新型コロナウイルスをめぐるイタリアの苦境について新聞に次のように書いた。
新型コロナウイルスに急襲されたイタリアは国家の存亡を賭けて厳しい戦いを強いられている。
突然の危機は2020年2月21日から23日にかけて起こった。北イタリアの小さな町でクラスター(小規模の感染者集団)の存在が明らかになり、それは患者が入院した病院での院内感染も伴っていた。
クラスターはすぐに爆発的感染流行いわゆるオーバーシュートを招いた。オーバーシュートはその後止め処もなく発生し、イタリアは中国の武漢にも勝るとも劣らないCovid-19地獄に陥った。
2月21日までのイタリアは、武漢からの中国人旅行者夫婦と同地から帰国したイタリア人男性ひとり、合計3人の感染者をローマでうまく隔離し、世界に先駆けて中国便を全面禁止にするなど、新型コロナウイルスとの戦いでは余裕しゃくしゃくと言ってもいい状況にあった。
当時はクルーズ船を含めて80名前後の感染者を抱えていた日本の方がイタリアよりもはるかに深刻な状況に見えたのである。イタリアの不運の一つは、疫学調査上「0号患者」と呼ばれる感染者集団内の最初の人物を特定できなかったことだった。
当時の状況では0号患者は中国への渡航暦のある者でなくてはならない。だがクラスター内の最初の患者は中国へ行ったことがない。彼は0号患者の次の患者、つまり「第1号患者」に過ぎなかった。
0号患者は当時も今もイタリアに多い中国人ビジネスマンや移民、また中国本土からの観光客だった可能性がある。姿の見えないその0号患者は、第1号患者と同様に、あるいはそれ以上の規模でウイルスを撒き散らした可能性がある。それは将来必ず明らかにされなければならない課題だ。
だが今は、悪化し続ける感染地獄から抜け出すのがイタリア最大、喫緊の問題であることは言うまでもない。
日本の医療専門家や評論家の中には、イタリアがほぼ医療崩壊に陥った事態を、医療レベルが低いから、としたり顔で指摘する者が少なくない。
彼らは日本式画一主義あるいは大勢順応・迎合主義にでっぷりと浸っていて、その毒に侵された目とドタマでしか物が見えず考えられない。
そこで多様性に富む-別の言葉で言えば残念ながら地域格差の大きな-イタリアの実情も自らの土俵に呼び込んで、「画一的」思考で判断しイタリアの医療レベルは低いと断じる。
彼らのつまらなく平板な曇った目には、個性や多様性というものが映らず、ドイツもイギリスもフランスもそしてイタリアもみな一緒くたにして「紋切り型」に論じる。
彼らは北イタリアのロンバルディア州が、欧州全体でもトップクラスのGDPや生活水準を誇る場所であることさえ知らない。従ってそういう場所は当然、医療レベルもトップクラスのものを備える、ということもまた知らない。
さらに言えば、多様性が持ち味のイタリア社会には-その是非は別にして-平均的事案が少なく、突出しているものと劣悪なものが並存している。医療分野もその例に洩れない。
ロンバルディア州の医療レベルが突出したものであり、残念ながら南部のそれなどが、北部に比べた場合は劣悪な部類に色分けされる。
ロンバルディア州の高レベルの医療体制が崩壊したのは、感染爆発による患者の数があまりにも多く、特に高齢者が主体の重症者が劇的に増えて、収容能力をあっさりと超えたのが最大の原因だ。
日本の医療レベルはロンバルディア州のそれに匹敵する。その日本の首都の東京の、3月30日現在の感染症指定医療機関のCovid-19重症者受け入れ病床数はたったの140だ。その140も元々の118床から急遽増やしたばかりだ。
東京都は、近隣各県とも協力して500床まで確保できる体制になった、と主張しているが、僕が新聞に書いたような事態、つまり2月21日から23日にかけて、ここイタリアのロンバルディア州で起きたような突然の感染爆発が起きたらどうするのか?
118床を140床にし、500床はなんとかできるかもしれない、などと悠長なことを言っていてはならないのだ。国を挙げて即刻緊急病床を増やすべきだ。東京都は将来は4000床を目指す、とも表明している。だが将来ではなく今すぐに備えるべきだ。ロンバルディア州の、つまり「イタリアの轍を踏まないための準備に走れ」とはそういう意味だ。
オリンピックの開催が来年7月と決まったことを受けて、日本ではまたそれへの関心が高まったようにも見える。だが今はそれどころではないのだ。Covid19が猛威を振るえばオリンピックの開催などまたどこかへ吹き飛ばされてしまう。今はそこに注ぐ気力と金を緊急医療設備の拡充に投入するべきだ。
欧州ではスペインがイタリアの轍を踏み、フランスもそれに続きつつある。両国ともにイタリアの惨状を目の当たりにしながら急ぎ準備を進めたが間に合わなかった。日本は欧州の事例を参考に、大急ぎで体制を整えるべきだ。日本にはその能力がある。
イタリアの他の地域は、ロンバルディア州の医療現場の困窮を見ながらも同州を助けることができなかった。ロンバルディア州に似た医療体制を持つ北部の各州、つまりヴェネト、ピエモンテ、エミリアロマーニャ州などが、ロンバルディア州に続いてCovid-19の猛攻にさらされたからだ。中南部の各州は北部への援助どころか、次は確実に彼らを襲うであろう新型ウイルスの脅威に備えるだけで手がいっぱいだった。今日現在もそうだ。
経済力も組織力もある日本は、まず首都圏に東京都が目指す4000床を備え、さらに多くの病床を確保するべく行動を起こしたほうがいい。そうしておいて、東京以外の危険地域、たとえば大阪や東海や福岡などで感染爆発による緊急事態が発生したときは、直ちに首都圏に準備されている病床を送り込むのである。その同じ体制で北海道から沖縄までをカバーできるようにする。
そしてもしも幸いにもそれらの準備が無駄に終わったなら、つまり日本が無事に危機を脱した場合は、それらの医療機器またノウハウを世界の困窮地域に提供する。豊かな日本にはその能力があるし義務もある。中国が、おそらく自らの失態を糊塗する目的もあって、世界の国々を支援しているのとは違い、日本からの誠心誠意の援助は世界を感動させ、日本への信頼と尊敬もさらに高まるに違いない。