【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2019年11月

日伊さかな料理談義


黒鯛イタメシ


「世界には3大料理がある。フランス料理、中華料理、そしてイタリア料理である。その3大料理の中で一番おいしいのは日本料理だ」

これは筆者がイタリアの友人たちを相手に良く口にするジョークです。半分は本気でもあるそのジョークのあとには、筆者はかならず少し大げさな次の一言もつけ加えます。

「日本人は魚のことを良く知っているが肉のことはほとんど知らない。逆にイタリア人は肉を誰よりも良く知っているが、魚については日本料理における肉料理程度にしか知らない。つまりゼロだ」

3大料理のジョークには笑っていた友人たちも、イタリア人は魚を知らない、と筆者が断言したとたんに口角沫を飛ばして反論を始めます。でも筆者は引き下がりません。

スパゲティなどのパスタ料理にからめた魚介類のおいしさは間違いなくイタメシが世界一であり、その種類は肉料理の豊富さにも匹敵します。

しかしそれを別にすれば、イタリア料理における魚は肉に比べるとはるかに貧しい。料理法が単純なのでです。

この国の魚料理の基本は、大ざっぱに言って、フライかオーブン焼きかボイルと相場が決まっています。海際の地方に行くと目先を変えた魚料理に出会うこともあります。それでも基本的な作り方は前述の三つの域を出ませんから、やはりどうしても単調な味になります。

一度食べる分にはそれで構いません。素材は日本と同じように新鮮ですから味はとても豊かです。しかし二度三度とつづけて食べると飽きがきます。何しろもっとも活きのいい高級魚はボイルにする、というのがイタリア人の一般的な考え方です。

家庭料理、特に上流階級の伝統的な家庭レシピなどの場合はそうです。ボイルと言えば聞こえはいいが、要するに熱湯でゆでるだけの話です。刺身や煮物やたたきや天ぷらや汁物などにする発想がほとんどないのです。

最近は日本食の影響で、刺身やそれに近いマリネなどの鮮魚料理、またそれらにクリームやヨーグルトやマヨネーズなどを絡ませた珍奇な“造り”系料理も増えてはいます。だがそれらはいわば発展途上のレシピであって、名実ともにイタメシになっているとは言い難い。

筆者は友人らと日伊双方の料理の素材や、調理法や、盛り付けや、味覚などにはじまる様々な要素をよく議論します。そのとき、魚に関してはたいてい筆者に言い負かされる友人らがくやしまぎれに悪態をつきます。

「そうは言っても日本料理における最高の魚料理はサシミというじゃないか。あれは生魚だ。生の魚肉を食べるのは魚を知らないからだ。」

それには筆者はこう反論します。

「日本料理に生魚は存在しない。イタリアのことは知らないが、日本では生魚を食べるのは猫と相場が決まっている。人間が食べるのはサシミだけだ。サシミは漢字で書くと刺身と表記する(筆者はここで実際に漢字を紙に書いて友人らに見せます)。刺身とは刺刀(さしがたな)で身を刺し通したものという意味だ。つまり“包丁(刺刀)で調理された魚”が刺身なのだ。ただの生魚とはわけが違う」

と煙(けむ)に巻いておいて、筆者はさらに言います。

「イタリア人が魚を知らないというのは調理法が単純で刺身やたたきを知らないというだけじゃないね。イタリア料理では魚の頭や皮を全て捨ててしまう。もったいないというよりも僕はあきれて悲しくなる。魚は頭と皮が一番おいしいんだ。特に煮付けなどにすれば最高だ。

たしかに魚の頭は食べづらいし、それを食べるときの人の姿もあまり美しいとは言えない。なにしろ脳ミソとか目玉をずるずるとすすって食べるからね。要するに君らが牛や豚の脳ミソを美味しいおいしい、といって食べまくるのと同じさ。

あ、それからイタリア人は ― というか、西洋人は皆そうだが ― 魚も貝もイカもエビもタコも何もかもひっくるめて、よく“魚”という言い方をするだろう? これも僕に言わせると魚介類との付き合いが浅いことからくる乱暴な言葉だ。魚と貝はまるで違うものだ。イカやエビやタコもそうだ。なんでもかんでもひっくるめて“魚”と言ってしまうようじゃ料理法にもおのずと限界が出てくるというものさ」 

筆者は最後にたたみかけます。

「イタリアには釣り人口が少ない。せいぜい百万人から多く見つもっても2百万人と言われる。日本には逆に少なく見つもっても2千万人の釣り愛好家がいるとされる。この事実も両国民の魚への理解度を知る一つの指標になる。

なぜかというと、釣り愛好家というのは魚料理のグルメである場合が多い。彼らは「スポーツや趣味として釣りを楽しんでいます」という顔をしているが、実は釣った魚を食べたい一心で海や川に繰り出すのだ。釣った魚を自分でさばき、自分の好きなように料理をして食う。この行為によって彼らは魚に対する理解度を深め、理解度が深まるにつれて舌が肥えていく。つまり究極の魚料理のグルメになって行くんだ。

ところが話はそれだけでは済まない。一人ひとりがグルメである釣り師のまわりには、少なくとも 10人の「連れグルメ」の輪ができると考えられる。釣り人の家族はもちろん、友人知人や時には隣近所の人たちが、釣ってきた魚のおすそ分けにあずかって、釣り師と同じグルメになるという寸法さ。

これを単純に計算すると、それだけで日本には2億人の魚料理のグルメがいることになる。これは日本の人口より多い数字だよ。ところがイタリアはたったの1千万から2千万人。人口の1/6から1/3だ。これだけを見ても、魚や魚料理に対する日本人とイタリア人の理解度には、おのずと大差が出てくるというものだ」

友人たちは筆者のはったり交じりの論法にあきれて、皆一様に黙っています。釣りどころか、魚を食べるのも週に一度あるかないかという生活がほとんどである彼らにとっては、「魚料理は日本食が世界一」と思い込んでいる元“釣りキチ”の筆者の主張は、かなり不可解なものに映るようです。


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白鵬よ、どうか朝青龍の轍を踏まないでくれ

かわいいチビちゃん



大相撲九州場所で白鵬が14勝1敗で史上最多43回目の優勝を果たした。すごいのひと言に尽きる。

ところが、大横綱なのに彼の土俵上の所作がみにくい。しかも年々ひどくなっている、と感じる。

そこで僕は九州場所中に次のような苦言を書いた。

(大相撲九州場所は)好調の朝乃山が負けて、どうやら白鵬の優勝が見えてきたようだが、その白鵬の土俵態度が良くない。良くないのに皆が慣れてしまったのか誰も何も言わない。辛口解説が心地よい北の富士さんでさえも。

(幸い空振りにはなるものの)倒れた相手をさらに殴る仕草、鼻や口をゆがめての示威行為、立ち合い前に使ったタオルを投げ捨てる横柄な態度、賞金を振り回す下品な振る舞い、など、など。時の経過とともに彼の所作は不穏になるばかりだ。せっかく日本国籍を取得して、引退後も大相撲界に残る覚悟を示しているのに、なぜ大横綱らしい立ち居振舞いができないのだろう。どっしりと構えたり蹲踞をしている彼の姿は、絵になるほどりっぱなのに。

年を重ねるごとに行儀が悪くなるのは明らかに心の問題だ。誰か彼の心を素直な軌道に乗せてやらないと、せっかくの大横綱が晩節を汚す結果にもなりかねない。そうではなくとも、引退後の活躍はおぼつかないのではないか、とファンのひとりとして心配になる。


僕はその気持ちのまま彼の優勝インタビューを見た。今回はどんな浅ましい言動をするのだろうか、と正直ハラハラするような気分でいた。

彼は2017年には優勝インタビューで観客に万歳三唱を要求し、ことし3月場所でも3本締めを嚮導して批判を受けている。

そういう派手な愚行とは別に、彼はインタビューの中で慎みのない受け答えを連発して、見ているこちらを恥ずかしがらせたりすることが多い。

それらの節度のない言動は、彼の日本語の拙さからくるものもあるだろうが、大半が自らの強さを誇示したい我欲と驕りから出ているように見える。

ところが、今回の優勝インタビューでは、愚昧な答弁や言動はほとんどなく、“すがすがしい”と形容しても良い内容に終始した。彼のファンの1人として僕は「やればできるじゃないか」と喜んだ。

前回エントリーで彼を酷評した手前、僕は優勝インタビューで自分の予想をくつがえしてくれた白鵬の横綱らしい品格にかならず言及するのが筋、と気にかけながら筆を取れずにいた。

そんな折り横綱審議委員会が、九州場所中の白鵬の取り口は横綱として「見苦しい」「やりすぎ」などと厳しく批判するコメントを出した。

そこでは特に、12日目の遠藤戦で見せたような、張り手とかち上げを槍玉にあげている。遠藤戦では左で張り手をしながら右で肘打ち同然のかち上げをくらわせた。

強い横綱は張り手やかち上げなどの喧嘩ワザはできれば使わないほうが品格がある、というのは相撲文化にかんがみて、大いに納得できることである。

だが僕は、白鵬の問題は相撲のルール上許されている張り手やかち上げの乱発ではなく、土俵上のたしなみのない所作の数々や、唯我独尊の心を隠し切れない稚拙な言行にこそあると思う。

白鵬が張り手やかち上げを繰り出して来るときには、彼の脇が空くということである。ならば相手はそこを利して差し手をねじ込むなどの戦略を考えるべきだ。

あるいは白鵬に対抗して、こちらも張り手やかち上げをぶちかますくらいの気概を持って立ち合いに臨むべきだ。

白鵬の相手がそれをしないのは、張り手やかち上げが相手を殴るのと同様の喧嘩ワザだから、「横綱に失礼」という強いためらいがあるからだ。

白鵬自身はそれらの技が相撲規則で認められているから使う、とそこかしこで言明している。横綱の品格にふさわしくないかもしれないが、彼の主張の方が正しいと僕は思う。

それらのワザが大相撲の格式に合わないのならば、さっさと禁じ手にしてしまえばいいのである。

要するに何が言いたいのかというと、横綱審議委員会は白鵬の相撲の戦法を問題にするなら、対戦相手の対抗法も問題にするべき、ということだ。

張り手やかち上げは威力のある手法だが、それを使うことによるリスクも伴う。白鵬はそのリスクを冒しながらワザを繰り出している。

対戦相手は白鵬のそのリスク、つまり脇が空きやすいという弱点を突かないから負けるのだ。横綱審議委員会はそこでは品格よりも対戦相手の怠慢を問題にしたほうがいい。

もう一度言う。横綱としての白鵬の不体裁は相撲テクニックにあるのではなく、相撲規則に載っていない種々の言動の見苦しさの中にこそあるのだ。

白鵬にはぜひそのことに気づいてほしい。また、土俵上では白鵬のビンタを張り、顎にかち上げをぶちかますような若手力士が早く出てほしい。

またそうすることが当たり前、というふうに相撲界のメンタリティーが変わってほしい。もっとも長身の白鵬に張り手やかち上げをぶち込むのは至難のワザではあるが。


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書きそびれている事ども 2019年11月21日



人々サンマエルコ寺院前の水中を歩く600


《書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは他の事案で忙しくて執筆そのものができずに後回しにしている時事ネタは多い。僕にとってはそれらは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。過去形のトピックも現在進行形の話題もできれば将来どこかで掘り下げて言及したいと思う。その意味合いで例によってここに箇条書きにしておくことにした。とはいうものの、これまでではそうやって記録しておいたテーマを改めてじっくりと考察し書き上げたものは少ない。次々と書くべき題材が増えていくからだ。それは刻々と過ぎる時間と格闘するSNSでの表現の良さであり同時に欠点である。ともあれ時事ネタを速報するのが目的ではなく、それを観察し吟味して自らの考えを書き付けるのが僕のブログのあり方なので、『いつか書くべきテーマ』というのは自分の中ではそれなりに意味を持つのである。いつも、「いつか実際に書く」つもりでいるので。。。》



Brexitの命運

Brexitの行方をおそらく9割方決定するイギリス総選挙の動きを見守っている。EU信奉者で英国ファンの僕は、Brexitが反故になることを依然として期待しているが見通しは暗い。Brexitを主導したその名も「Brexit党」のナイジェル・ファラージ党首が、与党・保守党が議席を持つ300余の選挙区に立候補者を立てないと決めたからだ。これで保守党の優勢がますます固まり、選挙後にBrexitが実行される可能性が高まった。ナイジェル・ファラージ氏の政治手腕には驚かざるを得ない。相変わらず政治臭覚の鋭いハゲタカ・ポピュリストだ。それでも僕は、今月いっぱいで任期が切れるトゥスク欧州理事会議長(事実上のEU大統領)が、Brexit阻止を決して諦めてはならないと表明したことに賛同する。EUの結束と英国を含む欧州の若者たちのために。


沈むベニス

ベニスが例年よりも激しい水害に襲われている。11月12日、街の8割が浸水しサンマルコ広場は観測史上2番目となる187センチもの高潮に飲み込まれた。そんな折、沈み行くベニスの救世主にもなると考えられてきた巨大プロジェクト、可動式堤防の「モーゼ」が役立たずであることが判明。少なくとも100年は持つと考えられていた堤防は、製作途中の10年間で錆びついて稼動しないことが明らかになった。莫大な費用が露と消えた。僕は20年ほど前にこのプロジェクトを追いかけるドキュメンタリーを企画していろいろとリサーチしたが、いくら調べても確固とした姿が見えて来ず、数分の短い報道番組に仕上げただけで断念した経験がある。堤防そのもののあり方もそれを進める人々のあり方もよくわからない。よくわからないのに金だけは湯水のように注ぎ込まれた。イタリアらしいと切り捨てるのは簡単すぎて気が引ける。だが、やっぱり、いかにもイタリアらしい。。



ヤギ料理天国クレタ島

ギリシャ・クレタ島のシンボルはヤギである。ヤギはヤギでもこの島だけに生息するクリクリという野生のヤギがそれだ。クリクリは家畜化される前の野生ヤギの特徴を持っている。ヤギは1万1千年ほど前にトルコ、イラク、キプロスなどで家畜化され、その2千年後にクレタ島にも家畜法が伝わった。したがって野生のクリクリは、少なくとも1万1千年以上も前の、原始的な生態を保持している野生ヤギということになる。クレタ島そのものののシンボルになっているクリクリは、その姿が絵様にされて観光業や役場の文書などでエンブレムとして用いられている。クリクリは過去に乱獲されて激減。今は狩猟はもちろん食べることも厳禁だが、家畜化されたクリクリ種以外のヤギはむろん食料となる。そしてクレタ島には家畜のヤギが多い。羊も多い。当然ヤギ&羊肉料理もよく食べられてレシピも多彩だ。また味も抜群に良い。今後機会があれば2019年9月のクレタ島体験を中心にヤギ・羊肉料理を紹介してみたいと思う。



「老人を軽侮する老人」ベッペ・グリッロ


ポピュリスト政党「五つ星運動」の創始者ベッペ・グリッロ氏が、高齢者から選挙権を取り上げろ!とわめいて、高齢者はもちろん全ての年齢層のイタリア人から総スカンを食らった。高齢者は先がないのだから国の行く末を決める選挙に参加させる必要はない。それよりも未来のある若者に選挙権を与えろ。今は18歳から資格がある投票権を16歳にまで引き下げろ、と主張したのである。老人を侮辱するグリッロ氏自身は古希を超えた男。彼自身もりっぱな老人だろう。わめき、挑発するのがグリッロ氏のスタイルだが、若者に媚びただけにしか見えない愚かな主張は嘲笑するさえバカバカしい。それにしてもグリッロ氏の追従者たちは、いつでもどこでも「わめいて」いるように見えるこの男にウンザリすることはないのだろうか。あ、それがないから追従者と呼ばれるのか。。。



見つづけているぞ、大相撲


大相撲中継はイタリアでは朝昼晩の一日3回見ることができる。ロンドンに本拠があるJSTVの衛星放送だ。朝は日本とのライブ中継で、昼は録画再放送、夜は幕内の全取り組みの仕切り部分をカットして、勝負だけをダイジェストに見せる。僕は朝の生放送を録画しておいて、暇を見て(作って)全勝負を見る。今日12日目が終わった九州場所もしかり。好調の朝乃山が負けて、どうやら白鵬の優勝が見えてきたようだが、その白鵬の土俵態度が良くない。良くないのに皆が慣れてしまったのか誰も何も言わない。辛口解説が心地よい北の富士さんでさえも。(幸い空振りにはなるものの)倒れた相手をさらに殴る仕草、鼻や口をゆがめての示威行為、立ち合い前に使ったタオルを投げ捨てる態度、賞金を振り回す下品な振る舞い、など、など。時の経過とともに彼の所作は不穏になるばかりだ。せっかく日本国籍を取得して、引退後も大相撲界に残る覚悟を示しているのに、なぜ大横綱らしい立ち居振舞いができないのだろう。どっしりと構えたり蹲踞をしている彼の姿は、絵になるほどりっぱなのに。年を重ねるごとに行儀が悪くなるのは明らかに心の問題だ。誰か彼の心を素直な軌道に乗せてやらないと、せっかくの大横綱が晩節を汚す結果にもなりかねない。そうではなくとも、引退後の活躍はおぼつかないのではないか、とファンのひとりとして心配になる。



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首里城は「僕の沖縄」のシンボルではありません


『渋谷君

首里城焼失に対しての見舞いのメッセージ、深く感謝します。

“首里城が落城してしまいましたね。戦での敗北ではないものの歴史を想うと胸が痛みます。ご心中、深くお察し申し上げます”

という君の便りによく似たメッセージも、ほかに10件ほど僕に寄せられました。真摯なお気遣いに胸を篤くしつつ僕は戸惑ってもいます。

といいますのも僕は、首里城に対して、それらの厚情に値するほどの愛着を持っているとはとても言えないからです。

首里城は言わずと知れた琉球王国の王家の居城でありアジアの国々と外交、貿易を行った首里王府の司令塔だった建物です。

それはオリジナルではなく、第二次大戦で完全破壊されたものの復元作。レプリカです。とはいうものの紛れもなく歴史的建造物であり従って重要な文化遺産です。

琉球王国の興亡を伝える歴史の証人、とも規定できる首里城ですが、ではその重大な歴史遺産が沖縄の人々の心の拠り所となるような重要な建物か、というと僕には疑問があります。

僕とっての沖縄の誇りとは、破壊されようとしている辺野古の海であり、宮古島や石垣島などに代表される離島の美しい海です。

辺野古に言及すれば政治的物思いのようになってしまいますが、またその意味もなくはありませんが、僕は純粋に沖縄の美しい海を誇りに思い、沖縄生まれの人間としてそれが自分のアイデンティティーだと強く感じるのです。

超ミニチュアの独裁国家だった琉球王国の、圧制者の国王一家のかつての住まいが、僕のアイデンティティーや誇りであるはずがありません。

僕は民主主義以前の国家体制というものに非常に嫌悪感を抱いています。琉球王国というミニュチュアの独裁国家しかり、幕藩体制から明治維新を経て敗戦までの日本国しかり。

世界中にも同様の事例は数え切れないほどあります。近くには中ロ北朝鮮など、非民主主義のならず者国家などもあります。

独裁国家琉球王国への侮蔑感から、僕は首里城も常にひそかに否定してきました。そこには首里城の芸術的価値に対する僕の個人的な評価も少なからず影響しています。

僕は首里城の芸術的価値に関してはひどく懐疑的です。遠景はそれなりに美しいと思いますが、近景から細部はケバいばかりで少しも洗練されていない、と感じるのです。

首里城は巨大な琉球漆器という形容があります。言い得て妙だと思います。首里城には琉球漆器の泥臭さ野暮ったさがふんだんに織り込まれていると思う。

もっとも泥臭さや野暮ったさが「趣」という考え方もあるにはあります。ただそれは「素朴」の代替語としての泥臭さであり野暮ったさです。極彩色の首里城の装飾には当てはまりません。

色は光です。沖縄の強烈な陽光が首里城の破天荒な原色をつくり出す、と考えることもできます。建物の極彩色の装飾は光まぶしい沖縄にあってはごく自然なことなのです。

しかし、原色はそこにそのまま投げ出されているだけでは、ただ泥くさくうっとうしいだけの原始の色、未開の光芒の顕現に過ぎません。

文化と感性を併せ持つ者は、原始の色を美的センスによって作り変え、向上させ繊細を加えて「表現」しなければならないのです。首里城に果たしてそれがあるでしょうか?

そうはいうものの、しかし、首里城を頭ごなしに全否定するのはおそらく間違いという気もまたします。そのあたりが複雑な歴史と独特の文化に彩られた建物の悩ましい特質です。

小なりといえども琉球王国の文化は歴史の一部なのですから無視するべきではないのでしょう。またそれが何であれ歴史的遺物に違いありませんから文化的にも重要です。

従ってできれば首里城は復元されたほうがよい、とは思います。でも僕はやはりそれを沖縄最大唯一の宝であり島々のシンボルでもあるかのごとくに語り、騒ぐ風潮には納得できません。

首里城も大事ですが、たとえば埋め立てで破壊される辺野古の海や、地球温暖化で進むサンゴの白化などに代表される島々の海の危機などが、もっともっと語られ、考慮され、騒がれて然るべきではないか、と思うのです。

以上                          

                                     それではまた』



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好きだが違和感もある首里城よ



首里城正殿正面800


首里城が焼け落ちてしまった。残念で悲しいことである。それが沖縄のシンボルだからではない。それが日本の数少ない多様性の象徴的な存在だからである。

同城は過去に何度も焼失し、その度に復元されてきた。今回は5度目の被災だが、近い将来また復元されるだろう。それを前提に考えてみた。

首里城は1429年から1879年までの450年間、独立国として存在した琉球王国の王家の居城であると同時に、王国統治の行政機関だった「首里王府」の本部があった場所である。

日本国の外にあった琉球王国のシンボルであり、1879年の琉球処分以降は、沖縄県のシンボルとして見なされることが多いユニークな建物だ。

だが僕は首里城を沖縄一県の表象 ではなく、日本の多様性を体現する重要な象徴だと考えている。だからその焼失がことさらに残念で悲しいのである。

琉球王国は人口17万人程度のミニチュア国家だった。それでいながら東シナ海を縦横に行き交う船団を繰り出して中継貿易を展開。大いに繁栄した。

ちなみに「琉球王国」というのは、沖縄の本土復帰後の初代県知事だった屋良朝苗が、主に観光誘致を目指して発明・普及させた俗称で、正式名は「琉球国」である。ここでは両者を併用する。

琉球国は、幕藩体制下の大国・日本の鎖国政策と、さらなる巨大国家・中国の海禁政策の間隙を縫って交易範囲を東南アジアにまで広げ、マラッカ王国と深い関係を結んだりもした。

琉球国は17世紀に薩摩藩の支配下に入り、同時に中国(清)の冊封下にも組み込まれる体制になったが、依然として独立した王国として存在しつづけた。

もとより王国は、取るに足らない小国に過ぎなかった。だがそこは琉球王国から琉球藩となりさらに沖縄県となっても、日本国の中で異彩を放ち続けた。

異彩の正体は独自の文化である。明治維新後の沖縄は琉球王国というミニ国家が育んだ文化をまとっているために、日本国の中で疎外され差別さえ受けた。

その疎外と差別の残滓は21世紀の今も存在し、特に過重な米軍基地負担の形などになって歴然と生き続けている、と僕は考えている。

世界中に文字通り無数にある文化は、その一つ一つが「他とは違う」特殊なものである。そして全ての文化間に優劣はない。ただ「違い」があるだけだ。

同時に文化は多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な怖いものでさえある。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからである。

つまりこの場合は無知が差別の動機だ。ある文化に属する人々は、無知ゆえに他文化に属する人々を差別し、差別する人々は別の機会には同じ動機で他者に差別される。

愚かな差別者と被差別者は往々にして目くそ鼻くそだ。沖縄を差別する日本人はどこかでその画一性や没個性性を差別され、差別された沖縄の人々もまた必ずどこかで誰かを差別する。

他とは違う、という特殊性こそがそれぞれの文化の侵しがたい価値だ。言葉を変えれば特殊であることが文化の命なのである。普遍性が命である文明とはそこが違う。

ところが特殊であること自体が命である文化は、まさにその特殊性ゆえに、既述のように偏見や恐怖や差別さえ招く運命にある。明治維新後の沖縄の文化がまさにそれだった。

一方、琉球国以外の全国の約260藩は、明治維新政府の誘導の元に天皇の臣民として同一化され没個性的になっていった。

幕藩体制下では各藩を自国と信じていた人々が、西洋列強に追いつきたい明治政府の思惑に旨く誘導されて、「統一日本人オンリー」へと意識改革をさせられて均質化していったのである。 

統一日本国の一部となった沖縄県ももちろん同じだった。しかし同地はその文化のユニークさゆえに、均等性がレゾンデートルだった明治日本全体の中で異端視されつづけた。

その事実は沖縄の人心の反発を招き、沖縄県では他府県同様の統一日本人意識の確立と共に、琉球国への懐古感覚に基づく「沖縄人」意識も醸成され深く根を張っていくことになる。

日本人意識と沖縄人意識が同居する沖縄県民のあり方は、実は世界ではありふれたことだ。特に僕が住むここイタリアなどはその典型である。

イタリア人は自らが生まれ住む街や地域をアイデンティティーの根幹 に置いている。具体的に言えば、イタリア人はイタリア人である前に先ずローマ人であり、ナポリ人であり、ベニス人なのである。

イタリア人の強烈な地域独立(国)意識は、かつてこの国が細かく分断されて、それぞれの地方が独立国家だった歴史の記憶によっている。

日本もかつては各地域が独立国のようなものだった。幕藩体制化においても、各藩はそれぞれが独立国とまでは言えなくとも、藩民、特に藩士らの意識は独立国の国民に近いものだった。

それが明治維新政府の強烈な同一化政策によって、各藩の住民は既述のように日本人としてまとまり、「統一日本人」の鋳型にすっぽりとはめ込まれていった。

沖縄県も間違いなくその一部である。同時に沖縄県は、歴史の屈折と文化の独自性のおかげで、日本国内でほぼ唯一の多様性を体現する地域となり現在に至っている。

日本の多様性を象徴的に体現しているその沖縄県の、さらなる象徴が首里城なのである。その首里城が火事でほぼ完全消滅したのは沖縄県のみならず日本国の大きな損失だ。

さて、

歴史的、文化的、そしてなによりも政治的な存在としての首里城を礼讚する僕は、同時に首里城の芸術的価値という観点からはそれに強い違和感も持つ。

僕は首里城の芸術的価値に関してはひどく懐疑的なのだ。遠景はそれなりに美しいと思うが、近景から細部は極彩色に塗りこめられた騒々しい装飾の集合体で、あまり洗練されていないと感じる。

“首里城は巨大な琉球漆器”という形容がある。言い得て妙だと思う。首里城には琉球漆器の泥くささ、野暮ったさがふんだんに織り込まれている。

泥くささや野暮ったさが「趣」という考え方ももちろんある。ただそれは「素朴」の代替語としての泥くささであり野暮ったさだ。極彩色の首里城の装飾には当てはまらない、と思うのである。

色は光である。沖縄の強烈な陽光が首里城の破天荒な原色をつくり出す、と考えることもできる。建物の極彩色の意匠は光まぶしい沖縄にあってはごく自然なことだ。

しかし、原色はそこにそのまま投げ出されているだけでは、ただ粗陋でうっとうしいだけの原始の色であり、未開の光芒の表出に過ぎない。

美意識と感性を併せ持つ者は、原始の色を美的センスによって作り変え、向上させ繊細を加えて「表現」しなければならない。

僕は今イタリアに住んでいる。イタリアの夏の陽光は鮮烈である。めくるめく地中海の光の下には沖縄によく似た原色があふれている。

ところがここでは原色が原始のままで投げ出されていることはほとんどない。さまざまな用途に使われる原色は人が手を加えて作り変えた色である。

あるいは作り変えようとする意思がはっきりと見える原色である。その意思をセンスという。センスがあるかないかが、沖縄の原色とイタリアの原色の分かれ目である。

沖縄に多い原色には良さもないわけではない。つまり手が加えられていない感じ、自然な感じ、簡素で大らかな感じが沖縄の地の持つ「癒やし」のイメージにもつながる。

首里城の光輝く朱色の華々しい装飾は、見る者を引き付けて止まない。また見れば見るほどそこには味わい深い情緒が増していくようなおもむきもある。

だがそれは時として、原色のあまりの目覚ましさゆえに、僕の目にはケバい、ダサい、クドいの三拍子がそろった巨大作品に見えないこともないのである。

首里城の名誉のために言っておけば、しかし、そうした印象は首里城に限らない。日本の歴史的建築物には見方によってはケバい、ダサい、クドいの形容にあてはまる物が少なくない。

いくつか例を挙げれば、日光東照宮の陽明門と壁の極彩色の彫刻群や、伏見稲荷と平安神宮の全体の朱色や細部の過剰な色合いの装飾なども、ともすると僕の目には少し彩度が高過ぎるというふうに映る。

いうまでもなくそれらは、 建物がまとっている歴史的また文化的価値の重要性を損なうものではない。だが歴史的建造物は、そこに高い芸術的要素が加わった際には、さらに輝きを増すこともまた真実である。



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盆と十字架

泣く女性銅像800


明後日、すなわち11月2日はイタリアを含むカトリック教世界の盆です。それは 一般に「死者の日」と呼ばれる 「万霊節」 です。

「死者の日」。日本語ではちょっとひっかかる響きの言葉ですが、その意味は「亡くなった人をしのび霊魂を慰める日」ということです。

カトリックの教えでは、人間は死後、煉獄の火で責められて罪を浄化され、天国に昇ります。その際に親類縁者が教会のミサなどで祈りを捧げれば、煉獄の責め苦の期間が短くなる、とされます。

それは仏教のいわゆる中陰で、死者が良い世界に転生できるように生者が真摯な祈りを捧げる行事、つまり法要によく似ています。

万霊節には死者の魂が地上に戻り、家を訪ねるという考えがあります。イタリアでは帰ってくる死者のために夜通し明かりを灯し薪を焚く風習もあります。

また死者のためにテーブルを一人分空けて、そこに無人の椅子を置く家庭もあります。食事も準備します。むろん死者と生者が共に食べるのが目的です。

イタリア各地にはこの日のために作るスイーツもあります。甘い菓子には「死の苦味」を消す、という人々の思いが込められています。

それらの習慣から見ても、カトリック教徒の各家庭の表現法と人々の心の中にある「死者の日」は、日本の盆によく似ていると感じます。

10月31日から11月2日までの3日間も、偶然ながら盆に似ています。盆は元々は20日以上に渡って続くものですが、周知のように昨今は迎え火から送り火までの3日間が一般的です。

今日10月31日のハロウィン、11月1日の諸聖人の日、翌2日の死者の日(万霊節)、と宗教祭礼が続く日々が、盆の3日間に似ている、と思うのです。

3つの祭礼のうちハロウィンは、キリスト教本来の祭りではないため教会はこれを認知しません。しかし、一部のキリスト教徒の心の中では、彼らの信教と不可分の行事になっていると考えられます。

人々は各家庭で死者をもてなすばかりではなく、教会に集まって厳かに祈り、墓地に足を運んでそれぞれの大切な亡き人をしのびます。

筆者も昨年の万霊節に亡くなった義母の墓参りをしました。義母はカトリック教徒ですが、墓参のあいだ筆者はずっと「義母の新盆」ということを意識していました。

十字架に守られた墓標の前に花を供え、カトリック教徒の妻が胸の前で十字を切って祈りをささげました。筆者はその隣で日本風に合掌しましたが、そのことになんの違和感もありませんでした。

仏教系無心論者」を自称する筆者は、教会で祈る時などにはキリスト教徒のように胸で十字を切ることはしません。胸中で日本風に合掌します。実際に手を合わせる時もあります。

義母は先年、日本の敬老の日を評価して「最近の老人はもう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と一刀両断、脳天唐竹割りに断罪した荒武者でした。

義母の言う「いつまでも死なない老人」とは明らかに、「ムダに長生きをして世の中に嫌われながらも、なお生存しつづけている厄介な高齢者」という意味でした。

当時89歳だった義母は、その言葉を放った直後から急速に壊れて、彼女自身が「いつまでも死なない」やっかいな老人になりました。

今考えれば「いつまでも死なない老人」と言い放ったのは、壊れかけている義母の底意地の悪さが言わせた言葉ではないか、という気がしないでもありません。

義母は娘時代から壊れる老人になる直前まで、自由奔放な人生を送りました。知性に溢れ男性遍歴にも事欠かなかった彼女は、決してカトリックの敬虔な信者とは言えませんでした。

死して墓場の一角に埋葬された義母は、それでも、十字架に守られ筆者を介して仏教思念に触れて、盆の徳にも抱かれている、と素直に思いました。

何らの引っかかりもなく筆者がそう感じるのは、恐らく筆者が既述のように自称「仏教系の無心論者」だからです。筆者は宗教のあらゆる儀式やしきたりや法則には興味がありません。心だけを重要と考えます。

心には仏教もキリスト教もイスラム教もアニミズムも神道も何もありません。すなわち心は汎なるものであり、各宗教がそれぞれの施設と教義と準則で縛ることのできないものです。

死者となった義母を思う筆者の心も汎なるものです。カトリックも仏教も等しく彼女を抱擁する、と筆者は信じます。その信じる心はイエス・キリストにも仏陀にも必ず受け入れられる、と思うのです。

カトリックの宗徒は、あるいは義母が盆の徳で洗われることを認めないかもしれません。いや恐らく認めないでしょう。

仏教系無心論者の筆者は、何の問題もなく義母が仏教に抱かれ、イエス・キリストに赦され、イスラム教に受容され、神道にも愛される、と考えます。

それを「精神の欠けた無節操な不信心者の考え」と捉える者は、自身の信教だけが正義だというドグマに縛られている、窮屈な 一神教の信者、というふうに見えなくもありません。。



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