伊連立政権は極左の「五つ星運動」と極右の「同盟」で成るが、両者は喧嘩ばかりで間もなく政権崩壊かという危機に直面している。
左寄りと右寄りの思想信条また行動は政治の常識である。両者の対話と、対話から生まれる妥協を民主主義という。
まずいのは「極」左と「極」右だ。2者は英語にいうExtremistつまり過激な者。極論支持者であり過激論者。要するに過激派。
彼ら過激派は対話を拒否し、自らを絶対善として突っ走り、究極的にはテロさえも厭わなくなる。
極右と極左は異なるものに見えて、実は「極」で融合する一卵性双生児。そっくりさん。
なのに仲が悪い。なぜか。
どちらも吼えまくり噛みつき殴りかかる本性を持つ厄介者だから、似た者同士でも吼え合い、噛み付き合い、殴り合うのである。
五つ星運動と同盟に極左と極右のレッテルを貼るのはどうか、という意見もある。もっともな話だ。
右と左は立ち位置によって違って見える。左寄りの目には中道も右に映り、右寄りの目には中道も極左に見えかねない。
五つ星運動は自らを左にも右にも属さない政治勢力だという。同盟も、私は極右です、とは口が裂けても言わない。
だが彼らの正体は極左と極右だと僕は思う。能があるかどうかは別にして、両者とも今のところは過激派の爪を隠している。お互いに牽制し合っている。
だが、牽制のタガが外れたとき、つまり両者のうちのどちらかが単独で政権を握ったときは危ない。
五つ星運動はイタリア共和国をアナキストの巣窟に変えてしまうだろう。同盟が単独で議会過半数を制して政権の座に就けば、ファシズムの足音が高く響き出すだろう。
彼らは連立を組んで互いに牽制し合うから、政権運営を任せてみる価値があるのだ。または「あった」のだ。
異なる者同士が手を組んで、お互いの極論を抑えつつ新しい発想で国の舵を取る。彼らに期待されたのはそういう政治だ。
だが本性むき出しで喧嘩ばかりをしているなら、両者が単独で政権を握った場合と同じくらいにイタリア共和国のためにならない。
両者は冷静に対話をし、妥協点を見出し、且つ守旧派の政治勢力とは違うめざましい施策を打ち出せないなら、さっさと政権の座から去るべきなのである。
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