【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2020年08月

珍味のトリセツ



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~珍味のトリセツ~

新型コロナの影も形もなかった2019年9月、ギリシャのクレタ島に遊んでヤギ料理を堪能した。
 
クレタ島のシンボルはヤギである。ヤギはヤギでもこの島だけに生息するクリクリ種という野生のヤギ。絶滅危惧種で厳重に保護され食べることはもちろん捕獲も禁止されている。島で食べられるのはクリクリ種とは別の家畜化された普通のヤギである。
 
西洋ではヤギは1万1千年ほど前にトルコ、イラク、キプロスなどで家畜化され、およそ9千年前に家畜法と共にクレタ島にも伝わった。そこから欧州全体に広まるのにあまり時間はかからなかった。

一方クリクリ種のヤギは家畜化される前の野生ヤギの特徴を保持しているとされ、その姿がデザイン化されて島の役場や観光業界の文書、またヤギ料理を提供するレストランなどのエンブレムとしても用いられている。

原始的な不思議なその動物は、食べることはできないが島人に大いに愛されているのである。

クリクリヤギは過去に乱獲されて数が激減した。乱獲のエピソードで有名なのは、ナチスドイツに抵抗するギリシャ・パルチザンの男たちの物語。彼らは山に潜んでナチスと闘争を展開した際、ほとんど何も食べるものがなかったためにクリクリヤギを捕らえて食べては命をつないだ。

そのときの乱獲も大きくたたってクリクリヤギは絶滅の危機にひんしている。

片や食用になる家畜のヤギは島には非常に多い。羊も多い。当然ヤギ肉や羊肉料理もよく食べられる。レシピも多彩だ。味も抜群に良い。
 
クレタ島のヤギ料理は煮込みと炭火焼きが主体。ワインやハーブやオリーブ油などで作った独特のタレで味付けをする。タレはそれぞれの家庭やレストラン秘伝のものも多い。

あらゆるタレは肉の臭みを消すと同時に素材に芳醇な味わいを加えるのが主眼。個性的で斬新で美味なケースが少なくない。

その点、初めて食する人に肉の臭みが敬遠されることもある、例えば沖縄諸島のヤギ料理などとはかなり趣が違う。

もっとも沖縄諸島のヤギ料理の場合は、肉の臭みを敢えて風味と見なしてそれを売りにすることで、少数の熱狂的な愛好家に支持されているらしいから、それはそれで面白い。





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スペインの憂うつ、欧州の心労



殉教医師
イタリアの新型コロナ殉教医師たち


スペインで新型コロナの感染拡大が続いている。8月21日金曜日から24日月曜日までの4日間だけで新規感染者が2万人以上増え、累計の感染者は405436人と欧州で最も多い。

また過去2週間の人口10万人当たりの感染者数は166,18人。ちなみに同じ統計のイタリアの数字は10人。フランスは50人前後である。

感染者の増加とともに入院患者またICU(集中医療室)収容の患者も激増。医療体制の逼迫が懸念されている。死者の数も増えて累計で28872人。

だが累計の死者数は死亡前の検査で陽性と確認された患者のみのデータ。他の国々の知見と同様に実際の死者はもっと多いと考えられている。

スペインではこれまでに530万件の新型コロナウイルス検査が実施された。国民の11,5%にあたる。検査数は時間と共に増える傾向にある。

政府高官や論者の中には、例によって、検査件数の多さが感染者数の増大につながっている、と陳腐な主張をする者がいる。

だが他の欧州の国々は、検査数はスペインよりも多く、感染者の比率は同国よりも低いケースがほとんどだ。

たとえばドイツは国民の12,2%、イタリアは12,8%、イギリスに至っては国民の22,1%に検査を行っている。が、感染比率も感染拡大速度もスペインより鈍い。

スペイン国民はハグや握手やキスなどの体接触が多く、何世代もの家族が同じ屋根の下で住んでいることも珍しくない。そういう社会環境などが感染拡大に貢献している、という意見もある。

しかしそうした社会状況や住環境はイタリアも同じだ。またラテン系のフランス国民もボディコンタクトが多い部類の人々だ。

イタリア人はハグやキスが好きだから感染爆発を招いた、というのは3月から4月にかけてイタリアが世界最悪の感染地獄に陥ったころに、日本を含む世界中の知ったかぶり評者がさんざん指摘した論点だ。

むろんそういう事もあるには違いないが、同じ文化傾向を持つイタリアの感染拡大が抑えられているのだから、スペインの感染拡大をそのことだけで説明するのはいまの状況では無理がある。

厳しいロックダウンへの反動で人々が急速に、幅広く、無制限に自由を求めて活動を始めたことが原因、という指摘もある。それにもまた一理がある。

だがその点でも、再び、イタリアほか英独仏などの欧州主要国や多くの小国が同じように評価される。スペインだけの専売特許ではないのだ。

スペインの中央集権体制がゆるやかで、地方が多くの権限をもつために、統一したコロナ対策を打ち出せないのが感染再拡大の理由、と主張する者もいる。

その説も納得しがたい。なぜならイタリアもまたドイツも、地方自治の強い国だ。イタリアに至っては、独立志向の強い地方を一つにまとめるために、国家が中央集権体制を敢えて強めようと画策さえする、というのが実情だ。それは往々にして失敗するけれど。

また農業関係の季節労働者が、集団でそこかしこの農地を渡り歩いて仕事をすることも、感染拡大の原因の一つとされる。だがそれもイタリアやフランスなどと何も変わらない現実だ。

ではなぜスペインの感染拡大が突出しているのか、と考えていくと見えてくるものがある。特に国民性や文化習慣が似ているイタリアと比較すると分かりやすい。

それはひとえにロックダウン解除後の、社会経済活動の「通常化」へのペースの違いによるもの、と個人的に思う。

ロックダウンを断行した国々は、一国の例外もなく経済を破壊された。そしてロックダウンを解除した国は誰もが、大急ぎで失なわれた経済活動を取り戻そうとした。

中でもスペインは、特に大きなダメージを受けた観光業界を立て直そうと焦って性急な動きをした。国境を開いて外国人を受け入れ、隔離策などもほとんど取らなかった。

多くの国からの旅人を早くから受け入れたスペインには、ロックダウン解除直後の7月だけで、200万人あまりの観光客がどっと流入した。

同時に国内の人の動きにもスペイン政府は割合大らかに対応した。厳しいロックダウンに疲れ切っていた国民は喜び勇んで外出し動き回った。

やがてバカンスのシーズンがやってきて、スペイン国民の移動がさらに激しくなり、外国人の流入も増え続けた。そして感染拡大が始まり加速した。

スペイン政府の対応は、実はイタリア政府のそれとうり二つである。ところがイタリアはスペインに比べて「通常化」への動きがゆるやかだ。それが今現在の両国の感染状況に違いをもたらしている。

そして通常化、特に経済再開のペースに違いが生まれたのは、両国が体験したコロナ感染流行第1波の「恐怖」の大きさの違いによるもの、と考える。

イタリアは3月から4月にかけて、コロナ恐慌に陥って呻吟した。それはやがてスペインに伝播しフランスにも広がった。さらにイギリス、アメリカetcとパニックが世界を席巻した。

イタリアは医療崩壊に陥り、3万5千人余の患者のみならず、なんと176名もの医師が新型コロナで斃れるという惨状を呈した。

イタリアには見習うべき規範がなかった。中国の被害はイタリアのそれに比較して小さく、参考にならなかった。イタリアは孤立無援のまま正真正銘のコロナ地獄を体験した。

世界一厳しく、世界一長いロックダウンを導入して、イタリアは危機をいったん克服した。だが巨大な恐怖心は残った。それがロックダウン後のイタリアの動きを慎重にしている。

イタリアに続いてスペインも感染爆発に見舞われ医療危機も体験した。だが、スペインにはイタリアという手本があった。失敗も成功も悲惨も、スペインはイタリアから習うことができた。その違いは大きい。

恐怖の度合いがはるかに小さかったスペインは、ロックダウン後は良く言えば大胆に、悪く言えば無謀に経済活動を再開した。その結果感染拡大が急速に始まった。

そうした状況は多くの欧州の国々にもあてはまる。フランスやベルギー、マルタやルクセンブルクなどがそうだ。ドイツでさえ第2波の襲来かと恐れられる事態になっている。

しかしイタリアは今のところは平穏だ。バカンスの人の流れが影響して感染拡大の兆候は見えるが、欧州の中では最も感染拡大が少ない国の一つになっている。

イタリアにも気のゆるみはある。イタリアにも感染防止策に熱心ではない者がいる。マスクを付けず対人距離の確保も気にしない不届き者も少なくない。

だがイタリア人の中には強い恐怖心がある。そのために少し感染拡大が増えると人々の間に緊張が走る。自由奔放と言えば聞こえがいいが、いい加減ではた迷惑な言動も少なくないイタリア国民が、新型コロナに関してはひどく真面目で真摯で民度の高い行動を取るようになっている。

それが今のところのスペインとイタリアの違いであり、ひいてはイタリアと欧州の国々の違いである。イタリア国民はこと新型コロナに関しては、ドイツ人よりも規制的であり、フランス人よりも論理的であり、英国人よりも真面目であり、そしてもしかすると、日本人よりも従順でさえあるかもしれない。

飽くまでも「今のところは」だが。。



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じわじわとバカンスの付けがやってくる

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イタリアは連日、ロックダウン中の~月~日以来の高い感染者数、という枕詞が付くコロナ感染拡大が続いている。

夏のバカンスによる人の移動が感染拡大の大きな原因。8月19日にロックダウン解除後で最悪の642人の新規感染が出て以来、20日845人、21日947人、22日1071人と連日最悪記録を更新し続けている。

バカンスが終わる頃には再び感染爆発があるのか、それとも逆に収まっていくのか誰にも分からないが、前者を恐れる声のほうが強い。

繰り返し記してきたように、イタリアのコロナ感染状況はここ欧州の主要国の中ではまだとても良好だ。具体的にいえば8月21日現在、人口10万人あたりのイタリアの感染者数は10。

一方第2波の到来かと懸念されているスペインの数字は、人口10万人あたり132、2人。フランスが40人である。英国もイタリアの2倍の数字になっている。

またルクセンブルグとマルタは98人。ベルギーが60人など、欧州内の小国でも感染拡大の兆候は顕著になっている。全てバカンスの人の動きが原因と見られている。

イタリア政府は先日、若者の間のコロナ感染源の一つになっているとして、ディスコ(クラブ)の閉鎖を命令した。

ロックダウンで閉鎖されていたイタリア全土のディスコは、屋外での飲食のみが許され且つ「踊りは全面禁止」、という厳しい条件付で営業が許可されていた。

しかし規制を破る店が多く、客が屋内外で普通に、しかも集団で踊る光景が後を絶たず、クラスターが発生するケースが増えた。そこで閉鎖処置が取られた。

これに対してイタリアのディスコ&ナイトクラブの組合は、政府がクラブ(ディスコ)の閉鎖を命令したのは違法、としてラツィオ州裁判所に提訴した。

組合は政府の業界への補償や支援が適切に行われるなら、提訴を取り下げるとも表明していたが、ラツィオ州裁は「国民の健康は組合の経済利益よりも重要」として、即座に国の決定を支持する裁定を下した。

イタリアにはおよそ3000軒のディスコやナイトクラブがあり5万人を雇用している。閉鎖によって業界全体で40億ユーロの収入が失われる。

ディスコやナイトクラブは、レストランやバールなどの飲食店がロックダウン解除後に営業再開を許可された後も、感染拡大防止策として長く閉鎖されていた。

厳しい条件付で営業を再開したものの、再び閉鎖命令。多くの店が倒産に追い込まれるのは必至と見られている。国民の健康と経済のバランスをどう取るかの答えはまだまったく出ていない。


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クレタ島ヤギ料理列伝



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ギリシャのクレタ島のシンボルはヤギである。ヤギは1万1千年ほど前に中近東域で家畜化され、やがてギリシャにも伝わった。クレタ島には家畜化される前の原始的な生態を保持する、クリクリ種という固有の野生ヤギが生息している。

島のシンボルにもなっているクリクリ種のヤギは絶滅危惧種。厳格に保護されていて、食用にすることはもちろん捕獲もできない。だが島にはクリクリ種とは関係のない家畜化された普通のヤギも多い。

家畜のヤギは、これまた島にたくさんいる羊と共に食肉処理されて大いに食卓にのぼる。レストランでもヤギや羊肉のレシピは豊富だ。冒頭の写真に見るようなヤギのエンブレムが目印の専門店もよく見かける。

新型コロナの影も形もなかった2019年9月、クレタ島に遊んでヤギ・羊肉料理(以下ヤギ料理に統一)を堪能した。滞在中はほぼ毎日、昼か夜に必ずヤギ料理を食べた。

きわめて美味い店が多かったが、観光客を相手にする店ではその逆のレシピも結構あった。そこで滞在中に出会ったヤギ料理について、味の良かった膳と逆のそれをランク順に書いておくことにした。

良い味のレシピは最高ランクから下へ。悪いほうも同じ。最後が最悪の味、という趣向である。

最高の味はヤギ肉ライス。

山羊ライス皿全体ショット650


一日遠出をした海際のレストランで出会った。品の良さとは縁のないこのシンプルな見た目のヤギ肉煮込みには、ミノア文明を生み出したクレタ島の人々の、数え切れないほどの試行と錯誤と、また錯誤と試行を繰り返した歴史のエッセンスが詰まっている、というほどの絶妙な味わいの一品だった。創意工夫の究極の賜物。

タレの主役は品書きにあったレモンのようだ。むろんそれに店特有のハーブやワインやリキュールやetc,etcの「秘密の品々」が加えられているのは間違いない。「(企業)秘密の品々」が、各店の味の違いを生む。ここで使われるのは体重10~15キロのヤギの肉。子ヤギの部類に入るが肉の臭みはもう一人前。その臭みを芳醇な味わいに変えるのがシェフの腕の見せどころだ。ヨーロッパでは珍しい白米との相性も新鮮だった。が、ライスがほとんど余計な気遣いに思えるほどヤギ煮込みそのものの味が秀逸だった。

第2位は週末だけ子羊の丸焼きを提供する店のひと皿。

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少し内陸部にあるので観光客が少ないところがミソ、と思ったが期待に違わなかった。ヤギ・羊肉は、煮込みレシピのほうがバラエティー豊富で、味の深みもある。一方、焼きレシピは単調な味が多い。この店の丸焼きは数少ない例外。出色の味わいがあった。

絶妙な味は秘伝のタレを塗って出していると思うが、使うのは塩だけという意外な可能性もある。薪にしろ炭にしろ、焼いてこれだけの「違いのある味」を出すのは至難の業。イタリア・サルデーニャ島に塩だけを使って(薪の)熾火で骨付きの成獣羊肉を焼く店がある。僕はそれを独断と偏見で世界一の「❛成獣❜羊肉膳」、と勝手に決めつけているが、このひと皿は、「焼き」羊肉としてはサルデーニャの店に肉薄するくらいの目覚ましい味がした。

続いての一品は肉の炙り焼きを見世物にしているレストランのひと皿。

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伝統のタレで煮込んだ一品。タレの素材は分からないが、店独自の要素を白ワインとからめて煮込んだものだろうと思う。デリケートな柔らかさに煮込まれた肉は、ヤギ・羊肉の味わいある「匂い」ではなく、「芳香」の域にまで達していた。添えられたポテトとの相性も秀逸。店は紹介で訪れた「クレタ島伝統食レストラン」の一つ。この一品の味は一級のさらに上のあたり。 ただし日をあらためて食べた同じレストランの見世物の炙り焼きは、この一品とは別物だった。それは残念ながら後編に組み入れることにした。

最後はホテルの紹介で訪れた少し内陸部の店のひと皿。

皿全体650


客層は地元民と移住英国人が主体だった。肉は焼いたように見えるが、実は煮込み料理。これもまた店一流の深い味が出た一品。タレは地元ワインとオニオンが中心らしい。料理レポートを書いても舌の味は伝わらない。実際に食べてみるしかない。このひと皿は見た目も上品だった。ヤギ・羊肉が嫌いな女性もトライしやすいだろう。食べたら必ずヤギ・羊肉ファンになること請け合いの一品。

ヤギ・羊肉料理の美味い店のメニューには、この店がやっているように「オイル(だいたいオリーブ油)、オニオン、ワィン煮込み」などと説明されている場合が多い。だが素材を3種も明かしているのは珍しい方。レモン煮込みとかワイン煮込みなど、素材の数を少なく示して、店の秘伝のタレの中身をできるだけ明かさないようにしているのが普通である。




ここからは逆に、やや不作味のヤギ・羊肉膳から、まったく不作味の品々までを記しておきたい。

前編に記した肉の炙り焼きを見世物にしている店のひと皿。

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店には2種類のヤギ肉レシピがある。伝統手法で煮込んだとされる前述のヤギ肉は極めて美味だったが、こちらの一品は、料理中の肉の美味そうな見た目とは違って少しも味わいがなかった。焼かれた肉とトマトソースが主体のタレの相性が悪いと感じた。店の外に設えられた肉炙り焼き機は風情があって面白かった。料理は見た目もご馳走の一つ、と考えれば前編の味の良いレシピランクのビリに入れても良かったが、やはりためらいが残った。

これは子羊のすね肉の煮込み。

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大量のチーズ、トマト、ごった煮野菜、ジャガイモなどの下に隠されていた主役の子羊のすね肉が右の絵。大量具材は肉の味を良くするつもりの創作だろうが、肉そのものの味を高めるのではなく、「夾雑物」の食材で誤魔化そうとしているから不味いばかりではなく品も落ちる。シンプルにすね肉だけを表に出し、付け合わせもポテト一品などに単純化すれば、一級の料理になる筈なのに。。

ひたすら大量・てんこ盛りの食皿を好む北欧人やバルカン半島人など、その地に非常に多かった観光客に媚びると、こんなつまらない料理が出来上がるということなのかもしれない。観光地の悲哀。

その一方で同じ「子羊のすね肉煮込み」は、実は僕はイタリアで何度も「絶品級」の味に出会っている。たとえばこんなふうに骨付きのまま煮込んだ一品。

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ヤギ料理の美味いものはほとんど常に店の秘伝のタレで煮込んだシンプルなレシピだ。イタリアの店のひと皿もそうだ。余計な食材をトッピングすると、ほぼ間違いなく肉の貧しさをごまかそうとする作業と同じになって、シェフの意図するところとは逆の印象の味になる。


続いての崖っぷちレシピは「羊肉のパン生地包み焼き」。

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見た目は美しいLamb肉煮込み。薄いパン生地で包んでいる。花に見立てたふわりとした外観は上品でオイシそうだったが、味は最後に掲載するLamb肉パイとどっこいどっこいの最悪味。

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すっぱい味がしたのは、定番の大量具材にヨーグルトが混じっていたからだと思うが、それはLamb肉とは全く相性がよくない。北欧&バルカン半島系テイストの大味・残念レシピ。これを美味そう、と感じる人は、食べてもやっぱりオイシイとつぶやくのだろうか。僕はひと口食べてフォークを置いた。大げさではなく、オエッとなりそうな味だった。約2000円強を丸々捨てたことになるが、惜しいとは思わなかった。不味い料理がなくては美味しい料理の良さは分からない。勉強と思えば2000円は安い。

最後に最悪味の羊肉パイ。

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こちらも見た目はとても美味しそうだが、中身はあらゆる具材がぐちゃぐちゃに入り混じった地獄レシピ。すっかり忘れていたが、食べたその場で書いておく僕の一口メモの備忘録には、この料理は前の一品「羊肉パン生地包み焼き」とともに❛~ンコ飯❜と記されていた。

ヤギ・羊肉の炙り&焼きレシピは何度も書いているように難しい。味が単調になり勝ちだ。だが出色のものは非常に美味い。一方、各店またシェフの秘伝のタレで煮込むヤギ・羊肉膳はバラエティーに富んでいて味も良く深みがある。ワインで言えば「焼きヤギ・羊肉」は白ワイン。「ヤギ・羊肉煮込み」は赤ワイン。前者は選択肢が狭く後者は限りなく広い。味も同じ。。と思う。


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ディスコ&ナイトクラブ組合がイタリア政府に反撃



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イタリアは政府は、全国のクラブ(ディスコ)が新型コロナ感染拡大の元凶になっているとして全面閉鎖を命令した。

これに対してイタリアのディスコ&ナイトクラブの組合は、政府がクラブ(ディスコ)の閉鎖を命令したのは違法、としてラツィオ州裁判所に提訴した。

欧州では新型コロナ感染爆発第2波の恐れが出ている。ところがイタリアでは欧州主要国の中では唯一、コロナの感染拡大が低く抑えられてきた。長く過酷なロックダウンが功を奏したと見られている。

だが夏のバカンスシーズンの到来とともに情勢が一変。外国で休暇を過ごして帰国する若者の間でコロナの感染拡大が始まり、その流行は国内のクラブ(ディスコ)にも広がる兆しが見られるようになった。

大勢の若者が密集して踊る環境は感染拡大の絶好の舞台だ。危機感を抱いたイタリア政府は、ロックダウン期に続いて、再び全国のクラブ(ディスコ)の全面閉鎖に踏み切った。

イタリアにはおよそ3000軒のディスコやナイトクラブがあり5万人を雇用している。閉鎖によって業界全体で40億ユーロの収入が失われる計算だという。

だが組合は同時に、政府の業界への補償や支援が適切に行われるなら、提訴を取り下げるとも表明している。


なお、

2020年8月19日現在のイタリアの新型コロナ感染者数は累計で255278人。死者35412人。8月19日の新規感染者は642人。一日あたりの新規感染者数としては5月23日以来の高い数字になった。



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感染爆発という悪夢を阻止するために

子供たち


イタリア政府は若者の間のコロナ感染源の一つになっているとして、ディスコ(クラブ)の閉鎖を命令した。

ロックダウンで閉鎖されていたイタリア全土のディスコは、スペインやフランスなどに遅れて営業が許可され、且つ屋外での飲食のみが許される上に「踊りは全面禁止」、という厳しい内容だった。

しかし規制を破る店が多く、客が屋内外で普通に、しかも集団で踊る光景が後を絶たず、クラスターが発生するケースが増えた。

イタリアの感染拡大はフランス、スペイン、ドイツなど、第2波の襲来が懸念される国々に比べるとまだ抑えられている。が、バカンスから帰国した若者を中心に確実に増えつつある。

またディスコなど人だかりの多い場所も感染拡大に拍車をかけかねないと憂慮されている。ディスコの閉鎖は9月7日まで。以後は営業が許可される予定。

だが、それは難しいのではないか。バカンスの人の流れと共に動いたコロナウイルスは、暑さがやわらぐに連れて活力を増すと見られている。

もしもディスコが9月に営業再開すれば。感染が抑えこまれたことを意味する。そうなればワクチン開発までのあいだ一息つける、というのはむろん希望的観測に過ぎない。



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ガルダ湖の空が晴れるまで


牛込み俯瞰800


イタリア最大の湖、ガルダ湖を1000メートル下に見おろす山中にいる。元修道院だった古ぼけた山荘があって、8月の猛暑時などに滞在したり、夏の終わりから秋口に友人らを招いて伝統料理のスピエド(ジビエ串焼き)を振舞ったりする。

コロナ禍の今年はむろんスピエド会食はしないつもりだが、しばらく滞在するつもりで登ってきた。暑さよりも湖畔の人出を避けたい気分で。だがスマホはかろうじて使えるものの、PCのインターネット環境がほぼゼロなので不便なことこの上もない。

ガルダ湖は南アルプスに連なるプレ(前)アルプスの山々に囲まれている。今いる山はその一つ。山頂の標高は1500メートルである。800メートルから1000メートルの間には、雰囲気の悪くないレストランが3軒ある。

湖を出てここまで車で登る間には三つの集落を眺め、一つの集落を横断する。それらの集落は行政区分上は全て湖畔の町の一部である。滞在しているのは人口10数人の集落に近い一軒家。そこは山中の集落のなかではもっとも高い位置にある。

湖畔の町はDHローレンスが滞在しゲーテもイタリア旅行の際に通ったという名前の知れた場所。新型コロナウイルスの感染爆発時には、ほとんど感染者が出なかったことで称えられた。山中の集落のみならず、湖畔のメインの集落でも死者は出ず感染者もほぼゼロだった。

町はイタリア最悪の感染地であるロンバルディア州に属しているから、感染者が少ないのはなおさら喜ばれた。8月の今はドイツ人バカンス客でにぎわっている。もともとドイツ人観光客に人気のある町なのである。

Covid19を抑え込んだおかげもあって、町にはバカンスや観光目的のドイツ人が押し寄せている。いつもの年よりも多く感じられるのは、Covid19禍でドイツ人観光客の行き場が限られているせいもあるのだろう。

だが山中にはドイツ人はほとんどいない。彼らは便利で且つ湖畔の景色が美しい下界の町に長逗留しているケースがほとんどだ。山中の集落を含む町の全体は感染予防策に余念がない。しかし観光客は無頓着で利己的だ。

自らが楽しめればウイルスの感染のリスクなどはほとんど意に介さない。しばらくすればどうせ町を去る身だ、自分には関係がない、という意識を秘めている。マスクなども付けずに動き回る不届き者も多い。秋から冬にかけて、ドイツ人が持ち込んだウイルスが暴れないか、と僕は密かに気を揉んでいる。

かすかな電波を頼りにスマホでググると、日本では人口割合で最悪感染地になっている僕の故郷の沖縄県での感染拡大が続いている。そこでの問題もおそらく観光客だろう。観光客が自主的に感染拡大予防策を取る、などと考えるのは甘い。

彼らは既述のように自らが楽しめれば良い、と考えていることが少なくない。特に若者の場合は感染しても重症化する危険が少ないから感染予防などは二の次だ。自らの感染を気にしないとは、他者を感染させることにも無頓着ということだ。

コロナの感染を本気で食い止めたいのなら、人の動きを制限するしかない。それも強制的に。自粛に頼るだけでは心もとない。むろんそれは社会経済活動の制限と同義語だから、舵取りが難しい。

コロナの感染防止と経済活動のバランスに世界中が四苦八苦している。そしていま現在は感染防止よりも経済を優先させた国々がより大きな危機に瀕している。アメリカ、ブラジルがそうだ。インドも同じ。日本もそこに近づいているようにも見える。

またここ欧州でもロックダウンの後に、ただちにまた全面的に経済活動を開始した国ほど、またそれに近い動きをした国ほど第2波の襲来らしい状況に陥っている。欧州の主要国で言えば、スペイン、フランス、ドイツにその兆候がある。

ところが主要国の一つで最悪の感染地だったここイタリアは、新規感染者は決してゼロにはならないものの、感染拡大に歯止めがかかって落ち着いている。世界一厳しく世界一長かったロックダウンを解除したあとも、社会経済活動の再開を慎重に進めているからだ。

一例をあげれば、前述の国々では若者らはクラブやディスコで踊りまくることが可能だが、イタリアではそれはできない。それらの店の営業内容が規制されているからだ。イタリアは突然にコロナ地獄に突き落とされ孤立無援のまま苦しんだ、悪夢のような時間を忘れていないのである。

また規則や禁忌に反発することが多い国民は、コロナ地獄の中ではロックダウンの苛烈な規制の数々だけが彼らを救うことを学び、それを実践した。今も実践している。国の管制や法律などに始まる、あらゆる「縛り」が大嫌いな自由奔放な国民性を思えば、これは驚くべきことだ。

だが激烈なロックダウンは経済を破壊した。特に観光業界の打撃は深刻だ。そこでイタリアは大急ぎでEU域内からの観光客を受け入れることにした。湖畔の町にドイツ人観光客が溢れているのはそれが理由の一つだ。

同時にイタリア人自身もガルダ湖半を含む国内の観光リゾート地に多く足を運んでいる。夏がやってきてバカンス好きな人々の心が騒ぐのだ。だがコロナへの恐怖や経済的問題などもあって、国外には出ずに近場で過ごす人が多くなっている。

「観光客」になったイタリア人も、歓楽を優先させるあまり全ての観光客と同様に感染防止策を忘れがちになる。その意味では、ドイツ人観光客やバカンス客だけが特殊な存在、ということではもちろんない。

バカンスの向こうには感染拡大という重いブルーが待っている、というのが僕のぬぐい切れない悲観論だ。大湖ガルダの雄大な景色を見おろしながら、僕は自分の憂鬱なもの思いが杞憂であることを願わずにはいられない。



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バカンスのつけが怖い

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欧州は新型コロナウイルス感染拡大の第2波が襲来、ともいわれる状況下にある。スペイン、フランス、ドイツなどの大国や東欧圏の国々だ。

イタリアは長く過酷なロックダウンの効果で今のところは静かだ。ところがそのイタリアで行われた新型コロナウイルスの大規模な抗体検査で、およそ3割の感染者が無症状だったことが明らかになった。無自覚のうちに感染を広げる懸念が高まっている。

抗体検査は約6万5千人を対象に行われた。その結果、150万人近くが抗体を持っていると推定される。イタリア国民の2,5%程度にあたる数値である。

イタリアで感染が確認されているのは累計でおよそ25万人。従って実際にはその6倍もの感染者がいることになる。しかも3割の50万人は無症状で、知らずに感染を広げているかもしれない。

それが事実であるならば、第2波の襲来では?と恐れられる欧州や、第1波がまだ続いている南北アメリカ、また感染拡大が止まらない世界中で、見た目よりもはるかに厳しいコロナ災禍 が進行していることになる。

検査態勢の不備や医療事情の貧困等々に加えて、無症状の感染者が多い現実などもあり、世界の感染者は実際よりもはるかに多いのではないか、と常に考えられてきた。死者の数も「実際には公表数の3倍」といわれるイランなどを筆頭に、発表されている数字よりは大きいと見られている。

従ってイタリアの状況を知っても実は僕はあまり驚かない。イタリアでも感染者や死者の数は正式な数字より多いはずだとしきりに言われてきた。南北アメリカはもちろんインドなどもそうだ。イタリア以外のヨーロッパ諸国も似たり寄ったりだ。

隠蔽や嘘やごまかしが多くて真実が見えずらい、とされる中国に至ってはもっとさらにそうである。世界のコロナ惨害は今でも見た目より酷いに違いない。第2波や第3波が襲ってくれば凶変はさらに深刻になるだろう。

隠れ感染者の存在に加えて、バカンスの人の動きと無鉄砲な若者らの行動パターンもイタリアでは憂慮されている。それを体現するようにクロアチアとギリシャで休暇を過ごした若者らが、帰国後に検査で陽性とされるケースが増えた。

イタリア自体は、3月から4月の世界最悪のコロナ兇変を体験して非常に用心深くなり、感染防止対策にも余念がない。また社会経済活動の再開もスペインやフランスに比較するとゆっくり目である。それらが今現在のイタリアの感染状況を落ち着かせている。

だが、そうはいうものの、イタリア人がバカンスに出かける先の国々の規制や感染防止策はまちまちだ。イタリアよりは規制がゆるい国が多い。8月の終わりになればそれらの国々で休暇を過ごした人々が一斉に帰国する。

クロアチアとギリシャから帰った若者らに感染が広がっている事実は、9月以降の感染爆発の予兆である可能性も大いにある。当たり前の話だが、コロナ大厄は全く終わってなどいないのである。



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渋谷君への手紙~死者が増えるほど日本はきっと強くなる

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『 渋谷君

僕の故郷の沖縄県が人口10万人あたりの新型コロナ感染者数で東京を抜いてダントツ日本一、という情報をわざわざ送ってくれてありがとう。実は僕もメディアやネットでニュースを知って気にしていました。観光地ということもあるのでしょうが、沖縄の感染者が増えているのは米軍のせいもあるのか、などと心配しています。

沖縄のみならず、日本全体の感染者数が増えているのはちょっと不気味ですね。ただヨーロッパの状況も怪しい。今のところここイタリアは静かですが、スペイン、フランス、ドイツが変な雰囲気になってきました。

イギリスもそうです。あの国はロックダウン不要論に基づいて、ジョンソン政権が第一波の初期対応を誤ったことが依然として尾を引いています。その点イタリアは逆に、誰よりも早くまた誰よりも厳しいロックダウンを敢行した分、「今のところは」息がつけている、というふうです。

ただしイタリアの新規感染者もコンスタントに出ていて、僕は第2波(この言い方には強い違和感を覚えますが分かりやすいようにそう書きます)の到来は必ずあると思っています。

イタリアは3月から4月にかけて、どこからの援助もなく、それでも誰を怨むこともなく、且つ必死に悪魔のウイルスと格闘しました。当時イタリア国民は苦しみ、疲れ果て、倒れ、それでも立ち上がってまたウイルスと闘う、ということを繰り返していました。

ウイルス地獄が最も酷かったころには、医師不足を補うために300人の退職医師のボランティアをつのったところ、25倍以上にもなる8000人がすぐさま手を挙げました

周知のように新型コロナは高齢者を主に攻撃して殺害します。加えて当時のイタリアの医療の現場は、当局の見込み違いなどもあって患者が病院中にあふれかえり、医師とスタッフを守る医療器具はもちろんマスクや手袋さえ不足する、という異常事態に陥っていました。

8000人もの老医師はそうしたことを十分に承知のうえで、安穏な年金生活を捨てて死の恐怖が渦巻くコロナ戦争の最前線へ行く、と果敢に立ち上がったのです。僕はあの時のことを思うと今でも鳥肌が立つほどの感動を覚えます。

退役医師のエピソードはほんの一例に過ぎません。厳しく苦しいロックダウン生活の中で、多くのイタリア国民が救命隊員や救難・救護ボランティアを引き受け、困窮家庭への物資配達や救援また介護などでも活躍しました。

逆境の中で毅然としていたイタリア人のあの強さと、犠牲を厭わない気高い精神はいったいどこから来るのだろうか、と僕は真摯に、そしてしきりに思いを巡らずにはいられません。あれこれ考えた末に行き着くのはやはり、イタリア国民の9割以上が信者ともいわれるカトリックの教義です。

カトリック教は博愛と寛容と忍耐と勇気を説き、慈善活動を奨励し、他人を思い利他主義に徹しなさいと諭します。人は往々にしてそれらの精神とは真逆の行動に走ります。だからこそ教義はそれを戒めます。戒めて逆の動きを鼓舞します。鼓舞し続けるうちにそちらのほうが人の真実になっていきます。

いい加減で、時には嘘つきにさえ見えて、いかにも怠け者然としたゆるやかな生活が大好きな多くのイタリア国民は、まさにその通りでありながら、同時に寛容で忍耐強く底知れない胆力を内に秘めています。彼らはいわば優しくて豪胆なプー太郎なのです。

イタリア国民のストイックなまでに静かで、意志的なウイルスとの戦いぶりは、僕を感動させました。彼らの芯の強さと、恐れを知らないのではないかとさえ見える根性のすわった態度に接して、僕はこの国に居を定めて以来はじめて、許されるならイタリア人になってもいい、と腹から思うようになりました。

ご存じのように日本人が他国籍を取得したいなら、日本国籍を捨てなければなりません。僕は今のところは日本国籍を放棄する気は毛頭ありませんので、実現することはないと思います。が、イタリア人になってもいいと信ずるほどに、イタリア国民を心底から尊敬するようになったのです。

8月に入ったイタリアのコロナ環境は、3月、4月の惨状が嘘のような静けさに包まれています。だが世界では8月4日現在、感染者の多い順にアメリカ 、ブラジル、インド、ロシア、南アフリカ 、メキシコ 、ペルー、チリ 、コロンビア、イランなどの非欧州国がコロナの猛攻撃にさらされています。

それらの国々の中で以前のイタリアの恐怖と絶望感を今このとき味わっているのは、世界最大の感染国アメリカではなく、恐らく医療体制の脆弱なインド、パキスタン、イランほかの中東諸国、またブラジルとペルーに代表される南米各国などでしょう。僕には彼らの苦境が容易に想像できます。

一方、状況が芳しくない日本のコロナの状況については、実は僕はそれほど心配していません。いえ、もちろん心配はしていますが、イタリアのかつての地獄絵図を知っている身としては、日本で今後何が起きてもどうということもない、と達観もしているのです。

この先に日本で感染爆発が起きても死者が激増しても、3月から4月頃のイタリアの惨状には決して陥らない、と信じています。イタリアのように医療崩壊さえ起こさなければ、苦しい中にも救いはあるのです。いえ、それどころか、医療崩壊を避けることができれば、何も恐れることはありません。

医療崩壊に陥ったころのイタリアは、いま振り返っても本当に怖い状況でした。前例もないまま、突然にコロナ地獄に投げ込まれ、文字通りの孤立無援の中、ただ一国で呻吟するしかありませんでした。民主主国家イタリアの全土封鎖は、独裁国家の中国の武漢封鎖とは違う困難をもたらしました。

その後、アメリカやブラジルも地獄にはまって行きますが、彼らには少なくとも「イタリアという前例」 がありました。またイタリアを見て対策を考えることができたスペイン、フランス、イギリス、その他多くの国々の動きも参考にすることができました。

イタリアは真実孤独でした。僕の周りにおいてさえ人がバタバタ死んでいきました。何が起きても日本はとてもあんなふうはならないでしょう。誤解を恐れずにあえて言えば、むしろもう少しくらい重傷者や死者が出るくらいのほうが、経済つまり金のことしか考えていないように見える、日本の政治家や御用学者や経済人らに灸を据える効果があるのではないか、とさえ思っています。

日本がイタリアの絶望的な状況に陥るのなら、それはイタリアの失敗やその後のスペイン、フランス、イギリス、また南北アメリカなどの苦境から何も学ばなかったことを意味します。その場合には、安倍晋三首相と彼の政権は万死に値する、と言っても構わないでしょう。だが言うまでもなく、そういう事態にはなならずに感染拡大が収まればそれに越したことはありませんが。。

 以上                                     
                                  それではまた 』



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