も共和党が勝つのではないか、という分析さえ出回っている。たとえ下院で敗れても、僅差の負けであればトランプ主義は恐らく萎縮することはない。萎縮どころか2020年の大統領選挙を目指して跳梁跋扈するのではないか。見通しは少しも明るくないのである。




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いよいよ‘Italexit’の始まりか



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欧州連合(EU)の欧州委員会は23日、財政赤字を国内総生産(GDP)の2.4%に設定するとしたイタリアの2019年度予算案を、EUの財政規律から大きく逸脱しているとして拒否した。規律違反を理由にEUがを加盟国の予算案を却下したのは今回が初めて。

イタリア・ポピュリスト政権の予算案は、赤字の対GDP比率が前政権の見積もりの3倍にも達するバラマキ財政。実施すれば構造的赤字が拡大し、公的債務も拡大することが必至。2018年10月現在イタリアの借金は国民1人当たり€37000(約481万円)でEU圏最大である。

EUは3週間以内に新たな予算案を提出するようイタリア政府に命令した。イタリアが従わなければ、欧州委は多大な罰金を伴う「過剰財政赤字手続き」処分を検討する方針。

イタリア政府は独伊の10年債利回りのスプレッドが急上昇するなどすれば予算案を修正するだろうが、反ユーロ、反EUの実力者、サルヴィーニ副首相兼内相が強硬に反対し、EUと厳しく対立する可能性もある。



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ヤギ料理にこだわる理由(わけ)


子やぎ太もも肉



子ヤギ肉と成獣肉

2018年7月、イタリア・サルデーニャ島で子羊及び子ヤギ料理を探し求めていた僕は、これまで味わった中では最も美味い羊の「成獣肉」膳に出会った。子羊肉は中東や欧州ではありふれた食材だ。が、成獣肉のレシピはまれである。

僕が子ヤギや子羊料理(以下子ヤギに統一)にこだわるのは、単純にその料理が美味くて好き、というのがまず第一だが、自分の中に故郷の沖縄へのノスタルジーがあるのだと思う。

沖縄の島々ではヤギ肉が食べられる。僕が子供の頃は、それは貴重な従って高級な食材なので、豚肉と同様にあまり食べることはできなかった。たまに食べるとひどく美味しいと感じた。

島々が昔よりは豊かになった今は、帰郷の際にはその気になればいくらでも食べられる。が、昔のように美味いとは感じなくなった。料理法が単調で肉が大味だからだ。

ところがここイタリアを含む欧州や地中海域で料理される子ヤギの肉は、柔らかく上品な味がしてバラエティーにも富んでいる。ヤギ独特のにおいもない。

貧困ゆえの食習慣

沖縄では子ヤギは食べない。成獣のみを食べる。子ヤギを食べないのは貧困ゆえの昔の慣習の名残りだろう、と僕は勝手に推測している。

小さなヤギは、大きく育ててからつぶす方がより多くの人の空腹を満たす食材になる。だから島の古人は子ヤギを食べるなどという「贅沢」には思いいたらなかった。

ヤギの成獣には独特のにおいがある。それは不快な臭気である。だが臭気よりは空腹の方がはるかに深刻な問題だ。だから人々は喜んでそれを食べた。

僕の遠い記憶の中には、貧しかった島での、ヤギ肉のほのかなイメージがある。たまにしか口にできなかったその料理のにおいは臭みではなく、「風味」だったのだと思う。

その風味は、僕の中では今は「子ヤギ肉の風味」に置き換えられている。つまりここイタリアを含む地中海域の国々で食べる子ヤギ肉の味と香りである。

子ヤギの肉にはヤギの成獣の臭みはない。食肉処理される子ヤギとは、基本的には草を噛(は)む前の小さな生き物だからだ。肉の香ばしさだけがあるのだ。

成獣肉の行方

僕が知る限り、ここイタリアではヤギの成獣の肉は食べない。羊も同じ。牧童家や田舎の貧しい家庭などではもちろん食されているとは思うが、市場には出回らない。臭みが強すぎるからだ。

だが、スペインのカナリア諸島では、僕は一級品のヤギの成獣の肉料理を食べた経験がある。それにはヤギの臭みはなく肉もまろやかだった。秘伝を尽くして臭いを処理し調理しているのだ。

トルコのイスタンブールでも、羊の成獣の肉らしい美味い一品に出会った。その店はカナリア諸島のように「成獣の肉」と表立って説明してはいなかったが、風味がほんのりと子羊とは違った。

子ヤギや子羊肉を伝統的に食する文化圏の国々には、そんな具合に成獣の肉をうまく調理する技術が存在する。イタリアでも隠れた田舎あたりではおそらくそうなのだろう、と僕が憶測するゆえんである。

人工処理

実は「レシピ深化追求」の歴史がなくともヤギの臭みをきれいに消すことはできる。そういう料理に僕はなんとヤギ食文化「事件」当事者の沖縄で出会ったのだ。ほんの数年前のことである。

ヤギ料理をブランド化し観光客にもアピールしよう、という趣旨で自治体がレストランに要請して、各シェフに新しいヤギ料理を考案してもらい、それを試食する会が那覇市内のホテルで開かれた。

たまたま帰郷していた僕もそこに招待された。びっくりするほど多彩なヤギ料理が提供されていた。どれも見た目がきれいで食欲をそそられる。

食べてみるとヤギ肉独特の臭みがまったくと言っていいほどない。まずそのことにおどろかされた。だが味はどれもこれもフランス料理の、いわば「普通の味のレベル」という具合だった。

どの料理もシャレていて美しいが、味にあまり個性がない。ヤギ肉の臭みを消す多くの工夫がなされる時間の中で、肉の風味や個性も消されてしまった、とでもいうふうだった。

多くの場合、島々の素朴を希求して訪れる観光客に、それらのヤギ肉料理が果たして好まれるだろうか、と僕はすぐに疑問を持った。

それらは全て美しくまとまり味がこってりとしていて、ひと言でいえば洗練されている。でもなにかが違う。いかにも「作り物」という印象で、島々の素朴な風情と折り合いがつかない。居心地がわるい。

女性が食の流行をつくる

言葉を替えれば、この飽食の時代に、ほとんどの日本人にとっては新奇、もっといえばゲテモノ風のヤギ肉料理が、はたして食欲をそそる魅力を持っているかどうか、という根本の疑念が僕にはあった。

さらにいえば、それらの料理が女性の目に魅力的に映るかどうか、ということも気になった。食の流行はほとんどの場合女性に好まれたときに起きる。

それらの料理の「見た目の美しさ」はきっと女性に好感をもたれるだろう。だが、そもそもヤギ肉という素材自体には女性は魅力を感じないのではないか、という疑問も消えない。

肉の臭みが取れても、「ヤギは癒し系の動物」というイメージが食欲のジャマをしそうだ。もっともヤギに限らず、全ての家畜とほとんどの野生動物は癒し系なのだけれど。

そうした疑念を吹き飛ばすほどの訴求力が、それらのヤギ料理にあるとは思えなかった。案の定それ以後、披露された新しいヤギ料理が、島で流行ったり観光客の評判になった、という話は聞かない。

ヤギ肉料理喧伝法

ちょっと大げさに言えばヤギ肉料理を流行させる秘策が僕にはある。それは前述とは逆に、女性に嫌われるかたちでのヤギ肉料理のありかたである。つまりヤギ肉の持つ特徴を科学的に解明して、それを徹底的に宣伝し売り込む方法だ。

ヤギ肉には精力増進作用があるといわれる。ならばその精力を、ズバリ「性力」と置き換えても構わないような、ほのかな徴(しるし)が肉の成分に含まれてはいないか。もしそれがあればシメたものだ。

ヤギ肉を食べれば男の機能が高まる、精力絶倫になる、バイアグラならぬヤギグラを食して元気になろう!、などと喧伝すればいい。

もしもそれが露骨すぎるのなら、少しトーンを落としてヤギ肉を食べれば活力が生まれる、ヤギ肉はいわば「若返り薬」だ、などと主張してもいい。

もちろん女性にも好感を持ってもらえるような特徴的な成分がヤギ肉に含まれているのなら、そこを強調すればさらに良い。

たとえば、やはり「若返り作用」の一環で肌がみずみずしくなる、シミなどを抑える。あるいは牛肉や豚肉などと比較するとダイエットに良い効果が期待できる、など、優れた点を徹底的に探して喧伝するのだ。

料理の見た目や味やレシピではなく、ヤギ肉が持つ他の食材とは違う「根本的な特徴」というものでも発見しない限り、ヤギ肉料理が大向こう受けするのは難しいように思う。

それならばいっそ、今のまま、つまり昔からある料理法のままで、「珍味」が好きな少数の観光客に大いに喜んでもらえる努力をしたほうが良いのではないか。要するに薄利多売ではなく、「臭み」という希少価値を売り物にする元々の商法である。


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伊のミニ・トランプ、サルヴィーニ副首相の挑戦



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成り立ち

イタリアのポピュリスト政権内で、マッテオ・サルヴィーニ副首相兼内相の存在感が日増しに大きくなっている。彼の地位は連立を組む五つ星運動党首のルイジ・ディマイオ副首相兼労働相と同格だが、今や事実上の宰相と呼んでも過言ではないほどに影響力が強い。

新政権のリーダーは、サルヴィーニ、ディマイオ両副首相の上にいるジュゼッペ・コンテ首相である。五つ星運動寄りのコンテ首相は、しかし、国民的人気は高いものの、政権運営上はただの操り人形で、実権力を掌握しているのは連立2党党首のサルヴィーニ、ディマイオ両副首相である。

五つ星運動と同盟を率いる両者は、ことし3月の総選挙で、単独政党と政党連合という違いはあったものの、ほぼ拮抗した支持率を得た。その後お互いが首相の座に就くことをけん制しつつ連立政権を樹立し、その打算の仕上げとして政治的には全く無名の法学者・ジュゼッペ・コンテ氏を首相に据えて政権を船出させた。

その当時は、サルヴィーニ、ディマイオの両副首相はほぼ同じ程度の力か、もしくはほんの少しディマイオ副首相兼労働相の権力が上回っていると見られた。後者は単独政党としては最も多くの支持を集めた五つ星運動の党首であり、サルヴィーニ副首相兼内相は、単独政党としては第3党に終わった同盟の党首だからだ。

それに加えて、サルヴィーニ、ディマイオの両氏が、相手が首相になることを怖れてけん制し合った結果、ジュセッペ・コンテ氏を首班に推すことで妥協した。そのコンテ氏は党員ではないものの五つ星運動に近い人物である。その事実もディマイオ氏が政権内の権力争いで優位に立っていることを匂わせた。

両雄並び立たず

ところがその構図は政権が動き出すとほぼ同時に逆転し、サルヴィーニ副首相兼内相の存在感が突出し始めた。彼は政権発足翌日の6月2日、アフリカの国の中ではイタリアに最も近いチュニジアが「移民という名の犯罪者をイタリアに輸出している」と公に非難して、外交問題を引き起こした。それは恐らく意図的に成された。確信犯的な動きだったのだ。

その10日後、サルヴィーニ副首相兼内相は、難民629名を乗せた移民船『アクアリウス』のイタリアへの入港を拒否する命令を出した。『アクアリウス』はイタリアの隣国のマルタ島に向かったものの、マルタ共和国政府もイタリアに協調して同船を受け入れず、船は地中海で孤立無援になった。

その後『アクアリウス』はスペインのバレンシア港に受け入れられたが、この出来事を巡ってフランスのマクロン大統領が「無責任な対応」とイタリアを批判した。これには「マクロン発言は偽善的」とコンテ首相が反論。入港拒否命令を出したサルヴィーニ内相はさらに、マクロン大統領の謝罪を要求するとして一歩も譲らず、同大統領は数日後「イタリアとイタリア国民に不快感を与えた」ことをしぶしぶ認め謝罪する羽目になった。

サルヴィーニ副首相兼内相は以来、移民政策ではかねてからの主張を実践する形で強硬な「移民排撃」行為や発言を連発。同時にフランスやドイツはもとよりEU(欧州連合)内の移民寛容国を厳しく批判し続けている。彼の動きは難民・移民の流入に不安感を抱く多くのイタリア国民と隣国のオーストリア、またハンガリーを始めとする反移民の中東欧国などから強い支持を受けている。

反移民強硬策を「ぶれることなく」押し進めるサルヴィーニ副首相兼内相は、イタリア国民の少なくとも半数以上が抱いてきた、民主党前政権とEUの移民政策への不満を代弁する形でたちまち力をつけ、肩書き上は同格のディマイオ副首相や政権の木偶 に過ぎないコンテ首相を抑えて、今やポピュリスト政権内で主導権を握りつつあるのだ。

失敗したポピュリスト潰し

ポピュリスト政権誕生のいきさつは実に皮肉で奇怪なものだった。先ずことし3月の総選挙に向けて2017年、政権与党の民主党を含む五つ星運動以外の全ての勢力が合意して、政党連合を組んで選挙戦を闘うことができる、という選挙法を成立させた。

これは当時、破竹の勢いで支持をのばしていた五つ星運動が政権を取ることを恐れた民主党や、ベルルスコーニ元首相派などが先導して、法改正をしたもの。五つ星運動が他党との連立をかたくなに拒否しているのを見越して、同党がたとえ第一党にはなっても政権入りができない形で孤立させようとする、露骨ないやがらせ法案だった。

いわばその法案が功を奏する形で、総選挙では元首相のFI(フォルツァ・イタリア)党と同盟などが手を組む中道右派連合が37%を獲得、勝利した。単独で闘った五つ星運動は予測通りに32%余りの支持を得て政党としては第一党になった。だが両者ともに過半数制覇には至らなかった。

五つ星運動と中道右派連合は連立を拒否。それぞれが左派連合との協力を模索したり、五つ星運動が中道右派連合にベルルスコーニ元首相を排除して連立政権を樹立しよう、と持ちかけて拒否されるなどした。二転三転の攻防を経て、最終的に五つ星運動と極右政党の同盟が手を組び、まさかのポピュリト政権が誕生したのである。

なにがなんでも五つ星運動の政権獲得を阻止しようとした既成政党や政治勢力の暗躍が、逆に五つ星運動を政権の一角に押し上げた。同時に、欧州においては政権中枢に座ることはあり得ない、と考えられていた極右政党の一つの同盟が、ものの見事に政権入りを果たし、既述のように政権発足と同時に党首のサルヴィーニ副首相兼内相が、政権の舵を握るほどの影響力を持つに至った。

トランプ崇拝者

存在感を極端に強めている同盟のサルヴィーニ党首は、反EUが旗印のトランプ崇拝者である。彼は2016年の米大統領選挙時にトランプ陣営を訪問し、トランプ候補と並んで取った写真を得意気にSNS発信したばかりではなく、トランプ大統領誕生には狂喜して「われわれ同盟も彼に続こう!」と咆哮した。

ところがトランプ大統領は当時、サルヴィーニなんて知らない、と無情な発言。いわばミニ・トランプとも呼ぶべきトランプ崇拝者のサルヴィーニ党首は、大好きな相手に無視される屈辱を味わった。その2年後、サルヴィーニ党首はイタリア政権入りを果たし、あまつさえ首相並みの権力を振るい始めた、というわけである。

バラマキ予算案とEU

サルヴィーニ副首相兼内相は、2019年度のイタリアの国家予算を巡るEUとの攻防でも強い存在感を見せつけている。イタリア新政権は財政赤字の対GDP(国内総生産)比率が2.4%にものぼるバラマキ予算案を発表した。それはEUの財政規律を無視した内容で、イタリアのみならずEU全体の破綻にもつながりかねない、とさえ懸念されている。予算案の見直しを厳しく求めるEUに対して、サルヴィーニ副首相兼内相は、財政支出によって好景気を呼び込み財政赤字も解消していく、と主張して移民政策同様に一歩も譲らない構え。

2018年10月18日現在、イタリア政府は来年度予算案をEU本部に提出してその審査を待っているところである。繰り返しになるがEUはイタリア政府のバラマキ予算案に険しい態度で臨んでいる。借金漬けのイタリアが示した、同国のみならずEU全体の財政危機まで招きかねない、大幅支出増の予算案は、各国に財政健全化を強く求めているEUにはとても受け入れられないものだ。

同時に、バラマキ政策を国民に約束して政権樹立を果たしたイタリアのポピュリスト連立内閣も、財政赤字の対GDP(国内総生産)比率が2.4%の予算案はぎりぎりの妥協線、という主張をガンとして変えない。またEUは現実問題としても、面子という意味でも決して妥協しないだろう。イタリア側が折れない限りおそらくこの問題は解決しないと考えられる。EUに歩み寄らない場合イタリアは、脱ユーロ、やがてはEU離脱に向かって突き進むことにもなりかねない。

だが一方で、最終的にはイタリア側が、「EUに精一杯逆らった」というポーズで穏健な予算案にまとめる可能性もある。イタリアでは政治勢力が四分五裂しているために、過激論は他者を仲間に引き入れようとして「より穏健」に傾く土壌がある。多くの過激論を生むイタリアが、まがりなりにも民主主義体制を維持し続けているのもそれが理由の一つだ。

つまり過激論が乱立することの多いイタリア共和国には、「妥協」という民主主義の本丸・根幹もまた健在なのである。過激論を振り回すポピュリスト政権が、「妥協」の道を選ぶというのは僕のポジショントークであると同時に、極めて現実的な見方でもある。そしてその鍵を握っているのは間違いなくサルヴィーニ副首相兼内相なのである。


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予算案は変えないと吼えるイタリア政権の読み方



国会にてコンテ答弁両脇の副首相


イタリア政府の2019年度の予算案に対して、財界や中央銀行はもとよりEU
(欧州連合)からも見直しを迫る声が相次いでいる。財政赤字の対GDP(国内総生産)比率が2.4%となるバラマキ予算案だからだ。

赤字の対GDP比率が2、4%という数字は、民主党前政権が示した予想の3倍に上り、来年の構造的債務をGDP比で0.8%まで押し上げる計算になる。それは国内外のエコノミストやEU(欧州連合)からの批判を招いたほか、イタリア政府債利回りの大きな上昇を招いた。

同盟と五つ星運動が連立を組むポピュリスト政権は、一律15%の所得税導入、貧困層への1ト月一律10万円余のベーシックインカム支給(最低所得保証))、年金給付年齢の「引き下げ」などを主張して選挙を戦い、勝利した。

そして6月に政権運営が始まると同時に、選挙公約を実現しようとやっきになっている。イタリアは約2兆3000億ユーロ(約300兆円)というEU圏最大の借金を抱えて呻吟している。それはEUが緊急時に加盟国を支援する常設基金、ESM(欧州安定メカニズム)でさえ対応しきれない規模の数字だ。

その額は例えば、1100兆円に近い日本の累積債務に比較すると小さく見えるかもしれないが、日本の借金が円建てでイタリアのそれがユーロ建てであることを考えれば、天と地ほどの違いがある。

分かりやすいように極端なことを言えば、日本はいざ鎌倉の時には自国通貨を発行しまくって借金をチャラにすることができる。が、EU共通通貨ユーロの発行権を持たないイタリアにはそんな芸当はできない。

借金漬けの家計を整理し健全化するのではなく、さらなる借金で楽に暮らそうとする一家があるならば、その家族には必ず自己破産という地獄が訪れることになる。

イタリアの現政権が打ち出した2019年度の予算案は普通に考えれば、自己破産という地獄へ向けてまっしぐらに走る、「借金漬け一家」のクレージーな生活設計である。

政権の主張は減税と福祉支出等の増加によって経済成長を促すというもの。2019年の経済成長率を1.5%、2020年を1.6%、2021年を1.4%と予測している。だが それらの数字に対しては、多くの専門家が楽観的すぎるとの批判を強めている。

政権の実質的なボスであるディマイオ副首相兼労働相は、ベーシックインカム導入に強い意欲を示し、年金給付年齢を引き上げた2011年の政府決定は、選挙を経ないテクノクラート内閣が決定したものであるから無効だ、として年齢引き下げを強硬に主張。

また 政権内で彼と同等以上の力を持つと見られている片方のボス・サルヴィーニ副首相兼内相は、イタリアの来年の経済成長率は政府が先に示した1,5%ではなく2%になる、と根拠のない主張をするありさま。

2人のボスは「予算案を批判しているのはイタリアを今の混乱に導いた張本人たちだ」と吼えて、内外の政敵をけん制している。

政権を担当することになった彼らの今の主張を待つまでもなく、五つ星運動と同盟が去った3月のイタリア総選挙で勝利し連立政権を組んだところで、今日の状況が訪れることはすでに分かっていたことである。

言うまでもなく彼らは、移民難民を排斥し、(票獲得のために)ありとあらゆるバラマキ策を実施し、米トランプ主義を大手を振って賞賛する、ということを繰り返し主張し実践し確認して、政権を掌握した。

いまさら彼らの施策につべこべ言うのは負け犬の遠吠えにも似た無益な態度だ。それがイタリアを破壊するものであっても、彼らは行き着くところまで行くべきだ、というのが僕の一貫した主張である。

事実上の首班であるサルヴィーニ副首相兼内相と、ディマイオ副首相兼労働相は内外からの批判に答えて、予算案の見直しは絶対にしない、と繰り返し発言している。EUへの強い対抗意識がはたらいているからだ。

予算案は間もなく正式にEU本部に提出される。EUは見直しを求めてそれをつき返すと見られている。イタリアは従わない場合は巨額の罰金を科され、且つEUとの厳しい対立に巻き込まれることになる。

対立はEUに再びソブリン危機並みの混乱をもたらすかもしれない。またイタリアがユーロ圏から去り、挙句にはEUそのものからの離脱を模索する可能性さえある。

そうした危険も、同盟と五つ星運動というポピュリスト勢力が政権を樹立した時点で、予測されていたことである。イタリアは大きな岐路に立たされている。

ところが各界からの非難や懸念や罵倒などにも関わらずに、イタリア国民の連立政権への支持率は高い。それはそうだ、彼らは反EU政策を選挙公約に掲げて選挙戦を戦い勝利を収めたのだ。

国民の支持率の高さは、ジュゼッペ・コンテ首相への信頼感と無関係ではない。政治的には全く無名の存在だったコンテ首相は、政権の船出の頃こそ学歴詐称疑惑などでつまずき「ミスター・ノーバディ(名無しの権兵衛 )」などと揶揄される存在だった。

ところがその後、同首相の学者然とした落ち着いた慎重な物腰が好感されて、政治家のアクの強さに辟易しているイタリア国民の心をしっかりと捉え、人気が高まっている。

最新の世論調査によると、コンテ首相の支持率は67%に達する。その数字はここ最近の彼の前任者の誰よりも高いものだ。さらにその数字は彼よりも目立つことが多い連立政権の2人のボス、同盟のサルヴィーニ党首の57%、五つ星運動のディマイオ党首の52%よりも高い。

コンテ首相への好感度も手伝って、ポピュリスト政権への支持率も64%に達する。また同盟と五つ星運動両党への支持率も合計で62%余りにのぼっている。政権発足から100日目までのいわゆるハネムーン期間の状況は願ってもないものだ。

ポピュリストとも寄せ集めとも揶揄される政権が、国民から高い支持を受けているのは、選挙公約を忠実に実施しようとする彼らの「ぶれない」姿勢が評価されているからだ。

同時に、深い政治不信に陥って疲弊しているイタリアの有権者が、確かな「変化」の風を感じて、国中が密かな興奮に包まれている状況もある。それが冷めない限り、イタリアの危機はますます深まるばかりである。


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スイスとサルデーニャ島が合体するのも面白い



スイス国旗
4ムーア人国旗則撮影260pic


さて、またサルデーニャ島にまつわる話。20年ぶりにサルデーニャ島を訪ねてからほぼ3か月が経ったが、島の魅力に取り憑かれて、あたかも魂がまだ滞在先の海岸付近をさ迷っている、というふうである。
 
サルデーニャ島は既述のように古代からイタリア本土とは異なる歴史を歩んできた。それゆえにサルデーニャ島人は独自のアイデンティティー観を持っていて、自立・独立志向が強い。

ローマ帝国の滅亡後、イタリアでは各地が都市国家や公国や海洋国家や教皇国などに分かれて勝手に存在を主張していた。

そこでは1861年の統一国家誕生後も、独立自尊のメンタリティーが消えることはなく、それぞれの土地が自立あるいは独立を模索する傾向がある。

サルデーニャ島(州)もそのうちの一つである。だが同島の場合、島だけで独立していたことはない。アラブやスペインの支配を受けた後、イタリア半島の強国の一つピエモンテのサヴォイア公国に統治された。

現在はイタリア共和国の同じ一員でありながら、サルデーニャ島民が他州の人々特にイタリア本土の住民とは出自が違いルーツが違う、と強く感じているのは島がたどってきた独自の歴史ゆえである。

1970年代には38%のサルデーニャ島民が独立賛成だったが、2012年のカリアリ大学とエジンバラ大学合同の世論調査では、41%もの島民が独立賛成と答えた。その内訳は「イタリアから独立するが欧州連合(EU)には留まる」が31%。「イタリアから独立しEUからも離脱する」が10%だった。

今日現在のサルデーニャ島には深刻な独立運動は存在しない。だが統計からも推測できるように、島では政党等の指導による独立運動が盛んな時期もあったのだ。そして島の独立を主張する政党は今も10以上を数える。

それらの政党にかつての勢いはなく、2018年現在のサルデーニャ州の独立運動は、個人的な活動とも呼べる小規模な動きに留まっているのがほとんどである。

その中にはイタリアから独立し、且つEU(欧州連合)からも抜け出してスイスへの編入・統合を目指そうと主張するユニークなグループもある。

荒唐無稽に見える言い分は、それをまさに荒唐無稽ととらえる欧州や世界の人々の笑いと拍手を集めたが、僕の目にはそれは荒唐無稽とばかりは言えないアイデアに映る。

その主張は、イタリア本土から不当な扱いを受けてきたと感じている島人たちの、不満や恨みが発露されたものだ。イタリア本土の豊かな地域、特に北部イタリアなどに比較すると島は決して裕福とは言えない、

経済的な不満も相まって、島民がこの際イタリアを見限って、同時に、欧州連合内の末端の地域の経済的困窮に冷淡、と批判されるEUそのものさえも捨てて、EU圏外のスイス連邦と手を組もう、というのは面白い考えだ。

ただスイスと一緒になるためには、先ずイタリアからの分離あるいは独立を果たさなければならない。これは至難の業だ。イタリア共和国憲法は国内各州の分離・独立を認めていないからだ。

仮に分離・独立できたとすると、スイスは喜んでサルデーニャを受け入れるかもしれない。なにしろ自国の半分以上の面積を有する欧州の島が、一気にスイスの国土に加わるのだから悪くない話だ。

しかも島の人口はスイスの5分の一以下。サルデーニャの一人当たりの国民所得はスイスよりはるかに少ないが、豊かなスイス国民は新たに加わる領土と引き換えに、島民に富を分配することを厭わないかもしれない。

スイスとサルデーニャ島は全くのあだびと同士ではない。それどころか同じ欧州の一員として文化も国民性も似通っている部分も多い。スイスの一部ティチーノ州は、イタリア語を話す人々の領地でさえあるのだ。

島は少なくとも、現在欧州全体の足かせになっている、大半の難民・移民の出身地であるアフリカや中東ではないから、スイス国民も受け入れやすいだろう。

海のないスイスに、美しいティレニア海と暖かで緑豊かなサルデーニャ島が国土として加わるのだ。何度でも言うがスイスにとっては少しも悪くない話だ。

スイス政府は隣国イタリアの内政問題だとして、サルデーニャ島からのラブコールには沈黙を押し通している。

それは隣国に対する礼儀だが、敢えてノーと言わずに沈黙を貫き通していること自体が、イエスの意思表示のように見えないこともないのである。


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