【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

2020年12月

国の品位、管首相の怯懦

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直近記事、「プリンシプルを欠くと人も国も右往左往する」の読者から
「全ての外国人の入国を拒否したのは変異ウイルスをシャットアウトする目的で《念のため》に導入した措置。従って問題はない」という趣旨の便りがあった。

菅首相の胸の内も、おそらくこの読者と寸分違わない。そしてそこには一理がある。だがそれだけである。敢えてダジャレを言えば、十理のうち一理だけが正しく、残りの九理が間違っている。

人に品位があるように国家にも品格 がある。仮にも先進国の一角を成す日本には、おのずとそれなりの風格が求められる。

それは国家に自由と明朗と自信が備わっているかどうか、ということだ。自由主義世界では、国々はお互いに相手を敬仰し国境を尊重しつつ同時に開放する、という精神でいなければならない。なにかがあったからといって突然国境を閉ざすのは品下る行為だ。

世界は好むと好まざるにかかわらず、イメージによっても成り立っている。従来からあるメディアに加えて、インターネットが爆発的に成長した現代では、実体はイメージによっても規定され変化し増幅され、あるいは卑小化されて見える。

突然の国境閉鎖は、世界に向けてはイメージ的に最悪だ。子供じみた行為は、まるで独裁国家の北朝鮮や中国、はたまた変形独裁国家のロシアなどによる強権発動にも似た狼藉だ。

独りよがりにしか見えない行動は、西側世界の一員を自称する日本が、結局そことは異質の、鎖国メンタリティーに絡めとられた国家であることを告白しているようにも映る。

事実から見る管首相の心理は、後手後手に回ったコロナ対策を厳しく指弾され続けて、今度こそは先回りして変異コロナの危険の芽を摘み取っておこう、と思い込んだものだろう。焦りが後押しした行為であることが見え見えだ。

実利という観点からもそのやり方は間違っている。「全世界からの外国人訪問者を一斉に拒否」することで、管首相はわずかに回っていた外国とのビジネスの歯車も止めてしまった。経済活動を推進し続けると言いながら、ブレーキを踏む矛盾を犯しているのである。

コロナ禍の世界では感染拡大防止が正義である。同時に経済を回し続けることもまた同様に正義だ。しかも2つの正義は相反する。

相反する2つの正義を成り立たせるのは「妥協」である。感染防止が5割。経済活動が5割。それが正解だ。両方とも8割、あるいは9割を目指そうとするからひたすら右顧左眄の失態を演じる。

変異種のウイルスを阻止するのは言うまでもなく正道だ。だがそのことを急ぐあまり、周章狼狽して根拠の薄いまま国境を完全封鎖するのは、たとえ結果的にそれが正しかったという事態になっても、国家としていかがなものか、と世界の良識ある人々が問うであろう行為だ。



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プリンシプルを欠くと人も国も右往左往する


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2020年12月27日早朝、いつものように書斎兼仕事場の机の前に座ってネットにアクセスした。するとそこかしこのサイトに「日本、全世界からの外国人入国を拒否」「Japan bans new entries of foreigners」という類いの見出しが踊っていてびっくりした。

新型コロナウイルスの変異種に感染した人が国内で見つかったことを受けて、28日から来月末まで、全世界からの外国人の新たな入国を拒否する、のだという。

BBCやロイターやCNNなどの大手を筆頭に、外国メディアが特に大きく伝えている。

ところが衛星放送で見るNHKニュースはそのことを取り上げていない。ようやくNHKネットで扱っているだけである。

ためしに朝日新聞を見た。やはりニュースになっていない。そこで見出しの一覧を一日前までたどって探したが、表記されていなかった。

つまりそのニュースは、日本国内では重要とは見なされていないのである。だから大手メディアを中心に扱いが極小になるか、扱ってもすぐに消えている。

ところが世界では、日本のような先進国が、いとも簡単に「全世界からの訪問者をシャットアウト」するなどというのは、一大事なのである。だから外国メディアは騒いでいるのだ。

世界の多くの国々は、変異種のウイルスがはびこっている英国からの訪問者を拒否している。英国からのウイルスに染まりかけているいくつかの国からの訪問者も拒絶している。

それは理解できることだし正しい動きのように見える。

だが、数人の感染者が見つかったからといって、突然世界中からの入国者を一斉に拒絶する、というのはどう考えても異様だ。

日本政府の施策は特にコロナ関連では混乱しっぱなしだ。つい最近も絶対に見直さないと言い続けていたGoToトラベルを突然やめた。その前には「勝負の3週間」でコケた。

パンデミックのしょっぱなでは、中国に遠慮すると同時に彼の国からの観光客が落とす金に目がくらんで、今とは逆に中国人を受け入れ続けて感染拡大を招いた。

その後も安倍前政権の失策は続いた。前政権を受け継いだ菅内閣は、安倍さんの失策癖まですっかり継承したようだ。

いや、突然の「全世界からの外国人入国者を拒否」の如く、右から左、極端から極端へとぶれる政策を見ていると、前政権よりもアブナっかしい。

菅首相と幹部は「全世界からの訪問者を拒否」という施策が、いかに重いものであるかを理解していないように見える。

理解していないから重大な施策をいとも簡単に導入してたじろがない。そこにプリンシプルの欠如という誤謬が重なるから、政策が大ぶれにぶれる。

だが「全世界からの訪問者を拒否」ということの意味を理解していないのは政府ばかりではない。実はメディアも全く理解していない。だからそれを軽く見て大きなニュースにはしないのだ。

一国の政府やメディアは国民の鏡である。それらは先ず国民がいてその後に存在する。政府やメディアがある事柄を理解しないのは、国民が理解していないからである。

そうやって国民と政府とメディアによる、巨大な無知また無関心が形成される。

日本は12月28日から1月末まで江戸時代以来の鎖国体制に入る。

そのことの重みもさることながら、そういう施策を何のためらいもなく導入してしまえるメンタリティーの軽さが、面白くもあり、怖いといえば怖いようでもある。


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擬似“戒厳令”下のクリスマス

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イタリアは今日クリスマスイブから年末年始の全土ロックダウンに入った。

今回は3月~5月の全土ロックダウンとは違って、1月6日までの間にスイッチを入れたり切ったりたりする変形ロックダウンである。

今日(24日)から始まった最初のロックダウンは27日まで続く。イタリアではクリスマスと翌日の聖ステファノ(santo stefano)の日は休日。その2日間は特に人出が多くなり、家族が集い、友人知己が出会って祝日を楽しむ。

次は12月31日から1月3日。言うまでもなく大晦日から新年も人出がどっと多くなる。 

最後は1月5日から6日。6日が公現祭 の祝日 (Epifania :東方の3博士が生後間もないキリストを訪れて礼拝した日)でやはり人が集まりやすい。

要するに1月24日から1月6日までの2週間のうち、12月28、29、30日と1月4日以外は全土のロックダウンを徹底するということである。

食料の買出しや病気治療など、必要不可欠な外出以外は移動厳禁。しかも外出の際には移動許可証を携帯することが義務付けられる。
 
ロックダウン中は住まいのある市町村から出てはならない。一つの自治体からもう一つの自治体への移動、州から州への移動も全て禁止。

レストランやバール(カフェ酒場)を始めとする飲食店や全ての店は閉鎖。営業が許されるのは薬局、新聞売店、コインランドリー、美容理髪店のみ。

また午後10時~翌朝5時は、全期間に渡って全面外出禁止、など、など。

クリスマスの教会のミサも禁止になった。

僕はキリスト教徒ではないが、クリスマスの朝はできる限り家族に伴って教会のミサに出かけるのが習いだ。

この国にいる限りは僕はクリスマス以外でも、キリスト教徒でイタリア人の家族が行うキリスト教のあらゆる儀式や祭礼に参加しようと考え、またそのように行動してきた。

一方家族は僕と共に日本に帰るときは、冠婚葬祭に始まる日本の家族の側のあらゆる行事に素直に参加する。

だがことしは、新型コロナへの用心から、人々が多く集う教会でのミサは禁じられた。

僕は先年、クリスマス特に教会のミサでのもの思いについて次のような趣旨のことを書いた。

クリスマスの時期にはイエス・キリストに思いをはせたり、キリスト教とはなにか、などとふいに考えてみたりもする。それはしかし僕にとっては、困ったときの神頼み的な一過性の思惟ではない。  

僕は信心深い人間では全くないが、宗教、特にキリスト教についてはしばしば考える。カトリックの影響が極めて強いイタリアにいるせいだろう。クリスマスの時期にはそれはさらに多くなりがちだ。

イエス・キリストは異端者の僕を断じて拒まない。あらゆる人を赦し、受け入れ、愛するのがイエス・キリストだからだ。もしも教会やミサで非キリスト教徒の僕を拒絶するものがあるとするなら、それは教会そのものであり教会の聖職者であり集まっている信者である。

だが幸いにもこれまでのところ彼らも僕を拒んだりはしたことはない。拒むどころか、むしろ歓迎してくれる。僕が敵ではないことを知っているからだ。僕は僕で彼らを尊重し、心から親しみ、友好な関係を保っている。

僕はキリスト教徒ではないが、全員がキリスト教徒である家族と共にイタリアで生きている。従ってこの国に住んでいる限りは、一年を通して身近にあるキリスト教のあらゆる儀式や祭礼には可能な範囲で参加しようと考え、またそのように実践してきた。

人はどう思うか分からないが、僕はキリスト教の、イタリア語で言ういわゆる「Simpatizzante(シンパティザンテ)」だと自覚している。言葉を変えれば僕は、キリスト教の支持者、同調者、あるいはファンなのである。

もっと正確に言えば、信者を含むキリスト教の構成要素全体のファンである。同時に僕は、仏陀と自然とイエス・キリストの「信者」である。その状態を指して僕は自分のことをよく「仏教系無神論者」と規定し、そう呼ぶ。

なぜキリスト教系や神道系ではなく「仏教系」無神論者なのかといえば、僕の中に仏教的な思想や習慣や記憶や日々の動静の心因となるものなどが、他の教派のそれよりも深く存在している、と感じるからである。

すると、それって先祖崇拝のことですか? という質問が素早く飛んで来る。だが僕は先祖崇拝者ではない。先祖は無論尊重する。それはキリスト教会や聖職者や信者を僕が尊重するように先祖も尊重する、という意味である。

あるいは神社仏閣と僧侶と神官、またそこにいる信徒や氏子らの全ての信者を尊重するように先祖を尊重する、という意味だ。僕にとっては先祖は、親しく敬慕する概念ではあるものの、信仰の対象ではない。

僕が信仰するのはイエス・キリストであり仏陀であり自然の全体だ。教会や神社仏閣は、それらを独自に解釈し規定して実践する施設である。教会はイエス・キリストを解釈し規定し実践する。また寺は仏陀を、神社は神々を解釈し規定し実践する。

それらの実践施設は人々が作ったものだ。だから人々を尊重する僕はそれらの施設や仕組みも尊重する。しかしそれらはイエス・キリストや仏陀や自然そのものではない。僕が信奉するのは人々が解釈する対象自体なのだ。

そういう意味では僕は、全ての「宗門の信者」に拒絶される可能性があるとも考えている。だが前述したようにイエスも、また釈迦も自然も僕を拒絶しない。

僕だけに限らない。彼らは何ものをも拒絶しない。究極の寛容であり愛であり赦しであるのがイエスであり釈迦であり自然である。だから僕はそれらに帰依するのである。

言葉を変えれば僕は、全ての宗教を尊重しながら「イエス・キリストを信じるキリスト教徒」であり「全ての宗教を尊重しながら釈迦を信奉する仏教徒」である。同時に全ての宗教を尊重しながら「自然あるいは八百万神を崇拝する者」つまり「国家神道ではない本来の神道」の信徒でもあるのだ。

それはさらに言葉を変えれば「無神論者」と言うにも等しい。一神教にしても多神教にしても、自らの信ずるものが絶対の真実であり無謬の存在だ、と思い込めば、それを受容しない者は彼らにとっては全て無神論者だろう。

僕はそういう意味での無神論者であり、無神論者とはつまり「無神論」という宗教の信者だと考えている。そして無神論という宗教の信者とは、別の表現を用いれば「あらゆる宗教を肯定し受け入れる者」、ということにほかならない。


ことしは教会ではなく書斎で同じことに思いをめぐらせている。


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イギリスが新型コロナ対策をドタキャンした理由(わけ)


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イギリスが昨日(12月19日)までの新型コロナ対策を突然変更して、クリスマス期間中も厳しい移動規制をかけ続けると発表した。

感染力の強い変異したウイルウが発見されたからだ。

変異種のウイルスは、伝染力が従来の種より最大で70%以上強い可能性がある。一方で従来の種と比べて重症化率や致死率が高いという確証はない、ともされる。

20日から導入される厳しい規制では、不急不要の外出が禁止され、生活必需品を扱う店以外は全て営業停止となる。19日までは小売店や美容室などの営業は許されていた。

またイギリス政府はこれまで、12月23~27日のクリスマス休暇中は最大3世帯まで集うことを許可するとしていた。だが、これも覆して移動規制が強化された地域では集まりを禁止すると発表した。

僕はジョンソン政権の出し抜けな方向転換におどろいた。欧州各国がクリスマスから年末年始にかけて規制を強化する中、イギリスだけは逆に規制をゆるめるとしていたからだ。

その決定は異端者のジョンソン首相の意向に沿っていた。

政府方針に対してイギリスの医学会は、クリスマス前後の5日間に制限を緩和するのではなく、強化する必要があると指摘。政府は多くの命を犠牲にする過ちを犯そうとしている。制限強化を発表したドイツ、イタリア、オランダなどにならうべき、と強く警告をしていた。

野党やロンドンのカーン市長らも警告に賛同しジョンソン首相の翻意を求めていた。

激しい反対運動に対してジョンソン首相は、クリスマスの集いを禁止したり、違法化はしたくない。政府があらゆるケースを見越して法律を定めることはできない、などと主張して飽くまでも規制緩和にこだわった。

新型コロナの感染拡大阻止を目指す先進民主主義国の共通の悩みの一つは、厳しい移動規制やロックダウンを導入することで、人々の個人の自由を強く抑圧しなければならない現実である。

個人の自由は民主主義社会の最重要な構成概念の一つだ。ジョンソン首相は、ジレンマを押して個人の自由を抑圧する厳しい規制を打ち出す世界の指導者を尻目に、民主主義社会の根幹を成す要素を死守しようとしているようにも見える。

だが一方で、彼がパンデミックの始まりの頃にこだわった集団免疫の考えや、米トランプ大統領ばりの経済至上主義やコロナ軽視の自らの信条を秘匿して、個人の自由の守護神を装っているだけなのではないか、という疑惑も呼び起こさないではない。

国民に人気があると見えるジョンソン首相のコアな支持者は、つまるところトランプ大統領の岩盤支持者にも親和的な英国の保守層であり、反知性主義的心情も強いと考えられるBrexit賛成派である。

ジョンソン首相は彼らの親玉的存在だ。彼が打ち出す新型コロナ対策が時として異様に見えるのは、それらがトランプ大統領の施策にも似た色合いを帯びているからである。

彼はそれを嫌う欧州の良心に気づいている。だから往々にしてその生地を包隠しようとする。その態度が彼をさらに異様に見せる、というふうである。

そんなジョンソン首相が、頑なにこだわってきたクリスマスの規制緩和を撤回する気になったのは、引き金となった変異種のウイルスの正体が、あるいは見た目以上に険悪な性質のものであることを意味しているのかもしれない。

万が一そうであるなら、ウイルスは当のイギリスが世界に先駆けて国民に接種を行っている、新型コロナワクチンを無効にする能力を秘めている可能性もある。ある意味ではジョンソン首相の二枚舌や仮面性よりもはるかに怖い事態である。



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コロナ色のクリスマスが見える

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2020年12月17日現在、イタリアの新型コロナの累計死者数は6万6千537人。欧州最悪である。

死者数は長くイギリスがトップだったが、12月13日にイタリアがイギリスを超えた。

なお累計の感染者数では依然としてフランスが最も多い246万5千126人。2位はイギリスの191万8千736人。3位はイタリアで188万8千144人。続いてスペインの177万3千290人。

イタリアの1日当たりの感染者数はいわば高止まり状態。連日1万5千人前後から1万9千人の間で推移している。

イタリアの死者数は相変わらず多い。感染者数が減少傾向にあった12月3日、突然993人もの死亡者が出て過去最悪を更新した。

その後はさすがに減少して1日あたり500人前後で推移しているが、12月10日にはまたふいに887人が死亡するなど、凄惨な状況は変わらない。

なぜイタリアの死者数は多いのか、という疑問への解答はまだ出ない。十年一日のごとく「イタリアが欧州一の高齢化社会」だから、という答えが繰り返されるのみである。

答えはおそらく今後何年もかけて、分析・研究がなされた後に明らかになるだろう。それまでは、死者数が劇的に減らないのならば、せめて頭打ちになることを願うのみである。

良い兆候もある。ICU(集中治療室)の患者数が着実に減り続けていることである。治癒した者と亡くなった患者が多い、とも言えるが ICU全体の数字が減少しているのは朗報だろう。

イタリアの状況は、例えば日本などに比べたら惨状以外の何ものでもないが、欧州の中では増しなほうだ。あるいは普通程度に悪い環境。

いま厳しいのはドイツであるように見える。優等生のドイツは、新型コロナに苦しんでいるとはいえ、欧州の主要国の中では、また欧州全体の中でも、常に症状が軽かった。

だがここに来て事態が深刻化している。ドイツは先月から行ってきた部分的ロックダウンが功を奏していないことを認めて、12月16日から規制をさらに強化し来月10日まで続ける。

例えば小売店の営業は全て禁止。公共の場での飲酒も禁止。学校も閉鎖される。メルケル首相は規制強化前の12月9日、より過酷なロックダウンを受け入れてくれるよう、ほとんど涙ながらに国民に訴えた。

12月11日には、ドイツの1日の感染者は過去最多のほぼ3万人にのぼり、死者も過去最多の589人を数えた。それらの数字はさらに悪化の一途をたどっている。

フランスは感染が急拡大した10月末、罰金を伴う厳しいロックダウン措置を導入した。12月半ばまでに感染拡大を抑えて、国民にクリスマス休暇を楽しんでもらおうという思惑があった。

それに向けてフランス政府は具体的な数値目標を立てた。12月15日までに1日の感染者数を5千人程度、ICU患者数を2千500~3千人程度に抑える、というものだった。

感染拡大は徐々に静まり、11月28日からは小売店の屋内での営業再開を許可。また12月15日からは外出禁止を緩和して、朝6時から20時までは外出自由、それ以外の夜間だけ外出禁止とした。

しかし、前述の数値目標のうち、12月15日までにICU患者数を2千500~3千人程度に抑えるという目標は達成したものの、感染者を5千人程度に減らす計画は失敗して、1万人程度に留まった。そのため16日から予定していた 映画館、劇場、美術館などの再開は見送られた。

第1波の全土ロックダウンで経済を徹底的に破壊されたイタリアは、再びのロックダウンを回避すると同時に、クリスマス休暇明けに襲うことが容易に予想される第3波にも神経を尖らせている。

そこでクリスマスイブの12月24日から年明け、あるいはさらに先まで、週末と祝日には飲食店の営業を禁止し商業施設も閉鎖する。また不要不急の移動を禁止し、これまで行われてきた夜間外出禁止措置も延長する。

そうした施策を察知した国民の中には、規制が強化される12月24日までに帰省して、家族と共にクリスマスと年末年始を過ごそうともくろむ者が出始めている。そうした不届き者の多くは、ほぼ常に南を目指して動く。

イタリアのクリスマスも、欧州の他の国々のクリスマスも、重苦しい雰囲気の中で過ぎることが確実だ。が、多くの人々は騒がず怨まずに休暇を耐え過ごして、1月から始まるワクチン接種に希望を見出そうとしているようだ。


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パオロ・ロッシはマラドーナではないがマラドーナにも似た名選手だった

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12月9日、1982年のW杯イタリア優勝の立役者だったパオロ・ロッシが亡くなった。イタリアでは11月25日に逝ったマラドーナに重ねて彼の死を悼む人々も多い。

ロッシはすばらしいプレイヤーだった。人格的にも優れていた。引退後は特に穏やかに過ごし他者を慮る態度に終始して人々に慕われた。

ハチャメチャで破滅型でもあったマラドーナとは正反対の性格のようにも見えるが、彼らは他人の悪口を言わないと称えられたところも似ていた。

2人のプレイヤーの最大の共通点は、しかし、第12回と第13回のワールドカップのタイトルをほとんど1人でそれぞれの祖国、イタリアとアルゼンチンにもたらしたという点だ。

2人の共通点はただそこだけと言ってもあながち間違いではない。なぜならマラドーナはペレと並んで史上最強のプレイヤーと目される存在であり、ロッシは「多くの」名選手のひとりに過ぎない。

ロッシを名選手とは見なさない人々も多い。僕もその一人である。いやそれどころか、誤解を恐れずに言えば、僕はある意味ではロッシを平凡なプレーヤーだとさえ考える者だ。

ロッシはロッシ本人がかつて自らを規定したように「単独でディフェンスラインを突破するのではなく、前線のすぐ近くに動きを限定して、味方の助けを借りて得点する」タイプの選手である。

それは良く言えば、チームプレイを重んじる利己的ではないプレイヤーということである。また悪く言えば、ファンタジー(創造性)に欠けたオフサイドライン上の点取り屋、ということだ。

イタリアにはつい最近まで彼に似た、そして彼よりも力量が上の点取り屋がいた。現在セリエAベネヴェントの監督を務めるフィリッポ・インザーギである。

インザーギのイタリア1部リーグセリアAでの総得点は145、イタリア代表戦での得点は25。一方ロッシはセリアAでの総得点111、イタリア代表戦での得点は20だ。

ところが人気や評価の点では、ロッシはインザーギにはるかに勝る。それはひとえにロッシが1982年のワールドカップで大活躍をしたからである。

少し古くまた唐突な例だが、プロ野球の長島が、注目度の高い試合で大活躍をすることが多かったために、成績で勝る王よりも人気が高かったことにも似ている。

誤解のないように言っておきたい。ロッシもインザーギも疑いなくイタリアサッカー史上に残る名フォワードだ。が、ロッシはW杯で大活躍をしインザーギはそれほどでもない。それが2人の運命を分けていると思う。

さてここからは個人的な見解である。僕にとってはロッシもインザーギも魅力的な選手ではない。彼らはゲームを構築し演出しそして得点までするファンタジスタ(創造的フォワード)ではない。

オフサイドライン上にいて、相手の一瞬の隙を突いてゴール前に飛び出し、抜け目なくゴールを奪うタイプのストライカーである。

彼らは異様に鋭いゴールへの嗅覚を備えていて常に的確な場所にいる。こぼれ玉にも素早く反応し太ももや膝や踵はもちろん、いざとなれば肩や腰を使ってでも泥臭くボールを押し込む。

それは言うまでもなくひとつの大きな才能である。少年サッカーにおいてさえ、相手ゴール前の修羅場で自在に動いてボールをネットに押し込むのは至難の業だ。

ましてや相手は、世界でも最強と指摘されることが多いイタリアの守備陣形である。そこで一瞬の間にマーカーをかわし、相手の視野から消えてゴールを決めるのは天才的な力量だ。

それでも、彼ら以上に魅惑的なのが、マラドーナでありメッシでありバッジョでありデルピエロなど、などの、ファンタジスタ(創造的フォワード)なのである。

これはロッシを貶めるために言うのではない。彼はマラドーナと並んで、一つのワールドカップをほぼひとりで制したほどの優れたプレイヤーだ。

同時に、マラドーナとは違って点取り屋に徹しただけの、あるいは点取り屋に徹する以外には生きる術がない名選手だった、と言いたいのである。

合掌



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地獄から見上げてみれば


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12月6日、イタリアの新型コロナの死者の累計は節目の6万人を超えた。欧州ではイギリスの6万千42人に次いで多い数字である。

イタリアの死者のうち40%近い2万2千252人は、パンデミックの始まりから常に最悪の被害地域であり続けている、ミラノが州都のロンバルディア州の犠牲者。

2番目に犠牲者が多いのはボローニャが州都のエミリアロマーニャ州の5805人(10,4%)。以下トリノが州都のピエモンテ州5556人(10%)、ヴェネツィアが州都のヴェネト州3899人(7%)、首都ローマが州都のラツィオ州2525人(4,5%)などと続く。フィレンツェが州都のトスカーナ州、ナポリが州都のカンパーニア州、ジェノバが州都のリグーリア州などの死者も多い。

僕の住むブレッシャ県は、イタリアで最もコロナ被害が大きいロンバルディア州の12県のうちの一つ。第1波では隣のベルガモ県と並んで感染爆心地になった。僕の周囲でも親戚を含む多くの人々が犠牲になった。

今進行している第2波でも、ロンバルディア州が相変わらずイタリア最悪のコロナ被害地だが、感染爆心地は州都ミラノ市とミラノ県に移っている。むろんブレッシャ県の状況も決して良好ではない。

イタリアのコロナ死者の平均年齢は80歳。死者のうち50歳以下の人は657人。全体のたった1%強に過ぎない。また死者の97%が何らかの持病あるいは基礎疾患を持つ。

僕は死者の平均年齢の80歳にはまだ遠いが、50歳はとっくに通り過ぎて且つ基礎疾患を持つ男。パンデミックのちょうど1年前に狭心症のカテーテル治療を受けたのだ。従ってコロナに感染すると重症化する危険が高いと考えられる。

還暦も過ぎたので、死ぬのはしょうがない、という死ぬ覚悟ならぬ「死を認める」心構えはできているつもりだが、コロナで死ぬのはシャクにさわる。死は予測できないから死ぬ覚悟に似た志も芽生えるのではないか。避けることができて、且つ死の予測もできるコロナで死ぬのは納得がいかない、と強く感じる。

2週間前には同期の友人がコロナで亡くなった。彼は長く糖尿病を患っていた。既述の如くこれまでにも親戚や友人・知人がコロナで逝った。だが全員が70歳代後半から90歳代の人々だった。年齢の近い友人の死は、なぜかこれまでよりも凶悪な相貌を帯びて見える。

僕はパンデミックの初めから、世界最悪のコロナ被害地の一つであるイタリアの、感染爆心地のさらに中心付近にいて、身近の恐怖を実感しつつ世界の恐慌も監視し続けてきた。その僕の目には、最近の日本がコロナに翻弄され過ぎているように見える。

コロナはむろん怖れなければならない。感染を阻止し、国の、従って国民の生命線である経済も死守しなければならない。それが世界共通の目標だ。ところがイタリアは、第1波で医療崩壊の地獄を味わい、全土ロックダウンで経済を完膚なきまでに打ち砕かれた。

そのイタリアに比べたら日本の状況は天国だ。欧州のほとんどの国に比べても幸運の女神に愛されている国だ。アメリカほかの国々に比べても、やっぱり日本のコロナ状況は良好だ。むろんそれがふいに暗転する可能性はゼロではない。

だが日本が、イタリアを始めとする欧州各国の、第1波時並みの阿鼻叫喚に陥る可能性は極めて低い。万万が一そんな事態が訪れても、日本は例えばイタリアや欧州各国を手本に難局を切り抜ければいいだけの話だ。

ここ最近僕は、あらゆる機会を捉えて「日本よ落ち着け」と言い続けている。言わずにはいられない。コロナに対するときの日本の大いなる周章また狼狽は、おどろきを通り越して、僕に少し物悲しい気分さえもたらすのである。




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スカラ座と聖母マリアとジョン・レノン

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毎年12月7日と決まっているスカラ座の初日は、イタリアの全ての劇場が閉鎖されている新型コロナ禍の規制から逃れられず、無観客でのバーチャル公演となった。

プラシド・ドミンゴほか23人のアーチストが劇場で歌うパフォーマンスが公共放送のRAIで流され、世界中に配信された。スカラ座の本当の再開は、コロナの行く末に左右される危うい未来。誰も正確なことは分からない。

スカラ座のバーチャル開演の翌日は、ジョン・レノンの40回忌。偉大なアーチストはちょうど40年前の今日、1980年の12月8日にニューヨークで理不尽な銃弾に斃れた。

僕はジョン・レノンの悲劇をロンドンで知った。当時はロンドンの映画学校の学生だったのだ。行きつけのパブで友人らと肩を組み合い、ラガー・ビールの大ジョッキを何杯も重ねながら「イマジン」を歌いつつ泣いた。

それは言葉の遊びではない。僕らはジョン・レノンの歌を合唱しながら文字通り全員が涙を流した。連帯感はそこだけではなくロンドン中に広がり、多くの若者が天才の死を悲しみ、怒り、落ち込んだ。

毎年めぐってくる12月8日は、イタリアでは「聖母マリアの無原罪懐胎の祝日(festa dell'immacolata)」。多くのイタリア人でさえ聖母マリアがイエスを身ごもった日と勘違いするイタリアの休日だが、実はそれは聖母マリアの母アンナが聖母を胎内に宿した日のことだ。

イタリアの教会と多くの信者の家ではこの日、キリストの降誕をさまざまな物語にしてジオラマ模型で飾る「プレゼピオ」が設置されて、クリスマスの始まりが告げられる。人々はこの日を境にクリスマスシーズンの到来を実感するのである。

普段なら12月の初めのイタリアでは、スカラ座の初日と「聖母マリアの無原罪懐胎の祝日(festa dell'immacolata)」に多くの人の関心が向かう。

イタリア住まいが長く、イタリア人を家族にする僕は、それらのことに気を取られつつもジョン・レノンの思い出を記憶蓄積の底から引き上げることがないでもない。それはしかし、ひどくたよりない。

だが今年は、偉大なミュージシャンが逝って40年の節目ということもあり、メディアのそこかしこで話題になったり特集が組まれたりすることさえあった。それで僕もいつもよりも事件を多く思う機会を得た。

新型コロナは、ジョン・レノンの故国イギリスと首都ロンドンを痛めつけ、彼が愛し住まったニューヨークを破壊し、スカラ座を抱くミラノを激しくいたぶっている。

それらの土地と僕は縁が深い。ロンドンは僕の青春の濃い1ページを占め、ニューヨークは僕をプロのテレビ屋に育ててくれ、ミラノは仕事の本場になりほぼ永住地にまでなった。

そうはいうものの、3都市は普段は何の脈絡もなく、したがって僕はそれらの土地をひと括りにして考えることもほとんどない。が、今では3都市は新型コロナによってしっかりと束ねられている。

それはどの街もが新型コロナの被害者、というネガティブなコンセプトの下での統合である。だが、それらは確かに結ばれている。

運命を共にするものとしてあるいは泥舟に乗り合わせた者同士として、愛しささえ伴いつつ僕の日々の意識に頻繁に刻印される存在になった。

そんな状況はむろん心地よいものではない。

僕はそれらの魅惑的な都会が、コロナごときに収れんされるものではなく、独立した多様な都市として勝手に存在する、コロナ以前の美しい時間の中に戻ることを渇望するのである。


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コロナ死者が多くてもイタリアはもはやパニくらない


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イタリアの日ごとの新型コロナ感染者数は減少傾向にある。

ところが12月3日、1日の死者が過去最多を更新して993人にものぼった。

これまでの記録は第1波のロックダウン中の969人。3月27日のことだった。

新法令

死者が激増した同じ日、イタリア政府は、新型コロナ対策として新たな法令を発動した。

それによるとクリスマス直前の12月21日から1月6日までは、州をまたいだ移動は禁止。

また夜10時から翌朝5時までの外出も引き続き禁止とする。

さらにクリスマス当日と翌日、また元日には住まいのある自治体から外に出てはならない。

ただし、いずれのケースでも、仕事や医療また緊急事態が理由の移動は許される。

レストランは、赤、オレンジ、黄色の3段階の警戒レベルのうち、最も低い黄色の地域にある店だけ午後6時まで営業できる。

大晦日から新年をホテルで過ごす場合、食事はルームサービスのみ許される。

スキーリゾートは来年1月6日まで閉鎖。1月7日より営業が可能、など。など。

パニくらないイタリア

イタリアの累計の新型コロナ死亡者は、12月3日現在5万8千38人。

欧州ではイギリスの6万210人に次いで多い。

欧州で死者が節目の5万人を超えているのは、イギリス、イタリア、そしてフランスの5万4千231人。スペインの死者数ももうすぐ5万人クラブに入る勢いである。

イタリアの1日あたりのコロナ感染者数は、例えば日本に比べると、依然としてぞっとするほどに多い。重症者も、従って死者も然りである。

なぜイタリアのコロナ死亡者は多いのか。答えは相変わらずイタリアが欧州一の高齢化社会だから、という陳腐なものだ。一種のミステリーである。

もやもやした心情を抱きつつも、人々は落ち着いている。第1波のコロナ地獄と全土のロックダウンを経験して、イタリア国民はコロナとの共存法をある程度獲得し、さらに獲得しつつある。

イタリアが最も賑やかになるクリスマスシーズンを控えめに過ごして、休暇後の感染爆発を回避しようとする政府の方針は、ほとんど国民的合意といってもかまわないように見える。

そうした社会情勢は、2回目のロックダウンを敷いて感染拡大をいったん制御し、クリスマスを前に一息ついているフランス、イギリス、スペインなども同じ。

欧州主要国の中ではドイツだけがロックダウンを延長しているが、それはドイツ的慎重の顕現で、同国のコロナ状況は依然として英仏伊西よりも良好である。


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