【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2019年12月

教皇さまが「いわんや悪人をや」 とおっしゃったのはメデタイことだ



背景教皇ペン画サンピエトロ


ことし11月、ローマ教皇として38年ぶりに日本を訪問したフランシスコ教皇は、恒例のクリスマスイブのミサで「神は、つまりイエス・キリストは人類のうちの最悪人でさえも愛する」と人々に語りかけた。全世界13億人の信者に向けて開かれるクリスマスのミサは、カトリックの総本山ヴァチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で執り行われる。

この言葉は「全ての人を愛せ」と説いたイエス・キリストの言葉を踏襲し、あらためて確認したものと受け止めるのが普通だろうと思う。ところがイギリスのBBC放送の記者は「このメッセージは、性的虐待などのカトリック教会のスキャンダルに言及したと受け止められる可能性がある」と少し遠回しの言い方で批判した。

その解釈は多分に政治的なものである。BBCの記者は恐らくプロテスタントだろう。少なくともカトリックの信者ではない、と断言してもいいのではないか。彼は教皇のメッセージをカトリック教徒以外の立場から見て、その内容が自己保身的だと感じたと言いたいのだろうが、訳合いほとんどこじつけである。

ローマ・カトリック教会が、聖職者による性的虐待問題で激震に襲われているのは事実だ。またフランシスコ教皇がその問題を深刻に受け止め「断固とした対応をとる」と公言しながらも、世界を十分に納得させるだけの抜本的な改革には未だ至っていないのもまた事実だ。しかし彼がローマ教会内の保守派の抵抗に遭いながらも、決然として問題の解決に取り組んでいるのもこれまた否定できない。クリスマスのミサで保身や隠蔽を示唆する法話をした、と捉えるのは余りにも政治的に過ぎる偏狭な見方に思える。

僕はキリスト教徒ではない。キリスト教徒ではないので、むろん教会や教皇を無条件に受容し跪(ひざまず)くカトリック信者でもない。また、いうまでもなくBBC記者に寄り添うプロテスタントでもあり得ない。それでいながら僕は、フランシスコ教皇を真摯で愛にあふれた指導者だと考え尊崇している。しかしそれは彼の地位やローマ教会の権威に恐れをなすからではない。

僕はフランシスコ教皇の人となりを敬慕し親しむのである。そしてそこから生まれ出る彼の思想や行動を支持するのである。僕のその立場は、例えば先日退位して上皇となった平成の天皇への景仰の心と同じものだ。僕は天皇時代の上皇の、国民への真摯な愛と行動と言葉を敬慕し支持する。それは天皇を天皇であることのみで盲目的に敬う胡乱蒙昧な情動とは無縁の信条に基づく判断である。

僕は「天皇制」にはむしろ懐疑的な立場である。天皇制は天皇自身とは無関係に政治利用されて危険を呼ぶ可能性がある。だから僕はその制度を懸念する。一方僕は平成の天皇をその人となりの偉大ゆえに尊崇する。その意味では新天皇に対する親和心や尊敬や愛はまだ感じない。彼が天皇であることそのものではなく、彼のこれからの天皇として動きを見なければ判断できないのだ。

フランシスコ教皇の「最悪人も神に愛される」というメッセージは、先に書いたようにイエス・キリストの教えを踏襲すると同時に、浄土真宗の親鸞聖人が説いた「善人なおもて往生をとぐ、 いわんや悪人をや」の悪人正機説にもよく似ている。もっとも親鸞聖人の言う悪人とは、犯罪者や道徳的悪人などの今の感覚での悪人のことではない。そこが普通に極悪人を意味する教皇の「悪人」とは違う。

親鸞聖人が言及した悪人とは仏の教えを知らない衆生のことであり、善人とは自らの力で自らを救おうとするいわゆる「自力作善の人」のことだ。だが真実は、実は善人も仏の教えを知らない。彼らがそのことを悟るとき、つまり悪人になるとき彼らもまた救われる。だから悪人とはつまり「全ての人」のこと、という解釈もできる込み入ったコンセプトだ。

だがそのような深読みや理屈はさておいて、親鸞聖人の教えの根本にあるのは愛と赦しの構えである。全ての人が仏の功徳で救われる。だから仏の教えを信じなさい、と聖人は主張するのだ。それはイエスキリストの言う全ての人を愛しなさい、とそっくり同じ概念である。愛があれば憎しみがなくなる、憎しみがなくなるとは「赦し、赦される」ということである。フランシスコ教皇の「最悪人も神に愛される」とは、つまりそういうことではないか。

恐らくプロテスタントであろうBBC記者の政治的な解釈には、イギリス的な慢心が混じっているようで興味深い。僕は英国の民主主義と、英国民の寛容の精神と開明を愛する者だが、同じ英国人の持つ唯我独尊的な思想行動に辟易するものも覚える、と告白しなくてはならない。そこには「赦し」の心が入り込みにくい窮屈があるように思う。

たとえばこういことがあった。2015年、僕はイベリア半島の英国領・ジブラルタルを旅した。スペイン領からジブラルタルに入るとき、車列がえんえんと続く渋滞に行き合った。ところが一車線がはるか向こうまでクリアになっている。一台の車も見えず完全に空き道なのである。状況が分からない僕はその車線に入って車を走らせた。

ところがしばらく走った先が閉鎖されていて通れない。結局大渋滞中の車線に入らなければならなくなった。そこでウインカーを出して渋滞車線に割り込もうとすると、各車が一斉にクラクションを鳴らして拒否した。少し空いた隙間に入ろうとすると車をぶつけるほどの荒々しい動きで空間を詰め、クラクションを激しく鳴らしながらドライバーが窓を開けて罵声を浴びせたりするのだ。

僕の気持ちも顔もマッサオなそんな状態が10分以上も続いた。僕はついに車を停めて道路に降り立ち「申し訳ない。状況が分からなかった。間違ったのだ。どうか割り込ませて欲しい」などと英語で叫ぶように頼んだ。ところがそれにも大ブーイングが起こる。お前は悪いことをした。みんな渋滞の中でじっと待っている。バカヤロー!ルールを守れ!などなどすさまじい非難の嵐である。

僕はひたすら謝った。いま来た道は戻るに戻れないのだから謝るしかない。それでも彼らは赦さなかった。僕はついに諦めて、反対車線に入るために無理やり車を中央ラインの盛り上がりに乗せた。車はその動きで下部が損傷した。それでもなんとか車を乗り上げて反対車線に入って逆走した。その間も渋滞車線のドライバーたちはクラクションを咆哮させて僕を責め続けていた。

その経験は僕の気持ちをひどく萎えさせた。学生時代に足掛け5年間住んだこともある英国への僕の賞賛の思いは、その後も決して変わらない。だが時として原理・原則にこだわりすぎるきらいがある英国人のメンタリティーは、少々つらいものがあると思う。僕は神かけて誓うが、ジブラルタルではズルをするつもりで空き車線を走ったのではない。状況を見極めようとしてそこを行ったのだ。

いま考えれば全ての車が渋滞車線にいて空き車線には入ろうとしないのだから、そこを行くのはマズイのだろうという意識が働かなければならない。ところが僕は旅先にいるという興奮やジブラルタルという特殊な邦への強い興味などで頭がいっぱいになっていて、少しもそこに気が回らなかった。それやこれやで思わず空き車線に入り先を急いでしまった。つまり僕は「間違った」のだ。だが苛烈な厳粛主義者の英国人はそれを決して赦そうとはしなかった。僕はそこに英国的リゴリズムの危うさを見る。

「人間は間違いを犯す。間違いを犯したものはその代償を支払うべきであり、また間違いを決して忘れてはならない。だがそれは赦されるべきだ」というのが絶対愛と並び立つカトリックの巨大な教義である。イタリア社会が時としていい加減でだらしないように見えるのは、人々の心と社会の底流にその思想・哲学が滔々と流れているからだ。彼らは厳罰よりも慈悲を好み、峻烈な指弾よりも逃げ道を備えたゆるめの罰則を重視する。イタリア社会が時として散漫に見え且つイタリア国民が優しいのはまさにそれが理由だ。  

僕は確信を持って言えるが、もしもジブラルタルのようなエピソードがイタリアで発生したなら、僕は間違いなく人々に赦されていた。先に走って割り込もうとする僕をイタリア人ドライバーももちろん非難する。だが彼らは「しょうがないな」「Furbo(フルボ:悪賢い)め」などと悪態をつきつつも、車を止めて割り込みをさせてやる。ズルイ奴や悪い奴は腹立たしい。が、その人はもしかすると間違ったのかもしれない、という赦しの気持ちが無意識のうちに彼らの行動を律するのだ。英国人にはその柔軟さがない、と筆者は昔からよく感じる。  

いや、それは少し違う。英国の国民性と哲学の中にも赦しの要素はもちろんある。たとえば英国人が好んで言う「There is no law without exception :例外のない法(規則)はない」などがその典型である。だが赦すことに関しては彼らは、例えば未だに武家社会の固陋な厳罰主義の影響下にある日本人などに比較するとゆるやかではあるものの、全ったき愛や赦しを説くカトリックノの教義や哲学に染められているイタリア人に較べた場合には、はるかに狭量だと言わざるを得ない。

そのひとつの現われがジブラルタルで僕が体験したエピソードであり、フランシスコ教皇のクリスマスのメッセージを曲解したBBC記者の言い分だと思う。だがそれは、フランシスコ教皇を支持し敬愛する僕の、自らの立場に拠るバイアスのかかったポジショントークである可能性ももちろんある。僕はそれを否定しないが、なにごとにつけ剛よりは柔のほうが生きやすく優しい、という考えは誰になにを言われようが今のところは曲げるつもりはない。



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「クリスマスもどき」もまたクリスマスである



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さて、またクリスマスが巡り来て、当たり前の話ながら年末年始がそこまで迫っています。烏兎匆匆。しかしながら一日一生の思いを新たにすれば溜息は出ません。あるいは溜息などに使う時間はありません。

昨年は25年ぶりにクリスマスを含む年末年始を日本で過ごしました。年末年始は日本で日本ふうの形で過ごしたので、こころ穏やかな充実した時間になりました。だが、クリスマスには大きな発見がありました。

つまり、クリスマスを実際に日本で過ごして状況を見聞し雰囲気を感じて、これまで筆者が抱いていた日本のクリスマスに関する思いをあらためて見極め追認したという意味で、結構な驚きであり喜びでもあったのです。

それまでの25年間、イタリアで過ごしたクリスマスでは宗教や信仰や神について考えることがよくありました。考えることが筆者の言動を慎重にし、気分が宗教的な色合いに染められていくように感じました。

それは決して筆者が宗教的な人間だったり信心深い者であることを意味しません。それどころか、筆者はむしろ自らを「仏教系無神論者」と規定するほど俗で不信心な人間です。

しかし筆者は仏陀やキリストや自然を信じています。それらを畏怖すると同時に強い親和も覚えます。ここにイスラム教のムハンマド を入れないのは筆者がイスラム教の教義に無知だからです。

それでも筆者は、イスラム教の教祖のムハンマドは仏陀とキリストと自然(神道&アニミズム)と同格であり、一体の存在であり、ほぼ同じコンセプトだと信じています。

いや、信じているというよりも、一体あるいは同格・同様の存在であることが真実、という類の概念であることを知っています。

ところが、そうやって真剣に思いを巡らし、ある時は懊悩さえするクリスマスが、まさにクリスマスを日本で過ごすことによって、それが極々軽いコンセプトに過ぎないということが分かるのです。

言わずもがなの話ですが、クリスマスは日本人にとって、西洋の祭り以外の何ものでもありません。つまり、それは決して「宗教儀式」ではないのです。従ってそこにはクリスマスに付随する荘厳も真摯もスタイルもありません。

なぜそうなのかといえば、それは日本には一神教の主張する神はいないからです。日本にいるのは八百万の神々であり、キリスト教やイスラム教、あるいはユダヤ教などの「神」は日本に到着すると同時に八百万の神々の一つになります。

言葉を変えれば、一神教の「神」を含むあらゆる"神々"は、全て同級あるいは同等の神としてあまねく存在します。唯一神として他者を否定してそびえたつ「神」は存在しません。

一神教の主張するる「神」、つまり唯一絶対の神は日本にはいない、とはそういう意味です。「神」は神々の一、としてのみ日本での存在を許されるのです。

自らが帰依する神のみならず、他者が崇敬する神々も認め尊重する大半の日本人の宗教心の在り方は、きわめて清高なものです。

だがそれを、「日本人ってすごい」「日本って素晴らし過ぎる」などと 日本人自身が自画自賛する、昨今流行りのコッケイな「集団陶酔シンドローム」に組み込んで語ってはなりません。

それというのも他者を否定するように見える一神教は、その立場をとることによって、他の宗教が獲得できなかった哲学や真理や概念―たとえば絶対の善とか道徳とか愛など―に到達する場合があることもまた真実だからです。

また一神教の立ち位置からは、他宗教もゆるやかに受容する日本人の在り方は無節操且つ精神の欠落を意味するように見え、それは必ずしも誤謬ばかりとは言えないからです。

あらゆる宗教と教義には良し悪しがあり一長一短があります。宗教はその意味で全て同格でありそれぞれの間に優劣は存在しません。自らの神の優位を説く一神教はそこで大きく間違っています。

それでもなお、自らの「神」のみが正しいと主張する一神教も、あらゆる宗教や神々を認め尊重する他の宗教も、そうすることで生き苦しみ悩み恐れる人々を救う限り、全て善であり真理です。

日本人は他者を否定しない仏教や神道やアニミズムを崇めることで自から救われようとします。一神教の信者は、唯一絶対の彼らの「神」を信奉することで「神」に救われ、苦しみから逃れようとします。

日本には一神教の「神」は存在しない。従ってそこから生まれるクリスマスの儀式も実は存在しません。日本人がクリスマスと信じているものは、西洋文明への憧憬と共にわれわれが獲得した「ショーとしてのクリスマス」でありクリスマス祭なのです。

それはきわめて論理的な帰結です。なぜなら宗教としての定式や教義や規律や哲学や典儀を伴わない「宗教儀式」は宗教ではなく、単なる遊びであり祭りでありショーでありエンターテインメントだからです。

それは少しも不愉快なものではありません。日本人はキリスト教の「神」も認めつつ、それに附帯するクリスマスの「娯楽部分」もまた大いに受容して楽しみます。実にしなやかで痛快な心意気ではないでしょうか。


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花のロクマル組 



白鵬・Sマリン・ロナウド合成800


フィンランドに34歳の女性宰相が誕生して話題になっている。サンナ・マリンさん。1985年生まれである。

昔、花のニッパチ組という流行語があった。大相撲の昭和28年生まれの力士たちのことだ。彼らは昭和50年代に大活躍した。

横綱になった北の湖と若乃花(2代目)をはじめ大錦、麒麟児、金城などの強い力士がいた。

2019年の34歳とは、日本暦で言えば昭和60年生まれの人たち。大相撲ふうに言えば「花のロクマル組」か。

マリン首相のほかに大相撲の白鵬、サッカーのクリスティアーノ・ロナウド、ゴルフの宮里藍や横峯さくらなどが「花のロクマル組」になる。

横綱の白鵬やサッカーのロナウドは、34歳の今日現在もそれぞれの世界で最強また最高峰の地位に君臨している。

スポーツの世界では、人の寿命が伸びるのに比例して、明らかに選手寿命が伸び活動の最盛期間も伸びている。

この傾向は、カール・ルイスが30歳で100M走の世界記録を塗り替えた、1991年あたりから明らかになっていったように思う。

飽くまでも個人的な印象だが、それまでは20歳代半ばから後半が選手生命のピークで、多くの世界記録も30歳以前に樹立されていたのではないか。

ヒトの身体能力は平均寿命の延びと共に高くなって行って、その盛りや持続期間もより高齢へと移動しているのが実情のようだ。

ところが政治の世界では、高齢者が普通に現役寿命を延ばしているばかりではなく、若年層の活躍も目覚ましくなっているように見える。

高齢で現役の政治家としてはマレーシアのマハティール首相(94歳)、イタリアのベルルスコーニ元首相(83歳)などがいる。

またことし亡くなったジンバブエのムガベ前大統領は、2017年時に93歳になってもまだ現役だった。もっとも40年近くも政権を握り、後半は民主制ではなく独裁制だと指弾されたが。

日本に目を向けて見れば、中曽根康弘元首相がいる。彼は現役ではなかったものの、先日101歳で亡くなるまで政界のご意見番的存在として活躍し続けた。

一方若年の政治家は、フィンランドのサンナ・マリン首相に始まって、ここイタリアのルイジ・ディマイオ外相やオーストリアのセバスティアン・クルツ 氏などがいる。クルツ氏は2017年、31歳で首相に就任。当時世界最年少の総理大臣だった。

フランスのマクロン大統領と、再びここイタリアのレンツィ元首相も39歳の若さで政権のトップの座にすわった。後者は首相になる前、34歳でフィレンツェ市長になり、38歳でイタリア最大政党民主党の党首に選ばれた。

34歳の サンナ・マリン首相は、最年少というくくりではオーストリアのクルツ前首相やディマイオ外相などに及ばない。やはり女性であること、またフィンランドでは3人目の女性宰相である点などに大きなニュースバリューがあると言えるだろう。

折りしもジュネーブにある世界経済フォーラムが2019年の男女格差の順位を発表し、フィンランドは世界第3番目に男女格差が少ない国と規定された。それだけを見ても女性宰相が3人も輩出したのは偶然ではないのだ。

ついでに言えば日本は、153カ国のうち121位と前年から順位を落として過去最悪。女性が輝く日本、という安倍政権のキャッチフレーズが依然として画餅であることが分かる。

サンナ・マリン首相は、同性愛者の母親がパートナーと同居する家庭で育った。そのために自らをLGBTのシンボルである6色の「レインボーフラッグ」にちなんで、レインボー・ファミリーの出身だと説明するらしい。

サンナ・マリン首相の就任が大きな話題になったのは、彼女が「時代の申し子」にほかならないからだ。だがそこでもっとも重要なのは、34歳という彼女の年齢もさることながら、女性、ジェンダーギャップ、LGBTというキーワードである。

同性愛カップルの家庭で育ち、フィンランド史上最年少の、3人目の女性宰相になったサンナ・マリンさんを、既述の白鵬、ロナウド、宮里藍、横峯さくら、また醸しだす雰囲気が好ましい女優の綾瀬はるかや上戸 彩などと共に、『花のロクマル組』と呼んでみたい気がするのは僕だけだろうか。


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英国解体のシナリオ 



UKParliament_x欧州flag


2019年12月月12日、Brexit(英国のEU離脱 )を争点にして行われた英総選挙で、離脱を主張するボリス・ジョンソン首相率いる保守党が圧勝し同国のEU離脱がほぼ確定した。周知のようにBrexitは2016年、その是非を問う国民投票によって決定していたが、議会の承認が得られないために実行できず、紆余曲折を繰り返した。

国民投票で民意を離脱へと先導したのは、「英国のEUからの独立」を旗じるしの一つにして愛国心に訴えるナショナリストやポピュリスト、あるいは排外差別主義者らだった。折しもそれは米大統領選でドナルド・トランプ共和党候補が、差別や憎しみや不寛容や偏見を隠さずに、汚い言葉を使って口に出しても構わないと考え、そのように選挙運動を展開して米国民のおよそ半数の共感を獲得しつつある時期に重なっていた。

トランプ候補は英国世論の右傾化の援護風も少なからず受けて当選。その出来事は、ひるがえって、台頭しつつあった欧州の極右勢力を活気づけた。翌2017年にはフランス極右のマリーヌ・ルペン氏があわやフランス大統領に当選かというところまで躍進した。それを受けるようにドイツでも同年、極右政党の「ドイツのための選択肢」が飛躍して一気に議会第3党になる事態になった。そうした風潮の中でオランダ、オーストリア、ギリシャ等々でも極右勢力が支持を伸ばし続けた。

そして2018年、ついにここイタリアで極右政党の同盟が左派ポピュリストの五つ星運動と共に政権を掌握した。欧米におけるそれらの政治潮流は、目に見える形でもまた水面下でも、全てつながっている。あえて言えば、世界から極右に近いナショナリストで歴史修正主義者、と見られている安倍首相率いる日本の現政権もその流れの中にある。

かつて欧州は各国間で血まみれの闘争や戦争を繰り返した。だが加盟各国が経済的な利害を共有するEUという仕組みを構築することで、対話と開明と寛容に裏打ちされた平和主義と民主主義を獲得した。経済共同体として出発したEUは、今や加盟国間の経済のみならず政治、社会、文化などの面でも密接に絡み合って、究極の「戦争回避装置」という役割まで担うようになった。

だがEUの結束は、2009年に始まった欧州ソブリン(債務)危機、2015年にピークを迎えた難民問題、2016年のBrexit国民投票騒動等々で大幅に乱れてきた。同時にEU域内には前述のように極右勢力が台頭して、欧州の核である民主主義や自由や寛容や平和主義の精神が貶められかねない状況が生まれた。

EUは自らの内の極右勢力と対峙しつつ米トランプ政権に対抗し、ロシアと中国の勢力拡大にも目を配っていかなければならない。内外に難問を抱えて呻吟 しているEUの最大の課題はしかし、失われつつある加盟国間の連帯意識の再構築である。それがあればこそ難問の数々にも対応できる。そのEUにとっては連合内の主要国である英国が抜けるBrexitは大きな痛手だ。

英国はBrexitでEUから去っても、政治・経済・社会・文化の成熟した世界一の「民主主義大国」として、あらゆる面でうまくやっていくだろう。離脱後しばらくの間は、自由貿易協定を巡ってのEUとの厳しい交渉や、混乱や不利益や停滞も必ずあるだろうが、それらは英国の自主独立を妨げない。

EU域内の人々の目には、英国の自主独立の精神はかつての大英帝国の夢の残滓がからみついた驕(おご)り、と映ってしまうことがよくある。そこには真実のかけらがある。だが、その負のレガシーはさて置き、英国民の「我が道を行く」という自恃の精神は本物でありすばらしい。その英国民の選択は尊重されるべきものだ。

そうはいうものの独立独歩の英国には、力強さと共に不安で心もとない側面もある。その最たるものが連合王国としての国の結束の行く末だ。英国は周知のようにイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド から成る連合王国だが、Brexitによって連合の堅実性が怪しくなってきた。スコットランドと北アイルランドに確執の火種がくすぶっているのだ。

特にスコットランドは、かねてから独立志向が強いところへもってきて、住民の多くがBrexitに強く反発している。スコットランドは今後は、EUへの独自参加を模索すると同時に、独立へ向けての運動を活発化させる可能性がある。北アイルランドも同じだ。英国はもしかすると、EUからの離脱を機に分裂崩壊へと向かい、2地域が独立国としてEUに加盟する日が来るかもしれない。

Brexitを主導したボリス・ジョンソン首相が、連合王国をまとめていけるかどうかは大きな疑問だ。総選挙のキャンペーンで明らかになったように、彼はどちらかと言えば分断を煽ることで政治力を発揮する独断専行型の政治家だ。Brexitのように2分化された民意が正面からぶつかる政治状況では、独断専行が図に当たれば今回の総選挙のように大きな勝ちを収めることができる。

言葉を変えれば、2分化した民意の一方をけしかけて、さらに分断を鼓舞して勝ち馬に乗るのだ。その手法は融和団結とは真逆のコンセプトだ。総選挙前までのそうしたジョンソン首相の在り方のままなら、彼の求心力は長くはもたないと考えるのが常識的だろう。彼が今後、連合王国を束ねることができると見るのは難しい。

英連合王国はもしかすると、Brexitを機に分裂解体へと向かい、ジョンソン首相は英連合王国を崩壊させた同国最後の総理大臣、として歴史に名を刻まれるかもしれない。だが逆に彼は、Brexitを熱狂的に援護するコアな支持者を基盤に連合王国の結束を守りきるのかもしれない。米トランプ大統領が、多くの 瑕疵 をさらしながらも岩盤支持者に後押しされてうまく政権を運営し、弾劾裁判さえ乗り越えようとしているように。

もしも英連合王国が崩壊するならば、大局的な見地からは歓迎するべきことだ。なぜなら少なくともスコットランドと北アイルランドが将来は独立国としてEUに加盟する可能性が高いからだ。2国の参加はEUを強くする。それはEUの体制強化につながる。世界の民主主義にとっては、EU外にある英国よりもEUそのもののの結束と強化の方がはるかに重要だから、それはブレグジットとは逆に大いに慶賀するべき未来である。


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いまさらでも、ベニスを沈む前に訪ねたほうがいい


水没ドゥカーレ宮殿前&鐘楼800

100メートル近い高さがあるベニスのサンマルコ広場の鐘楼の足元には、高潮の潮位を示す掲示版メーターが備えられている。2019年11月12日、メーターは187センチを示した。史上最悪だった1966年の194センチに次ぐワースト記録である。 

ベニスの高潮は秋から春にかけて起きる。12月の今のこの時期も真っ盛りだ。アフリカ・サハラ砂漠生まれの風「シロッコ」がアドリア海に吹き込んで、海面の潮を吹き集めて北のベニス湾に押し込む。それによって街が浮かぶラグーナと呼ばれる遠浅の海の海面が急上昇して、ベニスを水浸しにする。

サハラ砂漠が起源のシロッコは元々は乾いた熱い風だが、地中海を吹き渡る間に水気を吸って湿る。熱く湿った風となったシロッコは、アドリア海のみならずイタリア中に吹きまくって環境に多大な影響を与える。それはヒマラヤ起源の大気流が影響して、日本に梅雨がもたらされるのにも似た自然の大いなるドラマである。

シロッコが高潮をもたらす気象状況は、ベニスの街が誕生した5世紀半ば以来えんえんとつづいてきた。だが近年、高潮は洪水と呼ぶほうがふさわしいほど悪化して、被害の拡大がつづいている。災害は一年の半分近い期間にわたって起きるが、特に雨が降りやすい晩秋から冬の初め頃に多い。

シロッコの被害を別にしてもベニスは水没しつつある。周知のようにベニスは、遠浅の海に人間が杭を打ち込み石を積みあげて土地を構築・造成し建物を作っていった街である。そこは海抜1メートルほどの高さしかない。それにもかかわらずに地下のプレートが毎年数ミリづつ沈下している。放っておいても数百年もたてば海抜0メートルになる計算だ。

それに加えて、地域の工業化に伴って地下水を汲み上げ過ぎたために、人工造成された街の地盤が沈下する悲劇も起きた。現在は少し良くなったが、危機的な状況に人々が気づかなかった 1950年から70年にかけての20年間だけでも、地盤は12センチも沈降したのである。

元からあるそれらの悪条件に加えて、近年は温暖化による水位の上昇という危難も重なった。そのためにベニスでは、自然と人工の害悪が重層的に影響し合って地盤沈下が進行し、そこに低気圧や季節風による高潮が襲う、という最悪の構図が固定化してしまったのである。

課題の多いベニスには、ここ数年は中国人観光客が大量に押し寄せて、これまた元からあるオーバーツーリズム問題に拍車がかかった。そのため彼らのマナーの悪さなどへの批判も重なって、中国人の重さでベニスの沈下速度が加速している、といったデマが流れたりもするほどである。

街では年々悪化する浸水被害を食い止めようとして、多くの打つ手 が編み出され試行錯誤が繰り返されてきた。その中で究極の解決策と見られたのが、ベニスの周囲に可動式の巨大な堤防を設置して高潮をブロックする計画、いわゆる「モーゼ・プロジェクト」である。

モーゼがヘブライ人を率いてエジプトから脱出した際、海が割れて道ができた、という旧約聖書の一節を模してそう名づけられた壮大な計画は、アドリア海からラグーンに入る海流の入り口となる海中の3箇所の自然道に、防潮ゲートを設置するというもの。

固定式の水門だと海流を止めて生態系を壊してしまう危険が高いため、可動式のアイデアになったその堤防は、1980年代に着想され2003年から工事が始まった。現在までにおよそ7000億円もの巨費が投入されてきている。

計画は国を挙げて進められているが一向に完成せず、推定されていた16億ユーロの初期費用が膨らみつづけて、55億ユーロ以上(約7000億円)にまで達した。この先も予算は際限なく膨張するに違いないという批判も多い。

無責任にも見える不手際はそれだけにとどまらない。なんと55億ユーロのうちの20億ユーロが汚職に使われたと見られているのだ。それに関連して2014年にはベネチア市長を含む35人が贈収賄で逮捕された。政財界を巻きこんだ醜聞は後を絶たない。

「モーゼ・プロジェクト」の完成は当初2014年とされていたが、それは2016年に延び、さらにほぼ2年ごとに延長されつづけている。現在は2021~22年の完成予定とされているが、それを信じる者は文字通り誰もいない。

「モーゼ・プロジェクト」の混乱と年々悪化する高潮被害を受けて、ベニス救済へ向けたあらたなアイデアも生まれている。その中でもっとも注目されているのが、「水には水を」のコンセプトで推進されている「地盤への海水注入作戦」である。

作戦ではベニスに直径10キロの円を描く12本の井戸を掘って、何年もかけて膨大な量の海水を地下に注入する。すると海水を注ぎ込まれた地層が膨張し隆起して、地盤沈下の進行が止まる、というものである。

ベニス近くのパドバ大学の教授が提案したそのアイデアは、「モーゼ・プロジェクト」よりもはるかに低いコストで実行することができ、成功した場合は「モーゼ・プロジェクト」と併用するか、あるいは「モーゼ・プロジェクト」そのものが不要になる可能性も秘めている。

なんでもいいから美しいベニスを早く救ってくれ、というのがベニスを愛してやまない僕の腹からの願いである。だが今のままでは願いは空しくなる可能性も高い。そこでもうこれ以上ベニスに観光客が増えないことを祈りつつ、より多くの人が沈む前のベニスを観たほうがいい、と矛盾する思いにもとらわれたりする今日この頃である。


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さようならBexit、コンニチワお一人さま英国

※大幅に書き直して「英国解体のシナリオ」とし、この後に再掲載

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英国はBrexitでEUから去ってもむろん孤独ではない。当のEUをはじめとして世界には英国を友人と認める国々がいくらでもある。だがここではEUの枠を抜け出した英国を、EUとの対比で敢えて「お一人さま」と呼んでみた。

Brexitを最大の争点にした総選挙で、離脱強行派のボリス・ジョンソン首相率いる保守党が圧勝した。長い間のBrexit騒動はこれで終わり 、英国はEU枠外に去ることがほぼ確定した。

EUを離れても、もちろん英国は、政治・経済・社会・文化の成熟した世界一の民主主義大国として、あらゆる面でうまくやっていくだろう。

離脱後しばらくの間は、通商に関するEUとの厳しい交渉や、混乱や不利益や停滞も必ずあるだろうが、それらは英国の自主独立を妨げない。

英国の自主独立の精神は、かつての大英帝国の夢の残滓がからみついた驕り、としばしばEU域内の人々の目に映ってしまうことがある。

そこには真実のかけらがある。だが、過去の栄光にしがみつく気分がもたらす常在の慢心はさて置き、英国民の我が道を行くという自恃の精神は本物でありすばらしい。

その英国民の選択は尊重されるべきものだが、総選挙をBrexitへと先導したジョンソン首相の求心力は長くは続かないと思う。

しかしながら僕は、過去にトランプ大統領の誕生を非現実的と見誤り、彼が大統領に就任してからは、不人気で無能な大統領になると予測してスベリまくった。

その流れで今回は、トランプ大統領と親和的な政治心情を持つジョンソン首相に対する批判心から、バイアスのかかった見方になっている可能性がある。

そこでここでは、「総選挙前までのジョンソン首相の在り方のままなら、彼の求心力は長くはもたないと考えるのが常識的だろうが」と言い直しておきたい。

EU域内の欧州大陸側にいると、英国やアイルランドといった島国の様子が客観的に見えてくる。それは日本やアメリカほかの国々が客観的に見える状況と同じで愉快だ。

また同じ大陸内とはいえ、EU各国をはじめとする欧州の国々も客体的 に眺めることができる。同時に自らが住むイタリアという国自体も、「日本人という外国人」の目で中立的に見ることができる、という気がしている。

そんな視点で見る今後の英国には、力強さとともに不安で心もとない側面もある、と強く思う。その最たるものは連合王国としてのイギリスの結束の行く末だ。

イギリスは周知のようにイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド から成る連合王国だが、Brexitによって連合の堅実性が怪しくなってきた。

特にスコットランドは、かねてから独立志向が強いところにもってきて、住民の多くがEU残留を求めているから、今後は独立へ向けての運動が活発化する可能性がある。

また北アイルランドも、地続きで兄弟国のアイルランドと、いわば宗主国であるイングランドとの間で揺れ動き、不安定な政情に陥るかもしれない。

ジョンソン首相には連合王国をまとめて行くカリスマ性と求心力はない。彼はむしろ分断を煽ることで政治力を発揮する独断専行型の政治家だ。

Brexitのように2分化された民意が正面からぶつかる政治状況では、独断専行が図に当たれば今回の総選挙のように大きな勝ちを収めることができる。

つまり一方をけしかけて、さらに分断を鼓舞して勝ち馬に乗るのだ。その手法は融和団結とは真逆のコンセプトだ。彼が今後、連合王国を束ねることができると見るのは難しい。

僕は繰り返し書いているように英国のファンである。民主主義大国の英国は、連合王国として常に結束して、世界に民主主義の良さと強さを明示し続けてほしいと願ってきた。

その意味でスコットランドの独立にも僕は反対を唱えてきた。スコットランドが独立すれば英国が弱くなり、それよりもさらに惰弱な小国が生まれるに過ぎない。それは世界の民主主義にとってはネガティブな出来事だ。

英国はEUの中に留まって、EUの「民主主義力」を支え同一化して共に繁栄してほしい、と常々願ってきた。だがその願いは今回の総選挙で粉々に破壊された。

そうなってしまった今、僕はスコットランドの独立をむしろ期待する。なぜならスコットランドは英国から独立することでEUに留まる、あるいは参加することができる。それはEUの強化につながる。

僕はEU外に去る、強くて尊重できる、だが愚かな国でもある英国よりも、EUの結束と拡大と、従って政治力の増大にも資するスコットランドの独立を支持する。

英国の繁栄を願う気持ちに変わりはないが、世界の民主主義にとっては、残念ながら、英国よりもEUの結束と強化の方がはるかに重要だと考えるからだ。


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英総選挙、ドンデン返しの読み方


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選挙結果を予測するのは、(立候補した)当事者か投資家でもない限り無意味である。なぜなら、選挙はフタをあけてみるまで分からない、という古すぎると言うさえばかばかしいほどの箴言が常に正しいからである。投資家だけはボロ儲けを狙って、魑魅魍魎が横行する選挙後の金融投機市場に資金を注ぎ込もうとするから死に物狂いで結果予測を試みる。

しかし、机上論者の経済学者らが、現実の市場経済の動向や実体を「理路整然と」間違うことが多いように、投資家たちも選挙という魔物の正体に惑わされてしばしば大損をこうむる。要するに選挙とは、結果を測ることが至難の、だが結果を予測することが選挙自体よりも得てして魅力的な、人間の不思議な発明の一つなのである。

僕はそこかしこで表白しているように、Brexitの行方を十中八九決定するであろうイギリスの総選挙の様子を真剣に見守っている「反Brexit主義者で英国ファン」の男である。Brexitを巡る自身の政治的立ち位置については前回エントリーでも既に述べた。

世論調査によれば、Brexitの実行、というよりも「強行」を叫ぶジョンソン首相率いる保守党が、最大野党の労働党を10%前後リードしていて、もはや選挙戦の勝敗は決したという状況である。僕はこの直前記事ではそのことを踏まえて、投票日までに情勢が劇的に変わらなければ 、英国は離脱期限である1月31日さえ待たずにEUから離脱する可能性もある、と書いた。

白状すれば実はそれは、強い反Brexit 主義者である僕の願いとゲンかつぎに基づく表現だった。つまり、Brexitはもはや成った、と信じる振りで書くほうが逆の結果をもたらす、と姑息に考えたのである。だがそれはあまりにも子供じみた願いだと気づいた。そこで選挙結果が出る前に、下手な評者 としての少しの論理的思い、また惑いなどを表明しておくことにした。

Brexit強行派のジョンソン首相率いる保守党の優位は変わらず、投票2日前の2月10日現在、もはや勝敗の行方ではなく保守党がどれくらいの差で勝利するかが焦点、とさえ考えられている。大勝した場合は問題なくBrexitに向かい、僅差での勝利の場合のみBrexit見直し論が沸き起こる可能性がある、というのが世論調査に基づく一般的な見方である。

ところがその状況は実際には落とし穴である可能性もあるのだ。2017年、当時のテリーザ・メイ首相はBrexit論争の膠着を打開しようとして、世論調査が伝える高い保守党支持率を頼りに解散総選挙に打って出た。ところが結果は惨敗。彼女は失脚と形容しても過言ではない形で権力の座から去った。

彼女の前にはデヴィッド・キャメロン首相が、やはり世論調査での高い支持率に裏切られる格好で、Brexitの是非を問う国民投票を敢えて実施し敗北。政権の座を追われた。いや、実のところは無責任に政権の座を投げ出した。

キャメロン元首相の行為は、2016年のイタリアのマテオ・レンツィ元首相の思い上がり国民投票実施や石原慎太郎元東京都知事の尖閣諸島購入計画、あるいは仲井眞弘多元沖縄県知事の辺野古移転容認策などと同様に、後世まで語り継がれ指弾され続けられるべき事案である。

英国の各世論調査は近年、選挙や国民投票の予測で失敗を繰り返し全く信頼に値しない、という見方もある。だがその傾向はイギリスだけにとどまらない。世論調査は2016年、米大統領選挙でのトランプ氏勝利についても、大失策を演じたのは記憶に新しい。

世界中で同様のことが起きているが、民主主義大国である英国の場合は特に、有権者の動向を予測するのがきわめて難しくなっている。今回の総選挙でもほぼ全ての世論調査が保守党の勝利を見込んでいるものの、実は有権者の半数が投票日まで誰に票を入れるかを決めていない可能性があり、誰がどの程度の差で勝利するかは分からない。

英国では投資家などを中心とする人々が、世論調査の不手際をおそれて、人工知能による分析やWEBによる選挙民のムード分析、あるいは既存のブックメーカーの分析予想法などを駆使して選挙結果を推測しようとする動きまである。かつては選挙結果を予想する時に参考になったのは、85%までが世論調査の数字だったが、現在では30%以下だとさえ言われる。

つまり、ジョンソン首相と保守党の勝利を一様に予測している各種世論調査の結果は間違っている可能性がある。首相と保守党の敗北とまではいかなくとも、僅差での勝利にとどまるケースも考えられるのである。つまり僕のポジショントークではなく、選挙後にBrexit見直し論が起こり、ひいてはBrexitが反故になることもあり得るのだ。

Brexitはこの直前の論考で述べた通り、大局的に見て世界のためにならないと思うが、地域的に見ても、特にジョンソン首相が政権を維持し続けるようなら、英国のために全く良くないと思う。彼は権力の亡者だとされる。自らが首相になりたい一心でBrexitを推進しているという批判もある。

しかしながら、政治家である以上は、政界の最高の地位である総理大臣を目指すのは当たり前だと僕は思う。そうではない政治家なんてどうせたいしたことはない。それは政権掌握を目指さない政党がフェイクであるのと同じ欺瞞だ。

ジョンソン首相の政治家としての野心は良しとするべきだと思う。しかし彼は人間的に信用できない男、という評価が敵味方にかかわりなくつきまとっているとされる。政治家としては勿論、ジャーナリストだった頃も同じである。この悪評のほうがよっぽど深刻ではないか。

そこを捉えて、BBCの著名なジャーナリストが「信頼」をテーマにジョンソン首相への公開質問状をテレビで読み上げた。そこにはジョンソン首相の嘘で塗り固められた政治主張や言動や行状がこれでもか、とばかりに語られている。

BBCは公開質問状をこう説明している。「これはわれわれが視聴者の代わりに、政権を握るかもしれない人を詰問し、責任を問うものです。それが民主主義です」」と。その説明通り詰問状は、ジョンション首相が所属する保守党以外の全ての党の党首にも投げかけられ回答を得た。ところがジョンソン首相だけはそれに答えずに逃げ回っている。

ジョンソン首相は、Brexitを推進した「Brexit党」党首のナイジェルファラージ氏と同じトランプ主義者である。トランプ主義者とは反移民、人種差別、宗教差別などを旗印にして、「差別や憎しみや不寛容や偏見を隠さずに、汚い言葉を使って口に出しても構わない」と考え、そのように行動する人々ことである。

ジョンソン氏は従って、誇り高き民主主義大国・英国の首相にはふさわしくない、と僕は思う。Brexitが帳消しになればジョンソン氏の首相職も同じ道をたどるだろう。その意味でもやはり僕は、英国の総選挙の結果がサプライズになることを願わずにはいられないのである。



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何度でも、繰り返し、なぜBrexitはNGかを語ろう



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来たる12月12日のイギリスの総選挙を経て、同国のEU(欧州連合)離脱つまりBrexitが完遂されそうな状況である。それはとても残念なことだ。

BrexitでイギリスがEUを離脱しても、EU加盟国の国民ではない僕には直接の不利益はもたらされない。恩恵も一切受けない。なぜなら僕はイタリアの永住権はあるもののイタリア国籍を持たない日本人だからだ。

「EU国民」のイタリア人の場合、Brexitの後は英国へ渡航するのにパスポートが必要になったり、同国で自由に職に就けなくなったり、保険が使えなくなったり、税金が高くなったり等々のさまざまな不都合が生じる。

一方「EU外人」の僕と英国との関係は、僕が日本に住んでいてもイタリアにいても何も変わらない。彼の国に渡るには常にパスポートが必要だし就職は「EU外人」として大きく制限される。

その他のすべてのケースでも、僕は日本在住の日本人が英国に旅する場合とそっくり同じ待遇しか受けられない。離脱してもしなくても同様なのだ。その意味ではBrexitなんて僕にとってはどうでもいいことだ。

それでも僕はBrexitに強く反対する。なぜか。それは強いEUが世界の民主主義と平和と自由と人権等々にとってきわめて重要だからだ。英国が離脱すればEUの力が弱くなる。それがBrexitに反対する第一の理由だ。

世界には現在、排外差別主義者のトランプ米大統領と彼に追従するミニ・トランプ主義者が権力を持つ国々が跋扈している。当の米国を筆頭に、中国、ロシア、ブラジル、中東各国、南米、また英国内の急進Brexit勢力、日本の安倍政権などもどちらかといえば残念ながらそうだ。

反移民、人種差別、宗教差別などを旗印にして、「差別や憎しみや不寛容や偏見を隠さずに、汚い言葉を使って口に出しても構わない」と考え、そのように行動するトランプ大統領以下の反動勢力に対抗できる最大の力がEUだ。

EUの結束は、2009年に始まった欧州ソブリン危機、2015年にピークを迎えた難民問題、2016年のBrexit決定などで、大幅に乱れてきた。同時にEU参加国の間には極右政党や極左勢力が台頭して、欧州の核である民主主義や自由や寛容や平和主義の精神が貶められかねない状況が生まれた。

そうした中でEUは、トランプ政権に対抗しながらロシアと中国の勢力拡大にも目を配らなければならない。プーチンと習近平が率いる変形独裁共産主義の2大国は、EUおよび欧州にとっては、ほぼ永遠に警戒監視しながら同時に協調の道も探らなければならない厄介な相手である。

内外に難問を抱えて正念場に立たされているEUは、連帯意識を再構築し団結して、事態に対面していかなければならない。 そのEUにとっては連合内の主要国である英国が抜けるBrexit騒動は、大きなマイナスにこそなれ決してプラスではありえない。

EUは強い戦争抑止力を持つメカニズムでもある。かつて欧州は、各国家間で血まみれの闘争やいがみ合いや戦争を繰り返してきた。しかしEUという参加各国が経済的な利害を共有する仕組みを構築することで、対話と開明と寛容に裏打ちされた平和主義と民主主義を獲得した。

EUは経済共同体として出発した。が、いまや加盟国間の経済の結びつきだけではなく、社会、政治、文化の面でも密接に絡み合って、究極の戦争回避装置という役割を担うまでになったのである。英国がその枠組みからはずれるのは将来に禍根を残す可能性が高い。

将来への禍根という意味では、Brexitは当の英国を含むEUの若者に与える損害も大きい。最大最悪の損失は、英国の若者がEU域内の若者と自由に行き来して、意見交換をし刺激し合い共に成長することがほぼ不可能になることだ。

大学をはじめとする教育機関のあいだの闊達な交流もなくなり、仕事環境もEU全体から狭い英国内へと極端に萎縮する。それはEU域の若者にとっても大きな損失だ。彼らも英国に自由に渡れなくなり視野の拡大や成長や協力ができなくなるからだ。

3年前の国民投票でBrexitに賛成票を入れたのは、若者ではなく大人、それもより高齢の国民が多かったことが知られている。ジコチュー且つ視野狭窄のジジババらが、極右勢力やトランプ主義者に加担して英国の若者の未来を奪った、という側面もあるのだ。

それやこれやで、Brexitの行方をおそらく9割方決定するであろう、12月12日のイギリス総選挙の動きをとても気にしている。EU信奉者で英国ファンの僕は、Brexitが反故になることを依然として期待しているが見通しは暗い。

Brexitを主導したナイジェル・ファラージ氏率いるその名も「Brexit党」が、与党・保守党が議席を持つ300余の選挙区に立候補者を立てないと決めたからだ。

保守党は選挙戦の初めから世論調査で大きくリードしているが、「Brexit党」の決定で同党の優勢がますます固まり、選挙後にBrexitが実行される可能性が高まった。

保守党の候補者のほとんどは、ジョンソン首相がEUとのあいだでまとめた離脱案を支持している。投票日までに情勢が劇的に変わらなければ、新たに成立する議会で離脱案が承認され、英国は離脱期限である1月31日さえ待たずにEUから離脱する可能性もある。

ナイジェル・ファラージ氏は、米トランプ大統領やマテオ・サルヴィーニ・イタリア同盟党首またマリーヌ・ルペン・フランス連合党首などと親和的な政治信条を抱く、政治的臭覚の鋭いハゲタカ・ポピュリストだ。

彼は2016年の国民投票の際、架空数字や過大表現また故意の間違いなど、捏造にも近い情報を拡散する手法をふんだんに使って、人々をミスリードしたと非難されることも多い。

だが僕は、Brexitの是非を問う国民投票を攪乱して、僅差ながら離脱賛成の結果を招き寄せた彼の政治手腕には脱帽した、と告白せざるを得ない。

国民投票では、事態の真の意味を理解しないまま、多くの国民がファラージ氏に代表されるポピュリストらに乗せられて離脱賛成票を投じてしまった、とされる。

だが彼らが離脱賛成に回ったのは、増え続ける移民への怒り、あらゆるものに規制をかけるEU官僚への反感、EUへの拠出金が多過ぎるという不公平感なども理由だった。

そればかりではない。英国民の多くが、EUに奪われた主権を取り戻す、という高揚感に我を忘れたこともまた事実だ。そこには大英帝国の亡霊に幻惑されて、いつもかすかに驕傲に流れてしまう民心、という英国独特の悲劇がある。

EU離脱による英国の利益は、ファラージ氏やジョンソン首相など離脱急進派が主張するほどの規模にはならないないだろう。なぜなら離脱ででこうむる損失のほうがあまりにも大きすぎるからだ。

僕個人への直接的な損害はもたらさないものの、英国のためにならず、EUのためにも、また決して世界のためにもならないBrexitに僕は反対する。

なぜならつまるところそれは、巡りめぐって結局僕個人にもまた故国日本にも大きな不利益をもたらす、きわめて重大な政治的動乱と考えるからである。



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