【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2019年10月

世界の外の無邪気な国、ニッポン?



2人切り取り
ヨハネ・パウロ2世&フランシスコ教皇


2019年10月22日、天皇「即位礼正殿の儀」が行われました。古式ゆかしい祭礼には、各国の駐日大使や要人また皇室とゆかりのある国の王族などが参列しました。 さらに夜にはそれらの賓客を招いた「饗宴の儀」も催されました。

それらの典礼をNHKの衛星放送を介して、イタリアで逐一見ました。まるで世界の中心は日本だ、といわんばかりの華やかな式典と饗宴は、日本人の日本人による日本人のための祝祭なのですから、当然過ぎるほど当然の成り行きでした。

同時に筆者は、11月に日本を訪問するバチカンの先導者フランシスコ・ローマ教皇への日本国民の無関心と、2005年に亡くなった偉大な教皇ヨハネ・パウロ2世に対する日本人の無邪気と不識を思って少し気が重くもなりました。

ローマ教皇とはカトリック教最高位の聖職者であり、地球上に13億人ほどいると見られるカトリック教徒の精神的支柱です。つまり彼ら信者にとってのいわば天皇です。同時にローマ教皇は、天皇とは全く違って、世界的に大きな影響力を持つ政治的存在でもあります。

例えば2005年に亡くなった第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、故国ポーランドの民主化運動を支持し、鼓舞して影響力を行使。ついにはベルリンの壁の崩壊までもたらした、とも評価されるほどの大きな存在でした。

ヨハネ・パオロ2世の追悼式は、世界中が固唾を飲んで見守る壮大な祭礼でした。そこにはヨーロッパ中の王室と政府首脳とアフリカ・アラブ・南北アメリカの元首がほぼ全員顔をそろえました。元首や国のトップを送り込んでいない国を探すのが難しいくらいだったのです。

例えば欧米主要国だけを見ても、当事国のイタリアから大統領と首相をはじめとするほとんどの閣僚が出席したのは当たり前として、イギリスからは、自らの結婚式まで延期したチャールズ皇太子と当時のブレア首相が出席。

フランスがシラク大統領、ドイツは大統領とシュレーダー首相、アメリカに至っては当時の現職大統領ブッシュ、前職のクリントン、元職のブッシュ父の三代の大統領と、ライス国務長官という大物たちがそろって出席しました。

そればかりではなく、葬儀にはヨーロッパ中の若者と各国の信者がどっと押し寄せて、その数は最終的には500万人にものぼりました。それは過去2000年、263回にも及んだローマ教皇の葬儀で一度も起きたことがない事態でした。ヨハネ・パウロ2世はそれほど人々に愛された指導者でした。

彼は敵対してきたユダヤ教徒と和解し、イスラム教徒に対話を呼びかけ、アジア・アフリカなどに足を運んでは貧困にあえぐ人々を支えました。同時に自らの出身地の東欧の人々に「勇気を持て」と諭して、既述のようについにはベルリンの壁を倒潰させたとさえいわれます。

ヨハネ・パウロ2世は単なるキリスト教徒の枠を超えて、宗教のみならず、政治的にもまた道徳的にも人道的にも巨大な足跡を残した人物でした。そのために世界中が教皇の死を惜しみ葬儀にも注目しました。

偉大な男の葬儀が、外交的に重大な舞台になることをしっかりと認識していたアメリカは、世界中のカトリック教徒はもちろん、彼を尊崇するおびただしい数のグローバル世界の住人の心情に配慮して、現職を含む三代の大統領と国務長官をバチカンに送り込む、という派手なパフォーマンスを演出して見せたのです。さすがだと言わざるを得ません。

ではその大舞台でわが日本は何をしたのでしょうか。

なんと、世界から見ればどこの馬の骨とも知れない程度の“外務副大臣(外相でさえない!)”を送って、お茶を濁したのです。日本政府は教皇の葬儀が外交上の檜舞台であり、わが国の真摯な心を世界に知らしめる絶好の機会だということを、微塵も理解していませんでした。

…あの落差は一体何なのだろう、と今でもよく考えます。    

日本という国はもしかすると、やはりまだまだ「世界という世間」を知らない鎖国メンタリティーの国家なのではないか。

あるいは当時の日本政府の中には、ローマ教皇とはいえキリスト教の一聖職者の葬儀なのだから、仏教と神道の国である日本にはあまり関係のない事案だ、という空気でもあったのではないか。

またはひょっとすると単純に、ヨハネ・パウロ2世が生前に行った大きな仕事の数々を知らなかったのか。まさかとは思いますが・・

いずれにしてもそれは、何ともひどい外交音痴、世間知らず、と世界から笑われても仕方のない間の抜けた行動でした。

あれからほぼ15年・・

ヨハネ・パウロ2世に続いて、世界12億のカトリック信者はもちろんそれ以外の多くの人々の尊敬も集めるフランシスコ教皇の、日本訪問が正式に決まりました。しかし天皇即位儀式の華々しさに比べると、日本国民の反応は冷めているように見えます。

そんな日本人の様態は、2005年のヨハネ・パウロ2世の葬儀のころと同様に、日本国が世界の中にあるのではなく、 いうなれば相変わらず「世界の外のニッポン」のままなのではないか、と心細くなることがないでもありません。


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東京五輪は札幌ではなく全競技を秋口に引っ越すべき



マラソン2016


来年の東京五輪のマラソンを札幌で行う計画が発表されて騒ぎになっている。僕も7月から8月にかけて開催される2020東京五輪に、強い疑問を抱き続けてきた。

そこに「マラソンを札幌で開催するかも」というニュースが流れたので、後出しジャンケン風になってしまうことを恐れつつ、かねてからの自分の思いを書いておくことにした。

僕は欧州の友人知己に日本を旅する良い季節はいつか、と訊ねられた場合は決まって「6、7、8月以外の9ヶ月」と答えるようにしている。

そのフレーズには「6月は雨期でうっとうしく、7、8月は湿気に満ちた猛暑で卒倒しかねない」という少し大げさな言葉も付け加える。また春と秋なら最高だ、とも。

僕は日本の中でも特に蒸し暑い沖縄の離島で生まれ育った。その経験から言うのだが、7~8月の東京は、海が近く且つ島風つまり海風が吹いたりもする沖縄よりも暑いことがよくある。

同時に、夏のその「蒸し暑さ」が外国人、特に欧米系の人々にとっていかに耐え難いものであるかを、イタリア人の家族を始めとする多くの欧米の友人知己との交流の中で実感してもいる。

それでもまだイメージのわかない人は、「真夏の沖縄で開催されるオリンピック」を想像してみればいい。それは決して爽快な印象ではないはずだ。東京の夏の五輪大会はそれ以上に苛烈である可能性がある。

7月~8月に東京でオリンピックを開催するのは、狂気にも近い異様な行為だとさえ思う。選手にとってもまた海外から訪れる観客にとっても、同時期の東京はどう考えても暑すぎるのだ。

東京の夏はただ暑いのではない。殺人的に「蒸し」暑いのだ。それは慣れない人々にとっては体力的に負担が大きい。体力的につらいから精神的にも苦痛を伴う。

真夏に東京を訪れる海外からの観光客は多くいる。従って7月~8月の東京の蒸し暑さも、全く我慢ができない、という類の困苦ではないことが分かる。

だがそうした観光客は、東京のひいては日本の夏の酷烈を承知であえて旅行にやって来る。中には日本の蒸し暑い夏が好き、という人さえいるだろう。

好きではないが体験してみたい、という人もいるに違いない。いずれにしろ、彼らは日本の四季のうちのその時期を「すき好んで」選ぶのだ。いわば自己責任である。

しかし、オリンピックに出場するアスリートと見物客には選択の余地はない。彼らはいやでもイベントの開催時期に合わせて訪日しなければならない。

アスリートにとっては、7月~8月の東京の蒸し暑さは健康被害を憂慮しなければならないほどの厳しいものだ。観客にとっても自らで選んだ時期ではない分、猛暑がさらにこたえるに違いない。

もう一度言う。7月から8月にかけてオリンピックを東京で開催するのは、ほとんど狂気にも近い動きだと思う。前回1964年の東京オリンピックは10月の開催だった。

秋晴れの涼しい空気の中で行われたその第18回五輪競技大会は、周知のように輝かしい成果をあげた。しかしながらあれから半世紀以上の時が経ち、五輪をめぐる状況は大きく変わった。

オリンピックは、放映権料として大金を支払う主にアメリカのテレビ放送網や、スポンサーなどの意向によって、開催時期や開催中の競技の時間などが左右されるようになった。

2020年のオリンピックも、IOC(国際オリンピック委員会)が7月半ばから8月末の間に開催できることを条件に東京を選んだものだ。

夏以降の開催ではアメリカの大リーグや欧州のプロサッカーリーグなど、欧米の人気スポーツの興行期間と重なって、テレビ番組の編成戦略上どうにも具合いが悪い。

既述のようにアメリカを筆頭にする欧米のテレビ放送網は、巨額のオリンピック放映権料をIOCに支払う。彼らへの配慮なくしては、五輪は開催そのものさえ怪しくなるのが現実だ。

そうした背景を知っているので僕は、2020年東京大会の開催時期の異様さに強い違和感を持ちながらも、敢えて意見を言うことを控えてきた。言っても詮ないことだ感じていたからだ。

しかし、東京の猛暑がアスリートに及ぼす健康障害を恐れて、IOCがマラソンコースを札幌に変更するらしい、という重大なニュースに接して考えが変わった。

そのエピソードは、真夏の危険な暑さを押して五輪競技を行うことの是非について、IOCや巨大テレビ網やスポンサー等に大きな疑問を投げかけている。

言葉を変えればエピソードは、今後のオリンピックの在り方について、理念と実際と金銭のバランスを含む大きな修正がなされなければならない、主張しているように見える。

事は東京五輪に限らない。ただでも夏の猛暑が多い中で、温暖化による地球の沸騰が日々進んでいる。五輪開催時期をテレビ網の都合だけで決定してはならない時期に来ている。

そうしたことを踏まえて、2020年東京オリンピックに関して僕には一つ提案がある。実はそれは東京五輪が7月から8月に開催される、と知った時点ですぐさま思いついたことなのだが。

東京五輪のマラソンを札幌開催にシフトするだけでも、コースの設定、会場選び、警備、選手及び関係者の宿舎の確立、販売済みのチケットの払い戻しや変更など、など、複雑で難しい作業が待っているであろうことが容易に推測できる。

マラソンのみを札幌に移行するのはもしかすると、全てを今のままにして五輪開催期間を秋口に変える作業と同じ、とまでは言わなくとも、それに近いほどの手間暇がかかるのではないか。

ならば、いっそのこと、全ての競技の開催時期を例えば9月から10月にかけて、と改めるのはどうだろうか。むろんその場合にはマラソンも予定通り東京で行う。

比較的涼しい9月~10月に大会を行えば、全ての競技で選手は最大限に力を発揮できるし、観客もイベントのみならず日本の気候とそこにまつわる文化を大いに楽しむことができる。

ネックは言うまでもなく前述の欧米、特にアメリカのテレビ放映権料問題だろうが、IOCが本気でアスリートの健康を憂慮するのならば、世界のテレビ局との交渉もまた本気で選択肢に挙げてみるべきではないか。



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自然と共存しつつ自然を征服する時が来た?



山火事&逃げる鹿600


台風19号に襲撃される日本の姿を、インフルエンザに襲撃されてへこんだ体調のまま逐一見ていた。生中継を多く含むNHKの台風情報が、衛星を介してイタリアにも途切れることなくもたらされていたのだ。

元々インフルエンザや風邪で高熱を出して寝込むことが多い体質だが、今回は台風が日本を直撃した週末を含む5日間、熱と激しい悪寒と強烈な関節痛また下痢の症状に悩まされた。

ずっと安静にしている状態なので、日本時間でいえば夜半過ぎから明け方にかけてのおかしな時期に目覚めていることも多い。そういうわけでNHKが夜通し流す台風情報や関連のニュースをイタリアで見つつげたのだった。

日本より7時間遅れのイタリアでは、日本の夜中過ぎから未明の番組も夕方から夜にかけの時間帯に見る。言葉を替えれば、日本に住んでいる場合はほとんど見る機会がない時間のニュースも逐一実見した。

天災多難の国日本で、十年一日のごとく繰り返される人命ロスを含む惨劇。自然現象の強さと予測不能性を認めつつも、本当になんとかならなかったのか、という疑問がいつものように脳裏に湧いた。

気候変動はもはや否定しようもなく、今後日本にはスーパー台風がひんぱんにやって来る、いや、早くも来はじめているとされる。ならばそれに応じてこれまでの常識とは違う災害対策がなされるべきだろう。

今回の台風も、首都圏などを襲うものとしては、前代未聞の巨大台風であることが早くから明らかになり、メディアなどでもその旨大きく喧伝された。それでも甚大な被害が出た。

対策が間に合わなかったであろう背景を理解しながらも、もう少し被害を防ぐ方法は本当になかったのか、と不審の思いが消えない。堤防決壊による洪水や越水が、想定外の「台風の規模」を勘案しても異様に多い、と感じるのだ。

一方、暴風の被害は幸い少なかった。農作物や自然の草花その他の景観への打撃はさておいて、暴風被害を食い止める方法は、台風銀座と呼ばれる沖縄の島々ですでに試され成功している。すなわち家屋の鉄筋コンクリート化だ。

沖縄の島々には大小の台風がひんぱんに上陸し甚大な被害をもたらす。だがそれらの台風は、日本に「上陸」したとはみなされない。日本の気象規定では、北海道、本州、四国、九州の4島に上陸する台風だけを「上陸」したと記録する。その他は全て「通過」と表記する。

そうした規定のせいで見えにくいが、日本には実は多くの巨大台風が「上陸」しているのだ。その大半が沖縄諸島なのである。だから沖縄には伝統的な赤がわらの家屋がなくなって、暴風に強い鉄筋コンクリートの家屋が林立するようになった。

醜悪な外観のコンクリート建造物だが、背に腹は変えられない事情で存在しているのが沖縄の殺風景な家並みだ。今後は沖縄以外の都道府県も、その例にならうべき時期にきているのかもしれない。

ともあれ、暴風による破壊が最小限に留まったのが事実なら、不幸中の幸いと形容してもいいのではないか。

自然災害の多い日本なのに、なぜいつも同じ悲劇がくりかえされるのか。今回の台風の場合、その規模や時間やもたらされる災禍の種類などがかなり詳細に予測されていた。にもかかわらずに10月16日現在 、74人もの人が犠牲になり11人が行方不明になっている。

天変地異の被害は完全になくすことは不可能だ。とは言うものの、科学技術と防災技術またそれらの理論が発達した日本にしては、堤防の決壊とその結果の洪水また越水、さらにそれらが招く人命損失などが多すぎる、とどうしても考えてしまう。

念のために言っておくけれども、もしも日本でなかったならば、今回の巨大暴風の被害はもっとさらに甚大なものであったろう。でも台風は例えばフィリピンや台湾や韓国ではなく、実際に日本に上陸した。従って、当然ながら、日本の土壌を斟酌して議論しなければならない。

多くの被害の中で僕が特におどろいたのが、東京多摩川の氾濫だ。先進国の首都、しかも世界に名だたる大都会で、川の氾濫、洪水が起こるというのは異常事態だ。ロンドンやニューヨークやパリ、あるいはここイタリアのローマでさえ考えられない事案だ。

そこは国の顔でもある首都の河川だ。面子上もそんな事件が起こってはならない。またそこには必ずと言っていいほど人口が密集している。とても危険な場所だ。

なぜ災害対策が世界のトップクラスである日本の首都でそれが起こったのか、と考えると少し見えてくるものがある。結論を先にいえば、日本が自然を敬う東洋的精神にあふれた国だから多摩川で氾濫が起こった。

日本国は、「自然を征服する」という西洋の根本哲学のひとつに違和感を持つ人々が多く住む国である。人はあくまでも自然の一部であり、自然は人間と対立するものではなく、人間が自然の一部として共存ずるべき関係にある。

一方、西洋では自然は人間によって征服されるべき存在である。人間は自然を征服することによって自らを高め文明を起こしそれを成長させる。この思想のもとに彼らは自然に挑み、屈服させ、人の勢力を伸ばし続けた。

西洋文明の発達の背景にはその強力な哲学がある。その哲学は神の存在によって形成が可能になった。即ち、自然も人間同様に神によって創造されたものである。自然は絶対ではなく、人間と同列の存在なのである。

自然の上には神という絶対の存在がある。人にとってはその絶対の神だけがひれ伏し敬うべき存在である。かくして自然は人によって征服され得る存在になる。

日本を含む東洋の人々はそうは考えない。自然こそこの世の至高の存在であり絶対的な存在である。人間も自然という巨大な存在と概念の一部である。

自然は征服するべきものではなく、また決して征服することなどできない存在。それは共存するべき相手であり、共存することで自然はわれわれを抱擁する。

この根本思想の違いが2019年10月、東京多摩川の氾濫という異常事態を招いた。つまり、自然崇拝の念の強い日本人は、自然を敵とみなして徹底的に対抗する気概が西洋人にくらべて弱いのではないか。

別の表現を用いれば日本人は、ロンドンのテームズ川、パリのセーヌ川、ニューヨ-クのハドソン川、またローマのテベレ川のように、氾濫に備えて川と流れと堤防をがんじがらめに固定し補強することをかすかにためらう。

ほとんど無意識の作用と言ってもいい自然に対する彼我の根本思想の違いが、近代都市東京の河川の治水事業にほんの少しの油断をもたらして、足腰の甘さを形成している、と推断するのはうがち過ぎだろうか?

首都の東京においてさえそうなのだから、油断は全国にあると考えたほうがいい。日本はこれを機に、首都圏はもちろん日本全国の河川を仮借ない方法で整理し整頓して、将来の危難に備えるべきだ。

自然を敬い自然と共存するという日本的な美しい哲学と、多摩川の流れと堤防を、セーヌ川ほかの欧米の大都市の河川のように「鉄壁」に補強し、締め上げ、保護することとは決して矛盾しない。むしろそれがスーパー台風時代の自然との共存の在り方なのではないか。



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クレタ島のごちそうLAMB 



LAMB焙り焼き
ヤギ肉炙り焼き


クレタ島は羊よりもヤギの多い島である。野生ヤギの一種kri-kri(クリクリ)の生息地でもある。むろんヤギ肉料理も豊富だ。

今回旅では、「クレタ島伝統食」レストランあるいは「ギリシャ伝統食」食堂と銘打つ幾つもの店で、実に美味いヤギ及び羊肉料理(以下:ヤギ・羊肉料理)に出会った。

しかもそんな伝統料理店は至るところにあって、英語の子羊即ちLAMB(ラム)料理という触れ込みで提供されるケースがほとんどだ。

子羊のそれほどほどひんぱんではないが、ヤギ料理もこれまた多くの店で普通に目にすることができる。

そしてもっとも肝心なことは、それらの店で食べるヤギ・羊肉料理は、ほぼ間違いなく美味い、という事実だ。

ヤギ・羊肉料理以外の肉料理はイタリアで大いに食べている。またギリシャには肉の串焼きスブラギやギロスといった独特の肉料理もあり、むろんそれらも食する。

だがギリシャの普通の肉料理は、一度味見をしてしまうと正直繰り返して食べたいとは思わない。イタリア料理を超えるほどの味ではないのだ。

そのせいもあってギリシャ、特にクレタ島ではヤギ・羊肉レシピに目が行きやすい。それらの料理は魅力的だ。何しろ長い歴史の中で試行錯誤されて完成したレシピがほとんどだから興味はつきない。

クレタ島のソウルフードは肉料理だ。島なのに魚料理がコアにならなかったのは、島が外敵の侵略にさらされ続けて、住民が内奥の山々に逃げ込みそこに居ついたからだ。

地中海にあって、アラブまたイスラム教徒と欧州の対立の矢面に立たされたのが、クレタ島やイタリアのサルデーニャ島などに代表される島々なのだ。

肉料理の中でもヤギ・羊肉膳が多く発達したのは、島に侵入したイスラム教徒の影響も大きい。豚肉を食べない彼らはヤギ・羊肉を好んで食べる。

近年急激に発達した観光業のおかげで、クレタ島の魚料理もかなり発展した。伝統的なタコ料理のほかにもいろいろ旨い魚介膳が提供される。

そうした点もイタリアのサルデーニャ島に似ている。サルデーニャ島の魚介膳はイタリア本土由来のレシピが主で、イタメシだけに味が極めて良い。

クレタ島の場合も、押し寄せる観光客のうちの舌の肥えた人々に合わせるために、海鮮料理が大きく前進した。今では伝統の肉料理に匹敵するほどの味のレシピも多い。

だがそうした魚料理も、ヤギ・羊肉以外の肉料理と同じで、あまり僕の気持ちをひきつけない。日本料理の魚介膳を知っているからだ。それは実はイタメシの場合も同じ。

イタメシの魚介のパスタは秀逸だが、魚介そのものの味付けは逆立ちしても日本料理にかなわない、というのが僕の独断と偏見による今のところの結論だ。

申し訳ないが、クレタ島を含むギリシャの海鮮料理の味はイタリアのそれの後塵を拝している。従ってそれは、イタメシに輪をかけて僕の食欲をそそらない部類のレシピに入る。

牛肉、豚肉、鶏肉料理なども、ギリシャよりもイタリアの方が魅力的だ。決してギリシャ料理が不味いのではない。それどころかギリシャ料理は、僕の中では世界で5番目に美味しい調理だ。

再び僕の独断と偏見による世界料理のランク付けは、美味しい順に日伊中華トルコ、続いてギリシャだ。フランスやスペインよりもギリシャが上位にあるのだ。

クレタ島には北欧人やバルカン半島の旧共産主義国の人々も多くバカンスに訪れる。彼らを意識した料理も極めて多い。それらは残念ながら驚くほど美味いとは言えない。

そうしたレシピの特徴は、超大盛皿、素材のゴッタ混ぜ、大味、強いバター臭などに象徴される劣悪テイストである。ギリシャ伝統の自然たっぷりの食味がぶち壊されたものがほとんどだ。

そうした中で、ほぼ100%美味しいのがヤギ・羊肉料理、と言いたいところだが、観光客向けのメニューを中核にしている店では、ヤギ・羊肉料理にも盛りだくさんの素材を加算して、本来のそれの味を損ねているものが多い。

ヤギ・羊肉膳の場合は、煮込みにしろオーブン焼きにしろスモークや炙り煮また丸焼きにしろ、肉の臭みを取るためのハーブやワインや独自の素材のほかには、何も加えないシンプルな仕上げの方が間違いなく美味い、と思うのである。


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