【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2020年02月

0号患者違い



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イタリア北部の11の自治体が封鎖される原因となった集団感染の0号患者について誤報があったので訂正しておきたい。

2月22日のエントリー「イタリアの落とし穴」で僕は:

“最近中国から帰国した38歳のイタリア人男性が新型コロナウイルスに感染していた。男性の妊娠中の妻も感染。また男性が所属しているスポーツクラブのメンバーにも感染していることが次々に明らかになっている”
と書いた。

そこで言及した38歳のイタリア人男性とは、いわゆる0号患者(インデックス・ケースindex case)のことだった。だが正確には彼は、集団内の最初の患者である0号患者ではなく、第1号患者。

38歳の男性は中国に行ったことはなく、彼が発病前に会っていた友人の男が上海を訪ねていた。するとその友人の男が最初の患者、つまり0号患者と見られたのだが、ウイルス検査は陰性と判明。そのため38歳の男性がどこでどのように感染したのか分からないまま、感染拡大が続いている、というのが今現在の状況である。

なお当初の情報では、38歳の男性は武漢を旅した、となっていたがそれは友人が訪ねた上海の間違いだったようだ。ふいに感染者が続出した混乱の中で、世界恐慌の震源地である武漢の名がごく自然に独り歩きをした、ということなのだろう。

なお、0号患者である可能性がある上海帰りの友人が、陰性と判断された後も繰り返し検査を受けたがどうかは不明。ウイルス検査には間違いが多いという情報がある。日本のクルーズ船の乗客の検査でも、最初の検査は陰性で2回目に陽性と出たケースがあったのではないか。

イタリアの医療のレベルは高く、十分に信頼に値する。またペストなどの伝染病と戦ってきた歴史もあり、他の欧州の先進国と同様に疫病の調査、予防、治療にも熟達している。従って0号患者かもしれない上海帰りの友人の扱いに抜かりはなかったとは思う。が、少し気にならないでもない。


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パニクらないパニック



イラスト白黒ぎゃ~


2020年2月25日(伊時間)現在、イタリアの新型コロナウイルス感染者数は231。死者7人。全員が高齢者で基礎疾患があった。今のところ感染は北部イタリアに集中している。大部分がミラノが州都のロンバルディア州と、ベニスが州都のヴェネト州。

ロンバルディア州の10の自治体とヴェネト州の一つの自治体は封鎖されている。封鎖とはそれらの自治体の出入り口に重武装の警察の検問が設けられて、ヒトとモノの動きを規制すること。軍隊もスタンバイしている。要するに地域限定の戒厳令、と考えれば分かりやすい。

封鎖地域内では学校や図書館を含む全ての公共施設が閉鎖され、レストランやバールなどの歓楽施設も原則ほぼ閉まる。開いているのは食料品店や薬店などの生活必需品を扱う店のみ。薬店などは逆に強制開店させられている場合がほとんど。

その状況はメディアによって逐一報道される。そのために封鎖地域に近い市町村でも静かに恐慌が起きる。僕の住まうあたりも「感染爆心地」から遠くないため、パニックになっていると言うのはまだ当たらないが、完全に穏やかでもない。

その証拠は友人知己との話の中などに出てくる恐怖感の表出の多さ。またスーパーマーケットなどの状況。

昨日、食料の買出しに出た。いつものようにわざと昼食時を選んだ。買い物客がぐんと少なくなるからだ。店の様子は普段と何も変わらなかった。ところが精肉売り場に異変が起きていた。

製品棚が空っぽなのである。店員に聞くと午前中に大勢の客が押し寄せて売り切れになったのだという。

3軒のスーパーを巡って興味深いことを発見した。3軒のうち2軒は安売り店なのだが、その2軒の品薄が激しかった。

残る1軒は普通の値段(安売りを“売り”にしていないという意味で)の店で、そこも普段に比べて品薄の印象はあったが、棚が空っぽという売り場はなかった。

それはもしかすると、貧しい人ほど不安におちいりやすい、ということの証かもしれない、とふと思った。ネガティブな世情の犠牲になりやすいのはいつも弱者だ。だから急ぎ防御の動きに出た、ということなのかもしれない。

僕は金持ちではないがひどく貧しいわけでもない。普段安売りスーパーに足を運ぶのは、もちろん値段の魅力もあるが、自分が基本的に好奇心の強い人間だからだ。

僕はTVドキュメンタリーの制作やリサーチ、またプライベートの旅などでイタリア中を巡り歩くが、どこに行っても真っ先に市場に足を運ぶ。市場を覗くのが好きなのだ。そこには地域の人々の暮らしの息吹が満ちあふれている。それを感じるのが好きなのである。

スーパーマーケットを巡り歩くのも基本的には同じ動機からだ。日常生活の場での行動だから旅行中の気持ちと純粋に同じではないが、僕を突き動かしているのは人々の暮らしへの関心であり好奇心である。

さて、

「感染爆心地」の近くに住んでいると言いながら、のんびりと状況を読んだり自己分析などをしているのは、事態が切迫していないことの証である。できればこの心のゆとりを保ったまま感染終息の声を聞きたいものだが。。


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戒厳令も敷けるのが真の民主主義かも



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2020年2月23日19:00現在、イタリアの「COVID-19」患者数 は152に増加。北部のロンバルディア、ヴェネト、ピエモンテ、エミリア・ロマーニャ州と、中部のラッツィオの5州が感染地域である。

このうち最も感染者が多いのはミラノが州都のロンバルディア州。

ロンバルディア州とヴェネト州、ピエモンテ州の3州は、保育園から大学までの全ての学校を閉鎖し、公私に渡る集会や催し物、プロサッカーを筆頭にするあらゆるスポーツイベント、各種コンテストや祭り等々を当面の間は禁止とした。

ミラノのスカラ座を始めとする劇場や映画館、各種娯楽・歓楽施設も閉鎖する。また2月25日まで続くはずだったベニスカーニバルも即座に打ち切りとなった。

またカフェやバールやパブやワインバーなどの営業は午後6時までに。ただしレストランは今のところは規制しない。だが状況によっては、明日にでも全ての店の閉鎖命令が出ることだろう。

厳しいように見えるそれらの措置は、過去にペスト流行の悪夢などを経験しているイタリアの基準では実はゆるい類の規制だ。

今回、突然ウイルス流行の爆心地となったロンバルディア州の10の自治体と、欧州初の死亡者が出たヴェネト州の1つの自治体は、人の出入りを含む一切の活動が禁止・封鎖された。

合計人口が5万人になるそれら11の自治体は、24時間態勢で警察の監視を受け軍隊もスタンバイする。つまりそこは、ほぼ戒厳令下に置かれることになったのである。

ほぼ戒厳令下に置かれているのは、僕の住まいから遠くない地域である。僕はロンバルディア州の住人なのだ。

そればかりではない。もうひとつの戒厳令発動地であるヴェネト州も、ロンバルディア州の隣接地だ。ウイルス話は他人事ではないのである

さて、ここからはウイルスパニックにまつわるこぼれ話。

事態が悪化すれば、僕の住む村のあたりもたちまち“ほぼ”戒厳令下の状況に置かれる可能性が出てきた。そこで念のために明日にでも食料の買出しに出よう、と先刻妻と話し合った。

ミラノから近く、僕もよく息抜きのためにひんぱんに訪ねるスイスは、イタリア人通勤者を締め出さない、と表明した。

スイスにはまだコロナウイルス感染者は出ていない。ところがイタリアのウイルス感染爆心地のロンバルディア州からは、多くのイタリア人が国境を越えてスイスに仕事に向かう。

だからスイス政府は、イタリアの不安をやわらげようとして、わざわざそうコメントを出した。

一方、南部イタリアのナポリ湾に浮かぶ有名リゾート地のイスキア島は、北部のロンバルディア州人とヴェネト州人、また中国人の入島を拒否する、とわざわざ宣言した。

ナポリもイスキア島も大好きな、且つロンバルディア州住民で中国人にも親近感を持つアジア人の僕は、イスキア島の怖い主張に心が萎えた。

スイスとはずいぶん違うなぁ、と少し悲しくもなった。

新型コロナウイルス「COVID-19」」は厄介である。実にうっとうしく恐怖である。だがもうひとつの真実も決して忘れてはならない。

「COVID-19」」は、今この時も世界中で蔓延しているインフルエンザに比べたら、より小さな脅威である。インフルエンザの方がはるかに巨大な殺人疾患だ。

それでも「COVID-19」が大問題であるのは、治療法が分からずワクチンもないからだ。またその状況でウイルスが突然変異して、人類の制御力の及ばない死のパワーを獲得する可能性があるからだ。

要するにわれわれは、ウイルスの正体が分からないからそれを恐れるのであり、また恐れなければならない。それは真っ当な態度だ。

だがイスキア島の態度は真っ当ではない。なぜなら島は、正体が分からないウイルスと正体が明らかな北部イタリア人と中国人を、敢えて一緒くたにして全て「分からないもの」と見なしているからだ。

分からないものだから、島は北部イタリア人と中国人を差別するのである。それは間違っている。

だが残念ながら、ウイルス・パニックは今後、世界中でイスキア島の誤謬と同じ現象や動きやトレンドをひんぱんに引き起こす可能性が高い。

その意味では「COVID-19」の真の恐怖は死の恐怖ではなく、それの蔓延によって人々の差別意識があらわになる現実かもしれないのである。


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バタフライ・エフェクト



卵の恐怖


これは個人ブログである。そこは事実や事件の正確な報告よりも「自分の意見を吐露する場」であるべき、あるいは事実や事件を「考察する」ツールであるべき、というのが僕の持論だ。

事実や事件の、速くて大量の情報は大手メディアに任せるべきであり、ブログなどSNSでの個人の情報発信者が、大手メディアを真似てニュース報道をしようとするのは間違っている

しかしながら、新型コロナウイルス関連のイタリアの情報は少ないように見えるので、僕もニュースを意識しての発信も試みることにした。

ただし時間経過と共に僕の報告の内容が変わったり、間違いが出てきたりする可能性があることをあらかじめご了解いただきたい。感染者の正確な数や感染の経緯など、情報が錯綜している部分がとても多いからだ。

「COVID-19」にまつわるイタリアの状況はめまぐるしく変化している。言葉を替えればウイルスの感染が急速に拡大している。

イタリア時間の今朝早く僕は、北部イタリアでふいに「COVID-19」患者が続出し、初の死者が出たと発信した。それからほぼ9時間後の今、2人目の犠牲者が出たことを報告しなければならない。

初めの死亡者は78歳の男性。今回の犠牲者は75歳の女性である。男性は感染経路が判然としない町の住人。女性は、38歳の男性を起点に広がっているミラノ近郊の感染被害者グループの一人である。

ちなみに亡くなった2人は、イタリアのみならず欧州初のヨーロッパ人の死者である。ヨーロッパで初めての「COVID-19」犠牲者は、先週フランスで死亡した80歳の中国人男性だ。人種差別意識からではなく、多くの欧州の患者が中国人である(あった)事実を伝えるために、敢えて記しておきたい。

ついでに言えば、2月21日以前の全てのイタリアの感染者はわずか3人。2人がイタリア旅行中の中国人。1人は武漢から帰国したイタリア人だった。

ところが、今日ここまでに感染者は40人近くにまで激増し、全員がイタリア人である。感染は中国人の枠を超えて、明確に欧州地元の住人の間に広がっている。少なくとも2020年2月22日夕方現在のイタリアではそうだ。

僕は今、住まいからそう遠くない地域で感染が拡大している現実にこれまでにない危機感を覚えると同時に、イタリア政府が昨年、中国と「一帯一路」連携への覚書を交わした因果を深い感慨と共に繰り返し思っている。

イタリア政府は低迷する経済へのテコ入れを主な理由に、反対するEUを押し切り国益を優先しつつ、独立独歩の精神にも恥じないやり方で中国と覚書を交わした。結果、中国との関係が深まりヒトとモノの往来が急増した。

それが今このときのイタリアの不幸を呼んでいるのではないか、としきりに思う。

イタリアは中国で新型コロナウイルスの感染拡大が明らかになるや否や、中国政府の猛反発を意に介することなく台湾、香港、マカオを含む中国便を、世界で真っ先に全面禁止措置にした。

その果断なアクションは恐らく間違っていない。

だが、そのときはすでに遅く、中国発の新型ウイルスは、イタリア-中国間の大量のモノとヒトの交流にまぎれてこの国に達してしまっていた。。。

いささか感傷的ながら、僕はどうしてもそんな物思いから抜け出せずにいる。




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イタリアの落とし穴

え~っ?!!


イタリア北部でふいに「COVID-19」が出現した。ゾンビのように、という形容がそらぞらしいほどの唐突な印象。あるいは報道管制でも敷いていたのだろうか、と疑いたくなるほどだ。突然に市中感染らしいケースも明らかになり、感染は急速に拡大しそうな様相を呈している。

これまでのイタリアの「COVID-19」患者は3人だった。2人はイタリア旅行中の中国人夫婦。1人は武漢から政府専用機でイタリアに帰国した56人のイタリア人のうちの、若いイタリア人男性。中国人夫婦はローマで隔離され、イタリア人男性も状態は安定。ほぼ回復する見込みだった。

ところが事態は急展開。北部ロンバルディア州の街で集団感染にも近いケースが発覚した。中国への渡航暦のない38歳のイタリア人男性が、新型コロナウイルスに感染していた。男性の妊娠中の妻も感染。また男性が所属しているスポーツクラブのメンバーにも感染していることが次々に明らかになっている。

同時にベニスが州都のベネト州でも2人の患者が出て、そのうちの78歳の男性が死亡。イタリア初の「COVID-19」犠牲者。こちらの2ケースも今のところ感染経路が不明。

世界で初めて中国便をシャットアウトして、危機管理能力の高さを示したように見えたイタリアには、それ以前に既に新型コロナウイルスが侵入していた、ということのようだ。

その見方が正しいなら、イタリアは中国の「一帯一路」構想を支持し、同国と覚書まで交わした政治のツケを払い始めた、とも言えるかもしれない。それというのも覚書以来イタリアには、中国人観光客が大量に押し寄せ、ビジネス関連の交流も活発になって人の行き来が急激に増えていた。

イタリアは突然、欧州で最も「COVID-19」患者の多い国になった。劇的な展開に衝撃を受けているのは僕だけではないだろう。しばらくはこの驚異的な現象に目をこらしていこうと思う。それが「しばらくの間」の作業であることを祈りつつ。。。


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危機管理は大げさが「適量」


え~っ?!!


日本政府はクルーズ船客の下船が始まり、コロナウイルス感染危機があらわになりつつある今(2月20日)になっても、イベントなどの自粛を一律には求めない、と発表した。キチガイザタとはこのことだ。

それを受けて岡山県の総社市は大勢が集まるマラソン大会を予定通り開催すると決定。アイタクチガフサガラナイ。

岡山県には今日までのところウイルス感染者は出ていない。だからといってウイルス感染の危険が高い多人数のイベントを行っていいとはならない。

今こそ日本人は単一民族という幻想をしっかりと意識し活かして、ウイルス感染の拡大を阻止するために死にものぐるいで行動するべきだ。

イベントや祭りやフェスタや催し物を一度キャンセルすることぐらい何だ。パンデミックが国を破壊するかもしれない危機に比べたら屁のようなものだ。

国はただちにイベントなどの一律自粛を呼びかけ、国民ももっと緊張して然るべきだ。

安全保障や予防や防衛手段は過剰なほうがちょうど良い。

なぜなら危機が過ぎた後で「大げさだったね」「やり過ぎだったね」「バカだったね」と皆で笑い合うほうが、その時になって泣くよりも100億倍望ましいことだからだ。


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ベニスカーニバルもサンレモ音楽祭も吹き飛ばした超激爆ウイルス「2019-nCoV」


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2月のイタリアは例年、カーニバルとサンレモ音楽祭で活気づく。カーニバルはイタリア全国で催される祭り。特にベニスのそれが有名だ。また70年の歴史を持つサンレモ音楽祭は、5夜にわたって繰りひろげられるいわばイタリアの「紅白歌合戦」。

2月8日に幕を閉じたサンレモ音楽祭は、視聴率や広告収入が大幅にアップするなど近年にない盛り上がりを見せた。しかしメディアの注目が新型コロナウイルス・パニックに集中してしまい、本来ならもっと高くなるべき筈の祭りへの関心が、著しく削がれてしまった。

一方ベニスカーニバルは、音楽祭と入れ替わるように2月8日に始まった。ベニスには近年、時として地元の人々が嫌うほどの数の中国人観光客が押し寄せる。2月25日まで続くカーニバルには、しかし、中国人の姿は多くは見られない。新型コロナウイルスの侵入を恐れるイタリア政府が、1月末から全ての中国便を差し止めているからだ。

イタリアが世界に先駆けて中国往来便を無期限全面禁止にしたのは、中国人観光客の激減という弊害はあるものの、どうやら正解だったようだ。それはクルーズ船での感染問題が深刻な日本の状況と比較しての今のところの感触だが、わざわざ日本とイタリアを比較するのにはそれとは別の理由がある。

新型コロナウイルス恐慌が起きる直前まで、日本は中国で最も人気の高いアジアの海外旅行先という統計が出ていた。一方イタリアは同時期、フランスやスペインまたイギリスなどの人気スポットを抑えて、中国人に最も人気のある欧州での旅行先になっていたのだ。

欧州の4国はそれまでも同カテゴリーで熾烈な順位争いをしてきたが、2019年3月、イタリアが中国との間に「一帯一路」への連携を約束する覚書を交わしたことで、この国に入る中国人観光客が爆発的に増えて、一躍トップに躍り出た。

覚書以降、中国からの観光客は増え続け、昨年11月にベニスが史上まれに見る水害に襲われたときには、“水の都ベニスが中国人観光客の重さで急速に沈みつつある”というデマが飛ぶほどになった。

そうした悪意ある風評は、中国人観光客のマナーの悪さや中国人移民の増加、また中国本土の一党独裁政権に対するイタリア国民の不信感など、これまでに醸成された負のイメージが相乗し錯綜して、深化拡大していったものである。

イタリアがいち早く中国便を締め出したのは、言うまでもなくパンデミックへの警戒感が第一義だが、それ以外にもいくつかの理由があったと考えられる。その第一はEU(欧州連合)の反対を押し切って、G7国として初めて中国との間に前述の 「一帯一路」覚書を交わしたことへの反省である。

EUは中国の覇権主義への警戒感から覚書に難色を示した。それに対してイタリアは「覚書は拘束力を持つものではなく、我々が望めばすぐに破棄できる」と弁解していた。だがEUの疑念は払拭されなかった。そこで今回イタリアは、中国便を素早く且つ容赦ない形で排除して、EUの疑念を晴らそうとした。

その施策は、国中にあふれるおびただしい数の中国人移民や、覚書を機に爆発的に増えた中国人観光客への違和感も持ち始めていたイタリア政府と国民にとって、都合の良い一手でもあった。また同時にそれは、観光産業への打撃を覚悟した策でもあった。

そうしたいきさつをひも解くと、イタリアと日本の置かれた状況は意外にも良く似ている。日本にはイタリアに見られるような中国人移民への苛立ちはないかもしれない。しかしながら観光客のマナーの悪さや、中国政府の覇権主義などへの反感は、イタリア同様に強いものがあるのではないか。

また、中国人観光客を拒否したときに観光産業が強い悪影響を受ける点も両国は似ている。それでいながらイタリアは、たちどころに中国便を全面禁止にし、日本はそうはしなかった。その違いが現在の両国のウイルス感染者数の差異になって現れた、と考えるのは荒唐無稽だろうか。

日本に於けるウイルスの感染経路はクルーズ船であり航空ルートではない、という反論もありそうだ。それに対しては「もしもクルーズ船のルートがあったならば、イタリアはきっとそこも大急ぎで閉鎖していただろう」と応じようと思う。要するに何が言いたいのかといえば、日伊両国間には危機管理能力の大きな差がある、ということである。

さらに話を続ける。伝統的にアバウトなようで実はしたたかなイタリア政府は、中国便を締め出す一方で、同国との仲を白紙撤回させる気はなく、航空便の全面禁止は行き過ぎだとして猛反発する中国政府に、施策は一時的な予防措置だと言葉を尽くして説得し、事態を沈静化させた。

畢竟イタリア政府は、EUや中国、ひいてはアメリカを始めとする世界の反応もしっかりと見据え考慮に入れながら、国としての峻烈な危機管理策をためらうことなく発動した、という解釈も成り立つのである。

いうまでもなく新型コロナウイルス恐慌がどこに向かうのか誰にも分からない。またウイルスの脅威は実体よりも大きく喧伝されていて、今のところはむしろ風評被害また報道被害のほうがはるかに深刻なのではないか、というふうにさえ見える。

いずれにしてもウイルスの暴走は気温が上がる春頃には終息に向かうと考えるのが妥当だろうし、希望的観測も兼ねてそう願いたい。そうなっても、また不幸にしてさらに長期化するにしても、イタリアの危機管理のあり方は日本が学ぶべき余地があるように思うのだが、果たしてどうだろうか。


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イタリアが大急ぎで中国便を締め出した理由(わけ)


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イタリアの新型コロナウイルス感染者は、2月13日現在3人である。だがメディアの騒ぎと国民の不安や関心は、世界中のどの国にも負けないほどに大きい。

テレビの定時ニュースは、ほぼ間違いなくウイルス関連の話題で始まり、しかも放送時間も長い。それらのほかに特別番組が盛んに組まれる。

ワイドショーやバラエティ番組やトークショーでも取り上げられる。新聞雑誌などの紙媒体もWEBも皆同じ。新型コロナウイルス一色だ。

ウイルス関連情報の洪水の中で確実に醸成されていっているのが、中国や中国人への偏見差別や怨みや怒りだ。

メディアは極力人々の嫌中国人感情を煽らないように慎重な報道を続けているが、事態が中国発の災難であることは子供でも知っているから、人々の表立ってのあるいは秘匿した感情は隠しようがない。

中国人移民の皆さんには気の毒だが、そうした悪感情はSARSなど過去の中国発のリスクや、年々増え続ける中国人移民への苛立ち、また中国の一党独裁政権へのイタリア国民の反感などもからまっていて、一筋縄ではいかない。

イタリア政府は先月、新型コロナウイルスの感染が中国で拡大し始めたのを見て、台湾、香港、マカオを含む中国便を、欧州初どころか世界で真っ先に全面的禁止措置にした。

イタリアの施策には中国本土はもとより台湾からも強い反発・抗議があった。中国はイタリアのやり方は行き過ぎだと怒り、台湾は彼らを「中国といっしょくたにするな」という言い方で反発した。

各国に先駆けて、イタリアが中国往来便を締め出すというドラスティックな決定をしたのは、ウイルスへの恐怖もさることながら、昨年3月、中国との間に一帯一路構想を支持する旨の覚書を交わしたことが影響しているのではないか、と僕は思う。

EU(欧州連合)が懸念する中国の一帯一路構想に、イタリアがG7国として初めて支持を表明し、協力関係を構築する旨の覚書を交わしたときは、EUは言うまでもなく米国を含む世界中が驚いた。

覚書は連立与党であるポピュリストの五つ星運動のゴリ押しで成立した。一方の連立与党である極右の同盟はこれには懐疑的だった。また2019年9月、同盟に代わって連立政権に加わった民主党も、五つ星運動ほどには中国との連携には熱心ではない。民主党はEU信奉者であるだけになおさらである。

「コロナウイルス狂乱が起きると同時に」と形容しても過言ではないほどの迅速な動きで、イタリアが中国便を全面禁止にした背景には、イタリア政府が、一路一帯問題でEUをいわば裏切ったことへの反省があったからではないか、と思う。

つまり、いの一番に中国便を締め出すことで、イタリアが中国とそれほど深い関係にあるのではない、とEUに向けてアピールしたかったのではないか。昨年3月に中国と覚書を交わした際イタリアは、EUからの批判に答える形で「覚書は拘束力を持つものではなくイタリアが望めばすぐに破棄できる」と弁解した。だがそれでEUの疑念が完全に払拭されたわけではなかった。

そこで今回イタリア政府は、中国便を素早く且つ容赦のない形で排除することで、中国との連帯がEUが疑うほど重いものではない、と当のEUと世界に向けて訴えようとした。それは民意の大半にも沿うアクションであったと僕は思う。

だが伝統的に、アバウトなようで実はしたたかなイタリア政府は同時に、中国との仲を白紙撤回させる気は毛頭なく、彼らの方策に抗議する中国政府に対しては、一時的な予防措置であることを、マタレッラ大統領を筆頭に政府首脳が言葉を尽くして説明して、事態を沈静化させた。

中国は一応抗議はしたもののイタリアの意図を受け入れた。イタリアの断固とした動きは中国政府をおどろかせた。いや、中国はイタリアのアクションをむしろ恐れさえした。その証拠に中国本土で旧正月の休みを過ごしたイタリア在住の中国人の子供たちは、帰伊後に一斉に「自主的」に自宅待機を宣言して、しばらくは学校に行かないことを決めた。

その決定をしたのは、中国人移民の割合が最も多い「プラート」。フィレンツェの隣町である。町の中国人コミュニティは自らを進んで隔離して、子供たちが学校でウイルスを撒き散らす危険を避けたのである。その一糸乱れぬ団体行動は、イタリアの思い切った処置に衝撃を受けた中国本土の強権政府が、住民に圧力をかけたから起きたと考えられる。

そうやって自粛行為をするのは、中国人移民にとっても恐らく為になることだ。それというのも、コロナウイルスへの恐怖は残念ながら民心を惑わして、中国人への偏見差別を助長させている。それは伝播して日本人にまで及ぶ事態さえ起きた。中国人移民の皆さんが外出や目立つ行動を控えるのは、今の状況ではおそらく悪いことではない、というふうに見える。


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ヤギ食えばおのこが立つかも島の宿


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子ヤギ肉と成獣肉

先日、例によってイタリア・サルデーニャ島で子羊及び子ヤギ料理を探し求めていた筆者は、これまで味わった中では最も美味い羊の「成獣肉」膳に出会いました。子羊肉は中東や欧州ではありふれた食材ですが成獣肉のレシピはまれです。

筆者がヤギや羊肉料理(以下ヤギ肉に統一)にこだわるのは、単純にその料理が美味くて好き、というのがまず第一ですが、自分の中に故郷の沖縄へのノスタルジーがあるせいかも、と考えないでもありません。

沖縄の島々ではヤギ肉が食べられます。筆者が子供の頃は、それは貴重な従って高級な食材でしたので、豚肉と同様にあまり食べることはできませんでした。たまに食べるとひどく美味しいと感じました。

島々が昔よりは豊かになった今は、帰郷の際にはその気になればいくらでも食べることができます。が、昔のように美味いとは感じなくなりました。料理法が単調で肉が大味だからです。

ところがここイタリアを含む欧州や地中海域で料理される“子ヤギの肉”は、柔らかく上品な味がしてバラエティーにも富んでいます。ヤギ肉独特のにおいもありません。

貧困ゆえの食習慣

沖縄では子ヤギは食べません。成獣のみを食べます。子ヤギを食べないのは貧困ゆえの昔の慣習の名残りだろう、と筆者は勝手に推測しています。

小さなヤギは、大きく育ててから食肉処理をするほうがより多くの人の空腹を満たす食材になります。ですから島の古人は、子ヤギを食べるなどという「贅沢」には思いいたらなかったのです。

ヤギの成獣には独特のにおいがあります。それは多くの人にとっては不快な臭気です。だが臭気よりは空腹の方がはるかに深刻な問題です。それなので貧しい島人たちは喜んでヤギ肉を食べました。

食べるうちに人は臭みに慣れていきます。やがて臭みは臭みではなくなって食材の個性になります。さらに食べると、むしろ臭みがないと物足りない、というところまで味覚が変化していきます。それが島々のヤギ料理です。 

筆者の遠い記憶の中には、貧しかった島での、ヤギ肉のほのかなイメージがあります。たまにしか口にできなかったその料理のにおいは臭みではなく、「風味」だったのだと思います。

その風味は、筆者の中では今は成獣肉のそれではなく「子ヤギ肉の風味」に置き換えられています。つまりここイタリアを含む地中海域の国々で食べる「子ヤギ」肉の味と香りなのです。

子ヤギの肉にはヤギの成獣の肉の臭みはありません。肉の香ばしさだけがあります。食肉処理される子ヤギとは、基本的には草を噛(は)む前の小さな生き物だからです。

成獣肉の行方

筆者が知る限り、ここイタリアではヤギの成獣の肉は食べません。羊も同じ。牧童家や田舎の貧しい家庭などではもちろん食されているとは思いますが、市場には出回りません。臭みが強すぎるからです。

しかし、スペインのカナリア諸島では、筆者は一級品のヤギの成獣の肉料理を食べた経験があります。それにはヤギの臭みはなく肉もまろやかでした。秘伝を尽くして臭いを処理し調理しているのです。

トルコのイスタンブールでも、羊の成獣の肉らしい美味い一品に出会いました。その店はカナリア諸島のように「成獣の肉」と表立って説明してはいませんでしたが、風味がほんのりと子羊とは違っていました。

子ヤギや子羊肉を伝統的に食する文化圏の国々には、そんな具合に成獣の肉をうまく調理する技術が存在します。イタリアでも隠れた田舎あたりではおそらくそうなのだろう、と筆者が憶測するゆえんです。

人工処理

実は「レシピ深化追求」の歴史がなくともヤギの臭みをきれいに消すことはできます。そういう料理に筆者はなんとヤギ食文化「事件」当事者の沖縄で出会ったのです。ほんの数年前のことです。

ヤギ料理をブランド化し観光客にもアピールしよう、という趣旨で自治体がレストランに要請して、各シェフに新しいヤギ料理を考案してもらい、それを試食する会が那覇市内のホテルで開かれました。

たまたま帰郷していた筆者もそこに招待されました。びっくりするほど多彩なヤギ料理が提供されていました。どれも見た目がきれいで食欲をそそられます。

食べてみるとヤギ肉独特の臭みがまったくと言っていいほどありません。まずそのことにおどろかされました。だが味はどれもこれもフランス料理の、ま、いわば「二流レシピの味のレベル」という具合でした。

どの料理もシャレていて美しいのですが、味にあまり個性がない。ヤギ肉の臭みを消す多くの工夫がなされる時間の中で、肉の風味や個性も消されてしまった、とでもいうふうでした。

多くの場合、島々の素朴を希求して訪れる観光客に、それらのヤギ肉料理が果たして好まれるだろうか、と筆者はすぐに疑問を持ちました。

それらは全て美しくまとまり味がこってりとしていて、ひと言でいえば洗練されています。でもなにかが違います。いかにも「作り物」という印象で、島々の素朴な風情と折り合いがつかない。居心地がわるいのです。

女性が食の流行をつくる

言葉を替えれば、この飽食の時代に、ほとんどの日本人にとっては新奇、もっといえばゲテモノ風のヤギ肉料理が、はたして食欲をそそる魅力を持っているかどうか、という根本の疑念が筆者にはありました。

さらにいえば、それらの料理が女性の目に魅力的に映るかどうか、ということも気になりました。食の流行はほとんどの場合、女性に好まれたときに起きます。

それらの料理の「見た目の美しさ」はきっと、特に女性に好感をもたれるでしょう。だが、そもそもヤギ肉という素材自体には魅力を感じない女性の「嫌気」はどうするのか、という疑問がどうしても消えません。

肉の臭みが取れても、「ヤギは癒し系の動物」というイメージも食欲のジャマをしそうです。もっともヤギに限らず、全ての家畜とほとんどの野生動物は癒し系だと思いますが。

そうした疑念を吹き飛ばすほどの訴求力が、それらのヤギ料理にあるとは思えませんでした。案の定それ以後、披露された新しいヤギ料理が、島で流行ったり観光客の評判になった、という話は聞きません。

ヤギ肉料理喧伝法

ちょっと大げさに言えばヤギ肉料理を流行させる秘策が筆者にはあります。それは前述とは逆に、女性に嫌われるかたちでのヤギ肉料理のありかたです。つまりヤギ肉の持つ特徴を科学的に解明して、それを徹底的に宣伝し売り込む方法です。

ヤギ肉には精力増進作用があるといわれます。ならばその精力を、ズバリ「性力」と置き換えても構わないような、ほのかな徴(しるし)が肉の成分に含まれてはいないか。もしそれがあればシメたものです。

ヤギ肉を食べれば男の機能が高まる、精力絶倫になる、バイアグラならぬヤギアグラを食して元気になろう!などと喧伝すればいい。

もしもそれが露骨すぎるというのなら、少しトーンを落として「ヤギ肉を食べれば活力が生まれる」ヤギ肉はいわば「若返り薬」だ、などと主張してもいい。

もちろん女性にも好感を持ってもらえるような特徴的な成分がヤギ肉に含まれているのなら、そこを強調すればさらに良い。

たとえば、やはり「若返り作用」の一環で肌がみずみずしくなる、シミなどを抑える。あるいは牛肉や豚肉などと比較するとダイエットに良い効果が期待できる、など、優れた点を徹底的に探して喧伝するのです。

料理の見た目や味やレシピではなく、ヤギ肉が持つ他の食材とは違う「根本的な特徴」というものでも発見しない限り、ヤギ肉料理が日本で大向こう受けするのはきわめて難しいように思います。

それならばいっそ、今のまま、つまり昔からある料理法のままで、「珍味」が好きな少数の観光客に大いに喜んでもらえる努力をしたほうが良いのではないか。要するに薄利多売ではなく、「臭み」という希少価値を売り物にする元々の島ヤギ料理の商法です。



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やっぱり聞こえてきた、東洋人は皆ウイルスだという声が。。


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中国発新型コロナウイルスに関して心配していたことが起こった。ローマの有名音楽学校が、中国人、日本人、韓国人を含む東アジアの留学生全てをいっしょくたにして、通学を禁じる校長の通達を発表したのだ。コロナウイルス恐怖症に陥った人々が、日本人も中国人と同じと見なしてあからさまな差別に出たということになる。

世界中のウイルスにまつわる情報は、イタリアまたローマも含めて、大手メディアがふんだんに報道しているだろうから、僕はいつものように現地住まいの者の実感に基づいて、ニッチビジネスならぬ個人的なこだわりや具体的な話に徹しようと思う。

有体に言えば、ローマの音楽学校の処置を誰もが納得しているわけではない。支持する者と批判する者が真っ二つに割れて存在する、というのが実情だ。支持する者は隠微な状況なので「仕方がない」と言う。批判する者はそこに人種差別を見て不快に思う。僕もそのひとりだ。

だが新型コロナウイルス問題のようなケースでは、人種差別や偏見が横行するのは普通のことだ。差別や偏見は、人が差別し偏見を持つ対象の実態を「知らない」場合に起こる。

新型ウイルスの実態は全人類にとっての謎だ。それが中国で発生し、まず中国で猛威を振るっている。人々は得体の知れないウイルスを恐れ、それを媒介するキャリアとなってしまった中国人を恐れる。「怖いウイルス」が「怖い中国人」にもなるのだ。

そんな状況ではむしろ偏見や差別が起こらないほうが不思議なくらいだ。むろん多くの良識ある人々は中国人を差別しない。冷静であろうとする。それが当たり前であるべきだ。

だが同時に、多くの人々は偏見し差別する。ローマの音楽学校のように。そして、少しのエスカレートで偏見差別は拡大し強化される。中国人へのそれが韓国人や日本人へといともたやすく伝播する。

いうまでもなくそうした根拠のない偏見や差別は是正されなければならない。同時に僕は日本の外にいて日本を客観的に見る者として、たちまち感じることがある。だからここではあえてそのことを取り上げて書き留めておくことにした。

つまりローマで起きた東洋人差別は、日本人がアジア人なのであり、中国人や韓国人はもとよりその他のアジアの人々に近い人種であり文化を持つ国民だという、当たり前だが多くの日本人が忘れている現実を思い出させてくれる、重要な出来事でもあるということだ。

日本人が差別されたというこの報告を読んで、傷ついたり腹を立てたりする読者もきっと多くいるだろう。その中身を端的に言ってしまえば 、日本人を中国人と一緒にするな、日本人は韓国人とは違う、などという思い上がりに基づく怒りだ。

あるいは、日本人をそれらの「アジア人」と同じように見なす、イタリア人への怒りを覚える人もいるだろう。だが断っておくけれども、イタリア人はヨーロッパの人々の中で一二を争うくらいの親日的な国民だ。

そんな国民でさえ、混乱し恐怖が支配する風潮の中では当たり前の現実に目覚め、普通に差別さえする。つまり結局日本人は、中国人や韓国人とその見た目はいうまでもなく、文化や歴史や民族性などもよく似たほぼ同じ人種なのだと。

それは少しもおかしなものではない。それをおかしいと感じる日本人こそ異常なのである。言葉を替えれば、日本人が準白人つまり表は黄色いのに中身が白くなってしまった“バナナ的人間”に成り果てていることが、むしろ奇怪なことなのだ。

日本人はイタリア人を含む欧米人が、われわれを「当たり前に」アジア人と見なすことを怒るのではなく、自らが持つ無意識の自己偏見、つまり私はアジア人ではない、という奇怪噴飯ものの思い込みにこそ恥じ入り、怒るべきなのだ。

日本人は自らが豊かであり民度が欧米並みに高いと思うならば、欧米人の感覚でつまり欧米の猿真似をして、同じアジア人を見下すのではなく、中国や韓国やその他のアジアの国々の地位の向上を目指して動くべきだ。欧州が全体的に豊かで民度の高い地域になっているように、グローバル世界てアジア全体が豊かで民度の高い地域となるように願い行動するべきなのだ。

欧州では電車やバスの中などで、中国人を筆頭にするアジア系住民が差別に遭ったり暴力的な扱いを受けるなどのケースが相次いでいる。イタリアのみならずフランスでもスペインでも起きた。日本人も対象になったイタリアのようなケースは今は稀だが、状況が改善しなければそれは増加する運命にある。

そうした厳しい現実を、日本人が自らを見直す好機としても捉えることができるなら、あるいはそれも良しとするべきことなのかもしれない。


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キワモノ食いの因果


虫食材600


コロナウイルスの状況が読めないので帰国予定をキャンセルした。

人の食習慣をあれこれ言うのは当たらない。

世界で人気の刺身は、つい最近まで大いなるゲテモノとみなされてきたし、今も敬遠する人は多い。

個人的には僕は、多くの人がイカモノと考えるヤギ・羊肉料理を、主に地中海域に捜し求めて飽きない。

「毒魚のフグを美味いと食らう日本人は気がおかしい」と、醗酵ニシンの缶詰であるシュール・ストレンミングの異臭にまみれてスウェーデン人がつぶやき、

イタリア人が腐ったチーズ、カース・マルツゥのウジをつまみ食いながら、ガラガラへびを捕らえて喜び食らうアメリカ・テキサス州人を、悪食の連中、とあざけるのが世界の食文化の景観だ。

世界中のあらゆる民族は、他から見たらゲテモノ以外の何ものでもない食材や食習慣をひとつやふたつは持っている。

そういうわけだから僕は中国人の奇食を批判したくはない。

だが、そうはいうものの、ウイルスを自国以外にもまき散らす彼らは少し迷惑だ。

コウモリかネズミか知らないが、食うなら食って外に出るな、と思わず言ってみたくなる。

外に出るな、とはグローバル世界の今の時代では「死ね」と同じ意味だ。

となると、それらのキワモノはできればやっぱり食うべきではない、というのが結論なのかもしれない。


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イワシも集まれば山となる 



イワシ群れ800に縮小を600に


極右政党「同盟」の勝利が予想されていた北イタリア・エミリア・ロマーニャ州選挙で、不人気の中道左派の民主党が逆転勝ちしたのは、昨年11月に4人の若者が結成し急速に成長した「イワシ運動」のおかげである。運動の拠点はボローニャ市。エミリア・ロマーニャ州の州都である。

「イワシ運動」は極右のサルヴィーニ氏への抗議のためだけに組織された。反サルヴィーニの一点に集中する「イワシ運動」は、また反ファシズム運動でもある、と創始者の若者らは語っている。サルヴィーニ氏の政治主張や活動は、確かにかつてのファシズムのそれに近いものもあるから、その言い分は決して荒唐無稽ではない。

「イワシ運動」がボローニャ市で興ったのは偶然ではない。同市を中心とするエミリアロマーニャ州は、隣接するトスカーナ州とウンブリア州と共にイタリア共産党の拠点だった地域。共産党が消滅した現在もリベラルの牙城であり続けている。極右勢力への対抗心はどこよりも強い。

「イワシ運動」は日ごとに大きくなり、ボローニャ市からエミリアロマーニャ州、さらにイタリア全土へと広まって、今や欧州全体にまで広がる勢いを見せている。それは欧州を席巻しつつある「限りなく極右に近い右派」への対抗勢力として、今後ますます成長していくのかもしれない。

「イワシ運動」創始者の4人の若者は、運動がこの先政党へと成長することはない、と断言している。だが先行きは分からない。同運動が政党へと脱皮していけば「イワシ運動」も変質し、五つ星運動と同じように分裂崩壊などの憂き目を見る可能性が高くなるのではないか。

ところで、「イワシ(Sardine)運動」を彼らが毛嫌いするサルヴィーニ(Salvini)氏にかけた命名、という説明が日本のメディアで横行しているようだが、それはLとRの区別がつかない日本人が編み出したフェイクニュースのようだ。イタリア語では Sardineと Salviniは音も意味も全く違う言葉だ。

「イワシ(Sardine)運動」のイワシとは、イワシの群れが固まって身を守るように、皆が寄り集まって固く連帯して極右のサルヴィーニ氏に対抗しよう、という意味だ。いわば抗体としてサルヴィーニ氏の排外差別主義に立ち向かうこと、とも創始者らは語っている。



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極右の馬脚 、極左のお里



3人+イワシ合成
左から同盟、民主、五つ星各党首&sardine

2020年1月26日、イタリア北部のエミリアロマーニャ州で即日投開票の州知事選挙が行われ、極右の同盟が率いる右派が敗退。同時に極左の五つ星運動も惨敗した。左右の「極論主義」が否定された形。同選挙の勝敗は国政選挙よりも重要、とさえ考えられていた。

エミリアロマーニャ州選挙で極右の率いる右派が勝てば、イタリアがトランプ主義者やBrexit信者などに圧倒される「危機の始まり」になりかねなかった。かつてエミリアロマーニャ州は、隣のトスカーナ州やウンブリア州と共にイタリア共産党の拠点地だった。その流れは今も続いている。

右派のリーダーである極右のマッテオ・サルヴィーニ「同盟」党首は、過去72年間に渡って左派の根城であり続けた同州を制することで、右派の優勢を決定的なものにしようと考えた。それによって、左派の民主党と極左の五つ星運動が連立を組む現政権を崩壊させようというシナリオである。

地方選挙である州知事選挙は、本来なら国政には関わりはない。しかし、現行の連立政権は民意の多数を代表していない、と批判されると同時に多くの問題を抱えて政権基盤も弱く、サルヴィー党首率いる同盟と右派連合の攻勢を受けて青息吐息である。

サルヴィーニ氏が先導する極右政党の同盟は昨年8月、唐突に連立政権から離脱した。政権はその時点で瓦解するはずだった。それが政権を見限ったサルヴィーニ氏の狙いだったのだ。ところが連立相方の五つ星運動は、それまで彼らと激しく対立していた民主党に声をかけて連立に取り込み政権を存続させてしまった

政権を崩壊させて総選挙に持ち込んで、同盟主導の右派政権を樹立しようと考えたサルヴィーニ氏の思惑は大きく外れた。しかし同盟への国民の支持率は伸び続けた。それに伴って右派連合の勢力も強まった。一方、野合集団にも見える政府は沈滞した。

そうした政治状況があるため、同盟主導の右派連合が左派最大の牙城であるエミリアロマーニャ州を手中に収めれば、地方選挙とはいえ国政にまで激震が走って、左派の民主党と極左の五つ星運動が組む連立政権が崩壊する可能性も高い、と見られていた。

事実サルヴィーニ党首は、右派連合が勝利した場合は「ジュゼッペ・コンテ首相は辞任するべき」と公言し声高に吼えながら選挙運動を展開。その主張は国民的合意になりかねないほどに選挙戦が過熱し緊張が高まっていた。

ヒートアップした選挙戦は驚きの展開も見せた。サルヴィーニ氏が、テレビカメラと支持者を引き連れて一市民の自宅玄関に押し掛け、一家をあたかも犯罪者の如く見なして公けに糾弾するという前代未聞の所業に出たのだ。

それがいわゆる「Yassin君事件」である。17歳のYassin君はチュニジア人移民を両親に持つイタリア生まれのイタリア人。サルヴィーニ氏は、Yassin君が麻薬を密売しているという「噂」を頼りに彼の自宅に突撃し「Yassin君が麻薬の売人だという噂があるがそれは本当か」と詰問した。繰り返すが多くのテレビカメラと同盟の支持者を同行して。

サルヴィーニ氏は、彼の岩盤支持者である反移民・排外差別主義者らへのアピールを念頭にパフォーマンスをした訳だが、それはYassin君がアフリカ系移民の子供であることを意識しての暴挙だとして、さすがにイタリア中で強い反発が起きた。

サルヴィーニ氏は極右のコワモテ男らしく「自分の行動を後悔していない。必要ならまたやる」と開き直っている。が、多方面から非難が殺到しYassin君の両親の祖国であるチュニジア政府からも正式抗議が寄せられるなど、小さくない騒ぎになっている。

サルヴィーニ氏は、彼を批判する人々に向けて「私は極右のファシストではない。イタリア人の保護者」なのだとよく主張する。だが、人々の中にある偏見や悪意や誤解を意識しそれらを鼓舞する目的で、宣伝効果を狙いつつ市民のプライベート空間に土足で入り込む行為は、まさに極右的な蛮行であり過激アクションだ。

そうした行為は、彼の政党が政権を握った暁には必ずエスカレートして、制御や禁忌がなし崩しに瓦解して行き、究極にはファシズムやナチズムまた軍国主義がはびこった時代にも似た世界へと突入する可能性を高める。だから極右主義は、またそれと同じ穴のムジナである極左主義も同様に、勢力を拡大する前に封じ込まれなければならないのだ。

エミリアロマーニャ州選挙での左派の勝利で、イタリア現政権が今すぐに倒れる可能性はなくなった。が、イタリアでは極右の同盟が主導するトランプ主義またBrexit賛同勢力の躍進は続いている。その証拠に同じ日に行われた南イタリア・カラブリア州の州知事選挙では右派の押す候補が勝利した。

一方、極右の躍進とは対照的に極左の五つ星運動の凋落が顕著になっている。同党は2018年、同盟と連立を組んで初めて政権の座にすわった。だが2019年、既述のように同盟が突然政権を離脱して、五つ星運動は彼らの天敵とも言われた民主党と連立を組み直すことを余儀なくされた。

2018年の政権掌握以来、五つ星運動の支持率は下がり続けた。彼らが固執するベーシックインカム(最低所得保障)制への国民の反発に加えて、党自体が内部分裂を繰り返し存在感が日々薄れて行った。所属議員の離党も相次いだ。そして今年に入って早々に、若きルイジ・ディマイオ党首が辞任を表明。同党の退潮がさらに鮮明になった。

そうした中で実施されたエミリア・ロマーニャ州選挙では、五つ星運動はたった3、5%の得票率に留まった。また同党への支持率が高い南部のカラブリア州でさえ得票率7%という惨状に終わった。

五つ星運動はインターネットを駆使して、イタリアの既成政党や政治家の腐敗を正し断罪する手法で勢力を伸ばした。だがいま述べたように、政権掌握後は衰退の一途をたどり、いまや政党そのものの存続さえ危ぶまれる状況に陥っている。

エミリア・ロマーニャ州知事に選ばれたのは、五つ星運動の連立相手である民主党の候補である。2党は同じ政権与党ながら選挙協力ができずにそれぞれが別の候補を立てた。民主党は五つ星運動に似て内部抗争の激しい政党。最近は党勢の弱体化が目立つ。

それでも民主党がエミリア・ロマーニャ州選挙を制したのは昨年11月、同州の州都であるボローニャ市でふいに沸き起こった「イワシ運動」の力である。イワシ運動は同盟のサルヴィーニ党首に対抗するために若者4人を中心に結成された。

反サルヴィーニの一点に集中する「イワシ運動」は反ファシズムと同義語であり、急速に盛り上がって今や欧州全体に広がる勢いを見せている。それは欧州を席巻しつつある「限りなく極右に近い右派」への対抗勢力として、今後ますます成長していくのかもしれない。



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