渋谷にいる。今年3度目の帰国。成田に着くと、よほどのことがない限りリムジンバスで渋谷に向かい定宿で一息つく。ホテルからはスクランブル交差点と109ビルが望める。
渋谷とは長い付き合いである。学生時代は世田谷に住んで渋谷で電車を乗り継ぎ横浜の日吉と都内の三田に通った。
大学卒業後はイギリス、アメリカ、イタリアと移り住んだが、仕事で日本に帰るたびに多く渋谷に滞在した。
渋谷にはNHKがあり、テレビ屋になった僕はずい分とNHKのお世話になった。民放の仕事もしたが圧倒的にNHKのそれが多かった。
自然、NHKへの出入りが多くなり、宿泊もNHK近くになった。仕事や仕事以外の活動も渋谷、また民放の仕事でも勝手を知った渋谷に泊まってそこから通う、というふうになった。
番組制作やリサーチ、オーガナイズの仕事等で、若い時には年に4~5回の帰国も珍しくなかった。ほとんど全てのケースで渋谷を起点に動いた。
イタリア・ミラノに置いていた事務所を閉めてテレビの仕事を減らしてからは、年に一度、多くてもせいぜい二度帰国するだけになった。
休暇もあれば仕事もあった。ところがNHKとは無関係の仕事や休暇で帰国する際も、成田からまっすぐ渋谷に行って定宿で旅装を解く、という習慣が続いている。
仕事の場合はそこを拠点にするが、休暇の場合は東京経由で故郷の沖縄に飛ぶのが習わし。ところが沖縄の前に必ず渋谷に寄って、長い場合は4~5日滞在してから島に向かう。
僕は体質的に時差ボケに弱い。イタリアと日本を行き来するたびに重い非同期症候群に襲われて苦しむ。
そこで渋谷に寄ってのんびりし、時差ボケを少し修正してから南の島に飛ぶ、と人には説明している。が、実は時差ボケは島でのんびりして治せばいいのである。
渋谷で一時停止をするのは、ひとえにそうすることが楽しいからである。僕は渋谷が大好きで、そこにいると心が弾み、和み、くつろぎ、喜ぶ。
街の喧騒も嬉しく、食べ物は美味しく、酒も美味く、友人たちに会っても会わなくても、気持ちがひとりでに浮かれる。
若いころは渋谷は地元、みたいな意識があった。電車の乗り換え地であり、そこで降りて遊び、アルバイトも良くした。
若い僕はそこが格別に若者の街だとは感じなかった。若者もいれば大人もいる街だった。ところが渋谷はいつからか若者オンリーの街になった。
プロのテレビ屋になって、日米また日伊を往来して目いっぱい仕事をこなしていた頃、NHKの大先輩のUさんと飲み屋で仕事の打ち合わせをした。
そこで渋谷が若者だらけの街になった、というよくある話題になった。Uさんは渋谷が大きく変わったことをひどく嘆いた。僕は相槌を打ちつつ「でも、渋谷は腐っても渋谷です」と返した。
僕は渋谷が若者に占領されて「腐った」とは少しも考えない。腐っても、という言い回しをしたのは、渋谷の変貌を悲嘆するUさんへの僕なりの気遣いのつもりだった。
渋谷は、今はオヤジの僕らが、「若者だった時分に占領していた頃」と何も変わっていないと思う。それというのも昔の渋谷で、「若者だった僕」の目に映るのは他の若者ばかりだった。つまり渋谷は当時も若者の街だったのだ。
同時に渋谷は大人のための食べ物屋や飲み屋や遊び場や施設にもまた事欠かない街であり続けたのであり、今もあり続けている。
それはつまり、渋谷の本質は昔も今も変わっていないということであり、渋谷は表面はともかく「腐って」などいない街だ、と思うのである。
そうはいうものの、しかし、仕事で渋谷に滞在するたびに、年々若者の姿が目立つように感じられるのもまた確かである。矛盾するようだがその意味では渋谷は変わっている。
本質は変わらないものの、表面上は明らかに変わり続けている渋谷は、言葉を替えれば永遠に腐らないまま輝き変化し続ける「若者と大人の街」と言うべきかもしれない。
近年はそれはさらに、永遠に腐らないまま輝き変化し続ける「若者と大人と"人種のるつぼ"の街」へと変わりつつあるように見える。
僕はますます渋谷が好きになりそうである。
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