【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2019年03月

いのちあそび



天敵瓶up600



心臓の不調で入院し外科手術を受けた。「いのちびろいをした」というほどの深刻な経緯だったが、あまりその実感はない。

退院後2日目の今日、大量の薬を服用しながら、また気のせいか慣れないからか、一抹のひっかかりを感じなくもないが、施術は成功したという医師の言葉を思っている。

2000年代に入った頃からときどき胸が痛むようになった。時間とともに悪化するようなので医者に診てもらった。狭心症の疑いがあると診断された。

心電図、血液検査、負荷心電図等々の検査をしたが何も異常はなかった。痙攣性の狭心症ではないか、という話もあった。

残るのは冠動脈造影検査 、いわゆるカテーテルだった。当時、仕事が忙しくイタリアと日本をせわしなく往復していた。

イタリアでの診察結果を手に日本でも医者にかかった。そこでミリステープ という狭心症治療の貼り薬をすすめられて使用を始めた。すると痛みがなくなった。

ところがイタリアの医者はそれに反対。貼り薬は狭心症の発作が起きないときにもニトログリセリンを供給し続けて体によくない。貼り薬を使うのは早すぎるし年齢が若すぎると指摘された。

数ヶ月使用したあと、発作が起きるときだけ服用する舌下薬・トリニティーナ(ニトログリセリン)を持ち歩くようになった。2003年頃のことである。

時を同じくして禁煙にも成功した。それまで30年近くにわたって一日平均で3箱60本の煙草を吸い続けていた。ある時期は一日7箱を吸う気の狂ったような状況もあった。

禁煙後、胸が痛む発作の回数が急激に減った。それに惑わされて病気は治りつつあると思い込んだ。喫煙が病の一番の原因、と自分が思い込み医者もそう見なす雰囲気になっていた。

そうやって冠動脈造影検査・カテーテルを行うのを先送りにした。

時間とともに発作の回数は減り続け、最近は忘れた頃にやってきて、しかも舌下薬のニトログリセリンを服用しなくても痛みが治まるようになっていた。

そうやって16年余が過ぎた。禁煙もほぼ同じ年数になった。胸の痛みはやはり無茶な喫煙のせいで、もう間もなく完治するだろう、と素人頭で考えているまさにそのとき、重い発作が来た。

入院させられ、検査をし、カテーテルを差し込まれた。冠動脈の3ヶ所が詰まっていてそのうち一ヶ所は重篤だった。少し処置が遅れていればほぼ確実に心筋梗塞を引き起こしていた、と告げられた。

心筋梗塞は心臓の一部が壊死する重大疾患である。最悪の場合はそのまま死亡することも珍しくない。そういう状況なのだから、僕はやはり「いのちびろいをした」と言わなくてはならないのだろうが、どうしてもそこまでの深刻な感じがしない。

病名も明確にされないまま、16年間にわたって発作が収縮し続けた(収縮し続けるように見えた)こと、また今回の発作が死の恐怖を感じさせるような異様かつ巨大なものではなかったこと。

さらにカテーテル検査に続いた「バルーンによる冠動脈形成術」、いわゆる風船療法もスムースに 運んで成功したこと、などが僕の気持ちをどこかでやや呑気にしているようだ。

だがそれらのイベントは、還暦を過ぎた僕の体の状況を断じて楽観的に語るものではない。僕の体は確実に老いて行っている。

一昨年は生まれて始めての入院手術を経験し、昨年末から年始にかけてはひどい食物アレルギー症に襲われた。その問題がまだ解決しないうちに今回の
「事件」が起きた。

それらは少し意外な出来事だった。それというのも、老いにからむ病気の数々は、おそらく70歳代に入ってから始まるのだろうと僕は漠然と考えていた。

そう考えるほどに僕の体はいたって壮健だった。唯一の気がかりだった狭心症疑念も、既述のように無くなりつつあるように見え、その他の不具合も深刻な事態には至っていなかった。

老いとともにやってきて、日々まとわりつくはずの病との共存は、正直にいって
10年ほど先以降の話だろう、とぼんやりと考えていたのだ。

だが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。

嘆いても仕方がない。現実を受容し真正面から見つめながら、この先の時間をすごして行こうと思う。

何だかんだといっても、40歳代や50歳代で逝ってしまった少なくない数の友人たちに比べれば、僕は十分に長く生き、十分に幸運に恵まれているのだから。



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タイラントの犬



Nazarbayev
ヌルスルタン・ナザルバーエフ


まったくの思い違い、徹頭徹尾の錯覚というものがある。カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバーエフ大統領に対する僕の印象がまさにそれだった。

ナザルバーエフ・カザフスタン大統領が、ほぼ30年にわたった長期政権を手放して退任したとのニュースを聞き、ネットその他で確認をするうちに僕は自分の思い違いに気づいた。

僕の中ではナザルバーエフ大統領は、旧ソビエト連邦の恐怖政治を終わらせたゴルバチョフやシェワルナゼの系譜の政治家で、どちらかというとリベラルな印象があった。

シェワルナゼとナザルバーエフはソビエト崩壊後に独立したグルジア(ジョージア)とカザフスタンの大統領として鮮烈な印象を残した。

ソ連ゴルバチョフの右腕であり政権の外相だったシェワルナゼは、新生グルジアの大統領として2003年まで務めた。一方ナザルバーエフは1991年からつい先日まで政権の座にあった。

30年近くも権力の座に居すわるのは独裁者以外にはありえない。それにもかかわらずに僕は彼を民主的な政治家と思い込んでいたのだ。

その理由は:

1.彼が「リベラル」派のゴルバチョフやシェワルナゼに加担してソ連を崩壊させたこと。
2.1の結果としてカザフスタンの独立に貢献しこと。
3.カザフスタン大統領として民主政治を行ったこと。
4.日本人的な風貌で親しみが持て、従って信用できること。

そうした理由はほとんどすべて僕の思い込みである。誤解の最大の原因は僕がカザフスタン情勢に無知だったことだ。

事実、僕はカザフスタンについてあまり興味もなかったし、勉強することもなかった。1から4を漠然と心に思い描いていた。

先日の彼の退任のニュースの内容さえ僕は誤解、錯覚した。つまり彼が政権を「自主的かつ民主的に」委譲し退任した、と考えたのだ。

だがその内容は自主的ではあるものの、断じて民主的なものではないと分かった。それは独裁者の自主的な権限委譲に酷似しているのである。

念入りに調べてみるまでもなく、彼は自分の後継者として議会上院のトカエフ議長を大統領代行にすえ、自身は国家安全保障会議議長などの要職のポストについた。

要するに今後も黒幕として、あるいは「上皇」として背後から権力を行使するということだ。トカエフ大統領代行はナザレバーエフ大統領の傀儡にすぎない。

パペットのトカエフ大統領代行は早速、カザフスタンの首都の名称をアスタナからナザルバーエフ大統領の名前であるヌルスルタンに変更すると表明した。

さらにむしずが走る情報がある。ナザルバーエフ大統領は自分の長女をトカエフ上院議長の後釜にすえ、且つ彼女は来年春に行われる大統領選に出馬することが決まっているという。

おそらく彼女の当選そのものも実は既に決まっているのではないか。そうしたことを思わずにはいられないほど一連の出来事には茶番の色合いが濃い。

要するにナザルバーエフ大統領は、中・露・北朝鮮また中東ほかの世界中のあらゆる形の反民主主義、横暴独裁政権のタイラントと「同じ穴のムジナ」に過ぎないのである。


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中国を手玉に取るイタリアよ

マタレッラ&習握手600



中国の習近平主席がイタリアを公式訪問し、一帯一路構想への協力を盛り込んだ覚え書きを伊政府との間に交わした。G7国初の動きである。

その類の覚え書きは、ギリシャやポルトガルを始めとするEUメンバー国やEU域外国など、欧州の多くの国々とすでに交わされている。目あたらしいものではない。

ところがEU本部やアメリカ政府は、中国の野望に手を貸すな、とイタリアを盛んにけん制した。それもこれもイタリアがまがりなりにもG7の一角を占める大国だからだ。

EUやアメリカの意向に迎合して、やれイタリアはお終いだの中国の債務の罠だの財政破綻を招くだの、と半可通の論評や批判を展開するジャーナリストや評論家などが続々出てきた。

だが中伊の覚え書きの交換は、EUやアメリカの高官また日本の論者などが不安がり危機感をあおるほどの大層な意味を持つものではないと思う。

もちろん将来そうなる可能性はゼロではない。だがそうなった暁にはEUもアメリカも世界の誰もが中国の足元にひれ伏しているはず。それはお伽話の世界だ。

覚え書きには、中国がこれまでイタリア・ジェノバなどの港湾施設に出資したのと同様の投資など、経済関係の強化が盛り込まれている。

そこに示されたイタリアと中国の連携による経済波及効果は200億ユーロ(約2兆5千億円)規模になる、などとも言われている。

それが事実なら財政危機にあえいでいるイタリアにとっては願ってもない機会である。実のところイタリアはそうした利益を期待して中国の提案を受け入れた。

イタリアにとっては実現すれば良し、コケればコケたで失うものは何もない、という程度の取引だと考えてもあながち間違いではない。

覚え書きの交換を批判するアメリカは、周知のように世界経済の覇者の地位を中国に奪われまいとして、対抗意識をむき出しに貿易戦争などを仕掛けている。

一方EUは、Brexitで揺れる英国を除く27カ国が結束してアメリカに比肩すると同時に、対中国ではアメリカとも手を組んで世界における欧米の優位性を保ちたいと切望している。

イタリアはそのEUの結束を乱しかねない、というのがEU本部の懸念だ。だがイタリアはいざとなれば、中国との単独の覚え書きなど破棄してしまうだろう。

覚え書きには拘束力はない、とイタリア側は弁明している。だが、覚え書きにはイタリア政府代表が署名しているのだから、何らかの拘束力はあるものと考えられる。

それにもかかわらずにイタリア政府が、覚え書きに拘束力はない、と繰り返し表明しているのは、おそらく将来の不都合に向けての布石だ。

EU自体も実は、極めて慎重な態度ではあるものの、欧州の独自性と優位性を保ちながら中国と経済的に協力できるのならそうしたい、と望んでいる。

イタリアはいわばそこからの「抜けがけ」をEU本体に責められている形だが、将来同国がうまく中国と付き合いEUもその流れに乗る状況になった時は、「先見の明があった」と賞賛されるだろう。

逆にEUと中国が対立する政治環境に陥った場合には、イタリアが両者の間の仲介役として縦横に動き回る事態が発生するかもしれない。

しかし両者の対立が決定的になった時には、イタリアは中国を見限ってEUと行動を共にするだろう。なぜならEUこそイタリアの仲間であり家族であり同じルーツを持つ血族だからだ。

イタリア連立政権の担い手であるポピュリストの五つ星運動と同盟は、心情的に反EUとはいえ結局「欧州内の」政治勢力だ。彼らの家も欧州であり、彼らの家族も欧州人なのである。

異文化を全身に纏ったうえに、反自由主義市場の一党独裁国家である中国とは、最終的には誰もが折り合うことなく決別すると考えるべきだ。

もちろん懸念はある。五つ星運動と同盟は基本的にEU懐疑派の集団だ。EUが対応を誤って彼らを刺激しつづければ、反EUの機運が高まりかねない。それは避けるべきだ。

イタリアには「フルボ」という日常語がある。それは知恵者というポジティブな意味と、同時に狡猾漢、ずるがしこい、抜けめない、などネガティブな意味を併せ持つ言葉だ。

人々は誰かをフルボと規定するとき、両方の意味合いをこめて言葉を発する。善人でもあり悪人でもあるのがフルボな人物だ。

複雑な心理は、イタリアの各地方が生き残りをかけて侵略と謀略と闘争に明け暮れた、かつての都市国家メンタリティーの中で培われたものだ。

生き馬の目を抜く非情な生存競争の中では、知恵があって抜け目のない者、つまりフルボが勝利するのが理の当然である。イタリア人は肯定的にそう考える。考えは態度に出る。

にぎやかで楽しく、親切で優しいイタリア人が時折り、特に日本人などの旅人の目に「ずるがしこくも油断ができない存在」に見えてしまったりするのは、決して偶然ではない。

イタリアは国益と生き残りをかけて「フルボな中国」を手玉に取ろうと「フルボに動いている」に過ぎない、というのが今回の覚え書き交換の真相のように僕には見える。




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いいぞ稀勢の里あらため荒磯親方の大相撲解説



可愛い丸顔400に拡大



横綱稀勢の里は引退して荒磯親方となった。その荒磯親方が、大相撲3月場所の7日目にNHKの大相撲中継の解説者として登場した。

無口だった現役時代とは打って変わってよくしゃべり、うまく解説し、明るく、いきいきとした雰囲気を発散していてとても感じが良かった。

僕は相変わらずNHKの大相撲中継を衛星放送で観ている。仕事や旅で家を留守にしていない限り毎場所。毎日。

だが最近は、解説の北の富士勝昭さんが出演する日以外は、番組の全てを通しで観ることはほとんどない。録画をしておき、仕切りの部分を早送りでスキップして、勝負の映像だけを楽しむ。

大相撲観戦法としては邪道かもしれないが、本来は気合を高揚させて時間前でも立つべき仕切りの内容は、ただ制限時間を待つだけのだらけた儀式に成り下がっていてつまらない。

もっとつまらないのは、緩慢な儀式の間に聞かされる番組解説者の親方たちのダベリだ。ほとんどが陳腐で無内容で、且つ致命的なのは聞いていて少しも楽しめない。

唯一の例外が北の富士勝昭さん。かつては強い横綱のひとりだった男らしく、取り組みの技術解説が明快な上に、力士への厳しい愛が言葉にこもり、さりげなく口に出される人生論も屈折があって味わい深い。なによりも聞いていて楽しい。

ついでだから言及しておくが、彼の対極にいた解説者が角界から完全に姿を消した貴乃花親方だ。北の富士よりもはるかに強い横綱だった貴乃花の解説は、下手を通り越して異様だった。

断っておくけれども僕は現役時代の貴乃花の大ファンだった。引退後の貴乃花親方もストイックな印象が良かった。しかし、相撲協会との確執が明らかになっていく過程で、強い違和感を覚えるようになった。

貴乃花親方が、相撲は日本国体を担うものであり (相撲を通して)日本を取り戻すことのみが、私の大義であり大道である、などと神がかり的な言動をし始めたからだ。

彼の奇怪な思想と、相撲番組の解説者としては完全失格とも見えた解説振りは、おそらく通底している。解説になっていない解説、というのが彼のしゃべりの特徴だったが、相撲を国体に結びつける勘違い振りは、笑止を超えて不気味でさえある。


閑話休題

最低の解説者貴乃花と、最高の解説者北の富士のあいだにいるのが、稀勢の里あらため荒磯親方である。彼の解説は、初々しい中にもプロのたたずまいがあって、将来とても有望に見えた。

僕は5年前、次のような内容の話をここに書いた。

NHK大相撲解説者番付:

東横綱 - 北の富士勝昭   西横綱 - 不在

大関 - 九重親方 

小結 - 舞の海  琴欧州

平幕 - 貴乃花親方を除く全員

序の口 - 貴乃花親方

貴乃花親方は、テレビの解説者席などに座ってはいけない。元「天才ガチンコ横綱」のままでいるべきだ。解説者として登場するたびに、過去の栄光に傷をつ けてしまっている。解説者の資質、つまりシャベリの能力はほぼゼロだということにNHKも気づいて、どうやら彼を呼ばない方向でいるらしいのは喜ばしいことだ。

琴欧州親方は、引退直後の今年5月場所の6日目に、NHK大相撲中継の解説者として放送席に座った。それには現役を引退したばかりの彼への慰労の意味合いもあっただろう。ヨーロッパ人初の大関、そして ヨーロッパ人初の親方へ、という経歴への物珍しさもあっただろう。また、NHKとしては彼に解説者としての資質があるかどうかを試す意味合いもあっただろ う。あるいは解説者としての資質ありと見抜いていて、実際に力量を測ろうとしたのかもしれない。

結論を先に言うと、琴欧州は僕がいつも感 じてきたように、人柄が良くて謙虚で礼儀正しいりっぱな元大関だった。そして解説者としても間違いなくうまくやっていけると思った。その後九州場所を含めて彼は何度かNHKの解説者席に座った。現在のNHKの大相撲中継の解説者は、前述したように北の富士勝昭さんが最上、貴乃花親方が最低、という図式だが、琴欧州親方は既に中の上くらいの力量があると僕は感じている。

多くの日本人親方を差し置いて彼を番付で小結に格付けしたのは、僕からのご祝儀の意味合いももちろんある。だがそればかりではなく、通り一遍のことしか言わない(言えない)解説者群の中にあって、ちょっと相撲にうるさい人々も頷く視点での意見開陳ができる実力をも考慮してのことである。


以前のこの記事では書きそびれてしまったが、NHK解説者のうち元大関琴風の尾車親方は、解説者としては大関級の九重親方(故人)と小結の舞の海&琴欧州の間くらいの力量、また魅力があると思う。

今回初出演の稀勢の里・荒磯親方は、さすがに北の富士さんには及ばない。が、新鮮で魅力的という観点から大関の九重親方の上を行くと思う。九重親方は無念にも亡くなってしまっているが。

横綱としてのキャリアと、男っぷりを競う人生経験では、稀勢の里・荒磯親方は北の富士さんを越えることはできない。優勝10回と2回が2人の生涯成績で、ダンディな夜の帝王が北の富士、生真面目な茨城の好青年が稀勢の里、という具合なのだから。

だが今後の相撲解説者人生においては、勝負の行方は誰にもわからない。北の富士さんはすでに全容が明らかな解説者だが、荒磯親方は未知の、糊しろの大きなスター解説者候補なのだから。

今後は彼の解説の日の相撲中継もじっくりと観ていこうと思う。

やれやれ、またやることが増えてしまった・・人生短かくて時間がなさ過ぎるというのに。。。


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独立自尊こそ島の心意気



サルデーニャ島に関する8本目の論考。この稿をもってサルデーニャ島の話は“いったん”終わりにする。むろん、将来なにかがあればまた書く計画。そして将来なにもないわけがない、というのが僕の正直な気持ちだ。それだけ面白いのである。サルデーニャ島は。


目隠し絵風になびく600


イタリア・サルデーニャ島にのしかかかった政治的「植民地主義」は近世以降、重く厳しい現実を島民にもたらし続けた。

2017年7月、サルデーニャ独立運動家のサルヴァトーレ・メローニ氏(74歳)は、収監中の刑務所で2ヶ月間のハンガーストライキを実行し、最後は病院に運ばれたがそこで死亡した。

元長距離トラック運転手だったメローニ氏は2008年、サルデーニャの小さな離島マル・ディ・ヴェントゥレ(Mal di Ventre)島に上陸占拠して独立を宣言。マルエントゥ共和国と称し自らを大統領に指名した。それは彼がサルデーニャ島(州)全体の独立を目指して起こした行動だった。

だが2012年、メローニ氏は彼に賛同して島に移り住んだ5人と共に、脱税と環境破壊の罪で起訴される。またそれ以前の1980年、彼はリビアの独裁者ガダフィと組んで「違法にサルデーニャ独立を画策した」として9年間の禁固刑も受けていた。

過激、且つ多くの人々にとっては笑止千万、とさえ見えたメローニ氏の活動は実は、サルデーニャ島の置かれた特殊な状況に根ざしたもので、大半のサルデーニャ島民の心情を代弁する、と断言しても良いものだった。

サルデーニャ島は古代から中世にかけてアラブ人などの非西洋人勢力に多く統治された後、近世にはスペインのアラゴン王国に支配された。そして1720年、シチリア島と交換される形で、イタリア本土のピエモンテを本拠とするサヴォイア公国に譲り渡された。

サルデーニャを獲得したサヴォイア公国は、以後自らの領土を「サルデーニャ王国」と称した。国名こそサルデーニャ王国になったが、王国の一部であるサルデーニャ島民は、サヴォイア家を始めとする権力中枢からは2等国民と見なされた。

王国の領土の中心も現在のフランス南部とイタリア・ピエモンテという大陸の一部であり、首都もサヴォイア公国時代と変わらずピエモンテのトリノに置かれた。サルデーニャ王国の「サルデーニャ」とは、サヴォイア家がいわば戦利品を自慢する程度の意味合いで付けた名称に過ぎなかったのである。

1861年、大陸の領地とサルデニャ島を合わせて全体を「サルデーニャ王国」と称した前述のサヴォイァ家がイタリアを統一したため、サルデーニャ島は統一イタリア王国の一部となり、第2次大戦後の1948年には他の4州と共に「サルデーニャ特別自治州」となった。

統一イタリアの一部にはなったものの、サルデーニャ島は「依然として」サヴォイア家とその周辺やイタリア本土のエリート階級にとっては、異民族にも見える特殊なメンタリティーを持つ人々が住む、低人口の「どうでもよい」島であり続けた。

その証拠にイタリア統一運動の貢献者の一人であるジュゼッペ・マッツィーニ
(Giuseppe Mazzini)は、フランスがイタリア(半島)の統一を支持してくれるなら「喜んでサルデーニャをフランスに譲り渡す」とさえ公言し、その後のローマの中央政府もオーストリアなどに島を売り飛ばすことをしきりに且つ真剣に考えた。

[イタリアという4輪車]にとっては“5つ目の車輪”でしかなかったサルデーニャ島は、そうやってまたもや無視され、差別され、抑圧された。島にとってさらに悪いことには、第2次大戦後イタリア本土に民主主義がもたらされても、島はその恩恵に浴することなく植民地同様の扱いを受けた。

政治のみならず経済でもサルデーニャ島は差別された。イタリア共和国が奇跡の経済成長を成し遂げた60~70年代になっても、中央政府に軽視され或いは無視され、近代化の流れから取り残されて国内の最貧地域であり続けたのである。

そうした現実は、外部からの力に繰り返し翻弄されてきたサルデーニャ島民の心中に潜む不満の火に油を注ぎ、彼らが独立論者の主張に同調する気運を高めた。そうやって島には一時期、独立志向の心情が充満するようになった。

第2次大戦後のサルデーニャの独立運動は、主に「サルデーニャ行動党(Partito Sardo d’Azione)」と「サルデーニャ統一民主党(Unione Democratica Sarda)」が中心になって進められ、1984年の選挙では独立系の政党が躍進した。

だがその時代をピークに、サルデーニャ島の政党による独立運動は下火になる。その間隙をぬって台頭したのが‘一匹狼’的な独立運動家たちである。その最たる者が冒頭に言及したサルヴァトーレ・メローニ氏だった。

サルデーニャ島民は彼ら独自のアイデンティティー観とは別に、ローマの中央政府に対して多くの不満を抱き続けている。その一つが例えば、イタリア駐在NATO軍全体の60%にも当たる部隊がサルデーニャ島に置かれている現実だ。また洪水のようにサルデーニャ島に進出する本土企業の存在や島の意思を無視したリゾート開発競争等も多くの島民をいらだたせる。

しかしながら現在のサルデーニャ島には、深刻な独立運動は起こっていない。不当な扱いを受けながらも、イタリア本土由来の経済発展が島にも徐々にもたらされている現実があるからだ。2015年には「イタリアから独立してスイスの一部になろう」と主張する人々の動きが、そのユニークな発想ゆえにあたかもジョークを楽しむように世界中の人々の注目を集めたぐらいだ。

イタリアには独立を主張する州や地域が数多くある。サルデーニャとシチリアの島嶼州を始めとする5つの特別州(※註1)は言うまでもなく、約160年前のイタリア統一まで都市国家や公国やローマ教皇国等として分離独立していた半島各地は、それぞれが強い独立志向を内に秘めている。

2014年3月にはヴェネト州で住民による独立の是非を問うインターネット投票が実施され、200万人が参加。その89%が独立賛成票だった。それは英国スコットランドの独立運動やスペイン・カタルーニャ州問題などに触発された動きだったが、似たような出来事はイタリアでは割とよく起こる。

イタリアは国家の中に地方があるのではなく、心理的にはそれぞれが独立している地方が寄り集まって統一国家を形成しているいわば連邦国家だ。サルデーニャ島(州)の独立志向もそのうちの一つという考え方もできるかもしれない。

ところが人口約160万人に過ぎないサルデーニャ島には、イタリアからの分離独立を求める政党が10以上も存在し、そのどれもがサルデーニャ島の文化や言葉また由緒などの全てがイタリア本土とは異なる、と訴えている。

例えそれではなくとも、有史以来サルデーニャ島が辿ってきた特殊な時間の流れを見れば、同地の独立志向の胸懐は、イタリア共和国の他の地方とはやはり一味も二味も違う、と言わなければならないように思うのである。

(※註1)シチリア、サルデーニャ、ヴァッレ・ダオスタ、トレンティーノ=アル ト・アディジェ、フリウリ=ヴェネイア・ジュリアの各州。イタリアには州が20あ り、そのうち15州が通常州、5州 が特別自治州である。特別自治州は通常州よりも大きな地方自治権を有している。



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スイスの海で泳いでみたい



スイス旗+サルデーニャ旗並び合成600



イタリアのサルデーニャ島は古代からイタリア本土とは異なる歴史を歩んできた。それゆえにサルデーニャ島人は独自のアイデンティティー観を持っていて、自立・独立志向が強い、ということも何度か言及した。

ローマ帝国の滅亡後、イタリアでは半島の各地が都市国家や公国や海洋国家や教皇国などに分かれて勝手に存在を主張していた。

そこでは1861年の統一国家誕生後も、独立自尊のメンタリティーが消えることはなく、それぞれの土地が自立あるいは独立を模索する傾向がある。あるいはその傾向に向かう意志を秘めて存在している。

サルデーニャ島(州)ももちろんそうした「潜在独立国家」群の一つ。だが同島の場合、島だけで独立していたことはない。イタリア共和国に組み込まれる以前はアラブやスペインの支配を受け、イタリア半島の強国の一つピエモンテのサヴォイア公国にも統治された。

現在はイタリア共和国の同じ一員でありながら、サルデーニャ島民が他州の人々、特にイタリア本土の住民とは出自が違いルーツが違う、と強く感じているのは島がたどってきた独自の歴史ゆえである。

抑圧され続けた歴史への怨恨と島人としての誇りから、サルデーニャ島の人々は、独立志向が強いイタリア半島の各地方の中でも特に、イタリア共和国からの独立を企てる傾向が強いと見られている。

1970年代には38%のサルデーニャ島民が独立賛成の意思を示していた。また2012年のカリアリ大学とエジンバラ大学合同の世論調査では、41%もの島民が独立賛成と答えた。

その内訳は「イタリアからは独立するものの欧州連合(EU)には留まる」が31%。「イタリアから独立しEUからも離脱する」が10%だった。

今日現在のサルデーニャ島には深刻な独立運動は存在しない。しかしそれらの統計からも推測できるように、島には政党等の指導による独立運動が盛んな時期もあった。そして島の独立を主張する政党は今でも10以上を数えるのである。

それらの政党にかつての勢いはなく、2019年現在のサルデーニャ州の独立運動は、個人的な活動とも呼べる小規模な動きに留まっているのがほとんどだ。

その中にはイタリアから独立し、且つEU(欧州連合)からも抜け出してスイスへの編入・統合を目指そう、と主張するユニークなグループもある。なぜスイスなのか、と考えてみると次のような理由が挙げられそうだ。

独立を目指すサルデーニャ島民の間には、先ずイタリア本土への反感があり、そのサルデーニャ島民を含むイタリア共和国の全体には欧州連合(EU)への不信感がある。最近イタリアに反EUのポピュリスト政権が誕生したのもそれが理由の一つだ。

イタリア本土とEUを嫌うサルデーニャ島が、欧州内でどこかの国と手を結ぶとするなら、非EU加盟国のスイスとノルウェーしかない。バルカン半島の幾つかの国もあるが、それらは元共産主義圏の貧しい国々。一緒になってもサルデーニ島にメリットはない。

さて、スイスとノルウェーのどちらがサルデーニャにとって得かと考えると、これはもう断然スイスである。金持ちで、EU圏外で、しかも永世中立国。さらに国内にはティチーノ州というイタリア語圏の地域さえある。このことの心理的影響も少なくないと思う。

ノルウェーもリッチな国だが豊かさの大半は石油資源によるもの。石油はいつかなくなるから将来性に不安がある。また人口も約500万人とスイスの約800万人より少ない。従って後者の方が経済的にも受け入れの可能性が高い、など、など、の理由があると考えられる。

仮に島が分離・独立を果たしたとする。その場合にはスイスは、あるいは喜んでサルデーニャを受け入れるかもしれない。なにしろ自国の半分以上の面積を有する欧州の島が、一気にスイスの国土に加わるのだから悪くない話だ。

しかも島の人口はスイスの5分の一以下。サルデーニャの一人当たりの国民所得はスイスよりもはるかに少ないが、豊かなスイス国民は新たに加わる領土と引き換えに、島民に富を分配することを厭わないかもしれない。

スイス政府はこれまでのところ、サルデーニャ島からのラブコールをイタリアの内政問題だとして沈黙を押し通している。それは隣国に対する礼儀だが、敢えてノーと言わずに沈黙を貫き通していること自体が、イエスの意思表示のように見えないこともない、と僕は思う。

ただスイスと一緒になるためには、島は先ずイタリアからの分離あるいは独立を果たさなければならない。イタリア共和国憲法は国内各州の分離・独立を認めていないからだ。分離・独立を目指すならサルデーニャ島は憲法を否定し、従ってイタリア共和国も否定して、武力闘争を含む政治戦争を勝ち抜く必要がある。これは至難の業だ。

分離・独立の主張は、イタリア本土から不当な扱いを受けてきたと感じている島人たちの、不満や恨みが発露されたものだ。イタリア本土の豊かな地域、特に北部イタリアなどに比較すると島は決して裕福とは言えない、

経済的な不満も相まって、島民がこの際イタリアを見限って、同時に、欧州連合内の末端の地域の経済的困窮に冷淡、と批判されるEUそのものさえも捨てて、EU圏外のスイス連邦と手を組もうというのは面白い考えだと思う。

ただし誤解のないように付け加えておきたい。スイスへの編入・統合を主張しているのは今のところ、サルデーニャ島の島民の一方的な声である。片思いなのだ。しかも声高に言い張るのは、これまた今のところはサルデーニャ島民のうちの極く小さなグループに過ぎない。

面白いアイデアながらグループの主張には僕はは違和感も覚える。つまり彼らが独立を求めるようでいながら、最終的には独立ではなく、イタリア本土とは別のスイスという「新たな従属先」を求めているだけの、事大主義的主張をしている点だ。どうせなら彼らは独立自尊の純粋な「独立」を追求するべきだ。

僕はサルデーニャ島の独立にも、そこに似た日本の沖縄の独立にも真っ向から反対の立場だが、「独立を志向する精神」には大賛成だ。島に限らず、国に限らず、人に限らず、あらゆる存在は「独立自尊」の気概を持つべき、というのが僕の立場だ。そしてそういう考えが出てくるほどの多様性にあふれた世界こそが、理想的な「あるべき姿」だと考える。

「イタリアを捨ててスイスに合流する」というサルデーニャ島民の荒唐無稽に見える言い分は、それをまさに荒唐無稽ととらえる欧州や世界の人々の笑いと拍手と喝采を集めた。しかしながら僕の目にはそれは、どうしても荒唐無稽とばかりは言えないアイデアにも映るのだ。

暴力と憎しみと悲哀のみを生みかねない政治闘争の可能性はさておき、海のないスイス連邦に美しいティレニア海と温暖で緑豊かなサルデーニャ島が国土として加わる、というファンタジーは僕の心を躍らせる。スイス連邦サルデーニャ州のビーチで食べるアイスクリームは、あるいはイタリアのサルデーニャ島で食べるそれとは違う味がするかもしれないではないか。




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