【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2020年07月

若者を殺さないコロナの底意



看護師顔切り取り


欧州に遅れてコロナ危機が始まった南北アメリカや中東の感染拡大が続く中、いったん落ち着いていたヨーロッパにも再び状況悪化の兆しが見えてきた。

第1波で過酷な試練を体験した西ヨーロッパでは、主にスペイン、フランス、ドイツなどにクラスターの発生や感染増加が顕著になっている。

第1波で最も悲惨なコロナ危機を体験したイタリアは、世界一峻烈とされたロックダウンを導入した効果もあって、今のところは欧州の中でも感染拡大が少ない。

だが、そうはいうものの、イタリアでも新規の感染者はコンスタントに出ていて、いつ状態が悪化してもおかしくない環境である。

欧州の感染者の増加は、夏のバカンスを楽しむ人々の動きと関連している。厳しい移動制限に象徴されるロックダウンが終わったことを受けて、多くの人々が観光地やリゾートに移動を始めた。

コロナ危機の中でも、いやむしろコロナ危機だからこそ、バカンスで開放感を味わいたいと考える人々がいて、彼らが移動を開始したとたんに感染拡大が始まった。

コロナウイルスは自らでは動かず、飛ばず、移動しない。常に人とともに動き人によって運ばれ、拡散し、宿りを増やしていく。だからこそ人は人との接触に細心の注意を払わなければならない。

その注意が時として若者には足りない。彼らは感染防止策に無頓着である場合が少なくない。感染拡大は全ての年齢層の人々によってなされるものの、圧倒的に若者によるケースが多い。

若者は、コロナに感染しても重症化する可能性が低い。死亡する可能性は、高齢者と違ってもっと低い。そこから感染防止策を軽視する心理が芽生え、それは彼らの行動に出る。

彼らはこう考えている「俺たちは大丈夫。コロナは老人の問題だ」と。そして夜の繁華街やリゾートの街やビーチで、コロナなどどこ吹く風で思いのままに集い歓楽する。

そこで新型コロナに感染して無症状のまま再び思いのままに動き移動し活動して、他者にウイルスを受け渡していく。彼らが高齢者へ移すことを腹から気に病むことはほんどない。

祖父母など肉親に高齢の者がいれば少しは気にすることもあるだろうが、それとて長く緊張を維持したり気を配ったりする理由にはならない。彼らはいつも自身のみずみずしい生を目いっぱい謳歌することに懸命だ。それが若さというものである。

若者の大多数が自主的に感染対策にまい進すると考えるのは愚かだ。彼らはコロナが若者も「殺す」形に変異でもしない限り、感染対策を完璧に遂行することはない。感染拡大防止の最大の障害は若者なのである。

若者ではない人々はそのことに薄々気づき始めている。若者も気づいているが彼らの命にかかわることではないので高をくくっている。若者と高齢者間の分断が始まろうとしている。もしかするともう始まったのかもしれない。

日本ではここ最近、コロナに感染しても症状が軽いかあるいは全く出ない、比較的若い年代の人々の集団感染が発生しているようだ。実は欧州でも感染者の年齢層が下がっている。

特にスペインとフランスまたドイツで、休暇を楽しむ若者が都会やリゾート地で深夜に集まって騒いでは、感染する事態が頻発している。その後彼らはそれぞれの家庭に戻って高齢者を感染させる。

そうした事態を受けて、スペインのカタルーニャ州はついに7月25日、ナイトクラブや深夜営業のバーを再び2週間ほど閉鎖すると発表した。その動きは欧州各国に伝播しそうな雲行きである。

ウイルスが変異し、若者を重症化させ、最悪の場合は死亡させるようにならなくても、彼らの行動パターンが変化する可能性はある。

爆発的な感染拡大が起きて、再びロックダウン(あるいは日本なら緊急事態宣言)が導入されることだ。そこでは経済が滞り雇用危機が発生して、彼らも恐慌の中に投げ出される。

そうなれば無鉄砲な者たちも少しは反省するだろう。だがそれでは遅すぎる可能性がある。破壊された経済が元に戻るのは至難だ。彼らはその前に感染防止に真剣に取り組んだほうがいい。

若者をそういう方向に導くのは、若者ではない大人たちの役割である。とりわけ政治の責任だ。欧州はその方向に動きつつあるようだ。だが日本の政治は、行動を起こすどころか、問題の核心にさえ気づいていないように見える。

ところで活動的で行動範囲も広い若者がコロナに感染しても症状が出ないのは、全くの偶然なのだろうか?無症状なので彼らは感染しても活発な動きを止めず、さらに感染が拡大する。

もしもそれが仕組まれた作戦だとするなら、なんと怖いことだろう。そしてなんという深い知恵だろう。深い知恵はもしかすると高齢者のみを殺す、とも決めているのかもしれない。なぜ?地球上に高齢者が増えすぎたから?

新型コロナの凄みは、知恵があるようにも見えることである。もしかするとワクチンも治療薬もなにもかも無効にする知恵まで秘めているのでは?とさえ思わせる。むろん人間はそれ以上の知恵を持つと信じてはいる。が、時として新型コロナは、その信頼を揺るがすほどの殺気さえ見せるところが忌まわしい。



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伊ロックダウン異聞

新聞同時投稿コラム

蝶花蜂カラフル650


            
~菜園でコロナと遊ぶ~


ことしは新型コロナのせいで2月以来なにもかもが異例づくしの展開になっている。

イタリアは一時期、世界最悪のコロナ感染地となって全土がロックダウンされ、住民の外出や移動が厳しく制限された。

僕は毎年3月になると自宅敷地内にある菜園で土を起こし、プランターで育苗なども行って野菜作りをする。

ことしは自宅待機で時間があり余る分、菜園仕事にも熱が入りそうなものだった。ところがまるっきりそんな気分になれなかった。

菜園仕事が始まる3月からが、まさにイタリアのコロナ地獄のピークだった。不安がつのって野菜作りどころではなくなっていたのだ。 

4月も終わる頃にようやくその気になって、菜園全体にサラダ用野菜の混合種をびっしりとまいた。一部を普通に収穫してサラダとして食べ、残りは生いしげるままに放置しようと考えた。 

菜園は有機農法で耕しているため雑草が繁茂し虫がわく。特に雑草に閉口する。だがコロナが猛威を振るう中では菜園の草取りもできるだけ省略したかった。

サラダ用の野菜は根がおだやかで除去が簡単だ。土中深くまで根を張るしつこい、処理に困る、ある種の雑草とは大違いである。

そこで野菜をまんべんなく育てて雑草の成長の邪魔をできないか、と思いついたのだった。 

5月になると各種のサラダ野菜が生いしげった。雑草は明らかに少ない。7月の今も同じ。どうやら思惑は当たったようだ。今後はこの手を使って雑草対策をしようかと考えている。 

しかし、野菜作りには連作障害という問題が付いてまわる。サラダ用野菜ばかりを毎年作付けすると障害が起きかねない。それでも始末に困る雑草よりは増し、とも思うが実際にはどうなのだろうか。

新型コロナ禍がもたらしたもう一つの悩ましい課題である。





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ロックダウンの功罪

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ロンドンUCLの統計によると、イギリス人の3人に1人は、新型コロナの感染拡大抑止のために行われたロックダウンを楽しんだ、ということだ。

楽しんだと答えたのは、より多くの収入があり、心身の特に心の健康に問題のない30歳から59歳の年齢層の人々だった。

また孤独ではなく、同居人がいたり子供のいる家族があったりすると、外出や移動が厳しく禁止されるロックダウンでも前向きに捉える傾向が強かった。

僕はこの報告を知ってわが意を得たり、という気分になった。僕もどちらかと言えば、世界一過酷とされたイタリアのロックダウンを楽しんだほうだ。少なくともそれほど苦にしなかった。

僕は年齢は59歳以上で子供は独立している。が、同居人の妻がいる。また金持ちではないが生活には困っていない、など統計に当てはまる部分とそうでない部分がある。

統計には示されていないが、都市ではなく田舎に住んでいることもロックダウンに耐えやすい重要な条件になる、と実体験から思う。自宅に庭があればさらに息抜きができる。

また、自宅のように限られた空間内でもできる趣味を持っているかどうかも大切だ。僕は自宅を含む近隣のほぼ全ての家が庭を有する、田園地帯に住んでいる。

また一日中読書をしていても一向に飽きない。幸い同居人の妻も読書好きで、読書の間は会話が途切れるという、彼女にとっての不都合を苦にしない。外出ができないロックダウン中の日々の大半を、僕らは読書をして過ごした。

在宅時の僕の別の趣味は野菜作りと料理である。だがコロナ禍が最悪だった頃は、不安もあって菜園には足が向かず、料理も普段以上に気を入れることはなかった。妻がいつもよりも多くキッチンに立ったことも原因だった。

ブログその他の文章を書くことでも少なからず時間が潰れた。結局、一日が30時間ほどあっても問題ない、と思えるくらいに充実した日々がほとんどだった。

そうはいうものの、それならば再びロックダウンがあっても同じように楽しむか、と問われればあまり自信はない。自宅待機は構わないのだが、外出をして騒ぎ遊ぶ時間がない事態はもうたくさん、という気分だ。

それは個人的な資質の問題である。テレビ屋の僕は、ロケやリサーチや会合でスタッフを始めとする多くの人々に会い、騒ぎつつ仕事を進めるのが好きだ。その一方でひとり孤独に本を読み書き物などをすることもいとわない。動と静が交互に入れ替わるのが僕の生活パターンである。

ことしはロックダウンのおかげで数ヶ月にも渡って静の時間ばかりが過ぎて行った。ところがロックダウンが終わった今も、動の生活パターンはまだ十分には訪れない。そろそろ外出をし、騒ぎつつ遊び、仕事をしたい、というのが正直な思いだ。

だがそれだけが動の時間を待ち望む理由ではない。ロックダウン中はイタリア内外の友人らとビデオ電話を交わし合い、オンライン飲み会なども楽しんだ。しかし、ロックダウンが終わった今は、バーチャルなそれらの邂逅は終わりにしたい。

そして以前のように人々と実際に顔を合わせて歓談し、飲み、食べ、騒いで共に人生を楽しみたいと思う。ところが同時に、僕の中にはそれを億劫がる心も育っている。誰にも会いたくない気分もするのだ。

僕はロックダウンを通して、人に会わずに生きる時間の愉快を知ってしまったのだ。

少しまずい兆候である。他者に会うことを面倒くさがるようでは気持ちは沈むばかりだ。コロナめに心を折られて人生を棒に振ってはたまらない。気をつけよう、と自らを鼓舞しつつ、それでも秋から冬にかけての再びのロックダウンや外出規制にも備えようと気を配ったりもしている。

そうした個人的な感慨とは別に、自宅から一歩も出られないほど過酷で長いロックダウン体験がもたらした、人々の心理の綾や変遷また心の陰りや逆に光明、といったこともひどく気になる。自分を含む人の心のあり方がコロナ禍で一変したのであれば、それは新型コロナの行く末と同じくらいの重大事案だと思うからである。


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続:日本はすぐに厳しい規制の準備をするべき

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イタリアがふいに新型コロナに襲われて、外からの援助も一切ないまま世界一のコロナ地獄の中で呻吟していたころ、僕は「日本は即刻、イタリアの轍を踏まない準備に走るべき」というタイトルの記事で故国の注意を促し、その後もことある毎に国の外から見た意見や感想を述べてきた。

イタリアは最悪の状態を「いったん」抜け出して落ち着いている。ところが深刻な危機には陥らなかった日本は、小休止のあと、思いがけなくも第2波の到来か、と誰もが不安になるほどの感染拡大の時間を迎えている。

僕は個人的に第2波は必ずイタリアも日本も襲うと考えてきた。だからそれがやって来たらしいことには驚かないが、イタリアの前に日本が第2波に見舞われるなら少し意外な感じがしないでもない。

日伊双方はロックダウンを解除して―「緊急事態宣言」 というのは同調圧力を罰則とする日本式ロックダウンである―社会経済活動をほぼ通常に戻した。従って今は国民の感染防止策への気の入れ方と責任ある行動の有無が結果を左右する。

そして3密を意識して国民が慎重に動くという観点では、イタリアよりも日本のほうがはるかに国民の意識が高く信用できる。それなのに日本が先に第2波に襲われるのは、イタリアが2月21日を境に突然コロナ地獄に落ち込んだ事件と同じ、とまでは言わないが結構な驚きだ。

2020年7月19日現在の感染状況は、イタリアよりも日本のほうが深刻である。数字で言えば7月19日の日本の新規感染者数は662人、一方イタリアのそれは249人。ここしばらくは常に日本の新規感染者数が多い。しかも一日あたりの検査数は依然としてイタリアが勝っているので、数字のギャップはさらに大きい可能性がある。

しかし数字の現況はほとんど意味を成さない可能性もまたある。イタリアが全くふいにコロナ感染地獄に突き落とされた2月21日、国内の感染者はたった3人だった。そのうち2人はイタリア旅行中の中国人夫婦。もう1人は武漢から政府専用機でイタリアに帰国した56人のイタリア人のうちの、若いイタリア人男性。3人はローマで隔離されてほとんど何の問題もなかった

一方、日本は当時、クルーズ船乗客を含めて80人前後の感染者を抱えていた。日本のほうがはるかに深刻に見えた。しかし、周知のように情勢は一気に逆転し、イタリアは2月21日を境に文字通り世界一のコロナ地獄国へと転落。片や日本は感染者数も死者数も少ない幸運な国のひとつであり続けている。

だが7月後半の今は、東京を筆頭に日本の新型コロナ感染者が急速に増えている。それは第2波の襲来か否かという観点ではなく、第1波が継続していて人の移動が活発になるとともにウイルスの活動も旺盛になった、と言うほうが正しいのではないかと僕は考えている。

第2波の襲来と言うと、あたかも日本がウイルスを一度押さえ込んだように聞こえる。また実際にそう考える人も多くいる。これまで感染爆発が起きなかった事実や死者数が極端に少ない点などを勘案すれば、そう捉えることもできるかもしれない。

だがCovid-19による死者が少ないのは―あくまでも個人的な感想で専門的知見によるものではないが―日本の対策が効を奏したからではないと僕は思う。また結核ワクチンBCGの接種の影響や日本人が過去に新型コロナに類似したウイルスに感染して免疫を得た説など、専門家の見解もいくつか出回っている。だがどの説も科学的に証明されてはいない。

単に日本が運が良かっただけ、という考え方もある。その可能性は50%ほどの確率でありそうに見える。ともあれその不思議については、今後科学的な究明が進むだろう。大きな謎が科学の分野で残るわけだが、コロナ対策をめぐる日本の政治もそれに負けないくらいに大きな謎だ。

つまり、感染拡大を押さえ込むよりも、国民の社会経済活動、特に経済活動を優先させたい政治の思惑ばかりが堂々とまかり通るのが不思議だ。それは決して経済を無視して言うのではない。経済は重要だ。経済困窮で死者が出かねないという議論さえも理解できる。

だが経済をうまく回しつつ感染拡大も防ぐ、というのは世界中のあらゆる国が掲げる理想ながら、これまでのところ誰もそれに成功していない。日本政府は本気でそれに挑む覚悟と知恵をもっているのだろうか?僕にはとてもそうは見えない。覚悟も知恵もおざなりだ。

アメリカは再選を目指したいトランプ大統領の思惑で経済優先策が取られ、コロナの感染拡大と死者の山が築かれている。またブラジルではボルソナーロ大統領が、アメリカよりも強権的な手法が取りやすい政治土壌をいいことに、経済ファーストと叫んでやりたい放題に振舞って、これまたアメリカ以上の惨状を招いている。

一方日本では、経済の専門家といえば聞こえがいいが、金の計算に余念がない守銭奴の専門家や御用学者らが、例によって世界の情勢を見ようともせずに、日本の経済の落ち込みばかりを言い立てて社会不安をあおる。

そんな折に専門家に輪をかけた拝金主義者の政治屋がよってたかってさらに日本社会の強欲度をあおり、経済の効率を高める政策のみを推し進めようと画策する。経済が停滞すればCovid-19による死者よりもはるかに多くの国民が死亡しかねない、とさえ彼らは主張する。

それには一理あるが、経済不安のみを一方的に強調する論はまやかしだ。日本はコロナ禍に見舞われている世界の国々の中では、経済的にはきわめて恵まれている。日本の経済的な傷は浅いのだ。たとえばここイタリアを見れば良い。コロナの猛襲を受けて前代未聞のロックダウンをかけたこの国の経済は壊滅的な打撃を受けた。

イタリアはもともとG7国の中では最悪の経済状況に悩まされてきた。そこにコロナ禍がやって来て経済はいよいよ落ち込んだ。だがそれは多かれ少なかれ欧州の全ての国に当てはまる現実だ。イタリア以上の落ち込みを見せるのは、10年前の欧州ソブリン危機の後遺症に悩むギリシャやスペインなどに限られはするものの、英独仏の経済大国でさえも巨大なダメージを受けたのだ。

アメリカでさえ経済危機に陥っている。それらに比較すれば日本の状況ははるかに良いのだ。自粛という名の下に社会経済活動に規制をかけた日本では、経済活動が完全にストップすることはなかった。経済はむろん落ち込んだ。だがもう一度言う。日本経済は世界の中ではとても幸運な部類に入っている。

少々の経済の停滞や空腹が国民に死をもたらすことはない。日本は経済の停滞と結果としての国民の少しの空腹でさえも覚悟で新型コロナの封じ込めに専心するべきだ。日本は以前、それを怠った。少なくともPCR検査を徹底しなかったことで、市中に潜むおびただしい数のウイルス、即ち無症状の感染者を見過ごした可能性がある。それが現在の感染者の増大につながっているのかもしれないのだ。

死者が少ない日本の現実は幸いだ。そのわけは今後科学が解き明かすだろう。それは胸がわくわくするほどの好奇心を誘う謎だ。だが今このときは、その幸運をうまく利用して経済を伸ばすことではなく、「幸運を利用して幸運をさらに強化する」方法を考えるべきだ。つまり、さらなる経済の落ち込みを覚悟しての感染防止策を採ることだ。

早く言えばロックダウンかそれに近い厳しい規制を導入する覚悟を決めること。むろん日本式ロックダウン即ち「緊急事態宣言」でも構わない。国民の自粛に頼る手法は、日本社会の後進性、未開性を端的にあらわすもので不快だが、背に腹はかえられない。

1918年に始まった「スペイン風邪」の大流行時には、アメリカ国内の都市のうちロックダウンを素早く強烈に長期間行ったところほど、パンデミック終結後の経済回復が早かった、という研究もある。時代も経済状況も違うものの含蓄に富む内容だ。だからという訳ではないが、僕はここでも前回と同じように「日本政府は断固とした政策を取れ」と主張したいのである。



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コロナ第2波がすぐそこに見える


マスク群集イラスト650


イタリアが世界一のコロナ地獄におちいったのは2月。寒いころだった。コロナ地獄は3月、4月と悪化し5月になって少し落ち着きを見せた。イタリア政府は5月から段階的にロックダウンを緩和し、6月には全面的に解除した。

7月の今はコロナの勢いは衰えたように見え、国内の社会経済活動がほぼ普通に戻った。だが新規の感染者は恒常的に発見されていて終息には程遠い。それどころか個人的には僕は第2波の襲撃は不可避と考えている。

新型コロナウイルスは第1波が去って第2、第3波が来るあるいは来ない、と語られるのが普通で僕自身もそう表現してきたが、実はそれは誤りで、コロナは常にそこにあって密かに増殖、つまり感染拡大を続けている、というのが正しいのではないか。

イタリアは世界最悪のコロナ禍中にいた2~3月、また4月の悪夢を経て、第1波が去り次の攻撃を戦々恐々としながら待っている、と多くの人が考えている。だが、死者数こそ減っているものの、新規感染者はひっきりなしに発見されて累計の感染者数は確実に増えている。「第1波が去った」とは言えないように思うのだ。

日本の状況も欠かさず見ているが、イタリアよりも新規の感染者が多い状況は、やはり第1波の終焉や第2波の始まりと言うくくりよりも、コロナが常にそこにあって密かに宿りを広げている、と見たほうがいいのだろう。

2020年7月17日の状況は、イタリアよりも日本のほうがより深刻な危機にあると見える。イタリアの感染者は世界でもトップクラスの検査数の結果として出ているが、日本の検査数は以前よりも増えたとはいえ多くの国々に比較すると相変わらず少ない。それにもかかわらずにここ最近は、イタリアを上回る数の感染者が出続けているのだ。

古くて、だが常に新しい問いだが、日本の実際の感染者はやはりはるかに多いのではないか。死者数が極端に少ないことと、無症状の感染者が全体のおよそ半数にも上る、とされる新型コロナ感染の実態が現実を見えにくくしているのではないか、という疑念がどうしてもつきまとう。

2020年7月17日現在の日本の感染者数は前日比623人増である。230人の新規感染者が見つかったイタリアよりもかなり多い。このまま増大しつつければ感染爆発という状況もあり得る。これまで危ない危ないと言われながらも感染爆発が抑えられてきた分、日本国内にいる人々はきっと不安だろう。

しかし、ここイタリアにいてコロナ禍に「突然」且つ「深刻に」襲われ、どこからの助けも受けられないまま恐ろしい日々を過ごした体験を持つ者には、感染爆発が来ても―言うまでもなく来なければそれに越したことはないが―恐るるに足らずという思いもある。イタリアのように医療崩壊さえ起こさなければ、苦しい中にも救いはあると考えるのだ。

当時のイタリアの恐怖を今このとき味わっているのは、おそらくインド、パキスタン、イランほかの中東諸国、またブラジルとペルーに代表される南米各国などだろう。医療体制が脆弱なそれらの国では、先進国でありながら医療崩壊に陥った際のイタリアの絶望感と恐怖に似たものを実体験しているのではないか、と容易に推察できる。

独裁国家の中国を除けば世界一過酷とされた、イタリアのロックダウンの日々はまだ記憶に新しい。そしてあの日々はきわめて高い確率でまたやって来る、と僕はどうしても思ってしまう。たとえあれほど厳しい規制の日々ではなくても、移動制限をはじめとする統制が導入される日が近い将来必ず来ると考えるのだ。なぜか。

ロックダウンが緩和されて以降、3密への警戒はおろかマスクさえきちんと付けない人々が、海で山で街中でまたレストランをはじめとするあらゆる歓楽施設で、集まり寄り添い顔を突き合わせて歓楽に余念がないからだ。ウイルスにとっては絶好の増殖機会だ。

また、2月から5月初めまでのすさまじい感染拡大は収まってはいるものの、暑い夏に入ってもイタリアの新規感染者はゼロではない。ゼロどころか、既述のようにコンスタントに発生している。7月に入ってからも新規感染者の数は毎日100人以上300人未満の間で推移しているのだ。

僕は大げさにならない程度の分量と頻度で、ロックダウンに備えて少しづつ食料や生活必需品の買い置きを進めている。昨年3月に受けた狭心症の手術が、新型コロナの猛威の前にふいに大きなハンディキャップとなって僕の心身にのしかかかってきた。

還暦を過ぎた僕は、むろん若くはないがまだまだ死ぬわけにはいかない、と感じている。やるべきことが多すぎるのである。いや死ぬのはいい。だが、コロナごときで死ぬのはどうにも癪にさわる、というのが正直な気分である。




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渋谷君への手紙~中国は有罪で無罪です


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『 渋谷君、

君が僕のかつての記事「COVID-19の今を斬る~ 中国は有罪?無罪?」を読んで僕の意見に疑問を呈してから大分時間が経ってしまいました。返事が遅れたことをお詫びします。君は僕が中国を全面的に否定しないのが不満でしたね。僕の言い方が煮え切らない形に見えたのでしょう。

中国が先日、「香港国家安全維持法」を強引に成立させ施行して、自由香港の終わりが来たとさえ言われる横暴が現実のものとなりました。香港の人々の深い失望と無力感が、ひしひしと僕の胸に伝わってきます。

僕が中国を牛耳る中国共産党と首魁の習近平主席を「ほぼ全面的に」否定しながら、中国国民には罪はないと敢えて付け加えることが多いのは、中国国内にはまさにこの香港人と似た立場の国民が少なからずいると考えるからです。香港に加えて台湾の人々も同じ脅威にさらされています。

民主主義国家の場合、時の政権はまがりなりにも国民の意志によって形成され存在しています。国によって民主主義の成熟度に差があり民主主義体制自体も不備な点が多々あるために、問題は尽きることがありませんが、われわれは今のところ民主主義に勝る政治体制を発見していません。

そして民主制はその多くの欠点にもかかわらず、王制や貴族制や君主制などの過去の遺物的な政治体系、また専制や独裁制や全体主義などの近・現代の強権政治構造と比較して、はるかに開明的な仕組みです。むろん一党独裁の中国など問題にもならないほどの優れた政治システムです。

しかしながら、民主主義の優位性にもかかわらず、中国一党独裁国家は特に経済発展というコンセプトでくくって眺めると、あるいは民主主義と不可分の資本主義よりも効率的ではないか、という疑問を抱かせるほどに成功しています。中国独自の「社会主義市場経済」の不思議ですね。

欧米や日本などの先進国は、貧しかった中国を経済的に援助し続けることで彼の国を甘やかし過ぎました。そして中国が経済大国になった今、それらの先進国と世界は、往々にして成功した中国に遠慮し恐れさえして、中国はますますつけ上がる、という構図が出来上がってしまいました。

経済大国とはいえ中国には、民主主義国家に当たり前の基本的人権の保障、すなわち言論と表現の自由、法の下での平等と保護、集会結社の自由、宗教の自由などは皆無です。中国の都会に住んで働く農民工が、決して都市戸籍を得られず、死ぬまで農民のままでいなければならない仕組みなどを勘案すれば、職業の自由さえない、とも言えます。

中国における権力は、習近平氏を頂点にした共産党員によって独占されて、かつての王や専制君主並みかそれ以上の強権によって民衆はがんじがらめに縛られ統制され抑圧されて生きています。それでも権力に近い国民は、普通に権力に守られあるいは権力の便宜を受けて、特権階級となります。

またそれらの特権階級の係累や傘下にある人々も恩恵にあずかって生活水準が良くなったと感じ、権力を大いに支持します。そこには知識人や文化人やインテリ層や専門家集団、また富のおこぼれにあずかって喜ぶ無数の一般大衆などがいます。

彼らは全員が共産党支配を善しとし、中国が何事も世界で一番の国と思い、そう行動します。中には共産党の強権体制の弊害を知り、民主主義体制の長所を知りつつも、自分が特権の恩恵を受け続ける限り何も問題はない、と考える者もいるでしょう。

また思想統制、情報管理、洗脳教育などによって、一党独裁の現在の中国が最善の政治体制と“信じこまされている”無知蒙昧な民衆もいます。彼らは共産党員ではなくても、中国こそ善、中国こそ世界をリードする国、中国万歳、と叫んで排外主義を身内にはぐくみ募らせます。日本のネトウヨ系排外差別主義者らと同じ類の民衆ですね。

君がいつもの君らしくなく「中国人は誰もが独善的」と非難するのは、もしかするとなにかのはずみでそんな類の人々にしか出会っていないからではありませんか?だが一般化は禁物です。僕もそういう人たちを知っていますが、同時にそうではない中国人にもかつて住んでいた英米で、またここイタリアでも多く出会っています。

巨大国家中国には、民主主義体制下における言論、思想、移動行動、教育、政治行為など、全ての自由を知りつつ、それを享受できない、これまたおそらく「無数の」という形容詞を使っても許されるほどの多くの国民がいます。悲しいことに香港や台湾の人々も、近い将来この階層に組み込まれる可能性があります。

そうした人々の存在は、反体制運動家の逮捕や抑圧の現実、チベットの状況、ウイグル族への弾圧など、われわれ自由主義世界の住民にも漏れ伝わってくる断片的な情報で知ることができます。が、実態は判然としません。なぜか。まさに中国が独裁国家であり情報統制を最重要の命題と位置づける警察国家だからです。

強権体制の犠牲になっている国民がいて、前述の如く犠牲になっていることにさえ気づかない無知な民衆がいます。ただ「自らが抑圧されている」と気づくためには情報がなくてはならない。無知な大衆は、「比較する情報」が不足していると政府の非にも気づけないことがよくあります。

だから習近平主席が引っ張る共産党独裁政権は、情報を遮断しまた操作して、民衆をできる限り知の光の届かない暗闇の中に置こうと躍起になります。知の闇の中の人々も、積極的に習近平とその周りの権力に加担していない限り、全て「共産党の犠牲者」と僕は考えています。

繰り返しますが、民主主義体制下では政治権力は国民の意志によって作られています。従って一国の責任は国民全体の責任、とも捉えることができる。政権に反対する国民は、あるいは自らには責任はないと主張するかも知れません。だが、それは間違いです。彼にも責任はあります。

なぜなら彼は現行の政権下では不利益をこうむっているかもしれないが、次の選挙で彼に利益をもたらすと考えられる政権を選ぶことができるからです。言うまでもないことですが民主主義国家には選挙によって政権が変わるという一大特徴があります。国民は政権を選ぶ可能性を有することで、巨大な政治的自由を享受しています。

一党独裁国家中国の国民にはその自由がない。自由どころか彼らの多くは政治体制の犠牲者です。また彼らは習近平率いる独裁政権の樹立にかかわっていません。かかわることを許されていない。だから彼らには中国共産党に科せられるべき罪はないのです。民主主義国家との大きな違いはそこにあります。中国政権と民衆を僕がいつも切り離して考えるのはそれが理由です。



以上
                                   それではまた 』



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毒をもって毒を制す~“香港国安法“と「習&トランプ」 


ドア蹴るトランプ切り取り拡大400


今このとき、地球上に無いほうがよいもので、だが価値が無くはないものの代表例が二つある。即ち:トランプ政権&ドナルド・トランプ  また 中国共産党政権&習近平である。

もう少し詳しく言えば:

今このとき無いほうが良いものは、トランプ政権&ドナルド・トランプと中国共産党政権&習近平。同時に今このとき価値が無くなくはないものは―謎解きのような言い方だが―トランプ政権&ドナルド・トランプと中国共産党政権&習近平である。

中国が「香港国家安全維持法」を強引に成立させた。宗主国だったイギリスとの間に交わした、「50年間は香港の高度な自治を認め一国二制度を堅持する」とした約束を、中国はいつもの伝であっさりと破った。

約束を破り、嘘をつき、且つ臆面もなくそれを言いつくろい、自らが正しいと詭弁を弄するのが中国のお家芸だ。そして腹立たしいことに中国の横暴に世界はほぼ無力だ。

米トランプ大統領は、中国への抗議の意味で、香港に認めている経済優遇措置を廃棄した。だが彼の制裁処置など中国は屁とも思っていないのではないか。ここ数年の米中経済対立を見る限り、中国はトランプ大統領の攻勢には一歩も引かない強い意志を見せている。

かつての貧しい弱体な中国からは考えられない展開だ。むろん中国は経済的には苦しいに違いない。が、しかし、14億余の国民を習近平独裁機構の意のままに―生き死にを含めて―動かせる強みを背景に、米国に対峙している。

経済が死するならば14億余の民を餓死させればいいのだから、たとえ経済で引けをとっても、彼ら習近平独裁機関は最終的には米国には負けない、と考えているようだ。

一方、国内でも対外政策でも嘘をつき、次にはそれを糊塗しようと躍起になり、さらなる嘘をついて強弁を繰り返すトランプ政権は、中国共産党政権とほとんど同じ程度に信用に値しない代物である。

だがそれでも、トランプ政権は存在したほうが良い。なぜなら中国に遠慮会釈なく噛み付き、敵対してはばからないのは、世界ではトランプ大統領のみだからだ。

ポリコレなど一切お構いなく中国を“口撃”する彼のレトリックは、宣伝効果もあってそれ自体は小気味良い。米中以外の世界の全てが、中国共産党に遠慮しすぎている昨今は特に。

だが11月の大統領選挙で民主党が勝てば、アメリカは再び中国に対して弱腰になるだろう。民主党のバイデン候補は「当選したら中国に厳しく対する」と公言しているがあまり期待できない。

アメリカも世界も、中国にはもはや甘い顔をするべきではない。これまでの民主党のやり方では決して中国に対抗することはできない。いや、共和党もトランプ的強硬姿勢で臨まない限り、中国を封じ込めることはできないだろう。

「香港国安法」ゴリ押しに象徴されるナラズモノ国家の中国では、しかし、習近平主席と彼の独裁体系が今のまま権力を握って好き放題をしているほうが良い。なぜならそれがもう一方のナラズモノ組織、即ちトランプ政権に太刀打ちできるほぼ唯一の世界レベルのパワーだからだ。

つまりアメリカと中国、そして 習近平とドナルド・トランプは、地球上に存在しないほうが世の中のためになるが、今この時点ではお互いになくてはならない存在だ。「毒を持って毒を制する」ために。

究極には、トランプ政権も中国共産党政権も消えてなくなったほうが良い。それも必ず「同時に」である。それでなければどちらか一方のナラズモノ政権大国がのさばることになって、世界は将来「新型コロナ危機」並みの憂鬱を抱え込むことにもなりかねない。





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アッパレな自民党



キンペー&二階


中国が「香港国家安全維持法」を施行させたことに抗議して、自民党は延期されている習近平国家主席の国賓としての日本訪問を中止しろ、と政府に求めるという。

政府は安倍首相が代表だが、自民党総裁もまた安倍首相なのだから、結局その方針は安倍首相主導のものだろう。僕は政治的に安倍首相を支持しないが、この決定は大いに支持する。

米トランプ大統領は、「香港国家安全維持法」に対する中国への抗議を口先だけで吼えて何もしない。いや、香港に認めている経済優遇措置を破棄して一応の制裁は科した。だが中国はそんな制裁など屁とも思っていないだろう。

習近平主席が率いる一党独裁機構内では、彼の一存で14億余の民衆の生き死にさえ縦横に裁断できる。香港が経済的に行き詰まるなら、そこが完全に破綻し人々が死に絶えるまで制裁されたままにしておけばよい、とさえ彼らは考える。

考えるばかりではなく、彼らは計略を実行することができる。それは経済よりもはるかに大きな、抑圧、隠蔽、また暴力御免の、デスポティズムという名の万能カードだ。ここ最近の米中経済戦争において、中国がアメリカが打ち出す政策に一向にひるまないのも同じ背景があるからだ。

米国が香港つまり中国に科した経済制裁は、自由市場経済では重要な意味を持つが、一党独裁国家に対してはそれほどの効果はないだろう。自由主義陣営はそろそろそこに気づくべきだ。そして経済制裁や規制とは違う何かを編み出すほうがいい。

それは米国一国だけではなく、あるいは欧州やEU単独でもなく、むろん日本やインドやカナダやオーストラリアなどの独自策では毛頭なく、自由主義陣営が一丸となって考え実行しなければ決して成功しない。米中経済摩擦でアメリカが単独で中国に対峙して、少しも埒が明かないのが何よりの証拠だ。

だがトランプ大統領は、日本を除くほとんどの先進国と自由主義陣営の国々と対立している。少なくとも蜜月関係にはない。アメリカファーストの利己主義と品格のかけらもない言動が各国の反感を買っている。何でもかんでも彼に従うのはアメリカの従僕に徹して恥じない安倍政権のみだ。

香港国家安全維持法への一応の反撃も米国は一国のみで行った。他の国々を先導して強力な態勢で中国に物申そうという意識がまるでない。当たり前だ。その少し前にはG7をアメリカで開こうとして、コロナ禍を言い訳にする独メルケル首相やカナダのトルド-首相らにさえそっぽを向かれている。全く信用がないのだ。

結局トランプ大統領にとっては自身の選挙だけが重要で、世界の自由と民主主義と人権などという高尚なコンセプトには興味がないのだろう。それどころがコンセプトの意義さえ理解していない可能性がある。だから香港の国安法への対応も一国主義のおざなりなものになってしまっている。

トランプ大統領の変わり映えのしない動きとは裏腹に、日本は自民党が習近平国家主席の国賓としての日本訪問を中止するべき、と主張しはじめたらしい。本気ならアッパレな動きだ。ぜひその方針を維持してほしい。

だが何事につけトランプ大統領の政策にケツナメ追従する安倍政権である。今回も中国に制裁を科したトランプ大統領に盲目的に従っただけ、という見方もあるだろう。だが、それは違うのではないか。

なぜなら曲がりなりにも自民党(つまり安倍政権)独自の考えで明確に習近平訪日を拒否する、と言ったのだから評価されてしかるべきだ。トランプ大統領に追従するだけの外交を展開していた政府、および政権党の自民党にしては、上出来の内容だ。

おそれることなくその線でまい進してほしい。アッパレなものはアッパレだ。従来なら安倍政権つまり自民党は、トランプ大統領のケツをなめる一方で、中国に対してもいい顔をして「習近平主席の訪日を待ち続ける」などと言い張るあたりがオチだったのだから。。


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自業自得なスケープゴート



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5月25日、ニューヨークのセントラルパークで、黒人男性に規則違反を指摘された白人女性が、いわば仕返しに(心理的に)警察に電話をして「黒人が私を脅している」と通報して問題になった。事件は沙汰止みになるどころか捜査が進展して、被告女性は虚偽申告の罪で起訴されることになった。

妥当な結果、と思う一方で、正直少しの違和感も禁じ得ない。

妥当だと思うのは、ビデオに記録された被告と被害者のやり取りの一部始終を見る限り、あたかも相手に暴力でも振るわれたかのように装う被告の演技と嘘は許しがたい。また電話申告の内容は実質、「黒人の男が私を殺そうとしている」と言うにも等しいひどいものだ。

被告の深い人種差別意識があらわになった醜悪な光景もさることながら、電話を受けた警官が現場に駆けつけて、うむを言わさずに被害者の男性を射殺したかもしれない蓋然性を考えれば、恐ろしい内容だ。そういう事件が日常茶飯に起こっているのがアメリカの問題である。

同時に、違和感も覚える。彼女の行為は許しがたいものだが、それがきわめて多くの白人に共通する「秘められた」差別意識であることが分かるから、正義感にあふれた人々が騒げば騒ぐほど、被告がいわばそれを正当化するためのスケープゴートにされているようにも感じるのだ。

被害者が被告女性の攻撃の様子を撮影したビデオがSNSで拡散されたために、彼女は人種差別を理由に事件後すぐに会社をクビになった。さらに彼女は公式に謝罪したにもかかわらず、「殺してやる」という脅迫まで受けたりしている。その後も捜査が進められて起訴にまで至った。

事件発生後の一連の出来事は、正当であると同時にどうも胡散臭いとも感じる。いま述べたように被告はSNSほかで激しく叩かれ死の脅迫さえ受ける一方で、職を失い住まいを追われた。つまり、被告はすでに相当以上に「社会的制裁」を受けている。だから許されるべき、という意見もあるかもしれない。

そういう意味からではないが、僕は彼女に対してどうしても少しの同情を禁じ得ない。繰り返しになるが、人々の(特に白人)中の悪意を見えなくするための大騒ぎのようにも見えて仕方がないのだ。

むろん差別者自身に彼らの差別感情を秘匿する意志がそこで働くとは思えない。が、大勢が騒ぐことで彼らの心の中に巣食う差別意識が知らず隠蔽されていくという効果があらわれる。僕はどちらかといえばその点をより憂慮する。

一方ではまた、言うまでもなく被告が指弾されることで、社会全体の悪意が抉り出されてその毒が弱まる可能性は高い。こうした事件を罰する意義はまさにそこにある。

だが、悪意が心身の奥深くにまで食い込んでいる者、つまり、例えばトランプ大統領の登場によって暴露された、大統領自身を含む半数近い米国人のうちの特に差別意識と憎悪心が強い者にとっては、喧騒は格好の隠れ蓑になる可能性もある。

被告女性を糾弾するばかりではなく、日本のネトウヨ系排外差別主義者らの同類である米国人、つまり差別と憎しみという心の闇に支配されてうごめく、特に白人の米国人の実態について思いをめぐらし監視を続けることが、真の「差別反対思想」やそれへの賛同を示す際の重要なポイントではないか、と考えるのである。





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